ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.197 発行:2023.4.5
読書会のお知らせ
月 日:2023年4月15日(土)
場 所:池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場:午後1時30分
時 間:午後2時00分 〜 4時45分
作 品:「ポルズンコフ」
報告者 : 西村泰一さん
会場費 :1000円(学生500円)
6月読書会は、2023年6月10日(土)開催予定です。
会場は、東京芸術劇場小5 会議室14:00〜16:45
「ステパンチコヴォ村とその住人」(脚本:下原敏彦)参加者による口演
第72回「大阪読書会」は、2023年5月26 日(金)
時間 14:00〜16:00 作品『主婦』第2部
会場 東大阪ローカル記者クラブ
4月読書会
作 品 「ポルズンコフ」
報告者 西村泰一さん
清水正氏は、自著『ドストエフスキー初期作品の世界』(沖積舎1988)で次のように述べています。
ポルズンコフは、いってみれば頽落世界化を免れたゴリャートキンである。
『ポルズンコフ』をめぐって (編集室)
(中村健之介編訳『ドストエフスキー 写真と記録』)
★ネクラーソフのツルゲーネフ宛ての手紙 1847年4月25日
我々は『現代人』の第十号あるいは十一号の付録として、韻文と散文の、あまり長くないユーモラスな作品を蒐めた『絵入り文集』を出すことにしました…ところで、この文集に載せる予定で、ゴンチャローフとドストエフスキーに小品を依頼しました…
(※この小品が、すなわち『ポルズンコフ』、この文集は一度は検閲を通ったが、結局発行中止になった)
★ドストエフスキーの兄ミハイル宛の手紙 1847年4月
文学の世界へ入ってもう足かけ3年になるわけですが、ぼくはまるでガス中毒になったみたいに頭がボーとしたままです。周囲の生活も目に入らず、われに返る暇もありません。時間がないため、勉強は後回しになります。しっかりした基礎を作りたい気持です。危うい名声だけは頂戴しましたが、いつまでこの地獄が続くのやら、検討もつきません。貧乏暮らしと期限付きの仕事、ああ、のんびり出来たらどんなに有りがたいことか!
2月読書会報告 2023年2月11日(土)
8名の参加がありました。
★ナポレオンとの類似が論点の一つになりました。世界と人間を支配したいという極端な権力欲に囚われたナポレオン。かたや、役所が無くなったら、生活に困るという極端な生活恐怖から金銭に囚われているプロハルチン氏。はたして両者は似ているのか。
★赤い紙きれの謎:よってたかって切り刻まれた蒲団から最後に出てきた一枚の赤い紙きれ、これはいったい何だったのか? 推理:これは主婦が預かっていたプロハルチン氏の旅券では?。プロハルチン氏の失踪後、無くなっていたとわかって主婦は大騒ぎしていた。
寄 稿
「わたしの世界」と「プロハルチン氏」
下原康子
孫の傍らで、ユーチューブから流れる児童合唱団の歌を、それとなく聞いていたときのことです。奇妙な歌詞が耳に飛び込んできました。画面に目をやるとパステルカラーのかわいい絵。青い空、緑の山脈、お花畑。その中で横並びになった8人の子どもたちが、小首をかしげながら歌っています。両手両足が隠れているので、つくしんぼが歌っているようです。
私の世界
世界じゅうの敵に降参さ
戦う意思はない
世界じゅうの人の幸せを 祈ります
世界の誰の邪魔もしません
静かにしてます
世界の中の小さな場所だけ あればいい
おかしいですか?
人はそれぞれ違うでしょ?
でしょ でしょ でしょ?
だからお願いかかわらないで
そっとしといてくださいな
だからお願いかかわらないで
私のことはほっといて
かわいい歌声と一瞬ぎょっとする歌詞のミスマッチに思わず釘付けになりました。なんという、子どもらしからぬ歌詞!ウクライナや難民の子どもたちが頭をよぎりました。
やがて、次の歌になりました。それが、わざとのように「世界に一つだけの花」。「ナンバーワンにならなくてもいい〜 もともと特別なオンリーワン〜」というスマップで大ヒットしたあの歌です。画面は、パステルカラーのお花畑、青い空、横並びの子どもたち。かわいい歌声も「私の世界」とおんなじです。違うのはこどもたちがつくしんぼではなくて、色とりどりの衣装を着たいろんな国の子どもたちであること。そしてみんな手をつないでいること。
「私の世界」は「世界に一つだけの花」のパロディーのようです。
私は、また、『貧しき人々』からはじまるドストエフスキーの初期作品の主人公たちを連想しました。ジェーヴシキン、ゴリャートキン、プロハルチン氏。「私の世界」は彼らの世界とそっくりではないでしょうか。とはいえ、彼らはやがて「地下室人の手記」や「罪と罰」の主人公へと変貌していくのです・・・
連 載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第106回)『予備校空間のドストエフスキイ−学びと創造の場、その伝達のドラマ−』
(芦川進一著 河合文化教育研究所 2022年11月刊行)ご紹介/書評
福井勝也
尊敬する在野のドストエフスキー研究者、芦川進一さんが今秋に新著を発刊された。これまでに『隕(お)ちた「苦(にが)艾(よもぎ)」の星−ドストエフスキイと福沢諭吉』(1997)、『「罪と罰」における復活−ドストエフスキイと聖書』(2007)、『ゴルゴタへの道−ドストエフスキイと十人の日本人』(2011)、『カラマーゾフの兄弟論−砕かれし魂の記録』(2016)を、ほぼ二十年をかけて刊行してこられた。どの著作も、筆者の魂の必然を順に辿ったもので、発刊の成り行きには全く無駄が感じられない。これ自体、芦川氏が本物の思想家であることを証明している。
これまでの思索の到達点が、ご本人も述べておられる『カラマーゾフの兄弟論』であったことは確かだろう。その点で本著は、今までの発刊の流れとはやや異なったものと言える。その経緯と意図については、ご本人も「まえがき」で触れられていて「この年齢になって初めて見えてくることも多く、改めて溜息が出ると共に、この世界に向かう意欲を掻き立てられる日々である」。とも書かれている。主要著書の刊行が一段落し、一息つかれたタイミングが窺える。そしてその思いが、足元の仕事場「予備校空間」に向かい、教え子の若者たちとのドストエフスキーを介した「様々な問いと出会い」の記録に纏められ、本書第一部の文集「予備校graffiti−私が出会った青春−」となった。
そしてその場を提供したのが、河合文化教育研究所の「ドストエフスキイ研究会」であった。時期的にはバブル期の頂点たる一九八〇年代半ばから三〇余年間に亘り、若者たちがドストエフスキーと如何なる出会いをしたのか、延べ六十人もの報告が綴られている。その全体は六章に分けられ、各章の終わりには「余録」欄もあって、若者たちのエピソードへの筆者の考察が記されている。芦川氏は、第一部の意図について「このことによって、日本の若者たちが如何にドストエフスキイと出会い、また如何にその世界を理解して行ったかが具体的に知られると共に、ドストエフスキイが如何なる問題を扱い、その作品構造と内容が如何なるものであるかについても、ある程度浮き彫りになるのではないかと思う」。と同じ「まえがき」で語っておられる。
実は、この第一部「予備校graffiti」がカバーする約三十年間には、自分自身にも生活をしながらドストエフスキーを読み続けてきた同じ時間があった。あたりまえなことを書いているわけだが、今回多くの若者たちの報告を読ませて頂いて、その自身の年月を振り返りながら、一つ一つのエピソードに込められた青春の真実(そのプラスもマイナスも)に改めて学ばされる思いがした。同時代をこんなに真剣に生きた多くの若者たちがいたことに、何か救われる思いがした。その感慨は、芦川氏が選ばれた、まさにドストエフスキーの作品(『夏象冬記』・『罪と罰』・『カラマーゾフの兄弟』の三作、氏は特に『夏象冬記』を推す)を間にした学びの成果としてもたらされた。芦川氏は、本書刊行後の紹介文(『読書会通信195号』)では、「予備校graffiti」の若者たちの意図を探りながら、さらに「私は本書を、若者たちの純朴な眼と心を介した新たな一つのドストエフスキイ論」であるとの印象的な感想を述べておられる。この指摘に関連し、近頃は余り聞くことがなくなった「ドストエフスキー体験」という言葉を使いたくなった。当方が日本人のドストエフスキー受容のキイワードと考えてきた表現である。本書でも要所に発見される言葉だが、今回の「予備校graffiti」は現代の若者たちの語る、まさに「ドストエフスキー体験」が綴られた貴重な報告集であると感じた。
さらに、本書を紹介するうえでは、もう一つの大切な前提に触れておくべきだろう。それはこれまでの芦川氏の研究が、ドストエフスキーの文学とは、聖書精読に基づくイエス論の探求だとの理解に貫かれていて、それが厳密なテキスト論(ドストエフスキー作品と聖書に関する)として強い説得力をもって語られてきたことである。
そして第一部「予備校graffiti」の若者たちの報告も、多くがその問題を鏡にしたからこそ、あの時代の本質について的確な証言が映し出されたのだと思う。芦川氏は、上記『読書会通信』の文章の続きで、「更にはドストエフスキイと聖書とを繋ぐ作業を自然かつ積極的に試みる若者たちの誕生のドラマ、言い換えれば新しいドストエフスキイ世代が生まれつつあることの報告書として読んで頂けるのではないかと思っています」。と紹介している。ここには併せ付け加えておくべき、もう一つの眼目になるメッセージが記されている。
次に、第二部「「絶対のリアリティ」の探求−様々な問いとの出会い」では、芦川氏自身の祖父の死に纏わる出来事に始まり、恩師小出次雄氏との出会い、静岡県三島から東京へ浪人生としての出郷、日本の高度経済成長期の大学紛争下での生活、それらがやがて「ドストエフスキー体験」と重なる経過が語られる。言わば、それは第一部の「予備校graffiti」のご自身版であり、あからさまな自伝的内容の告白を含んでいる。その意味では、第一部と第二部は、教師とその教え子との響き合う魂の青春記録であることが分かる。
さらにそこには、もう一人の師がクローズアップされてくる。すなわち、その芦川氏の聖書との出会い、ドストエフスキー専門研究の選択、それらにさらに重ねられる「ドストエフスキー体験」。その際に決定的な導き手となったのが、恩師の小出次雄氏(1901−1990)の存在であった。この観点からすれば、第二部の主人公は確かに芦川進一氏自身であるが、同時に小出次雄氏でもあった。そんな小出氏も、哲学者西田幾多郎氏(1870−1945)の門下生であり、在野のキリスト者の思想家として、神の「絶対のリアリティ」を生涯求めた求道者であった。
ここでまた、前述の『読書会通信』で芦川氏が本書を語る言葉を引用させてもらおう。「ドストエフスキイに於ける聖書の重要性は広く知られた事実です。ところが日本ではこの角度からの本格的アプローチは少なく、ドストエフスキイ論や作品の翻訳に於ける聖書・宗教関係の誤読・誤訳は今も絶えません。しかし西田哲学の最後の作品『場所的論理と宗教的世界観』(1946年、発刊年は福井が付記)の結論部が『カラマーゾフの兄弟』とイエスとの対決であることから始まり、続く小出宗教哲学が提示するに至った『ゴルゴタ論』(1949年・1984年、執筆年と発刊年は福井)もドストエフスキイとイエス像の一貫した探求の上に立つものであり、更に小林秀雄による一連のドストエフスキイ論の頂点たる『白痴論』(1964年、単行本発刊年は福井)も、ゴルゴタに向かうイエスの絶対美の賛美です。日本のドストエフスキイ受容史に於いて、キリスト教に対する島国的精神の狭小さという主潮流の中で、ドストエフスキイと聖書に向ける鋭利な眼も、確たる一水脈として存在し続けたと言うべきでしょう」。
そもそも、この第二部「「絶対のリアリティ」の探求」は、『ゴルゴタへの道』(2011)の出版がきっかけで、2014年7月に「日本宗教思想史研究会」で筆者の行った講演が元になっていた。さらに6年後の2020年にその内容が一部修正され、HP「ドストエフスキイ研究会便り」に掲載された。それらの経緯を順に説明する言葉に続けて、本著に到り着くまでの筆者の心境の変化が次のように吐露される。ここで第二部の執筆意図の深層が明らかになる。
これら二つの段階を踏む中で、私は自分の過去に向ける視線が少なからず変化をしていることに気づき驚かされた。変わったのは過去の事実自体ではない。それらの事実を振り返り構成する私の視線である。私の視線には自分を超えて、自分を包んでいた大きな摂理・経綸が新たに浮かび上がって来るように思われたのだ。つまり私の祖父の死を遠い出発点とするドストエフスキイとの出会いは、恩師小出先生との出会いよってもたらされたのだが、その奥には小出先生と恩師西田幾多郎先生との出会いがあり、更にその奥には、これら小出・西田両先生とドストエフスキイとの出会いがあったこと、またその遙か向こうにはドストエフスキイとイエスとの出会いがあったことに気づかされたのだ。自分の存在は自分が創るもののように思われて、実は自分を超えた時空の深い奥行きと、様々な先哲との出会いという文脈の内に取り込まれてあること、この不思議に気づかされたのである。このことは更に私に、私が主宰してきたドストエフスキイ研究会が根を張る奥行き・文脈についても考えさせずにはいなかった。私とドストエフスキイとの出会いは、そのまま河合塾と河合文化教育研究所を含む近代日本とドストエフスキイとの出会いの一コマであることに気づかされたのである。(本書p.172)
やや引用が長くなってしまったが、ここには芦川氏の主著『カラマーゾフの兄弟論』(2016)が書かれて後、氏が今日までに到達した澄んだ心境が明らかにされている。本著は、その成果として生まれたものだろう。そしてその誕生にあたって、重要な役割を果たした関連の著作が、「ドストエフスキイと十人の日本人」という副題の付いた『ゴルゴタへの道』(2011)であった。先述の「確たる一水脈として存在し続けた」西田幾多郎、小出次雄、小林秀雄とは、その日本人十人中の重要人物の三人であったと思う。芦川氏にとっては、彼らこそ「時を超えて響き合う魂」であった。そして芦川氏も、確かにこの系譜のうちにある。
当方今回本書を読みながら、この三人の業績を改めて再確認したくなり『ゴルゴタへの道』を再読させてもらった。そのなかで特に、共通して三人が最後に対峙した『カラマーゾフの兄弟』の大審問官物語、その結末の「イエスの接吻」について、各々が真剣に肉薄する論理追求の美事さに改めて感服させられた。そしてそのことを彼らに可能にしたものこそ、単なる相対的な学問的真理の追求とは異なる、自身の魂の問題としての「「絶対のリアリティ」の探求」であった。
ここで、自分にとって本著が大切な意味をもった内容を含んでいることに触れておきたい。それは、当方が現在ベルクソンの哲学を読み続けていることに関係している。特に、最近ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』(1936)とドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(1880)の本質的な関係性について思うことがあった。そして今回、芦川氏がドストエフスキーを生涯の研究対象に絞られる経過にあって、ベルクソンを通過されてきたことを改めて知らされた(本書p.205など)。さらには、芦川氏に強い影響を与えた西田幾多郎、小出次雄、小林秀雄の三人の先達たちが、やはりベルクソンの影響下にあったことを『ゴルゴタへの道』を再読して気づかされた。まさにそれが集約的に現れたのが、前述『カラマーゾフの兄弟』大審問官物語の「イエスの接吻」に関する各々の論理追求による肯定的理解であると感じた。ここでのベルクソンの『二源泉』の影響は、三人とも半端なものでないものに見える。以前から小林のドストエフスキー論には、そのベースとしてのベルクソン哲学があると感じてきた。今回はまず、西田幾多郎の遺作「場所的論理と宗教的世界観」(1946)の後半に強く打ち出された「内在的超越」としての「絶対愛」「真に弁証法的なる神」に注目させられた。それにドストエフスキー「大審問官物語のイエス」を重ねる西田の論じ方こそ、『二源泉』で「開かれた宗教」「動的宗教」についてベルクソンが説いた「神秘家(特権的な魂)」の「イエス」の姿であったと思う。
そして師と仰ぐ小出次雄氏の論考を要約する芦川氏の下記の表現にもベルクソンの『二源泉』が確かに活かされていると感じた。それは西田の論を出発点としながら、それを発展させた小出氏の議論を芦川氏が敷衍する貴重な文章として読んだ。
ユダ的罪業の根の絶たれた後に、新たに人間の内に君臨するに到ったイエスとは、小出によれば、人間を更なる深き神認識へと促すイエスである。つまり我々人間はこの新しい生においてなお新たなる「イエス像の形成」を図り、更なる神認識を求め続けるべく呼びかけられているのだ。この「イエス像の形成」を介した徹底的な一連の神探求の過程(ドラマ)が、小出の言う「イエス禅」である。この「循環(ジル)論法(ケル)」の内を生きて回転するところ、言い換えれば、何度も何度も繰り返しユダ的運命を担い、身を以ってイエス像を構成し、そこから自らの神像を掴むべく苦闘するところ、つまり「イエス禅」に身を投げ出すところに我々人間の「生命の健康態」があり、「溌剌たる生現象」があるのだ。
(『ゴルゴタへの道』第二部、第一章 3 西田から小出へ、イエス像の構成−
「イエス禅」、活きた「循環(ジル)論法(ケル)」−p.127)
本書で芦川氏は、この三人について、第二部《後半》のほぼ最終部6の末尾「西田・小林・小出、「絶対のリアリティ」探求の行く先」において、下記のように結論づけておられる。「これら三人はそれぞれがドストエフスキイに導かれ、それぞれが厳しい「ゴルゴタへの道」を辿った末に、それぞれが神の「絶対のリアリティ」と、イエスの十字架の「絶対のリアリティ」に行き当たったのです」(本書p.239)。
恐らく、この三人各々の「絶対のリアリティ」に到る過程において、ベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』が力を貸したものと推測される。特に、芦川氏の恩師小出氏の前掲文章では「イエス禅」といった如何にも日本人らしい実践のかたちが述べられているが、その内実としては「「循環(ジル)論法(ケル)」の内を生きて回転するところ」に「人間の「生命の健康態」があり、「溌剌たる生現象」がある」と結論しておられる。ここには、ベルクソンの物質的傾向と生命的傾向の相克としての神的宇宙論、その流動する生命哲学に通ずるものを感じる。
さらに本項末尾で芦川氏は、本書の元になった講演企画者の言葉を含む「人間が陥った終末論的危機への究極の解決策を、ドストエフスキイは「イエスがその命を賭した「ゴルゴタへの道」に見出そうとした」」との文章を高く評価している(本書p.240)。
それは『二源泉』末尾のフレーズ、人類への「遺言」に通ずるもので、その結語を書くためにベルクソンが『二源泉』で示した哲学的叙述の内容に重なるもののように思える。そのことは、第一次世界大戦の悲惨を経験したベルクソン自身が、「人類が陥った終末論的危機への究極の解決策」をドストエフスキーと同じように真に模索したからであったろう。
今年は、よりによってドストエフスキーが「血肉」を分けたロシアとウクライナの戦争が勃発し、その停戦の兆しさえ見えずに越年しようとしている。さらに核戦争の人類的な危機さえ切迫している。このような時期に刊行された本著は、ドストエフスキーに係わる者たちに、今改めてその向かうべき道の辿り方を示唆していると強く感じた。 (2022.11.28)
*今回の掲載文は、既に本通信(195号)でも紹介された芦川進一氏新著の「書評」である。本内容は、元々今春発行の会誌『広場32号』のために昨年中に起稿したものであった。同誌の発刊時期との関係もあり、今号通信(197号)に掲載するに到った。芦川氏とは、本文執筆にあたり、読書会を通じて貴重な遣り取りを頂いた。改めて謝意を表しておきたい。(2023.3.25)
寄 稿
ドストエフスキー初期作品コント集
脚色: 庵 敦吾
ドストエフスキ―が現代にいたら、売れっ子のコント作家になっていたかも。初期作品を再読するたび、そう思う。テレビで落語ザムービーという番組をみていたら、この作品をコントに書き変えてみたくなった。原作は、ところどころに笑えるオチをいくつもしかけてあるが、脚色で、それを生かすことは難しかった。
第一話 浮気妻と三人の間抜けな男
(米川正夫訳『人妻と寝台の下の夫』)
【登場人物】
●洗い熊の外套を着た紳士
●裾長の外套を着た青年
●ノッポの美男子
●浮気妻
ペテルブルグの往来、時刻は晩の7時を過ぎたばかり、通りは家路に急ぐ人々でにぎわっている。そんな宵の雑踏の中、あるアパートの前を裾長の毛皮外套を着た青年が、行きつ戻りつしていた。
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のなんとやら――青年は こんな風情でもある。
突然、人混みから洗い熊の紳士、現れて、いきなり裾長の毛皮外套の青年に声をかけた。
紳士「あなた 恐れ入りますが、ちょっとおたずねします」
青年はびくりとして立ち止まった。「えっ! ぼくですか」
紳士「おどろかせて、ごめんなさい」
紳士はあやまると、揉み手をしながらもたどたどしく話しかけた。
紳士「しかし、わたしは…どうも、まったく、なんと申したらいいか…あなたはたぶん、わたしの失礼をゆるしてくださることと思いますが、ごらんのとおり、私はいくぶん取り乱しておりますので…」
青年「いったい、なんのことでしょう…?」
紳士「いや、とんだお手間をとらせて申し訳ありません。もういいんです、もう」
青年「え ? でも、しかし、失礼ですが…なんでしょう。呼びとめておいてー」
「あのー」青年、呼びとめるが、紳士足早に逃げ去る。青年 舌打ちする。
青年「なんだ、妙なオッサンだ…」つぶやく。
青年、ぶらぶらと歩きだす。突然、またしても洗い熊の紳士現れる。
紳士「さきほどは、ごめんなさい!」
青年「な、なんなんです。さっきの、あなたじゃないですか ?! 」
紳士「たびたび、ごめんなさい。やっぱりお願いしょうと思います。さきほどは、あなたを高潔な人とみこんで、声をかけたのです」
青年「高潔、ですって! いやはや、ぼくはそんな人間かどうかわかりませんよ。ですが、もし、ぼくにできることでしたら… よろしい、おききしましょう。いったいどういったご用なのです ? 」
紳士「では、失礼を承知で、お尋ねします。あなたは、このへんで一人の婦人をみかけませんでしたか」
青年「ふじん ? 」
紳士「さよう、一人の婦人です」
青年「みましたよ。大勢通りますから。ほら、いまだって」
紳士「失礼、わたしの聞き方が悪かったです。わたしがお尋ねしたかったのは、キツネの毛皮外套を着た婦人です。黒っぽいビロードの頭巾をかぶって、黒のヴェールをたらした婦人です」
青年「そんな女の人は見かけませんでした…気がつきませんでしたよ」
紳士「ああ、そういうことでしたら、ごめんなさい」
紳士、またしても逃げるように立ち去る。
青年「なんなんだ、おちょくっているのか、あのオヤジ」
青年は、いまいましげに、つぶやいて、ふたたびぶらつきはじめた。塔の時計が8時を打った。青年、大声でひとりごと。
青年「8時か、どうして来ないのか ! 」
突然、またもや洗い熊の紳士、現れる。
紳士「ごめんなさい」
青年「や、や、またしてもあなたですか ! 」
紳士「失礼! わたしは、またまたやってきました。参上いたしましたでございます」
青年「いったいなんなんです ? ぼくに用事があるなら、早くいってください。さっきからぼくの周りをうろちょろして、なにか用事があるのですか。あなたがどうして、ぼくのまわりをうろちょろするか知りませんが、いったいぜんたい失礼じゃないですか。話しかけては、トンずらするなんて」
紳士「そうです。その通りです。わかっています。お若い人、あなたの腹立ちはごもっともです。実は用事があるんです。なに、大した用事じゃないんですが、あなた、さっきからこの辺をぶらぶらしていらっしゃる。それををみかけたものですから」
青年 「な、なんですって ! じゃあ、ぼくのことを、さっきから見張ってたわけですか ?! 」
紳士「とんでもない、たまたま目にしたものでして。ほら、よく言うではないですか、袖振れあうもなんとやらと、アレですよ。なんどかお見かけしたので、すっかり以前からの知り合い。そんな気持ちになってしまったんです。それで、お近づきになりたいと思い、ついつい声をおかけしたというしだいです」
青年「かってにみこまれては、迷惑千万です」
紳士「無理もありません、わたしでも、腹を立てます。お気持ちを害したおわびに、一切合財お話します。さきほどもお話したように、わたしはある婦人を探しているんです。お若い人には、興味ないことと思いますが…」
青年「どんな理由からです。その婦人は、だれなんです」
紳士「良家の婦人で、親友の奥さんなんです。その親友から探してくれるよう頼まれているんです。わたし自身は家庭はもっていないんですが、親友の心配はわかります」
青年「ぼくだってそれくらいは、わかります。で、――見当はついているんですか。どこにいったか」
紳士「もしかしたら、この建物に入ったかもしれません。あなたご存じないですか」
青年「ここにだれが住んでいるかと、わたしにおたずねになるんですね ? 」
紳士「そうです。あなたならご存知とおもいました。だって、さっきから、このアパートの前をいったりきたりしていらっしゃるから」
青年「ここにはソフィヤ・オスターフィエヴナも住んでいます」
紳士「そらね、やっぱりご存じだ」
青年「違います。ぼくは何も知りません。当て推量でいっただけです」
紳士「わたしは、その婦人が、この建物に出入りしているときいたんです。それで、てっきりソフィヤ・オスターフィエヴナのところだと思っていたんです」
青年「ちがうんですか ? 」
紳士「女中からきいたんですが、二人は知り合いじゃないとのことだ」
青年「お近づきじゃない ? 」
紳士「そう、お近づきじゃない」
青年「それなら婦人は、どこに。見当ついているんでしょ」
紳士「あ、ここでやめときます。お若い人には、こんな話面白くもなんともないですから」
青年「ああ、わかりました。わかりました。さっきからどうも妙だと思っていました。あなた、奥さんを探していらっしゃるんですね。つまり寝とられ亭主さんですよね」
紳士「お若い人、お見事です。寝とられ亭主、大当たりです。ですが、亭主は、わたしではありません。亭主は、わたしの親友で、いま、そこの橋の上に立ってわたしの報告をまっているのです」
青年「そうですか…」
紳士「お若い人。もしかしてあなたは情夫ですか」
青年「大当たりです。でも、あなたの奥さんの、ではありません。ご安心を」
紳士「あなたの奥さん!!ですって。わたしは独身者です。結婚なんかしてません」
青年「しかし、あなたはいいましたよ。橋の上に――」
紳士「それは言葉のまちがいです。亭主は、橋の上で報告を待っている親友です。そして、あなたに見かけたかとおたずねしたのは、その親友の奥さんです」
青年「あなたの奥さんではない ?」
紳士「お若い人、しっこいですな。違うといってるじゃないですか」
青年「いや、まあいいですよ。話がこんがらがってしまいましたが、どちらでも」
紳士「よくはないですよ。わたしは断じて亭主じゃない。独身者です」
青年「わかりました。ご本人がそうおっしゃるんだから、そうでしょう。正真正銘の独身者でしょう。なんの縁もないぼくに夫婦を否定する夫などいませんから」
紳士「そうでしょう。その通りです。やっと信じてくれましたか」
青年「もう向こうへいってください。じつをいうと、ぼくも人を待っているんです。独身者だの亭主だのと争ってる場合じゃないんです。なんの縁もない人の相手している暇はないのです。時間の無駄です」
紳士「わかりました。離れましょう。わたしだって、それくらいなことはかりますお若い人。さようなら、またお会いする日まで」
青年「もういいです。もう結構です」
紳士「じゃ、さようなら。おじゃましました」
青年 (独り言)「とっとと消えろ、洗い熊め。消えてなくなれ」
紳士、人混みにまぎれるが、すぐにもどってくる。
紳士「またまた、戻ってきましたよ」
青年「なんなんだ」
紳士「実は、わたしも情夫なんです」
青年「いやはや、やっぱり妙だとおもいました」
紳士「でも誤解なさらんでほしい。わたしが、いまさがしているのは、橋のうえでまっている親友の奥さんなんです。先生自分で現場を押さえたいんですが、はっきり決心がつかんのですよ…どこの亭主も同じことですが」
青年「そうですか…妻が行方不明なら、だれだって必死で探しますよね。あなたみたいに」
紳士「違います親友の奥さんです。その人が、ここに出入りしているときいてとんできたというわけなんです」
青年「わかりました、わかりました。もう勝手にさがしてください」
紳士「そうします、そうします。こんどはほんとにさようならです」
ひとごみのなかに去っていく紳士の背中にむかって。
青年「あなたの女は頭巾つきのキツネの外套来ているでしょう。ところがぼく方は格子稿のマントを着て、空色の帽子をかぶっているんです」
とたん紳士は、人ごみのなかから引き返してくると、大声でさけんだ。
紳士「空色のビロードの帽子だって ? あれも格子縞のマントをかぶっているんだ」
青年「え ?! なんだって、そうか、やっぱり、そういうことか。しかし、あの人は、あんなところに出入りはしない」
紳士「その女はどこにいるんです。あなたの愛人は。ここにいるんじゃあないんですか」
青年「あなたはそんなことが知りたいんですか、それをきいてどうしょうというのですか」
紳士「どうするもこうも…親友の妻は3階の知人のところにきてるんです」
青年「へんですね。ぼくの女も、このアパートの3階の知人の家にきているんです。ほら、
あそこの窓が表の方をむいている。あの家です」
青年「そうですか…いったい、あそこにいるのはだれなんですか」
紳士「わたしの知人ですよ」
青年「あなたは盲目なんですか。ぼくですよ。知人じゃありません」
紳士「そうですか、同じ階に。わたしも3階に知人がいるんです。窓が表むきの家です。将
軍が住んでいるんです」
青年「将軍ですって ?! 」
紳士「そうです、将軍です」
青年「へえ! それはちがいます。ちがいます!」
紳士「なぜですか? なぜちがうとおっしゃるのですか」
青年「ぼくの女は3階の知人のところにきてるんです」
紳士「わたしはわかります。将軍は、もう三週間前に引っ越しています」
青年「では、あそこにはだれいるんです? あなたはさっき知人がいるとかなんとかおっしゃってましたが、」
紳士「まちがえました。将軍のあと、美男の青年が借りたそうです。女中から聞きました」
青年「そうあなたの奥さんはそこに。それであなたは心配で、うろちょろしてるんですね」
紳士「ちがいます、ちがいます。わたしのではありません。親友の奥さんです。わたしは友情から心配で、心配で」
青年「ちぇ、あなたの心配なんてぼくの知ったことか」
紳士「なにね、きみの目からみたら、妻に浮気された亭主は、だれもかれもみんなおめでたいやつなんでしょうよ」
青年「おや、おやばれましたね。やっぱりあなたがご亭主です。橋の上にはだれもいやしないんでしょ。白状なさい」
3階の部屋のドアが開いてノッポの美男の青年と婦人がでてきた。紳士は隠れる。
ノッポの美男子「馬車を呼んでくるから、ちょっと待って」
青年「いまここにあなたといっしょにいたのはだれです」
婦人「うちの主人ですわ。いま将軍さまのところに挨拶に」
青年「将軍は、3週間前に引っ越しています」
婦人「そうなんです。お引っ越し知らなかったもので、知らない若い人が住んでいて、よくしていただきましたわ。けど、そんなことあなた、どなたに」
青年「あなたのご主人に、ですよ。ほらそこに隠れている」
婦人「あなた、わざわざお迎えにきてくださったのね。あなた、みなさんにお礼をいって」
紳士「みなさんありがとうございました。知巳の栄を得て、大いに大いに愉快でした」
夫婦は、何事もなかったように去っていく。
<完>
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