ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No127 発行:2011.8.2
東電OL殺害事件とドストエフスキー
下原 敏彦
7月20日水曜日の夕刊各紙の一面に大見出しで「東電OL殺害別人DNA」のニュースが報道された。14年も前になるが当時を知る人は、「ああ、あの事件か」と忌まわしい記憶を呼び起こしたに違いない。(関係はないが、今年は東電の社名は厄年のようだ)
この事件については、読書会でも、福井さんがとりあげたことで、記憶にある人も多いと思う。が、なにせ事件が起きたのは1997年。時間の流れの早い現代人にとって、はるか昔の事件簿である。犯人も逮捕され、無期懲役の判決が下りている。そんなことから、今回、冤罪の可能性がでてきたと報道されても、容疑者には気の毒だが人々の関心は、当時ほどではないようだ。現に半月過ぎたいま、新聞に関連記事を探すのは難しい。
しかし、この事件はドストエフスキーを想起する。そのように想像する「通信」編集室では、見過ごすわけにはいかない。そんなわけで、今一度この事件を考察してみた。
はじめに東電OL殺害事件とは何か。1997年3月19日、若者の街、渋谷の空きアパートの一室で発見された死後10日以上経過した娼婦らしい遺体。犯罪都市東京では当初、たいして注目されることはなかった。マスメディアは、遠くペルーで起きている「ペルー日本大使公邸人質事件」や、国内のエイズ裁判、O157とカイワレ大根。3月10日に亡くなった俳優の萬屋錦之助さん(64)などの出来事を話題にしていた。神戸では、3月24日、通り魔に襲われた小学女子二人のうち重体の山下彩花ちゃんが亡くなったニュースを流していた。(二ヶ月後日本中を震撼させた、少年Aの存在と「透明な存在」は、まだ誰も知らなかった)
娼婦らしい被害者は、実は有名私大卒のエリートOLだった。このことがわかるや否やマスメディアはこぞってこの事件にとびついた。週刊誌、テレビのワイドショーなどなど連日、報道された。専門家やコメンティターは勝手な推理を金棒引きした。一ヶ月後、被害者のプライバシーが問われるようになり、過激記事は沈静化していった。かわりに逮捕された彼女の最後の客ネパール人の判決の行方が注目されるようになった。一件落着した。
被害者の謎
3・11以後、(株)東電は、醜態を曝している。が、3・11前は一流中の一流、たとえ木の葉が沈み、太陽が西から昇ろうが、なんら心配ない超優良企業だった。そんな会社の管理職のエリート女子社員が巻き込まれた殺人事件。被害者の私生活が報道されたことで事件は好奇の眼に曝されマスメディアの恰好の餌食となった。
事件そのものは、単純な殺人事件である。春を売る女が金銭トラブルで殺されるのは、珍しいことではない。よくある事件。世間に注目されたのは、被害者女性の身分と行動に多くの謎があったからだ。一流大学出身で一流企業の管理職、亡くなった父親も役員だったという。彼女の容姿も、スマートで美人だったとのスポ記事、週刊誌記事。つまり、だれもが羨む経歴。今流に言えば「下流の宴」ならぬ「上流の宴」に属する家のお嬢様だったからというところか。謎は、そんな名家の地位も教養もある女性が、何故に夜な夜な渋谷で春を売っていたのか。常連の客の話では、金銭はかなりシビアだったという。ということは、彼女は淫欲でも男漁りでもなく本気で春を売っていたのだ。金に困ってもいないのになぜ…。
ここに謎を解くヒントがある、と編集室は推理する。この事件には、実際の犯人の他に彼女を死に至らしめるようしむけた「使嗾者」がいる。奴こそが真犯人(イワンのような)とみている。「使嗾者」とは何か。悪魔は黒と誰が決めたのかは知らないが、奴は透明である。それ故、長い人類の歴史の中で誰にも見られることはなかった。古今東西、いつの時代にも奴は、この惑星に棲んで無敵な生き物人間をいたぶってきた。正体不明のわけのわからない的。人類は、科学という武器で挑んできたが、最後はいつもエクソシストかシャーマン頼みだった。だが、ついに奴の尻尾は目撃された。心の中に妙な存在がいる。(そう、そいつは人間の心を棲み家とするのだ)目撃者は19世紀末のロシアの少年だった。彼の名は、F・ドストエフスキー。後に、そいつの存在を指摘した人間となった。だが、そのとき少年は、まだ知らない。その正体も、そいつが自分の心の中に入ってこようとしているのも。
彼女は、なぜ殺されたのか。いろいろな動機はあると思う。が、編集室が注目するのは、人間同士のやりとりではない。彼女が殺される状態に至ったこと理由である。彼女は、街で春さえ売っていなければ殺されることはなかった。では、なぜ春を売りはじめたのか。
ここで思い浮かぶのはドストエフスキーの父親ミハイルのことである。気むずかしい厳格な性格ながらも下町の慈善病院の医師として貧しい人たちのために尽くした人間だった。やさしい母親の夫でもあり、子供たちに勉強をすすめ、自身も教養あった父親である。そんな人が、なぜ無残な殺され方をしなければならなかったのか。領地の村人に好かれていれば、淫蕩でなければ、死なずにすんだ。そう断言できる。が、ミハイルは豹変した。横暴になった。淫蕩になった。ケチになった。村人から恐れられ憎まれることを愉しむようになった。なぜか、少年ドストエフスキーが、しかと視たのは、奴のしっぽだった。大発見といえる。
人間観察者ドストエフスキーは、子供ながら不安にかられた。そして、こんな手紙を兄に書いている。1838年10月31日の兄への書簡である
「ぼくはお父さんが気の毒でたまりません!不思議な性格!どれくらい不幸を忍んでこられたでしょう!…50年も世の中に暮らしてきながら、人間観は30年前のまま固執していらっしゃるんですからね。幸福なる無知よ。…」
少年ドストエフスキーは、父親の中に、尋常でないものが棲んでいるのを知った。そいつが村民を苦しめている。だが、自分に何ができるのか。このときから存在宇宙の調和を賭けたドストエフスキーと透明な存在との戦いがはじまった。後年、ドストエフスキーは自分の心に棲みついたそいつを追いだし、継子殺人未遂事件を起こした若妻の心にもその存在を見つけ、彼女をシベリア送りから救った。そうして人類に警鐘を鳴らして逝った。
東電OLを死なせたものは何か。当時、エスカレートされた報道合戦のなかで、あるスポーツ紙は、真偽のほどはわからないが彼女の全裸写真を掲載していた。撮られた後ろ姿は見るからに痩せて背骨が浮き出ていた。これが本当の写真なら、彼女は、摂食障害者という推測がつく。食をコントロールし、その人間を死なないまでに痩せ細らす。その依存にとり憑かれた人間は極端に吝嗇化の症状をみせる特質がある。この依存こそ「透明の存在」という名の悪魔といえる。かつて少年ドストエフスキーが目撃した存在である。彼女の死は、たった一人でその存在と戦った末に、不運にも犯罪に巻き込まれたに違いない。
その存在が棲みつくと「…人間の悲惨な状態です。その個体は、彼女自身以下の何ものかになってしまうのです。」アーサー・H・クリブス『思春期やせ症の世界』
東電OL殺害事件から2カ月の後、5月18日の早朝、神戸市内のある小学校の校門前を過ぎようとした新聞配達員は、校門前に置いてあるものに不審を感じ、オートバイを停め近づいた。日本中を恐怖のどん底にたたき落とした大事件のはじまりだった。1997年、この年、透明の存在は、ラスコーリニコフが見たせんもう虫のように、各地で蠢きだしたのだ。
以下は、当時の週刊誌見出し
週間朝日 「殺された慶大出エリートOLの夜の顔」
週間新潮 「渋谷円山町で殺された慶大卒<東電>OL退社後売春」
週間文春 「4年前から渋谷ホテトル嬢だった東電エリート女子社員。恋人が激白 彼女はいつ死んでもいいと言っていた。」