ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.184
 発行:2021.2.10


第302回2月読書会のお知らせ


月 日:2021年2月20日(土)
会 場:池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場:午後1時30分 
開 始:午後2時00分 ~ 4時45分
作 品:『カラマーゾフの兄弟』「大審問官」の章の朗読と議論    
会場費:1000円(学生500円)

二次会は行いません。
4月読書会は、2021年4月4日(日)開催予定です。日曜日です。
会場は、東京芸術劇場小5会議室14:00~17:45
「大阪読書会」は、2021年3月25日(木)に開催予定。13:00~15:00。作品は『作家の日記』169~210頁

編集室からのお願い
会場の東京芸術劇場は、コロナ禍のため直前まで開催は不確実です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認頂ければ幸いです。参加される方は、検温とマスク着用必須です。体調管理はしっかりと。会場では、連絡先(電話番号)の記入をお願いします。



2021.2.20 読書会での「大審問官」輪読と議論にあたって
(編集室)

声を出して読む「大審問官」からどのような印象を与えられるか、今から楽しみです。ドストエフスキーの多くの作品がそうであるように「大審問官」もさまざまな読まれ方をします。ちなみに「知的」な読みと「情的」な読みに分けられるかもしれません。どちらにしても、熱い心で読まれ、かつ論じられることでしょう。
朗読には以下の訳本を使います。朗読分担のため10の部分に分けました。当日参加者の皆様から朗読者を募ります。ぜひ手をあげてください。他の訳本を持参された方の朗読にあたってはお貸しします。
朗読・発言の際にも、しっかりマスク着用でお願いします。

カラマーゾフの兄弟 原卓也訳(新潮文庫)
上巻 第5編5:大審問官 P.620-667(全47P)

朗読分担(一回の朗読量は4~6ページ。所要時間60~80分)

①621(冒頭)~625.4(ようというわけだ)
②626.4 (キリストは)~630.6(・・・言い添えた」)
③630.7 (「あまりよく・・・)~634.5(肝心の点でもあるわけさ)
④634.6(『聡明な・・・))~638.7(反逆者だからだ)
⑤638.7 (お前らは・・・)~642.最終行(・・・ことができるのだ)
⑥643.1 (その方とは・・・)~648.1(・・・知らぬとでもいうのか)
⑦648.2(わしがこれから・・・)~652.4(・・・不幸でありつづけるだろう)
⑧652.4(その無理解を・・・)~655.15(わしの話は終りだ)
⑨655.最終行(イワンは・・・)~661.13(・・・終りなの?」)
⑩661.14(「こんな結末に・・・)~667(5章終り)



資 料(編集室)

“同情”と“哀れみ” ── 「大審問官」と「ビリー・バッド」
抜粋:ハンナ・アーレント『革命について』第2章社会問題 P.127~129
志水速雄訳 ちくま文芸文庫 1995)

フランス革命の別の非理論的な側面を扱った古典的物語、つまり、フランス革命の主役たちの言葉と行為の背後に潜む動機の物語は「大審問官」であり、そのなかでドストエフスキーは、イエスの無言の同情と審問官の雄弁な哀れみを対照的に扱っている。同情とは、まるで伝染でもするかのように他人の苦悩に打たれることであり、哀れみとは、肉体的には動かされない悲しさであるから、両者は同じものでないだけでなく、互いに関連さえもないのであろう。同情は、それ自体の性格からいって、ある階級全体、ある人民、あるいは──もっとも考えられないことではあるが──人類全体の苦悩に誘発されるものではない。それは独りの人間によって苦悩されたもの以上に先に進むものでなく、依然としてもとのままのもの共苦にとどまっている。その力は情熱自体の力に依存している。

すなわち、情熱は理性とは対照的に、特殊なものだけを理解できるのであり、一般的なものの概念を持たず、一般化の能力も持たない。大審問官の罪は、彼がロベスピエールと同じように「弱い人々に引き寄せられた」という点にあった。なぜそれが罪かといえば、このように弱い人々に引き寄せられるということが、権力への渇望と区別することができないからであり、のみならず、彼は受難者たちを非人格化し、彼らを一つの集合体──いつも不幸な人々、苦悩する大衆等々──へとひとまとめにしたからである。ドストエフスキーにとって、イエスの神聖のしるしは、万人に対する同情を、一人一人の特殊性において、すなわち、彼らを苦悩する人類というようなある実体に総括することなく持ちうる彼の能力のなかにはっきりと現れていた。その神学的な意味は別として、この物語の偉大さは、もっとも美しく見える哀れみの理想主義的で大袈裟な文句が同情と対決するとき、いかに空虚に響くか、それをわれわれに感じさせる点にある。

この一般化できないということと密接に結びついているのは、徳の雄弁と対照的に、善のしるしである奇妙な無言、あるいは少なくとも言葉に対する戸惑いである。それは哀れみの多弁さに対する同情のしるしである。情熱と同情は言葉を持たないのではなく、その言葉は言葉よりもむしろ身振りや顔の表情から成り立っているということである。イエスが沈黙し、大審問官の延々と続く独白の淀みない流れの背後に潜む苦悩にいわば打たれていたのは、彼がその敵対者の言葉に同情をもって耳を傾けていたからであって、言うべきことがなかったからではない。この耳を傾けるという行為の強烈さによって独白は対話に変るが、それは言葉ではなく、身振り、接吻の身振りによってのみ終わりとなる。


ビリー・バッド(注)が自分の生命を終るばあいにも同じ同情のしるしがある。このばあいは、自分を死に追いやった男がそのことで感じた情熱的な苦悩にたいして、死を宣せられた男が感じた同情である。同じような意味で、ヴィア船長の宣告に対する主張、ビリー・バッドの「神よ、ヴィア船長に祝福あらんことを!」という言葉は、たしかに、言葉というよりはむしろ身振りに近い。同情は人間関係に絶えず存在している距離、中間に介在するものを取り除く。この点では愛も同じである。そして徳が、不正をなすよりは不正を耐え忍ぶほうが良いということをいつも主張しようとしているとすれば、同情は、他人の受難を見るよりは、自分が苦しむことのほうが楽であると、まったく真剣に、時にはナイーヴにさえ見えるほど真剣に述べ、それによって、徳の主張を乗り越えるのである。

同情は距離を、すなわち政治的問題や人間事象の全領域が占めている人間と人間のあいだの世界的空間を取り除いてしまうので、政治の観点からいえば、同情は無意味であり何の重要性もない。メルヴィルの言葉によれば、同情は「永続的な制度」を確立することはできない。「大審問官」におけるイエスの沈黙やビリー・バッドの口ごもりも同じことを示している。つまり、彼らは、だれかがだれかにむかって両者に関心(インタレスト)のあること──なぜなら、inter-est は両者のあいだのことであるから──について語るというだぐいの断定的な、あるいは論争めいた言葉をいっさい使うことができないのである。世界にたいするこのような多弁で論争的な関心は、同情とはまったく縁がない。

同情はただ情熱的な激しさで苦悩する人そのものにむけられる。同情が語るのは、それによって苦悩がこの世界で耳に聴こえ眼に見えるようになるところの、まったく表現主義的な音や身振りに対して直接答えなければならないその範囲だけである。一般に、人間の苦悩を和らげるために世界の状態の変革に乗り出すのは同情ではない。しかも同情が変革に乗り出す場合でも、それは法律や政治のような、説得とか話し合いとか妥協のようにだらだらと続く退屈な過程を避け、その声を苦悩そのものに向けるだろう。ひるがえって苦悩は、迅速で直接的な活動、すなわち、暴力手段による活動を求めるはずである。

:ハーマン・メルヴィル『ビリー・バッド』(飯野友幸訳 光文社古典文庫)
アメリカ19世紀の小説家メルヴィルの遺作にして最大の問題小説。未完成。英国の戦艦に徴用された21歳の水兵ビリー・バッドはヴィア艦長はじめ乗組員たちから愛される「ハンサム・セイラー」だった。そういうビリーを下士官クラガートは激しく嫉妬する。艦長にビリーが反乱を企てていると告発し艦長の前で反論を迫る。もともと吃音のあるビリーは不意をつかれて混乱し言葉を発することができない。思わず返した一撃でクラガートは死亡し、ビリーは絞首刑になる。





12月6日 読書会報告
  

参加者15名。抽選の都合で開催日が日曜日となって心配でしたが、密にならない程度の参加者で無事に開催することができました。はじめての方も一名おられました。皆さん、しっかり感染対策をされての参加でした。

「イワン対スメルジャコフ3度目の訪問」場面を朗読。時間は14:05~14:45
ドストエフスキー生誕200周年前夜祭を記念して、注目場面の朗読を行いました。朗読は、イワンを近藤靖弘さん、スメルジャコフを冨田陽一郎さん、つなぎの部分を太田香子さんが口演し、たいへん好評でした。その後の議論もおおいに盛り上がり、「スメルジャコフはなぜ自殺したのか」「イワンの悪魔とは何か」「主犯は誰か」などの考察や活発な議論がありました。「読書会らしかった」という感想や「時にはこんなかたちもいい」などの声もありました。

2020年の読書会は、毎回、開催が危ぶまれましたが、皆さまのご協力で、以下5回の読書会を無事に開催することができました。
1月開催(前年12月読書会が延期) / 2月、4月読書会は中止 / 6月読書会開催 
8月読書会開催 / 10月読書会開催 / 12月読書会開催



連 載

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第93回)渡辺京二著『ドストエフスキイの政治思想』について② 
    
福井勝也
       
いよいよドストエフスキー生誕200年のメモリアル・イヤーがめぐって来た。そんな今年の幕開け、昨年の今頃(1/15)には予想もしなかったコロナ禍の第三波が襲来し、緊急事態宣言も11都府県で再発令されている(1/8.14)。一年を越えるコロナ疲れもあり、これまでに経験のない不安感が日本全体を覆っている。また前回言及した米国大統領選挙結果の混乱は、トランプ支持者の議事堂乱入から死者まで出すクーデター騒ぎを招き、予想をはるかに越える事態が続いている。結果的に、パックス・アメリカーナを支えてきたアメリカ民主主義への国際的信頼が決定的に揺らぎ、コロナ禍以降の世界不安を一層増幅させている。

単なる偶然と言えばそれまでだが、ドストエフスキー生誕200年目の年明けの今般の状況に鑑み、どうドストエフスキーを想い起こし、何をドストエフスキーから改めて学ぶべきなのか、われわれはそのことを今日問われているのではないか。しかしその際大切なのは、浮き足立った思考や型どおりの議論ではなく、ドストエフスキー文学を地道に読み直し、その根幹の思想を再発見する契機を得ることではないだろうか。

そのような観点から参照すべきだと思うのが、昨年来本欄で紹介してきた渡辺京二氏の『ドストエフスキイの政治思想』である。まず、その氏を紹介した新聞記事を再度ここで引用しておきたい。東日本大震災発生(2011)の際に、メディアを中心とした人々の反応に対して、意外な思いを抱いた氏の感想(要約)であった。今日のコロナ禍が長引く状況のなかでも、吾々が肝に据えるべきものがここにあるように感じた。いたずらに不安を煽るメディアによって右往左往しないためのメッセージにも聞こえる。新聞記事の元の文章にも触れる機会があったので、その言葉も(部分)併せて以下に引用しておく。
 
「なぜそんな大騒ぎをするのか」「そもそも、人間とはずっと地獄の釜の上で踊ってきたような存在」と定義し、人類史とは、取りも直さず災害史であるのに、われわれは安全で衛生的な人工の環境に慣れ過ぎていたのだ。「だから、災害に過剰反応する」と喝破した。「そもそも、僕には日本という国の将来云々といった発想がない」と明かし、「要するに、人間は死ぬからこそ面白い」とまで述べたのである。(毎日新聞2011年9月13付夕刊、『ドストエフスキイの政治思想』解説、河谷史夫)

「この地球上に人間が生きてきた、そしていまも生きているというのはどういうことなのか、この際思い出しておこう。火山は爆発するし、地震は起るし、台風は襲来するし、疾病ははやる。そもそも人間は地獄の釜の蓋の上で、ずっと踊って来たのだ。人類史は即災害史であって、無常は自分の隣人だと、ついこのあいだまで人びとは承知していた。だからこそ、生は生きるに値し、輝かしかった。(中略)人類の記憶を失って、人工的世界の現在にのみ安住してきたからこそ、この世の終わりのように騒ぎ立てねばならぬのだ。」(「無常こそわが友」『未踏の野を過ぎて』所収、『渡辺京二』p.382、三浦小太郎著)


ここで渡辺氏は人類の記憶をもちだしているが、氏の話題作となった『逝きし世の面影』(1998)とは、150年位前には日本人が身(心)につけていた「記憶」を呼び起こそうとする著作であった。確かに近代科学(医学)は、人間を自然災害から守る方法と手段を与えたが、同時に人間が自然の一部としての生物であることを忘れさせた。言い換えれば、そのようして人類史の過去から切断された近代人、人類の記憶を喪失した現代人は、生きるべき未来(生かされてある現在)を呼び覚まし見透す術を喪失したと言える。渡辺京二氏は、そのことを気づかせてくれた。そしてどうやら、渡辺氏は、自身の長い人生経験と読書体験からそのことを掴んだらしい。その最大の読書体験こそ、ドストエフスキーの文学であったろう。その鍵になる重要作品が『作家の日記』であった。渡辺氏は、その一見読み難い『作家の日記』の真実を『ドストエフスキイの政治思想』で解き明かしてくれた。

このような観点から著作の『ドストエフスキイの政治思想』において、どうしても触れておきたいと思う章がある。第七章「「小さきもの」への感受性」である。その章では、『作家の日記』の中の実作として余り論じられることのない『百歳の老婆』という掌編小説が、やや丁寧に取り上げられている。名もない老婆の静かな臨終までの時間を淡々と描いたスケッチ的小品と言える。ドストエフスキーが、若い頃に好んだフェリエトンのタッチも感じる。この地味で素朴な物語に、渡辺氏は以下の様に独特な視線を注いでいる。

同時にここには、『ドストエフスキイの政治思想』の全体を支える、氏固有の感受性が露出していると見た。そしてさらに、実はその同じ感受性をドストエフスキー自身が共有していて、その表現を支える作家の民衆への眼差し(思想)を、渡辺氏が『百歳の老婆』に発見したということだろう。

私はこの百四歳の老婆の話に、民衆という存在に対するドストエフスキイの感受性の質が赤裸々に示されていると思う。ここに現れているのは、民衆に対する憐愍や同情でないことはもちろん、彼らに対する道徳的意味づけでもない。百四歳の老婆は同情も意味づけも拒否するような、ある無意味なものとして彼に対して現れている。民衆は「誰の目にも入らぬように死んで行くもの」「この地球上に誰ひとり覚えているものもなく、覚えている必要もないもの」として彼の眼に映っている。すなわち、民衆とはもっとも歴史から遠い存在、つまり自然に近づいた人間のありかたとしてとらえている。彼らの存在は自然がそうであるような無限の繰り返しである。その無限の繰り返しを前にして、ドストエフスキイは深い“おそれ〟を自覚してたたずんでいる。誰の目にも入らぬ生活をして誰の目にも入らず死んでいく民衆の生のサイクルが示す、みごとな充足と自己完結性を触知しおののいている。(七「「小さきもの」への感受性」、『ドストエフスキイの政治思想』p.87)

この文章には、本著新書版の「あとがき」で渡辺自身が触れた、原論文を初めて収録した単行本『小さきものの死』(1975)、そのタイトル通りの自身の原体験が投影されていた。その著書には、若き日に自身も結核療養所で入院中の渡辺が、名も無き民衆、瀕死の患者たちの不条理で無惨な死を見届けた際の悲痛な思いが記されていた。その渡辺の言葉は、理不尽な世界を創りそのままの世界を放置する神、その存在を呪詛するイワン・カラマーゾフの叫びのように聞こえてきた。

どうやら、渡辺氏は『小さきものの死』に鋭敏に感応する感受性の根っからの所有者であるようだ。それが『ドストエフスキイの政治思想』を氏に書かせた。このことは、『百歳の老婆』を論ずる章の文末でもさらに明らかになる。そしてここにも、渡辺氏が独自な感受性で読み込んだドストエフスキーの姿が鮮明に立ち上がってくる。

ドストエフスキイは周知のように、理想社会を理性によって人工的に建設できるとする思想を「蟻塚」の思想と呼び、そのような「人類の強制による結合」の試みが必ずその理想の反対物を生みださずにはおかぬアイロニーを指摘した人である。彼は十九世紀社会主義思想へのそのような批判を展開するにあたって、しばしば神への信仰に帰還すべきだといった形に図式化しようとした。しかし、近代人は神を見失ったといい、民衆の中には神が保持されているというさいのドストエフスキイを、われわれはよく吟味する必要がある。私には、ドストエフスキイがそのような表現でいいたかったのは、その生があたかも自然的過程であるかのように展開し、しかもそれ以上意味づけることもできずその必要もないような民衆存在形態に対する畏怖感の喪失であるように思われる。そのような畏怖感の喪失を彼は神の喪失と呼んだのではなかろうか。(七「「小さきもの」への感受性」、『ドストエフスキイの政治思想』p.95)

コロナ禍の世界的蔓延が収束しない昨今、グローバル化がもたらす人類的危機が現実化している。その現在とは、近代化の原点に戻って、辿って来た道程を考え直すべきラストチャンスなのかもしれない。そのことは、端的には人類が背負ってきた生物種としての人類進化過程の真実(=実在する時間)に気付き、それを生き直すことで成し遂げられるのではないか。ここでその良き主人公となるのは、決して知的で理性的な近代人ではなく、素朴で感受性豊かな野生人(=民衆)ということかもしれない。民衆こそ、過去(記憶)のイマージュをよく甦らせ、未来(=現在)を見透すことができる存在だと、ドストエフスキーは考えたのかもしれない。ドストエフスキーは過去に遡る民衆の夢を未来のビジョンに変換し、自分の夢として語り直すことで独自の文学表現を切り開いた作家であった。その時代的表現が『作家の日記』の政治思想であって、それはどこまでも反政治的な文学的表現であったことを、渡辺氏は明らかにしてくれた。

ここで強調しておきたいことは、われわれ(日本人)が生きてきた明治維新から今日に続く日本にあって、19世紀ロシアの文豪にして思想家であったドストエフスキーが、日本のひとりの思想家と共振し続けた、その共感の大きさと深さの現在性だ。

今年九十歳になられた渡辺京二氏が、その自らの原点と呼ぶ著作が『ドストエフスキイの政治思想』であった。その「主題は古びていないといまも信じる。」とのかつての述懐は、今日こそ注目すべ言葉として響いてくる。渡辺氏の「ドストエフスキー体験」は単なる昔語りでない、現在に繋がるアクチュアルな表現であることを強く感じた。ドストエフスキー生誕二百年である年が明けた。しかし人類の危機が続く真最中、どのようにドストエフスキーを甦らせることができるかが、私たちに問われている。 (2021.1.14)



広  場 

ドストエフスキー生誕200周年記念
私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか


2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載しています。投稿は、到着順に掲載します。(多数の場合は、次号掲載となります。)



預言書・聖書・謎・鏡

冨田 陽一郎/冨田臥龍

ドストエフスキー文学は、「現代の預言書」である、といわれることがある。まったく、そう思う。ドストエフスキーは、一人で一冊の『聖書』を書いてしまったような人なのだ。ドストエフスキー文学は永遠の謎である。それは、ドストエフスキー自身についてもいえる。ドストエフスキーの人生もまた、謎である。ドストエフスキー自身にも、自身の文学と人生の謎のすべては理解していなかったとすら思える。ドストエフスキーと、その文学に向き合うことは、その人間一人一人の人生と向き合うことだ。その意味で、ドストエフスキー文学とは、ゆがみのない鏡である。その鏡と真摯に向き合って、私自身の文学と人生にも、向き合ってみたい。

悪人スメルジャコフの中の善 読書会と私

冨田 陽一郎/冨田臥龍

はじめに、ドストエーフスキイの会の例会に行った。原宿の千駄ヶ谷区民会館で、木下先生、福井さん、近藤さんとお会いした。近藤さんが村上春樹の話をされていたのをおぼえている。次に、全作品を読む会の読書会へ行った。下原夫妻が、まだ若かった私を温かく迎えてくださった。なつかしい思い出である。

私はというと、自分がかぶった仮面が顔の肉からはなれなくなるように、被差別のスメルジャコフの仮面が、自分の顔の肉にはりつき、はなれなくなってしまった。まさに、「私はスメルジャコフになってしまった」のである。12月の読書会では、「イワンとスメルジャコフの最後の面談」の章で、私はスメルジャコフのセリフを朗読した。今後、スメルジャコフ論『バラムの驢馬』を書きたいと思っている。くさい、きらわれもののスメルジャコフ。しかし、スメルジャコフこそが、ドストエフスキーの真の姿、その似姿を映しているように私には思える。「きらわれものの悪」の中に、善や正義、あるいは愛を探したいのだ。読書会の仲間たちにも聞いてみたい。「本当に悪の内側に、善はないのか」と。


何度、読んでも面白く、新しい発見があるから

尾崎航平(大阪読書会参加者)

なぜドストエフスキーを読むのか、問われると明確な答えは難しい。一言でいえば「面白いから」となるがこれではあまりに稚拙すぎる。ではなぜ面白いのか?三点挙げたいと思う。

まず、一つ目として人物描写の繊細さ。ドストエフスキーを読み始めてまず思ったことは人物描写がリアルすぎるくらいリアル。まるでそこのその人がいるかのように細部にわたって具体的に描かれている。人物描写が深すぎて、一人の人物だけで数ページに及ぶ説明もしばしばみられる。一番初めに私が読んだ作品は『カラマーゾフの兄弟』だったのだが、人物描写が細かすぎて、この本は本当にあった出来事(ノンフィクション)ではないかと思わず調べたという記憶がある。ただこの繊細な人物描写が必要で、その描写が済んだ後、怒涛の如くストーリーが展開する。読み手は、最初の人物描写を読むことで、微に細に、その性格まで想像ができているのでその(たいそうともいえる)人物描写の後、ストーリーがどんどん進行していくことでその世界にどっぷりはまることとなる。

二つ目、登場人物が魅力的。例えば私の一番好きな『虐げられた人々』。私はこの小説に出てくるメインキャストの全員が好きだ。主人公、ナターシャ、アリョーシャ、ネリー、そしてワルコフスキー侯爵。この侯爵は、鼻持ちならない稀代の悪人ではあるのだが、その悪人っぷりにさえも魅力を感じてしまう。そう感じさせるだけキャラクターが作りこまれているのだと感じる。ユーモアのある人物も出てくる。主人公の旧友マスロボーエフも欠くべからざる人物だ。酔った時の発言など、何度読んでも面白い。彼の恋人アレクサンドラ・セミニョーノヴナ、ネリーの看病をする町医者、ナターシャの召使マーヴラにいたるまで…。これだけひとつの小説に魅力あるキャラクターが出てきて、互いにつぶしあうことなく、一つの物語にしているこの小説。何度読んだことだろうか。

三つ目は、なんといってもそのストーリーが秀逸。
まず、私が知る限りのドストエフスキーの小説は全体として『赦し』がテーマになっているように感じる。『カラマーゾフ…』しかり、『罪と罰』しかり、『虐げられた人々』、『未成年』もある意味そうだ。まずそういったテーマに惚れる。そしてストーリテリングの巧みさ。この人物がここに出てきて、ストーリーにこう絡んでくる…そういったタイミングがずれていると感動は生み出せない。

これら3つの要素が、何度も何度も読んでしまう、ある意味中毒性のある小説となっているのだと思う。そして読むたびに発見(気づき)があり、感動がある。生誕200年、ドストエフスキーが感動を与えた人はどれほどいるだろう。人種、時代を問わず愛される作品を数多く生み出した功績は世界平和にも資する点もあるだろう。ただそれにはまず作品が「面白い」、これがないと始まらない。もう有名な作品は読んでしまったので、あとは読み返していくしか楽しみがないのだが、読み返すことにおいても楽しみがある小説は本当に少ない。今後もさらに発見と感動を与えていただきたいと思う。



「私は、なぜドストエフスキーを読むのか」プレイバック 


全作品を読む会30周年を記念して書いて頂いたものです。
 
原点への郷愁

釘本秀雄

まずは雨ニモマケズ風ニモマケズ30年の長いスパンを乗り切ってこられた先輩諸兄姉ならびに会の皆様の弛まざるご努力と熱意に脱帽、暫し鳴りやまぬ熱烈な拍手を送るものであります。新しい門出にあたって、皆様さまざまな感慨をお持ちでしょうが、私は、昔好きだった中学の国語の先生が「人間、死ぬまで(童心)を忘れてはダメだよ-それは心の宝なのだ。」と仰言ったことを事あるごとに思い出し、いわばそれを座右銘としておりましたが、今もふっとその言葉を思い出すのであります。(童心)-それは一体何だろう?

ダブラ・ラサ(白紙)の上に描かれた1枚の絵、何気ない、しかし鋭敏に反応する1枚の感光紙の上に投影される光と影・・・。いまだ世の既成概念に汚染されない、そして金属疲労していないヴィヴィッドでシャープな感受性、それこそが、あらゆる論理に先行する「文学の原点」ではないでしょうか。〃そんなことは解っている〃-そう確かに(釈迦に説法)には違いありません。しかし今、この時にあたって敢えてそれを確認したいのは、4サイクルの節目を迎え、回を重ねる毎に、細分化(ジレッタンティズムへの傾斜)、抽象化(形而上学的探求)そしてそれらと深く係わりつつ、D文学の現代文学との接点等が問われつづけ、論理的先鋭化を競い合う形で会が持たれるであろう展望をもつからであります。いや、すでに現在進行形のかたちでその傾向は続行していると言っても過言ではないかも知れません。


私は生涯、読み続ける

田中幸治                              

ドストエーフスキイにおいて、イヴァンという典型においてであるが、神に反逆することまことに神々しい。そしてドミートリイは餓鬼のためにゆくという。祈る人アリョーシャはグルーシェンカから「貴方は私の三日月さまよ」といわれる。そういうドストエーフスキイであるからこそ、私は生涯ドストエーフスキイを読み続ける。



追 悼

美しい生涯 新美しづ子さん


下原康子

新型コロナウイルスがまたたくまに世界中を覆いつくした令和2年。私は二人の大切な人を亡くしました。郷里の母(6月7日・享年99)、そして読書会のメンバーだった新美しづ子さん(10月12日・享年102)です。新美さんとの出会いは2004年11月25日。早稲田大学で開催されたドストエフスキーの曾孫ドミトリー・ドストエフスキーさんの講演会後の懇親会(高田馬場の居酒屋)です。私の前に新美さんが座っておられました。意気投合し、さっそく読書会にお誘いしました。 その日の思い出を生き生きと書かれています。
「ドミトリー・ドストエフスキー氏来日と私」 (ドストエーフスキイ広場No.18)

新美しづ子さんは1918年東京生まれ。青春時代に戦争体験された数少ない参加者のお一人でした。「今読むドストさん」を心底楽しまれていました。居酒屋二次会にも必ず参加され、みんなと同じように生ビールのジョッキを傾け、食べ、誰ともでもくったくなく語り合われました。男女二人の大学生が新美さんのファンになりました。あるとき、新美さんと私が高校の同窓であることがわかりました。同窓とはいえ、私の母より2歳年上の新美さんの女学校と戦後十数年後の私の高校では、思い出を共有すべくもありません。でも、新美さんはそんなことはおかまいなしで、「ねえ、××先生憶えてる?」などと聞かれるのです。そういう時の新美さんは愛らしい女学生そのままでした。

新美さんは優れた書道家であり、また歌人でもありました。美しいかな文字の書を何度か拝見する機会がありました。孫を連れて出かけた東京都美術館の書道展をとりわけなつかしく思い出します。書道展の後、読書会で新美さんから半切(34.5×136)の書をいただきました。北原白秋の歌が斬新なレイアウトで流れるように描かれていました。
大きなる足が地面(じべた)を踏みつけゆく力あふるる人間の足が(地面と野菜)
孫(男の子)は当時4,5歳だったでしょう。幸い書道展会場は人がいなかったので、孫にねだられベビーカーから下したら、広々した会場を靴下のまま駆け出したのです。私はあわてました。ところが、新美さんは孫のやんちゃがたいそう気に入って、この白秋の詩を連想なさったそうです。その日は上野公園のうなぎ屋でうな重をごちそうになりました。孫もほぼ一人前を平らげたのには驚きました。今年中三になるこの孫の大好物は今でもうなぎです。

同窓の縁に加えて、下原敏彦の郷里、長野県のつながりがありました。新美さんの思い出の長野県は下諏訪。敏彦は下伊那郡阿智村でやや離れているのですが、長野県出身というだけで十分でした。戦争中、どういう経緯か、下諏訪駅の駅舎で長男を出産されたのです。その時助けてくださった助役さんのお名前を何度も口にされていました。戦後お二人のお嬢様に恵まれましたが、駅舎で生まれたご長男を若くして亡くされたことは新美さんの生涯でもっとも悲しいできごとだったでしょう。諏訪は私たち夫婦にとってもなつかしい地です。私の短大の同級生、ドストエーフスキイの会や読書会でいつもいっしょだった無二の親友伊東佐紀子さんの故郷です。伊東さんは平成7年4月20日に49歳で亡くなりました。何度かお墓参りに行きました。中央高速バスから見る諏訪湖は見慣れた光景です。


東京芸術劇場小会議室、池袋西口の居酒屋、高尾山、習志野市谷津干潟、上野不忍の池、石神井公園、日芸(江古田)。たくさんの楽しい時間をごいっしょに過ごし、折に触れて詠まれた歌を記したお手紙をいただきました。その中から。

2009年5月 谷津干潟散策を詠む。

次の日も次の日も消えぬ花のいろ私のなかの栃の木の花
この今がふっと不可思議樹の下に友だち十人小雀一羽


2009年11月23日 紅葉の高尾山を詠む。

あきつしま紅葉の山にゆきあえりすらり黒衣のイスラムのひと
シルバーシートにまどろめり今日の息子たちイワン、アリョーシャ メニイサンクス


2014年7月26日 清水正先生の講義を聞く(60年前に一学期だけ在籍した「日芸」で)

目にはみえない神秘のゾーン文学の頭上に長く横線ひとすじ
燃ゆるものひとばしるもの身にひびき受講三時間しずかに終る


自慢めいたことは口にしない新美さんでしたが、下原敏彦の本(『ドストエフスキーを読みながら』)進呈の返信に「安岡章太郎さん、椎名鱗三さん、私にもいくらかかかわりのあるお名前に引き込まれました」とありました。安岡章太郎と新美さんは同年代で、お父上はいずれも陸軍獣医官でお互いに親交があり、章太郎くんとシズちゃんはいっしょに遊んでいたそうです。椎名鱗三さん、また北原白秋さんとのかかわりについては、いつかじっくりうかがいたいと思いつつ、とうとうかないませんでした。詠まれた歌からも新美さんの文学に対する愛着と本物の教養が感じ取れます。

2007年2月10日の読書会で『鰐』の報告をされました。
『鰐』を読んで(ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.100 発行:2007.2.1)
専門家でもあまり論じない小品『鰐』をおもしろく紹介しながらも、本家ゴーゴリの『鼻』に軍配をあげ、曾孫くんに『一寸法師』を読み聞かせながら『鰐』を連想、「呑み込まれ方」における日本人とロシア人の気質の比較など、その発想のみずみずしさ、ピリッとくるユーモア、年齢を超越した表現に目をみはりました。このときの新美さん88歳。

新美さん、大好きでした。メニイメニイサンクス。あなたのように賢く愛らしく美しく年を重ねていきたい。そして、「今読むドスト君」と仲間たちとの交流を愉快に続けていきたいと思います。見守っていてください。もし、天国の庭で草むしりをする小柄なおばあさんを見かけたら私の母かもしれません。傍に痩身の紳士がいたら文学好きだった父かも。声をかけてみてくださいね。



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