ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.196 発行:2023.2.1
読書会のお知らせ
月 日 : 2023年2月11日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
時 間 : 午後2時00分 〜 4時45分
テーマ : 「プロハルチン氏」朗読と感想トーク
会場費 : 1000円(学生500円)
☆4月読書会は、2023年4月15日(土)開催予定です。
東京芸術劇場小5 会議室14:00〜16:45
「私の好きなドストエフスキーの初期作品」
☆第71回「大阪読書会」は、2023年3月27日(月)
東大阪ローカル記者クラブ 14:00〜16:00
作品『主婦』第T部
【お願い】
会場では姓名と連絡先(電話番号)の記入をお願いしています。参加される方は、検温と体調管理を。発言・朗読の際にもマスク着用が必須です。
2023年 本年もよろしくお願いします。
令和5年の初詣で、三つのお願いをしました。
一、健康で元気に過ごせますように。
二、世界が平和になりますように。
三、コロナ感染拡大で読書会が中止になりませんように。
2023年2月読書会について
長編が名作ぞろいのドストエフスキ―作品だけに、初期の短編作品は軽視されがちである。いっそ長編だけにしたらどうか。そんな助言や意見も寄せられる。ふつうの読書会なら、それも有りだと思う。だが、わが読書会は、ドストエフスキー、その人のみの作品を読む「全作品を読む会」と銘打った読書会である。初期作品には、駄作で、読むに値しない作品と思われる作品もあるかもしれない。しかし、どんな立派な大木も、もとから大木だったわけではない。童謡「お山の杉の子」のように貧弱でいつでもみんなの笑い者だった時もある。ドストエフスキー理解のためにも、初期作品を読む意義はあるのではないか。
2023年初の読書会では、「プロハルチン氏」の朗読とトークを行います。
コロナウイルスによるパンデミック3年目、ロシアのウクライナ侵攻から1年、中国の台湾有事の不安。世界中が平和と幸福の連帯を求めている、そんなときに吝嗇で自己中心で自分以外の人間は愛せない「プロハルチン氏」を読むことになったのは、偶然の必然のような気がします。
プロハルチン氏をめぐって
資料@ 初期作品目録
「ドストエフスキー人物事典」中村健之介訳 朝日選書
1846年
10月 「プロハルチン氏」
1847年
1月「九通の手紙から成る長編小説」(祖国雑報)
4月〜6月「ペテルブルグ年代記」(ペテルブルグ報知)
10月〜12月「女あるじ」(祖国雑報)
1848年
1月「他人の女房」(祖国雑報)
2月「かよわい心」(祖国雑報)
「ポルズンコフ」発行停止
4月「正直な泥棒」『(祖国雑報)』
5月 (批評家べリンスキー死去)
9月「ヨールカ祭りと結婚式」(祖国雑報)
12月「他人の女房とベットの下の亭主」『(祖国雑報)
12月「白夜」『(祖国雑報)
1849年
1月〜2月「ネートチカ・ネズワーノワ」最初の部分(祖国雑報)
4月23日 (ペトラシェフスキー事件で逮捕。逮捕者34人)
5月「ネートチカ・ネズワーノワ」「祖国雑報」未完
資料A 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集』より
1846年4月1日の手紙 兄ミハイル宛
(べリンスキイの温泉療養の財政支持のため文集を発行すると書いている)
わたしはそのために、二つの小説を書いています。1.「剃り落とされた頬ひげ」2.「廃止されたお役所の話」――二つとも魂を震撼するような悲劇的興味を有し、しかも保証しますが、このうえ不可能というほど圧縮されたものです。
※「廃止されたお役所の話」というのが、「プロハルチン氏」のことである。
【あらすじ】小役人のプロハルチン氏は、無智で吝嗇漢の変人。勤めている役所が廃止されるとからかわれことを真に受けて食うものも食わずに貯蓄して、最後には発狂して死ぬ。
登場人物(下宿人たち)
ウスチニヤ・フョードロヴナ 女家主
マルク・イヴァーノヴィチ 聡明で博識
オプレヴァーニエフ 聡明で博識
プレボロヴェンコ つつましく善良な人間
ジノーヴィイ・ブロコーフィチ 上流階級を目指している。
オケアーノフ 書記
スジビン 書記
カンタリョフ 雑階級
他2〜3名
プロハルチン氏とはいかなる人物か?
米川正夫は、以下のような解釈を提示している。
『ドストエーフスキイ全集別巻:ドストエーフスキイ研究』
・父親をイメージした?
いったいこの吝嗇のテーマが、どうしてドストエーフスキイの頭に浮かんだのだろう?もしこんな想像が許されるとすれば、彼は、自分の父親のことを念頭においていたのではあるまいか?彼の父親がはたして吝嗇漢であったかどうか明らかでないが、ドストエーフスキイ自身がそう感じていたことは、間違いなさそうである。
・プーシキンの『吝嗇の騎士』剽窃?
プーシキンの詩劇『吝嗇の騎士』も、この際、重要な役割をつとめていることは、疑いをいれない。『吝嗇の騎士』とプロハルチン氏との違いの根本的な相違は、前者が「われはこれにて足ろうなり」という、明確に意識されたモチーフの上に、傲然と立っているのに反して、後者の富の蓄積の動機が、ゆえ知らぬ不安から発していることである。
・プロハルチン氏の罪とは?
自分以外の存在は眼中になく、またしたがって、他人に対する愛などという感情は、みじんも持ち合わせていない。
・プロハルチン氏とナポレオン?
米川氏は、この作品で最も重要なこととして下宿人の一人であるマルクの言ったことに注目している。それは、この哀れな乞食同然のプロハルチン氏を、英雄ナポレオンに譬えたことである。「いったいぜんたいあんたは何者なんだね?ふん、無一文の裸一貫だ。いったい何かね。あんたはこの世に一人で生きているのかね?いったいこの世はあんたのためにつくられたのかね?いったいあんたはナポレオンか何かでもあるのかね?さあ、あんたは何者だ?だれだ?ナポレオンなのかね?ナポレオンか、そうでないのか、さあ、いいなさい。ナポレオンか、そうでないのか?」
「この取るにも足らぬ小役人とナポレオンとの間に、そもそもどんな関連があるのだろう?」米川氏は、この疑問に対して「ドストエーフスキイは、他人など眼中になく、ただ自己中心の生き方をしているという点で、プロハルチン氏とナポレオンの類似を持ち出したものと想像される」と述べている。
資料B 発表当時の『プロハルチン氏』評
典拠:『ドストエフスキー写真と記録』論創社 中村健之介訳
ドストエフスキーから兄ミハイルへ(1846年9月17日)
『プロハルチン氏』は例の所(検閲)でひどい片輪にされてしまいました。例の所の旦那方ときたら「官吏」という言葉まで禁止してしまいました。一体何のためにそんなことをしたのか、全然見当もつきません。そのままにしておいてもおよそ罪なき代物なのにあらゆる個所でその言葉を削ってしまいました。生き生きしたところがすっかり無くなってしまいました。残ったのは、ぼくが前にあなたに読んできかせたものの骨と皮ばかりです。これが自分の小説だと認めたくありません。
V・N・マイコフ (「1846年のロシア文学についての数言」)
…ここでドストエフスキ―氏の第3作である『プロハルチン氏』について数言費やさないわけにはいかない…我々は信じて疑わないのであるが、作者の描きたかったのは、プロハルチン氏が、度を越した倹約に全力を傾けて、ついに精魂つき果てる恐ろしい結末であるに違いない。その端的なまでの倹約は、自分の生活に保証がないことを思ううちにプロハルチン氏の内に募っていったものなのである…
V・G・べリンスキー
「祖国雑報第10号」にドストエフスキ―氏の第3作である中編「プロハルチン氏」が載っている。この作品はドストエフスキー氏の才能を崇拝していた者たちを一人残らず不快な驚きへ突きやった。そこには大いなる才能の存在を火花がきらめいてはいるが、そのきらめきは実に濃い闇に包まれているので、その光では読者は何一つはっきり見分けられないのである…我々に想像がつく限りでは、この奇妙な小説を生み出したものは、インスピレーションでも、自由で素朴な創造地からでもなく、何といったらよいのか、小賢しさともつかず、衒いともつかぬ何かである…ひょっとすると我々は間違っているかもしれない。しかし、それなら、どうしてこの作品はこんなわざとらしい、気どった、わけのわからぬものにならねばならなかったのか…
N・A・ドブロリューボフ
この男(プロハルチン氏)の性格は、打ちひしがれた人たちはすべてそうであるが、臆病ということである。この男はおのが哲学は易々と崩れるものではないと固く信じている。しかし、実際の世の中では、病気、火災、上司の意向による思いがけない解雇といったさまざまな不慮の災難が起こるということも、この男は見て知っている…自分の境遇が不安定で、保障されていないという考えが、この貧しい男の頭にこびりついて離れなくなっていくのである…。プロハルチンは事実、本物の自由思想家になったのだ。彼は単に自分の地位の安定を信じなくなったばかりではない。彼は、自分自身の従順な性格が変わらぬものであるということも信じなくなったのだ。
資料C 清水正著『ドストエフスキー初期作品の世界』沖積舎 1988
目次
T.『貧しき人々』の多視点的考察
序 第一章〜第九章
U.意識空間内分裂者による『分身』解釈
序 第一章〜第十一章
V. 『プロハルチン氏』をめぐって
序『分身』から『プロハルチン氏』へ
第一章 『プロハルチン氏』の語り手の性格
第二章 プロハルチンの性格と生活様式
第三章 プロハルチンのてんかん病理的側面
第四章 プロハルチンの夢――その現存在の分析
第五章 プロハルチンの悲劇的結末
W.『おかみさん』の世界――胎内回帰とその挫折
第一章〜第九章
X.「道化が戯れに道化を論ずれば――『ポルズンコフ』を中心に
『弱い心』の運命
関係の破綻と現実還帰の試『正直な泥棒』『白夜』『他人の妻―』をめぐって
父親殺しと再生への途『ニュートチカ』について
死の家の記録
喜劇作者ドストエフスキ― 『おじさんの夢』を中心に
道化と許しの物語 ――『スチェパンチコヴォ村とその住人』について
本書は、初期作品を考察した数少ない論稿の一冊。その意味で極めて貴重な論考書といえる。出版を祝して、当時日本を代表する3人のロシア文学者、小沼文彦・江川卓・木下豊房が推薦稿をよせている。初期作品を読む意義を考える上で貴重と思われる。
【小沼文彦】
この作家の初期の作品は後期の大作に幻惑される余り、従来ともすればなおざりにされてきた傾向がありました。しかし初期作品には後期作品に盛られるこの作家ならではの要素がすべて含まれていることから見ても、それでよいはずはありません。先に「『罪と罰』の世界」でわれわれを瞠目させた清水正氏が、この関門としての独特な世界を解明してくれます。ドストエフスキーの愛読者たるもの決して見のがすわけにはいきますまい。
【江川 卓】
清水正さんは、いまの日本でドストエフスキーをいちばん突きつめて読んでいる一人です。今度、これまで私家版でしか出ていなかった初期作品論がまとまって出るとのことで、私自身、これらの論考にみずみずしい刺激を受けた日々を想起しています。とりわけ、『プロハルチン氏』に〈悪魔に魂を売った道化人形〉の原型を、『おかみさん』に〈胎内復帰願望〉を読みとった手ぎわは、清水さんの若々しい熱気と独創性を感じさせるものでした。
【木下豊房】
著者によれば、ドストエフスキーの文学は唯一絶対の《我》が崩壊し、意識空間内に分裂した我が織り成すディオニュソス的世界である。著者はバフチンのいわゆるポリフォニー論に示唆を受けつつ、これを作家・作品・読者(評家)の三者の構造に転位し、さらにはそれを著者自身の「ドストエフスキー体験」として根底的に自己に引き受けることによって、無数の視点がダイナミックに交錯し交響するディオニュソス的ドストエフスキ―論を見事に完成させた。
2022年12月2日(金)読書会報告
平日でしたが、10名の参加者がありました。
「私は、なぜドストエフスキーを読むか」というテーマで、全員参加のフリートークを行いました。久しぶりの懐かしい参加者もあり、各人各様のドストエフスキ―への思いが熱く語られました。3年ぶりに忘年会が開かれ、7名が参加しました。
連 載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第105回)渡辺京二氏追悼、「読書会著莪」主宰者A.Eさんを偲んで
福井勝也
令和五年の新しい年が明けた。プーチンが開始したロシアのウクライナ戦争は、もうすぐ一年になろうとしている。そして泥沼化する戦況は、東西冷戦期を更に遡り、世界政治を専制主義国家対民主主義国家の対立に単純化するイデオロギーの時代に逆戻りさせている。ドストエフスキーを長らく愛読してきた自分は、二項対立的にすべてを還元するイデオロギー的思考に元々組する者ではない。なんとなれば、ドストエフスキーこそ人類を分断する二項対立の枠組みに根本から異を唱えた地球規模の越境的文学者だと認識してきたからだ。その一端を昨年末の本欄では、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』を今日的二作の人類的遺著として論じさせてもらった。
しかしながら昨年、ドストエフスキーを汎スラブ主義のイデオローグさらには戦争賛美者とする真逆な言説まで流布されて面食らった。それらは、一方でプーチンによる戦時文化政策のプロパガンダを支え、他方でそれに対抗する側のイデオロギー的言説との応酬になって現出した。しかし元々、ドストエフスキーをこのような過激な民族主義者とする言説は、『作家の日記』の一部表現を曲解するドストエフスキー像として以前から根強くあった。
そして改めて今回この事実に触れようと思ったのは、本欄でも何回か紹介させて頂いた熊本在住の思想家渡辺京二氏が、昨年末(12/25)92歳(1930-2022)で逝去されたからであった。この場で心からの哀悼の意を捧げたい。渡辺氏は、その著書『ドストエフスキーの政治思想』(1973年初出論考、2012年『洋泉社新書』)で、作家に纏わる単純な好戦論や戦争賛美の浅薄なイメージを否定し、その底にある本質的な作家像について力説された(「通信」No.183〜185)。その要点になる文章を是非ここに再掲しておきたいと思う。
「近東戦争(露土戦争、注)論においてドストエフスキイは、対トルコ義戦という幻想に憑かれて行く民衆のうちに、彼らの意識においてかつて死に絶えたことのない幻、いわば共同性の夢想ともいうべき根元的な衝迫を見た。厖大な量の論説において、彼がほんとうにいいたかったのはこの一事だけだったといってよい。そのような民衆の幻を彼は正教という概念で言い表わそうとした。「ロシアの民衆の有する教会」を認めよというのが、彼が繰り返して倦まない根本的主張だった。ロシア民衆の教会とは何か。彼はおどろくべき言葉を口にする。「ここで私がいうのは、教会の建物でもなければ、教会につとめる僧侶でもなく、わがロシアの社会主義のことである」。だが、「ロシアの社会主義の究極の目的は、この地球が容れ得るかぎりの範囲内で、地上に実現される全民衆的・全宇宙的な教会なのである」。という彼の言葉に誤解の余地はない。むろんこれはキリスト教社会主義などという一定の政治的イデオロギー形態を意味しはしない。それは彼がよく口にする「人類の全世界的更新」、すなわち国家と市民社会を止揚する人間結合の、いわば夢想的な表現なのである。「社会的理想とは何か。できるだけ誤りのない、万人を満足させるような社会組織の公式を発見せんとする人間の希求である。人々はこの公式をしらない。人々は有史時代の六千年間これを求めているが、まだ発見することができないのである。蟻は自分の蟻塚の公式を知り、蜂はその蜂窩の公式を知っている。人はその公式をしらぬ」と、彼は暗鬱なおももちで語る。彼はロシアの正教の理想という「公式」を発見したと信じたのではない。それはいわば指標でありシンボルである。彼は民衆のうちに胎まれる幻にロシアの社会主義の根拠を見た。<中略>その幻に国家と市民社会に決してなじむことのない根元的な衝迫を見たからである。」(同新書、p.152−153)
渡辺氏がドストエフスキーの言葉を引用しながら、それをなぞるようにここで書いた文章を今こそ熟読すべきだと思う。氏が『作家の日記』から読み取ったものは、狭隘なイデオロギーなどではなく、作家の正真正銘の思想の言葉であった。それを渡辺氏は、ドストエフスキーの政治的思考が立脚せねばならなかったロシア民衆の歴史的伝統と、民衆のうちに胎まれる幻に注目することで、民衆の初原的な共同性の夢に依拠した政治思想として明らかにした。そして結局、ここでドストエフスキーが説いた内実は、「人類の全世界的更新」の一語に尽きるものでなかったか。つまり節足動物の到達した自足的な本能のあり方を顧みることで、作家は知性動物として行き詰まった人類進化の次の段階まで語ろうとしたのだった。それ自体、『創造的進化』(1907)で生物進化の真実を明らかにしたベルクソンの哲学的思索を連想させる。さらにそれを足場に、最後『道徳と宗教の二源泉』(1932)で人類進化の道筋を遺言した。それらは恰も、ドストエフスキーが『作家の日記』の思想を踏み台に、『カラマーゾフの兄弟』でその未来の希望を明らかにしたやり方に似ている。
果たして昨年2月にロシアのウクライナ侵攻により始まったスラブ民族同士の戦争を、最期渡辺氏はどのように見ておられたのだろうか。おそらくドストエフスキーと同様、深い悲嘆と共に未来人類への希望を失わずにおられたと思う。とにかく我々愛読者は、渡辺氏の明らかにしたドストエフスキーの真実を今の時代の人類にリレーするしかないだろう。
これまで渡辺京二氏に関して触れたので、氏を更に偲んで、昨年一年かけて多摩の読書会で通読(河出文庫版)した石牟礼道子氏の自伝小説『椿の海の記』(1976)について語っておきたい。『苦海浄土』の第一部が単行本(1969)として刊行され、その後に第二部(1970)、第三部(1972)の連載が開始されてゆく過程で、この『椿の海の記』の執筆も開始(1973)された。言わば、『椿の海の記』は『苦海浄土』とほぼ同時期に書かれた作品と言えよう。読了した今感じていることの一つに、石牟礼さんは『苦海浄土』で一躍有名になりすぎてしまい、そのイメージだけでは自分の本意は伝わらないと思うことがあり、併せて『椿の海の記』を刊行したのだろうということである。
本作の舞台は、元々一族の出身地である天草の島々、そしてその祖父が石工の統領として移住して来た土地、道子の幼少期頃(昭和初期)の水俣界隈ということになる。戦後に水俣病が発生する以前の、その豊かな山と海が瑞々しく描かれていて、対照的に『苦海浄土』の世界の悲惨が一層痛切に感じられて来る。すなわちこの土地の描写には、中世、古代まで遡る神話的な世界に通じた豊かなものが秘められている。同時に既にこの時期には、明治以降の急速な近代化(チッソ工場)も進展しており、途中何回かの戦争もあって、その時代の影響は人々の生活に深く及んでいた。いずれにしてもタイトルの、美しい「椿の海」に囲まれた土地の生活が、四歳頃の道子(「みっちん」)の眼を通して、その記憶の世界とは思えない程くっきりと本書に記録されてゆく。道子幼児期の言語習得とも重なっていて、眼前に開かれてゆく外界との接触を通した瑞々しい感覚世界が綴られる。ここには、他の近代文学者とは明らかに異質な石牟礼道子の記憶文学が見事に横たわっている。
実はこの作品世界を絶賛したのが、石牟礼道子(1927-2018)生涯の最期まで献身的な随伴者となった、他ならぬ渡辺京二氏であった。氏は本書について、「一読して私は打ちのめされた。これほどの圧倒的な傑作であったのか。彼女の代表作は何と言ってもまずは『苦海浄土』と言うことになるかも知れぬが、(‥‥)だが、人類滅亡の日に人類の創造物の精髄を集めたカプセルが作られ、どこかで永久保存させられ、ゲーテだってシェークスピアだって一作しか収納が許されないとすれば、石牟礼道子の場合その一作は『椿の海の記』でなければならぬと私は信じる。この作品についてまず言われねばならぬのは、石牟礼道子という魂のすべてが語られているということだろう。」(「『椿の海の記』讃」、渡辺京二著『預言の哀しみ』−石牟礼道子の宇宙Up.50-51所収、2018弦書房)とまで言い切っておられた。
確かに本書には、石牟礼道子という作家が、幼児期の自分<みっちんの魂>に戻って突然に語り出す場面が何度も出て来る。それは自分に、ドストエフスキーがシベリアの流刑地で思い出す幼児期の記憶を連想させた。そしてそれは、流刑地の監獄で出会った民衆の赤裸々な生が喚起する古代ロシアの民衆の初原的な共同性の夢に繋がっていると思った。同時に僕はそれらを、<みっちんの形而上学><石牟礼文学の言葉>として聴いた。
例えば、それは次のように語られる。「――人間てなぜ死ぬの、千年も万年も生きたいわ‥‥‥。 千年も万年もかかって、このように誰かの命と切れ目なく生まれ替って来たのにちがいない。それゆえ、数というものは数えられるもんじゃなか、と父親がいうのにちがいない。なぜしかし終わらないのか、とわたしは思う。数えられなくても、知らなくともよいから、終わってくれろ、と石の上でそのときおもっていた。青海苔におおわれた広い河原にも、その真ん中の石の上に、袂を抱いてかがみこんでいるわたしの肩先にも、川の底をながれてゆくおもかさま(みっちんの祖母だが、狂女。小説の中心人物:注)の上にも、夢の中の粉雪が、さらさらと渡って行った。 この世の成り立ちを紡いでいるものの気配を、春になるといつもわたしは感じていた。すこし成長してから、それは造物主とか、神とか天帝とか、妖精のようなものとか、いろいろ自分の感じているものに近い言葉のあることを知ったが、そのころ感じていた気配は、非常に年をとってはいるが、生ま生ましい楽天的なおじいさんの妖精のようなもので、自分といのちの切れていないなにものかだった」(同文庫、p.194-5)。その近くには、こんな文章もある。「ものをいいえぬ赤んぼの世界は、自分自身の形成がまだととのわぬゆえ、かえって世界というものの整わぬずうっと前の、ほのぐらい生命界と吸引しあっているのかもしれなかった。ものごころつくということは、そういう五官のはたらきが、外界に向いて開いてゆく過程をもいうのだろうけれども、人間というものになりつつある自分を意識するころになると、きっともうそういう根源の深い世界から、放れ落ちつつあるのにちがいなかった。 人の言葉を幾重につないだところで、人間同士の言葉でしかないという最初の認識が来た。草木やけものたちにはそれはおそらく通じない。無花果(いちじく)の実が熟れて地に落ちるさえ、熟しかたに微妙なちがいがあるように、あの深い未分化の世界と呼吸しあったまんま、しつらえられた字間の緯度をすこしづつふみはずし、人間はたったひとりでこの世に生まれ落ちて来て、大人になるほどに泣いたり舞うたりする。そのようなものたちをつくり出してくる生命界のみなもとを思っただけでも、言葉でこの世をあらわすことは、千年たっても万年たっても出来そうになかった」(同文庫、p.195-6)。
渡辺氏は、石牟礼さんの亡くなった年に二人の縁について、次のような感慨を書き残した。「私は故人のうちに、この世に生まれてイヤだ、さびしいとグズり泣きしている女の子、あまりに強烈な自我に恵まれたゆえに、常にまわりと葛藤せざるをえない女の子を認め、カワイソウニとずっと思っておりました。カワイソウニと思えばこそ、庇ってあげたかったのです」。(「藍正」2018年6月号掲載、石牟礼道子『魂の秘境から』所収、朝日文庫2022)
そして『椿の海の記』に再度戻れば、渡辺氏は文学者石牟礼道子のまれに見る才能を見事に評価してみせる。あえてこの文章を最後引用しようと思うのは、先述した渡辺氏がドストエフスキーの作家としての本質を見抜いた同じ眼力をここにも感じたからだ。一言で言えば、民衆の魂と一体化する天賦の才、そこから溢れ出る憑依的表現能力ではなかったか。
「日本人の農村漁村における基礎的な生のありようは、これまで学者や文学者によって外から観察されたのであり、その住民は「調査・研究」の客体的対象にすぎなかった(この直前で渡辺氏は、その例示に柳田国男や長塚節の著作をあげている:注)。ところが、彼らのうちのひとりの女性が、初めて彼らの生活と意識の内実を、ひとつの文学作品として表現した。学者や文学者、つまり近代知識人によって外からのぞきこまれ、あれこれと研究・論評されていたこの国の基層にある民が、私たちはこういう世界に生きているのですよと初めて自己表現した。『椿の海の記』はそういう画期的意識をもつ作品であって、だから私は石牟礼道子の作品からひとつ残せと強制されるならこれを選ぶというのだ」。
(前掲「『椿の海の記』讃」p.56、『預言の哀しみ』所収)
最後のスペースで、タイトルに掲げたもう一人の女性を追悼しておきたい。今まで書いてきた『椿の海の記』を昨年一年かけて一緒に読み終えた「読書会著莪」の主宰者であったA.Eさんである。昨年11月に急逝した彼女には、1993年11月からお世話になった。小森陽一講師のもと、どれだけの作品を毎月読んできたか分からない。最後に、石牟礼文学の代表作品を一緒に読了し歓び合えたのが何よりだった。深謝しつつ、ご冥福を祈る。(2023.1.14)
広 場
「青空文庫」で読むドストエフスキーを連想させる作品 (編集室)
「ドストエフスキー全作品を読む会HP」ではインターネットで公開されている「青空文庫」の中から、文中にドストエフスキーへの言及がある作品 /(言及がなくても) ドストエフスキーから影響を受けと思われる作品 /ドストエフスキーが影響を受けた(読んだ)と思われる作品をリンクしています。
「青空文庫」より
その中から、以下をリストにしました。(HP担当者が恣意的に収集したものです)
●(言及はなくても)、ドストエフスキーから影響を受けた(と思われる)小説。
★(言及はなくても)、ドストエフスキーが影響を受けた(読んだ)かもしれない小説。
●
林芙美子 「浮雲」 1950
太宰治 「人間失格」 1948
北條民雄 「いのちの初夜」 1936
小林多喜二 「独房」 1931
泉鏡花 「星あかり」 1920-30?
江戸川乱歩 「心理実験」 1925
芥川龍之介 「歯車」 1927
芥川龍之介 「蜘蛛の糸」 1918
芥川龍之介 「二つの手紙」 1917
芥川龍之介 「羅生門」 1915
横光利一 「犯罪」 1917
島崎藤村 「破戒」 19060★
チャールズ・ディケンズ 「信号主」
岡本綺堂訳 1866
エドガー・アラン・ポー
「ウィリアム・ウイルソン」 1839
ニコライ・ゴーゴリ 「外套」 1842
ニコライ・ゴーゴリ 「鼻」 1836
ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ
「ファウスト」 森鴎外訳1808〜1833
オノレ・ド・バルザック「ゴリオ爺さん」
(1799-1850)中島秀之訳
プーシキン「スペードの女王」及び
「ベールキン物語」は作業中
新 刊
図書
・亀山郁夫訳『未成年3』光文社古典新訳文庫
同人誌
・梶原公子『未成年』における〈偶然の家庭〉考
『静岡近代文学 37』12月10日発行 静岡近代文学研究会
シンポジウム
第18回国際ドストエフスキー協会(IDS)シンポジウム
https://www.ids2022n.jp/ コロナで下記日程に延期しました。
開催日時;2023年8月22日〜8月27日
開催場所;名古屋外国語大学
ドストエフスキ―生誕200周年記念原稿募集
テーマ「私は、なぜドストエフスキ―を読むのか、読みつづけるのか」は引き続き受け付けています。そのほかの寄稿も常時お送りください。原稿またメールにてお送りください。
編集室
カンパのお願いとお礼
年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援で続いております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」 番号・00160-0-48024
2022年11月21日〜2023年2月2日にカンパくださいました皆様には、この場をかり
て心よりお礼申し上げます。
「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原敏彦方