ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.89 発行:2005.4.1


高見順は『虐げられし人々』を意識したか

『如何なる星の下に』と『虐げられし人々』をめぐって
  

下原 敏彦

前号で、高見順とドストエフスキーの関係について、少しばかり触れた。若いとき高見順の代表作『如何なる星の下に』を読んだとき『虐げられし人々』を彷彿したような気がする。と、いったこと。つまり『如何なる星の下に』は、『虐げられし人々』を意識して書かれたか、といったことである。それが、どうしたと言われればそれまでだが、なんとなく気になったので、今一度、とりあげてみた。物語はすっかり忘れてしまっているが。 

はじめに、この作品を書いた高見順という作家はどんな作家か。恐らくいまの若い人は知らないのでは。この作家のことを説明するとしたら、二昔前になるが、テレビタレントで高見何某という女の子がいた。彼女が孫か血縁者だとかいっていた。現在は、彼女の夫がプロレスラーで国会議員ということぐらいである・・・思い当たるだろうか。文壇的に分ければ戦前、戦中作家か。空襲下でドストエフスキーを読んでいたと日記にあるを記憶している。『波間』という作品は、たしか戦争中、リヤカーで本屋をはじめる話だったか。

さて、問題の『如何なる星の下に』はどんな物語か。浅草を舞台にした下積みの踊り子や漫才師たちとの交流を描いた話。思い浮かぶのはそれくらいで、あとは、きれいさっぱり忘れてしまっていた。唯一、覚えているシーンは、浅草に住む知人文士が飲み屋で、「私」に苦心して書いた小説を編集者に突き返されたと愚痴ったあと、ユーモア小噺を話す場面。

・・・ある寒い夜、知り合いの踊り子の家に用事があって行くと母親らしき婆さんが一人で寝ていた。帰ろうとすると、起きだしてきて「どうぞ、どうぞ」とすすめるのであがった。婆さんは、茶の準備をはじめた。台所へ行って湯を沸かすのかと思っていると、寝ていた煎餅布団の下からボロ布で包んだ湯たんぽを取り出し、どくどくと急須に注いで「どうぞ」と湯たんぽの湯の茶をだした・・・。このへんだけがぽつりと記憶にあるのみである。『虐げられし人々』を彷彿するようなところは、どうにも思い浮かばない。

そんなわけで『如何なる星の下に』を30年ぶりに読み返してみた。物語のようで物語ではない、それでいていわゆる私小説ともいえない不思議な作品。当時は、新しい高見順独自の書き方とみられた。世人は、この作品の文体を「饒舌体」とつけたといわれる。

話は、妻に逃げられた作家(私)が浅草に部屋を借り、ぼんやり向こう空をながめている場面からはじまる。部屋を借りたのは、小説を書くためだが、レヴィウ小屋の踊り子に気に入った娘がいて、彼女をみるためでもあつた。お好み屋に入った私は、そこで店を手伝う元踊り子と知り合いになる。それが糸口となって、浅草の芸人や物書きたちとの交流。浅草の魅力と厳しさ。踊り子たちの逞しさと哀しさ。浅草はいろいろなことを教えてくれる。逃げた妻との因縁も。極めて日常的だが、話の進展は推理仕立てに語られ、妻をめぐる人々の関係が少しずつ判明していく仕組みになっている。印象的に『虐げられし人々』を思わせる箇所はいくつかあるが、『虐げられ』の私が自分の小説を一気に読んで聞かせるあの場面。まったくの想像だがこの感動場面を高見順は映画に置き換えて、こんなふうに展開させている。

・・・私はK劇場の客席の一番うしろの暗がりのなかに立っていた。映画は、――江東の小学校のとある女生徒の綴り方が、妙な具合にジャーナリズムに持て囃され、その少女は一躍天才とさえ言われ、綴り方は脚色され・・・舞台にかけられ映画化された。作家は、この映画を丸の内の映画館で観た。それほど感心しなかったが、次の踊り子のショーを見るために入ったのである。貧乏家族の大晦日の修羅場。丸の内の客は、笑った。が、浅草の客は「けっして笑わないのであった。笑わないどころか、見ると、私の前の、何かの職人のおかみさんらしいのが、すすけた髪のほつれ毛が顔にかかるのにかまわず前掛けで眼を拭っているのである。」私も気がつくと泣いていた・・・。 

とくにこのシーンは強く感じるが、どうだろうか。時間のある人はぜひ一読あれ。今回この作品が昭和14年に発表されたものであることに改めて驚嘆させられた。そのことに感動した。そこにこの作品が名作といわれる所以があるのかも知れない。