ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.185
 発行:2021.3.26


第303回4月読書会のお知らせ


月 日 : 2021年4月4日(日)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
時 間 : 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品 :  『カラマーゾフの兄弟』
報 告 :  朗読箇所を中心に『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフのもつ意味について。
     【朗読】第二部第六編ロシアの修道僧 (D)神秘的な客
報告者 : 太田香子さん 
会場費 :  1000円(学生500円)

「6月読書会」は、2021年6月27日(日)開催予定です。日曜日です。
東京芸術劇場小5会議室14:00~17:45

「大阪読書会」は、2021年3月25日(木)に開催予定。13:00~15:00
作品は『作家の日記』169~210頁

【お願い】
会場の東京芸術劇場は、コロナ感染のため、直前まで開催は不確実です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認ください。会場では姓名と連絡先(電話番号)の記入をお願いします。参加される方は、検温と体調管理を。発言・朗読の際にもマスク着用が必須です。



令和3年4月4日読書会


4月4日の読書会は、日曜日開催になりました。コロナ禍とオリンピックの影響で会場確保が難しくなっており、開催曜日が変則的になることがあります。ご了解ください。

報告レジュメ 

【朗読】『カラマーゾフの兄弟』第二部第六編ロシアの修道僧 (D)神秘的な客
朗読箇所を中心に『カラマーゾフの兄弟』のエピグラフのもつ意味について
(当日、配布資料あります)

太田香子

「よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」
(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節)

『カラマーゾフの兄弟』と聞いて皆さんが真っ先に思い浮かべるのは何でしょうか。大審問官? 父殺しのテーマ? それともスメルジャコフ?冒頭に掲げた、エピグラフについてはいかがでしょうか。そもそも、この言葉が作品中で言及される箇所はあるでしょうか。あるとすれば、それはどこでしょうか。今回は、「『カラマーゾフの兄弟』 第二部第六編 ロシアの修道僧 二 今は亡き司祭スヒマ僧ゾシマ長老の生涯より。長老自身の言葉からアレクセイ・カラマーゾフが編纂 (d)神秘的な客」の朗読を通して、この挿話が作品全体に対して持つ意味やエピグラフの意味について、考えを深めていきたいと思います。

太田香子さんは、過去に読書会と例会で以下の報告をされています。
 
2017年2月18日(土)東京芸術劇場小会議室7 「全作品を読む会」読書会
 『悪霊』2回目「シャートフとスターヴローギン」
2019年9月21日(土)千駄ヶ谷区民会館 「ドストエーフスキイの会」例会
   ステパンの信仰告白から読み解く『悪霊』



2021年2月20日読書会報告
  

緊急事態宣言下、11名の参加者がありました。
緊急事態宣言下でしたが、参加者11名で無事開催できました。初参加者1名。コロナ禍最中、読書会は5サイクル目の最後の作品『カラマーゾフの兄弟』を読みつづけています。大きな作品で話題がつきないということもありますが、開催できるかどうかさえ不確実な状況で、事前に報告者が決められないこと、またドストエフスキー生誕200周年を「カラマーゾフ、バンザイ」で終わりたいというのも理由の一つです。

昨年12月読書会の「イワン、スメルジャコフ三度目の訪問」の朗読は大変好評だったで、それを受けて、2月読書会も太田香子さんの司会進行により、「大審問官」の章を14:05~14:45まで6人が朗読しました。1番バッターは初参加の女子大生小島さん。大トリとなった山崎さんの臨場感溢れた朗読に参加者全員惹きこまれて弾みがつき、そのあとの活発な討論に展開しました。



5サイクル目の『カラマーゾフの兄弟』報告の記録
 

・2019年 2月16日(土)『カラマーゾフの兄弟』1回目 報告者 野澤高峯さん
・2019年 4月20日(土)『カラマーゾフの兄弟』2回目 報告者 江原あき子さん
・2019年 6月15日(土)『カラマーゾフの兄弟』3回目 報告者 菅原純子さん
・2019年 8月10日(土)『カラマーゾフの兄弟』4回目 報告者 石田民雄さん
・2019年10月12日(土)台風12号直撃で東京芸術劇場閉鎖のため中止
・2020年 1月11日 (土)『カラマーゾフの兄弟』5回目 参加者全員のフリートーク
・2020年 2月29日 (土)緊急事態宣言下で東京芸術劇場閉鎖のため中止
・2020年 4月25日 (土)緊急事態宣言下で東京芸術劇場閉鎖のため中止
・2020年 6月27日 (土)『カラマーゾフの兄弟』6回目 報告者 冨田陽一郎さん
・2020年 8月29日 (土)「ドストエフスキ―のてんかんについて」報告者 下原康子さん
・2020年10月31日(土)「私とドストエフスキ―」参加者全員のフリートーク 
・2020年12月6日 (日)『カラマーゾフの兄弟』7回目「イワン対スメルジャコフ」朗読と討論
・2020年 2月20日(土)『カラマーゾフの兄弟』8回目 「大審問官」朗読と討論



連 載
      

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第94回)「ドストエフスキーの政治思想」~ 渡辺京二氏の著書に触発されて~
日本ドストエフスキー協会(DSJ)zoom生誕200年シンポジウム研究報告原稿(2021.2.28)
   
福井勝也
      
ご紹介頂いた福井です。最初にお断りしておきますが、当方はロシア文学の専門研究者ではありません。ですので、これからのお話は、厳密な意味での研究報告とは少し違うかもしれません。私が、元々そして現在も所属しておりますのは、(日本)ドストエーフスキイの会(JDS)でございます。この通称「ドス(ト)会」は、1969年発足の研究者と一般市民が集う文学集団です。当方は1978.1月に入会しましたので、約43年程の在席になります。さらに、ここから派生した読書会、「全作品を読む会」にも参加して来ています。ということで、当方は長年仲間とともにドストエフスキー文学を読み合って来た「一愛読者」との自己紹介になります。そしてこちらの日本ドストエフスキー協会(DSJ)さんとは、亀山先生に長らくご縁を頂き、当会には発足時から参加させて頂いております。来年は、名古屋での国際ドストエフスキー学会(IDS)が、DSJ(日本ドストエフスキー協会)にJDS(ドストエーフスキイの会)が協力しての開催予定と聞いております。そんななか、今回の発表機会を与えられたこと、大変に感慨深くかつ光栄に存じます。但し、不慣れなリモート参加でやや緊張しています。
 
前置きはともかく、早速報告に移らせて頂きます。タイトルは、「ドストエフスキーの政治思想」~ 渡辺京二氏の著書に触発されて」となっています。前段の「ドストエフスキーの政治思想」のみですと、大変大きなテーマになります。そんな内容は、当方の手に余ります。そこで今回の報告は、著者渡辺京二氏の本に触発された内容ということですが、その書名が『ドストエフスキーの政治思想』なのでした。
 この渡辺氏の著書の対象は、『作家の日記』に限られたものです。ご存じの通り、この『作家の日記』は、作家晩年における時事的オピニオンが主な内容で、E・Hカー他多くの論者から文豪の築いた文学的名声にそぐわぬ発言として、様々に批判されて来ました。しかし当方は、従来から指摘される、この「作家的矛盾」は「矛盾」ではなく、実はドストエフスキーが文学者かつ思想家であるその全体に包摂されるものと直感してきました。

しかしこれまでにも、この『作家の日記』を論じた優れた論考が無かったわけでありません。その例としては、小林秀雄の盟友・河上徹太郎の「ドストエフスキーの70年代」があります(1974、『近代史幻想』所収)。その特徴は、『作家の日記』の作中小説『おとなしい女』等への丁寧な作品読解がその論考の前提になったものでした。それは丁度、渡辺氏が本書で『百歳の老婆』等の小説読解から民衆理解を導き出したことに通ずるものがあります。
 しかしその後、このような文学的視点をしっかり踏まえた『作家の日記』論に、当方遭遇出来ぬままでした。そんな折り、昨年コロナ禍の読書で渡辺京二氏に巡り会い、読んだのが本新書でした(画像)。その内容にどう共感したか、それが今回の報告になります。ここで本論に入る前に、問題の所在と執筆意図を簡潔に表現した本新書表紙の文言(コピー)を紹介させて頂きます。

 
民衆との共同感はいかにして獲得できるか? 『作家の日記』は従来から、この作家の膨大な著作の中でも、一種きわめつきの難物とされ、退屈で陳腐で愚劣な反動的政治論と黙殺されてきたきらいがある。著者(の渡辺氏)はそうした一本調子のイデオロギーや浅薄な定評を嗤う。ドストエフスキーの政治的思考が立脚せねばならなかったロシア民衆の歴史的伝統と、民衆のうちに胎まれる幻に注目することで、民衆の初原的な共同性の夢に依拠した政治思想のありかを明らかにする。本書を通じて、時と空間を超えてふたつの個性(ドストエフスキーと渡辺京二)が響きあう至福の瞬間に立ち会える。」(画像)
  
渡辺京二氏は、去年の夏90歳になられましたが、九州熊本を拠点に長らく活動をして来られた在野の思想家であります。『逝きし世の面影』という著書のタイトルでご存じの方も多いかもしれません(1998葦書房→2005平凡社ライブラリー)。しかしその経歴でもう一つ指摘すべきことは、『苦海浄土』(1969)の石牟礼道子氏を世に出した元々の編集者であったことです。そして実は、それ以降も、お二人は美事な人間関係を築かれ、渡辺氏は石牟礼氏の最期(2018.2)まで献身的に支えたのでした。無論、水俣病闘争でも、石牟礼氏を助ける実質的なアドバイザーとして共に行動しました。ただしそれは政治的活動というより、水俣の民衆の苦難を引き受ける彼女を全身全霊で庇護援助する運命的な結びつきからでした。この点で、渡辺氏は『苦海浄土』の最初で最深の理解者で、近代文学とは異質な、近世以前の文学世界と通底する石牟礼文学の第一発見者かつ良き喧伝者であり続けておられます。

元々、この『ドストエフスキーの政治思想』は、熊本で発行された『暗河』という季刊誌へ、その初出論稿(1973)が連載され、それらが渡辺氏の処女評論集である単行本『小さきものの死』(1975・葦書房/著者45歳)に収録されました。さらにそれが、洋泉社新書の渡辺京二傑作選④(2012.3)として独立した一冊になる経緯を辿っています。当方がコロナ禍の読書機会に手に入れて読んだのも、この新書版でした。

渡辺氏は、その「あとがき」で「ここには紛れもなく私の出発点がある。そして、それ以来、旅は今も続いている。主題は古びていないといまも信じる」と書き記しています。渡辺氏の評伝『渡辺京二』(2016)を刊行した三浦小太郎氏は、「この運動(=水俣病闘争)の思想的総括が、『ドストエフスキーの政治思想』だ」(p.176)と指摘しています。それと同時に、「著作『ドストエフスキーの政治思想』が、時にドストエフスキーの声を借りて渡辺が語り、また時には渡辺の声がドストエフスキーの、本人も十分言語化できていない本質を代弁するかのように響くのは、十九世紀のロシアの民衆と水俣病闘争における漁民たちの声が、時空を越えて、共に近代への根源的な違和感を唱和しており、この二人の知識人がその声を「思想の根底に包摂」していたからにほかならない。そしてこの論考は、この後、右翼思想家論の形を取りながら、渡辺が日本近代思想史をたどる思考的旅路の道標にもなった。」(p.134)と、的確かつトータルに渡辺京二像を語ってくれています。
 
渡辺氏は『逝きし世の面影』の著作でブレイクしました(1998→2005)。しかしそれ以前、「<論考>ドストエフスキーの政治思想」収録の単行本『小さきものの死』刊行(75)直後に、『評伝 宮崎滔天』(76)・『神風連とその時代』(77)・『北一輝』(78)・『日本コミューン主義の系譜』(80)と、やや誤解をされそうな右翼思想家論をほぼ毎年連続して刊行しています。そして、しばらく後に『逝きし世の面影』(98)が世に出ました。

そしてこの思想家論出版については、既に渡辺氏は、その著書の末尾で次のように予告していたのでした。「ドストエフスキイの政治思想について、私にはまだもう一つ論じつくしていない論点が残っている。それは彼の政治思想とわが国(日本)のアジア主義思想との間にはパラレルな関係があり、それを究明することによって西欧文明の衝撃に対する反応について、かなり興味深いいくつかの知見を得られるのではないかということである」と。結局、この予告の実践が、その後の一連の出版になり、それが『逝きし世の面影』へと繋がったと考えられます。そしてその出版が、現代日本人に深い共感の輪を生んだのでした。この顛末の出発点になる著書が、「ドストエフスキーの政治思想」であったのです。当方は、渡辺氏の一連の思想家論にも強い衝撃を覚えましたが、それは、それらの明治期の思想家像が今までのどの思想家像よりもリアルに感じられたためでした。それ自体が、思想家渡辺氏の「道標」となったとされる「ドストエフスキーの政治思想」の成果なのでしょう。
 
当方がドストエフスキーを読み始めた当初からの関心の一つが、「ドストエフスキー体験」という言葉に象徴される、日本人特有のドストエフスキー受容の仕方への着目があります。この点でも渡辺氏の思想家としての成熟発展は、興味深いその実例を示していると思えます。同時に、渡辺氏が明らかにした個々の思想家の問題自体がそのことを孕み、近代化が日本人に与えた衝撃は、今日も日本人の意識の深層にかたちを変えてあり続けているのだと思います。これが『逝きし世の面影』がブレイクした真の根拠なのでしょう。この点で、「ここには紛れもなく私の出発点がある。そして、それ以来、旅は今も続いている。主題は古びていないといまも信じる」との自作『ドストエフスキーの政治思想』への述懐は、当方に一層重要な言葉として響いて来ます。そしてさらに、渡辺氏の思想家としての独自の成熟を促したもう一つの「道標」が、『苦海浄土』の世界を描いた石牟礼道子氏であったことも見逃せない事実でしょう。ここに、渡辺京二氏が媒介する、ドストエフスキー文学と石牟礼道子文学との本質的比較も可能なテーマではないかとすら思えてきます。ここで当方報告の課題である、『作家の日記』をドストエフスキーの文学人生との係りで、矛盾なくトータルに読み解くことに、渡辺氏が答えてくれていると思えるポイント部分を引用しようと思います。本書最終章、第十章の「民衆の初原的な共同性の夢に依拠した政治思想」の一節ですが、やや長目の文章になりますので、ゆっくりと読んでみます。(画像)
 
「彼(ドストエフスキー)は、ロシアで西欧的な左翼思想となって現れたり、スラヴ主義的な右翼思想の仮装のもとに出現したりするものの根底に、ある同一なものの実体、すなわちロシア民衆の伝統的な思念を読み取っている(渡辺氏は、ここの少し前の箇所で、この思念を「正教の中に保存されたキリスト的真理のこと」と表現しています)。そして、彼らの伝統的思念が西欧的市民文明に対応するとき、そこに必然的にある革命的な意味が生ぜざるをえない、というのが彼のいわんとする「逆説」の全てだったのである。

この一節が近東戦争に関する考察の前おきとして書かれていることは注目すべきである。先に見たようにドストエフスキーは、近東戦争に際して戦争に熱狂する民衆の動向を終始一貫擁護してはばからなかった。彼が支持したのは戦争という行為でなく、彼等のうちに胎まれる幻の行方だった。その幻影を彼(ドストエフスキー)は、現実の汚辱をふりすてようとする一種の贖罪意識と理解した。それにしてもなぜ彼はこのようにロシア民衆の懺悔と精進へ向う意識を、ほかのすべてを犠牲にしてでも擁護しようとしたのか。彼自身が巧みに反問してみせているように、民衆の聖地巡礼という行為には何の現実的な意味もない。一言にしていえば、それは完全な愚行にほかならぬ。彼は戦争という行為そのもの、巡礼という行為そのものに意味を認めたのではなかった。彼らがさしあたってはそういう愚行の形態で表現せざるをえない彼ら自身の内部の衝迫に意味を認めたのであった。なぜならその内部の衝迫、すなわち彼らが悠久の歴史このかた再生産しつづけて来た幻は、国家あるいは市民社会のあらゆる上昇する文明的疎外態と無縁な、彼らの日常の沈黙のなかではぐくまれて来たものであり、そのようなものとして国家と市民社会を止揚せずにはおかぬ根元的な志向を秘めているからである。民衆はなぜあらゆる有益な啓蒙にもかかわらず、仔牛の番をせずに義勇兵に出て行くのか。そこにはみたされることのない共同性への夢想ともいうべき、何か根元的な衝迫がある(p.145-146)。」


ここまでの渡辺氏の文章で肝心なのは、すべてを犠牲にしても義勇兵として出征しようとする民衆的契機そのロシアの民衆を駆り立てた内的衝迫を共同性への夢想という問題として指摘したことでしょう。そしてドストエフスキーが当時のロシア・インテリゲンチャと決定的にその立場を異にした前提が、その民衆的夢想の根元に拘泥し続け、それを自身の夢として語ろうとする作家の姿勢でありました。この中身は、かつて吉本隆明がそのドストエフスキー論で語った「ロシア的な古代的枠組の蘇生」という問題なのでしょうか。
 ドストエフスキーは、その民衆の内的衝迫に寄り添おうとして「その夢を政治的な論理の形にもたらそうとして、あの厖大な政治的エッセイを書いた」と、渡辺氏は説明しています。無論、それは単純な好戦論とか、一般的イデオロギーとしての戦争賛美ではないことは明らかです。ここにおいて、『作家の日記』がドストエフスキー全文学表象と矛盾なく位置づけられたように感じました。そして前掲の引用文を繋ぎ、その先のプーシキン祭記念講演まで射程に入れたと思われる渡辺氏の文章を紹介してみます。こちらもやや長目なので、ゆっくり読みます。要注意なのは、『作家の日記』の作家の言葉が鏤められていることです。

「近東(露土、注)戦争論においてドストエフスキイは、対トルコ義戦という幻想に憑かれて行く民衆のうちに、彼らの意識においてかつて死に絶えたことのない幻、いわば共同性の夢想ともいうべき根元的な衝迫を見た。厖大な量の論説において、彼がほんとうにいいたかったのはこの一事だけだったといってよい。そのような民衆の幻を彼は正教という概念で言い表わそうとした。「ロシアの民衆の有する教会」を認めよというのが、彼が繰り返して倦まない根本的主張だった。ロシア民衆の教会とは何か。彼はおどろくべき言葉を口にする。「ここで私がいうのは、教会の建物でもなければ、教会につとめる僧侶でもなく、わがロシアの社会主義のことである」だが、「ロシアの社会主義の究極の目的は、この地球が容れ得るかぎりの範囲内で、地上に実現される全民衆的・全宇宙的な教会なのである」。という彼の言葉に誤解の余地はない。むろんこれはキリスト教社会主義などという一定の政治的イデオロギー形態を意味しはしない。それは彼がよく口にする「人類の全世界的更新」、すなわち国家と市民社会を止揚する人間結合の、いわば夢想的な表現なのである。「社会的理想とは何か。できるだけ誤りのない、万人を満足させるような社会組織の公式を発見せんとする人間の希求である。人々はこの公式をしらない。人々は有史時代の六千年間これを求めているが、まだ発見することができないのである。蟻は自分の蟻塚の公式を知り、蜂はその蜂窩の公式を知っている。人はその公式をしらぬ」と、彼は暗鬱なおももちで語る。彼はロシアの正教の理想という「公式」を発見したと信じたのではない。それはいわば指標でありシンボルである。彼は民衆のうちに胎まれる幻にロシアの社会主義の根拠を見た。<中略>その幻に国家と市民社会に決してなじむことのない根元的な衝迫を見たからである。」(p.152-153)(画像)

このドストエフスキーの『作家の日記』の言葉を鏤めた渡辺氏の文章は、先に三浦小太郎氏が、二人すなわちドストエフスキーと渡辺京二氏が「時空を越えて、共に近代への根源的な違和感を唱和しており、この二人の知識人が<片や、ロシア民衆の、片や、水俣病の漁民の>その声を「思想の根底に包摂」していたからにほかならない」と語ったことが、そのまま伝わって来るような文章として、当方には聞こえて来ます。

ここで、二人の作家には、そのような思考が何故可能であったかを考えたくなりました。渡辺氏については、それは、第一にドストエフスキーの『作家の日記』を読み込むことで、ドストエフスキー固有の思考方法を作家から敏感に感得したからでしょう。そして更に、渡辺氏は、石牟礼道子という希有な才能の作家と日本近代の闇を徹底して同伴し、その民衆の心の奥底に降りてゆく文学的実践に立ち会ったことが、そのドストエフスキー理解を深めることに繋がったと推測されます。その溶け合う思考の生成が、著書『ドストエフスキーの政治思想』に結実したものと考えられます。
 
ここではさらに、元々のドストエフスキーの固有の思考方法について考えねばならないと思います。このことは、石牟礼文学の本質を見極めることに通ずる予感もあります。この問題への見通しは、ここ6年以上某所で、作家堀田善衞(1918-1998)の作品を読み合ったことがきっかけになりました。その堀田の最晩年の『未来からの挨拶-Back to the Future』(1995)というエッセイに、ドストエフスキー固有の想念の生成、創作の際の時間観念のあり方について述べた言葉がありました。それは、元々ホメロスの『オディッセイ』の古代ギリシアの言葉から来ています。次の言葉です。
 
「過去と現在が(われわれの)前方にあるものであり、従って(われわれが)見ることの出来るものであり、(われわれが)見ることの出来ない未来は、(われわれの)背後にあるものである、<…> これをもう少し敷衍すれば、われわれはすべて背中から未来へ入って行く、ということになるであろう。すなわち、Back to the Futureである。」(画像)
 
このハリウッド映画の題名にもヒントを得た言葉を、更にドストエフスキーに即して述べた具体的な言葉がやはり同エッセーのなかにあります。こちらも読み上げてみます。
 
「ドストエフスキーが『悪霊』のなかで、- 人は自由を欲することから発して、ついに警察国家を形成するにいたる。これをしも予言として解するとすれば、それはドストエフスキーが、ロシアの歴史と現在(の現実)を明確に、如何なる偏見にも、また希望にも恐怖にも動かされることなく、眼前の歴史と現実を見て見て見抜いていたことを意味するであろう。かくして、彼は彼の背後に一つの未来像を見出したのであった。」(画像)
 
ドストエフスキーの一見時事的なオピニオンと見える『作家の日記』の表現も、実はここで語られる透徹した視力の実践であったと思えます。それは、参戦する義勇兵の姿を、見て見て見抜くことで、彼ら民衆を駆り立てる夢を、その心の奥底に発見し、ありうべき未来として語り直すことが、「ドストエフスキーの政治思想」だったと言うことです。

コロナ禍の世界的蔓延が収束しない昨今、グローバル化がもたらす人類的危機が現実化しています。その現在とは、近代化以前に遡って、生物種としての人類が辿って来た道程を思い返す良きチャンスなのかもしれません。過去(記憶)のイマージュをよく甦らせることが、未来をよく思い描くことに通じます。そのために、ドストエフスキーは民衆の夢を自分の夢として語り直すことで、その未来のビジョンを描いてみせました。それが『作家の日記』の政治思想でした。それは根本的に反政治的な文学的思想表現でありました。そのことを渡辺京二氏は、私に教えてくれました。以上で私の発表を終わります。ご静聴ありがとうございました。          
 (2021.2.28)




ドストエフスキイ研究会便り」のお知らせ

親鸞仏教センターでの講演記録について

芦川進一 (ドストエフスキイ研究会主宰)

ドストエフスキイ研究会便り(19)(20)
http://bunkyoken.kawai-juku.ac.jp/research/dosuto.html


芦川進一 (ドストエフスキイ研究会主宰)

★ドストエフスキイ研究会は、河合文化教育研究所のHPに設けられたサイト「ドストエフスキイ研究会便り」で、(1)ドストエフスキイに関する論考、(2)ドストエフスキイの肖像画・肖像写真の考察、(3)若者たちとの出会いの回想、(4)講演記録などを掲載し、間もなく通算で40回となります。「聖書との取り組みからなされるドストエフスキイ研究」の場の記録として、このサイトをご覧になり参考にして頂ければと思います。
★この「研究会便り」・(4)のコーナーに、2月と3月の二回にわたり、2017年に湯島の親鸞仏教センターで行った講演の記録を掲載しました。一回目(「研究会便り(19)」)の「問題提起」では、ドストエフスキイ世界と聖書世界についての私の基本的理解を、まず幾つかの「定義」の形で提示し、次にそれらを具体的に確認すべく『罪と罰』を選び、この物語を構成する七つの基本要素を取り出しました。最後に以上のことを、改めて『カラマーゾフの兄弟』に於いて、イワンの思索の歩みに沿って確認するという形で、「抽象」から「具体」へと三段階の構成でお話をし、この世界が親鸞と浄土教の世界と通じ合うと思われるテーマについて、「問題提起」をさせて頂きました。
★二回目(「研究会便り(20)」)は、この「問題提起」を踏まえ、センターの研究員の皆さんと私との間で交わされた「質疑応答」の記録です。ドストエフスキイとキリスト教の理解を基に、親鸞と浄土教の世界にアプローチをするという私の「問題提起」は、両世界の相互理解に向けた「試論」に過ぎませんでしたが、親鸞と浄土教の世界を生き、日々研究に勤しんでおられる研究員の皆さんもまた、ドストエフスキイとキリスト教を理解することへの強い関心をお持ちで、「質疑応答」は熱気に満ちたものとなりました。
★例えば「どこにも行き場がない」――『罪と罰』に於けるマルメラードフのこの一言が、「罪悪深重の凡夫」の自覚を原点とする親鸞と浄土教世界に生きる人たちの心にも如何に強く響くものであるか、私は心から驚かされました。この他、ドストエフスキイと親鸞、キリスト教と浄土教に於ける「罪と罰」の問題、「罪と裁き」や「罪と赦しと救い」の問題、更には両者に向けられた西田哲学の鋭利な視点等々・・・これら両世界が如何に通じ合うものを多く持つか、或いは異質なものとしてあるか、与えられた時間内ではとても議論をし尽くせませんでしたが、両世界が切り結ぶ所に、豊かで普遍的な宗教的・哲学的思索の鉱脈が存在することを、出席者全員が痛感させられたように思います。
★この講演会を契機として、親鸞仏教センターとドストエフスキイ研究会の若手メンバー、また宗教学を学ぶ大学院生とで、自然に新しい研究会(仮称;「ドストエフスキイと親鸞研究会」)が立ち上がりました。『カラマーゾフの兄弟』と『教行信証』をテキストとして、ドストエフスキイと親鸞の思想の核を理解しようとの目標で、現在も地道な作業が続いています。「読書会通信」にその途中経過を報告出来る日が来ることを願っています。 [了]



資 料

出世主義者の神学生ラキーチン ──物語の広報係 
 『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳 新潮文庫 1978)より
編集:下原康子



広 場 

ドストエフスキー生誕200周年記念連載
私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか

2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して、いただいた投稿を掲載しています。


恩師大谷深先生と読むドストエーフスキイ

小野元裕(大阪読書会世話人)

ドストエーフスキイを読んでいると、しばしば思い出すことがある。大学のゼミだ。
30年前、天理大学外国語学部ロシア学科で学んだ。3回生からは文学、言語、歴史に別れゼミに入る。私は文学に入り、大谷深教授の下でドストエーフスキイを研究した。雑談のなか、ソ連で開かれた国際ドストエーフスキイ・シンポジウムについて、大谷先生はしばしば触れた。団員には大谷先生の他、江川卓氏(故人)、木下豊房氏ら錚々たる研究者がいた。その団長を大谷先生が務めるようになったという。なぜ自分がと初めは思ったが、一番の年長者ということが分かり、引き受けたという。当時のことを懐かしむ大谷先生の表情を、ドストエーフスキイを読んでいるときにふと思い出すことがある。亡き恩師大谷先生と「同行二人」で読み続けるドストエーフスキイ。まだまだ大谷先生に追いつけそうにない。



投 稿
  

近代思考と民衆的思考     

富岡太郎

ドストエフスキ―が近代化するロシアの将来をうれい、民衆の人間性に根ざした文学を作って近代なるものの悪魔性を描き出したことは間違いない。エリート主義から殺人を正当化するラスコーリニコフや、革命のために悪事に手を染める「悪霊」の若者たち、そして自我を第一にするゆえ父親殺しの主犯になってしまうイワン・カラマーゾフなど、近代合理主義がもたらす思い上がった人たちの群像をドストエフスキ―は精密に描き出す。近代的思考とは、「全部か、さもなくば無か」というオールオアナッシング思考であり、100点か0点のどちらかしかなく、白か黒かどちらかのデジタルな思考でありグレーなもの、あいまいなものを排除する。80点や60点は「100点ではないからダメ」とされ、0点と同じく否定される。対して民衆的な思考は、毎日のささやかな出来事に幸せを見い出す、極小が極大となる信仰であり、オールイズリトル思考とでも言うべきものだろう。道に落ちているビー玉を拾ってその美しさに希望を得る貧しい少年などは、リトルなビー玉から全人生を肯定するわけである。オールオアナッシング思考は精神病になりやすい完璧主義で近代社会というものはそのような完璧な「イデア」を目指してしまうが、その結果正義と正義がぶっかって戦争を招く。

私の父は新聞記者でアルコール依存症だったが戦後のサルトルとかカミュの虚無主義にかぶれ妻子を幸せにするより酒におぼれて自分を神だと言っていた。いつか小説を書いて妻子を幸せにするつもりだったが、その生涯で一つも作品を作れなかった。走らぬ名馬だった。全部か、さもなくば無かという人生でありドストエフスキ―を好んだが悪魔的な読者だった。「スタビローギンの告白」を文庫本から切り取って大事そうに持ち歩いていたが、弱き者への虐待が死後に地獄の罰を受けるという信仰があったわけではなかった。父は人生をなめていたと思う。また、文学を誤解していたと思う。ドストエフスキ―は民衆の助け合う人間性に信頼して創作していたのであり、破滅すべきは西欧かぶれのインテリたちだったのである。オールオアナッシング思考は一流の人間か、さもなくばひきこもりかという極端に流れてしまうが、作家の伝えたい真実はオールイズリトル思考であり、小さきものへのまなざしであったはずだ。近代は経済を成長させるようデザインされすぎており、そのエリート主義は社会をだめにする病理をつつみこんでいると思う。

理想とふんどしは外れる 予定とふんどしは外れる。学生のころ飲み会に遅刻してきた教授がした言い訳に、当時私は妙に感心した。高校のころ初恋し失恋したが、そもそも彼女が僕に恋してるとぼくが思いこみ、それで好きになり、ぼくから告白したのだ。しかし彼女の真実は別人で、文学少女ではなくヘビーメタルが好きな人で、ほくは彼女のイメージを勝手に理性で作り上げて告白しふられたのである。この失敗は、人は見かけによらないことや、理想像なるものは、ふんどしのように外れることを示す。日本人の大多数は云々人類全体の傾向は云々、近代社会は云々と、私は勝手にイメージで言葉を使うが、真実とのギャップは大きい。多分若いころドストエフスキ―の小説が具体的で面白かったのは、外れることのないふんどしをドスト氏がしめていたからだろう。



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ドストエフスキ―生誕200年記念シンポジウム」ZOOMにて開催
2月28日(日)午前10時~午後5時 日本ドストエフスキ―協会主催 
午前の部:齋須直人氏、福井勝也氏、亀山郁夫氏の報告。
午後の部Ⅰ特別講演:長縄光男氏
午後の部Ⅱシンポジウム(1)「コロナ禍時代に考えたこと」沼野充義氏 科研メンバー各氏
午後の部Ⅲシンポジウム(2)「ドストエフスキーと《危機》の想像力」
亀山郁夫氏 望月哲男氏、越野剛氏 沼野充義氏 番場俊氏
Zoom参加者は全190名、最後までの参加者は110名と盛会でした。
※このシンポジウム記録は『現代思想』特集号として出版予定です。

ドストエフスキー生誕200周年記念の原稿募集のお知らせ
2021年はドストエフスキー生誕200周年(1821~1881)です。この節目を記念して「読書会通信」編集室は、「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載しています。メールまたは郵送にてご送付ください。

ドストエーフスキイの会情報 
会誌『ドストエーフスキイ広場No.30』近日発行



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