下原敏彦の著作
ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.190、191 2022


『貧しき人びと』マラソン読書 あの感動をもう一度

 (日本大学芸術学部文芸学科 下原ゼミ/『江古田文学6号 2007』)

〜 軽井沢・ゼミ合宿で体験する1845年5月6日未明の白夜の出来事 〜
  朗読会参加者は、下原ゼミの学生たち(男子3名、女子2名)

下原敏彦


1.なぜ『貧しき人々』を選んだのか?
 
ドストエフスキー文学を代表する作品といえば、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』がある。いずれも世界文学最高峰に位置する長編名作である。ほかにも多くの中短編がある。これら作品群を目指すのに、どの作品から入っていくか。人それぞれ、動機も様々である。では、マラソン朗読になぜ『貧しき人々』を選んだのか。時間的、物理的に手ごろ、ということもあるが、私自身の真の目的は、この作品のデビュー秘話の真相を実証したいという、その一点にあった。

1545年、ロシアのペテルブルグで、『貧しき人々』を世界ではじめて読み終えた若き詩人と作家がいた。彼らは、読了のあと暫し茫然自失状態だったが、次の瞬間、白夜の街に飛び出して行った。作者に会うためだった。明るい白夜とはいえ朝の四時前である。そんな時間に感動のあまり、作者に会いに走る。そんなことが、この世にあるだろうか?それは真実なのか・・・?

私は、偶然この作品の解説を目にした。そのとき、まず、最初に頭に浮かんだのはこの疑問だった。おそらく初めに作品を読もうとしたら、躊躇なく投げ出していたに違いない。この『貧しき人々』のデビュー秘話が、私とドストエフスキーとの出会いだった。

私は、これまで世間で面白いとされる小説を何冊かは読んできた。松本清張の推理もの、司馬遼太郎の歴史小説、大デュマの熱血物語、ポーの怪奇もの、などなど。どれも我を忘れさせてくれた。だが、すぐさま作者に会いに行きたい、そんな気持は起きなかった。読み終えた途端作者のもとに走らせる。そんな物語があるのか。正しい読書動機とはいえないが、これが私の読書の旅のはじまりだった。そうして読んだ結果は、その通りだった。「こんな本がこの世にあるのか」私は、驚き、感動し、ドストエフスキーのすばらしさを知った。街にでて誰彼かまわずこの本をすすめたい、教えたい、そんな衝動に駆られた。

しかし、あれから35年。私は、いまだ私と同様の体験した人に会ったことがない。ドストエフスキー読者が熱く語るのは『地下生活者の手記』『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』が多かった。作家や研究者でも『貧しき人々』について言及している人は、はるか昔に宮本百合子が『貧しき人々の群れ』を書いたのと、先ごろ出版された『21世紀ドストエフスキーがやってくる』の「私とドストエフスキー」のなかで作家の井上ひさしが『貧しき人々』をよく読むのは、この処女作にドストエフスキーのすべてがあるからで・・・と述べているぐらいか。他にこの作品について、語っている人の話は、あまり聞かない。

あの衝撃的なデビュー秘話は、はたして真実だったのか。それとも19世紀ロシアのペテルブルグでしか起きえなかった白夜の夢物語か。たんに私の思い込みに過ぎなかったのか。そんな疑念が絶えず頭に浮かんでは消えた。この伝説の真相に迫りたい。学生たちと共に再体験したい。そんな理由から、第一にこの作品をとりあげることにした。真夏の軽井沢の夜、『貧しき人々』に挑戦する学生たちは、果たして162年前のロシア、ペテルブルグの若き詩人と作家が体験した白夜の感動を得られるだろうか。35年前の私と同じ衝撃を受けることができるだろうか。「時空体験ツアー」で挑戦してもらうことにした。本論は、その体験ツアーの記録の報告である。なお、この試みにあたって、あの日の白夜の感動体験とはいったいどんなものだったのか、当時の証言を拾ってみる。


2.162年前のペテルブルグ白夜の出来事

時は1845年5月6日未明、ロシアの首都ペテルブルグ。昼間のように明るい白夜の街を、興奮した様子で駆けていく2人の青年がいた。一人は若手作家のD・V・グリゴローヴィチ(ドストエフスキーの友人。後年、文壇長老としてチェーホフなど若手作家を育てた)、もう一人は当時ロシアを代表する詩人で編集出版人でもあるN・A・ネクラーソフ(1821-78)。二人は、ドストエフスキーの下宿に飛び込むと、寝かかっていたドストエフスキー(24)をたたき起こした。「寝ている場合じゃない!」。彼らは、『貧しき人々』を読み終えるとすぐその足で会いにきたのだ。文豪ドストエフスキー誕生の衝撃デビューのエピソードである。この場面をドストエフスキーは、後に『作家の日記』のなかで、次のように回想している。

1845年5月5日。午前4時ごろ、昼のように明るいペテルブルグの白夜であった。ちょうど素晴らしい気持ちのよい気候だったので、わたしは自分の部屋に入っても床につかず、窓を開けて、窓際に腰をおろした。とつぜんけたたましいベルの音がして、わたしをひと通りならず驚かした。やがてグリゴローヴィチとネクラーソフが、歓喜の絶頂といった様子で、わたしに飛びかかって抱擁しはじめる。二人とも、ほとんど泣かないばかりなのである。彼らは前の晩、早く家に帰って来て、わたしの原稿を取り出し、試しに読みはじめた。「10ページも読んだら見当がつくだろう」というわけだったのである。けれども10ページ読んでしまうと、さらにもう10ページ読むことにした。それからは、もう原稿を手から放すことができず、一人が疲れると、代わって朗読するというふうにしながら、とうとう朝まですわり通してしまったのであった。(『作家の日記 1877年1月』 米川正夫訳 )

P.V.アンネンコフ『文学的回想』にはベリンスキーの絶賛のことばが記されている。

「急いで来たまえ、ニュースがあるんだよ」とベリンスキーは大きな声で言った。・・・・・「これで二日間、この原稿から離れられないってわけさ。これは、新人の小説なんだがね。その男がどんな見てくれをしているのやら、どの程度のことを考えているのやら、まだ知らないんだけれど、小説は、この男以前には誰一人思いも及ばなかったような、ロシアの生活とさまざまな人間の性格の秘密をあばいたものだ。これはわが国で初めての社会的小説の試みだ。そしてその試みを実行する者自身は、自分のやっていることがどういうことなのか気づいてもいない。この試みは、そういう、芸術家がいつもやるやり方でなされたのだよ。(典拠:『ドストエフスキー 写真と記録』中村健之介 編訳)


3.デビュー秘話実証を試みる

無名の若者がはじめて書いた小説『貧しき人々』は、当時、名のある作家、詩人、評論家といった知識人たちに大きな感銘を与えたのである。今日、これほど絶賛された小説作品があるだろうか。

162年前、白夜のペテルブルグでの出来事。グリゴローヴィチとネクラーソフの感動体験。その真相を確認するために、また、その体験を再体験するため、下原ゼミはゼミ合宿において『貧しき人々』のマラソン読書を計画した。果たして1845年5月6日未明に起きた出来事は真実だったのか。時空体験ツアーのマラソン読書で、162年前の感動と興奮を今一度再体験できるだろうか、まずは挑戦してみよう。参加者は、2007年下原ゼミ五人衆である。全員が前期授業での名作朗読と紙芝居稽古で朗読は経験済みである。

『貧しき人々』全文朗読会の参加者は、日本大学芸術学部文芸学科の下原ゼミの学生5名(男子3名女子2名)である。

A子  一見かよわそうだが信念は強い。ガイダンスでの朗読ふるいに残った前橋っ子。前橋といえば萩原朔太郎。朔太郎といえばドストエフスキーである。今春『ダヴィンチ・コード』を読了。時空ツアーでは、レイアヒメ。
S子 ハスキー声が魅力。映画「ハムナプトラ(失われた砂漠の都)」を彷彿する冒険娘。昨夏は、タクラマカン砂漠をラクダに揺られ彷徨った。今春は自転車で四国一周。『クレイジー・ガール』のパワフルさに魅かれる。
K平  大きな体格とボサボサ頭がトレードマーク。顔いっぱいひろがる人なっこい笑顔が場を和ませる。話し出したらとまらない弁舌過剰な面もある。DJとも呼ばれている。南方熊楠が愛読書。未知の旅には、頼りになりそう。
U作  根は理工系。ドストエフスキー『地下生活者』的傾向。ゲーム物語作成や創作が趣味。ポーカフェイスだが、融和性あり。酔うと女形を披露する特技。『アーサー王の死』など歴史ものが好み。朗読に適したバリトン低音。 
Y裕  道産子ボヘミアン。か細い身体だが健康優良児。チャランポランふうに見えて根はしっかりしている。ムイシュキンと寅さんの魂を持つ明るいキャラ。『リング』や『ポケット怪談』などの怖い話が好き。 

まさに五者五様。愛読書も違う。それぞれに個性的なメンバーである。果たして彼らは、この時空体験ツアーで、作品を読了して、あの日の感動を体験することができるだろうか・・・。


4.『貧しき人びと』マラソン読書の行程


1)前哨


出発前夜
星降る信濃の夜に、無粋な試みが始まる。『貧しき人々』は、400字詰原稿用紙に換算すれば約800枚前後の中編書簡小説である。一夜にリレーで読破するにはいささか長い。果たして、学生諸君は読みきることができるだろうか。辟易し投げ出すのでは?そんな懸念もある。が、「とにかく読んでみよう!」と、すすめるしかない。退屈するか、夢中になるか。いずれにせよ、読んでみなければはじまらないのだ。

午後1時00分 
集合時間午後一時きっかり、全員が軽井沢駅の改札前に集まった。前橋のレイアヒメA子は、軽井沢には「学校に行くより近かったです」と余裕顔。自宅が千葉県の成田の先で、一番遠くからきたDJことK平は、朝七時に「お土産、やくそくね」と小学生の妹に見送られて家をでて普通列車とバスを乗り継いで来たと眠たそう。三鷹の自宅からのU作は、いつものポーカーフェイスだが、このところ徹夜がつづいたとツアーに、ちょっぴり不安をみせた。が、変わらぬ冷静さぶりに期待。ハムラプトラS子は、いつもの朗らかさ。道産子ボヘミアンY裕は、小鳥絵柄のTシャツで登場。カバンの中に子リスのような人形を持っていて、皆の興味を集めた。二人のコンビが爆笑を誘い皆の気持を楽にした。

午後1時15分 
駅前の食堂に入り昼食。DJことK平は、にしんそばを注文。一番最初に運ばれてきた。なぜ信州にきて、にしんか?自問自答しながら食べる。電車の中で菓子をポリポリ食べてきたハムラプトラS子は、おでんを注文。レイアヒメA子は、親子丼。痩せ身のバリトンU作と道産子ボヘミアンY裕は、体力づくりでカツ丼。料理人が不慣れか、火元が一ヶ所しか使用できないか。間隔を置いて注文料理が一品づつ運ばれてくる。Y裕は、手持ち無沙汰でメニューをながめていたが、突如「こけももって何ですか」と、たずねた。

「やまもものことですよ」歳のいった店の人が答えた。一番先に食べ終わったDJことK平は、家族の話をはじめる。一回り歳の離れた妹を可愛がっている、よき兄貴ぶりが目に浮かぶ。皆も親兄弟姉妹のことを話す。家族の話がでるのは、お互い気を許してきた証拠。人跡未踏の時空体験ツアーである。チームワークが大切。よい兆候とみた。軽井沢の日大研修施設を知っているのは、U作とK平だった。二人の案内で炎天下を歩いて行った。長い道のりだが、5人の愉快なおしゃべりは団結をいっそう強くした。コンビニで菓子を買う。

午後2時30分 
日本大学軽井沢研修施設に到着。会議室を予約。夕食、睡眠、懇親会に費やす時間を考え、明日の正午まで借りる。一端解散。

午後3時00分 
施設玄関前に集合。マラソン読書は格闘技だ!ということで玄関前広場にて準備体操、自彊術、気功を行う。が、この先を考えて簡単に終える。

午後3時20分 
研修所二階にある会議室に集合。五人衆、手にペットボトルのお茶を持ち入室。皆、ちょっぴり緊張の面持ち。長テーブルを二つあわせて会場をつくる。収容人数40人だが、これから始まる時空探検の迫力か6人でも広さは感じられなかった。

各人思い思いの椅子に着席。マラソン朗読会開始。テキストとなる作品『貧しき人びと』(江川卓訳 集英社)のコピー原稿を全員に配布。四段組み印刷でA4で72枚になる。表紙に「1845年5月6日未明ロシア・ペテルブルグでの感動をいま一度」とある。162年前、手書きの作品をドストエフスキーから受け取ったグリゴローヴィチ、ネクラーソフの心境が頭に浮かぶ。「いったい、なにが書いてあるのだ?」と、彼らは思ったに違いない。興味や期待よりうんざりした気持が勝っていたのかも。2007年の五人衆もいまは、同じ思いにあるに違いない。空気を察して、(主催の)私は、こう挨拶した。

「ドストエフスキーの作品は、どの作品も常に現在です。この書簡小説も、現在のメール作品といっても過言ではありません。そこにドストエフスキー作品の普遍性、予見性があります。いまから162年前、ロシアの若き詩人と作家は、夜通し、この物語を声をあげて読みあいました。はじめのうち彼らは、何だ、こんなもの。あと10枚、あと5枚でポイしようと思いながら読んでいたそうです。しかし、気がつくと、夢中で読み合っていたのです。そして、読み終わった途端、彼らは作者のもとに駆けていったのです。皆さんも、今から挑戦しますが、はたして、162年前の彼らと、同じ気持ちを味わうことができるでしょうか。彼らのように感動にむせぶのか。それとも、あまりの退屈さに、途中放棄するか。いずれでしょうか。とにもかくにも読んでみましょう!」

このあと私は、司会進行を、道産子ボヘミアンのY裕に任せた。長時間の朗読挑戦でもあり、皆をまとめ引っ張っていくには、だれの性格が一番向いているか、迷った。が、迷ったときは、いつもどおりがよい。ということで授業での順番どおりY裕を指名した。彼は、茶目っ気と真面目さが混同する見た目より複雑な性格。それだけに、このマラソン朗読会をどうまとめ進めてゆくか、予想はつかなかったが、面白みもあった。

さあ、はじめてください。私は、時空体験ツアー出発を宣言した。


2)好調な旅立ち

午後3時30分 
では、はじめます。道産子ボヘミアンY裕は、声高に宣言してトップバッターに、DJこと熊楠好きのK平を指名した。「おう、そうきたか」K平は、臆することなくいきなり大きな声で、イントネーションをつけながらV.F.オドエフスキー公爵の序文から朗読をはじめた。

おお、なんたる物語作者たちだ!なにか有益な、愉快な、心楽しませる話でも書くことか、こともあろうにこの世のいっさいの秘密をほじくり出すなんて・・・

40人収容の会議室は、暗黒の異次元に突入した。1845年はどっちだ!?

四月八日 だいじなだいじな私のワルワーラ・アレクセーヴナさま!きのう私は幸福でした!ただもう幸福でした。どうしようもなく幸福でした・・・

DJことK平を一番手にしたことが功を奏した。演技性のある読みが、一気に全員を時空に引き込んだようだ。つづいてのレイアヒメA子は、棒読みながら既に現三次元世界からは乖離していた。三番手のバリトンU作は低音で、時空の暗黒空間をイメージさせた。ハムラプトラS子のハスキー声は古代都市の神秘性を醸し出していた。

お願いですから私のことを心配したり、苦情を言ったりしないように。では、さようなら、いとしい人。あなたのもっとも卑しい僕にして もっとも忠実な友 マカール・ジェーヴシキン

一巡目のトリとなった道産子ボヘミアンY裕は、起立して最初の長い長いジェーヴシキンの手紙を高低をつけたテノールと体を揺らした得意の即興演技で締めくくった。

すべりだしは上々、満点の旅立ちといえた。が、長いレースである。油断は禁物。そんな余裕の心配をよそに五人衆は快調に読み進めていった。Y裕の司会進行の割り振りも板についてきた。


3)暗中模索

午後4時30分 
読み始めて一時間が経過した。「これって何なんだ?!」だれかのつぶやきに、同調のため息。ワルワーラとジェーヴシキンとの手紙の内容が、まだ把握しきれていないようだ。勇んで飛び出した時空だが、道筋はまだ見えない。時空探検隊は、真っ暗な闇の中を依然、手探り状態で進んでいた。ついにハムラプトラS子が「アンナ・フョーロヴ
×××わァ〜、ロシア人の名前って言いにくい!」と、悲鳴をあげた。登場人物の名前が障害になっている。誰もがまだ、物語の流れに入っていない。「いったい、どうしろというのだ」 いまいましそうな舌打ちも聞こえる。手紙は、中年男ジェーヴシキンのアパートの間取りや下宿人たちのねちねちした紹介が終わると、今度はひたすら贈り物攻勢がつづく。

愛するワーレンカ!葡萄をすこしばかり送ります・・・ 

「なんだ、このおじさん、ストーカーかよ!」あきれ声がこぼれた。たいていの読者は、このあたりで見切りをつけてしまうかも。だが、時空体験ツアーは進むしかない。挑戦が目的の旅である。いまだ暗中模索だが、皆、確実に一歩一歩、歩を進めていた。バリトンU作は、ポーカーフェイスながら声優っぽい読みで健闘した。


4)見え始めた道標

午後5時00分 
開始から一時間半。朗読する声が、なんとなく平板になった。司会の道産子ボヘミアンY裕もDJことK平も相変わらず声は大きいが、思い出したようにイントネーションをつけるだけとなった。早くも疲れてきたのか。飛ばしすぎか。はじめそう思って不安になった。が、観察すると、まんざらそうでもないようだ。少しずつ物語の中に入っているようにも見える。五人衆の表情が、なんとなく真剣になっている。ため息も聞こえてこない。物語に興味を持ち始めたようだ。

父が亡くなったとき、私はやっとまだ十四歳だった。私の生涯でいちばんしあわせだった幼年時代 ――

ワルワーラのノートに書かれた「私の人生の出来事」に入ると、濃い霧で閉ざされていた時空への道がすこしずつ見え始めたような、そんな感が見て取れた。次の道標を求めて足が速くなるように、朗読速度が幾分速くなった。

私たちの家に時折り一人の老人が姿を見せた。薄汚くて、みすぼらしい身なりをして、ちんちくりんで、胡麻塩頭で、もっそりして、ぎくしゃくして、要するに、なんとも妙ちきりんな老人だった。

物語が最初のクライマックスに入りかけた場面、貧乏大学生の父親が登場したところだった。皆の意識は、あきらかに退屈さを通り越していた。162年前の、白夜の2人の気持を感じはじめている・・・。そのような兆候を感じた。

老人にはずいぶん長いこと私の言うことが呑み込めなかった。

突然、チャイムが鳴った。前半、2時間半の走りが終わった。全員からフーと大きなため息。が、忍耐より、充実感あふれるため息だった。
「おじいさん、死んじゃうのかなあ・・・」ボヘミアンY裕がつぶやいた。
やがて、皆は無言で立ち上がって部屋を出た。どうやら、夕食が頭を占めているようだ。この後、どうするのか。この時空ツアーをつづけるのか。それとも一端中断して明日、午前中にするのか。すべては、彼らに任せることにした。

午後6時00分 
食堂は、どこにこんなにいたのかと思うほど大勢の学生や大学関係者で賑わっていた。料理はバイキング。美味しかった。朗読の話は一切でず、皆、食べるのに夢中だった。夕食の後は風呂に入った。なぜか風呂は空いていた。

午後8時00分 
食堂に集合。懇親会を開く。コンビニで買ってきた菓子を肴に歓談。DJことK平のボサボサ頭に蝿が一匹たかって離れない。それを見たレイアヒメA子とハムラプトラS子が笑い転げる。2時間ばかり、和気藹々とした団らんが続いたが、『貧しき人びと』の話はでない。しかし、早く読みたい、そんな空気がなんとなく感じられる。他のグループのテーブルには、人数の3倍ほどの量の缶ビールが並べられている。今日の日程は完了、後は飲んで寝るだけ、そんな気楽な様子である。しかし、我らが五人衆の心は会議室に残っているようにも見える。隣席の人に頼んで記念撮影をした。その直後「さあ、やるか!」とDJことK平が元気な声を張り上げた。時空体験ツアーの添乗員としては、残りは明日の午前中でもいいか、という気持もあったので、続行に決まってうれしく思った。


5)あの感動を今一度

午後10時00分 
会議室にふたたび集合。早く来た順に座ったので、さっきと席の位置が変わった。奥に前橋のレイアヒメA子、向かい合ってハムラプトラS子、DJことK平、そしてバリトンU作、道産子ボヘミアンY裕の順に着席した。皆の表情は、明るく覇気があった。何かが吹っ切れた感じ。司会進行は、長時間ではあるが、流れに慣れた船頭に、ということで、引き続き道産子ボヘミアンY裕に任せた。

「はてさて、かのおじいさんの運命やいかに?」司会のY裕は、浪曲調に一声あげて、レイアヒメA子を指名した。

私は老人がすっかり気の毒になった。そしてもう迷うこともなかった・・・
 
かくてマラソン朗読会は、再び開始された。まだ、3分の1も走り抜けていない。コピーはまだ50枚はある。しかし、全員とも1845年5月6日に降り立って、ネクラーソフとグリゴローヴィチの感動を少しずつ感じはじめているようだ。

午後10時10分 
最初の衝撃がやってきた。

私の不幸は、ポクロフスキーの病と死からはじまったのだ・・・

「えっ!死んでしまうの?!」道産子ボヘミアンY裕が思わず絶句した。
 このあたりから、朗読は、鈍行から準急、急行、そして特急へと、一気に加速度をつけていった。完全に最初の狭き門を潜り抜けた感があった。それに続くのが子供を亡くした家族の話である。小さな棺を前にした母親、姉妹、父親の様子が丁寧に書かれている。貧乏のどん底にある家族にふりかかる不幸。

ただ見ているしかなかった・・・

「可哀そう・・・」のつぶやき。作者の観察眼は、確実に読者の心をつかみつつあった。しかし、つづく書簡は、イワン雷帝時代のコサックの小説の話。少々長い説明がつづくので、気持が離れてしまうのでは、と懸念した。が、あとで聞いたところによると、自分の手紙の書き方に思いを重ねていた人もいた。「ガンダムについて、ぼくも、こんなふうに友達に説明して書いていたときもあった」DJことK平は、後でなつかしそうに述懐していた。

午後11時30分 
はじめてから4時間になった。コピーは30枚を過ぎた。物語は中盤にさしかかっている。どの辺りで打ち切ろうか。零時過ぎまで続けられるだろうか。そんな心配をしていると、司会のY裕も気になってきたようだ。残りの枚数を数え始めた。それを見てハムラプトラS子も、数えはじめた。他の皆も厚さを確かめている。が、皆、一方で物語の展開を知りたいようだ。「どうなるのだろうか〜」そんなつぶやきが聞こえた。4時間半で約半分だが、スピードはアップしている。いけるところまで行ってみよう。そう思った。
「このぶんなら、今晩中に読みきれますよ」
「そうしましょう」
「読んでしまいましょう」皆、口々に言った。
「じゃあ、そうしましょう。行けるところまで」私は、大きく頷いた。
 実を言うと、私も、先が知りたくなっていた。既に何度か読んでいるが、次々と新しい考えが想起されるのだ。

あなたが私のためにお金に困っていらっしゃるのに、最後の一カペイカまで投げ出して、私のために使っていらっしゃるのが、私にわからないとでもお思いですか?

このくだりで、私の頭を過ぎったのは、マリーネ・ディートリッヒの『嘆きの天使』(1930 ジョセフ・スタンバーグ監督)だった。安キャバレーのダンサーに貢いで破滅していく教授。もしかしたら、この作品のジェーヴシキンが映画のモデルではなどと想像した。


6)軽井沢の夜は更けて 8月4日から5日に

手紙の内容は、マカール・ジェーヴシキンの生活が下り坂を転げるように破綻へ向かっている場面。読み手は、気になってか、他の人の朗読を聞きながらも、先に目を走らせている。

零時00分 
「ただいま零時です」いきなり司会のY裕が言った。「トイレ休憩にしましょう」廊下にでると研修所内は、長いすで缶ビールを飲み合っているグループが2組いたが、あとは寝静まっていた。トイレから戻った皆は、黒板にワルワーラやジェーヴシキンの似顔絵を漫画ふうに描きだした。皆、それなりに描けている。作品世界にすっかり浸っている。

8月5日零時05分 
全員そろうと再び着席。感動の度合いはいざ知らず、皆、物語の世界に入っているのは確かなようだ。

なにしろ借金ができないとたいへんなのです!主婦は追いたてをくわさんばかりで、食事も出そうとしません・・・

手紙の内容は、若い女の子に貢ぎすぎて生活が立ちいかなくなった中年男の愚痴がつづく。
「ああ、いわんこっちゃないよ。このおっさん〜」同情の声がちらほら。

午前2時00分 
朗読開始から6時間半が経過。全体的に疲れてきた印象。司会の道産子ボヘミアンY裕はスタート時とまったく変わらない。体力のあるDJことK平も、まだ演技をする余裕を見せる。
「どうなるんだろう、この先・・・」皆のあいだからこんなつぶやきが漏れた。どういう意味だろう? もう、早く終わりにしたいという思いか、それとも、詩人ネクラーソフたちの心を貫いた感動にジワリジワリと感染してきたのか。

レイアヒメA子はコピー原稿に顔を伏せるようになった。眠ってしまったのか、と思いきや、順番がくると、行を間違えることなく読み出した。

午前2時30分 
バリトンU作が急速に精彩をなくしてきた。あれほどに演技をつけて読んでいたのが、いつのまにか、バトンを受け取っても棒読みをするようになった。あとで聞いたところによると、彼はここ2日ばかり、あまり眠っていなかったとのこと。これまではポーカーフェイスで保ってきたが、さすがに体力の限界が近づいたようだ。しかし、辛さを押さえて必死でバトンを繋いでいた。そして、朗読開始から7時間。ついに最後の書簡になった。「なんだよ、なんだ。こんな結末かよ〜」一斉に驚きの悲嘆声が上がった。

9月30日 かけがいのない私の友・・・何もかも終わりました!わたしの運命は定まったのです・・・私の胸はいま涙でいっぱいです、涙で・・・

「可哀そうだなあ、このおじさん」道産子ボヘミアンY裕はつぶやいて起立すると大声で言った。「さあ最後だ、あとはぼくが読みます」

・・・ああ、なつかしいあなた、文章なんて問題じゃない!現にいまだって、私は何を書いているのかわからないんですから、何ひとつ、どうしたってわからないんです、読み返しもしません、文章も直しません、ただ書くためだけに、あなたにすこしでも多く書きたいためだけに書いているんです・・・私の小鳩さん、なつかしい、いとしいあなた!

午前3時00分 
読了した。一瞬の沈黙のあと、時計を見る。ちょうど3時だった。テーブル上には疲労感がただよっていたが、それを上回る満足感が溢れていた。総時間7時間半。まさしくマラソン読書であった。はたして162年前、詩人ネクラーソフと作家グリゴローヴィチが体験した熱い感動が再現されるだろうか。確かめるべくもなく皆は、自分の部屋に散っていった。未明のことである。奇しくも、体験ツアーが終了した時刻は、ペテルブルグの2人が白夜の街に飛び出していった時刻であった。


7)時空体験ツアー解散 

8月5日午前10時30分 
バリトンU作の睡眠不足からくる体調不調の回復を待って、全員で研修施設を後にする。炎天下の道を駅に向かう。軽井沢駅北口付近で珈琲店を探す。瀟洒な店が見つかった。客も少なく落ち着いた雰囲気。テラスのテーブルで無事の帰還を祝って休憩した。時空体験ツアーをふり返る。
「一人では無理でしたが、みんなと一緒だったから最後まで読み切れました」
「貧しい人はそこから抜け出ることができないのだ・・・と感じました」
「新しい、今にも通じる物語だと思いました」
「ワルワーラという女性には、いまひとつ理解できないところがあります」
「すごく臨場感ある物語だと感じました。声に出して読んだからだと思います」

8月5日正午 
軽井沢駅にて、時空体験ツアー解散。


5.本当のほんとうの宇宙調和を目指すために (講師まとめ)

ドストエフスキーは、本を買っても実際に読む人は少ないと思われる。ドストエフスキー・ブームといわれる現象は、これまでも何度かあった。が、その都度、本当に読まれていたかといえば、はなはだ疑問である。いつのときも笛吹けども、の感がある。長い、くどい、暗い、の印象が強いドストエフスキー作品である。わかりやすさが好まれる現代においては、人気とは裏腹に、むしろますます敬遠されていく。

しかし、世界の賢者たちの多くは、ドストエフスキーに学んだと公言して憚らなかった。アインシュタインしかり、ニーチェしかりである。川端康成はじめ日本の文学者たちもこぞってドストエフスキーを読むことをすすめてきた。そして、それは新世紀になった今日でも止むことはない。「圧倒された。世の中にこんな小説があるのか」と、述懐する若い作家たちは後を絶たない。

いったいドストエフスキーの、どこがそんなに面白いのか。読み進めればやめられないのか。大きな謎といえる。しかし、その謎解きは困難である。百人の人が読めば百通りの感想がある。謎は無限に湧き出るからである。この謎は、あまたの案内書を読んでも、どんなに優れた研究者に尋ねても答えは得られない。謎解きの道は、ただ一つ、自分で作品を読むことである。とにもかくにも本をひろげて作品と向き合う。そうして、悪戦苦闘しながら読みすすめてみる。それしか方法はないのである。

芸術は何のためにあるのか。研究はなんのためにされるのか。人はなぜ学ぶのか。すべての人びとを幸福にするため。だが、しかし、宗教も、思想も、科学もこの星のあらゆるものを不幸にしてきた。いつの時代にも人間の心は、差別と偏見と欲望に満ちていた。そして、戦争は絶えることはなかった。例えば、団塊世代なら耳になつかしい音楽がある。「花はどこへ行った」やミュージカル『ヘアー』の主題歌「レット・ザ・サンシャイン・イン」である。いずれも反戦歌として世界中で歌われた歌である。だが戦争という悪魔はくり返し現れる。突然に出てくるのではない。時代の積み重ねの中で成長しているのである。

A.C.クラークの小説『2001年 宇宙の旅』で類人猿は、モノリスに触れたその瞬間からホモサピエンスへの道を歩きはじめた。だが、それはこの星を地殻まで血と涙でずぶ濡れにさせ、核汚染させる『反対進化』(ハミルトン)の旅だった。イワンに自分の入場券を返させる世界だった。新世紀、いまこそ人間は生まれ変わらなければならない。森羅万象の調和を目指して、真の進化への道を進まなければならない。

ドストエフスキーこそ、新しいモノリスだ。たとえ読者が理解していなくても、触れたことで、未来に対し本当の意味で争いと憎しみのない世界をつくるチャンスを得たことといえる。

2007年夏、日芸文芸学科下原ゼミの学生諸君が決行した時空体験ツアーは、そのチャンスを獲得するための旅であった。挑戦した学生たちは、モノリスの一端を垣間見ることができただろうか。朝の3時まで夜を徹して読みきった、その真実に希望を見た。