ドストエーフスキイ全作品読む会 
ドストエーフスキイ全作品を読む会読書会 2023.6.10



笑劇「ステパンチコヴォ村騒動記」
 脚本 下原敏彦 

【原作】 
『ステパンチコヴォ村とその住人たち』
ドストエフスキー作 高橋知之訳 光文社文庫





登場人物

語り手・友人 ・・・ セリョージャの学友、ステパンチコヴォ村に同行
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ「セリョージャ」・・・ 22歳 ロスタネフの甥
ロスタネフ ・・・ セリョージャの「おじ」「大佐」「エゴール・イリイチ」とも。40歳
サーシャ ・・・ ロスタネフの娘 15歳
イリューシャ ・・・ ロスタネフの息子 8歳
フォマー・フォミッチ・オピースキン ・・・ 道化、将軍の死後、村の独裁者になる。
将軍夫人 ロスタネフの母 ・・・再婚相手の将軍死後フォマーの信奉者に。58歳
ブラスコーヴィヤ・イリイニチナ ・・・ ロスタネフの妹 40歳
ミス・ペレペリーツィナ ・・・ 将軍夫人の腰ぎんちゃく
ナスターシャ ・・・「ナースチェンカ」「ナースチャ」とも。屋敷に住む美人家庭教師
ガヴリーラ ・・・ ロスタネフ家の近侍、セリョージャの子守 「じいや」
ミジンチコフ ・・・ セリョージャの又いとこ。居候、28歳
タチヤーナ・イワーノヴィナ ・・・ 裕福な地主、将軍夫人はロスタネフと結婚させたがっている。35歳
バフチェエフ ・・・ 近所の地主、45歳

〈その他の登場人物〉

パーヴェル・オブノースキン ・・・ 客人、25歳
ペトローヴナ オブノースキンの母 ・・・ 50歳。太っていてけばけばしい。
・直訴にきた百姓たち、茶の間に集まった女性たち二、三人
グリゴーリー・ヴイドブリャーソフ ・・・ ロスタネフの若い従僕、上昇志向。
ファラレイ ・・・ 容姿端麗の召使 16歳。将軍夫人がかわいがっている。
エヴグラフ・エジェヴィーキン ・・・ナスターシャの父、貧しい地方官吏、道化
コローフキン ・・・ 学者、ロスタネフ家の食客

第T部

第一幕第一場


語り手、舞台端から。

ロシアの首都ペテルブルクから南西二〇〇`の地に緑豊かな村がある。春には色とりどりの果樹の花が咲き乱れ、秋には、黄金の小麦が波打つ。村の名はステパンチコヴォ村。まこと桃源郷の村である。この村の墓所の中程にひときわ、豪勢な墓がある。墓の上には白い大理石でできた記念碑がたてられており、涙を誘う引用句と故人を讃える文言がびっしりと刻み込まれている。

【一代の英雄フォマー・フォミッチ・オピースキン、ここに眠る】

墓碑の文末はこんなたいそうな大文字でしめくくられていた。
だが、この墓に詣でる村人はいない。訪ねてくる人もない。ときにはだれかが草取りをするのか、この一区画だけがきれいに掃除され、辛うじて墓碑の威厳を保っていた。墓を守るのは、この村の地主エゴール・イリイチ・ロスタネフと美しき妻ナスターシャだった。二人は、ときどき散歩の道すがら立ち寄って花を手向け故人を懐かしんでいた。
 
ロスタネフ、ナスターシャ登場

ロスタネフ「あの人は、あらゆる学問に秀でていたね。科学者で芸術家で、天文学にだって詳しかった。なにしろ太陽までの距離だって計算できたんだからね。文学だって、時間さえあればシェークスピアやゲーテのように名作を残せた人だった。歴史に名前を刻まれる人というのはあんな人のことをいうんだ」

ナースチェンカ「あの方、早目にお茶を飲む習慣があったわ」

ロスタネフ「そうだったね」

ナースチェンカ「起きてすぐお茶を飲むのがすきでしたわ。生前は、いろいろ悩まされましたが、いまとなってはなつかしい人です。それにわたしたちにとっては恩ある人です」

ロスタネフ「そうだね。彼がいなかったら、ぼくらは、こうして、連れ添って歩くこともなかったかも・・・。こんな幸福も得られなかった。その意味で彼は、本当に英雄だったかも知れないな。知れないじゃなくて、実際に英雄だったんだ」

ナースチェンカ「あなた、本当に尊敬していらっしゃったのね。あの方を」

ロスタネフ 「そうだよ、ナースチェンカ、あんな騒動はあったけど――いやあの騒動だつて、みんなわたしたちのことを思ってだったかも知れないよ。汚れ役を引き受けたのも」

ナースチェンカ「まあ、あなたって、どこまですてきなんでしょう。だれも憎まず、だれも恨まず、どんな嫌なことも感謝に変えてしまう。そんな魔法をもっていらっしゃるんですから。あの方、きっとそのことをご存じだったのよ」

ロスタネフ「とにかく清廉潔白の人だった。あんな人はもういないよ」

ナースチェンカ「そうですわね。お母様も、喜んでいらっしゃるでしょう」

二人は、話しながら去る。

語り手 墓の主は、そんなに立派な人間だったのか。片腹が痛い。私がこの目で見、この耳で知っている彼は、尊敬どころか、軽蔑するにも値しない人間だった。その性質は、これといったとりえもない、からきし意気地もない、世間のつまはじきにあってひねくれてしまった、こすからい心の持ち主に見えた。その彼を、こんなにもなつかしくありがたく思う人たちがいようとは。人の心はなぞです。神秘です。とはいえ、この私も彼のおかげで、この脚本を、この笑劇を書くことができたのです。彼には深く深く感謝です。道化の成り上がり者フォマー・フォミッチ・オピースキンとは何者?拙い語りですが、私が目にした『ステパンチコヴォ村騒動記』閉幕までご覧いただければ幸いです。 

私が、フォマー・フォミッチ・オピースキンという人物が住むステパンチコヴォ村に行ったのは、もう十年も前のことだった。行くことになった経緯はこんなふうだった。

あの日、ペテルブルグの私の下宿に友人のセリョージャが訪ねてきた。彼は、ペテルブルグ大学の法学部を優秀な成績で卒業したが、当時流行っていた非凡人思想に染まり、就職せずに引きこもっていた。            


第一幕第二場

友人「めずらしいね。君がたずねてくるなんて。引きこもりにあきたのかい」

セリョージャ「あきはしないけど、ちょつとお願いしたいことができてね」

友人「なんだい?」

セリョージャ「ぼくのおじさん知ってるだろ」

友人「いつか君が話していた神様みたいな、お人よしの地主さんかい。道化にひさしを貸したら母屋を乗っ取られたという噂のある・・・」

セリョージャ「乗っ取られたは、やっかみだよ、おじさん、その道化さんを村でだれよりも尊敬してるっていうから。へんなのは道化さんのことじゃあなくて、おじさんからの手紙の内容さ。意味不明なんだ」

友人「だから、どこがへんなのさ」

セリョージャ「前に話したが、おじさんは八年前に奥さんを亡くした。それから、ずっとやもめ暮らしをしてきた。それが、いきなり、手紙で結婚するつもりだといってきた」

友人「突然に決まる。結婚なんて、そんなもんじゃあないのかい」
セリョージ「えい、じれったい。おじさんは結婚したくないようなんだ。それにへんなのはもう一件ある。手紙を持ってきた。ほらこれだ。よんでみてくれ」

セリョージャは手紙を友人(語り手)にわたした。

友人「失敬、短文だね。読まさせてもらうよ。

わが愛する甥っこセルゲイへ
このたびは二つの重大な要件あり、急ぎ筆をとった。一つは、わたしの結婚話だ。遠縁で裕福な地主のところに、嫁に行き遅れたタチャーナ・イワーノヴィナという娘がいる。利口とはいえないが、器量はよくて気立てもいい、私の母の将軍夫人とおかかえ学者フォマー先生も大賛成。私もわが愛する妻カーチヤが亡くなって八年、こどもたちのためにも、このへんで身をかためようと思う。しかし、これは愛ゆえの結婚ではない。断じて。もう一つは、セルゲイ、君のことだ。我が屋敷に貧しい地方官吏の父娘がいたことをおぼえているかい。あの娘は、美しく成長してこどもたちの家庭教師となった。この彼女と結婚してくれることを願う。早々に帰省してプロポーズしてほしい。猶予はない。いっこくも早く村に帰省せられたし。七月二十日は、イリューシャの聖名日だ。朝からお祝いをするから間に合うように帰っておくれ。私の自慢の息子、セルゲイへ。おまえのおじのエゴール・イリイチより。

セリョージャ「どうだ、へんだろ。とくに僕のことなんか。いきなり、お屋敷にいる美人のの家庭教師と結婚しろというのだ。中年男の望まない結婚話と、まだ社会にもでていないひよっ子同然の僕の結婚話。それも今すぐ帰省して求婚しろとまでいうのだ。村には一度も帰省していないのに、支離滅裂な話じゃないか。しかし、恩あるおじさんのたっての頼みだ。帰ってみることにした。ついては、きみも一緒に行ってくれないか、おじの身になにか異変が起きている。そんな予感がするんだ。僕一人では心細い。お願いだ」

友人「そうだね、ちょうどひましていた。きみが子ども時代をすごしたというステパンチコヴォ村に旅してもいいよ」

セリョージャ「ありがとう、感謝する。おおいに助かるよ。

語り手(友人)かくて私は学友セリョージャの御供をして、ステパンチコヴォ村に旅することになった。二人の結婚話は、正直あまり興味がなかったが、お屋敷には、歴史に名を刻むほどの立派な人物がいるときいていたので。その人物をひと目見たかった。そんな好奇心から同行を承知した。ステパンチコヴォ村になにが待っているかも知らずに。


第二幕第一場

語り手(舞台端)ステパンチコヴォ村に近いB町のかじやの待合所。御者と地主バフチェエフが休んでいる。セリョージャが入ってくる。

セリョージャ「こんにちは、暑いですね。ご一緒させていただきます。目的地まであと少しなのに前輪の鉄輪が壊れたんです」

御者「そうだってね、いま旦那の御者からきいただす。ステパンチコヴォ村に行きなさるとか」

セリョージャ「そうなんです。 あの村は、わたしの故郷ですが、村を出てから一度も帰っていません。わたしは、あの村で子ども時代を過ごしました」

御者「そうですか、それは、おなつかしいことで・・・」

セリョージャ「地主は私のおじなんです。高潔で、温厚で、誠実で、陽気な人物です」

バフチェエフ「――てえとすると、あんた甥ごさんかね、ペテルブルグにいっているという」

セリョージャ「そうです」

バフチェエフ「じゃあ、おまちかねだ。ガヴリーラのじいさんが『おぼっちゃまがくる』って朝からさわいでおった」

セリョージャ「じいやお元気ですか? あなたは?」

バフチェエフ「わしは近所の地主で、ステパン・アレクセーイチ・バフチェエフだが。子どもの頃のあんたをしっているよ。」

セリョージャ「そうですか、僕は覚えていません、ぼくは、セルゲイといいます。子ども時代、孤児となったぼくをおじさんが父親代わりになって育ててくれたのです。お屋敷のみなさんお変わりないですか?」

バフチェエフ「それは、将軍が亡くなったこと以外は、お変わりございませんだが、ただ・・・」

パフチェエフは、意味深にへ、へ、と笑う。

セリョージャ「ただ――なんです、はっきり言ってください」

バフチェエフ「お人よしの大佐は元気だし、お変りはございません、ただ将軍の元道化だったフォマーさまというお偉い方が、ふんぞり返ってきたことをのぞけば、だが――」

セリョージャ「フォマーだって!いまフォマーとおっしゃいましたね。ひょっと
すると、その人物、フォマー・フォミッチ・オピースキンではありませんか? 」

バフチェエフ「当たり!その通りです。ご存じでしたか」

セリョージャ「ペテルブルグに居たって、こちらの情報ははいってきます。お
じさんは筆まめですからね」

バフチェエフ「大佐、ただ一人からですか・・・? それはいけねえ」

セリョージャ「なにがいけないんです」

バフチェエフ「たぶん大佐が書いてよこすのは、真反対の情報ばかりでしょうか
ら。甥っこさんには悪いが」

セリョージャ「いつも立派な学識ある人、歴史に名を残す人物、ぜひとも紹介し
たい人と書いてありました」

バフチェエフ「そうだろう、やっぱり。へん、なにが立派な人間か。聞いてあきれる。わしにいわせリゃ、あいつはいまいましいろくでなしで、人間なんかじゃない、あれが人間の顔かい、あん畜生が、ありゃ恥っさらしだ、人間の顔じゃない!」

バフチェエフ、興奮して悪口をまくしたてる。セリョージャ、ただ吃驚して佇む。。

セリョージャ「そういわれても、僕は一度もお会いしたことがないので・・・」

バフチェエフ「今朝も、けんかしてきましたよ。わけもわからん学問の話なんぞもちだすもんだから。あんちくしょうのせいで昼食も食えんかった」

セリョージャ「・・・」

バフチェエフ「フォーマなんぞと三分だって一緒にいられるもんか! 甥っこさん気を悪くしなさんな。フォマー・フォミッチ・オピースキンは故将軍の元道化だが、将軍が亡くなったあと、ロスタネフ大佐の屋敷に入りこんで王様みたいにふんぞりかえっちまった。たいした出世、道化の星さ。これがほんとうの話、真相さ、大佐の手紙は嘘っぱちだ」

セリョージャ「にわかには信じられませんが、もし、それが本当だとしたら、フォマーとはいったい何者なんです!?どういうわけで、おじの家でのさばっているんです。叩きだすことはできないんですか?」

バフチェエフ「叩きだす? 甥っこさん、あんた知らないから無理ないが、お屋敷中のものが、フォマー教の信者になっちまっているんだ。当のエゴール・イリイチ大佐がフォマーの前じゃあそっとつま先立ちで歩くくらいなんだよ!何しろフォマーが一度、木曜日を水曜日にするって命令したら、あそこじゃ一人残らず木曜日を水曜日と言うようになったんだから」

セリョージャ「その曜日の話は僕も聞いたことがあります。ペテルブルグに用事できた召使にきいたんですが、冗談だと思いました。ユーモアのある方にちがいない。そう思いました」

バフチェエフ「なにがユーモアだ、バカバカしい。それなら質問しなさい。奴の事についてどんどん質問しなさい。なんでも教えてあげますよ」

セリョージャ「質問ですか・・・祖母はどうしているんです?」

バフチェエフ「エゴール・イリイチ大佐のおふくろさんは立派なご婦人で、おまけに将軍夫人でもあらせられるが、わしにいわせりゃあ、すっかりもうろくしちまってるよ」

セリョージャ「しっ、失礼じゃないか!」

バフチェエフ「ほんとうだからしかたない。もうろくしちまったのさ、なんどでもいってやる。くそったれのフォマーなしじゃ生きていけないんだから。あの婆さんがすべての元凶なのさ。フォマーを連れ込んだのもあのバアさんだ。バアさんはフォマーにたらしこまれて、フォマーの前じゃ口もきけないありさまさ。一番の信者さまになっておありだ」

御者「前輪の取り替えおわりました。旦那様、出発します!」

セリョージャ「お宅様のはなしがどこまで本当か?」

バフチェエフ「まあ、たしかめることだ。自分の目ん玉と耳で。明日は、大佐のこどもたちの誕生日だったか聖名日だったか。よばれているから、またお目にかかれるというものさ。あんたの登場でお楽しみが増えたよ。フォマー大明神を、とくと見聞してみてくれ」


第三幕第一場

ロスタネフ家のお屋敷、馬小屋の裏に通じる並木道。老ガヴリーラが待っている。セリョージャ登場。セリョージャにとってなつかしい庭、いろんな花々が咲く花壇、。どれもが子ども時代を思いだす風景だ。思い出にひたりながら歩いて行くと子どもの頃、子守りをしてくれた老ガヴリーラが待っていた。

ガヴリーラ「ぼっちゃま、おかえりなさい、お待ちしていました」

セリョージャ「じいや、ただいま、よくわかったね、ぼくがこの道を通ると」

ガヴリーラ「それは、もうおぼっちゃまのお気に入りの道ですから」

セリョージャ「おじさんは、お元気?」

ガヴリーラ「首を長くしてお待ちかねですよ」

セリョージャ「それじゃあ、はやく挨拶しないとね」

ガヴリーラ「いま、馬小屋の裏にいらっしゃいます」

セリョージャ「馬小屋の裏?」

ガヴリーラ「はい、そちらにお連れせよともうされましたので」

セリョージャ「なんだろう?」

ガヴリーラ「お二人だけで話したいことがあるそうです」

セリョージャ「二人だけで――」

語り手)やはり何かあるんだ。セリョージャは思った。おじは、他人には聞かれたくない相談事があるのだ。セリョージャは、おじのためにどんなことでも協力しようと思った。おじロスタネフは、セリョージャが幼年時代、孤児となってこの世にただ一人残されたとき、父親代わりとなって教育を受けさせてくれた。ペテルブルグの大学に行ってからは手紙のやりとりをした。セリョージャの手紙の内容は、いつも「金おくれ」だったが、おじは断ったことは一度もなかった。おじの手紙は学問に対する彼への期待だった。おじは軍隊を退いてステパンチコヴォ村の地主になってからは、学者を居候させて好きな学問三昧で平和に暮らしていた。そのおじが二人だけで話したいという。おじの身になにかが起きたのだ。いまこそ恩返しするときだと。セリョージャは、強く決心しながら歩いていった。途中、老ガヴリーラが手にしているノートに興味を持った。

セリョージャ「じいや、それはなんだい? なんのノートなんだい?」

ガヴリーラ「フランス語を勉強しているんでございます。おぼっちゃま」

セリョージャ「じいや、まさか、本当にフランス語を教わっているのか?! B町のかじやの待合所で聞いた話は本当だったのか?」

ガヴリーラ「どなたが?」

セリョージャ「太った小男の地主だ」

ガブリーラ「ああ、バフェエチフさまです。フォマーさまとけんかなさって、怒ってでてゆかれました」

セリョージャ「それで、あんなに悪口をいってたのか。フランス語はフォマーが自分で教えるのかい? 」

ガブリーラ「さようでございます。頭のいい方です」

セリョージャ「へえー、でも彼の話じゃ大ばか野郎だそうだが」

ガヴリーラ「それは違います。大奥様が、あんなにも頼られて、うちの旦那さまをあんなにいいようにあしらっている人が、いったいばか者でしょうか」

セリョージャ「うむ! それもそうだ・・・お前の言うとおりかもしれない。おじさんとおバアちゃんを手玉にとっているというから、よほどすばらしい人なんだろう。どんな人物か早く会いたくなった」

ガヴリーラ「ぼっちゃん、あっしはごめんです」

セリョージャ「なぜだ?」

ガヴリーラ「あっしは、なんだかあの人が怖いんです」

セリョージャ「怖い?」

ガヴリーラ「宿題がわからなかったりすると罰として晩に、もう一度小テストするというのです」

セリョージャ「きびしいんだね。その道化あがりの男、フォマーっていったね、じいや、その男どんな風采をしてるんです。立派な顔立ちなの。背は高いのかい?」

ガヴリーラ「フォマー・フォミッチが!? とんでもない、なんとも貧相なお方で」

セリョージャ「そうかい、ますます早くお目にかかりたくなった。さあ、おじさんのところへ案内しておくれ」

ガヴリーラ「おまちかねですよ」


第四幕第一場

馬小屋の裏の空き地。ロスタネフは、カピトノーフカ村の百姓たち数人に囲まれて懇願されている。ガヴリーラ、セリョージャ登場。

セリョージャ「じいや、あの人たちは?」

ガヴリーラ「カピトノーフカ村の百姓しゅうでございます」

セリョージャ「カピトノーフカ村の? なぜこんなところで」

ガヴリーラ「カピトノーフカ村が、あのフォマー・フォミッチのお抱えになるという話を耳にしたらしく、お取り下げくださるように直訴にきたんです」

セリョージャ「しかし、なんでまた、馬小屋の裏なんかで?」

ガヴリーラ「用心のためですよ。おぼっちゃま。フォマーにみつかるとどんないちゃもんつけられるかわかったもんじゃないですから。もしだんなさまがタチヤーナ様と結婚なさると、いくつか小村がもらえるのです。フォマーさまは、それを狙っておりますだ。道化から地主になるのでございます。でも、みんな根も葉もないことです」

馬小屋の裏の空き地でロスタネフは、カピトノーフカ村の村人たちの直訴をきいていた。ガヴリーラとセリョージャ登場、ロスタネフとセリョージャは喜んで抱き合う。

セリョージャ「おじさん、来ましたよ!」

ロスタネフ「よく来てくれたね、ありがとう!」

二人の爆発的な喜びに百姓たちは、戸惑ってポカンと口をあけてながめていた。

セリョージャ「ねえ、おじさん、僕は、みなさんのお話の邪魔をしてしまったようですね。さあ、僕に遠慮せず、つづけてください」

ロスタネフ「そうだ! もう終わりにしょう。わたしがカピトノーフカ村をゆずるという、うわさは嘘っぱちだ。あんないい村は、だれにもやらんよ」

百姓たち「それ本当なんですね。嘘じゃあないんですね。本当なんですね」

ロスタネフ「いい加減にしろ! だれにもやらないと何度いったらわかるんだ! 」

百姓たち「わしらの旦那さま、旦那さまは父親でわしらは子どもです、お願いしますだ」

ガヴリーラ「旦那さまの言葉に嘘はない。やらないといったらやらないんだ。たとえフォマーさまにだって! さあ、もう話は終わり。帰った帰った。旦那さまはセルゲイぼっちゃまがペテルブルグから帰られたんでいそがしいんだ」

百姓たちおじぎをしてでていく。

ロスタネフ「やれやれ一件落着だ。それにしても皆は、どうしてフォマーをあんなにも嫌うんだろう」

セリョージャ「これまでに聞いた話が本当なら、一事が万事、だれだって嫌いますよ」

ロスタネフ「だれから聞いたかしらないが、おまえは勘違いしているよ」

セリョージャ「しかし、おじさん。百姓たちにフランス語を教えるなんていかがなものでしょう」

ロスタネフ「それは発音のためなんだよ。フォマーが自分でもそういってたよ。それに、百姓たちに学問をおしえるのが、どうしておかしいんだ」

セリョージャ「それよりおじさん。正直、おじさんの手紙には、とてもびっくりしました」

ロスタネフ「そ、そのはなしは! あとだ、あとにしてくれ、そのうちわかるから」

セリョージャ「なにがです? 」

ロスタネフ「何って、いまは、もちださない方がいい」

セリョージャ「フォマー・フォミッチのことをですか、おじさん!」

ロスタネフ「彼を弁護するわけじゃないが、実際、彼だって欠点のある人間かもかもしれん」

セリョージャ「おじさん、今すぐ教えてください。なんでぼくを呼んだんですか ? ぼくに何を期待してるんです。いきなり求婚しろだなんて」


第五幕第一場

ロスタネフ家の茶の間、屋敷にいる皆が集まっている。未亡人となった将軍夫人、その子分ミス・ペレペリーツィナ、屋敷の主人ロスタネフ、その娘サーシャ、息子イリューシャ、客人、オブノースキンとその母ペトローヴナ、また従兄のミジンチコフ、ロスタネフと結婚したがっている女性タチャーナ・イワーノヴナ、ロスタネフがセリョージャに結婚をすすめる美人の家庭教師ナスターシャ。ほかに年配の居候の女性たちが、にぎやかに談笑している。ロスタネフの妹のミス・イリイニチナはみんなにお茶を注いでまわっていた。ガブリーラが入ってくる。

ガヴリーラ「さきほどお着きになりましたセリョージャおぼっちゃまが、来られます」

セリョージャ登場

セリョージャ「こんにちは、みなさん」

ロスタネフ「荷物は置いてきたかい。みなさん、紹介します。甥っこのセルゲイ・アンドロヴィチと学友です。ペテルブルグから、来てくれたんです。立派になったでしょう」

サーシャ「こんにちは」

セリョージャ「やあ、美人さんになったね」

イリューシャ「こんちは、あっちにはコマ屋ってあるの?」

セリョージャ「あるよ。明日は聖名日だってね。おめでとう。いくつになるのかな」

イリューシャ「八歳だよ!」

イリイニチナ「疲れたでしょう」

セリョージャ「おばさん、こんにちは、友人と一緒です。お世話になります。ながいこと将軍の介護ご苦労さまでした」

ペレペリーツィナ「プラスコーヴィヤ・イリイニチナ、将軍夫人様にお茶を注ぐのを忘れていますよ」

イリイニチナ「はい、ただいま。セルゲイ、御用があったらなんでもいってね」

セリョージャの独身のおばイリイニチナは、今度は将軍夫人の世話に追われているようだ。ロスタネフは、セリョージャを将軍夫人のところに連れてゆく。

ロスタネフ「お母さん、紹介しますよ、だれかわかりますか」

ロスタネフはセリョージャを手で示した。

将軍夫人「これがあの曲芸師かい?」

セリョージャ「曲芸師?」

ロスタネフ「ごめん、ごめん、母さんは、ときどき妙なことを言うんだ。気にしなくていいよ。なんの気なしに言ってるんだから。いまは、だれもが曲芸師にみえるんだ」

茶の間は、賑やかだったが、何か気の抜けた雰囲気だった。その原因はすぐにわかった。フォマーがいないせいだった。そのことで皆、心ここにあらずというった感じだった。フォマーはこの家をあまねく手中におさめている。まぎれもない専制君主である。姿がないことで、そのことをいっそう強く際立たせていた。

オブノースキン母「ペテルブルクには、美しい女性が多いでしょうね」

セリョージャ「いえ、ぼくは引きこもってばかりいたものですから、はなやかな場所にでたことがないんですよ。これからは社交的にやっていきます」

ロスタネフ「セルゲイは、ペテルブルクでは学問ばかりやっていたのです」

セリョージャ「そんなことはありませんが、ああ、おじさんは、よほど学問の話が好きなんですね・・・」

サーシャ「パパ、また学問の話をはじめるの――」

セリョージャ「学問といえば、おじさん、こちらに来る途中偶然、耳にしました。バフチェフと云う近所の地主さんが言っていたのですが。フォマーは、イリューシャの聖名日をねたんで自分もあすが誕生日なんだといいだしたとか。本当ですか」

ロスタネフ「誕生日だよ、誕生日。聖名日じゃなくて誕生日だよ、言い方がまずかっただけで、まちがっちゃあいない、明日は彼の誕生日なんだ。本当さ」

サーシャ「誕生日なんかじゃないわ!」

ロスタネフ「誕生日じゃないって?」

サーシャ「誕生日なんかじゃないわよ、パパ! パパがまちがったことを言ってるだけでしょ。自分を自分でだまして、フォマー・フォミッチの機嫌をとろうとして。あの人の誕生日は3月だったじゃない。ほらその前にみんなで修道院にお祈りに行ったでしょ。あの人のせいで馬車のなかおちおち座っていられなかったわ。クッションがお腹を押しつぶすってずっとわめきつづけて、みんなのことつねるんだもの。イリイニチナおばさんなんか意地悪るされて二回もつねられたじゃない。それから誕生日のお祝いを言いにいったら、どうして花束のなかに椿がないんだって怒りだして、もう最低!」

突然のフォマー批判にみんなうろたえる。仮に部屋の真ん中に砲撃が落ちたとしても、この公然たる反乱ほどには衝撃を与えなかっただろう。恐慌を引き起こしもしなかっただろう。一瞬の沈黙の後、茶の間は騒然となった。あまりのショックに将軍夫人はガクガクとひきつり、いまにも卒倒しそうだった。

ペレペリーツィナ「謝りなさい、サーシャ。みんなで甘やかしたものだから。お祖母さまを殺すおつもりですか!」

ロスタネフ「サーシャ、サーシャ、落ち着いておくれ。どうしたんだ、サーシャ?」

サーシャ「黙らないわよ、パパ! わたしたちずっとがまんしてきたの、あの最低の人でなしのフォマー・フォミッチに!あいつはわたしたちみんなを破滅させてしまうは、全部パパのせいよ! フォマーの人でなし!人でなし、はっきり言ってやる、誰も怖くなんかないわよ !、バカ、わがまま、不潔、恩知らず、意地悪、暴君、告げ口や、嘘つき・・・ああ、わたしだったら、今すぐ追い出してやるのに、パパったら、あいつを尊敬して夢中になっているんだから・・・」

将軍夫人「ああ・・・なんということを・・・」

将軍夫人は絶句して長椅子にひっくりかえった。少女の発言に右往左往する人たちをみて私(語り手)は、思った。それにしても変人ばかりだ。まるでわざと集めたみたいじゃないかと。それほど奇妙な光景だった。

ペトローヴナ(オブノーモフの母)「まあ大変!ちょっとあなた、そこの小瓶とって、お水、早くお水!」

ロスタネフ「水だ、水!お母さん、お母さん、落ち着いて下さい!どうかお願いですから落ちついて・・・」

ペレペリーツィナ「おしおきしなきゃあ、パンと水だけにして暗い部屋にとじこめてやらなきゃあいけません」

サーシャ「パンと水だけでもへっちゃらよ、こわくなんかないわ!」

ペレペリーツィナ「一晩中、とじこめられるといい」

サーシャ「どんなことされたって怖くないわ、わたしはパパを守ってあげるの。だってパパは自分で自分を守ることができないんだから。フォマー・フォミッチがなんだっていうのよ。パパに比べてそんなに偉いの? パパのご飯食べてるくせにパパをいじめて、最低じゃない!あいつを切り刻んでやりたい!決闘を申し込んで撃ち殺してやる」

ロスタネフ「サーシャ!サーシャそれ以上いったらパパは破滅だよ、取り返しがつかなくなるよ!」

サーシャ「パパ!」

サーシャ、泣きじゃくりながらロスタネフに抱きつく。

サーシャ「パパは、やさしくて、かっこうよくて、面白くて、頭がよくて、それなのに、あんな最低の恩知らずの奴の言いなりになって、パパ、パパ、大切なパパ!」

サーシャ、泣きながら部屋を飛び出していった。将軍夫人は失神、ペレペリーツィナは、ギャアギャアわめいて落ち着きなく歩きまわる。茶の間は大騒ぎ、突然将軍夫人が起き上がり、セリョージャをにらみつける。

将軍夫人「出て行け! 出て行け! この家から出て行け! さあ早く、どうしてここに来た?、とっとと出て行け!」

ロスタネフ「お母さん、お母さん、何いってるんです!セリョージャじゃないですか。ペテルブルグから来てくれたお客さまです。甥っこです」

将軍夫人「セリョージャ ?どいつが、くだらない、何も聞きたくない、出て行け!私のカンに狂いはないよ、フォマー・フォミッチを追いだすためにやってきたんだろ。そのために呼びよせられたんだろ。ちゃんとわかっているんだ、この悪党め ! 」

セリョージャ「おじさん、そういうことなら僕は・・・失礼します」

セリョージャは堪忍袋の緒を切らした。帽子を手にとって出ていこうとする。ロスタネフは、そうはさせまいとあわてて帽子をひったくる。二人は帽子を取りあって争う。

ロスタネフ「セルゲイ、セルゲイ、―どうしたんだ、ちょっと待つんだ。頼むから、ここに居てくれ。お母さん、ほらセリョージャですよ、甥っこの」

将軍夫人「わたしゃ、だまされやしませんぞ。フォマー様を追いだすつもりなんだろ」

ロスタネフ「お母さん、お母さん、落ち着いてください。お母さんは、フォマーのことになると、みんながフォマーをやっけにくる敵にみえて錯乱状態になってしまうんだ。すぐに落ち着くから、それまで辛抱してくれ――」

ガヴリーラが部屋に入ってくる。

ロスタネフ「おい、なんの用だ?」

ガヴリーラ「フォマーさまが、そろそろ行くと言っておられましたので、お知らせに――」

ロスタネフ「いつくるのだ?」

ガヴリーラ「もうすぐお見えになります」

部屋の扉が動く。ガヴリーラ飛んで行って開けながら大声で告げる

ガヴリーラ「フォマーさまの、おなーりー」


第五幕第二場

フォマー登場

扉が全開され、フォマー・フォミッチ本人がおでましになった。ロスタネフ家に巣食った害虫。道化からなりあがった王様。興味ある人物だった。セリョージャは、先ほど将軍夫人から受けた屈辱も忘れて、珍獣を見るようにながめた。小男で、なんとも貧相だった。色の薄い眉毛、白髪混じりの頭、かぎ鼻、、顔じゅうに走る小皺、あごにはおおきいイボがあった。歳は五十歳前後か。ガウンを羽織って、スリッパをはいていた。茶の間は、静まりかえった。

ロスタネフ「イリイニチナ、お茶だ、お茶、甘めにしてくれよ。フォマー・フォミッチは、目覚めの一杯は甘めが好きなんだから、甘めがいいだろう、フォマー?」

フォマー「今はお茶どころでは、ありますまい。なにやら騒々しかったですな。あなたは、なんでも甘めの方がいいのでしょうが、ときによりけりです」

ロスタネフ「フォマー!紹介するよ。甥のセルゲイ・アレクサンドロヴィチと学友だ! たった今着いたところなんだ」

フォマー、まったく無視する

フォマー「これは驚いた、こちらが大事な話をしようとしているのに」

ロスタネフ「あの、ちょつと、フォマー、・・・紹介したいんだよ。フォマー、ペテルブルグ大学を卒業したわたしの甥だよ。法学部をでたんだ」

フォマー「貴様はいったいなんだ?」

ロスタネフ「フォマー・フォミッチ、これはセリョージャだよ。わたしの甥っこで・・・」

セリョージャ「おじさん、もう紹介しなくていいですよ。この人、酔っぱらってるんですね」

フォマー「誰のことか、わたしか?」

セリョージャ「そう、あなたですよ」

フォマー「酔っぱらってるだと?」

セリョージャ「酔っぱらってますよ」

フォマー「たいした侮辱だ、もう我慢ならん」

フォマー、部屋から飛びだす。将軍夫人つづいてほかの者たちも一斉に後を追ってとびだしていった。そのあとをロスタネフが追いかけていった。セリョージャ一人取り残されたが、すぐに外にでていく。私もあとを追って庭に出た。


第六幕第一場

セリョージャは熱くなった頭を冷やす為に庭にでて十五分ばかりさまよった。並木道のところでおじが結婚をすすめる家庭教師ナスターシャとぱったり会った。

ナスターシャ「あなたを探していたんです」

セリョージャ「ぼくもですよ。あの、いったいぼくは精神病院にでもいるんでしょうか?」

ナスターシャ「失礼な、精神病院なんかじゃありません!」

セリョージャ「それじゃあ、どうしてあんなことが? お願いです。少し相談させてください。おじは何処へ行ったんでしょう? 」

ナスターシャ「たぶん野菜畑にでも・・・。」

セリョージャ「野菜畑?」

ナスターシャ「あの方、気に入らないことがあると畑に行くのです。自分の食べるものは自分で耕して作るといって」

セリョージャ「やっぱりおかしい・・・すいません、自分でももう何を言っているのかわからないのですよ・・・。あの、なんでぼくがこちらにやってきたかご存じですか? 」
ナスターシャ「わ・・・わかりません。イリューシャの誕生日だからではありませんね」

セリョージャ「ちがいます。なにか相談事があるようです。わかりますか?」

ナスターシャ「分かりませんわ・・・。」

セリョージャ「ごめんなさい、すっかり話が混乱しちゃって、この件については、こんなふうに切り出すべきじゃあないんでしょうが・・・まして、あなたに対して、・・・でも、そんなことはもうどうでもいいんだ! ぼくの考えでは、こういう場合には率直さが、なにより大事なんです」

ナスターシャ「何のはなしかわかりませんが・・・」

セリョージャ「あの・・・つまりぼくがいいたいのは、ですね、おじさんの意向をご存じですか。おじさんは、ぼくにあなたに・・・求婚するようにって・・・プロポーズするようにと」

ナスターシャ「求婚ですって!まあ、なんてことを!でたらめ言わないでください!」

セリョージャ「でたらめって・・・おじは手紙にそう書いてよこしたんですよ。自分も裕福な女性と結婚するかもしれないと・・・」

ナスターシャ「本当にそんなことが書いてあったんですか? ああ、もう、あんなに書かないって約束したのにびっくり ひどい! むちゃくちゃだわ!」

セリョージャ「ごめんなさい。ぼくはなにもわからず、騒動の只中にきてしまったようだ」

ナスターシャ「ああ、くやしい! そんなこと手紙に書いたなんて、よりによって一番心配していたことを! ああ、本当になんて人なの! それであなたはおじさまの話を信じ込んで、大慌てでかけつけてきたってわけね。御苦労さま!」

セリョージャ「手紙の謎がわかってきました。だんだんみえてきました。どうかぼくを間抜け扱いにしないでください。まだ、世にでたばかりのひょつ子なんです。二十二歳の。一人ではこころもとなかったので、友達に頼んで一緒にきたのです。臆病者です」

ナスターシャ「まあ、そんなことありません! あなたは優しくて、親切で、頭のいい方です。これは本心からまじめな気持ちで言ってるんですよ!」

セリョージャ「ところで、これからぼくは、どこであなたに会えるんでしょう?」

ナスターシャ「会う!? なんのために会うのですか。だっていまこうして会って話しているじゃないですか、これ以上会って話す必要ありません」

セリョージャ「そうですか―ということは、なんの脈もないということですね。知らぬは、僕ひとり、だったんですね」

突然、将軍夫人の部屋の開け放した窓から、金切り声と叫び声。怒鳴り声。声の主は将軍夫人、フォマー、ロスタネフの三人ようだ。タチヤーナとの結婚をすすめる将軍夫人とフォマー、拒否するロフタネフの怒鳴り声。

「大佐、現実を見てください」「なにがいけなないんだ」「若い娘の方がいいのですか」「なにをバカなことを」

セリョージャ「なんのさわぎです。あれは?」

ナスターシャ「またはじまった!こうなるんじゃあないかと思ったわ」

セリョージャ「こうなるんじゃないかと・・・なにがです」

ナスターシャ「将軍夫人とフォマーがわたしを追いだそうとするのにおじさまが反対しているのです」

セリョージャ「なぜ、二人は、あなたを追い出そうとするのですか」

ナスターシャ「身分のちがいです。わたしは貧乏人ですし。タチヤーナさんは裕福で家柄もいいですわ。二人は、わたしのことで、あの方を責めているんです。結婚を拒否するのは、わたしのせいだとおもっているんです。あの方はわたしにとって父親同然です。いいえ、生みの親以上です! でも、もういいんです。これ以上、迷惑はかけられません。明日、わたしは出ていきます。さあ、なにもかもお話しました。おじさまに伝えてあげてください。それにしても、なんて騒ぎなの、もうどうしてもあそこに行かなくちゃあ、行って何もかも、きっぱり話さなくちゃあ。もうどうなっても構わない。失礼します」

ナスターシャ、走り去る。ガヴリーラ登場。

ガヴリーラ「旦那様さまがお呼びです」

セリョージャ「おじさんは、どこにいるんだい」

ガヴリーラ「さきほどの茶の間に、いまもどられました」

セリョージャ「だれか一緒?」

ガヴリーラ「お一人です」

セリョージャ「呼ばれたのはぼくのほかに・・・」

ガヴリーラ「フォマーさまです。あとからきます」

セリョージャ「ほかの人たちは? お祖母ちゃんは?」

ガヴリーラ「ご自分のお部屋にいらっしゃいます」

セリョージャ「お祖母ちゃんは ?」

ガブリーラ「大奥様は―将軍夫人は、先ほどの騒ぎで卒倒されまして、いまはぐったりして休んでいらっしゃいます」


第七幕第一場

茶の間でロスタネフが待っている。

セリョージャ「おじさん何かあったんですか。ずいぶんさわがしかったけど」

ロスタネフ「聞こえたかね。大声だしたからね。フォマーは怒鳴るし、母さんは絶叫するし、てんやわんやの大騒ぎだった。しかしわたしは決めた。ふたりがどう言おうと断固自分の意志を貫くんだ。それをおまえに見てもらいたくて呼んだんだ」

セリョージャ「いったい、どうしたんです、おじさん?」

ロスタネフ「フォマーと手を切ることにした」

セリョージャ「おじさん!それが一番ですよ! 話を難しくさせているのはあいつです」

ガヴリーラ「ありがたいこった!」

ロスタネフ「だから、そこから見とってくれ」

ロスタネフはセリョージャをテラスに押しだす。セリョージャ、植木の陰に隠れる。フォマー入ってくる。

フォマー「いったい何用ですな。さきほど、わしにでて行けといったのは本心からか」

ロスタネフ「なあフォマー、もうくどくどいってもしょうがない。さっきも言い争ったが、あの点については、折れるつもりはない。だから、わたしたちは袂を分かったほうがよさそうだ。ここに銀貨にして一万五千ルーブルある。遠慮せず受け取ってくれ、君がしてくれたことをおもえば少ないかもしれないが、明日か、明後日か、君のつごうのいい日にさよならしよう。ここから十`と離れていない町に緑色の鎧戸のついたすてきな家が売りにだされている。このお金とは別に君に買ってあげよう。そこに引っ越して、わたしたちのそばで暮してくれないか。そこで、執筆や学問に専念すればいいじゃないか、きみならきっと有名になれる。名をあげることができる。だから、そうしてくれないか」

フォマー、押し黙る。気まずい沈黙、テラスのセリョージャの独白。

セリョージャ「こんな条件でフォマーをおいだそうとするのか。おじさんもあまいよ」

突如フォマーが叫ぶ。

フォマー「お金!お金はどこだ!」

ロスタネフ「さあこれだよ、残らずかき集めたものだ。きっかり一万五千ある」

フォマー「ガヴリーラ!爺さんよ、この金を受け取るがいい、お前の役に立つだろう・・・いや、ちょっと待て、このわたしに金をやるだと?・・・ 金で買収して、この家から追い出すだと?・・・ こんな汚れた金、こうしてやる!」

フォマー札束をつかんでばらまく。

フォマー「こんな金、踏みつけて、つばを吐いて、汚してやる!」

ガヴリーラ (拾いながら)「一枚だって、汚れちゃいない」

ロスタネフ「フォマー、君は気高い男だ!だれよりも高潔な人間だ!君の行為に感動した」

フォマー「わかってくれればいいのです」

ロスタネフ「フォマー、ゆるしてくれ!わたしは君に対して卑劣だった」

フォマー「その通りだ」

ロスタネフ「わたしは、ついかつとなって、わけもわからずわれを忘れてしまったんだ。どうすればゆるしてもらえる。何をすればいいのか」

フォマー「ゆるしてもらえる?あなたは、わたしのごく簡単な、ごく些細な頼みごとすら果たせないじゃあないですか?」

ロスタネフ「どんなことをです?」

フォマー「わたしが、将軍と同じく、『閣下』と呼んでくださいとお願いしたときですよ・・・」

ロスタネフ「ああ、あのこと、あれはなんというか、これ以上ない越権行為じゃないかと思って・・・」

フォマー「これ以上ない越権行為ですと! 本に書いてあった文句を覚えて、オウムのように繰り返しているのですな! いいですか、『閣下』と呼ぶことを拒絶したことによって、あなたは、わたしを辱め、名誉を傷つけたのです。それにしてもこのわたしが本気で『閣下』と呼ばれたいなどとねがっていたとしたら、それこそ滑稽でしょう。あなたは明けてもくれても、わたしの前で大佐の位を鼻にかけているものだから『閣下』と呼ぶことに抵抗を感じたのです。それこそが原因なのです!」

ロスタネフ「それはちがう、フォマー、絶対にそんなことはない。君は学者だ、ただのフォマーなんかじゃない・・・君を尊敬しているよ・・・」

フォマー「尊敬ですと! 結構ですな!尊敬の念があるならば、ご意見をお聞かせください。わたしは将軍の位に値する人間でしょうか? 今すぐはっきりお答えください。わたしは、あなたの知性と進歩の程度を確認したいのです」

ロスタネフ「誠実さ、清廉さ、知性、類いまれなる高潔さ・・・すべて将軍と呼ぶにに値する」

フォマー「それならば、どうして、わたしを『閣下』と呼ばないのです?」

ロスタネフ「フォマー、きっとそのうち・・・」

フォマー「わたしは要求します!それも今、断固として要求します。あなたには荷が重い行為と承知しているからこそ要求するのです!」

ロスタネフ「明日にでも呼ぶよ、『閣下』って!」

フォマー「だめです、明日では承知しませんぞ、大佐、明日は明日です。わたしは今、この場で『閣下』と呼ぶよう要求します」

ロスタネフ「わかったよ、フォマー、いつだって構わないさ・・・。けれど、どうして今じゃなきゃだめなんだ、フォマー?」

フォマー「どうして今じゃあ困るのです? 恥ずかしいのですか? あなたが恥辱を感じているのだとすれば、いい気持ちはしませんな」

ロスタネフ「それじゃあわかったよ、フォマー、構わないさ・・・誇りに思うくらいだよ・・・しかし、どう言えばいいのか、『こんにちは、閣下』と言えばいいのかい? いくらなんでもそれじゃあおかしいだろう・・・」

フォマー「とんでもない、『こんにちは、閣下』など論外です、それはもう侮辱的なもので、冗談か、茶番の類いですぞ。そんな冗談は、ごめんこうむります、反省しなさい。大佐!」

ロスタネフ「君は冗談を言ってるんじゃあないんだね、フォマー?」

フォマー「まず、わたしは『君』ではなく、『あなた』です――その点をお忘れなく。それに『フォマー』ではなく『フォマー・フォミッチ』です」

ロスタネフ「もちろんだ、フォマー・フォミッチ、喜んでそうします・・・。あとはどう呼べばいいかだが・・・」

ロスタネフ、腕組をして考え込む。

フォマー「『閣下』の後ろにどんな文句をつければいいか悩んでいるのですな、手を貸してあげましょう。わたしのあとにつづけて言ってくだされ。『閣下―』・・・」

ロスタネフ「それじゃあ、『閣下』」

フォマー「だめ、だめ、だめです。『それじゃあ』はいりません。ただ『閣下』と呼ぶのです。それから話すときは上体を前に傾けてください。将軍と話すときは、そのように上体をかがめるものですから。それによって、尊敬の念と、、命令とあらば、どこへでも飛んでいく覚悟とを示すのです。わたしは将軍たちと交際していたこともありますから、万事承知しているのです・・・。それでは、はじめからはじめるとする。『閣下』・・・」

ロスタネフ「閣下・・・」

フォマー「そもそものはじめより閣下のお人柄を誤解せしことにつき、ようやく謝罪の機会を得ましたこと、恐悦至極に存じあげます今後、公共の利益のためとあらば、及ばずながらいささかなりとも力を惜しまぬ所存にございます・・・まあ、こんな調子だ。大佐、あなたには、こんなところが関の山でしょうな」

ロスタネフ「・・・」

フォマー「さあどうです。名文でしょう。急に心が軽くなった気がしませんかな」

ロスタネフ「恐悦至極にか・・・します、本当だ!軽くなった」

フォマー「以後発言には気をつけてくだされ。口は災いのもとですぞ」

フォマー、捨てゼリフを吐いてでていく。セリョージャ、とびこんでくる。

ロスタネフ「聞いていたのか?」

セリョージャ「そうです、おじさん、聞いてましたよ! けれど、よくもあいつを『閣下』なんて呼べたもんですね!」

ロスタネフ「仕方ないじゃないか。でも、誇りにおもっているくらいさ・・・気高い功業と学識をおもえば、足らないくらいだ。それにしても、なんて高潔で、公平無私で、偉大な人間なんだ」

セリョージャ「もう結構です! おじさん、気のすむまで自慢してください。僕は帰りますから。もう我慢の限界です。最後にいいます、おじさんは、僕に何を求めているんです。何を期待して、あんな手紙をくれたんです? すべて片づいたのなら僕はもう用なしなんですから、帰ることにします。こんな猿芝居にはたえられませんからね!ナスターシャさんには、きれいさっぱりふられましたし、明日、早々に帰ります!」

ロスタネフ「そんな、ちょつと待ってくれ、お母さんの様子をみてくるから。ガヴリーラが夏の離れに案内するから、待っててくれ。重大な用事があるんだ。それがすんだら、お前のところにいって、なにもかも洗いざらい話すよ。どうしてお前に結婚をすすめたのかも話すよ。だから、怒らないで、待っていてくれ。夏の離れには、親戚のミジンチコフも一緒だ」


第八幕第一場

夏の離れ(新館)セリョージャ、入って、又従兄のミジンチコフに挨拶する。

ミジンチコフ「さきほどは、どうも。あんなことで言葉も交わすこともできず失礼した。申し遅れましたが、イワン・イワーヌイチ・ミジンチコフです。お会いするのは、はじめてですが、たしか遠縁にあたるのですよね、よろしく」

セリョージャ「よろしく、それにしてもフォマーの、くそったれ!めが・・・」

ミジンチコフ「あの道化学者に腹を立てすぎているようですね」

セリョージャ「立て過ぎているだって! たしかに僕はさっきは興奮しすぎました。わかっています。あなたも見ていたでしょう。フォマーという男の傍若無人ぶりを。こどもたちは、ちゃんとわかってるんだ。あいつがへんな奴だっていうことを。あんな奴がのさばっているんなら。僕は、ここからでていくのみです」

ミジンチコフ「あなたはタバコ吸いますか?」

セリョージャ「ええ」

ミジンチコフ「それなら、ぼくも吸って構いませんよね。あそこじゃ、吸える雰囲気じゃなかったですから。(紙煙草に火をつけて)わたしなら、あの三倍はかっとなったかも」

セリョージャ「じゃあどうして、そうしなかったんです。ずいぶん冷静沈着だったようにみえましたが。かわいそうなおじをどうして擁護しなかったのです」

ミジンチコフ「率直に打ち明けますが、ここではぼくは食客ですから。フォマーはこの家の神様みたいな人ですから、批判などできません」

セリョージャ「おじはフォマーに出ていってもらう条件として家一軒と、一万五千ルーブルを用意したんですよ」

ミジンチコフ「なんですって!ほんとうですか?その話?!」

セリョージャ「いまさっき、お金をわたそうとしたところを、こっそり見ました」

ミジンチコフ「受け取ったんですね。あいつは」

セリョージャ「それが、はねつけたんです。大げさに、部屋中にばらまいたんです」

ミジンチコフ「フォマーの奴が、上出来だ!」

セリョージャ「しかし、大金を拒絶するなんて、なぜでしょう。まさか、ほんとうに高潔な魂があったからではないでしょうね」

ミジンチコフ「決まってるじゃないですか。一万五千を拒絶したのは、、あとで三万頂くためですよ。ふむ、これは急展開があるかもしれないぞ」

セリョージャ「どんな展開です?」

ミジンチコフ「大佐は、フォマーと将軍夫人の軍門にくだって、あの金持ち女と結婚するかもしれん」

セリョージャ「ちくしょうめ!」

ミジンチコフ「金持ち女と結婚すれば、領地を増やすことができるし、そうなればフォマーだって地主さまの夢も夢でなくなるんだ。なんとしても結婚させたいさ。(独り言)実の所、おれだって狙っていたけどな・・・」

セリョージャ「ではなにをもめてるんです」

ミジンチコフ「連中、エゴール・イリイチ大佐が、家庭教師と結婚するんじゃあないかとびくびくしてるんだ。見たでしょ、あの美しい娘さんと」

セリョージャ「おじさんと、彼女が・・・そんなことありうるんですか?」

ミジンチコフ「ぼくがみるに、相思相愛ですよ。首ったけです。もちろん隠していますがね」

セリョージャ「隠してる!おじが隠していると?彼女もおじを愛しているんですか?」

ミジンチコフ「十分にありえますね。居候一カ月の観察からですが。二人は、こっそり逢い引きしているとのうわさまであります。ゆるすべからざる関係をむすんでいると断言するものもいるくらいです。出どこはわかっていますがね」

セリョージャ「そんなばかな!おじの清廉潔白な性格を知らないんですか?」
ミジンチコフ「知っていますよ。しかし、こういった話は、フタを開けてみるまでは、わからんもんです。そうだ、用事を思いだした。この話は内緒ですから」ミジンチコフ、急いででていく。


第八第二場

夏の離れの館 セリョージャがひとりでまっている。ロスタネフ入ってくる。

セリョージャ「おじさん!待ちくたびれましたよ」

ロスタネフ「わたしだって早く来たかったさ。おまえがカンシャクを起こして、でていってしまうじゃないかと心配だった。しかし、おかげで一件落着した。一安心だ」

セリョージャ「でもおじさん、あちらをどう片付けてきたんです?それに、あんなことがあったというのに、この先何を期待できるんです。正直、ぼくは頭がわれそうです」

ロスタネフ「わたしの頭はもう半年間もぐるぐる回りどうしだ。まあしかし、おかげで万事めでたし、めでたしだ。第一にわたしはゆるしてもらった。すっかりゆるしてもらった。サーシャのこともゆるしてもらったよ。セリョージャ、おまえのこともゆるしてもらった。ただひとつだけ条件があってお前は明日、母さんとフォマー・フォミッチの前では何もしゃべっちゃいけない、ということになった。これは必須の条件でね、一言も口をきいちゃあいけないんだ。お前にかわって約束すると言ってきたよ。母さんやフォマーは、お前はまだ若いというんだ。セルゲイ、どうか怒らないでおくれ、だってお前は、ほんとうに若いんだから」

セリョージャ「いいですか、おじさん、ひとつだけ教えてください。ぼくは本物の精神病院にいるんでしょうか」

ロスタネフ「ほらほら、すぐそうやってけちをつける。我慢するということを知らないのかい。お前のふるまいだって、ひとのことを言えた義理じゃあないぞ。フォマーにずいぶんひどいことを言ったじゃないか、いわば人生の先輩に向かって」

セリョージャ「あんな奴に先輩もくそもありませんよ、おじさん」

ロスタネフ「おいおい、それは極端だよ。おまえははあんまり突飛すぎる。驚いてしまうよ、セルゲイ」

セリョージャ「怒らないでください、おじさん、ぼくが怒っているのはフォマーに対してだけです」

ロスタネフ「なあ、セルゲイ、あんまりフォマーに厳しくしないでくれ。あれは人間嫌いなんだよ、病気なんだ! でも、あれは高潔な男だ。だれよりも高潔な男だ!お前もさっき目にしただろう」

セリョージャ「なに言ってるんですか、おじさん!あれは演技ですよ!」

ロスタネフ「おいおい、そこまでいうか。おまえは寛容さが足りないよ」

セリョージャ「わかりましたよ、もういいです。どこまでいっても堂々巡りですから、この話はやめましょう。ところでナスターシャさんには会いましたか?」

ロスタネフ「いや、会わなかった」

セリョージャ「騒ぎをきいて走っていきましたが」

ロスタネフ「どこに行ったのだろう。ああ、そうだ、一番大事な話を忘れていた。明日、イリューシャの聖名日に合わせてフォマーの誕生日のお祝いをすることに決まったよ。本当に誕生日なんだよ。サーシャはいい子だけれど、勘違いしてるんだ。イリューシャがフォマーのために詩を朗読するんだ――まあ機嫌をなおしてみるのさ、セリョージャ、お前も一緒に祝ってくれるといいんだが。そしたらおまえのこともすっかりゆるしてくれるかも。あれは実に立派な男だよ!」

セリョージャ「おじさんぼくは、もっと本音の話がしたいんです。うわべじゃない。誕生日のことより、いまナスターシャさんがどういう状況にあるか、ご存じですか?」

ロスタネフ「どういう状況?お母さんもフォマーも、わたしがナスターシャに気があるのでは、と心配し、それで彼女を追いだそうと騒いでいたんだが、お前が正式の婚約者で、彼女にプロポーズするためペテルブルグからやってきたのだ、と発表したら母さんもフォマーも安心したよ。それにわたしが、ふたりがすすめるタチャーナさんとの結婚を承諾すれば、ナースチェンカを追いだすことはしないと約束した。まずは一件落着さ。ナースチェンカもお前と結婚すれば、わたしの姪っ子ということになる。いますぐ結婚しなくてもここに居られるようになるんだ」

セリョージャ「おじさん、なにを、そんなのんきなこといってるんです!知らないんですか?」

ロスタネフ「なにをだい・・・?」

セリョージャ「明日、ナスターシャさんが出て行くといことを、あの人が直接教えてくれたんですよ。おじさんを救うために。ほんとうに知らなかったんですか?」

ロスタネフ「わたしを救うために?・・・そんな・・・」

セリョージャ「おじさんは、タチヤーナさんとの結婚なんか望んでいない。だからおじさんを、いまの結婚話から救いだすために、でていくというんです」

ロスタネフ「どうしてわたしのために・・・」

セリョージャ「おじさん!ひとつだけ正直に答えてください」

ロスタネフ「なんだい、いったいどんなことだい」

セリョージャ「おじさんは、ほんとうはナスターシャさんと結婚したいんじゃないですか」

ロスタネフ「そんなバカな!わたしがあの娘とどうして結婚するんだ?あの子を自分の娘のようにおもっているんだぞ、それ以外の目でみたことはない。わたしは年寄りだしあの子は、まだ、花のつぼみじゃないか。フォマーだって、似たようなことを言っていた。わたしは父親のような心でいっぱいなんだ。サーシャと同じくらい愛している。そんな娘と結婚なんか・・・」

セリョージャ「出ていっていいんですか」

ロスタネフ「行かせるもんか!だが、そのためには・・・」

セリョージャ「まさかタチヤーナさんと結婚するなんていうんじゃないでしょうね。彼女、おじさんを愛しているわけじゃないですよね。なにがなんでもおじさんと結婚したいわけじゃあないんでしょ」

ロスタネフ「しかし、ナースチャが追い出されないようにするには、母さんとフォマーがすすめるタチヤーナさんと結婚するしかない。ナースチャがここに残れるようにするには、それしかないんだ」

セリョージャ「でもナスターシャさんは、明日、ここを出て行くと言ってましたよ」
ロスタネフ「そんなことはさせないぞ!させるもんか!ちょっと待っててくれ」

セリョージャ「どこに行くんです?」

ロスタネフ「あの子に会ってくる」

セリョージャ「どこにいるか知ってるんですか?」

ロスタネフは、返事もせず夕闇がせまる庭に飛び出していった。

セリョージャ「おじさん、どこに行ったんだろう・・・」

セリョージャが独り言を言いながら歩いていくと茂みからいきなりロスタネフ登場。

ロスタネフ「おまえかい。もはやこれまでだ、セルゲイ。もはやこれまでだ――」

セリョージャ「おじさん、なにがあったんです?」

ロスタネフ「もはやこれまでだ、セリョージャ、そこでナースチェンカと一緒にいるところを、フォマーに見つかった。よりによってキスしたときに!」

セリョージャ「えっ!、キスした!」

ロスタネフ「魔がさしたんだ!わたしを一時間も待ってたんだ。会うなり泣きだして『あなただけを愛しています。だれとも結婚しません。あす、出ていきます。修道院に入ります』っていうんだ」

セリョージャ「ナスターシャさんとは、いつも庭であってたんですか」

ロスタネフ「うん、しょつちゅうね」

セリョージャ「こんなときに軽率すぎますね」

ロスタネフ「おまえの話をきいたら、急に会って話したくなったんだ。夢中で話していて、ふと見ると目の前にフォマーがいるんだ。ぎょとした、頭のなかが真っ白になって、ちからがぬけたよ」

セリョージャ「奴はなにかいいましたか?」

ロスタネフ「いや、だまって指を立てて、通り過ぎていった。挑戦状のつもりか。分かるだろ、明日どんな騒ぎになるか」

セリョージャ「怖がらないでくださいよ、おじさん」

ロスタネフ「怖がるもんか、セリョージャ、ただ、どこからはじめればいいか、それがわからず、迷っている」

セリョージャ「もしフォマーがお二人のことをしゃべったら、即刻、追い出して叩きのめしてやればいいんです」

ロスタネフ「フォマーは高潔な、誰よりも高潔な男なんだ。だまっていてくれるだろう」

セリョージャ「まだ信じているんですか。いい加減にしてください」

ロスタネフ「とにかく明日だ、明日、決着つけるよ。フォマーにあってぜんぶ話してみる、きっとわかってくれると思う」

ロスタネフ「それじゃあ、セリョージャ、おやすみ、疲れただろう。私は眠れそうにないが・・・」

セリョージャ「おやすみなさい」

ふたりは抱きあって別れる。


第U部 二日目

第九幕第一場
      

二日目の朝 夏の離れの館の部屋            

ロスタネフ「お早う!フォマーのところに行く前に、ちょっとだけ寄ったんだ」

セリョージャ「心配なんですか?」

ロスタネフ「ああ、なんだかイヤな気がして・・・」

セリョージャ「ナスターシャさんに、堂々とプロポーズすればいいんですよ。だれに遠慮することありません」

ロスタネフ「そこんとこだが、ゆうべ夜通しかんがえたが、あの人はほんとうにわたしと結婚してくれるだろうか・・・」

セリョージャ「いい加減にしてくださいよ、おじさん!あの人が自分から愛を告白したんでしょ。キスまでして」

ロスタネフ「でもなあ、そのあとこういったんだよ。『なにがあっても、あなたとは結婚しません』って」

セリョージャ「まったく!そんなのはただいっただけのことですよ」

ロスタネフ「しかし、デリケートな問題だからね。フォマーにも手紙を書いて渡した」

セリョージャ「フォマーにですか、あいつには期待しないほうがいいですよ」

ロスタネフ「そんなこといっちゃあいけないよ。あの人はやかまし屋の気まぐれ屋だが、ことが人間の尊厳にかかわることになると、がぜん輝きはじめるんだ。おまえは、まだあの男の高潔きわまる姿を見てないからだよ」

セリョージャ「おじさんはあいつをえらくかっているが、もしあいつがおじさんとナスターシャさんの密会を言いふらしたら、それでも立派な人間というんですか」

ロスタネフ「あの人は、そんな卑劣漢じゃない!」

セリョージャ「もし――ですよ。もし」

ロスタネフ「もしそうだったら、この世の何を信じればいいんだ」

外からミス・ペレペリーツィナの声

ペレペリーツィナ「エゴール・イリイチ、お母様が心配されていますよ」

ロスタネフ「しまった、遅刻だ。先にいってるから、着替えたらきてくれ」

着替えているとミジンチコフが入ってくる。

ミジンチコフ「迎えに来たよ。エゴール・イリイチ大佐が早くくるようにと」

セリョージャ「いま行きます。あちらは、どんな様子ですか」

ミジンチコフ「みなさん、もう集まっているよ。フォマーは、なぜか神妙にしてたな。さあ、行こうか。悲劇か喜劇がはじまりそうな予感がするよ」

セリョージャ「のんきでいいですね」

二人は部屋をでる。


第十幕第一場   

フォマーの豪華な部屋。              

フォマー、将軍夫人、ロスタネフ、ナスターシャ、サーシャ、イリューシャ、ペレペリーツイナ、バフチェエフ 他、食客や居候。召使が集まっていた。

セリョージャ、ミジンチコフが入ってくる。

ロスタネフ「おっ、きたな、これで全員そろった。サーシャ、イリューシャ、はじめてくれ」

イリューシャの聖名日を祝ってサーシャとイリューシャは詩を朗読して、喝采をあびた。詩編の論争もあり、場はおおいにもりあがった。フォマーも将軍夫人も上機嫌だった。皆、楽しそうで、客間は、歓喜につつまれ、だれもが祝う会を満喫していた。そのようにみえた。ところが、ガヴリーラが入ってくると、フォマーはゆっくりたちあがって言った。

フォマー「ガヴリーラ、準備はできたか?」

ガヴリーラ「できました」

ロスタネフ「準備・・・?なんの準備だ」

ガヴリーラ「フォマーさまの荷物を荷車に積み終わりましたです」

ロスタネフ「荷物を荷車に・・・なんのことだ?」

フォマー「よろしい、わたしも仕度はできている」

ロスタネフ「したくだって!?」

一同静まり返ってフォマーをみる。

フォマー「さて、大佐、本日、わたしはあなたがたと永遠に別れるにあたって、願わくば最後の挨拶をさせていただきたい」

ロスタネフ「フォマー、フォマー!、いったいどうしたんだ?どこに行くんだ?」

フォマー「わたしはあなたの家を出て行くのです、大佐。足の向くままに歩いて行こうと決意したのです。そのために、粗末な百姓の荷車を自分のお金でやといました。わたしの荷物がもう積みこまれています。決して大きなものではありません。愛読書が何冊か、それに下着の替えが二枚――それだけです!わたしは貧乏人です。エゴール・イリイチ。しかし何があろうと、あなたのお金は金輪際受取ませんぞ、昨日すでに突き返してやりましたがね・・・」

ロスタネフ「ちょつと待ってくれ、フォマー、これはどういうことなんだ?」

将軍夫人 「なんですって!でていくですって!」

将軍夫人、両手をフォマーに差しだし金切り声をあげ、よろける。
ペレペリーツィナが大げさに「大奥様!」と叫ぶ。
ペレペリーツィナ、走り寄って将軍夫人を支える。女たちは石のように固まって見
守る。

パフチェエフ「見ものだな・・・」

ミジンチコフ「さあ、はじまり、はじまり!ステパンチコヴォ村騒動劇最終章の開幕だ!」

遠くで雷鳴が轟き、稲妻が走る。

フォマー「あなたはお訊ねになったですな、大佐、『これはどういうことなんだ?』と。驚くべき愚問ですな!逆にあなたの方から説明していただきたい、いったいどうしてあなたはわたしの目をまっすぐ見ることができるのか?人間の厚顔無恥に関する、この最後の心理学的問題を、ぜひとも説き明かしていただきたいものですな。すくなくとも、人類の堕落について新たな洞察を得てから、出て行くことができますからな」

ロスタネフ「・・・・・」

ペレペリーツィナ「まあ!なんという情熱でございましょう!」

フォマー「おわかりですかな、大佐。あれこれ訊かずにわたしを見送らねばならんということが?いいですか、あなたがこれ以上何をお訊ねになろうが、ご自分の厚顔無恥をさらけ出すだけのことですぞ」

ロスタネフ「フォマー! フォマー!」

フォマー「ですから、これ以上のやりとりはご勘弁願って、ただ少しばかりの告別と門出の辞を述べることのみ、許していただきたい。あなたの家での最後の挨拶になりますな、エゴール・イリイチ。すでになされたことは取り返しがつかないのだ!わたしがなんの話をしているか、察していただけるでしょう。しかし、膝をついてお願いします。たとえ小さなかけらであれ、道義心があなたのうちに残っているなら、どうかご自分の情欲を押しとどめてください!ものみなを腐らせる毒がまだこの屋敷に蔓延しきっていないのなら、どうか火消しにつとめてください!」

ロスタネフ「フォマー!君は勘違いしているぞ!」

フォマー「情欲をしずめなさい。己を制すのです。『世界を制せんと望む者は、己を制せ!』これがわたしの座右の銘ですぞ。あなたは地主ではありませんか、自分の領地において、ダイヤモンドのように輝いていなければならんはずです。それなのに、いまわしい放埓の鑑となって、民草に自ら範をたれておる!!幾夜あなたの為に祈ったことか、この身をふるわせたことか、あなたの幸福を見出そうとあがきながら、わたしはついにその幸福を見つけられなかった。なぜなら、幸福とは美徳に宿るものだからです・・・」

ロスタネフ「いや、こんなはずはない、フォマー!君はわかっちゃいないんだ。だから見当はずれなことを言って・・・」

フォマー「だからこそ、自分が地主であることを忘れぬように。逸楽と淫蕩が地主階級の使命だなどと、ゆめ思わぬように。逸楽ではなく、心づくしです。神と閣下と祖国に対する心づくしです。働くこと、働くことが地主の務めなのです。さあ働きなされ、一番下っ端の農民と同じように!」

バフチェエフ「なんだい、百姓に代わって自分で畑を耕さなきゃあならんのかい?いったい何の話だ」

フォマー「それからお前たち、召使たちよ。主人を愛しなさい。決して逆らわず、心をこめて御用を果たしなさい。そうすれば主人はお前たちを愛してくれるだろう。それから大佐、この者たちを公平に遇し、いつくしんでやりなさい。彼らもやはり神の似姿なのですから。閣下と祖国より、子供としてあなたに託された者たちなのですから、大きな責任です、しかし待ちうける勲功もまた大きいでしょう!」

将軍夫人「フォマー・フォミッチ、ねえフォマーさんたら!いったい何事ですか?」

フォマー「さて、もうよろしいようですな?それではこまごまとした話に移りましょう。つまらないことだとしても、欠かすわけにはいかんのですよ、エゴール・イリイチ! お隣のハーリンの荒れ地はまだ干し草が刈り取られていない。ぐずぐずせず、すみやかに刈り取りなさい。これがわたしの助言です・・・」

ロスタネフ「しかし、フォマー!・・・」

フォマー「まあもう十分だ!いざさらば、みなさん、ご機嫌よう。神さまのご加護がありますように!さあ、きみにも祝福だ。(イリューシャに)この子が大きくなったときに、神さまが、情欲の恐るべき毒からお守りくださいますように!お前も祝福してあげよう、・・・それでは、みなさんフォマーをお忘れなきよう・・・それでは出発だ、ガヴリーラ、手荷物を荷馬車に載せてくれ、爺さんよ」

フォマー、女たちの阿鼻叫喚のなかをゆっくり歩き出す。
将軍夫人、泣き叫んで、フォマーにすがりつく。

ミジンチコフ「さあ、喜劇のはじまりだ」

ロスタネフ「行くなフォマー、行かせやしないぞ」

ロスタネフ、フォマーのうでをがっしりつかむ。

ミジンチコフ「どこにも行きはしないよ。せいぜい玄関までさ。たいした役者さ」

セリョージャ「そうだね、パフォーマンスだ、おじさん気がついてくれればいいが・・・」

フォマー「こりゃ力づくというわけですな?」

ロスタネフ「そうだ、フォマー!なんとしてでも引きとめるよ。君はわたしの手紙を誤解してるんだよ、フォマー、手紙では、説明がたらなかった。もう少し詳しく話そう」

フォマー「手紙! このてがみのことか」

フォマー、手紙をだして掲げてみせる。

フォマー「これだ、これがその手紙だ!ほれ、引きちぎってやる、つばを吐いてやる。この足で踏みにじってやる。人間の神聖な義務を果たすのだ!もう少し詳しくというのなら、こうしてやる!さあ、どうだ、ほれ・・・」

フォマーは手紙を引きちぎって放り投げた。ちぎれた紙片が部屋中に飛び散った。

ロスタネフ「もう一度言う、フォマー、君はわかっていない。わたしは結婚を申し込むんだ!ナースチェンカに――自分の幸福を求めるんだ!」

フォマー「結婚ですと!貧しい娘を誘惑したうえに結婚の申し込みによって、わたしの目を欺こうと云うんですな!昨日の夜、この娘と庭にいるところを、茂みの陰からわたしに見られたものだから」

ロスタネフ「フォマー!その秘密を口にするのは、この世でもっとも恥ずべき行いだぞ!」

フォマー「口にしますぞ、それはこの世で最も高潔な行いですからな!わたしは神から遣わされたのだ、この者のいまわしい行いをあまねく知らしめるために!・・・さあ、みなさん、よろしいか。わたしは昨日の夜、夜中、この者が、けがれを知らぬそこの娘と、庭で密会しているところを、抱き合ってキスしているところを目撃したのですぞ!」

ペレベリーツィナ「まあ、けがらわしい!」

ロスタネフ「フォマー、身を滅ぼすようなまねはよせ!」

フォマー「・・・ところが、この者は、わたしに見られたことに恐れをなして嘘八百を並べたてた手紙でもってわたしに近づき、清廉潔白なこのわたしを悪事に誘い込んだのだ、自分の犯した罪を見て、見ぬふりするようにと――そう、まさしく罪である!・・・なぜなら、これまで世にも清純であった娘を、あなたは・・・」

ロスタネフ「フォマー!それ以上、この人を侮辱するようなことを言ったら、そのときは――おまえを殺してしまう、フォマー!本気だぞ! ・・・」

フォマー「何、わたしは言いますぞ、これまで世にも清純であった娘を、あなたは、世にもみだらな娘に変えてしまったのだ!」

ロスタネフ「もうゆるさん!」

ロスタネフは、フォマーにとびかかると、抱えあげ、怒りにまかせてガラス戸にた
たきつけた。(ガラスが割れて散乱する音)フォマーは地面にのびてしまった。雷雨はげしく稲光。一同、凍りついてうごけない。

ロスタネフ「ガヴリーラ そいつを立たせろ!荷馬車にほうりこんで、2分以内にステパンチコヴォ村から追い払え!」

ガヴリーラ「合点です。この日を待ち望んでいましたです」

パフチェエフ「大した祝日だわい!」
 
次の瞬間、客間は大騒ぎとなった。将軍夫人はのたうちまわり、ナスターシャは怯えて泣くこどもたちを抱きすくめ。召使たちは、ただおろおろして部屋のなかをあるきまわっていた。ガヴリーラひとり、楽しげにフォマーを荷車に放り投げ、屋敷を後にした。

セリョージャ「ひどい騒ぎになりましたね」

ミジンチコフ「予想以上だった。このあとどうなるか、みものだ」

セリョージャ「これでよかったです。フォマーの奴は、自分で墓穴を掘った。こんなかたちでおいだされたんだ。もう戻っては来れないでしょう。おじさん、よくやりましたよ」

気がついた将軍夫人が息子ロスタネフに泣きつく。

将軍夫人「エゴールシュカ、ねえおまえ、フォマー・フォミッチを返して!すぐに返して!フォマーさまがいなきゃあ、わたしは死んでしまう」
 
ナースターシャをのぞくほかの女たちは泣きながら、「フォマーさまを返して」の大合唱。将軍夫人、こんどはナスターシャに膝まづいて支離滅裂なお願いをする。

将軍夫人「ねえあなた、息子とは結婚しないで、息子に頼んでおくれ、フォマー・フォミッチを返しておくれ」

ロスタネフ「おかあさん、何いってるんですか。僕たち結婚するんです。ナースチャ、そうだろ僕のプロポーズきいただろ」

ナスターシャ「いけませんわ、エゴール・イリイチ、この話はやめましょう。お母様が反対されていては無理です。わたしは望まれていないんですもの。あなたの奥さんにはなれません。結婚はできませんわ」

ガヴリーラがこっそり入ってくる。

ロスタネフ「フォマーはどうした!? いやに早いじゃないか」

ガブリーラ「白樺林のところに置いてまいりました。馬の奴がカミナリにびっくりして荷馬車がひっくりかえったんでございます。それで村境までいかなかったんです」

ロスタネフ「フォマーは?」

ガブリーラ「どぶたまりに落ちました」

ロスタネフ「ケガをしたのか?」

ガヴリーラ「いえ、お腹を打ったと泣きだしました」

ロスタネフ「それからどうした?」

ガヴリーラ「馬のやつが逃げたもんで、あっしは馬を追いかけて来ちまったんです。フォマーさまがどうなったかは、存じません」

将軍夫人「まだ村のなかに居るのね! だれか、フォマーさまを連れ戻しておくれ! ねえ、お願い!お願い! もういい、わたしが行く!」

将軍夫人、半狂乱になって入り口に突進する。召使、女たちが必死でとめる。泣きさけぶ。テーブルはひっくり返り、料理は飛び散った。部屋は、恐るべき地獄絵と化した。ロスタネフはおろおろしていたが、何事か決心して、雨具を着る。セリョージャ、驚いて腕をつかむと止める。

セリョージャ「おじさん、まさかフォマーを連れ戻しに行く気じゃあないでしょうね?そんなのは無礼の極みですよ」

ロスタネフ「そうはいったって、この混乱をおさめるには、他にないじゃないか」
セリョージャ「すぐにおさまりますよ」

ロスタネフ「ナースチャは、結婚しないといっている。もう終わりだ。この騒ぎをしずめるには、フォマーに戻ってもらうしかない」

ロスタネフ、ソファーにひっくりかえっている将軍夫人のところに行く。

ロスタネフ「お母さん、ご安心くださいフォマー・フォミッチを連れ戻しますから。しかし、フォマーが帰るにはひとつだけ条件があります。みなさんの前でナースチェンカに謝って、ゆるしを得てほしいのです。是が非でも、そうしてもらいます」

将軍夫人「フォマーさまをもどしてくれたら、なんでもするよ。だから、早くいって連れ帰っておくれ。おお、わが息子よ!」

ロスタネフ「分かったよ、母さん、迎えに行ってくるよ」

外は激しい雷雨。ロスタネフ、将軍夫人に誓うと雨具を着て玄関に向かう。


第十幕第二場

そのとき、扉が開いた。頭のてっぺんから足のつまさきまで、びしょぬれ、泥まみれになったフォマー・フォミッチが立っていた。そのまま倒れこむ。悲鳴を上げて駆け寄る女たち。部屋はふたたび狂乱の渦。つづいて「フォマー様が帰られた」の歓喜の大合唱。

バフチェエフ「ありゃあ、戻ってきちゃったよ」

セリョージャ「ばかに早いね・・・ガヴリーラの話では白樺林のどぶたまりに落ちたといったが、あそこからから引き返してきたんだろ。村を出なかったんだ」

ミジンチコフ「こんな村は、どこにもないからね。それがわかるから帰ってきたんだ。あいつは、そのうち主人たちを追いだしてこの屋敷に居座るだろうよ」

フォマー「ここはどこだ」

バフチェエフ「気がついたのか」

ミジンチコフ「あのポンくらめ、わからないふりをしてるだけさ。いまにきっと一芝居はじめるよ」

ロスタネフ「フォマー、君はいまわたしたちの家にいるんだよ。ステパンチコヴォ村にいるんだよ。よくもどったね」

フォマー「戻った?! もどったのは、忘れ物したからだ」

ロスタネフ「忘れ物?」

フォマー「あなた方二人に幸福を授けるにはどうすべきか、ということを忘れた。わたしは清純な娘を侮辱したかどで、ほうりだされましたが、この娘の名誉を守るために、なにをすべきか、それをしないままでてきてしまった。稲妻と雷が、教えてくれました。己の受けた侮辱に対し、フォマー・オピースキンは、なにをなすべきか。いかなる復讐をすべきか、いまここで、それをご覧にいれてしんぜましょう。

一同、意味がわからず呆然とフォマーをみる。フォマー、恭しく一同を見回すとロスタネフに手を差しのべた。

フォマー「大佐、手をだしなさい」

ロスタネフ「どうするんだ!? 」

フォマーは、何も言わずロスタネフの手をつかむと、部屋のすみでサーシャとイリューシャを抱いて怯えているナスターシャの方に歩いていった。

フォマー「おじょうさん、あなたのお手も拝借してよろしいか。こちらにいらっしゃい」

思いがけないフォマーのやさしい言葉にナースチェンカ、とまどいながらも、おそるおそる手を差し出す。一同、かたずをのんで見守る。

ミジンチコフ「いったい、なにをやらかすきだ?」

セリョージャ「戻れる秘策を考えてきたな・・・」

フォマー、ナスターシャの手をとると、その手をロスタネフの上に重ねた。そして厳かな声でいった。

フォマー「ここにお二人を結び合わせ、祝福いたします。どうかお幸せに。フォマー・オピースキンはかく復讐せり! ウラー」

突然の祝声に、一同、びっくりして立ちつくした。なにがおきたかわからなかった。次の瞬間、バフチェエフがいち早く理解した。

バフチェエフ「この功績は認めるにやぶさかでない。ウラー」

セリョージャ「そういうことなら、僕もウラー」

ミジンチコフ「フォマー、よくやった! ウラ―」

サーシャ「パパ、パパ、おめでとう。フォマーがこんなにいい人だったなんてしらなかった。フォマー、ありがとう!」

部屋にいただれもが感動していた。将軍夫人はむろんロスタネフとナスターシャも、客人や居候、食客、召使たち、みんな、歓喜にむせび、「ウラ―」「ウラー」の唱和は途絶えることはなかった。かくてステパンチコヴォ村の騒動は一件落着と相成った。
めでたし、めでたし。

笑劇「ステパンチコヴォ村騒動記」終幕