ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.166 発行:2018.2.1
2月読書会は、下記の要領で行います。
月 日: 2018年2月10日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分
開 始: 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品: 『おかしな人間の夢 ―空想的な物語―』
米川正夫訳『ドスト全集15巻 作家の日記(下巻)』(河出書房新社)
報告者: 梶原公子さん 司会進行=太田香子さん
会 費: 1000円(学生500円
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第44回例会
2月3日(土)14:00~16:00 会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 作品は『未成年』3編 〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表) 地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分) 小野URL: http://www.bunkasozo.com
2018年 本年もよろしくお願い申し上げます
5サイクルもいよいよ大詰めです。宇宙は膨張しているといいますが、時間においては収縮している。そのように感じるこの頃です。平成20年にスタートした全作品を読む会、5サイクルは、まさに光陰矢のごとし。あっという間の10年でした。時間旅行はますます速さを増すばかりです。が、人間の心は遅々として進みません。140年も前にドストエフスキーは小説のなかで、その謎を追っている。1839年8月16日 兄ミハイルへの手紙 「人間は神秘です。それは解き当てなければならないものです。もし生涯それを解きつづけたなら、時を空費したとはいえません。ぼくはこの神秘と取り組んでいます。なぜなら人間になりたいからです。」(以後、ドストエフスキーは生涯、作品・論文・作家の日記などで人間探究をつづけた)。
人間とは何か どこから来て、どこに行くのか 映像世界で挑戦した2監督がいる。
『2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、原題:2001: A Space Odyssey)は、アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックのアイデアをまとめたストーリーに基いて製作された、SF映画およびSF小説である。映画版はキューブリックが監督・脚本を担当し、1968年4月6日にアメリカで公開された。小説版は同年6月にハードカバー版としてアメリカで出版されている。
『惑星ソラリス』(原題ロシア語:Солярис、サリャーリス、英語:Solaris)は、アンドレイ・タルコフスキーの監督による、1972年の旧ソ連の映画である。ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(早川書房版での邦題は、『ソラリスの陽のもとに』) を原作としているが、映画自体はレムの原作にはない概念が持ち込まれており、また構成も大きく異なっている。1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1978年、第9回星雲賞映画演劇部門賞受賞。 (編集室)
2月10日(土)読書会
報告者 梶原公子さん 司会進行 太田香子さん
『おかしな人間の夢―空想的な物語』(1877)
―ドストエフスキー作品に頻出する人間のタイプについて―
梶原公子
1、「おかしな人間」と呼ばれる人について
はじめに「おかしな人間」に焦点を当てる。というのも学校、教員という狭い世界からというカッコつきだが、「奇妙な人」「変わった人」「変な人」が生きづらくなり、学校や社会の少数派になっている。だが、90年代中ごろまでいわゆる「おかしな人間」と呼ばれる教員は多かったと思うからだ。私が出会った二人の教員、さらに「ニート」の若者を紹介しつつ「おかしな人間」の話しの糸口としたい。
① インド先生
・ シングル、もうすぐ40歳の男性教員。夏休みなどの長期休暇は必ずというほどインドに行き、そこがどんなに素晴らしい国かを話すことから、生徒はそう呼んでいた。生徒も教員もある種の尊敬をもって接していた。
・ 学校の近くの一軒家を借り、電気はつけずにろうそくなどで灯りを取っていた。
・ 縁側のあるその家は戸をいつも開け広げていて、落ち葉などが舞い込んでも「自然」に任せていた。お風呂はめったに入らないらしい。
・ 服装は紺色のコール天ジャケットとズボン、学校内では卒業生が捨てて行った上履きや体育館シューズを拾って履いていた(特に体育館シューズはほとんど履いていないものが多く、卒業式のあとそれが山ほど捨てられていた)。靴は左右別々でも平気で履いていた。「まだ十分使えてもったいない」という理由なのだが、私もまねて何足か拾って愛用した。
・ 髪は自分で「夜、月を眺めながら刈るんです」と言っていた。
・ ある時昼食風景に出くわしたが、机の引き出しから生のピーマンをまず取り出し、そのまま丸かじりし「新鮮でおいしいですねえ」。次にパックごと豆腐を取り出し、スプーンですくって食べた。
・ 住み方も、食べ物も、生き方も「自然」「あるがままの姿」を重んじる。そこに真実があると考えていた。
・ 年金権を獲得したのち退職(多分42歳)、100万円で山間部の農家を買い取ってくらすようになり、かつての教員仲間がよく訪問していた。
② 「笑うせえるすまん」氏
・ 30代前半、シングルの男性教員。前任校はその地域の二番手の進学校。「一番校に追いつけ、追い越せという馬鹿げた進路指導についていけなかった」。その学校になじめず、自分の準備室を確保し、机を段ボールで囲んでそのなかにいつもこもっていた。「前任校は孤独だった」
・ かなり親しくなってからの自己紹介。「自分の両親はかつての帝大と有名音大の出身、だから自分はサラブレッドなんです。一つだけ親に引け目がある。それは数学が苦手でどうしても私大しか行けなかったこと。でも、一流私大です」。自分の頭脳に対する尊大ともいえる自尊心がある。
・ 外貌はアニメ「笑うせえるすまん(喪黒福造」)によく似ている。笑うせえるすまんは、大橋巨泉がモデルといわれるが顔も身体つきも彼によく似ている。私は密かに彼をそう呼んでいた。
・ 服装は毎日同じ。白のワイシャツ、グレーのベストとズボン、グレーのジャンバー。「毎日同じ服装といわれるけど、そうではない。これらは何着か買って替えがいくつもある、3日くらいで必ず変えているから清潔」。外見に対する劣等意識が感じられる。
・ 結婚への願望が強い。「結婚したい」と「もてない自分」という意識が同居し、お見合いを繰り返している。「結婚は大根を買うのとはわけが違う」。
・ いろいろなことを知っていて博識。「人間というものをよく知らない教員が多い」「科学や実証主義だけではダメ」というように自身の主義を持っている。
2、「おかしな人間」の特質を考える
私は数年前「ひきこもり」「ニート」と呼ばれる10~20代男性と付き合う機会があった(若者支援NPOとの関係で)。なかには11歳から21歳までずっと家にいたという自称「ニート」もいた。その時彼らがよく言っていたことを思い起こすと次のようである。
・ 小学生の時からずっと働きたくなかった。
・ あくせく働きたくない。
・ 自堕落に適当に生きたい。
・ テキトーな人になりたい〈寅さん、裸の大将〉。
・ ニートを肯定的に、ポジティブにやっている。
・ 周囲から自分がどう思われているか気にしすぎないようにしたい。
・ 適当に生きている自分を自分でもうちょっと認めてあげるようにしたい。
・ われわれニートは今の社会を生きるのに向いていない。
・ 幸せじゃなくていいと思えれば、それで幸せ。
・ だけど自分で自分を責めることがある「楽しんだらいけない」と。
インド先生、「笑うせえるすまん」氏は自分だけのかけがえのない「真実」「思想」というものをもっている。その「思想」「真実」は他の人から見たら「異常」「奇妙」、あるいはある部分がデフォルメされた生活、性格からきているように思われる。例えば「どこまでも自然態でありたい」「どうしても結婚したい、モテたい」。「ニート」の若者の「学校に馴染めない」「学校に行かない、働きたくない」もそれに類したものがある。それがために社会規範、常識論に乗れない自分というものをどこかで意識し、引け目を感じている。と同時に「認められたい、他とつながりたい」「みんなと同じように安楽な気持ちで生きていたい」という思い、意識の二重性、分裂を抱いているとも感じられる。「自分は自分、人は人」とは考えないのである。
90年代半ばくらいまでは、このような「おかしな教員」と呼ばれる人が教員集団の中にいた(その後、社会規範などがタイトになり、教員への締め付けも厳しくなった。彼らはより生きづらさを感じるようになったと思われる)。「ひきこもり」「ニート」の若者の言葉はその心情と重なってくる。「ひきこもる」「ニート」として生きることは世間的には「ダメ人間」であり、当人もそれを知っている。だが、彼らに近寄ってみると彼らはある種の誇りを持って「ニート」をやっている者もいる(ちなみに2月10日はニートの日。「ニートは幸せであるべき」といわれるようになった)。
3、『プロハルチン氏』(1846年)について
ドストエフスキーは奇妙な人間、病者への異常な関心があった。『プロハルチン氏』はその一つだが、これを読んだときインド先生やニートのことを思い起こした。プロハルチンは誰からも顧みられない老下級官吏。使うことのない金を必死でためている。彼が死んで垢で汚れたベッドを片付けようという段階になったとき、彼の秘密が明るみに出る。マットレスの裂け目からびっくりするような額の金貨、銀貨が出てきたからである。プロハルチンは使うことのないお金をなぜ貯めたのだろうか。この問いに対して、中村健之助は以下のように評している(『ドストエフスキー人物事典』2001 講談社学術文庫)。「ひとは自慢できる勲章を持っている必要がある。物であれ、空想であれ、それぞれ自己発揮の願望を受け止めてくれる器だけはなければならない。決して他から認められることのない者、愛情をかけてもらえる望みのない者が、なお自分を発揮し、自分の存在に意味を見いだそうとして、純粋な守銭奴になったのである」
プロハルチンは、金を貯めることに自分を支える誇りと生きる喜びを見いだした人間であった。思うに、奇妙なところ、おかしな性行、滑稽な側面、逸脱し、埒を超えるような考え、標準からすればはずれているようなところというものをいくばくかの人間(もしかしたらもっと多くの人間)は生来持っているものではないだろうか。ふつうは社会生活の中で、世間のルールに則って生きる中でそれらは覆い隠され、カモフラージュされ見えない状態になっている。カモフラージュするものがなくなった時、なくなるような場面でそれらの本性はくっきりと見えてくるものと思われる。『プロハルチン氏』を読んだとき、この人間の滑稽さと悲惨さと同時に、自分が癒されているという思いを抱き、ほっとしたのを覚えている。
4、『おかしな人間の夢』の「夢」について
この作品は『作家の日記』1877年4月のなかに納められている。『プロハルチン氏』から31年が過ぎている。作品は「おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだと言っている」という文ではじまる。その後「おれは自分がおかしな人間に見えるというので、ひどくくよくよしたものだ。見えたのではない、そうだったのだ。おれはいつもおかしな人間だった。(略)これはおそらく生まれたときからのことに違いない。どうやらおれはもう七つのときから、自分がおかしな人間だということを知っていたらしい」と続く。主人公自身が自分を「おかしな人間」と規定し、強く苦しい厭世感と自殺願望、同時に「思想」を持っている。自殺しようと考えているとき、ある「夢」を見る。彼は夢の中で次のような感覚を抱く。
「してみると死後にも生活があるのだな」
「おれは愛さんがために苦闘を欲するのだ」
「科学はわれわれに叡智を授け、叡智は法則を啓示する。一人一人が誰よりも自分を一番愛するようになった。自分の個性にかまけるようになった」
「夢」によって「おかしな人間」は情欲、嫉妬、残忍という感情から分裂と孤独が生まれ、個性のための闘争が始まった…ということを知る。さらに「夢」は「エデンの園」から人間が堕落していく経緯とその淵源について、主人公に俯瞰させる。
「夢」から覚めたのち主人公は、希望の回復と生存感覚を持つようになり、生活と「真理」の伝道を人々に解くことに目覚める。「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ(ルカによる福音書)」というキリストの言葉の実践である。このキリストの教えは重要な実践だが、「ふつう」ではできないことである。しかし、「おかしな人間」はそれを実践しようと考える。彼は「他は他、自分は自分」「世の中どうなっても構わない」とは思う人間ではなく、「他とつながって生きていたい」という「思想」を持つ者である。伝道はそれを行っていく方法として示されている。
5、「おかしな」ということについて
ドストエフスキー作品にはプロハルチンだけでなくジェヴ―シキン、地下室の人間、あるいはムイシュキン、スメルジャコフなどなど数多くの「おかしな人間」が登場する。彼らはあるところが異常に突出し、デフォルメして描かれている。そのため世間一般の規範、常識から外れ、世俗に適合しない、出来ない人のように見える。世俗的価値を踏み越えた、埒を超えた人間といいってよいかもしれない。それが「おかしな」といわれる理由だ。同時に「おかしな」というそこには人間の普遍性、あるいは誰もが潜在的に持っている意識が隠されている。『おかしな人間の夢』という作品の主人公の「おかしな」ところは、「孤立は苦しいものだ、だから孤立したくない、他とつながっていたい」という強い思いがある。この思いは多くの人が抱くものだ(だが現代では多くの人は「つながる」ことを実行しなくなっているようにも思われるが)。「おかしな人間」は「自分を愛するように他人を愛する」「他とつながりたい」という「真理」を実行し、「伝導」しようとする。それを実行することは世間一般、常識から外れた行為というよりほかない。
先に『プロハルチン氏』を読んだとき、私は「癒された」と書いた。これはどのようなことだったのだろうか。「癒される」ということは、慰めの言葉をかけられたり、同情されたりすることで感じることである。しかし、より深い「慰め」はおそらく自分のおかれている惨めな状況、悲惨な状況とよく似たあるいは同種の思いを持つ人が現れて、その姿を見せられ、その人の痛みや思いが自分に迫ってきて、その痛みを分かち合えた時に感じるものではないだろうか。『おかしな人間の夢』を読むと、彼が私(たち)と同じような思いを持っていることがわかり、その痛みが伝わってくるのである(つまり、他とつながりたい、孤独になりたくない‥‥)。自分の中には「おかしな人間」に通じる性行があって、作品を読むことでそれを共有する。共有によってある種の解放感、「癒し」を感じるのではないだろうか。
寄稿
『おかしな男の夢』と「永遠回帰」
野澤高峯
進歩主義者を自認する主人公ですが、「世の中のことはどこへいっても、何もかも同じという確信」を持ち、「俺に身についているものは何もない」というニヒリストで、「今では世界も俺一人の為に造られたものだ」と考えている点で、彼は『悪霊』のスタヴローギンを経由したキリーロフの分身と言えるでしょう。ここでも『悪霊』の二人の会話で挿入された「月の喩話」を彼は語ります。ここでは遊星での悪行を地球にいる自分は無関心でいられるか、という問いとしていますが、このたとえ話の背景とは「地球=私(主観)」は「月・火星=世界(客観)」という設定の下に、「主客一致(主観は客観を認識できるか)」という認識の謎を問う近代哲学での基本問題です。ただ、ここでの認識問題の中心課題は単に客観認識の可能性の問題ではなく、ドストエフスキー文学では、これは人間的価値審級の普遍的な根拠の問い「果たして人間には「善」や「正義」に普遍的な根拠があるのかないの」という問いを意味します。つまり、主人公は自殺を前にして、ここでは倫理の成立根拠についての懐疑を投げかけていますが、彼の前に登場した女の子の存在を認知するように、導入部ではキリーロフから一歩踏み込んだ、独立した主人公の人物像が浮上します。(*1)
自殺前に見た夢で彼は「真理」を告げ知らせられたと確信しますが、この「真理」については、私が多大な影響を受けたニーチェの哲学を基に読み解きますが、あくまでも作品が先行し、その印象を解読したらニーチェに行きついたということに他なりません。主人公があたかも臨死体験のように語る夢の情景で、「深い嫌悪の念さえも覚えた」程の存在物に宇宙に誘われ、そこで「反復」を見ます。この描写はいかにもSF的で、アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』のキューブリック映画版後半の映像モチーフでもあるこの「反復」とは、ニーチェの説いた「永遠回帰」(*2)であると私は捉えました。ドストエフスキーが作品で或る回答を提示することは珍しいと考えますが、この「永遠回帰」を基調とすることにより、私は『悪霊』で語れなかった方向性を、この短編がそのスピンオフ的な位置付で、前に進めたような印象を持ちました。
「永遠回帰」の世界像を打ち出したニーチェとドストエフスキーとでは時代的には大きく被っていませんし、二人の「無神論」の解釈には表象としては違いが見られます。しかし、私は、二人が向かっていた土台は大きく違うとは思っていません。ニーチェはキリスト教批判のみならず、その世界像に変わる近代主義も同じルサンチマンを根源に持つと批判しました。その点についてこの短編で最初に揶揄されているのは、夢の中で展開されるユートピア社会主義とも解釈できる近代主義的世界です。これは『悪霊』や『未成年』に挿入される「黄金時代」と近似していますが、ここでも、主人公が進歩主義者であることから、この世界を「ほんとうの世界」と受け止め、生の充実感を味わいます。しかし、作家はそうしたロマネスクを排除し、作品の出色な場面として、主人公にこの世界を堕落に追いこませます。様々な状況描写は人類の歴史ともいうべき展開となり、最後には宗教まで成立させてしまうという歴史の「反復」を見ますが、その帰結に人々は下記の通り主人公に言い放ちます。
「われわれには科学があるから、それによって、われわれはふたたび真理をさがし出すが、今度はもう意識的にそれを受け入れるのだ。知識は感情よりも尊く、生の知識は生よりも尊い。科学はわれわれに英知を授け、英知は法則を啓示する。幸福の法則の知識は幸福以上だ」(*3)つまり結局は、ユートピア社会主義に代わり近代合理主義への進み行きを肯定した世界として帰結させ、主人公に今ある現実を見せています。作家はニーチェのように正面から近代主義を批判していませんが、明らかにこの世界像を相対化している事を読み解くことが出来るでしょう。
人が生きる意味と価値を哲学の主題としたニーチェは、それまでの主客図式の認識論に力の思想を打ち出し、哲学的な大転換を図りましたが、人間的価値審級の源泉を人間の外側に置かず、「~を欲す」とした自己中心性をその起源に置き、力相関性による世界像を構築しました。世界は常に永遠に回帰するとした世界認識でも、自らの生を肯定できると主張しました。私にとってこの作品は、ニヒリストの主人公が夢の中での「永遠回帰」を体験することで、ニヒリズムの克服としての契機を描いていると受け取りました。注目した場面は次の通りです。
上記の引用の記述の後、「彼らの一人一人が、だれよりも一番、自分自身を愛するようになった」という記述があります。この自覚は「自己中心性」の負の側面として、これを契機に、この世界の歴史は近代での国民国家が歩んだ戦争の歴史等をたどり、人々も近代合理(科学)主義としての世界像を描いていく展開に至りますが、主人公は彼らに「穢された地球を楽園の頃よりも愛するようになった」と言い、彼らも「主人公から欲しいものを受け取り、今日ある全てを肯定した」と言い放った後に、夢が覚めます。覚めた現実世界は客観的には何も変化がなく立ち現れていますが、主人公にはここで大きな変化が起きていると読めます。それは、自らの存在が世界の堕落を惹き起こしたとしても、そのことにより自分と世界が密接に結びついているという実感を主人公が回復したことです。これはキリーロフの「人神論」の顕現化ともとれますが、そのことの罪に対し世界はその変化を肯定したことです。それが目の前の矛盾や悲惨を伴う現実であるとしても、それを肯定しているということです。
つまりこの世界に現れた「自己中心性」は、決して負の側面ではなく、各々の価値審級を持つことの起源である事、自らを愛する根拠である事。ニヒリズムの克服としての自己回復と世界回復の源泉であるという事です。これは『悪霊』で、人間性の回復を求めて叶わず自殺に至ったスタヴローギンへの作家としてのある回答ではないでしょうか。導入に登場し、結末でも主人公が念頭に置いている女の子とは、自殺したマトリョーシャ(不在としての神)なのではないかとも思い至ります。主人公のニヒリズムの克服は次の世界認識として表現されています。
「おお、今こそ生きているのだ。あくまでも生きているのだ!おれは諸手を挙げて、永遠の真理に呼びかけた。呼びかけたのではない、泣き出したのだ」
「人間は地上に住む能力(ちから)を失うことなしに、美しく幸福なものとなりえるのだ。・・・・頭で考えだしたものやなんかと違って、おれは見たのだ。しかと見たのだ。そして、その生ける形象(かたち)が永遠におれの魂をみたしたのだ。おれはそれをばあまりにも充実した完全さで見たものだから、そういうことが人間にありえないことは、信じられないのである」(*3)
この生きているという実感。また、ここでの「能力(ちから)」とは自己中心性を起源とするも、権力と解すべきではなく、ニーチェの言う「力」です。それは世界との相関の根拠となり、その相関(エロス)としての対象である「生ける形象(かたち)」という認識は、まさにニーチェ的な力相関性による世界認識の具現化と見ることができます。冒頭で何故、主人公は「月の喩話」を語ったかという意味は、その世界認識が主客図式から、力相関図式へと明らかに変化した、彼のニヒリズム克服の過程を浮上させたかったからに他なりません。過去に繰り返した古臭い真理としての「おのれみずからのごとく他を愛せよということ」も、利他的、禁欲主義的キリスト教の反措定解釈と読み解けるでしょう。勿論、「生命の意識は生命よりも上のものだ。幸福の法則の知識は幸福よりも貴い」事に対抗するのは、前述に引用した近代合理主義を無化することではなく、従来の認識論で導かれたこの理想に対し、自分が自覚した大きな変更を遂げた世界視線で対抗していくことだと解すべきだと私は考えます。それはまさしく、ニーチェの哲学的大転回と同じ世界視線の獲得と考えられ、この作品は作家として一歩踏み込んだ方向性を主人公に託した観がありますが、作家の「無神論」解釈からすれば、最後に探し出した女の子は彼にとっての「不在の神」なのかもしれません。ただ、私は他の作品を読み解く上で、ドストエフスキー文学が提出している「問い」について、一つの方向性を打ち出しているこの短編は、作家の核となる作品であると記憶に留め続けると思います。
(出典・参考)
1, この喩話は、『悪霊』に於いては笠井潔も下記で言及しています。
「ラディカルな自由主義の哲学的前提」『テロルとゴジラ』(作品社 2016年)
「現象学的小説論へ-外部」『探偵小説論序説』(光文社 2002年)
2, 「永遠回帰」については、様々な解釈がありますが、私は下記の解釈を参考にしました。
竹田青嗣『ニーチェ入門』(ちくま新書 1994年)での「永遠回帰」の4つのポイント
① 機械論的思考の極限形式としての「永遠回帰」
② ニヒリズムの極限化としての「永遠回帰」
③ 育成の、理想形式としての「永遠回帰」
④ ルサンチマン克服の、生の肯定としての「永遠回帰」
今回の考察ではこの(ルサンチマン克服の、生の肯定としての「永遠回帰」)に重きを置きました。
3, 『おかしな人間の夢 空想的な物語』『ドストエフスキイ後期短編集 米川正夫訳』(福武文庫 1987年)
12・9読書会報告
12月読書会、参加者21名
『悪霊』は、最多7回目の読書会でした。最終回ということでフリートークでしたが、人気作品とあって感想は尽きませんでした。参加者は、藤倉さん北岡さんといった懐かしい人から初めての人も。二次会、お茶会も多数出席、賑やかで楽しい忘年会でした。羅針盤のない水先案内、司会進行は國枝幹生さんでした。ご苦労さまでした。
評論・連載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第75 回)堀田善衛『ゴヤ』(1977)におけるドストエフスキー
福井勝也
年が明けた。昨年の丁度今頃本欄でこんな風に書いていた。・・・あと数年で生誕200年を迎えるドストエフスキーとは、どのような意味で世界文学者であるのか。・・・この点で、ここ数回取りあげてきた作家堀田善衛(1918-98)の問題をもう少し継続したい。実は堀田も来年(今年)生誕100年と没後20年を迎える作家である。多摩の読書会では、ここ数年堀田の主要作品を対象にしながら、昨年(一昨年)末には『若き日の詩人たちの肖像』(1968)を読み終えた(今年は刊行50年)。そして大作『ゴヤ』(1974-77)に取り組み始めた・・・
そしてさらに・・・自伝小説中の「若き日の詩人たち」には、紛れもないドストエフスキー文学の刻印がその根っこにあって、その「通奏低音」についても触れた。特に堀田自身のそれは、初期作品『白夜』が核(エピグラフなど)になりながら、随所にドストエフスキーへのコメントが散りばめられている。それらが、国の滅亡・再生という日本近代史の大転換期に重なりながら独自のドストエフスキー批評として語られてゆく・・(2017.1.24)。
目まぐるしく一年が過ぎながら、何一つ解決も安堵もないように感じる年明け、自分が何を柱として思考を巡らして来たのか、それを確かめるための本欄の功徳は、その多くを筆者自身に与えられているようだ。堀田善衛は、その自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』を、戦後23年経ってから(三島事件は、すぐその後25年後)、日本国がその主役の一角を占めた世界戦争を自身の文学的青春に重ね合わせて語ってみせた。そこにはドストエフスキーの初期作品『白夜』の哀切が、戦争に呑み込まれてゆく時間の経過とともに、その後のドストエフスキー文学と人生を暗示する序章のように胸に残った。その問題は、僕のなかで継続した。
そして一年が過ぎ、吾々自身が終末戦争の予感を否応なく感じさせられる昨今、今戻るべき原点が、堀田が「若き日の詩人たち」のなかに刻印した近代戦争、その近代の幕開けを凝視した画家ゴヤ(1746-1828)であったことに気付かされた。今、その堀田の作家的成行を真率に受け止めたい。18世紀から19世紀初頭に跨がりヨーロッパの西の辺境スペインで、その近代史の胎動を生きた画家、それを評伝文学として活写した堀田の『ゴヤ』四巻(1974-77)ほど今日的に意味ある作品はないかもしれない。昨年一年かけて本著(集英社文庫版・2011)を読了した現在、作品『ゴヤ』(1977)こそ、堀田が『若き日の詩人たちの肖像』(1968)で経験した近代戦争の内実、その淵源を見究めるための作品的帰結であったのだ。
そしてさらに付言するならば、この『ゴヤ』には、ヨーロッパのもう一つの東の辺境ロシアで、ゴヤの近代をあたかも継走するように生きたドストエフスキー(1821-1881)の視点が周到に書き込まれていたことだ。本書全巻の奥行の深さは、その複眼的視点によりもたらされたことをドストエフスキーの愛読者には是非知って欲しいと思った。
この国(スペイン、注)は、歴史を通じて、どうにも近代化、資本主義形成へと他のヨーロッパ諸国がとりえた道を歩むことができなかった。そうして逆説的に言えば、そうした”遅れた” 状態、たとえば異端尋問に象徴される、近代の眼から見てまことに理不尽なことのまかり通るところの、中世がいつまでも生きつづけている社会において、人間のやらかすこと、すること為すことについての透徹した認識を、ついに持たされた芸術家が誕生しえたのであった。<‥‥> 絵画は、文学と異なって、時間のなかに動くものではないから、その定着にはある意味でいっそうきびしい認識力が必要であろう。しかも、人間のやらかすこと、すること為すことについて、合理主義以前の、あるいは近代主義以前の、いわば中世的《迷蒙》と一般に呼ばれるものを勘定に入れない人間認識は、おそらく理屈倒れになるものであろう。そういう意味での人間認識においては、ヨーロッパの”遅れた”辺境である西端のスペインと、東の端のロシアとは、相対的に、意外に類似したものをもっているのである。
ゴヤの晩年、彼の死の七年前に生まれたドストエフスキーのことを思い出してみるのも無駄ではない筈である。『カラマーゾフの兄弟』中に挿入されている大審問官の劇は、スペインの異端審問にかかわっていることは言うまでもないであろう。 (集英社文庫『ゴヤ』Ⅰ、p92-93)無論、それはドストエフスキーひとりに集約されるものではなかった。『ゴヤ』がゴヤという画家の単なる評伝に止まらぬ作品として、その歴史的背景が活写されるためには、近現代の思想家・芸術家たちの核心的表現が随所に興味深く引用された。その中核が、ドストエフスキー(トルストイに重複して)だと言いたいわけだが、パスカル・バルザック・ボードレール・ランボー・ニーチェなども常連で、さらに当方注視した表現にミッシェル・フーコーやミハイル・バフチーンの引用などがあった。前回本欄では、『悪霊』のスタヴローギンの人間像の本質を正確に言い当てているとして、その「狂気」について語ったフーコーの言葉を紹介した。実は、その出典がゴヤ絵画のテーマの一つ、近代の「狂気」を語ったものだった。ここに、引用元を明示して、改めて引用しておきたい。
人間それぞれのなかにこそ狂気がある。というのは人間が狂気をつくり出すのは、自分によせる愛着をとおして、また自分にいだく幻想をつうじてだから。(中略)自己執着がこのように想像的だからこそ、人間の狂気はいわば蜃気楼となって生まれる。狂気の象徴は、あの鏡-現実のものをなんら映し出さないが、そのなかで、自分の姿を凝視する人にはひそかに傲慢さから生じる夢を映すあの鏡となるだろう。狂気は、真理ならびに世界に関係するよりも、人間や彼が認めるすべを心得ている彼自身と関連をもつのである。(ミシェル・フーコー『狂気の歴史』、『ゴヤ』Ⅲ「アトリエにて」p286)
さらにもう一つの是非引用したい文章がある。それは、昨年の読書会のテーマでもあった「スタヴローギンの告白」で暴露されるあの究極的な人間悪を、ドストエフスキーは何故あのようなかたちで語ったのかという、当方かねての<疑問>を『ゴヤ』の堀田が解いてくれたからだ。ここでその箇所をいきなり引用しても唐突だと思うので後回しにして、その表現が埋め込まれた『ゴヤ』最終巻「地下画帳 観察・記述・批評」という章から紹介してゆく。堀田は、この章辺りから『ゴヤ』全巻の結末に向けて言葉の密度を濃厚にしてゆくが(その極点が、「黒い絵」章かと思う)、その始まりでゴヤ「デッサン」の本質にズバリ言及する。
彼がデッサンに手をつけ始めるとほとんど同時に、デッサンというものが、一つの物語的連続性、あるいはサイクルをもちうる、ということにたちまち気付くのである。つまりは、そこにわれわれは彼の短編小説家、あるいは鋭い、瞬時の観察に基く記述、すなわち批評家としてのこの画家の大いなる資質をも見出すことができるのである。彼のデッサンは、いずれも画帳(Album)としての性格をはじめからもっているのである。(『ゴヤ』Ⅳ「地下画帳 観察・記述・批評」p.151)
『ゴヤ』全巻には、多くの実作(デッサン含め)が印刷されていて、それを見ながら堀田の絵画批評を読むことになるのだが、そこで感心させられるのは、堀田の眼の強度、その奥行きの深さだ。当たり前のようだが、本著はそのことなくして成立していない。その堀田の眼力によって、読者はゴヤの一枚一枚の絵画の深層、その凄さに目を開かれる。『ゴヤ』を読む醍醐味、その真骨頂はその辺にあると言える。そのクライマックスの一つに是非触れたい。『ゴヤ』Ⅳの「最後の宗教画」章(「地下画帳 観察・記述・批評」章に隣接)では、ゴヤが最後に描いたキリスト像「橄欖山の祈り」(1819)に注目する。堀田はここで、この場面の福音書ルカ伝の言葉を引用した後、その画題でもあるキリストの姿を「イエス生涯の最高の瞬間」だと断言する。そして次のような言い方で、この絵の真実を明らかにしてみせる。
(‥‥)跪いたキリストは、祈っているというよりも、むしろ怒っていると見えるのである。父よ、お望みならばこの盃を取り去って下さってよろしい、しかしそれは私からそう申しているのではございませぬ、あなたの意志によってそうなさって頂きたい‥‥それはイエスの、文字通り必死の抗議なのである。人の子として地上にある人間の最後の叛逆であり、怒りに身は慄え、眼は天使の捧げている聖餐盃を睨みつけている。と同時に、左右に拡げられた両の手は、身を捧げることを無言で容認してもいるのである。(‥‥)ゴヤのキリストは怒りに身をこごめて、その弾力によって一気に天に飛び上がらん勢いである。それはイエスが『父よ、わが霊を御手にゆだぬ』とはまだ言っていないキリストなのである。それは、甚だしく非聖画的なキリストであり、人間的懊悩にみちている。しかもこのヒゲだらけの青年と中年のあいだくらいの男は、まぎれもない粗野なスペイン人である。左上方の、天上からの光芒のみに照らし出されたその顔貌と白衣に散乱した光の効果は、レンブラントをすでに後にしてきわめて近代的であると言えよう。(『ゴヤ』Ⅳ「最後の宗教画」p.253-4)
ここでは、『ゴヤ』全巻を通じて発揮された堀田の絵画探求の一つの頂点が語られていると思う。さらにその証左が、このすぐ後に明かされる。すなわちルカ伝「橄欖山の祈り」でのキリストの姿を、ポレオン占領軍によるスペイン人民の処刑(スペイン独立戦争・1808)を描いた『五月の三日』(1814)の<白衣の大男>に、さらに版画集『戦争の惨禍』の第一頁の魑魅魍魎どもの徘徊する闇を背景とした<襤褸に胸をはだけた男>に重ねてみせるのだ。それはスペイン民衆に現代に甦ったキリストを擬するものであった。ちなみに後者の版画には「やがて来るに違いないことに対する悲しむべき予感」(1808-1814)と詞書きされていて意味深だ。
ここで堀田は、画家ゴヤの西欧絵画史における位置づけを明らかにしながら、その核心にあるキリスト教絵画におけるイエス・キリスト像を再発見してゆく。そしてこのことは、一つにはキリスト教の根幹にある<再臨>思想の歴史的具現化を辿るもので、それは堀田が『ゴヤ』Ⅳ冒頭(エピグラフ)に掲げた、旧約聖書におけるヨブの言葉(「われ、これを汝に告げんとてただ一人逃れきたれり」)から流路したものであった。堀田がここで説く『ゴヤ』での<キリスト像>こそ、<ヨブの甦り・復活>としての<キリストの再臨>であったのだ。
ここで、以上に関連してさらに是非指摘しておきたいことがある。すなわち、『ゴヤ』Ⅳ「最後の宗教画」章で引用された絵画『五月の三日』の読み解きは、Ⅲの同タイトル章で丁寧に記述されていて、そこでの堀田の<絵解き>こそ、本著白眉と言える部分(文庫Ⅲ、p442-468)だと言うことだ。そしてさらにそれが集約的に語られたのが、Ⅳ「最後の宗教画」章であった。そしてこの両章に通底した堀田のキリスト像こそ、もう一つのヨーロッパの辺境、ロシアのドストエフスキー文学の核心<民衆的キリストの発見>という問題と二重写しであったことだ。(‥‥)それは歴史的に見て、たとえばイタリアの美術史家ヴェントゥーリが「古代の詩がホメロスに発するように近代絵画はゴヤに始る」と言うように、ここに描かれているものは、『五月の二日』(『ゴヤ』Ⅲでは、スペイン独立戦争の先駆けとなった民衆蜂起が『五月の三日』と合わせて語られる)ともどもに、いわゆる“美”とは何の関係もないということについてである。それは美であるどころかむしろ醜であり、絵画でありながらも正視するに堪えない“真実”である。
つまりは、それまでの古典主義的な美と芸術の離婚がここに開始されているという歴史的事実が、この二枚にもっとも明白にあらわれていることでもある。そういう意味では、文学への近接が開始されていると言ってよいであろう。アンドレ・マルローがそのゴヤ論の結語とした「ここから、現代絵画の幕が切っておとされるのである」という気障な言い方も、その他のことを意味するものではない。従って、それはまた美術史の折り返し地点であると同時に、ヨーロッパの人間の魂の在り様が全的に変革されてしまう、その時期の開始点でもある。「神は死んだ」とするニーチェも、「我は悪魔なれば、すべて人間的なるもの、我に無縁ならず」とするドストエフスキーも(『カラマーゾフの兄弟』イワンの言葉、実は、堀田は『ゴヤ』Ⅰp.168でも引用していた)、エミール・ゾラも、またゴヤとの聾兄弟のようなベートーヴェンもまたこの折り返し地点以後の人間である。それは、ヨーロッパにおいての人間が、人間を見るについての不信から発したリアリズムの時代のあけぼのなのである。それはまた、絶望からの出発でもあったのだ。この銃殺隊と被処刑者たちの双方を、たとえば神の目から、双方ともひとしなみの人間、あるいは人類そのものとして見るとするならば、われわれのこの現代なるものが、いわば自殺しながら誕生しているものであることを思い出されるのである。(『ゴヤ』Ⅲ『五月の三日』p.447-8)
ドストエフスキーが世界文学者である意味を、堀田の『ゴヤ』が明らかにしてくれている。書き足りないところがあるが、今回はひとまずここで筆を擱く。(2018.1.19)
ドストエフスキー文献情報 2017・10/2~2017・11/28
提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん
1. 色川武大(=阿佐田哲也)著『戦争育ちの放埒病』(幻戯書房 2017.9.21刊 ¥4200+)最近では珍しく立派なハードカバー。全集等未収録作品を収録。ドスト関係1件。「ドスト氏の賭博」。これは新潮社版・決定版「ドストエフスキー全集」発刊記念の
小冊子「ドストエフスキー読本」(1978.4)に初出収録されたもの。
2. 亀山郁夫×沼野充義による『ロシア革命100年の謎』(河出書房新社2017.10.30 ¥920 新書版)序章と第一章で、ドストエフスキーの影響を語る。終章までの文芸界での反響は過激である。
3.「まいにちロシア語」11・12月号は名場面からたどる『罪と罰』も第20・21回となった。
ドストエフスキー文献情報 2017・11/29~2018・1/29
提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん
〈作品翻訳〉
・『白痴 3 』ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社〈光文社 古典新訳文庫 K A7 1-19〉 2018.1.20 \880
〈図書〉
・『小林秀雄 美しい花』若松英輔著 文藝春秋 2017.12.10 \3000+
・第十七章 歴史と感情――『ドストエフスキイの生活』(一) p463-489
・第十八章 秘められた観念――『 同上 』 (二) p490-513
・第十九章 信じることと知ること――『 同上 』 (三) p514-537 ※初出:「文学界」2016.8~10 ※未確認
・『ドストエフスキーの霊言 ロシアの大文豪に隠された魂の秘密』 大川隆法、聞き手 大川咲也加 幸福の科学出版 2017.12.23 132p 18.8㎝ \1400+※初めての大川隆法及び、幸福の科学出版。収録
〈逐次刊行物〉
・「まいにちロシア語」55(11)(2018.1.18=2月号)p129-137
・名場面からたどる『罪と罰』第23回・自首へ 原作 Ф・М・ドストエフスキー 訳・解説 望月哲男
※今、朝日新聞出版の黒沢明DVDコレクション(全30作品)の出版が始まった。勿論、ドストエフスキーの作品による『白痴』が含まれていて、後日の刊行となる。NHKエンタティメントにも含まれているので、急ぐのであれば、こちらは待たずに入手できる。ちなみに、朝日=\1350 、NHK=\3024 である。
紹介
ドストエフスキイのイエス像 4
(典拠:anjali(あんじゃり)33 June 2017 「現代」を考える 親鸞仏教センター)
芦川進一
『悪霊』(1871-72)の冒頭に置かれるのは「ゲラサの豚群」の奇跡である。(ルカ八26-39、マルコ五1-20、マタイ八28-34)。これは恐らく新約聖書の中でも最もよく知られた、人の魂を震撼させる奇跡の一つである。物語の詳述は控え、ここではこの奇跡が持つ二つの懼しさと、それと表裏一体にある二つのイエス像を確認しよう。(前号まで)
まずは、悪鬼に憑かれた男が発する叫びある。「至高き神の子イエスよ、我は汝と何の関係あらん、願わくば我を苦しめ給うな」(ルカ八28)、この男はイエスと出会うや直ちにその本質を見抜き、イエスが自分と深く「関係がある」ことを知り、かつ己の内なる悪鬼たちの滅びを直観したのだ。悪鬼に憑かれた男の場合のみではない。福音書が記す長血の女や罪の女や取税人や盲目の人や聾唖の人等々、苦しみの底に沈む人間は皆イエスと出会った瞬間、イエスの本質を見抜き、イエスとの出会いの運命的絶対性を確信する。自分の苦しみの一切が神の光の内にあるという逆説を一瞬にして悟らされるのだ。豚群れが湖に沈んだ後、男は「慥なる心にて」イエスの脇に坐していたと記される。奇跡あるいは癒しの実質とはこの逆説の電撃的垂直的な覚醒と、それがもたらす存在の根本的革新を指して言うのであろう。男の叫びの懼しさとは、彼を神に立ち還らせるイエスの力と響き合うものなのだ。この物語でもう一つ注目すべきは、誰の目にも明らかなように、イエスが悪鬼たちを豚群の内に追いやり、更にゲラサの湖底に追いやって滅ぼさせるその絶滅の激しさと徹底性にある。ここにあるのは、仮借なき裁きイエスの懼しさだ。
人間とは誰もが皆悪鬼に憑かれた存在であり、ゲラサの湖を見下ろす断崖上で、イエスの前に立つべき運命にある。『悪霊』に至り、ドストエフスキイが人間と世界とその歴史に、またイエスに向ける目の厳しさは光と闇、愛と裁きの両方向に極限化される。そしてこの認識が「ゲラサの豚群」の奇跡を冒頭に置き、重心を滅びの方向に目一杯に傾けてドラマ化されるのだ。スタヴローギンを始めとする主人公たちもまた悪鬼に憑かれ、イエスと出会いながらもその本質を見抜けず、「我は汝と何の関係あらん」と叫んだ末にプチ群の内に追いやられ、完膚なき滅亡を運命づけられた若者たち、神なき時代の落とし子なのである。 (つづく 次回で完)
広 場
楽園への道 ハロルド・L・クローアンズ著 和田清 訳
典拠:『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか』 ハロルド・L・クローアンズ著 加我牧子 等訳 白揚社 1993;第4章 楽園への旅(和田清 訳)
Harold L.Klawans,M.D.:Newton’s Madness 1990
神経内科医である著者とエクスタシー発作のある患者との出会いが語られています。25ページの本文を以下に要約しました。(下原康子)
ある日、私(著者:シカゴのクローアンズ医師・神経内科医)の診察室にマギー夫人(33歳)が訪れる。服装のセンスは抜群だが痩せていてやつれて見える。彼女は夫の転勤に伴いアメリカ各地を転々とし、その先々ですでに6人もの神経内科医にかかっていた。「複雑部分発作があるんです」ぶっきらぼうに彼女は言った。彼女はそれまでの経験から専門用語を知ってはいたが、理解しているという保証にはならない。慢性疾患の治療には、実質的な医師-患者関係(教師としての医師と生徒としての患者の関係)が必要になる。
「あなたの発作って、どういうの?」と私は尋ねた。彼女はためらいがちに語り始めた。「発作はとても短いのです。せいぜい1分」まるで短いのが不満そうだった。「もっと詳しく」と私は促した。
「すべてが突然のことで・・・・・私は強烈な暖かさを感じるんです。まるで・・・・・、それ以上ないほどの強烈なオルガニズムを感じたときのように。その後、私は安らかな気持ちになるんです。私はオルガニズムを感じたことがあります。すべてが暖かくて、美しいんです。それがすべてです」
私はそれほど驚かなかった。発作はどんなことでも起こしうる。発作の現れ方は、脳内のどの細胞とどの神経伝達路が燃えさかっているか、によるのである。意識の中へオルガニズムという生理機能を伝達する細胞と伝導路が存在する。それではなぜオルガニズム発作、つまり性的快感の発作があってはいけないのか。当然、あってもかまわない。
「あなたは、本当に発作を治療したいのですか?治療がうまくいったら、もう何も体験できないんですよ」
彼女は顔を上げて私を見て、はじめてニコッとした。「いいの、治療したいんです」夫との性生活はうまくいっていた。車を運転して子どもを歯医者に連れていく間に、そのようなオルガニズムを感じる必要はなかった。彼女は充分話し、私たちは薬について話し合った。
帰りがけに彼女は言った。「発作を治したいと思っているかどうか聞いたのは、先生だけです」
「患者さんが薬を飲むつもりがあるかどうかを確かめるための質問にすぎません」と私は言った。
「先生はこれまでに、私のような患者を受け持ったことがあります?」
「ないですね。でも快楽の発作を持っていた人について読んだことがあります」
「医学雑誌で?」
「ドストエフスキーの『白痴』で」
「ムイシュキン公爵」と彼女は言った。「私と同じだと思ったことはなかったわ。ドストエフスキーがてんかん持ちだったんですか。でも彼は天才だったわ」
てんかん持ちとはたんにくり返す発作あるいはてんかん発作を持っている人を意味しており、彼女自身、てんかん持ちであるのだが、彼女も社会的偏見を持っていたのである。
以下5ページに渡っててんかんに関して次のような記述がある。
T.Alajouanine (1963),H.Gastaut(1978),P.H.A.Voskukil(1983) の論文を典拠にドストエフスキーの病歴の解説。また、アンナ夫人、ストラーコフ、ソフィア・コヴァレフスカヤが回想の中で述べた発作の描写、さらに、書簡の1つに書かれた自身の体験が次のように引用されている。「しばらくの間、私はほかのときには体験できないような幸福を感じる。私は自分自身の中と、この世界とに完全な調和を感じる。そしてこの感覚がとにかく強烈で、しかも甘美なため、人は人生の十年間を、あるいはおそらく人生のすべてすら、躊躇なくこの数秒間の楽しみに替えようとするだろう」
4週間後にマギー夫人を診察した。「その後発作があったか、新しい処方の副作用はあったか」などわずかな質問に対して彼女は「ありません」と答えた。それ以上のやりとりは必要なかったが、彼女はドストエフスキーについて話したがった。『白痴』を持参してきており、ムイシュキンの発作の場面を読み始めた。読みながら、彼女の表情全体が変わった。彼女はもはや発作でおこるエクスタシーを恥じる必要はなかった。長い間、彼女の自己意識は汚されていたが、それは解消された。『白痴』によって彼女は回復した。予約の時間は1時間も超過していたが、彼女は『悪霊』も持参していた。彼女はキリーロフとシャートフの会話の場面を読み始めた。私は彼女に「ドストエフスキーはてんかんがあったから偉大な作家になったわけではないが、かといって、それが偉大な作家になるのを妨げたわけでもない」と言った。「でも、てんかんは彼の作品に影響を与えています。それに彼の哲学にも世界観にも」と彼女は抵抗した。「それはもちろん」と私は認めた。「当時は抗てんかん薬はなく、彼の発作はコントロールされたことはなかったのですから」
ドストエフスキーやマギー夫人のような発作はまれではあるが、確かに存在する。私が2,3の文献を教えると彼女は帰っていった。次の診察時間はそれらの症例研究に当てられた。いずれもエクスタシーを伴う発作の症例で、1例は悪性腫瘍があり、別の症例は父親にてんかんがあった。彼女は自分でも1つの論文をみつけてきた。それはF.Cirignottaらの論文であった。この症例の重要性は「エクスタシー・アウラ」が実は患者の右側頭葉での異常な電気的放電として始まる1つの発作そのものであったことを長時間脳波を施行して明らかにした点にあった。「それが複雑部分発作なのですね」と彼女は言った。「私の発作やドストエフスキーの発作のような」「でも今ではすばらしい抗てんかん薬がたくさんあります」と私は彼女に思い出させた。マギー夫人はその後4年間、私の患者になった。彼女の発作を完全に止めることはできなかったが、頻度を年に1回ぐらいに減らすことができた。そしてその1回も、概して彼女が薬を全部きちんと飲まなかったときに起きた。ただ私は、彼女はうっかりしただけだと確信している。100パーセントきちんと服用するなんてほとんど不可能だ。とくに何か月も発作がないときには。
著者(クローアンズ医師)覚書
医学論文として最初にエクスタシー発作を報告したのはゲイネリウスというイタリアの内科医で、1440年のことである。「発作中にいつもすばらしいものを見るという、あるてんかん持ちの若者を私は自分で見たことがある。そのすばらしいものとは、彼が書き留めたいと異常なほど熱望したものであり、かれはそのすばらしいものが将来必ずやってくることを期待していた。そのため、古代文明人はこの病気を<神のお告げ>と呼んだ。」この出典はWilliam G.Lennox,Epilepsy and Related Disorders(Boston:Little Brown,1960)てんかんに関する科学的知識としてはいまではもはや意味をなさない。しかしながら、今日のもっと科学的な教科書が見失ってしまうことが多い、豊富な臨床的経験と歴史的考察においてよく理解できる。
参考:
ドストエフスキーとてんかん/病い 関連資料(ドストエーフキイ全作品を読む会)
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/shiryo.html
編集室
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2017年11月30日~2018年1月31日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。また12月読書会では藤倉孝純著『高橋たか子 地獄をさまよう魂』(彩流社)をご購入くださりありがとうございました。藤倉様より全額をカンパいただきました。厚くお礼申しあげます。
「読書会通信」編集室
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