ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.79  発行:2003.6.6


第198回(6月)読書会のお知らせ


6月読書会は、下記の要領で開催いたします。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。

 月  日 : 2003年6月14日(土)
 
 時  間 : 午後6時00分〜9時00分
            
 場  所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
 作  品 : 『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』2回目
         ドストエーフスキイ全集C

 報 告 者 : 福井勝也氏

 会  費 : 1000円(学生500円)

 ※ 主に米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』をテキストにしています。

 ◎ 終了後は、近くの居酒屋(西口)で二次会を開きます。

 会 場 : 養老の瀧(変更の場合も有り)
 時 間 : 9時00分〜11時00分頃迄
 会 費 : 2〜4千円




6月14日(土)読書会

『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』第2回読書会の報告にあたって

 福井 勝也                                             
    
 近代小説とは何かと問われたら、近代という時代が生み出した「関係性の原器」としての「家族」をめぐる小説だと答えても的はずれということはないだろう。最近どこかで読んでメモした言葉を引用してみよう。「人生におけるあらゆる関係性は、家族関係を隠喩的に変換したものにほかならない。」もちろん、大作『カラマーゾフの兄弟』を持ち出さずともドストエフスキーがこの意味の近代作家であることは確かなことである。そして、基本的な社会構造が継続維持されているはずの現代の問題に言及しながら、家族問題のエッセンスを『ネートチカ』のなかに読み込んだとしても別に珍奇なことではあるまい。
 前回の武富氏の周到な資料と氏ならではの発表に触発されて、いつもながらの司会者的発言のなかで口をすべらせた「東電OL殺人事件」の被害者(=企業のエリートOLにして売春婦)の話題が中途半端であったために、当然の反応が返ってきた。前回の読書会の前後に別の場所で彼女(=「東電OL」)が何故、あのような形で殺されなければならなかったについて、その<謎>が彼女をとりまく「家族の闇」にあったのだという<謎解き>に妙に感心させられていたための個人的な感想でもあった。そしてこの<謎解き>のネタ本が、佐野眞一氏の『東電OL症候群』(2001.12)とその著書のなかでも触れられている精神分析医である斉藤学氏の『家族の闇を探る』であった。佐野氏のこの事件をめぐるルポルタージュは、その表現の迫真力がある社会現象としての反応を呼び起こす程のものであって、凡百の小説よりも
現代の読者(それも被害者と同世代の女性)の情念を刺激して止まないフィクショナルものだと言っておきたい。舌足らずの前回の話をもう少し掘り下げるために、『ネートチカ』2回目の発表を引き受けることになった。いくつかのことを考えているが、脈絡のある纏まった話になるかは心許ない。心がけていることは、再度『ネートチカ』の作品になるべくていねいに戻って考えてみること。特に、小説の3つの話をどう繋げて考えることができるのかを考えてみたい。さらに突飛な話になりそうだが、最近見返す機会を得た小津安二郎の映画作品に描かれる家族の在り方にも言及したいと思っている。
 特に、『晩春』(1949)の原節子(=紀子)と笠智衆が演じた娘と父の関係にも考えさせられるところがあった。「ネートチカ」・「東電OL」そして『晩春』の「紀子」、ますます話が拡散してしまいそうだ。しかし僕の頭のなかでは、この3人の女性の人生の悲喜劇の根っ子にあるのは家族関係(=父娘関係)であるということだ。この辺をあまり精神分析学などの専門ターム(例えば幼児期の精神的外傷=トラウマ)を極力抑えて話ができればと考えている。それは、ドストエフスキーが何故、家族という社会関係に注目し、さらにその心理現象をここまで的確に表現することができたのかを再確認する作業でもあるとも考えている。この辺は、最近出版年次毎に刊行されている『小林秀雄全作品』(新潮社)のドストエフスキーの作品論を再読しながら考えていることでもある。           



              

東電OL殺人事件とは何か

 「読書会通信」編集室

今回、第2回『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』読書会で報告者の福井勝也氏が取り上げる「東電OL殺人事件」とは何か。事件から数年が過ぎています。当時、ニュース報道を見逃した方、記憶が薄れた方のために、当時の新聞記事を紹介します。
はじめ被害者が某有名大学卒のエリート女子職員ということで、テレビのワイドショー、週刊誌などで好奇にとりあげられた。が、その後、被害者に精神疾患(依存的なもの)が推察されたことから、以後、マスメディアの関心は容疑者の外国人男性に移っていった。
                     
事件の推移は次の通り

■事件発生は1997年(平成9年)3月8日深夜とみられる。

 ちなみに、この日の新聞記事は、薬害エイズ「帝京大ルート」法廷公判があり阿部前副学長が無罪を主張した。画家の池田満寿夫(63)が急死した。また、10日の新聞にはオウムの上佑被告に5年の求刑があった。
 
■ 遺体発見は、同年3月19日。
■ 事件がはじめて新聞報道されたのは、翌日の20日付の新聞。下記の記事となって掲載された(朝日新聞)。

東電OL殺人事件関連

 1997年3月19日、若者の街、渋谷で発見された死後10日以上経過した娼婦らしい遺体。当初、たいして注目されることはなかった。マスメディアは、遠くペルーで起きている「ペルー日本大使公邸人質事件」や、国内のエイズ裁判、O157とカイワレ大根。3月10日に亡くなった俳優の萬屋錦之助さん(64)などの出来事を話題にしていた。そして神戸では、3月24日、先ごろ通り魔に襲われた小学女子二人のうち重体の山下彩花ちゃんが亡くなった。(二ヶ月後日本中を震撼させた、少年Aの存在は、まだ誰も知らない)
 娼婦らしい被害者は、実は有名私大卒のエリートOLだった。このことがわかるや否やマスメディアはこぞってこの事件にとびついた。(週刊誌、テレビのワイドショーなどなど)
彼女の全裸写真まで公開された。以下は新聞広告となった一部の週刊誌の見出しである。

週刊朝日 「殺された慶大出エリートOLの夜の顔」
週刊新潮 「渋谷円山町で殺された慶大卒<東電>OL退社後売春」
週刊文春: 「4年前から渋谷ホテトル嬢だった東電エリート女子社員。恋人が激白 彼女はいつ死んでもいいと言っていた。」

一ヶ月後、被害者のプライバシーが問われるようになり、過激記事は沈静化していった。かわりに逮捕された彼女の最後の客ネパール人の判決の行方が注目されるようになった。以下は、2000年4月14日に、東京地裁が言い渡した判決記事である。




4・12読書会報告

 前回4月12日読書会は、武富健治氏が『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』をレポートしました。氏は、物語の詳細なあらすじ(七編に分けての概要)を配布し、下記の資料にそって報告されました。なお、配布資料にある挿し絵は、武富氏が描いたものです。

はじめに、武富氏は、なぜこの作品の報告をしょうかと思ったかについて「こういうことを執拗に考えたかというと、これは自分のこととして、エフィーモフの人生が語られることがかなり他人事ではなかったからです」と、打ち明けられ「ぼくも、ある意味、かなりエフィーモフに近い状態でこの10年を送っていまして、まあかろうじて異なるのは、数年前に一応商業誌でデビューをし、何度かは掲載まで持ち込んでいる、ということくらいです(性格はまたちょっと違いますが…あくまで芸術家としての「状態」に目をつけて)」と、その動機を述べられた。


『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』報告
                                 
武富健治                                  

1. ドストエーフスキイの中のエフィーモフとB〜あくまで結果でしか語れないかもしれない本物と偽者の境界線・成功と破滅の狭間で

第一部での主人公といえる養父エフィーモフ、彼が芸術家としていかなる存在だったかということを、ドスト氏は、雑なおおざっぱな語り口で持ち上げたりやっつけないように、細心の注意を払って描いています。
 彼は果たして芸術家としてみた時、どうなのか? 才能はあり、またその発露も見られる。また、気質としても、いわゆる芸術家的とみられがちなものを備えています。
しかし、むらっ気や、努力・根気の足りなさ、あるいは本人の言い分に寄れば、運命や外界の問題により、それらは完全な実現に結びつかず、過程としても何も残さないまま、結末も、ご存知のとおりです。
 これを、なれるはずのものがなれなかったととるか、なれないものだからなれなかったととるか、ぼくの読んだ感じからすると、後者に重点を置きながら、前者の気持ちも残す、というような書き方になっていると思います。

その1、成功と才能、二つの軸によって生まれる対比人物3人の配置
《参考図1》

     ←才能がない Y 才能がある→
      (+1−1)B|S(+1+1)    ↑達成能力あり
――――――――――――+―――――――――――X
カルル・フョードロヴィチ|エフィーモフ     ↓達成能力なし
      (−1−1) |(−1+1)     

その2、エフィーモフとBの立ち位置で、互いを見る。
その3、ドスト氏の当時の状態と「自覚」
その4、トニオ・クレーゲルの「至った」境地で

 ところで、実際、エフィーモフは、何の成功も果たさず破滅していくことで、本物か偽者かはともかく、実際にはとにかく「だめだった」と結論が出ていますが、このことは、どのように現実の人間分析に置き換えることが出来るでしょうか。努力しているか、勉強しているか、また天才があるかどうか、は極めて微妙な場合が多いと思うんです。
実際のところは、結果が全て、と言える状態にもあるのではないか。
このあたりの微妙な問題を、ドスト氏はかなり鋭敏に察していたように思います。それでもなお、例えばこのネートチカという作品でも、「才能が埋もれる不幸」という切り口では描かず、あくまで「結果として、エフィーモフは、何も残さずに破滅した」という例をずばりと描いているのが素敵だと思いました。

その5、ドスト氏が、なぜその時期に、こういう作品を書いたか

一流の大作家に踏み込むための勝負。
 もちろん彼の作品は既に認められて、いくつもの絶賛を受けていたと思うのですが、やはり、一流の大作家、というものは、もちろん定義などはありませんが、「誰からも」「広く」認められる、「間違いのない」作品、を描けるかどうか、ということにあると思います。プロとコントラに分れた上での、片方の大絶賛がどんなに大きくても、もちろんそれはうれしいのですが、もしさらに「一流の大作家」の地位を勝ち取ろうとすると、言い換えると、そういう位置にいるという実感を得ようとすると、少なくとも1作、既成の概念にも十分沿った、間違いのないメジャー作品を作らなくてはならないのだと、どうしても思うものなのです。もちろん作家性・個性、あるべきなのになかった新機軸を含めつつです。

その具体的な内容
A これまでの重要作品の集大成たる作品。
B 文学好きの様々な好みをふんだんに取り入れる。

 さて、そんな作品が、なぜ未完に終わってしまったかということですが、様々な原因があると思います。ペトラシェフスキー事件などによる、外界からの影響は当然最重要かと思いますが、僕の方では先回りして、補助的な事情、それはそれであなどりがたいと思われる事情、などについて勝手な推理で話させていただきます。

A 規模の予想以上の増大化
B 自分に合う構成の発見からくる仕切り直し
C 大人になったネートチカに対しての興味の減少

2. 幼時のネートチカの行動・心理の描写のリアリティ
3.「アレクサンドラとネートチカの教育・学習に見る、ドストエーフスキイの先見の明」
 ぼくは教育学科の出身で、少し教育・心理について専門的に学んだのですが、その生かじりで、この小説を読むと、実に、20世紀後半、そして今に至る、今のところの最新の教育や心理の学問を、まるで踏まえたと思えるほど、認識や描写が正確です。についても同様です。このドスト氏の先見の明についての評価は、大切にすべきかと思います。ただ、その上で、今考えるということのバランス、というものは考えなくてはなりません。ドスト氏の時代に関して言えば、明らかに、ドスト氏が提案したような教育方法、児童心理についての理解、というものが不足していたので、主張する価値が高かったと思うのです。しかし、恵まれたことにか、彼の主張したことは、少なくとも知識や意識の上では、現在はかなり行き届き、むしろ行き過ぎになっている危険があるので、このドスト氏の作品のメッセージを、今、強調して武器にして、さらに推進することは、やや考えなくてはならないと思います。

4.ネートチカとカーチャの相愛は、ドストエーフスキイの分裂しせめぎあう女性の好みの和解という妄想か? 
 文学好きの人間にとっては、ネートチカは自分達側の存在であり、絶対的なあこがれる存在がカーチャになると思います。この観点で行けば、自分の分身としてのネートチカがカーチャの愛に報われる、という、身代わりの幸福、ということになるのですが、もうひとつ考えました。ネートチカは、読者の分身であるのとはまた別に(別とも言えないかもしれませんが)、純粋で心の激しい、不幸な女性(女の子)という側面を持っています。この一面は『罪と罰』のソーニャに、さらに理想化され、また文芸好きの分身としての要素を削ぎ落とした、より純粋な状態で受け継がれていると思うのですが、たぶん、と言うまでもなく、ドスト氏はこの手の女性が好きだったのだと思います。しかし、例えば現実に、こういう女性をただ一人、選んだとして、果たして満足し、幸せになりえるか、ドスト氏には自信のない点があったのではないかと思うのです。もう一つの理想の女性に対する「未練」ですね。これは憶測ですが、この「ソーニャ=ネートチカ好み」というのは、男性の思いとしては、もしや純粋さを欠いた、ややゆがんだものではなかっただろうかと思うのです。キリスト教的な道義心、理性の検閲を受けた、ひどく言えば、「こういう女性を好むのが、人間として素晴らしい」「姿や過去の経験にとらわれず、心の美しさを尊ぶ人間だと自分で思いたい・他人に思われたい」という、ある種、いやらしい気持ち・願望・こだわりに毒された感覚、というものではなかろうか。ドスト氏自身の中に、このような自己分析があったかもしれません。例えば『未成年』を読むと、そういう感じがするのです。
 それに対する、もっと、これは別の意味でいやらしい、しかしある意味では素朴で純粋な、王女のように立派な、そして人生もまた神に守られ祝福されてきたような女性、これに対するあこがれ(いやらしい意味で言えば「欲望」とも言えるでしょう)、この二つがドスト氏の心の中で激しく分裂し、せめぎあっていたのではないかと思うのです。この苦しい葛藤が、どこかで和解してくれたら、そんな願望が、いくつか屈折し、なぜか、小説の中に、その当人同士の相思相愛、という形を呼び込んだ。葛藤する自分はさておいてでいい、当人達が和解してくれれば、どこか不思議と自分の中の葛藤も、和解し救われるのだ、という。…こういうことは錯覚に過ぎませんが、それでもかまわないと心が許したのではないかと感じられてなりません。

5. アレクサンドラへの手紙の主〜弱い心の男

ですが、これもごく簡単に、提起だけして、できれば詳しい方にむしろ教えていただこうと思うのですが、この手紙、最初に読んだ時は、感動的な美談だと思って受け取りましたが、2度目に読んだ時、この手紙の主に対するドスト氏の、批判的な目というものを強く感じました。文中に「弱い男」という描写もありますが、『弱い心』のワ−シャと似た、幸せに耐えられない、問題者として、文中の「卑しい、つまらない、滑稽な男」とか、「ぼくは逃げているのです」というところが、これは謙遜でもなくそのものだ、と感じてしまいさえしました。もちろんワーシャ同様、深き同情・共感も、作家にも十分にあった上での突き放しでしょうし、読者としてのぼくの気持ちも同じです。      





読書会プレイバック

 全作品を読む会の『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』の読みは1回目サイクルでは、31年前の1972年、第8回読書会で取り上げられた。つぎに『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』が取り上げられたのは、2サイクル目に入った8年後の1980年暮れでした。
前回は1サイクル目における佐々木美代子氏の感想を紹介しましたが、今回は2サイクル目のK・A氏の感想を紹介します。(「会報」No.65 1980.12.3発行『ドストエーフスキイの会の記録V』から)


ネートチカ・ネズヴァーノヴァ
      
K・A       
                                 
 
  わたしは、生みの父を覚えていません。作家は、その最初の、女性による一人称小説を、長編として構想した上で、こう書き始める。そして、このスタイルの中に、作家はその生成期の一時期を自ら形作っていくのだが、この新しい試みは、中断されたまま、決定稿として、私たちの前に残されている。
 スタイルの上では、『貧しき人々』や『白夜』から、ゴリャンチコフ或いは『地下室』の誕生に向かうその中間にあるこの作品について、では、何が問題となり得たか。参加した会員諸氏の発言は、これを巡る問題設定だったと思われなくもなかった。それらをここに列挙してみると、
(1) 『地下室』や『死の家』に比べて、一人称の設定が単純であること。従って、この小説のスタイルを、後に書かれる<私>の位相との相関で把えるべきではないかということ。
(2) 一人の女性の成長記を一人称で書きつつも、これを長編として構想したことの裡には、作家の芸術観を作中で展開する意図があった。のではないかということ。これは佐々木美代子氏の<『ネートチカ』=芸術家小説>説との関連で提出されたようで、そこから、作中に扱われている美ということばがどこを向いているかが問われた。
(3) 主人公がみなしごであることは、物語を一人称として書きつつ、そこに遍歴の要素を導入し、物語の広がりを増幅するのに有利だったのではないかということ。
(4) とはいえ、作品が中断されたのは、作家の本当の意図がどこにあるにせよ、スタイルもしくは小説技法が、長編小説を生み出すには未熟だったからではないかということ。
 結局、レポーターも含めて、作品が中断されたことに対して、具体的な見解を見出せないまま、言葉をかえれば、作家の意図を、曲がりなりにも展望することのないまま、会は流れた。
 ところで、これらの意見は、作品が中断されたことも含めて、この作品の中に作家が播いた種を、それぞれに拾いえているのではないだろうか。
 小説は、凡そ三つ野の部分に分かれており、それらは、語る<私>の成長の各時期と対応している。が、<私>と、語られる事件が<私>に及ぼす力関係は、最初はエフィーモフと母親の物語が主人公に対して圧倒的に強烈であったのに対して、次第に、外界の力が、<私>の文脈に屈していく。外界に接して成長しはじめていった<私>が、次第に、外界を<読む>ようになる。そこでは、<私>と外界との関係は、次第にダイナミズムを失っていくようでさえあり、第3のエピソードに至って、もはや外界は、叙述の基底を支えるものでなくなっているようにさへ思われる。
 みなしごの自由な遍歴は、書き出しによって決定されたスタイルのためにみなしごの成長と遍歴の物語性とを、共に十分にとらえ切れなくなってきたのではないか。それとも、一人称は、この両者を、語り手である女性の現在の文脈の中に、すべからく同時化もしくは現在に於る遍在化を図るための装置であるのか。しかし、その為には、外側の世界が、<私>のことばに収斂していくことは、<私>が、それ以外の他人と現在を共有していない限り、結局、<私>の位置も、また<私>によって語られる外界の位置をも崩壊させてしまうのではないか。
 仮にこの作品のテーマに、美があるにせよ、美が常に現在的なものである限り、作品の構成上の現在が曖昧なままでは、作品は完成されなかったのふではないか。
 数々のエピソードは、作品中に於ても、語られる現在にこそ生きていたのではあるまいか。
 新たに試みられた、女主人公の物語は、どうやら、彼女の言葉の現在の場を模索しつつ、流刑という文学上のハプニングのせいで、中断されたようでもある。
 ここに播かれた種が、その後、どう成長するのか、読書会はまた、新たなモチーフをいくつもかかえて次に進むことになりそうな気配である。





「ドストエーフスキイ全作品を読む会」読書会の軌跡 A
 < 8回〜15回まで>


 1971年3月19日発行『会報No.13』にはじめて(年6〜8回ペースで開催。1971年〜2003年6月までの31年間で実に約195回開催されている)
「ドストエーフスキイ全作品を読む会へのおさそい」が掲載される。
(発起人は野田吉之助氏、佐々木美代子氏、岩浅武久氏)
 
1972年

 第 8回読書会 : 作品『ネートチカ・ネスヴァーノヴァ』佐々木美代子
 第 9回読書会 : 作品『クリスマスツリーと結婚式』『白夜』 岩浅武久
 第10回読書会 : 作品『初恋』(小さな英雄) 3月4日 大隈会館 野田吉之助
 第11回読書会 : 作品『流刑以前の全書簡』 岩浅武久
 第12回読書会 : ペトラシェフスキー事件のなかで 佐々木美代子
 第13回読書会 : 作品『伯父様の夢』 野田栄一
 第14回読書会 : 『スチェパンチコヴォ村とその住人』 野田吉之助
 第15回読書会 : 『スチェパンチコヴァ村とその住人』 野田吉之助





私はこう読んだ 『ネートチカ・ネヴァーノァ』


4・12の読書会作品『ネートチカ・ネヴァーノァ』では、作品の感想を皆様からお寄せいただきました。ご協力ありがとうございました。本頁でご紹介します。


ドストエフスキーとトルストイの違いが
        
中谷 光宏
                             

 『ネートチカ』は確かに初期の集大成になっていると思います。『貧しき人びと』からコツコツ初期作品を読んできて、ついにドストエフスキーが“刑務所づとめ”をする前の、最後にして最大の作品『ネートチカ』を読むと、その出来映えに、やはり色々と感慨深いものがあります。
 『貧しき人々』のワーレンカの手記以来、『主婦』のカーチャ、『白夜』のナースチェンカ、と書き継がれて、自家薬籠中のものとされた、初期ドストエフスキーお気に入りの女性告白体による数奇な物語りが、『ネートチカ』に至って、小説世界全体を統べる構成原理にまで発展し、それまでのドストエフスキーの小説にはなかった、バフチン言うところの教養小説的クロノトポスが獲得されたように思います。
 「フランス革命、フィヒテの知識学、それにゲーテの『マイスター』、これが時代の最大の傾向である」というフリードリヒ・シュレーゲルの言葉が端的に示しているように、『ネートチカ』風の、カスパー・ハウザー的冒険伝奇ロマンは、ルソーが『告白』でその可能性を提示し、それを継いだゲーテが『ヴィルヘルム・マイスター』でその古典的形式を確立して以来、十九世紀ヨーロッパ文学界では、ミュッセの『世紀児の告白』、アイヒェンドルフの『愉しき蕩児』、ケラーの『緑のハインリヒ』、ドーデーの『プチ・ショーズ』等、多く書かれることになりましたが、少年時代にルソーやゲーテを耽読した若きドストエフスキーも、この形式の小説の傑作をものすことにより、未だ不安定であった自らの文壇的地位を確固たるものにしようとの野心に燃えていたのでした。

「この一年間に『祖国雑誌』に掲載する三部に分かれた長編(『ネートチカ』)で、文壇における首位を確定的なものにして、ぼくに敵意をいだく連中の鼻を明かしてやります」(1846年、兄ミハイルに宛てた手紙)

 『貧しき人びと』で華々しい文壇デヴューを果たした、翌年の一八四六年に、ドストエフスキーは早くも『ネートチカ』を計画していたのでした。この手紙の計画よりは遅れて、結局発表されるのはシベリア直前の一八四九年のことでしたが、この当初の計画通り進捗しなかった作品発表までの遅滞が、かえってドストエフスキーが『ネートチカ』完成に傾注した並々ならぬ意気込みを語っているようにも思われます。
 果して『ネートチカ』は、形式・内容ともに、ドストエフスキー前期の集大成的作品として、我々の前に残されることになりました。且つ又、『ネートチカ』に集大成された主題は、シベリア体験という運命的な魔法の釜で煮立てられた後、後期大作群で大々的に盛り付けられていくことになります。故に、後期の作品に親しんでいる読者であれば、たとえばエフィーモフの造型にマルメラードフを、ネートチカの造型にネルリやナスターシャ・フィリッポヴナを、カーチャの造型にアグラーヤや『カラマーゾフの兄弟』のカテリーナを、H公爵の造型にヴェルシーロフを、アレクサンドラ・ミハイロヴナとピョートル・アレクサンドロヴィチの関係に『主婦』や『おとなしい女』を、それぞれ思い出すでしょう。又、後期長編群のうち、ルソー的な教養小説のスタイルに最も近いのは『未成年』ですが、形式面で言えば、『ネートチカ』は『未成年』の直接的な雛型にもなっていると思います。想いを寄せるカーチャのリボンをネートチカがこっそり盗むエピソードがありますが、ルソーの『告白』にも、少年時代のルソーが令嬢のリボンを盗むエピソードがあり、これは『ネートチカ』にディティールでもヒントを与えているのかも知れません。
 更に、小説形式や文章表現では、十九世紀の小説の水準で考えても、むしろ紋切りで月並みな『ネートチカ』は、しかしそこで語られる心理的洞察の鋭さと深さによって読者をぐいぐいと引き込む力を持っているので、他のドストエフスキー作品を読んだことのない読者にも、強くアピールするものがあると思います。第一部にあたる、エフィーモフの破滅を描いた部分は、さながら、運命的な短調で奏でられるモーツァルトのピアノ協奏曲第二〇番第一楽章のような、疾風怒涛のアレグロであり、小説中最も微笑ましいネートチカとカーチャの切ない想いを悪戯っぽい滑稽なエピソードに乗せて物語る第二部は、優しい憧れに満ちたアダージョであり、『ウェルテル』的な緊張感に満ちた三角関係が、終幕に至り遂に悲劇的な破滅に終る第三部は、まさに読む者を打ちのめさずにはおかない圧倒的なスケルツォであります。
 そして、アレクサンドラ・ミハイロヴナとピョートル・アレクサンドロヴィチの夫婦関係の破滅を描いた第三部は、上に書いたように、『ウェルテル』的主題の変奏曲として読むことが出来ます。シクロフスキーが『貧しき人びと』を場末の『ウェルテル』と呼んだように、この主題はデヴュー作以来ドストエフスキーが拘り続けたものであり、近代的結婚制度に対するイロニーは、他に、『主婦』、『白夜』、『弱い心』、『クリスマスと結婚式』、『小さな英雄』などで、様々なパターンで描かれ、後期作品でも、ウェルテル的三角関係というモチーフは、『白痴』、『永遠の夫』、『カラマーゾフの兄弟』と、視点を変え、種々に追究されることになるのでした。保田與重郎は、近代日本文学史上不滅の金字塔の一つである『ヱルテルは何故死んだか』で、『ウェルテル』に於いて如何にゲーテがヨーロッパ近代の創始と終焉を描いているかを明らめていますが、ドストエフスキーも又、『ウェルテル』的三角関係に近代の矛盾が象徴的に集約されていることを見逃していなかったのでしょう。
 ドストエフスキーと同時代に、『ウェルテル』的三角関係の変奏曲を奏でた代表的作家に、フロベールやツルゲーネフがいますが、就中トルストイの『アンナ・カレーニナ』を忘れることは出来ません。『ネートチカ』第三部の、アレクサンドラ・ミハイロヴナとピョートル・アレクサンドロヴィチの営む夫婦生活を読んで、僕が即座に想起したのが、『アンナ・カレーニナ』の、アンナとカレーニンの夫婦生活でした。
 ルソーとゲーテのもう一方の弟子であるトルストイは、より赤裸々な告白を己に課するという方向、「詩と真実」のうち、「真実」に殉ずる方向でこの二人の師の仕事を受け継ぎ、ドストエフスキーは、嘘によってしか語り得ぬ真実、「詩と真実」のうち、「詩」に賭ける方向で二人の師の仕事を受け継ぎましたが、アレクサンドラ・ミハイロヴナとピョートル・アレクサンドロヴィチの破局、アンナとカレーニンの破局、の微妙な相違に、ドストエフスキーとトルストイ、両巨匠の持ち味の違いは、鮮明に現れているようにも思いました。今度、両作品を、ちゃんと読み較べようと思います。
 もう一つ、『ネートチカ』と『アンナ』の共通点は、小説中に描かれる、忘れ難い魅力的な犬キャラです。『ネートチカ』第二部は、誇り高きブルドッグ、フォルスタッフなくして成立しない話ですが、『アンナ』に登場するリョーヴィンの猟犬ラスカの描写も作品中特に生彩に富んでいます。ドストエフスキーは、他にも、『虐げられた人びと』のアゾルカ、『カラマーゾフの兄弟』のペレズォンなど、忘れ難い犬キャラを描いていますが、両巨匠、人間の気持ちばかりでなく、動物の気持ちまで手に取るように判ってしまう人たちだったようです。
 最後に、『ネートチカ』には、ルソーの教育論への批判めいた言葉も出てきますが、トルストイは、ヤースナヤ・ポリャーナでルソー直伝の学校運営を試みました。ルソーは『エミール』で、環境が如何に人間を損ねるかを書きましたが、ドストエフスキーは『ネートチカ』で、環境の如何に関わらず、破滅する人間は破滅し、誠実を守る人間は誠実を守る姿を描きました。ルソー的教育観、ひいては人間観へのスタンスの違いに、トルストイとドストエフスキーの違いが、又よく現れているように思います。 





第158回例会を聴いて

                               
穴見公隆氏の「ドストエフスキーとてんかん」を聴いて

堤 崇弘                           

 今回の先生のお話は、お世辞や外交辞令抜きで、我々ドストエフスキー愛読者には「こたえられない」というか、実に面白いものでした。最後は、20:00までしかいられない、とおっしゃっているのをついつい、質問で無理に引き止めてしまったりしまして、ご迷惑をおかけいたしました。そのあとのご予定に差し支えたのではないかと、やや心配しておりますが、大丈夫でしたでしょうか。お忙しい中を縫っておいでいただき、誠に有難うございました。
fMRIという検査方法を用いて、先端的な治療や研究を行われているとのことで、脳の中の各部分に対応して、それぞれ症状の違いがあるなど、お話が実際的で面白かったです。さすが、自然科学的な思考方法を十分に身につけられ、かつ、患者さんを実際によくご覧になっている臨床医らしく、
・確立された知見から責任を持っていえること
・経験からおおよそ推測できること
・一般論として可能性があること
・わからない、といった方がより正しいと思われることなどを、そのそれぞれの度合いに応じて、きちんと区別され、いたずらに脚色したりせずに、明晰かつ率直に語って下さったのが印象的です。
また、そのように作為のないお話だったにもかかわらず、というより、むしろ、そのように科学的な慎重さが感じられたからこそ、本当にスリリングで好奇心を刺激されるお話でした。

あと、陳腐な感想になりますが、医学会の中のちょっとした派閥抗争(? 生物学派対精神分析学派でしたっけ?)みたいな裏話も、専門家の方々における人間的な部分という感じがして楽しかったです。てんかんに効く薬がどのようにして見つけられたか、という話にも驚きを禁じえませんでした。また、ねずみをてんかんにできる、というのも初耳でした。考えてみれば、脳があるんだから、できる可能性はあるわけですが。

また、先生が、仲間のお医者さんに対しては容赦なく辛辣な表現もされる一方で、その病気などのために、いわゆるハンディを負っている方などについて、かなり奇妙な印象を受ける行動に関する部分なども含めまして、非常に公平な、politically correct な表現を慎重に選んでご説明をされたのも、私としては、大変好ましい印象を抱きました。忙しい生活の中で擦り切れてしまうことと戦って、治療に対する情熱と、人間的な優しさを保ち続けて対応されている方なんだろうな、と感じ頼もしく思いました。
(優等生的な発言で恐縮ですが、私は常々、ドストエフスキーの諸作品を愛する傍ら、彼が、奇妙な行動を取る少々病的な人物たちをあまりにも、滑稽に描いていることについて、涙が出るほど笑ってしまいながらも、「面白ければいい」ってもんだろうか、と、ふと引っかかってしまうものを感じていたりもします。これは、現代の価値観で見ているので、たとえば、聖書が男女を差別しているとかいうイチャモンの類と同じかも知れませんし、そもそも、自分は病人ではないつもりで言っていること自体が、「いい気なもの」なのかも知れないのですが……)

なお、先生に、一部の表現などを素人のそれとして、やや手厳しくやっつけられてしまったインターネット情報ですが、なんとなく見覚えがあるような気がしてたのですが、今、確認してみたところ、どうも、そのかなりの部分は、Seigoさんという人のサイトの記述

http://www.coara.or.jp/~dost/7-2-5.htm

だったようです。九州(大分)に在住されているため、未だ、一度も当会に参加いただいたことはないのですが、実は、私も含めまして会の若手の会員の多くが、そこの2つの掲示板
http://cgi.coara.or.jp/cgi-bin/cgiwrap/dost/keijiban/bbs.cgi
http://cgi.coara.or.jp/cgi-bin/cgiwrap/dost/keijiban2/bbs.cgi
の参加者で、今回、先生が例会発表をされる、というような情報もそこで掲示してもらったりして、けっこう世話になっている人です。先生ももちろん、「笑っちゃうような表現」とかおっしゃりつつも、それを攻撃しているよりは、微笑ましく感じていらしたのかとは思いますが、それでも、文科系を専門とする「一介の公務員」である彼としては、その個別の記述の出典なども、できるだけ詳細に示して、(加賀さんの「ドストエフスキイ」(中公新書)は入手しやすい本で、私も一度読んだことがあります。)
つまり本人なりに推測を交えずに客観性を重視したスタイルで書いているだけにあのように言われてしまうのは、致し方ないこととはいえ、いささか気の毒な感じもあったりします。 (^^;)
先生はお忙しく、到底、我々のようなドスト・フリークの暇人輩には付き合いきれないかも知れませんが、いつか、治療や研究の合間の気分転換のお時間のときにでも、「たぶん、本から取られたものなのでしょうが、こういう表現は、実は専門家から言うと、きわめて不正確で、ミスリーディングなんですよ」というような忌憚のない御助言をごく簡潔にでもしていただけたら、彼も、とても喜ぶだろうと存じます。
(彼のメールアドレスはHPにも出ていますが、dost@fat.coara.or.jp です。)ご検討いただければ、幸いです。
 なかなか、お忙しくて、お時間は取れないのだろうと想像致しますが、これをご縁に、今後とも、もしたまたま時間が取れることがおありでしたら、神崎さんともども、気軽に例会(読書会でも良いですが)にご臨席頂けましたらたいへん嬉しく存じます。
特に、来年あたりかと思いますが、読書会が『虐げられた人びと』まで到達したときなど、(てんかんの登場人物が出てくる作品なので)お越しいただけましたら、とても面白いだろうなあ、などと、勝手に思ったりしております。
 お忙しいところ、大変長々と取りとめもなく、申し訳ございませんでした。今後とも、ドストエーフスキイの会を、よろしくお願い致します。
末筆ながら、先生とご家族の皆様のご健康と、先生のご研究や治療のますますのご発展、ご成功を心よりお祈り申し上げます。どうも有難うございました。


ドストエーフスキイはてんかんではなかった!?(編集室)

 5月17日の例会「ドストエーフスキイとてんかん」発表の後、「ドストエーフスキイはてんかんではなかった、という説もありますが」といった報告があった。これまで日本ではドストエーフスキイはてんかん患者だった、というのが通説となっている。まったく目新しい言説である。それだけに驚かれる人も多かった。
 報告されたのは、木下豊房氏で、ロシアのドストエーフスキイ研究家で知人でもある精神科医が長年考察し分析した結果であるとのこと。ロシア語と英訳された論文を持参してこられた。ドストエーフスキイとてんかんの関連は、多方面で言及され注目されているだけに和訳が待たれるところである。
それにしても120年も前に亡くなった人間の病歴を調べるということは容易なことではないだろうと思う。あのアルプス 山中で見つかった何百年前の人間「アイスマン」のようにミイラでも遺体が残っていたり、また、1918年シベリヤで処刑されたといわれるロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世のように血液が日本に残っていたりすれば、真相は科学的に解決がつく。だがしかし、ドストエーフスキイのてんかんは、友人、本人、家族といった限られた人たちの証言しかない。物的証拠がない以上、疑念は仕方がないことだろう。人間の謎に挑戦したドストエーフスキイだが、自身も謎に包まれるとは皮肉なことである。ともあれ、これだけはいえる。作品は存在する。



新緑特別寄稿

ドストエフスキーに助けられながら『海辺のカフカ』を読む

横尾 和博                     

 村上春樹の作品の中の奥底にドストエフスキーのイメージが深く静かに流れているように私が感じたのは、1980年代の後半であった。作品自体が持つ異なる雰囲気、乾いて静的な村上作品と熱く動的なドストエフスキーでは根本的に異なる。しかし何かが繋がっており、その根拠を言い当てるのが自分の役割だと感じた。私の『村上春樹とドストエーフスキイ』(1991年)は、そんな思いから生まれた著作だった。
年を経て、昨年(2002年)刊行された村上春樹『海辺のカフカ』は、久しぶりに批評の世界から遠ざかっていた私に、創作意欲を喚起させた。ひと言でいえば、暴力と悪のイメージが作品の根底に存在するからであり、その根拠、モチーフを考察することは、戦争と暴力が全面的に露出する現在においてとても重要なことだと感じたからだ。
 村上は悪の問題についてインタビューの中で「本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は生まれないと僕は思うんです」(『文学界』2003年4月号)と答えている。ここでの「共感」とは癒す力、魂の呼応性のことを指している。
 なぜ村上の中で悪の問題が急浮上したのか。解く鍵は1995年の二つの事件、阪神大震災とオウムの地下鉄サリン事件だ。村上は河合隼雄との対談で二つの事件の影響と暴力について語っている。(「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」)。
 この村上の暴力と悪のモチーフが今回の『海辺のカフカ』に繋がったのだ。
 さて『海辺のカフカ』は15歳の少年が、「父親を殺し、母親と交わる」啓示を受けて、西へと旅立ち、事件や困難に巻き込まれながらも生きていく、「少年の成長物語」(ビルドゥングス・ロマン)だ。性同一障害の「男性」や戦争中の奇異な体験がもとで知的障害者となった初老の男性、若いトラック運転手など魅力ある人物が登場する。「父親殺し」は指摘するまでもなくドストエフスキーのテーマだ。「オイディプス」、「ハムレット」、「カラマーゾフの兄弟」、そして中上健治へと続くひとつのテーマ。また「父と子」は、本会の会員でもある福井勝也氏のテーマでもある。
 そして重要なことはもうひとつ。作品の登場人物たちが遭遇する事件に、合理的な説明が与えられていないことだ。たとえば「空からイワシが降ってくる」とか「少年が父の殺害現場にいないにも関わらず、少年のシャツに血痕がついていること」などである。村上は「これ以上は解析できない精神のブラックボックスのようだ」と説明する。
 私たちは小説の整合性よりも、そのイメージが持つ、喩えの力に感動する。
 『カラマーゾフの兄弟』でドストエフスキーがアリョーシャを頂点として、12人の少年たちに未来を託したように、村上春樹もこの15歳の少年に託している。託しているものは悪を裁き、善を為すことではなく、村上の指摘するように、人間が作りだした神が人間を裁くというパラドックスだらけの世界を、生を肯定しながら歩むことである。悪とは人間存在を否定する考え、思想だ。
 私はしばらく少年の行方を、ドストエフスキーに助けられながら追いかけてみたい、と思った。




4月12日開催第197回読書会参加者 23名



編集室便り


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