ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.92 発行:2005.9.30
第211回10月読書会のお知らせ
午後2時開催となります。ご注意ください!
月 日 : 2005年10月8日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時〜
開 催 : 午後2時00分〜4時45分
作 品 : 『地下生活者の手記』
報告者 : 寄稿感想&フリートーク
会 費 : 1000円(学生500円)
※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。
※ ドストエーフスキイに関する著書の特別読書会について
読書会終了後は近くの居酒屋で懇親会を開きます
会 場 : 池袋駅西口近くのお店 夕5時30分〜7時30分頃迄
会 費 : 3〜4千円
10・8読書会 『地下生活者の手記』
長編群につづく重要な作品
『地下生活者の手記』は、好き嫌いのはっきりする作品です。が、ある意味で試金石となりえる作品でもある。この作品を読むか読まないか、で、ドストエーフスキイに憑かれるか、憑かれないかに分かれることもある。長編大作前の、重要な意識小説です。この作品に凝縮された意識は、このあとつづく長編群に振り分けられていきます。それだけ愛読者の思い入れは強いと思います。感想も(小泉さんではないが)いろいろだと思います。そんなところから10・8読書会は、フリートークの形で行います。参加者一人ひとりがレポーターになった気持ちでそれぞれの感想を述べてもらい議論できれば幸いです。
下記は、これまでに皆様から「読書会通信」編集室に寄せられた感想や資料です。ご寄稿、ありがとうございました。
皆様から寄せられた『地下生活者の手記』の感想
『地下室の手記』についての想い
小菅 茂
私が最初に読んだのは学生時代で、当時の私とあまりに酷似していたので、衝撃を受けたのを記憶している。以来、今日まで機会あるごとに数回は読んでいる。私の読み方は単純で、合点のいくところを納得して楽しんでいるのである。個人的にはそういうことであるが、どんな内容かと言われるとさっぱり整理がつかず、あえて言えば〈意識過剰〉の記述なのではないか、その記述は個人の身辺から世界まで及び全くのごった煮である。
個人の意識についていえば、内部ではいかなる意識も可能であるという絶対的自由性を持っている。そしてこの意識から進展していく想念や思想もほぼ同様である。この手記では犯罪などの想念の段階であるが、思想となると20世紀のナチスの〈ユダヤ人絶滅思想〉やスターリンの共産主義独裁にまで行き着く。これらが示すのは背後に力さえあれば現実的に実現可能であることである。ナチスはあえなく崩壊したが、スターリンの独裁は数十年継続した。ヒットラーでも米英に先んじて原水爆を開発していたらどうなっていたかわからない。正義は必ずしも勝つとは限らないのである。この源流は意識の絶対的自由性にある。この自由性を制御するためにはドスト的にいえば〈神がいなければ総ては許される〉ことになり神の存在が要請されるのではないか。更に神無き現代において、いかなる解決手段があるのか。
『地下生活者の手記』を読んで
四十川 京子
三十数年ぶりに『地下生活者の手記』を読んでみた。そして己の長い歳月を感じた。小説自体はもちろん変わるはずなく、自分自身の読み方が感じ方が違うものになっている。
かって初めてドストエフスキー作品に触れた衝撃と、その世界にのめりこんで主人公達の観念に共感し一緒に懊悩し震えながら苦痛と孤独の快感を味わっていた若かりし頃が不思議に思えてくる。数ある文学の中でドストエフスキーの小説は、私のバイブルであつたのだが。しかし、嬉しい事である。このおぞましい『地下生活者の手記』を冷静に感情に溺れることなく読むことが出来たのだから。
小説の開口一番に「架空のものである」とわざわざ断っているにもかかわらず、つい主人公と作者を重ねあわせてしまったり、感情移入が激しすぎて作品全体が見えず、好みの部分ばかりを勝手に納得して熱くなっていた私。どういう訳か作者のたぐい稀なマジックと催眠術なみの暗示によってただの読書ではなくなってしまいまるでその現場に居あわせ主人公達に会えて次官を共有していたと思えるほど体験してしまうのだ。
話に魅せられた読者としてはそれこそが文学を読む醍醐味なのだが少々困ったことを生じる。何やら私の人生記憶の中のうそとまことの区別があいまいになってくるのだ。現実に起こった事実と、それを己が実際に経験したその感情や思考と文学を読んで生じた感情、想念との違いが判らなくなることが――これは私だけの問題かも知れないが。それでも本物の芸術品は毒もあわせもつと言うではないか、注意は必要だ。
ひたすらドストエフスキーに心服し感謝感激して小説世界に埋没して来たが、いつのまにか長い歳月は私を変えてしまっていた。それは私の望みであり喜ばしい私の心の変化と考えたい。それにしても、主人公の性格の奇妙な凄まじさにリーザの自然が美しく悲しい。すべてが「私」中心に書かれて、これこそ観念小説と呼ばれるにふさわしく、そのしんどい危険な観念に、さもあらんと魅了されるのだ。
そして改めて、作者の哲学的テーマ性と文学表現力のスゴ腕に驚嘆している。日常の自我の方を微に入り細に入り書かれていて読者はそれを読みながら登場人物の一人ひとりの人間関係を浮かびあがらせるうちに小説世界へ誘う手法は絶品である。作者の粘り強い徹底した人間の内面や外面の描写は作者の生理的な天性を感じさせ、天才の眼力があればこそ出来ることと思われる。私の貧しい体力と気力では読むだけで精一杯なのだ。このおどろおどろしい人間の丸秘の内面を言葉にして見せられた私は不幸中の幸いであった。これからもドストエフスキーの小説達は、私の読解力に応じてたくさんのものを与えつづけるバイブルとして私の心の中で生き続けていくことだろう。
ドストエフスキー様、本当にありがとう。貴方の曾孫さんには会
いましたが、実は生きている貴方様に一番会いたいんです!!
ところで、唐突ですが今、生きていて小説家なら、どんな筋書きの『地下生活者の手記』になったろうかと想像するのも面白い。
(2005年9月25日)
『地下生活者の手記』に関する書籍紹介
講談社刊 加藤典洋著『戦後的思考』
野澤隆一
標記は1999年に刊行され、すでに読了された方もおられるとは思いますが、第三部U「私利私欲と公共性 ルソーからドストエフスキー」において『地下生活者の手記』についての興味深い解釈をされているのでご紹介します。
加藤氏はモラルの起点を「自分のためから始めて、他人の思いへつながる道を切り開くこと。既成の正しさを自分の中から一度取り払い、誤りうることに自分を置く」立場をとられています。自分を掘り続けて世界に至るという思考の下に、『戦後的思考』では、『地下生活者の手記』での主人公の自意識について下記のような解釈を採っています。
「二二が四」に立つ底が浅い利益などつまらないと言えることが、最後の人間の利益であるということ。利益などつまらないと言えることとは、人間が自意識の生き物であるということ。ドストエフスキーにとって、自意識は、人間の私利私欲の最後の砦であるということ。
また、「私利私欲の上に公共性を築くことが可能か」と原初の問いを発したルソーが『社会契約論』にて挫折した私利私欲の輝きを、後のカントの「世界普遍性」と呼ぶ概念(命題)にて捉え、ドストエフスキーでは「キリスト」として重ね合わせています。『地下生活者の手記』では、主人公のひねくれた自意識の到達点にリーザを呼び出します。
ここに語られているのは、原初的な私利私欲、どこまでも虫けらのような恣欲たろうとする意思がその下方からの意欲によって、カントの原初的な公共性−天上のもの−を知るという、私利私欲と公共性をめぐる物語であり、現代の多くの「中途半端な公共性」を打ち破る力が、本当は何であるかを、この逆説の物語は教えると語っています。
主人公とリーザとのやり取りは、後の『罪と罰』でのラスコーリニコフとソーニャの対話の「粗描」であることのみならず、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の章における大審問官とイエスの対話の場面に展開されるという指摘も面白いところです。
つまり、最後の場面でリーザが消えるということはドストエフスキーにおけるキリスト的なるものの、小説においての最初の現れであるということで、『地下生活者の手記』を捉えられています。
『戦後的思考』は当時何かと批判の多かった論考ですが、ドストエフスキーにおけるキリスト的なるものを考える際に、特に宗教的な背景を考慮せず、現代でも有効なドストエフスキーの読み解きとして、特異な論考としてお勧めします。
『地下生活者の手記』etc・・・
新潮文庫『地下室の手記』の訳者「あとがき」(抜粋)
江川 卓
1864年、作者が42歳のときに書かれ、発表された中編『地下室の手記』は、さまざまな意味でドストエフスキーの文学に転機を画した作品と考えてよい。この中編を「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」と呼んだジッドの言葉は有名だが、たしかに『地下室の手記』を経過することなしには、『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』とつづく彼の後年の大作群は、いま見るような形では存在しえなかっただろう。極言するなら、ドストエフスキーは19世紀ロシアのすぐれた一作家というに終わり、世界のドストエフスキー、現代にも生きつづける永遠の作家ということにはならなかったろうと思われる。
では、『地下室の手記』をそのような画期的作品、いわばドストエフスキーの文学上の発見、新しい言葉としたものは何だったのだろうか。
今世紀(20世紀)の初頭、ロシアの思想家シェストフはその著『悲劇の哲学』(1901)で、この『地下室の手記』にはドストエフスキーを見舞った「最もはげしい転機が突然現れている」と指摘し、この作品を境に、ドストエフスキーは処女作『貧しき人々』以来持ちつづけてきた人道主義、さらに広くは理性や人間への信頼を突如として喪失し、永遠に希望の消え去ったところで、しかも生きていかねばならぬ〈悲劇〉の領域に足を踏み入れたのだと断定した。この考え方は、ペルジャーエフにもほぼ似たような形で受けつがれており、いうまでもなくそれは、ドストエフスキーをキルケゴール、ニーチェとつながる線でとらえようとする実存主義的理解に道を開くものであった。
日本では、このシェストフの〈発見〉は30年後、つまり昭和9、13年に紹介され、中日戦争前夜の思想弾圧のもとで、いわゆる転向の問題と真っ向から対決させられていた知識人に深刻な影響を与えた。〈シェストフ的不安〉が流行語となり、正宗白鳥、小林秀雄、三木清、亀井勝一郎といった人たちが、他人ごとならずシェストフと取組み、彼を通じて、
大正期の〈白樺〉時代の人道主義的ドストエフスキーとは異なったドストエフスキーを見いだした。この時期に形づくられたドストエフスキー観は、たとえば埴谷雄高のような人によって、独自な屈折を経たうえで戦後文学にも受けつがれている。
それでは、『地下室の手記』をドストエフスキー文学の画期的作品と見るかぎり、このシェストフ流の見方は唯一のものなのだろうか。もちろん一時のソビエトで〈正統的見解〉とされていたエルミーロフのように、この『地下室の手記』を徹底的に否定し、それを「その悪意にみちた反動性において『悪霊』におとらない作品」と決めつける者もないではない。しかし、こうした(レッテル貼り)は、いまでは(昭和40年)もうソ連でもまったく流行らない。現在は多くのまじめな研究者によって、この作品を矛盾にみちたドストエフスキーの世界観、創作方法のなかに正しく位置づけようとする試みが行われており、こうした努力によって、すでに小林秀雄も指摘した「シェストフ流の独断」がしだいに克服されつつある。
ミハイル・バフチン著『ドストエフスキーの詩学』
訳者・望月哲男 鈴木淳一
(「第二章 ドストエフスキーの創作における主人公および主人公に対する作者の位置」からの抜粋)
――自意識とは主人公の造形における芸術的な主調音であって、彼の形象のその他の特徴と同列に置くことはできない。自意識はそうした特徴をも素材として自らに取り込み、主人公を規定し完結させようとする力をそれから根こそぎ奪ってしまうのである。
あらゆる人間の描写において自意識をその主調音とすることは可能である。しかしすべての人間がひとしなみにそのような描写にふさわしい素材であるわけではない。ゴーゴリ風の役人は、その意味ではあまりに狭い可能性しか提供し得なかった。ドストエフスキーは意識を主たる活動としているような人間、つまり生活のすべてを自己と世界を意識するという純粋な機能に集中させているような人間を捜し求めていた。そこで彼の捜索の中に《夢想》や《地下室の人間》が出現するのである。《夢想性》も《地下室的生活》も人間の社会的・性格論上の特徴ではあるが、しかしドストエフスキーの芸術的主調音に見合うものである。肉としての存在になりきっていない。あるいはなり得ない夢想家や地下室の人間の意識は、ドストエフスキーの創作上の課題にとってきわめて好適な土壌であり、それゆえ彼はあたかも描写のための芸術的主調音と、描写対象の生きた個性の主調音とを、一つにすり合わせるかのようなことができたのである。
ああ、もし私が単なる怠情から何もせずに生きてきたのだったら、そのとき私はいかに自分を尊敬したことでしょう。なぜ尊敬するかといえば、その場合私はたとえ怠情ということであろうと、自分の内に何かを持っていたわけで、それがほんの一つの個性であれ、自分で納得できるような、いわばはっきりしたものが自分にあったということなのですから、「あいつは何者だ?」と聞かれて、「怠け者だ」と答える。自分がそう言われるのを聞くのは最高
じゃあないでしょうか。つまりはっきりと、しっかり決まっているわけで、ということは私についていうべきことがあるということなのです。「怠け者!」――これはすでに一つの身分であり、庶務であり、地位なのです。(『地下室の手記』第一部第四章)
《地下室の人間》は、自分のあらゆる明確な特徴を内省の対象とすることによって、それらを自らの内部で溶解させてしまっているばかりではなく、そもそも彼の内にはすでにそうした特徴も、はっきりした定義も存在しないのである。彼について語るべきことは何もない。彼は生活する人間としてではなく、意識と夢想を主体として存在しているのだ。作者にとっても彼は、自意識に対して中立的な位置にあって、その人間像を完結させることのできるような、何らかの資質や個性の持ち主ではない。いや、作者の視線はまさに彼の自意識に、そしてその自意識の絶望的な非完結性に、無限の悪循環に向けられているのである。それゆえにこそ、《地下室の人間》の生活的・性格論的主調音と、彼の形象の芸術的主調音とが、ぴったりと一つに符合するのである。
〈アンチ・ヒーロー〉による〈反物語〉
井桁貞義著『ドストエフスキイ』 (W『地下室の手記』から抜粋)
―― 地下室人の〈不自然な自己意識〉はペテルブルグ時代のロシアの思潮をすべて映し出し、鏡のようにイデアの逆転像を作り出し続ける。そして地下室人自身はこの逆転像の側に立つものでもない。彼は鏡のちょうど境界面に立っている。そして出来上がり安定したかに見える二項対立を無化し、相互に関わらせ、閉鎖したヒエラルヒーのすみかから引きずり出す。おそらくここには深い宗教意識が隠されている。すなわち人間の側の物語の約束事は完結しない。人間の作った領域を壊す要素は〈向こう側〉から送られてくる。その〈異界〉から送られてくるもののシンボルが無人の舗道に降りしきる〈ぼた雪〉だ。
※ぼた雪=同書W『地下室の手記』の「ぼた雪の連想から」参照。
幸福への恐れ
中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』(20『地下室の手記』から)
亡命ロシア人の作家ナボーコフは、『地下室の手記』は「ドストエフスキーの主題、方法、語り口、をもっともよく描き出した一枚の絵」だと言っているが、その見方は当たっていると思う。主記者の「わたし」は独り身の、元下級官吏の中年男である。「わたし」は嫌々ながら役所勤めを続けてきたが、いささかながら遺産がころがりこんだおかげで、その勤めをようやっとやめることができた。
しかし「わたし」は、暮らすだけがやっとの遺産なので、遊ぶ金もなく、また色男でもない。ただ「おれは世間の鈍感無知の連中とは違うんだ」という頼りない誇りだけが支えの、自意識過剰の40男が、アパートの部屋(これがかれの「地下室」というわけなのだが)でぶらぶらしているだけの暮らしに、いつまでも満足していられるはずがない。といって、だれ一人心を打ち明けられる友もない。そこで「わたし」は、いるはずのない「読者」にむけて懸命に、涙ぐましくも滑稽な「手記」を書く。――(略)――
しかし、そんないやらしい男の手記であるのに、手記の第一章は「理性的エゴイズム」とよばれる思想との論争である。「理性的エゴイズム」というのは、1860年代のロシアの進歩派のオピニオンリーダーであったチェルヌイシェフスキーが『何をなすべきか』というユートピア小説で、簡単に言えば「人間は無意識に行動していても、その人の本当の利益を守るという目的にかなったように行動しているものなのだ。エゴイズムと見えることが理性にかなっているのだ。そして、それぞれの人が自分の本当の利益を守るように行動することが、その人を発展させ、他の人の利益をも認め、他の人も発達させることになるのであり、互いに他を生かしあうことになるのだ」という楽観的な考え方である。それは、いわばダーウィニズムの思想的応用であった。
「地下室」の「わたし」は、この仮想敵であるチェルヌィシェフスキーに絡んで、「人間は理性なんぞで生きているものですか。2×2=4は真理だと世間の方々はおっしゃるけれど、人間のことまでが、そんな風に何もかも決まってしまっていて動かしようがないなんて、気が狂ってしまいますよ。人間は、自分に不利だとわかっていても、あえてその不利なことを運ぶところに人間らしさがあるんですよ」と議論をふっかけている。
『地下室の手記』の本当の主題は、第二章の「わたし」の告白に現れている。第二章の告白の中心にあるのは、「わたし」が24歳のときに起きた一種の恋愛事件である。――(略)―― 偶然のことから、リーザという若い初心な娼婦から同情を寄せられることになる。―― (彼は)リーザと出会ったことによって、なにやら暖かな生活の夢が、希望が、わいたのだった。ところが、いざリーザが、「あなたと一緒に生きてゆきたいの」という気持を男に伝えようとして「地下室」の男のアパートを訪ねてきたとき、なぜか、男は激しい拒否反応を起こす。――(略)―― リーザは黙って去って行く。―― リーザを追い払った「地下室」の「わたし」は、自分は美しい愛を空想しているが、実はそれに耐ええない精神的インポテント、すなわち「死産児」であるという自分の招待を、認めざるをえなくなったのである。
――(略)―― 幸福にあこがれながら幸福を恐れる者、優れたものにあこがれながら劣等者にならないではいられない者、「生ける生」にあこがれながらそれに耐えられない「死産児」たちこそ、「わたしのいつもながらの本質です」とドストエフスキーは言っているのである。それが、かれの「人生のテーマ」なのである。―― 略 ――。
ドキュメント『地下生活者の手記』
『地下生活者の手記』を書き、発表した時期のドスとエーフスキイは、まさに厄年というべき最悪な年だった。(12月に伯父クマーニンの遺言で3千ルーブルを得たが・・・)作品発表までのドストエーフスキイの生活を書簡からみてみた。
【1863年】妻マリアの病状悪化・『時代』発行禁止・賭博はじめる
書簡194 I・S・ツルゲーネフへ ペテルブルグ1863年6月17日
5月24日 ストラーホフの論文「宿命的な問題」(4月号)で『時代』発禁になる。
ツルゲーネフに手紙で、妻の病状、雑誌廃刊のことをこのように書いている。
妻の病状については「妻の病気〈肺病〉、別居(ほかでもありません、妻はよく死にもせず、ペテルブルグで春を過し、夏の終わるまで、あるいはそれ以上の予定で、ペテルブルグを去ったからです首都の気候は、もはや妻にとって堪えがたかった次第です)」と。
また、雑誌発禁については「かような次第で、小生どもの雑誌は禁止されてしまいました。――4月号に、「宿命的な問題」という論文が掲載されました。――それは主としてロシア的傾向で、反西欧的なのです。さて、こういう雑誌がはたしてポーランド人の味方をするでしょうか? にもかかわらず、新聞は、非愛国的信念、ポーランド人同情という非難を受け、われわれからすればきわめて愛国的な論文のために、禁止されてしまったのです。――論文の主旨はつぎのようなものでした。ポーランド人はロシヤを野蛮国として極端に、軽蔑し、自分のヨーロッパ的文明をわれわれに誇っているから、ロシヤとは精神的な(換言すれば堅固な)和睦は、遠い将来にわたってほとんど予見することができないというのです。しかし、論文の意味は理解されず、こんなふうに解釈されてしまったのです―― ポーランド人は文明の点からいって、はるかにロシヤ人の上にあり、われわれは彼らに劣っているからーー
書簡203 兄ミハイルへ トゥリン1863年9月8日(新暦20日)
スースロヴァと外国旅行しているのに金に困窮していること。「何か書かなくちゃあなりません、それはよくわかっています」焦りの気持。「ぼくの現状についてはだれにも話さないでください。秘密です。つまり、賭博で負けたことです。」
書簡207 義姉ヴァルヴァーラ・コンスタントへ ヴラジーミル1863年11月10日
マリアの健康は、とても悪いです。もう二ヶ月というもの、ひどく悪いのです。
書簡208 兄ミハイルへ モスクワ1863年11月19日
『地下室』の構想
チェルヌイシェフスキーとピーセムスキイの小説の検討は大いに効果を奏するでしょう。第一、時宜に適しています。二つの相反する思想ですが、その両方に一発ずつ食らわすのです。つまり真実というわけです。
【1864年】新雑誌『世紀』発行許可 4月妻マリア死去 7月兄ミハイル死去未亡人と4人の子供、愛人と1人の子供、『世紀』の負債が残される 9月親友グリゴリエフ死去
1月 兄ミハイルに新雑誌『世紀』発行の許可がおりる。
1月 4日モスクワで妻マリアの看病。『地下生活者の手記』に取組む。
書簡213 兄ミハイルへ モスクワ1864年2月9日
/ あの中編(『地下室』)が急に自分で気に入らなくなったのです。/ もっと早く完結してしまわなかったのは、われながらゆるすことができません。中編ぜんたいがやくざなのに、それさえ間に合わなかったのですからね。
3月21日『世紀』1、2月合併号に『地下生活者の手記』前編が、4月号に後編が発表!
2005年8・13読書会報告
講演&詩で賑った暑気払い読書会大会
今年の、暑気払い読書会大会は福井勝也氏が「小山田二郎とドストエフスキー」を報告した。午前中の開催にも関わらず多数の出席者があった。報告は、小山田の作品を綿密に調査・鑑賞したレジュメを配布、その資料に沿った丁寧な発表があった。また、発表の合間に、福井氏が購入された小山田の作品展示や作品集の回覧もあった。
報告終了後、小林銀河氏によるロシア語での詩や講演の朗読があった。詩はプーシキン、レールモントフ、エセーニン。講演はプーシキン講演での一節。小林氏のもの静かな語り口とやわらかな調べは酷暑の昼に一服の清涼剤となった。
読書会大会にふさわしい「暑気払い読書会」だった。16名の参加者があった。下記は、福井勝也氏が配布したレジュメの一部です。(この項目に沿って報告された。)
【配布資料】
1. 何故、「小山田二郎とドストエフスキー」か?
a. 私的な〈体験〉を通して語られるテーマとして。
b. 小山田二郎の「絵画」におけるドストエフスキー的なものとは何か?
c. ドストエフスキーは、絵画芸術にどのような関心・意見を持っているのか?
d. ドストエフスキーの゜小説」には、絵画的世界がどう浸透し影響しているのか?
e. c・dの観点から小山田二郎の絵画芸術の世界との接点が考えられるか。
2. 画家・小山田二郎が生きた時代(大正~昭和)を考えるうえでのポイント。
~小山田二郎・瀧口修造そして小林秀雄の年譜を対照しながら~
a 詩人・美術評論家・作家の〈瀧口修造〉の存在と意味。
b.〈瀧口修造と小山田二郎〉、瀧口の小山田絵画への絵画批評等。
c. 「シュルレアリスム」という芸術思想の意味とその時代的影響。
d. a・b・cを年譜的に参照し、文芸批評家・小林秀雄の存在を逆検証する。
~小林秀雄のドストエフスキー批評の意味を考えながら~
e. 「瀧口修造と小林秀雄」という問題設定の意味。
3. 1・2から、改めて〈小山田二郎〉に〈ドストエフスキー〉を再導入してみる。~「ドストエフスキー体験」という言葉の意味について 考えながら
※ 小山田絵画のテーマを、勝手に分類してみると大雑把に4種類になる。
@ 「ピエタ」「母」「聖骸布」「愛」「はりつけ」など
A 「顔」「鳥女」「自画像的なテーマを展開した作品」など
B 「野蛮人」「食卓」「神と共に金と共に」など
C 「舞踏」「夜の集い」「晩餐」「夏の虫」「妄執」など。
いずれにしても、小山田はキリスト者として、このようなテーマを追求したわけでなく、むしろBに分類される宗教的なものへの風刺的な視線が反映されていると見るべきであろう。しかし一見、戯曲化されているようにも見える作品が異様な力を持って見る者に迫ってくるのは、並みの宗教画家を超えた現代の宗教的な真実を捉えているからだと理解できる。ここにドストエフスキー的世界の絵画化を読み取ることも可能だろう。 (福井)
「小山田二郎とドストエフスキー」報告を聴いて
山田芳夫
小山田二郎とドストエフスキーとの接点を検証し、彼の作品のなかにドストエフスキー的なものを見出す作業は楽しいに違いないが、個人的にはあまり興味はない。むしろ彼の作品の特徴である情念や破滅と言った、負のエネルギーをキャンバスにどのように表現しているかに興味が湧いた。たぶんにこれは私自身に絵画鑑賞と水彩画の趣味があり、また「ドストエフスキーと○○」的な評論にやや食傷気味な気持ちがあったためだろう。
さて今回の展示(東京ステーションギャラリー;5/28〜7/3)作品では、ピエタや鳥女シリーズのような大型油彩画の迫力は言うまでもないが、小型水彩画に目を引くものが多かった。ここでは水彩画に注目し、技法とテーマについて述べてみる。
絵の具を何度も塗り、洗い落とし、また塗り重ねてゆく方法は、透明水彩画ではタブー視されている。なぜならば混色するたびに絵の具の持つ明度と彩度が共に落ちてしまい、本来の透明感が出ないこと。また洗い落としを繰り返すと画用紙の表面が荒れて紙の繊維が露出し、均質表面が損なわれ水分吸収率が増大する不具合を発生するからである。さらに骸骨の輪郭などは不透明水彩絵の具で描き加えているが、不透明水彩絵の具を透明水彩画に使用すると、その部分が浮いたような印象になるので、多用するとくどくなり、歓迎されない技法と言われている。小山田はあえてこれらの不具合をうまくコントロールし、作品の特徴の一つに仕上げている。深く沈んだ青(ウルトラマリン)のグラデーションや、赤(クリムソンレーキ)のたらし込みは、絵の具の塗り重ねよりも、画用紙の水分吸収率の違いによるのかもしれない。幼少の頃より透明水彩画に親しみ、完全に技法を習得した者の成せる技である。
次に作品の内容について見てみる。小山田はシュルレアリストに位置付けられる。シュルレアリズムは、イマジネーションが現実そのものと同じくらい現実であるという芸術運動と定義されるので、小山田の絵画を観ることは彼のイマジネーションを理解することに他ならない。代表作の「鳥女」は猛禽の嘴、爪を持つグロテスクな生き物として描かれ、欲望、嫉妬、恐怖、死の象徴であると共に、他と隔絶し孤高でありたいとの願望を反映しているようだ。興味深いことに、鳥女の嘴は後年になるほど大きく垂れ下がり、しかも機械的イメージが強調されている。これは作者自身の病と密接な関係があるのではないか。
「食卓」は、骸骨が骨のスプーンをかき混ぜ、スープを食べようとしている絵だ。舌の無い大きな口を開け、鮮やかな黄色いテーブルクロスを肩に掛けた骸骨は、不気味ではあるがどこかユーモラスであり憎めない。骸骨の頭には数本の骨が刺さり、イバラの冠と観れば、十字架のある背景の建物は教会であり、キリスト教のアレゴリーと観ることもできる。しかし夕闇に浮かぶ建物のシルエットは、アウシュビッツ絶滅収容所を想起させ、ホロコーストの美味に酔いしれる人間の魔性を骸骨に重ね合わせたのではあるまいか。シュルレアリストの多くは観る者に様々なイメージを与える、だまし絵やダブルイメージの手法を使う。このことは福井さん所有の2枚の水彩画にも巧みに描き込まれ、小山田の絵画を鑑賞する楽しみの一つになっている。年譜によると「食卓」は1958年に作成されたので、朝鮮戦争特需に沸く人間のエゴや愚かさと犠牲者の怨念を描いたものと考えられる。
小山田二郎の作品は、人間の邪悪でグロテスクな側面を深く透明な色面によって構成し、時にはポリフォニック表現(だまし絵)も駆使した、「禍々(まがまが)しくも華麗な絵画」であり、ドストエフスキー的要素を垣間見ることができる絵画と言えよう。
『広場』合評会
大盛会28名の参加者 雑誌記者の取材も
ドストエーフスキイの会は、8月13日午後2時から東京芸術劇場において第170回例会として『広場』14号の合評会を行った。暑さ厳しい旧盆の最中でしたが28名の出席者があった。雑誌「ジャパンジャーナル」の澤地記者が取材に。二次会にも参加された。
合評された作品と報告者の皆様は下記の通りです。(レジュメは冒頭のみ)
○「小説『弱い心』の秘密」(木下豊房)― 論評者・近藤大介氏
なぜ二人は互いに理解し合わなかったのか?
概要・木下豊房氏の論文「小説『弱い心』の秘密には、小説の末尾で二人の主人公ワーシャとアルカージィが涙ながらに抱擁する場面に添えられた「なぜ二人は互いに理解し合わなかったのか?」という語り手のコメントが、論文の課題として与えられている。この語り手の言葉が小説『弱い心』の勘所であると、おそらく木下氏が考えてのことであろう。実際、この論文において、小説『弱い心』の解釈はワーシャとアルカージィとの相互理解を阻む「他者性」の問題に集約されている、と言ってよいかと思う。(全文希望者は「編集室」へ)
○「ドストエフスキーと『エミール』」(尾松 亮)― 論評者・小林銀河氏
――子供期の成長のイメージをめぐって――について
検討課題
(1) ルソーとドストエフスキーの子供観の共通点は?
(2) ドストエフスキーの考える「成長の最終目的」とは?
(3) 同時代のロシアにおけるルソーの影響、教育思想の展開、といったバックグランドについてのより広い研究の必要性。
○「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー」(福井勝也)―論評者・秋山伸介氏
※「ジャパンジャーナル」の記者の目的は、11号に掲載する「日露修好150年記念」に載せる記事を書くためでした。取材対象は、研究者ではなく一般の参加者。日本では市井の市民が、こんなにも熱くドストエーフスキイに関心を持っている人たちがいる。且つ集まって30何年も活動している。このことを世界に発信するためとのことでした。
澤地記者から「どなたか最適な人を」と依頼され、読書会参加者のなかでご高齢ながら、ドストエーフスキイを読むことでまたふたたびの青春を謳歌していらっしゃる新美しづ子さんを紹介しました。
澤地記者は、合評会のあと自主的に二次会にも出席され、宴席での歓談からドストエーフスキイの会が、本当に市民の会ということを確認したようでした。そのような感想をもたれて退席されました。(専門家の集まり、最初はそんな先入観があったようです)
11号にどのように紹介されるか楽しみでもあります。
ドストエーフスキイ情報
○よど号ハイジャック機の機内で読んだ『カラマーゾフの兄弟』
93歳、私の証 あるがまま行く 日野原重明『平和を守る「勇気」とは』
新聞・朝日新聞 2005年8月20日 土曜日 (情報提供者・藤原栄子さん)
35年前、私が羽田空港から乗った飛行機がハイジャックされたことがあります。いわゆる「よど号事件」です。富士山上で「この飛行機をハイジャックする。北朝鮮へ向かう」と犯人の若者たちから宣告されたときはショックでした。しかし、私はすぐに自分の脈をとり、少し早いなと確認しました。実は、隣の女性の脈をとってみたいと思う余裕すらあったくらいです。飛行機が海峡の上を飛んでいる時、犯人のひとりが、金日成の伝記、詩人・伊東静雄の詩集など、読み物があることを告げ、読みたい人を募りました。最後にドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の著名が告げられた時、私が縛られた手を挙げると、文庫本がひざの上に置かれました。「これがあれば何日拘束されてもやることがある」と思い、私は早速読み始めました。
読書感想・2005年9月25日 日曜日 寄稿
「『悪霊』神になりたかった男」(亀山郁夫著)を読んで
福井勝也
本著(2005.6.10、みすず書房)は、出版社の「理想の教室」と銘打った企画シリーズの第一回配本ということで、架空の教室で、亀山先生の講義を3回にわたって読者が聴くというスタイルをとっている。この基本設定はシリーズ共通のものであるが、亀山氏は、その講座の一つで『悪霊』のスタヴローギンの「告白」という問題テキストを真正面から採りあげられた。読了してまず感じたことは、「理想の教室」というコンセプトが、重いテーマを読者に投げかけるうまい仕掛けになっているという印象だ。亀山氏の長年のドストエフスキー読みの成果(これ自体かなりヘビーなものだ)が、対話的に、時にユーモラスに語られていて、まさに熱のこもった「理想の教室」が実現されている。例えば途中で聴講生(=読者)に投げかけられる幾つかの宿題(「スタヴローギンは、自分の膝のうえに抱き寄せたマトリョーシャの耳元ではたして何を囁いたのか」等)が、不意打ちの挑発的質問として降ってきたりする。現代の切実な問題を共有しつつ、著者に対話的に導かれたという読後感が充実したものとして残った。そして亀山氏の講義が終わる頃、聴講生(=読者)はドストエフスキーの文学表現が、我々が生きる21世紀的課題と本質的にクロスしていることに気づかせられるのではないか。その時、読者は思わずこの「画期的な」著書を再読することを強いられる。もちろん同時にドストエフスキーの作品を読み直すことを促されることにもなる。いずれにしても、本著はドストエフスキーを21世紀の現代に蘇らせることに成功している。
それでは、もうすこしこの本の内容に触れながら感想を述べてみよう。自分が、今回本著を通じて改めて感じさせられたことは、「テキスト(ドストエフスキーの)を読む」ということ自体が孕む問題とその進化(=深化)についてであった。この間に自身もドストエフスキーの作品を長年読み続けてきたわけだが、ここ十年位の世界の変貌は確かにドストエフスキーの作品を読み替える新たなステージが準備されつつあったのだということを改めて思い知らされた。その最近の問題の頂点が、ニューヨークの9.11(2001)のツインタワー爆破テロ事件であったことは間違いない。亀山氏は、スタヴローギンの「告白」というテキストを読み直す直接的な契機としてこのことから語り始める。
「振り返れば、大学三年生の秋にこの『悪霊』と出会ってから、私は、人間のまなざしのもつ根源的な罪深さのようなものを意識してきた。そして唐突ながら、九月十一日のあの日、ツインタワー崩落のシーンを旅先のテレビで観ながら、私はなぜか不意にこの『悪霊』の一節(「わたしは神様を殺してしまった」という少女マトリョーシャの言葉、筆者)に思いをはせ、「神は死んだ」と感じ、テレビを観ているわれわれ全員が神になった、という奇妙な錯覚に囚われたものだった。」
この奇妙な感覚の在処を解き明かすべく、亀山氏はスタヴローギンの「告白」というドストエフスキー文学の最難関のテキストを読み直す。文学作品、小説を読むということがこれ程までアクチュアルに語られたことが今までにあったろうか。かつて「政治か文学か」などと(暢気に?)語られた時代から、「文学は死んだ」とまで(無気力に?)宣言される今日的状況からも離陸して、今回の亀山氏の著作は21世紀における言語表現(=文学)の価値を未来的に暗示している。そして、それが長年親しんできたドストエフスキー文学の新たな読み直しであることが、自分には殊の外うれしく、貴重なことと思えるのだ。
亀山氏は、まず今回の講義で、テキストにドストエフスキーの『悪霊』のそれもスタヴローギンの「告白」を採りあげる理由から語り始め、この翻訳テキスト自体の起源が二種類あることをまず明らかにしている。つまり、元来、『悪霊』という小説の一部であるか否かが問題とされた「告白」が<校正刷り>(アカデミー版)と<筆写版>の二種類のテキストとしてあるということだ。このようなことは、専門家の間では常識なことかもしれないが、筆者には寡聞の事実であった。亀山氏は講義で訳出したのが、「一切手直しのない」<筆写版>ではなくて、あえて<校正刷り>によるものであることを言明している。この辺りの判断は、専門家的なものなのだが、実はこの「告白」というテキストの第一読者がアンナ夫人であったという事実をどう考えるかというスリリングな問題と交叉していることが興味深く解説される。そしてさらに、この『悪霊』の「チーホンの許で」という章にある「告白」自体が、いくつかのバリアによってわれわれ読者から隔てられている構造的な問題が明らかにされる。すなわち、読者としてはまずチーホンという先行する読者があって、テキスト自体が元々地下出版された印刷物(=肉声ではない)であって、さらにそれはレポーターのG氏によって書き写されたもの(=オリジナルでなく、修正されたもの)であり、それをさらに読者が手にしている(=再々間接性)という何重かの枠組みが前提されているということだ。この枠組みが、作者と主人公の同一視を避ける仕掛けであるとも説明もあるが、この「告白」をめぐる構造は、第一読者としてのアンナ夫人を巻き込んだように、そのテキスト自体の迷宮性とともに以後無数の読者を巻き込んでゆく仕掛けとして存在する。この磁場のなかで読者の「読み」が常に試されるということか。ここでは一人称的な表現と考えられがちな「告白」が、ドストエフスキーにおいては全く異質なものであることを亀山氏は次のように指摘している。
「ドストエフスキーはけっして一人称による<告白>を、言いっ放し、書きっ放しの状態に放置することはありません。<告白>を直接、読者の目にさらすことを避けている、言い換えると、あくまでも、登場人物間の、まさに対話的な関係のなかにそれを位置づけている。ここに、<中略>ルソーの『告白』など、過去の告白文学との大きな違いがある
のです。」
しかし同時に亀山氏は、ドストエフスキー文学に指摘されるこの「ポリフォニー」の構図をバフチン流に解釈するだけの不十分さも指摘し、「物語そのもののなかの<危険さ>を受けとめるクッション(媒介者)が、告白者に対する一方的な肩入れでも、一方的なアイロニーでもなく誠実に対処できる読者が必要なのです。」とその(あるべき?)読者像を説いています。
また別の箇所(<マトリョーシャは涙を流さない>)では、「ポリフォニー」の意味にさらに言及しながら次のような指摘もしています。
「マトリョーシャは声をあげて涙を流すことはしません。涙を流さずに耐えている。母親のむごたらしい折檻にも、スタヴローギンの気まぐれな<陵辱>にも。いや、こう言いかえたほうがいい。ドストエフスキーは、マトリョーシャを自分の犠牲者に仕立てようとはしない。縛りつけてはいない、と。マトリョーシャは自由な幼いヒロインなのです。<告白>には、一人の登場人物として、いや一人の生身の少女として行動するマトリョーシャがいる。他方、スタヴローギンが解釈するマトリョーシャもいるし、チーホン僧正が解釈するマトリョーシャもいる。いや、私が考えるマトリョーシャもいる。まさに、マトリョーシャという存在それ自体がポリフォニーなのです。自由なのです。」
本著では、上記のように語られる第2回講義の中盤以降から問題が加速度的に煮詰まってゆく。「告白」の細部のディテールにわたる読みが、ルソーの『告白』を大胆に対照する経緯と相俟って定説を覆す「世界的な誤読」「発見」へと導かれる。母親の鞭打ちにも声をあげなかったマトリョーシャは<打たれるたびになにか奇妙な声をあげて泣いていた>。ここに、亀山氏は、スタヴローギンという告白者当人を差し置いて、この声にしっかりと耳をそばだてている作者ドストエフスキーの影を垣間見ている。ここでは、14歳という少女の微妙な年齢も前提になっている。本著のクライマックスをやや長文だが引用する。
「私の結論はこうです。ドストエフスキーは、先ほどルソーの『告白』から引用した<肉欲>、<恐怖よりも強い>快感の存在を、他ならぬマトリョーシャのうちに認めていた。そして彼女がうわ言の中でつぶやく「神さまを殺してしまった」という一言のなかには、苦痛を快楽と感じてしまう罪深さからくる恐怖の感覚もまた含まれていたのではないかということです。しかもその現場を、自分がひそかに好意をよせているアパートの隣人に見られている・・・。得体しれない快感、罪意識、恥ずかしさとがないまぜになった<奇妙な>経験。いや、恐ろしかったのです。その<奇妙な>感覚が。だからこそ彼女は、折檻が終わってから、一時間も、延々と声を上げて泣きつづけたのです。マトリョーシャは、性という恐ろしい快楽の秘密をはじめての折檻による痛みをとおして知った。そしてひとたび禁断の木の実を味わった自分が、もはや楽園には留まりえないことをも。
もしも、この仮説が正しいとなると、スタヴローギンとマトリョーシャの関係は一変してしまいます。そう、二人は、死刑執行人と死刑囚の、権力者と犠牲者の敵対しあう関係ではない。同罪です。二人は向こう側、いやこちら側にいるのです。こちら側、そう、楽園の外に――。二人は楽園を追われたアダムとイヴなのです。ですから、ともに縊死を選ぶのは理由があるのです。<神さまを殺した>のは、たしかに蛇=スタヴローギンが仕組んだ罠だったかもしれません。しかしその蛇は、マトリョーシャ自身の体のなかにも棲みついていた。彼女自身がそういう自覚をもったのです。ところが、<なにか奇妙な声をあげて>と書きつけた当のスタヴローギンは肝心なそのことに気づいていなかった。
この意味で、二人の死は、あるいは心中とも呼ぶこともできるのです。二人は知らず知らずマゾヒズムの快感を共有しあっていたのですから。――中略(途中チーホン僧正の言葉を引用、筆者)――チーホン僧正、あなたも見込み違いを犯している。あなたの言葉はたしかに真理の一部をついている。ただし全体ではない、と。――中略――ドストエフスキーは、あなたよりもはるかに上手なんです。マトリョーシャは確かにいたいけかもしれない。でも、あなたは少女の一面しか見ていない。彼女のほんとうの苦しみに同化できていない。」
さらに、この亀山氏は少女マトリョーシャの縊死の原因を「大人になりかかった少女の恋、いや失恋」であり、「失恋というよりももっと根源的な不条理の感覚、どこにも行きようもない絶望」で、そこに「追いやったスタヴローギンは、マトリョーシャに対し、ある意味でもっとも根源的な性的暴力をふるったと言えるかもしれません。」とまで述べているのです。
さて、以上簡単に?亀山先生の講義のポイントを自分なりに辿ってみたわけですが、この感想文の最初に指摘したとおり、今回自分が亀山氏の著書から感じたパワーの源は、そのアクチュアルなテキスト解釈が現代の人間をとりまく問題状況を鋭く抉る言語表現たりえていることによるものなのでしょう。僕はここに「テキストを読む」ということの意義とその進化(=深化)を強く感じさせられたのです。縊死するマトリョーシャをじっと「窃視」し続けるスタヴローギン的なニヒリズムが、「世界をたんに見る対象として突き放す神のまなざしの傲慢さ」にあるのであって、「テロリズムの罪深さはじつはテロリストではなく、むしろテロルの現実をガラス越しにないしテレビの画面越しに見ている私たちにあるのではないか」と語られる言葉は、現代倫理への確かな批評性を獲得している。それが亀山氏の『悪霊』の読み直しの成果によるものとしてある。言いかえれば、これらの言葉には現代の読者を改めてドストエフスキーの文学に向かわせる力が秘められている。少女マトリョーシャが、スタヴローギンに陵辱される無辜な被害者であるとするチーホン僧正の説く今までの定説よりも、引用した亀山氏のマトリョーシャの少女像の方がよりずっとリアルなものとして現代を生きるわれわれに迫って来ないか。おそらく、時代は加速度的に悪化しているためかもしれないが。しかし同時に、人間の本質は意外に変わっていない。現代世界にドストエフスキーの<悪魔的な>人間洞察が蘇る。結局、問題はテキストを「読み直す」読者の創造力(=「文学力」)にありはしないか。やはり、ドストエフスキーは「成長する作家」なのだ。それはポリフォニックな構造を本質的に持つ、あくまで開かれたテキストとしてドストエフスキーの小説が成立していることに起因するのであろう。いずれにしても、今回、その「読み直し」を果敢に実践してみせてくれた亀山郁夫氏に改めて感謝したいと思うのだ。すべてが断片的で、刹那的な映像文化に囲繞されている現代の状況に、もしかしたら言語表現(=文学)が拮抗した力を持ちうるかもしれないという希望を明らかにした本著は高く評価されてしかるべきだろう。
提 案
「『悪霊』神になりたかった男」の感想を交わす会の開催の提案について(2005.9.25)
今回は書評的感想文というかたちで、亀山氏の著書への自分なりのコメントを提示させていただいた。実は当初、できれば読書会参加の有志とこの本を対象とした勉強会を持ちたいと考えた。たまたま、手違いもあって10/8(土)の夜の千駄ヶ谷区民会館の会議室が使える事情もあったので、僕の提案に賛同される方たちと午後の読書会の後に引き続くプログラムとして考えていた。結局、会議室は会の運営委員会を開く話が浮上し現段階では、そちらを優先することになりそうである。考えてみれば、午後から夜まで連続して「地下室の手記」から「悪霊」まで論ずるのは無謀と言えばその通りで、亀山氏の著書に対しても申し訳ないことになるかもしれないと思い返した次第である。
ということで、今回タイミングを考えてこの亀山氏の著書についての勉強会の開催を読書会に改めて提案することとしたい。勿論、この著書への評価もさまざまであると考えるし、自分が今回書いた感想についてもいろいろな批判もありうるだろう。亀山氏自身が、この「講義」を終えるにあたって、聴講生(=読者)からの質問を受けるかたちでこの著書は閉じられている。僕も実は聴きたいことが何点かあるのだが、今回の感想文にはあえてこの点に触れていない。いずれにしても、読書会のみならず、ドストエーフスキイの会においても、現代の問題とアクチュアルに交叉した亀山氏の本著をこのままにするのはもったいないと考えるのだ。昨夏に刊行された、『ドストエフスキー父殺しの文学』(NHKブックス)との関連も出てくるだろう。いずれ亀山氏ご本人を交えた会ができればと勝手に期待してもいる。
とにかく、まだ読んでいない方は最後まで読み通していただきたいし、とりあえず今度の読書会でこれ以降ことについて話ができればと思う次第である。話はそれからということで、とにかく皆さんのご意見・感想が伺いたいと思い提案させていただくこととした。 (福井勝也)
このところ亀山氏の著書は、メディアから注目されています。「読書会通信」でも、何度か記事をドストエーフスキイ情報としてとりあげています。そのようなわけで当日、上記の提案に忌憚のないご意見、新提案などをお寄せください。よろしくお願いします。
○ 開催するならいつごろ (読書会か例会の一環か)
○ 時間は、いつ 午前・午後・夜 (東京芸術の場合)
○ 会場は。(会の例会なら千駄ヶ谷区民会館もあり)
掲示板
吉本直聞さんの作品がノミネート
先般、『黒澤明記念ショートフィルムコンペティション』に読書会会員で映像作家・吉本直聞さんの作品がノミネートされました!!
作品は「ドライ」です。応募数は478作品でしたが、優秀作品が15本ノミネートされました。
9月4日(日)有楽町マリオン11F朝日ホールでノミネート作品全作品の上映と選考が行われました。残念ながら、受賞は取り逃がしました。詳しくは「黒澤明文化振興財団ホームページ」をごらんください。
吉本直聞さんのますますの活躍に期待します。
新刊紹介
『三島由紀夫・文学と事件』
―――預言書『仮面の告白』を読む―――
清水 正著 D文学研究会刊/星雲社発売 定価(3200+税)
【三島由紀夫没後35年記念出版】
『仮面の告白』に、すでに三島の〈死〉は予言されていた。緻密な分析で三島由紀夫の〈文学〉と〈事件〉の秘密に肉迫する。画期的な三島由紀夫論。第T部『仮面の告白』を読む。第U部三島幸雄の〈死〉。三島幸雄の行動美学と武士道。三島由紀夫、その文学と事件。栞―――「意志の人」山下聖美、「鮮烈な光景」浅沼 璞、「三島事件の謎」下原敏彦
日露修好150周年記念講演しシンポジウムのお知らせ
主 催・関東学院
日 時・2005年10月8日(土曜日)14:00~17:00
内 容・第1部講演:「横浜 ロシア ドストエフスキイ」松本昌子(関東学院学院長)
朗読「蜘蛛の糸」
第2部シンポジウム「日露文化交流と国際交流における教育の役割
会 場・関東学院大学 金沢八景キャンパス SCC館ベネットホール
入場無料 締め切り9月30日(金)先着順700名まで受付。定員になり次第締め切ります。
申し込み方法は、FAX:045-786-7038、関東学院HPからの申し込み。
問い合わせは、関東学院 総務課 TEL:045-786-7028 FAX:045-786-7038
※あいにく当日は読書会と日時が重なってしまいます。が、興味ある方は上記のところに連絡してみてください。
ロシアの古典 詩と音楽
日 時・2005年10月22日(土)19:00~開演 「ようろっぱ風さろん 蛮」
場 所・宇和島(四国)ロシア文化交流協会主催 (詳細・編集室)
編集室便り
年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
9月27日現在までにカンパくださった皆さん。ありがとうございます。この場を借りて厚くお礼申し上げます。
皆様からの原稿をお待ちしています。12月読書会も『地下生活者の手記』です。作品感想、引き続き受け付けます。
ドストエーフスキイ情報、ありましたらお知らせください。
郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方