ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.73 発行:2002.5.31

次回(6月)読書会のお知らせ

6月読書会は下記の要領で開催いたします。皆様のご参加をお待ちしています。

 月 日 : 2002年6月8日(土)
 時 間 : 午後6時00分〜9時
 場 所 : 東京芸術劇場小会議室1(池袋西口徒歩3分)
 報告者 : 熊谷暢芳氏
 作 品 : 「人妻と寝台の下の夫」(河出書房『ドストエーフスキイ全集2』に収録)
 会 費 : 1000円(学生500円)

 ◎ 読書会終了後は二次会を予定しています。

 時 間 : 〜 11時頃迄
 会 費 : 2〜3千円




6月8日(土)読書会

『人妻と寝台の下の夫』メモ           

熊谷暢芳                             

この作品は、何の苦もなく十分楽しめる。だけど、ドストエフスキーの作品がただ面白いだけでいいのか、という疑問も起こる。もちろん、ただ面白いだけでも十分なのだが、そういう目で見てみると、やはりいろいろ指摘できることは出てくる。初期作品をこれまで読み進めてきて、夢想家、道化という人物類型が登場してきた。この作品では、嫉妬する男というタイプが登場して来る。嫉妬は多分ドストエフスキーにとって、作品上のモチーフとしてのみならず、実生活においても抜き差しならぬ問題であったと思われる。

嫉妬深い男は、疑惑としての自己の想念を、妻や情人に投影するのだが、しかし、その投影する像は安定しない。彼は常に、自分が裏切られているかどうか確定できないのだ。この不確定さ自体が彼を苦しめる。むしろ不貞が明らかになることこそが彼の救いになる。ここで直ちに連想されるのは、自意識の問題である。自意識の苦悩もまた、嫉妬と同様に他者の心を問題にする。この作品の主人公が、陳腐な自意識を露呈させて登場してくるのは偶然ではない。主人公の当面の最重要課題は、妻の不貞の真偽にある。にもかかわらず、彼にとっては、情人と思われる人物の目に映る自分の姿が、最も重要な問題にすりかわる。ここが笑いのポイントになっている。

嫉妬は、人が他者と深く関係しようとするときの、不可避な条件を前提にしている。人と人との関係性が成立する場には、互いに共通の領域が発生する。これは関係性の前提であるとも言える。しかし、同時に、互いにけして自己に還元できない領域が、それぞれの他者の場に発生する。二つの円の交差するベン図を思い描いてほしい。図は一つの重なり合う領域と、左右の、それぞれの円固有の領域に分かれる。嫉妬は、私の円とはけして重ならない、他者固有の領域の存在が前提になる。つまり、他者は「陰でなにやってるかわからない」のだ。自意識の問題性も、その他者固有の領域から見た私の姿が、私にとって抜き差しならないものとなったときに問題になってくる。

以上を踏まえて、読書会では次の点を念頭においてのぞみたい。
@ どこがどう面白いか、その面白さの仕組みについて分析してみたい。
A その過程で出てくる他者固有の領域を「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹著)出典の「死角」という、私にとっては重要な言葉で捉えてみたい。
B 嫉妬する男と反対の人物について考えてみたい。
後期の作品において現れる「嫉妬しない男」とは、ある理想を体現している人物のことでもある。すぐさま思い浮かぶ一人はドミトリイ・カラマーゾフであり、また、この作品との類縁性も感じさせる永遠の夫の一方の主人公である。両者とも、他者に自分のイメージを投影して、そのイメージを信じきってしまうのだ。そこになぜか奇妙な崇高さが生まれてくる。ドストエフスキーの到達点を見るような気もする。その崇高さとは何かについて考えてみたい。





ドキュメント「人妻と寝台の下の夫」

1848年:『祖国雑誌』に、半年の間隔をおいて「人妻」及び「やきもち焼きの夫」と題するおのおの独立した二編の短編で掲載された。
1865年:二つの作品「人妻」と「やきもち焼きの夫」は、17年後、ステローフスキイ版の全集刊行の際、ドストエーフスキイによって一編に融合され、現在のように『人妻と寝台の下の夫』と改題された。

訳者解説(『ドストエーフスキイ全集2』より)
この作品は「嫉妬をテーマとしたもので、ゴーゴリ的笑いを狙って書かれている。その笑いはある程度成功してはいるけれども、ゴーゴリのもの凄い笑いには遠く及ばない。ことに後半はいささかあくどいファルスに堕している。しかし、嫉妬のテーマは後に『永遠の夫』によって見事な完成を獲得した。『人妻』の最後で、物語をぷつりと中断して、これから先は別の物語であるといっているのは、ほかならぬこの『永遠の夫』をさしているのではないかと思われるほどである。

■全集をお持ちでない方の為に、中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』から「他人の女房とベットの下の亭主」のあらすじ(と著者解説)を紹介します。

この短編は、やすみなくギャグの入るヴォードヴィル(軽喜劇)と、珍奇な事件を報ずるフェリェトン(時評風随筆)とをこね合わせた喜劇である。冬のペテルブルグの晩の7時、とあるマンション(ロシア語では「ドーム」)の前で、裾長の外套の青年が、だれかが出てくるのをじりじりしながら待っている。そこへ反対側の暗がりから一人の紳士が現れる。(略)二人は同じ女を追ってここへ来たらしい。二人の話はついに「ひょっとすると、いや間違っていたら失礼ですが、あなたは、あの人の御主人なのでは」「やっぱり、君は、ああやっぱり、君はあれのアレなのか」ということになる。(マンションから女とノッポの男が出てくる。二人は駆け寄る。)すわ掴み合いでも始まるかと思いきや、女は「ああら、あなたでしたの」とかなんとか言って(3人の男を)一瞬のうちにまるめこみ、(略)バイバーイと去ってしまう。 (劇場で、寝取られ亭主は妻が落としたとみられるメモを手に入れる。その夜)寝取られ亭主は、メモに書かれていたマンションへ強引に押し入り、寝室へ踏みこむ。ところが、そこに立ちすくんでいたのは、その家の奥さん一人であった。しかも玄関では、今この家の主人が帰宅した気配。進退きわまった寝取られ亭主はベットの下へもぐり込む。ところが、なんと、そこには、一秒前にもぐり込んだ先客がいた。(略)真上の、三階の部屋からは、男女の密会の物音。ベットの下の二人は、(間違えて)二階の部屋に飛びこんでしまったのだ。etc・・・
『他人の女房とベットの下の亭主』は、こんな漫才めいたやりとりが延々と続いて、ペテルブルグの夜はふけてゆく、というお話である。この種のいやらしくも、おかしな話は、ドストエフスキーらしくない話と思われるかもしれないが、これが案外かれの得意とするところであったとさえ言えるのである。 (初期短編は)いわゆる純文学的高雅とはおよそ縁遠い、ペテルブルグの町のゴシップを種にした、卑しい笑いをさそう滑稽譚が、ドストエフスキー文学のかなり太い流れをなしていることを、認めないわけにはいかないだろう。そして、『罪と罰』『白痴』『カラマーゾフの兄弟』などの後期の大作にも、こうした笑いはあちこちにちりばめられていて、それが物語全体を活気づけるはたらきをしていることがわかる。



私はこう読んだ 『ポルズンコフ』


前回の読書会作品『ポルズンコフ』では、作品に対する感想をいただきました。ありがとうございました。本欄でご紹介いたします。

◇ポルズンコフは同情すべき人間
 浜 なつ

最後にオシップ・ミハイロヴィッチが面とむかって卑怯者と言えなかったことについて、それでもこの一言が言えなかったことで、どれ程の悔しさがあったことかと思う。
 その反面、作者の怒りはばくはつしていると思う。このようなロシアの現状、人間に対する怒り、反面オシップに対するはかりしれない憐憫、同情がうかがえる。虐げられた人間に対する深い同情。
 
◇喜劇の一幕物で見たい                              
 中谷光宏

「いったいああいう書類を冗談あつかいにしてもいいものかね?そういう冗談をすると、きみはいつかシベリア流しになるぞ」というフェドセイ・ニコラーイチの科白は、ペトラシェフスキー・サークルに連座したドストエフスキー自身のことを言っているようでもあり面白いと思いました。また、この作品は、たとえばドリフが舞台化すると、エイプリル・フールをお題にした面白いコントになると思いました。ポルズンコフ役は加藤茶。
ドストエフスキーの試みていた、 「小説による戯曲」の創造の模索が、よく出た、戯曲的作品だと思います。 これをそのまま戯曲化すると、チェーホフの一幕物みたいになるのではないでしょうか。 

◇小噺を一席
 船山博之

4月1日エイプリルフールの小噺を一席申し上げますスタイルの小話。しかし、とりたてて面白いという風には書けてない気がする。中村健之介『ドストエフスキー人物事典』を読むと「さげすまれている者の名誉回復」の考えがあると書かれている。また、、「正直な泥棒」の酔っ払いのエメーリヤや「罪と罰」のアル中患者マルメラードフの系譜であると。また、系譜の人々をドストエフスキーは深く愛したとも書かれている。デテール、挿話の描写でなく、「この世で最も高潔な人間」の形容詞で断定しているので、わかりにくい。

◇現代的な心理的リアリティーが見出せない
 福井勝也

この作品、つまり「ポルズンコフ」という人物が見定めがたくアンケートの質問事項に素直に応答できないというのが正直な感想です。あえて丸印をつければ上記のとおりということにもなりますが、印をつけながらその答えに納得できないものも感じてしまう。言わば「ポルズンコフ」という人物に、現代的な心理的リアリティーが見出せないのかも知れない。中村健之介氏が『人物事典』で指摘している。「特殊な人間観」(=新しいキリスト教としての社会主義)(「感傷的人道主義」)の理解がそれを解く一つの鍵かも知れない。その意味では、この時代の思潮(ペトラシェフスキーサークルetc)を、ドストエフスキーの視点から操る必要があるように思う。と、同時にこの作品は一つだけとりあげて論じるよりもこの時期の前後の作品と合わせて考えるべきもののように思う。


◇謎が多いが作品はつまらない
 菅原純子

遠い昔の事であるが、私と妹は招待された切符を持ち、舞台のかぶりつきに座った。妹は中学生、芝居を見るのは初めてだったかもしれない。私はといえば、物心つく頃から祖母が好きな歌舞伎に始終連れられ、ちょこっと座っていた。しかし、かぶりつきは初めてである。それも真真中、新橋演舞場が今のようにあんなに奇麗な所ではなかった。妹を連れていったのは、松竹新喜劇、今は亡き藤山寛美の舞台だったからで、妹はとにかくげらげら笑っていた。その笑いが突出していたかもしれないが、かぶりつきの私たち二人の前に、演技をしている最中の藤山寛美が、舞台の上から私たち二人の観客だけを見下ろして「あんたら、なにがそんなにおもろいねん」といったような冷静な目で見つめられた。なぜこんなことを思い出したかというと『ポルズンコフ』の冒頭を読んでいたら、ふと脳裏に、藤山寛美が私たちに向けた目を、くっきりと思い出させてくれたからである。舞台に立っているにもかかわらず、一瞬に素の面を見せ、またすぐ役者にもどり観客を笑わせていた。

喜劇役者とポルズンコフという道化を、同等に考えることは無理なことかもしれないが、『ポルズンコフ』の中ににもこんな場面がある。「ただね、皆さん、ひとつ信用していただきたいのです、わたしは今まで一度も賄賂を取ったことがありません。」(略)
 「まったくそうなんで、皆さん・・・」
 が、そのとき彼は何か妙な表情で、一同を見まわしつづけながら、言葉をとめてしまった。あるいは、−だれぞ知らん−あるいはこの瞬間、彼の頭に、われこそはこの潔白な一座の中でも、もっとも潔白な人間であるという考えが、浮かんだかもしれない・・・だその真面目な表情は、一同の浮き浮きした気分が消えるまで、彼の顔を去らなかった。

もう一例あげると、四方八方からだんだんと起こりはじめた笑い声は、ついに激しい爆笑となって、事実なにか有頂天の状態になった話し手の声を消してしまった。彼はしばらくの間、目をきょろきょろさせて一座を見まわしながら、言葉をとめたが、やがて突然、まるでつむじ風にでも襲われたように片手を振って、しんから自分の立場をこっけいなものと思ったかのように、自分でもからからと笑い出した。そして、またもやしゃべり出すのであった。

ポルズンコフもまた舞台に上がり、自分をさらけ出し、人を笑わせ、自分自身も笑い出すが、内にある素の部分をちらっと現す。笑わせているのだが、もう一人の自分がどこかで見ている目があるから、聴衆に向かって話している自分に酔いしれてはいるのだが、どこか、一点において醒めている自分というものがあるのではないか、この醒めた一点をポルズンコフにもたらせたのは、六年前の密告することにより、ポルズンコフが甘えていた人間に突きつけられた、現実の冷静に対処する人間たちの態度、酒に酔った勢いで書いてしまった、エイプリールフールの辞表の現実に、自分を持ち上げるだけ持ち上げていった人間たちが、自分を突き落とすという、生きている人間の扱い方、ここまでされようとは、ポルズンコフは自分自身で考えてはいなかったのではないか。いや考えられなかったのか。この現実というのものに目をみひらかせられたからではないだろうか。

しかし、この『ポルズンコフ』という小説には謎が多い。「今だにやっぱり恨みを忘れようとしないのかね、いったいわしは君に対してどんな罪をつくったんだね?・・・」このポルズンコフの恨みとは何なのであるかわからないし、ミハイル・マクシームイチ・ドヴィガイロフという退職の士官候補生が死んだ後、フェドセイ・ニコラーイチのところでポルズンコフはなぜみんなに馬鹿にされるようになったのか。遺言状もなく、ポルズンコフは、将来なんの目当てもない裸一貫で取り残されたといい、退職の士官候補生が、やっぱり私を自分の生みの子同然と思っておりましたので、と書いてあるので、退職の士官候補生が死んだことにより、あることが人前にさらけ出されたのか、よく分からないところである。

まったく話は変わってしまうのだが、『罪と罰』を最近何度か読みかえしてみて、ラスコーリニコフは、周囲の人間に甘えているし、甘やかされていると、私一人の頭の中で思いを巡らしたのであるが、『ポルズンコフ』を読んでみても、ポルズンコフがフェドセイ・ニコラーイチに対する甘え方も、短い作品ではあるが気になるところだった。
 最後の「それからどうした、ですって!わたしは一度フェドセイ・ニコラーイチに出会ったので、面とむかって卑怯者といってやろうとしました・・・」
「で!」
「ところが、皆さん、なんだかそれが口から出ませんでしたよ!」
 これは、人間なんやかんや言っても、同じ穴のむじなとでもいいたかったのか。


◇見るべき人物が出てこない
 堤 崇弘

■『ポルズンコフ』を読んで   →   △面白かった
■訳者は「成功作」と評しているが   →   △その通りだと思う
■彼を「正直な、潔白な人間」と思うか   →   ○どちらとも思えない
■それはなぜか       
→ 彼の恐喝・収賄は、弱者の抵抗であり、その意味で潔白とまでは言わないが、一定の酌量の余地がある。この事件では、全体として、彼が「被害者」だということには、議論の余地がない。ただし、如何に純潔な性質によって生まれた挿話でも、自らの過去、まして「被害者」としてのそれを「売り物」にしてしまうかのような彼の現在の行為には卑屈で、軽蔑すべき要素が含まれているのも否定しようがない。

他方、この不条理な社会の中で、「敗者」となり、そのように屈折しないではいられない弱い人間を、許容すべきだとは思う。この社会がもっとよい社会なら、彼はもっと見苦しくない人間になっていただろう。また、立場が変われば、自分も彼のような人間にならない、という保証もなかろう。
これらを考え合わせれば、彼を全面的に肯定することも、否定することも自分にはできない、というのが正直なところである。
■ポをどんな人間と思うか   →  ◎同情すべき人間 、 △嘲笑される人間 
△堕落した人間 
 
【感想】
・とにかく、ドスト作品においては、短い作品であるというのは、長所であるよりは欠点である。主人公とその上司のほかに、見るべき「人物」は出てこない(特に女性)など、量的な制約が質的にも「面白さ」を頭打ちにしているのは否めない。自分にとってのドスト作品の面白さは、どうしてもページ数の二(?)に比例する傾向があり、短編は、より長い作品に「面白さの積分値」だけでなく、「単位長さあたりの面白さ」でも「深みの違い」で負けてしまう場合が多い。
・だが、その分を割り引いてみるならば、コンパクトな中で、「悲劇と喜劇の二重奏」「どんでん返し」「人物造形」というドスト氏の持ち味の核心的要素を、それぞれ薄味ながらも味わえる作品であり、たとえば、『貧しき人々』、『分身』、『主婦』ほどではないが、 『プロハルチン氏』『九通の手紙』に比べれば、ずっと面白かった。従って、ドスト作品の中での評価として、自分は、「一級とは言えないが、初期の他の作品には引けをとらない。短くてすぐ読めることを考えると、「お買い得」な作品」と言っておきたい。
・上司(フェドセイ・ニコラーイチ)の過去の行為への恨みが、もともと過剰気味だった主人公の自意識と重なって、現在の彼の自滅的な行動に現れている、という図式は、後期の作品群の中では、『白痴』(ナスターシャとトーツキイ)に最も近い。
・ 不祥事のもみ消しを恐喝者自身にやらせた上司の手際の鮮やかさ、憎々しいほどの図々し
さ、要領の良さは少々非現実的ですらあるが、小説としては、抜群に面白く、光っている部分。「まるでうなぎかなにかのようにうねったりくねったりして身をかわしてしまう。才能ですな、ただもう才能というしかない。他人事ながら空恐ろしくなるような天賦の才
能ですよ!」
これは、この世界で「成功」している人達が、多かれ少なかれもっている汚い部分を鋭く突いている。
 恐らく、若きドスト氏としては、実在の人物の中に、このような不快な利己主義を嫌と言うほど見出していて、なんとか、それを穏当な形で表現したいという衝動をもっていたに違いないと思われる。
 面白さだと思う。「これほど小さな空間に、つまり、この男のしわだらけで角ばった顔の中に、あれほど種々雑多な歪んだ表情や、あれほどまちまちな奇怪な感情や、あれほど恐ろしい様々な印象などが同時に納まりうるとは、想像もできないほどだった。」
 このあたり、道化的人物の萌芽といいながら、この世界から受け容れられ、「体制側」の人間として、のうのうと暮らしている人々を、彼は、嫉妬し、軽蔑し、同時に憧憬しながら、とどのつまり、口では言えないほど、憎んでいたのではないか、と思われる。その憎しみが直接表明されたような悪態、上司の妻に対する「私は心の中で、お前さんが市場へ行こうものなら、物売り女どものをひとり残らず呶鳴り負かしてしまうだろうよ、と思っていました。」という言葉に、その感情は集約されていて、これなど、実生活の中で、彼自身がしばしば心の中で口にした呪詛に違いないと思われる。リアリティーのある言葉で、興味深い。
・彼が、まんまとわなにかかったところ「私はすっかりどぎまぎしてしまい、なにやら馬鹿なことを口走ってしまいました。愛(アムール)とかなんとか言ったわけです。」は、抱腹絶倒の描写である。ゴリャートキンからアルカージイ、ミーチャまで、感激して前後を忘れた人間の描写の可笑しさは、ドスト氏の右に出る者はないのではないか。自分自身を容赦なく描いている自虐的な快感もあるのではないかと感じられる。
・ここで、私が読んだ新潮全集版の巻末解説を一部、転載しておく。執筆者は故・江川卓氏
 
−−−(引用、始まり)−−−
 『ポルズンコフ』
 ・・・作品の主人公ポルズンコフが、ドストエフスキーの生涯を通じての重要なテーマないしモチーフである「道化」の原型をなしていることは疑いがない。『罪と罰』のマルメラードフ、『カラマーゾフの兄弟』のスネギリョフ二等大尉、フョードル・カラマーゾフのような、あらわな「道化」たちのほかに、スタヴローギン、ラスコーリニコフのような重要人物にも秘められた「道化」性が指摘されており、それだけにこの原型のもつ意義は無視できないものとなっている。
  最初、作品は『プリスムイリコフの物語』と題され、つづいて編集部で『道化者』の題を与えたこともあるらしいが、最終題名の「ポルズンコフ」には「地を這う者」、転じて「他人に対してぺこぺこする男」の意味を容易に読みとることができる。・・・(以下、略)

 −−−(引用、終り)−−−
 このような要素は確かにあると思うが、それだけで事足れりとしてしまうと、この作品がもっている社会的な要素、成功者vs落伍者という構図を見落としてしまうと思う。「地を這う者」という意味があるのだとすると、そちらの要素もかけあわされているのではないか、と私には感じられる。この解釈は、少々、「ベリンスキー的」かもしれないが、ユーモアの形を借りた、エスタブリッシュメントの不正に対するプロテストの表明という意図がこめられているのではないだろうか?そして、これは、後年『白痴』の中で、ナスターシャによって、より悲劇的に結実したのではないか?そう考えると、ポルズンコフの中の喜劇的な要素は、同じ作品のレーベジェフの方に分与されているようにも思われてくる。ただ、レーベジェフを「道化」と呼べるかどうかは、少し自信がない。レーベジェフは、悲劇性が希薄で、いわば「安心してみていられる男」である。ポルズンコフの言動の一部には、レーベジェフに直接受け継がれている要素があるのは間違いないが、それは紛らわしいが、「道化」としての性質ではないのかも知れない。結局、「道化」の定義の問題に帰着するのかも知れないが、このあたり、今回、少し議論できたら、という気もしている。
・前半のポルズンコフの客観描写も絶品と言えるまだまだ、歴代の大物に比べて、「駆け出し」の彼は、開き直りが足りない、未熟な道化のようである。彼にはナイーブで健全な羞恥心が相当に残っている。マルメラードフや、スネギリョフの段階にいくには、痛めつけられ方が足りないのである。
 だが、その分、「人はいかにして道化に成り果てるか」というプロセスの途中の段階を見るための、貴重な資料となる人物だとも捉えることができるだろう。
(引用は、全て新潮版全集より。)


◇入れ子型の小説
 秋山伸介                                  

 この作品は語り手がポルズンコフをまず紹介しておいて、その後、ポルズンコフの「笑話」が挿入されている、いうなれば、入れ子型の小説。この形式は「主婦」にも取り入れられていて、カチェリーナがオルディノフに話す「生い立ちの物語」がはさみ込まれている。この形式は、「貧しき人々」「九通に盛られた小説」の書簡小説に共通する、ドストエフスキーの創作上の問題意識につながる。それは、この二つの形式がそれぞれ二人の語り手を持つことによるのだが、前者と同様な形式、つまり、まず語り手が登場して、ある人物を紹介し、その人物から聞いた話として、小説を書く方法は当時からよくおこなわれていた。たとえば、「椿姫」「マノンレスコー」など。しかし、ドストエフスキーのこだわりは、そこにはないはずである。なぜなら、彼の関心は、ある人物の話として物語にリアリティーを持たすというより、むしろ、自他関係の網のような現実のリアリティーをいかに出すかというところにあったからだ。ドストエフスキーとっての現実、それはあまりに悲しく、あまりに滑稽な世界であった。彼の、現実に対する、このような認識は、「分身」におけるゴリャートキンという両義的な存在を例にとると分かりやすい。私たちの見ている世界が個人の主観に大きく左右されるばかりでなく、他人の、いわば括弧つきの主観にいやおうなく左右されるということ。ゴリャートキンはその極みを経験する。つまり、自己の分裂。主体性という実はひび割れたカラクリとその矛盾から生じる悲喜劇こそドストエフスキーの作品に通底するものである。悲劇はその距離のとり方いかんで、いくらでも喜劇になる。自己の悲劇が他人にとっては喜劇になるという循環を逆手にとれば、自己の悲劇も自覚の仕方次第では、自己救済にもつながることを気づかせてくれる。だが、ゴリャートキンに行動に見られるように、事はそう簡単には運ばない。そこがまた、ドストエフスキーの厄介さであり、二重の構造において、やはり「分身」は喜劇的である。ならば、ドストエフスキーの道化を語るうえで記念碑的作品といわれる「ポルズンコフ」は「分身」と血をわけた兄弟の関係にあるといえよう。ところで、「ポルズンコフ」はどこが滑稽なのか。挿入されたポルズンコフの話の内容なのだろうか。たしかに、話の筋は愉快である。原文で読めば、話す手際がなかなか見事だったりするかもしれない。しかし、ドストエフスキーの目指したものは単なるヴォ−ドヴィルに終始しない。たしかに若書きの性急さはあるものの、初期の彼は執拗に作品の構造にこだわり続けた。もちろん、超然たる語り手がもはや複雑になりすぎた現実を表しきれないことも分かっていただろう。だが、彼がこだわった理由はそれだけではない。他者の視線に振りまわされるより他はない悲劇的な人間存在の根底をなんとしても掘り崩したかったにちがいないのである。その地盤を掘り崩した、その果てに見えるもの、それが道化?決して職業人のそれではない、道化という無垢なる行為、それから、・・・。それにつけても、「分身」における行き詰まりは「ポルズンコフ」においてはたして解消されたであろうか。それとも・・・。


◇「道」のジェルソミーナを連想した
 後藤基明                                

 弱い者の代表、太宰治や映画「道」のジェルソミーナを連想した。また、遠藤周作の弱い、何もできないキリストも想い起こした。
 ポはピエロに見えてくる。全文のところを直してみると「観客は、ピエロの技の内容ではなく、彼の容貌・その現実の姿全体をよくも嗤えるものだ。それほどまでにも連中が、品性卑しく、情け知らずなのだと、ピエロは感じて心は疼き、血の涙を流していたに違いない」。ドはいつも落伍者や犯罪者、異常者、劣悪な環境に苦しむ者たちの恢復、甦り、名誉回復といったことを願って、作品を書いてきたのではないかの。(それにしても、ポの四月馬鹿はやりすぎだった――恨み、むくれ、縁切り、辞表をたたきつけてやる。密告状を出してやる――など、相手上司を見る目がなかった。もっとも、これが主眼ではなく観客を笑わせてチップをもらうことだったが、上司は今の日本の官僚にあてはまる。自分はしゃーしゃーしているのだから。この辺分析したかったが―)


◇道化としてのポルズンコフ
 金村 繁                       

 道化としてのポルズンコフを読んでみて、『広場』8号の「スタヴローギン思考」の冒頭に私の道化史論を手短にまとめてあるので、それをご参照下されば有難い。道化は人間の諸顕型の中で最も複雑で怪奇な存在のひとつと考えている。道化は広義でのニヒリストであると共に自己と他者との分裂を最も意識する者といえよう。ポルズンコフはドストエーフスキイの一面でもあろう。





「ドストエーフスキイの会」情報

第152回例会報告(5月18日)
高橋誠一郎氏報告「司馬遼太郎のドストエフスキー観 ―満州の幻影とペテルブルクの幻影」要旨

5月18日の例会で氏から配布されたレジュメを紹介します。氏は、この資料に沿って「司馬遼太郎とドストエフスキー」について、独自の考察を報告されました。

T.司馬文学との出会い
  学生時代に読んだ『竜馬がゆく』は『罪と罰』『『白痴』を想起した。
  非凡人の理論  →  竜馬の暗殺 (テロリズムに対する深い考察) 
U.日露の近代化における「欧化と国粋」の問題とドストエフスキー
V.司馬遼太郎とドストエフスキーの青春
W.満州の幻影とペテルブルクの幻影 ――鋼鉄のかたまりとしての戦車と要塞の独房
X.ノモンハン事件と狂気 ――ペテルブルクの幻影と狂気
Y.タブーとしての「父親殺しのテーマ」と「昭和初期の<別国>
 「日本人は地球から消えてしまえと思いたくなったほどだが」にドストエフスキーの父親に対する思いをみた。
Z.囚人の心理の考察――『菜の花の沖』とドストエフスキー
  ゴロヴニンの『日本幽閉記』にある客観的な日本人評。これは「背信に対し、相手を人間として理解すべく努めようとする寛容さは・・・近代が生んだ精紳といっていい」このような精紳を受け継いで、「人間の心理の中の質と相克をつきつめた」ドストエフスキーが生まれたと書いている。(『菜の花の沖』X)
[.「欧化と国粋」の心理の分析――「近代の相克」批判
  「まねをしようと思っても、とても超え難いヨーロッパの近代に対して、太平洋戦争の開幕のときの不意打ち成功によって、日本のインテリは溜飲を下げた」「それは嘘の下がり方なんですよ」(『「昭和」という国家』)
H.現実の直視とタブーの克服
 「日本は、いま世界でいちばん住みにくい国になっています。そのことをほとんどの人が感じはじめている。『ノモンハン』が続いているのでしょうな」(「ノモンハンの尻尾」)多発する青少年犯罪 → 「行きすぎた欧化」
I.ドストエフスキーの「大地主義」と司馬遼太郎の「『公』としての地球」
  「平凡なことですが、人間というものはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです」「この事件(チェリノブイル原発)は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している。さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいのだという思想を全世界に広く与えたと思います」
   司馬は1960年代の日本では「よその国の樹木は買いとって、そこの土地が裸になって、生態系が変わってもいいのだというような考えが、かなり一般的で」あったが、1980年代になって、「ようやく、われわれは地球の緑をすべて守らなければならない、切ったら必ず植えなければいけない、そして生態系を変えるような切りはしてはいけない」ことに気づいたのだとし、「日本の歴史の中で、このような思想が根づいたのは初めてのこと」と強調している。(「樹木と人」「十六の話」)

高橋誠一郎著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房 2002
高橋誠一郎著『この国のあした』――司馬遼太郎の戦争観』のべる出版企画 近刊
高橋誠一郎氏の「司馬遼太郎のドストエフスキー観 


満州の幻影とペテルブルクの幻影」を聴いて (編集室)

 これまでドストエフスキーは、洋の東西を問わず様々な作家と比較され、論じられてきた。日本でも、先ごろ私家版でだされた佐藤徹夫さんの『日本におけるドストエフスキー書誌』をご参照いただければ一目瞭然である。明治から現代に至るまで、実に多くの比較文学論がある。読書会の会員でも横尾さんが『村上春樹とドストエフスキー』をとりあげたし、最近では福井さんが『ドストエフスキーとポストモダン』で中上健次をあげている。
そのなかにあって、司馬遼太郎はこれまで(筆者の知る限りでは)ほとんど論じられたことがなかった。それだけに、この二人の作家の対比は、大いに興味がもてるところであった。
報告は、前頁の資料抜粋でもみるように、実に緻密かつ簡潔であった。テロリズムからはじまった日本の欧化政策は、ロシアと同じように国民を犠牲にし、この地球さえ危うくして、二十世紀を終えた。まさにドストエフスキーの予見をばく進してきたのである。
そうして「ようやく、われわれは地球の緑をすべて守らなければいけない、切ったら必ず植えなければいけない、そして生態系を変えるような切り方はしてはいけない」に気づいた。この崇高な理念は、ドストエフスキーが目指した大地主義の到達点でもある。およそこのような結論を導き出した。報告者の狙いはドストエフスキーの文明観に、日本の失敗した近代史と現代の愁いを重ねた、日本、そして人類の再生論であった。
ドストエフスキーは、そのどろどろした濃密さ、混沌さで、どちらかといえば敬遠されがちの作家である。が、司馬遼太郎という作家によってろ過され透明度の高いものになった。文学論から文明論に踏み出した、これまでにない斬新な報告であったと思う。
だがしかし、報告後の質疑応答では、意外にも懐疑的意見がおおかった。「父親殺しと日本人批判の差異」、「大地主義にたいする解釈の違い」、「レトルトされた文明論への疑問」などなどである。史観においては無意味な、稚拙で無策な戦争と酷評されているノモンハン事件さえも、一種美学的に捉えた意見もでた。いずれにせよ質問者の多くが、ドストエフスキーと司馬遼太郎を並べて論ずることに同調できない、納得しがたい。そんな雰囲気だった。
なぜ、そんな現象が起きたのか。これはひとえに司馬遼太郎という作家にあったように思える。また、両者を文学の範疇でとらえてしまったところにも不幸があった。
というのも第151回の「トーマス・マン」に限らず、これが太宰や三島であったらと思う。おそらく何の支障もなく受け入れられていたに違いない。(これはあくまでも編集室での思いこみだが)、では、なぜ司馬遼太郎だと、ドストエフスキー読者は、無意識的に違和感をおぼえるのか。ひとつには司馬遼太郎を知らないということもある。(もちろん知名度のことではなく作品のことである)はたして参加者のなかに、何人、世に出ることになった司馬の処女作を知っているか、読んでいる人がいようか・・・。おそらく、いたとしてもごく僅かな人だとろうと推測する。翻って、司馬遼太郎の読者の集りにでたとしよう。そのなかでドストエフスキーをもちだしたとき、はたして何人の人がドストエフスキーの名や作品を知っていようか。「なぜ、われらの司馬遼太郎を、ネクラのわけのわからないロシアの作家と並べなければならないのか」冗談でなく、本当にこんな抗議を受けるかも知れない。
つまるところ、両作家の読者の間には、埋めがたい深い溝が存在するのだ。それだけに報告された両作家を繋ぐ考察は、貴重な一本橋といえる。
ここで今一度、一般的見地から司馬遼太郎を検証してみよう。まずは、この日本人に絶大の人気のある作家を知ることが先決である。
何年か前に京都に旅した折、幕末の志士である坂本竜馬の墓を詣でたことがある。花、記念品、落書き、墓はおびただしい参拝者の供え物で埋っていた。竜馬は多くの若者の心を捉えている。それは紛れもない事実である。そして、その竜馬を書いた司馬遼太郎も紛れもなく日本を代表する人物、作家なのだ(マスメディアによれば)。一般大衆はもとより若者、経済人、政治家の多くは司馬の熱烈なる読者である。思えば司馬の不幸はここにあるのかも知れない。司馬がどんなに愁いても、嘆いてもときの為政者や経済人は司馬を尊敬してやまなかった。司馬の作品に心を熱くし歴史談議にうっとりと聞き入った。私利私欲を批判し軽蔑する司馬の作品は、彼ら当人にとって寝心地のよい子守唄に過ぎなかった。
誤解されることには、ドストエフスキーも同様といえる。あるときは極右に、あるときはツアー殺しの下手人に、あるときは共産主義国家の敵として、手先として(嘘のような話ではあるが、そんな人もいるのだ)非難され中傷され怪しまれてきた。死刑判決と、戦車での戦場体験。両作家の人生軌跡には、類似した点も多い。
だが、その作品内容は、まったく違ったものである。結局、それが、文学評において司馬とドストエフスキーの距離を限りなく隔てるものとなった。信長、秀吉という英雄を狙う名
もなき忍者。第何回か忘れたが、直木賞を受賞した『梟の城』。司馬はこの作品で作家としてスタートした。全直木賞受賞作のなかでも秀逸な作品(編集室評)。この作品で司馬は、英雄や国家、組織に刃向かう一人の人間を描いた。が、このあと作品内容は大きく軌道変更される。司馬の本領は歴史の英雄を描くことで発揮されていく。人を集め、組織を結成し、国を動かしていく人間たち。そんな特殊な非凡人たちを好んで書くようになった。「歴史を変える」「天下を取る」「国事に奔走する」などなど作品のなかで主人公たちは、いたるところでこのような大言壮語をはいている。そうして、実際に人を動かし、組織を操り、名を馳せ、屍を築き確実に歴史の上にその名を刻んでいる。
ドストエフスキーの作品は、まったくの逆である。英雄中の英雄ナポレオンになりたい。そんな誇大妄想的な夢を抱きながらも、ペテルブルクの酒場でのたうち、極寒のシベリアでさえも結論に迷う青年を描ききった。そうして、崇高な理想を掲げながらも組織づくりに挫折していく若者たちの姿も。そこにあるのは英雄とはほど遠い人間の惨めさ、くだらなさ、美しさだ。ドストエフスキーは訴える。世界を救うのは権力でも、英雄でもない。名もなき人間たちがいるからこそ暮らしがあり歴史はあるのだと。
英雄伝説を書きつづけた司馬遼太郎。英雄とは無縁の民衆を書きつづけたドストエフスキー。あまりにも相反する物語に読者は、自ずから選択を迫られ乖離するしかなかった。
と、すればドストエーフスキイの会での報告は報告者にとってずいぶん分の悪い立場であったといえる。だが、それは「一粒の麦」たりえたかも知れない。少なくとも司馬遼太郎という国民作家について、考えることになったことは確かである。
時間と枚数も心配になったので、途中ではあるがこのあたりで、しめくくりたい。英雄伝説を書き続けてきた司馬だったが最後にたどりついたのは、名もなき船頭の物語だった。リコルド船長やゴロヴニンが書いていなかったら、到底、歴史の上に浮かんでくる人間ではなかった。なぜ、司馬は名もなき船頭を描いたのか。司馬は、気づいたに違いない。描いてきた英雄たちの2×2=4、それは所詮、人類初の原爆被害国家になることであったと。
たとえ百人の英雄を束ねたとしても、彼らは一人の船頭と比べたら、なんたる矮小さだ。司馬はおそらく目の覚めるおもいで『菜の花の沖』を書いたのだろう。海岸線を彩る菜の花。ゆつたりと流れる時間。司馬の脳裏にラスコーリニコフが見た風景。アリョーシャが夢見た世界を思い描きながら・・・・。

いつだったか、ある大学で司馬遼太郎批判という講義を聴いたことがある。たしか色川大吉という社会か歴史学者だったと思う。「英雄が、立派に描かれすぎる」「いつも美女といい男が登場する」。『竜馬がゆく』がNHK大河ドラマになり、『坂の上の雲』も好調とメディアでは向かうところ敵なしだった司馬に弓ひいた最初の文化人だった。
英雄伝説は文明論に暗礁したのか。このとき頭に浮かんだのは、司馬が、はじめてその櫂をはるかなドストエーフスキイに向けて漕ぎ出そうとする光景だった。今回の報告を聴いてその光景が幻ではなかったような気がした。(了)




ドストエーフスキイ情報


木原武一著『名作はなぜ生まれたか』 同文書院1993 定価1200円 
    
―文豪たちの生涯を読む―    

 紹介者・石川啓一 

 学生時代、文学サークルにはいって同人誌を出していたことがあった。同人誌ができあがると、渋谷あたりの喫茶店に仲間が集って、夜が明けるころまで、熱っぽく議論をたたかわせたものだった。いったい何を話していたのかはほとんど忘れたが、若さというか未熟さゆえの一途な熱い思いだけはいまだによくおぼえている。30年前の当時の流行の文学はサルトル、カミュで、またドイツ文学にも興味を持っていたが、いちばん心を惹かれていたのは、ドストエフスキーだった。
 なぜドストエフスキーに惹かれたのか。
 そのこみいった複雑な内容はよくわからないものの、読み進むうちに背中がぞくぞくするような感じがしてたまらなかったからである。真夜中、家族が寝静まってからひとりで『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたとき感じた、何ともいえない怖さをよくおぼえている。
 小説を読んで、こんな感じにおそわれたのは、ドストエフスキーのほかにはない。また、夜を徹していくら語り合っても語りつくせない小説はドストエフスキーぐらいなものではなかろうか。彼ほど、文学マニアの熱い一途な想いをかきたてる作家もいないのではなかろうか。同人誌に書いた小説はひとつもものにならなかったが、文学に寄せる熱い想いだけは残ったのは、ドストエフスキーを読んだおかげだと思っている。
<闇のなかの炎>ドストエフスキーの魅力はどこにあるのか。ひとことでいえば、その暗くて熱いところに彼の魅力がある。彼はいわば、闇のなかでぎらぎら燃える火である。いったんそれを目にした者は、そのとりことなる。
 <人間にとっての幸福>ドストエフスキーの文学は、人間の暗く熱い心を掘りさげ、人間にとって幸福とは何かを追い求めた文学なのである。
 最近、文学について夜明かしで議論するような若者も中年も老人も少なくなったのがさびしい。いつかだれかとドストエフスキーなどについて熱っぽく話をしてみたいものだ。
同著者には他に『要約 世界文学全集U』新潮選書 定価1300円がある。同書では『悪霊』を解説している。






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