ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.62  発行:2000.7.29


4サイクル突入前夜祭

特集:少年犯罪とドストエーフスキイ



8月の読書会はお休みします。代わりに下記の要領で暑気払いを開きます。4サイクル前夜祭として現在大きな社会問題にもなっている少年犯罪について討論したいと思います。なお、会場・時間等がいつもと違いますのでお間違えのないように。

月 日: 2000年8月5日(土曜日)
時 間: 午後3時〜5時 (1時30分頃には開場しています)   
場 所: 豊島勤労福祉会館第8会議室(池袋駅西口徒歩10分)Tel.3980ー3131   
報告者: 参加者全員によるフリートーク     
題 目: 少年犯罪とドストエーフスキイ        
会 費: 1000円
                              
◎ 暑気払い終了後は二次会を予定しています。                 
会 場: 池袋西口周辺の居酒屋
時 間: 6時〜8時ごろ迄
会 費: 3〜5千円                       
※なお午後1時過ぎには開場していますので、0次会参加希望の方はどうぞ。

国際ドストエフスキー研究集会(8月22日〜26日)

基礎講演:8月22日(火)千葉大けやき台ホール、時間2時半〜5時、日本語通訳付き
記念講演:8月26日(土)早大文学部AV教室、時間は午後2〜5時30分、通訳付き
懇 親 会 :6時〜 会費4000円程度 早大付近「庄八」 ※ 聴講無料 一般参加者歓迎



特 集 ・ 少 年 犯 罪 (新聞報道による事件) (編集室)           


最近の少年犯罪 (3ヵ年の)

少年たちによる犯罪が毎日のように報道されています。とくに今年になってから17歳による事件が続発しています。彼らは「なぜ?」犯行に走るのか。大きな謎となっています。 ドストエーフスキイは少年犯罪についても多くを語っています。19世紀ロシアと現代の日本では、少年の思考も社会背景も大分に違っています。が、それでも事件が起きるたびにドストエーフスキイが想起されるのはなぜでしょうか。少年たちの犯罪とドストエーフスキイは何か関連があるでしようか。そのあたりのところを話し合えればと思います。

不可解な最近の少年犯罪 
                                 
1997年2-6月 神戸児童連続殺傷事件。容疑者、中3男子(14)通称A少年動機は「人が壊れる実験をしてみたかった」
1998年1月 栃木県黒磯市の中学校で、1年生男子生徒が注意した女性教師(26)をナイフで刺殺。動機は、キレたから。
1998年2月 東京都江東区で中学3年生が警官を襲う。動機はピストルが欲しかった。  
1998年3月 埼玉県東松山市の中学で1年男子生徒が同じ1年生をナイフで刺殺。
1999年4月 山口県光市18歳の少年が主婦(23)、と長女(11ヵ月)を殺害。動機は暴行目的。
1999年8月 愛知県西尾市で17歳の少年が好意を寄せていた高校2年女子を登校途中に殺害。
2000年2月 東京都江東区の公園で中学3年男子3人が33歳男性を殺害。動機は強盗目的。
2000年2月 福岡県芦屋町の中学で2年生男子が1年生男子を殺害。
2000年4月 名古屋市の15歳少年が中学在校中に多数少年に5400万円恐喝された事件が明るみになる。以後、十数人の少年が逮捕される。
2000年5月 愛知県豊川市で高校3年男子が登校途中に主婦を刺殺。動機は「人を殺す経験がしたかった」
2000年5月 佐賀市の17歳少年が高速バスをハイジャック。女性客3人を死傷。
2000年6月 岡山県で17歳高校3年野球部少年が後輩4人をバットで殴り重軽傷を負わし、自宅で母親の撲殺が発見される。少年の行方は現在不明。
2000年6月 23日岩手県で17歳の少年が同居している母親の内縁の夫(51)を刺 傷。動機、母親(48)と内縁の夫の喧嘩の仲裁で。
2000年6月 21歳と18歳、17歳の少年が16歳の少年2人に灯油をかけ火をつける。少年1人が意識不明の重体。
などなど、いまも続発しています。
 
少年ではないが、(少年期にその芽があって)大きな犯罪を起こしたケースもある。今年2月発覚して日本中を驚愕させた「新潟柏崎少女監禁事件」。この犯人は、やはり中学時代の少年期から異常性をみせていたという。昨年暮れ小学生を殺害し、今年2月自殺した「京都てるくはのる事件」。この犯人も、やはり高校に入学したときから将来を予感させる行動を起こしていた。ゆえにこの二つの事件も、少年犯罪の範疇に入るといってもよい。

事件の概要  

最近の少年犯罪は「不気味だ」「わからない」が特徴だ。事件が起きるたびに「なぜ、どうして」の声ばかりがきかれる。現実と仮想との区別のなくなった、いわゆるラスコーリニコフ的犯行には、識者も専門家もお手上げ状態である。
 なかでも、五月連休中に起きた「佐賀バスジャック事件」と「愛知県豊川主婦刺殺事件」は、不可解な少年犯罪を象徴する事件といえる。ラスコーリニコフは人類救済の出発点として殺人を犯した。少年たちは、何を目指したのか。彼らに踏み越えの境はあるのか。
 その謎に少しでも迫れればと、象徴する二つの事件をとりあげてみた。

【佐賀バスジャック事件】 
                  
この事件はゴールデンウイーク最中に起きた。3日午後、この日、読書会ハイキングが行なわれた。参加した会員たちは新緑の山道を小仏峠から高尾山頂に向かっていた。天気にめぐまれ山は大勢のハイカーで賑わっていた。この同じ時刻、1人の17歳の少年が、はるか九州で日本中を震撼させる事件を起こしているなど知る由もなかった。

「ありがとう」と言って少年は、父親からリックを受け取るとサイクリングに出掛けた。久しぶりに見る少年の笑顔に父親は安堵して見送った。だが、母親は言い知れぬ不安を感じて、入院先の病院に電話した。だが病院の返事は「大丈夫ですよ」と太鼓判を押すばかりである。しかし母親の不安は増すばかりだった。彼女は、遠く離れた東京の精神科医に電話した。その医師は「子供が事件を起こすかも知れない」とあちこちの医療機関に相談し、たらい回しにされ困り果てた末、最後の頼みとすがった医師だった。テレビで見知ったのだ。幸いにして、その医師は親身に相談にのってくれて、病院に入院させることができた。それなのに、ほっと安堵したばかりなのに、こともあろうに、少年は退院してきてしまったのだ。「なぜ、どうして」東京の精神科医は絶句した。そして、恐れていた予感は現実となった。少年はバスを占拠し、女性客を次々に刺し、一人を死亡させた。

事件について少年と関わった精神科医たちは次のように話した。
◆親身になって東京の精神科医「病院が外泊を許可しなければ事件は防げた」
◆病院側「ミスはなかった。強制的な入院こそが事件の引き金となった」
 病院の診断「行為障害。精神病ではない」
◆簡易鑑定「本人の供述通りだったら、精神分裂病以外にあり得ない。ただし供述の真偽はわからない」

逮捕後、少年はこのように言ったという。
「自分のことは新聞に出ているのですか」「大きく出てますか?豊川のやつに先を越されたと思ってましたから」逮捕された少年は、警察でこう述べたという。「世の中に腹がたっていた。入院させた両親と病院に復讐してやりたかった」。そして両親には「どうして僕が悪い?みんなが注目する英雄的なことをやってのけたんだ」と言った。

なぜ少年は犯罪者になってしまったのか。事件への軌跡は次のようである。
中学三年ごろ「ガリ勉」とからかわれ成績下がる 三学期にからかわれ非常階段から飛び降り大怪我をする (それが原因か)高校は第二志望に入学する が九日で退学。ひきこもる。パソコンをはじめるが、チャット仲間にからかわれたことからパソコンもやめる バタフライナイフ一本、サバイバルナイフ一本、テストハンマー一本、スタンガン二個、包丁大二本、普通包丁一本、催涙スプレーなどを購入し遺書や犯行声明を書きはじめる。

【愛知県豊川主婦刺殺事件】

5月1日。その日の朝、少年はいつものように学校に行くため家をでた。そして、たまたま戸が開いていた家に侵入しその家の主婦を刺殺した。四十ヵ所以上も刺すという残虐な犯行だった。逮捕後少年は、その動機を「人間はどの程度の暴力で死ぬのか、確かめてみたかった。社会的に許されないのはわかっていた。だが、自分の求めるもののため、人を殺す体験を知る必要があった」と供述している。

この少年には犯行に至るまでの経緯がない。と、いうか表層されたものがない。私立高校の特選クラスに在席し、電車で通っていた。車中では友人とファミコン談議に熱中したり、たまには友人の家でマージャンをする普通の高校生だった。そう見えた。家族構成は、1歳半で両親が離婚、父方の祖父母に育てられる。祖父は元教師、両親は教師という教育一家。捜査状況「動機の意味がわからず、精神鑑定の方向にある」捜査員が「犯行はゲームや本の影響では」と問えば少年は「心理学者の言いそうなこと」 と淡々と答える。言葉は感情がなく、機械的である。


少 年 犯 罪 と ド ス ト エ ー フ ス キ イ 

ヨルカの日のドストエーフスキイ    (編集室)

先般、NHK教育テレビでETV2000「親友」Aという番組を観ていたら哲学者梅原猛と脳性まひの作家が対話していた。話題が最近の少年犯罪の話になったとき、脳性まひの作家が不自由な言葉をパソコンで補いながら突然「(少年犯罪は)ドストエーフスキイと関係あると思いますか?」と、たずねた。不意をつかれた梅原猛は一瞬、狼狽えたようにみえた。が、すぐに「あります」と、力強く答えた。

が、それ以上の話し合いはなかった。両者の関係についての会話を期待しただけに残念な思いがした。そこで、少年犯罪はなぜドストエーフスキイを彷彿させるのか。あらためて考えてみた。ドストエーフスキイは、作品では、直截的に少年犯罪を扱ってはいない。それどころか作品に登場する子供たちは、大人たちのドロドロした人間関係に比べ実に健気で、我慢強く、希望的である。もちろん例外もあるが、登場する子供たちは少しも犯罪の臭いを感じさせない。にもかかわらず少年犯罪はドストエーフスキイを彷彿させる。

なぜドストエーフスキイは少年犯罪を感じさせるのか。ドストエーフスキイは少年犯罪について、どう考えていたのか。そのあたりのことを『作家の日記』のから探ってみた。19世紀のロシアと20世紀末の日本では犯罪の動機も原因も大分に違うのは当然だろう。しかし、人間であるということにはいつの時代もいかなる国にも変わりはないはずである。

少年犯罪についてドストエーフスキイは『作家の日記』でしばしば取り扱っている。とくにある年のヨルカでは、より強い関心をみせている。そのあたりを検証することで、ドストエーフスキイの少年犯罪に対する考えを探ってみたい。

1875年の降誕祭。ドストエーフスキイは、芸術家クラブに出向いた。そこでで催される少年舞踏会を見物するためである。クラブには大勢の着飾った子供たちが集まっていた。やがてヨルカ(降誕祭樹)の前で踊りがはじまった。ドストエーフスキイは踊る子供たちをながめながら、頭でいろんなことを考えていた。一つは今度書こうとしている小説(『偶然の家族』)のこと。二つめは、世間で話題になったある事件のこと。これは、二人の男の子の母親が元同棲相手の職工に無残に斬り殺されてしまった事件で、まさに「社会が生んだ月足らずの子供」たち、二人の「不幸な孤児」のこと。このときドストエーフスキイはこの二人の子供たちの将来を心配していた。12歳の兄が中学をやめなかったことに安堵しながらも9歳の弟が忘れ去られてしまうのではないかと懸念していた。それから三つめは最近の子供教育のこと。ドストエーフスキイの子供教育の見方は、現代の教育批評と比較しても遜色ないといっても過言ではない。子供教育は少年犯罪の根底をなすものだけに重要である。ちょっと長くなるがドストエーフスキイの子供教育についての考えを抜粋してみた。

「なお、一つ残念なのは、このごろ子供のことを、なんでもかでも軽便にしてやるふうのあることだ。それも単に教育とか、知識の獲得とかいう方面ばかりでなく、遊戯や玩具までそうなのである。子供がはじめて、二こと、三こと片ことをしゃべるようになるが早いか、さっそくその軽便化を考えてやる。今の教育学は、この軽便化の工夫に没頭している」   まさに現代の幼児教育を彷彿させるような考えである。なんでもかでもお手軽に、便利に便利にしてやる教育がどんな結果を招くのか、ドストエーフスキイは警鐘する。

「軽便化ということは決して発育でなく、時としてむしろ鈍化になる場合が多い。子供の時代に自己の力(もしなんなら、苦労といってもいい)で深く体験した二、三の思想二、三の印象は、最も軽便化した学校より、はるかに深く子供を人生の中へ導いてくれるものだ。今の軽便化主義の学校などは、善とも悪とも、なんともつかぬ妙なものばかりつくり出す。こんな連中は、堕落の中へ入っても、ほんとうの堕落らしいところがなく、徳行の中へ入っても、ほんとうの徳行らしいところがない。」

子供たちの踊りが終わると、今度は大人たちが踊りだした。彼らのヨーロッパ式舞踏会はドストエーフスキイを退屈させた。じれったくさせた。ながめながらドストエーフスキイは「最近二十年年間にわたって、非常に多くのロシヤ人がとつぜんどういうわけか、自分らは破廉恥を働く権利を完全に授けられた」といった思いを頭に思い浮べていた。

この思いは、そっくり現代の日本社会にもあてはまる。街を歩いてもテレビを見てもヨーロッパ式ロシヤ人ならぬアメリカ式日本人が現代の日本には溢れている。少年犯罪が年々アメリカ化するのも当然である。恐らくあと何年かすれば、日本の学校でも銃乱射や薬物事件が日常茶飯事のようになってくるに違いない。現に、五千万円恐喝事件やナイフ刺殺事件といった信じられない事件が起きている。

ヨルカだからかドストエーフスキイは不幸な子供たちのことが気になって仕方がない。少年犯罪はなぜ起きるのか。この問題についてもあれこれ考えが浮かぶ。少年犯罪の原因の一つに「お手々の子供」たちがあるのではないか、とドストエーフスキイは思ったりする。

「ヨルカの前からヨルカの当日にかけて、わたしはいつも同じ町のとある四つ角で、どうしても七つより上とは思われない一人の子供に出会った。」

恐ろしく凍てついた日、「お手々」をだして袖乞いをする子供たち。彼らの将来はどうなるのか。ウォートカ→「お手々」→折檻→汚臭、淫蕩の家→「こういう連中がこそこそ泥棒になっていくのは、もう当然の話である。八つぐらいの子供でさえ、盗癖が一種の情熱となり、ときとすると、その行為の犯罪性をまるで自覚しないことさえある。こうして最後にはただただ自由のためのみにいっさいのものを、ーーー飢えも寒さも折檻も堪え忍んだあげく自分の保護者たるごろつきのもとを遁れて、今度は自分一人でごろつき始める。こうした野育ちの存在物は、なに一つわきまえない場合が多い、ーーー自分がどこに住んでいるかも、自分がどういう国民に属しているかも、神があるかも、皇帝があるかも、知らないのである。彼らのことについては、とてもほんとうと思えないような話を耳にするが、しかしそれはことごとく事実なのである。」すべてが絶望的な現実である。

しかし、ドストエーフスキイは想像する「薪のうしろに駆け込んで凍え死んだ男の子の小さな死骸を、子供よりもさきに死んでいた」母親の亡骸を。

たとえどんなに最悪の環境にあったとしても状況下だとしても、子供たちは決して犯罪者になったりはしない。「親子は天なる神のみもとでめぐりあったのである。」ドストエーフスキイはつぶやく「わたしはこういうことがほんとうに起こり得るような気持ちがたえずしていて、そんな幻想が目さきにちらついでいるのだ」と。どんな子供たちをもドストエーフスキイは作家らしく希望的観測をもって見つめている。だが、現実は現実として直視しようとしている。犯罪者となってしまった子供たちはどうしているのか。

ヨルカの三日目、ドストエーフスキイは、火薬工場の向こうにある少年犯罪者の部落を訪問した。そこには、いわゆる「堕落せる天使」たちが50人ほどいた。

ドストエーフスキイは、この少年犯罪者の部落(いまの少年鑑別所のような施設か)に前から来て見たかった。が、なかなかその機会がなかった。ところがこの日、時間に余裕ができたところに案内してやろうという親切な人が現われたのである。その特殊部落は、森の中にあった。「なんという美しさだろう」森の雪景色にドストエーフスキイは感嘆した。最近施設の衛生状態が悪いという新聞報道があった。が、建物は「美しい木造の家から成り立って」いた。所長のP・A・Rースキイ氏に案内してもらったドストエーフスキイは、施設の設備や神学校出の養育係には満足を感じた。「そこには寄付者や創立者のよけいな親切や、博愛心がぷんぷん匂うような不要な贅沢、無駄なものは少しもなかった」

しかし、ドストエーフスキイは愕然とする。信じられないある行為を知ったからである。「ある寝床のそばへ来ると、妙な臭いがした。そして、わたしはほとんどあり得べからずことわ告げられた」。8、9人のまったく小さな子供でなく、12、3歳の子供たちだが、彼らはなんと「寝台から下りないで、眠ったまま用を足」していたのだ。ドストエーフスキイは、はじめ「それはなにか特殊な病気ではないか」と、思った。だが、それが野育ちのせいからだと知って暗澹たる気持ちになる。「どんな貧しい百姓の家庭だって、こういう場合どうしろといって教えないところはない。どんな小さな子供だって、それを知らないものはない」だというのに、彼らは知らない。彼らは「どんな貧民窟で成長し、どんな人間を見てきたのだろう。」ドストエーフスキイは疑問に感じながらも「彼らの接触してきた人間が、いかなる種類のものであるか、その連中が彼らの存在に対して、どれほど畜生同然の無関心を示していたか、想像するにかたくない!」と怒りをもって訴えている。

なぜ幼き犯罪者は生み出されるのか。「幼き犯罪者の部落」見学でドストエーフスキイが思ったことは、この社会には「恐ろしい暗黒な特殊な人間」がいる、という一つの結論である。子供に人間の行為としての基本である用足しの仕方も教えない「恐ろしい暗黒な特殊な人間」の存在。この存在は19世紀ロシアにだけ存在したのではない。最近の少年犯罪や街にたむろする若者たちをみていると、その存在は形や身分を変えて現代にも蔓延っている。そのように思えて仕方ないのである。

「人を殺してなぜ悪いのか」「自分の体を金にかえてなぜ悪いのか」と、問う現代の子供たち。彼らは、ある意味ではドストエーフスキイが見た「眠ったまま用足し」をする子供たちより不幸である。現代には、人間の心の基本すら教えられない「恐ろしい暗黒な特殊な人間」が蔓延っている。それらの人間はたいてい高学歴の、幸福な家庭の人間なのだ。そこに現代の闇がある。ドストエーフスキイなら、そう感じとるかも。





『 日本におけるドストエフスキー 書誌 』
 ついに編集・刊行される!! 
A Bibliography of DOSTOEVSKY in Japan 
第2期「日本におけるドストエフスキー書誌」  
 
昭島市在住の佐藤徹夫氏は、かねてより日本における全てのドストエフスキー文献の・・収集作業をすすめてきたが、6月30日をもって第2期編纂を終了、刊行した。同書誌・・は、一般読者にとっては本当にありがたい記録誌であり、研究者にとってはすばらしい・・資料となるものである。巷に散らばったド文献を纏めることが、どれほど大変なことか・・想像にかたくない。その作業を成し遂げられた佐藤氏の熱意と努力に敬意を表します。刊行にあたり、氏は「プロ野球が始まり、ビールの美味しい季節となると、もう集中・・力が散漫となる。昨年来の成果であり、年末、年始と大型連休の成果である。年賀や折々の便りを欠礼しての作業でもあるので、皆様には陳謝申し上げ、同時に感謝、感謝です」と、コメントを寄せている。根気のいる大変な作業、あらためて本当にご苦労さまでした。