ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.171
 発行:2018.12.7


12月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 : 2018年12月15日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室5(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始  :  午後2時00分~4時45分
作 品  :  「キリストのヨルカに召されし少年」「百姓マレイ」「百歳の老婆」
        『作家の日記』米川正夫訳「全集14巻(河出書房新社)」 他訳可
報告者  :  熊谷暢芳さん 司会進行 小野口哲郎さん      
会場費  : 1000円(学生500円)
 
忘年会はJR池袋駅西口付近の居酒屋 5時00分~7時



第49回大阪「読書会」案内12・15(土)『カラマーゾフの兄弟』第5編
12月15日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)小野URL: http://www.bunkasozo.com 



『作家の日記』を読む 1873年~1881年
( 編集室)

クロネベルの事件について(1876年2月第2章1)

1873年~急逝した1881年まで書いた『作家の日記』には、ドストエフスキーの本音ともとれる社会的主観、感想が書かれている。そのなかで子供の虐待についても深く関心を寄せている。(幼児虐待は作品を構成する重要な基盤となっている)『作家の日記』では、「クロネベルの事件について」で、虐待の原因を考察している。ドストエフスキーが、注視した幼女虐待事件とは、いかなるものだったのか。

以下、1876年2月第2章1から
事件の概略を述べよう。起訴文によれば、父親が7つになる娘を手ひどく、残酷に打擲したのである。彼は前々から残酷な扱いをしていたとのことである。
折檻されている娘が笞の下で(起訴文によれば)15分も「お父ちゃん! お父ちゃん!」と叫ぶ声を聞いて、ある平民出の女が他人ながらたえきれなくなった。笞は、ある鑑定人の証言によれば、普通の笞ではなく「シビッルーテン(棘つきの笞)」であって、7歳やそこらの子供にはとほうのないものであった。/折檻まえに、そばのものがこの棘は取らなくてはなるまいと注意をした時、父は、「いや、これはいっそう力をつける」と答えたとのことである。(米川正夫訳)


ドストエフスキーは、この虐待事件に興味を持って、事件をよく知る男から話を聞いた。それによると被告の父は無罪になった。ということだ。ドストエフスキーは、裁判所と陪審員と弁護士に義憤を感じた。が、その後、被告が有罪になった時のことを考えると、「無罪」としたこの判決は正しかった、と思うわけである。「たら」「れば」は考えたくないが、考えると幼児虐待者を罰することは難しいのか。そのせいか虐待事件は一向になくならない。142年後、日本で起きた虐待死事件、ドストエフスキーは、どう論評するだろうか…。
2018年、最も心が痛んだ出来事、報告刑事も涙した目黒虐待死事件

この虐待は、2016年8~9月香川県善通寺市の自宅(当時)で船戸結愛(ゆあ)ちゃん3歳が大声で泣いているとの情報や通報から明るみになった。児童相談所の定期訪問も開始された。12月結愛ちゃんが外でうずくまっているのを近隣住民が発見。児相が一時保護。
【2017年】2月義父、結愛ちゃんへの傷害容疑で書類送検。児相一時保護、なぜか解除。
3月警察、結愛ちゃん保護。児相2度目の一時保護。5月、義父再び書類送検。(不起訴)
7月2度目の一時保護解除。8月病院があざを確認して通報。9月にも病院は通報。なぜか児相・警察動かず。
【2018年】1月結愛ちゃん一家香川県から東京目黒に引っ越す。品川児相引き継ぐ。このころから結愛ちゃん、食事与えられず。2月品川児相訪問するも会えず。9月にも訪問。このときも母親が断る。義父、結愛ちゃんの顔をなぐる。3月2日義父、119番通報。結愛ちゃん搬送先で死亡。自宅アパートからは「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと記されたノートが見つかった。後に判明したことだが、義父は、しつけと称して早朝から明りも暖房もない部屋で結愛ちゃんに書かせていた。5歳の子に。鬼畜の義父、護らなかった母親、どれほどの罰が下るのだろうか。

これを書いている最中にも義父による2歳幼女虐待死のニュース(11/28)。一家皆殺し事件。どんなに文明が進んでも、なくならない虐待やイジメ。民族や社会問題。謎多き人間である。ドストエフスキーは『作家の日記』においてこの謎解きを試みている。



12月読書会


『作家の日記』3作品 

熊谷暢芳(報告者)

今回の読書会では、次の3編を取り上げます。
「キリストのヨールカに召された少年」1976年1月
「百姓マレイ」1976年2月
「百歳の老婆」1976年3月

見てのとおり、月ごとに発行された『作家の日記』の1月号から3月号に掲載された作品です。『作家の日記』の一号当たりのボリュウムがそれなりにある中で、この三作品は、章の中のさらに一節をなし、一息で読めるほどの長さのものとなっています。実際、三作品を合わせて読んでも、一時間とかからないでしょう。しかし、短いながらもそれぞれの作品は、読後、不思議な余韻を残します。

ドストエフスキーの『作家の日記』は、韜晦に満ちたぐねぐねした主張のウルトラエッセイですが、その中にあって各作品のテーマは極めて真率なものとなっています。まるで思想の混乱の塊にぎゅうぎゅう押されて、シンプルな夢想がぽろりと生み出されたかのようです。しかしながら、テーマのシンプルさとは別に、その語り口はやはり一ひねりしたもので、そのひねりの中でドストエフスキーの思想や印象や感情や記憶が、作家の脳を通って各物語に結実する、その感触をかすかながらも得られるものとなっています。不思議な余韻はそのあたりから来るのかもしれません。そんなことを、簡単に話します。また、当日の参集者の数などを見て、余裕があれば、その場で朗読してしまっても良いかと思っています。

使用するテキストは、『作家の日記2』小沼文彦訳 筑摩学芸文庫となります。なお、インターネット上の青空文庫にも「キリストのヨルカに召された少年」神西清訳「百姓マレイ」神西清訳があります。ただし、前半部分がはしょられています。



10・20読書会報告
 

参加者13名
 
10月読書会は読書の秋より行楽の秋か。13名といつもより少ない参加者でしたが、3回目最後の『未成年』ということで活発な意見、感想がみられた。二次会参加者は12名でした。
『未成年』最終回はフリートーク。軽妙な小山創さんの司会進行のもと、参加者各人に自らの思いを報告していただきました。会場で拾った『未成年』に対するいくつかの声です。
「自殺の話」「主張が出てこないが面白い小説」「神を信じられなくなる」「物語に感動した」「主張――思想とはこんなものだ」「心血をそそがなくてもわかる思想」「大人が書いた未成年」「1回読めば楽しめる」「自分にも未成年があった」「動物愛護」「マカール老人だけ」「キリストのヨルカ=マカール老人」「何か、話はあまり面白くない」「同性愛」「殺人までいかなかったのか」「カフカ 父親コンプレックス」「トルストイへの挑戦」「読むたびにびっくりする」「EUの分裂を予見している」「ベルシーロフの気持ちがよくわかる」「こわれた家庭」「ベルシーロフはダメな男」「「エピローグがなかったら読みきれるか?」「テーマ 青年の正道さ」
〈結論的感想〉「未成年とは、恥ずかしい時代」「青年期、思春期とは、こんなもの」「重過ぎますわ、に集約」「切り取った時間」
10年後6サイクル目に読む『未成年』は、どんな感想でしょう。この日のほとんどの参加者は、中高年に、もしくは…境にあります。新しい『未成年』を期待して。(編集室)



連載      

ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第80回)『未成年』から『作家の日記』における<トルストイ批判>へ 
― 河上徹太郎の『わがドストイエフスキー』より
   
福井勝也

前回は、読書会でも対象にした『未成年』(1875)の<読みにくさ>という問題から、その内容について論じた小林秀雄の初期論考「「未成年」の独創性について」(1933)を紹介した。そしてドストエフスキー自身が、作品の執筆意図を明らかにするように語る、エピローグのニコライ・セミョーノヴィチの「流動する現在(=時間)の現象」への注目、「歴史体の小説のみを書く事を欲しないで、流動する現代の悩みに捕らわれた作家」という作家像が示された。さらに、書かれるべき小説的課題として「偶然の家族」を生きる現代ロシアの若者の現実的考察と未来が語られるに至った。ここでのニコライ(=ドストエフスキー)の姿勢が、当時のトルストイの文学スタイルへの意識的な挑戦であったと考えられる。同時代的なライバルとしての対トルストイという問題があると思う。

このことに関連するように、当時ドストエフスキーはその存在の大きさを認めながら、刊行されたばかりの『アンナ・カレーニナ』(1877)を『作家の日記』(1877.7・8号)で批判的に論じ、当時随一の流行作家トルストイと明らかに対峙した事実がある。

但しここでのドストエフスキーの批判は、丁度この時期(1877年4月)に開始(宣戦布告)された露土(ロシア対トルコ)戦争に係わるもので、ニコライ(=ドストエフスキー)が語る小説の現代的課題と手法についての内容ではなかった。その議論の中心は、小説の主人公「アンナ論」でなく、もう一人の主役、トルストイの分身とも言われる「レーヴィン論」であった。そのトピックは、開始された戦争(の義勇兵)をめぐる「ドストエフスキーの主戦論対トルストイの平和論(非戦論)」の意見対立だが、実はその前提には「レーヴィン(=トルストイ)の農民観とドストエフスキーの農民観(=ロシア民衆観)」との相異があった。そして今回読書会で対象になる、『作家の日記』に載った(1876.2月号)珠玉の短編『百姓マレイ』こそ、ドストエフスキーが(トルストイに向けて?)明らかにしようとした自身が信じるロシア民衆観の表現であったと考えられるのだ。

それではこの問題、両者の主張はどのように違うのか、そのことを考えるうえで参考になる考察が、以前にも本欄(「通信」167号)で紹介した河上徹太郎の「ドストエフスキーの70年代」(『近代史幻想』1974、文藝春秋社刊)であった。今回この論考が、後年河上がドストエフスキー論を一冊に纏めた名著『わがドストエフスキー』(1977、河出書房新社刊)にそっくりそのまま入っていることに改めて氣が付き再読した。またこの論考は、小林秀雄との最後の対談「歴史について」(1979)でも、その末尾で話題となったものである。ここで、小林は、この河上の『作家の日記』論、特にその具体的な短篇小説論を高く評価した。言わば、河上ドストエフスキーが到達した深い歴史的理解が披瀝されたものと言える。そしてその前提に、後にチェコスロバキアの初代大統領となるマサリック(1850―1937)の『ロシア思想史』(1913)(正確には、『ロシアとヨーロッパ』)があった。

河上の『百姓マレイ』論(前掲『わがドストエフスキー』p.197~203)は、次の様に始まる。「『百姓マレイ』は、話自体素朴な物語である。それだけに読む方も素朴に、出来るだけ感傷を排して読まねばならない。先ずこの短編の主人公はむしろシベリアの同囚の無頼漢であって、マレイではない。とにかくこの小説は、そのすぐ前の章に、「われわれと民衆とどちらがすぐれているだろう?いったい民衆がわれわれの範に従うべきか、それともこちらが民衆の足跡を踏むべきだろうか?」と書いた後で、「理屈は退屈だろうから、私は一つのアネクドート(露語、ロシア固有の逸話、秘話あるいは風刺的な小話-筆者注)語ろうと思う」という書き出しで始められている。」河上はここで、この短編を読むうえでの肝心な点の指摘とその心構えを端的に語ってくれている。

そしてこの少し後、「アネクドート」を語る男が、何とドストエフスキー自身である件を引用し、次のように語っている。「「私はそれまで一度も印刷された原稿で牢獄生活を書いたことはない。十五年前に書いた『死の家の記録』は自分の妻を殺した犯人という仮装の人物の物語にしてある。そのため世間では私のことを本当に女房殺しでシベリアへ流されたと信じている人もある。」これをドストエフスキーの評伝作者がいうならとにかく、本人がいっているのである。何故政治犯がこの『記録』を書いたことにしないのか?それはドストイエフスキーはただ一介の人殺しの「ナロード」であって、政治犯M-ツキイとは違うのである。 ドストイエフスキーも「無頼漢が嫌い」な点ではM-ツキイと同感であろう。しかし彼はそうやって一人で寝転んでいるうちに、いつものように忘我の気持になり、過去の追憶が蘇って来た。「思い出は絶え間なく修正され、新しい風貌を添えた。それが何より楽しみであった。」

ここから九つになったばかりの幼年時代の「アネクドート」(物語本体)が開始されるのだが、ここでの美事な河上の小説への導入文は、ドストエフスキーがシベリアで何を夢想しながら考えを煮詰め、何を心底から掴み出して来たか、その道筋を明らかにしていると思う。そしてそれが、後年『死の家の記録』(1862)を高く評価したとされるトルストイに向けてのものだとしたら、『百姓マレイ』がこの時期に書かれたことの廻り合わせを興味深く感じる。河上は、この二人の戦争観の違いの前提を農民(民衆)観の相違によるものとして指摘し、『百姓マレイ』論を次のように締め括っている。途中、マサリックの言葉も入り長文になるが、貴重な参考文献だと思うのでここに引用しておく。(なお、旧かなは新かなに改めたが、以降の引用文も同様、筆者注)

ところで私は前回ドストイエフスキーがトルストイの農奴に対する態度を決して自ら民衆としての共感ではないと非難したと述べた。今この機会に二人の農民観の比較をもう一度改めておさらいして見よう。 トルストイはスラヴォフォイルと西欧派の対立にあてはめるなら、絶対に前者である。彼ほど純潔なスラブ派はないともいえよう。マサリックは『ロシア思想史』の中のトルストイの章の中で次のようにいう。これは明かに彼がドストイエフスキーを典型的なロシア的思想家のように先に書いたことと対照的にいっているのである。

彼(トルストイ、註)の説理の中で、トルストイはロシアの農民のお蔭で救われたことを自ら観じている。彼は、人々が、大衆が、一般の民衆が、生活上の苦悩や不幸に関らず、自殺する観念がないことに気づいたのだ。日に日にトルストイは、農民がその悲惨と不運の中にあって、内心の平和と満足を保っていることを見て来た。彼は農民が如何に貧と病いを耐え忍び、死を恐れないかを見た。その挙句彼は農民の平和と彼自身の幼時のそれとを再びわがものとせねばならぬという結論に達したのであった。

これはその少し前で、ドストイエフスキーに自殺や殺人が頻発するのをうけていっているのである。トルストイの小説にだって、自殺や殺人は出て来ないことはない。しかし右の引用の中で特にロシヤの農民は自殺しないといっていることに意味があるのであって、そこに彼は彼ら農民のキリスト教徒としての信仰を保証しようとする。

トルストイは自ら農民のこの信仰を共にすることによって、「信仰」から普遍的な「真理」に到達しようとする。それが彼の理想主義で、彼は元来カンティアンである。事実彼は晩年カント哲学を味読し、至上命令による「真」や「善」を信奉した。シェストフの不満の根本は、トルストイのキリスト教徒的信仰の完璧さにも関らず、その中にこの合理主義があるからである。そして反動的にドストイエフスキーの反逆性・悲劇性に惹かれたのである。かれは平和を愛し、これは悲しみを愛する。そしてマサリックも何れは合理主義だから、トルストイをまともに論じた前記の論文では彼をとりなそうとするのだが、それがいつの間にかドストイエフスキーの魅力に囚われてゆくところが面白い。

ドストイエフスキーにとっては「真理」は次のような形で現れた。これは彼がシベリアから帰る直前の時期にウォンヴィジン夫人宛に書いた手紙の一節で、J・M・マリにいわせると、「彼が書いた最も美しい手紙」だそうである。

この後、有名な‥‥もし誰かが私にキリストは真理の外にあると証言しても、もし真理がキリストを排するなら、私は真理を棄て、キリストとともに止ることを望む、といいたい。という件が引用される。そして河上は、「結論としていえば、ここにトルストイとドストイエフスキーの「真理」観の違いがあり、二人の農民観もそれに準じてニュアンスの違いがある、といったところであろう。」と結んでいる。(以上、前掲著書p.200~202)

途中省略を入れるつもりが、河上の文章の無駄の無い説得力を感じてそのまま引用することになった。そして全体を通じて、『作家の日記』に現れた晩年「70年代のドストエフスキー」の素顔を知るうえで、本論考は恰好のデッサンになっていると感じた。ともかく「西欧派対スラブ派」にしろ「ドストエフスキーの主戦論対トルストイの平和論(非戦論)」にしろ、議論はそれ程単純ではなく、だからこそ、この時期の二人の作家の時代を背景とした相貌を比較描写することの貴重さを感じた。そして二人の相貌の差異が、各々の個性と環境が育てあげたものであるにしても、二人はやはり小説家であって、それも世界的文豪であってみれば、長編・短篇の区別無く、その刻印が鮮やかに表現されていることを河上の小説論は丁寧に教えてくれている。

そして河上徹太郎にしろ、小林秀雄にしろ、彼らがドストエフスキーにここまで肉薄することを可能にしたものこそ、ロシアの後進国性による近代化の問題が、日本の幕末・明治維新期以降の歴史事実と連続していたからであった。その証左は、ロシア近代化に不可避であった、トルストイも軍人として参戦しかつ描いたクリミア戦争(1853~56)(ドストエフスキーが、この期間シベリアに流刑の身であったことが、二人のその後を決定付けたことを今回改めて思った)、そして二人の戦争への思いが明らかに分裂した露土戦争(1877~78)、そしてそれらの戦争が単なる地域戦争ではなかったために、それがやがて大日本帝国を巻き込んでの日露戦争(1904~05)まで続いたことになる。さらにその顛末に、河上も小林も知識人として参加した大東亜戦争(1937~41~45)が世界戦争の一部として継起したことは確かだろう。その時期には、河上が議長となり、小林も参加した『文學界』の座談会「近代の超克」論議(1942)があった。その中で、小林の「ドストエフスキイという人は、近代のロシアとか、十九世紀のロシヤの時代というものを表現した人ぢゃないのです。寧ろそういうものと戦って勝った人なのです。彼の作品はその戦勝報告書なのである。‥‥」との発言を改めて再読し、その前後を含め読み直すべきものと感じた。

今年もいよいよ押しつまり一年を振り返る時期になったが、ロシア関連で気になることは、対クリミア・ウクライナ・トルコ問題にロシア正教の勢力図が絡んで来た。政教分離ならぬ正教一致の様相は、ドストエフスキー『作家の日記』が過去のものでないことを想起させた。

日本との関係では、北方領土が絡む日露平和条約の締結問題が、ここに来て急浮上してきた。グローバルな覇権的動きに奔走する中国、北朝鮮の核・ミサイル問題の行方を含め、一層不安定化している韓半島を含む東アジア情勢にあって、プーチン帝国のロシアと、今なお平和条約が結ばれていない現状は如何かと思う。しかし北方領土問題が深く絡んでいること(四島問題)を軽視できない。私事で恐縮だが、自分は日露戦争で傷痍軍人となった祖父、シベリアに抑留され四年間の苦役を強いられた父を持った。スターリンの命令によって、約60万人の日本人が不法に連れ去られ、約6万人の命が奪われたという。その暴挙に対してロシアが未だ公式な謝罪を拒否している事実がある。歴史の客観性ということを学んで久しいが、本来歴史とは人間の生き死に関係し、その記憶が何代も語り継がれたものである。大切な元号が変わる来たる年の平和を期待したいが、平和とは与えられたものでなく、勝ち取るものであることを強く感じるこの頃である。 (2018.11.23)



ドストエフスキー文献情報


<耳より情報>

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「ドストエーフスキイの会」情報


第248回例会は11月17日(土)午後2時、を早稲田大学文学部戸山キャンパスで開催。
報告者 長縄 光男氏(ながなわ みつお)横浜国立大学名誉教授
題 目 ゲルッエンとドストエフスキー(序論)

第249回例会 2019年1月12日(土)午後 会場・千駄ヶ谷区民会館



広 場
 

現代版『作家の日記』の評論材料 幼児虐待から国政まで (編集室)

2018年に起きた出来事 2018.1月~11月まで

今年もあと半月ばかりとなりました。月日の過ぎる速さに驚かされます。2018年も、いろいろな出来事がありました。タイの洞窟から救出された少年たち、3日間も行方不明になっていて発見された2歳児。そんな明るいニュースもありましたが、多くは嫌な出来事ばかりでした。毎年、この時期になると、大きな事件発生します。師走まで、何事もなければと祈るばかりです。今回、『作家の日記』ということで今年11月までに世界・日本で起きた様々な事件・出来事のなかからいくつかをとりあげてみました。ドストエフスキーなら、どんな出来事に注視したでしょうか。

【1月】〈日本〉・箱根駅伝、青学大第4連覇 ・着物レンタル「はれのひ」突然閉鎖で騒ぎになる・国立大入試で出題ミス相次ぐ・京大iPS研、論文で不正。・仮想通貨流失、交換業者に改善命令。・栃の心優勝。・強制不妊で国を提訴。・札幌市の共同住宅で火災、11人死亡。〈世界〉・米政府機関暫定失効で一部閉鎖。
【2月】〈日本〉・眞子さま結婚、2020年に延期。(11/30の秋篠宮さまの会見では、もしかして破談か)・平昌五輪で日本、冬季メダル最多13。〈世界〉・米フロリダの高校で銃乱射事件、17人死亡。
【3月】〈日本〉・東京・目黒で5歳女児虐待死。香川県、品川区の児童相談所で見逃す。 ・森友文書改ざんで国会紛糾。佐川氏証人喚問。〈世界〉・ロシア大統領選でプーチン氏が4選。中国主席任期撤廃。・宇宙物理学者ホーキング博士死去。・金正恩氏が訪中、習氏と会談。
【4月】〈日本〉・8日愛媛の刑務所作業所から受刑者脱走。30日、広島駅近くの路上で逮捕。空き家に隠れていた。〈世界〉・韓国の朴前大統領に実兄判決。・キューバのカストロ議長退任。
【5月】〈日本〉・日大アメフト部選手危険タックル 日大問題に発展、連日報道。・スポーツ界で不祥事相次ぐ。パワハラ問題。・新潟で小2女児殺人事件。・映画「万引き家族」カンヌ最高賞。〈世界〉・米ハワイ島キラウエア火山で噴火・ノーヘル文学賞の公表見送り。・在イスラエル米国大使館がエルサレムに移転。英ヘンリー王子、アメリカ女優と挙式。
【6月】〈日本〉・「18歳成人」改正民法成立。・大阪で震度6弱の地震。・富山県、交番でピストル奪い発砲、2人死亡。自殺志願。・働き方改革関連法が成立。〈世界〉・イタリヤでコンテ新政権発足。・史上初、米朝首脳会談。緊張緩和進む。・トルコのエルドアン大統領再選。
【7月】〈日本〉・サッカーW杯、日本16強。・文科省汚職2人逮捕。・西日本豪雨、死者220人超。・オウム松本死刑囚ら元幹部7名の死刑執行。26日にも6人の死刑。13人全員の刑終了。・カジノ法成立。・埼玉・熊谷で国内最高気温41.1度。〈世界〉・メキシコ大統領選左派候補初勝利。・タイの洞窟で少年、コーチ13人全員救出。18日目。・カンボジア総選挙で与党圧勝。下院全議席獲得。
【8月】〈日本〉・私大医学部で不正入試相次ぐ。・群馬県防災ヘリ墜落9人死亡。・12日大阪富田林署で拘留中の男が逃走。9月日本一周を隠れ蓑にしていた犯人逮捕。・山口周防大島で3日間行方不明2歳児、スーパーボランティア男性が発見。・「ちびまる子」さくらももこさん死去53歳。・省庁の障害者雇用水増し相次ぎ判明。〈世界〉・トルコの通貨リラ急落。・イタリア高速道路高架橋落下43人死亡。・アナン元国連事務総長死去。80歳、01年ノーベル平和賞受賞。パキスタン首相にカーンし。クリケットの元スター選手。
【9月】〈日本〉・大型台風襲来。関西空港冠水し孤立。・北海道で震度7、死者41人。・テニス大阪なおみ四大大会で日本人初優勝。・自民党総裁選、安倍首相連続3選。・沖縄県知事に玉城デニー氏。〈世界〉・米国で大型ハリケーン。死者は50人以上。・インドネシア地震・津波。死者2000人以上。米国、カナダとNAFTA(北米自由貿易協定)。
【10月】〈日本〉・ノーベル生理学・医学賞に本庶氏。・豊洲市場が開場。・貴ノ花親方相撲界を引退。大迫選手シカゴマラソンで日本新記録。・シリアで拘束のフリージャーナリスト解放。3年4カ月ぶり。・TPP(環太平洋経済連携協定)が年内発効。〈世界〉・トルコのサウジ総領事館で記者殺害。ムハマド交替し関与か。・ノーベル平和賞、コンゴの医師とイラクの活動家。・米連邦最高裁判事に保守派が就任。・トランプ氏、INF(中距離核戦力)全廃条約破棄表明。・台湾で列車事故。18人死亡。・ブラジル大統領選、ポルソナロ氏が初当選。・ドイツ、メルケル首相、党首退任へ。
【11月】〈日本〉・プロ野球ソフトバンクが2年連続日本一。広島と4勝1敗。・太谷翔平、メジャーへ新人王。イチローから17年ぶり。・日産ゴーン会長逮捕。2025年国際博覧会、大阪開催決定。・貴景勝が優勝。13勝2敗。・宮崎で住宅に6遺体。殺人か。・ナマハゲがユネスコ無形文化遺産に。〈世界〉・台湾統一地方選挙、与党大敗。・EU英離脱協定を正式決定。・ロシアウクライナ艦艇を拿捕。・11月30日ブッシュ元大統領死去94歳。冷戦終結宣言、湾岸戦争。

日本の重大、社会問題。入管法改正。日本人の働き手がいない。が、外国人ならいる。矛盾する重要な問題。〈外国人材 介護6万人 14業種人数 2号は「建設」「造船」〉(読売11/15)

ドストエフスキーがことし一番に心を痛めたと思われる事件・社会問題。訳書はやっと腰をあげた。「保護者の体罰禁止を明記〈都の虐待防止条例骨子案〉11月30日朝日。
〈東京都は30日、子どもへの虐待防止を目指す条例の骨子案を公表した。今年3月に目黒区の船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)が虐待で死亡したとされる事件を受けた対応で、保護者による体罰の禁止を明記した。家庭内の「しつけ」として体罰が広く行われてきた実態を重視し、条例で規定することで虐待防止を積極的に呼びかけていく考えだ。〉

□虐待はなぜなくならないのか。幼児期からのスポーツと、それを称えるマスメディアにも原因があるように思う。おむつ時期から親とメダル目指して頑張る姿。優勝すれば美談、頑張り物語。だが、そんな成功例は万に一つあるかないか。ほとんどの子は虐待の傷を負ったまま生きる。そして見果てぬ夢を子どもに。そぅして自分も虐待者になる。(編集室)



清水正・ドストエフスキー論執筆50周年・大盛会

特別講演 2018年11月23日 清水正教授「『罪と罰』再読」
さる11月23日(祝・金)に日芸で開催された、ドストエフスキー研究者清水正氏の「清水正・ドストエフスキー論50周年 祭は、大勢の来館者、満席の講義教室で大盛会だった。



掲示板


『ドストエフスキー曼陀羅』特別号 清水正とドストエフスキー
日本大学芸術学部2018年11月1日発行 



編集室


カンパのお願いとお礼
年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024   
2018年10月3日~2018年12月3日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。
「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方