ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.167
 発行:2018.4.2


4月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日: 2018年4月14日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分 
開 始: 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品: 『おとなしい女』(米川正夫訳「ドスト全集『作家の日記』上巻 河出書房新社)
報告者: 太田香子 司会進行 梶原公子        
会場費: 1000円(学生500円)

6月読書会は、9日、東京芸術劇場第7会議室です。作品末定 
開催日 :  2018年6月9日(土)午後2時~4時45分迄です

第45回大阪「読書会」案内 
作品『カラマーゾフの兄弟』第1編ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第45回例会は、次の日程で開催します。4月7日(土)14:00~16:00、会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3F 小野URL: http://www.bunkasozo.com



『おとなしい女』
報告要旨

太田香子

前回の『おかしな男の夢』に引き続き、「作家の日記」からの短編となります。この二作品には同じ「空想的な物語」という副題が与えられています。また、「自殺」という現象について扱っているにもかかわらず、自殺それ自体が作品の本質的な主題ではない点も共通しているといえるでしょう。そうした前提を踏まえ、この二作品を比較すると、物語の展開や内容の面では対照的ともいえる構造をしていることに気がつきます。今回はこの「空想的な物語」二作品の比較を中心として、それぞれの作品の特徴および後のドストエフスキー作品にどのように生かされているかを考察したいと思います。
詳しいレジメは、当日配布します。



年譜でみる『おとなしい女』までの周辺
 (編集室)

ドストエフスキーの書いたものは小説以外でも論文、書簡など膨大な書物があります。作家をより深く感じるには、その一つ一つを読み解いていくことも必須ですが、なにぶん時間的問題もありますので、本読書会は、主要作品の読みを中心にすすめています。
【1876年】ドストエフスキー(55歳)
1月 『作家の日記』刊行開始。1月号『キリストのヨルカに召された少年』
2月 2月号『百姓マレイ』
3月 『百歳の老婆』
5月 『一つのふさわしからぬ思想』
6月 『ジョルジュ・サンド』 石をパンに変えるという意味、「大審問官」のあらわれ。
10月 コルニーロヴァ事件に判決、『二つの自殺』
11月 『おとなしい女 -空想的な物語―』



「おとなしい女」と『作家の日記』


下原 康子

空想的なリアリスト、あるいはリアリスティックな空想家。それが私のドストエフスキーです。現実と空想は対比的な概念ではなく、どちらも人間の謎という同じ源泉から生じています。「事実は小説よりも奇なり」はバイロンのことばですが、ドストエフスキーの創作原理はまさしくそのとおりで、新聞の社会面記事に尋常ならざる興味を抱いていたのもうなずけます。

“空想的な物語”という副題が付された「おとなしい女」が新聞記事からをヒントをえたことはおおいにありえます。そう思って探してみたら・・・、ありました。「おとなしい女」の掲載は『作家の日記』の1876年11月号ですが、その前月の10月号の第1章に注目すべき文章が3か所ありました。(当時のロシアの購読者はここも読んでいたわけです)。ここに提示されているヒントのテーマは二つ。一つはアフェクト、もう一つは自殺です。

1つ目は、第1章1の「単純な、しかし厄介な事件」。およそ半年前に起こった「コルニーロヴァの継娘殺し未遂事件」のことです。当時妊娠4か月だった若い後妻が、6歳の継娘を4階の窓から投げ落としましたが、少女は奇跡的に怪我ひとつしないで助かります。継母は、犯行後すぐに窓を閉め、着替えをし、戸締りをして警察に出頭します。そして、亭主に復讐するための犯行だったと自白したのでした。ドストエフスキーは、一見単純に見えるこの事件の中に、完全に解明されていない何かを感じ取ります。そして、この若い女の犯罪は妊娠中のアフェクト(病的激情)に起因するとして、──裕福で教養もある婦人が、妊娠中にかぎって押さえきれないアフェクトに駆られ盗みを繰り返したという例をひきあいに出して、コルニーロヴァの無罪を主張したのでした。

「かようなアフェクトは、なるほどまれにしかないものだが、それにしても、とにかくあることはある。ある行為をまったく意識を保って、しかも責任能力なしに行うことはあるのだ。万一、この考えが過ちであったとしても、刑罰の過ちよりは慈悲の過ちのほうがましである。」としたのです。そして「少女はおっかちゃんに白パンを届けにくる。夫婦は心からしんみりと許しあう。」という“空想” を繰り広げてみせたのです。

10月号の発行後、ドストエフスキーは獄中の彼女を3回訪問しました。(アリョーシャの行動的な愛を思い起こさせます)。出産を終えた彼女のそばには洗礼を受けたばかりの赤ん坊が寝ていました。ドストエフスキーは “空想” が真実になったことを見て取ります。そして、12月号「ふたたび単純な、しかし厄介な事件について」の中でそのことを報告した上で、再びアフェクトの主張を、より念入りに熱烈に繰り返します。最後を「あえて誤りを冒して彼女を無罪にすることはできないのだろうか?」と結びました。ドストエフスキーの心理考察と情熱は司法を動かしました。シベリア懲役の宣告は覆り、彼女は無罪になったのです。驚くべき展開であったと思います。1877年4月号の「おかしな人間の夢」のすぐ後に「被告コルニーロヴァの釈放」の報告があります。

ここからは私の想像。アフェクトから「スタヴローギンの奇行」を連想しました。ガガーノフの鼻をつかんで引き回した例の事件です。うわさの手法で描かれたこの場面の終わりに、スタヴローギンは、「むろん、許していただけるでしょうね・・・どうしてふいにあんな気持になったのか、ほんとに、さっぱりわからないんですよ・・・ばかげたことです・・・」とつぶやきます。T. Alajouanineというフランスの神経科医は、このときのスタヴローギンの衝動的な行為はドストエフスキーが自身のてんかん性の精神運動行動(自動症)の体験を思い起こして描いたものと述べています。この解釈が気になって、「『悪霊』創作ノート」(米川正夫訳)をめくっていたら、次のようなメモをみつけました。

ニコラスはシャートフに「おお違うよ、ぼくは健康でてんかんなんかありゃしない。ぼくの中には悪霊の大軍団なんかないよ。われわれは放蕩しながらも健康をまもるさ。用心深いからな。ぼくは何ごとにつけても度をはずすようなことはできないんでね」(『悪霊』の中では、シャートフが「きみ、てんかんの持病はないのか?」と聞いた相手はキリーロフでした)。ドスエフスキーがアフェクトを強く主張した背景には自らのてんかん体験があったかもしれない、と私は想像しています。

「おとなしい女」の自殺をアフェクトに帰することはできないのはもちろんですが、コルニーロヴァと「おとなしい女」に共通した「窓から、投げる」行為は衝動性をイメージさせます。また、「5分、たった5分だけ遅れたのである!わたしが5分早く帰っていたら、─あの一瞬は浮雲のように過ぎ去って、そんな考えは決して二度と、彼女の頭には浮かばなかったであろう」という夫のことばはひっかかります。

2つ目は、同じく10月号の第1章3「二つの自殺」です。二人の若い女性の自殺がドストエフスキーに謎解きを迫りました。その一人はロシア亡命者の娘で、クロロホルムを浸した綿で顔をおおって寝台に横たわりそのまま死んだのです。奇妙な遺言を残しました。「私の自殺が成功しなかったら、シャンパンで私の蘇生を祝ってちょうだい。もし、うまくいったら、死んだことをよく確かめて葬ってください。だって、地下の棺の中で目をさますのは不愉快千万ですもの。あんまりシックでなさすぎますわ!」。ドストエフスキーは「彼女は、“冷たい闇と退屈” のために死んだ。シックという言葉の中に、挑戦、憤慨、怨恨が響いている。」と書いています。私の連想はキリーロフに飛び、彼が遺書に「舌をべろりと出した面を描きたい」と言ったことを思い出しました。

もう一人の自殺者は、貧しい裁縫女です。たった数行の新聞記事によれば、彼女は仕事がみつからないことに悲観して4階の窓から飛び降りました。地面に墜ちたとき、両手に聖像をいだいていたというのです。「なんとつつましやかな、おとなしい自殺だろう」とドストエフスキーは書く一方で、ロシア亡命者の娘を思い起こし、「なんとかけ離れた二人の人間!死に方もなんという違いであろう、ところで、いったい二人の魂のうち、いずれが地上でより多く苦しみ、悩んだであろうか?」とつぶやきます。

3つ目は、第1章4「宣告」。退屈のために自殺した男の独白で、こちらは創作です。“唯物論者の論理的帰結の自殺”を宣言するこの男は、『地下室の手記』以来、様々なバリエーションで作品の中に現れ、私たちにはおなじみです。ドストエフスキー文学の核心部分を担う重要人物ですが、文字数に制限のある雑誌の紙面に登場させるのは勇み足だったかもしれません。批判や疑問が数多く寄せられたようです。(現在ならネット炎上でしょう)。そのため、ドストエフスキーは12月号の半分以上を使って、この男がいかなる人間であるか、この文章の目的は何かについて、一生懸命(ことばの上で)反論・説明しています。いつかの日か、ドストエフスキーがどうしても伝えたかったというこの文章の “目的” を “真実” として感じ取りたい、それは私の希いでもあります。

「どうして人々を相手に語らずにいられよう?」それがドストエフスキーの人となりでした。(ディケンズがそうであったように)。さまざまな話題をあらゆる局面で人々に語りかけずにはいられず、読者の反応に対しても敏感でした。雑誌出版は長い間の念願だったのです。『未成年』執筆のころになってようやく経済的に安定し、個人雑誌『作家の日記』の自費出版が実現します。事務所は住居の一室で、社員は使い走りの給仕だけ。事務を一手に引き受けたのはアンナ夫人でした。雑誌の反響は大きく部数も伸びていきました。一方で、ドストエフスキーの健康は下降します。残された時間はわずかでした。『カラマーゾフの兄弟』の執筆のための中断後、1880年8月の臨時号「プーシキンに関する演説」を経て、1881年1月に復活号第1号が出ました。しかし、同じ月の28日に急逝してしまいます。59歳でした。

このたび「おとなしい女」の再読が『作家の日記』(1873,1876-77)に目を向けるきっかけになりました。研究者ならずとも宝の山だと思います。今更のように米川正夫さんの偉業(全集)に対する感嘆と感謝の思いに駆られ、本棚から『鈍・根・才 米川正夫自伝』(河出書房新社 昭和37)を探し出し読み始めています。



『おとなしい女』の言語表現について


野澤高峯

1,「一人称独白体」から「一人称対話体」へ
物語は主人公(質屋)の一人称独白形式で進行しますが、作家はあえて物語でも手記でもないという「空想的な物語」として、作品内の他者(妻)や不特定の他者(世間・読者)のみならず、自らに対しても語るという表現形式をとった事を冒頭に述べています。一人称独白形式は『地下室の手記』から連なるものですが、「空想的な物語」とあえて作家が提示したこの言葉の二重方向は、大きくにはバフチンが指摘した通り、「対話」という概念で括られるでしょう。(*1)

「わたしは、いわば矜持の態度で行動し、ほとんど沈黙によって語ったのである。元来、わたしは沈黙によって語ることの名人である。わたしは生涯、沈黙によって語り通してきた。われとわが身を相手に、数々の悲劇を黙って体験してきた。おお、わたし自身も不幸な人間だったのである!」

上記はあくまでも自己の内なる他者との対話であり、主人公のこの自意識はあくまでもその閉鎖性から脱出することはありません。東京都立高等学校教諭の傍ら文芸批評に携わる太田瑞穂はこの形式を受けて、太宰治の中期小説の女性告白体に見られる手法としてこれを「一人称対話体」として取り出しました。(*2)

また、表象手法は『地下室の手記』に見られるように、主人公の意識の流れを克明に追っています。そこには「時間性」が強調されており、語っている時期は妻が自殺した後の出棺前として、その時の意識が過去を振り返っていますが(妻の情報はあくまでも一人称の語りなので「後で知った」と言う断りが頻繁に出てきます)、その主人公の時間意識は遭遇した悲劇をあくまでも、時間差の偶然性によるものと捉えたように、ここでも一貫してその歪んだ自己意識の閉鎖性を見ることができるでしょう。

2,「一人称対話体」形式で作品化した意味
物語を進行させるモノローグと共に、自己意識を語る他者は不在であり、そこでの対話は不成立となります。主人公の不幸な意識は、世間からの疎外感と、そこから反転した世間への復讐という自尊心を持つアンビバレントな意識ですが、その意識を肯定できる他者は不在なのです。作品内の対話の相手は妻ですが、あくまでも妻の人物像や妻との会話は主人公のモノローグであり、対話の基調となっているのは、世間への復讐という意識と同じ「傲慢な沈黙」です。つまり、妻に対してもモノローグなのです。

地下室人と類型する主人公を現実の他者(ここでの妻)と関係させたこの作品のプロットは、ここでも太田が太宰作品で取り出したように、単に人の感情や想いといった内容にあるのではなく、人間関係における対話性を浮上させたことであると読解できますし、言語表現形式の意味としては、主人公のモノローグ性(空想的な観念)を乗り越えられない関係の挫折として読めるでしょう。つまり、一人称対話体という形式に於いても、作品内外に対しての他者との対話が成立出来ないというパラドックスを描いた作品としての、作家の表現形式としての先見性を見ることができると思われます。

(参考)
1, ミハエル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』(望月哲男・鈴木淳一訳 ちくま学芸文庫 1995年)
2, 太田瑞穂「太宰治における一人称対話体の展開」(『論集 文学のこゝろとことば』1999年)特に『おとなしい女』との比較としては、女性独白による一人称対話体作品として太宰治『燈籠』が挙げられますが、ここでは見えない他者との会話により自己の可能性を見出す、太宰中期のロマン性の萌芽とも読めるすぐれた短編と思われるので参照されたい。



2・10読書会報告
 

参加者21名。Pカンパニー劇団の女優さん2名参加。3月公演「鎮魂歌 レクイエム(ドストエフスキー『罪と罰』より)」の紹介がありました。


「ドストエーフスキイの会」情報


第244回例会 2018年3月24日(土) 千駄ヶ谷区民会館 1階和室
報告者:野澤高峯氏 
題 目:「スタヴローギンとムイシュキン」――人間的価値審級を読み解く


紹介  

ドストエフスキイのイエス像 5
(典拠:anjali(あんじゃり)33 June 2017 「現代」を考える 親鸞仏教センター)

芦川進一

逆説愛こそドストエフスキイ到達したイエス像の極北

悪鬼に憑かれた存在としての人間。この認識は「カラマーゾフの兄弟」において、更に「人間の中の悪魔性」という認識まで煮詰められる。新たに主人公の一人ひとりが皆、イエスを裏切り十字架上に追いやる悪魔ユダとして捉えられ、それぞれの生を改めて、「ゲラサの豚群」を巡る罪と罰、闇と光の福音書的ドラマとして描かれるのだ。スメルジャコフと共に、このユダの役割を極限下して担うのがイワンである。作者はこの青年を「神殺し」と「父親殺し」と「兄弟殺し」という三重の悪魔の業に踏み込ませ、その罪の自覚に至る過程を「悪業への懲罰」のドラマとして追い、その先に与えられる復活の可能性を探る。ここから明らかとなるのは、最も深い罪に沈んだイワンこそが最も深く神と「キリストの愛」を知るという逆説、闇と光の弁証法である。このイワンが弟アリョーシャに語り聞かせる「大審問官」の劇詩の終局、裏切り者ユダたる大審問官に対しイエス・キリストが与える接吻。この逆説愛こそドストエフスキイが到達したイエス像の極北であろう。

ドストエフスキイのイエス像を追うことは、ドストエフスキイ文学の精髄とは何か、イエスその人の本質とは何か、そして彼らが向かう神とは何かを問うことであり、この上なく困難な問いの前に立たされることである。だがドストエフスキイのイエス像は決して固定された「信仰告白定型」ではない。彼が描いた様々なイエス像は、人間と世界と歴史を向こうに置き、その終末論的・黙示録的危機との対決の中から生み出された預言者的警世の叫びであると共に、彼独自の自由で創造的な宗教的・哲学的検索と文学的営為の試行錯誤でもあるのだ。この真摯で豊かな求道精神が提示するイエス像に対し、我々もまずは自らの天性や関心や好奇心を以て自分自身のイエス像を刻む試みをし、応えるべきであろう。このドストエフスキイに対し、「我は汝と何の関係あらん」と呟くとしたら、それは超越への目と心とを閉ざさす、怠惰な島国的精神の発露以外の何物でもないであろう。 完 



評論・連載
      
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第76 回)1870年代『作家の日記』自殺論他/ 西部邁氏の予告自殺    
                                 
福井勝也
         
今回読書会で取り上げられる『やさしい女』は、1876年11月号の『作家の日記』に発表された。その前年(1875)に『未成年』が完結し、その翌年(1877)には『カラマーゾフの兄弟』の執筆が開始された。この小説は、ジャーナリズムの時事的な素材(聖像を抱いた若い女の投身自殺事件)に触発されて書かれ、文量は『白夜』(1848)とほぼ同じ位の小品である。近年、ロベール・ブレッソンの「やさしい女」(1969)が再公開(2015)され、ドミニク・サンダ主演(デビュー作)の映画が当方にも印象に残っている。ドストエフスキーの文学的人生の象徴的な問題も秘められた問題作と考えられ、作家晩年の密度の濃い傑作として評価が高い。

その作品の舞台を提供したのが独特の評論スタイルを採った『作家の日記』であった。このほぼ三期に分けられる『日記』(①1873年「市民」週刊雑誌に掲載、②1876-77 ③1880-81、②③ともに自ら発刊した月刊個人雑誌に掲載)のうち、分量的にも内容的にも注目すべきなのが、『やさしい女』が掲載された②1876-77年の文章群だろう。この時期には露土戦争(1877.4~1878.3)が勃発し、ドストエフスキーにも少なからぬ影響を及ぼした。この際にドストエフスキーの社会的発言も活発化したが、以降話題がドストエフスキーの「主戦論的愛国発言」に集中し批判が多く語られることになった。筆者は前回の読書会でも触れたが、このような単なる先入主的論議(単純な平和論)は皮相なもので、かえって『作家の日記』総体を晩年の「作品」として十分に論じることを妨げて来たと考えている。

そもそも「主戦論的愛国発言」にしても、トルストイの流布された「非戦論」との比較論だけでは不十分で、ドストエフスキーは、そのロシア民衆観と不可分のロシア正教の世界史的意義を語ろうとしたものであった。その観点からドストエフスキーの「戦争観」も、むしろ最晩年の『作家の日記』に掲載された「プーシキン講演」(1880)の世界理想との関連から論じられるべきだろう。同時に、この作家の説く「ロシア・メシアニズム」は、単純な愛国的ナショナリズムではなく、西欧近代化に歴史的に汚染されなかった<キリストに最も近しい民であるロシア民衆>への共感的洞察と不可分な地球規模の宗教的救済理念として語られた。言わばその「フィールドワーク」として、この時期ロシア民衆への接近・取材が、『作家の日記』の刊行というかたちになった。そこで得られた当時のロシア民衆像が、『日記』短編小説の人物となって具現化した。

本邦では従来、このような『作家の日記』について本格的には論じられて来なかった。ただ小林秀雄が評価した河上徹太郎の論考「ドストエフスキーの70年代」(『近代史幻想』所収、文藝春秋刊、1974)が残されていて、後で一部引用する。専門家の研究論文では、比較的早い時期に、漆原隆子「構想における『作家の日記』の役割」(『ドストエフスキー 長編作家としての方法と様式』第4章のⅢ、思潮社刊、1972)がある。さらに『作家の日記』の重要性を説いた河上と小林以降では、山城むつみ氏の「マリアの遺体とおとなしい女」―『作家の日記』(『ドストエフスキー』第3章、講談社、2010)がブレッソンの「やさしい女」の映像論にも言及している。山城氏の大著『ドストエフスキー』の柱としての論考だと思う。

この『作家の日記』の表現スタイル(文体)は、若い頃の『ペテルブルグ年代記』(1849)や中期に自ら発刊した雑誌『時代』で繰り返えされたフェリエトン『ペテルブルグの夢』(1861)辺りに起源がありそうで、元々作家の資質に深く根ざしたものだろう。それが70年代、当時のロシア内外の政治社会状況に呼応して、論壇的オピニオンを鮮明にして『作家の日記』に具現化した。

同時に、ドストエフスキーはあくまで文学者であって、時事問題に触発されながらも、それを切実な小説に仕立て上げた事実は見逃せない。それらの小品はどれもドストエフスキー的な円熟の成果で佳作ぞろいと言える。「ボボーク」(1873)・「キリストのヨールカに召された少年」・「百姓マレイ」・「百歳の老婆」・「やさしい女-幻想的な物語-」(1876)・「おかしな男の夢-幻想的な物語-」(1877) の6作品にあって、特に重要だと思われるのが、同じ副題「幻想的な物語」が付されて、どちらも「自殺」をテーマとした最後の二作品だろう。しかし子細に読めば、両者は同様な意味の「幻想的な」作品とは呼べない。前作には、作者自身が「まえがき」でその注釈を付しているのが注目される。そこでは、「幻想的な」とは「最高の意味でリアルなものと考えている」とか「物語の形式そのものにある」とか独特の拘りを吐露している。そして読み始めれば、その文章のタッチが随分違うのは明らかだろう。当方これは、話の主人公を<男と女>に書き分けたからだと思う。そして、その<男と女>の背後には<ドストエフスキーとマリア(最初の妻)>の<記憶>が重なるように控えている。

そして、この前作<女の物語>では、その顛末「自殺」までが話の中身として語られる。但し表現としては、その小説の結末から始まり、残された女の死体を眼前にした男の<意識的回想のモノローグ>という独特の語りになっている。後年、20世紀的小説の文体<意識の流れ>の先駆的表現と評せられることになるが、これは先程指摘の作者が拘った物語の形式の問題と重なるもので、作家が意識的に実践した方法であったことが分かる。

他方、後作<男の物語>では、「自殺(未遂)」が話の端緒になっているが、その後の展開が物語となっている。そこでは「自殺(未遂)」後の死後世界(夢)が、(あたかもキリーロフが)輪廻転生したような(SF的)宇宙空間の舞台として描かれ、その「ユートピア」的虚実まで語られる。そして最後には、文字通り「目覚めた男」が<キリストの召命>を実行すべく、「伝導」に赴くための決意表明が唐突に宣せられて終わる。当方この結末に、最後『作家の日記』にも掲載されたドストエフスキーの遺言的演説「プーシキン講演」(1880)に通底した<高揚感>を感じた。しかしこの作品は、<演説>に先立って書かれた「パロディ」なのか。

ここで先に紹介した『作家の日記』の本格的論考である河上徹太郎の「ドストエフスキーの70年代」(1974)から、この二作品に対するコメントを紹介しておきたい。盟友小林秀雄が論じなかったドストエフスキー論を補完する河上の『作家の日記』論、さらにその貴重な小説論を引用しておきたいからだ。何より河上のドストエフスキーへの深い洞察は、小林と共有した戦前の歴史体験に依拠し、二人の19世紀ロシア近代への人ごとならぬ歴史的共感に基づいていた。

次に第三の短篇(河上は、この前に「キリストのヨールカに召された少年」「百姓マレイ」を論ずる、注)として『おかしな人間の夢』を挙げよう。1877年4月号に載り、「空想的な物語」と傍題がつけてある。これは或る原始的なユートピア物語であって、彼(`)の(`)想像で描いた地上の楽園での人々の生き方が主題であるが、それを特徴づけるのが濃厚な現代的危機感と終末観である。だからそれがユートピア物語だといつても、あり得ない美化された夢物語ではなくて、恐ろしく現実味を帯びて人に迫つて来る。あるひは7、80年代の危機を、具体的に描いたのではなくても空気を背景にした時代批判だとも言へよう。何れにしろドストエフスキー晩年の世相観・世界観がこれに集約されてゐる、さうなると『作家の日記』全体の象徴的な結論ていつても大袈裟ではない。

話の結末は余り重要ではない。おれ(``)は暁方に眼を覚す。ピストルは机の上にあつて、引金は引かれてゐなかった。おれ(``)は今や永遠の真理に惹かれたのを感じた。さあ生活だ!伝導だ!といふので終わつている。しかしこの話で重要なことは、この前半にある楽園の描写が、ただ純朴、無垢、平和といつた原始的な浄福を謳つてゐるのではなく、一句一句近代の否定といふ消極的な限定で出来てゐることである。そして、だから、おれ(``)がこの楽園を堕落させるのは、そこに一々「近代」を導入することによつてである。(しかもその挙句おれ(``)がこの地球をより愛するやうになるとは!)この事情が大切なのである。(以上は、『近代史幻想』Ⅴ短篇『百姓マレイ』他、p.192・p.194)

何れにしろ、この四つの短編がみな勝れた芸術作品である中でも、この『おとなしい女』は最高の完成度を示してゐる。余りに芸術的に純粋過ぎて、何だか「近代史」的な「幻想」を映すタネにするには不向きみたいである。私はかまわず今度はこれを専ら「文学的」に読んでゆくことにする。この小説の主人公の男は、一言で言へばえげつない中年男である。そして女は情愛不感症的な面白味のない女である。男は女を愛したつもりでをり、女は男を愛そうとし、ともにその意図を果たさない。そして当然来るべき悲劇のキャタストロフが来て見ると、この悲劇が永遠の男女闘争の宿命的な型(パターン)をなしてゐることが明らかにされる。さういつた心理小説である。(同著、Ⅵ『おとなしい女』の自殺、p.196)

マサリックはドストエフスキー論の中で、彼の作品の中には自殺や殺人がよく出て来るが、概して知識階級は自殺をし、無智な者は殺人するといつている。前者の例はスタフローギン、キリーロフ、スヴィドリガイロフ等であり、後者にはスメルジャコフやラゴージンが挙げられよう。これはおおざつぱないひ方だけど、いはれた限り真理を含んでゐる。この十代の人妻は、別にインテリではないけれど、その自殺はスタフローギンも及ばないほど条理を尽くして選ばれた途である。ドストエフスキーはこの短篇で、彼の本格的な思想小説の部分品的雛形を「芸術的に」実演して見せてゐるのである。〔‥‥〕自殺をよくDeus ex machina(「デウス・エクス・マキナ」、演出技法の一つ、「機械仕掛けから出てくる神」の意味、注)的に使ったドストエフスキーが、ラスコーリニコフもイヷンも(当然ながら)自殺させてゐない。「カラマーゾフ」にはたしか一人も自殺者は出て来ない。それだけ彼はこの女の自殺を特殊なものに扱つている。これは偶然ではないと信じるが、『日記』にこれを掲載するすぐ前の月に三人の自殺者に関する彼の考察を述べてゐるのである。しかもそれが面倒な動機の詮索を省いたその事情や心境の紹介であり、ケースとしてもいはば世間的な事件なのである。そこを勘ぐつていへば、これらの事件はこの「おとなしい女」の自殺の対象として、その引立役あるひはイントロダクションとしてのものであるかのやうである。(同著、Ⅵ『おとなしい女』の自殺、p.199-200)

河上氏の引用が長くなったので、この後のドストエフスキーが『日記』で拘った三つの自殺事件への言及と、その後むしろこちらの方が「おとなしい女」との本質的問題を共有していると河上が見た「コルニーロヴァという妊婦の女の継子殺し未遂事件」へのコメントは、読書会で結論的に語りたい。問題は、「おとなしい女」という存在(タイトル)への作家の拘りにあるようだ。

そして実は、今回ドストエフスキーの『日記』での<自殺>への拘りを読みながら、当方の頭を占領していたことがある。それは、今年年明けの1月21日の日曜日の暁方に、田園調布の多摩川で入水自殺を遂げた評論家の西部邁氏のことであった。既に種々の報道もされ、その自死がかなり以前(『死生論』を書いた1994年頃)から確信的に計画された処決であったことが明らかになった。この間に当方が直観したことは、この出来事は三島由紀夫の自死事件(1970.11.25)を強く喚起させる内実のものだろうということだ。この様相の違う二つの出来事は、いずれ並列して論じられる<系譜>のものだと推察できる。それらの思いは、今回読んだ西部氏の本格的な三島論 <「明晰さの欠如」三島由紀夫論>(『ニヒリズムを超えて』所収、1989)のインパクトの強い読後感による。自死へ至る弁明書として三島が書き残した『太陽と鉄』(1968)、その蹶起の政治論的根拠を語った『文化防衛論』(1969)への西部氏の冷静かつ鋭い批判にまず説得された。同時にその批判こそ、根本において西部氏の三島への深い時代的共感に拠るものだと感じた。三島が最期呼びかけた檄文における「生命尊重主義」の<戦後的欺瞞>への真率な拘りこそ、西部氏が訴えた「保守主義」と自身の「自死」に対する最大の根拠であると感じた。西部氏の人生は三島由紀夫の問題の<批判的継承>であったと感じた。無論<継承>に力点があるが。西部氏の言葉を引用して、冥福を祈りながら今回の筆を擱く。そしてこれら<系譜>や<継承>には、ドストエフスキーの文学が介在しているとの思いを併せて付記しておきたい。

トラディションのうちに秘められている平衡感覚および平衡術の智慧こそが伝統である。そしてそれを守ろうとするのが保守の真髄である。三島は少なくともその思想表現において、革命的情念や性愛的情念や詩魂に過剰に譲歩し、伝統について慎重な考慮を及ぼさずに、文化共同体が維持され発展していくための一切の根拠を天皇に求めたといってよい。これはこれで、一種の無責任だといわれても仕方ないのである。

伝統破壊を旨とする戦後に抗して、あれほどに伝統に執着した三島が、その思想表現において伝統放棄へと転落していったのはなぜか。三島にあっての伝統とは模作すべき規範なのであった。伝統に秘められた平衡の智慧は、平凡な言い方だが、生活のなかで、他者との接触のなかで、活かされるものである。というより、そういう生の営みを通じて探索され見出されていくものであって、生の外部に聳え立つものではないはずだ。

この三島をめぐる私の同意と不同意の模様を『太陽と鐵』および『文化防衛論』を素材として語ってみたわけだが、私は、いったいなぜこんなことを語ったのだろう。

それは保守思想の落ち着き先を探したいからである。[‥‥] 西欧的なものにせよ日本的なものにせよ、可能な思想実験はすべと終了した感がある。さてそこで、未済の実験はとなれば、保守思想ということになるのではないか。ほかならぬ私自身のうちに、こうした思想の推移が起こった次第である。

そのとき、三島は越えなければならぬハードルとなる。そこで三島は状況(三島が事件を起こす70年前後、革命を目指した新左翼の若者達の過激な街頭闘争など一連の社会的騒乱、注)に過剰反応を起こし、生来の夭折願望に思想的な磨きをかけたうえで「死ぬ覚悟」と幾度も洩らし、あまつさえそれについて執筆もした。言葉のいきがかりと人間関係のいきがかりがあれこれ絡み合った挙句、「ではいつ死ぬか」ということが、テーマとなった。もう引き下がりようがないし、引き下がってはならぬと自分の背を押してくれる思想もすでに整えていた。政治における死の選択はたいがいこんなもので、それを説明するのに同性愛や自己愛を持ち出すことなど、余計といわぬが、副次的のことにすぎない。 <「明晰さの欠如」三島由紀夫論>(『ニヒリズムを超えて』より抜粋)(2018.3.12)



ドストエフスキー文献情報
 2018・1・29~2018・3・31   
提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん

〈図 書〉
・『ロシア最後の農村派作家――ワレンチン・ラスプーチンの文学――』大木昭男著 群像社  2015年8月30日 ¥1800+ 第三章 ドストエーフスキイとラスプーチン――「救い」の 問題試論 p39-60※初出:「ドストエーフスキイ広場」7(1998.1.30)p20-34
〈逐次刊行物〉
・名場面からたどる『罪と罰』最終回 復活の兆し エピローグ 原作Ф.М.ドストエフスキー 訳・解説 望月哲男 「NHKラジオ まいにちロシア語」55(12)(2018.2.18=3月号)p123-131
・〈巻頭エッセー〉ドストエフスキーと仏教/定方晟 「春秋」596(平成30.2.25=2018.2.3)p1-4
〈雑〉                          
・「朝日新聞」2月20日-夕刊の〈デジタル版から〉というコンテンツの紹介に、新潮文庫版 『地下室の手記』の写真を発見! タイトルは「勝手に世界3大オタク文学」とある。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」、そしてドストエフスキー、もう1作は「ロリコン」の語源となったあの作品、と記されていた。Q.「どなたかこのデジタル版コンテンツを読まれた方はいらっしゃいますか?」
・「朝日」朝刊のコラム「語る―人生の贈りもの―」3月中旬は、舞踏家・俳優 麿赤兒。13回(21日・水)に、《3月に初演した「罪と罰」でも、ドストエフスキーの小説の主人公が抱くおびえがテーマの一つだった》と伝えている。Q.「公演を観賞した方おられますか?」

ふたつの映像資料
(1)唯一のアニメーションDVDは、アレクサンドル・ペトロフの1992年の作品『おかしな男の夢』(20分)である。他2作品「雌牛(1989年)、氷の精(1996年)を含めた Alexander Petrov Film Works アレクサンドル・ペトロフ作品集として2007年・ジェネオンエンタティメントから出された。GNBA・3061.¥3800。

(2)細かなことですが、文庫本データの誤り。昔懐かしい映画について語る新刊の文庫本を読んでいたらドストエフスキー作品に触れたものがでてきた。今年1月10日〈ちくま文庫〉から文庫オリジナルで発行された根本隆一郎編『文豪文士が愛した映画たち 昭和の作家映画論コレクション』。この第3章憧れの映画スタア/映画人」の中に、色川武大氏の「ピーター・ローレ 故国喪失の個性―ピーター・ローレ」の一文が収録されている。ピーター・ローレは聞き覚えのある名だ。…『罪と罰』というフランス映画でラスコーリニコフを演じた…」と述べている。文末の映画メモを見ると「1935年(仏)」となっている。どんな風貌の俳優であるか。我、「映画作品ファイル」を開いてみると、1935年作製の『罪と罰』は2件ある。ひとつはフランス、ジェネラル・プロ、ピエール・シュナール監督のもの。こちらのラスコーリニコフはピエール・ブランシャールが演じていている。もうひとつは、アメリカ・コロンビア映画で、ミセフ・フォン・スタンバーグ監督、ラスコーリニコフは、ペーター・ローレである。巻末に「収録作品出典・底本一覧」があって、この一文は『なつかしい芸人たち』(新潮社 1989年)、そして『色川武大 阿佐田哲也全集第14巻(福武書店 1993年)と記されている。今、こちらを確認できない。ちなみに『映画で楽しむ名作文学・2』(コスミックス・ピクチャー)に含まれている。DVD10枚¥1600という廉価で入手できる。BCP-040。Made in Korca であるが画像は美しい。

〈古書2冊・美術書〉
1.〈ロシアの美術 ―トレチャコフ美術館物語―〉デ・ヤ・ベズルコーワ 本田純一訳 新潮社 昭和51年8月30日 ¥1300 ドストエフスキーを描いたベローフの肖像画はこの美術館所蔵作品である。「同時代の人々の――ドストエフスキー」(p67-71)に作家と画家の様子が伝えられている。
2.『忘れえぬ女 帝政ロシアの画家・クラムスコイの生涯』鈴木竹夫著 蝸牛社 1992年3月1日 ¥2300、(1)の函も、(2)のカバーも、御存知「忘れえぬ女」である。「見知らぬ女」が元々の作品名で、こちらで覚えている。ドストエフスキーのデスマスクを描いた画家としても有名であるが、この「忘れえぬ女」が誰であるのかが興味深い。トルストイの「アンナ・カレーニナ」とドストエフスキーの「ナスターシャ・フィリッポヴナ」ではないかと推論されている。



新 刊 


『清水正・ドストエフスキー論全集 10』《宮沢賢治とドストエフスキー》2018年3月25日発行 D文学研究会 ¥3500+税
『銀河鉄道の夜』と『カラマーゾフの兄弟』における「死と復活の秘儀」今、ここに清水正のドストエフスキー論の悲憤が明らかになる。



ドストエフスキイ研究会便り  (主宰者)芦川進一

「 カラマーゾフの世界(A).兄弟たち、スメルジャコフを巡って ―スメルジャコフとマリアとアリョーシャ― 」

芦川進一
                
河合文化教育研究所HPの「ドストエフスキイ研究会便り」に掲載中の新しいカラマーゾフ論は、(6)から(11)まで計6回掲載の予定ですが、4月現在で第3回目(8)まで来ています。「カラマーゾフの世界 (A).兄弟たち、スメルジャコフを巡って ― スメルジャコフとマリアとアリョーシャ ―」。このような総タイトルの下に書き進めていますが、今までの3回のタイトルを記しますと、
・第Ⅰ章.  疾走するマリア  [第十一篇10より]
・第2章.  スメルジャコフの猫の葬式  [第三篇2より]
・第3章.  イワンの「人生で最も卑劣なこと」 [第五篇6より]
以上のようになります。次回の第4章は4月下旬に掲載の予定で、タイトルは「 噛み砕かれたアリョーシャの指 [第四章3より]」となります。

二年前に上梓しました『カラマーゾフの兄弟論』で論じたスメルジャコフを改めて正面から取り上げ、様々な角度からカラマーゾフ世界のブラック・ホールとも言うべきこの存在について考察を試みています。従来のカラマーゾフ論において看過され、あるいは誤読されてきたこの青年に光を当て、その宗教的背景も明らかにすることで、ドストエフスキイの愛読者と未来を背負う若者たちに一つの「叩き台」を提供し、迷宮のようなカラマーゾフ世界への関心を少しでも喚起出来ればと願っています。

なお毎回一つずつドストエフスキイの写真や肖像画を取り上げ、ドストエフスキイという測り難い存在について、この角度からの「読み解き」の試みもしています。よろしければ、これもご参考になさって下さい。

アクセス:「ドストエフスキイ研究会」



編集室


カンパのお願いとお礼
年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」口座番号・00160-0-48024   
2018年2月1日~2018年3月31日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。

「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方