ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.146 発行:2014.9.20



「無敵の人」と地下生活者 

下原 敏彦

日本は戦後、凶悪犯罪が大幅に減った。特に減ったのは若い男性の犯罪だ。2012年に殺人で検挙されたのは899人で、50年前の2503人の3分の1ほどになった。29歳以下の男性の割合は、50年前の56%から16%に激減した。この数字が示すように近年、若い人の凶悪事件は減ってきているといわれる。社会が安定してきているからと識者は分析する。だが、動機のないわけのわからない殺人事件は、増えているという。

理由のない不可解な事件とは何か。生きていても仕方がない。自分で死ぬ勇気がないから、死刑になって死にたい。が、死刑になるには殺人を犯さないと――。しかし、日本の法律は一人殺しただけでは死刑にならない。最低2人は殺さなければならないのだ。大勢殺せば、それだけ死刑になる確率が高くなる。そこで無差別殺人を起こす。全くわけのわからない理屈だが、実際に事件は起きて、犯人は、いつもそのように自供している。

この類ですぐに思い浮かぶのは、数年前、秋葉原で起きた通称「アキバ事件」だ。東海地方の自動車会社で派遣社員として働く青年。彼は、自分には友人も恋人もいない。人生の目的もない。そんな理由から上京し秋葉原の交差点の人混みでトラックを暴走させ大勢の人を殺傷した。が、それでも足らず車を降りてから逃げる通行人をナイフで襲い、次ぎ次ぎ刺した。その結果8人の人たちが殺害され、多くの人たちが重軽傷を負った。非道で憎くむべき犯罪である。だが、驚いたことに共感する若者がいた ?!

なんとも奇っ怪で恐ろしい。彼らをつくりだしたのは格差社会だ、という指摘もある。現代が産んだ悪魔か。しかし、昔も、似たような事件があった。昭和44年に起きたピストル連続射殺事件それだ。ガードマン、タクシーの運転手といった人たちが4名も貴い命をなんの理由もなく突然奪われた。逮捕された20歳の若者は、法廷で、事件を起こしたのは貧乏のせいだ、と反論した。そうして『無知の涙』という本を書いた。その本は、ベストセラーになり、印税を被害者家族に渡したという。(拒否した家族もいたという)彼は獄中結婚もした。刑は執行されたが「貧しい育ちで、勉強のチャンスがなかった」と訴えつづけた。人を妬み、恨み、自分の人生を悲観した果てに犯罪に走る。

こうした事件が起きると、よく『地下室人』が引き合いにだされる。8月読書会でも「ひきこもり」「劣等感」「負い目」から一挙に「反撃」「ヒトラー」という言葉もでた。はたして彼らと地下室人は同族なのだろうか。それとも、似て非なるものか。

この夏、人気漫画「黒子のバスケ」裁判を新聞で読んでいたら、上記の事件を思い出した。人気漫画家を妬んで脅迫事件を起こした36歳の青年の新聞記事だ。青年は、犯行動機を、
「人間関係も社会的な地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗」がなかった。と陳述し、そんな自分を「『無敵の人』とネットスラング(ネット上の俗語)」しますと宣言した。そして、「これからの日本社会はこの『無敵の人』が増えこそすれ減りはしません」と述べた。この意見陳述は、波紋を広げた。「無敵の人」に怒る人もいたが、社会はどう受け止めるべきかと、真剣に議論する人もあらわれた。

陳述書を全文掲載した雑誌「創」編集長の篠田博之さん(62)が、逮捕直後に初めて接見したとき被告は「これは格差犯罪です」と話したという。被告は、地元の進学校を卒業後、大学受験に失敗。アルバイトや派遣の仕事を転々とした。年収が200万円を超えたことはなかった。年齢が30代後半になって、逆転も不可能だと思え、将来に希望が持てなくなった。それでたまたまみた人気漫画家が憎くなった。一見、スマホやゲーム時代故に起きた事件のように見える。が、人の成功を妬んでは、よくある古典的事件と代わりはない。

いずれにせよ「人間を殺してみたい」や「死刑になりたいから殺す」は、違いはどうあれ、人間の謎である。「地下生活者の手記」と「無敵な人」との対話、秋の夜長に想像してみたい。ちなみに先の対談では、現代風俗嬢に敗北している。