ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.147 発行:2014.12.1


第266回12月読書会のお知らせ

12月読書会は、下記の要領で行います。
 
月 日 : 2014年12月13日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品 : 『罪と罰』米川正夫訳『ドスト全集4巻(河出書房新社)』 他訳可
報告者 :  参加者による「私の『罪と罰』」報告&フリートーク      
会 費 : 1000円(学生500円)

忘年会はJR池袋駅西口付近の居酒屋       
     
2月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。作品『罪と罰』2回目
開催日は2015年2月21日(土) 午後2時〜4時45分迄です



大阪「読書会」案内 12・13

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第25回例会
http://www.bunkasozo.com 
12月13日(土)14:00〜16:00 会場:まちライブラリー大阪府立大学 
参加費無料 作品は『伯父様の夢』
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅@番出口東へ約450m(徒歩約7分)



12・13読書会について 

気がつけば今年も、あと僅か。2014年、様々な事件出来事がありました。総じて、「偽」、「嘘」の漢字を彷彿する年でした。が、読書会の皆様には、どんな年だったでしょうか。
作品は『罪と罰』
作品は、大作のなかでも人気が高い『罪と罰』です。様々な感想があると思います。報告は参加者による「私の『罪と罰』」報告&フリートーク
12月読書会は第1回目ということで、参加者による「私の『罪と罰』」感想報告とフリートークです。奮ってご参加下さい。なお『罪と罰』読書会は、3〜4回を予定しています。



『罪と罰』アラカルト (編集室)


懐かしい登場人物たち

常連の皆様にとっては、10年ぶりの懐かしくも身近な人たちです。格差社会、金権主義はびこる21世紀。彼、彼女らはどのように見えるでしょうか。(人物評は中村健之介)

・ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ 鬱を病む誇大妄想引きこもり青年
・リザヴェータ・イヴェーター・イワーノヴィチ 運の悪い可哀そうな異母妹
・セミョーン・ザハヘロヴィチ・マルメラードフ 死ぬまでアルコール依存症、
・ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードフ 継母、異母弟妹、ダメ父の為に娼婦に
・アルカーヂー・イヲーノヴィチ・スヴィドリガイロフ 突然のピストル自殺の謎
・プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコフ 女手1人で育てた息子が…
・ポルフィーリー・ペトロヴィチ 映画やテレビのモデルになる 現代の刑事コロンボ
・ラズミーヒン ・ドーニャ ・ルージン

ドストエフスキーの骨太構想

ドストエフスキーは『罪と罰』の構想を手紙や雑誌でこのように説明している。(ドストエフスキーのM・N・カタコフ宛書簡 1865.9上旬)

罪の前に「神の正義が、世の掟が、力を発揮」
あなたの雑誌『ロシア報知』に私の中編を載せていただけないものでしょうか。?…これはある犯罪の心理学的報告書です。事件は現代のもので、今年のことです。大学を除籍された町人身分の青年が極貧の暮らしをしているのですが、浮薄で、考えが揺れ動いているために、今流行りのある奇妙な〈未完成の〉思想に取り憑かれてしまって、自分の忌まわしい境遇から一気に脱出することを決意します。彼は一人の老婆を殺すことを決意するのです。九等官の未亡人で、金貸しをしている女です・・・この青年は、まったくの偶然が働いて、迅速かつ上々の首尾で自分のもくろみを遂げることができます。その後、決定的なカタストロフに到るまで、彼は約一カ月を過ごします。彼には何の嫌疑もかけられません。かけられようもないのです。ところが、まさにそこに、犯罪の心理学的プロセスが隈なく展開されるのです。殺人者の前に解決不可能の問題が立ちはだかり、予想もしていなかった思いもかけない感情が彼の心をさいなみます。神の正義が、世の掟が、その力を発揮して、ついに彼は自首せざるをえなくなります。たとい徒刑地で朽ち果てようとも、今一度人々との繋がりを回復するために、そうせざるをえないのです。犯行をやってのけた直後から彼が感じる、人類との断絶感、その感覚が彼に死なんばかりの苦しみをなめさせたのです。正義の掟と人間の本性が勝利を占めたのです…犯行者は、己の為したことを償うために、苦しみを受けようと自ら決心します…さらに私の小説には次のような考えが示唆されています。すなわち、法律によって課せられる刑罰が犯罪者に与える恐怖感は、立法者たちが思っているよりも遥かに弱いものだということです。その理由の何がしかは、犯罪者が自分から精神的にその刑罰を求めるということにあります… 

この長編小説では、あらゆる問題を一つ残らず掘り返すこと。(ドストエフスキー〈創作ノート〉)
小説は、6篇からなる大きなものです。11月末には大半書き上がっていたのですが、ぼくはみんな焼いてしまったのです…ぼく自身の気に入らなかったのです。新しい形式、新しいプランがぼくをとりこにしてしまって、ぼくは新たに書きはじめたのです。
(1866.2.10 A・E・グランゲリ宛)

創作の第一段階 

ラスコーリニコフの造形

ドストエフスキーは、作家であったが、優れたジャーナリストでもある。多くの作品は、実際にあった出来事、事件をヒントにしている。『罪と罰』もその一つである。
井桁貞義著『ドストエフスキイ』(清水書院 1989)には「犯罪自体が時代の課題だ」として、『罪と罰』発想の一歩をこのように書いている。

1865年1月、モスクワで一つの殺人事件が起こった。それは計画的な犯行であり、殺人は晩の7時頃に行われ、二人の老婆が殺された。犯人はほどなくして逮捕される。ゲラーシム・チストーフという27歳の店員の犯行で、これは分離派教徒だった。盗品は結局使われじまい。
現在残されている創作ノートによって小説のプロセスを追うことはできるが、それによると、殺人の現場の設定は創作の全過程を通してほとんど変更されていない。作家は、この事件をかなりの程度まで史実に忠実に取材しているといってよい。1865年の夏から秋にかけて(たとえば新聞「声」9月7日付など)事件のあらまし、裁判の進行はジャーナリズムを通して伝えられており、小説の読者は、記憶に新しいこの事件を頭に呼びおこしながら、読み進んでいった。
※分離派教徒=ロシア正教の分派で、ロシア語でラスコーリニキという。18世紀にニーコンによって実施された教会改革を受け入れず、伝統的な正教会の教えを守ろうとしたため古儀式派とも言われる。信者には商人が多かった。

犯罪都市ペテルブルグ 人口の8分の1が関係か

当時、こうした犯罪はペテルブルグで非情な増加を示している。統計によれば1853年から57年に犯罪件数は倍増し、盗難や詐欺事件の被害総額は年平均14万ルーブル、毎年の逮捕者4万人という数は、当時のペテルブルグの人口の8分の1にあたるという。

『罪と罰』を書いた頃 

1864年(43歳)
厄年となった。1月末 新雑誌『世紀』発刊の許可。予告広告文作成。
3月 『世紀』第1、第2号併せて発刊、同誌に『地下生活者の手記』第一部を。
4月15日 妻マリヤ・ドミートリェヴナ、モスクワで死去(1825-64 39歳)『世紀』4号に「地下生活者の手記」第2部掲載。
7月10日 兄ミハイル・ミハイロヴィチ死去(1820-64 44歳)兄家族、『世紀』の負債、2万5千ルーブル
9月  親友の批評家・アポロン・グリゴリエフ死去。

1865年(44歳)
3月 『世紀』2月号に『鰐』発表。『世紀』はこの13号で消滅。ドストエフスキーの負債、1万5千ルーブル。
6月 『祖国の記録』編集者クラエーフスキイに『酔っぱらい』(『罪と罰』の原型)の掲載を申し込み断られる。
7月  三度目の外遊。アポリナーリヤ・スースロヴァと落ち合う。バーデンでルーレットに夢中。スースロヴァ、パリに逃げる。バーデン到着後5日で所持金すべて失う。正真正銘のオケラ。ツルゲーネフ、ゲルッェン、ヴランゲリ、スースロヴァに借金の申し込み。
夏  『罪と罰』起稿。『ロシア報知』への売り込みを依頼。
10月1日 コペンハーゲンにいるヴランゲリを訪問。1週間滞在。帰路、推敲。
11月末  『罪と罰』第1稿を焼却。著作権を売却。年末、スースロヴァと会う。

1866年(45歳)
『罪と罰』を『ロシア報知』1月号から連載。(2、4、6、7、8.、9、12月)
6月 『賭博者』の構想成る。『罪と罰』第5編執筆。『ロシア報知』側の要請を受け入れ『罪と罰』第4編第7章の改稿にやむなく同意。※ソーニャがラスコーリニコフに福音書を朗読する条り(ソーニャの過剰な理想化指摘)
10月1日 新作(『賭博者』)を11月1日までに完成させる話。




私は、こう読んだ 

地方在住の人の読書会参加は、距離もあって困難です。ときどき作品論を送っていただいております。が、批評・感想など報告できず申し訳なく思っています。
今回、坂根武さんの『罪と罰』論、連載ものを一つにまとめたので、当日、配布致します。以下は、本論の序文です。「私の『罪と罰』」として紹介します。

『罪と罰』読書ノート
坂根 武

はじめに私はこの読書ノートで、ラスコーリニコフの行動と心理の紆余曲折を、できる限り無私の目でみるよう努めながら綴ってみたいと思う。そうすることが、私としてはこの難解な作品が与える感動を伝える最良で唯一の方法であると思ったからである。というのも、一つの小宇宙が、全体の大宇宙によってその存在を支えられながらも、それ自身の時間のリズムと空間の広がりを持っているように、ラスコーリニコフの物語の発端と発展と完結はちょうどそのような小宇宙を作っているからである。
そして人は皆、大宇宙、すなわち人間存在の果てしない広がりのなかに投げ出された小さな点でしかないにしても、その本質的な原理は私たち1人1人の心の中に生きている。この原理についての直感と内省があれば、19世紀、ロシアという地球の片隅で創造されたラスコーリニコフという魂を探検するのに、ほかの装備は何も必要ではない。「罪と罰」はまさしくそのように作られている。そしてこの作品のそうした神的な完成度こそが、読者を、たとえ不充分なからにでもその創造の秘密に参加したい意欲を掻き立てるのである。

さて、私はこの読書ノートを、この長編小説の最も美しい一節、さらに付け加えるならば、青年を主題にした多くの過去の傑作の中でも、おそらく最も美しい描写を引用して始めたいと思う。かねて計画していた老婆殺しの大仕事をやってのけた翌日、思いに沈みながら、交通の妨害になっているのにも気付かないで道路の真ん中を歩いていたラスコーリニコフは、馬車の御者に背中をムチでどやされる。その光景を目撃した商人の女房は、彼の貧しい様子から宿無しの浮浪者と勘違いして、そっと二十コペイカを握らせた。
「彼は二十コペイカ銀貨をてのひらに握りしめて、十歩ばかり歩いてから、宮殿の見えるネヴア河の流れへ顔を向けた。空には一片の雲もなく、水はほとんどコバルト色をしていた。それはネヴア河としてはめずらしいことだった。寺院のドーム(丸屋根)はこの橋の上から眺めるほど、すなわち礼拝堂まで二十歩ばかり隔てたあたりから眺めるほど、鮮やかな輪郭を見せるところはない。それがいま燦爛たる輝を放ちながら、澄んだ空気を透かして、その装飾の一つ一つまではっきりと見せていた。

むちの痛みは薄らぎ、ラスコーリニコフは打たれたことなどけろりと忘れてしまった。ただ一つ不安な、まだよくはっきりしない想念が、彼の心を完全に領したのである。彼はじっと立つたまま、長い間瞳を据えて、はるかかなたを見つめていた。ここは彼にとって格別なじみの深い場所だった。彼が大学に通っている時分、たいていいつもー一一といって、おもに帰り途だったが一一かれこれ百度くらい、ちょううどこの場所に立ち止って、真に壮麗なこのパノラマにじっと見入った。そして、そのたびにある一つの漠とした、解釈のできない印象に驚愕を感じたものである。いつもこの壮麗なパノラマが、なんともいえぬうそ寒さを吹き付けてくるのだった。彼にとっては、このはなやかな画面が、口もなけれ耳もないような、一種の鬼気に満ちているのであった。・・・・・彼はその都度、我れながら、この執拗ななぞめかしい印象に一驚を喫した。そして自分で自分が信頼できないままに、その解釈を将来に残しておいた。ところが、いま彼は急にこうした古い疑問と疑惑の念を、くっきりと鮮やかに思い起こした。そして、今それを思い起こしたのも偶然ではないような気がした。自分が以前と同じこの場所に立ち止ったという、ただその一事だけでも、奇怪なありうべからざることに思われた。まるで、以前と同じように思索したり、ついさきごろまで興味を持っていたのと同じ題目や光景に、興味をもつことができるものと、心から考えたかのように‥‥彼はほとんどおかしいくらいな気もしたが、同時に痛いほど胸が締め付けられるのであった.どこか深いこの下の水底に、彼の足もとに、こうした過去一一いっさいが一以前の思想も、以前の問題も、以前のテーマも、以前の印象も、目の前にあるパノラマ全体も、彼自身も、何もかもが見え隠れに現れたように感じられた‥‥彼は自分がどこか遠いところへ飛んで行って、凡百のものがみるみるうちに消えていくような気がした・‥彼は思わず無意識に手をちょっと動かしたはずみに、ふとこぶしの中に握りしめていた二十コペイカを手のひらに感じた。彼はこぶしを開いて、じっと銀貨を見つめていたが、大きく手を一振りして、水のへ投げ込んでしまった。それから踵を転じて、帰途についた、彼はこの瞬間、ナイフか何かで、自分というものを一切の人と物から、ぶっつりきりはなしたような気がした」

「近代病の幕開け」の時代
ここには凶行前と凶行後の、ラスコーリニコフの内部に生じた埋めようのない心の落差が奏でる悲想曲が鳴っているが、それは読者の胸を貫いて、青春時代の回顧へと誘うかのようである・・・・・人類の生活の歴史上の最も大きな変化の一つは、18世紀イギリスを中心に起きた産業革命であったろう。これは大人ばかりか、若者と子供たちの生活をも根本的に変えてしまった。産業革命以前、子供たちはいまの小学校へ入る年齢になれば、すぐに労働力に組み込まれていた。彼らは父祖伝来の仕事に従事して、堅固な伝統と風習に守られて、一足飛びに大人の世界の住民になっていた。しかし産業革命の到来とともに、高度な知識と技術が求められるようになると、子供たちは学校へ通うようになった。社会の複雑化と技術革新とともに、彼らが学校で過ごす時間は長くなっていった。そこには全く新しい人間関係の空間と自由な時間かあった。こうしてそれまでは存在しなかった青春という不思議な人生の一時期が誕生することになったのである。思うに、若者に降りかかったこの運命は、あたかもアダムとイヴの楽園追放にさも似ていたであろう。人類社会は、それまで知らなかった青春という人生の特権的な一時期を作り出したが、それは同時に孤独と不安の交錯する近代病の幕開けでもあった。
 『罪と罰』に描かれたラスコーリニコフの孤独な魂は、近代世界の最も純粋な青春像である。華やかな歴史に彩られた首都ペテルブルグの壮麗な建築物が、ラスコーリニコフにはうそ寒い未知の怪物に見えるとすれば、それは過去と伝統への断絶感であり、既存価値への不信 疑惑であろうか。自負と懐疑がないまぜになった自己存在への不可思議な感情。作者は、19世紀のロシアの首都のネヴア河の上で、ラスコーリニコフという強烈な個性を描いているのだが、私たちはいわば時空を超えて、ある普遍的な感情を前にしているのを見出すのである。天才の力とは不思議なものだ。ラスコーリニコフの眺めたネヴア河の水がやがて大海に流れ入るように、彼が壮麗なパノラマから体験した疎外感は、時が移り場所が変わっても、
多感な若者の心に流れる感情なのだろうか。私はこの一節を読むたびに、ラスコーリニコフの魂から発した訣別の葬送曲が、じっと耳を澄ませば、私の心の底にも、かすかながらも鳴っているのが聴きとれるのである。



読書会プレイバック
 
新谷敬三郎先生没後20周年前夜祭に寄せて
40年前の読書会(『場U』から)

第27回読書会で『罪と罰』を読む   
新谷敬三郎

1974年11月16日(土)午後6時から第27回の読書会を開く。寒い日でもあったせいで、出足は悪かった。出席者10名。
 『罪と罰』これは前号で御報告したように、草津温泉の天狗山ペンションで泊りがけで行った読書会でもとりあげられたけれども、こういう長編となると、それにみなさんすでに何回も繰り返し読んでおられて、すみずみまでよくご存知で、かえってずばり物が言えないせいで、話がどうしても、あらぬ方向へ流れてゆきがちなのである。

ある人は、マルメラードフとラスコリニコフは大変よい対照をなしているという。貧のなかで身をを持ちくずして、どこまでも落ちてゆくくたびれた初老の男は、そういう自分というものから逃れたい一心で、神にすがりつこうとする。24歳の学生の方は自意識の壁を超えて、何とかして自分で生きたいと願っている。老婆殺しはその証しであった。とすれば、スヴィドリガイロフという人物は余計なのじゃないか。この奇怪な人物なしにでも、ある男の罪と罰の物語は成立する。
と、こういった意見に対して、対照されているのは、マルメラードフとラスコリニコフではなくて、マルメラードフとスヴィドリガイロフである。そしてその対照の軸をなしているのがラスコリニコフである。落ちぶれはて、世間から見棄てられた魂と我意の肥大をきたした浮蕩なるニヒリスト、この対照的人物を両極とする、そこから発する磁力の場に投げこまれた、それ自体運動力を持たない磁力に敏感に反応するものとして、老婆殺しの青年はある。大体ラスコリニコフは、物語のいわゆる生きた人物ではなくて、ひとつの観念、殺人という観念の人格化されたものであって、ドストエフスキイの長編小説の中心人物は、いずれも多かれ少なかれ観念の怪物であって、彼の主人公の無私性あるいは無人称性もそういう性質からくるのだが、そういう主人公の性質が物語の展開の仕方を規制している。ドストエフスキイの小説は明らかに思想小説であり、観念の実験の物語である。

ところでラスコリニコフを軸としたもう一対の対照がある。ポルフィリイとソーニャである。予審判事、この有能なる司法官僚は、実は殺人の理念、その自己意識であって、それに対置されて聖なる娼婦、復活の信仰がある。ラスコリニコフはこの二人の間を往ったり来たりしなければならない。殺人犯がスヴィドリガイロフとポルフィリイとソーニャと、この三人を訪ねあるく、あるいは偶然に出会う、その順序のなかにおそらく、作者の観念の劇を見ることができょう…
こうした読み方は、それこそ観念的にあまりにも図式化しすぎた読み方ではないのではないか。当然、こういう反論が提出される。が、読書会の後半は、結局ソーニャの問題に終始したようであ。犯罪者と娼婦、これは或いは4文学、というよりは人間の永遠のテーマなのかもしれない。どこの国の文学にも、それは物語の一モチーフとして、大変古くから今日に至るまで途絶えることなく繰り返されている。

どこへも行きどころのなくなったというか、たえず追いかけられ、追い詰められいる男と落ちるところまで落ちて、はいあがる知恵も元気もなくなった女、、こうした対応の大変ロマンチックな、というかいわば形而上学的な形象として、『罪と罰』の二人はある。
ところで問題は、おそらく、ソーニャと父マルメラードフとの関係にある。この二人の人物というか、モチーフの関係が、恐らくこの殺人物語のもうひとつのの主要なテーマなのであろう。会は例によって時間切れで、場所を高田馬場に移して、つづいた。



10・4読書会報告 
               
10月読書会、13名参加 作品は『鰐』
大作前の骨休み、『鰐』を楽しく 報告者は長野正さん
「『ピノキオ』のおじいさんは、クジラの中で生活していたが関連はあるのか」など。
二次会には8名の皆さんが出席されました。『鰐』のつづきや次作品『罪と罰』で盛り上がりました。そのあとドストエフスキー談議は、三次会のお茶会席に。楽しい一日でした。



「ドストエーフスキイの会」情報

ドストエーフスキイの会の第224回例会は、11月29日(土)午後1時半から千駄ヶ谷区民会館で開催されました。報告者は、会代表の木下豊房氏。題目は、「小林秀雄とその時代のドストエフスキー観」でした。




ドストエフスキー文献情報

提供=佐藤徹夫さん

2014・11・30現在      

〈図書〉

・『黒澤明と小林秀雄 ― 「罪と罰」をめぐる静かな決闘』高橋誠一郎著
2014

〈専載書〉
・『ドストエフスキイとセザンヌ 詩学の?生』山田幸平、近藤耕人著 晃洋書房 2014 
    ベケットからドストエフスキイ セザンヌに至る道/近藤(p1-85)
    詩学の共生――セザンヌとドストエフスキイ/山田(p87−156)
・『ドストエフスキイ』井桁貞義著 新装版 清水書院〈Century Books人と思想82〉
    ※初版:1989.6.30刊

〈収載書〉

・『悪の哲学ノート』中村雄二郎著 岩波書店 2012 〈岩波人文書セレクション〉
    ※初版:1994.11.25刊 
・『言葉と他者 小林秀雄試論』権田和士著 青簡舎 2013
    第T部 自意識と他者 ・第三章 思想と人間――ドストエーフスキイ論 
    とトルストイ論争(p61-78);第四章歴史と文学――その根源にあるもの
    第五章自意識と他者――ドストエーフスキイ研究の意味(p92-115)
・『万象の訪れ わが思索』渡辺京二著(福岡)弦書房 2013
    〈書評〉松本健一 『ドストエフスキイと日本人』(p298-300)
     ※初出;「週刊読書人」1091(1975.8.4)p5
・『井筒俊彦 言語の根源と哲学の発生』安藤礼二・若松英輔編 河出書房新社 2014
     井筒俊彦とロシアと文学と戦争と/山城むつみ(p114-123)
・『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』平野哲一郎著 講談社 2014.          T社会の生命力・〈対談〉亀山郁夫 なぜ今ドストエフスキーなのか
     ※初出:「中央公論」124(7)=1503(2009.7.1)

〈逐次刊行物〉

・〈文學会図書室・著者インタビュー〉辻原登『東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』「文學界」68(9)(2014.9.1)p300-301
・〈プレイヤード・本〉「秘密」としての前哨 山城むつみ『小林秀雄とその戦争のと時
    「ドストエフスキイの文学」の空白』/杉田俊介
    「すばる」36(10)(2014.9.6=10月号)p349
・〈本〉批評家の意志 『小林秀雄とその戦争の時 「ドストエフスキイの文学」の空白』山城むつみ/前田英樹 「新潮」101(1)(2014.10.7=11月号)p240-241
・〈書評〉小林の根源にあるものは何であったのかを繰り返し問う 山城むつみ著/小林秀雄とその戦争の時 『ドストエフスキイの文学』の空白/佐藤泰正
    「週刊読書人」3060(2014.10.10)p5
・〈Coming Movies〉嗤う分身 The Bouble 「スクリーン SCREEN」69(14)=991(2014.10.21)p88-84
・〈書評〉近代小説によって作られた 『東大で文学を学ぶドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』辻原登/安部公彦「群像」69(11)(2014.11.1)p328-329
・嗤う分身 映画だけが本当の分身を扱えるということについて
 古澤健 「映画芸術」64(4)=449(2014.11=秋)p070-071
注:「二重人格(分身)イギリスで映画化、邦題「嗤う分身」 現在順次全国公開中 




評論・連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                       小林秀雄の「ムイシュキン」から「物のあはれ」へ
(第56回)清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」
                                  
福井勝也
 
今年(7/26)日芸江古田校舎で開催された清水正教授の講演を拝聴する機会を得た。その後秋になって、「感想」として稀代のドストエフスキー批評家清水正氏に関する拙論を寄稿させていただいた。当年最後の本欄に若干字句を補正して以下再掲しておきたい。

清水先生とのご縁は、僕自身のドストエフスキー体験の発端に位置している。今回空調の効いた教室で講義を聴きながら、記憶は、最初の講演での出会い(ドストエーフスキイの会、1978.1)に戻っていた。36年以上前の清水氏の風貌(当時氏の髪は肩までのびていた)こそ今とは明らかに異なるが、今回教授の弁舌を耳にしつつ、経過したはずの時間が雲散霧消する不思議を感じた。それはおそらく清水氏の語りが、氏の背負われた運命に正直に促された肉声として響いて来たからであろう。その一貫した肉声が、生涯のドストエフスキー批評になって、今日に結実してきていることは周知のことである。これを現在どう受け止めるべきか、その一端をここに述べたい。

内田魯庵が明治の初めに英文の翻訳から本邦に紹介して以来、その影響は近代日本文学のみならず、日本近代本体を直撃し、そしてポストモダンと言われるようになった21世紀の現代にまで及んでいる。当方のドストエフスキーへの興味も、その文学(作家)本体から、それを受容してきた日本近代(文学)に、そしてそれを担った個々の日本人自身の運命へと深化拡張してきた。本連載が「ドストエフスキー体験をめぐる群像」と銘打っているのもそんな経緯からだ。

そして実はこの標題が、清水氏の処女作の『ドストエフスキー体験』(1970)という書名の意識的影響から来ていることをまず断っておきたい。確か同時期に、作家椎名鱗三もほぼ同書名の著書『私のドストエフスキー体験』を発行しているが、清水氏のそれは、その中身が文字通りの作品論であって、椎名の内容とは時代を画したものと考えている。言わば、清水氏の著書は戦前からドストエフスキー文学の私小説的受容とは異なり、現代のドストエフスキー論の端緒ともなった批評と言える。と同時に、清水正氏の個性が強烈に刻印されたものでもあったことを注視すべきである。ここからすべてが始まっている。

当方本連載で、江川卓氏の「謎解きシリーズ」に触れながら、その影響を受けた弟子筋?の方々に言及させて頂いたことがある(2008.5)。芦川進一氏と亀山郁夫氏と清水正氏、ほぼ同年代ドストエフスキー研究者のお三方についてであった。勿論、三人の立脚点とその個性の相違は一緒に論じられることを拒否しておられる。つまり以下は当方の勝手な思いによるものだが、まず芦川氏の厳密な聖書学に基づく求道的なドストエフスキー探求に対して、亀山、清水両氏のそれは、芦川氏のものとは明らかに異なっている。そこにはお二人の貪欲な個性の発露が見て取れる。

今夏の清水氏の講義を聴いて、改めてその思いを強くした。それはほぼ同時期、研究・翻訳の傍ら小説にまで手を染められた亀山郁夫氏の「新カラマーゾフの兄弟」を読んだことにも重なる。そして勿論、清水氏の今回講義の種本の『世界文学の中のドラえもん』(2012)も読んでの感想にもなるが、そこにドストエフスキーを介在させたお二人の文学的欲求の到達点を見る思いがした。当然両著はそのジャンルも違い、元来比較の対象にはならない。

しかし、既に「新カラマーゾフの兄弟」の感想として書いたことだが、ここでの亀山氏の文学的欲求とは、自分自身をドストエフスキーの(文学)世界に憑依をさせてゆく強烈な想像力のことである。この点では清水氏にも同様なことが言えると感じた。

そうでなければ、何故「ドラえもん」がドストエフスキー文学と同次元で論じられよう。僕は『世界文学の中のドラえもん』を読みながら、その簡潔な比較思想的、比較文学的表現に清水氏の柔軟かつ強力な想像力(=創造力)を感覚し、清水ドストエフスキーの到達したエッセンスを見る思いがした。「想像・創造批評」なるものが清水氏のドストエフスキー研究の根幹にあるわけだが、それ自体、物語世界(神話的レベルを含む)への自由な思惟の飛躍があってこそ実現可能なことだろう。不自由な専門研究者とは異質な清水氏独自の批評スタイルがここにある。極言すれば、今回僕は、清水氏の『世界文学の中のドラえもん』を「小説」として読み、その講義を「物語」を聞くように聴いたと言ってもよい。

そもそも清水正論を亀山氏のそれと重ねて論ずる意図もなかったが、そのような経緯を辿っている本文に異論もあろう。しかしもう少し続けたい。やや旧聞になるが、お二人、正確には作家の三田誠広氏を含めた『悪霊』をめぐっての鼎談が「週刊読書人」で行われたことがある(2012.12)。この際の清水、亀山両氏の遣り取りが印象的だった。けっこう興味深い対話があり、亀山氏が拘る「父殺し」に対して、清水氏が拘るのが「太母」(グレートマザー)で、結果対照的な「母殺し」が問題化する。その<根幹>の違いから、ドストエフスキー(とりあえず『悪霊』)へのお二人の読みも当然に違って来る。ここで清水氏は亀山氏の「父親との問題」に食い下がり、「黙過」という亀山ドストエフスキーのキイワードを突いて「それは亀山さんの中にある罪の感覚だと思うんです」と詰め寄ってもいる。亀山氏は「そうですね」と軽く?受け流し、清水氏は自説のピョートル殺害説に話をもってゆく。僕にとって何より興味を引いたのは、亀山氏に詰め寄る清水氏の姿勢から逆に顕わになる氏自身が抱える問題の強度にある。それは氏の発言の幾つかに読み取れるもので以下に引用してみる。

「僕は最初に刊行したのが『ドストエフスキー体験』なので、自分から離して考えることが出来ないんですね。―中略― ニコライ・スタヴローギンの虚無を日本人の視点から描いたのは林芙美子です。『浮雲』の富岡兼吾という主人公がそうです。富岡は嘘つきで、ろくでもない卑劣漢ですが、彼が抱え込んでいる虚無はすごいんですよ。『浮雲』には、西洋の神というものを度外視せずに取り込みながら、林芙美子が求めた神があります。」

この後の亀山氏の反応も独自なもので、氏が反キリストと言明するスタヴローギンになぜドストエフスキーは「わざわざ、美貌、腕力、知力の三つの力を与えたのか。林芙美子が与えたイメージとは全く違うわけですね」と反駁し、ここではっきりと二人はすれ違っている。両者の抱える<根幹>の違いが顕現したわけだが、僕には、その話題が『悪霊』ではなく、『白痴』のムイシュキンであったらどうだろうかと思った。

勝手な思いはともかく、対談で当方が清水氏の真骨頂が露出したと感じたところをもう少し、その前後の微妙な文脈も注意しながら引用してみる。問題は、亀山氏の黙示録からの『悪霊』への引用文の「なまぬるきもの」は清水氏の拘るピョートルということになりますか、という質問を受けての箇所だ。実はここには、ムイシュキンにも言及したキリストの二面性について論じた三田氏の発言が絡んでもいる。ともかく、清水氏は亀山氏に応えて次のように語っている。

「それはなりませんね。三田さんにもここが課題になると思うんだけれど、つまり日本 の神は、熱いか冷たいかの神じゃないでしょう。日本は火山列島で、熱湯が噴出しているところに水を入れて適温にして「いい湯だな」となる。僕はここにこそ日本人が代々受け継いできた信仰、などという言葉を使わない神の意識があると思うんですよ」(清水)

「そう、そこが根本的にキリスト教とは違うんですよね。ではドストエフスキーは、なぜ、『悪霊』であんな真っ暗闇を描き出したのだと思いますか」。(亀山)

「暗闇を徹底することでしか光は現れないんです。三田さんがドストエフスキーと違う設定で一条の光を与えるとき、その一条の光を辿って行くとどこに通じるんですか、-中略- シャートフは、ニコライに向かってロシアの神は断言できても、それじゃ神は?と訊かれるとあいまいな返事しか返せない。彼はなまぬるいものを吐き出す神を信じ切れていない。-中略- ドストエフスキーの文学の中には偉大な母性がないんですよ。」(清水)

 さてやや遠回りをしている感があるが、今回講義のテキスト『世界文学の中のドラえもん』の感想を述べて本論を収束したい。清水氏が本著の補遺まとめとも読める「ドラえもん余話」のなかで、次のように述べている。ややアトランダムに繋げて引用してみる。

ドストエフスキーの文学の特殊性としてあげられる<同情=サストラダーニィエ>と<淫蕩=スラドストラースティエ>のうち、『ドラえもん』の世界で展開されるのは<同情>と極端化を回避した<欲望>の発揮である(p.135)。
人間の欲望はあらゆる面に向けられる。性的欲望から世界征服・世界滅亡願望に至るまで、人間に絶大な権力と能力を与えるとまずろくなことはない。まさに、このろくでもないことを『ドラえもん』の作者はしでかした。しかし、なぜ多くの読者がこのとんでもない設定をだまって許容するのかと言えば、それは先に指摘した通り、作者がのび太と<ドラえもん>の欲望を制御してほどほどのところで話を展開しているからである。−中略−『ドラえもん』には世間の非難批判を受けても描ききってしまおうというアナーキイな意志や冒険心を感じることはない。『ドラえもん』には中断を余儀なくされるような毒は予め中和されている。−中略−
要するに『ドラえもん』はのび太と<ドラえもん>を中心に据えて、人間とは何かを問い続けるような実存マンガではなく、アイデアさえ続けば永遠に幕を閉じることのないエンターテインメントなのである(p.149-150)」

 清水氏は、最後に『ドラえもん』をエンターテインメントだと言い切っているが、この言葉は本著の結論のように聞こえて実はそうではないだろう。ここで問題にされてきたことは、単純にドストエフスキーの文学世界と『ドラえもん』のそれとの違いを指摘することではなかったはずだ。そんなことなら、だれも承知していてあえて主題化するに及ばないはずだ。今回、前述の亀山・三田氏との鼎談を振り返ったのも、そこに共通する清水氏のドストエフスキー文学に注ぐ独自な視線を感じたからである。そこには日本人の信仰心からドストエフスキーのキリストを見つめ直そうとする直感が鋭く働いている。言い方を変えれば、ドストエフスキー文学の中には偉大な母性がないと氏は述べたが、それでも清水氏はあえてその内実をドストエフスキーの中に探そうとしているのではないかと思える。そう考えると、清水氏が日本人の精神のあり方が集約されたような、日本人の国民的文学ならぬ国民的マンガである『ドラえもん』をあえてドストエフスキー文学と比較対照させた意味が解ったような気がするのだ。

ここで清水氏にそれは違うと言われそうだが、最後に今回本文の標題とした清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」という文言について触れて終わりにしたい。当方このところ本連載等で主に小林秀雄の批評の問題を取り上げている。小林の遺作の『本居宣長』(1977)とその執筆直前まで苦闘していたドストエフスキー論(具体的には「白痴」論)との関連性、その連続性について論ずるものである。実は、この連続性を切断して、小林の最後の「白痴」論を評価しつつ、それ以後の『本居宣長』を切り捨てて論じたのが批評家の山城むつみ氏であった。そのことを書いたのが氏の処女批評の「小林秀雄のクリティカル・ポイント」(1992)であった。僕は、その批評に触発されて来たが、今夏氏の最新作(『小林秀雄とその戦争の時』)から、あえて処女批評まで遡ってその批判を試みるに至っている。そんな折り、清水氏の本著に触れて、おそらく清水氏は山城氏とは違っていて、やはり小林の『本居宣長』の世界に連続しているものを感じた。そこでのキイワードは、清水氏の言葉を借りれば、『ドラえもん』の世界でも展開されるドストエフスキーの<同情>である。『白痴』の最後、オバケとなって(「復活」でなく)現れるナスターシャの姿を感じて「もののあはれを知る」ムイシュキンの物語の最後の顛末。この「白痴」論から『本居宣長』に転ずる小林の「クリティカル・ポイント」は、ドストエフスキーを語るうえで『ドラえもん』の世界に着目した清水氏の視線と重なっているように感じられたということだ。(2014.11.25) 



参考図書紹介
 (編集室)

『ドストエフスキーの詩学』ミハイル・バフチン著 筑摩書房 1995
 望月哲男/鈴木淳一:訳

※ミハイル・バフチン(1895-1975)ロシアの文芸学者 革命後の混乱のなか匿名学者として活躍。スターリン時代に逮捕され流刑に。その後、モルドヴァの大学で半生を過ごした。50年大後半から国内で再評価がはじまるが、幅広い仕事や研究がひろく知られるようになるのは、没してからである。著書に『小説の言葉』、『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』などがある。

マンガ版『罪と罰』  画・手塚治虫 角川文庫 1953.11.5
ドストエフスキーの『罪と罰』を大すきな文学といわれる先生。人間の本質をとことん見極め、原作の重い難解なテーマを親しみある絵と構成でダイジェストされています。スゴイとしか言いようがありません。(あとがき 漫画家・花村えい子)



広  場 

新潟在住の渡辺圭子さんの『罪と罰』論を連載します。

『罪と罰』の世界
人間性の深みをめぐる優越感と負い目
渡辺 圭子

やせ馬にみる二通りの解釈
彼が田舎にいた頃、父もまだ生きていた少年時代、ある百姓が、老いて働けなくなった馬を、仲間と共に乗りつぶして殺してしまう。彼は、馬を哀れに思い百姓に殴りかかろうとしたところを、父に止められ、家に帰っていく。この夢の意味は、やせ馬が何の象徴かを考えることで、二通りの見方ができる。
@やせ馬・・・・・・・・・殺される老婆 乗りつぶす百姓・・・・・殺そうとする自分
Aやせ馬・・・・・・・・・自分を犠牲にするドーニャやソーニャ
B少年だった自分・・・・・何もしてあげれない。助けてあげられない、無力な自分。
その夢は、彼の良心をよびおこしたが(@)、同時に、負い目や劣等感もよびおこし(A)、追い詰めた気がしてならない。挫折感、生理的嫌悪感から、心に生じた悪、卑劣を凝視し、昇華することができなくなったこと、人間性の深みをめぐる負い目や劣等感が、彼を殺人犯にしてしまった。
 
スヴィドリガイロフとドゥーニャ

様々な主義、主張は、よりよくなるために考えだされたものである。しかし、実際は、私欲に利用されるなど、悲惨な結果を生んでいる。醜い結果を生む原因に、功名心、名誉欲、権勢欲、様々な欲がある。スヴィドリガイロフは、こうした偽善性、欺瞞性、悪、卑劣、すべて承知していて、そこを楽しもうとさえしていた。年上であり口臭もある、おまけに、家庭内の様々なことを話して歩くのが好きな妻、マルファに我慢もしたが、お金には不自由せず、女もお世辞で口説け、快楽もあじわった。ドゥーニャの兄、ロージャに話して聞かせた。ある貴婦人との情事など、まさに表面に現れたきれいごとに潜むものをむき出しにした結果、あしわった快楽である。しかし、彼は表面に現れたきれいごとに潜むものをむきだしにするのが、楽しくて仕方ない反面、自分のそんな欲望をくだく存在を求めていた。スヴィドリガイロフがドゥーニャに惹かれ、執着するようになった理由はそこにある。まずは、貴婦人との情事をふり返り、それから、ドゥーニャにこんなにも強く惹かれ、執着するようになった意味を明確にしたい。スヴィドリガイロフは、その貴婦人にどうやって近づき、どうやって心を捉えたのか、を次のように述べている。

私の作戦といえば、ただもう、その婦人の清純さに圧倒されて、たえずその前にひれ伏すことだけでした。(11)
私はまた恥知らずにお世辞を並べたてて、たとえば、たまに握手の機会にめぐまれたり、ちらと一瞥をくれてもらったりするとたちまち自分で自分を責めだすんです。(12)
これは私が無理やりあなたからもぎ取ったものだ。あなたは抵抗された。あなたはあまりに無垢でいらっしゃるから、私の悪だくみが見抜けず、知らず知らずのうちに心にもなく私の手に乗せられてしまうのだ、といった調子です。
相手がどの点を評価されたがっているのかを見抜き、そこを指摘してやることで、相手の心を捉えている。事実、、その婦人は、自分でも不倫を楽しみながら、自分は潔白であり欺かれただけ、と思っていた。スヴィドリガイロフは、情事の結末を次のように述べている。

私はなにもかも頂戴したわけですが、そのご婦人は、あいかわらず、自分が純潔無垢であり、妻としての義務や責任を果たしている。まったく心にもなくつまづいただけだと信じて疑わなかったものです。(14)
ですから、私がいよいよ最後になって、私の心から確信するところ、あなたも私と同じく快楽を追求しておられたのだ、といってやったときには、すっかり私に腹を立てましてね。(15)

お世辞を使い、巧みな言葉で、表面に現れきれいごと(純粋、貞淑な妻)に潜むもの(マンネリ打破願望、冒険心、好奇心)をむきだしにし、不倫という快楽をあじわった。彼は、ロージャに、信じられないことだろうが、ドゥーニャにも同じ効果が現れはじめた、と言っている。彼は、ドーニャに潜むものを何とみなし、そこをむきだしにすることで、どんな快楽をあじわおうとしていたのだろうか。スヴィドリガイロフは、ドゥーニャが、自分(スヴィドリガイロフ)に嫌悪の念を抱きながらも、関心をもたずにはいられなくなっていく様子を、次のようにのべている。

最後には、私がかわいそうになってきた。救い難い人間に対する哀れみの情ですな。ところで娘さんが誰かをかわいそうになる、というのは、言うまでもないことですが、何より危険な傲慢なんですな。そうなったが最後、どうしたって『救い』たくなる。正気に返らせ、よみがえらせ、もっと崇高な目的に向かわせ、新しい人生と活動に更生させてやりたくなる。まあ、要するに、こうした空想にふけりたがるのですな。(16)

スヴィドリガイロフは、お世辞を使いソーニャの哀れな気持ち、救いたくなる欲望をくすぐり、口説き落とすはずだった。しかし、それは上手くゆかなかった。さらに、その現場をマルファにみつかり、マルファはドゥーニャが誘惑したと誤解し、ドゥーニャは追い出されてしまった。その後、ドゥーニャの、スヴィドリガイロフからの誘いを断わる手紙がでてきたことで、ドゥーニャの名誉は回復される。ドゥーニャの行いは、確かに立派である。だが、その深層には、相手を立ち直らせたい、崇高な目的に向かわせたい、といった、精神面において優位でいたい、高潔さという点で人を引きつける存在でいたい。という願望がある。ドゥーニャの高潔願望、優越願望をより明白にしているのは、スヴィドリガイロフが自殺しなかったら、結婚するつもりでいた、16の娘の言葉であろう。

わたし、従順で貞淑でよい妻になって、あなたをしあわせにします。生涯を、生涯の一分一秒を、すべてあなたに捧げて、あなたのために何もかも犠牲にする。そして、その代わりにあなたからは、ただ尊敬だけをいただきたい。その他には何も、何もいりません。贈りものなんかほしくありません。(17)

スヴィドリガイロフは、さらに、ドゥーニャの中には、高潔願望、優越願望に加え、ある種の英雄願望さえある、といっている。

いまのあのひと自身も、ただもう一刻も早くだれかのために、なんらかの苦しみを受けたいと、それを渇望しているんですよ。(18)  (つづく)



映画紹介 (編集室)
「望郷の鐘」 試写会大盛会 開場1時間前から長蛇の列

あらすじ (パンフレット 「現ぷろ・阿智村」より)    

山本慈昭 望郷の鐘 満州開拓団の落日
山本慈昭は、長野県下伊那郡会地村にある山寺「長岳寺」の住職であり、国民学校の先生でもあった。昭和20年5月1日、敗戦間近に三つの村の村長に説得され、1年だけという約束で満州に渡る。(開拓団175人と51名の子どもたち、それに妻と幼い娘二人を連れて)
8月9日に、日ソ不可侵条約を破ってソ連軍が一方的に攻めてくる。8月15日の敗戦もわからずに逃げ回るが、女子供を抱えてシベリア国境近くの町より逃げても、なかなか先に進まない。列車もなく、橋は、関東軍が逃げる時に壊して行き、平原を歩くとロシア兵に捕まるので山の中を歩き、食料もなく死の旅であった。
地獄の逃避行の途中、慈昭たち一行はロシア兵に捕まり、街の収容所に入れられ、16歳以上の男性はシベリアに連れて行かれる。極寒のシベリアで重労働させられた慈昭は、奇跡的に1年半後に帰国することができた。が、長岳寺に辿りつくと、一緒に満州に行った妻と子どもたちは逃げる途中に亡くなったと知らされる。
 世の中が民主主義となり、大きく変わりつつある頃、慈昭は開拓団の仲間達の辿った運命を【阿智村・死没者名簿】としてまとめる。同時期に天台宗の大僧正から長野県日中友好協会会長を引き受けることを聞き、平岡ダム建設のために強制連行された中国人のことを知り、亡くなった中国人の遺骨を本国に返す運動に力をそそぐ。
中国を訪れてから1年が過ぎたある日、慈昭のもとに1通の手紙が届く。日本人の残留孤
児からのものだった。戦争で中国に残された子どもたちが、日本に入る両親を恋しく思い、再会したいという気持ちが書かれてあった。慈昭は、満州で沢山の日本人の子どもが優しい中国人の養父母によって育てられていたことを知り、残留孤児たちの日本帰国救済運動をはじめる。が、そこには、新しい日本国の壁が・・・・



読 書
 (編集室)

『アガーフィアの森』ワシーリー・ペスコフ著 河野万里子訳 新潮社 1995
40年間シベリアで暮らしていた一家のルポ

ドストエフスキーが、この話を聞いたとしたら、きっと興味を抱くに違いない。恐らく現地に行って、自分の目で確かめようと出発するだろう。それほどに奇異な出来事である。
1978年、夏、一台のヘリコプターがシベリアの原野の上を飛んでいた。行けども行けども広がる自然林の大地。未開の地。この夏、飛行機がシベリア上空から資源探査用航空写真を撮った。アバカン川の水源付近に鉄鉱石の鉱脈がありそうと分析された。早速にエンジニアの一行がヘリコプターで現地調査にやってきたのだ。パイロットたちは着陸の場所を探して地上に目を凝らしていた。そのとき彼らは原野のなかに信じられないものを見た。畑のようなものがあった。一番近い村とて250キロも離れている未開の地に人が住んでいた。
分離派教徒の家族だった。彼らは実に40年以上も、誰にも接することなく大海のようなシベリアの原野のなかで生き抜いてきた現代のロビンソン・クルーソー。(編集室・下)

『幼い娼婦だった私へ』ソマリー・マム著 高梨ゆうり訳 文芸春秋社 2007

カンボジアは、どんな国か。1970年以前、あの国に行ったものなら、こう答えるだろう。遺跡と豊かな水と微笑の国だった、と。だが、その後この国が巻き込まれた恐ろしい地獄。ジェノサイト、恐怖政治、解放、貧国…相次ぐおぞましい出来事。現在、この国がどんな状態になっているか。パル・ヴァンナリーレアク著『カンボジア 花の行方』(岡田知子 2003 段々社)を読むと、政治は少しは安定したように思える。たまにテレビの旅かクイズ番組で見かける限り生活も平和を取り戻したようにみえる。だが、本書に一蹴され戦慄した。カンボジアの闇は益々濃さを増している。社会の底辺では、虐待、幼女売春、人身売買、レイプ。ドストエフスキーが晒した人間の忌むべき行為の日常。あの民族がなぜ。人間の謎。

『虐殺器官』 伊藤計劃著 早川書房 2010 
現代における『罪と罰』

本書は以前、作者が急逝したとき紹介した。今回は、〈現代における『罪と罰』〉のサブタイトルに注目してみた。時代の中で『罪と罰』のテーマは、どう変化するのか。社会の安定。多くの人々の幸福。そのために選ばれし者「英雄」は何でもしてよいのか。この問いに作者ドストエフスキーも主人公ラスコーリニコフも悩む。が、この論理、20世紀はコソ泥から為政者、独裁者までが持論とした。結果、21世紀、この星に暮らす生き物は、幸せになったのか。否、だれの目にもそうでないのは明白だ。利便と金権。人間の飽くなき欲望で汚染と破戒はつづいている。アフガニスタン、アルジェ、シリア、内乱のアフリカ諸国。パレスチナ戦火と貧困と飢餓は、無くなるどころかモグラたたきのようにつづいている。なぜなのか。
その疑問にこの物語は挑戦する。「一人殺すより、ウン万人殺すほうが正義の掲げやすさも段違い…むかしはそんな世界があった」しかし、現代は違う。米軍特殊部隊の「ぼく」は暗殺者の任務で世界の紛争地帯に出向く。そこで知る先進国の『罪と罰』の残酷さ。



掲示板


ドストエーフスキイの会第225回例会
月 日 : 2015年1月24日(土)午後1時〜5時 
会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩7分 
報告者 : 泊野(院生)氏
  
読書会倶楽部のお誘い  南信州伊那路の旅 昼神温泉郷

日本一星がきれいに見える村。長岳寺・森田草平「煤煙」原稿、満蒙開拓平和記念館見学 古典文学の里散策(古事記・日本書紀・万葉集)、源氏物語「箒木」、謡曲「木賊」。

演劇 
来年、シアターX(カイ)で「白痴」公演(続、再不明)再開      
東京ノーヴイ・レパートリーシアター JR両国駅徒歩3分 03-5621-1181

デモクラTV インターネットTV 「新しいニュース解説番組」
横尾和博のザ・インタビュー



編集室


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