ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.138 発行:2013.6.20


「透明な存在」の行方 2冊の本を読んで
『「少年A」14歳の肖像』高山文彦著 新潮社 2001
『「少年A」この子を生んで・・・父と母 悔恨の手記』文藝春秋 2001

下原 敏彦  

毎年、梅雨はじまりの鬱とおしいこの季節になると、あの陰惨な事件を思い出す。そうして、あの存在のことが気になり漠然とした不安に駆られたりする。(最近の新聞報道では、あの存在は、完全に消え去ったように書いてあったが…)

あの事件とは―1997年5月27日未明、神戸市内。新聞配達人は、いつもと同じようにまだ暗闇のなかをオートバイで新聞配達していた。友が丘中学校の前を横切ったとき校門の下に何か置いてあるのを見つけた。黒いビニールの袋で、何かが入っているようだ。

「何だろう」配達人は、気になって引き返し、手にとった。ずっしり重かった。彼は、オ―バイから降りて、恐る恐る中をのぞきこんだ。次の瞬間、息もできないほど驚天した。

日本中を震撼させ、恐怖のどん底に突き落とした、陰惨な猟奇事件のはじまりだった。入っていたのは、三日前行方不明になっていた小六児童の頭部だった。傷つけられた口に警察への挑戦状を咥えさせていた。「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない ・・・」こんな内容の手紙だった。人間業とは思えない犯行。如何なる凶悪犯が…日本中が凍りついた。あざ笑うように犯行声明文が地元新聞社に送られてきた。犯人は気の狂った悪魔か。

しかし、6月28日逮捕されたのは14歳の中学三年生少年Aだった。彼は、二カ月前にも、公園で小学三年の女児を襲い一人を殺し、一人に重傷を負わせていた。妄想にとり憑かれたのか、とり憑かれたふりをしているのか、Aの供述は、自分の心の中に棲む「透明な存在」の仕業だという。しかし、14歳の少年の犯罪ということで当時(もいまも)マスメディアは、この犯罪を謎とした。「なぜ14歳が」「なぜ普通の中学生が」「なぜ平凡で幸せな家庭の子が」などである。
 
しかし、最近、疑問に思った。本当に謎なのだろうか。もしかしてそんな報道に惑わされているだけかも。そんな疑念からもう一度事件に関する本を読んでみた。すると当時はただ驚きでみえなかったが、十数年の歳月で少年Aの人物像が、少し見えた気がした。

彼は、普通の中学生でも、平凡な少年でもなかった。犯罪を犯すべくして犯した人間。謎は、少しも感じないのである。Aは中学では、変質的・病的ワルとして要注意人物だった。教師も相談所の職員もサジを投げるほどの問題人間。猫を何匹も殺し、その舌を塩漬けにして、それを見せて喜ぶ異常性格者だった。

彼を知る誰もが最初の事件発覚直後から少年が犯人と確信していた。学校も家族も児童相談所も疑っていた。つまり「透明な存在」というより、彼自身が犯行者の存在だったのだ。(最近の児童虐待死もそうだが)周囲が、真剣に対処していたらあの悲劇の事件は防げたかも知れない。心の闇の解明より、その人間の観察が重要といえる。そう思うと歴史に「たら」「ねば」はないが、悔やまれるのである。