ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.146 発行:2014.9.20


第265回10月読書会のお知らせ


月 日 : 2014年10月4日(土)

場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
             
開 場 : 午後1時30分 

開 始 : 午後2時00分 〜 4時45分

作 品 :「鰐」米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集3巻(河出書房新社)』 他訳可

報告者 : 長野 正 氏     

会 費 : 1000円(学生500円)

10月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。作品『罪と罰』
開催日: 2014年12月13日(土) 午後2時〜4時45分迄





10・4読書会について 



報告者 長野正さんより

 今回、報告を担当させていただく長野です。『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』に次いで、報告するのは3回目になります。読書会に初めて顔を出したのは、平成17年6月(『夏象冬記』)のことなので、あと半年ほどで10年が経過します。
 ドストエフスキーは長編小説型の作家だと思います。トルストイやバルザックも同様です。わたし自身は、日本の作家では三島由紀夫に畏敬の念を抱く者の1人です。三島文学は短編小説が優れているという評価がありますが、『仮面の告白』、『金閣寺』、『宴のあと』、『豊饒の海』等の長編小説を抜きにして三島文学は語れません。それから『近代能楽集』、『鹿鳴館』、『サド侯爵夫人』等の優れた戯曲も書き、それ以上に優れた評論を数多く書いたわけで、その多方面な文筆活動ぶりに眩惑されっ放しです。
「ドストエフスキー全作品を読む会」はこのたび『地下室の手記』を3回にわたって取り上げ、今後は『罪と罰』を皮切りに長編小説の世界に入ります。中編小説『地下室の手記』は難解で、『罪と罰』以降は重厚長大。その間隙を縫うように取り上げるのが『鰐』という短編小説です。この作品を正当に評価することは、思っている以上に難しいかもしれませんが、『地下室の手記』と『罪と罰』を結ぶ、一服の清涼剤になればと思っています。
小説を読むことの原点は、その作品が面白いか面白くないかを自分の感性で素直に受け止めることにあると思います。村上春樹の小説が多くの読者を得ているのは、理屈を超えて面白く感じさせているからではないでしょうか。何回も申し上げていますが、わたしがドストエフスキーの存在を知ったのは中学生のときのことで、1年生で読んだ手塚漫画の『罪と罰』、3年生で観たソビエト映画の『カラマーゾフの兄弟』の2点によって、理屈抜きに面白く感じることができました。
 わたしの報告が皆さんに興味深いものになればいいのですが、冒頭でイラスト等を少し使い、短時間で報告を済ませる予定です。そのあとは、皆さんのフリートークで『鰐』に関してたっぷり語り合っていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。





『鰐』を書いた頃
(編集室)


1864年(43歳)

1月末 新雑誌『世紀』発刊の許可。予告広告文作成。
3月 『世紀』第1、第2号併せて発刊、同誌に『地下生活者の手記』第一部を。
4月15日 妻マリヤ・ドミートリェヴナ、モスクワで死去(1825-64 39歳)『世紀』4号に「地下生活者の手記」第2部掲載。
7月10日 兄ミハイル・ミハイロヴィチ死去(1820-64 44歳)兄家族、『世紀』の負債、2万5千ルーブル
9月 親友の批評家・アポロン・グリゴリエフ死去。
 
1865年(44歳)
     
3月 『世紀』2月号に『鰐』発表。『世紀』はこの13号で消滅。ドストエフスキーの負債、1万5千ルーブル。
6月  『祖国の記録』編集者クラエーフスキイに『酔っぱらい』(『罪と罰』の原型)の掲載を申し込み断られる。
7月  三度目の外遊。アポリナーリヤ・スースロヴァと落ち合う。バーデンでルーレットに夢中。スースロヴァ、パリに逃げる。バーデン到着後5日で所持金すべて失う。正真正銘のオケラ。ツルゲーネフ、ゲルッェン、ヴランゲリ、スースロヴァに借金の申し込み。
夏  『罪と罰』起稿。





読書会プレイバック 


新谷敬三郎先生没後20周年前夜に寄せて

作品『鰐』は、1974年に開かれた一回サイクルの第23回読書会でとりあげられました。
読書会報告は新谷敬三郎先生でした。40年前の読みは、どんなだったでしょう。


『鰐』時代に反応した作品        
新谷敬三郎

 1974年2月16日午後6時、早大文学部比較文学研究室で開く。出席者10名。作品は1865年3月、「エボハ」誌に掲載された小説『鰐』。
 このファンタジックな寓話は、ある進歩的な官吏が見世物の鰐に生きながらにして呑みこまれることの顛末、その結果は如何に、という戯作であって、その表現に風刺の意を寓していることは、一読して誰の眼にも明らかであろう。事実、この小説は、当時のロシアでそのように受け取られていたらしい。進歩的文化人、とくにチェルヌィシェフイキイに対する悪意ある中傷であるという風に。 が、そうした時代の風俗とは無縁な(もっとも、必ずしも無縁ではないかもしれないけれども)われわれ現代日本の読者は、この寓話をどのように読むであろうか。
 
 文学、とくに小説というものは、多かれ少なかれその時代その社会の風俗に反応して書かれる。そうでないと、その作品は、その時代の読者に迎えられない。がその風俗が過ぎ去ってしまえば、作品も忘れられてしまう。大方の文学作品の運命はそういうものである。が、ごく少数の作品は次の風俗に反応を呼び起こす。時代の風俗を超えて、何か普遍的な人情に反応する作品というものが名作と呼ばれて、永い(それも比較的なものだが)生命を保つ。

 ドストエフスキイの小説も、むろん例外ではない。むしろ彼はその当時に人気のある作家ではなかった。彼の書くものは誤解されてばかりいた。彼の人気は死後10年ばかりたってやってきた。そして時とともにその人気は世界中に拡がっていった。

 「鰐」はそういう作家の創作のある一面、時代の風俗への反応の仕方を臆面もなく露出している作品のように思われる。それだけはその風俗に無縁なわれわれにはピンとこない作品である。さまざまな文献によって60年代半ばのペテルブルグ文壇の風俗について想像を逞しくしなければ、この作品はちっとも面白くないのだとすれば、それは現代的意味がないことになろう。もっとも、そこに現代日本のある種の風俗を読みとることも可能であろう。そうするためには翻訳の文体が現代風になんらかのパロディを秘めていなければならないが。

 ところで、田中幸治氏は、鰐の腹のなかは安全地帯であり、一種選ばれた者の特権的な場所であると言われた。それがなぜ、どのように安全地帯であり、特権的な場所なのか、そこへ偶然おちこんで選ばれた者となった男とは、一体何なのか――これはこの作品のおそらく読みどころなのだが、残念ながら、この議論は発展しなかった。議論が発展しなかったのは、こちら側に当時の文壇風俗の知識が不足しているせいかもしれないけれども、そればかりではなく風刺文学が苦手なせいなのだろう。だが風刺文学とは、一体どういうものなのか。この問題提起もあったけれども、これもこうした読書会にありがちなさまざまな理由から、突っこんだ議論はなかった。

 作者自身は「鰐」について、のちに『作家の日記』(1873年「個人的なこと」)で言っている。これはゴーゴリの「鼻」を真似てファンタスチックな話を書いて、読者を笑わせようようとしたにすぎないのだと。ところが「鼻」と「鰐」と、その話のシチュエーションも筋の展開もまったく違う、と指摘したのは柳富子氏であった。――

 ゴーゴリの小説にあっては、鼻を失くした男がその鼻を追跡してペテルブルグ中を駆けずりまわり、そこからいろんなバカバカしいてんやわんやが持ちあがる。ところがドストエフスキーの小説では、主人公は鰐に呑みこまれると、その腹のなかにでんと居座っていて、これでは話の発展のしようがない。この作品独特の語り手「私」の活躍も、このシチュエーションのなかでは存分に発揮されがたい。これはこの種の作品にとって致命的なことではなかろうか。
 どうもドストエフスキイには、ゴーゴリ流のファンタジイも、またヴェルテール流の風刺の才もなかったらしい。





8・23読書会

報告者レジメ

13歳で出あった地下室人    

國枝幹生


今回「地下室の手記」の発表を行う時に大事にしたことは、自分の考えを率直に認めるということである。
 「地下室の手記」との出会いは、中学生の頃だったと思う。「罪と罰」を姉が読んでいたので、自分も読もうとしたが、その時の自分にはあわなくて最後まで読んで、「感想はない」ということだった。その後にもう少し短いドストエフスキーはないかと探して古本市で手に入れたのが「地下室の手記」である。この本を読んで驚いたのが、そこに登場する地下室の主人公は、まさに当時の僕そのものだった。旨い具合に言葉で代弁してくれたのが、ドストエフスキーだった。読み終わった後、あと何年でこの主人公を超える発想をしないと僕もずっと地下室の中のままだと危惧したことを思い出す。

僕は、「地下室の主人公」の言っている自然の法則とか22んが4、と言ったものは自分の中に生れた(生きている)どうしようもない正反対のモノだと考えた。例えば、電車に乗っている時、目の間にご老人が立っていたとする。僕は、席をご老人に譲ったとしよう。これは僕にとって善の行動である。しかし、その善の行動が、相手を「老人化」してしまうのだ。相手はもしかしたら、老人扱いされたくないのかもしれない。席を譲らないとすると今度は自分の気持ちと戦わなくてはならない。だから席を譲っても譲らなくても自分を自分の思いが抑圧されることにある。それが22んが4である。と考えた。

1で憎らしいから医者にかからない。と言っている。
これは、自分の行為が自分の本当の気持ちであるかどうかわからないと言っているように思う。ついで何者にもなれなかったとある。そこは、自分がご老人に席を譲るかどうかの時、わざと譲らないでいることもできるし、悪意をもって出来ることもある。また譲った後で舌打ちをしてもいいし、譲った後恩着せがましく咳払いなんかをしてもよい。つまり自分で自分の行動をどこまで意識するのか、ということについて明確な自信がない。何者にもなれない。ということだと思う。

2 p12の12行目「僕が善を意識し、その「美にして崇高なるもの」とやらを意識することが強ければ強いほど。」とあるのは、例えば席を譲った後に、「もちろん貴方のことを老人扱いしたわけではありませんよ。」とか「僕は今席を立ちたかったからで、譲るなんて大それた事を思ってませんよ」などと、相手の思いそうな反発をできるだけ火消しにかかるようなものである。
p15、2行目。「平手打ちを食くった場合だが、さあ、おれは面目玉をまるつぶしにされて、もう二度と浮かびあがれないぞ、という意識がぐっとのしかかってくるものなのだ。要するに、肝心の点は、結局のところは、万事につけいつも僕がまっさきに悪者になってしまう。」

仮に平手打ちでも受けようものなら、自分の行為に決着がつく。自分が席を譲っても、「大きなお世話だ」とか「年寄り扱いするな」とか言われることで、自分の行為が否定される。それは自分の行為がなんらかの評価を得たということで、平手打ちは、自然法則の怒りでもって(自分の中での対立する評価が)和解されたことになるのでその分嬉しいと感じる。苦痛の快楽の始まりである。

4で歯痛の快楽についてある。
これはご老人に席を譲るかどうか迷っている時ではないだろうか。つまり目の前に杖をついたご老人がいて、明らかに譲って欲しそうな態度をとっている。その時に、自分の善の行為から譲ってやろうと思っても、相手が譲って欲しそうな顔をするからというだけの理由で譲らないことがある。それは一種の快楽で、自分の正義を犠牲にしてあえて傷口に塩を塗る、屈辱感の喜びであるかもしれない。

7で「それは他のどんな利益にもまして、貴重な、有利なものであり、そのためには人間、必要とあらば、あらゆる法則に楯つくことも辞さない、つまり、理性にも、名誉にも、平和にも、幸福にも。一口で言えば、これらの美にして有益なるものすべてに逆らっても、なおかつ自分とってもっとも貴重な、この本源的な、有利な利益を手に入れようとするのではないだろうか。」自分の自由な恣欲のままにいたいという思いではないだろうか。

8で恣欲と理性について語っている。
p41最後の行「いつの日か、ぼくらの恣欲やら気まぐれやらの方程式がほんとうに発見されてだ、それらのものが何に左右されるか、いかなる法則にもとづいて発生するか、どのようにして拡大していくか、これこれの場合にはどこへ向かって進んでいくか、といったようなことが分かってしまったら・・・」
ここの所は、「ご老人に席を譲ること」の例えでいうと、ご老人に席を譲り、それを理性により拒否されるということに出会った時に相当する。自分の最初に出てきた感情を「恣欲」(自分の行動を、善の行動と意識することによって欲となる。)とするとそれから方程式「自然の法則、22んが4」によって、ご老人が断ったことによって自分が「傷つく」あるいは、自分が「反省させられる」などを通すことによって計量されてしまったら、最初の恣欲から自動的に次の感情が計算される。まさにそれがピアノの鍵盤、オルゴールのピンとなる。

以上のような感想から。
より良い社会、人間になるためにという事を意識した行動(ご老人に席を譲る行動)は輝かしいものである。だからそれを否定された時はムキニなって怒ったりする。そんなことをするくらいなら、最初から理想を掲げる必要はないとも言われる。しかし、それでも少しでもいいから世の中のためになろうとすると、考えを抜くのではなくより深く考えることが大事だと思う。例えばご老人に席を譲った時「年寄り扱いするな」と言われても、最初の自分の譲ろうとした行為が否定されたわけではないと考えることはできる。そんな考え方もあるものかとデータをとっておくこともできる。

地下室の手記から学んだことを活かして生きたいと思うが。地下室から抜け出すために考えたことは、考えに序列はないということだ。5歳の人生観も80歳の人生観もどちらが良いという事はない。それぞれに置かれた立場での考えだ。あらゆる状況を加味した考えがあると思うのが間違いだ。そして考えというのは、トレードオフの関係にある。片一方を言うことが、その影で失われる一方をおいやってもより良いとされるのか?ということである。それでも僕はまだ地下室から出られていないように思う。それは、自分が知っているということを前提にしているからだ。

p15、6行目。「僕が周囲の誰よりも賢いのがいけない。」
自分の席を譲るという行為はもちろん知っているし、次に相手の行動を予測することもできる、その次の自分の行為も予想することができる。つまり自分が賢いということと自意識が合致している。
次の作品でも、知っているというのはどういうことなのか考えたい。




読書会報告


参加者16名。『地下生活者の手記』3回目最終回は、熱く議論沸騰

 猛暑、雷、突風、集中豪雨。ことしも異常気象がつづく夏だった。が、『地下室』3回目の読書会は、本音がでる熱気溢れた質疑応答だった。報告者の國枝幹生さんの独創的報告に触発されて、様々な感想・意見がでた。

・報告者、12〜3歳のときに読んだに驚嘆
・「作品は、わかりづらかった。5回読んだが難しかった。三島の『仮面の告白』を感じた」
・「読めば読むほどわからなくなった。人間は、どんな人間も共通点がある。かけ離れたところがない。『ぼた雪』のところに行くと、こんなに嫌な人間はいないのではないか。読めば読むほど面白くなる本。醜態をさらすのが理解できない。特殊な人。まともな人間関係を築けない後ろ向きの人間。人間の悪いところばかりでている。ノーマルではない、頭だけの人間。」
・「自分に地下室はない。何回、読んでもわからなかった。22んが5でもいいではないか、ここは同感する。『ぼた雪』はいらない。嫌なところ」
・「面白かった。14年ぐらい地下室人をやっている。ホームレスの絶望感・劣等感などヒットラーと共通するところが…。邪悪なものがよく書かれている。24歳から穴倉に入っているので自分の問題としてとらえている。人間の本性を掘って書かれている。追い込まれたネズミでしかわからない気持ち」
・「考えに序列はない、とは何か。この話は、素直に考えたこと。一番好きな作品。(地下室から抜け出すには)『カラマーゾフの兄弟』を読んだら抜け出せるのでは」
・「昔に読んだ作品。『ぼた雪』は記憶にある。愛情は憎悪の裏返し。内面か、想像か。とにかくネクラな人」
・「いろいろな考えがある。相手の反応を考えない。自分を責めている」
・「リーザへの告白。自分も同じように不幸。地下室、快楽、自己犠牲」
・「村上春樹との共通点。『海辺のカフカ』に探る。地下室をどう認識するか。今回はじめて、この作品には、悪(魂)を押え込む力があることを知った。」
・地下室人を「何いってるんですか、と叱ってやりたい」




連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像  
(第55回)小林秀雄の「ムイシュキン」から「物のあはれ」へ
 山城むつみ「小林秀雄とその戦争の時」『ドストエフスキイの文学』の空白

福井勝也


 前回は本連載の他に、亀山郁夫氏の小説「新カラマーゾフの兄弟」(第1部)の感想を書かせて頂いた。その際、あえて「同機」という造語をキーワードに使用した。遅まきながら字句の説明をすれば、元々の「同期・同調」(シンクロナイズ)という言葉に、「機縁」という言葉(小林秀雄はその「白痴」論で、ムイシュキンを「機縁」の人と説いた)を重ねたものと理解して頂ければ有り難い。
 
 今回上掲の山城むつみ氏の新著(2014.7.30、新潮社刊)にも、当方の問題意識と不思議に「同機」する新たな記事が連続した。例えば、小林にとっての河上徹太郎という批評家の存在意味、詩人中原あるいは小説家大岡と批評家小林、その三者の文学的実存の諸関係、さらに保田與重郎の「絶対平和論」(1950)、中村昇氏の『ドストエフスキーとウィトゲンシュタイン』(2007)郡司義勝氏の解説文、下記言及の「小林・河上の最後の対談」など引用文献と丁寧な注記が圧巻であった。どれも以前から当方が関心を持ってきた対象で不思議な機縁を感じた。

 同時にこれまで感じなかった、山城氏の叙述における「ゆらぎ」が気になった。それは、引用資料に向かう「目線」・「手付き」が、『新潮』(2013.4月号)掲載の「原文」から「本著」への微妙な論旨変更となって目についた。結果、小林の戦中戦後の姿勢を論ずる山城氏の「語り口」に改めて違和感を覚えた。端的には、現在通有している「歴史認識」という言葉の安易な影響と、その反対に小林が語ったはずの「歴史感」との本質的違いがそこにあると感じた。具体的には、本論文末でも引用されている小林と河上との対談(「歴史について」1979)に向き合う姿勢、キーワードにもなっている河上の「歴史のおそろしさ」という言葉の「読み」の問題となって顕在化している。

 折角なのでもう少し言わせてもらう。山城氏が本論で、河上の1870年代に焦点をあてたドストエフスキー論(『近代史幻想』(1974))に注目したのは、さすが大著『ドストエフスキー』(2010)を上梓した氏の慧眼であった。さらにドストエフスキーの1870年代以降(『悪霊』以降)を、小林の戦中戦後の時期に重ねる氏の視線にも批評家独自の視線を感じた。そしてそれが、上述の河上の「歴史のおそろしさ」という言葉の問題に焦点化されて、小林に「はっきり念を押した」のだと山城氏は指摘するに至る。問題は、この河上が小林に「念を押した」その中味の見定め方にかかっていると思った。

 この点で、本論末尾での結論的表現(p.210)は、山城氏が小林に学んだドストエフスキー読みの原理からの逸脱が見て取れる。端的に言えば、排除すべき「テクストの外部」(『ドストエフスキー』p.342)の介入が許されていると見た。そこには、音盤からの聞き取り記録や、対談の活字版でも小林が強調していた、しかし何故か山城氏が触れずにいる「歴史の魂はエモーショナルにしか掴めない、という大変むつかしい真理」の問題が重ねられていたことである。河上の「歴史のおそろしさ」という言葉もそれに付随して語られている点を見落としてはならない。

 当方は近時、小林秀雄における晩年のドストエフスキー批評とライフワークの『本居宣長』(1977)を連続する問題として捉え、「ムイシュキン」から「物のあはれ」へという標題の議論(本年5月「例会」)をしてきている。これ自体、ここ十年位、「山城ドストエフスキー」の根幹にある小林秀雄の文学的視座を基本として延長的に考えてきたことである。その途中、山城氏の大著『ドストエフスキー』(2010.11)を高く評価させて頂き、本欄でも『ドストエフスキー』発刊に至る山城氏の文章に「同機」したコメントを書いてきている(「通信121」など)。

 しかし昨春、その流れが自分のなかでで変化した。それは本著の原文である『新潮』(2013.4月号)掲載の批評文(「蘇州の空白から 小林秀雄の「戦後」」、没後30年特集)を読んで以降になる。原文の読了直後、当欄においてその「後味の悪さ」について言及した(「通信137・138」)。従って、その大筋をここで繰り返すつもりはない。むしろ今回は先述した、原文が単行本化される「変貌」に疑問を持ったという話だ。端的言えば、「原文」で断定的に語られた「小林秀雄の戦後」の出発点が「本著」で不分明に変質していると読んだ。雑誌掲載の原文の修正は勿論ありうることにしても、隙のない議論を緻密に積み上げてきた山城批評だけに、読者としてそこに「ゆらぎ」を感じた。山城氏は何か戸惑っていないか。

 「原文」のエッセンスは、小林秀雄という希代の批評家が、政治的宣言である「平和憲法」の「戦争放棄条項」に匹敵するものとして戦後の「『罪と罰』について」を書いたが、「加害者の位置から進んで脱落する」ことを躊躇したことで、その後のドストエフスキー論(「「白痴」について」)を破綻に導いたという概要であったはずだ。そして今回の新著では、その骨格になるべき断定的文言が薄められたのか、何処かへ行ってしまっている。

 ここでの小林批評の戦後出発点の問題は、元々、その終点の山城氏の見定め方とセットになっていた。山城批評の原点になる文章「小林批評のクリティカル・ポイント」(1992)は、小林最後のドストエフスキーに批評となった『「白痴」について』(1964)を「クリティカル・ポイント」という言葉で集約したもので、その批評の到達点が同時に分岐点となって、それ以降批評の強度が下がり『本居宣長』に転轍されたとする内容であった。近時の当方の小林批評への見解も、元々山城氏の「クリティカル・ポイント」説に触発されながら、結論において異なる見解へ導かれてきた。そしてそのこと(「クリティカル・ポイント」説の批判的継承)を急に意識させられたのが、本著の原文となった『新潮』掲載の「小林秀雄の戦後」という文章であった。やや以前の繰り返しになるが、この「原文」の結論的部分をここで改めて引用しておきたい。

 「<人間>はつねに加害者のなかから生まれる。・・人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は、人間が自己を人間として、ひとつの危機として認識しはじめる場所である」という「ペシミストの勇気について」の格言引用後、山城氏は次のように書いていた。

 「自分のうちに「確固たる加害者」を本当に認知するに至ってはじめて、そのことに衝撃を受けた「或る危険な何ものか」が「加害者の位置から進んで脱落する」。そのときはじめて、自己のうちに発見したその「確固たる加害者」の胎を裂いて、「戦争放棄の宣言」に匹敵する「一人の人間」が生まれるのだろう。「『罪と罰』について」は、まさしくそこへ向かっての「創作」の試みであり、思考錯誤の記録である。むろん、そこに記されているのはまだ「破片」にすぎない。しかし、「戦争の放棄」に匹敵する実質はこのカケラからしか出て来ない。それこそが、ただそれだけが、小林が「日本国憲法」という「政治的宣言」に対置し、その「戦争放棄という文」に匹敵させようとして結晶化させた実質なのだ。このリナンシエイション(一般的には「再生」「復活」の意味、筆者注)が限りなく苦しい軌跡と限りなく困難な前途とを持っていることは言うまでもない。(『新潮』(2013.4月号)p.157)

 さらに、もう一箇所引いておきたい。『新潮』原文のほぼ最終部分の文章になる。
 「さて、小林秀雄にとって「リザヴェタ」とは誰だったのか。小林の「『罪と罰』について」の影響下、大岡昇平は『野火』の主人公がフィリピン人男性を射殺しようとする瞬間、主人公に「ドストエフスキイの描いたリーザとの著しい類似」を垣間見させている。「リザヴェタ」は「ここ」(「そこ」と対立的に使用される本論のキーワードで、端的には、小林が従軍記を書いた中国の戦地を「そこ」と称し、帰国した内地を「ここ」と称している、筆者注)の人ではない。

 エジプトのモーセのように、アフリカのイエスのように、「そこ」(前注に同じ、筆者)の人だろう。では、小林の場合、「そこ」の人とはどこの誰だったのか。そして、小林は小林の「リザヴェタの幽霊」に出会うべくどんな「ソオニャ」に向き合っていたのか。殺した「リザヴェタ」において抑圧されたものはどんな「ソオニャ」に幽霊(不気味なもの)として回帰して来るのか。いや、そもそも、丸太の上に腰を下して黙想する小林のかたわらに「ソオニャ」は腰かけて来ていたのか。 緻密な外観にもかかわらず「『罪と罰』について」はこの一点から綻びる。次の「『白痴』」について」で破れはさらに大きくなる。小林は迷走した挙げ句、記述を突然、切断するのだ。『野火』の主人公のように「静かに銃をさし上げる」にはついに至らない。武器を放棄して「加害者の位置から進んで脱落する」には至らないのだ。(『新潮』(2013.4月号)、p.160)

 実は、今回山城氏の「原文」を引用したのは、『新潮』掲載文の結論ともとれる上記文章が今回の「新著」には、見当たらないからだけではない。同時にこの議論の前提になっていた、小林と対照的に「加害者の位置から進んで脱落」し「戦争の放棄」を実践したとして高く評価された『野火』がその文脈の解釈を変更され、作者大岡のこの点での評価が小林よりも逆に後退しているからだ。その結果なのだろうか。その補論のように新たに付加されたのが武田泰淳の「ひかりごけ」と森有正のエッセーであった。さらに大岡の『野火』もその解釈の後退から、『武蔵野夫人』へと問題が移動させられている。つまり「シベリア」(「戦場」)から戻った復員者(「戦後の小林」)は、「ラスコーリニコフ」から「ムイシュキン」へとシフトしてゆく。

 いずれにしても、前回この件に接して当方が拘ったことは、「ドストエフスキイの描いたリーザとの著しい類似」に駆られた『野火』の主人公の行為は、山城氏の論旨の流れでは意味が通らないということであった。すなわち主人公は、リーザに擬せられたフィリピン人の男を殺すべく発砲するが、未遂に終わっている。そして発砲の動機は、小林経由の「罪と罰」に対する大岡の反発心からで、山城氏はそれを(故意に?)見落としていた。元々、大岡に問題なのは殺してしまったフィリピン女だけで、それ以上大岡に「リザヴェタの幽霊」など出現しようがないのだ。この文脈を「誤読」した山城氏の上記論旨は元々成立不能のはずだ。それに気が付いたか、新著からこの件は脱落させられ、大岡の『野火』評価も揺らぐことになった。そしてこの議論は奇しくも、当方が指摘した本来の論点へと移行する道筋になった。

 つまり元々ここで問題とされるべきであったのが、大岡の『野火』に込められた小林への屈折した心理であった。今回山城氏は、この点を巧みに秋山駿の批評「小林秀雄の戦後」(1967)を援用して、中原中也の小林批判の言葉(「ヴァニティ」・「魂のこと」)を、大岡(「復員者」)経由で語らせてゆく(p.211、注2)。これ自体大事な議論で、当方も興味深く読んだと述べておく。しかし議論の道筋は妙なままになっている。この辺の批評の進展を、原文の「書き換え」と言ってしまえばそれまでだが、この『野火』の誤読には、先述の「排除すべき外部テクストの介入」が先行していると感じた。その意味の誤読を放置したまま、議論の「転身」を見させられた読者として釈然としないものが残ったということだ。

 結局山城氏は、小林秀雄という批評家が生きた「戦争」という問題を、その「作品」に見定めようとした。しかし書き改める過程でその批評の重心が揺れているように見えたが、同時にその事態は、処女批評から連続した問題でもあった。そんなことを思いながら、新著を読んでいたら、「まえがき」の文章の一節が目に止まった。今回のスペースも尽きたので、これを引用してとりあえず終わる。できればもう少し山城批評について考えてみたい。今回の新著の内容に「同機」させられた部分が多いのだから。

 「本書は、小林秀雄の全体像を描き出そうとしたものではない。僕は小林秀雄の全体像を知らない。35年以上も前から今に至るまで、僕にとって小林は、ドストエフスキーを読んでいるとその行く先々で障害物のように立ちはだかるものとしてあった。その抵抗だけが僕の知っている小林秀雄だ。小林秀雄像としてはおよそ偏頗なものだ。だが、偏頗であっても、自分の肉に切実に切り結んだ断片から奥に入り込めるなら、そこで見えたものだけでも、僕には手に余る。20年前の「小林批評のクリティカル・ポイント」では、小林秀雄の総体を論じているかのように偽装したが、そんな辻褄合わせをするつもりも、その余裕も今はない。抵抗点がかたちづくる偏頗な輪郭線を、偏頗なまま描いたのが本書である。」(p.9)

 大変謙虚で抑制の効いたストレートな文章だと思った。元々の山城氏らしい文章に接して、批
評家の本質に触れたように感じながら、反対にあえてこのような文章を吐露する新著が持つ意味を改めて考えさせられた。氏にはもう一つ、自分の処女評論について正直に語った小林生誕100年(2002)の際に語った文章がある。山城むつみという批評家とここ20年以上「同機」してきた僕にとって記憶に残る一文である。次回に譲りたい。(2014.9.11)




人間の謎
 (編集室)     


「無敵の人」と地下生活者 


 日本は戦後、凶悪犯罪が大幅に減った。特に減ったのは若い男性の犯罪だ。2012年に殺人で検挙されたのは899人で、50年前の2503人の3分の1ほどになった。29歳以下の男性の割合は、50年前の56%から16%に激減した。この数字が示すように近年、若い人の凶悪事件は減ってきているといわれる。社会が安定してきているからと識者は分析する。だが、動機のないわけのわからない殺人事件は、増えているという。

 理由のない不可解な事件とは何か。生きていても仕方がない。自分で死ぬ勇気がないから、死刑になって死にたい。が、死刑になるには殺人を犯さないと――。しかし、日本の法律は一人殺しただけでは死刑にならない。最低2人は殺さなければならないのだ。大勢殺せば、それだけ死刑になる確率が高くなる。そこで無差別殺人を起こす。全くわけのわからない理屈だが、実際に事件は起きて、犯人は、いつもそのように自供している。

 この類ですぐに思い浮かぶのは、数年前、秋葉原で起きた通称「アキバ事件」だ。東海地方の自動車会社で派遣社員として働く青年。彼は、自分には友人も恋人もいない。人生の目的もない。そんな理由から上京し秋葉原の交差点の人混みでトラックを暴走させ大勢の人を殺傷した。が、それでも足らず車を降りてから逃げる通行人をナイフで襲い、次ぎ次ぎ刺した。その結果8人の人たちが殺害され、多くの人たちが重軽傷を負った。非道で憎くむべき犯罪である。だが、驚いたことに共感する若者がいた ?!

 なんとも奇っ怪で恐ろしい。彼らをつくりだしたのは格差社会だ、という指摘もある。現代が産んだ悪魔か。しかし、昔も、似たような事件があった。昭和44年に起きたピストル連続射殺事件それだ。ガードマン、タクシーの運転手といった人たちが4名も貴い命をなんの理由もなく突然奪われた。逮捕された20歳の若者は、法廷で、事件を起こしたのは貧乏のせいだ、と反論した。そうして『無知の涙』という本を書いた。その本は、ベストセラーになり、印税を被害者家族に渡したという。(拒否した家族もいたという)彼は獄中結婚もした。刑は執行されたが「貧しい育ちで、勉強のチャンスがなかった」と訴えつづけた。人を妬み、恨み、自分の人生を悲観した果てに犯罪に走る。

 こうした事件が起きると、よく『地下室人』が引き合いにだされる。8月読書会でも「ひきこもり」「劣等感」「負い目」から一挙に「反撃」「ヒトラー」という言葉もでた。はたして彼らと地下室人は同族なのだろうか。それとも、似て非なるものか。

 この夏、人気漫画「黒子のバスケ」裁判を新聞で読んでいたら、上記の事件を思い出した。人気漫画家を妬んで脅迫事件を起こした36歳の青年の新聞記事だ。青年は、犯行動機を、
「人間関係も社会的な地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗」がなかった。と陳述し、そんな自分を「『無敵の人』とネットスラング(ネット上の俗語)」しますと宣言した。そして、「これからの日本社会はこの『無敵の人』が増えこそすれ減りはしません」と述べた。この意見陳述は、波紋を広げた。「無敵の人」に怒る人もいたが、社会はどう受け止めるべきかと、真剣に議論する人もあらわれた。

  陳述書を全文掲載した雑誌「創」編集長の篠田博之さん(62)が、逮捕直後に初めて接見したとき被告は「これは格差犯罪です」と話したという。被告は、地元の進学校を卒業後、大学受験に失敗。アルバイトや派遣の仕事を転々とした。年収が200万円を超えたことはなかった。年齢が30代後半になって、逆転も不可能だと思え、将来に希望が持てなくなった。それでたまたまみた人気漫画家が憎くなった。一見、スマホやゲーム時代故に起きた事件のように見える。が、人の成功を妬んでは、よくある古典的事件と代わりはない。

 いずれにせよ「人間を殺してみたい」や「死刑になりたいから殺す」は、違いはどうあれ、人間の謎である。「地下生活者の手記」と「無敵な人」との対話、秋の夜長に想像してみたい。ちなみに先の対談では、現代風俗嬢に敗北している。 (「読書会通信」編集室)


近 刊

黒澤明と小林秀雄 ― 「罪と罰」をめぐる静かな決闘  高橋誠一郎著 2014

漱石の黙示録  森和朗著 鳥影社 2014

小林秀雄と黒澤明  高橋誠一郎著 成文社 2014.7.31

ドストエフスキー論全集7:『オイディプス王』と『罪と罰』 清水正著 D文学研究会 2014


絵画展  小山田二郎生誕100年展(1914-91)

府中市美術館、今秋11月8日(土)〜 2015年2月22日(日)
「生誕100年 小山田二郎展」開催予定。代表作「ピエタ」(1955)

演 劇 

来年、シアターXで「白痴」公演、再開     
東京ノーヴイ・レパートリーシアター JR両国駅徒歩3分 03-5621-1181





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