ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.97  発行:2006.8.3



第216回8月読書会のお知らせ

8月は、下記の要領で読書会を開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

月 日 : 2006年8月12日(土)
             
場 所 : 東京芸術劇場小5会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
開 場 : 午後1時30分
 
開 始 : 午後1時45分 〜 4時45分

作 品 : 『罪と罰』2回目

報告者 :  長野 正氏
            
会場費 : 1000円(学生500円)

◎ 終了後は、近くのお店で二次会を開きます。
会 場 : 予定として「日本橋亭」
時 間 : 夕5時10分〜7時10分頃迄
会 費 : 3〜4千円



8・12読書会

 8月12日の読書会・報告者は、長野正さんです。作品は6月読書会につづいて『罪と罰』の2回目です。

報告項目

『罪と罰』2回目

報告者・長野さんは、以下の項目にそってお話される予定です。

@ ドストエフスキー文学との出会い

A 『罪と罰』を読む

B ドストエフスキーとキリスト教





プレイバック読書会(1)


1974・11・16(土)第27回読書会開催

『罪と罰』  新谷敬三郎
 
 11月16日(土)午後6時から第27回読書会を開く。寒い日でもあったせいで出足は悪かった。出席者10名。
 『罪と罰』これは草津温泉の天狗山ペンションで泊まりがけで行った読書会でも取りあげたけれども、こういう長編となると、それにこの名作はみなさんすでに何回も繰り返し呼んでおられて、すみずみまでよくご存知で、かえってずばり物が言えないせいで、話がどうも、あらぬ方向へ流れてゆきがちなのである。
 ある人は、マルメラードフとラスコリニコフは大変よい対照をなしているという。貧のなかで身をもちくずして、どこまでも落ちてゆく、くたびれた初老の男は、そういう自分というものから逃れたい一心で、神にすがりつこうとする。24歳の学生の方は自意識の壁を越えて、何とかして自分で生きたいと願っている。老婆殺しはその証であった。とすれば、スヴィドリガィロフという男は余計なのじゃないか。この奇怪な無人物なしにでも、ある男の罪と罰の物語は成立する。
 と、こういった意見に対して、対照されているのは、マルメラードフとラスコリニコフではなくて、マルメラードフとスヴィドリガイロフである。そしてその対照の軸をなしているのがラスコリニコフである。落ちぶれはて世間から見捨てられた魂と我意の肥大をきたした淫蕩なるニヒリスト、この対照的人物を両極とする、そこから発する磁力の場に投げ込まれた、それ自体運動力をもたない磁力に敏感に反応するものとして、老婆殺しの青年はある。
 大体ラスコリニコフは、物語のいわゆる生きた人物ではなくて、ひとつの観念、殺人という観念の人格化されたものであって、ドストエフスキイの長編小説の中心人物はいずれも多かれ少なかれ観念の怪物であって、彼の主人公の無私性あるいは無人格性もそういう性質からくるのだが、そういう主人公、題材の核となり筋を運んでゆく道具となる主人公の性質が物語の展開の仕方を規制している。ドストエフスキイの小説は明らかに思想小説であり、観念の実験の物語である。
 ところで、ラスコリニコフを軸としたもう一対の対照がある。ポリフィリイとソーニャである。予審判事、この有能なる司法官僚は実は殺人の理念、その自己意識であって、それに対置されて聖なる娼婦、復活の信仰がある。ラスコリニコフはこの二人のあいだを往ったり来たりしなければならない。殺人犯がスヴィドリガイロフとポリフィリイとソーニャと、この三人を訪ね歩く、あるいは偶然に出会う。その順序のなかにおそらく、作者の観念の劇を見ることができよう・・・・
 こうした読み方は、それこそ観念的にあまりにも図式化しすぎた読み方なのではないか。当然こういう反問が提出される。
 が読書会の後半は、結局ソーニャの問題に終始したようである。
 犯罪者と娼婦、これはあるいは文学、というより人間の永遠のテーマなのかもしれない。どこの国の文学にも、それは物語の一モチーフとして、大変古くから今日に至るまで途だえることなく繰返されている。
 どこへも行きどころのなくなった、というか、たえず追いかけられ、追いつめられている男と落ちるところまで落ちて、はいあがる知恵も元気もなくなった女、こうした対応の大変ロマンチックな、というかいわば形而上学的な形象として、『罪と罰』の二人はある。ところで、問題はおそらく、ソーニャと父マルメラードフとの関係にある。この二人の人物というか、モチーフの関係が、おそらくこの殺人物語のもうひとつの主要なテーマなのであろう。
 会は例によって時間切れで、場所を高田馬場に移して、おしゃべりはつづいた。




プレイバック読書会
(2)(会報No.35:1975・1月第28回読書会)

『罪と罰』 井桁貞義
 
 もうちょつと天井が低ければラスコーリニコフの屋根裏部屋に似るような、池袋の喫茶店の三階に十人くらい集って(みんなここが気にいった)。三回目を教える『罪と罰』の読書会が行われた。この会に来るというのでまた読み返したら、やっぱり息もつかせずに読んでしまったと安田さん。そして感じたこととして、斧を機械的に振り下ろす行為を中心にして、全てがいわば偶然のうちに起こる、そのことが不思議な気がする、ということだった。ここには普通多くの小説においては筋を運ぶ、主人公の意志とか因果の系というものがない。それにしても夢中になって読むのはどうしてだろう。小説は何かで動いているのに、何かに心が゜引き摺られるのに。も
 もう一つ印象に残ったのは下原氏の出した問題で、老婆殺しを皇帝殺害と二重映しに考えられないかという提起だが、たぶんそれは無理で、むしろ何の取柄もない虱みたいな人間を殺すようにしているのがこの小説の凄さであり、意味ではないか、と、これは新谷氏の意見だった。この時ふと思い出したのはギリシャ悲劇を小説の形に変換したものだというモチューリスキイの見方だ。絶対者と、或いは、或いは運命と彼は闘っているのだろうか。それとも彼の闘いはいわゆる虚無との闘いなのか、いや、彼は何者かと闘っているのか。彼に間違いなくあるのは、行きたいという感覚であろうけれども。
 ラスコーリニコフは街を彷徨する地下室人だが、彼が自己意識から解き放たれ、他者と出会い、生きた関係を結び、救われるのは何によってか。自分の分身と敵対するようになってしまった意識過剰な人間にとって、本当の生活、生きた中心に出会うためには、そこに何かが求められなくてはならない。ぼくはそんな問題の設定から短いレポートをした。創作過程を通じて、ラスコーリニコフの復活の道を模索し続けた作者は、連載の最後の回になって、復活の瞬間を小説の外へ、エピローグへと移した。考えられていた小説の大団円、それは例えばラスコーリニコフの火事場での功業、あるいは彼がつむじ風の中にキリストの幻を見ると言うモチーフであったが、それは最終稿では放棄された。創作過程の終わり近くまでこのモチーフが維持されているのを見る時、ではその場合、小説中でのソーニャの役割とは何だったのか、という疑問が浮かんでこよう。ソーニャもまた、おそらく不動の支点ではなく、彼女の生は、レベジャーニコフとリザヴェータ、そしてラスコーリニコフとの関係において変化している。そしてもしソーニャがそのような人間であるのなら、この小説の光源はどこにあるのだろう。そんなふうに考えてくると、ラスコーリニコフとソーニャとの間にリザヴェータの姿が浮かんでくるだろう。ソーニャはラスコーリニコフに、自分の罪の行為としてリザヴェータから与えられた襟のモチーフを語る。リザヴェータから与えられた聖書はシベリアでラスコーリニコフに手渡される。ソーニャは自分の十字架をラスコーリニコフに与え、自分には同じ時リザヴェータの十字架を身に受ける。その十字架は殺人の場面でラスコーリニコフの眼を射たものだった。この三つのモチーフから、一組の男女を照らすリザヴェータの光が見てとれるのだ。〈ああ、リザヴェータがいてくれたら〉という小林秀雄のソーニャへの洞察はそのことを言うのではないか。それはそれとして、一組の男女の関係が、つまり相互の愛だけがそれだけでいったい二人を復活させ得るだろうか。このようなレポートをしてみて、ソーニャが彼を救うものとは思えない。この二人は同じような人間だと感じると佐伯さんが同意してくれたのは嬉しかった。神へ至る道と、ナロードという共同性への回帰とが復活への二つの道と思われるが会の終わり近くに、根源語〈われーそれ〉から〈われーなんじ〉への変容に際して、神への関わり、生きた中心がなければならないとベルジエフやブーバーは言う。それがわからない。こうしてドストエフスキーを読みながら共同性が成立していないだろうか、とポッリと野田氏が呟いたことが印象的だった。問題の中心はシンボルなのだと、しばらく前からぼくは考え始めていたところだった。  (了)



プレイバック読書会
(3)・会報No.33 

『罪と罰』について 浜中孝雄
 
 私はラスコリニコフの見たやせ馬の夢は『罪と罰』全体を象徴しているように思われた。はじめて呼んだころ、やせ馬をいじめているミコールカも、やせ馬もラスコリニコフ自身だと思っていた。この夢を見たあと、ラスコリニコフは「おれにはもちきれない。」と老婆殺しを断念してしまう。自分を自分で苦しめようとしているのに気付き、その苦しみに耐えられないと思ったから老婆殺しを断念したと私には思われたからだ。しかし、何度も読んでいるうちに、ミコールニカはラスコリニコフを取り巻いている環境ではないのか、やせ馬は登場人物すべてではないのか、と思うようになった。そして、現在は、ミコールニカは神だと思っている。神は人間を無意味に苦しめている。その神にラスコリニコフは飛掛った。
 教会で『罪と罰』の読書会をすると「なぜ、人を殺してはいけないのか?」ということが重要なテーマになる。そして結論は「もし、神がいなかったら人を殺してはいけない理由はどこにもない。」ということになり、「『罪と罰』は実にいい小説だ」で終わる。
 ドストエフスキーには無神論の本質をあばき、ニヒリストたちに向かって「おまえたちの理論からはどこからも人を殺してはいけないということは出てこない。」と言おうとした意図があったかもしれない。
 なぜ、人を殺してはいけないのか?私はクリスチャンだから「神がいけないと言ったから」とはっきり答える。では、ドストエフスキーは「汝、殺すなかれ」を引き出すために『罪と罰』を書いたのであろうか。まさか、当時の民衆やインテリが「汝、殺すなかれ」を知らなかった訳ではあるまい。私は、ラスコリニコフの超人論、犯罪論、そして老婆殺しは「汝、殺すなかれ」に対する挑戦であると思う。
 神が殺してはいけないと言っているにもかかわらず、多くの人間の血をシャンパンのように流したナポレオンが英雄になり、銅像まで建てられている。有害な金貸し婆あがぬくぬく暮らし、有能な青年が金がないおかげで能力も伸ばせず埋もれてしまう。神がいるにもーかかわらず、善良な人間は悪人に苦しめられている。そんな神なんかいらない。いや、「もしかすると、その神さまさえまるでないのかもしれませんよ」とラスコリニコフは思う。つまり超人論や、犯罪論はどこから生まれてきたかというと、神の姿が見えなくなってしまったところからなのである。そして、神の姿を見えなくしているのが、ナポレオンであり、ラスコリニコフを取り巻いている環境なのである。(私は、罪とは神の姿を見えなくさせてしまっているものだと思っている。)
 ラスコリニコフが無意識的に苦しんだのは、神の姿が見えないこと、つまり、神ありやなしやの問題であった。(私はドストエフスキーの大作はすべて神ありやなしやを中心にして読んだ。)ラスコリニコフが老婆を殺したのは、この無意識的な苦しみに決着をつけるためではなかったのか。
 では、ラスコリニコフはこの問題にどのような解決を得たのか?作者はラスコリニコフに「もう今となったらソーニャの確信は同時におれの確信ではないか?」と言わせている。また、「愛が彼らを復活させたのである。」「弁証のかわりに生活が到来したのだ。」とも書いている。これが解決であろうか?確かに解決のように見える。しかし、神ありゃなしやの問題には解決はありえないのだ。それゆえに、ドストエフスキーは次から次へとラスコリニコフより深刻な無神論者、スタヴローギンやイヴァン・カラマーゾフを創造せざるをえなかったのだ。神ありゃなしやの問題は信仰の世界に足を踏み入れるしかないのだ。信仰の世界は客観的な解決ではないのだが。(完)     (1974・9・30「会報 No.33」より)

※ 当時、出席されていたなかで新谷敬三郎先生、野田吉之助氏は既に亡くなられています。今も健全な人は年老い、いつのまにかいなくなった人たちは何処に。滔々とした30余年の歳月の流れ。変わらないのは一人ドストエフスキーだ



6・10読書会報告


大盛会だった!!『罪と罰』一回目読書会

 6月10日(土)に開かれた読書会は、27名の参加者があり、会場満席の出席で大盛会でした。

 報告者の江原あき子さんは、創作者の観点から現代の問題についておよそ、次のような趣旨で報告されました。『罪と罰』に限らずドストエフスキーの作品は、読めば読むほど複雑さを感じる。しかし、現代は文学でもなんでもより平均化、単純化の方向にある。現在起きている不可解な問題を解決するには、いっそうのドストエフスキー読みが必要である。はじめての参加者も多数。活発な質疑応答がありました。二次会、三次会も盛会。

『罪と罰』報告を終えて 江原あき子
 
 私たちが今、隣人だと思えるのはラスコーリニコフではなく、スヴィドゥリガイロフである。連日マスコミを犯罪者たちの中に私たちは容易にスヴィドリガイロフを見つけるだろう。
 人を傷つけたり、殺したりすることに対して少しも恐怖しない。むしろ喜びを感じて、その行為を追体験しようとする。殺した相手の持ち物をとっておく、何度も同じ方法で殺す、などなど。スヴィドリガイロフは、殺した妻の幽霊と会話を楽しみ、殺した下男と同じ名前の男をまた、下男として使っているのである。ドストエフスキーの卓越した構成力によって、このあたりのくだりは、非常に恐ろしい、印象深いものとなっている。
 こういった犯罪者たちは自分の価値観の中でのみ生き、他者への想像力など、まったく欠如している。何故こういった犯罪者たちが増えてしまったのか?
 私は、現在の文学の状況と無関係ではないと思う。現在の文学の状況は惨たんたるものである。その葛藤のなさ、問題意識の希薄さには驚き、あきれてしまう。文学だけではなくすべての表現が、グローバリズムの美文のもと、複雑なものを斥け、単純明快なものだけを尊ぶような流れになってしまっている。現実には小国が次々と独立し、情報が氾濫し、人々の価値観はどんどん複雑になっていくのに、である。結果、私たちはどんどん弱く、傷つきやすくなるだろう。単純明快な偽りの世界に逃避し、真実の世界に対する免疫がどんどん、なくなっていくのだから。そしてある者はノイローゼになるだろう。ある者は自殺し、またある者は、他者を傷つけることでしか、自分自身を取り戻せなくなるだろう。かくして、スヴィドリガイロフ型の犯罪者は私たちの世界に現れるのである。
 こういった犯罪者が現れるたびに、どこからか評論家がやってきて、教育や社会の矛盾について説き、あたかもその矛盾がこういった犯罪者を生んだかのように論じる。私はこういう物言いに、いつも怒りをおぼえる。矛盾は人間社会につきものだ。その矛盾を知らないこと、その無知こそ犯罪の温床なのである。
 私たちを逃避させ、結果無知にさせているのは誰か、考えてみなくてはいけない。世界を単純化してみせ、私たちを容易なものに逃避させようとしている。巨大な力について、考えてみなくてはいけない。たとえばホリエモンについて私たちが騒いでいる間に、様々な税金の控除が廃止されてしまった。ホリエモンはわかりやすいエサである。私たちをそちらのエサに食い付かせておいて複雑な税制のことはテレビでも新聞でも小さく扱う。誰かが私たちを操作しているのだ。私たちはそれに気付かないのだ。私たちが無知で愚かであることは、操作する権限をもった者にとって、非常に都合がいいわけである。マスコミや、先の犯罪評論家は彼らの手先である。残念ながら現在の文学もだ。
 複雑な世界を歪めて、簡単で、一見美しい世界を描いた文学に接することは、読者を愚かにするだけでなく、現実からの逃避をさせ、偽りの世界に魅入らせて、他者との接点をなくさせてしまう。キレやすい、簡単に殺す、殺したことを正当化する、これらの犯罪はすべて、自分と、自分を取り巻く世界とを、うまく繋げることができないために起こるのである。
 世界は美しくなんかない。簡単でもない。世界はドストエフスキーなのだ。複雑で、入り組んでいて、誰もが問題を抱えていて、そして人を殺す理由は1、2、3巻にもおよぶ、膨大な理由がなくてはならない。
 『罪と罰』を読んで、私たちは自らを鍛えなくてはならない。必ず起こるであろう様々な問題に備えなくてはいけない。この世界や人間の、表面だけでなく、深いところにある闇(たとえば人間の獣性や、神にそむく心、またそれを利用しようとする組織の存在など)を覗いてみなくてはいけない。そのためにこそ、文学は存在するのだし、そういう文学の中にある救いや希望こそが、私たちを助け、癒してくれるのだ。
 最後に、当日(6月10日)、私のとんでもない報告を聞いてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。当日の報告には原稿がなく、アドリブだったので、発言要旨も今回改めて書き起こしました。「いつもいつも考えていることに、原稿はいらない」「ドストエフスキーを愛する人たちが集る、という時間と空間の共有感を大切にしたい」という私自身の思いからです。レジメは発言の補足だったので、レジメに書いたことは発言ではいいませんでした。れじめと発言と合わせてひとつの意味にしたつもりです。でもこのやり方がとても異例なものであったことに気付きました。混乱してしまった方、すみません。当日、私自身はとても楽しかったです。読書会に参加していると、ドストエフスキーがまだどこかに生きているような気がします。いつまでもドストエフスキーが「現代の作家」であるようにと、願ってやみません。  (了)




ドストエーフスキイ情報


☆ 新聞・朝日新聞7月23日 日曜日「読書」欄 たいせつな本 沼野充義
  ■ ドストエフスキー『罪と罰』

☆ 雑誌・『江古田文学62』特集「チェーホフの現在」

   座談会 ドストエフスキー派から見たチェーホフ

  ・清水正(日芸教授) ・下原康子(全作品を読む会・ドスト会) 
  ・横尾和博(文芸評論家) ・下原敏彦(「読書会通信」編集室)
他に
   「医師チェーホフと患者チェーホフ」下原康子
   「ペシミズムの根拠 『六号室』を読んで」横尾和博
   「架空夜話 ある元娼婦の話」下原敏彦

☆ 書籍・新聞・冊子 提供者:印鑑工房『愛幸堂」(豊島高士氏)

書 籍

☆ 和田芳英著『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』
            和泉書院 2001年11月25日発行 定価2500円
ロシア文学の巨星・昇曙夢。今、泉下から甦る!

新 聞 

・図書新聞2575号 2002年3月23日土曜日 昇への興味は尽きない
  和田芳英著『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』を読む(編集・米田)
  「昇への興味は尽きない。日本の近代精神史を読みかえる可能性を秘める」
・公明新聞 2002年3月25日(月曜日)
  和田芳英著『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』を読む(武田早大名誉教授)
  芥川文学研究にまた新たな成果が

冊 子

・「ロシア文学者、昇曙夢のソ連観」―昭和4年の講演資料紹介―
・和田芳英著『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』書評・紹介・雑録集
・「昇曙夢の生涯と芸術」講師・和田芳英 奄美群島日本復帰50周年記念講演
・昇 曙夢 顕彰年譜




連 載

日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(続編) 
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像− 

(第5回)−小林秀雄という問題(4)

福井勝也 


  小林秀雄についての話を続けようと思うが、少し角度を変えてみたい。私は、昨年8月、画家・小山田二郎についての報告をさせて頂いた。つい先日(6/18)教育テレビの新日曜美術館で小山田の本格的な紹介がなされたので、もしかしたら思い出された方があったかもしれない。番組では、ドストエフスキーという言葉こそ出なかったが、夫人の小山田チカエさん(ご存知の本会会員)の住居の室内が写し出された際、彼が描いたチカエ像の横に小山田が愛読したドストエフスキーの作品集がそっと置かれていたのに気づかれた方もあったろう。昨夏の自分の話は、小山田の絵画を論じながらドストエフスキーとの接点を探るものであった。その際、今回シリーズの副題とした「ドストエフスキー体験」についてつぎのようにあらかじめ触れておいた(今回、やや言葉を補足しているが)。

 今、自分が関心を持っている言葉に「ドストエフスキー体験」というタームがある。このことは昨年例会で「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー」という主題で触れたことでもある。僕が拘りを持ったのは、日本近代文学におけるドストエフスキー受容のその独自な偏差の在り方の問題であった。そしてこの「偏差」が、「ドストエフスキー体験」という言葉を生み出してきたのだと思う。果たして、外国文学を受容する影響関係の中で特定の作家の固有名に「体験」という言葉を接続させる語彙の使い方が諸外国を含め、他の作家にあったろうか。これについては大正期から昭和の戦前から戦後へかけてのこの時代の日本の情況が色濃く反映されていよう。例えばこの言葉は、日本文学がこの時期に生み出した独自な文学形式としての「私小説」的な、小説家固有の「文学」的経験を特権化する土壌から派生して来ていないか。元来、個別的でしかあり得ない文学的な感動を「体験」と形容し、さらに狭い文学的世間だけで通用させてゆく語彙として成立させてきた。例えばそれは、旧制高等学校等で文字通りエリートの特権的な文学的青春のなかで生成された言葉ではなかったか。それが暗黙の「文学」的世代として継承されながら、おそらく大学の大衆化が社会問題化した1970年代半ば頃まで細々と続いた。そしてこの言葉が消えた頃、日本近代文学も<終焉>したのだと思う。実は今回、小山田の絵画に何度目か巡り会って、改めてこの言葉の意味を考えながら小山田の芸術表現の特徴について論じたくなった。直感的に言えば、小山田はこの日本的受容の回路から何故か巧みに逃れながら、孤立した一絵描きとしてドストエフスキーを経験してきたのではないか。小山田の年譜を見ると、自由に絵が描けない戦時下の状況にあって、ドストエフスキーやロートレアモンの文学に深く沈潜することで時を稼いだらしい。この時期、他の多数の画家達は「戦争絵画」を描いた。小山田にはその形跡が見当たらない。別にそのこと自体を特別に評価するつもりはない。もちろん、小山田にも世代共通の文学体験の影響がまったくなかったとは言えないだろう。しかし小山田は徹底的に「絵」が描きたかっただけだった。しかしそれがかなわずにその替わりに「読書」したのだろう。それもその描きたい絵は「自画像」ではなかったか。僕に今興味があるのは、その限りでの小山田二郎の絵画におけるドストエフスキー的なものの影響とその内実化である。

 実は、前回まで検討してきた小林秀雄の「ドストエフスキーの生活」が当時の私小説的文学を超えようとした表現でありながら、本質的に小林の「私小説」でしかなかった背理に、この後の日本のドストエフスキー受容のあり方を決定していった要因がありはしないかと思えるのだ。そしてそのことは、実は小林秀雄が表現しようとした「ドストエフスキー」の内実が、元来彼独自のものでありながら、それを追体験しようとする読者(=文学的世代)が「ドストエフスキー体験」として継承し続けたのだと言えるかもしれない。おおげさに聞こえるかもしれないが、この昭和期の日本のドストエフスキー文学の受容は、小林秀雄の文学評論の理解とそのスタイルに代替されてしまう側面を持っている。しかし勿論、問題はそれだけでは済ませられない中身を孕んでいたことも指摘しておきたい。

 ここで、小山田を論じるうえで、いや、連続して論じてきた小林秀雄の問題を深めるうえで異質な解析線を導入してみたい。戦後、小山田の絵画をタケミヤ画廊で紹介することで実質的に画家・小山田二郎を戦後絵画史に登場させた戦前からの美術評論家(=シュルレアリスト)である<瀧口修造>という存在である。昨夏、小山田の絵画について触れた際、小山田から飛び火してむしろ<瀧口と小林>の関連に気づかされたというわけだ。
「瀧口修造と小林秀雄」という問題が自分に浮上してきた折り、自分なりに二人の詳細な年表を作製してみた。勿論、小山田の年譜も並べてみたわけだが。ここで二人(小林・瀧口)の年譜を見ると解るように、ほぼ同年齢のふたりの批評家が、この時代(大正から戦争を跨いでの昭和の日本の実質的な西欧近代化の時代)の日本の芸術的活動とその達成を考えるうえで好対照な存在であったことに気づかされることになる。実は、小山田とも大変縁の深い美術評論家の針生一郎氏やフランス文学者の渡辺広士氏などが早くからこの二人の比較をした文章を残している。ただし、僕が今回この二人を対照するうえで頭にあったのは、ドストエフスキー文学のこの時期の影響の問題であった。確かに、瀧口にも、若い頃ドストエフスキーを読んでノイローゼになりかけたという告白があるのだが、その後小林秀雄のように殊ドストエフスキーに言及した形跡はない。現在に到るまで日本近代文学におけるドストエフスキー受容において決定的な役割を果たしたのは、勿論小林秀雄の方だ。しかし同時に、実は両者の出発点が、フランスの詩人のアルチュール・ランボーであるという共通の事実がある。小林にはこの前に、おそらくボードレールの存在もあるわけだが、小林の<ランボー体験>(実は、「ドストエフスキー体験」という言葉の前に、この<ランボー体験>と言う言葉の存在が同質な語彙として存在し、小林にとっては例えば、モ−ツァルトとの遭遇も同様な内実のものとしてあったことなどを想起すべきか)とはやや質が異なるが、瀧口の出発点としても決定的であったのはランボーの存在であった。しかし、この二人は同じ出発をしながら、その後辿った軌跡はまったく違うものとして離れて行った。それはただ二人の批評家が、片や文学、片や美術というその活動の領域を異にしたからということではないだろう。むしろ活動領域は重複しながらも、小林の世間的な成功に対してシュルレアリスト瀧口はマイナ−であり続けたと言える。そしてこの二人の本質的差異は、実は、本国のフランス・西欧の芸術思想の進展の理解とも関係している。すなわち、ランボーが切り開いた、西欧近代の精神的桎梏・行き詰まりの詩的言語による破砕の試みは、そのアフリカ行きという<自爆テロ>の試みの後、西欧文化史としてはポール・ヴァレリーの象徴主義からさらにアンドレ・ブルトンのシュルレアリスム(=超現実主義)という経過を辿ることになった。この流れの背景には、第一次世界大戦をはさんだ西欧自身が受けた文化的ショックを抜きには語れないのだろう。しかしこの問題の歴史認識の違いからか、片や小林は象徴主義以降のシュルレアリスム思想(=超現実主義)を西欧近代の衰弱として認めず、言うならば、ランボーの時点にあくまで踏み止まることを選択した。片や、瀧口はランボーが破砕させたところから出発したシュルレアリスム(=超現実主義)を日本の大変厳しい歴史的文化的状況のなかで、第二次世界大戦を跨ぐかたちでその定着を図る先導的役割を果たし続けた。そのような瀧口の出発点となった未完の詩論(=「詩と実在」1930年、同年に小林は「ランボーU」を書いている)で瀧口は以下のように書いている。

 「ぼくは詩の運動はそれ自身、物質との反抗の現象であることに注意したい。詩人は物質に運動の動機を与えるに過ぎないのだ。そのことを明らかにしたのはランボーだ。彼は飢渇のような可感世界に接したとき、彼の光線のあらゆる理由をもったのである。ぼくはむしろランボーが対物質の精神のなかに詩的現象をもったことに注意する。」
 ここに、小林がランボーに見た<自然>とは異なる<物質>という問題が浮上している。瀧口は、その後に名著と言われる『近代芸術』(1938)のなかで、<物質>とはオブジェつまり意識主体のあらゆる客体・対象物であることがはっきりと語られてゆくことになる。 そしてもう一点、瀧口が浅薄な日本でのシュルレアリスム(=超現実主義)理解に対して、繰り返し書いた要点がある。それは、<超現実>という訳語の<超>が日本では誤解の種となっているのだと。すなわち、古来、超越哲学が栄える国柄で、<現実>という言葉自体がすでに危険を孕んでいる。特に、1930年前後(の今日)、日本人は一種の理想に高められてきた<現実>の観念が好きなのだ。<現実に到達する>のだということをすぐに口にしたがる。しかしシュルレアリスムの超現実とはそのような彼方の現実ではない。むしろ一切の<形而上学的な>超越概念を拒むものだ。ブルトンの言うとおり、<超現実は現実自体のうちに含まれていて、それにて対して優位的でも外位的でもない>。要するに超現実主義とは、これまで現実と現実の彼方というふうに区別して考えられてきた二つの領域の境界をもはや信ぜず、どちらをも包含した総体的な現実を切り開くことだと。それは精神と物質、意識と無意識という境界を打破することで、両者の観念的な対立を言うのではなく、精神に物質が現れる一切の可能性を実現することなのだ。オートマチスムは単なる技術ではない。そのように瀧口は警告している。

 ここまで来ると、瀧口と小林という出発点を同じくする両者の相違が意外に大きな意味を持ってくることに気がつくはずだ。渡辺広士氏も指摘しているが、小林は確かに、戦後語った「ランボーV」では、それ以前に使った「絶対」という言葉は使うことはないが、「原始性」とか、「疑いようのない確かなある外的実在」とか、瀧口が警告した形而上学的な超越主義と誤解されてもおかしくない言葉を使っている。そして何よりも小林は、天才的な個人だけが特権的に到達する外的実在、言い換えると全体的な世界を信じている。天才のドラマの中に、われわれを生活のドラマの中に捉えている我の桎梏が超えられることを信じた。それだけを信じ、そこで小林は立ち止まった。彼はランボーの、モーツァルトの、そしてドストエフスキーのドラマを追いかけ、さらに絵画の畑ではセザンヌからピカソまでの合理的世界の解体と原始的自然の再発見のドラマを追いかけている。 

 さて小山田の絵画を、瀧口が高く評価したのは単に、瀧口の説くシュルレアリスム(=超現実主義)の絵を描いたからではないであろう。そもそも本質的に画家であるということは、一つのイズムなどに包括できない深さと広がりを持っているはずだ。小山田の絵のすごさは、そんなイズムは別にしても、とにかく紙と顔料という目前の物質と格闘することで徹底的に「自画像」を消しつつ、なお描ききろうとしたことではないか。その果てに現実遊離の超越的な世界に自分を発見するのではなく、あくまで現実(の自己)を凝視することで、そこによりリアルな自己を発見して行ったということか。あるいは、発見すべく無限の自己内対話を継続し続けたということではないか。それが連続する「鳥女」という主題の現実化であり、そのバリエーションとしての晩年までの彼の全画業ではなかったろうか。そしてこの作画術のあり方こそ、ドストエフスキー独自の小説描法として、単なるリアリズムではない「二重底のリアリズム」とか「魂のリアリズム」と言われるものと同質の内実を感じさせられると言えないか。ドストエフスキーも小説で独自の自画像を描き続けたのだと言えよう。ここに、画家小山田のドストエフスキー的なものの本質的な影響とその内実化があると思う。
そして小林秀雄に戻るならば、おそらく「ランボー体験」を原点にしての彼の「天才主義」の反復としての「ドストエフスキー体験」は、ある種<文学的絶対主義>を内包するものとして、超越的な<文学主義>を生む前提として機能したのではなかったか。「近代の超克」という議論(『文學界』)を挟みながらの小林のドストエフスキー論は近代日本文学の達成として十分に評価されなければならないが、瀧口修造というもう一人の批評家の内実とその軌跡を小林と衝突させる時、別なものが見えてくるようだ。今回、小山田二郎と瀧口修造を考えることで、少なくとも小林が誘発した「ドストエフスキー体験」とは違うかたちの近代日本のドストエフスキー受容のあり方を感じさせられた。 (2006.6/28)                                                          




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☆ 福井勝也著『ドストエフスキーとポストモダン』 のべる出版 2001年1月25日発行 定価1400円
         
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☆ 高橋誠一郎著「『罪と罰』を読む」 刀水書房 1996年6月10日発行 定価1900円



広 場

エッセイ

ドストエフスキー事始   
石井郷二

 高校二年の時、或る日のリーダーの授業だった。教壇に立たれるとM先生は手にした書物を見ながら、黒板一杯に英文を書かれた。今日はテキストに入らないんだな、と思いながら英文を眺めていた。書き終わると先生は、訳せ、と言われる。予習のしていない突然の英文である。一体何だろうといぶかりながら辞書を引きひき訳に取りかかったが、なかなかの長文で、難渋した。そうこうしているうちに時間が経ち、先生が訳し始めた。
「彼は拳でテーブルを叩き、あたかも・・・・・・・・・・」
と訳してゆく。訳し終わってこれはドストエフスキー作『罪と罰』の英訳であると明かされた。酩酊しているマルメラードフと学生ラスコーリニコフとの半地下の酒場での会話の場面であった。
 早速、図書室で世界文学全集からそれを捜し出し(古色蒼然とした戦前版で、訳者は中村白葉だった気がするが、確かではない)、読み始めたが最初の何ページかで読みさしてしまった。ついていけなかったのは少しも筋が展開しないからであった。それでは同じ作者の『カラマーゾフの兄弟』はどうか。「兄弟」となっているから面白そうだ。町の書店で岩波文庫(米川正夫訳)で全4巻を求めた。(1、2、3巻は昭和27年版、4巻は昭和25年版だった。)
これも第1章「ある家族の歴史」2章「淫蕩なる人々」3章「無作法な会合」あたりで投げてしまった。同じ長編小説でも例えば、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』尾崎士郎『人生劇場』等に熱中していた病気上がりのおくての私には、ドストエフスキー畢生の大作にいきなり入り込める思考の回路はまったくなかった。
 受験期を経て大学入学後、再び体調を崩したが、それが癒えて、やや学生生活が順調に動きだした頃、岩波文庫の分厚い4冊が机上に積まれているのがなんとも気になり、自然な気持で手にとった。最初の数章に耐えながら読み進むうち、ついに、あの劇的な米川訳に引き込まれて、終章の「カラマーゾフ万歳!」と叫ぶ少年の群れの歓声に涙しつつ、一気に読了したのだった。色褪せて綴じが綻びたこの岩波文庫4冊は今も書棚に並べて大切にしている。
 次に『罪と罰』であるが、専攻の英米文学を原書で読む楽しみを覚え始めていたので、高校時代の英語の授業での英訳『罪と罰』を思い出し、英語の勉強のつもりもあってペーパーバックスの英訳本を求めた。しかし、これも、ヘミングウェイ、スタインベック、モームなどの乱読の中で、脇にやられ頓挫する。モームを読み進む中、『作家の手帳』(Awriter's Notebook)にドストエフスキーに言及している文を発見する。この書はモームが日頃見聞したことを、備忘録的に、随筆風に、小論的に書き記したものをまとめたもので、その中に、モームが諜報機関の任務で革命前のロシアに派遣された時のロシア、ロシア人、ロシア文学についての見聞録がかなりの頁を割いて収められている。
 ドストエフスキーとまったく人生観、世界観、小説作法の違うモームの立場から見ればドストエフスキーの作品は批判的に読まざるをえなかったであろう。トルストイを賞賛するほどにドストエフスキーを誉めてはいなかったが、それでも『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャに対する評は極めて好意的なものであった。米川訳『カラマーゾフ』をすでに読んでいたのでそれらを興味深く読んだが、ドストエフスキーの他の作品を手にする時間的余裕はすでになかった。卒論の準備に入り始めていたのだった。それでドストエフスキーからはしばらく遠ざかることになった。因みにモーム著『世界の十大小説』(岩波新書上下)にロシア文学からは2点、トルストイ『戦争と平和』とドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
が挙げられている。
 卒業後、中学の英語教師となり英語教育に数年力を注いだ後、高校へ転勤したが、中学を去る時、生徒の一人に手持ちの『罪と罰』英訳本 'Crime and Punishment' をプレゼントした。書き込みがなく、読んだ形跡のないきれいなままの英書、プレゼントにはこれが良かろうと選んだのであるが、読了はしていないが自分には大切なもの、忘れ難いもの、そんな意識がなかった訳ではないようだ。
 高校に移るころと前後して精神的苦悩に陥り、私の関心は別の分野に移った。30代初めころまでの苦悩の生活の中、内外の文学のほかに、社会科学、宗教書等乱読していたが、特に聖書、佐古純一郎、小林秀雄等に接して再びドストエフスキーに近づくことになった。『貧しき人々』を中村白葉訳・新潮文庫で、『悪霊』を米川訳・岩波文庫で読了し、『罪と罰』は平凡社版「ロシア・ソヴィエト文学全集」の中から手に入れてはいたが、この作品は妙に英訳本にこだわりがあって、またもやBantam Classics で買ったのだった。この時、ついでに E・H・カー(Carr)著 'Dostoevsky' の原書も買ってしまった。
 'Crime and Punishment' は遅々として進まず、断続して読みついで数年かかったが、読了した時は、高校時代の宿題がこの時やって終えたように思われ、満足感を味わったのだった。
しかし、このような散漫な読み方では内容の核心に迫ることは出来ず、『カラマーゾフ』の時のような胸のうちにずしんと来る劇的感動が得られるはずもなく、隔靴掻痒の感が否めなかった。結局、翻訳を手にするようになったが、それは筑摩書房から小沼文彦訳の全集が出てからである。『罪と罰』は、一人の主人公に重いテーマが収斂してゆくために、読むのも辛くなるほどであるが、しかし、全編を通してしみじみとした味わいがあり、私から言うまでもないことであるが、よくまとまったまさしく名作だと思う。数年前、私たちの小サークルでこれを再読したが、改めてこの感を深くした。好きな作品の一つである。
 ついでながら述べておくと、例の英語のM先生はロシア語の格変化なども教えてくれたことを思いだし、ロシア語に挑戦したが、半年で挫折した。そのおよそ十数年後、勤務先の近隣に住むある大学のロシア語講師として来日していたE・Sさんというロシア人女性のもとで同僚3人と共に再挑戦したが、結局、ロシア語はまったくものにならなかった。
ドストエフスキーとの出会いはこのような次第であったが、その後、精神的苦境を幾分脱した頃から40代後半頃まで、小沼文彦訳の全集によりまったくのディレッタントとして折に触れその作品を読み、又、内外の評家による評伝、評論、研究書等を手にしてきた。カーの ”Dostoevsky” はこの頃に読了した。購入してから13年経っていた。格調ある重厚な英文は魅力的であったが、しかし、これもただ表面的な理解のまま、読了したという自己満足だけで、自分にとって記念的なもの以上は出ていない。
 私はドストエフスキー文学から多くのものを学んできた。人間の背負っている避けがたい負の部分とその対極にある気高さ、神とこの世界との不条理な関係、革命の現実、西欧合理主義への懐疑、自由の問題、人類のあるべき姿のユートピア等など。思考の領域を広げ、深め、感性を育て磨く上に多大な影響を私は受けて来たと思う。善悪の彼岸まで人間存在の在り方をつきつめながら、青年を主人公に据え、子供と虐げられた人々から生涯眼を離すことが出来なかったドストエフスキーの強靭なそして繊細で真摯な作家魂を思うとき、私は今も心震える。(2006・6・21)



詩編

あるとき  後藤基明


あるとき 林藪(りんそう)に分け入る
樹木や草草は乾いた息遣い
蜘蛛の巣にも触れず 黒蚊もこない
岡虎尾や蛍袋の花もなさそうだ
薄暗い下に 薄い葉は揺れもしない
だれかの囁きを耳にしたような気がした
わたしはなにを聞いていたのだろう

      物音一つしない茂みのなか
      目に見えてそこにあるものが
      妙にこちらへ迫ってくる
      真っすぐの幹 踏む地表 あたりの拡がり
      時のあることを思い起こした
      時そのものは目にすることはできない
      わたしはなにを見ていたのだろう

木漏れ日が浮かぶところ
光の粒が入り乱れている
近くによってみると
そこには赤い点々が
水引草だ 細い穂に葩(はな)を咲かせている
光のなかで輝くいのちのあざやかさ
わたしはなにを感じていたのだろう

     わたしはなにかを感じさせられていたのか
     時がもの皆すべてをあらしめているのだ
     わたしも微笑をうかべながら
     紅ひとすじの水引の葩を摘み
     白い夏の光の下
     寸筒切りを生けることにしよう
     時のあるしるしに

              (『POCULA 7号』2005・4)



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