ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.180
 発行:2020.6.20


6月「読書会」のお知らせ


月 日:2020年6月27日(土)
場 所:池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)03-5391-2111
開 場:午後1時30分 
開 始:午後2時00分 ~ 4時45分
作 品:『カラマーゾフの兄弟』 6回目
      米川正夫訳「ドスト全集12、13巻(河出書房新社)」 他訳可
報告者:冨田陽一郎さん 司会:太田香子さん
会 費:1000円(学生500円)



大阪「読書会」のお知らせ

第55回大阪6月「読書会」は、6月13日、会場を変更して開催しました。
6月13日(土)14:00~16:00、アナクラウンホテル大阪24階 清交社 参加費無料
大阪市北区堂島浜1-3-1 ANAクラウンブラザーホテル大阪24 清交社
『カラマーゾフの兄弟』第13編
小野URL: http://www.bunkasozo.com 



【編集室からのお知らせとお願い】


5月31日、緊急事態宣言は解除されましたが、コロナ禍は未だ予断できない状況にあります。会場の東京芸術劇場開閉は、感染者数に左右されます。直前まで不明です。心配な方は当日、東京芸術劇場(03-5391-2111)にご確認頂ければ幸いです。
※参加される方は、検温とマスク必須です。体調管理はしっかりと。
※会場では、連絡先(電話番号)筆記をお願いします。
※二次会は読書会としては中止します。が、各自開催は自由です。3密に気をつけて開催を。

2月に続き4月の読書会も中止の止むなきに至りました。
6月読書会、開催できるように願っていますが、急な中止もありえます。心配の場合東京芸術劇場に電話してご確認ください。(TEL03-5391-2111)
※編集室主催での懇親会は行いません。

なお、下原康子さんの報告も予定していましたが、次回8月に延期します。会の後半は、参加者のフリートークにしたいと思います。
「ステイホームでしたこと、考えたこと、読んだ本」など語りあいましょう。
※参加に際しては、検温、マスク着用でお願いいたします。
※体調にご不安のある方、熱のある方はくれぐれも無理をなさらないようにお願いします。
編集室・下原敏彦 (2020・6・18)

東京芸術劇場は、小会議室使用につき以下のお知らせを出しています。

東京芸術劇場 リハーサルルーム・会議室ご利用にあたってのお願い

リハーサルルーム・会議室のご利用にあたっては、劇場側でもできる限りの清掃・消毒等を行いますが、事前および当日に下記を実施してご利用ください。

● 3密にならないように参加者の人数調整や、当日の人員配置等も検討して実施してください。
● 参加者全員に、来館前に検温をすること、平熱+0.5℃以上の発熱がある場合や咳や咽頭痛などの症状がある等体調が優れない場合は参加しないように伝えてください。
当日も会場で可能な限り実施前に検温をするようにお願いします。
● 参加者全員に、当日はマスクを着用、咳エチケット、手洗い、手指等の消毒を徹底するように伝えてください。(リハーサル中等やむを得ない場合除く)
各団体でも消毒用のアルコール等をご準備ください。
● 窓のある部屋は可能な限り窓を開けて実施してください。窓のない部屋は、休憩中など随時換気をお願いします。リハーサル・会議中はドアを開放しないようにお願いします。
● 当面の間、館内のごみ箱を撤去しますので、ごみは全てお持ち帰りください。
● 代表者は参加者全員の連絡先リストを作成してください。利用日に提出の必要はありませんが、後日劇場から問合せをする可能性があります。
● 万が一感染の疑い・感染者が出た場合は、至急劇場担当者に連絡をお願いします。
● 保健所等から協力要請があった場合はご対応をお願いします。
● 利用日当日にチェックリストをお渡ししますので、リハーサル・会議終了後にご提出をお願いします。
● 劇場では感染防止の対策を講じますが、新型コロナウイルスへの感染リスクがあることをご理解の上、ご利用をお願いします。
● 感染者が出た場合の施設消毒については、利用団体に費用をご負担いただく場合が ありますので上記対応の徹底をお願いします。2020.05.26
 


6月27日読書会


6月読書会レジメ      

スメルジャコフについて

冨田 陽一郎 (筆名 冨田臥龍)

今回の発表は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の中の登場人物、スメルジャコフについてである。スメルジャコフについては色々言われているが、この人物を自分に重ねて読む人は少ない。それは、スメルジャコフが気味の悪い下男として描かれていることもあるが、最も肝心な点は、作者ドストエフスキーがあえて感情移入しにくいように、客観描写によって描いている点にある。だが、これが盲点であって、本来はドミートリイ、イワン、アリョーシャの三兄弟に加えて、スメルジャコフもまた、おそらくはフョードルの子という点において、主人公たちの一人と考えて、主観的に感情移入して読んでもいいはずなのである。ちなみに、作者は冒頭で、アリョーシャを主人公と述べているが、三兄弟とそれに加えての一人であるスメルジャコフも、父フョードルの子という立ち位置において、同等に主人公の資格を持っていると発表者は考えている。

発表者は、ここで語り手から遠く、作者によって感情移入しにくいように設定されているスメルジャコフから見た『カラマーゾフの兄弟』というものに注目している。それは発表者の人生体験と、読書体験から、この共感を拒絶する人物に親和感を覚えたからである。また、人間にとっての「悪」の問題というものに関心を持っており、その体現者としてのスメルジャコフに着目している。「悪」の問題を解くことで、「善」の問題や、人間における究極の善悪の裁き手である「神」の問題、神と人間との関係の問題、神がいるのに、なぜ世界には貧困や戦争といった苦難が起こり続けるのか、といった問題なども、解けてくると考えるからだ。
 発表は、原卓也訳を用いて、主に作者によるスメルジャコフの描写と、スメルジャコフの発言から引用して、スメルジャコフ自身に語らせる形で発表を進めてみたい。(第178号掲載重複)



プレイバック読書会 1971年(発足初年度)
 編集室

コロナ禍、終息せず、4月25日(土)「4月読書会」も中止に追い込まれた。2月読書会に連続しての中止となる。1971年に開催してから一度もなかったことだ。奇しくもドストエフスキー生誕200周年を迎える前年にあたる。人類と文明に警鐘を鳴らしつづけた作品群に因縁を思う。ドストエーフスキイの会、通称「例会」は、1969年末に発足して、市民と研究者による研究活動をスタートさせたが、1970年末に会員有志で「全作品を読む会」を発足、読書会を興した。以下は、発足初年度における「全作品を読む会」読書会の開催記録である。

□1971年4月14日 第一回読書会、作品『貧しき人々』報告者・佐々木美代子氏 
 会場、早稲田大学校友会館 午後6時~9時 参加者12名
□1971年5月15日(土)第二回読書会、作品『分身』報告者・岩浅武久氏 
 会場、早稲田大学校友会館 午後6時~9時 参加者12名
□1971年6月26日 第三回読書会、作品『プロハルチン氏』『九通の手紙に盛られた物語
 報告者・佐々木美代子氏 会場、早稲田大学大隅会館 
□1971年7月○日 第四回読書会 作品 『ペテルブルグ年代記』『主婦』
 報告者・佐々木美代子氏 会場、早稲田大学大隅会館
□1971年9月25日(土)第五回読書会 作品『ボルズンコフ』『弱い心』『主婦』
 報告者・野田吉之助氏 会場、早稲田大学大隅会館、18-21時
□1971年10月15日 第 六回読書会、作品『人妻と寝台の下の夫』『正直な泥棒』
 報告者・野田吉之助氏 会場、早稲田大学大隅会館、18-21時
□1971年11月13日 「ドストエーフスキイ生誕150周年」早稲田小野講堂
□1971年12月○日 第九回読書会、作品『クリスマス・ツリーと結婚式』『白夜』
 報告者・佐々木美代子氏 会場 早稲田大隅会館 18-21時
□1971年12月○日 第八回読書会、作品『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』
 報告者・佐々木美代子氏 会場 早稲田大隅会館 18-21時

処女作『貧しき人々』から『『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』』まで、実に最初の一年間で13作品を読了した。

※約10年1サイクルで全作品を読了している。2020年は5サイクル最後の年。



連 載      
       
ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第89回)新型コロナウイルス禍の今日的危機と「ドストエフスキー」 ②

福井勝也

読書会が再開されようとしている。しかし「東京アラート」なるものが今も(6/11)発令中で、感染の第2波の危機もくすぶっている。今年になって始まった中国・武漢発の新型コロナウイルスによる「パンデミック(世界的大流行)」も既に半年が経過した。この間吾国は、「緊急事態宣言」発令から解除(4/7→5/25)までどうにか国民的に凌いできたが(6/7、国内感染者17260人、死者919人)、世界では、なお感染拡大の勢いが止まらない。(6/8、感染者700万人、死者40万人突破、前回連載時は、4/6、感染者127万人、死者7万人)。

なお、これまでの日本人死者数が「奇跡的に」少ないことは幸いとしか言いようがない。この理由がどうにも気になるわけだが、今のところ確定的な原因は明らかになっていない。散見したものでは、武漢から感染が始まった新型ウイルスが、当初東アジア地域に伝搬した種とイタリア経由でその後欧米へ広まった種とは、その種類を異にしていて、この間に一層悪性化するウイルス変異があったという説、感染に風土的な要因が関与していて、欧米とアジアに地域的な差が出たとの説(この点、アフリカ大陸での感染拡大が現時点でそれ程でないのが救いか)、BCGの伝統的予防接種地域による影響説などがある。その他要因では、個別日本の社会文化的原因として、伝統的な日本人の衛生意識の高さや握手やハグをしない習慣、口角沫を飛ばす派手な議論を好まない国民性等が指摘された。

そして更に気になったのは、「都市封鎖」で外国と異なった、強制命令を含まない吾国の「緊急事態宣言」と国民順守のあり方であった。一時は世界から日本的規制のゆるさが非難されたが、とりあえずその意外な好結果ということで、日本型コロナ対策の「奇妙な成功」として報じられた(5/14、米国外交誌面)。この関連で波紋を呼んだのが、麻生財務相の「国民の民度が違う」との発言(6/4)があった。確かに「民度」という言葉には、人種差別的なニュアンスを含み時代錯誤的だが、国民性の差異を示す尺度とニュートラルに考えれば肯ける余地もあろう。今回の危機にあって、各国の国柄や国民性が露出しているわけで、あえて自国(民)の特性を声高に自慢する必要もないが、誇れるところを長所として再認識するのは悪いことではない。確かにマイナスに働く同調圧力にも考慮して、秋冬の第2波・第3波に備える国民的自信を培うことも大切だろう。今は、確実視される次期感染拡大期に備えて、新型コロナウイルスの正体を見極め、吾々に今後根本的に何が求められているかを熟考すべき時機だと思う。とにかく「ポスト・コロナ」にはまだ早すぎる。
 
そんななかで、今だけの「コロナ談義」に終わらせないために、「ステイホーム」の日々に触れた関連の論稿を幾つか取り上げてみたい。最初は、以前本稿でも紹介した亀山郁夫氏の連載稿「ドストエフスキーの黒い言葉」、第九回「全世界が、疫病の生贄となる運命にあった」である(『すばる』7月号)。その「1 顕微鏡レベルの微生物」の冒頭では、前号で当方も引用した『罪と罰』「エピローグ」のラスコーリニコフがシベリアで見た悪夢の寄生虫が、世界に蔓延する作家畢生の「黙示録ビジョン」が掲げられる。但しその項では、ラスコーリニコフ覚醒後のあり方への解釈が保留され、論稿最後に後回しにされる。

以降、現在コロナ禍の勘所の問題と交差させたエッセー的叙述「2 バタフライ効果」から「患者選別」へ」、次の「3 ロシアの災厄」では、同時代文学に影響を及ぼした疫病で『悪霊』にも登場する19世紀コレラ禍の文学的爪痕が種々紹介される。その圧巻は、今日痛切な言葉として響く、コレラ罹患を病的にまで恐れたツルゲーネフの「告白」か。これはネタバレを避けて、皆さんには是非直接読んで頂きたい。さらに書簡でツルゲーネフが『罪と罰』のドストエフスキーを称したとされる「コレラ時代に持続的に続く腹痛」という表現か、こちらも初耳でおそれいったが、ツルゲーネフの真意を現時点でどう忖度すべきか。この辺、亀山氏の記述は専門家のものだが、その話題の間口は広く、奥も深い。

しかし今回論稿の焦点は、次の「4 コレラとニヒリズム」と最後の「5「悪夢」のあとに」にあると見た。ここでの
「疫病」が、ドストエフスキーにとって「ニヒリズム」に言い換えられる文学的隠喩との当然に改めて驚いた。この点で、エピローグの「微生物」「知恵と意志をさずかった霊的な存在」として飛躍的変貌を遂げる根拠について、「なぜなら、ドストエフスキーとその同時代人が、この時、未曾有の脅威として受け止めていたのは、みずからの存在の根幹をゆるがしかねない信仰の喪失であり、ニヒリズムの嵐だったのだから」と、亀山氏は既に冒頭で伏線を張るように書き込んでいた。

そして最後の「5「悪夢」のあとに」では、「顕微鏡レベルの微生物」の悪夢から覚めたラスコーリニコフにどのような精神的変化が訪れたか、その『罪と罰』における最終問題に辿り着く。亀山氏はこの問いに対して、一見あいまいだが、しかし
作家のニヒリズムを背景にした明白な回答を述べていることを再確認した。その最後の言葉を引用しておく。
 
『罪と罰』の読者のなかには、この「エピローグ」の数章が過剰と言えるほどに感傷的であることに気づいた人も少なくないだろう
。作者自身、果たしてラスコーリニコフの復活に、この最後の一行(「彼は甦った」)ほどの確信を持つことができたのか。むろん作者自身、甦りのための長く苦しい道のりをそれなりに想定していたことは間違いない。 [‥‥‥] しかし、果たして何をもって甦りとするのか。「将来にわたる大きな献身」とは果たして何を意味するのか。作者が、それに対する明確な回答をもっていたとは私は確信することができない。が、この物語が、これ以外のフィナーレは持ちえようがなかったこともまた事実なのである。(下青字表示は筆者)
 
前回の連載文末尾で、新型コロナウイルス禍の今日にあって、吾々は、ラスコーリニコフが「新人類への甦生」を目指し「キリスト」の道に目覚める選択をしたように、「新たな生活」への「行動変容」の必要性を説いた。「コロナは死という生の前提を各人の目前にもたらした」が、果たして今日、作家の真意をどう読むべきか、改めて問うべき時だろう。

すでに「新型コロナ禍」の脅威が近接しつつあった時期、神保町の東京堂ホールで夕方から開催された講演会にマスクをして参加して来た(2/20)。座席も講演時間にはほぼ埋まったと思うが、果たして座席間の距離にどの程度の配慮をしたかどうか、既に記憶がない。この講演記録が先月(5/26)入手できたので、この場で感想等含め報告してみたい。

かなり真剣に、同時通訳による45分程の講演とその後のパネラーとの遣り取りをメモしたつもりだったが、その場を含め、十分にその内容を咀嚼できたとは思えなかった。聴き直したいと思った内容だったので、講演が記事になり雑誌で読めるようになって喜んだ。

もって廻った導入で恐縮だが、講演会は科研費助成事業として名古屋外国語大学の亀山郁夫学長の下、日本ドストエフスキー協会(DSJ)が中心となって開催された。このドストエフスキー国際ワークショップの基調講演が、モスクワドストエフスキー博物館長のパーヴェル・フォーキン氏による「《信仰の象徴》としての『カラマーゾフの兄弟』」であった。 ただし、岩波書店発行の『思想』6月号(5/26発売)に掲載された論文のタイトルは、「ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』」となっていた。

『思想』の本内容は28頁の構成で、フォーキン氏の論稿(13頁、翻訳は番場 俊氏)を中心に、その前に見開き2頁の亀山氏〔解題〕、論稿後に〔コメント〕として4本の感想等(望月哲男、越野剛、番場俊、亀山郁夫の4氏で、文量はほぼ見開き各2頁)が掲載されている。何と、この後に〔特別寄稿:ロシアのキリスト像の探求〕ということで、「ドストエーフスキイの会」の木下豊房代表が5頁程の小論を寄せられている。木下氏が寄稿される件については、亀山氏から発刊前にお聞きしていたが、木下先生からも講演者フォーキン氏の要望に応えたもので、執筆依頼は亀山氏を通じてであったとお知らせ頂いた。

最初に亀山氏から話を伺った時、とにかく素晴らしい廻り合わせが進んでいるなと感じた。フォーキン氏の講演を活字で再確認できるうれしさもあるが、おそらく講演内容に感想を寄せる人選にあって、木下氏は最適な専門家だろうと僕なりに納得したからだ。それもフォーキン氏からの要請とは言え、亀山氏が直接執筆依頼をされ、木下氏がこれを承諾される回路が成立したことになる。この間に色々な配慮が働いたことが推測できよう‥‥。

今回の講演会について、こんな経緯までこの場に書き記すのは、自分なりに感慨があるからだ。しかしここで、当方が余計なことを述べるつもりはない。来年ドストエフスキー生誕200年、再来年IDS名古屋大会招致、さらに今年、未曾有の被害を人類にもたらしている「コロナ禍」進行の真最中、やはり吾々には「ドストエフスキーをあいだにはさんだ対話」が必要なのだろう。今こそ、両先生が歩み寄って、ドストエフスキーについて語り合う瞬間が必然なのだろう。それがどんなかたちにしろ、希望の「対話」として実現したことは、僕にとってずっと願って来た喜ばしい事態なのだった。そのことをもたらしたのが、モスクワドストエフスキー博物館長のパーヴェル・フォーキン氏の講演だとしたら、それは「ドストエフスキー・コール」そのものと言えるのではないか。
 
パーヴェル・フォーキン氏の講演録「ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』」に何より衝撃を受けたのは、語り始められて間もなくの次の件だった。「『カラマーゾフの兄弟』は稀有なジャンルの作品です。伝統的な小説ではありません。芸術文学の作品でさえありません。これは小説の形をとった
作家の信仰告白〔シンヴォル・ヴェールイ 信条、信仰の象徴〕です。ドストエフスキーの「ホザナ」であり、つまり、この世にきたるべきキリストを待ちかまえて胸を騒がせている彼の歓迎の言葉なのです。」(p.48)

ここで「信仰告白」という言葉に訳者もあえて註を付しているが、キリスト者でない日本人にとっては、確かに理解が難しい言葉だ。そのためか、訳者他の数人の方が〔コメント〕で部分的解説をしている。その一人越野氏は「
ロシア語では言葉で書かれたテクストが信仰のシンボルと呼ばれるのは興味深い」。と注釈していた(p.64)。これはありがたかった。これによって、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』というテクスト自体を《信仰の象徴》すなわち《信仰告白》として書いたということがズバリ分かったからだ。

そのフォーキン氏の見立ては、作品全体のあり方をも規定してゆく。すなわち「著書より」と題された序文で語られた「第一の小説」=『カラマーゾフの兄弟』とは、13年後に33歳=福音書のキリスト年齢になったアリョーシャの20歳時点の物語ということになる。故に「小説」のアリョーシャは、荒野で悪魔からの試練に晒されるキリストに擬えられる。

さらに講演をお聴きしていて何とも不思議だったのが、大審問官がキリストに思いがけぬキスをする件で、「これは最高の慈悲のしるしであり、復活と永遠の生の誓約のしるしです。それはあまりにも抗しがたいものであったため、大審問官は囚人を釈放せざるをえません」(p.53)。と余りにサラリと述べられたことだ。その言葉はとにかく自然に聞こえた。
 
予定された「第二の小説」の内容にしても、大審問官のキスの意味にしても、これまでに亀山氏をはじめ、多くの論者が説得力のある現代的仮説を披瀝してきた。当方も十分それらに説得されて来た。そしてその背景には、60年代以降ドストエフスキー文学の読みを一変させた、ミハイル・バフチンのポリフォニックなテキスト解釈の影響があった。何も自分もそれらすべてに見切りをつけようとは思わない。実は『思想』にコメントを寄せた亀山氏を含む4氏は、それぞれの説得力を持ってフォーキン氏の「信仰告白」に異議を唱えられている。読んでいるとどれも納得させられる内容を含んでいる。是非、直接読んで欲しい。しかし、とりわけ気になったのが、亀山氏コメントの最後、以下の部分であった。

「最後にもう一つ、フォーキン氏が、バフチンの主張する「ポリフォニー性」を否定し、あえて
イデオロギー的な読みを敢行した根本の動機について考えてみよう。少し抽象的な物言いになるが、それこそは、『カラマーゾフの兄弟』のもつ有機的な全体性を、その全体性において捉えたいという全一的欲求に発するものではなかったろうか。おそらくここには、ソ連崩壊後のロシアにおける知のストリームが象徴的に示されているように思われる。フォーキン氏は暗にこう主張しているかのようである。文学と倫理との間に明確な線を引くことをしないロシア的メンタリティこそ、二一世紀におけるドストエフスキー受容の真のありかただ、ドストエフスキーをロシア的に取りもどさなくてはならない、と。」(p.70)
                      
この発言は、フォーキン氏自身に応えてもらいたい本質的かつ深層からの問いと思うが、おそらくフォーキン氏は、亀山氏が問題とする「
イデオロギー性」とは無縁のところから発しているので議論は噛み合わないのではないか。しかし不思議なことに、この議論は決して「ロシア」固有のものとは言えない問題であるように思う。特に日本人にとって、下線を引いた文学と倫理との間の線引きの無さこそ、日本近代文学のみならず日本文学が係わってきた本質だとも思えるからだ。果たして、これは非難されて然るべきことか?この「ロシア」が「日本」に置き換えられとしたら、問題をどう考え直したらよいのだろう。

それと実は、この亀山氏の問いに応えるヒントが、木下氏の〔特別寄稿:ロシアのキリスト像の探求〕のなかにあると思った。木下氏の小論が寄稿されてとにかく良かったと思ったのは、ここ数年インターネットを駆使した木下氏の旺盛な研究成果が、ある方向性を示していると思っていたからだ。それは例えば、本小論にも引用される論文「『カラマーゾフの兄弟』におけるヨブ記の主題とゾシマ長老像、及びその思想の源流」(『広場』第27号、2018年)の内容に顕著と言える。実はフォーキン氏の語る『カラマーゾフの兄弟』の「信仰告白」の前提こそが、木下氏が近年明らかにして来たドストエフスキー文学への宗教的系譜の問題であった。おそらくその作業をフォーキン氏は既に着目していて、木下氏へのオファーになったと推測される。木下氏の「へシュカスム(「静寂主義」)」「長老像」「オプチナ修道院との関係」「モデル問題」等への執拗な探求を読んでいると、自分には、むしろロシアが日本と同様にアジアというより広い歴史文化圏にあるという大前提に引き戻されるように感じる。この点で、フォーキン氏今回の「信仰告白」の報告は、聴衆がキリスト者かどうかを問わず、普通の日本人にも素直に聴き取れる内容として読み取れた。

そしてもう一つは、ここ数年木下氏が注目している、ドミトリー・リハチョフに関してだが、亀山氏のフォーキン論文の「イデオロギー性」の問題に対しても、木下氏は直接的ではないが、これにこんな風に応えているように読めた。
 
「それにつけても、
私はドミートリー・リハチョフの「形式に対する羞恥」という概念を思い出す。彼は、定型化し常套化した文学ジャンルを否定して、人生の真実、道徳的真実を前景化しようとするロシア文学固有の特徴を、「形式に対する羞恥」と名づけた。その意味でも、『カラマーゾフの兄弟』では大筋の通俗小説的ストーリイと平行して、駆け出しの文筆家イワンによる叙事詩「大審問官」と見習修道士アリョーシャの回想による、師ゾシマ長老の聖者伝スタイルの法話といった異種のジャンルが作品の中心に挿入され、前景化されていて、特別のメッセージを生み出す効果を出している」(p.71)。

この魅力的な「形式に対する羞恥」という概念については、より広範な検討が必要だろう。しかしそれは、今回木下氏によって的確に機能したことは確かだと思う。(2020.6.11)



広  場
 

2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載します。投稿は、到着順に掲載します。(多数の場合は、次号掲載となります。)

テーマ 「私は、なぜドストエフスキーを読むのか」



「私は、なぜドストエフスキーを読むのか」①



私とドストエフスキー
                                
太田香子

13歳、中学2年生だった私が気乗りしないスキー旅行の帰りのバスで読む本として『罪と罰』を選んだのは、国語便覧に載っていた本の中で一番タイトルがカッコいい、という理由からだった。それがロシア文学であるということも、ましてドストエフスキーがどのような作家であるかということも全く分かっていなかった。要は目隠しをしてくじを引いたのと同
じであり、その引いたくじが―大当たりだったということなのだ。

私はラスコーリニコフだった。その本には、言葉にはできないが常に心の中でもやもやしている違和感や怒りがすべて表現されていた。その時から「自分を一番よく知っているのは自分」という言葉は私の辞書から抹消された。私をもっともよく理解しているのはドストエフスキーでしかありえなかった。

私はすべてを見通されていた。10代の私にとって、ドストエフスキーは自分の唯一の理解者であると同時に、自分のすべてを知り抜かれている意味でもっとも憎らしい存在でもあった。ドストエフスキーの作品に入ることは自分を知ることであり、それは最大の欲求である一方、もっとも関わりたくない問題でもあった。

そんな感じで熱中と冷却を繰り返しながら、やっぱりドストエフスキーに向き合おうと思いなおしたのは30歳のときだ。自分探しの意味合いでの読み方ではなく、客観的に何が書かれていたのかを確認したくなったのだ。それと、どうやら私のドストエフスキーへの熱中は、時間とともに止むことはなさそうだ、一生付き合わねばならない病なのだという諦念もあった。

私にとってのドストエフスキー作品のハイライトは『罪と罰』のラストの場面と、『悪霊』でステパンが死の間際に言い残す信仰告白だ。『罪と罰』は、主人公ラスコーリニコフが通りを歩きながら、自分の帽子がボロくて目立ちすぎることを心の内でののしっている場面から始まる。その彼がシベリアの監獄に送られ、荒涼とした大河や大地を眺めながらソーニャに身を投げ出す場面でこの作品は終わる。ラスコーリニコフの自意識の遍歴の終着を見届ける場面であり、「魂の浄化」と呼ぶにふさわしい。『悪霊』ではステパンが、「ぼくが何者であろうと、ぼくが何をしようと、それはもうどうでもいい!」と叫ぶ。人生の幸福においては自分自身にとらわれてはならないのだ、という主張の意味をおぼろげながら理解したのは20歳の時だったが、以来、このテーゼほど私の考え方に影響を与えたものはない。

結局、私にとっての最大の問題は、「いかにこの過剰な自意識を取り扱うか」であり、その行き先として「自意識にこだわってはいけない。万能ではない、限界の中でしか生きられない自分という存在を受け入れることは負けではない」という結論に落ち着く、その道程をナビゲートする分身がドストエフスキーだったようだ。

20世紀末に中学生だった私にとって、未来は信頼に足るものではなかったが、国際協調が進み、文明が発達し、ヒトやモノの移動がより自由になることは疑っていなかった。そこから20年余りの間に、同時多発テロ、戦争、未曽有の大震災、パンデミックによる全世界を挙げての外出制限が為されようとは想像だにしなかった。ドストエフスキーかぶれの懐疑的な中学生の想像をはるかに超える困難な世界が待ち受けていたのだ。混迷を極める世の中で、それでも心の平穏を保ち日常を送ることができるのは、自分自身や人生の限界を肯定的に受け入れる術を学んだこと、そしてすべては変わってもドストエフスキーは残るという確信と心のよりどころがあるからに他ならない。

ドストエフスキー、あなたこそが、私を私たらしめているのです。あなたの言葉なくして、私は生きていくことができません。200歳おめでとう。

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人間の魂の問題が秘められているから

長野 正

少し自己紹介をします。私は埼玉県に住む60代半ばの男性で、小説の創作を趣味にしています。「ドストエフスキー全作品を読む会」(以下、「読書会」)には平成17年6月に入会し、3回ほど報告したことがあります。一方でその2年後には、「日本トルストイ協会(事務局・昭和女子大学)」にも入会しました。ドストエフスキーとトルストイのどちらが好きかと問われたら、50対50、あるいは、51対49、もしくは49対51の微妙な均衡にいます。異論があると思いますが、何かの本に書かれてあるとおり、トルストイとドストエフスキーは二卵性双生児のような気がしてなりません。

ロシア文学者の柳富子先生は以前、ドストエフスキーのほうにも入っていた方だそうですが、「日本トルストイ協会」の会合の懇親会で「ドストエフスキーの会」(以下、「例会」)のほうも入会すべきですよ、と私は勧められました。その後、関心のあるテーマや、高名な講師のときだけ例会のほうにも出席しました。例会と読書会共催の、亀山郁夫先生を講師に招いたときの講演会はたいへん感銘ある内容でした。それから『カラマーゾフの兄弟』をめぐる誤訳論争が展開したので、正直なところうんざりしました。亀山訳はわかりやすく素晴らしい翻訳だと思っていただけに、不快な気持ちになりました。

私が「小説」の創作を志していることもあり、例会や読書会を通じて「評論と翻訳」の問題に触発されることがたびたびありました。その究極的な著作物が。清水正著『ドストエフスキー論全集』全10巻と、杉里直人訳『カラマーゾフの兄弟』ではないかと思います。

表題の「私は、なぜドストエフスキーを読むのか」に絞ります。私はゲーテやバルザックも好きですが、なぜ、ドストエフスキーやトルストイを愛読するのかと訊かれたら、ロシアの2大巨匠の作品には、人間の心の奥底にある魂の問題や、「神と悪魔、罪と罰、善と悪」の相克という問題が掘り下げられているからかもしれません。『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』、『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』は、私自身の棺桶に収めてもらいたい書物ではないかと思っています。ドストエフスキーやトルストイの作品そのものは当然ですが、併せて、清水正著『ドストエフスキー論全集』と、杉里直人訳『カラマーゾフの兄弟』も読みこんでいきたいと考えています。

※読書会、例会をドストエフスキーと表記したのは、投稿者の意向です。



投稿と併せて、ドストエフスキーに言及した世界の著名人の想いを紹介します。(編集室)

【彼らは、どのようにドストエフスキーを読んだのか】紹介歓迎

阿部公房『もぐら日記』「6月2日 ドストエフスキーの本質。どんな(無価値な)人間にも存在の権利があることの感動的な発見」(1993年9月2日朝日新聞夕刊)
富田常雄(作家『姿三四郎』 父親は富田常次郎 嘉納治五郎の一番弟子)は「他所目には柔道が好きとは見えなかった。兄の長弘(画家志望)があまり愉快でなさそうに稽古をつけに道場へ消えてから30分もたつと、こんどは階下の3畳の書斎兼寝室の机の上に、ドストエフスキーの『悪霊』をふせて、弟の常雄が憂鬱そうに額の髪の毛をかきあげて道場へ歩いた。(『大衆文学代表作全集 富田常雄集 姿三四郎「解説」松沢光平)「ドストエフスキー全集を古本屋に売り、その金でカフェーに行くというような日々でもあった。(『姿三四郎と富田常雄』「富田常雄の青年時代」よしだまさし)
萩原朔太郎「大ドストエフスキイ先生こそ、私の唯一の神であり恩人であり、聖母である」から(大正5年4月19日)
L・レオーノフ ドストエフスキーは、人間存在の複雑さを伝える技量を持っていた。彼はいわば、普通の目では捉えられない赤外線や紫外線を捉えていたのだ。ドストエフスキーは、存在したもののみならず、存在し得たかもしれないものも書いた。それは、人間関係のさまざまな動向の極限の、ぎりぎり先端の表現なのである。
メルキオル・ヴォギュエ(1829-1916)フランス外交官 リアリズムにおいて。彼ほど深く進んだものはいない。『罪と罰』のマルメラードフの物語を、また徒刑囚たちや彼らの暮らしの書き方を見るがよい・・・・人間の魂の観察に打ちこんでいる科学者たちなら、マクベスの書かれた時代以降初めてといってよい、犯罪心理のこの限りなく深い心理報告を読んで、大いに興味を感じることだろう。
ジョン・ゴールズワージ(1867-1933)イギリス小説家 ドストエフスキーを上回る空想力の持ち主を思い浮かべることはできない。そして、実際の状況をあれほど生き生きと描写できる腕を持つたひとはいなかった。
ツヴァイク(1881-1942)私たちの存在のもっとも深いところ、永遠であり、不変なるところ、根源中の根源というべきところ、そこにおいてのみはじめて結びつく…。



出版・メディア


レスコフ著『左利き レスコフ作品集1 』岩浅武久訳 
心の光景が浮かぶ柔らかな空間 ―毎日新聞 2020年4月4日(土)荒川洋治評(現代詩作家)


テレビ番組より 提供・下原康子(2020年5月19日)

与謝野晶子のことば

歴史学者の磯田道史さんが、出演したテレビ番組のなかで与謝野晶子を紹介されていました。
(BS1スペシャル「ウイルスVS人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」5月12日)
1918年から1920年に流行したスペインかぜで与謝野晶子の一家全員が感染します。子どもの一人(11人の子持ちでした!)が小学校で感染したのがきっかけでした。晶子はこの体験を「感冒の床から」と題した論評記事に書き、そのなかで政府を痛烈に批判しています。

「政府はなぜいち早くこの危険を防止するために、大呉服店、学校、興行物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでしょうか」 
「そのくせ警視庁の衛生係は新聞を介して、なるべくこの際多人数の集まる場所へ行かぬがよいと警告し、学校医もまた同等の事を子供達に注意しているのです」(1918年11月10日付横浜貿易新聞、現在の神奈川新聞)

微塵たりともゆるがない「君死に給うことなかれ」の気骨に改めて目を覚まされた思いでした。テレビ番組の最後の画面に(典拠は不明ですが)次の晶子のことばが流れました。

「私たちは今、この生命の不安な流行病の時節に、何よりも人事を尽くして天命を待とうと思います。『人事を尽くす』ことが人生の目的でなければなりません。私たちはあくまでも「生」の旗を押し立てながら、この自然な死に対して自己を衛ることに聡明でありたいと思います。」

晶子のいう「人事を尽くす」は、カミュ『ペスト』で描かれた、ペスト(死)と闘うために街に残った、リウー医師やタルーたち保健隊の「抵抗」と響きあいます。それはまた、現在、新型コロナ禍のなかの私たちに、「今、やるべきこと」を考えさせます。

カミュ『ペスト』の感動場面。(編集室)

ペスト菌に包囲された街。よそ者のランベールは愛する女性が待つパリに去った。予防隔離所は痛手だが、彼が抜けた穴は仲間の隊員が引き受けた。医師リウーは手術を終えて、
 
  …振り向いた。マスクの上からランベールの姿を認めると、彼は目をひそめた。「こんなところで何をしてるんです」と、彼は言った。「君はもうほかのところに行ってるはずじゃありませんか」…「僕は行きません。あなたがたと一緒に残ろうと思います」
(宮崎嶺雄訳)



記 録 

「新谷敬三郎先生を偲ぶ会」
録音記録2の2(2001年11月3日 於東京・西早稲田)
(佐々木寛編集・注 ロシア文化研究 第27号 抜刷 2020) 福井勝也さん提供

以下の方々のスピーチの記録です。
・脇地 炯(東邦大学教授、元毎日新聞、産経新聞記者)
・北村孝一(ことわざ研究家)
・鈴木 宏(水声社社主)
・御子柴道夫(千葉大学教員)技術上のミスで録音できず
・野中 涼(早大教授 詩「空き地」を司会者が代読)
・高野雅之(早大教授)
・新谷ときわ(奥さま)
・井桁貞義(早大教授)

(以下、一部転載します)



空き地(野中 涼)

新谷先生がここに移り住んだらどうかな
と思ったことがある百坪ほどの空き地に
今もマルメロの古い木が一本、生えています、
キノコの形に枝をひろげて
黄色っぽい緑の実をつけて。

テロリストが旅客機を自爆ミサイルにして
世界貿易センターに激突した頃、
近くの雑木林で蝉がミーンミーン鳴いていました。

郊外に移り住むのもいいですけどね、
電車を待たされたりするのが嫌いなんですね、
と新谷先生は言う、マルメロ、マルメラードフ、
マーマレードなどと、比較文学研究室で
年誌の校正刷りを見ながら。

文明国の軍隊が誘導ミサイルを無数に発射して
貧民国のほら穴を爆撃しはじめた頃、
馬追いがスイッチョスイッチョ鳴いていました。

そして昨日、新谷先生の空き地のそばを通ると、
放された犬がまっすぐマルメロの木に走っていく。
しゃがんで、後ろ足で土を蹴って、それから
いくら飼い主が叫んでも
戻ってこない。

生きものは、ねえ、新谷先生、生きてきたように
生きていくようですね、永久に変わりなく、
犬も虫も、人間も草木も。

いや、新谷先生はもうどこにも住んでいない。
ただ、郊外の駅のプラットホームで、
ときどき、とてもよく似た若い人を見かけます、
左腕を黒い鞄の把手に肘までとおして、
うつむいて歩いては電車が来るほうをみあげて。(2001.10.31)

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新谷先生の思い出(編集室)

研究者の方が読書会に参加することは、近頃、稀になった。新谷敬三郎先生は、
ご健在のころ読書会の常連会員であった。参加者が多いときも少ないときも、必ず出席されていた。会場では、居眠りをされていた。そのようにみえたが、ちがった。ドストエフスキー研究に対しては、厳しかった。しかし、一般市民の参加者にとっては、いつも仏の笑顔だった。いてくださるだけで安心した。

「ぼくも仲間にいれてください」新谷先生は、そう言って、当時、女性数名が発行していた同人誌『ぱんどら』に詩を寄せられたことがあった。



中河信子(新谷敬三郎)


別れきて日に残る
春燈の
影くらく見定めがたし
人の世や
言葉もなくて口づけに
濡るる花びら
心に映り足とめてふと
流れくる
光のしぶき耳をうつ
車の轍
来たりまた去る

振りむけば灯りは高し
身の闇に
低くかかれるあかき月影

(『ぱんどら 6号 』昭和53年8月10日発行 広宣社)



ドストエフスキー情報


『すばる 7月号 』
連載 亀山郁夫「ドストエフスキーの黒い言葉」⑨

『思想 6月号 』
パーヴェル・フォーキン:ドストエフスキーの「信仰告白」からみた『カラマーゾフの兄弟』

『ドストエーフスキイ広場 No.29 』ドストエーフスキイの会 2020.4.11 
・寄稿論文1 ・論文6 ・翻訳論文1 ・エッセイ3 ・旧著新刊2 ・報告1

「世田谷文学館ニュース」2019年度の活動から2020年度の企画展(冊子)
館長の作家対談 ゲスト・亀山郁夫 × 聞き手・菅野昭正館長



広 場 ②

コロナの中で (投稿)        

富岡 太郎

コロナが恐怖のあまり不眠になり、死にたくなるとするなら、そもそも病死をさけたくて悩んでいたのに、結局うつ症状に至り自死の寸前になる。これはおかしくないか ? 精神の病には他人から敵意で見られてるとか「死ね」と言われてるとかいう妄想にハマってついに死にたくなるという、死にたくないから死にたくなった的なおかしさがある。
 これはドスト文学でもよく表現される、一種の喜劇であろう。社会改良のために金銭が必要だから殺人という反社会をする主人公とか、神になるため自さっしてみせて我意を主張するとか。

現実を生きていない、頭脳の中だけで一切を仕切っていくインテリの喜劇みたいなものに、作家は注意を呼びかける。読者諸君、文学は学問の泣き所を事例であらわし、人間の偉大さは知ではなく愛にあることを示す。諸君は災いも幸福も共に楽しみ生きる素晴らしさをこの作品で追体験したまえ、と。

そうだ。極論を言えば人生もともと50年。コロナ死で明日にも天国へ到達できるなら、この人生の苦しみも今日で最後ではないか、という逆説も「文学的には」言えるのだ。それに激しく反発するならば人生の闇とか社会のズルさとかをもっと「「文学において」学ぶ必要もあるかもしれない。ドスト氏も処刑されそうになったり、『死の家の記録』みたいな体験をつんだりして、広い世界の様々な民衆の生、ナマの生を体験し思索して作家としての使命をはたした。

世界中の人々が幸せになり、貧病争災がなくなり、快適に生き、快適に死ねる時代が来たら退屈だ。「こんな幸せな世の中、こわしましょう」という者が必ず出てくると、「手記」で論じたドスト氏。私は、コロナも人間の本性を変えないと思う。原子力もAIも人間を変えない。だがドスト氏の文学は違う。



掲示板


原稿募集 ドストエフスキー生誕200周年記念に原稿を募集しています。

2021年はドストエフスキー(1821~1881)ドストエフスキー生誕200周年です。この節目を記念して「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」を連載します。
「読書会通信」編集室は、生誕200周年を記念して、原稿を募集します。テーマは「私は、なぜドストエフスキーを読むのか、読みつづけるのか」です。メールまたは郵送にてご送付ください。
読書会開催の有無に関わらず「読書会通信」は定期的に発行します。いただいた原稿は順次掲載していきます。

8月読書会のお知らせ
8月29日(土)第5小会議室 14:00~17:00



編集室


カンパのお願いとお礼
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2020年4月15日~2020年6月15日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。
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