ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.177
 発行:2020.1.1


2020年1月読書会


月 日: 2020年1月11日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分 
開 始: 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品: 『カラマーゾフの兄弟』 5回目
報告者: フリートーク        
会 費: 1000円(学生500円)


第56回大阪「読書会」案内2・8(土)『カラマーゾフの兄弟』第12編
お問い合わせ 携帯080-3854-5101  URL: http://www.bunkasozo.com 


2020年 令和2年「子」 本年もよろしくお願い申し上げます

2020年は、東京オリンピックの年ですが、ドストエフスキー(1821-1881)生誕200周年前夜祭の前年に当たります。記念すべき節目に向けて楽しい読書会になりますように!

ニュース 

ドストエフスキー『罪と罰』模擬法廷
罪と罰』を読む ナポレオンになりたかった青年の物語


編集室の下原敏彦は、2019年7月~12月、NHK文化センター柏教室で「『罪と罰』を読む」の講義(6回)を行いました。講義は江川卓訳『罪と罰』を下原が裁判劇に脚本化したものを受講者たちが口演するという方法で進めました。第一回から第五回公判まで、五日間の模擬法廷は2019年12月19日に無事終了し判決に至りました。「まだ読んでいない」「むずかしそうだ」「ロシア人の名前が言いずらい」など、始める前は逡巡があった受講者たちも、物語がすすむにつれ、口演に熱が入っていきました。

この試みの動機のきっかけは、テレビで見た「オレオレ詐欺」のドキュメンタリーでした。「だし子」「受け子」と呼ばれる若者たちが登場していましたが、彼らの表情にはまったく犯罪者の陰りがないのです。不思議でした。この若者たちは、詐欺犯罪に手を染めるにあたって、詐欺の講師からレクチャーを受けていました。その講義内容というのが、「お年寄りを騙して金をとることは悪いことではない。その金を世の中の本当に困っている人たちのために使うのだから。きみたちは善い事をするのだ」というのです。まさしく『罪と罰』の「非凡人・凡人」「人類二分法」の思想ではありませんか。人間の幸福と自由こそが、ドストエフスキーの小説の理念です。このような犯罪の口実にされてはならない、強くそう思いました。

脚本化された裁判劇は、「ドストエーフスキイ全作品を読む会」のHPに掲載しています。



『カラマーゾフの兄弟』を読みなさい


Ivan Iniesta 下原康子 訳
BMJ 2009;338:b1999 doi: 10.1136/bmj.b1999 (Published 20 May 2009)
Views & Reviews  The Brothers Karamazov

「より良い医者になるために何を読むべきか」という古典的な問いがあります。17世紀に英国のヒポクラテスと呼ばれた医師トーマス・シデナムは教え子のリチャード・ブラックモアに『ドン・キホーテ』を読みなさい、と助言しました。ロシアの作家フョードル・ドストエフスキーは、このスペインの作家と同様に、最高傑作を書いてからわずか1年でこの世を去りました。19世紀の最も優れた小説の1つと見なされている『カラマーゾフの兄弟』もまた法医学的論文の側面を持つ小説です。

エピローグと4部から成るこの小説は、カラマーゾフ3兄弟と召使のスメルジャコフをめぐる父親殺しの物語です。長兄ドミートリィが有罪になりますが、本当の犯人は犯行の夜にてんかんを起こしていたとされるスメルジャコフでした。彼は呪われた出自のせいでカラマーゾフ兄弟を憎んでいます。高慢で復讐心の強い彼は公判の前日に「自分は実行犯にすぎない、主犯はあなたです」とイワンに告げて自殺します。イワンは病気になり高名な医師が呼ばれます。医師から早急に治療を要する深刻な脳障害と診断されますが、懐疑的なイワンはそれを否定します。イワンの見る幻覚は彼に似つかわしいものですが、数人の読者がその真実性を疑問視しました。ドストエフスキーはBlagonravov医師の見解を求めます。医師はイワンの幻覚はせん妄症においてはありうる症状であると保証しました。

『カラマーゾフの兄弟』の主人公は3番目の息子で、『白痴』の主人公のムイシュキン公爵と同様にキリストを連想させる人物です。アレクセイ(アリョーシャ)という彼の名前はドストエフスキーがもっとも愛した息子と同じです。この息子は3歳のときのてんかんの重積発作で死亡しました。ドストエフスキー自身も『カラマーゾフの兄弟』を書くまでおよそ40年間にわたっててんかんを患っていました。それまでにも4つの小説でてんかんを患った人物を明確に描いています。最後の作品に至るまでドストエフスキー文学へのてんかんの影響は明らかです。

『カラマーゾフの兄弟』の中では、実験医学の創始者の1人、クロード・ベルナールの名前が何度か出てきます。(訳者注:ドミートリィが何度も「ベルナールめ!」と口にします)。ドストエフスキーの初期のてんかん発作を目撃した医師ヤノーフスキイは生涯にわたってドストエフスキーの友人でしたが、ドストエフスキーはしばしばこの医師から医学書を借り読み、てんかんによって引き起こされる自らの認知機能障害の症状について確認を求めていました。この障害にもかかわらず、彼は神への信仰のための闘争──愛と憎しみ、救いと自殺、現実と空想、世代間の衝突などさまざまな問題を小説の中に描き、卓越した作品を残しました。

『カラマーゾフの兄弟』におけるドストエフスキーの病気の知的な使用は、苦しみを芸術に、逆境を機会に変えることによって不利益を利益に変えた好例です。彼のてんかんの描写は有名な神経科医たち、特に Freud, Alajouanine, Gastaut, Geschwind, Cirignotta らの注意を引いたことで、てんかんの知識に貢献してきました。より良い医者(とりわけ神経科医)になるために何を読むべきか。シデナムの答えを言い換えて、こう助言できるでしょう。「ドストエフスキーを読みなさい」。



10・12読書会報告 

            
雨、風ともに史上最強の台風19号、関東地方直撃で会場の東京芸術劇場は閉館。10月読書会は中止になりました。司会進行の担当だった江原あき子さん、梶原公子さん、準備していただけに、残念でした。



令和元年八月読書会に参加して。


富岡太郎・厚子

妻が小説を書きたいというので、私は20年前に何度か参加した「ドストの会の読書会」に妻を連れて行った。『カラマーゾフの兄弟』をやっていて、神義論が主題になっていた。私は、聖書研究会に14年参加した経験から、神義論は手に負えないことを知っていた。善神と悪神の「善悪二元論」が合理的だが、その善神は悪神に負けて貧病争災が生じるという理屈になる(グノーシス)。アブラハムは「善悪を超越した高い次元の神」を信仰し、不合理な一神教の祖となった。そのながれで万人アガペを説くイエス、差別しない法を作り、弱者救済を目指したムハンマドが現れた。しかし。近代社会の無宗教化の流れの中で、文学を通して個別具体的に「この難問」を考えさせるドストエフスキーも表れる。妻は、10月の参加は見送ったが、「文学を愛する人々」にふれて、おおいにやる気をもらった。



連載  ドストエフスキー体験」をめぐる群像

                                   
(第86回) 堀田善衛『路上の人』と『カラマーゾフの兄弟』「大審問物語」
 
福井勝也

平成から令和に年号が変わった本年も師走の一月を残すのみになった。まずは、新天皇の即位から大嘗祭に至る一連の行事が伝統儀式の厳かさと新しい時代に相応しい和やかさを伴い、平和裏に終了したことを寿ぎたい。両陛下をスマホに納めたいと願う多くの人々が祝賀パレードに参列したが(11万9千人とか)、その思いが叶わなくても満足気な顔で静かに立ち去る沿道の国民の姿が印象的だった。歴史に耐えて変わらずにある皇室への庶民の素直な思いを、小賢しく解釈してはならないと感じた。

一方、一国二制度を掲げる香港市民と警察との衝突は、一部学生との間で過激化し、天安門事件から30年を経過した中国共産党政権が問題をどのように終息できるか、予断を許さない瀬戸際に事態は差し掛かってきている。30年前との違いは、スマホ等IT機器が普及し、世界のメディアが注視するなかで、中国本土も強権的なやり方に一定の歯止めをかけられ事態が長期化していることか。選挙だけでは収まらない危険な状態が続いている。

香港理工大学に突入した武装警察と火炎瓶とヘルメット姿の学生との衝突を見ていると、50年前の日本の学園闘争の時代を思い出す。しかしその大学紛争では、幸いに死者が出ることはほぼなかった。今年が没後20年にあたり話題にもなった、文芸評論家の江藤淳(昭和7~平成11年、1932~99)は当時、その学生闘争を評して「ごっこの世界」(1970.1)と批判した。江藤は、当時の全共闘学生に自分とは違うかたちでコミットした三島由紀夫の「盾の会」にも同様な鉾先を向けた。当時三島は幾つかの大学を廻り、活動家学生との討論集会に「腹に晒しを巻いて」出かけ、命がけで事に当たること(「天皇を守ること」)を説き、学生を「挑発・煽動」しようとした。江藤の批判については、その直後には表立って反論をせぬまま、最後には市ヶ谷での切腹に及んで見せた(1970.11.25)。それが江藤への応答だったとも考えられるが、今なお自衛隊の違憲性論議を終息できない日本の政治状況は、江藤の「ごっこの世界」がなお続いている歴史的証左とも言える。同時に、三島の割腹自殺の本気度もうやむやにされ「ごっこの世界」に飲み込まれたとも見える。しかし来年(の本日)は三島没後50年を迎える。果たして、如何に弔うべきか。

翻って、香港での事態が天安門事件をどう踏まえた結果になるかは、中国当局にしても学生市民にしても、日本人と違うその本気度が歴史を左右するものと考えられる。武装警察が、カメラの前でも平気で銃弾を放つ事態を見ていると、香港発の歴史的変動が起きてもおかしくないと思う。米中(経済)冷戦の行方に、香港問題が深刻な影響を及ぼすのも必至だろう。そんななか、来年習近平国家主席を国賓として歓迎しようとしている日本政府の立ち位置は如何なものか。いずれにしても事態は急激に変化するかもしれない。「桜を見る会」悶着の<痴話>で盛り上がっている場合でないはずだが、どこまでも続く「ごっこの世界」が日本に致命傷を与えることにならないか、近未来を危惧するばかりだ。

今年は、ずっと堀田文学を中心に論じて来た。やはり今年のキイ・ワードは、天皇(制)と中国であったかと改めて感じる。ここ数日さらにタイミングだと思うが、初のイエズス会出身のフランシスコローマ教皇が38年ぶりに来日した(11/23~26)。今回も引き続き堀田の『路上の人』の話になるが、その廻り合わせを感じている。同時に、この小説がやはりドストエフスキー文学を踏まえて書かれていることを改めて痛感している。
 
「路上の人(ヨナ)」の二人目のご主人は、「アントン・マリア・デ・コンコルディア」という騎士で、「13世紀北イタリアのコンコルディア城主の三男で、ドイツ皇帝フリードリッヒ二世の代表として法王庁に居る者」として登場する(「新潮文庫)p.132)。彼の立場は、この自己紹介に凝縮した当時の複雑な歴史状況を背負った者と言える。そして時のローマ教皇から与えられた彼の使命は、13世紀初頭から開始されたアルビジョワ十字軍によって消滅寸前の異端派(カタリ派)の懐柔、一般信徒の改宗、その救出のための和平工作であった。かつて教会法(カノン)を大学で学んだアントン・マリアは、ローマ・カトリックが必然的に異端派を生み出すメカニズムを熟知していた。すなわち、それは何度か重ねられた「公会議」によって「教会法」がドグマ化し、キリスト教がローマの独占的国家宗教になり、組織外のキリスト教徒を再び地下墓窟(カタコンベ)に追いやる、その経緯である。 

「‥‥‥ というものは、はじめ原始教会にあっては、単なる信仰のための取り決めという程度のものであったが、教会が組織だってな一つの体制となるとは強制的かつ義務的な《争うべからざるドグマ》となり、かつ《盲目的服従》を要求するものとなった。<中略>聖霊は一つなのに、法は何度でも変る。聖書は人を生かすが、法は人を殺す。いまこの現在、もしイエス・キリストがローマにあらわれて新訳聖書に説かれている説教をしたとしたら、果たして如何なることが起こるか‥‥‥。云々」。(第6章ヴェネツィアの謝肉祭、同文庫p.187、ゴシックは筆者、注)

この過激な言説は、それを聞く従者ヨナのみならず騎士自身にも衝撃を与えたと、堀田はやや奇異な解説をここに入れている。同時に当方がドストエフスキーの問題に気が付いたのは、引用最後の下線部分、イエス・キリストの再臨に触れた件だ。実はこの部分は、物語のクライマックス、モンテセギュールの山嶺城塞のカタリ派を殲滅する十字軍との攻防を描いた第9章へと引き継がれていた。以下の引用は、第9章、同文庫p.282~284。

《もし、真にイエス・キリストが再臨して来たならば‥‥‥》
 それは、真に怖るべき命題である。
 キリスト紀元千年の大世紀末、すなわち紀元一〇〇一年の前年の、この怖るべき命題をめぐっての論争の記録は、にも公開はされなかった。それは文書庫の奥深くに厳重に秘匿され、日の目を見ることは絶対にないであろうと言われていた。
 アントン・マリアにしても、法王庁内に代々囁き声で伝えられている噂を知るのみであった。
 その噂の一つに、次のようなものがあった。

 ‥‥‥ある枢機卿が、ほとんど聞き取り難いほどの低い声で言った。
『イエス・キリストの言ったことは、すべて――――新訳聖書に記されている。もし真にイエス・キリストがこの地上に再臨し、何かを言ったとしても、我々にその新たな言葉を記録すべき義務はない』 
別の枢機卿が立った。
『記録すべき義務がないとは、尊重すべき義務もない、ということを意味するか?』
『然り‥‥‥』
『何故か?』
『如何となれば、イエス・キリスト自身によって、教皇にローマに渡されてあるからだ』 

 深い淵のような沈黙が、その場を支配した。
 再び件の枢機卿が今度は声高に言い放った。
 『諸枢機卿よ、我々が秘蹟と教義の保持者であり、執行者である。考えてもみられよ、もしイエス・キリストがその死後千年にして、この汚穢にみちたローマの賤民街に再臨し、彼等賤民どもに、たとえば山上の垂訓をいま一度説き聞かせ、あまつさえ彼等と和やかに談笑を共にしはじめたとしたら、何が起こるか‥‥‥。またもしその垂訓を訂正したり、付け加えたりしたら、何が起るか‥‥‥』
 その声は法王庁の高い天井に轟きわたった、という‥‥‥。


既にここには「大審問官」が出現していた。この後、さらにこの事がはっきりする件が続く。それらの表現がヨナでもアントン・マリアでもない、「語り手」(≒堀田)によって語られていることは注意すべきだろう。そして「再臨」した「キリスト」をどう扱うか?それが千年紀以来続くローマの恐怖であったことが分かる。ドストエフスキーの「大審問官物語」とは、その延長のドラマであった。そして『路上の人』は、それらの先行する物語を包摂する小説として書かれていた。

 
事の次第が左様であるならば、結論は明らかである。イエス・キリストが再臨などをして来たならば、躊躇なく引っ捕えて火刑に処せよ、ということにならざるをえないであろう。
 噂は、あながち無根拠とも言いかねた。
 神学論的にも筋は通っている。
 モンセギュールの城塞には十字架も立ってはいなかったが、それは、あたかも現世の重い負荷と、天上の恩寵との境界城塞として見え、またまさにこの地上が天上に離陸上昇しようとしている、その窮極の一点と見えた。されば、この山嶺の一点以外に、イエス・キリストの再臨にふさわしかるべき、他の如何なる地があろうとも思われなかった。
 それに、理の筋からしても、もし教権が明らかに譲り渡されてあるものとすれば、ローマ・カトリックより旧いものにしか再臨は出来ないであろう。(第9章、モンテセギュールの山嶺城塞 p.283~284)


ここで不思議にも、ドストエフスキーが何故『カラマーゾフの兄弟』でイワンに「大審問官物語」を語らせようとしたか、それが分かったような気がした。そして、16世紀宗教改革の時代のスペイン(セビリア)に「キリスト」を「再臨」させた意味と経緯をも。
 ドストエフスキーにとって、世俗の宗教権力と化したローマ・カトリックは、イエス・キリストを僭称代理するものとして裏切りの教団であった。そしてその標的こそ、この時期のカトリック内に発足し公認された、その精鋭のイエズス会でなかったか。
 ドストエフスキーにとってのロシア正教とは、正確には正教を信ずる19世紀ロシアの民衆の信仰であり、イエス・キリストの姿そのままを信ずる「正教徒」であった。言わば『路上の人』で描かれたモンセギュール城塞のカタリ派と同様に、「正統」な原始教会のキリスト教徒に擬せられる者たちであった。

 今回、その歴史的経緯を『路上の人』に改めて気付かされる思いがした。すなわち、ロシアにはそもそも、西ヨーロッパが辿ったルネサンスも宗教改革もなかった。その歴史の前提の要こそ、ローマ・カトリック教団であった。その要の存在故に、北ヨーロッパを中心にそれにプロテストする新教団(ルター派、カルヴァン派)が生起した(1517)。さらにその新教への「対抗改革」と「カトリック内の浄化・粛正」を目的として「イエズス会」が創設され(1534年)、正式に教皇パウルス三世によって認可された(1540年)。

その「教皇の精鋭部隊」と呼ばれた「イエズス会」の創立者イグナチオ・デ・ロヨラ、そのメンバーで日本にキリスト教を伝えた(1549年)フランシスコ・ザビエルは、同じスペイン(バスク地方)の出身であった。このことは記憶していいことだろう。すなわち、中央ヨーロッパの西端に位置するスペインは、東端のロシアと同じ辺境という地政学的位置にあった。スペインには、レコンキスタを戦った、カトリックの牙城として「イエズス会」を産み出す過激な原始的宗教心性を孕んでいた。しかし、その「イエズス会」がその後辿った歴史は、カトリック内での権力闘争、各国王諸侯等による禁圧等、それは陰謀術策の戦士的教派とも語られ、その足跡は複雑な紆余曲折を現代にまで伝える。さらにロシア内でも独自に広まった「イエズス会」が「ジュズイット教団」と呼ばれ、ドストエフスキー作品では、詭弁を弄する宗教派閥の代名詞のように語られている

そのような作家の視線も手伝い、ドストエフスキーは「対抗改革」を苛烈に進める「異端審問」の担い手として、宗教改革時代のスペインにローマ教皇直轄の「大審問官」を登場させた。そのスペインには、辺境故にロシアに共通する原始宗教心性への熱狂も伴った。

そしてその背景には、東西キリスト教史を貫く闇がトグロを撒いている。言えることは、「正統と異端」を繰り返す西ヨーロッパ流の「宗教改革」とは、キリスト教が原始教会に復帰しようとする原理的運動でなかったかということだ。ドストエフスキーは、そのクライマックス宗教改革期のスペイン(セビリア)に狙いを定めることによって、その現場を再現してみせた。そして最後には、「大審問官」への「キリストの接吻」を描いて読者に謎まで掛けた。それを解く鍵は、同様に繰り返されたアリョーシャのイワンへの接吻ではないか。これはイワンの「無神論」が、「ロシア異端派」に近しい、その成れの果てであることを暗示していないか。そこには「異端」故に、キリストに近しい「正統」という逆説が孕まれている。だからアリョーシャは、本能的にイエス・キリストを模倣したのだろう。

『路上の人』で異端派とされたカタリ派とは、元々10世紀のブルガリアで生まれたボゴミール派の善悪二元論と現世否定の教義を受け継ぐものであった。その宗教的起源には、マニ教からグノーシス主義まで遡るギリシア、東ヨーロッパ起源のキリスト教思想が存在した。ドストエフスキーがその時代に注目したロシアの民衆とは、西欧の宗教改革と無縁の存在であった。それは、キリストに近しく寄り添う信仰、現世否定的な分離派(古儀式派)と異端派(去勢派等)の人々であった。作家の頭のなかには、西ヨーロッパの宗教全体をイエス・キリストの「異端」とする思いが根本にあったのではないか。それとロシアの「異端派」とは、歴史的経緯を異にする者たちであった。堀田の『路上の人』は、その宗教的系譜をも遡って抉り出そうとしていると感じた。         (2019.11.25)




予備校graffiti  

ドストエフスキイ研究会で出会った青春(五) 

- クリスマス、I君が「暗唱」したもの -

★暗記・暗唱が知識を確実に身につけ、頭脳を活性化させるために如何に大切であるか、このことを私は繰り返し記してきました。I君も予備校での一年間、暗記・暗唱を見事に貫いたのですが、彼の場合は一味違った暗記・暗唱でした。

★好奇心と探求心の塊のようなI君は、「悪戯
(いたずら)小僧」の雰囲気を強く漂わせながら、何か面白いことはないかと、いつも両目を輝かせ、クリクリと動かしているのでした。一昔前まで都立高校の出身者に多くみられたタイプで、せっかく(?)浪人をしたのだから、この機会に世界文学の最高峰と聞く『カラマーゾフの兄弟』にもアタックしてしまえと思い立ち、予備校の授業が始まる前に、この大作を読破してしまうような若者なのです。一学期、授業後の暗唱のチェックが終わると、何かにつけ私に様々な質問を浴びせてくる彼は、私がドストエフスキイのキリスト教思想を研究していると知るや、今度はその分野で何か暗記をさせてくれと迫ってきました。

暫く考え、私が選んだのはヨハネ福音書冒頭の「言葉
(ロゴス)讃歌」でした。
    
「太初
(はじめ)に言葉 (ことば) あり、言葉 (ことば) は神 (かみ) と偕(とも) にあり、言葉 (ことば) は神( かみ) なりき」(ヨハネ一 1)
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. (JOHNⅠ-1) // 日本聖書協会、A.S.V.

ここから始まる「言葉
(ロゴス)讃歌」(1-19)は、キリスト教の精髄(エッセンス)が見事な韻文で表現されていて、内容的にも英語の暗唱用副読本としても、最適と思われたのです。これをI君は、夏の間に一学期のテキストと共に、完全に暗記・暗唱してしまいました。

★「先生、次は何でしょうか?」―― 二学期、新たに迫られ私が選んだのは、新約聖書の中で、恐らく人々に最もよく知られ、また愛される「山上の垂訓」の一部でした(マタイ福音書五1-11)。「山上の垂訓」とはイエスが山上で人々に向かい、自らの考えを端的かつ平明に説き明かしたもので、思想・宗教に強い関心を示すI君には、キリスト教を具体的に知る上で格好の個所と思われたのです。

「幸福(さいはひ)なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。
幸福(さいはひ)なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。・・・」(マタイ一1-2)
Blessed are the poor in spirit : for theirs is the kingdom of heaven.
Blessed are they that mourn : for they shall be comforted.・・・
    
受験勉強が峠に差し掛かり、次々と模試も行われ、教室が独特の緊張感に包まれてくる二学期。I君は成績を順調に伸ばすと共に、いつもの英語テキストと、このイエスの「山上の垂訓」の暗記・暗唱も完全にやってのけたのでした。

★12月が来てクリスマスが近づきました。キリスト教最大の祝祭日とは対照的に、予備校には殺気立った空気が流れ出す頃、またもI君が迫ってきました。「先生、三度目の暗記・暗唱をお願いします!」。この時期、プレッシャーで目が変に座ってしまう生徒さんも多い中、相変わらず「悪戯小僧」の目はくりくりと動き、輝いています。私が選んだのは、『夏象冬記』(1863)から『罪と罰』(1867)を経て『カラマーゾフの兄弟』(1880)に至るまで、ドストエフスキイが一貫して作品の根底に据えたヨハネ福音書の「ラザロの復活」(十一46)でした。

死んで既に四日、墓の中で死臭を放つラザロを、イエスが再び生に起ち上がらせる奇跡。これを「眉唾物」「噴飯物」の作り話として斥けるか、或いはここに死を超えた「永遠の生命」のリアリティを読み取るか ――「ラザロの復活」とはキリスト教の理解においても、ドストエフスキイにおける「神と不死」の問題の理解においても、正に「鍵」としてあり、クリスマスに格好の暗唱テーマと思われました。
 
「ラザロよ、出
(い)で来(き)たれ」(十一43)
 Lazarus, come force.
 
このイエスの呼び声に応え、ラザロは墓から起ち上がります。12月25日のクリスマスの夜、授業とその後の質問が全て終わり、伽藍
(がらん)とした予備校の講師室で、I君は46節にのぼる長大なラザロ復活物語を見事に暗唱し切ったのです。

★I君はその後15年間、私の許でドストエフスキイと聖書を学びつつ、最高学府で宗教学の博士号も取得し、三十代半ばになった今も「悪戯小僧」の目を輝かせながら、生涯の専門として選んだ一休禅師の研究に打ち込んでいます。彼は従来のアカデミズムの狭い枠を打ち破り、やがて画期的な一休論を書き上げ、日本の宗教史・思想史に新しい一歩を刻むに違いありません。彼が人生の出発点でやり遂げた、三度の聖書の暗記・暗唱について振り返る時、私はそこに彼に呼びかけ、彼を招く何ものかの声が一貫して響いていたことを感じざるを得ません。彼の暗唱とは、その呼び声に向かっての応答だったように思われます。この「呼び声」と「応答」については、やがて彼自らが思索を重ねる中で明らかにし、聖書三カ所の意味についての解釈と共に、その一休論の内に記してくれることでしょう。 

★★★
河合文化教育研究所HP、「ドストエフスキイ研究会便り」の新連載「予備校 ― 私が出会った青春 ―」からの一部です。三十年余りの間に、ここで聖書とドストエフスキイとに誤魔化さず対峙し続けた若者たちの中からは、新しい「ドストエフスキイ世代」が確実に生まれつつあることを感じさせられます。半年にわたる連載で、約四十人について報告をする予定ですが、ドストエフスキイの肖像画と肖像写真についての考察・デッサンも掲載中ですので、よろしかったらこれもご覧下さい。(芦川)



広  場 

17年ぶりのドスト読書会

富岡太郎

スマホを買ったのでドスト読書会を検索して「読書会通信」を送ってもらった。編集室は17年前に30代の若者だった私を覚えていて下さり、当時、数回は参加した「全作品を読む会」の記憶がよみがえってきた。福井さんが『ポストモダンとドストエフスキー』という本を出版された年である。当時、私はネット上の掲示板で「真間一ままはじめ)」というハンドルネームで投稿しており、その掲示板はずいぶんさみしくなってしまったが、ドスト会(読書会)の方は現在でも活発であり、それは、やはり「ネットよりリアルの方が強い」ことを感じさせる。(福井さんはじめ編集室も根気よく「ドスト愛」を継続していると思う)。

『カラマーゾフの兄弟』は21世紀になった現在でも「若者の一部に」愛読され、「ゾシマ長老」ファンや、「イワン・カラマーゾフ」の「反逆」にとりつかれている「神義論(弁神論)」にとりくむ若者を生み出しつづけている。『罪と罰』のソーニャはまさ「永遠の愛」を具現化しており、そのソーニャの前に謝罪するラスコーリニコフに「自分の頭でっかちな罪を重ね合わせる」「21世紀の青年」もいるだろう。そうした時代を超えて読みつがれるドストエフスキイを50年以上も全作品を読み続ける営みに頭が下がる。ドストエフスキイ―は「近代化するロシアの中で」「知恵の身を食って罪に落ちたアダムとイヴ」の「聖書の原罪」を意識しながら、インテリ、つまり無宗教が招く災いを小説化して21世紀の原罪にも、つまりこの「学歴社会」にも警告を発している。神と愛と死はどんな言葉を使ってもクリアできない困難な問題でありつづけ、物理学や生物学が進歩し、ロボットやAIが現れたネット社会においても「リアリティー」を受肉させるのは芸術家の仕事だと私達に教えてくれるようだ。

私は30年前に学生のころ、ワープロで『カラマーゾフの兄弟』の文章を一字一字打ち込んで、プリントアウトして持ち歩いていた。「神秘的な客」の部分で「何もかもがすぎさって、真実だけが残る」という青年ゾシマのセリフのところである。

一生を通して残りつづける「真実」とは何であるか、当時私はわからなかったし、1980年代のバブルの狂気の中に何も真実が含まれていないことを悟っていた。私がドスト会(読書会)に顔を出した2003年のころには「日本の社会の何かが音をたててくずれていた」し、今ではそれが「愛と死と神」に答えられない私たち大人のリアリティーのない生き様であることはわかっている。(愛のない社会は、子どもを減らし格差を広げ、憎み合い、自分をタナにあげて悪口をまきちらし、そしてまいりのティを差別する)。

近代社会は(ドストエフスキーの19世紀も21世紀の少子化日本も)マイノリティ排除の上に成り立つ「差別の罪の上にできた社会」であり、「多数派のモラルが普通道徳にすりかえられたインチキな法哲学のもとにできた社会」であり、そして、「狂気たとえば2+3=5にはならないカオス」異常として排除する「論理万能のコスモス社会」「つまり管理社会」であった。世界大戦後の学生運動はひとときの「カオス」「クレイジー」「2+3は5ではない精神」を若者に広めるが、「学歴社会の無宗教が物質文明で人の欲を人質にとって」「いつまでも健康でおいしいものを食べつづける人生」という幻想で「私達の求道心をふさいでしまった」。

芸術家は「愛と死と神」を受肉させるべきである。ドストエフスキーの危機感はまさに21世紀核戦争の直前の今、2019年に、研究され、議論されなければならないだろう。「全作品を読む会」にますます注目が集まって欲しい。



「1849年12月22日」のドストエフスキー
   ( 編集室)

毎年、12月になると、下記の光景が鮮明に脳裏に浮かぶ。
早朝の兵舎の屋根に降り積もった純白の雪が朝の光にまぶしい。昨夜の吹雪はすっかりやんで、オブヴォードヌイ運河に接するセミョーノフ練兵場の上には真っ青な大空がひろがっていた。いつもの朝がはじまろうとしていた。が、地上の光景はいつもの朝とは違っていた。張りつめた凍てついた空気は、同じだが、そのなかに湯気が沸き立っていた。それもそのはず、いつもなら人っ子一人いない練兵場の広場は、早朝にもかかわらず黒山の人だかりだった。数千人の人間が広場の処刑台を取り囲んでいた。処刑台の前に一定間隔で立ち並ぶ兵士は、俸杭のように微動だにしない。が、それを囲む群衆は、広場周辺から運河通りまで立錐の余地がないほど埋め尽くしていた。皆、この朝行なわれる公開処刑を見物にきた人々である。なにしろ、一時に二十一名もの国事犯の男たちが銃殺刑に処せられる。全員が国家転覆を狙った重犯罪人である。いわゆる政治犯、思想犯だ。それだけになかには著名人、身分の高い者もいる。―ということで、見物人のなかには、悲しみ祈るものもあった。が、ほとんどは物見遊山のヤジ馬だった。その顔は、評判の芝居でも観劇にでもきたような、物珍しい見せ物を見にきたような、一種興奮と期待と興味に満ちあふれていた。だれしもが囚人が到着し、処刑がはじまるのを待ちわびていた。(下原敏彦『ペテルブルグ千夜一夜』より)

死刑執行、直前に中止 茶番か、温情か ヴランゲリよる現場ルポ。
(ヴランゲリはセミパラチンスク以来のドストエフスキーの友人。後に県知事になった。ルポ当時は学生であった。)

雪のセミョーノフ練兵場。すでに3人の囚人が3本のさらし柱に縛られていた。白い頭巾がかぶせられ、兵卒たちは銃の装填を終え号令を待つばかりだった。
「構え!銃!」突如、ひびきわたる大号令。つめかけた数千の群衆は、一瞬かたずをのんで見守った。広場は、一瞬、水をうったように静まり返った。誰もが予想した。次の瞬間、轟く一斉射撃の轟音と、血に染まり、だらりと頭をたらすさらし棒の囚人たちの姿を。

しかし静寂は、永遠につづくかのようにつづいた。沈黙は徐々に破られ、刑場はざわめきだした。いったい何が起きたのか。誰もわからなかった。「奇跡が起きた!!」だれかが叫んだ。「そうだ、奇跡が起きたのだ」みると囚人たちは、さらし棒から次々解かれ、頭巾も自分の手でとっていた。これは夢かうつつか。囚人たちでさえ戸惑っている。

突如鳴り響く太鼓の音、駆け足で整列する兵士たち。軍馬で駆けつけた兵士が、処刑台の上にあがり、何事かよみあげはじめた。
「……罪人たちは、法の裁きの下、死刑の判決が下がったが、皇帝陛下の特別なご配慮に基づき御社となり……」まさに今朝、皇帝陛下の温情で、急遽、死刑廃止、と決まったのだ。
 台の上に人影が昇ったり、降りたりしていたさま、白装束を着た罪人たちが、地面に立てられた柱にしばりつけられていたさま…その一部始終をわたしは見ていた」




お知らせ


読書会への提案 『カラマーゾフの兄弟』終了を惜しむ声と朗読の提案

早いもので『カラマーゾフ』に入ったとたん一年があっという間に過ぎた。この間、4人の報告者があった。が、報告希望者は、まだおられる。ドストエフスキー最大の長編作品、1年間ではもの足りない。『カラマーゾフ』に寄せる多くの感想をもっと聞きたい。懇親会でそんな声をきいた。また、『カラマーゾフの兄弟』のなかで、希望者に自分がもっとも好きな箇所を朗読してもらうのはどうだろうか、という提案があった。

ドストエーフスキイの会 第255回例会 

月 日 : 予定2020年1月25日(土) 午後2時~5時
会 場 : 早稲田大学戸山キャンパス(文学部)31号館2階208教室
報告者 : 杉里直人氏
題 目 : 『カラマーゾフの兄弟』を翻訳して

大阪読書会

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会第56回例会は、以下の日時で開催します。〈カラマーゾフの兄弟〉12編。2月8日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)お問い合わせ 携帯080-3854-5101 小野URL:http://www.bunkasozo.com 



編集室


カンパのお願いとお礼
年6回の読書会と「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」口座番号・00160-0-48024 
2019年10月1日~2019年12月20日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。

「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方