ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.87 発行:2004.11.20



晩秋の候、読書会の皆様には益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

第206回12月読書会のお知らせ
第206回10月読書会は中止しました

10月読書会は、台風22号直撃のため中止しました。当日、来られた方にはお詫び申し上げます。12月読書会は、下記の要領で行います。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

月  日 : 2004年12月11日(土)
 
時  間 : 午後6時00分〜9時00分
            
場  所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
作  品 : 『死の家の記録』
            Дядющкин сон
報 告 者 : フリートーク

会  費 : 1000円(学生500円)

※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。

◎ 終了後は、近くの居酒屋(西口)で忘年会を開きます。

会  場 : 養老の瀧(変更の場合も有り)
時  間 : 夜9時10分〜11時00分頃迄
会  費 : 3〜4千円




12・11読書会 

12月読書会作品は『死の家の記録』2回目
 
 12月11日(土)開催の読書会は、『死の家の記録』をとりあげます。6月読書会につづいて、2回目となります。前回は報告者の熊谷暢芳さんが、流刑されたときから出獄までを項目ごとに列記した配布資料に沿って丁寧にレポートされました。12月読書会は、この作品の総まとめということで報告者を立てずにフリートークにします。『死の家の記録』は、後のドストエーフスキイ大作品への出発点にある重要な作品です。年の瀬の忙しさを忘れて大いに語り合いましょう。大勢の皆様の感想を期待します。

10月読書会について 中止は30年間ではじめて
 
 ところで、大変遅くなりましたが先の10月読書会を中止した件につきまして、深くお詫び申し上げます。10月読書会は10月9日(土)に東京芸術劇場小会議室1においては夕方6時から読書会を開催する予定でした。しかし、当日同時刻に台風22号が関東地方直撃との気象予報が入りました。朝から荒れ模様の天候だったことに加え予報も確かとみられたため、9日午前10時、中止を決定しました。その旨を複数会員に連絡、またインターネットにてお知らせしました。何名かの方が電話連絡くださいました。ありがとうございました。また、知らずに来られた方がいましたら、重ねてお詫び申し上げます。
 ちなみに台風22号は、各地に爪あとを残しながら予報通り、関東地方を通過。池袋駅も一時水がつかるなどの被害がでました。1868年5月15日官軍の将・大村益次郎は、上野の山総攻撃を命じた。かくて幕臣・彰義隊三千と薩長の征討軍三千の戦いがはじまった。200万江戸市民は、すべて家に閉じこもって事態の推移を見守っていた。ただ一人を除いて。なんとこのドンパチの最中に34歳の福沢諭吉は、塾を開いていたのだ。「英書で経済の講釈をしていました。(『福翁自伝』)」と鼻高々である。まあ、たいしたものだと感心するが・・・自然災害ではなんとも・・・。「開けば出席します」と連絡してきた若い女性の勇者もいました。大変頼もしく、うれしく思いました。継続の大切さ重要さをあらためて思い知ったしだいです。しかし、ニュースで報じられる各地の被害状況から、やはり中止は止むを得なかったと思っています。読書会発足以来30年間ではじめてでした。




12・11読書会『死の家の記録』 

 当日は、フリートークなのでレジメがありません。かわりとしてテキスト『ドストエーフ
スキイ全集別巻 ドストエーフスキイ研究』から訳者米川正夫評の一部を紹介します。

『死の家の記録』について    訳者・米川正夫
 
 『死の家の記録』のもっている意義については、前にも一言したが、シベリヤ流刑はドストエーフスキイの世界観を一変した契機であるだけに、この作品はいま少し詳しく検討しなければならない。これは表面的には一種のルポルタージュではあるけれども、その深い底には、将来の大ドストエーフスキイを準備したいくつかの要因を含んでいるのである。
 スカビチェーフスキイは『死の家の記録』と『永遠の夫』を、ドストエーフスキイの作品中、芸術的に最も完成されたものと評しているが、それもあながち根拠のないことではない。モチューリスキイは次のようにいっている。
「『死の家の記録』は実に巧みに構成されている。牢獄の生活や囚人たちの風習の描写、強盗どもの身の上話、それぞれの犯人の性格描写、犯罪心理に関する考察、牢獄の日常の光景、社会批評、哲学、民俗学、――これらすべての複雑な材料が自由に、というより、ほとんど無秩序に配置されている。にもかかわらず、すべてのデテールはあらかじめ予定され、特殊性は全体のプランに従属されている。『死の家』の構成の原則は、決して静的でなく、動的である。作者は敏捷な筆致で、大きな画面のデッサンを示している、――要塞、牢獄、土塁、兵営、牢獄の庭、作業場やイルティシュ河畔の労働、囚人たち、その外貌、仕事、風習、――これら額に烙印を打たれ、足枷をはめられた人々の群れの中から、幾人かの特色ある人々が際立っている。牢獄における最初の朝、茶を飲みながらの話、散財、泥酔、夜、寝板の上の隣人、彼らの身の上話、死の家についての瞑想。これは牢獄生活第一日の印象である。それから、牢獄における最初のひと月の物語がつづく。新しい人々との遭遇、知己。囚人たちの生活の中で、もっとも特色ある数々の場面が描かれている。それから、最初の一年の物語が、風呂屋、クリスマス、芝居、復活祭など、若干の絵画的な挿話に集中される。第二編では、それにつづく数年の出来事が要約されている。時間的な順序は、ほとんど消滅する。これが、この物語の鳥瞰図である。前景(第一日)は、あざやかに照明され、あらゆる
 デテールが確実にスケッチされている。中景(最初のひと月)は、それより照明が弱く、概括的な線で描かれ、さきへいくにしたがって、ますます概括性が大きくなる。多面的なプランは、その構想にぴったりと当てはまる、――牢獄は不動である。これはどこへも出られない冷凍された『死の家』である。が、作者は常に動いている。彼は地獄のあらゆる隅々へ降りて行くのである。はじめ彼は外的な観察者であっても、もっともいちじるしい、心を打つような点をとらえているに過ぎない。それから牢獄生活の参与となり、ついにこの世界の秘密な奥底に滲透し、それまで見て来たことを別様に意識し、最初の印象を再評価し、自分の結論を深めていく、すでにふれたテーマの復帰は、円周から中心へ、表面から奥深くへの動きで説明される。視覚はたえず変わって、われわれのすでに知っている情景が、そのたびに新しい照明を受ける」
 上記に引用した言葉は、まさに芸術作品としての『死の家の記録』の価値を、みごとに解剖している。のみならず、ドストエーフスキイが思想の面でも次第に深化していって、犯罪哲学、強者哲学を徐々に発見していったことも暗示している。
しかし、ドストエーフスキイは、周知のごとく、シベリヤの牢獄中で聖書を耽読して、ついに社会主義からキリスト教に転向(?)した。一方では強者の叛逆に興味を持ち、犯罪哲学を考えながら、しかもキリスト教を唯一の心理としたのは、なぜであろうか?/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
つづきは全集別巻『ドストエーフスキイ研究』でお読みください。





関連書にみる『死の家の記録』評・感想



★埴谷雄高著『ドストエフスキイ その生涯と作品』

緻密な観察者 『死の家の記録』には衝撃のみにつき動かされる凶暴な人物も、驚くべき意志力をもった超人的な強者も、ロシアの底辺ばかりでなく、まぎれもなく私達のあいだに現存する代表人物として鮮明に描かれていますが、この作品がトルストイをはじめとしてロシアの批評家たちに高く評価された理由は、この作品がリアリズムの正道を踏んだ作品であるからで、ドスエフスキイはここでは驚くべきほどの「緻密な観察者」として現れています。/
 『死の家の記録』には、批評家たちによってダンテふうと名づけられたつぎのような風呂場の描写があります。
「私たちがいよいよ浴場の戸を開けた時、私は地獄へ入ったのかと思った。ひとつ、開口奥行とも12歩ぐらいの部屋を想像していただきたい。その中におそらく百人、すくなくとも80人くらいの人が一時につめこまれているのだ。なにしろ、囚人たちは二交代に分けられたのだけれども、浴場へやってきたわれわれの人数は、200人になんなんとするからであった。目の前を蔽い包む湯気、煤煙垢、それに足の踏み場もないほどの混雑。私は面くらって引き返そうとしたが、ペトロフがすぐ傍から励ましてくれた。床に坐りこんでいる人たちの頭を跨ぐようにし、少し屈んで通してもらいたいと頼みながら、私たちは苦心惨憺したあげく、やっとどうにかこうにか腰掛のところまで辿り着いた。が、腰掛の上も場所が全部ふさがっていた。ペトロフは、席を買わなければならないといって、早速窓のそばに陣取っている囚人と、値段の掛け合いを始めた。/どこを見ても囚人たちが体を曲げて、めいめい自分の桶の湯をぱちゃぱちゃ撥ねかえしながら、坐っていた。/湯桶を渡す脱衣場の傍の小窓の口では、罵詈の声につれて、押し合いへし合いのごつた返しが演じられている。受け取った湯は、自分の場所へ運んでくるまでに、床に坐っている連中の頭の上に、ほとんどこぼれてしまった。/囚人たちの半ば剃られた頭や、真赤に茹った体が、いよいよ醜悪に見えてくる。」
 ところでこのようにロシア・リアリズムの正道を踏み、『死の家の記録』において「緻密な観察者」として出発したドストエフスキイが、トルストイごときロシアのロシアの生活の精力的な建築家の方向へむかわなかったのは興味あることです。/「緻密な観察者」という堅固な実質をまずもったドストエフスキイが、いかにして、「徹底的な懐疑家」になり、そして、その懐疑の坩堝を通じて、さらに「この現実を素材として考察するところの巨大な思索者」に成長したかという、注目すべき転変の経過であります。
  

★井桁貞義著『ドストエフスキイ』

 監獄での共同生活からドストエフスキイが学んだのは、農民たちの素朴な宗教感覚だつたろう。彼は若いダゲスタン人のアレイに『聖書』をテクストにロシア語を教え、分離派教徒たちの清潔な祈りにひかれる。
 
★ドストエーフスキイ『書簡』1859年10月9日

 ぼくの頭には別の想が浮かんで来たのです。兄さん、ぼくの最後の手紙に注意してくだすったかどうか知りませんが、ぼくはあの中で『死の家の記録』(徒刑について)を書きたいといいました。そして、その時さっそくネクラーソフとクラーエフスキイに一言してくださいと頼んだはずです。/この『死の家の記録』はぼくの頭の中で、完全なはっきりしたプランができあがっているのです。それは印刷6台か7台分の本になるでしょう。ぼくという人間は消えてしまって、それは無名氏の手記なのです。しかし、面白いことはぼくが保証します。

★ロシアでの『死の家の記録』評(V・ネチャーエワ 訳中村健之介)

★I・S・ツルゲーネフ書簡 ドストエーフスキイ宛1862年1月7日

 『時代』を二冊お送りくださり、まことに忝く存じます。大変面白く拝見しております。中でも、貴兄の『死の家の記録』は抜群です。風呂の場面は、まさにダンテに匹敵します。そして、貴兄のさまざまな人物描写には(たとえばペトロフ=平民出身の囚人。作家に対しては気まぐれな忠僕のような態度をとっている。普段はおとなしいが、何かあると恐れを知らない)繊細で確かな心理把握が豊かにあります。

★M・N・ゲルネト著『帝政期監獄史』1951-56刊行

 『死の家の記録』によって、ドストエフスキーは、ペンによって結ばれた自らの同志すべてに代わって、ツァーリ政府に対して恨みをはらしたのである。彼とその同志たちが処刑台に一時間立たされたとすれば、彼ドストエフスキーは、ロシアの無数の死の家の支配者たちを未来永劫にわたって晒し台に立たしめたのである。

★L・N・トルストイ(P・セルゲェンコの書きとめた言葉)

 ドストエフスキーが無造作に書いた一行は、いまどきの作家たちの本の何巻にも値する。私は『復活』を書くために、最近『死の家の記録』を読んだ。これは、何ともはや驚嘆すべき作品だ!

★L・N・トルストイの書簡 N・N・ストラーホフ宛 1880年9月26日

 2、3日前、体の具合が悪くて、それで『死の家の記録』を読みました。いろんなことを忘れてしまつていました。再読してみましたが、プーシキンを含め新しい文学全体の中で、これ以上の書物を知りません。作品の調子はそうでありませんが、視点が驚嘆に値します。――ごまかしがないし、自然だし、キリスト教的です。優れた教え諭すものを持っている書物です。昨日は一日中これを楽しみました。こんな楽しさは久しぶりです。もしドストエフスキーにお会いになることがあったら、私が彼を愛している、とお伝えください。


★A・I・ゲルツェン『ロシア文学の新しい言葉』

 ニコライの時代は我々に一巻の恐ろしい書物を、一種の“Carmen horrendum”(恐怖を与える歌)を残した。その書物は、暗鬱のニコライ治世の出口の上に、これから常に毅然とそびえ立つことだろう。あたかも地獄の入り口に書かれたダンテの言葉さながらに。その書物とは、ドストエフスキーの恐ろしい物語、『死の家』である。恐らく、この物語の著者は、自分の仲間であった懲役囚の群像を描く自分の縛められた手が、シベリアのある監獄暮らしの仕来りを描写するうちに、じつはミケランジェロばりのフレスコ画を創造していることに気づいてはいないのだろうか。

★A・I・ゲルツェンの書簡 ツルゲーネフ宛 1862年5月21日

 君の論証が、ぼくに負わせた傷に、君が本当に膏薬を貼ってくれるというのなら、どうか『死の家の記録』を送ってくれ給え。

★P・A・クロポトキン(ロシアの革命家 無政府主義者1842-1921)著『ロシアとフランスの牢獄で』

 懲役とシベリア流刑の数々の辛苦をなめねばならなかった人々の中で、幾人かの人たちが自らの悲しい経験のもたらした事実を紙に書き付けた。長司祭アヴァクム(教会分離派の指導者)もそれをした・・・・ドストエフスキーの有名な『死の家の記録』は、監獄の暮らしの非常に優れた心理学的研究であるが、彼はこの作品の中で、1848年からのオムスク要塞監獄の自分の入獄体験を語った。

★V・D・ボンチ=ブルェヴィチ(1873-1955 革命家・ソ連の政治家)『書物と作家について語るレーニン』

 ヴラヂーミル・イリーチ(レーニン)はこう語った。“『死の家の記録』は、ロシアの文学、そして世界の文学の、卓絶した作品である。この作品が非凡な筆致をもって描き出したのは、ただ懲役のみではなく、ロマノフ家の歴代の皇帝たちの下でロシアの民衆が生きねばならなかった『死の家』でもあるのだ”、と。


★トカルジェフスキー著『懲役囚たち』

・・芝居の準備が始まった。芝居はオムスク監獄の中で、1852年の新年を迎えるにあたって行われることになっていた。演し物の喜劇とパントマイムは囚人たちが自分たちで選んだものだった。にわか役者たちによって、舞台監督という資格で招かれたのは、作家のフョードル・ドストエフスキーだった。




『死の家の記録』プレイバック



 1973年4月20日(金)ドストエーフスキイの会は、新宿の厚生年金会館ではじめてシンポジュウムを開催した。テーマは、『死の家の記録』で口火として佐々木美代子さんの報告があった。故新谷敬三郎先生の司会で「最初から最後まで、熱心な発言が間断なく続い」た活発な討論がおこなわれたそうです。下記の研究論文は、シンポジュウムで問題になった「『序章』の意味」について冷牟田幸子さんが触発され書かれたものです。1973年11月22日発行の「会報No.28」に掲載されています。





☆ あるメールから

編集室には、多くのお便りが届けられております。厚くお礼申しあげます。その中に、なんとなく、本人としては『死の家の記録』を念頭に書いた――そう思わせるような、体験記というか創作(近頃流行のパソコン小説)のようなものがありました。稚拙な文体ですが、珍しさを買って連載で紹介します。


汐留青春グラフティ ― 居酒屋に置き忘れてあったノート断片から ―― (3)

前号までのあらすじ

ベトナム反戦集会のデモに参加したため警察に追われることになった私は、都会のど真ん中にある汐留貨物駅に身を隠した。そこには様々な人たちが働いていた。挫折した青春。希望にあふれた青春。会社をクビになった中年男、プロ野球選手、前科者。都会の縮図のような冬の貨物駅。汗と轟音が飛び交うホームに私はいろんな人生と青春を見た。



 貨物駅には、様々な人たちが大勢働いていた。ここで主体となる事業団体は国鉄、荷物会社、郵政省の三団体である。臨時雇用は、荷物会社に所属する。で、臨時雇用者を直接、管理する荷物会社の現場職員――つまり班長の権限は、臨時雇用者には絶対だった。が、荷物会社の職員たちは、国鉄からの天下りか、保線区や赤帽からの定年再就職だった。この構図から、国鉄職員は、特権階級意識を隠さなかった。国鉄職員の紺の制服は、いつもクリーニングしたようにぱりっとしていた。靴も分厚くピカピカしていた。それに比べ荷物会社の職員の服装は、ほとんどが埃と汗にまみれた力仕事だけに、みすぼらしく見えた。紺の作業服は、色あせたもの、すり減って糸がみえているものがあった。靴は、頑丈だったが、先は、破れたものが多かった。国鉄の職員は座布団と鞄を小脇にかかえ堂々と歩いていた。どうしてか、みな尊大で小太りだった。そんな彼らにも上がいた。郵政省の職員は別物だった。列車も違うし作業も自分たちでやっていた。彼らは、常に我関せずだった。荷物会社の職員はむろん、国鉄職員とも言葉をかわさなかった。臨時雇用者の存在などかれらの眼中には、無きに等しかった。ごった返すホームで彼らは宇宙人のように黙々と作業していた。
 風がないので、背中が温かくなった。眠くなった。私は、うつらうつらしながら今朝みた夢をおもいだしていた。

 はじめ雨が降っているのかと思った。六月の雨がこやみなく庭の草木の上に音もなく降りつづいている。大雨になるのかしらん。嫌だなあ・・・傘さして自転車じゃあ、膝から下はびしょぬれだ。でも、今から歩いて行ったんじゃあ大遅刻間違いなしだ。さっきからこんな心配を思いめぐらせていた。が、不意にこれは雨の音なんかじゃなくてカイコが桑を食べているときの音だと気がついた。カゴロジいっぱいのカイコがふっくらした白い体をくねらせて無心に口を動かしている光景が頭に浮かんだ。
 しかし、すぐなにあれ、変だぞと思う。家でカイコを飼っていたのは、自分が小学生の頃だし、季節も、今は冬だ。教室の窓から見える遠くの赤石山脈は、すっかり雪化粧していた。それにこんな冬場にカイコがいるはずがない。躍起になって事態を把握しようとした。が、ますますわからなくなるばかりだった。するとこんどは突然に祖母があらわれて
「早くようせにゃあ、学校遅れるぞ」
と、起こしにかかった。

 よく見ると担任の真鍋先生までもが、馬面をのぞかせ、かいばでも食らうように口をもぐもぐさせ「卒業できんぞ」とかなんとか言って騒いでいる。
 なんだ、うるさくてたまらんじゃないか!私は、無性に腹が立って怒鳴りつけようとした。と、そこで目が覚めた。
途端、怒りは、空気を抜かれた風船のように一気に萎えしぼんでいった。周囲が、なにやら騒々しい。見上げると、白っぽい天井がすぐ上にあった。一瞬、自分が繭玉のなかにいるような気がした。糸をだしきって、後はさなぎになるのをじっと待っている。奇怪な妄想に驚いて、両手で目をこすった。カーテンの隙間から円盤形をした蛍光灯が見えた。
「ああ、そうか」私は、やっと自分がどこにいるのかわかった。
 雨の降る音のように、カイコが桑を食べるように聞こえたのは低いエアコンのモーター音だった。乾燥した空気がよどむ部屋のあちこちで人の起きる物音がしていた。ベットの軋み、間の抜けたあくび声、たんを切る咳払い、鼻かみ、水ぱなをすする音、放屁、一発、二発。
 よし起きるか。私はカーテンを引いた。向かいのベットのカーテンはもう開けられていた。栃木のおっちゃんが寝巻着の胸元をはだけさせて座ってニヤついていた。
「あんちゃん、寝言いっとったぞ」
栃木のおっちゃんは、フヒフヒとへんな笑いをしながら鉄梯子を降りていった。
「なに言ってました」私は、さりげなく用心深く聞いた。
「かあちゃん、って聞こえたっぺかなあ」
「そりゃあ、よくねえっぺ。たまには家にかえれや。稼いでばっかしいないで」下段の茨城のおっちゃんが真っ黒い顔を出してからかった。「ずっと泊まりばっかしでねえか」
冗談とはいえ彼らは、私が外にでないでずっと働いているのを変に思っているのだ。それがわかったので言葉に窮した。
「そんなこといってていいの、おじさんたち」いきなり向こうのカーテンが開いて早川が顔を出した。夕べホームに姿はみかけなかったが泊まりだったらしい。「おれらがいなきやあ、最終便、朝までかかっちゃうよ」
「ほんだっぺ、橋場の、あんちゃんたちに抜けられたら、えらいこっちゃ」
「ほんなら、かあちゃんのおっぱい吸いに帰るのは、春になってからにしてもらうわ」
「そうだっぺ、そうだっぺ」
 おっちゃんたちは、にぎやかに出ていった。
「ここまできて、どん百姓することはないのによお。朝っぱらから」
早川は、不満そうにくしゃくしゃの髪の毛をかきまわしながらベットからでてきた。もうジーパンにはきかえている。
「え、起きるんですか?」
「うん、目が覚めたら寝てれん性分なんだ。おれもどん百姓だよなあ」彼は、張りのあるテカテカした顔をにやっとさせてひとりごちるように言った。「まあ、お仕事、入ったときの訓練に、いいかあ」
「仕事って?」
「こっち、こっち」早川は、カメラをのぞくまねをして言った。「早く、かわいこちゃんばっかしんとこ行きたいなあ。一番に行って一番いい場所をとるんだ」
「あれ、ヌードは撮らないってたんじゃないですか」
早川は常々、報道カメラマンになると言っていたのだ。
「こんなとこで、どん百姓のおっちゃんたちと一緒におったら、そうもいかんさ」
早川は、大声で言ってわざとワッハッハと豪傑笑しながら出ていった。
その声に、まだ寝ていた連中も目がさめたようだ。あちこちでごそごそと起きだした。私は、ベットに坐ったまま、しばらくのあいだぼっとしていた。
なんだって、田舎の、それも高校生のときの夢なんかみたんだろう。田舎に帰れということか・・・もう逃亡生活に疲れたのか。まだ、二ヶ月しかたっていないのに・・・・。

私は、うつらうつらしながらそんなことを考えていた。

 四

 突然、遠くでベルが鳴りはじめた。私は、ハッとして目をあけた。青空がまぶしかった。
随分、長いことうとうとしていたような気がした。べルは隣のホームで鳴っていた。が、辺りはなにも変わっていなかった。私は、線路の上で退屈そうに、回りをながめていた。マツミヤさんは、競馬新聞をひろげて検討中だ。喫煙ベンチは、さすがに静かになっていたが、煙りだけはあいかわらずたなびいていた。
 積み荷ホームは、まだ休憩中だった。が、ベルが鳴り響く向かいの三番ホームには、荷下ろし班の連中が、ぽつりぽつり姿をあらわした。人数が少ない。まずいぞ、と誰もが思っていると案の定
「よお、うちの兵隊、貸そうか」
南条班長が、大声で叫んだ。
当然「頼んまっす!」との返事が返ってきた。ふーというため息がホームにもれた。皆は、やれやれと立ちあがって、到着ホームに向かった。
「おい、見ろよ」
途中、高槻が、振りかえって指差した。
 パチキチの須藤が、南条班長にぺこぺこ頭をさげていた。いつもの光景だった。
「まただよ、ゴマすってやがる」
「いいじゃあねえか。一人残って休んどってもつまんねえじゃん」
「だけどよお、いつもだぜ」
「だったらタカ、お前ゴマすってみな、残してくれるかもしれんから」
ヒゲの磯村は、皮肉っぽくからかった。
「おれは休みたくて言ってんじやあねえ。奴のああいう根性が嫌なんだ」
高槻はカッとなって言い返した。
 磯村と高槻の間に一瞬、気まずい雰囲気が流れた。が、つぎの瞬間、団が、直立不動の姿勢になって、皆に最敬礼した。
「軍曹殿!」団は、大声で怒鳴った。「自分を銃後の守りにつかせていただきたいのであります。待機させてくださ」
 皆、きょとんとして団を見ていたが、早川が拍手して言った。
「おっ、決まってるう」
「いいねえ、こんど『兵隊やくざ』で使ってもらえよ」
磯村は、ヒゲ顔をほころばせていった。「勝新に似てきたよ」
 団は、直立不動の姿勢を崩してうれしそうにきいた。
「そう、リアリティあった」
「あったよ。あった。様になってねえところが」早川はからかった。「二等兵みたいで」
「ど、どういう意味ですか」
団は、大げさにずっこけた。
 皆、どっと笑ったが、高槻だけは治まらないのか
「ふざけた野郎だ」
と、吐き出すようにひとりごちた。
 耳の底が抜けるような重量感あふれる金属音が、構内に響き渡った。ブレーキを目いっぱいかけて貨物列車が入ってきた。よほど荷を満載しているらしい。このごろはブレーキ音で荷物量が判断できた。皆は、足を早めて到着ホームに向かった。到着ホームには、台車やベルトコンベア―が並べられ騒然としていた。私はマツミヤとトオル君、団たち三人組と組んで作業することにした。

「おたのしみー」
高槻は、治まらない気持ちをぶっけるように大声で言って、手カギでアルミの止め金を引きちぎった。
「さーいくぜー」
団とトオル君が、掛け声を合わせて、鉄のドアを両側に一気に押し開けた。
 天井まで荷物がぎっしり積みこまれていた。いきなり支えを失った荷物の壁は、一瞬、戸惑ったように揺れていたが、次の瞬間、大きな波のように前のめりにしなった後、ダダダッと崩れ落ちてきた。皆、わーと喚声をあげて左右に逃れた。
 日本の最南端からの長道中だ。カビ臭いにおいとすえたにおいが鼻をついた。冬でこれだから夏は、もつとすごいことになっているに違いない。
「これじゃあ、人なんか入る隙間なんかねえよなあ」
貨車からこぼれ出た荷物の山を前に団は、感心したようにつぶやいた。
「あのときは、少なかったんだろ」
「半分くらいか、でなければ死んじゃうよ」
ヒゲの磯村は、頷いて言った。
 三人組みが何を話ししているかわかった。九月ごろ貨車の中に人が入っていたことがあったらしい。途中で外からカギをかけられ、出るに出れなくなって終点のここまできてしまったようだ。暑さと、腐敗した臭いと闇のなかに長時間いたものだから、脱水症状ですっかりまいっていた。救急車で運ばれていったということだ。
「しかし、なんだって、貨物列車になんかのったんだ。ちょっと頭使えば、無賃乗車なんかできるのに」
「頭、使わなくたってできるよ。おまえなんか、いつだってキセルやってるじゃねえか」
「中で、小便や糞したんだろうなあ」
「くせえ話しすんなよ。やる気しなくなるじゃん」ヒゲの磯村は、顔をしかめて言った。「さ、やろうぜ」
 皆は、荷下ろし役、コンベアー役、仕分け役、台車積み役にそれそぞれ分かれて作業を開始した。私は、貨車から荷物を下ろす役を引き受けた。天井までぎっしりと積みあげられた荷物を、ほとんど段ボール箱だったが、崩し、コンベア―の方に投げ渡した。作業しながらさきほどの団たちの会話を思いだした。
「なんだって貨車になんか乗ったんだ」私には、その男の気持ちがわかるような気がした。
高校生のとき、一度、家出しようと思ったことがある。学校も家も面白くなくなったのだ。それで、ある朝、東京に行こうと駅に向かった。
途中、停車している貨物列車を見た。扉が開いていた車両もいくつかあった。柵を飛び越え、あそこにもぐりこんだら。そんな衝動にかりたてられた。もし、夜だったら実行していたかも。そうしてここまで乗ってきたりして。想像すると変な気がした。
バカバカしい・・・私は、荷下ろし作業に拍車をかけた。積み荷の下ろし作業は小一時間つづいた。私たちの組は、四車両空にした。作業が終わったときは、皆、ヘトヘトだった。が、貨車は休ませてはくれない。
「積み荷班、早く戻れー」
すぐに南条班長の元気がいい声がホームに響いた。
「ふぁー」
積み荷班の応援部隊は、不平のため息をあげながら、再び一番線の積み荷ホームにぞろぞろ戻っていった。一日の仕事は、はじまつたばかりだった。しかし、いくら忙しくても私は、朝の作業が好きだった。夕方がきて日勤が帰る時間は寂しかった。 (つづく)



新刊紹介

★『遠藤周作とドストエフスキー』
清水 正著  D文学研究会刊/星雲社発売 定価(本体3200円+税)

 
本書は膨大な遠藤作品の中から『沈黙』と『真昼の悪魔』の二作品をとりあげ、その世界を検証したものである。一人の小説家が一つのテーマを追って真摯に闘い続けてきたその軌跡を追えば、裁断するような批評は極慎まなければならないと思う。が、批評に微塵の遠慮も妥協も許されない。遠藤文学はドストエフスキー文学にどこまで迫ることができたのか。わたしは私なりに尽力を尽くして照明を与えたい。(著者「あとがき」より)

★『永遠のドストエフスキー』
中村健之介著 中公新書1757 定価860円

 「我々は病人であり、世界全体が病気なのです。」19世紀ロシアの社会と文化について何も知らない私たちに、ドストエフスキーの文学はなぜ書くも強烈に響くのか。それは現代人の誰もが抱えている心の病を描いているからではないだろうか。本書はドストエフスキーの書簡や社会批評と文学作品とを照らし合わせながら、偉大ではあるが、壮大深遠でも観念的でもない一人の人間としてのドストエフスキー像に迫り、読むものに時代を超えて訴える作品の魅力を描く。

★『自我と仮像』
森 和朗著 鳥影社 定価3000円+税

アメリカの価値観に追随するな!豊富な歴史的事例をふまえ、「自我」の検証を通して現代世界の核心に迫る。                    

好評発売中

★『伊那谷少年記』
下原敏彦著 鳥影社 定価1800円+税

本書、購入希望の方は鳥影社(03-3763-3570)か「読書会通信」編集室にご連絡ください。

新刊推薦図書

★『カンボジア 花のゆくえ』
パル・ヴァンナリーレアク著 訳・岡田知子 発行段々社 発売星雲社 1900+税

ジェイン・オースチンを彷彿する。アジアにもこんな女性作家がいたのだ!(編集室)


8・14暑気払い読書会報告


8・14開催の暑気払い読書会は、池田和彦さんが『いやな話』を報告されました。この日は午後『広場』の合評会が行われるため朝の9時30分からのはじまりでした。炎暑の夏で出足を心配しましたが、杞憂でした。20名もの大勢の参加者がありました。8月14日(土)の第205回読書会の参加者20名でした。



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ドストエーフスキイ全作品を読む会
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