ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.163
 発行:2017.8.8


第282回8月読書会のお知らせ


月 日: 2017年8月19日(土)
場 所: 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場: 午後1時30分 
開 始: 午後2時00分 ~ 4時45分
作 品:『悪霊』5回目
報告者: 熊谷暢芳さん  司会進行 小山創さん       
会 費:1000円(学生500円)

10月読書会は10月21日(土)東京芸術劇場第7会議室です。作品『悪霊』6回目



ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会 案内 

8月19日(土)『永遠の夫』/10月14日(土)『未成年』/ 12月16日(土)『未成年』
の第42回例会は、以下の日程で開催します10月14日(土)14:00~16:00
会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料  
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3F Tel.06-7656-0441(代表)
地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅①番出口東へ約450m(徒歩約7分)小野URL: http://www.bunkasozo.com


8月読書会

「悪霊」のための覚書


スタヴローギンの告白について  熊谷暢芳                 

ニコライスタブローギンとはいったいどんな人間だったのか、それを考えるにあたって、彼の体験を時系列で追ってみるという方法をとりたいと思いました。それとは別のアプローチもあるかと思います。彼に関するあるシーンや、告白文書のある部分に着目して、そこからスタブローギンのイメージを膨らませ、スタブローギンとはどんな人間だったのかと結論づける解釈です。しかし、今回はそうした方法はなるべくとらないで、一つの体験やある思想を、彼の全体験の時系列の中で位置づけ、その前後関係からその意味を考えたうえで、スタブローギンの全体像を?んでみたいと思います。そうすることで、小説の中で変化するスタブローギンが見えてくるはずです。

スタブローギンの体験の概要を示すと以下のようになります。まず、ステパン氏と一心同体に永遠の憂愁(トスカ)に想いをはせた子供時代のスタブローギンがいました。
その後、近衛騎兵連隊での決闘狂いの時期と退役後のペテルブルクでの乱行時代が来ます。マトリョーシャの事件はこのペテルブルク乱行時代に起きたものです。また、マリアレビャートキナと結婚したのもこの事件の直後です。その後一度スクヴォレーシニキに帰郷し、狂人と見なされるような振る舞いをしています。そこから逃げ出すように、三年間外国旅行に行き、アトスで終夜祈祷式に出たり、エジプトに行きスイスに住み、アイスランドに行き、ドイツの大学で聴講をしたりしています。このドイツ旅行中に彼は、『黄金時代』と彼が名付ける夢を見ます。それはかつての楽園、人類の理想の実現の夢でした。

しかし、この夢の直後に、スタブローギンはマトリョーシャの姿を想起することになります。顎をしゃくり拳を振り上げてスタブローギンに挑む無力な彼女の姿にこの『黄金時代』はかき消されてしまいます。この後、彼は常にマトリョーシャの姿を想起し続けることになります。このマトリョーシャの想起の後に、スイスにおいて初期の頃と同じ激しい情欲の発作に襲われます。そしてリーザとの重婚を試みようとしますがダーリアの忠告を受け入れて、遁走します。このあたりの時期に、スタブローギンはチホンにみせることになる告白を書いているでしょう。その後、スタブローギンは、再度スクヴォレーシニキを訪れることになり、小説の主舞台に姿を現します。この経緯をみて気づくことは、ドイツ旅行中の『黄金時代』の夢がマトリョーシャの姿に取って替わられたことが、スタブローギンの大きな転換点になっている、ということです。そして、この『黄金時代』の夢は、おそらく永遠の憂愁(トスカ)とつながっているでしょう。子供時代のこの甘やかな憂愁は『黄金時代』が、すでに失われてしまっていると認識することから生まれるものだからです。理想は姿を得ることなくそのネガである憂愁として少年時代のスタブローギンの心を占めていました。それが再現しポジの姿を得たのか『黄金時代』の夢です。

この『黄金時代』の夢をつぶすほどの力をマトリョーシャの姿は持っています。とするならば、彼女の自殺後に、スタブローギンは、つねにその姿から何らかの影響を受け続けていたはずです。そう考えると、マトリョーシャの姿が、一度目のスクヴォレーシニキ帰郷の狂人の振る舞いをするスタブローギンの中でどのように作用していたか、アトスでの祈祷や、エジプト、アイスランド、スイス、ドイツの大学聴講の時にどのような形でスタブローギンの心の中に棲んでいたかが気になってきます。あらゆる時に、実はマトリョーシャの姿は彼の無意識に存在し続けていたのだと私は思います。

スタブローギンはマトリョーシャの記憶を完全に消し去ることが可能であり、それには影響されないと言っていますが、それは意識の表層においてです。無意識までも含めた全身全霊の時にはそうはいきません。『黄金時代』の夢とは、無意識まで含め、全身全霊の理想がスタブローギンの中で吹き上がった瞬間です。その全身全霊の片隅にあるものとして彼の意識は彼の意識の底にあった、無力で主体的なマトリョーシャの姿をとらえてしまいました。マトリョーシャの姿は常に潜在して、スタブローギンのあらゆる行為での、熱中や没頭を妨げていたのだろうと私は思います。マトリョーシャの姿によって、彼は理想を持ち得ず、熱くも冷たくもなれない人間として留まり続けることになるのでしょう。マトリョーシャの問題が解決しない限り『黄金時代』のビジョンは二度と現れることはないでしょう。以上、ちょっと、解釈に跳んだきらいがありますが、当日は、スタブローギンの履歴を追った資料を用意しみなさまの議論に資するものにしたいと思います。



寄 稿

自己から世界へ(後編)-『地下室の手記』を参考に-

野澤隆一

3. 地下室という場所
地下室人を現代のひきこもりと同一視する風潮があります。しらけ世代である私の青春期(’70年代)が萌芽となる社会と繋がらない時代感受は、私の後の世代では日常の条件としてSNSの発達とコンビニや宅配の普及である程度の生活が可能となる事から、青春期に社会的交流が免除されてきた事もあり、その孤立は加速しました。そこには「理由なき殺人」が社会的事件となったように、コミュニケーションの可能性を信頼できない「底が抜けた存在=脱社会的存在」(宮台真司)が現れました。それはヴァレリーや小林秀雄の「自意識」の限界と捉え、前回紹介したように、東裕紀が地下室人をテロリスト(脱社会的存在)と例えたことにも表層としては通ずるかもしれません。しかし、地下室人の自意識はドストエフスキーが捉えた「社会的なるもの」に対抗する意図として脱社会的な場所を確保しており、その場所は逃避場所では無く、そこに留まることをよしとはしていませんが、人としての究極の権利を主張できる自由な場所と考えられます。「二二が四」に立つ底が浅い利益などつまらないと言えることが、最後の人間の利益であるということ。なおかつ利益自体もつまらないと言えることとは、人間が自意識の生き物であるということ。ドストエフスキーにとって自意識とは一杯のお茶と世界を天秤にかけるように、人間の私利私欲の最後の場所であるということです。ただ、笠井潔はこの作品を「反理想主義も理想主義同様にひとつの観念である」ことを表現したとして、或る観念に別の観念を対峙させる事ではなく、地下室人を「何物でもない私」「無性格な存在」に留まらせ、観念をあれこれの外部的シンボルによってではなく、あくまでも内部において批判する視点をドストエフスキーが発見した点を強調しています。観念はその外部という自己限界の意識によって不断に脅迫さるべきものですが、観念の外部を僭称してなされる観念批判は、観念の自己欺瞞の展開された形態であるという事を押さえておきたいと思います。(*1)。つまり、内部からの批判の最後の場所は自意識であり、それが「地下室という場所」の意味であると私は受け止めました。ここは前回提示した現象学からの回答として加藤の言う「既成の正しさを自分の中から一度取り払い、誤りうることに自分を置くこと」を踏まえ、哲学者の竹田青嗣の下記の主張に通ずる場所であると思いました。
 
「超越的認識(正しい認識=真理)はそもそも存在しない。どんな認識も「主観的確信」にすぎず、したがって本質的に「可誤的」であるほかないからだ。しかし、にもかかわらず、「主観的認識」の多様から共通認識を取り出そうとする相互的な意志が存在するときには、「普遍的認識」(間主観的認識)が成立する条件が現われる。」(*2)
 
4,「私利私欲」と「公共性」
人間の活動領域を「私的なるもの=個人性」「社会的なるもの=社会性」「公的なるもの=公共性」と大別すると、ここでの「社会性」とは、古代的な公共性を重視したアレント的な意味合いによる、近代的なオイコス(家)の原理としての経済が、市場経済の制覇の中で「公的なるもの」を駆逐するように生み出された「社会的なるもの=社会性」という文脈でとらえています。(*3)勿論前回指摘した「理性的エゴイズム」も「公共性」を目指した志向ですが、この意味合いで私はこれを「社会性」と捉えており、それは私が青春期に違和を感じた新左翼運動や後に左旋回するに至ったポストモダン思想であり、地下室人にとってはチェルヌイシェフスキーにみた空想的社会主義である事を前回述べましたが、これはアレントの言う同一性/アイデンティティに準拠する共同性として現代でもグローバリズム、ナショナリズム等々、個々が持つ世界像としては様々に受け取られるでしょう。それに対して私の要約では解り難いとは思いますが、加藤典洋の視点は次の通りです。
 
「私利私欲の出現を原因として「社会的なもの」が生まれ、古代的な公共性が没落した。それを受けて、近代の起点の課題は、私利私欲の上にどのように(新しい)公共性を打ち立てる事が出来るかとなる。しかし、近代前期の政治思想はその課題にことあるごとに失敗する。それから私利私欲を制御する原理で「社会的なもの」が世界に姿を現した。それは、人間の共通の本性に立ち、貧しき者を助けよ、と言い、私利私欲を諌める。」(*4)
 
この「社会的なもの」が全体主義として出現した歴史を見れば、その抵抗として「社会化されえないもの」としての文学的表象がヴァレリーや小林秀雄の「自意識」であることは、自分の体験に照らせば、全てこの諌められた私利私欲から出現してきたことも理解できます。ちなみに東裕紀はこの「社会的なもの」としてのグローバリズム(大衆社会の実現と動物的消費者の出現)の到来を、シュミットもコジューヴもアレントも皆一致して『人間ではないもの』の到来と位置付けており、この経済の拡大を肯定する思考は人間の消滅につながる考えとして彼らは拒否をしたと断定し、この拒否の態度はすでに21世紀では通用しないと述べています。その後もポストモダニスト達(日本では主に文化左翼)はこうした政治とその外部を「脱構築」すると主張しましたが、その主張そのものが非政治なもの(戯れ)として政治の外部に排除されている現実に、思想の敗北を見ていることは留意すべき見解だと思います。東はその状況を踏まえ『人間ではないもの』として「観光客(郵便的マルチチュード)」を位置付けている事は後に触れますが、私は20世紀の思想の限界を乗り越えるデリディアンとしての東浩紀の思想の可能性に期待しています。(*5) 

しかし、前編で指摘した「他者性」に通じることですが、現在でも「公共性」とは私利私欲(個人性)を排した(もしくは接ぎ木した)ところで成立させるというのが、一般的に現在の保守革新双方の論客が共通に説いている立場だと私は理解しています。それに対し私の依拠する加藤典洋の近代理解は「私利私欲」の上に「公共性」を築くという理路で考えている事です。加藤はドストエフスキーが『何をなすべきか』の応答とした『地下室の手記』創作の動機を下記の通り解釈しています。
 
「ドストエフスキーは、この小説にあの『社会契約論』以後、フランス革命をへて強化される「公共的な理性」の問題、別にいえばヘーゲルを経て通俗化され、公共性に馴致された「私利私欲(エゴイズム)」の問題を見、そこに我慢できないものを感じればこそ、この奇妙な「公共性」への反発の物語を思い立っているのである」(*2)
 
加藤がここで言う奇妙な「公共性」とは「理性的エゴイズム」と捉え、それはドストエフスキーの捉えた「公共性」とは全く違うものである事を指摘しています。但し、加藤は近代政治思想が果たせなかった私利私欲から公共性を構築する理路の失敗についてルソーを中心に詳細にわたり分析しているのですが、そのルソーの挫折を踏まえ、カントやヘーゲル経由のマルクスにその実現の可能性を見ています。前述のように一般的な言説ではドストエフスキーの批判の対象が、19世紀のロシアの進歩主義的啓蒙主義やイギリス経験論哲学に由来する功利主義的人間主義、敷いてはフランス革命を実現した普遍的人間主義という市民社会や近代国家の理念を目指す近代思想のみならず、これらを統合するようなドイツの哲学革命であるカントの道徳的至上命令ともいわれる哲学まで渡っていると考えられているのに対し、加藤は逆にその近代思想そのものの中に、ドストエフスキーの理想とした「公共性」を見出す鉱脈を掘り当てているという事が、原初的な私利私欲を考察する上で私が特記したかった事です。この私利私欲とは漱石の言う「自己本位」であり、ボランティア活動を例にとれば、それは社会の善意、同情から立ちあげる公共性ではなく、あくまでも個の自発性、自由意志という自分の核心から公共性を開くことです。そうした個の「好み」の強さに立脚することで、ボランティアの対象に寄り添う当事者性を理解し、活動が無理なく継続できるのではないかというのが私の理解です。

さらに現代の問題系として、現在は笠井潔が21世紀を例外社会(国家の社会領域からの撤退に応じ、生権力を自生化する社会)の到来として論じた事を受け、また、前述したように東が中心的に指摘した近代から20世紀まで語られてきた政治思想の外部として『人間ではないもの』が、公共圏の境界画定自体をなし崩しにしているという目の前の現実にいかに対処するかという事です。東の自説は『人間ではないもの』を肯定的にとらえ、ネグリ=ハートのマルチチュードを否定神学的とし、それを更新する概念として郵便的マルチチュード(観光客)を打ち出しました。それは亀山郁夫説を基に、ドストエフスキーが描き得なかった『カラマーゾフの兄弟』第2部における空想上のアリョーシャにスタブローギンを乗り越える人物として象徴させているのですが、ここでの問題系はむしろ公共圏の外部存在として世界に出現しているコミュニケーション不可能な自爆テロリストなどの脱社会的存在(例外者)にどう向き合うかという事を含め、現代における「他者」とは何かを捉えなおすことです。因みに映画評論家の渡辺大輔は対抗的公共圏を背景とした自説の「映像圏」を基に、『人間ではないもの』を昨年の日本映画に共通してみられる「ポストヒューマンな世界」として人間の存在論的条件の内実の問い直しが描かれたと捉えています(*6)。この問題系に対する私の理路は差し詰め現象学の「他我論」(私と他者の関係は“他我が私と同じ主観として存在し、かつこの他我も私と同じく唯一同一の世界の存在を確信しているはずだ”という私の確信の構造を意味する「間主観性」)の様に原理的な場所にまで立ち戻り理解することであり、ドストエフスキー文学ではラスコーリニコフやニコライ・スタブローギンと存在論的視点でどう向き合うかという事かもしれません。

5, リーザの消失
ルソーが『社会契約論』にて挫折した私利私欲の輝きを基に、近代思想で「公共性」を築き上げていく方向性は、後にカントの理性の「私的使用」と「公的使用」との関連(*7)で「世界普遍性」と呼ぶ概念(命題)にて一つの到達点を示します。『地下室の手記』の結論を先に述べれば、加藤はこの「世界普遍性」をドストエフスキーでは「キリスト」として重ね合わせています。「ぼた雪にちなんて」では、地下室人のひねくれた自意識の到達点にリーザを呼び出します。ここに語られているのは、原初的な私利私欲、どこまでも虫けらのような恣欲たろうとする意思がその下方からの意欲によって、カントの原初的な公共性-天上のもの-を知るという、私利私欲と公共性をめぐる物語であり、現代の多くの「中途半端な公共性」を打ち破る力が、本当は何であるかを、この逆説の物語は教えると加藤は語っています。

地下室人とリーザとのやり取りは、後の『罪と罰』でのラスコーリニコフとソーニャの対話の「粗描」であることのみならず、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の章における大審問官とイエスの対話の場面に展開されるという指摘も注目すべき事です。つまり、作品のクライマックスのぼた雪が降る場面でリーザが消えるということは、ドストエフスキーにおけるキリスト的なるものの、小説においての最初の現れであるということで、『地下生活者の手記』を捉えられた事です。一般的にはカント哲学は「要請」が堅苦しく伴いますが、上記のように文学での解釈を経由することで公共性の原初の意味を辿り、ドストエフスキーと共に「自己から世界へ(個人性から公共性へ)」を開いて行く一つの形を読みました。今回は加藤典洋の思想の紹介に終始しましたが、『地下室も手記』もシェストフ的解釈を更新するものとしての読み込みの可能性を見ました。さらにこの場所の一歩先の場所として、自己への愛とそれに立つ他者への愛、人と人の関係がいかに可能になるかという事の起点を『罪と罰』で見ることができますが、最後に加藤の見解を追記したいと思います。

「ドストエフスキーは、「公共的なもの」をたんに人と人の関係から帰結しうるものと考えている限り、それは、けっして人と人の関係を生み出さないと、いっている。それは、人の関係から作られるのではなく、人の関係をつくるのだが、その力の根源とは、愛だというのがドストエフスキーの答えにほかならない。彼は、愛は、その原因を人間の中にはもたないという。ラスコーリニコフは理由もなくぼろきれのようにソーニャの足もとに投げ出される。しかし、それをこういってもよいだろう。その最後の場所には一つの声の出る場所がある。わたし達は、それがどこからくるかは知らないが、少なくとも、それを聞く。それは生命の声である。人は公共性への回路をその内部の根源に持っている。わたし達はそれを、ドストエフスキーにならい、浅く受けとられてはならないという自戒をこめて、私利私欲と呼んでいるのである。・・・・その私利私欲の底にある私利私欲を超える原理こそ、わたし達は愛と呼ぶのである」(*4)
                                    
(出典・参考)
*『地下室の手記』(江川卓訳 新潮文庫 1969年)
1. 笠井潔『テロルの現象学』(作品社 1984年)
2. 竹田青嗣「吉本隆明(追悼)「正しさから見放される体験」」『群像』(講談社2012年5月)
3. ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫 1994年)
4. 加藤典洋「戦後-私利私欲をめぐって」『戦後的思考』(講談社 1999年)
5. 東裕紀「政治とその外部」『ゲンロン0 観光客の哲学』(㈱ゲンロン 2017年)
6. 渡邊大輔「公共性のゆくえと「無人の世界」の到来-深田晃司論」『文学界』(文芸春秋 20017年7月号)では、特に『淵に立つ』を中心に論じています。
7. エマニュエル・カント『永遠平和のために/啓蒙とは何か』(光文社古典新訳文庫 2006年)



6・24読書会報告
 
               
6月読書会、『悪霊』4回目、参加者17名
「スタヴローギンの告白」で「合意」はあったのかなかったのか。男性陣の考えに少数参加の女性陣が反撃し議論白熱。



2月読書会 資料 (「読書会通信161号」掲載のつづき)

スターブロウギンとシャートフに焦点に (付録:『悪霊』主要人物の事件時系列)
太田香子

太字で主要キャラクター4人がスクヴォレーシニキに集い、本編の舞台となる。

スタヴローギン
8歳 ステパンが家庭教師として招かれる。16歳 学習院に入れられる(ペテルブルグ)20歳ごろ?近衛騎兵連隊に配属される。上流社会で成功するも、奇怪な事件を起こし始める。(1861年2月 ロシア 農奴解放令発布)
1863年 下士官に昇進 将校に復官するも退職。ペテルブルグで自堕落な生活を送る(「スタヴローギンの告白」の内容はこの時期のこと)3つのアパートを借り、複数の女性との密会を重ねていた。そのうちの一つの部屋の隣に住む少女マトリョーシャを誘惑し、自殺に追い込む。生きていくのが気が狂いそうなほど退屈。自分の人生を滅茶苦茶にしたいとの誘惑にかられ、マリヤ・レヴャートキナと結婚する。/25歳ごろ 故郷スクヴォレーシニキに戻る(1回目の帰郷)気違いとしての印象を残す。/ガガーノフ引きずり事件(4年後 「あの時は完全に健康というわけではなかった」)/リプーチン妻への接吻事件/県知事耳噛みつき事件→収監。精神錯乱状態にあると診断される。/2か月の療養の後、旅に出る(以降4年。ヨーロッパ、エジプト、エルサレム、アイスランド)アメリカへ行く前のシャートフとキリーロフに影響を与える。/ドイツ旅行(1年前)のとき、偶然立ち寄る田舎町での一夜、夢を見る。『黄金時代(アシスとガラテヤ)』の世界であるが、マトリョーシャが首をつってから息絶えるまでの間に凝視していた赤い蜘蛛が見える。それ以来、毎日、拳を振り上げたマトリョーシャの姿を見る。/今年(?年)4月、パリのドロズドワ夫人から、リーザと親密になっている連絡あり。/4月半ば ワルワーラ夫人、ダーシャとパリへその後スイスへ/7月 ワルワーラ夫人帰郷。ダーシャはドロズドワ家に残る。/スタヴローギンはリーザと重婚しようと思うが、ダーシャにたしなめられ、逃げる。/8月末にドロズドワ母娘、ダーシャ戻る。スタヴローギンは7月にペテルブルグへ。/ワルワーラ夫人、帰郷したダーシャにステパンとの結婚を持ちかける。/ダーシャとステパンの婚約発表の日、ワルワーラ夫人の屋敷に現れる。(2回目の帰郷)シャートフから頬打ち。/8日後の月曜夜から火曜未明、キリーロフ、シャートフに会う。

ピョートル
6年前 大学卒業(ペテルブルグ)後、無職→檄文作成→スイスに逃亡/4年の外国生活の後、帰郷/スタヴローギンとともに屋敷に現れる。27歳くらい。

キリーロフ
2年前、シャートフ、シガリョフとアメリカにわたる。スタヴローギンの援助でロシアに戻る。/4年の外国滞在の後、スクヴォレーシニキへ。(鉄橋工事に職が見つかる?)26,27歳。

シャートフ
ワルワーラ夫人の農奴の息子。/大学放校後、商人一家の家庭教師となるが、同じ家の家庭教師の後を追いジュネーブへ。/後、結婚するも即離婚。ヨーロッパ、アメリカ(キリーロフの欄参照)を放浪の後、一年前スクヴォレーシニキへ。27,28歳。/アメリカへ発つ直前、会に入会。そのころ(2年ほど前)、スタヴローギンに〈神の体得者〉の思想を吹き込まれる。(同じ時にキリーロフは人神論の思想のもとを吹き込まれる。)



アナザーストーリー 独裁者フセインの真実
 (編集室)

8月1日夜、NHK-BSの番組「アナザーストーリー」で、《独裁者フセインの真実》を観た。独裁者は、米軍の進攻で逃げ回っていた。が、2003年12月13日、ついに農家の庭穴にモグラのように隠れていたところを見つけられ拘束された。「フセイン、捕まる!」このニュースに世界中が湧いた。隠れ家に『罪と罰』があったことから「読書会通信」編集室では、朝日新聞「視点」12/27に「『罪と罰』で正当性立証か」の記事を寄せた。あれから14年過ぎた。

番組は、フセインの意外性と彼に関わった3人の証言で構成されていた。意外性は、独裁者は小説を書いていたということ。証言は、逃亡した独裁者を捕まえる任務を受けた軍人と独裁者の正体を暴くために訊問の役を命ぜられたCIAのエージェント。それにフセインの愛人といわれた女性の3人。軍人は詰将棋のように独裁者を追い詰め、計画通り拘束した。優秀な軍人らしく科学的に医学的に本人と断定、新生イラクの法廷に送った。CIA のエージェントと愛人は、独裁者の残虐性を憎んでいた。しかし、インタビューに答える二人の様子は、独裁者を懐かしむ人物になっていた。ミイラとりがミイラになった、恐れながらも独裁者の魅力に呑まれてしまった。そんな感があった。

二人はフセインと長く接しているうちに独裁者のカリスマ(悪霊)にとりこまれてしまった。 (本人も、承知していてフセインがとりこもうとしていた、と証言していた)が、そのときは、既にとりこまれていたとみた。そこに独裁者のカリスマのすごさを感じた。このとき、脳裏をよぎったのは『悪霊』のモデルといわれるネチャーエフのことだった。ネチャーエフは事件後ドイツに逃亡したが、スイスでつかまり、ロシアに引き渡された。身柄はペトロパブロフスク要塞監獄のアレクセイ半月塁に移された。しかし、ここの看守たちに宣伝活動をつづけ、ついには彼らを組織化して逃亡の手筈まで整えさせたという。この事件の逮捕者は698人を数えるという。彼は壊血病で35歳で死ぬが、死ななければ脱走に成功していたかも。フセインも生かしておけば、ネチャーエフのように周囲の人間を捕りこんで、ふたたびイラクにおいて独裁者のカリスマを発揮していたかもしれない。
※『悪霊』は革命を企み頓挫した若者たちの物語だが、半世紀後の1917年にスターリンというカリスマのもと革命を成功させた。そして70年後、豚の群れとなった。(編集室)



評論・連載 

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
(第72回) 甦ったミシマ と ドストエフスキー 、<テロの文学史> の視点から 
                                 
福井勝也
      
前回は近作映画『美しい星』(監督吉田大八)を紹介し、原作の三島由紀夫作品(昭和37年)に言及し、そこからドストエフスキーの宇宙小説「おかしな人間の夢 ― 幻想的(ファンタスティック)な物語」へと連想を試みた。その際「ミシマが現代に甦った」と語ったが、それが゙ストエフスキーに関係する話でもあると予め断らせてもらった。その後それ程時間も経っていないが、僕の頭の中では、「甦ったミシマ」が今なお増幅(増殖)している。このため、今回(以降)もこの辺の話題を継続したい。しかし当方の勝手な「夢想」だけでは恐縮なので、この間に興味深く読んだ何冊かの著作と文章を紹介しながら論じてみたい。言わば、これからの「ミシマ&ドストエフスキー」論の前提資料となる情報も提供してゆきたい。

最初に取りあげようと思うのは、近時の哲学系書籍の出版としては珍しく話題になり、現在進行中の(『悪霊』)読書会でも紹介された東浩紀氏の『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017.4)という著書である。既に、会の野澤氏が問題提起を含めた「レジュメ」(「ニコライ・スタヴローギンはリバタリアンか?」)を配布(4/29)してくれている。さらに本書に絡む議論も進行の模様なので、当方こちらにも参加してゆきたい。このような成行から、本書を読んでもらうのが最善だが、これまでの資料にも改めて眼を通して欲しい。前置きはともかく、本書(ミシマには直接触れていないが)は、二部構成で第2部「家族の哲学」(序論)の最終章(第7章)が「ドストエフスキーの最後の主体」というタイトルで締め括られている。東氏は第1部で「観光客(郵便的マルチチュード)」という新機軸を今までの哲学論を踏まえて案出し、第2部でその受け皿として新たなかたちの「家族論」を模索している。そこから、21世紀の現代世界が抱える問題への処方として最終章で示したのが「ドストエフスキーの最後の主体」であった。生誕200年(2021)を間近に控えて、なおドストエフスキーが現代にリアルに召喚され続けている印象を強くした。しかしこの「処方箋」を書き始める東氏は、慎重でもあり何故か自信なげだ。

この章(第2部 第7章の書き始めの言葉、p260 、筆者注)に収めた原稿は、ドストエフスキーに関するものである。ここでは、ドストエフスキーの小説を「弁証法的」に、すなわちある種の思想の自己展開として読むことで、観光客(郵便的マルチチュード)の主体に別の角度からのアプローチを試みる。読み進めるなかで、読者は、この150年前の小説家が歩んだ思考が、驚くほど本書の状況認識と呼応していることに気がつくだろう。本稿は未完というよりも荒削りである。議論はいちおう結論に達している。しかし論述が駆け足で、多くの穴を抱えている。また同時に、本来なら掘り下げるべき論点が放置されている。そのような限界を理解したうえで、読み進められたい。

謙虚な(あるいは、持って回った?)書き出しであって、読み始めに正直戸惑いを覚えた。しかし読了して成る程と感じるところが多かった。今回東氏の著書を取りあげた意図とも関係するので、予め断っておきたいことが幾つかある。まず、現時点で本著への関心は、第一部のデリディアンとして出発したポストモダンな批評家の哲学論議よりも(これ自体、画期的な充実した仕事で、東氏のこれまでの哲学的批評の率直な集大成となっている。と同時に、随所で第二部に繋がる重要な指摘もあって、第一部と第二部は相補的な関係が指摘できるが)むしろ、第二部(終章)のドストエフスキーに関する所論の方に当方の比重もある。

そこで注目したのは、論旨展開の結節点で示された『地下室の手記』の地下室人、『悪霊』のスタヴローギンの本質論である。さらには、それらの人物像から最終部で導き出された「ドストエフスキーの最後の主体」という結論(仮説)的考察である。その中身は、『カラマーゾフの兄弟』の書かれなかった「続篇」を含めて主人公は誰かという問題(イワン→アリョーシャ→コーリャ・<イリューシャ>)に絡みながら、その解答(仮説)として「その最後の主体」が提示された。その議論の道筋の前提(根拠)となるのが、ドストエフスキー研究者の亀山郁夫氏(一部、山城むつみ+番場俊両氏の見解を含む)のこれまでの所論であった。具体的には、『悪霊』のスタヴローギン像(「マトリョーシャ」にも絡む<マゾヒズム・サディズム>問題)や『カラマーゾフの兄弟』(続編空想)での亀山氏のこれまでの見解が、ほぼ採用されていると言える。言わば、今回の東氏の新たな哲学的所説は、「亀山ドストエフスキー」との見事なドッキングが果たされて完結した。ここで当方は、概ね納得的な道筋を辿ったと評価したい。同時に、東氏の「亀山ドストエフスキー」理解に疑問なしとしない。そこでは第一部の哲学的考察が先行しドストエフスキー「人物像」への弁証法的理解が導かれ、やや図式的に結論が導かれた感がある。実は、既に亀山氏には本著への「書評」(「無限に<誤配>を重ねる努力」(『文學界』7月号)があるが、終章のドストエフスキー論については、現時点で何も言及されていない。おそらく、別途本格的な<応答>の機会が用意されているからだと推測される。その内容に期待したいが、情報があれば本稿でも報告したい。しかしいずれにしても、余り細部の問題に拘るよりも、東氏の哲学論に亀山郁夫氏のドストエフスキー理解が今日何故接続されたのか、その意義の見極めの方が重要だと思う。そしてその問いへの解答は、「亀山ドストエフスキー」がここ10年間程で持ち得た影響力とその意味を改めて問うことにもなろう。本稿の一つの意図は(ミシマ問題とは別に)その辺にもある。

ここまで話の内容が、やや先走りし過ぎた言い方になっているので、東氏の新著のエッセンスを引用して後追い的に議論の詳説を図りたい。そして同時に、併せて紹介したいもう一冊の本があるので、今回そちらにも触れておく。鈴村和成氏の『テロの文学史 三島由紀夫にはじまる』(太田出版、2016.2)という著作だ。東氏の本を読みながら急に思い出されて偶然に併読することになった。しばらく以前に購入し、半分位読んで通読する機会を逸していた著書である。両著を読み進めているうちに、二著の主題が明らかに異なりながら、不思議な<交錯的反響(ハウリング)>を奏していることに気が付いた。その先に共通して語れるものがあるのか、今は当方にも分からない。とにかく、東氏の著書からポイントだと思う部分をまずは何カ所か引用してみる。そしてその後、鈴村氏の著書からも同じように問題になると思う文章を紹介する。情報の提供を優先し、まずは引用中心に続ける。

本書は哲学書である。ぼくは批評家だが、哲学について考えている。ぼくの最初の文章は1993年に出版された。それは、ソ連の反体制作家、アレクサンドル・ソルジェニーツィンについての評論だった。それ以来、四半世紀にわたり、ぼくはさまざまなことを考えてきた。とりわけ、21世紀のこのネットとテロとヘイトに覆われた世界において、ほんとうに必要とされる哲学はどのようなものかを考えてきた。本書にはその現時点での結論が書き込まれている。(『ゲンロン0 観光客の哲学』、はじめに、p6)- 引用<東> ①

いま話題のテロリストたちは、彼らはそもそも「まじめ」な、すなわち公的で政治的な目的をもたないのだ。今後いくら各国の政府が諜報活動をさかんしても、彼らの計画を事前に捉えることは至難の業だろう。彼らはそもそもが「まじめ」な目的をもたないのだから、その意図も捉えようがない。テロリストたちの動機を「まじめ」に探ろうとすること、それそのものが彼らの行動を見えなくしてしまう。だから、その行動原理を言語化するためには、いちど「まじめ」と「ふまじめ」の境界を棚上げする必要がある。政治的行動の背景には政治的意志なり決断があるという前提を、根本から疑う必要がある。そして観光客的なるものと政治の関係を、根本から再考する必要がある。観光客の哲学について本を書いている背景には、このような問題意識も存在している。

なお、いささか先走って言えば、おそらく彼ら「まじめかふまじめかわからないテロリスト」をより正確に表象することができるのは、シュミット的な「敵」ではなく、むしろドストエフスキーが前掲の小説で描いたような「地下室人」のイメージである。21世紀のテロリストは、シュミット的というよりもドストエフスキー的、言い換えれば政治的というよりも文学的な存在なのだ。政治は「まじめ」と「ふまじめ」の峻別なしには成立しないが、文学はその境界について思考することができる。この意味では本書は、文学的思考の政治思想への再導入の必要性を訴える本でもある。観光客とは、政治と文学のどちらにもおらず、またどちらにもいる存在の名称である。(第1章 観光、p39-40)- 引用<東> ②

なぜドストエフスキーなのか。それはいまがテロの時代だからである。第一章で記したように、観光の時代とはテロリストの時代でもある。そしてドストエフスキーの小説の多くはまさにテロリストを扱っている。ドストエフスキーは、信仰が失われ、正義が失われた時代においてひとがテロリストにならないためにはどうすればよいか、そのことばかりを考えた小説家だった。ドストエフスキーの文学とテロの関係は深い。テロを主題にした作品としては、まずは1871から72年にかけての『悪霊』が挙げられる。主人公のニコライ・スタヴローギンは、文学史のなかでもっとも有名なテロリストかもしれない(太字は筆者のよる)。『悪霊』は、スタヴローギンを中心とした若いテロリストたちの逡巡と内部抗争を描いている。この長編は、執筆直前に起きた現実の事件(ネチャーエフ事件)に着想を得ていることが知られている。ドストエフスキーの文学は、直接にテロを主題にしていないときにおいても、多くがテロリストの心性に近いところで書かれている。1864年の『地下室の手記』は、人生に失敗した男性(いまでいう負け組の男)の屈折した呪詛を鬱々と書き連ねた小説である。1866年の『罪と罰』は、老婆殺害を正当化するため、高尚な理論を延々と展開する若者の物語である。彼らはとにかく、不条理な怒りを世界にぶつけ、安穏と平和に生きる人々の生活を破壊したいと願っている。その描写は、現代アメリカやヨーロッパの、組織もイデオロギーももたないホームグロウン・テロリストの心理にかぎりなく近い。のちに紹介するように、ドストエフスキーの最後の長編、1879年から80年にかけての『カラマーゾフの兄弟』もまた、もし長編が書かれていたとしたらそこでは主人公がテロリストになっていたと推測されている作品である。ドストエフスキーは死ぬまでテロリストを描き続けた。 ( 第7章「ドストエフスキーの最後の主体」、p260-261)- 引用<東> ③

東氏が、本著を今日世界に問うた意図、それもドストエフスキー(実は、「亀山ドストエフスキー」)が引き合い出されねばならなかった世界認識(背景)が語られている。この問題を三島由紀夫論として提示したのが、次ぎの鈴村氏の著書と言える。その『テロの文学史 三島由紀夫にはじまる』(2016.2)では、1970年11月25日、市ヶ谷駐屯地で自衛隊員にクーデターを呼びかけて蹶起し、その後自死した三島由紀夫の行為を「割腹自殺という自傷的なテロ」(プロローグ テロのスパイラル - 三島vsミシェル・ウエルベック、p23)と説明している(そう言い切って良いか、当方の見解はとりあえず保留しておく)。さらに鈴村氏は、「二つの映像が私にとり憑いて離れない。二つの生首が、といってもよい。一つは11・25自決テロの現場に残された三島由紀夫の生首。もう一つは、「イスラム国」がシリアの荒野に野ざらしにした、数知れぬ捕虜(人質)たちの生首。両者の生首はパラレルになっている。まるで「イスラム国」は三島由紀夫の生首を模倣したかのようである。あるいは三島の生首が「イスラム国」の生首のプロトタイプにあるのか(同書、p42)」とまで書き継ぐことになる。ここでの認識には、かなりの「飛躍」もあると思うが本質的な直観は正しいのだろう。そこでさらに鈴村氏の文章の引用を優先しながら、思い着いた当方のコメントを挿入して議論を続ける。

テロリストの標榜する主義・主張はこのように、三島由紀夫から机龍之助まで幅広い振幅を描く。(鈴村氏は、『大菩薩峠』主人公について、「大義の存しない、無節操な<人斬り>」で「名辞以前のテロリスト」であるとし、三島が机流の暗殺者を「アメリカ製の[‥‥]ニヒリスト」と蔑(なみ)したとまで説明している。しかし当方は、以前本欄で堀田善衛の『大菩薩峠』論を問題にしたことがある(「通信」No.158、2016.10)。そこで堀田は、ドストエフスキーの『罪と罰』『悪霊』の人物像と机龍之助と比較し、その根底に<天皇制のニヒリズム>を暗示的に指摘をしていた。それは結果として、三島自身の見解を裏切るものだが、机龍之助を三島由紀夫に連続させ、さらにドストエフスキーをも射程に入れた議論であった。その点を改めてここで指摘しておきたい)しかしそこに一貫して流れるのは、現世否定の終末論である。終末論とは端的にいえば世直しの思想で、現世を根底から変革すべきものであるから、いったんこの世界に終末をもたらし、<その日>の到来に期するという、救世(メシ)主(ア)信仰に由来するものである。これはキリスト教にも、イスラム教にも、ともに底流しているもので、「イスラム国」の過激なテロリズムが今日、少なからぬラディカルな若者を引き寄せるのは、そこに彼らの心の琴線にふれる<世界の終り>の思想があるからである。イスラム原理主義の場合、これが西欧、わけてもアメリカの覇権の終焉を希求することになる(アルカイダはアメリカをテロのターゲットとして、9.11ニューヨーク同時多発テロを敢行したが、「イスラム国」は必ずしもアメリカのみを特化して攻撃するわけではない)。三島由紀夫はいうまでもなくこの終末論と無縁ではなく、『金閣寺』の主人公が抱懐する「その日が来た」という述懐は、文学や宗教や哲学の基底をなす黙示録の言明に他ならない。テロリズムとは黙示録が暴力と結ばれた壊滅の思想なのである(本文のこの箇所の傍点を太字に変更-筆者注)。(プロローグ、 テロのスパイラル-三島vsミシェル・ウエルベック、「テロの定義」p48-49-引用<鈴村> ①  

私たちもまた、祖父から父から受け継がれた、先の大戦の黙示録の記憶を持つ。そこにはつねに回帰するカルトの誘惑がある。人は信仰(カルト)から完全に自由になることはできない。オウム真理教を改称した教団「アレフ」の信徒数は今や千人を超える。ヨーロッパの各地から「イスラム国」に流入する戦闘員の志願者も跡を絶たない。[‥‥]良き信仰があれば、悪しき信仰がある。良き預言者がいるように、悪しき預言者がいる。イスラム法学者の中田考は、良き預言者についてこう述べている、―― 「イスラームの深いレベルの理解では、預言者の後継者にふさわしい知行合一のイスラーム学者に師事して長年にわたる学問の研鑽を積まなくては得ることができません」(『私はなぜイスラーム教徒になったのか』)。三島由紀夫はそんな「預言者」にふさわしい「知行合一」の文学者であった。三島が(良き)カルトであるように、「イスラム国」は(悪しき)カルトである。三島の自決テロとイスラム過激派の自爆テロには、共通するカルトの誘惑がある。カルトの誘惑、その洗脳を免疫にする抗体を、いかにして見出すか。三島由紀夫から今日の若い作家にいたるテロの文学史に、その処方を学びたいと思う。(同プロローグ、「良きカルト、悪しきカルト」p49-50)-引用<鈴村> ②

別な小見出しの連続した文章をここに引用したが、今回のスペースがすでに切れた。一つだけ付記すれば、東のドストエフスキーと鈴村のミシマが21世紀終末的世界を背景に「テロの文学史」へ召喚されている。そこに「処方箋」も求められている。しかし同時に「取扱注意」の危険性を両者が孕んでいることも指摘しておこう。具体的な比較考察を続けたい。 (2017.7.31)



ドストエフスキー文献情報
 2017・6/11~2017・7/18   
提供=ド翁文庫 佐藤徹夫さん

〈 図 書 〉
『読書のすすめ 全国の青少年と学生に贈る』河合栄治郎研究会編 川西重忠編著 桜美林大学北東アジア 総合研究所 2017.2.28  181/p  18.9㎝ ¥1500+
第2章 私の愛読書・読書と人生 ドストエフスキーとともに生きて 亀山郁夫p79-83
第3章 推薦の書・ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳 新潮文庫)袴田茂樹 p107-109
※『文学効能事典 あなたの悩みに効く小説』エラ・バーサド、スーザン・エルダキン著 フィルムアート社刊 ¥2000 ・3作品が採録されているが、ここには不採用とした。 

〈 逐次刊行物 〉
「ゲンロン 〇 観光客の哲学」2017.4.1 ¥2300+ 第2部 家庭の哲学(序論) 
第7章 ドストエフスキーの最後の主体/東浩紀 p259-300
「あんじゃり аnjali」33(2017.6.1)(親鸞仏教センター刊)ドストエフスキーのイエス像/芦川進一 p14-17
「NHKラジオ まいにちロシア語」55(4)(2017.6.18=7月号)p117-125 名場面からたどる『罪と罰』第16回 奇妙な永遠原作Ф.М.ドストエフスキー 訳・解説 望月哲男
「NHKラジオまいにちロシア語」 55(5)(2017.7.18=8月号)p117-125 名場面からたどる『罪と罰』第17回 かなわぬ夢



紹 介  

典拠:anjali(あんじゃり) 33 June 2017 「現代」を考える 発行・親鸞仏教センター 2017年6月1日

ドストエフスキイのイエス像 (1)
芦川進一

ドストエフスキイ(1821-1881)は生涯イエス・キリストを凝視し続けた作家であった。人間と世界と歴史が抱える喫緊の問題を前に、彼は常にイエスに向かい、イエス像を構成しては突き崩し、また新たなイエス像を求めていったのだ。それらを幾つか取り上げ、遺作「カラマーゾフの兄弟」(1879-1880)に至るまで続けられたこの作業を検討してみよう。テーマは重いが、彼のイエス像の多様性と豊かさは、我々の思索を強く促すものである。

まず『罪と罰』(1866)の決定的な転回点に目を向けておこう。ソーニャが初めてラスコーリニコフの住まいを訪れる場面である。前夜馬車に轢かれた父マルメラードフを最期まで篤く世話し、少なからぬ金まで置いて去った青年がいた。彼女はこの青年に礼を述べ葬儀への出席を依頼すべくやって来たのだ。だが想像していた豊かさとは逆に、彼女が見出したのは「棺」とも呼ばれる屋根裏部屋であった。「あなたは昨日、私たちに全てを与えてくださったのですね」『罪と罰』の闇に光が射し込む瞬間である。彼女はこの青年の内に、自らと全く同じ心根を発見したのだ。『罪と罰』を貫くのはこの感動であり、この感動から生まれる愛である。

ソーニャの感動と愛、それは更に奥に源を持つものであった。いよいよ殺人の告白に至ったラスコーリニコフに対し、彼女は言う、
「一緒に、苦しみましょう。一緒に、十字架を負いましょう!」この娼婦が見つめるもの、殺人犯が向うべき道がここに明らかとなる。ソーニャによる「ラザロの復活」(ヨハネ十二-1-44)

朗読の場面も、最終ページ、ラスコーリニコフが新約聖書を手に取る場面も、共に彼女のこの感動の延長線上にあるドラマであり、またそれは遠くゴルゴダ丘上の十字架に発するドラマでもあるのだ。「全てを与えて」十字架についたイエス。ソーニャが示すのは、恐らくドストエフスキー世界で最も端的直截なイエス像であり、新約聖書のエッセンスだとも言えよう。

彼女は何時如何にして十字架のイエスと出会ったのか。その具体的な経緯は作品中に直接は描かれない。ソーニャが読者の前に現れる時、既に彼女はキリストへの堅い信と愛に生き、「ラザロの復活」を「諳んじて言える」まで読み込んだ女性なのだ。だがこの謎に対する答えを必ずしも『罪と罰』の中に見出す必要はないであろう。シベリア流刑中ドストエフスキーが一人の夫人に宛てた手紙がある。そこで彼は自分を「時代の子」「不信と懐疑の子」であるとしつつも、神から時折、「心の完全に平安な時」を送られることがあるとし、そのような時自分は「人々を愛し、人々に愛されることを見出す」と述べ、一つの「信条」を打ち立てたと記しているのだ。「キリストよりも美しく、深く、心を魅きつけ、理性的で、男性的で、そして完全なものは何もない」「たとえ誰かが私に、キリストは真理の外にあると証明し、また事実、真理はキリストの外にあるとしても、私には、真理と共にあるよりも、キリストと共に留まる方が望ましい」(フォン・ヴィージナ宛て書簡、1854)  
(次号164号につづく)



広  場 

スクリーンのドストエーフスキイ映画(編集室)

映画化されたドストエフスキー作品は、たいていは観てきた。所謂、巨匠と云われる監督たちがつくった映画をはじめ、玉三郎がナスターシャをやった短編映画までいろいろあった。それらは、面白かったかと聞かれれば、残念ながら、わからなかった、よいできとも思えない。そう答えるしかなかった。しかし、それはあくまでも読者の 映画の素人の一感想に過ぎない。映画の玄人からみればどうだったのだろう。もうかなり昔になるが、長いことテレビで映画解説をしていた今は亡き荻昌弘さんの書いたものがあった。よく批評されていると思うので、紹介する。(典拠:『ドストエーフスキイの世界』河出書房新社 昭和38年)

スクリーンのドストエーフスキイ映画
萩 昌弘(1925-1988)

約70年にわたる映画史の流れのあいだ、ドストエーフスキイの作品はずいぶん幾度か映画化された、と考えられている。しかし、少し詳しく調べると、じつはこの作家の映画化は、意外なほど、多くないのである。世界的文豪としては例外的なくらい少ない、といってもいいであろう。しかも、その映画化がひとつの映画芸術としても成功に達した、といえる場合は更にきわめて少ない。むしろ、「ドストエーフスキイと映画」について考える場合は、彼の小説がどのように映画化されたか、ということよりも、なぜ彼の作品が映画化されにくいか、また成功しにくいか、を探るほうが重大であるとさえ思われる。

複雑すぎる登場人物
ドストエーフスキイの作品は、なぜ映画化されにくいか。あるいは、なぜ成功しにくいか。理由は既に多くの評家によって、さまざまに語られてきた。彼の登場人物がもつ精緻複雑な心理、時にはまるで正反対の面まで兼ね備えている立体的複合的な性格――そのようなものの表現が、とかく人物を単細胞的にしか映画では先んず無理なのだ、とは大方の意見である。このような悲観的(あるいは映画蔑視の)意見が、残念ながらかなり当を得ていることは、大部分のドストエーフスキイ映画化が実例で示すとおりであった。

1957年、ハリウッドで映画化された『カラマーゾフの兄弟』は、脚色・監督者リチャード・ブルックスが渾身の気張りをみせた力作だったにもかかわらず、やはり、ドストエーフスキイの人物をひどく一面的に皮相化せざるを得ないことで、安っぽい怒号と身振りだけのメロドラマに空転してしまっていた。

また、原因を、ドストエーフスキイ独特の「構成」にもとめる評者もある。物語の中に芽ばえた小さな枝が、突然独立にむくむくふくれあがり、大筋から横へ滑って一つの生命をもちはじめ、そこからまた新しい枝が生じ、そしてその流れはまたいつしかドラマの本流へのみこまれていく、といったあのドストエーフスキイ特有の渾沌たる奔流的構成は、じつをいえば、単一の強烈な主題を一直線につらぬかねばならぬ映画にとって、もっとも手ごわく、また最も縁の遠い世界に属する。従来のドストエーフスキイ映画化(ことに長編の映画化)は、その点でこそ、すべてが原作の一部の(あるいは一側面の)ダイジェストたらざるを得なかったのであった。数回の『罪と罰』映画化も一つとしてその例にもれなかったのである。
(次回164号につづく)



ドストエーフスキイの会・例会情報
第240回例会 7月15日(土)『広場 26号』の合評会。神宮前穏田区民会館。



掲示板


希望者に進呈 
冬木俊(本名 大木貞幸)著 『キリストの小説 ドストエフスキー・マルコによるキリスト教批判』2016.3.1、近代文藝社刊
今年一月ドストエーフスキイの会例会での発表者である著者ご本人から欲しい方に寄贈したい旨の申し入れがありました。文芸誌での評論部門でも最終選考まで残った内容のものです。ご希望の方は編集室までご連絡ください。

新 刊 
清水正著『清水正・宮沢賢治論全集2』 D文学研究会 2017.3.10 定価3500+
山下聖美著『清水正の宮沢賢治論』 D文学研究会 2017.4.15 定価2000+



編集室


カンパのお願いとお礼
年6回の読書会と会紙「読書会通信」は、皆様の参加とご支援でつづいております。開催・発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」口座番号・00160-0-48024   
2017年6月10日~2017年8月5日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。
「読書会通信」編集室 〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方