ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.84  発行:2004.4.1



第203回(4月)読書会のお知らせ


4月読書会は、下記の要領で開催いたします。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

 月  日 : 2004年4月10日(土)
 時  間 : 午後6時00分〜9時00分
            
 場  所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
 作  品 : 『伯父様の夢』
            Дядющкин сон
 報 告 者 : 提議・『伯父様の夢』で解く「中東問題」

 会  費 : 1000円(学生500円)

※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。

◎ 終了後は、近くの居酒屋(西口)で新年会を開きます。

 会 場 : 養老の瀧(変更の場合も有り)
 時 間 : 9時00分〜11時00分頃迄
 会 費 : 2〜4千円




4・10読書会・『伯父様の夢』報告について

 

 作品『伯父様の夢』は、報告希望者を探すことができませんでした。お詫び申しあげます。故に当日は、「読書会通信」編集室が、以下の項目順で報告します。その、提議した問題をフリートークの形ですすめたいと思います。

1.作品までの作家の生活(書簡・他より)                                                     
2.『伯父様の夢』のあらすじ(中村著『人物事典)。訳者評と作者の感想 
3.『伯父様の夢』にみるシベリア以前とシベリア以後
4.提議・『伯父様の夢』で解く中東問題

 3月27日例会、二次会の宴席ではじめて参加された方から、「なぜドストエーフスキイを読み続けているのか。こんなに論じあっているのか」と質問された。
 なぜドストエーフスキイを読むのか。読みつづけるのか。よく聞かれる疑問である。ドストエーフスキイは読む人によって解釈が異なる。100人いれば100通りの読み。それだけに個人の勝手な感想は話ずらい。が、質問者の真摯さにこう答えた。「人間はどうしたら幸せに暮らせるのか。人類はどうしたら平和な社会をつくれるのか。ドストエーフスキイの作品の中には、その澪つくしが隠されている」そう信じているから、と。優れた文学のなかには、作者が意識するしないに関わらず人類救済のヒントがある。そして、それはドストエーフスキイの作品の中により多く埋蔵されている、と思うからである、と。
 3月27日の木下氏報告『弱い心』には、多くの質疑応答でも出たように理想社会への危惧が内含されているといえなくもない。所詮、人間は、人類はワーシャのように発狂するより他ないのか。ユートピアは幻想でしかありえないのか。否、シベリヤという荒野での4年間。悪魔のような極悪人たちと過ごしたドストエーフスキイは、絶望の人類未来を救済できる新たな方法を悟った。そして、希望を抱いて帰ってきた。
 『スチェパンチコヴォ村』、『伯父様の夢』は、ドストエーフスキイの名作作品群にあって、退屈な凡作である。が、この作品の中に憎しみと殺しの連鎖に満ちたこの星を救うべき最初の道標が隠されている。



2.『伯父様の夢』を書くまでの作家の生活(書簡と年譜から)

【1849年】28歳
 1月 『ネートチカ』第1部、第2部を『祖国の記録』1月号2月号に発表
 2月 ドゥロフ主催「土曜会」に出席
 4月 逮捕 罪状「ベリンスキイの発禁の手紙の朗読及び転写のため同書簡をモムベルリ被告に手交したこと。『兵士の対話』読書会への出席及び同作品の流布。 
    最終判決 「懲役四年、刑期満了後一兵卒として四年間勤務」
 12月22日付け書簡 兄ミハイルへ
 「・・・兄さん!ぼくはくよくよもしなければ落胆もしません。生活、生活はいたるところにあります。生活はわれわれみずからの中にあるので、外物に存するのではありません。われわれの後にも人間はいるのです。人々の間で人間であること、永久に人間として残ること、いかなる不幸に陥ろうとしょ気たり落胆したりしないこと、-――これが生活なのです。これが生活の目的なのです。ぼくはそれを悟りました。この理念はぼくの血肉となったのです。・・・自分を真っ二つに折るのは、自分の心を真中から引き裂くのは、つらいことです。さようなら!さようなら!しかし、ぼくはあなたに会います・・・さようなら、もう一度さようなら!皆さん、さようなら!」
【1851年】30歳
1月23日 オムスク懲役監獄に到着
【1953年】 クリミヤ戦争 ロシア対トルコ、フランス、イギリスなどの連合軍
【1852年】 ゴーゴリ死去42歳 
「われわれはみな『外套』から出てきた」獄中のドストエーフスキイ 
【1854年】33歳
2月14日 刑期満ちる
 2月22日付け書簡 兄ミハイルへ
 「とうとうぼくは兄さんに幾らか詳しい、正確な手紙を書くことができるようです。・・・もし金がなかったら、ぼくは必ず死んでしまったに相違ありません。・・・ぼくはよく病気になって入院しました。神経の不調のために癲癇が起こったのですが、しかし、時たまです。・・・ぼくは懲役生活の中から、どれだけ民衆のタイプや性格を学んで来たことでしょう!」
3月 2日 出獄 
3月中旬 シベリヤ歩兵大隊の一兵卒としてセミパラーチンスクに到着
         第7守備大隊第一中隊に無期兵卒として編入される
         教員イサーエフの妻マリヤ・ドミートリエヴナと知り合う
【1855年】 8月 イサーエフ死去
【1856年】 35際
1月18日付け書簡 マイコフ宛
「・・・小生は冗談半分に喜劇を書きはじめ、冗談半分に数々の喜劇的状況と喜劇的人物をつくりだしましたが、主人公がすっかり気に入ってしまったので、小生は喜劇の形式を棄ててしまいました。・・・」
【1857年】 36歳
2月 6日 クズネーツクにてマリヤ・ドミートリエヴナと結婚
【1859年】 38歳 『伯父様の夢』、『ロシアの言葉』誌に掲載される。
3月14日付け書簡 兄ミハイルへ
「・・・あなたの手紙によると、クシェリョフは『伯父様の夢』を3月号に掲載したいといっているそうですね。・・・」はじめて本名での発表が許可された。
4月11日付け書簡 兄ミハイルへ    
「ぼくの小説がもう雑誌に出ていると書いてありましたね。」


3.『伯父様の夢』あらすじ、訳者評・作者感想

【主な登場人物】

マリヤ・アレクサンドロヴナ・モスカリョーヴァ ・・・・・・・ 女主人公
ジナイーダ(ジーナ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マリヤの一人娘
K公爵 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伯父様 (隠者で変人、老朽している)
ワーシャ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 小学校教師 ジーナの恋人
モズグリャコフ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ジーナに求婚する青年

【あらすじ】

中村健之介氏は、著書『ドストエフスキー人物事典』で次のようにまとめている。(抜粋)
 
女主人公マリヤ・アレクサンドロヴナは一人娘のジーナを、耄碌した大金持ちのK公爵と結婚させようと企む。歩くもままならない年齢になって結婚なぞ思っていなかった半ば廃人の老公爵(伯父様)は、策略にまきこまれそそのかされているうちに、初々しい娘と結婚したいという欲望が目覚めてくるのだが、耄碌がひどくて、その結婚話が、夜に見た、文字通りの夢にすぎないのか、実際に持ち込まれた話なのか区別もつかない有様である。そこで、マリヤ・アレクサンドロヴナと、彼女の企みを阻止しようとする連中とが、老公爵の奪い合いを演じ、結局は「おじさんの夢は本当の夢だったんですよ」ということになり、マリヤ・アレクサンドロヴナの敗北で事は決着する。現代日本で聞けばリアリティのありそうなドタバタ喜劇なのである。
 
【訳者評】米川正夫全集 解説
 
 そのユーモアがおおむね擽りに近く、滑稽な場面がともすればカリカチュア(諷刺画)に堕せんとしていることを感せずにはいられない。グロテスクに近いほどに誇張されながらも、そこにいささかの不自然さをも含まず、かえって不思議な生命の躍動を感ぜしめるゴーゴリの笑いにくらべると、しょせんユーモアはドストエーフスキイの芸術にあっては、その後、しだいに洗練されたとはいえ、要するに、第二義的なものに属するといわざるを得ない。

【当時のドストエーフスキイ本人の感想】
  
ぼくはこの作品がとても好きなんです。ある部分などはまったくのところ、冗談でなく立派なものです。1859年3月14日付け書簡 兄ミハイルへ
                           
【15年後の感想】

1873年9月14日付け書簡(M・P・フョードロフ宛)15年間、私は自分の中篇小説『伯父様の夢』を読み返したことがありませんでした。今度、読み返してみて、出来の悪いものだと思いました。あれを書いた当時、私はシベリアにいて、懲役を終えて初めて、ただただ文学活動の再開を目指していて、検閲をひどく恐れていました(元流刑囚ですから)。そういうわけで、心ならずも、ハトのごとく柔順でまったく無邪気な小説を書いてしまったわけです。       


4.『伯父様の夢』にみるシベリア前、シベリア後

作品『伯父様の夢』から想像できること

 いわゆる世に天才といわれる人たちが残したものには、そのものが優れたものであるかないかにかかわらず゙、そのもののなかに予言というか予見のようなものがあります。例えば、最近、新聞かなにかで見かけたのですが、石川啄木の書いたもののなかには太平洋戦争や、東京大空襲を予言したようなものがあるそうです。
 『伯父様の夢』や同時期に書いた『スチパンチコヴォ村』は、あきらかに駄作です。あの『祖国雑誌』のクラーエフスキイも、フォマーは気に入ったといいながら「・・・が発端が冗漫で、それに概して、時としてユーモアの影響に陥り、読者を笑わせようとするのが遺憾である。ドストエーフスキイの力は情熱とペーソスにあって、その点ではおそらく匹敵するものがないくらいであるから、あの人(ドストエーフスキイ)がこの方面をおろそかにしていることを惜しむ。『伯父様の夢』などは最後まで読み通すことができなかった」と評言しているくらいである。(もっとも、この評言は他人の説の受け売りか)
 しかし、想像するにこの両作品には、シベリア前とは違った何かがある。「無邪気なものを書いてしまった」後の作家の述懐だが、そこには新生ドストーフスキイがある。

シベリア前とシベリア後の違い

○シベリア以前の作家と作品について。
3月27日第163回例会で木下氏が『弱い心』を報告された。質疑応答で多かったのは、ユートピア社会主義の破綻、桃源郷幻想の予感という見解であった。なぜ破綻か、なぜ幻想かは、全員がよい人間なので、発狂するしかない、という結論に至る。つまりシベリア以前は意識の振幅が狭く、懐疑はあっても多重観察ができなかった。
※作家はシベリアで人間のなかにある数々の意識を知る。「・・・浮浪人や強盗、それから一般にすべての暗く悲しい生活について、数知れぬ物語を聞きました。それは何巻の書物になるほどです。なんという素晴らしい人々でしょう。概して、あの年月はぼくにとって失われたものではありません。たとえロシアそのものでないまでも、ぼくはロシアの民衆をよく知りました。おそらく、多くの人が知らないだろうと思われるほどよく知ったのです。1854年2月22日書簡」そして、人間はどんなこともできることを、どんなことにも慣れることをも知る。この経験によって意識の振幅がより広がった。
○シベリア以後の作家と作品について。
『伯父様の夢』『スチパンチコヴォ村』は、シベリアでの実体験が最初に表れた作品。『スチパンチコヴォ村』では、ロスターネフ大佐とフォマーという両極を作りだして描いたことで、ユートピアを批判しながらも破綻させることはなかった。『伯父様の夢』では、マリヤ・アレクサンドロヴナの口説き落としとジーナの抵抗で、やはり破綻を防いでいる。この手法について訳者米川正夫氏は、解説で次のように語っている。

「われわれに最も興味深い示唆を与えるのは主人公マリヤ・アレクサンドロヴナに託されたドストエーフスキイ的弁証法の最初の試みである。彼女が金のために廃人同様の老公爵との結婚を承諾させようとして娘ジーナを説く場面、つづいてモズグリャコフの怒りを鎮めようとして縷々数万言を費やす場面、そこで彼女は、相手の論駁を一つ一つ虱潰しに否定していって自分の結論へ導いていくあの方法、これはもちろん、徹頭徹尾ジェスイット的な詭弁でありいつわりの弁証法、かつ卑近にして浅小な婦女子的興味と問題に終始しているけれども、構造の緻密で容易周到なこと、論理の円転滑脱で擒縦自在なこと、ずうずうしい偽りの中に自己流の真実味を蔵していること、すべての点において、『カラマーゾフの兄弟』の中の大審問官を連想させる。作者は別の場面において何げなく、「大審問官のように」という形容言をマリア・アレクサンドロヴナに用いているが、これはまったく偶然の暗号であるにしても、まことに彼女は将来の大審問官の雛型であり、ドストエーフスキイ的弁証法のデッサンである。芸術的完成味と気品からいえば、この『伯父様の夢』は同じに書かれた『スチパンチコヴォ村』に劣ること数段であるが、ドストエーフスキイの創作方法の発展という角度から見るとき、本編もなかなかゆるがせにし難い特殊な意義を有していることである。・・・」若くて美しいジーナと耄碌老人の結婚。まったく実現不可能な組み合わせ。しかし、母親の弁舌はさえる。

5.『伯父様の夢』で解く中東問題 主戦論・平和論

『伯父様の夢』にみるドストエーフスキイ的弁証法。この大審問官的手法は、作品だけでなく作家の社会評論にもみることができる。例えば、この時期、中東で起きていたクリミヤ戦争に対しても後年、トルストイの『アンナ・カレーニナ』で駆使している。完璧なまでに心清き人レーヴィンを徹底批判することで本当の真理を見つけようとしている。(「ドストエフスキーの主戦論とトルストイの平和論」は、かって評論家の河上徹太郎が取り上げた問題でもある。が、イラク戦争最中の現在においては検証すべき問題である。)
 1853年、ロシアは戦争をはじめた。相手はオスマントルコ帝国。世界的にはナイチンゲールで有名になった戦争である。1855年までつづいたこの戦争をトルストイは20年後その著書『アンナ・カレーニナ』において非戦論、平和論を展開させた。実際この戦争に砲兵士官として志願したトルストイはセヴァストポーリに一年近く籠城するなどして勇敢に戦った。戦争の悲惨さを目の当たりにした。残酷さを肌で知った。負け戦である。ホメロスの英雄のように勇敢に戦いながら次々と傷つき死んでいくロシアの農民兵。もう絶対に戦争はしてはいけない。トルストイは『カレーニナ』において心清き人、正義の人レーヴィンに義勇軍反対を唱えさせる。一方、ドストエーフスキイはシベリアの監獄で、人間の正体を知った。人間の闇をみた。お軽い平和論がどんな結末を招くのか予見できた。
人間の幸せを願う二人の作家。目的は同じだが、若き日の経験によって中東問題における見解は、火と水ほどに大きな違いがあった。
2004年の現在、世界はイラク問題で揺れている。戦争反対論と主戦論。今現在、ドストエーフスキイがいたとすれば、彼の意見は平和論者には残念だが、主戦論者を支持するに違いない。なぜか、もし真の平和を望むなら、「戦争は悪」と百万弁唱えても、(実際、人類は唱えてきたわけだが)どうにもなりはしない。人間の残酷さ無責任さを洞察して、高み鎮座する平和論を打ち崩すこと。それこそ真理への道。ドストエーフスキイは、こう答えるのではないだろうか。 (紙面の都合上、『作家の日記』の抜粋は省きます)
☆ロシア対トルコ戦争(『歴史新聞』より) 1855年9月10日セヴァストーポリ発




読書会プレイバック


『伯父様の夢』  (最初の読みは、1972年8月の第13回読書会でした)

  野田 栄一
                              

 文芸作品は作者と読者との協力によって成立する、という説をきいたことがある。極端に言えば、10人の読者があれば、10の異った作品に化するのであろうか。各氏の種々な楽しみの一つである。
 この『伯父様の夢』はドストエーフスキイのシベリア流刑後の第1作で、陰惨な獄中生活を含む沈黙10年後に書かれた作品である。『死の家の記録』とはまるで趣きがちがう。この作家特有の複雑な構成も、難解な表現もないが、演劇的な展開の仕方が、この作品でようやく開花していることに気付く。後期の大作群は、映画化しても劇化しても、すこぶる不出来で、成功した例は希だと思うが、この作品はそのまま脚本になりそうである。
 いかにも実際に存在しているような人物が登場し、諷刺物語として多少意識した誇張があるにしても十分に現実感を与えている。ゴーゴリのようなグロテスクなものには乏しいが、この物語の締めくくり方には、今まで読み進んできた作品にはなかった新しい視点が見出せて、注目される。それは、空想家のタイプを皮肉をこめて逆手に捉え、健康人にしたてあげたことである。ここに、明らかに作家の「空想家」に対する飛躍を示していると受けとめられるのである。
 とにかく、これは彼の作品としても異色ともいえるほど平明なもので、作家としての多様性わ示している。そして後半の大作品の萌芽となるものがあって、それを探すのも面白い。
 K公爵の描写が笑いを誘う。彼の身体は見ていると今にもバラバラに崩れてしまいはせぬかと思われ、彼はもう半分は死んで残りの半分はつくりもので補ってあるというていたらくである。彼の日々は殆ど化粧や、かつら、燕尾服の類を取ったり附けたりすることに過ぎてしまい、その他はトランプやカルタ占いをして暮らしている。このような笑いが本文を貫いている。このk公爵の莫大な財産に目をつけたのが、モルダーソフ市第一流の社交婦人マリヤ・アレクサンドロヴナである。彼女は娘ジーナを公爵と結婚させようと企む。本作品の圧巻中の圧巻とも称すべきものは母親がジーナに結婚を強いる場面と、ジーナと結婚したがっている青年モズグリャコンの怒りを鎮めようとして説得する場面である。相手に七分、問う方に三分以上の理があれば成功疑いなし。巧みに自説へ誘導し、果ては押え込みの一本わ取ってしまう。その議論の手際は天才的である。まさにドストエーフスキイの独壇場というべきか。ある解説では「大審問官」を思わせるものがあるとて言っているが、私はむしろラスコーリニコフとポリフィーリーの一騎打ちを連想せずにはいられなかった。『伯父様の夢』は一種の諷刺劇であろう。だから洒落や地口やウィツトまでも賞玩するには、やはり原文の味読が必要であろう。この笑いには『白痴』その他に発展するものがある。老人との結婚に対する憧れは『未青年』の中にもあり、公衆の面前におけるジーナの懺悔は『罪と罰』のセンナヤにおける大地の接吻に似ている。またある女が立ち聞きをするところは、スヴィドリガイロフを思わせ、妻に頭のあがらぬ夫の形象は、マルメラードフその他、例は多い。
 ジーナのかっての恋人ワーシャは臨終の床で、「ああ、ジーナ、僕の一生は空想に過ぎなかった。僕はのべつ空想していた。いつもいつも空想ばかりしていたので、生活していたのじゃない」という所は、ラスコーリニコフに通じるものがあるのではないか。既に読了した短編においても、更に『罪と罰』『悪霊』その他の大作においても、如何に夢が重視されているかは、見られる通りである。ドストエーフスキイにおいて「夢」はある場合には、もう一つの現実である。いや現実以上の現実として感じられたのではあるまいか。あたかも現実が夢の如く感じられることがある。   (「会報No.22」より 発行1972・9・8)




飛び入りエッセイ

現代の中東問題に思う  ブッシュと『真昼の決闘』

 「『弱い心』は今のアメリカとブッシュ大統領を彷彿する」読書会の帰りT氏の話である。良いと思ったことに突き進んで、いま発狂状態にある、というのである。たしかに純粋なる正義は狂気である。が、単純な目先の平和が正しい選択かというと、そうでもなさそうだ。第二次世界大戦前の英国のチェンバレン首相の例もある。 
 なぜアメリカのイラク戦争は、混迷しているのか。様々な分析はあるだろう。が、ドストエーフスキイ的な見方で捉えれば、大統領の意識の振幅度が小さかったせいも知れない。彼には、地下室人間のような振幅度が必要だった。持ち合わせていたら事態は違っていたに違いない。(が、これもまた歴史の流れといえばそれまでである)
 意識の振幅度の欠如は彼の父親にもあった。先のイラク戦争で親ブッシュは、多くの戦略家の意見を無視して、平和論のみを優先させ兵を引いた。独裁者は、チャンスのあるとき息の根を止めなければ、という鉄則を破った。その結果、招いた多くの勇気ある人々の無駄死に。ある者は細菌兵器で命を落とし、ある者は殴り殺され、ある者はライオンのエサとなった。歴史に「たら」「ねば」はないが、あのとき親ブッシュの意識が半端な平和論だけでなかったら、振幅度が大きかったら、と残念に思う。
 10年の後、こんどは子ブッシュが絶対的正義論で戦い挑んだ。単純な正義は悪と表裏一体である。故に子ブッシュの正義は、一年の今、一転悪と叫ばれ非難されている。いつの時代でも大衆は無責任だ。勝利すれば英雄と崇め。失敗すれば犯罪者と罵る。いま子ブッシュは人間の愚かさ、無責任さ、身勝手さを改めて身にしみて感じているに違いない。(もともと人間には、そんなに沢山の反比例する意識があると考えてもみなかったかもしれないが・・・(笑))地下室人間からみれば、子ブッシュは実に単純な良い奴なのである。リーザのように全意識を集めて話さなければならないという心配がない。
 映画『真昼の決闘』が好きだという子ブッシュは、イラク問題をこう考えていたのかも知れない。何年か前に捕まえた悪党が出所して、町に帰ってくる。(逮捕したとき殺しておけばよかったのだ)保安官は結婚して町を去るところだった。が、町の平和のために残って闘うことにした。しかし、町の人たちの反応は、冷たいものだった。素行のよくない若い保安官助手は、自分にバッチをくれれば協力すると迫る(まるでフランスのようでもある)。
 結局、保安官は一人で悪党たちに挑む。が、婚約者(イギリス)が加勢し勝利する。二人の旅立ちにと馬車を用意する少年がいる。この少年が日本のようでおかしい。映画は、二人が去って終わる。感動の名作西部劇である。子ブッシュが、何度も涙して観たことは想像にかたくない。他の町で幸せな新婚生活をおくる保安官のところに、ある日、地下室男が訪ねて、こう話すことも知らずに。「悪党がいなくなって、あの町は混乱しています。みんなが殺し合いをはじめたんですよ」
 ドストエーフスキイは、シベリアにおいて人間の中にある限りない意識を知った。この世の中には微笑んでいる赤ん坊を平気で殺せる人間もいるのだ。そして、それは、極悪人でなくても、ごく平凡な心やさしい人にだってやってみせることができるのだ。
 地下室人間なら、悩める子ブッシュに、こうささやくだろう。「人間という生き物は、百万単位で殺されないと、解放を望んだり、本当に助けを求めたりしないものだ。あなたの半端な民主主義がいたずらに混乱を招いているのだ」と。そして、こうもからかうだろう。「正義の衣を脱ぎ捨て、悪魔になりなさい。フセィンのときは、誰一人テロなど起こさなかったじゃありませんか」と。まさに悪魔の誘惑である。
 歴史を振り返るとき、その言の確かさに慄然するしかない。この現実に対抗できるのは常に両極の意識の保持である。正義を行うものは常に悪を考え、平和を唱えるものは常に主戦をも念頭におかなければならない。
 常に内なる相反する意識との対話。そこにドストエーフスキイが示唆する人類救済への澪つくしがある。『カラマーゾフの兄弟』を愛読しているというローラ夫人が側にいながら大統領の意識の振幅度を広げ、地下男のささやきを聞かせることができなかったのは、悔やまれることである。まだ遅くはないが・・・。





2・14読書会(配布資料)


『ステパンチェコヴォ村とその住人』   報告者・岡田多恵子 

 「前回に続いて、この物語の二人の中心人物についてもう一度私なりに考えてみたい。・・・・・」
 フォマーは知識欲旺盛でいろいろな知識を得て文学で身を立てようと社会に名乗り出る。いくつかの作品を発表するが多くの知識人の中では評価されない。自分はこんなに優れているのに誰も認めようとはしない、自分の優れているのを誰も知らない。そんな気持ちで自分から回りの人々に、「私はこんなに優れているのだ、お前たちより数倍も知識があり頭もよい、みんな私にひざまずくべきだ」と自ら宣伝する。それを聞きあまり知識人というものを知らない人間は、この人はすごい物知りだといっているから物知りなのだ、みんなも彼に頭を下げなければいけないという人間がでてくる。それが将軍夫人となるとその人に関わっている人たちも同じように彼を持ち上げる。そのため自らも余計自分は優れた人間だと思い、鼻持ちならないほど自尊心が膨らんでくる。そして当然のごとく自分を尊敬し、ひざまずくよう要求する。それが誰彼かまわず要求が膨らんでくる。
 しかし、これが将軍となるとこうは行かないフォマーなど相手にしない。将軍となると社会一般が認めた推しも押されもせぬ偉い人であり、もちろんフォマーなど鼻にも引っ掛けない。そんな人間に対してはフォマーはガラリと態度を変え下手に出てへつらい、一生懸命ご機嫌とりをして自分の居場所を得るためなんでもするのだ。だが、ドストエフスキーは、将軍を理想的な姿には描いておらずわがままで自己中心的で人を人とも思わぬ人物として表現している。  同じように、フォマーもわがままで自己中心的ではあるが、彼の中に当時の自由思想(進歩的知識人の中に広がっている思想が表現されている)の持主と言う姿がみられるのではないか。叔父が「閣下、閣下と有頂天になっているとフォマーは「私をないがしろにして友情の絆を断ち切ってしまった。
 私はあなたと同等の人間です。私はこの家に親友として兄弟として暮らしておるのだ」と言って閣下だろうが地主だろうが同じ対等の人間であるという考え方をしめしている。また、あるところでは、叔父がフォマーのあまりの身勝手さにお金を渡して別々に暮らそうとすると、「いったい親友や兄弟に金で勘定を済ましてよいものですか」と言っている。人間の心をお金で解決することへの不満、心はお金で買うことはできないのだという考え方である。そして最も決定的なことは愛というものは、金持ちも貧乏人も、地主であろうがなかろうが、年齢が離れていようがいまいが関係が無いということを認めるに至る、ということであると思う。当時としては、まだ封建制が根強い時代にドストエフスキーのこの精神のあり方をフォマーに託して表現しているのだと思う。
 一方叔父の方は大して豊かでない地主で、若い頃から軍隊に入り、そこで社会的に訓練され修業しある程度の人間として鍛えられる。母親から家のこともいろいろ要求され地主としての立場も忘れることは出来ない。そんな折り、一人の美しい気立てのよい女性に出会い夢中になり結婚してしまう。(たぶん財産もない身分も低い娘なのかと思うが)それに対し母親は顔も見たくない一緒に生活もしたくないと思う。折りよく将軍夫人の話が持ち上がり、そちらの方が地位も名誉も得られ、自分のプライドも満足できるのでその話をうけいれる。
 叔父は結婚することにより、地主としての立場も夫としての立場も維持しなければと頑張り、地主としての見通しが付いた所でスッパリと軍隊を辞め、地主として精力を傾ける。それによって土地も大きくなり愛する妻もいて大きな幸せを感じる。しかしその矢先二人目のの男の子の出産により、最愛の妻を亡くしてしまう。二人の子を残された夫は、その失ったものの大きさを悲しみ、神をも恨んだことであろう。しかし、時がたち少しずつ傷が癒えてくるに従い自分はあまり神を大切にしていなかったからその報いをうけたのだ、そのためにこんな状態になったのだと思い至ったのではないだろうか。叔父の心の中にそれからは神に対し自分の心を傾け、これ以上の悲しみや不幸が訪れないよう誓い努力したのではないかと思われる。母親の無理難題も神の試練として受け取り一生懸命努力したのではないか、それがその後の叔父の姿として、人間として表現されているのではないかと思われる。以上が二人の人物像としての感想である。
 この作品の中では、神や死についての考えはあまり見られないが、キリスト的思想は叔父や妹(妹)の中生き方の中に表現されているように思われる。人間、死がある限り死後の世界のことを考えるであろうし、人間の想像を超えた死後の世界を思うときそこに神も存在するのではないかと考えるのかもしれない。
 この宇宙や自然や生き物の姿を見るにつけ人間の知恵では計り知れない大きな力があるのではないか、その大きな力を神と呼ぶのかもしれない。          (完)





謎解き『スチェパンチコヴォ村とその住人たち』の為のノートより


人見 敏雄                                  

 本稿は『スチェパンチコヴォ村とその住人たち』(以下『スチェパン…』と略す)に於ける幾つかの疑問点を取り上げて考察しようとするものである。四年間のオムスク監獄要塞時代に収集した「追剥ぎ強盗,−人間らしい感情を持たぬ,変態的な規律を遵奉する人たち」(E.I.トットレーベン宛書簡1856/03/24)の常套句,俚諺(りげん),説話,小咄(アネクドート),会話の断片,特殊な言い回し,隠語(アルゴ)等やセミパラチンスク時代に改めて収集したと思われる資料が「シベリア・ノート」である。このノートから様々な表現が『スチェパン…』に引用されている。掲載番号順に列挙すると,93,106,107,114,123,129,130,147,149,154,186,187, 191,192,209,217,254,261,281,294,300,321, 324,367,375⊥,375⌒,401,434となる。『死の家の記録』には及ばないが,引用数は夥しい。例えば「マルティンの石鹸(シャボン)」(番号254)の解釈が染谷茂と小沼文彦で異なるように個々の諸断片の研究は今後の課題でもある。『罪と罰』や『悪霊』の懲役人フェージカの科白にも引用されているので看過できないのである。
 『スチェパン…』が「無名氏の手記」という体裁で物語られているわけであるが,寺田透は「ドストエフスキーを讀む』(筑摩書房刊,123頁)のなかで「無名氏(セルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・××××)」をセルゲイ・アレクサンドロヴィッチ・ロスターニェフとファミリー・ネームまで述定しているが果たして妥当であるのだろうか。寺田説が可能ならば,「無名氏」という表現は無用と思われる。このような些か安易な手法をドストエフスキーが用いるとは到底思えない。エゴール大佐と血縁関係にあるのは「無名氏」の母親と思われる。「無名氏」の父親がエゴール大佐と兄弟ではないのである。ひとつの手掛かりとして、「無名氏」に対する実の祖母である「将軍夫人」の余りにも冷淡な態度に注目してみたい。何故久方振りに再会した「無名氏」に「曲芸師(ヴォル−ティ−ジュール)」などと毒づくのであろうか。両親を相次いで失った「無名氏」にとってエゴール大佐の資金的援助のみが唯一の所謂「命綱」となっていたのではないだろうか。武官としての称号や貴族としての社会的地位や財力にだけ栄光(グロリア;クラウン)を読み取る「将軍夫人」の目には「無名氏」の姿は忌々しい「穀潰し」にしか映らないのである。またロシア語で「ヴォル」とは「去勢牛(玉抜き)」を意味しておりそれも掛けているように思われる。「無名氏」の母親がうら若き乙女の頃大恋愛の末両親の反対にも拘らず××××と結婚しただけでも許しがたいのに,金銭的な負担に嫌気を模様していたのである。アファナーシイ・マトヴィエヴィチ・××××(農奴300人の領地所有)は父親の兄弟と思われる。それではエゴール大佐は「伯父」なのか?「叔父」なのか?「無名氏」の母親がエゴール大佐の「姉」であれば「叔父」であり,他方「妹」であれば「伯父」という日本語の表現になる。ロシア語では特に区別なく「ДЯДЯ(DyaDya)」と表記するだけである。「伯父(母親の兄)」説に工藤精一郎や小沼文彦等がおり、「叔父(母親の弟)」説に米川正夫や寺田透等がいる。
 両説とも意識的な考察に基づいたものではなくその説明もない。敢えて考察するには,大佐を生んだ当時の「将軍夫人」の年齢から推定してみる。数えで41才の大佐と58才の「将軍夫人」の年齢差を勘案すると,17才前後でエゴールを妊娠した計算になる。エゴールととプラスコーヴィヤが年子(としご)なのか(兄と妹という)双子であるのかは断定できない。因みに兄のミハイルには1854年夏に男と女の双子が生まれている。更に言えば「無名氏」の母親を加えて三つ子という可能性もある。「無名氏」の母親とプラスコーヴィヤだけが双子の姉妹という可能性もある。「将軍夫人」が三人を3年連続の年子(としご)で出産するという想定だけではないのである。年子,双子,三つ子だけでなく更に異なる視点もあるかもしれない。死産児を伴った多児出産であるかもしれない。結論としては判断する材料が余りにも乏しく作品のなかに見出だすことが難しい。「大佐」が「叔父(母親の弟)」なのか?「伯父(母親の兄)」なのか?については『スチェパン…』執筆当時のドストエフスキーの書簡に登場する「伯父(母親の姉の夫君)」が僅かに参考になるかもしれない。作家ドストエフスキーの母親マリア・フョードロヴナ・ネチャーエワの4つ年上の姉アレクサンドラの配偶(つれあい)のアレクサンドル・アレクセーヴィッチ・クマーニンである。ドストエフスキーの父親ミハイルより3つ年下ではあるが,母親の姉の夫君は年齢に拘らずに「伯父」という表現になる。A.A.クマーニンは嘗て父親ミハイルが農村で撲殺されたことを兄のミハイルに知らせてくれた人物である。彼は弟のアンドレイが土木技師学校に入学した際に資金的援助を行なってくれた。1856年には中風を患い、『スチェパン…』のクラホートキン将軍のように!揺り椅子(船底椅子)に一日中腰掛けているばかりであったが、兄のミハイル宛書簡(1856/12 /22 )を介して1857年3月初めには結婚資金の一部をドストエフスキーに送金してくれてもいる。だからと言って『スチェパン…』のエゴール大佐が「伯父」であるとは断定できないのである。ドストエフスキーは自身の現実生活の様々な諸要素を還元して作品世界に生かしていると言うことができるが単純に直截的反映を意図しているわけではないのである。「伯父」と「叔父」に余り拘泥しすぎないようにしたい。
 次に「無名氏」が鉱物学(ミネラロギイ)を専攻していたということを考察してみる。つい読み飛ばしてしまいがちな「鉱物学(ミネラロギイ)」という学問はこの作品に於て重要な役割を演じているのである。1854年11月に州検事として赴任してきたA.E.(アレクサンドル・エゴーロヴィッチ)ヴランゲリ男爵と兄のミハイルを介して知遇を得ることになる。急速に親交を深める二人は「コサック園」へ出掛けたり沐浴に興じたり草原を乗馬で散策したりする。またニコライ一世崩御による聖堂法会に一緒に列席したりコロチ鉱業所へ連れだって訪問したりした。(ニコライ一世崩御は1855年2月18日でありアレクサンドル二世の即位は1855年2月19日である。中村健之介『ドストエフスキー人物辞典』朝日新聞社刊478頁の年表は誤植と思われる。1856年夏には戴冠式が挙行され1833年生れのヴランゲリは「無名氏」と殆ど同年齢である。)ドストエフスキーのヴランゲリ宛書簡(1856/12/21)を読むと、ドストエフスキーはヴランゲリ所有の鉱物に関する書物や鉱物類の標本に直に接していることが伺い知れる。鉱物学(ミネラロギイ)を岩石学(ペトログラーフィア)と言い換えると「ピョートル大帝創建のペテルブルク」や「聖ペトロ」が,更に結石学(カメノロギヤ)と言い換えると「アレクサンドル・I・イサーエフの(マリヤ・ドートリエヴナの先夫の結石による)病死〔1855年8月〕」までも視界に入れることになる。米川正夫版『スチェパン…』で「危険思想」と翻訳されている「フリーメイソン」は石工(カーメンシュシク)である。「無名氏」が都市ペテルブルクで接触した危険思想の換喩(メトニミー)として、ドストエフスキーが「鉱物学(ミネラロギイ)」という表現を用いたのではないかという推論も可能であるが,もう一つ異なる視角を展開してみる。それは鉱物学を化石学(オカメノロギヤ)と読み替えることで「無名氏の手記」という技法の『スチェパン…』という作品が「農奴制と封建制を旧態墨守する社会の遺物に飛び込んで現地調査(フィールド・ワーク)した記録」となって出現するように思われる。『小英雄』の少年と同様に「無名氏」は恋愛(や結婚)に対して些かウブ!であり勘違いによる勇み足があるのが御愛嬌である。「鉱物学(ミネラロギイ)」という言葉ひとつ採ってみても実に多くが表現されているように思われてならない。まだまだ「意味」を汲み出すことができるであろう。常に読者は謙虚に作品に対峙したいと心掛けている。ドストエフスキーの作品世界の広大無辺さには戦慄を覚えるばかりである。
 ドストエフスキーという作家の作品の題名に込められた意味を読み解くことでかなり深くその作品を堪能できるように思える。『スチェパン…』も同様と言えよう。スチェパンチコヴォ村という架空の共同体とそこの尊卑の区別なく大勢の住人たちを描いているのであるが「スチェパンチコヴォ」とはさて一体何であろうか。希臘語のステファノティスに由来する派生語と思われ,「花冠(はなかんむり)」を意味する。前作の『小英雄』では「花束」や「騎士としての精華(武勲)」、「文彩としての精華(レトリック)」などが見事に描かれていたわけだが,今回の『スチェパン…』では「花冠」が主題というわけである。(「花冠」)は「鬘(かつら)」や「歯冠(入れ歯)」に転調して『おじさんの夢』にまで連なっていくのだが、限られた紙面では敷衍できない。機会があれば言及したい。)「花冠」を頭(こうべ)に戴くのは「皇帝」か或いは「神々の最高神」であり「受難者イエス」ということになろう。前二者が戴くのは「王冠」であり「受難者」があてがわれるのは「茨の冠」である。「栄光の王冠」と「受難の苦行」という両義性をしっかり把握しなければならない。そして「皇帝」が1855年のロマノフ王朝のニコライ一世崩御とアレクサンドル二世即位、1856年のアレクサンドル二世戴冠式という当時の社会状況,「神々の最高神」がギリシア神話のゼウス、ローマ神話のユピテル(ジュピター),北欧神話のトゥール、ゲルマン神話のヴォーダン、スラヴ神話のペルーン、エジプト神話のセト等々を視界に入れていることが肝要である。『スチェパン…』の舞台設定は「無名氏」がに村に到着した日と翌日の「大佐」の長男イリヤの誕生日の二日間である。イリヤの誕生日とはイリヤーの命名祝いつまり7月20日の予言者聖エリヤ祭であるということを読者が了解すると、この作品のスペクタクルは遥かに増長する。この祭りは収穫開始の祭であるばかりでない。予言者エリヤは民間では、異教神の中心的存在たる雷神ペルーンのイメージと重なる一方、火の車で空を駆ける音がこの時期に多い雷鳴であるという信仰を生んでいる。(坂内徳明「ロシアの生活と風俗」、原卓也監修『ロシア』新潮社刊,362頁参照)「大佐」のエゴールという名がゲオルギイの民衆形であり、4月23日が聖ゲオルギウスの日で野外農作業や放牧開始日であることも7月20日の収穫開始の祝祭と呼応するので実に興味深く思える。(4月23日がシェークスピアとセルバンテスの命日でもあり、『ハムレット』という題名には英語で「村」という意味があることも付記しておく。)アメリカの歴史学者ジョン・モトリーがニコライ一世を 「均整のとれたユピテル神」と評している。(デヴィット・ウォーンズ『ロシア皇帝年代記』、創元社刊、214頁)アレクサンドル二世の戴冠式は「ユピテル神の王冠」の継承式であり、     ロシアの敗北で終結したクリミア戦争のパリ講和条約に関連して、政治犯の恩赦があるか否かを昵懇のヴランゲリ男爵とともにいまにも痙攣が起こりそうなほどじりじりした気持ちで期待していた時期がドストエフスキーにあった。戴冠式,講和,結婚,連れ子の存在等々と作家ドストエフスキーの取り巻く環境が作品の格好の材料になっているのは否定できない。しかし材料をそのまま持ち込んでいるわけではないのである。前述したように諸要素に還元し改めて見事な手腕と技量を以て「魂」を吹き込んでいるのである。米川正夫は『スチェパン…』の雷鳴轟く暗雲のもとで展開される終末のカタストロフに着目されているのであるが、(米川正夫版『ドストエーフスキイ全集』第2巻、河出書房新社刊、407頁下段)雷鳴の象徴的暗示はこの作品全般に施されているのである。「将軍夫人」や「フォマー」の頭上に轟わたったクラホートキン将軍の雷のような怒声(米川正夫版『全集』第2巻、11頁)や名声が天下に轟くであろうというファマーの妄想(同、14頁)と大佐の盲信(同、17頁)、怒り神様(同,97頁:ローマ神話の女神フリイ)などである。また第2編第1章から雷雲が登場して(同、173頁)刻々と大きくなっていく様子も物語の展開に合せ効果的である。紙面が残り少なくなってきたので、「白い牡牛」(同、76頁)の謎解きに移りたい。            
 「牡牛」とは,ロシアでは「無愛想な人」「人間嫌い」「打ち解けない人」を象徴している。「人間嫌い」も筋金入りになると「デォゲネスのように昼行燈をぶら下げながら人中を掻き分けながら人間を探すほどの!人間嫌い」であるから始末に終えないのである。今日流には「我儘な淋しがり屋」「淋しがり屋の自己中心主義者」などと言えるかもしれない。
他方「牡牛」はヘブライの初期セム族の宗教において「雷雨神」の台座であった。(『イメージ・シンボル事典』大修館書店刊、89−91頁参照)つまり将軍亡き後「玉座(クラウン;CROWN)に鎮座しているはずのフォマーが将軍の威光に平伏す道化師(クラウン;CLOWN)でしかないことに愕然として住人たち(クラウド;CROWD)に懸命に打消したエピソードを象徴している。「白い色」はマタイ伝の「白く塗りたる墓」を指示し「偽善者」を象徴している。クラホートキン将軍の「白い大理石の墓」も同様である。 『スチエパン…』に関する数ある疑問点の裡ほんの僅かに言及したにとどまる。一割にも満たないのは残念であるが擱筆する次第である。              
                                     (未完)



☆ あるメールから

編集室に『スチェパンチコヴォ村』のフォマー・フォミッチに関する興味深い感想が届いておりますので、その一部を紹介します。
 
ラスプーチンとフォマー・フォミッチ

 優れた作品には予見性がある。『スチパンチコヴォ村』が優れているかどうかはしらないが、この作品を読んで、まっさきに頭に浮かんだのは、かの怪僧ラスプーチンのことである。1905年の11月、血の日曜日で明けたこの年の冬のはじめ。一人の乞食坊主が、サンクト・ペテルブルクにやってきた。彼は(1903年に訪問したとき)聖列式でロシアの帝位継承者についての予言をした。(皇太子の誕生)偽予言者の誕生である。彼は降霊術でアナスタシヤ家の常連となった。11月1日の皇帝の日記に「われわれはトボリスク地方出身の神人―グリゴリーと知り合いになった」とある。1907年7月19日、宮廷で皇太子が重体になる。(血友病)侍医がさじを投げたので皇后は、ラスプーチンを呼び寄せた。「アレクセイは彼の祈りにより確実な死から救われた」皇帝は日記にこう書いた。このときからラスプーチンは、宮廷に棲みつきロシアで絶対的権力をもつことになる。まるで、フォマー・フォミッチの人物をみるようである。元秘密警察官プーチンにも、その予見を感じる。(笑)
トルストイは『苦悩の中を行く』で「ついには、狂人の目とたくましい男性の力を備えた一人の無学の百姓が、宮廷に入り込んで、皇帝の玉座のそばに近づき、ロシアを手玉にとり、あざけり、そのいかがわしい詐術をはじめた。・・・」と、とらえた。





2月14日(土)の第2002回読書会の参加者は下記15名の皆様でした。




編集室便り

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