下原敏彦の著作
ドストエーフスキイ広場No.10(2001)
書評「ひがんさの山」(『伊那谷少年記』に収録)
岡村圭太
作者の下原敏彦氏は、ドストエーフスキイ全作品を読む会の世話人で、「読書会通信」を発行されている下原さんである。氏はご郷里の南信州新聞社主催の第6回伊那谷童話大賞に『ひがんさの山』を以って応募、大賞は惜しくも逸せられたものの準大賞と、奇しくも氏の小学校時代の恩師、写真集『一年生』で第一回毎日写真賞を受賞(1955)した熊谷元一氏の名を冠した熊谷元一賞を受賞された。受賞作を一言で要約すれば、南信州の名もなきひがんさの山における兎狩りを初体験した正雄少年の通過儀礼(イニシエーション)・成長の物語で、章別7場面で構成されていて、印象鮮明、作者の文章、小説修行の並々ならぬものを感じさせる秀作で・・・などと下手な紹介をするよりも『ひがんさの山』を読む会でも催して多くの人に直接読んでいただきたい作品である。また、小学校高学年の国語の副読本にでもして、子どもたちが朗読し感想を語り合うのに最適なテキストと思われる。それほど様々なテーマを隠し持っている作品であって、などと逃げをうっていても埒が明かないので、以下書評の真似事をする。
朝、目がさめると正雄はすぐに起きて縁側に出ていった。ぼうこうがいまにも破裂しそうだった。が、それ以上に外の様子が気になった。それで、便所までいくのをズルして部屋の前の雨戸をちょっとだけこじ開けた。とたんに切れるように冷たい外気が縁側に流れ込んだきた。
こうして物語は始まる。文章はきびきび歯切れよく軽快、一貫して感動的な文体となっている。同時に、この後すぐに「踏み石の雪を小便で溶かし」と、いわゆる童話的お行儀を無視、最後までリアリズムを貫く。例えば、父親が兎狩りの鉄砲の弾づくりをする場面では正雄はお父(おとう)が空薬きょうの雷管をはずしとるたびに緊張した。一昨年だったか突然に爆発したことがあったからだ。お父の親指の付け根の肉が吹っ飛び、竹林が描いてあった襖一前に鮮血が飛び散ったからである。一見牧歌的な日常が、このように常に命がけの危険に晒されていることが示され、次章の段沢のオジさの左腕のカギ手のエピソードとともにバーチャルリアリティーが横行する今日に対する異議申し立てとも読める、というより、この異議申し立てが物語の最後まで貫く通奏低音、いやテーマそのものといっても過言ではないだろう。
場面二は兎狩り一行の人物紹介で、お父のいとこの段沢のオジさ、兄弟の前田のオンちゃ、いとこの昭幸さん、そして源伯父さ、初参加の正雄を入れて総勢六人、「皆がそろったところで出がけに一杯やる」シーンや場面五の「昼飯松」でのランチタイムなどを通して、一筆書きながら人物像とその間柄が印象的に描かれ、少年から見た大人の世界が提示される。場面三で正雄は兎を追い立てる勢子(せこ)役に決まり、大人たちに「当てにされているような気がして心細く」なったりするが、場面四では具体的に勢子体験が描かれ、勢子役の大人三人がオーオー、ワーワー騒ぎ始めるものの恥ずかしくて声が出ないでいると「声が聞こえんぞ」と怒鳴られたり、声が出るようになっても転んで凹地に落ち込んで涙があふれたりといった経験をするが、皆も大変な思いをしてきたことがわかり、と正雄少年の揺れ動く心理が手際よく追われている。
場面六は、お父から「今度はついてこい」と言われ、勢子の衆にも「勢子は合格だで」とほめられて、午後から兎を鉄砲で撃つ撃ち手グループにまわった正雄が描かれていく。やがて、兎登場、次第に大きくなる勢子の追い立て声、正雄の心臓の動悸、時間が停まったように静然とした雪景色、銅像のように立ち続ける撃ち手のお父とオンちゃ。走り出す兎、炸裂する銃声音・・・こうした一連が明快な文章で捉えられ、とくに兎の素早い動きが活写されており、対象をとことん見つめる作家の眼が感じられる。逃げられたと思った兎に弾はみごと命中、それを「初仕事」として「つかまえてこい」と言われ「猟犬のように血で汚れた足跡を追ってかけ下りて」行く正雄。
物語のクライマックスにしてフィナーレの場面七で「正雄は、いきなり獲物を見つけ」る。その弱り切った兎の生々しさが一読哀れを誘うが、正雄も「猟犬のように勝ち誇った気持ち」になったり、よたよたと歩いて雪の中にうずくまる兎を見て「不意に可哀そうになった」り「このまま逃がしてやろう」と思い「さあ、逃げろ、早く逃げて行け。正雄は、胸の中で叫んで見守った。じっとしている兎がもどかしかった」りと揺れ動き「どうした、捕まえたか」と遅いので迎えにきたらしいオンちゃに声をかけられると「何か秘密を見つけられたような照れ臭い気持ちになった」りと少年心理の機微をきめ細かに追って心憎いばかりだ。そしていよいよクライマックス。オンちゃは「おめが殺してやれ」と言う。
「殺す!」正雄は驚いて首を振った。「嫌だよ!」
「このままじゃかわいそうじゃないか」オンちゃはそう言って腰のナタを抜くと正雄の手に握らせた。
「さあ、早く死なせてやれ」
<中略>
正雄は覚悟を決めて刃を上にしたナタを振り上げた。それから頭に狙いを定めて、思いっきり振り下ろした。手の中にやわらかな衝撃を感じた。兎は何の抵抗も何の悲鳴もなく、あっけなく横たわった。はじめから死んでいたようにピクリとも動かなかった。
「どうだ、死なせたか」オンちゃが近づいてきた。正雄は小さくうなづいた。口の中が乾いて言葉がでなかった。
「そりゃあよかった。獲物はすぐに殺さんとな。それが猟師ってもんだ」オンちゃは力のこもった声で言った。それを聞いて正雄はうれしくなった。急に元気が出てきた。
いのちを殺す、しかも、いたいけな少年に殺させるといういわゆる童話にはタブーともいうべき光景が淡々と描かれていて感銘深い。当然、人間は生態系維持あるいは食物連鎖ということもあって、兎を殺さなければならない。であれば、獲物として傷つけた以上できるだけ早く殺してやる「それが猟師ってもんだ」が、「それを聞いて正雄はうれしくなった。急に元気が出てきた」と続いているのは唐突すぎ、少年の内面の流れを切断してしまってこの作品の唯一の瑕疵となっている。これを削除しても、軍手を「とると指が血のりで赤く染まっていた。べとべとして気持ちが悪かったが、これで猟師になれたような気がした。正雄は雪をつかむとゴシゴシ洗った。きれいになった手はなんだか大きく見えた」と自然な流れになり無理がない。そして初めて兎殺しという通過儀礼を終えて成長した正雄少年のイメージがさわやかに結ばれるのである。
注記
「ひがんさの山」は第六回伊那谷童話大賞準大賞・熊谷元一受賞作品で、初出は南信州新聞社刊同作品集2(2001)に収載。後に『伊那谷少年記』(2004)に再録された。なお「ひがんさの山」は某予備校の小学6年生向けの国語の試験問題に取り上げられている。