下原敏彦の著作


フセイン拘束 『罪と罰』で正当性立証か
朝日新聞 私の視点 2003.12.27


本紙12月16日夕刊一面中段記事背の見出しに思わず目を見張った。フセイン元大統領「拘束の農家公開」―部屋に「罪と罰」―とあったからだ。最初、フセイン自身の罪と罰のことかと思った。が、読んでみると「ドストエフスキーの『罪と罰』(アラビア語訳)とアラビア語の詩集などが数冊残されていた」とある。あのフセインがドストエフスキーを読んでいた!まさに青天の霹靂。おそらくドストエフスキーを愛読する誰もがこのニュースに衝撃を受けたに違いない。むろん独裁者でも小説は読むだろう。フセイン自身も小説を書いたことがあるという。所持品の中に世界名作本があっても不思議はない。がしかし、ドストエフスキー文学を愛読するものとしては、その中にドストエフスキーだけは絶対にない。たとえ木の葉が沈み、石が流れてもあるはずがない。そう固く信じていたのである。

ドストエフスキー作品は、読むものに「自由」と「個」の種を植え付ける書である。人間はどうしたら幸せに暮らせるのかを考えさせる書でもある。それ故に、支配するもの、組織するものからは疎まれ敬遠されてきた。旧ソ連時代は、長らく陽の目を見なかった。一つの宗教色に染まる中東においても、ドストエフスキーは忌み嫌われる書と思われた。確かイラン・イラク戦争の最中であった。茶の間に、爆撃されたテヘラン市街がテレビニュースで流れたことがあった。瓦礫の山をカメラは、ゆっくりと映していた。が、画像が一瞬停止した。映っていたのはドストエフスキーの顔写真が刷られた本だった。撮影者が意識したのか、たんなる偶然か。このときの感動を作家阿部公房は「瓦礫の下のドストエフスキー」と題して新聞に書いた。宗教に支配された国にも、ドストエフスキーを読んでいる人がいる。そのことに希望をもてた、と。それほどにイスラム圏でのドストエフスキーはあり得ない本であった。ところが、こともあろうに独裁者自身が持っていたのである。

なぜ、フセインの隠れ小屋にドストエフスキー作品があったのか。「ドストエフスキーの全作品を読む会」を三十年開催している筆者としては、大いに興味ある謎である。『罪と罰』がどうしてあったのか。たまたま差し入れする者が自宅にあった本を持ってきた。そのように想像したいところである。が、ふとこんな考えも浮かぶ。もしかして、この本はフセイン元大統領のバイブルではなかったのか、と。まったく荒唐無稽な考えではあるが、その方が妙に納得できる。人類は幸福になるために哲学、思想、科学、宗教を生みだし創り出してきた。しかし、二十世紀を顧みれば、それらはことごとく失敗に帰したことがわかる。ドストエフスキーは、十九世紀末において、そのことを指摘し予見した唯一の人間であった。アインシュタインはじめニーチェ、トーマス・マンといった歴史の賢人も認めるところである。

『罪と罰』は、自分を非凡人だと思いこんでしまった青年が、世界を救うにはどうしたらよいのか。そのための最初の行動として、金貸しの老婆殺しを実行した。だが、青年は良心の呵責と恋人にすすめられ自首しシベリア送りとなる。が、刑期を終えても改心はしない。青年は尚、その考えは正しいのか正しくないのか悩みつづける。おそらくフセインは、自分の正当性を立証できる唯一の書として『罪と罰』を読んでいたに違いない。彼がドストエフスキー晩年の作品『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたかどうかは知らない。が、この本で主人公の青年は大審問官となって登場し、非凡人思想を高言する。そして、結局は敗北する。
それはまさにイラク国民から「自由」をとりあげ「パン」を与えんとして逮捕されたフセイン自身に重なる。せめてフセインが『カラマーゾフの兄弟』まで読んでいてくれたら真の英雄になり得たのでは。そう想像すると彼が『罪と罰』で止まってしまっていたことが悔やまれる。ドストエフスキーは非凡人にとってはもろ刃の剣でもあるのだ。

そういえばブッシュ大統領就任の際、ローラ夫人は、愛読書は『カラマーゾフの兄弟』。いつも手元に置いて読んでいます。と、自己紹介していた。イラク問題、これがはじまりとすれば終りもドストエフスキー作品だった。不思議な因縁である。ともあれ、イラクを強くするために国民に犠牲を強いたフセイン。イラクを救うためにイラク国民を怒らせるブッシュ大統領。両者に『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフが抱えた人類の問題は、いまだ解けぬ謎としてのしかかっている。ドストエフスキー全作品を読むことをすすめたい。