ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.145  発行:2014.8.12



第264回読書会のお知らせ


月 日 : 2014年8月23日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7(池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品 : 『地下生活者の手記』3回目 米川正夫訳3巻(河出書房新社) 他も可
報告者 : 國枝 幹生 氏     

10月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。報告者、國枝幹生・及川環

開催日 :  2014年10月4日(土) 午後2時〜4時45分迄です


大阪「読書会」案内 

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪読書会の第24回例会は、以下の通りです。

8月23日(土)14:00〜16:00、
会場:まちライブラリー大阪府立大学 参加費無料 作品は『地下生活者の手記』
〒556-0012 大阪市浪速区敷津東2丁目1番41号南海なんば第一ビル3FTel 06-7656-0441(代表)地下鉄御堂筋線・四つ橋線大国町駅@番出口東へ約450m(徒歩約7分)
お問い合わせ 小野 URL: http://www.bunkasozo.com 




8・23読書会について

暑気払いは『地下生活者の手記』3回目(最終回)

報告者は、國枝幹生さん

 4月、6月と『地下生活者の手記』を2回行いました。1回目は、近藤靖宏さん、2回目は、前島省吾さんでした。それぞれ違った視点から特徴のある報告でした。3回目の今回は、國枝幹生さんです。なお、『地下生活者の手記』は、今回の3回目で終了致します。





『地下生活者の手記』を書いた頃
 (編集室)

賭博、マリヤ夫人の死、兄ミハイルの死、親友アポロンの死、借金

1863年(42歳)

8月 アポリナーヤ・スースロヴァと再度の外国旅行。一人下車したヴィースバーデンの賭場で5千フラン儲ける。このとき以来、賭博熱にとらわれる。
9月 バーデンでルーレットに沈溺。所持金全部失う。帰国の途につくがハンブルグで賭博。無一文に。パリのスースロヴァに送金を頼む。
10月中旬 ようやくペテルブルグに帰還。
12月 伯父クマーニンの遺言により3000ルーブルを得る。冬 マリヤ夫人の肺患昇進。モスクワで夫人の看病。

1864年(43歳)
    
1月末 新雑誌『世紀』発刊の許可。予告広告文作成。
3月『世紀』第1、第2号併せて発刊、同誌に『地下生活者の手記』第一部を。
4月15日 妻マリヤ・ドミートリェヴナ、モスクワで死去(1825-64 39歳)『世紀』4号に「地下生活者の手記」第2部掲載。
7月10日 兄ミハイル・ミハイロヴィチ死去(1820-64 44歳)兄家族、『世紀』の負債、2万5千ルーブル
9月  親友の批評家・アポロン・グリゴリエフ死去。

1865年(44歳)
  
3月  『世紀』2月号に『鰐』発表。『世紀』はこの13号で消滅。ドストエフスキーの負債、1万5千ルーブル。
6月  『祖国の記録』編集者クラエーフスキイに『酔っぱらい』(『罪と罰』の原型)の掲載を申し込み断られる。
7月  三度目の外遊。アポリナーリヤ・スースロヴァと落ち合う。バーデンでルーレットに夢中。スースロヴァ、パリに逃げる。バーデン到着後5日で所持金すべて失う。正真正銘のオケラ。ツルゲーネフ、ゲルッェン、ヴランゲリ、スースロヴァに借金の申し込み。
夏  『罪と罰』起稿。





6・28読書会報告 


6月読書会は17名参加がありました。

前島省吾さん『地下生活者の手記』報告

「『地下生活者の手記』とは何か?」「虫けらにもなれなかった男」について大いに語る

 『地下生活者』2回目は、前島さんの報告でした。「今回は素直に本文だけを読んでみたい」として、本作品の丁寧な再読によって「恨みやあてこすりの陰で」地下室人が真摯に訴えようとしたことは何んであったかに迫った。質疑応答には、活発な意見がでた。





ドストエフスキー文献情報
 提供=佐藤徹夫さん
前号に掲載できなかった情報    


〈専載書〉

・『ドストエフスキー』勝田吉太郎著 第三文明社 2014.4.30 \3500 358P 19.6p
※初版:潮出版社  

〈収載書〉

・『50歳からの名著入門』齋藤孝著 海竜社 2014.2.16 \1200+ 285P 17.3p
    ・3章 生と死、人生を見つめる――生きることの根源を知ろう
        カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー 深い人間になる P126-141
・『大人のための世界の名著50』木原武一著 KAWADE 2014.2.25 \800+319P 15p
〈角川文庫1823=角川ソフィア文庫C・114−1〉
     ※初版:『大人のための世界の名著 筆読書50』海竜社 2005.7.11 \1500+
    ・2 人間を知るために ・『罪と罰』ドストエフスキー P104-109
・『本の魔法』司修著 朝日新聞出版 2014.2.28 \800+ 318P 14.9p〈朝日文庫〉
     ※初版:白水社 2011.6.15 \2000+ 
     ・T・闇―『埴谷雄高全集』『埴谷雄高ドストエフスキイ全論集』埴谷雄高
P44-63
・『内村鑑三』富岡幸一郎著 中央公論新社 2014.3.25 \914+ 284P 15.2p
      〈中公文庫 と・30・1〉
     ※初版:リブロポート 1988.7.5 \1400 〈民間日本学者・15〉
     ・第5章ロマ書への道 2(で、ドストエフスキーの作品に言及)P171-212
・『まるでダメ男じゃん! 「トホホ男子」で読む、百年ちょつとの名作23選』
     豊崎由美著 筑摩書房 2014.3.25 \1600+ 254P 18.8p
     ・橋田壽賀子ドラマもまっ青なダメ男見本市。
        ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』P28-45
・『ドラマチック・ロシア in JAPAN 日露異色の群像30―文化・相互理解に尽くした人々』長塚英雄責任編集 東洋書房 2014.4.1 \5000+ 503P 21.6p
     ・13 片上伸(1884-1928)早稲田大学露文科の創設者/大木昭男 P209-226
     ・18 米川正夫(1891-1965)日本のロシア文学を牽引した米川正夫/加藤百合
     ・鳴海完造(1899-1974)ロシア文学者鳴海完造の生涯をめぐって/中村喜和 
        P359-381
・『世界文学をDVD映画で楽しもう ! 』大串夏身著 青弓社 2014
フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』(1866)P109-111
・『東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ』辻原登著 朝日新聞出版
     2014 巻末:学生の課題レポート
・第二講義 ドストエフスキー『罪と罰』を読む ―人殺しの残酷な物語はなぜ読み継がれてきたのか P63-160

〈逐次刊行物〉 

     ・〈朝の風〉ある女性翻訳者の生涯/(響)「しんぶん赤旗」2014.2.26 P9
※映画「ドストエフスキーと愛に生きる」について
(ドイツ語訳者 スヴェトラーナ・ガイヤ Swetlana Breier)
     ・「ドストエーフスキイ広場」No.23(2014.4.26)110P

〈図書〉

・『カラマーゾフを殺したのは誰か? 世界の名作でリーガルマインドを』
    津田岳宏著 ディスカヴァー・トゥエンティワン 2014
・『ドストエフスキー』ヴィリジル・タナズ著、神田順子、ベリャコワ・エレーナ訳
      祥伝社  2014
・『小林秀雄とその戦争の時 「ドストエフスキイの文学」の空白』
      山城むつみ著 新潮社 2014.7
・『和田誠シネマ画集』和田誠著 ワイズ出版 2014
      ・文学者たち フョードル・M・ドストエフスキー p14-15
         ※映画の簡略リストと肖像

〈逐次刊行物〉

・ドストエフスキーの「戦争論」/三浦小太郎 「表現者」55(2014.7.1)P106-113
・ドストエフスキーの「おとなしい女」は何時、柩に入れられたか ? /国松夏紀
       「むうざ」29(2014.7.1)P4-14
・『悪霊』と「偉大なる罪人の生涯」チーホン像 ―― 聖人ザドンスクのチーホンの生涯と  
       思想を手掛かりとして ―― / 齋須直人
       「同上」P46-64
・新カラマーゾフの兄弟 第一部/亀山郁夫 
「文藝」53(5)(2014.7.7=2014 autamn)P54-209
※初小説、第一部600枚一挙掲載
※文末(P209):「以下書き下ろしを加え、『新カラマーゾフ兄弟』は小社より来春刊行予定となります」
※巻末(編集後記)にも記載あり
※「朝日」7.22夕刊の記事参照!
・もろくも強い 血のつながり 長田育恵書き下ろし文学座上演
「朝日新聞」2014.7.17 夕刊 P3
     ※「終の楽園」(ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』をモチーフとする家族劇)
     ※文学座アトリエの会で7/26〜8/9 「てがみ座」が上演
・ロシア文学者・亀山郁夫が初小説 「新カラマーゾフの兄弟」執筆中/佐藤雄二
        「朝日新聞」2014.7.22 夕刊P3
・〈書評〉歴史という怪物との格闘 ――山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時 「ドストエフスキイの文学」の空白』/富岡幸一郎
   「波」48(8)=536(2014.7.28=2014・8月号)P26-28





<同機>する小説「新カラマーゾフの兄弟」の<動機>をめぐって

<新小説第1部>「感想」、亀山先生への書簡として

福井勝也

 ご恵贈頂いた『文藝』掲載の「新カラマーゾフの兄弟」(第1部)、先週日曜日(7/26)に読了致しました。ここに「感想」を記してご返信申し上げます。当方には十分予想されたことでありましたが、ともかくこの度の「小説家デビュー」おめでとうございます。本小説は、「ミステリー」「パロディ」という言葉がすでに「序文」に見え隠れしていて「エンターテインメント小説」としての骨柄を現しながら、同時に亀山先生の原作「カラマーゾフの兄弟」への飽くなき考察による「本格小説」と拝察致しました。今回、その執筆動機を推察しつつ「感想」を述べ、小説家亀山郁夫氏の謎に迫る一歩にできればと思います。

 読み始めて間もなく、物語に傾斜してゆく自分が「何か切実なもの」に浸食されてゆく不思議な感覚に捕らわれたことをまず告白しておきます。そして未だ1/4未満しか書かれていないこの後の物語の展開に、やはり「切実な期待と不安」が余韻となって持続していることにも触れておきます。その感覚に端的に触れれば、今回の「新カラマーゾフの兄弟」に僕自身が「同機」しているということかもしれません。それには何より小説の興味深い設定(「物語の時空間」)があると感じますが、それだけではない、ここ十数年程の僕自身に纏わる出来事が関与しているようです。個人的な部分の言及はなるべく避けたいのですが、僕自身が男三人兄弟の二番目で、この間に母(2000)と父(2009)をその順で亡くし、相続という親子最後の節目の経験もしてきました。「何かを平等に分けるというのは、そんなに簡単なことではない」という嶋省三の言葉も自身の経験的実感です。僕は、長男黒木ミツルと同年生まれで、弟は次男イサムと同年であります。転職後、都内の実家で父の商売を継いだことが僕の大きな転機(1992)となりました。勿論「物語」との違いも大きいながら、例えば僕の父も兵午のように生前時計を集めていて、それを遺産として兄弟で分けた記憶など意外なディテールが僕を物語へ強く誘う動機になりました。

 それとさらに自分を「物語」に「同機」させた大きな要因は、小説が語られてゆく時期がまさに1995(平成7)年であるということです。この時点で、僕自身はすでに商売を父の下でしていましたが、個人的には母が最初の心筋梗塞で倒れたり、家族が病気で入院したり(いずれも9月)とその後の転機ともなる重要な年でありました。亀山氏はその書き出しの「作者より」で、この年がわが国の戦後史における「転換点」として刻まれてあることに触れています。そして「新小説」が、この年の夏8月末日から9月にかけての数日が舞台で、13年前の「父殺し」が暴かれてゆく成り行きが、この「序文」から本文へ頁をめくってゆくとすぐに予想可能となります。少なくとも原作「カラマーゾフの兄弟」の既読者にとっては、その「パロディ」であり「長大なミステリーの探偵」小説でもあると告白された「序文」だけからでも、「ネタバレ」承知で原作者ドストエフスキーも巻き込んで読者を挑発的に物語に引き込もうとする、作者の複雑多様な執筆意図(「仕掛け・謎」)が読み取れます。

 そこで確かめねばならないのが、この「新小説」を書く亀山氏の真の動機の諸相です。その一つが、氏が拘って来た原作の書かれざる続編を空想すること、その空想をこの95年に「同機」した小説として仕上げようとしている意図であります。この点は、この小説のもう一人の主人公が、作者(=「亀山氏」)の「分身」である「K」氏となって「長大なミステリーの探偵」役まで担わされてゆくことと不可分になっています。さらに村上春樹の小説世界を意識したような「パラレル・ワールド」の小説スタイルをとったこととも関係しているはずです。ここには、原作の序文に仕掛けられた謎を解き明かそうとする亀山氏の執念が、新小説の深い動機になって(同機しつつ)ここまで転移してきたことにも気付かされます。

 そして次ぎに、その亀山先生が「新小説」を書き上げた動機(意欲)が読者をも巻き込んでゆく運びになります。僕自身が「新小説」を読んでいて、物語に「同機」したことを自身のプライバシーにまで触れて述べようと思ったのは、冒頭で触れた「<何か切実なもの>に浸食されてゆく感覚」を具体的に確認したいからでした。これは極めて個人的なものでありながら、同時におそらくバブル崩壊期から今日まで僕自身の隠された真実に触れるものでしょう。言い直せば、それは現在に繋がるこの時期、この日本の東京という都市を生きた者たちに浸透するコアな時代意識の背後の何ものかでもあります。実は、今回「新小説」執筆の最大の動機は、その「謎」の解明探求にあると感じました。この問題は、ロシアをも巻き込んだ東京での「地下鉄テロ事件」として現出した「世紀末宗教事件」と深く切り結んでいるわけで、この点がこれからの物語展開の格になることが期待されます。僕はかつて、この95年の事件について、ドストエフスキーと中上健次の小説に言及しながら、現代日本における「父親殺し」の問題を語ったことがありました(1996.6、『ドストエフスキーとポストモダン』2001.1所収)。さらにほぼ同時期「ドストエフスキーとオウム真理教」という項目で、当時亀山氏が書かれた「世界の終末はロシアより・・」(1995.8『imago』特集号−オウム真理教の深層−)にも言及したことがあります(1995.12、「現代における魂の救済」上記拙著所収)。どうやら、僕自身が「序文」でターゲットにされた「世の中に少なからずいる、95年という年号に今もって異様なこだわりをもっている人々」ということになるでしょうか。

 小説を書くということ、そして読者を獲得するということは、結局は作家の個人幻想を前提にしつつ、さらに対幻想から時代の共同幻想にまで読者を誘うということなのでしょう。無論それだけに終わってもならないわけですが、いずれにしてもそのためには、作家の作品に対する強い動機付け(衝動?)が必要なのでしょう。19世紀ロシアの文豪ドストエフスキーとは、その強烈な動機付けに駆られ続けた作家であって、その影響が現代(日本)にまで及んで来て、今回の亀山氏の「新小説」に転移したということになるのかもしれません。

 実は、今回の亀山氏の「新小説」を読んでいて一番印象に残ったのは、先生に失礼を承知で言えば「作者より」という「序文」になります。それは本文執筆の動機とも関係していて、作者が如実に露出しているからであります。それはともかく、僕が注目したのは文体のある部分が途中から、作者(=亀山氏)が原作者(=ドストエフスキー)に「憑依」してゆく件です。正確にはこれは「憑依」とは言えない体のものです。何故なら、亀山氏はこれを意識的に書き込んでいるからです。

 「それならば、「Kの手記」などそもそも書く必要もなさそうなものだが、あえて作者であるわたしの立場から言わせていただくと、一見、無用とも見える「Kの手記」もまたまるきり抜きですますわけにいかない事情がある。なぜなら、Kはわたしの分身ともいうべき人物であり、わたしがかつて未完のまま放り出した小説を完成させたいと思ってくれた唯一の人物だからである。海外文学者として、かつてはその師X先生から凡庸の烙印を押されたこの教員こそ、わたしにとってはまさにかけがえのない人物だということをご理解いただけると嬉しい。」(『文藝』56頁上段3行目以降、下線部分筆者)

 注意深く読めば分かるはずですが、下線3個所の「わたし」のうち、最初と最後は亀山氏本人(=作者)としての「わたし」なのですが、二番目(あるいは三番目?)の「わたし」は原作者ドストエフスキー自身であるか、亀山氏がドストエフスキーに憑依しての「わたし」であるかのどちらかということになるはずです。とにかく、この二番目の「わたくし」から、亀山氏はド
ストエフスキーに「同機・憑依」し始めるのです。そして専門家なら、これがドストエフスキーの文体に特徴的な「自由間接話法」という表現形式を連想させるものであることに気がつくでしょう。

 そして実はこの文体のあり方こそ、今回の亀山氏の「新小説」の思想(発想)を支える「本質」であると認識すべきだと思うのです。ついでに、上掲した部分以降の文章では、明らかに憑依した「わたし」が出現していることも指摘しておきます。

 そして以上のことは、ドストエフスキーという作家を熟知した亀山氏の、というか文学的体質の相似した二人の表現者の根幹に係わる問題であると考えます。実は、亀山氏の今までの研究スタイルのみならず、批判をも招来した翻訳スタイルも、自分にはこの亀山氏(ドストエフスキーとも共通する)の同機しやすい憑依体質が大きく寄与しつつ、同時にそのマイナス部分も含めてその個性の発露だと見ています。無論作家にとっても、憑依し過ぎることは避けなければならない剣が峰であります。だからこそ作家(=亀山氏)本人に限りなく近いが、本人とは切離された「分身」の言葉「Kの手記」が「新小説」には不可欠なのです。実は、この問題はドストエフスキーの小説に特徴的な「語り手」の問題にも共通しているはずです。

 「類は友を呼ぶ」の譬えを思い出しつつ、新小説を読み進めながらここ10年間程先生が取り組まれたドストエフスキー研究・翻訳の成果について、改めて思い巡らさざるを得ませんでした。その成果は、結局小説というかたちの新たなステージへ転移する必然を孕んでいたことになります。勿論今後も、翻訳・研究を継続なされるのでしょう。しかし先生が「小説」というこれ程自由な文学形式を獲得された今日、僕ができることは新小説の完結を祈り、「序文」で触れられた「最大の謎」を明らかにしていただくことです。そのために探偵「K」を応援するしかないと思った次第です。今後の展開を大いに期待しながら、益々のご健筆をお祈りしつつ、とりあえず本メールにて「感想」を送信させていただきます。 (2014.8.1)





連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                       (第54回)小林秀雄の「ムイシュキン」から「物のあはれ」へ
原口美早紀論文「『白痴』におけるキリスト教思想」再論

福井勝也

 先日(7/19)の例会合評会(「広場23号」)で、すでに「通信」(140号)でもご紹介した原口論文を担当させていただいた。現在当方が関心を注ぐ、小林秀雄の「白痴論」との関係から論評を行ったので、以下本欄に当日の発表資料論旨を再掲しておく。

 本論文の末尾(p16-17)で語られるように、『白痴』に登場する個々の人物が「人生の究極の状況で経験された真実」、それが例えばムイシュキンの「憐れみ」やイッポリートの「饗宴」として論じられてゆくわけだが、その問題に原口氏は「今までの先行研究が使ってきたような、キリスト教の固定観念や、出来合いの思想とは無縁のもの」として率直に向かい合っておられる。結果、一読者として果敢に『白痴』を読み直し、その独創的成果が報告された。

 そしてその基本的姿勢は、やはり小林秀雄の「注意深い読者」の読みの系譜に連なるものであったと思う。そしてその主題は、小林が最後のドストエフスキー批評で断念したとされる『白痴』のキリスト教思想の問題の延長的な考察であったと思う。当方が本論文に注目した意味もそこにあった。原口氏は本論文でも、この小林の「白痴論」の急所に触れている。それはナスターシャの<復活>の問題に関連して、イッポリートの、ムイシュキン自身が「唯物論者」であると語った箇所においてであった。しかしこの着眼の先行者でありながら、ここから小林がムイシュキンを「キリスト」として解釈することを断念したのだと原口氏は推論する(p.8)。しかしこの点では、当方にやや異論がある。とにかく原口氏は扱いづらいこの問題について、『白痴』の最終場面のムイシュキンとラゴージンが取り交わす会話の中で、ナスターシャの「カルタ」と「鞭」(音楽会で将校を打つ)を生き生きと思い出す二人の言葉に焦点を当てて次のように語っている。

 「自分が好きだった人の、最も輝いて見えた姿が、今、心に浮かんできて堪らない。そしてこの後二人に「何か全く新しい感覚が、底知れぬ悲哀」となって生じ、二人は壊れていくのである。足音の衝撃の後、それぞれにとっての、最も生き生きとしていたナスターシャ像が、それぞれに顕現する。そして二人は動揺している。最後には、精神が崩壊していく。『白痴』においてドストエフスキイの描いた「現実的で文字通りの個別的復活」もまた、このような意味で、「マテリアル」な足音と、そこからの、ナスターシャの生き生きとした姿の顕現のうち、物語の最後で描かれていると考えられないか。彼等の心の中に突如浮かび上がってきた、それぞれにとって最も美しい生前のナスターシャの「顕現」は、時を超えて弟子の心に浮かび上がってきたイエスの「顕現」を重ねて読めるのではないだろうか。」(p.10−11)

 実は、この引用個所は本論で一番美しいと感じた文章である。しかし同時にこの部分は、小林の「白痴論」の限界線が引かれる個所だと思った。特に最後、ナスターシャの「顕現」をイエスの「顕現」と重ねて読む地点に小林の「断念」がありうるとすれば、そこが彼の批評の「クリティカル・ポイント」なのだと思う。「断念」の理由とされた「キリスト教が理解できなかったから」という小林のその後の発言は、換言すれば「イエスの復活」が「ドストエフスキー」の様には信じられなかったということになろう。ムイシュキンを「キリスト」として解釈することを小林が断念したという原口氏理解の中身も同じことになろう。そしてさらにその中身が、ムイシュキンが「唯物論者」であることの帰結であるというのが原口氏の考えであった(p.8)。しかし私見を結論的に述べれば、ムイシュキンが「唯物論者」であることとナスターシャの「顕現」、そしてムイシュキンの「キリスト理解」とは小林の論にあって必ずしも矛盾するものではなかったと考えている。

 この点で第一に、小林は「私(ムイシュキン)は常にマテリアリストだ」と書いていて、「唯物論者」とは言っていない(「全論考」p.294)。もしこの個所を小林が翻訳したとすれば、「物質論者」とでも訳したと思う。実はこの言葉の差異に拘るのは、ムイシュキンは決して哲学上の「唯物論者」としてではなく、ベルグソンの「物質と記憶」という問題での「物質論者」と考えられるからである(ここでは、その詳細には触れない)。実は小林の『白痴』論と中絶されたベルグソン論の「感想」(1958-1963)とは、この時点(1964年前後)において、戦前からの小林のベルグソン理解がそのドストエフスキー論と関係しながら、その因縁の帰結をこの時期に迎えていた。小林の「ムイシュキン・マテリアリスト発言」もその流れから理解されるべきだと思っている。そしてさらに、その思索が遺作『本居宣長』に注ぎ込まれて行ったというのが、晩年の小林批評転回の道筋であろうと推論している(前回例会資料)。

 今回原口氏の発表(論文)は、基本的に小林の「白痴論」と交差するもので、その結論の相違はともかく当方にも示唆的な部分が大きかった。この点で、小林が拘った「物質」について今少し述べれば、それはギリシャ哲学のプロティノスの「自然」(フュフィス)理解から派生した「物の本姓」「ものの根源」としての意味であって、それは近代科学の基礎となってゆくアリストテレス理解の「物の性質」という意味ではなかったことが重要だと思う。そしてベルグソンはプロティノスの系譜を受けた哲学者であったということだ(「文学と人生」鼎談1963、小林秀雄発言参照)。この点は別途考察する機会を持ちたいと思う。

 話がやや逸れて来たので元に戻せば、原口氏の「ムイシュキン=唯物論者」説は、ドストエフスキーの「現実的で文字通りの個別的復活」の希求を根拠にして、作品終末部のナスターシャの死後の「顕現」(氏も「復活」とは記していない点要注意か)を説明可能なものにした。そして原口氏が指摘したように、小林の文章のなかには、「ムイシュキン」の「キリスト」理解を否定する言葉が確かに見受けられる。しかし小林の「ムイシュキン」像はそれだけのものでなく、同時期の別の機会に(「人間の建設」岡潔との対談、1964)「陽画」(「ポジ」)ではない「陰画(ネガ)としてのイエス」という説明もしていて「キリスト性」の全面的放棄をしてはいない。これは「ドン・キホーテ」の喜劇性と違う、本質的に悲劇的な「ムイシュキン」というドストエフスキーの構想(前掲「書簡」の後段部分)を指摘する「本論」にも繋がる解釈であった。

 実はここには、作家の小説構想段階からの危惧(=「小説失敗の可能性」)でもあった、小説の目指した思想(「イデー」)と完成した作品との結果的齟齬という問題が露出していると見るべきだろう。この点で、小林は作者ドストエフスキーに徹底して寄り添いながら、『白痴』のテキストを「注意深い読者」として読みを貫いた。結果、極まった結語が、ナスターシャ殺害における「ムイシュキン共犯説」(無意識的なラゴージンとの)であった。当方の理解では、「ポジとしてのイエス」すなわちイデーと小説的現実すなわちラゴージンとナスターシャそしてアグラーヤを含む恋愛力学(これを埴谷雄高は「愛の平行四辺形」と呼んだ)による悲劇的結末を誘発した「ムイシュキン」の行為とは、結末においてその逆説的距離を無限に拡げて行ったことになる。

 この点で、今回の原口氏の『白痴』理解は、そのタイトルと副題が示す通り、キリスト教思想(「ポジとしてのイエス」)に傾斜するものであったと言える。しかし、小林も「イエス」の問題を最後まで手放してはいないことも重ねて触れておきたい。その一つの説明が「ネガとしてのイエス」という切り口であり、その具体的記述が、レーベジェフやイッポリートとイヴォルギン将軍等副人物に焦点を当てた「白痴論」の最終章(9章)に連続する三つの章(6.7.8章)であった。この限りで小林が見た「トルソー」は『白痴』において完成していた。

 ここで最後注目したい個所がある。それは原口氏の引用文にもある、ナスターシャの遺骸を前にして、ムイシュキンとラゴージンの心に「何か全く新しい感覚が、底知れぬ悲哀」となって生じたという件である。米川氏はここを「なにかしらぜんぜん新しい感覚が、無限の哀愁をもって彼の心を締め付けるのであった」(岩波文庫(下)p548)と別の訳出をしている。

 原口氏は、この感情がムイシュキンとラゴージンの二人を捉え、それが二人の精神的崩壊に繋がったように説明している。しかし米川氏の翻訳個所では、「新しい感覚」「無限の哀愁」は、ラゴージンのものではなく、ムイシュキン単独のものであったと読める。当方もそのように理解したい。そして原口氏は、二人がその「感覚」が原因で「壊れていく」ように書いている。しかし米川氏の翻訳では、その新しい「感覚」にムイシュキンが襲われたあと「やがて、夜はすっかりあけ放たれた」となっていて、相応の時間が経過した翌朝に「絶望の極に達したかのように」二人の崩壊が訪れたとしている。この時間差に重大な何かがあったと思う。

 当方がこの結末部分に拘るのは、その時にムイシュキンを突如襲った「何か全く新しい」「無限の哀愁」が、先述の「マテリアリスト・ムイシュキン」という小林のベルグソン流の「物質」「自然」理解から流路して来たものとまず思えるからだ。そしてここでの、小林の「ムイシュキン像」には、キリスト教義の「復活」とは異なるナスターシャの「顕現」を許容する何物かが作用した事態に見える。

 それが、ナスターシャが室内を歩き廻る足音に「マテリアルなもの」を感覚し、二人がナスターシャの「魂の活動」を生き生きとイメージすることを可能にさせた。言って見れば、このナスターシャの「顕現」は小林にあっても(そして、おそらくドストエフスキーにおいても)「復活」とは別の「救済のイメージ」の事態であると思えるのだ。ここまで考えた時、ドストエフスキーが土壇場で表現し、最後にムイシュキンを襲った「何か全く新しい」「無限の哀愁」とは、「マテリアリスト・ムイシュキン」が小林の「物のあはれを知る」という問題との接点を持った瞬間であったと言えないか。 (2014.8.4)





人間の謎 「透明な存在」の再来か
 
佐世保高1女子同級生殺害事件に想う(編集室)

 前記の渡辺氏の論文ではないが、どんな人間にも善と悪が棲んでいる。が、たいていの場合、悪は、心の奥深くに眠っていて、眼を覚ますことはない。(前号に掲載した「一家5人殺害」の犯人のようにある日、突然、起き上がって行動に走る場合もあるが)たいていは、その肉体が消滅するまで心の奥底で眠りつづけて終わるのだが…。

 しかし、ときには、ふっと気まぐれに目を覚ますことがある。悪魔は、心の底から這いだし、まるでペテルブルグの、あの学生が「アレ」にとり憑かれたように、毎日を「アレ」だけを考えて過ごす。そうして、最後に最終目標である「アレ」を実行する。

 「佐世保高1女子殺害」のニュースを聞いたとき、最初、頭に浮かんだのは、恐ろしいあの事件のことだった。「透明な存在」という名の悪魔の犯行。

 あの事件とは、「透明な存在」とは何か。18年前、1997年5月18日に発覚した神戸連続児童殺傷事件のことである。日本中を震撼させた一大猟奇事件として、いまも記憶に新しい。事件の推移は、凡そこんなだった。春、14歳になる中学三年の男子生徒が、公園で小学女子児童2名に「水道はありませんか」と声をかけ、案内しようとした二人を背後から襲って殺傷した。すぐに解決するかと思われた殺人と殺人未遂事件だったが、なぜか犯人はわからず2カ月が過ぎた。そして、あの日が――。犯人は、同級生の弟で親しかった障害のある男子幼児を言葉巧みに通称タンク山におびき出して殺害した。そして、その頭部を早朝の校門前に置いて、警察に挑戦状を出した。
 あまりに残虐で残酷な犯行に、日本中が戦慄した。少年Aの殺人動機は「人を殺してみたかった」、そんな欲望の渇きにかられての犯行と自供した。そして、その心境を詩で現した。

「懲役13年」という詩がそれだ。そこには謝罪はむろん、反省も悔いもない。
その存在は「止めようもないものはとめられぬ」
その存在は「とうてい、反論すれこそ抵抗できようはずもない」
その存在は「あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る」

 すべては、この「透明な存在」のせいだというのだ。透明という目に見えない悪魔。真実か、空想か、創作か。その存在に注意が注がれることはなかった。そして、事件は、知る限り、膨大な調査資料はあるにしろ、なんの解決もなく過去に遠ざかってしまった。少年Aも、すでに社会に出て人知れず生活している。あの「透明な存在」とは、いったい何だったのか。真の存在者?それとも、まったくの空想物か。神のみぞ知る、である。

 佐世保の高1女子は、いつのころから、「アレ」の観念に取り憑かれたのか。内なる悪魔を目覚めさせてしまったのか。報道によると、地方都市の裕福な家庭に生まれ育ったとある。父、母とも一流大卒で町の有力者、兄は有名私大、彼女は文武両道に優れ、音楽、絵画にも才能の片鱗をみせていたという。だが、彼女が日頃、考えていたのは「アレ」だった。「止めようもない」もの。多くの人が気づいていた。が、止めることはできなかった。

 父親は、こんな謝罪文を発表した。「複数の病院の御助言に従いながら、私たちでできる最大限のことをしてまいりましたが」、総て人頼みだった。

 ドストエフスキーもまた、ある時期「透明な存在」の同族に支配された人間だった。彼の場合、幸いにも「アレ」は殺人ではなかった。彼の「アレ」はルーレット賭博だった。作家の「アレ」は、なぜ消滅したのか。いまもって謎だが、アンナ夫人の観察力と想像する。「透明な存在」の弱点。それは、常に観察されることだ。観察者の、強い意志と理解。佐世保の父親には、それがなかったようだ。犠牲者に合掌 





編集室


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