ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.181
 発行:2020.8.20


8月「読書会」のお知らせ


月 日:  2020年8月29日(土)
会 場:  東京芸術劇場会館小5会議室 池袋西口徒歩3分
開 場:  午後1時30分 
開 始:  午後2時00分 ~ 4時45分
報 告:  ドストエフスキーのてんかんについて
報告者 :  下原康子さん 司会 太田香子さん
会 費: 1000円(学生500円)



大阪読書会10月「読書会」のお知らせ
第60回大阪10月「読書会」は10月10日(土)に開催予定です。
4:00~16:00、会場・東大阪市役所(東大阪市荒本北1-1-1)
ローカル記者クラブ 作品・『作家の日記』5~94頁 無料
※お問い合わせ 携帯080-3854-5101 小野URL: http://www.bunkasozo.com 



【編集室からのお願い】


会場の東京芸術劇場は、コロナ禍に影響され開閉は、直前まで不明です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認頂ければ幸いです。
※参加される方は、検温とマスク必須です。体調管理はしっかりと。
※会場では、連絡先(電話番号)筆記をお願いします。
※二次会は読書会としては中止します。が、各自開催は自由です。3密に気をつけて開催を。
マスク使用、検温実施、3密注意、厳守!!
以上のご注意、よろしくお願いします。編集室・下原敏彦 (2020・8・20)


8・29読書会について


コロナ感染拡大止まずです。8月読書会、直前まで不明ですが、8月20日現在、通常通りの開催を予定しています。なお、状況により急な中止(東京芸術劇場閉館)もありえます。心配の人は、当日東京芸術劇場に電話してご確認ください。(TEL03-5391-2111)
下原康子さんの報告は、4月読書会で冨田さんのあと予定していましたが、コロナ禍で報告できず8月の暑気払い・コロナ払いに変更しました。なお、コロナ情勢により、延期の場合もあります。ご了承ください。※体調にご不安のある方、熱のある方はくれぐれも無理をなさらないように。また猛暑の折り、熱中症にもお気をつけください。



ドストエフスキーのてんかんについて (報告メモ)


下原康子
 
参考HP
★ドストエフスキーとてんかん/病い 関連資料)
http://dokushokai.shimohara.net/meddost/shiryo.html
★ドストエフスキー(てんかんについて「てんかん列伝」より)
(愛知県青い鳥医療福祉センター 青い鳥ウェブ講座 てんかんについて)
http://aoitori-center.com/tenkan/dostoyevski.html


1.てんかん発作とは
脳全体あるいは脳の一部で神経細胞が異常放電を起こした状態である。(電気器具がショートしたイメージ)異常は発作時だけ。現在ではほとんどが薬でコントロールできるが、ドストエフスキーの時代には治療法がなかった。

2.ドストエフスキーのてんかん
脳の一部から起こり脳の全体におよんだとされる。発作は一日に2回から4か月に1回までの変動がある。平均すると、月1回の発作がおよそ35年間続いたと考えられる。遺伝的素因があった可能性もある。

3.医学文献
PubMedという医学論文データベースでdostoevskyの検索(タイトル&抄録)を行うと77件がヒットした。そのうち44件がてんかん関連であった。(2020年7月24日現在)。論文の著者は、てんかん専門医、神経科医、精神科医など。いずれも文学者とは目のつけどころが違う読み方をしている。

4.てんかん発作の記録
「書簡」「手帖」「アンナ夫人の日記」「同時代人の証言」などにてんかん発作の言及が見られる。また、「シベリアの第七歩兵大隊の医師エルマコフの診断書」が残されている。後年、ドストエフスキーがてんかんをわずらっていることは周
知の事実になっていた。

5.小説のなかのてんかん者
『主婦』ムーリン、『虐げられし人々』ネルリ、『白痴』ムイシュキン、『悪霊』キリーロフ、『カラマーゾフの兄弟』スメルジャコフ 他。

6.スメルジャコフの詐病てんかん
スメルジャコフは本物のてんかん発作と偽発作の両方を使い分けていた。

7.あらゆる種類の発作

発作の分類/身体的な前兆/特異な前兆・症状/後遺症

8.医学論文に見られる見解

①てんかんはドストエフスキーにとって、文学のみならず、人生や世界への態度、哲学・思想にまで大きな影響を与えた特別の体験だった。パスカルはかって『病の善用を神に求める祈り』を語った。ドストエフスキーもまたてんかんを善用したといえるであろう。
★Theophile Alajouanine 著 ドストエフスキーのてんかん (1963)

②ドストエフスキーは発作をくりかえしても知能の低下は来たさないことを自ら証明した。
★Henri Gastaut著ドストエフスキーの意図しなかったてんかん学への貢献(1978)

③てんかんがドストエフスキーの創作における主題、登場人物、ストーリーなどに影響を与えた重要な源泉の一つであることは明らかである。
★Norman Geshwind 著 ドストエフスキーのてんかん (1984)

④芸術が科学的観察を補強し、推考を助けることを示す好例である。
★Howard Morgan著ドストエフスキーのてんかん:ある症例との比較(1990)

⑤自身の病気を文学作品の中で知的に利用する方法を見出した。
★Ivan Iniesta著 ドストエフスキーにおけるてんかん(2013)

⑥ドストエフスキーは作品のなかにてんかんのある人物を登場させ、発作前の前駆症状や発作直前の前兆をみごとに表現している。
★松浦雅人 著 てんかんからみる人物の横顔 異論異説のてんかん史:ドストエフスキー(2011) 

⑦精神科に入ったら1~2年は精神医学の文献なんかよりもドストエフスキーを読みなさい。(今村新吉・初代京大精神科教授)
★『ドストエフスキー』 荻野恒一 著  金剛出版 1971

⑧創作家としてのみならず、てんかん患者としても天才的であった。
★赤田豊治著 精神病理学の立場から (ドストエーフスキイの世界 荒正人編著 河出書房新社 1963)

⑨「ロマンチック・リアリズム」と「ロマンチック・サイエンス」
ドストエフスキーと二人の神経科学者
(オリバー・サックス&V.S.ラマチャンドラン)



6・27読書会報告
 
 
参加者15名。初参加者は2名 
コロナ禍の嵐の中、はたして何名の参加者があるのか。既に2月読書会、4月読書会と連続して中止となっている。久しぶりの読書会である。定員を超えてしまうのではないか。それとも巣ごもり優先で報告者、司会者以外は、だれもこないのではないか。6・27は、そんな危惧と不安で幕開けた一日であった。緊張のなか、新しい人2名も参加で、総参加者は15名だった。定員28名の小会議室には、適時な人数といえた。3密は避けられた。

「スメルジャコフは私だ」に賛否分かれる
コロナ禍の最中ということで、参加者それぞれの巣ごもり生活の報告も予定していたが、報告者冨田さんのより身近に考察されたスメルジャコフ論と、司会者太田さんの適切な進行もあって、報告のみで時間を終えた。報告を聞いての感想は、このようだった。「潔癖さを理解する」「黒猫=魔女」「イワンが好き」「聖人に疑問」「信仰のあるべき姿」「最終的に、こうなるのでは。スメルジャコフの信仰」「私も幼いころ猫を殺したことがある」「全ての登場人物が自分」「スメルジャコフに巨大な悪を見る」報告者が冒頭に述べた「スメルジャコフは私だ」に感想が分かれた。自分に引き入れたところまでは評価するが、それにつづく中味がない。陳腐すぎる。もったいない。といった論稿を惜しむ批評がある一方、「スメルジャコフは私だ」と、言いきれた客観性を高く評価し、あとはこれからに期待するといった感想もあった。

※『ドストエーフスキイ広場 No.29』冨田臥龍「スメルジャコフは私だ」を参照



連載 

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第90回)新型コロナ禍、渡辺京二氏のドストエフスキーを読む ③
                                  
福井勝也
                                  
豪雨災害をもたらした梅雨明けが八月にずれ込み、その後に熱中症注意の連日の猛暑。お盆の帰省もままならぬコロナ禍の「特別な夏」が続いています。正式に「第二波」宣言は無いものの、新型コロナ感染者は七月以降も大幅に増加中。ちなみに、本日(8/11)の国内感染者数は50396人、死者数は1067人となって、前回の報告数字(6/7、国内感染者17260人、死者919人)と単純比較して、感染者数がほぼ二ヶ月で三倍近くなのに、死者数は比較的抑えられている現状があります。なお世界では(同、8/11)、感染拡大の規模が桁違いで、感染者数2000万人を超過、死者数は73万人となっています(ちなみに6/8、感染者700万人、死者40万人、4/6、感染者127万人、死者7万人)。この海外との違いをどう見るか。

前回、日本における「ファクターX」という話もしましたが、果たして死者数もこのままのレベルで推移するのか、特に間近の秋冬は油断できないでしょう。しかし、すでに国民も過剰なコロナ情報に麻痺状態で、毎日の感染者数にも不感症気味で発表を疑問視する意見も出始めています。おそらく、特効薬とワクチンの開発は直ぐには出来そうもないとすると、だらだらとした「巣ごもり状態」を余儀なくされるのでしょうか。しかし、経済も廻さないと危ないとする声も一層強くなっています。すでに半年以上コロナ禍が続いているわけですから、いつまで持ちこたえられるのか・・・・。

 実は、このように真面目に考えている折に、某思想家の一見「乱暴」とも受け取れる、「真っ当な」言葉に廻り合いました。新聞記者のインタビューへの応答とのことです。

「なぜそんな大騒ぎをするのか」「そもそも、人間とはずっと地獄の釜の上で踊ってきたような存在」と定義し、人類史とは、取りも直さず災害史であるのに、われわれは安全で衛生的な人工の環境に慣れ過ぎていたのだ。「だから、災害に過剰反応する」と喝破した。「そもそも、僕には日本という国の将来云々といった発想がない」と明かし、「要するに、人間は死ぬからこそ面白い」とまで述べたのである。(「毎日新聞」2011年9月13付夕刊)

末尾の新聞日付から分かるように、この発言は今回のコロナ禍に対するものではありません。2011年3月11日に発生し、福島原発事故を誘発した「千年に一度」と言われた東日本大震災で大騒ぎした日本社会に向けたものでした。いきなりこれだけ引用すると、やはり色々誤解を生むかもしれません‥‥。実はこの引用は、これから紹介したい渡辺京二氏の『ドストエフスキイの政治思想』(洋泉社新書、渡辺京二傑作選④、2012)の解説「民衆発見の物語」(河谷史夫)の一部なのです。勿論、この本を通読する前後に読んだわけですが、解説文は、その著者をもよく伝える内容のものでした(なお、さらに本書最後には、評論家勢古浩爾氏の「渡辺京二小論」もあり、こちらも参考になりました)。

結局、この本を何度か読み返しているうちに、渡辺京二氏の他の著作も読むことになり、この著者が「ただ者でない」ことが分かり、上記の発言も自分なりにどうにか消化するまでに至りました。その際に、上記渡辺氏の言葉が、そのまま今回の「コロナ騒ぎ」へ通用する発言のように聞こえて来たのです。ちなみに、渡辺氏は今年90歳になりますが、ご存命でいらっしゃいます。そして勿体ぶって当方がご紹介するまでもなく、渡辺氏は『逝きし世の面影』(葦書房1998、平凡社ライブラリー版2005、2018現在37刷)等の名著多数があって、かつて出版された著作に多くの熱心な読者が現れ、九州熊本に住む在野の思想家として広く注目されている方なのです。『苦界浄土』の石牟礼道子さんとも深い係わりがあって、石牟礼道子論『もうひとつのこの世』(2013)を書かれています。

さらに、当方が前から気になっていたことがあります。渡辺氏は戦前の大連旧制中学でロシア語を学ばれ(戦後は、旧制第五高等学校、法政大学)、世界文学の中でもロシア文学への造詣が深いということです。例えば、『私のロシア文学』(文春学藝ライブラリー、2016)という好著があって、そこの「ロシア文学と私」という一節には、こんな文章があります。

「そのあと(中学の)三年生の八月に敗戦がやって来た。そして四年生が終了する1947年の三月末、私は大連を去った。その間、西洋19世紀文学の主要作家はひとわたり齧り、最後はジイドとドストエフスキーを信仰する結末となったが、それもただ昭和十年代の流行に従ったにすぎない。特にチェーホフにいたる19世紀ロシア文学の大作家たちの主要作品のかなりを、この二年半ばかりのうちに読んでしまったと思う。」(前掲書p.263-264)

この後、敗戦後ソ連支配下で学んだロシア語の授業について触れ、さらに西洋文学のなかでのロシア文学の特異性(「世界は何であるのか、その中の人間と社会はいかにあるべきか、といった思想的・倫理的主題を扱う文学」)に心動かされ、それが氏自身の本性に照応したとの思い出を語っておられるのです。

「つまり私は、純粋に文学にいれこむ少年ではなかったのだ。そのころはそのつもりだったが、それは少年の錯覚で、私は文学そのものの美とかおもしろさよりも、文学を思想として歴史として、人間が生きて来た事実として読む種類の人間だったのだ。だから、ロシア文学が性に合った。人はいかに生きて来たか、いかに生きるべきかとそれは問うていたからである。」(前掲同書、p.264)

この述懐は、若き日に氏が悟った自己認識であり、その元になったロシア文学理解であるのでしょう。確かに現在ある著作の全体からは、「文学者」と言うより「思想家」と呼ぶに相応しい著者の相貌が浮かんで来ます。しかし同時に、この『私のロシア文学』自体が、女性ばかりの小さな読書会にあって、作品中心に語られた4講の文学講義で成り立っていることは印象的です。その具体的な内容は、プーシキン2講、チェーホフとブーニン各1講ですが、いずれも恋愛小説が対象になっています。それら4講は、どれも瑞々しい語り口で、作品の原文(たとえ翻訳文でも)を大切にした読解で、最後には細やかな読後感が残ります。おそらくそれは、渡辺氏の生来のロマンチックな文学的資質によるのでしょう。

もう1講は、本書のため特別に書き下ろされたブルガーコフ論で、比較的多めの頁が割かれています。この『巨匠とマルガリータ』(1966-1973)を論じた第5講は、作者ブルガーコフとスターリンとの関係にも触れ、その時代背景や奥行きに届く言及で、いかにもロシア・ソビエト文学に長年取り組んできた渡辺氏らしい思索の深まりを感じさせます。当方未だ『巨匠とマルガリータ』を通読したことがないのですが、ドストエフスキーを読んできた者として、大いに刺激的な作品紹介であると思いました。そのような感想を促す終わりに近い「救出された作品」という項目、その締めくくり文章を紹介しておきます。

「作者とは何者でもありません。作品は作者を超えるものです。それがすべてです。「イェルサレム・セクション」(魔術師ヴォランドの甦らせたビラトの物語、注)を含むからこそ、この小説は偉大と呼べるのです。おのれが憎むソビエト社会の虚偽をさんざんあざわらい、おまけにそれから脱出できたからと言って、巨匠=ブルガーコフは巨匠よりずっと勁い男だと思いますが、そんなことより、巨匠に「イェルサレム・セクション」を書かせたことで、ブルガーコフは芸術家として勝利したのです。もちろんこの「セクション」は『巨匠とマルガリータ』という全体の中に置かれ、ヴォランド騒動と巨匠・マルガリータの純愛物語と照らし合っているからこそ、その勝利は完璧なものになっているのですが。(前掲同書p.257-258)

だらだらと書き進めているうちに、主に紹介したいと考えていた『ドストエフスキイの政治思想』について触れる余裕がなくなってしまいました。それで今回は、とりあえず以下その導入のみで止めたいと思います。この『ドストエフスキイの政治思想』が単著になる経緯については、その新書版の著者「あとがき」含め、やや詳しく説明があります。元々は、『暗河』という季刊誌に連載(1973-1974)されたもので、初めは単行本『小さきものの死』(葦書房・1975)に収録発刊されたようです。その後、やや曲折を経て、手元の洋泉社新書、渡辺京二傑作選④として2012年に単行本として独立して刊行されました。

この書物と今回出会えたのは、「コロナ禍」のお陰であったと思っています。実は、この本に辿り着く前に『ドストエフスキーの戦争論』『作家の日記』を読む(三浦小太郎著、萬書房、2019.11.30)という著書の読書が先行しました。『作家の日記』、特にドストエフスキーの戦争論を読み直す内容で、当方の従来からの問題意識に重なるものがありました。

抑も作家晩年の時事問題を「ルポルタージュ」形式で扱った『作家の日記』は、時代背景と無関係な異国の読者には、元々読み難い作品なのは当然でしょう。同時に、この<連載>でも『作家の日記』について触れて来ましたが、作家晩年の特異な意見「戦争賛美を含む陳腐で愚劣な反動的政治論」が主張された作品というステロタイプな先入感は、克服困難なものとしてあり続けています。しかし同時に、この問題を解くことなしに、作家ドストエフスキーの生涯をトータルに理解することはできないとも思って来ました。その点で、『作家の日記』を突き詰めることは、ドストエフスキー文学の本質に迫る鍵になるはずです。そんななかで、「ドストエフスキーはなぜ戦争を賛美したのか」という課題に真正面から取り組んだ『ドストエフスキーの戦争論』に刺激を受け、積年の課題を喚起されたのでした。しかし、なおこのドストエフスキー生涯の「アポリア」について腑に落ちる説得力ある解答を得ることには、なかなか難しいと改めて感じた次第です。そして今回紆余曲折の末、それを可能にしたのが『ドストエフスキーの戦争論』の参考文献に掲載されていた、渡辺京二氏の『ドストエフスキイの政治思想』であったのです。三浦氏の著書の前提に、渡辺氏の著作が存在することを改めて知りました。結果、二著併せての有り難い読書体験となりました。ドストエフスキーを読み込む新たなステージを実感しました。

やや長い前置き、結論的導入になって恐縮ですが、とりあえず今回はここまでにします。最後に今回主に紹介した、渡辺氏の『私のロシア文学』の「ロシア文学と私」から、戦後におけるロシア文学との係わり、途中『作家の日記』に注目するまでの経緯について触れた部分を引用して終わります。この連載主題<「ドストエフスキー体験」をめぐる群像>に連なる、渡辺京二という優れた先達の証言であると思えるからです。

「その後(戦後、注)、ロシア文学との関係は消長があった。1948年の春、第五高等学校にはいったとき(学生改革で、最後の五高生になった)、迷わずに第二外国語にロシア語を選んだ。私はすでに共産党員だったから、当然の選択とも言えるが、そうでなくても、そのころゲルツェン、ベリンスキー、ドブロリューボフ、チェルヌィシェフスキーを知識人の鑑みたいに思いこんでいたから、そういう「革命的民主主義文学」の研究者になるか、といった気もあつたと記憶する。

そのうち党から離脱したこともあって、ロシア文学熱も鎮まり、カフカ、ヴァージニア・ウルフ、フォークナーへの熱中が続いたけれど、もうその頃は、自分に才能が少しでもあるとすれば、文学よりもっと広い精神史についてだと自覚するようになっていた。従って、ロシア文学への関心がぶり返したのもやっと八十年代にはいってからで、そのきっかけはパステルナークとソルジェニーツィンへの切実な共感、それにブーニンの新発見であった。

ただしその前、七〇年代に、ゲルツェンの『ロシアにおける革命思想の発達について』を読み、ロシア近代と日本近代のあまりにもの親縁に驚き、資本制社会への心情的抵抗線が、ロシア・スラヴ派から日本右翼思想にまでつながっている事実を痛感して、ドストエフスキーの悪名高い『作家の日記』と取り組んだことが合ったのを忘れてはなるまい。」
(前掲同書、p.265-266)(
青字は、筆者注)

なお、末筆ながら熱中症にも注意しつつ、新型コロナに侮ることなく対処しましょう!
                                  (2020.8.16)



新 聞 

ドストエフスキーを読むきっかけとなった小説『蒼氓』(下原敏彦)
朝日新聞 2020年7月24日(金)声欄

大学でオンライン授業を始めて3カ月近くになる。団塊世代には戸惑うことばかりだったが、このごろようやく慣れてきた。私のゼミの学生たちは巣ごもり生活の中、どんな本に関心を寄せたのか。感染症の恐ろしさを描いたデフォーやカミュの「ペスト」はむろんだが、彼らの琴線に触れたのは意外な小説だった。1935年に発刊され、第1回芥川賞を受賞した石川達三の「蒼氓(そうぼう)」である。ブラジルへ向かう移民船に乗った日本人たちを描いた作品だ。「昭和恐慌」という国難に見舞われた日本。東京は失業者であふれ、東北では餓死者が続出し、貧しき者は海外に向かった。日本への絶望と、未知の国への希望を抱いた「棄民」だった。なぜこの作品が、コロナ禍の学生たちにインパクトを与えたのか。故郷を捨て、親しき人たちと別れて移民する農民たちに、人間の弱さやしたたかさ、未知に向かって立ちあがる人間のたくましさを感じたことが、彼らの感想文から推察される。今、未曽有の国難にある日本。オンライン授業で知り得た学生たちの心根である。

追記:
1930年3月8日、作者石川達三(25)は、一攫千金の夢を抱いて神戸三宮駅に降り立った。移民船「らぷらた丸」に乗船するためである。未知の国ブラジル、行ってみて、よければ住んでよし、だめなら帰国してもよしのいい加減な気持ちだった。だが、そこに集まってきた農民たちを見て、彼は愕然とする。「私はこれまでに、こんなに巨大な日本の現実を目にしたことはなかった」あまりの農民たちのみじめさに彼は、外にでていって、だれにも顔を見られないようにして泣いた。そして、「この衝撃を、私は書かなければならぬと思った」


新 聞
 

ネズミたちの合理主義批判
東京新聞 2014年6月26日(木)「大波小波」

今年はドストエフスキーの『地下室の手記』が出てから150年。アンドレ・ジッドは同書を「ドストエフスキー全作品を説く鍵である」と位置づけた。語り手の男は、40代の退職官吏で精神の地下に引きこもっている。理由は極端な自意識過剰で、社会と適応できないのだ。男は自分を地下のネズミだと卑下して西欧的合理主義に反発し、数式の「2×2が4」に毒づいて、答えは5でもよいのではないか、と数理支配を罵倒。その男の異議申し立ては、コンピューター万能の現代まで通底する。このネズミを名のる男を思い出したかといえば、最近出た2冊の本に触発されたからだ。奥泉光『東京自叙伝』は、東京の地霊が語り手。幕末から維新、福島原発事故までの磁場を東京に固定し、時間軸で語る作品は構想が光る。地霊は、人間以外のネズミや猫にも変幻自在。歳の地下にうごめく人々の妄想や情念が動力だ。また、鹿島茂『モンフォーコンの鼠』の舞台は1930年代のパリ。バルザックやサン・シモン、フーリエ信奉者が跋扈する幻想的な都市地下小説だ。ここでも巨大化したネズミは非合理の象徴として現れる。実用や功利に否をつきつける。地下室人の精神は生き続けているのだ。(鬼太郎)


読 書
 

織田信長とドストエフスキー(神になりそこなった男)
朝日新聞社刊 梅原猛著『百人一語』(新潮文庫『百人一語』)

今、ひろく日本の歴史の中で、その人格に「近代精神」が具現した英雄を探すとしたら、織田信長において他に存在しないであろう。/ 彼が残虐であったためであるというより、近代という時代が中世的、宗教的権威の完全な否定の上にしか築かれないことを明らかに示そうとする時代精神がなさしめた業であるといってよかろう。/ いつも彼は人生を「夢幻」と見ることによって、冷静な判断をし、果敢な行動に出ることが出来たのである。この信長の思想はニーチェのいう積極的なニヒリズムであるといってよかろう。信長はこの「積極的ニヒリズム」を「合理主義」と結合させ、それを行動の原理としたのである。ところが、信長は晩年、そうけん寺という壮大な寺院を安土城の中に築いた。/ 信長はこの寺で自分自身を永遠の「神仏」としたようであることは、近代思想は結局、/ 「人神思想に帰結するというドストエフスキーやニーチェの予言を思わせるが/ 滅んでいった人間の一人にすぎなかったのである。



広  場
 

ドストエフスキー生誕200周年記念、前夜祭

2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載します。投稿は、到着順に掲載します。(多数の場合は、次号掲載となります。)

投 稿       

或る俳優の死       
太田香子 

「ラスコリニコフが最初に抱えている“自分って何者なんだろう”という思いは、実は誰もが持ち合わせているものだと思うんです。そんな普遍的なところから始まるので、決して遠い話ではないんですよね。だから、一線を越えてしまう彼の心理も丁寧に作っていけば伝わるものがあるはずだと思っていて。実際、自分を正当化するためにまくしたてるセリフなどは、僕自身、高揚感があったんです。その高揚をそのまま伝えられたら説得力が出せるかもしれないと、そこは自分に期待したいところでもありますし。」(朝日新聞 2018年10月18日)

美男の俳優は、年明けから公演が始まる舞台の役柄について、新聞のインタビューでそんなふうに語った。その舞台の原作は、彼女にとっては特別なものだった。13歳の時に主人公ラスコリニコフに自分の影を見いださなければ、大学で哲学を専攻することも、ドストエフスキーの読書会へ通うこともなかっただろう。人生の中心にある作品の舞台化。誤った解釈や演技がされることはないだろうか。期待半分、心配半分、チケットがほぼ完売する中、かろうじて売れ残っていた平日夜の最後列の一枚をためらいつつも手に入れた。

観客は年代も性別も様々だった。作品の内容からすれば、若い女性が多かったといえるかもしれない。主役を演じる俳優のファンが多いということかとぼんやり思いながら、パンフレットを買い求めた。舞台は原作に忠実で、3時間を超える長丁場だった。当然のことながら、ラスコリニコフは出ずっぱりで、原作の台詞のほぼすべてを網羅していたことになる。美男でインテリというラスコリニコフ役としての最低限(にしてハードルの高い)外面的な基準をクリアしただけではなく、ラスコリニコフという人物を理解していることが伝わった。パンフレットにあるインタビューや対談からもそれはうかがえた。

それから一年半後、長雨と未知のウイルスの脅威で悶々とする7月の土曜日に、その訃報は伝えられた。あまりにも突然のことで、誰もが耳を疑った。彼女は本棚に手を伸ばし、一年半前の舞台の日以来開いていないパンフレットのページをめくった。

(「タイトルにある『罪』には、犯罪だけでなく色々な意味を重ねることができます。皆さんが、日常の中で自分に『罪』を感じる状況や物事はありますか?」との問いに対して)
「僕は……例えばSNSなどで発言することによって、思わぬ人や場所で怒りが生まれたりすることがありますよね? でも、それを恐れて必要以上に内向的になったり、気持ちが弱った挙句に自傷や自殺など自分を否定してしまうことが、生きていく上では『罪』じゃないかと、今ふと思いました。」(Bunkamura theatre cocoon 『罪と罰』2019年1月9日発行 

「彼(ラスコリニコフ)は大きな罪を犯しますが、日々を生きる中で、自分に対する期待や理想に押しつぶされそうになっていたと思うんですね。ヒロイズムや『特別な存在になりたい』という願望は誰もが持つ要素でしょうけれど、その思いが強すぎて歪んでしまうと、突拍子もない狂気に足を踏み入れてしまう。最初は大義から殺人を犯したつもりが、予想外の罪を重ねて、自分がやっていることの意味がわからなくなるんです。正義と罪とを天秤にかけた時に、徐々に均衡が取れなくなる。そんな中で、自分と似た人間だと思いたいソーニャの愛情に触れて改心していきますが、彼が迷い、もがく瞬間を、丁寧に表現できたらと思っています。人を殺しているのでハッピーエンドとはいえないかもしれないけれど、最後に訪れる『救い』という一筋の光が嘘に見えないように、そこまでを全力で演じきりたいですね。」(同上)


投 稿        

罪の反対は罰        
富岡太郎

『人間失格』の中で、「罪の反対語はなんだ?」と主人公が言って、ドスト氏の『罪と罰』を思い出し、「ちょっとわかってきた」という場面があった。「罪」は、ラスコーリニコフに関しては「他人を裁くこと」、そして「罰」は、ラスコーリニコフに訪れたのは「自分を裁くことだ。だから方向性は正反対(はやりの表現で真逆)。あるトラブルに直面して、その時「他人のせいにして」行動すれば、それは「罰」それも「一番苦しい罰」だ。『人間失格』は、主人公に他人を裁けない弱さがあり、むしろ主人公を不道徳と裁いて入院させる「世間」を「罪」と描写しているようである。すると「世間が自己否定することが「罰」となる。つまり『人間失格』の主題は、善人ぶった「世間」の非人道性となるようだ。

アリョーシャは、なぜ優しいか     
富岡太郎

『カラマーゾフの兄弟』の主人公、アリョーシャは素直で優しく、意地悪なところのない見習い修道僧だ。しかし愛欲の父や兄たちと同じく、女性に狂う衝動はおさえがたく、書かれるはずだった後編ではテロリストとなる。アブラハムが最愛の子イサクに殺意を持ったようにロシアを救うためにリーザに手をかけ皇帝暗殺に協力したかもしれない。同じ母親の兄、イワンはアリョーシャの分身であり、ヨブ記のヨブのように不条理な苦難から神を見失うが、父親殺害の主犯格の過去があばかれそうになると皇帝を守護し、弟と対決し、そして優しい弟に命を「さし出す」優しい兄として終わったかもしれない。ドミトリーはアメリカから帰国して、アリョーシャとイワンの双方に資金を提供し、近代化共和制を目指すアリョーシャと、「近代化は、人を狂わす」と思い知っている兄イワンのどちらが真理か迷う。つまり後編ではイワンの方が古典的に善良で大地に足をつけ、血の気が多いのはアリョーシャとなるだろう。アブラハムはアブラハム族の族長として部族全滅をふせぐため、ひそかに人柱とてイサクを「ささげる」と決める。同じことをアリョーシャも決断する。

しかし大審問官を作詩したイワンは、神を裏切っているのはテロリストのアリョーシャだと理解し、君主を守ることが人の道であり、近代文明の「ごうまんさ」をアリョーシャに教えようと試み、彼を追う。結末はわからないが、優しい人ほど「こわい」結末になる。と思ってしまう。



出 版

『すばる 8月号 』
連載 亀山郁夫「ドストエフスキーの黒い言葉」
              
『ドストエーフスキイ広場 No.29 』2020.4.11 
寄稿論文1 ・論文6 ・翻訳論文1 ・エッセイ3 ・旧著新刊2 ・報告1



掲示板


原稿募集 ドストエフスキー生誕200周年記念に原稿を募集します!
2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載します。
「読書会通信」編集室は、生誕200周年を記念して、原稿を募集します。テーマは「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」です。メールまたは郵送にてご送付ください。読書会開催の有無に関わらず「読書会通信」は定期的に発行します。いただいた原稿は順次掲載していきます。

ドストエーフスキイの会のお知らせ コロナ禍を受けての活動方針
・「例会」の中止 開催のめどが立ちしだい通知します。
・『ドストエーフスキイ広場』の発行は、継続します。
・次年度の『広場』については、会員からひろく論文・エッセイを募集します。

10月読書会の予定
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