ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.94  発行:2006.2.2



第213回2月読書会のお知らせ


2月読書会は、下記の要領で行います。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

 月  日 : 2005年2月11日(土)
 時  間 : 午後2時00分〜4時45分
 場  所 : 東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
 作  品 : 『地下生活者の手記』2回目
 報 告 者 : フリートーク(前シンポジウムの課題・地下室人評価など)
 会  費 : 1000円(学生500円)

※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。

◎ 終了後は、近くの居酒屋(西口)で新年会を開きます。

 会 場 : 日本橋亭(変更の場合も有り)
 時 間 : 夕5時15分〜7時30分頃迄
 会 費 : 3〜4千円

※ 注意!会場は、小会議室7です。いつもの(小1の)上の階です。



2006年(平成18年)の読書会開催日・報告作品について

 本年の読書会は、従来通り偶数月第二土曜日を基本開催日とします。但し、抽選にて確保できない場合もあります。そのときは本通信にてお知らせいたします。
 2006年、平成18年の読書会開催月日は次の通りです。
 2月11日(土)、4月8日(土)、6月10日(土)、8月12日(土)、10月14日(土)、
 12月9日(土)
 作品は、『罪と罰』、『鰐』を考えています。『罪と罰』は、複数回を提案します。なお、4月読書会までは決まっているので、作品レポートは6月読書会からとなります。5ヶ月ありますから、それまで長編をじっくり読んでもらうということで、6月は『罪と罰』とします。

4月読書会は、以下の要領でおこないます。

ドストエーフスキイの会 ドストエーフスキイ全作品を読む会主催

第214回読書会・講演会 亀山郁夫氏来る!!

 月 日 : 2006年4月8日(土)
 時 間 : 午後1時半〜4時45分
 会 場 : 東京芸術劇場中会議室 
 講演者 : 亀山郁夫氏(東京外国語大学教授 ロシア文学・文化論専攻)
  題 目 : 「『悪霊』神になりたかった男」
 会 費 : 1000円(学生500円)
  懇親会 : 午後5時〜7時 

亀山郁夫著:『終末と革命のロシア・ルネッサンス』(岩波書店)、『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波書店)、『破滅のマヤコフスキー』(筑摩書房)、『あまりにロシア的な。』(青士社)、『磔のロシア――スターリンと芸術家たち』(岩波書店 第29回大仏次郎賞受賞)、『熱狂とユーフォリア――スターリン学のための序章』(平凡社)、『神になりたかった男』(みすず)訳書としては、プラトーノフ『土台穴』(図書刊行会)、ヘーントワ『驚くべきショスタコーヴィチ(筑摩書房)、グロイス『全体芸術様式スターリン』(現代思想新社)





2月読書会作品は『地下生活者の手記』2回目
 
2月11日(土)開催の読書会は、『地下生活者の手記』をとりあげます。前々回の10月読書会に引き続きフリートークとなります。感想・批評など報告希望の方は、お知らせください。但し発表時間は、1報告20分以内にお願いします。

シンポジウム紹介
プレイバック・シンポジウム 『地下生活者(地下室)の手記』をめぐるシンポジウム

 当日、報告者がいなかった場合、32年前、当時の読書会グループが開催した「『地下生活者の手記』をめぐるシンポジウム」の概要を検証しながら、また口火として議論して行きたいと思います。「ドストエーフスキイの会・会報No.30 発行1974・3・25」によると1974年1月21日(月)に新宿・厚生年金会館で開催されたシンポジウム「『地下生活者の手記』をめぐって」の概要は、次のようでした。

1974年1月21日(月)開催シンポジウム概要(第29回例会報告要旨より)


 このシンポジウムは、前年(1973年)4月に開かれた『死の家の記録』をめぐるシンポジウムのスタイルを踏襲したもので、読書会が拡大読書会の形で行った。内容は、読書会で注目された問題点を取り上げ3人の会員が、1人20分の持ち時間で報告した。
 報告者は、冷牟田幸子氏・松平幸子氏・新谷敬三郎氏の3氏。

1974報告概要の紹介

地下室人とは何か  新谷敬三郎

 『地下室の手記』でドストエフスキイが提出している問題は、人間=私は、社会的存在として理性が貫徹する歴史の法則に服していなければならないが、同時に人間は自己関係的な存在として、窮極において自分自身とのみかかわる自己目的的な存在でもある。この関係は果たして二律背反的であるか。それをいかにして超えるか。これがこの作品ばかりでなく、ドストエフスキイの創作の一貫した課題であった。
 そして、地下室人とは、ヒーロー(絶対的な自我)にも虫(自然の法則、あるいは歴史の法則)にもなれない存在であることを自覚しているところの精神であり、それゆえに社会的存在であることを許されない(自他ともに)、ちゃんとした人間になれない、だから地下の人間なのである。むろん、彼は何とかしてちゃんとした人間になりたいと願う。が、ひとがならしてくれないのだと彼は叫ぶ。
 こうして彼は復讐と憎悪に燃える。何に対してかといえば、それは他人に対してなのだろうが、彼にあってはそれは外へ表現されることなく、すべて自分にむけられる。地下室人は、すでに言ったように、社会的存在であることを絶望的に拒絶されているので、彼の情念も思惟も行為として表現されることがなく、意識の出来事として言葉と化するほかはない。彼は意識の機能、言葉そのものであって、その意識の永久運動のなかで世界も彼自身も一切が相対化されてしまう。
 こうした地下室人のすがたはリーザとの交渉にもっともよく現れている。彼はこの娼婦と寝ながら、暗闇のなかでお喋りをする。そのときローソクは燃えつきて真の闇になったと彼は書いている。この女こそ彼にとって、心から話かけることのできる相手であったのだが、その相手にむかいあったときでも、相手は見えていないのである。したがって、彼のお喋りも見えない相手への呼びかけとなり、自己演技と化し、そのことを彼は意識する。
 それはこの手記そのものについてもいえる。彼にとっては、告白するとか、手記を書くとかいっても、それが誰にむかってそすうるのかが見失われ、自分自身にそうしているとしか思えなくなっしまう。それは自分に対する演技でしかないのである。

地下生活者の意識、意欲、そして作者のキリスト観   冷牟田幸子

1.地下生活者と意識=彼が意識の無限連続に縛られた一つの理由は意識の本質にあるが、その空しい結果を予想しながらも意識の活動を途中で放棄しなかったところに、彼のただならぬ意志を読みとることができる。終章で「諸君が半分までも徹底る勇気のなかったことを極端にまで徹底させた」と自負する所以である。そして、彼があくまで意識の無限連続に従うことに、単なる惰性ではなく、真実を追求する情熱を読む所以でもある。彼の真実なるものへの渇望は第一部十一章の次の言葉に端的に表現されている。「けっして地下生活が一番いいのではなくて、わたしの渇望しているのは何かしら別なもの、まるっきり別なものだということを、2×2が4というほどはっきり知っている。ただ、それがどうしても発見できないのである。」
2.地下生活者の「意欲」=彼は理性に対する「意欲」の優位を主張するが行動においても「意欲」が理性を圧倒していたことは第二部の随所にみられる通りである。しかし、彼の根本的な「意欲」は意識の活動を極端にまで徹底させることにあった。したがって、意識の徹底の結果は「意欲」を追求して得た結果でもある。それは「拱手傍観の生活」、価値の相対化からくる性格の喪失、そして絶望的な孤独という否定的なものであった。つまり、ドストエフスキイは地下生活者における「意欲」の追求(換言すれば我意の追求)が絶望的な結果にしか至らないと述べているのである。
3.ドストエフスキイのキリスト観=この当時の彼のキリスト観をみれば、さきの結論と地下生活者に渇望させた「別なもの」の意味が理解できょう。『地下生活者の手記』の前後に書かれた『夏象冬記』、『妻マリアの棺の傍の瞑想』、『社会主義とキリスト教』に、キリストと自我に関する一環した考察がある。それはキリストにみる自我の滅却、自由意志による自己犠牲こそ個性の最高の現われという主旨である。地下生活者と対極的なこの姿勢こそ、「別のもの」に託したドストエフスキイの理想であろう。一方でこうした明確な理想を見出しながら、理想を見出し得ず苦悩する地下生活者を創造したことに、この理想をたやすく受容できない作家自身の精神の現実を見るような気がする。
 地下生活者はドストエフスキイの否定的分身といえよう。
 「キリストは間違っていた。それは照明ずみだ!という。ところが、この燃ゆるがごとき感情はいう――俺は諸君とともにあるよりも、その誤謬とともに、キリストとともにとどまるだろうと。(『手帖』より)
 ここにはキリストへの揺るがぬ愛と信仰がある。だが同時に「キリストは間違っていた、それは照明ずみだ」という仮定に、ドストエフスキーの内部で「反対の論証」が依然克服されていない、そればかりでなく「反対の論証」に対してキリストが無力であることを認めようとさえしていることが読みとれる。 (冷牟田幸子著『ドストエフスキー』から)


『地下室の手記』の主題  松平幸子

 『地下室の手記』の主人公は「本当のところ一度も意地悪になれたためしがない。それどころかまるで反対の要素が自分の内部にもありあまる程充満しているのをひっきりなしに感じる」「この世の中がうまく行ったら感謝の念だけでも自分の舌を切り取らせてもいいほどに思っている」人間である。こういう人間が知力と思索の習慣を持っているために、知的判断の方に従って行動し、その結果間違ってしまう事になる苦痛を述べたのがこの作品の主題だと思う。主人公の心底からの叫び声は読者を驚かすと共に作品全体に、リアルなもののもつ滑稽さをおのずから漂わせている。決して「ドストエフスキイの偉大な作品の原動力となった広潤な慈愛と寛容を欠いているもの」ではない。
 第一部は主人公の四十年間の結論としての、理性による正邪の判断に従うよりも意欲に従って行動するのがむしろ美しくかつ正しいのだ、という主張を徹頭徹尾述べているものである。第二部は、彼が青年時代心よりも頭に従って行動したために如何に失敗したかという苦い悔恨を述べたものである。彼は自分の美的観念に従って、友人の会合に加わりたくないと思いながら加わり、家に帰りたいと欲しながらも彼等を追いかける。リーザより自分の方がみじめになっている事になるという考えに落ち込んで彼女を辱かしめる。「永久に悔辱を抱きながら去って行った方が」より彼女のためになると考えて、謝罪のために駈け出た往来に立ち止まる。そして何年後もこの思い出のために苦しむ。
 ドストエフスキーは姪のソーニャあてに「少しでも自分の名誉心と良心に妥協するが早いか永遠に魂の中に弱い所が残って――中略――私はいま紋切型を言っているのではありません、いま私が言っている事は私自身の痛心事なのです」という手紙を書いている。ドストエフスキーに『地下室の手記』を書かせたのは何かわからないがこの痛心事だと思う。そして彼の小説はすべてこの問題、即ち理性と意欲に対する考察のバリエーションである。ラスコーリニコフは、自らの強い感性に従いながらも結局理性の前に跪かされた者の悲劇であり、スビドリガイロフは意欲だけに生きることに徹し意欲するものを探し続けながらもそれを拒絶された者の悲劇であり、イワンは頭と心の落差に気付く者、スタヴローギンは意欲の大切さを知り、理性に惑わされなかったが「希望に弾みが欠けてる」という自覚のために身動き出来ず終わった者の悲劇である。

《討論の概要》(「ドストエーフスキイの会・会報No.29」から) 

3氏発表シンポジウムの司会を担当された木下豊房氏は、論点を以下、4項目に総括された。

1.「地下室」の概念をめぐって。
2.第一部と第二部の関連、そして全体の構造。
3.ドストエーフスキイと地下生活者の関係。キリスト・信仰の問題。
4.地下生活者とラスコーリニコフ、スターヴローギン、イワンなどとの関連。

《項目解析》

木下氏による、各項目概要は、次の通りでした。

1の「地下室」の概略をめぐる討論では、参加者の中から、「地下室」は具体的なイメージではなく、ラスコリニコフの屋根裏とも同じ状況。地下室人とは「心理的・精神的に社会から疎外されている人間」で、様々な欲求の実現をはばまれている人間だという解釈が提起され、それに対しては、生理的な次元での欲求は、主人公の反駁する「自然の法則」に含まれるのであって、地下室人のいわゆる「欲求」、「意欲」、「恣欲」はそんな意味ではない。むしろ自意識上の問題ではないのかとして、『未成年』の序文のメモにドストエーフスキイが書きつけた地下室の悲劇の規定が、参考のために紹介された。ドストエーフスキイはそのメモで、ちっぽけな自尊心の持主であるプーシキンやトルストイの余計者と地下室人を対照させながら、「ただ1人、私だけが地下室の悲劇を描いたのだ。その悲劇は苦しみと自己懲罰にあり、より良いものを意識しながら、それに到達することの不可能、さらに重要なことは、これらの不幸な存在が、すべてはこうであろうと信じながら、それだけに、改めるに値しないと思いこんでいる点にある」とのべ、「地下室の原因は全般的な原則への信仰の喪失、〈神聖なるものの不在〉と記している。
 次いで討論は第一部と第二部との関連に移り、一部=「理論篇」、二部=「行動篇といった読み方に対し、松平氏の二部=青年時代に心よりも頭で行動した、いわば他動的な行為の悔恨、一部=その反省としての意欲の主張といった読み方が問題にされ、これに対しては、理性と恣欲や意欲の対立が作品の主題なのではなくて、あくまで自意識が主題である。一部で主人公は自意識の無限循環に閉じ込められ、それを脱出してさらに主張を展開するために、過去の具体的な現実を取りだしてきたのだ。合理主義や社会主義に対する批判は、作者の意図としてはあったかもしれないが、作品としては自意識を描く筋道に組みこまれてしまっている。自意識の機能として、原因の原因を追求する地下室人にとっては、キリストや信仰も根源的な原因や救いの存在とは意識できない。従って、地下室人は永久にすくわれることができない作者の分身そのものではないか、といった意見が出された。
 次に進んで、ドストエーフスキイと地下室人の関係、キリスト・信仰の問題が論じられ、この作品の時点で、ドストエーフスキイはすでに人間の理想としてキリストを見出していた。彼は自己を克服することによって、万人に自己を供するキリストの理想を一方では抱きながら、同時に、自分の中にどうにも否定しえない自我を見出していたからこそ、このような作品を創造した。その後のラスコリニコフ、スタヴローギン、イワン等も作者の血を分けた同系の人物であるという冷牟田氏の主張に対して、ラスコリニコフやイワン等の系列に地下室人を結びつけるのは反対。ラスコリニコフは心理的な閉塞状況のなかで理論を構築、自己検証をおこなったのだという意見が出され、この意見に対しては、いや、理論の実践ではなく意欲の実践だったのだとか、実践するかしまいかの意識の堂々めぐりから抜け出るための行動だったのだとか、ラスコリニコフの犯行は理論によるものでも、意欲によるものでもなく、正に、地下室人がいやな友達の送別会に出席するのと同じ行為だといった意見が出された。
 最後に、この作品では人間にとって大事な懐疑的な精神が示されているといった読み方はできないだろうか、ドストエーフスキイが神を信じていたのなら、この小説を書かなかったのではないだろうかとか、信仰の支えとして、手がかりとしてこれを書いたことはうなづける面もあるが、このような人物を描いて提出する意味は、前書きとの関連から見ても、ほかにまだあるのではないか、といった意見が出された。(木下豊房)

32年前の課題&宿題

 作者が地下室人を生みだした意味は、「ほかにまだあるのではないか」。1974年の『地下生活者の手記』シンポジウムを司会した木下豊房氏は、討論の概要末文を上記の文で結ばれた。この言は、そのまま読書会に課題として差し出されたようにも思える。
 あれから32年、『地下生活者の手記』の読みも4サイクルを迎えた。が、この32年前の課題は解けただろうか。2・11読書会では、この課題について話し合えたらと思います。あわせて「この作品では人間にとって大事な懐疑的な精神が示されているといった読み方はできないだろうか」についても議論できれば、と思っています。
 また、改めて以下の点についても話し合えればと思います。考えをまとめてきて発表していただければ幸いです。遠慮なく発表ください。

1.ドストエーフスキイは、なぜこの作品を書いたのか。
2.地下室人間は、人類に対して何を言いたかったのか。
3.この作品は、あなたにとって何か。(好きか嫌いか、人生の道標となり得たか)
4.あなたは、地下室人と思うか。だとしたら、なぜ幸福を受け入れないのか。その理由。   



近日刊行 
折りよく、池田和彦氏訳の『地下室』論が近日刊行されます。

『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』
(国際ドストエーフスキイ学会副会長・リチャード・ピース著・池田和彦訳・高橋誠一郎編)
のべる出版企画発行、予価2400円

ピース氏の「ロシアにおける自由の概念」と、池田氏の「日本における『地下室の手記』―初期の紹介とシェストフ論争前後」を、序論および付論として所収、索引付き


『地下室の手記』の現代性   高橋誠一郎

 『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』は、作品の文学的背景や論争の背景をも明らかにしながら多くの研究成果と斬新な手法を活かして、その後の文学や思想に深刻な影響を及ぼした『地下室の手記』の本格的な分析を試みたものである。
 本書の特徴の一つに挙げうるのは、ピース氏がロシアだけでなくイギリスの思想的潮流をもきちんと分析した上で、ドストエフスキイがイギリスで生まれた功利主義の哲学や、当時の西欧中心史観をも射程に捕らえつつ、イギリスの歴史家バックルが『イギリス文明史』で主唱した「楽観的な進歩史観にたいして」この小説の主人公を敢然と立ち向かわせていると指摘し得ていることであろう。実際、ドストエフスキイは『地下室の手記』の主人公に、「文明」が進むことによって「戦争」が無くなると言われているが、むしろ現代では「血はシャンパンのように」多量に流されているではないかとして、「文明」の名のもとに正当化される戦争の実態を批判させていた。
 そしてそれは、なにゆえドストエフスキイが『罪と罰』において、「自分」をナポレオンと同じ「非凡人」であると信じ、「他者」を「悪人」と規定して殺害した若き主人公の思想と苦悩を描き出したかをも説明しているだけでなく、「他国」を野蛮な敵国とし、「自国の正義」を主張して、「戦争と革命の世紀」となった20世紀の性格をも予告していたのである。一方、21世紀は「平和と対話の世紀」となることが期待されたが、ニューヨークで同時多発テロが起きると、「報復の権利」の行使が主張され、「ならず者国家」に対しては核兵器の使用も含む先制攻撃が出来るとするドクトリンが発表されて、「新しい戦争」が開始された。すなわち、現代は依然として19世紀にドストエフスキイが提起した問題をきちんと克服できていないのである。
 その意味でも再び混迷の度を深めている現在、当時のロシアの時代状況をきちんと踏まえつつ、理想に敗れた知識人の絶望にいたる意識の流れを鋭く描き出して、「自己」と「他者」の問題を極限まで考察した『地下室の手記』を論じてその現代性を明らかにしたピース氏の著作が日本の読者に広く受け入れられることを期待したい。(本書「あとがき」から)



2005年読書会報告

2月3日(木)  「読書会通信88」発行 
2月12日(土)  会 場:東京芸術劇場小会議室1 参加者15名 PM6:00〜9:00
          作 品:『虐げられし人々』1回目
          報告者:近藤靖宏氏
4月 1日(金)  「読書会通信89」発行
4月 9日(土)  会 場:同上 参加者13名  PM2:00〜4:45
          作 品:『虐げられ誌人々』2回目
          報告者:平 哲夫氏
6月 1日(水)  「読書会通信90」発行
6月 11日(土) 会 場:同上 参加者20名  PM2:00〜4:45
          作 品:『夏象冬記』
          報告者:金村 繁氏
8月 1日(月)  「読書会通信91」発行
8月13日(土)  会 場:同上小7会議室 参加者16名 暑気払読書会AM9:30〜12:00
          作 品:『小山田二郎とドストエフスキー』・ロシア詩プーシキン他
          報告者:福井勝也氏 詩朗読:小林銀河氏
          『広場14号』   報告者:近藤大介氏、小林銀河氏、秋山伸介氏
           ド会合同合評会      (順不同) PM1:00〜4:05 参加者26名      
8月13日(土)   読書会&例会暑気払出席者18名 PM6:00〜8:00
9月30日(金)   「読書会通信92号外」発行
10月 8日(土)  会 場 : 同上 参加者14名 PM2:00〜4:45
          作 品:『地下生活者の手記』第一回目
          報告者:寄稿感想&フリートーク 
12月 10日(土) 「読書会通信93」発行
12月17日(土)  会 場:同小会議室7 参加者13名 PM2:00〜4:45
          読書会開催35周年記念「『地下室の手記』におけるサディズム・マゾヒ
          ズムをめぐる問題」報告者:福井勝也氏
12月17日(土)  読書会忘年会 「魚民」PM9:00〜11:00 参加6名

 2005年は、電車事故、選挙やら、異常気象、最後に耐震偽装事件やらがあって何か騒々しいうちに過ぎてしまいました。「一杯のコーヒー」をゆっくり飲む暇もありませんでした。笑



2005年12・17読書会報告

 昨年12月17日(土)の読書会は、都合で読書会開催35周年記念として、福井勝也氏に「『地下室の手記』におけるサディズム・マゾヒズムをめぐる」を報告していただきました。
 
12月17日(土)の第212回読書会の参加者は13名の皆様でした。


〈参加者から寄せられた感想と意見〉
・いつもとりあげる作品を読みきっていないので反省しています。年間の作品が前もってわかれば、着け刃にならなくてすむかも・・・(あてにはなりませんが)
・せっかく出席したので作品について話してみたいが、なかなかきっかけがつかめない。
・議論が沸騰したり熱が入ると、引いてしまう。学問的過ぎて・・・。
・時間的に発言したくてもできない人がいる。はじめに全員に発言を求めたらどうか。(発言したくない人は、そのときパスすればよい)

 忘年会少人数だが賑やかに
 2005年、最後の読書会ということで、忘年会を開きました。が、用事ができてしまった人や開催日が遅れたせいもあって欠席者続出で、出席者は6名(女性4名)でした。10人分の予約料理でしたが、女性陣が奮闘。賑やかに行うことができました。



寄稿・連載第2回

日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー (続編)
  −「ドストエフスキー体験」をめぐる群像− 

                             
福井勝也                  


小林秀雄という問題 (1)
 
 ここ数週間、小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』を読み返した。著書として刊行されたのは、昭和14年(1939)5月(創元社)ということだが、元々は、昭和10年(1935)1月からに昭和12年(1937)3月まで自分が編輯責任者となった「文學界」に長期に連載した内容のものであった。小林は、この昭和10年の5月には「私小説論」も書いている。そしてこれが、ほぼ同時期に横光利一によって書かれた「純粋小説論」と関連するものであったことはすでに触れたとおりである。さらに前年の昭和9年には、「『罪と罰』についてT」や「『白痴』についてT」もすでに発表している。言うならば昭和8年(1933)の1月、「『永遠の良人』」から開始されたドストエフスキー文学への言及が、この時期に、はっきりした形で本格化されたことになる。そしてこの著書の『ドストエフスキーの生活』には、刊行の直前に「文藝」に掲載した「歴史について」という長文がその序文として追加されたという事実がある。注意すべき点だと思われる。
 実は、小林がドストエフスキーについて語り始めた昭和8年(1933)は、日本の中国大陸侵略の一帰結としての満州国立国(1932)が諸外国との軋轢を生んで、国際連盟脱退という事実を招来させ、歴史的なターニングポイントを迎えた年であった。昭和11年(1936)の2.26事件、昭和12年(1937)の廬溝橋事件に端を発する日中戦争の開始と南京虐殺事件、昭和14年(1939)のノモンハン事件等、この後の近代日本が歩んだ足跡を年表的に拾うだけで、小林がドストエフスキーに本格的に取り組もうとしたこの時期の時代背景の展開が見て取れる。
 そして、この『ドストエフスキーの生活』にあえて追加された序文の「歴史について」は、「文學界」に連載を開始した昭和10年から本著刊行の昭和14年までの時代の推移が暗に反映されたものとして読むことが可能だ。そしてこの「序(歴史について)」が話題にされる時、しばしば言及される下記の有名な比喩を含む文章がやはり気になる。

 「子供が死んだという歴史上の一事件の掛替えのなさを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は、物事の掛替えの無さというものに就いては、為す処を知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前にして、母親の心に、この時何事かがおこるかを仔細に考えれば、そういう日常経験の裡に、歴史に関する僕等の根本の智慧を読み取るだろう。それは歴史事実に関する根本の認識というよりも寧ろ根本の技術だ。其処で、僕等は与えられた歴史事実を見ているのではなく、与えられた資料をきっかけとして、歴史事実を創っているのだから。この様な智慧にとって、歴史事実とは客観的なものでもなければ、主観的なものでもない。この様な智慧は、認識論的には曖昧だが、行為として、僕等が生きているのと同様に確実である。」

小林はここで、何故「歴史」を語るのに、またドストエフスキ−の伝記的事実を語るのに、ささやかな遺品と深い悲しみによって死児の顔を思い描く母親の技術などということを言い出したのだろう。この間に思い当たる事は、青春期にお互い恋敵として深い痛手を負った詩人の中原中也が昭和12年の秋に死んでいることか。そして中原には、その愛児を亡くした深い悲しみがあって、それが彼の死を早めたのだとも言われる。また、小林は中原が死んだ翌年(昭和13年)、日中戦争の従軍記者として中国に渡り「杭州」「蘇州」などの時事報道文を書き残している。いずれにしても、この時期に戦場死という事実を受け止めなければならなかった多くの庶民、就中息子を亡くした母親が大量発生してくる歴史的酷薄を小林は感じていないはずがない。そしてこの小林秀雄の「歴史」に対する見方は、この後の戦争拡大と悲劇的結末に到るまで、さらには戦後の声高に戦争責任が叫ばれた時期まで深化することはあっても変化することはなかった。今回、私が小林秀雄について言及するのは、彼の歴史観の評価について改めて問題にする意図からではない。言うならば、自分の関心は、やや特別な比喩として表現される小林の歴史観が、何故ドストエフスキーを批評対象とするなかで生起してきたのかということなのだ。
 この点で、今回いろいろと周辺の資料を読んでいるうちに、「会」の創始者である新谷敬三郎氏の文章に廻りあった。「『ドストエフスキーの生活』を読む」といういかにもシンプルな先生らしい批評文(「現代思想」1979.3−特集=小林秀雄)である。上記小林の引用文最終行の「行為」という言葉を引いて、以下のように説明される。

 「ここで行為とはおそらく<与えられた史料をきっかけとして、歴史事実を創>る歴史家の行為のことで、その行為から生まれる歴史事実が客観的でも主観的でもないと言うのである。作者は否定的断定以上に出ていないけれども、史料と感動の主体である作者との対話から歴史事実は甦ると言っているのであって、とすれば、それはもはや言葉である。そして対話に生きる言葉とは、客観的なモノでも主観的なイメージでもなく、いってみれば相互主体的な行為としての生の事実なのである。歴史とは、したがって、遺品あるいは史料という<自然>と母親あるいは歴史家という人間との関係の消息ではなくて、実は、言葉の生の消息なのである。
 ひとつの仕事を成しとげて、37歳の批評家が時代の混乱のなかで言いたかったことは、おそらくこういうことである。こうして、彼は歴史のなかで生きようとするが、そこで彼は大きな時間のなかの対話的関係にある自分を見出す。」

一見、小林の言葉を平易に語り直しているに過ぎないように見えるが、新谷氏の小林秀雄の言葉への鋭敏な理解の仕方が伺われる。それは、「対話から歴史事実は甦る」「対話に生きる言葉とは、相互主体的な行為としての生の事実なのである」「歴史とは、言葉の生の消息なのである。」という同語反復的な表現が、小林の歴史観の内実を明らかにする鍵語として機能していることによる。さらにまた、最後の行の「こうして、歴史のなかで生きようとする」「そこで、大きな時間のなかの対話的関係にある自分を見出す」<彼>とは、『ドストエフスキーの生活』を書いた<小林秀雄>であることは勿論、と同時に<ドストエフスキー>の存在そのものと思えてくる。それは、新谷氏自身がこれらの言葉を、自らのドストエフスキー理解から生み出しているからなのだろう。新谷氏の言に助けられて、小林の歴史観がドストエフスキー文学を読みこなし、作家存在そのものに立ち向かおうとした批評家の成長した覚悟のなかに現出したものであることが朧気ながら理解される。

 小林は、『ドストエフスキーの生活』の「序」の最後で次のように語って、本編に入ってゆくことになる。
「ドストエフスキーという歴史的人物を、蘇生させようとするのに際して、僕は何等格別な野心を抱いていない。この素材によって自分を語ろうとは思わない、所詮自分というものを離れられないものなら、自分を語ろうとする事は、余計なというより寧ろ有害な空想にすぎぬ。無論在ったがままの彼の姿を再現しようとは思わぬ、それは痴呆の希いである。
僕は一定の方法に従って歴史を書こうとは思わぬ。過去が生き生きと甦る時、人間は自分の裡の互に異る或は互に矛盾するあらゆる能力を一杯に使っている事を、日常の経験が教えているからである。<中略>立還るところは、やはり、ささやかな遺品と深い悲しみとさえあれば、死児の顔を描くに事を欠かぬあの母親の技術より他にない。彼女は其処で、伝記作者に必要な根本の技術の最小限度を使用している。困難なのは、複雑な仕事に当たっても、この最小限度の技術を常に保持して忘れぬ事である。要するに僕は邪念というものを警戒すればたりるのだ。」

 かつて小林秀雄は、「批評とは、他人をダシに使って自己を語ることだ」と表現したことがあった。しかし、『ドストエフスキーの生活』に直面した彼は、自分を語ることを有害な空想として避け、ドストエフスキーを在ったがままに再現することの無意味さについてはきりと論及している。これは確かに、小林が本著を「文學界」に連載し始めた時期の「私小説論」(昭和10年)の延長としての私小説的文学批判と読み取れる。ところがどうも、『ドストエフスキーの生活』の本編を仔細に読むとき、ジイド的な理解とは明らかに異なった、新谷氏の言を借りれば「大きな時間のなかの対話的関係にある自分を見出す」ドストエフスキー的な文学方法への接近によるもののように感じられる。例えば、小林は、ドストエフスキーの物語を読むことは、いかにもドストエフスキー的な登場人物達を通じて、読者が作者の内的葛藤に推参し、作者の世界観上の対話に耳を傾けることだとする。さらに、登場人物達は、この作者自身の対話の傀儡であり、傀儡である限りの社会的背景しか引擦っていないとし、それが彼の作品の叙事詩的要素の欠如という特徴を招来させていることを指摘している。そしてこれは、ドストエフスキーがロシア語で文学を書くことの困難を嘆いたように、ロシアにおけるヨーロッパ的な文学伝統の欠如に由来するのだとも説明している。(以上、小林の指摘は、本編7 結婚・賭博の章によるー筆者)
 
 新谷氏は、小林秀雄の『ドストエフスキーの生活』について語るのに、あくまで小林の言葉に寄り添いながらの批評を貫いている。しかし、バフチンの翻訳者としても有名な研究者である氏が、小林のこの時期の問題を考えるうえで、バフチンのドストエフスキー論を思い浮かべていないはずがない。それを繋ぐものは、ドストエフスキーの創作方法上に特徴的な時間ではないか。例えば、バフチンの指摘する作品の「ポリフォニー」も「カーニバル」も、「歴史」が通常に前提とする時間的経緯への無関心、すなわち小林が指摘している<叙事詩的要素の欠如>として換言できるものだろう。そして『ドストエフスキーの生活』で語られた小林の歴史観も同様な時間論の中身として語られていると思えるのだ。

 ただし、『ドストエフスキーの生活』に付加された「序(歴史について)」の理解は次のように総括されるのが一般的かもしれない。「私小説論」最後の文章に関連した指摘だ。
 『私小説は亡びたが、人々は「私」を征服したらうか。私小説は又新しい形で現れて来るだろう。フロオベルの「マダム・ボヴアリイは私だ」という有名な図式が亡びないかぎりは。』(「私小説論」の最終部分―筆者注)
「小林秀雄は、フランス・リアリズムの<伝統>、ドストエフスキーの<野性>、日本の伝統的審美観という三つ道のあいだにあって、いわば第四の道を模索しているのであり、<新しい形で現はれて来る>はずの<私小説>とは、近代日本の文学者が自己の<混乱>を<私>という<問題>に高め、そこから<表現>を紡ぐときに生まれるであろう<来るべき作品>のことである。小林自身、そうした作品を書こうとしていたはずである。昭和10年1月に連載が開始された『ドストエフスキーの生活』は、鈴木貞美(「私小説論」について−筆者注)が示唆したとおり、小林の<私小説>なのである。もちろん小林はこの試みのはらむ矛盾を自覚していただろう。彼はロシアと日本の同質性(後進性)のみならず、その相違生(文学伝統の有無)も認識しており、ドストエフスキーがそのままのかたちで日本における<表現>の可能性を保証するものでないことも分かってはずで、しかもそうした作家の評伝を、日本において一般読者に向けた<表現>として『文學界』に連載したのである。『ドストエフスキーの生活』が「歴史について」を序文として昭和14年に出版されたとき、小林の新しい<私小説>の試み(「第四の道」)は、「形」という日本の伝統的審美観の方へ回帰するかたちで潰えることになる。」(『小林秀雄の論理−美と戦争』森本敦生著、2002.人文書院)
 小林の「私小説論」の表現のポリフォニー性を指摘し、以後の基本的な見通しを含む整理された指摘だろう。だが、この辺りを足場にして次回以降もう少し考えを深めたい。




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