ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.164
 発行:2017.10.10


第283回10月読書会のお知らせ

月 日: 2017年10月21日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分 
開 始: 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品:『悪霊』6回目
報告者: 福井勝也さん・野澤高峯さん対話式報告       
会 費:1000円(学生500円)



第42回大阪「読書会」案内 10・14(土)『永遠の夫』
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第42回例会は、以下の日程で開催します10月14日(土)14:00~16:00、・会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料作品は『未成年』1編 12月16日(土)『未成年』2編 〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分) http://www.bunkasozo.com 



「悪霊」のための覚書


報告者&司会進行は、福井勝也さん 野澤高峯さん

『新世紀のランニングパス』
―スタヴローギンの人物像について―
(野澤記)

私は日々生活する上で世界像を三つに大別しています。「日常世界」「情報・伝聞の世界」「神話・フィクションの世界」です。ドストエフスキー文学を語るときにはこの内、「神話・フィクションの世界」を中心として、「神やキリストをテーマとして、その意味がどのように他の世界を釣り支えているか」という私の読解を前提としていますが、現在はポスト真実、フェイクニュースがまかり通っているように「情報・伝聞の世界」が大きく揺らぎ、自分にとっての「信憑」に常に「可誤性」が付きまとう日常です。そうした現状の問題意識の下、今回は『悪霊』について、東浩紀が『観光客の哲学』でリバタリアンと位置付けたスタヴローギン像を中心に、その意味や批判も踏まえ、作品内に留まらずその読解のから見える現状の世界認識について、よって立つアイディンティティ(特に政治思想や文学)の場所についてまで、福井さんと対談形式でボール(テーマ)のパス(受渡し)をしつつ軽く走りながら、「ドストエフスキー文学の現代性」を浮かびあげられたら良いと思います。時間の制約にもよりますが福井さんとの主な対談項目は下記の通りです。    

1,東浩紀『観光客の哲学』にみるスタヴローギン像
2,福井論文『三島由紀夫とドストエフスキー-スタヴローギンの<サディズム・マゾヒズム>』における東のスタヴローギン像への疑問点
(論考は下記に掲載されています)http://www.dsjn.jp/dsjjournal/dosbulletin/ronbun/index.html
3,スタヴローギン像について
4,『悪霊』の主題
5,真理よりもキリストと共に



寄稿

チホンvsスタブローギン 二つの疑問
下原 康子

ドストエフスキーの『悪霊』(1871)の「スタブローギンの告白-チホンのもとで」の章はそれこそ様々な議論の的になっているが、ここでは、チホンとスタブローギンの会話の中で、私自身、気になった二箇所について想像を交えて触れてみたい。

1.トルストイへのオマージュ?

気づまりな雰囲気で始まったばかりの二人の会話を、スタブローギンが唐突に打ち切って、(壁に貼られていたと思われる)地図について訊ねる場面がある。

「ふむ・・・・ところであの地図はなんの地図です?おや、この前の戦争の地図だ!なんのためにこんなものを?」
「地図と本文を対照しておるのです。たいへんおもしろい記録でしてな」
「見せてください。なるほど、文章は悪くない。それにしても、あなたにしては奇妙な読み物ですね」
彼は本を引き寄せて、ちらとそれをのぞいた。それは、この前の戦争の状況の膨大な、才能ゆたかな記録であったが、軍事的というより、むしろ純文学的な見地から見てそう言えるものだった。しばらく本をひねくりまわしていてから、急に彼はもどかしげにそれを突き返した。(江川卓訳)


これだけの記述だが、リュドミラ・サラスキナさんの「ドストエフスキーの創作原理からすれば、偶然のディテールはない」という主張に賛同している者としては、<この純文学的見地から見て才能豊かな本>について気にしないわけにはいかない。まず浮かんだのはトルストイの『戦争と平和』(1869)だが、ロシアのナポレオン戦争(1812)を「この前の戦争」とは言わないだろう。トルストイの年譜を見たら1853年のクリミア戦争で将校として従軍し、セヴァストーポリで激戦に参加し、その体験を『セヴァストーポリ』(1855-56年) という作品に結実させたとあった。手元にあった米川正夫訳「トルストイ全集2」にこの作品が収録されていた。100頁を超える中編である。(この全集は49歳で早世した親友の伊東佐紀子さんの遺品である)これがチホンが読んでいた本だと思われる。それにしても、ドストエフスキーは何のためにこの挿話を入れたのだろうか。チホンの複雑な性格に何か付け加えるためだろうか、それとも、ドストエフスキーからトルストイに向けたオマージュであろうか。ドストエフスキー(1821-1881)とトルストイ(1828-1910)はまさしく同時代を生きたロシアの二大文豪である。しかし、直接あいまみえたことはなかったようだ。

「スタブローギンの告白ーチホンのもとにて」の章は、当初第2部第8章の「イワン皇子」のすぐあとに続く章として書かれたが雑誌掲載を断られた。その後「告白」の存在は知られることなく、半世紀近くが過ぎた1921年(ドストエフスキー没後40年かつ生誕100年)に原稿が発見されるまで陽の目を見なかった。したがって、トルストイが「告白」を読んだ可能性はない。だが、もし、読んでいたとしたら『セヴァストーポリ』の挿話をドストエフスキーからのなんらかのメッセージと感じたろうか。

2.『悪霊』第三のメタファ 「熱い・冷たい・ぬるい」

スタブローギンとチホンは無心論について以下の会話を交わす。

「でも、神を信じないで、悪霊だけを信じることができますかね?」
「おお、できますとも、どこでもそんなものです」
「あなたはそういう信仰でも、完全な無信仰よりはまだしもと認めてくださるでしょうね・・・」
「それどころか、完全なる無神論でさえ、世俗的な無関心よりはましです」(江川卓訳)


このやり取りのあとで、スタブローギンはなぜか奇妙にそわそわとうろたえ気味になり、「では、覚えておられますか、『ラオデキヤにある教会に書き送れ』とか?」と尋ねる。チホンは即座に「ヨハネの黙示禄第8章」の該当箇所を暗唱する。

「ラオデキヤに在る教会の使いに書き送れ。アーメンたる者、忠実なる真なる証人、神の造りたもうものの本源たる者かく言う、われ汝のおこないを知る。汝は冷やかにもあらず熱きにもあらず、われはむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願う。かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただぬるきゆえに、われ汝をわが口より吐き出さん。汝、われは富めり、豊かなり、乏しきところなしと言いて、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なる者、裸なる者たるを知らざれば・・・」(ヨハネの黙示録 章3) 
「たくさんです」スタブローギンが口を入れた。「実はですね、ぼくあなたが大好きなんです」「私もあなたが好きですな」チホンが小声で答える。(江川卓 訳)


チホンはスタブローギンの心理に深く入り込み、読む前から「告白」の意味するところを予感していたかのように見える。チホンは言う。「あなたはただぬるきものでありたくないと思われた。あなたは異常な意図に、おそらくは、おそろしい企画に押しひしがれておられるように思いますぞ。」

この同じヨハネの黙示録の一節が、『悪霊』3部第7章のステパン氏臨終の場面で、福音書売りのソフィアによって朗読される。ステパンの頼みに応じて、ソフィアがあてずっぽ開いて読み上げたのが偶然にもこの一節だった。ステパンは目をきらきらさせ、枕から頭を起こしながら「ぼくはそんな偉大な箇所があろうとは、ついぞ知らなかった!」と叫ぶ。それから急激に衰弱していく中で、「もう一か所、読んでもらえますか・・・豚のところを」と頼み込む。朗読を聞いたステパン氏は興奮しうわごとを言いはじめ意識を失いやがて死ぬ。

ここからは私の想像だ。「告白」の発表が不可能になったことを受けて、ドストエフスキーは、この「ヨハネの黙示禄の一節」を、エピグラムに掲げた二つのメタファ(「豚の群れに入って溺れる悪霊ども」と「プーシキンの詩の悪鬼」)に加えるべく、第三のメタファとして物語の最後に提示したのではないだろうか。

「冷たい・熱い・ぬるい」から想起されるのは、『マクベス』の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」である。ドストエフスキーの小説には、『悪霊』に限らず、このオクシモロン(矛盾撞着技法)的な登場人物が少なからずみうけられる。



寄稿

「観光客」の可能性 -「誤配」と「可誤性」について-
野澤高峯

ドストエフスキーとの関連から、今年に入り読書会でも話題にした東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』については、会員の福井氏が前回の論考でも東の主張のポイントを的確に取り出されていました。私の感受も、ここで東の提示した「観光客」とは、福井氏が引用された下記に集約されると考えていますので、再度引用いたします。

「政治は「まじめ」と「ふまじめ」の峻別なしには成立しないが、文学はその境界について思考することができる。この意味では本書は、文学的思考の政治思想への再導入の必要性を訴える本でもある。観光客とは、政治と文学のどちらにもおらず、またどちらにもいる存在の名称である。」(*1)

東は「観光客」を「帝国の体制と国民国家の体制の間を往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在である」(*1協調は引用者)と定義しています。それは、リベラリズムの「他者性」が主張した上から目線が、逆に他者への不寛容や排除の身振りに陥っている逆説を抱える現状を踏まえ、これを更新する新しい「他者の哲学」の構築を目指す新しいアイデンティティとして「家族」を再構築して「観光客」の新たな連帯を表現する概念として鍛え上げることだと受け取りました。現代はコミュニタリアニズム(ナショナリズム)とリバタリアニズム(グローバリズム)が台頭しています(《仲間はいて誇りもあるが結局は国家に仕える国民(人間)として生きるか、自由だが孤独な誇りなき個人(動物)として生きるか、そのどちらかしか》ない)。しかし、それは対極的ではなくその両者が互いを強化しつつ並走しており、現代は、《二層構造の時代》であると東は主張します。文芸評論家の加藤典洋はそこに下記のコメントを寄せています。

「そこには人が成熟を遂げるべき「中間項」(世間=市民社会)がもはやない。人は今や未熟(私的)なまま「普通(公)と繋がる回路を模索」しなければならない。未熟であることが普遍的な探求の前提なのである。」(*2)

昨年の日本映画の『君の名は。』、『シンゴジラ』の大ヒットの背景には、「セカイ系」を未だに想起させる「中間項」が欠落した状況が継続していると考えることができるでしょう。(*3)「観光客」とはこうした時代に打ち出された新たな政治的主体だと言えます。
私としては『ゲンロン0 観光客の哲学』を哲学書とするなら、デリディアンである東の主張は、今回の「観光客」について脱構築を主張するデリダの概念(「郵便」「幽霊」「誤配」「散種」等)で自説を構築していることに対する「他者の哲学」の探求有効性の疑問と、そもそもポストモダン思想が相対主義から抜け脱せないという哲学の原理的な課題の解決には至っていないと懐疑せざるを得ない立場です(読書会は文学の場なので、その見解は割愛しますが、ご質問には個別的に対応します)。しかし、この政治思想的思考に文学的思考という更なるの意味を加味すること(それこそ脱構築についての単一性から複数性への更新)で「私的な生の実感」を基に、新たな主体を打ち出そうとする姿勢に、今までにない東の独自の思想の可能性を感じました。ここでは特に冒頭に引用した東の主張から文学的思考による「観光客」の意味を取り出し(それはネグリ=ハートのマルチチュードの文学的ロマン性を更新する意味で)、ドストエフスキー文学の命題を参考にその関連性を述べたいと思います。

私はドストエフスキー文学を推理作家の笠井潔の影響下で読み始めましたので、ドストエフスキーは否定神学(否定的な表現を介してのみ捉えることが出来る何らかの存在を想定することが世界認識の不可欠だとする、神秘的思考一般)系の作家と位置付けてきた傾向は否めません。しかし、東は否定神学批判(この主張は大変共感した)から、ドストエフスキーを「誤配」を背景に「神はとりあえず存在しないが、現実には様々な失敗があるゆえに存在しているように見えるし、その限りで現実に存在するかのような効果を及ぼすと考える」という力学を示そうとしたと作家だと位置付けています。「誤配」を背景とした「観光客」もこのように捉えた場合、私にとって文学的思考とどう重なり可能性が開かれるのかについて、上記の「否定神学」解釈をドストエフスキー作品で考えていたことを前提に、私の文学的思考である「可誤性(誤りうること)」を起点とした「自己からの思想」が東の「私的な生の実感」とどう共振するかという事を基に、私なりの「観光客」の意味を探りたいと思います。

私は無神論を考える命題として「神がいなければ、それに代わる人間が向かう崇高なもの、絶対感情を喚起するもの、不遇な生を支えたり、それを乗り越えるものはどこにあるか」という「超越的存在」についての問いを設定しましたが、これはドストエフスキーの重要なガジェットとして後期作品で扱われていく「キリスト的なるもの」の解釈の問いでもあります。私は過去の読書会(2016年8月13日『白痴』第5回)でも話題にしましたが、これを存在しえないものを「存在しないもの」として存在させる論理としての「観念の外部」として捉えているところがあります(*4)。この概念について笠井潔は東からの否定神学批判を受けて、自ら志向しているのはむしろ『否定信仰』であるとし、笠井はドストエフスキー文学にもそれをみているというのが私の理解です(*5)。私の問題系はこの「観念の外部」の解釈ですが、それはポストモダニストがその否定性確保場所としてロマンチックに仮構した外部ではなく、起点は笠井が概念化した「集合観念」で浮上するものです(*4)。文芸評論家の竹田青嗣はこの「集合観念」を下記の通り解説しています。

「これは或る根源的な「聖なるもの」(“超越的なるもの”)に対する人間の欲望の肯定である。しかし、この根源的な聖なるものとは<神>という、思い描かれた(〈真理〉化された)彼岸ではなく、ひとつの純粋な信憑、それが信憑に他ならぬことが自覚されているような、純粋な信憑としての彼岸である」(*6:強調は引用者)

ここにいう彼岸とは「死」に象徴されるように、存在の彼岸ではなく理解を絶しているが必ず存在するとしか言えない信憑としての何かを意味しているという点で「観念の外部」と捉えています。東は観光客のキーワードに「憐れみ」を提示しましたが、それは日常生活でも現象学の言う「超越論的自我」の諸審級の妥当問題において〈外部〉として現前意識(純粋意識)としてのみ現出する「欲望(身体・情動などを含む)」を基礎としています。私は自己から他者や世界を想い至る過程でこの「集合観念」で説かれている「純粋信憑」として自らに告げ知らされる何かも「外部」と捉え、それが信憑としてモラルの起点でもある自己意識を刷新すると考えているだけで、その中身を物語化する事ではありません。

しかし、東の主張する「誤配」を背景としたドストエフスキーの解釈は、私にある更新を促しました。ドストエフスキーにとってのこのテーマはむしろ『カラマーゾフの兄弟』での、「大審問官」で具現化されます(*7)。ここでイワンが語るのは、冒頭に述べた、人による「超越的存在」への関わり方を著したドストエフスキーの見解と受け取ることが出来ます。イエス(らしき襤褸の人:以降イエスと表記)はサタンの三つの誘惑(奇跡・神秘・教権)を全て退けましたが、大審問官はサタンの主張を支持します。しかしイエスはここで、人間の信仰は奇跡や神秘などの超越性に頼らず、また、宗教の教義に裏打ちされ思い描かれた(〈真理〉化された)権威に頼らない、人それぞれが個々に向き合う「自由な信仰」が大切なのだという事を主張したと解釈できます。それに対し大審問官は、人間が自由にその超越性を求め信じようとすれば、人間はそのことに耐えられなくなる弱い存在だと言います。「自由な信仰」を人間が持とうとすれば、超越した存在に対する信頼などすぐに失われてしまうという事です。そのために大審問官は奇跡・神秘・教権により現在(16世紀当時)のキリスト教世界を築いたと述べます。

今の私の読解レベルで「大審問官」の主題自体への言及は不遜ですし、標題からそれるので今後の読書会で別途検討すべきですが、私自身は一つには笠井潔が大審問官の物語がイワンの語りであり、イワン自身が革命的無神論者という背景から、大審問官をはじめから統治権力を身につけた存在として前提せず、イエスに対する解釈と同様、それはラディカルな自己観念を負わされた革命的存在とみている点を、変則球を投げた解釈として注視しています。笠井は大審問官がイエスとの対位において描かれていたのは、超越的権力への批判がこめられていたからだと言及します。(*4)ただ、この物語の検討の起点は統治権力を起源論的に捉えるハンナ・アーレントが、大審問官の構成的権力には人々を「絶対的多数の群衆の際限のない苦悩」と捉えた雄弁なピティ(哀れみ)を打ち出すのに対し、イエスが「一人の人間の不幸の特殊性」を捉えた無言のコンパッション(同情)を対峙させていくことに、文学の特殊性が政治の全体性を解体していくという視点(*8)を押さえつつ、今後の各位との討議に期待します。

しかし、今回の文脈で言えば、現代でもここで問われているのはその超越性を相対化し、無化することでの人間がニヒリズムに陥る進み行きです。個別の宗教のみならず、昨今のナショナリズムの台頭にはそうした超越性に向かう人間をうまく掬い取る教権やある種の神秘性(日本では一時期の天皇制)を備えています。そこには21世紀の現代が既にグローバル化によりニヒリズムの蔓延を加速させていることを必然とする現実があり、ポストモダン思想を背景に「観光客」を提示した東の戦略には、そうした現状を踏まえ、自分の外側にある共同体的な存在(帝国の体制や国民国家の体制)を含む新たな態度決定として、主体を立ち上げる必要性を打ち出しているというのが私の解釈です。東の理論で言えば「観光客」としての誤配(出逢いの偶然性)はこの解釈で言えば、そうした現代のニヒリズムの徹底後に、「自由な信仰」を基にした新たな主体と言えるでしょう。その自由さには「現実には様々な失敗があるゆえに存在しているように見える」という意味で誤配なのです。そのことを私が文学的思考として協調したことには、加藤典洋が提起した文学における「可誤性(誤りうること)」ということに繋がると考えているからです。加藤は「大審問官」について、下記のような解釈をしています。

「ここで言われている自由な信仰とは何だろうか。それは、そうでないいわゆる信仰とどこが違っているのだろうか。それは、自分を先に立てた、間違うことのありうる信仰だ。ドストエフスキーのいうキリストは、一人の他者として、人が、自分によって作られるものを欲せず、人自ら「自分」を作ったうえで、誤るかも知れないが、むこうから自分を見出すことを望む、というのである。ここに、他者としての神、神がまずあって、その神の栄光に打たれて、人が人になる、という信仰、あの他者の思想と対極の信の形がある。ここにあるのは、あの誤りうることが正しいことより深い、というドストエフスキーの直観が彼にたどらせた、たぶん最後の定言の形である。・・・・文学は誤りうる状態におかれた正しさのほうが、局外的な、安全な真理の状態におかれた、そういう正しさよりも、深いという。深いとは何か。それは、人の苦しさの深度に耐えるということである。文学は、誤りうることの中に無限を見る。誤りうるかぎり、そこには自由があり、無限があるのだ。」(*9)

東の言う「まじめ」と「ふまじめ」を横断する主体、加藤の言う「中間項」を立ち上げる可能性は、このドストエフスキーの直観なのではないかと感じている昨今です。私の哲学的思考は「認識の一切は信憑として構成されており、主観の確信だと考えよ」とする現象学のテーゼに依っていますが、それは誤りうるところに置かれた「不可疑性」の追求です。それに対する文学的思考としては「可疑性」(誤りうる状態を初めから引き受け、正しさへ至る思考)を置いています。例えば文学作品に限らず芸術一般にみるシュルレアリスムでの超現実のイメージ(ブルトンの「放心」やベンヤミンの「陶酔」)や、(東もベンヤミンの『パサージュ論』に言及していましたが)、アラゴンの「パサージュ」(私の場合は下町の「路地」を一つの文学空間と捉えています)を観光客が訪れる場所として想起したりもします。しかし、今回は大審問官とイエスでの救済についての内実の違いを問う前に、文学に分け入る態度決定として大審問官の権力構造に見る「他者の思想」に対し、私的な実感を起点とすることを強調した「観光客」に、東の従来からの主張である「他者性」を脱色させた誤読(「誤配」の読み)として「可誤性」を共振させるイエスのアティチュードを確認したかった事に他なりません。

(出典・参考)
1,東浩紀『ゲンロン0観光客の哲学』(ゲンロン社2017年)
2,加藤典洋『現代世界を誰が生きるのか』(2017年8月15日公明新聞書評)
3,拙稿『『白痴』を読んで-「セカイ系」からのアプローチ-』(読書会通信No.156)
4,笠井潔『テロルの現象学-観念論批判序説』(作品社1984年、新版2013年)
5,東浩紀・笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社新書2003年)
6,竹田青嗣「超越としての外部-死と共同体」『意味とエロス』(作品社1986年)
7,ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟2』(亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫2006年)
8, ハンナ・アーレント『革命について』(ちくま学芸文庫1995年)
神山睦美『大審問官の政治学』(響文社2011年)
9.加藤典洋「戦後後論」『敗戦後論』(講談社1997年)



8・19読書会報告 


『悪霊』5回目、参加者21名、『スタヴローギンの告白』で再燃
5回目となった『悪霊』は、小山創さん司会進行で熊谷暢芳さんが「スタヴローギンの思想もしくは理想への態度」について報告された。資料として、詳細の「スタヴローギンの時系列整理」と「スタヴローギンの思想・理想の態度」(Ⅰ.幻滅と復讐 Ⅱ.理想の回帰)を配布。謎多い行為と人生を照射した。

質疑応答において、6月読書会で問題になったマトリョーシャとの関係について再燃。今回も多くの意見が出された。「10歳から14歳、考えられない」「恋愛関係とはいえない」「哀れを感じる」などなど様々な感想あり。『悪霊』は、今年いっぱいつづきそうである。

5サイクル目の『悪霊』報告の軌跡

『悪霊』報告は希望者が多かった。主にスタヴローギンについての考察が目立った。

□2016年12月10日 1回目 報告者・小野口哲郎さん 司会進行・小山創さん
          「キリーロフの人神論について」
□2017年 2月18日 2回目 報告者・太田香子さん 司会進行・熊谷暢芳さん
          「シャートフとスタヴローギン」
□2017年 4月29日 3回目 報告死者・石田民雄さん 司会進行・熊谷暢芳さん
         「ニコライ・スタヴローギンの肖像――「チホンのもとにて」
□2017年6月24日 4回目 報告者・梶原公子さん 司会進行・尾嶋義之さん
  「ドストエフスキーにおける悪 ワルコフスキー、スタヴローギンからの考察」
□2017年8月19日 5回目 報告者・熊谷暢芳さん 司会進行・小山創さん
         「ニコライ・スタヴローギンの告白」について
□2017年10月21日 6回目 ジョイント報告&対話 福井勝也さん 野澤高峯さん



評論・連載   


「ドストエフスキー体験」をめぐる群像

(第73回)現代における「悪霊」の正体とは?―小林秀雄の「スタヴローギン」論

福井勝也
 
台風18号が日本列島を駆け抜けた。残念ながら台風一過の清々しさは訪れず、鬱陶しい蒸し暑さがぶり返してきた。最近のこの心晴れぬ気分は、多発する北朝鮮のミサイル発射と核実験による恐怖心が、その醜悪な軍事的プロパガンダによって煽られ続けていることによる。戦後72年間の日本を取り巻く周辺情勢において、おそらく最悪の危機に日本人は遭遇している。Jアラートという<空襲警報>に怯えながら、為す術もなく遣り過ごすしかないのが、この夏(以降)の日本人の常態か。無論、自衛隊の、米軍のミサイル迎撃態勢による防衛抑止力が働いている。しかし軍事衝突が偶発的に起こる可能性は否定できない。一旦戦争という事態になれば、甚大な被害から未曾有の核戦争へと突き進むだろう。国連安保理の制裁決議に期待する向きもあるが、一度手にした核爆弾とICBMを北朝鮮が手放すことは考え難い。すでに、米国内では核保有国として北朝鮮を認めようとする議論が出始めている。となれば、「拉致犯罪」を堂々と認めてきた隣国の「テロ国家」が、その核兵器という凶器(ドス)を常時日本列島の横腹に突きつけることになる。ヒットラーさえ手にしなかった、核弾頭を北朝鮮は宣戦布告でもするように振りかざしている。三島由紀夫の『美しい星』(1962)が、冷戦期の核戦争恐怖を背景にしていた小説であったことは前回にも触れたが、今日の事態は、より深刻な一触即発な<熱戦>の危機すら孕んでいる。

 何がこの危機的事態を招いたのか。その張本人の金(キム)正恩(ジョンウン)とは、長い歴史的事実の堆積が因果となって生み出された独裁者と言える。第一には、父親金正日(キムジョンイル)・祖父金日成(キムイルソン)が形成した一国社会主義の因果、さらには戦前鬼畜米英を叫んで戦争へと突き進んだ大日本帝国影響下の偏狭なアジア主義の因果、その後植民地から独立を叫んでのパルチザン、東西冷戦時の南北朝鮮戦争の惨禍が刻んだ歴史的因果、それらがすべて金(キム)正恩(ジョンウン)の<背後霊>になってその<悪意>を支えている。そして同胞の「拉致=テロ」を見逃し放置する遠因となった、戦後左翼知識人の朝鮮民主主義人民共和国への安易な<ユートピア国家幻想>も、金王国を育て、金(キム)正恩(ジョンウン)を生む前提になった。アジア的専制の<鬼子>の誕生には、深く日本も歴史的に係わって来たことは確かなことだろう。それにしても現代日本人には、この<国難>に真剣に向き合い根本的な打開策を講じる必要に迫られている。

さてここではドストエフスキーに戻って何を考えるべきだろう。現在読書会では、『悪霊』を読み進めているが、現代に『悪霊』を読み直す恰好の対象として<金(キム)正恩(ジョンウン)>があると言ったら<笑い話>だろうか。実は次回読書会では、前回も触れた東浩紀氏の『観光客の哲学』(2017)に端を発した延長的議論を相棒の野澤氏と述べ合おうと思っている。その中心に、『悪霊』のスタヴローギンの人間像が居座っていることは間違いない。東は、上記新著でスタヴローギンの「サデイズム」を指摘したが、僕はむしろその「マゾヒズム」が重要だと常々思って来た(この事を考えているうちに、「三島由紀夫とドストエフスキー」という拙文を書いてしまい、亀山郁夫氏の「日本ドストエフスキー協会」HPの<DSJ journal>・<論文>欄に掲載されている)。問題は、スタヴローギンの人間像、その<現代性>とは何かということだろう。ここで眼に付いた『悪霊』の「スタヴローギンの告白」からその一節をまず引用してゆく。

自分は、その時茶を飲みながら、取巻連としゃべっている中に、生れて始めて厳重に自分を定義した ― 他でもない、自分は善悪の区別を知りもしなければ、感じもしない。いや、自分がそういう感覚を失ったばかりでなく、もともと善悪の区別などというものは偏見だけだ。(そう考えると気持ちがよかった)自分はあらゆる偏見から自由になる事ができるが、そういう自由が得られた時は、自分の破滅の時だ。これは生まれて始めて定義の形で意識したのも、しかも取巻連と、莫迦話をして大笑いしている中に、ふと浮かんで来た意識なのである。それでも皆覚えている。誰でも知っている陳腐な思想が、突然眼新しく心に映ずる事があるものだ、時として人生五十を過ぎてさえ。

突拍子も無いことを承知で言えば、このスタヴローギンの「告白」の<軽さ>は<金(キム)正恩(ジョンウン)>のものとして聞こえて来ると言う問題である。しかし同時にここには、<深刻>な作者「ドストエフスキーの告白」が入り込んでいるとも見るべきかもしれない。

それにしても、自身を厳密に「定義」したうえで、<自分はあらゆる偏見から自由になる事ができるが、そういう自由が得られた時は、自分の破滅の時だ>との言葉は覚えて然るべきスタヴローギンの「格言」なのだろう。そしてその思考が、<(そう考えると気持ちがよかった)>と語られて、その意識に注釈が施されていることも要注意だろう。その内容そのものが、スタヴローギンの人物像を捉える核心的な表現になっているわけだが、さらにその<意識の流れ>に自己言及するドストエフスキーの<文体>自体に、その<現代性>を強く意識させられるからだ。なお、このスタヴローギンの<生きる時間>に浮上したスタヴローギンという人間の「定義」が、<取巻連と、莫迦話をして大笑いしている中>に突然生起してくる想念であるのも興味深い。その<記憶の回路>の<メカニズム>は、後年にベルクソンが『物質と記憶』(1900)で詳述した人間の心の機能の<リアリズム>を先取りしたもののように読める。

戦前(1937)小林秀雄は、この「スタヴローギンの告白」の一節を引用して、『悪霊』の核心にある<スタヴローギン像>に迫ろうとした。そして引用の最後は、「しかし、僕にはただこの姿だけが堪らないのである。つまり、閾の上に立って、威嚇するように、小さな拳を振り上げている姿、ただこの姿、ただこの瞬間、ただこの顎をしゃくる身振り、これがどうしても堪らないのだ‥‥」という言葉で途切れて、『悪霊』論は<未完>となった。この最終部の引用も、やはり前述のベルクソンの<記憶の回路>の<メカニカルな表現>になっていると思う。そしてここで、「スタヴローギンの告白」の決定的場面が最後に投げ出されるように語られることが、かえって「告白」のクライマックスを読者に直接的に伝えることになった。この戦前に書かれた『悪霊』論は、その終末部のほとんどすべてが、「スタヴローギンの告白」の引用文になっているのは確かなことだ。しかし小林は、その『悪霊』論で、肝心のことだけを言い切っている、いや肝心のことだけしか言っていない。だから<完結性>をすら感じさせられるのだろう。その途中引用文の肝心なコメント部分を引用してみる。

作者(ドストエフスキー、注)の独創的な表現がまことに著明なのも一つの理由だが、この場面こそ彼(スタヴローギン、注)が見入った、従って彼(スタヴローギン、同)から見入られた悪というものの素面だからだ。言いかえれば、作者の信じた(僕もそれを信ずるが)人間の精神というものの正体だからである。

さらにもう一箇所指摘したい。先述の最終部の始め「黄金時代の夢」から、「夕陽の斜な光線」が浮かび上がらせる「赤い蜘蛛」が媒介になって、「マトリョオシャ(幽霊)」がスタヴローギンに召喚される場面だ。その部分の長い引用を経て後、最後の箇所だ。スタヴローギンが想起するしかない、マトリョーシャとの一体化(=「マトリョーシャの甦り」)が、その苦痛と伴にある「記憶」として甦る。切実な「告白」の語り始められる直前の言及だ。

ここで極度に心理的な場面を扱いながら出来る限り心理的手法が避けられていることに注意し給え。作者がそんな風にやってみたかったのではない。彼は心理的手法なぞによっては到底語り得ない人間の精神の謎を前にしているのだ。だが、もっと作者の語るところを聞こう。謎は深まるばかりだという事がわかるだろう。

この「未完」の小林の『悪霊』論(1937)は、当方の見立てだが、戦後がしばらくして、60年安保の政治の時節に別のかたちで引き継がれている。それは、昭和35年(1960)の5月、『文藝春秋』に発表された「ヒットラアと悪魔」という一篇だ。これは、その後小林の『考えるヒント』に所収された。実は「ヒットラア」に言及したのは、これが初めてではなく、文中小林は、次のように20年前からの変わらぬ思いを回想してみせる。

ヒットラアの「マイン・カンプ」(「我が闘争」、注)が紹介されたのはもう二十年も前だ。私は強い印象を受けて、早速短評を書いた事がある。(1940.9、朝日新聞、注)今でも、その時言いたかった言葉は覚えている。「この驚くべき独断の書からよく感じられるものは一種の邪悪の天才だ。ナチズムとは組織や制度ではない。むしろ燃え上る欲望だ。その中核はヒットラアという人物の憎悪にある」。私は、嗅いだだけであった。

ヒットラアは、十三階段(小林は、この時期公開された「十三階段への道」というニュールンベルク裁判を描いた実写映画を見た感想として本文を書いている。注)を登らずに、自殺した。もし彼が縊死したとすれば、スタヴロオギンのように、慎重に縄に石鹸を塗ったに違いない。その時の彼の顔は、やはりスタヴロオギンのように、凡そ何物も現していない仮面に似た顔であったと私は信ずる。<‥‥>スタヴロオギンは、あり余る知力と精力とを持ちながら、これを人間侮蔑の為にしか使わなかった。彼は、人を信ぜず、人から信じられる事も拒否した。何者も信じないという事だけを信じる事を、断乎として決意した人物であった。この信じ難い邪悪な決意が、どれほど人々を魅するものか、又どのような紆余曲折した道を辿り、徐々に彼自身を腐食させ、自殺とも呼べないような、無意味な、空虚な死をもたらすか、その悪夢のような物語を、ドストエフスキイは、綿密詳細に語ったが、結局、物語の傑作を出ないと高を括られた。作者のように、悪魔の実在を信ずるものはなかったからである。自分は、夢想を語ったのではない、また諸君の言うように、病的心理の分析を楽しんだわけでもない、正真正銘の或るタイプの人間を描いてお目にかけたのだ、と彼はくり返し抗弁したが無駄だった。

ヒットラアをスタヴロオギンに比するのは、私の文学趣味ではない。私はそんな趣味を持っていないが、二人の心の構造の酷似は疑う余地がないように思われる。スタヴロオギンが、タイラント(暴君、専制君主、独裁者。注)でもプロパガンティストでもなかったのは、彼の生活圏が、ヒットラアほど広くはなかったからだ。それ以上の意味はあるまい。<‥‥>

彼は政治家だったから、権力という言葉が似合うのだが、彼の本質は、実はドストエフスキイが言った、何物も信じないという事だけを信じ通す決心の動きにあったと思う。ドストエフスキイは、現代人には行き渡っている、ニヒリズムという邪悪な一種の教養を語ったのではなかった。しっかりした肉体を持ったニヒリズムの存在を語ったのである。この作家の決心は、一種名状し難いものであって、他人には勿論、決心した当人にも信じ難いものであったようだ。その事を作者が洞察して書いている点が、「悪霊」という小説の一番立派なところである。おそらくヒットラアは、彼の動かす事の出来ぬ人性原理からの必然的な帰結、徹底した人間侮辱による人間支配、これに向かって集中するエネルギイの、信じ難い無気味さを、一番感じていたであろう。<‥‥>

もしドストエフスキイが、今日、ヒットラアをモデルとして「悪霊」を書いたとしたら、と私は想像してみる。彼の根本の考えに揺ぎがあろう筈はあるまい。やはり、レギオン(本来はローマの軍団の意味、ルカ福音書8章では悪霊に取り憑かれた男にイエスが「おまえの名は何か」と問うと、「レギオンだ」と答える場面がある。注)を離れて豚の中に這入った、あの悪魔の物語で小説を始めたであろう。そして、彼はこう言うであろうと想像する。悪魔を、矛盾した経済の産物だとか一種の精神障碍だとかと考えて済ませたい人は、済ませているがよかろう。しかし、正銘の悪魔を信じている私を侮ることはよくない事だ。悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。福音書が、怪しげな逆説の蒐集としか映らぬのも無理のない事である、と。

思わず長い引用をしてしまったのは、次回読書会の資料としても読んで欲しいと思うからである。コメントはその際に譲りたいが、何点か触れておく。小林は、中断した「スタヴローギン」のことを考えていて「ヒットラア」という同時代の「悪魔」に遭遇し、やっと未完の『悪霊』論に終止符を打つことができた。それは、人間の心に宿る「悪」の正体をドストエフスキーがやったように、誠に正直に探求し続けたからであったと思う。確かに、歴史という大きな時間の問題を避けて通れないことは分かる。しかし小林が、悲惨な戦争の時期を跨がってさえもこの時期に訴えたかった一つのことは、歴史主義とその同類の心理主義では、人間の本性(「悪」)は掴めないということであったろう。

小林の「ヒットラア」は、当方に思いがけず別名<ロケットマン>の<金(キム)正恩(ジョンウン)>のことを連想させた。この<笑い話>が<ブラック・ユーモア>で終わることを今は祈るしかないのだろうか。しかし当方が今日の危機的状況を伝える報道を聴いていて不満だったのは、<金(キム)正恩(ジョンウン)>という世界人類を手玉に取っている33歳の男の情報が余りにも聞こえてこないことだ。彼が本物の<悪魔>であるかどうか、僕はそれが問題の核心だと正直に思っている。人類史を紐解けば、世界は神人あるいは人神的な天才とその対極にある文字通り悪魔的な人間がせめぎ合い、そして大審問官的権力者が、その他大勢の人民を奇蹟とパンを使ってどうにか生かしめて来た。しかし、この長い人類の歴史もいよいよ瀬戸際に差し掛かっている。核戦争になったら、それが確実に終わることを今こそ認識すべきだろう。その運命が、この平和な日本の隣国の一独裁者の手中にあることに憤りさえ感じる。

文学がもし力を発揮できるとすれば、この今しか無いのではないか。小林秀雄という文学を極めた先達は、戦後のこれも<未完>に終わった『感想』(1963.6)というベルグソン論で、ベルグソンの最終作(『道徳と宗教の二源泉』、1932)の言葉に触れている(1958、『新潮』第二回連載)。今回は、その部分のベルグソンの言葉(小林訳)を引用してとりあえず拙文を終わりたい。

「人々は、大きな手段、小さな手段、のいずれを選ぼうとも、一つの決断をすることを迫られている。人類は、自分の手に成った進歩の重みに、半ば圧し(お)潰(つぶ)されて、呻(うめ)いている。人類は、自分の未来は、自分次第のものだ、という事を、まだ十分承知していないのである。先ず、これ以上生存したいのかしたくないのかを知るべきである。次に、自ら問うがよい、ただ生存したいのか、それとも、その外(ほか)に、神々を造る機械に他ならぬ宇宙の本質的機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦(また)、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」

文字通り、ベルグソン哲学の遺言であって、彼はその後刊行出版した著書以外の断簡零墨の類まで死後公表されることを遺書で禁じた。小林の「感想」もそれにならったが、小林の遺志はともかく、今回この引用がかなえられてうれしかった。(2017.9.22)



ドストエフスキー文献情報

2017・7/19~2017・10/1   提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん
                                      
〈 逐次刊行物 〉
・「NHKテキスト まいにちロシア語」55(6)(2017.8.18=9月号)
      名場面からたどる『罪と罰』第18回 ソーニャとの連帯
      原作Ф.М.ドストエフスキー 訳・解説 望月哲男p121-129
・「同 上」55(7)(2017.9.18=10月号)第19回ソーニャへの告白(1)
       原作Ф.М.ドストエフスキー 訳・解説 望月哲男p113-121
・「文学界」71(10)(2017.10.1)p10-31
     『カラマーゾフの兄弟』―― 「黙過」の想像力/亀山郁夫
     〈特集 死ぬまでに絶対読みたい大長編〉
      ※表画・柳智之による「ドストエフスキー」
・「文藝春秋 SPЕСIАL」11(4)(2017.10.1=8.26発売)
     〈世界近現代史入門〉ドストエフスキーと「テロルの時代」/亀山郁夫p128-134

メモランダム

1.「現代思想」の最新刊 45(19)(2017-10.1)は特集<ロシア革命100年>となっていて、エッセイに亀山氏が寄稿している。「なぜ、これほどの犠牲を…」の中で『悪霊』と『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」を例に論述している。
2. 久しぶりに『地球の歩き方 ロシア 2016~17』を入手。『罪と罰』の舞台を歩く。(p206-209)など収録されていて楽しい。
3.「KAWADE夢ムック・文藝別冊」の最新号は「宇野千代」であった。中に「師匠とドストエフスキーという一文があって宇野さんのドストエフスキー好きを伝えている。
4. 今夏、我がド翁文庫の雑資料を整理、例えばコピーしっ放しであったりしたものを記録した。以前だったら記憶の中で対応できたものが、そういかなくなっていたし、新たな情報はパソコンのダウンによってインターネットを介したものが入手できなくなってしまった。
5. どんな整理かと言えば、例えば今回の「文学界」の表紙のイラストから、和田誠のドストエフスキーのイラストを確認したりした。日本人の手による肖像画は、三笠書房刊の「ドストエフスキイ全集」の第一巻巻頭に付された千葉明氏の1点である(昭和9年5月10日)。
6. ドストエフスキー作品の映画・演劇・舞踏作品のリストアップと映像化(ビデオ・DVD)、音像化(LP・CD)情報を記録した。



紹介  

ドストエフスキイのイエス像 2
芦川進一

典拠:anjali (あんじゃり)33 June 2017
「現代」を考える 発行・親鸞仏教センター


イエス・キリストに関する著作は世に数限りがない。だがそれらの中に、この存在を六つの形容詞を以て表現し、己の「信条」とした例はまず見出せないであろう。恐らくドストエフスキイはシベリアで、神来の平安と愛の内に、イエス・キリストとの決定的な出会いをしたのだ。そしてその宗教的感動はこれら六つの形容詞で表現されて初めて、彼には納得がゆくものだったのだ。ソーニャの「全てを与えて」十字架についたイエス像は、この「信条」が表現するイエス像にそのまま連なるものと考えてよいであろう。

シベリア流刑からの帰還後、ドストエフスキイは祖国ロシアの激動を目の当たりにする。また齢40を超えて初めて訪れたヨーロッパでは、西欧文明の最先端をゆく国々が、合理主義と功利主義に立つ産業革命を突き進める現場を目撃する。殊に英仏両国は、国内では猛烈な資本主義的弱肉強食の戦いと深刻な人間疎外化現象を生み、海外では露骨な帝国主義的侵略を展開していた。ロンドンの群衆の内に彼が認めたのは、社会からの地下室的離脱の試みと抵抗の精神の蠢きであり、パリで見出したのは、かつて高らかに謳われた「自由・平等・友愛」の精神が化けの皮を剥がされ、今やプチ・ブルの精神として「嬉々として縮こまってゆく」姿であった。この光景を前に、彼の内からは聖書的磁場の表現が爆発的に迸り出てくる。「ここでは何かが決定的に成就され、仕上げがなされたのだ。これは何か聖書的な光景だ、何かバビロン的な光景だ。何か眼前で黙示録にある予言が成就されつつあるかのようだ」(『夏象冬記』1863)西洋文明諸国は神を失い、バアル神やマモン神という異教神、悪魔の軍門に下ったのだ。

この終末論的・黙示録的光景に対し彼が打ち出すのは、「完全なる自己犠牲」の精神の必要、個人主義が極度にまで行き着いて初めて可能となる「自己放棄」、そして「バアルに対するなに世紀にもわたる精神的抵抗と否定」の必要である。この時既に彼の脳裏には、「全てを与えて」十字架につくイエスの姿が浮かんでいた可能性も少なくないであろう。「ラザロの復活」がドストエフスキイ文学に初めて登場するのも、この作品においてである。売春街の乾草市場で聖書伝道の女性から手渡されたパンフレットにはこう記されていた。

やがて舞台はロンドンの乾草市場からペテルスブルクの乾草広場に移され、時代が宿す終末論的現実はソーニャが朗読する「ラザロの復活」のラザロの死臭に象徴化され、更に殺人犯やニヒリストや卑劣漢たちの滅びと甦りのドラマとして具体化してゆくであろう。世界を支配する悪魔たちに対する「精神的抵抗と否定」の戦いが開始されるのだ。旅行記『夏象冬記』とは後期ドストエフスキイ文学が爆発的に生まれ出る原始青雲とも言うべき作品、時代の病を深く刻印するイエス像胚胎の場ともなったのである。
(次号165号につづく)



広  場 

同人誌 『カラマーゾフの犬』
『神童』装丁 みずほ  印刷 株式会社POPLS

きみを殺して、僕がカラマーゾフになりたい
「カラマーゾフさえいなければ、自分が『神童』だったのに…」学校一の秀才ミハイル・カラムジンは「イワン・カラマーゾフ」という似た性格の転入生が来てから、主席の地位を失い、今や「からまーぞふじゃない方」と呼ばれていた。ある日、イワンには家庭教師がいると聞いたミハイルは、真相をしるべく彼の家を訪れる。そこでミハイルが目にしたものは、学校での言わんからは想像もつかない「奇妙な家族たち」の姿だった。



掲示板


「日本ドストエフスキー協会」のWEB ジャーナル「Dostoevsky Bulletin」に福井さんの論文が第一号として掲載されています。

福井勝也:三島由紀夫とドストエフスキー   
http://www.dsjn.jp/dsjjournal/dosbulletin/ronbun/index.html
下原敏彦も三島関連の4論文を「下原敏彦の著作」のページで公開しています。
http://dokushokai.shimohara.net/toshihikotoyasuko/toshihikochosaku.html

希望者に進呈 
冬木 俊(本名 大木貞幸)著
『キリストの小説 ドストエフスキー・マルコによるキリスト教批判』2016.3.1、近代文藝社刊
今年一月例会での発表者なのですが、ご本人から無料で欲しい方に提供したい旨の申し入れがありました。文芸誌での評論部門でも最終選考まで残った内容のものです。
ご希望の方は編集室までご連絡ください。



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