ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.96 発行:2006.6.1
第215回6月読書会のお知らせ
6月は、下記の要領で読書会を開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。
月 日 : 2006年6月10日(土)
時 間 : 午後1時30分〜4時45分
場 所 : 東京芸術劇場小5会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
作 品 : 『罪と罰』1回目
報告者 : 江原あき子氏会 費 : 1000円(学生500円)
◎ 終了後は、近くのお店で二次会を開きます。
会 場 : 予定として「日本橋亭」
時 間 : 夕5時10分〜7時10分頃迄
会 費 : 3〜4千円
6・10読書会
6月読書会の報告者は、江原あき子さんです。『罪と罰』は、ドストエフスキーの数ある大作の中で最もポピュラーな作品です。書かれた評論も多々あります。論点も多様で犯罪者のバイブルから英雄否定論まで幅広くあります。それだけに今回の報告者が、どのような読みをしたのか楽しみです。なお、報告要旨は、次の通りです。
『罪と罰』について
江原あき子
30数年前、日本ではナショナリズムなどという言葉はほとんど聞かれなかった。日本は相変わらず欧米社会を模範としていた。そして、泥沼化していたベトナム戦争が終わった。私がドストエフスキーを初めて読んだのは、こういう時代だった。私はまだ中学生、子供だった。
よく子供は、大人社会の縮図だといわれる。私がドストエフスキーを選んだわけは、まず何より西洋文学を読まなければ、沢山読まなければと思ったこと、でも欧米(特にアメリカ)文化を崇拝することは何か、凡俗な行為のような気がしていやだった。おりしも東西冷戦の時代である。アメリカ、西洋の対極はソヴィエト、東欧だった。
子供じみた反応心は実は、大人社会の価値観をきれいに裏返しただけだった。その後、ベルリンの壁は崩壊、ソヴィエトも地球上から消えた。私は子供でなくなり、自分の国の文学を、なによりも近いものとして愛するようになった。夏目漱石、中上健次には夢中になった。
しかしその間にも私はドストエフスキーを読み続けていた。ドストエフスキーのテーマへのこだわり、人間の内面へのしつこいばかりの探求は文学の原点であり、文学に絶対に必要な要素だと私は常に信じていたのだ。
今回は、スヴィドゥリガイロフについて考えてみたい。この男はドストエフスキーの作品の中で、ある系統を成す一群の人物達の一人、ごく初期のひとりである。それ以前『虐げられし人々』のヴァルコーフスキィ公爵の中に見られたあるイメージが、スヴィドゥリガイロフの中に見事に結実したのである。この小説がソーニャやポルフィーリイ、ラズーミヒンたち”この世の”人間たちばかりだったら、ひどく味気ないだろう。
この男は”踏み越えた”先の住人で、ラスコーリニコフに踏み越えた世界の流儀をいろいろ指南する。第6編でラスコーリニコフが訪ねていくと、何の気なしにひとりの給仕の男の名を呼ぶ。
「おおい、フィーリップ、コップ!」
多分故意に説明を省いたのだろうが、フィーリップとはスヴィドリガイロフが殺したとされる下男の名なのだ。スヴィドリガイロフはこの給仕の名前だけが気に入ってこの男をそばに置いているのだろう。彼には愛するということが理解できない。その代わりに殺した男や女、辱めた少女のことは実によく記憶していて頭の中にいつも展示し、それを愛でている。マールファ・ペトローヴナの幽霊を信じ、第2のフイーリップの存在を信じている。
今現代に生きている人なら誰でも、ソーニャの存在を信じられなくても、スヴィドリガイロフの存在は信じるだろう。現在”スヴィドリガイロフらしき人”を見つけるのは簡単である。小林秀雄は『ドストエフスキイの生活』の中でニーチェの文章を引用して、
「あんまり長く深淵を覗き込んでいると、深淵が魂を覗き込みはじめる」と書いている。小林秀雄はドストエフスキーこそ、深淵を覗いた人である、と論じている。深淵を覗いた人こそがスヴィドリガイロフについて書くことができる、と私も思う
現代には多くの深淵がここ、そこに口を開けて待っている。しかし、現代人はその深淵を覗こうとはしない。それどころか、あえてそれ等から目をそらそうとしている。
文芸評論家の沼野充義が書いている。
「確かに露西亜という国は政治・経済的には欧米の考える民主主義とはまだまだ一風変わった路線を歩みつつあり、その現実もマフィアやテロリストの跋扈といったすさんだものがある。しかしその一方で、社会の人々はささやかながらも自分だけのものである豊かなプライヴェート・ライフを楽しみたい、という方向に価値観を転換させつつあるのかもしれない。そこで浮かび上がってくるのが、現実に即しながらも現実から少しだけ離れた洗練された世界、すさんだ現実の中にいながら、ちょつぴり異世界を味わわせてくれる日本文化であり、村上春樹の文学なのだろう。」(『文学界』5月号「ロシアの村上春樹」より)
また、ロシアのアニメーション作家、ノルシュテインは昨年の来日の際にこういう発言をしている。
「今はとても手軽さや早さが求められています。ですから映画館で上映されているものも多くの人々の好みが反映されているわけです。その結果みんな『今、本当の生活はない、本当の精神はない。本当の生活はもっと先にやってくるんだ』というような感覚になってしまっている。『今はとりあえず快楽を』ということなのです」
奇しくもこの二人のロシアに関する意見はほぼ同じである。深淵を覗こうとしない人々が、ある潮流をつくっているのである。
私の子供の頃、平和で自由だと思っていたあの時代ですら、私の価値観は揺さぶられて、選択は完全に自由とはいえなかった。
イスラム社会の台頭、世界的な暴力の拡大やナショナリズムの高まり、など私達は30年前と同じように揺さぶられ続けている。その結果、精神を病む人が増え、スヴィドリガイロフに似た人は増え続けるだろう。
その現実を見ないことがどんな結果を招くのだろうか。
ロシアではネオナチが世界一多く存在していて、先日も日本人が襲われた。一方、日本では、毎日のように子供が大人によって殺されている。
深淵をのぞこうとしない人はいきなり、深淵に落ちてしまうのである。ドストエフスキーを忘れかけた世界は、いよいよドストエフスキーの小説に似てくるようである。 (了)
4・8読書会報告
大盛会だった講演会
4月8日(土)に開かれた亀山郁夫氏の講演会は、会場の中会議室が、ほぼ埋まる出席者がありました。大盛会でした。講演は、氏のドストエフスキー体験ともいえる青春時代のほろ苦い思い出から、最近の『悪霊』論に至るまで多岐にわたる内容でした。会場の熱気は懇親会でさらに上昇、三次会まで続きました。活気あるドストエフスキー祭でした。亀山先生には最後までお付合いいただきありがとうございました。
なお、亀山氏は当日の感想をご自身のブログにこう書かれていました。(一部転載させていただき紹介します。題字は編集室)
ドストエフスキーにとって一番幸せな一日
「ドストエーフスキイの会」、「全作品を読む会」主催の講演会に講師として招かれ、約1時間半、「《父殺》しの深層」というタイトルで話をした。残り45分ほどが、質疑応答にあてられた。充実した時間だった。会場には、ざっと見渡したところ、約70名ほどの人たちが集まってくれた。今回の講演会が実現する運びとなった理由は、昨年6月にみすずから出た『《悪霊》神になりたかった男』でぼくが打ち出したマトリョーシャ=マゾヒスト説。「ドストエーフスキイの会」の何人かの方から、強い疑義が出され、会内部でも大きな議論になって、それなら、著者にご登場いただこうという話になったらしい。幹事役の福井勝也氏さんの名前は、もう、随分前から存じ上げていたし、前々からすばらしい書き手だと思っていたので、ぼく自身、喜んでお引き受けすることにした。講演を聴きにきてくださった方々には、ぜひ懇親会でもお会いしたかった。池袋西口ライオンの地下一階が、ドストエフスキーで灼熱し、ほとんど、地上に吹き上げかねない勢いだったのだ。ここでは、敢えてその日の出来事については書かない。ともかく、ぼくたちだけでなく、21世紀まで生き延びたドストエフスキー自身にとっても、今日が一番、幸せな一日だったのではないか、とふと思ったりした。長い人生、学会にしろ、シンポジウムにしろ、ドストエフスキーがこれだけ熱っぽく語られた日はいまもって記憶がない。今年35年を迎えた「ドストエーフスキイの会」「全作品を読む会」にこの熱が持続してきたとするなら、それはもはや熱病ではない。ムラカミさん、今や世界のアイドルとなったあなたとはまるで異次元の地下室にこそ、ほんものの文学の熱はあるのですよ。
〒 参加者のなかには、亀山氏の教え子の皆さんも多数いらっしゃいました。最初の教え子の方、N.T.さんから、講演会の感想や三次会でのお写真をいただきました。ありがとうございました。感想部分を紹介させていただきます。
これを機会に再読したい
私は、卒業論文で『白痴』をやったもので、今回講演会に参加して非常に驚き、また感激いたしました。こんなにドストエフスキーに熱い人たちがいるのだ。本当にすごいの一言でした。卒業後、ロシア関係の貿易をしており、ロシア人と会話する機会が日本人と話すより多いので、ドストエフスキーの話など卒業後することもありませんでした。青春時代にタイムスリップしたようでした。これを機会にまた私もドストエフスキーを再読しようと思っております。
ますますの会の発展を祈っております。
平成18年4月9日 N.T.
連載
日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(続編)
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像−
(第4回)−小林秀雄という問題(3)
福井勝也
私は、前回の論の途中で以下のように言及した。
「小林は、ドストエフスキーという問題を、おそらくだれよりも深く理解することができた。それは、ドストエフスキーという存在に迫る方法をしっかりと認識していたからだ。その技術を心得ていたからだと言っても良いだろう。そしてそれが、今までにいくらでもあった、客観的な検証に堪えない伝記的事実の羅列とは異なる<ドストエフスキー>のデッサンを正確に描くことを可能にした。」
これは直接的には、『ドストエフスキーの生活』(昭和14年)を対象にした文脈のなかでの言葉である。今回は、この内実にもう少し触れてみたい。実は、小林がドストエフスキーに真正面から切り込んだ批評のあり方について考えていたこの時期、前田英樹氏の著作である『小林秀雄』(1998年、河出書房新社)にめぐりあった。刊行当時にしっかりと目を通すことができなかったものだが、今回、専門研究をされているベルクソン論を聴講する機会に恵まれ改めて本著を読んで感心させられた。この著書自体、小林が「感想」等で直接問題としたベルクソンの哲学を踏まえたユニークな小林秀雄論として類の無いものだ。明治期以来の日本近代文学におけるドストエフスキー受容にあって、何故、小林が昭和10年代にドストエフスキーの実像にこれ程深く迫り得たのか、その問いを反芻していた矢先に前田氏の著書に教えられた。確か、埴谷雄高氏の指摘だったろうか、小林の『ドストエフスキーの生活』はE・Hカーの伝記『ドストエフスキー』の引き写しだとする批判的な言葉を聞いた覚えがある。小林が、この時期にいち早く精度の高い伝記資料としてカーの著作を利用したことは確かなことで、後年(昭和24年)小林自身がそのことを自ら後記(=容認)した経緯がある。しかしカーのそれと読み比べれば、その内容も作者のスタンスの違いも明らかで、勿論現在このことを問題とする者もないはずだ。いずれにしても、その著作の思考のエッセンスを確認すれば足りる話だ。前田氏はこの点で、その本質的内容について以下のように言及している。
「小林が示すドストエフスキーの<生活>は、歴史を形成する潜在的な出来事の複数の線に刺し抜かれて存在している。小林が描くこれらの線を<環境>や<状況>の概念に置き換えることは決してできない。一人の人物を取り巻き、作り上げる環境は現実的なものであり、人物が環境から蒙った影響などというものは、伝記作者によってどのような視点からでも物語り、分析することができる。ドストエフスキーにも与えられた<環境>があったとすれば、それは出来事の複数の線によって成る強いられた問いの所与であり、彼はそれをみずからの<環境>として生きるよりも、そのなかに秘密の問題を創り出して生きる。ドストエフスキーに関する小林秀雄の伝記は、人物とその環境との現実的関係を決して描いたりせず、人物=対象が強いられそれをとおして彼が個体化してくるような秘密の問題を捉えることにすべての注意を集中させる。」
「たとえば、ドストエフスキーが29歳から32歳のあいだに政治犯として過ごしたオムスクの監獄から、彼は何を得てきたか、それは彼にとって果たして毒であったか、という問いの出し方は誤ったものである。解決される見込みのないこの種の伝記的難問から、評家の意見はさまざまに分かれる。ところが、オムスクの監獄は、ドストエフスキーにとっては、そこから何らかの感化や影響を蒙ることができるような現実的な環境だったのではなく、形成し、回答することを強いられたどこまでも圧倒的なひとつの問いの所与にほかならなかった。彼の<作品>は、やがてまぎれもなくこの問いの所与への決定的な回答として現れてくる。正確に創り直された問題のなかには、すでに回答の輪郭があり、出し切られた回答のなかには、創り直された問題の秘密がある。けれども、ドストエフスキーにおいては、問題形成(生活)と回答(作品)とのこうした連関を真に明らかにするためには、これらの二つの方向は、まさにこれらが成り立つ実在の線に沿って、質的に分割されていなければならないのである。こうした分割の重要性は、小林のドストエフスキー論のひとつの主題とさえなっている。」
やや前後するが、関連のこの辺の文章をもう少し引用してみる。
「子を亡くした母親の<愛惜の念>という小林の喩えが、最も力強い意味を持ちうるのは、この種の分割の地点においてだろう。ここで重用なのは、<愛惜の念>そのものではなく、回想に関わるそうした<知恵>ないしは<能力>が、<過ぎ去った現在>の混合物を質的に分割する直観の方法へと正確に発展することである。したがって、伝記作者においては、<愛惜の念>は、自然のなかに歴史事実を存在させる能力であるというよりは、<過ぎ去った現在>の混合物のなかに歴史の潜在的な出来事の線を分割する能力であると言ったほうがよい。混合物の分割によって引き出されたドストエフスキーの<生活>は、もはや現実のなかにはなく、現実的でないものこそが実在するものであるだろう」(同著p65−66)。
前田氏は、また別の箇所で、小林秀雄の批評の本質は巧みな料理人が獣の身体が持っている自然な質の差異にあくまでも従いながら肉を切り分ける、何よりも対象についての質的分割の技術に関わっているのだと指摘している。さらには、小林の批評とは、ある作品をその固有の回答とするような秘密の問題へと、一気に身を置き直す行為そのものであると言う。また批評家としての小林が、作品=回答をそれが包括する質の差異をとおして正確に分割することができるのは、問題の潜在的形成から回答の現実的達成へと進むこの路を人物=対象とともに歩くことによってであるとも指摘している。いずれも小林秀雄の文章に対する本質的な分析と言える。
前田氏の文章に拘るのは、今までの小林の文学評論への評価が、「政治と文学」的な旧来の歴史的な枠組みに囚われた結局は偏派なものが多く、その批評自体の思考のダイナミズムを指摘したものがほとんどなかったと思うからである。その意味で前田氏の批評はとにかく新鮮に読める。このことは、氏自身が、小林の評論の核とも考えられるベルクソン哲学に精通していることによるのは明らかだ。数年前(=2002年)の小林生誕100年の際、未完かつ遺言で刊行を禁止されていたベルクソン論の『感想』が新版の作品集に収録されて話題になったが、おそらく前田氏の本著(=1998年)は緻密にベルクソンを読み込んでの本格的な小林秀雄論として嚆矢のものと言えよう。とりわけ、本著の『ドストエフスキーの生活』について触れた部分を読んでみるとき、小林の<ドストエフスキー論>がその独自の評論スタイルの確立のキ−ポイントでありえたことに気付かされる。そしてそのことを可能にしたのは、おそらく、文学史的にも重要な『私小説論』の先行とその具体化・作品化としての『ドストエフスキーの生活』という主題の発見による。そのテ−マが、ただの<ドストエフスキー>ではなく、《その生活》でなければならなかった必然性もあった。前回も指摘したが、小林がこの時期作家としてめざしたのは、新しいスタイルの「私小説」を作品化することにあった。小林にとっては、『私小説論』で問題とした「文学の社会化」をめざし「社会化した私」を探求することと、自ら「新しいスタイルの私小説」を創作することとは矛盾するものではなかった。そして私は、その文学的達成としての著作に<ドストエフスキー>が選択された文学史的事実とその批評方法のあり方に注目したい。おそらく、帝国主義的戦争が世界的規模で開始されていたこの時期、小林が<ドストエフスキー>に着目としたのは、その拠って立つ西欧が孕む根源的問題(=<近代の毒>)の洞察に最適な文学的対象として<ドストエフスキー>と邂逅したためだろう。この<近代の毒>については、この後の「歴史と文学」(昭和16年)でより鮮明に言及されることになる。いずれにしても、この時点の小林には、単なる時評家の視線を越えたドストエフスキー的な「蜥蜴の眼」が光り始めている。そして透徹したこの眼力を保障したものこそ、単なる伝記的事実に振り回されることなく、<対象へ迫るための質的分割の実行>や<秘密の問題へと一気に身を置き直す行為>を可能にする批評家としての思考技術にあった。それは、『私小説論』を前提として、<ドストエフスキー>の<生活>という対象の発見と不可分に結びついていた。勿論、そこにベルグソンの哲学的思考が深く介在しているに違いない。今回私の言いたいことはその辺のことであった。そして、それを前田氏の著書から教えてもらったわけだが、小林が生涯拘った思考のスタイルとしてのベルクソニズムについては、それ自体が未だ十分に論じられて来ていないことに改めて気付かされた。最近、小林の講演録(テープ)を聴き直しながら、繰り返し小林がその辺のことに触れているのには驚いた。実は、今回の文章を書いている途中に体調を一気に崩してしまい、人間の思考(=精神)が身体性と如何に不可分なものかということを思い知った。小林の『ドストエフスキーの生活』は、そんな<ドストエフスキー>の身体にしっかりと根を下ろした叙述になっている。そこに単なる「伝記文学」との違いがあるということか。体調を整えながら、この後もう少し小林論を続行したい。 (2006.5/20)
☆冊子 提供者・中村健之介さん
2006年1月31日発行 中京大学社会科学研究第26巻第1号抜刷(通巻第49号)
[特別論文]
『ニコライの日記が語る新しい事実』中村健之介
【質問者の文化についての解答、抜粋】
ドストエフスキーは、日本ではもう明治期から昭和までずっとロシア文学の代表のように受け入れられてきていますが、しかし、そういう宗教的なロシア文化の中にいる作家だとはとらえていませんでした。小林秀雄、埴谷雄高のドストエフスキー論からは、そういうロシア文化の匂いはしません。しかし、ドストエフスキーもまたそういう宗教的なロシア文化の中にいて、それがしみこんだ作家だったのではないか。・・・ロシア文化がもっていたものは何か。前近代的な感覚です。自然科学的無機的機械的世界観ではなく、有神論的有機的な世界観。神様はまだ死んでいない世界なのです。・・・ドストエフスキーには明らかにそういうものがある。例えば、フランスのモーリアックという作家も、ドストエフスキーと同じような人間関係や意識のとか悩みとかを書いています。・・・ところが根本的なところが違う。モーリアックが書く嫉妬とか疑念とかの世界は、、そこだけで終わっているのです。ところが、ドストエフスキーの例えば『罪と罰』は、突然人間の復活が起こるということが期待されている。
東京大学資料編纂所研究紀要第16号(2006年3月)抜刷
『宣教師ニコライの周辺』中村健之介
「ロシア正教会宣教師ニコライ(1836−1912)の日記には、ざっと数えて5000人近い人物が登場する。その中からいま二人のロシア人と二人の日本人を紹介してみる。」
Spring 2006 7
大妻女子大学比較文化学部紀要『大妻比較文化』
ドストエフスキー・ノート(3)
日本ロシア文学会講演
「宣教師ニコライ、出会った人たち」中村健之介
※内容は追って紹介します。
紹 介
昇 曙夢(のぼり しょうむ)
日本のロシア文学者の先駆者の一人、昇曙夢について、本紙「読書会通信」をめぐっての奇縁な出会いを前号で紹介した。引き続き、新事実を紹介していきたい。
先日、血縁者が経営する印鑑工房「愛幸堂」(豊島高士)を訪ねた折、曾孫に当たる婦人から、名前の呼び方が違っていると指摘された。「しょむ」ではなく「しょうむ」とのことである。蔵書は終戦時に進駐軍に押収されてほとんど残っていないとのことだったが、何冊か難を逃れていて、このたびその一冊をお借りすることができた。昭和30年9月30日河出書房発行の書である。定価1000円とある。が、当時としては、かなり高額か。
昇 曙夢著 河出書房『ロシア・ソヴェト 文学史』
新刊紹介
最近出版された会員の皆さんの著書を紹介します。
☆ 2006年5月20日発行
横尾和博著 のべる出版 1400円
『新宿 小説論』
新宿を舞台にした初の小説論。大沢在昌『新宿鮫』、馳星周『不夜城』など36編を紹介した体験的小説論!
新しいガイドブックここに誕生!
☆ 2006年4月10日発行 !!
国際ドストエフスキイ学会副会長・リチャード.ピース著、池田和彦訳
『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』
(のべる出版企画発行、2400円)
「ドストエフスキイの作品全体の鍵」となる小説を英国人の視点で精緻に読み解く
☆ 2006年3月15日発行 !!
森 和朗著(ドストエーフスキイの会会員・読書会通信) 鳥影社 定価3000円
『自我と仮象 第U部』
小泉改革は仮象である! マスコミにあおられ、人々の自己投機が生み出す「仮象」。そのメカニズムを明らかにし、ニホン凋落の根源を衝く。
※ ちなみに『自我と仮象 第T部』は2004年11月19日に発行されている。
☆ 2006年3月27日発行!!
下原敏彦著 鳥影社 定価1800円
『ドストエフスキーを読みながら』
―或る「おかしな人間」の手記―
本書はドストエフスキー作品を読みながら思いつくままに綴ったものであります。
編 集 室
○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024
○ ドストエーフスキイ作品の感想、評論、自著の宣伝、映画、演劇評など、かまいません原稿をお送りください。
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方