下原敏彦の著作
収録:下原敏彦・下原康子 ドストエフスキーを読みつづけて D文学研究会 2011

初出:江古田文学 62号 2006


架空夜話 ある元娼婦の話 サハリン島のチエーホフ

「ブラゴヴェシチェンスクからは、日本人に―正確に言えば、日本の女を見かけます。それは大きい、奇妙な髪をつけ、美しい胴と、僕の見る限りでは、短い腰とをした小柄なブリネットです。彼女たちの言葉には『ツ』という言葉が多いです。・・・・・」『サハリン書簡』(『チェーホフ全集16』中央公論社 神西清、池田健太郎、原 卓也訳)


先ごろ、ある夢想家からこんな手紙を受け取った。ところで、このあいだの話のつづきだが・・・あのとき君は、A.T.について「むろん彼は、偉大な作家です。間違いなく世界の大文豪の一人です。それに大した男前です。さぞ女性にもてたでしょう。あのグローフのように」などとさんざん褒めちぎったあと、こんなふうにも評していた。「然るにぼくが問題とするのは、この作家に感じる不透明さである。四十四歳という短い生涯に感じる曖昧模糊としたものです。加えて、喀血する体に鞭打っての樺太行です。ぼくがこの作家にたいし、いま一つ親近感を抱けないのは、まさにこの謎めいたところにあるのです」と ―― たしか、こんな疑義を呈していた。

実のところ小生にも君と同じ思いはあった。それだけに君の疑問にたいし、何も答えることができなかった。白旗を掲げるのみであった。いかに小生が夢想家でも、この作家の誰かに言わせれば「カーテンの隙間から外を覗き見するような人生」や突然のサハリン行はいまだ空想できないでいる。謎解けないでいるのである。もっとも、これは一人小生のみがそうではない、「なぜ?」は、この作家の専売特許なのだ。A.T.死して百二年。サハリン行から百十六年、論じた書物は山とあるが、この謎を解いたものはなかった。模糊とした憂鬱とサハリン。これはまさに本人しか知りえない謎。永遠の謎。それが定説だった。

ところが、大いに喜んでくれたまえ、この謎が解けたのです! まったく偶然に判明したのです。先日、小生はある古い手紙を入手した。そこに謎解きのヒントが書かれていたのです。ブラボー!今世紀最大の発見です。もっとも当節、偽装だの偽メールだのと贋作が流行るご時勢である。例の国会におけるメール騒動ではないが、手紙がガセか本物かは、残念ながら証明することはできない。しかし、この手紙が小生の靄を、きれいさっぱり雲散霧消させた。それは真実です。手紙は、古書の中にはさまれていた。いつ書かれたものかは不明。封筒の宛名と差出人の個所が、色あせすっかりかすれていて判読できない。が、便箋の文字はなんとか可能、全文コピーして同封します。きっと、君の疑義を払拭してくれると信じます。ではまた。

追記:ちなみに、手紙を入手した経緯はこのようである。小生は先日、まったく偶然に、日本におけるロシア文学研究者の先駆者の一人、昇曙夢(「のぼりしょうむ」というらしい)の血縁者と知り合いになった。蔵書を尋ねたところ、戦後、進駐軍に押収され、ほとんど残っていないとのこと。が、幸いにして訳書『露西亜文学研究』という本が奇跡的に難を逃れていて借りることができた。明治四十年刊行とあるから相当に古い本である。手紙は、この本の中にあった。便箋に北海道札幌農業学校の印があったから書いた人は、札幌農学校に関係した人とかもしれない。(なにぶん百年以上も前の古いもので破損していて個所もある。判読できない所も多々ある。そのへんは想像で埋めてくれたまえ) 平成18年4月1日  



この春、東京に行った折り貴兄が、露西亜文学なるものに興味をもち、その研究をまとめていると聞いていたので、役に立つかどうかは知らないが、このあいだ、耳にした話を書きしるして送ります。この話は、さきごろ丸山の料亭に行った時、他所から臨時にきていた中年の仲居から聞いた話である。その女というのは、十余年前、樺太にある女郎屋にいた遊女で、露西亜語に堪能とのこと。その夜の宴席は、友人の壮行会であったが、しぜん露西亜の満州占拠への義憤になって「露帝國なにするものぞ」の露西亜糾弾談議に沸いた。皆が帰った後、私は、明後日樺太に旅立つ友人と居残ってなおも気勢をあげていた。「かくも貪欲な熊から断固、樺太、朝鮮を守るべし!」

「打倒ニコライ」私たちは、大陸での露西亜の横暴を非難し、「露助なにするものぞ」と声を大にして露西亜人を口汚く罵った。そうして酔いも回り、気勢も途切れ途切れになったとき、それまで黙ってお酌をしていた中年の仲居が、非難の同意を求められたのを機に「そうどすなあ。けど、露西亜人にもなかには立派な人もおわすどす。みながみな熊ばかりのお方ではございません」と、口をひらいた。「これは異なことを申す」友人は、憤慨して問うた。「どんな熊がいるというのだ」「日本のことを愛している人どす。日本のことならなんでも知っている人どす」「あたり前だ。南下政策をとる露西亜にとって日本は、第一敵国だ。興味がなくてどうする」「違います、その人は日本に憧れ、立派なお考えを持ってたどす」「ふん、露助が何を考えているかわかるもんか」「大方、朝鮮も蝦夷地もすべて食い尽くす算段をしていたのだろう」「そんなじゃありません」女はムキになって言った。「そのお方は、皆が平等で幸せに暮らせる社会を、どうしたらつくれるか。そんな尊いことを考えてたんどす。日本がそんな夢の国ではないかと憧れていたんどす」平等な社会をつくる― 女の口から出た思わぬ言葉に、私も友人も、おもわず黙って耳を傾けた。「日本と露西亜とのこと、あのお方は、いまごろ露西亜のどこかで悲しがっているどす。お会いしたのは一度。でも、わかるんどす」女は、そう言って一期一会の熊のことをなつかしそうに話はじめた。まるで恋しい人の思い出を語るように・・・。

わたしは十八のとき、樺太に売られて行きました。あそこは、露西亜が罪人を送ってくるので人間のはきだめのようなところでした。露西亜人はお役人と犯罪者の家族、それに国事犯(政治犯)を除けば、窃盗、人殺し、強盗、放火魔、誘拐といった凶悪な犯罪者ばかり。そんなところに行くのは恐ろしくて嫌でした。が、借金を早く返せるとの言葉につられて泣く泣くいったのです。ほんとうに「地の果て」、「この世の地獄」と呼ぶにふさわしい土地でした。そんな土地に、はるばるシベリアを旅してやってくる露西亜人は、ろくな人間はいません。金もうけのためか、何か失敗をやらかして、露西亜社会で身の置き所がなくなったか。それに、人生に愛想をつかした人間ぐらいです。要するに物見遊山にくる人間なんて皆無です。そんな土地に、あの露西亜人の青年が、ひよつこりやってきたのです。

それは凍てつく島、樺太にようやく遅い春がきた六月も終わりの頃でした。その日、大陸から着いた汽船の一等客車の客を接待することになりました。前触れでは、わたしの客は、貴族か身分の高い人らしいとのこと。上玉です。でも、どんなに金持ちだろうが、身分が高かろうが、たいていは傲慢で吝嗇。地の果てに来るのがふさわしい人間ばかりです。だから、知らせてきた役人が「モスクワからきた高名な方だ」と言っても、どうせ身を持ち崩した貴族の道楽息子。そんなふうに想像し、早く気をやらせてすまそう。そう考えていました。その客が、案内されて部屋に入ってきた。背の高い、ブロンドの髪に茶色の目をした端正な顔立ち。長旅で濃い髯がのびかかっていましたが、堂々とした体躯、優しげな眼差し。一見、英国紳士然とした印象。男前なので少しほっとしました。でも、土地のものが樺太にくる旅人に決まって言うこと言葉がある。「自分から進んでこんな所へ来る者はいませんよ」(『サハリン島』) である。この貴族のような青年にも、来る羽目になった不祥事が、やむにやまれぬ事情があった。そのようにおもいました。

貴族然としたその客は、わたしを見ていきなり「波止場で歩いていたのは、あなたでしょう」と言って、親しげにしげしげとながめました。よほど着物姿がめずらしかったのでしょう。日本人を見るのははじめてだと言いました。でも、日本については、いろいろのことを知っていました。二十何年前に明治維新があったことや、いま西欧化に向かって、突進していることも。樺太については、こんなことを言っていました。「日本人の間ではサハリンは、中国の島という意味のカラフト、またはカラフトゥとよばれている・・・最初にサハリンを調査しだしたのは日本人であり」(『サハリン島』)など、と、それは詳しく知っているのです。まるで教師のようでした。こんな学のある人が、役人でも国事犯でもないのになぜ、樺太に来るのか。わたしは疑問に思いました。

客は、日本の歴史ばかりか、日本のいまの政治や社会についてもかなり関心を持っていました。「来月、七月に日本では国民選挙が行われるときいているが、おまえはどうするのか」と、聞かれ、そんなことまでと驚きました。「お金持ちの男の方だけどす。うちらには関係ありません」わたしが笑って答えると客は、不思議そうな顔をして「たしか昨年、国民のための憲法が発布されたと聞いたが・・・」と、しきりと首をひねっていました。日本にたいして、なにかすばらしい好印象をいだいている様子でした。そのあと、まだお侍はいるのか。フジヤマは見たことがあるのかなどなど矢玉のように質問を浴びせる。調査にでもきたようでした。他にも「日本には劇場はあるのか」と、お芝居のことをあれこれ聞きたがりました。とにかく、これまでの露西亜人の客とはまるで違っていました。穏やかな口調、学のある話、正直そうな微笑。わたしは、この地にきてはじめてのまっとうな露西亜人、いえ人間に会った気がしました。この世にも尊敬の念をわかせる人間が実際にいることを知りました。

でも、お床入りのとき一寸だけ、鳥肌が立つ思いをさせられました。明かりを消そうとすると、いきなり真顔で「ちょっと見せてほしい」と言うのです。ことの前に、あけすけに秘所をのぞき見たいというのです。これまで、いくら変態の客も、そんなことは言いませんでした。もしかして、この客は異常な変態者。信じかけただけに、がっかりしました。しかし、拒むことはできません。やはり、樺太にくる人間だ。わたしは嘲笑気味に、立てひざした足をひろげました。客は、ランプを引き寄せ、なんの躊躇もなく、覗き込みました。なにか品物を見定める鑑定人のようでした。よほど場なれているのか、眼鏡に手をやって、ぐっと顔を寄せました。なにかされるのでは、怯えてわたしは目をつむりました。「うん、大丈夫だ」客は、ひとりごちて満足げにうなずいただけでした。「なにがで、ございます」わたしは、少し腹が立ってききました。「悪いが、心配だからな。ゆるせ」客は、真面目な顔で謝ったあと、いきなり手をのばして秘所に指先を押しつけた。そうして、その指を自分の鼻先にもってきてくんくんとにおいをかぎながら聞いた。「なにか塗っているのか」「は、はい」わたしは恥ずかしくて顔を伏せたまま答えました。「すべりのよいものを塗っておかないと、恐ろしゅうございます。偉人さんのは・・・」小娘が、熊のような大きな露西亜人を相手にするのです。あちらでは塗り薬は必要不可欠な品物でした。切らしたら食油でもひまし油でも塗って間に合わせないと大変です。偉人さんを相手に商売をする日本の女たちの知恵です。すると客は、おかしそうに「ウタマロにはかなわないぞ」と、笑って言った。「しかし、いかにこの世界、広しといえども赤ん坊の頭以上の持ち物を持っているつわものはいないが」妙に、学問ふうに話すので、わたしも思わず笑ってしまった。病気を確かめたりするのは神経質そうで嫌だけど、なにかいい人のように思えた。わたしは気を許して聞いた。

「モスクワやペテルブルグにも、こんな商売はあるのでしょうか」
「もちろん、あるさ」客は、頷いたあと感慨深げに聞いた。「ソーニャという名の女性を知っているか」
「ソーニャ、ですか。知りません」
「そうか、まだ日本では知られていないのか」
「どなたどす。そのソーニャという女の人?」
「露西亜にある物語のなかにでてくる女性の名前だ」
「すばらしい女性なんどすね、きっと。お姫さまか何かの」
「いや、娼婦なんだ」
「えっ、わたしと同じ?!お女郎・・・」わたしは驚いて聞いた。「近松もの、いえ、恋愛ものどすか。それとも心中ものどすか」
「いや、違う。事件小説だ、青年が金貸しの老婆を殺す、強盗殺人事件さ」
「じゃあ、その娼婦は、悪女なのどすね。青年をそそのかした」
「いや、違う。彼女は、救世主として描かれている」
「えっ!?救世主・・・?!」わたしは混乱しながらも興味をもって再び聞いた。「それは、どんな物語どす。その女性は、どんなわけから娼婦になったんどす」
「家族を救うためさ。酔っ払いのダメ父親と、三人の幼子をかかえる義母。この家族の家計を支えるために娼婦になった。いや、ならされたのだ。そうして、殺人を犯した青年を救うために、シベリアについて行って刑期の終わるまで待つのさ」
「貧しい家庭は、どこも同じどすね。露西亜でも日本でも」わたしはため息ついて言った。そうして、不思議に思って聞いた。
「救うって何から救うのどす」
「青年の頭のなかに棲みついた恐ろしい考えからさ」
「考え?!どんなどす・・・」
「この世は不公平すぎる。不幸な人が多すぎる。だから、みんなが平等に幸せに暮らせる世の中をつくるには、どうしたらいいか。そんな考えさ」
「まあ、立派な考えどす。でも、人殺しは何のために・・・・」
「青年は、自分は将来、英雄になれる人間と思っている。英雄はみんなを救うから何をやってもかまわない。だから、手はじめとして社会のダニのような金貸し老婆を殺す。まずそれができなければ英雄にはなれない。そんなふうに考えたのだ」

英雄だの、凡人だのがでてきて、わたしは、何の話かさっぱりわからなくなりました。が、客は、よほどその物語が好きなのでしょう。なおも一生懸命に説明しようとするのです。「殺人者の青年は、貧乏だったが、お金がほしかったわけじゃあない。自分には世の中をよくする使命がある。そのために、世の中のためにならない、生きている価値の無い人間。物語では、金貸しの老婆のことだが、彼女を殺さなければならなかったのだ。実際には、居合わせた運の悪いいもうとも殺すことになってしまうのだが・・・」何の罪もないお婆さんを二人も殺す。そんなことが許されていいだろうか。世の中のためにならない価値のない人間。わたしもそうだと思うと悲しくなりました。それにしても、こんな話をするなんて、もしかしたら国事犯なのかも知れない。わたしは恐る恐る聞いた。
「お客さまのお仕事は、どんなどす?」
「仕事か」客は、一瞬戸惑った。が、すぐに反対に聞いてきた。「どんな仕事をしているようにみえる」
「さあ、商人には見えませんが。ただ露西亜では、有名な方と聞いていますが」
「有名、そうかもしれない。戯曲や話を書いているからな。しかし、それは本業ではない」
「では、学校の先生・・・」いいかけて、わたしは先ほどの行為が何か診察に似ていたような気がしてあてずっぽうに言ってみた。「もしかしてお医者さま・・・蘭医ではない西欧の」
「おお、大当たり、そうだ。よくわかったな」とたん客は、手を打った。うれしそうだった。
「さきほどのことが・・・」わたしは、恥ずかしくなって上目づかいに言ってから不思議に思って聞いた。「どうしてお医者様とおっしゃらないのです」
「うん、医者は本業だが、作家の方が繁盛している。医者を本妻、文学を妾といったが、いまは、どちらが本業で、どちらがめかけかわからなくなっている」客は、そういって快活に笑った。わたしは、客が、露西亜では有名な人で、かつお医者様にもかかわらず少しも偉ぶらず、こんな異国の遊女にたいしても、本心から話してくれている様子に、感激しました。それで、お床の方は、なんども気をやるほど濃厚にお相手しました。「日本の娼婦は、みなこうなのか」客は、満足しきって聞きました。そうしてコンコンと軽い咳をしながらも、さかんにわたしの玄人技に感嘆していました。

この夜、わたしと客はすっかり打ち解けて、秘事の間に茶を飲みながらいろいろな話をしました。想像しますに、露西亜では、名高いその青年医師は、人に話せない悩みを抱えているようでした。その悩みというのは、この人が持つ崇高な理想のような気がしました。「なぜ、ここに来たのです。サハリンに」わたしは、ふたたび聞きました。知合いも親しい人もいない、こんなところにシベリアを越えて、はるばるやってくるなんて、どうしても合点がいかなかったのです。「困ったな、皆に聞かれる問いだ」客は、茶を飲むと苦笑して言った。「人には、こう説明してきた。すぐ上の兄が病死したこと。私の書いた戯曲が、さんざんだったこと。つまり家族の不幸や、書き物の仕事の行き詰まったから。それから逃れるためと」「でも、ほんとうは違うのどすね」「そうさなあ」青年医師は、言葉を濁して聞いた。「日本人は、皆、きみのように賢いのか。ゴロウニン(『日本幽閉記』)は、賢い国民と書いていたが本当のようだ」「賢いところもありますが、愚かなところもあります」わたしは、言ってから、なおも聞いた。「やはり、ちゃんとした目的があるのですね」「そうだ、二つ、いや三つかな。目的は、ちゃんとある」「どんなことどす。その目的と・・・は」「だれにも話したことがないぞ」青年医師は、ため息をついてちょつとのあいだとび色の目で宙をじっとみつめていた。が、やがて決心したように口をひらいた。

「さっき、人殺しの青年と娼婦の話をしたね。もう二十四年も前に書かれた物語さ。私は、この物語を書いたペテルブルグの作家を尊敬している。この作家は、若いときシベリアの監獄に入れられ、この地で十年も過ごした。そうして囚人たちの調査レポートをかきあげて発表した。私は、ちょうどその年に生まれたのだ。この作家は、十年前、私が二十歳のときに亡くなった。だからわたしの青春はすべてこの作家とともにあったのだ。この作家の言葉、思想に共鳴していた。だが私は、最近、この人の考えに疑問を感じはじめている」「なぜどす。どんな疑問どす?」青年医師は、ちょっとためらった。が、すぐに穴の開いた砂袋の砂が一時にで尽くすようにとめどなく話しはじめた。長年、だれにも言えなかった悩みと迷い。何の関係のない一夜の遊女に話すことで癒しを感じたのかも知れない。
「さっきの世の中をよくする物語。その手段を、この人が否定しているのだ。そのことに気がついたからさ」
「当然どす。人殺しをしてなんて」
「だから、私は最近、露西亜のもう一人の大作家の考えに共鳴しはじめている。この大作家は、世の中をよくするにはキリスト教だというのだ。宗教さえ信じていれば救われる、そう説いているのだ」
「耶蘇をですか。それを信じるのですか」
「いや、私は科学者だ。だから迷い悩むのだ」
「そんな物語がうまれるほど露西亜人は、不幸なんどすか」
「そうだ、いまも街は乞食と娼婦と盗人であふれている。人殺しの青年がいたときよりもっと悪くなっている。貴族は太り、農奴はよりやせ細った」
「農奴は、いまでも?」
「いるさ、いまでも、奴隷以下の生活をしている」
「奴隷以下?!」わたしは聞き返した。「奴隷とは、解放されたというアメリカの奴隷のことですか」
「そうさ、アメリカの奴隷よりもひどい。たしかにアメリカの奴隷は気の毒だ。この奴隷を物語にした本が、昔、ヨーロッパでずいぶん読まれ感涙されたことがあった。弟がこの奴隷の話に感動して手紙をよこした。しかし、私は、この小説についてこんな感想を書いて送ってやった。『乾ブドウを食べ過ぎた人が感じる不愉快な感じを感じた』だけだと」
「なんどどす?!」
「他所の不幸を悲しむ暇があったら、自分の不幸を見つめろ、ということさ」青年医師は、少し怒ったように言った。「露西亜では、同じ国民が同じ国民を虐げているのだ。それも、ほんの一握りの人間が」
「でも、どうして、そんなに奴隷にこだわるのどす」
「う」一瞬彼は、声を呑んだ。が、次の瞬間、きっぱり言った。「私も奴隷だった。祖父の代まで。祖父たちは家畜やよりひどい生活をしてきたのだ」
「あたしも同じどす」
「おまえもか」
「そうどす、小作人の子です」
「小作人?」
「地主の土地を借りている百姓どす」
「そうか、おまえと私は同じ境遇だったのだ」青年医師は、ぐっと私の手をにぎりしめた。そのとび色の目のなかで怒りの火がめらめらと燃えているようでした。わたしは青年医師の考えていることがすぐにわかりました。
「まあ、あなたは、あの人殺しの青年の考えにいまでも賛成なんどすね。恐ろしい考えに」
「恐ろしい?!いまのままの方がもっと恐ろしくて残酷だ!」
「でも、それを書いた人は、その手段に反対だと・・・」
「そうなんだ」青年医師は、ため息ついて頷いた。そして、重い口調で言った。「まったく違う物語を書いたのだ」
「どんなどす」
「いよいよ人殺しの青年の考えを持つ若者たちが集って、世の中をよくする活動をはじめたのだ。だが、彼らが実際にやったことは、ひとりの神を作り出すことと仲間を殺すことだった。その尊敬する作家が言うには、人間は、必ずそうなる。だから革命はやらないほうがいい、そんな考えに偏ってすっかり皇帝信奉論者に心変わりしてしまった。私にはわからない。その人が本気でそう思ったのか、政府の目をごまかすためか。なぜならその人のシベリア送りの罪は皇帝暗殺疑惑だったのだからね」
「それでおもい迷っていらっしゃるんどすね」
「そうだ、だから、私は日本に行きたい。日本に行くためにサハリンに来たのだ。それが私の本当の理由なのだ」
「どうしてそんなに日本に関心あるのどす」
「私は、日本について書かれたものをたくさん読んだ。ゴロヴニンの『日本幽囚記』で日本人のすばらしさに感心した。シーボルトの『日本』も面白かった。とくにシーボルトの習作『盲目の皇帝』の戯曲を読むにつけ、私が七歳のときに起きた日本の革命が羨ましかった。だれもが平等な国をつくる。あの人殺しの青年の夢が、ロシアではなく、東洋の極東にある日本で実現したのだ。尊敬するペテルブルグのあの人は、革命は必ずや粛清と独裁に終わると予見した。が、日本では、そうではないと聞く。士農工商の階級制度は廃止され、だれもが学校で教育を受けていると聞いたぞ。産業も工業もヨーロッパのように急激に発展していると聞いた。と、すれば、あの人の予見は間違っている。そのように思えて仕方がないのだ。実際、すでに多くの若者が彼を見限っている。近い将来、この作家はこのように評されるのではないか。『真の近代思想というべきものは、この作家の影響を受けておらず、今後もうけないであろう。少なくともロシアにおいては、近代精神はこの作家にはなく、チェルヌイシェフスキーにあるということはあきらかに理解されている』と。だが私は、いまもってこの人の文学に敬服している。だから、この目でしかと、すでに二十三年も前に皇帝を倒し、人民の政府になった国をみてみたいのだ。そうして、わがロシアにもそんなユートピアをつくりたいのだ」

わたしは、思わずその客を抱きしめました。なんて純粋な理想に燃えた人なんでしょう。しかし、なんてかわいそうな疑うことをしらない人なんでしょう、と思いました。「日本は、少しもよくなっておりませんどす」わたしは言った。「あなたの尊敬する人の予見が正しいように思います。いまの日本は、なんでも西洋のものマネばかり」
「しかし、おまえの国は、憲法もで国民はみな平等になったはず」
「親たちがいうには、昔のお侍の時代の方がよかったといっております」
「皇帝がいた時代の方がか、そんなはずはない」
「わたしをみればわかります。こうして、わたしは樺太にきているであはありませんか。わたしは、なにも好き好んで、こんな地の果てにきているわけではありません。貧しくて売られてきたのです。政府は、富国強兵政策をとり、男たちを戦争に駆り立て、おんなたちを工場でこきつかい、借金したものは、こんな酷寒の地に遊女としてはたらかしているのです。こんな国のどこがいいのですか。人殺しの青年は、こんな国をつくりたかったのですか」
「そんなはずは・・・・きっとなにかの間違いだ」青年医師は、信じられないといった顔でつぶやいていた。
「どうぞ日本に行ってみてください。人殺しの青年たちがつくった国を」
「うん、必ずサハリンの帰りに立ち寄るつもりだ」
「こんなことを言っても、わたしはやっぱり日本が好き。東京や富士山をしっかり見物してください。わたしはまだ見たことがないのどす」
「私と同じだ。私もやっぱりロシアの大地が好きなんだ」
その一瞬、わたしとその露西亜人は心が通じ合った気持になりしっかり抱き合いました。
「きっと寄ります、日本に」青年医師は、明るい声で頷いて、なんども必ず行くと誓ってから出て行きました。その後、その客が日本に寄ったかどうか知りません。わたしは大陸の町に行き、数年、働いた後、帰ってきたのです。わたしの、話は、これでおしまいです。本当に立派な人でしたよ。あの若い露西亜人の医師は・・・悪い咳をしていたのが気になりますが・・・。

以上が、ある仲居の話である。客というのは、ぼくの想像からすると多分作家のような気がする。が、こころあたりがないだろうか。ロシアに日本を愛し樺太に行ったという作家はいないだろうか。(明治36年4月1日)



カラフトに生まれ育った作家長瀬隆氏はその著書『日露領土紛争の根源』(草思社)のなかで、日露開戦を知った作家のことを、こう書いている。夫人オリガ・クニッペルの弟、ウラジミールが貴重な証言を残している。
「わたしがロシア軍の勝利を望むという希望を述べると、ソファに座っていたアントン・バーヴロヴィチは昂奮して、鼻眼鏡をとり、低い声で重々しくわたしに答えた。「ワロージャ、そんなことはけっして言ってはいけません。もつとよく考えなくちゃ。われわれの勝利は専制を強化し、われわれに息切れさせている圧制を強化することになるではないか。その勝利は、迫りくる革命を阻止することになるだろう。あなたははたしてそんなことを望んでいるのですかね!」そうして、死の床にある作家は、こんな手紙を書いた。「日本、『奇跡的な国』のことで哀しくなっている」
1904年7月2日午前3時、ドイツの片田舎の温泉地で一人のロシア人作家が死んだ。この世との別れ際、脳裏に過ぎったものは、ついに行くことができなかったジャポンか、きたるべきユートピアへの革命か、はたまた『地下生活者』のささやきか。もしかして14年も前旅したサハリンで一夜をともにした、日本の遊女のことだったか。