ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.93 発行:2005.12.10
第212回12月読書会のお知らせ
月 日 : 2005年12月17日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分〜
開 催 : 午後2時00分〜4時45分
作 品 : 読書会開催35周年記念
『地下生活者の手記』&「『悪霊』神になりたかった男」亀山郁夫著
報告者 : フリートーク(亀山著『悪霊』論、福井勝也氏口火)
会 費 : 1000円(学生500円)
※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。
※ ドストエーフスキイに関する著書の特別読書会について
読書会終了後は近くの居酒屋で忘年会を開きます
会 場 : 池袋駅西口近くのお店 夕5時30分〜7時30分頃迄
会 費 : 3~4千円
12・17読書会
12月17日(土)読書会開催まで
はじめに12月読書会は、『地下室の手記』第2回目として秋山伸介さんに報告していただく予定でした。が、会場が抽選の結果10日の第二土曜日が取れず、本日17日にずれてしまいました。運任せとはいえ、こちらの不備もあり秋山さんにはご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。並びに会員の皆様にも、深くお詫び申し上げます。
尚、2月読書会は11日の第二土曜日に小会議室7が確保できています。秋山さんには、もし都合がよろしければ2月読書会にお願いしようと思います。
さて、上記の事情から本日17日の読書会・第二回目『地下室の手記』は、フリートークとしました。が、前号92号の「提案」欄でお知らせしたように、折りよく福井勝也さんから今、話題の亀山郁夫著書「『悪霊』神になりたかった男」を絡めてたらどうだろうか――と提案をいただきました。「地下室人」と比較してみると興味深いものがあるとのご意見でした。亀山氏のドストエフスキー論は、前作の『父殺しの文学』もそうでしたが、マスメディアに何度もとりあげられていて、斬新な作品論として評価も得ているようです。例えば、2005年7月13日(水)朝日新聞「文芸」では、この本について作家の鴻巣友季子氏がこのように紹介している。
『「悪霊」神になりたかった男」もまた凄惨な災害の場面(9・11テロ)に啓示を得た書であり、混沌を抱える魂のドキュメントだ。亀山氏はツインタワー崩壊の映像を見た瞬間、神は死に、それを観ているわれわれ全員が神になったと感じ、ドストエフスキーの『悪霊』に新たな解釈を見出したという。この作品の傲慢な主人公と彼に陵辱される少女が共有するパッションとは何だったのか?最後に驚くべき「真相」が提示され、私はひっくりかえりそうになった。(2005・7・13朝日)
読書会参加者にも、既に興味をもって読んでいる人もいる。10月8日の読書会では、論中の年齢など疑問について提案者の福井氏に質問していた方がいた。また同月26日の第171回例会後の二次会宴席では、この悪霊論をめぐり熱い議論があった。「亀山論には無理がある」と、指摘された方もいた。等など注目度は高い。
そこで、本来、読書会は、純粋にドストーエフスキイの作品のみを読みつづけるという基本方針はありますが、今年は読書会開催35周年にあたることから、【35周年記念】として、この作品「『悪霊』神になりたかった男」を『地下生活者の手記』とからめて話し合えればと思います。ご了承ください。なお、読書会形式は『地下室』につきましてはフリートーク。「『悪霊』神になりたかった男」につきましては、提案者の福井氏に口火として簡単な報告をしていただきます。
亀山郁夫著「『悪霊』神になりたかった男」みすず書房 1300円
本書は「理想の教室」シリーズの創刊として刊行されました。図書館・書店にあります。159頁のものですから、読むのにそう時間がかからないと思います。目を通してきていただければ幸いです。裏表紙には、このように紹介されている。(原文、太字)
ドストエフスキーの全作品でもっとも危険とされる「スタヴローギンの告白」作家の全人格が凝集されているこのテクストには、人間の〈堕落〉をめぐる根源的ともいえるイメージが息づいています。文学のリアリティとは、人間の可能性とは?1人の男がさまよいこんだ精神の闇をともに研究してみましよう。
35周年記念読書会 レジュメ
ドストエフスキ−における<愛のかたち>をめぐって
福井勝也
1.初期作品にみる原形的な<愛のかたち>〜兄妹的な愛の夢想と挫折
・『主婦』におけるカチェリ−ナとオルディノフおよびム−リンとの関係。
・『ネ-トチカ・ネズワ-ノワ』アレクサンドラと恋文の男および夫ピョ−トルとの関係ほか。
2.『地下室の手記』における<愛のかたち>の変形または顕在化 〜サディズム・マゾヒズム的愛へ
・ 「地下室」では、どのような<愛>が語られるのか?
・ なぜ、変形または顕在化が生じたのか?
a.約10年間のシベリア流刑による「死の家」体験、ロシア民衆との接触。
b.40年代とは異なる60年代ペテルブルグの近代都市闇的世界の帰還。
c.病妻マリアの死(1864.4)に前後してのアポリナーリヤ・スースロワとの恋愛体験。
3.「地下室」おけるサディズム・マゾヒズム的<愛のかたち>の内実
・「マゾヒズム」とは何か? ・性心理学的用語の流布の弊害と思考停止
・ ザッヘル=マゾッホ(1836-95)という作家の実像
・「スラブ・ロシア的マゾヒズム」と「ロシア分離派」無僧派、鞭身派、去勢派。
・ドストエフスキーにおける<愛のかたち>とサディズム・マゾヒズム。
4.<愛のかたち>は、その後どう変化したか?
・ アンナ・グリゴーリエヴナとの結婚。
・『悪霊』のスタヴローギンの「告白」にみるサディズム・マゾヒズム。
・『作家の日記』の言葉 〜「思うに、ロシア人のもっとも根源的な精神的
欲求とは、苦痛の欲求である。・・・・みずからの苦痛をロシア人は
あたかも享楽しているかのように見える。」(亀山訳?)
5.亀山郁夫氏の著書、「『悪霊』神になりたかった男」(みすず書房) について 〜 どのように評価すべきか(私見)
・ この間の議論等を含め、今回の発表(私見)の延長として。
・ 少女マトリョ-シャに孕むマゾヒズムという問題の指摘ほか。
(参考文献)渋澤龍彦および種村季弘両氏の関連著書ほか
「『悪霊』神になりたかった男」を読んでの皆様からの寄稿
亀山郁夫氏のドストエフスキー論は、『父殺しの文学』上下本でもそうであったが、マスメディアで注目されている。しかし、ドストエフスキー愛読者の間では、どうだろうか。耳にしたところでは「よくわかった」という人から「とても受け入れられない」といったさまざまな声を聞いた。さすがドストエフスキー読者である。ドストエフスキー作品は、100人の人が読めば100通りの感想があると言われる。(もっとも、そうでなくては真にドストエフスキーを読んだことにはならない、とも云われている)。それだけに評論家・研究者泣かせの作家、作品である。これまで編集室に送られてきている感想を紹介する。
亀山氏のドストエフスキー論には疑問点が多い (A氏)
「テクストというのは、いったん作家の手を離れたが最後・・・独立した自由な生き物になるのです」として、亀山氏は通説にとらわれない大胆な仮説を立て、テクスト、創作ノート、研究書を都合よく引用して客観的根拠とし、「真理」に仕立てあげている。作品をどのように解体しても自由だが、事実を歪曲したり、文献を恣意的に用いることには疑問を感じる。数あるなかから二、三具体例を挙げてみよう。
疑問その1.「告白」の文書は、「スタヴローギンの告白 ――チーホンの許で――」の章の一部であり、スタヴローギンを論ずるのに、チーホンとの意味深い会話を無視して「告白」に終始するのは問題であろう。そこからは、氏が提示する醜悪かつ傲慢なスタヴローギン像(「みずらが神の立場に立ち、神のまなざしで世界を見つめる快感に酔いしれる」スタヴローギン)を導きやすい。「告白」のもつポリフォニックな側面を考慮しないのだからなおさらである。チーホンとの会話で明らかなように、スタヴローギンは「告白」において素面を隠すために過度に自分を醜悪冷酷に描いている。だが氏は、告白とは「本来的に独白的、モノローグ的」として、スタヴローギンの言葉を額面通りに受けとめ、悪魔的な部分のみを拡大解釈する。スタヴローギンの良心的な一面を表す「(マトリョーシャの像を)呼び起こさずにはすまない」という文章は、氏のテクストであるアカデミー版にもあるのに、氏は「感傷」といい「校正刷ないしアカデミー版の精神からするとほとんど裏切りに近い逸脱」といって取り上げようとしない。氏は、スタヴローギンがなぜ「告白」を書いたのか考えられたことがあるのだろうか。単に自分の悪をひけらかすためではない、悔悟の道としてその公表の苦痛に堪えようとして書いたことを。
疑問その2.「14歳、危険な年齢」とあるように、亀山氏は終始マトリョーシャの年齢を「14歳」としている。昨今、メディアをにぎわしている「14歳」を意識してのことだろう。しかし、本書のテクストで明記されているのは「10歳」であり、本書を読む限り、なぜ「14歳」なのかと疑う。校正刷では、冒頭マトリョーシャを紹介する個所で「彼らの娘」のあとに「14歳ぐらいだと思うが」の一句があったが消されている。また、「10歳」も校正刷で消されている。ここからわかることは、ドストエフスキーは彼女の年齢にこだわっていないということだろう。氏の強引さを感じる。
疑問その3.「告白」には、校正刷とその修正、そしてアンナ夫人による筆写版がある。その理由は、『悪霊』の掲載誌の編集長カトコフに、内容が「家庭向きの雑誌にふさわしくない」として掲載を拒否され、スタヴローギン理解の要である「告白」の章を何としてでも作品に入れたいと、ドストエフスキーが、カトコフの意に沿うように加筆削除を施したからである。そのため、スタヴローギンの悪魔的な印象は弱められ、宗教性が強調されるようになった。亀山氏は、「その作業はもはや改作というよりも改悪」であり、しかもその修正には、アンナ夫人の介在の可能性が否定できないとして修正の大きい筆写版を斥けたという。しかし、ドストエフスキーはマイコフ宛の手紙で「小生の仕事に関しては(アンナは)審判者ではありません」といっている。彼女の関与は考えられない。氏も認めているように「私が頭のなかで抱いているスタヴローギン像により近いほうを選」んだというのが実情だろう。自分のスタヴローギン像の肉付けに都合がよければ、ためらうことなく筆写版からも引用しているのだから。
以上のことからも分かるように、筆者のイメージがすべてに先行している。初めに結論ありきで、しかも、その結論が「真理」として読者を納得させるように、論拠として文献が巧みに用いられている。ここでは、さまざまな工夫をこらした知的な作品が、極めて単純化されてしまっているように思う。初めて『悪霊』を本書で知って、いったい何人の人が作品を読みたいと思うだろうか。
最大の謎? (S氏)
「この男が気まぐれで犯した罪の一つに少女陵辱がある・・・娘を唆し、破滅させ、神を殺す。なんという恐ろしい罪だろうか。作者は、大胆にも自分の魂からこの人物を取り出してきたと書いた。どこに二人の共通点があるというのか。作家の魂のどこから男は生まれ出たのか。ドストエフスキーをこよなく愛する私にとって、これは、今も、最大の謎である」最初の「資料1」に、こんな個所がある。なぜ「最大の謎」なのか、そこが謎である。
ドストエフスキーの作品の根幹は、人間は、何にでも慣れる。どんなことでもできる生き物、である。どんなに清廉潔白の人でも悪魔を抱えている。たとえ神様でも、それがドストエフスキーの根本思想。だとすると謎は、少しもないのでは。
皆様から寄せられた『地下生活者の手記』の感想
『地下室の手記』の思い出
平 哲夫
ぼろぼろになった、底の知れない暗闇のキャンバスの中で、しきりに水晶宮とか蟻塚とか、二二が四、蒸留器などの言葉が走馬灯のように現れては消える。そして、名前は忘れたが娼婦との不自由な別れ。限りない孤独。
昔、つまり52年前、20才の時に始めて『地下生活者の手記』に接した時、とうとう巡り合えた!今まで長い間探していたのはこれだったのだ、と確信した。
言うまでもなく、当時(1950年代)は世界を挙げてイデオロギーの対立の時代であり、日本も例外ではなかった。今で云う活動家たちの画一的、教唆的、事大主義的な匂いに嫌悪していた私に、この一冊の、特に前章は、根本的な、自由な人間からの反論を与えてくれたのだ。しかし今にして思えば、それは諸刃の剣であった。私自身、年が若いのに主人公が忌避する(分別くさい)タイプだったからだ。矛盾が始まるのだが、それをどう克服したのかは今思い出せない。
後章については、残念ながらはっきりした記憶を失ってしまった。ただこの世に対する拒絶と憂愁に、のみこまれるように共感したことだけは、はっきり記憶している。「地価生活者」が契機となりドストエーフスキイ全巻を読む決意をした。その後1年半ほど、ドストエーフスキイの創造した世界、さまざまな特異な人間像と、時空を共有できたのは得がたい経験であった。
それから文学とは無縁の50年が過ぎた。いつの間にか全集も紛失していた。退職して、それまでの環境から裸でほうりだされた時、無性に『地下室』が読みたくなった。幸い友人から借りて一昨年の暮れに再読した。つとめて冷静に読むつもりでいたが、50年ぶりに蘇ったドストエーフスキイ独特の筆致に、いつの間にか、私と『地下生活者』との間に区別がなくなっていることに気づいた。
友人(と称する)の送別会に、『地下室』の主人公は割り込むようにして押しかける。談笑の席の後半、皆がにぎやかに語り合っている脇で(さげすむような微笑を浮かべながら)一人だけ卓と暖炉の間を行ったり来たり、ときおり踵に力をいれながら、みなの会話が終わるまで3時間もこつこつと歩きつづける。
娼婦リーザとの邂逅から別れに至るまでの、主人公の驚くべき心の変転。(私はもう愛することさへ、できなくなった人間なのだ。なぜなら、繰り返して申し上げるが、私にとって愛するということは、暴君のごとく振舞って、精神的に優越権を握ることだからである。)と告白しながら、(『生きた生活』は、長く遠ざかっていたために、息をするのも苦しいほど私を圧迫する。)と述懐する。
ひとつの疑問が生まれる。希薄な現実感と肥大した空想の叙述から、なぜ生きた「現実」を感じるのだろう。(無限に相手の魂を支配しようとした。)とする主人公の公言に、なぜ弱者への応援歌を聞くのだろう。そして何処からか忍びよる憂愁・・・
昨年、米川正夫訳ドストエーフスキイ全集を入手した。いくら読んでも卒業はない。これからも読みつづけことを生涯の楽しみにして行きたいと思う。(了)
2005年10・8読書会報告
2年ぶりの10月読書会・出席者14名
昨年の10月読書会は、開催同時刻に台風22号東京直撃で、読書会始まって以来、はじめての中止となりました。そんなところから2005年の10月読書会は2年ぶりの開催となりました。が、行楽シーズンとあって、参加者は14名でした。
出席者の『地下生活者の手記』に対するコメント
□亀山郁夫著「『悪霊』神になりたかった男」を『地下生活者の手記』にからめると面白いのでは・・・。
□自分のことが書かれてあるような気がした。
□引きこもり、閉じこもりにシフト。
□6と9人が住む。SEX、金銭感覚はどうだったのか。太宰、三島を彷彿。
□人間として何かが欠けている。
□サド、マゾ
□主人公は、本当はいい人。リーザは気がつく。
□2×2が4ではないのだ。
□大学のときはまった作品。最近、読めなくなる。宗教をとったらどう読むのか。
□虫にもなれなかった。ザムザ。
□『死の家の記録』→生の家 「地下」→死の家。
□ゴーゴリの延長。
□加害者と被害者。
□『地下生活者の手記』と日本文学
寄 稿
日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(続編)
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像−
福井勝也
(第1回)−続編を開始するにあたって−
昨年(1994年)秋の例会で、私は「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー」というテーマについて発表し、その後「広場」の14号に論考として掲載していただいた。その際、紙面の都合もあり触れられなかった内容が残ったのと、取り上げた<日本近代文学に与えたドストエフスキーの影響>という問題が、自分の今後の継続的テーマでもあることから、編集氏の了解を得て本「通信」に論考<続編>を書かせていただくことになった。これから、読書会参加諸氏の批判・感想をいただきながら、できれば対話的な不定期連載をめざしたいと思う。途中ご意見等があれば、編集氏を通じて(あるいは直接に)遠慮なく口を挟んで欲しい。
この時期に再説を考えたのは、このテーマのタイトルでもある「日本近代文学の<終焉>」の問題に言及した柄谷行人氏が、『近代文学の終り』(2005.9/9)という単行本を改めて刊行されたことがある。長年月、文学的情況を牽引的に批評してきた柄谷氏が、はっきりと次のような言い方で「文学(=正確には、「近代小説」)の終り」を宣言している。
「今日は<文学の終り>について話します。それは近代文学の後に、たとえばポストモダン文学があるということではないし、また、文学が一切なくなってしまうということでもありません。私が話したいのは、近代において文学が特殊な意味を与えられていて、だからこそ特殊な重要性、特殊な価値があったということ、そして、それがもう無くなってしまったということなのです。これは、私が声高くいってまわるような事柄ではありません。端的な事実です。文学が重要だと思っている人はすでに少ない。だから、わざわざ私がいってまわる必要などありません。むしろ文学がかつて大変大きな意味をもった時代があったという事実をいってまわる必要があるほどです。」(p36)
「私は自分が日本で文学批評をやってきた経験からいうのですが、近代文学は1980年代に終わったという実感があります。いわゆるバブル、消費社会、ポストモダンといわれた時期です。そのころの若い人たちの多くは、小説よりも“現代思想”を読んだ。いいかえれば、それまでのように、文学が先端的な意味をもたなくなっていました。<中略>しかし、これも長くは続かなかった。今、私が<近代文学の終り>というときには、それを批判するかたちであらわれたエクリチュールやディコンストラクティブな批評や哲学も含まれています。そのことがはっきりしたのが1990年代ですね。日本ではちょうど中上健次が死んで(1992年−筆者注)以後です。」(p39-40)
読者諸氏はこの柄谷氏の発言をどう受け止めただろう。とりわけ、ドストエフスキー文学を長年、そして現在も読み続けている我々にとって、この身も蓋もないような<近代文学の終り宣言>は足下を崩されるような聞き過ごせない言葉として響かないか。神経に触るいやな感じを伴わないか。確かに僕自身も、この間の文学的な情況認識としては柄谷氏の意見に基本的に賛成である。自分が「ドストエーフスキイの会」に関係し始めた1978年前後から文学の社会的価値というものがすでに変質・衰退してきたのだったと今更に実感できる。しかし、だからこそ「近代文学の根っこ」と考えられ、「時代とともに成長する作家」とも言われるドストエフスキーにこだわり続けて来たのではなかったか。これは、現在も自分のなかにある思いである。
柄谷氏は、こんなことも本著で語っている。
「だが、このようにいいながら、私は一つの事実を告白しなければならない。ある物の起源が見えてくるのは、それが終わるときである。30年前、『日本近代文学の起源』を書いたとき、私は日本近代文学の終りを感じていた。しかし、それは文学の終りではなかった。それは別の文学の可能性をはらむものであった。実際、近代文学の支配的な形態において排除されていたような形式の小説が多く書かれたのである。名をあげていえば、中上健次、津島佑子、村上龍、村上春樹、高橋源一郎などが登場したのだった。それらはポストモダンと呼ばれた。しかし、私にとっては、ある意味で、それは、漱石が根拠を与えようとしたタイプの文学の再生(ルネサンス)として見えたのである。それは文字通りルネサンス的文学を取り戻すことであった。そのような同時代の文学の動向を見ながら、私は『日本近代文学の起源』を書いたのである。
だが、1990年代に、そのような文学は急激に衰え、社会的知的インパクトを失い始めた。ある意味で中上健次の死(1992年)は総体として近代文学の死を象徴するものであった。それはもはや別の可能性があるというようなものではない。たんに終わりなのである。もちろん、文学は続くだろうが、それは私が関心を持つような文学ではない。実際に、私は文学と縁を切ってしまった。」(p30-31)
柄谷氏は本気で書いているようだ。あたかも自分が牽引してきたここ数十年の文学情況に引導を渡し、強引に幕引きをしようとしているようにさえ見える。そのこと自体、柄谷行人という(文学的)批評家存在の終焉を宣言しているとも言える。しかし、ここで柄谷行人論を行うつもりはない。問題は、前段の「だが」で語られる指摘に孕まれる内実である。そしてそれすらも衰滅したと語ってしまう柄谷の物言いが果たして正しいのかどうかと考え込まされるのだ。ここには、柄谷氏が文学を語る時、本質的に近代が背負わされた歴史の問題、政治の問題が付着しているのがわかる。だからこそ、氏は本著でフランスのまさに20世紀的文学的存在としてのサルトルを召還しているのだろう。
今回、私が例会で発表した「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー」は、本著で再説された柄谷氏の発言に触発されたものである。直接的には、氏が指摘する漱石が根拠を与えようとしたルネサンス的文学のロシア的発現であるゴーゴリ・ドストエフスキーの文学史的位置づけの問題がある。この辺は、「広場」の私の論考で祖述しているのでご再読いただけるとありがたい。さらに私の論述は、基本的に、柄谷氏の<近代文学の終り>をその<起源>に遡ることによって日本近代文学史の内実を解き明かそうとする姿勢に依拠している。しかし同時に、わが国近代文学の根っこにありながら、二葉亭四迷や漱石が発掘し継承しようとしたドストエフスキー文学が近代日本文学の系譜のなかでどう伝わり、その水脈がどう枯れて行ったのか、あるいは流れ続けているのかをできるかぎり検証したいと私は思ったのだ。柄谷氏は勿論、それほどドストエフスキーに拘ってはいない。自分は、そこにあえて拘ることで見えてくるものを探したいと思う。確かに、柄谷氏の文学的スケールでは<近代文学の終り>が明らかなのかもしれない。しかし、ここではその宿題を留保しつつ、<日本近代文学に与えたドストエフスキーの影響>という問題をていねいに掘り起こすことからその後改めてそのことを考え直してみたい。以上が今回連載を開始する趣旨である。そしてそのスタイルとしては、副題のとおり<「ドストエフスキー体験」をめぐる群像>、すなわちドストエフスキーに「発情」させられた文学者等に焦点をあてながら書きついでゆきたい。言うならば、ドストエフスキーを軸とした日本近代文学史の試みということだが、出来る限り、その時代の歴史的情況を視野に入れながらドストエフスキー的群像に焦点をあててゆきたい。具体的には、すでに論考で触れた二葉亭四迷や漱石そして横光利一を一応通過して、まず手始めに昭和10年代頃の小林秀雄あたりから論じ始めようと思う。再度、横光あたりには飛び火せざるを得ないかもしれない。それと、実は今、萩原朔太郎も気になる存在として浮上している。その前に「ドストエフスキー体験」という言葉の意味をある程度定義、検証する必要があると考えている。
我々の会は、1969年の2月、戦後幾度目かの政治的過熱の時期に市民的文学集団として開始され、その長い政治的な衰退の時期を経て今日に至っている。この35年という時間もすでに歴史的経過として分析の対象になりつつある。しかしともかく、この間、参加会員を繋ぐものはドストエフスキー文学であり、ドストエフスキーという存在以外になかった。会発足後、途切れることなく、とにかく活動を継続してきたわけだが、何がわれわれを駆り立ててきたのか。そして文学史的に考えれば、我々の会は「ドストエフスキー体験」を市民レベルで語り継いできた会として、明治以降わが国に文学的影響を与え続けたドストエフスキー的群像の系譜に確実に連なるものである。しかし大きな曲がり角をすでに廻ってしまったかに見える。現時点でドストエフスキーの日本人に与えた影響を真に検証することは、<近代文学の終り>というその象徴的な言葉を再検証することになろう。このことは、翻って自分たちが活動の場としてきた読書会を含む「会」の起源を文学史的に振り返り、その系譜の根拠を再確認することにもなると思っている。羊頭苦肉、竜頭蛇尾の体にならぬようじっくりと、ゆっくりと取り組んでゆきたい。 (2005.11/23)
掲示板
新刊紹介
『志賀直哉』
清水 正著 D文学研究会刊/星雲社発売 定価3200円
オイディプス的野望と和解の謎に迫る!!
志賀直哉我孫子居住90年記念 父・政吉生誕90周年記念
栞:「超・過剰な人」山下聖美 「清水正さんとの出会い」渥美省一
「ドストエフスキー[の][を」[と」此経啓助 「架空対談」下原敏彦
「志賀直哉とドストエフスキーを読んで」関口収 [志賀直哉と我孫子の家」渡辺貞夫
「清水力」原孝夫 「一人称主体の消失」浅沼璞
『仏教力テスト』
此経啓助著 NHK出版 生活人新書 定価660円
あなたは「さとり」にどこまで近いか!知らぬが仏 知るが煩悩
『司馬遼太郎の平和観』
高橋誠一郎著 東海教育研究所 東海大学出版会 定価1800円
『坂の上の雲』を読み直す 日露戦争を問い直す
『坂の上の雲』をきちんと読み直すことは、「他国」の『脅威」を強調し、「自国の正義」を
主張して「愛国心」などの「情念」を煽りつつ「国民」を戦争に駆り立てた近代の戦争発生
の仕組みを知り、現実としての「平和」の重要性に気づくようになる司馬の歴史認識の深ま
りを明らかにするためにも焦眉の作業だと思います。(本文より)
『文学÷現代』
横尾和博著 のべる出版 定価1400円
俺は、ドストエフスキーだ。無手勝流で今日まできた。時代と併走を続ける文学批評。
旧刊紹介
『ドストエフスキーとポストモダン-現代における文学の可能性をめぐって-』
福井勝也著 のべる出版 コスモヒルズ 定価1400円
ドストエフスキーを読み解くことは、現代日本を解読することだ。
近日刊行
『ドストエフスキーを読みながら ―或るおかしな男の手記―』
下原敏彦著 鳥影社 定価1890円
編集室便り
年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
12月1日現在までにカンパくださった皆さん。ありがとうございます。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
皆様からの原稿をお待ちしています。2月読書会も『地下生活者の手記』です。作品感想、引き続き受け付けます。
下記、宛先へ。
ドストエーフスキイ情報、ありましたらお知らせください。
郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方
この一年、ご愛読ありがとうございました。2006年もよろしくお願いします。では、よいお年を!