下原敏彦の著作
ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.144   発行:2014.6.20



ある晴れた日に 中津川一家五人殺人事件の闇

下原 敏彦

5月はじめの夜、NHKである殺人事件のドキュメンタリーをみた。9年前、中部地方のある都市で起きた親族間殺人事件の謎を追った番組だった。(番組制作者は、どうしても事件の真相を知りたかったという。それほどに事件は謎に満ちていた。)

事件の概要は、このようであった。2月27日の早朝、被告は、日帰り旅行に出かける妻を最寄り駅に送った。彼は、57歳で、この町の老人福祉施設の事務長を務めていた。温厚な性格で、面倒見よかった。人に好かれ、地域では「先生」と呼ばれていた。地元警察からの信頼も厚く、このときは警察犬2頭の調教を嘱託されていた。

彼の家は、市内の閑静な住宅街にあった。広い建坪に手入れされた庭木。2階建ての立派な自宅。85歳の母親と、54歳の妻、整体業の長男の4人暮らしだった。が、この日は、嫁いだ長女(30歳)と夫(33歳)、その子ども2歳男児と生後3週間の女児。そして警察犬2頭がいた。長女は出産のために里帰りしていた。事務長は、2歳の孫を可愛がっていた。第2子が女の子だったので、喜びもひとしおだったようだ。経済的にもめぐまれ、人も羨む明るい、希望に満ちた幸せな家族・家庭だった。

「夕方、迎えにくるから」事務長は、そう言って笑顔で妻を見送り帰路についた。途中、彼の頭にあったのは、「アレができるだろうか」ではなく「アレを実行せねば」だった。
 
青空が山間にひろがっていた。いつもと変わらぬ穏やかな日。が、一つだけ異変があった。事務長が昼になっても出勤しない。無断欠席はしたことがない。変に思った職員は、様子を見に彼の自宅に向かった。その頃、警察に事務長宅近くで男性が腹部を刺されて倒れているとの通報。全治2週間のけがを負った娘婿だった。

事務長の自宅に着いた職員は、驚愕した。長女と2歳の息子、生後3週間の赤子、祖母、長男の5人が死んでいた。5人とも絞殺だった。他に、刺殺された2頭の警察犬が。

事務長は、空の浴槽のなかに隠れていた。首に包丁が突き刺さっていた。全治3週間の怪我だった。近所でも評判の仲良し家族7人の殺傷。誰が、どんな理由で・・・・。

3月末になって事件は、解決した。逮捕された人物に誰もが驚いた。なんと、5人の家族と2頭の警察犬を殺したのは、その家の主人・事務長だった。なぜ、どんな動機あって。正気の沙汰ではない犯行だったが、精神鑑定の結果は、異常なし。犯行責任能力ありだった。彼は、自分の母親、息子、娘、可愛がっていた孫二人、そして懐いていた警察犬2頭を殺害したあと、自分も死のうとしたが死にきれず、風呂場に隠れていたのだ。頭が変でなければ、いったい、どんな理由があってか。取り調べで事務長は、事件の背景を落ち着いた口調でこのように話した。

自分は、母親と妻との確執に悩んでいた。母親に対する嫌悪感から、一家心中を計画、5人を殺害し、娘婿に「一緒に死んでくれ」と迫って腹部を刺したが、反撃され、逃げ帰って風呂場に隠れた。後悔していないという。

当初は、母親だけ殺して自殺しようと思った。しかし、後に残された家族のことを想うと、「不憫」になって、全員を道連れにすることにした。しかし、妻は、長年連れ添ったことや事件を見届けてもらうために殺害するのをやめた。なんとも自分勝手な、精神異常者としか思えない犯行である。

あまりの異常さに裁判長も動転したようだ。2008年の裁判では死刑判決。翌年の岐阜地裁では無期懲役となった。5人も殺してである。

それにしても、「なぜ」。番組制作者は、面会して尋ねた。「その時は、それしか考えが浮かばなかった」それが彼の答えだった。