ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.136  発行:2013.2.7



第255回2月読書会のお知らせ


月 日 : 2013年2月23日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室7 (池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始  : 午後2時00分 〜 
作 品  : 『ステパンチコヴォ村とその住人』
報告者  :  江原あき子さん     
会 費  : 1000円(学生500円)

二次会はJR池袋駅西口付近の居酒屋 → 5時10分 〜 お茶会(喫茶店)





4月読書会は、東京芸術劇場の第1会議室です。

開催日 :  2013年4月20日(土) 午後2時〜4時45分迄です


大阪「読書会」案内 2・16AMです
ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪の第15回例会は2月16日(土)10時〜11時半、ホテルグランヴィア大阪19階「ラウンジリバーヘッド」(JR大阪駅直結)で開催。
作品は『クリスマスと結婚式』
お問い合わせ・お申し込みはこちらへ  〒581-0016 大阪府八尾市八尾木北3-137
「ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪」世話人小野 元裕
URL: http://www.bunkasozo.com 




2013年(平成25年)の読書会


全宇宙の調和と共感を目指して

 穏やかだった正月の三ガ日。だが、アルジェリアの人質事件で一転した。地球は相変わらず地殻まで血と涙でぐしょ濡れている。こんな存在宇宙の切符はいらない。イワンの怒りが理解できるような出来事ばかりだ。安倍新政権に沸くも暴力指導はびこる教育界、終わらぬ領土問題。この内憂外患にあって、2013年は、どんな年になるのか。不安と期待が交差する。が、いかなるときにでもドストエフスキーを読みつづけること。そのことが人類向上への道と信じ歩んで行きたい。ドストエフスキー文学が目指す調和と共感。その旗印を胸に読書会をすすめていきたいと思います。

 2013年に読むことが予想される作品です。

□『スチェパンチコヴォ村とその住人』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 2 』
□『死の家の記録』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 4 』
□『地下生活者の手記』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』
□『初恋』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』
□『伯父様の夢』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』
□『いやな話』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』
□『夏象冬記』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』
□『鰐』 米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 5 』

以下は、5サイクルスタート(2010年10月読書会)からこれまでに読まれた作品です。
(ミニ講演、暑気払い特別企画も含む)

■『貧しき人々』題一回目2010・10・16「ワルワーラ、ジェーブシキンとは何か」
第二回目2010・12・25フリートーク、参加者18、総計33名。
◆『貧しき人々』アサドク2010・9・18、AM10:00〜 8名参加。
◆『貧しき人々』2回目アサドク、2010・11・13、AM10:00〜 8名参加。
◆『貧しき人々』3回目アサドク、2011・1・15、AM10:00〜 9名参加。以後休止。
■『分身』第一回目2011・2・12江原あき子さん報告。第二回目2011・4・23下原康子さん報告。参加者18名。第一回、二回の参加者総計36名。
■『プロハルチン氏』2011・6・25、フリートーク。参加者16名。
■『九通の手紙に盛られた小説』2011・8・13、山地清乃さん報告。参加者11名。
■『主婦』2011・10・22、菅原純子さん「ハジャイカの世界」報告。参加者17名。
■『ポルズンコフ』2011・12・24、今井直子さん報告。参加者14名。
■『弱い心』(『かよわい心』)2012・2・18、鈴木寛子さん報告。参加者14名。
■『正直な泥棒』2012・4・28、「山岸都さんを偲んで」フリートーク。参加者14名。
■『寝台の下の夫』2012・6・16、フリートーク。参加者13名。
ミニ講演「ペトラシェフスキー事件について」福井勝也さん。
■『クリスマスと結婚式』『初恋』(『小さい英雄』)2012・8・18、フリートーク。18名参加。
  暑気払い特別企画「『かもめ』公演&俳優座今昔を語る」斉藤深雪氏・下哲也氏。
■『白夜』2012・10・27、土屋正敏さん報告。参加者13名。
■『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』2012・12・8、鈴木寛子さん報告。参加者14名。
  ロシア女子留学生ターヤさん読書会・二次会参加。「ロシア若者現代文学事情感覚」





2・23読書会について
 

報告作品は『ステパンチコヴォ村とその住人』

 2月23日の読書会の作品は、『ステパンチコヴォ村とその住人』です。この作品は、1858年、ドストエフスキー37歳のときに『伯父様の夢』につづいて執筆された。1859年に雑誌『祖国の記録』11月〜12月号にて発表された。
わずか2日間の出来事
 この作品は、224頁の長編にもかかわらず、わずか2日間の出来事を描いた作品で、そのうち第1日の第1編が全篇の3分の2を占めている。前回は、10年前、2003年12月13日、岡田多恵子さんが報告された。(人物家系図の資料を配布)

報告者・紹介 
 
今回、この作品をレポートしてくださるのは、江原あき子さんです。江原さんは、読書だけではなく、映画もよく観られていて、本通信に映画批評を寄せてくださっています。
 昨年8月読書会では、今回の報告を踏まえて『クリスマスと結婚式』『初恋』議論についての口火を切ってくれました。




ドストエフスキー、第2章


江原あき子
 
私は混沌とした世界が好きだ。色々な人がいて、色々な意見を言い合う。誰もそれを、ひとつにまとめよう、などとは言わない。混乱して、押し合いへし合いしている人たちは、誰もが生き生きと輝いている。私にとってドストエフスキーの世界はそういう世界だ。
 実に色々な人たちが登場する。そして、ひとりの人間の中にもまた、小宇宙が存在する。周囲を困らせる憎むべき人が、最後に見せた善意。純情で美しい心を持った人の怒りの激しさ。人は誰でも「どうしてあんなことをしたのか、自分でもわからない」という瞬間があるだろう。ドストエフスキーは人間のこのような複雑怪奇さを、解き明かそうとする。遺伝的なアプローチ、体験からのアプローチ、環境からのアプローチ。ありとあらゆる方面から人間を解体しようとする。それは、上質な推理小説を読んでいるようでとても、面白いのだ。
 例えばアリヨーシャは、淫蕩な父親と、信仰心の篤い母親との間に生まれた。彼の遺伝子は時に運命に対して、従順でありながら、時に怒りにかられ、父親殺しの疑いをかけられた兄を助けようと奔走する。「僕だってカラマーゾフですからね」という彼のセリフは名セリフである。この言葉は`“運命を受け入れる”ということがあきらめる、ということでありながら、その苦しみを受け入れる強さでもある、ということを表している。
 人間の複雑さに接する時、私はいつも神秘的な気持ちになる。その神秘は何に例えられるだろう。それは森や空、海など、自然に接する時の吸い込まれるような、不思議な感覚に近いかもしれない。人間が小宇宙であることを実感する瞬間である。そしてこの神秘を感じる瞬間こそが、ドストエフスキーを読む醍醐味なのだ。
 デビュー作からこの、『ステパンチコヴォ村の住人』まで、作品を読んできた。正直、ここまでは一度もこの醍醐味を感じたことがない。しかし、この作品で初めてそれは、やってきた。この作品で、真のヒロイン、と称されるひとりの女性が私の心を強く、とらえた。そしてこのヒロイン、タチヤーナ・イワーノヴナによってドストエフスキーの新たな世界が拓けた、私はそう信じている。
 私が大好きなタチアーナについて、今回は沢山語りたいと思います。





『ステパンチコヴォ村とその住人』が書かれた時代


□1858年(37)
1月、軍務の解除とモスクワ居住を請願。
5月、『伯父様の夢』、『ステパンチコヴォ村』執筆。『ロシア報知』の編集長カトコフから執筆予定作品の前金として500ルーブル受け取る。
□1859年(38)
10月25日 ペテルブルグ居住が許可された旨の手紙をトヴェーリ県知事バラノフから受け取る。 
11月〜12月 『ステパンチコヴォ村』(後『ステパンチコヴォ村とその住人』と改題)
       『祖国の記録』11月号、12月号で発表。
12月中旬 ペテルブルグに向けトヴェーリを出発。

『ステパンチコヴォ村とその住人』に関する書簡

1859年8月25日
ドストエフスキーから兄ミハイル宛の手紙

 「さて、兄さん、ぼくは自分の小説(『ステパンチコヴォ村とその住人』、8月にカトコフの『ロシア報知』に断られ、次いでネクラーソフの『現代人』からも断られた)にも目も当てられないような個所や弱い個所が非常にたくさんある、ということはよく分かっています。しかし、殺されたって言わせてもらいますが、素晴らしいところもいくつかあると確信しているのです。そういうところは、心の底から湧き出してきたものなのです。上等なお笑いの場面、ゴーゴリでさえ直ぐに署名して自分のものだと言いたくなるような場面が、いくつもあるのです。

1859年8月26日
N・A・ネクラーソフからミハイル・ドストエフスキー宛の手紙

「私は、あなたの弟さんを常に尊敬してまいりました。一度として敬愛を失ったことはありませんでした。彼の作品(『ステパンチコヴォ村とその住人』)を私の雑誌(『現代人』)に発表させていただくことは、私としては欣快この上ありません。」

1859年10月11日
ドストエフスキーから兄ミハイル宛の手紙

 「この小説(『ステパンチコヴォ村とその住人』)が『現代人』に載るということは、極めて重要なことです・・・文学者としてのぼくの評価にとって、それは極めて重要なことなのです・・・ネクラーソフになおこう言って下さい。ぼく自分の小説の欠点は自分でよく分かっているが、しかし、ぼくの小説にも何ページかいいところがあるように思われるのだ、と、この言葉の通り言って下さい、なぜなら、実際にそれがぼくの意見ですから。

ある意味で、この時期の作品は興味深い。4年間のオムスクでの監獄生活、若き作家は、どう変わったか。シベリア以前との違いはあるのか。『ステパンチコヴォ村』は、後半の大作を占う作品かも・・・。

タイムスクープ 1849年4月23日、ペテルブルグの内務省第三課(秘密警察)によって政府転覆を企むフーリェ主義者34人が一斉検挙された。この秘密結社は、社会主義者ペトラシェフスキーが開催していた音楽と文学の夕べ金曜会のメンバー。会員だった新人作家ドストエフスキーは、重要参考人として逮捕された。
編集室は、さきごろ自宅にいたドストエフスキーを直接逮捕するよう命じられた憲兵隊少佐への執行命令書を入手したので紹介する。

執行命令書 オルロフ伯爵サンクトペテルブルグ憲兵隊チュデルノフ少佐
 
勅命ニ依リ貴官に命ズ。明朝4時「マーラヤ・モールスカヤ」街「ベズネセンスキイ」大通角、「シーリ」持家、3階「ブレメル」貸室、退役工兵中尉・著述家フョードル・ミハイルビッチ・ドストエフスキー(28)ヲ検挙シ、其ノ有スル全テノ書類並ビニ書物ヲ封印シ其等ヲ「ドストエフスキー」ノ身柄ト共ニ皇帝陛下直属官房第三課ヘ提出スベシ。
 命令ヲタダチニ実行セヨ。

号 外 !! 11月6日、今春逮捕のフーリェ主義者グループに判決決まる!! 

 11月6日、今春4月23日に政府転覆の嫌疑で逮捕された秘密結社の各人に、判決が下された。この決定は、9月17日開かれた最後の予審委員会会議で承認された。軍事法廷での判決内容は以下の通りである。

死刑=15名  懲役6年=1名  懲役4年=4名 流刑=1名 嫌疑はれず=1名  発狂者=1名
   
(後に死刑、21名に。死刑囚のなかにドストエフスキーの名前も)

号 外 !! 死刑執行日は、12月22日早朝に、多勢の見物人も
1849年12月22日早朝、極寒の雪のセミョーノフ練兵場。死刑判決が下った囚人21名は、射的の柱に。銃殺隊長の「かまえ!」の号令が、凍てついた空気のなかに響き渡った。
               




12・8読書会報告
                

12月8日は、何の日、といっても即わかる人は少なくなった。71年前、1941年12月8日午前7時、日本に住む人々は、ラジオの臨時ニュースで日本が米英軍と戦闘状態に入ったことを知らされた。大勢の日本人が歓喜し、僅かな日本人が絶望したという。
この日の参加者は14名でした。
 
  
報告者・鈴木寛子さん、ネートチカを物語る

 鈴木寛子さんの報告には、いつも新鮮なものを感じます。今回の作品は、報告者自身の若い感性とマッチしたようです。ネートチカとの対話を会話にして物語ってくれました。
 完走としては、『白夜』との比較。「おとぎ話と思った」「人物像がはっきりしなかった」「裏をとってほしかった」などがありました。

感想・病的な感受性             T・T

第1部、2部、3部それぞれ独立した作品をつなげたようで全体を束ねる構成ではないのが、小説としての厚味を感じた。ネートチカの病的な感受性のつよい女性の年齢の成長後が第3部の小説を貫いていると云えるかもしれない。


現代ロシア若者の文学事情 ターヤさんに聞く

現代ロシアの文学事情は、どうか。ロシアの現役女子大生ターヤさんに聞いてみました。

Q.現在、ロシアで一番の作家は

A.プーシキンです。(会場からは、やはりとの頷き)

Q.次にどんな作家ですか。

A.チェーホフ、ゴーゴリ、ゴーリキーです。村上春樹も、若者のあいだでは人気あります。

Q.ドストエフスキーは、どうでしょうか。

A.ずっと下がってトルストイ、ドストエフスキーです。
(だから)日本に、こんな熱心な会があると知って驚きました。

Q.(ターヤさんに)ドストエフスキーは読まれましたか。

A.高校のとき先生に(『カラマーゾフの兄弟』を)教えてもらいました。
  それで、これまでに1冊、読んだことがあります。


読書会目安箱 寄せられた意見

 発表をした発表者や出席者の成長を促す場でありたい。(報告者、お知らせ)進行などは回り持ちにしたらどうか。
読書会は、その日限りの会員です。時間ロスや参加者不明から全体が分かる人に。報告者、お知らせも自由参加から自薦。「編集室」




招かれざる者 ネートチカ

前島省吾
 
ネートチカの本名はアンナ。愛称は普通アーニャ、アニュータ、アンネッタだが、「ネートチカ」は母親がつけてくれた名だ。彼女はこの愛称に好感を持ち、「母が特に私を愛してくれた証拠だ。」とさえ思っている。それにもかかわらず何故か母を恐れている。生まれてから一度も甘えた記憶がないと述懐する。母は1000ルーブルもの前夫の遺産のすべてを再婚した夫エフィーモフが浪費してしまったのに、恨みもいわずに日々の糧のためにひたすら働く女だ。ネートチカが買い物の帰りに貴重なパン種を道にこぼした時も、買い物用の小銭を継父に酒代として渡してしまった時も叱責や折檻もせずに、「これは私だ。私がみんな悪いのだ。なんて不幸せなことだろう。ネートチカ。わたしの可愛い子。」と言うばかりだ。だがネートチカの頭にあるのは継父のことだけ。不幸な母が破滅した夫を赦し、依然として愛していることを知りながら「お母さん、何だってお母さんはお父さんを嫌うの?」と言う。ネートチカの継父への愛は異常だ。「わたし、お父さんのほうがお母さんより好きなのよ。」継父に「一種の憐愍に似た母親みたいな感情」を抱き、母は継父をいじめる悪者だと言う。 継父に愛着を感じれば感じるほど不幸な母を憎むのである。その度外れの空想的な愛情は、病的な興奮であり、熱情であり、快楽でさえある。 エフィーモフは「自分を駄目にしたのは妻だ。」と思い込み、他人にも言いふらしている。ネートチカも継父と心を共にし、母が死んだら、継父は天才的バイオリニストになり赤いカーテンの家に住むことができると心から信じきっている。
 母の死をめぐる数ページの描写はすさまじい。Sの演奏を聴いて打ちのめされて帰ってきた継父は母の寝台にかがみこむ。やがてヴァイオリンを弾き始めるがすぐ止めて、また寝台に行って母の上に衣類を山のようにかけてやる。ネートチカは恐ろしい想念に稲妻のように襲われる。恐ろしさに心臓のしびれる思いをする。母を思ってつぶやく言葉はたったひとつ「母の眠りの深いこと」。継父が演奏する。その演奏は号泣に含まれている一切の恐ろしいもの、苦悩に含まれている一切の悩ましいもの、望みのない憂愁に含まれている一切の悲しいもの、その融合であった。ネートチカは涙と共に継父を両手で抱きかかえる。すると彼は突然ヴァイオリンをネートチカの頭上に振りかざす。もう一瞬で殺されると彼女は感じる。この場面は異常で謎だが、私は、ヴァイオリンを弾く絶望の音楽家、その崩壊する姿を見つめる娘、結局音楽の真髄を聞いて理解することのなかった母、その三者の形象が象徴的に描かれている場面だと考える。恐ろしい想念とは何か? もし母の寝台に向かう継父の異常さに何かを感じ、身動きのない母を見て死んだのではないかと一瞬でも考えたら、いかに非情なネートチカであっても母にすがりつくであろう。それなのに彼女はひたすら継父だけを凝視していた。後にネートチカはこう書いている。「天才的なSのヴァイオリンの弦から流れ出た最後の響きと共に、父の眼前に芸術の秘密が残りなく啓示され、その真実性で父を押し潰してしまったのです。」ネートチカが気遣ったのは芸術家の死であり、その芸術の破滅であった。母の死ではなかった。真実は耐え難いほどの輝きで目潰しを食わせ、虚偽は継父自身にとって虚偽となった。虚偽の人生、その真実こそ恐ろしい想念の実態である。継父の敗北を知って「父は天才的な音楽家になり、赤いカーテンの家で演奏する。」という空想は消え果てた。
それでも継父とともに行こうとする。何よりも継父への愛の力が強いのである。二人は家を出ようとする。エフィーモフは母のハンカチと室内帽を拾ってポケットに入れる。ネートチカは継父の勧めで聖像にお祈りするのだが、そのときも恐怖の念が訪れる。初めて母のことに気づくのである。「お母さんはどうしたの。どこにいるの。」ここでネートチカははっきりと母の死を知る。その身体を抱き、拝み、お別れをいう。しかしここには涙とか泣くとかいう言葉は一言も書かれていない。ネートチカは葬儀のことは全く考えない。「お父さん。行きましょうよ。もう時間よ。」 エフィーモフ「さあ これから旅に出るのだ。ありがたい。ありがたい。もうこれでみんな片付いた。」 しかし片付いたわけではない。勿論そんなことはできっこない。ネートチカが母のところに戻ろうとした時、自分の虚偽の人生を支えていた「妻がいるので自分の芸術はだめになる。」という最後の言い逃れを失ったエフィーモフは、ネートチカを置き去りにしてひとり逃げた。それを見たネートチカは逃げる継父を追いかけながら気を失い、倒れたところを親切なH公爵に拾われて第二の人生を歩むのである。エフィーモフは狂気の発作の中で二日後に死ぬ。
 父を愛し、母を敵視する心理をエレクトラ・コンプレックスというが、ネートチカの心理は厳密にいうと少し違う。深層心理学ではそれは幼児(四・五歳ごろ)の性的欲動現象である。彼女の場合八歳のときの体験であり、それ以前の幼児性欲や虐待体験については殆ど記述がない。エレクトラ・コンプレックスはエデイプス・コンプレックスと同様、通常は六歳頃克服されるが、うまく克服できなかった女性は後に同性愛者になることが多いという。ペニスを持った女性となることらしい。それはまた自立した独立心の強い女性になるということでもあろう。第二話は、まさしく幼いネートチカとカーチャの同性愛の話である。しかし真のテーマは別だと私は考える。ふたりの関係を憂慮したカーチャの両親は二人の間を引き裂く。カーチャはモスクワへ、ネートチカは公爵の妹アレクサンドラに引き渡される。第二話のテーマは、ネートチカの追放である。
  第三話は、アレクサンドラとピョートルの夫婦関係の物語である。アレクサンドラは夫と一緒にいれば苦しいのに夫がいなければ一刻も生きていられない、不断の自己卑下と夫への敬虔、良心の呵責に涙する夫の奴隷、罪の女である。(当初ドストフスキーは彼女を姦淫の罪で石打刑に遭うところをイエスに救われたマグダラのマリアのような女性として描こうとしたらしい。)ピョートルの心の中にあるのは、夫としての寛大な微笑、高慢な寛大ぶり、不幸な病身の妻に対する裏のある同情。十三歳のときにネートチカは本にはさんであった手紙を発見し、夫婦の秘密を知る。アレクサンドラは兄との近親相姦の関係があり、世間に取りざたされ大騒ぎになったがピョートルが救った。しかしその結婚には虚偽が満ちている。二人の会話は全て普通の夫婦が使うトゥィты ではなく、他人行儀のヴィ выである。ネートチカによれば、アレクサンドラは長い救いのない苦しみ、受難、おとなしく不平もなしに捧げられる空しい犠牲者であり、その犠牲を捧げられたピョートルは、その犠牲を軽蔑し嘲笑する夫、正しき者の罪を赦す罪人であった。ネートチカは当初からピョートルには説明のつかない嫌悪を抱いていたが、なお一層憎しみを抱く。一方アレクサンドラは、ネートチカに母親としての愛情をますます深めて、アンネッタ、アンネッタと呼びかける。この愛が家庭を破壊する存在としてのネートチカの役割を浮き彫りにし、嫉妬を覚えたピョートルは彼女を追放しようとする。ここにも追放のテーマが現れる。
 アレクサンドラの秘密の手紙を読んだネートチカが、真っ先に感じたことは、「自分は招かれざる客(я . непрошеная)ではないか。」という想いであった。何故突然そう感じたのか、ここにも謎がある。アレクサンドラに心から愛する人がいると知ったネートチカは、彼女との同性愛的愛が裏切られたと感じたのかもしれない。手紙をめぐる夫婦の会話も、ネートチカの心理も少し奇妙である。彼女は三年間も手紙をひた隠しにし続けるが、ネートチカの読んでいた手紙を、ピョートルは彼女への男友達からの手紙だと誤解し、ふしだらな彼女を追放しようとする。それを聞いたアレクサンドラもその手紙が自分の秘密の恋文かもしれないという疑念や恐れなど露ほども感じないのだ。その手紙の内容はネートチカにとっては秘密であったが、夫婦にとっては過去の周知の事実だったのだ。その手紙をピョートルに見せれば、アレクサンドラに致命的な打撃を与えるとネートチカは思っていたのに、突然ピョートルに真相を打ち明けるのも不思議だ。それはアレクサンドラを弁護するためではなく、ピョートルのアレクサンドラに対する愛の虚偽と偽善を難詰するためであった。アレクサンドラの母性愛に応えるネートチカの同性愛的愛情表現であった。夫婦の愛憎の実態を見つめるネートチカの過剰に鋭敏な意識であり、自己主張であった。そこにはネートチカの精神的成長が読み取れる。ネートチカは自立する強い女性となった。しかし独立心に富んだ目覚めた女性は、家庭からは孤立する。まして彼女は孤児である。「彼女は歌手、芸術家になる」という構想があったという説もあるらしいが、小説は残念ながら中断してしまった。ただ想像するにネートチカとアレクサンドラの愛は、愛の対立物であるピョートルの敵意の前では敗北するのは殆ど間違いあるまい。敗北した女性がどう自立を確立するか、その完成を見たかったというのが私の正直な気持ちである。
「ネートチカ ネズヴァーノヴァ」のネズヴァーノヴァは姓である。彼女二歳のとき死んだ実の父の姓はネズヴァーノフであった。ネズヴァーノヴァ Незвановаは ネズヴァーヌィイ Незваный (招かれざる)という動詞から派生した言葉である。勿論彼女を招き入れてくれるH公爵や音楽家のBやDのような善意の人々もいる。しかし、ピョートルのような偽善的な家庭人が多かった当時の上流階級社会においては、彼女は必然的に永遠に招かれざる者であり続けるであろう。
ドストエフスキーは最初この小説を「ある女性の歴史(あるいは物語)」История одной женшины という六部構成の長編小説にする構想を持っていたようだが、実現していたら世界初の屈指の心理小説となり、ドストエフスキーの後の作品に登場する自意識の強い独立心に富んだ誇り高い女性像の典型のひとつを、このとき既にペトラシェフスキー的雰囲気と思想の中で作り上げたに違いないと思うと、中断されたことが本当に残念である。  




ドストエフスキー文献情報  
提供・≪ド翁文庫・佐藤徹夫≫

<書籍>

・『ドストエフスキーと小説の問い』 番場俊著 水声社 2012.12.10 \5000+ 363p 21.6cm
     (序章 ドストエフスキーへのアプローチ;I 手紙;II 告白;III メディア;IV 『カラマーゾフ
      の兄弟』を読む;終章 小説の時間)

<逐次刊行物>

・ロシア文学における夢/御子柴道夫
     「文学」 13(6)(2012.11.27) p118-135
     *特集:<夢>と文学  *二 『おかしな人間の夢』、『罪と罰』
・<鼎談>『悪霊』という尽きせぬ謎  「謎とき『悪霊』」(新潮社)、「『悪霊』の世界」(D文学
     研究会)、「新訳 悪霊」(作品社)刊行を機に/亀山郁夫×清水正×三田誠広
     「週刊 読書人」 2968(2012.12.7) p1-3
・<巻頭エッセイ>青春と文学/辻原登
     「青春と読書」 48(2)=439(2013.1.20=2013・2月号) p2-5
     *「ドストエフスキーを読む」ことについて
     *同氏は、「朝日カルチャーセンター」新宿教室で、「ドストエフスキー「罪と罰」を読む」
      という講座を2回にわたって行っている





ドストエフスキー面白情報



新聞 2013年1月28日朝日新聞 フォーカスオン
妙な推理小説もあったが、こんなテレビドラマ紹介の記事もある。抜粋紹介。

 ロシアには行ったことがないし、知りあいもいないし、ロシア文学は1察しか読んだことがない。なのになぜかロシアっぽい映像だと感じる。舞台は現代日本なのに。これが原作の力というやつなのか。
 土曜に放送中の連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟』(フジ系、夜11時10分)は、ドストエフスキーが130年前ほど前に書いた名作を映像化した。父殺しの疑いをかけられた…3兄弟が物語の中心。時をさかのぼって犯人を捜しつつ、強権的な父親のもとで3人が抱いてきた葛藤を活写していく。
 「ドストエフスキーが描いた若者たちの悩みは、今の日本に通じると思った」と、5年前から企画書を出していたフジテレビ編成部の佐藤末郷さん話す。…
 音楽も秀逸、サンサーンスなどのクラッシックに、ローリング・ストーンズのロックを違和感なく組合わせ、文豪の作品らしい重厚な雰囲気を醸し出す。(?)黒澤家の外観は鎌倉文学館で撮影された。ふだんはなかなか貸してくれないそうだが「ドストエフスキーが原作のドラマならば」と特別にお許しが出たそうだ。
 単純に謎解きとして楽しむこともできるが、何げないせりふに大いなる深みが備わっているのも感じる。読み手や時代を問わず、長きにわたり、読み継がれる古典の底力が、映像化されても何ら揺らいでいないことに驚かされる。   (田玉恵美)


新聞 2013年1月末 朝日新聞 文芸批評 松浦寿輝(作家・詩人)「声を託す」
    黒川創『暗殺者』(新潮2月号)

…今月わたしがもっとも強い感銘を受けたのは、どこかドストエフスキーの『地下室者の手記』を思わせるこの息苦しい短編であった。…





評論・連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                       第45回)三島由紀夫の生と死、その運命の謎                    
アルジェリア邦人殺害事件、『海辺の光景』と『成熟と喪失』

福井勝也

 年も明け、早くも一月が終わろうとしている。辛いニュースが遠く北アフリカのアルジェリアから伝えられ、ただでさえ寒気の厳しい日本列島を暗く陰鬱にしている。海外駐在の技術者など日本人10名が、アルカイダ系のイスラムテロ組織によって無惨に命を奪われた。1名の方の翌日帰着を除いて、政府専用機での帰国が比較的速やかに実施されたことがまだしもの慰めであった。しかし働き盛りの40代半ばの息子の<魂>を抱きしめてやりたいと語って、愛称を叫び続けながら<骸>に対面した母親の悲痛な姿が伝えられた時、当方経験したはずもない光景が眼に浮かんだ。未来へ向けての既視感(デジャビュー)とでも表現すべきか。今回命を奪われた日本人の方々は、企業人として天然ガスプラント建設に長年携わって来られた男性ばかりであった。本国を遠く離れた異国の厳しい自然環境(砂漠地帯)のなかで<兵舎>のような住宅の映像から、<企業戦士>という余り好きでない言葉の奇妙な現実感を僕に呼び寄せた。その方々の<骸>となっての無言の帰国という事態に接して、戦争地域への<出征>でもなかったはずなのに、何故か前線兵士の<戦死者の帰還>のように感じた。その思いを自分に喚起させたものこそ、息子を失ったあの白髪の母親の慟哭であったと思う。日本人に既視感としてある、戦死した息子を迎える母親の姿こそ、この国で70年程前に毎日繰り返された光景ではなかったか。
 マスメディアを通じて、識者の面々が様々な分析と意見を吐露されている。当方難しいことを論ずるつもりも、そんな能力も持ち合わせていないが、以下の簡単な事実だけはまもなく理解できた。そして同時に、何故か無性に腹が立ってきた。それは、1月17日から報道され始めたアルジェリアでの邦人人質事件に、日本という国家はその情報入手においても、その後の邦人保護・救出にあたっても基本的に<他国頼み><他人任せ>のやり方しかとれなかった顛末への憤りだ。どうにか実行できたのが、日の丸を掲げた政府専用機による犠牲者(1名除く)の帰還措置のみでしかなかった。
そもそも、今回の事件はフランス軍がアルジェリアの隣国マリに、イスラム武装勢力の南下を食い止める目的で1月11日に軍事介入したことに起因する。英国などもフランスと同じ利権をこの地域で共有しているらしいが、これら旧宗主国に対してこの付近一帯で活動するアルカイダ系のイスラム武装勢力が、直接的にはフランスのマリへの軍事作戦への報復として蜂起したのが今回の事件のようだ。この構図に何故、日本人が10人も巻き込まれねばならなかったのか、そもそもイスラム武装勢力が自爆テロ行為を欧米諸国相手に繰り返すのは何故なのか。彼らの言う、宗教的・政治的正義とはわれわれ日本人にどのような意味を持っているのか。この辺を根本的に問うことなしに、今回事件の真相に迫ることは本来できないだろう。
 しかしその前に言っておかねばならないことがあると感じた。それは、そもそも今回のテロ情報が、現地のアルジェリア軍(政府)そして日本企業とも深い繋がりのあった英国企業を擁護する軍関係機関では事前に入手されていたらしいのだ。日本企業はそんななかで、どこからも危険情報を得られず、<つんぼ桟敷>のまま事件に巻き込まれたらしい。この初期情報さえ入手していれば、危険地域からの邦人脱出が早期に可能であったかもしれない。それを<危機管理問題>という常套句のみで糊塗してはならない。邦人保護に不可欠な情報は、日本国家として当然に確保しなければならないはずだ。そのための自衛隊の駐在武官(同時に、諜報機関)の配置、増員も語られているが、そもそも自衛隊は海外での邦人の安全確保、危機回避にほとんど役に立たないということが明白化したのが今回事件の最大の教訓であったと思う。現行の自衛隊法では、第一に危険地域への出動が禁止されていて、陸路を武装した車両が救援に向かうこともできず、自衛隊員の戦闘行為も正当防衛に該当する場合等極めて限定されている。この問題は明らかに、国民がいざという事態に国外で遭遇しても、日本国家は自国民の生命財産を守り切ることができないという事実を突きつけている。このことは、日本国では諸外国が当然に固有している独立国の主権が制限されているか放棄されていて、それが現行の法体系に由来しているということだ。すなわち憲法上自衛隊の存在が第9条に抵触し否定されていることによる。昨年中国で吹き荒れた反日デモでも事態は同じだったが、邦人企業の莫大な財産侵害はあってもやられっぱなしであった。運良く人的被害が顕在化しなかっただけだろう。邦人拉致という国家組織犯罪を実行した北朝鮮の核実験が切迫しているが、本当にこの国は自国民を守れるのか、近時ほどそのような危機感が高まっている事態は今までになかったと思う。

 ここで僕は、法改正論議や政治論をやるつもりは毛頭ないし、このスペースはそのような用途でないのも承知している。そこで、話を文学の領域に戻したいと思う。実は半年位前から某所で、安岡章太郎の代表作の一つにあげられる『海辺の光景』(1959)を読む機会を得ている。この作品は、安岡が戦後15年間位(昭和35年位まで)一緒に暮らした家族を対象とした作品と言える。家族と言っても、南方から復員したかつて陸軍少将(獣医)であった父親、終戦の年に胸部疾患で内地送還された後、脊椎カリエスで寝たきりの状態が丸4年も続いた後の快復期の安岡自身、そして昭和32年実際に郷里の高知で病死した母親が描かれている。勿論、私小説ではないのでその家族的事実を作品になぞらえて考えるべきではないが、作品の主題が、敗戦から朝鮮戦争を経て高度経済成長が開始される直前までの家族関係であることは確かだ。そしてこの病死する母親(60歳)は、今でこそ若年性アルツハイマーとでも診断されそうだが、ある時から物忘れがはげしくなり、神経に異常を来し、そのために小説の題名に囲まれた高知の精神病院に知らずに入所させられる。その「遺棄」から小説が開始されるのだが、その後一年程で母親が危篤に陥り、主人公の息子(信太郎)と父親(信吉)がその最期を看取る九日間が小説のコアな時間となっている。この臨終に際して、母子関係(近親相姦的母子密着の)を中心に戦後生活の記憶が重層的に挿入される叙述は、それまでの自然主義的な家族小説とは明らかに文体も違っていて、以降安岡文学の結節点となる記念碑作品(四方田犬彦)として高く評価される。そして最後に眼前にひろがる「海浜の光景」に衝撃を受けて心象風景とも絵画世界とも受け取れる強度ある「情景描写」で小説が終わる(作者は「風景」と「光景」を使い分け、後者に特別な意味を付与している)。
「岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮かべたその風景は、すでに見慣れたものだったが、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙(くい)が黒ぐろと、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。・・・一瞬、すべての風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮び上った異様な光景のまえに、一挙に干上って見えた。歯を立てた櫛(くし)のような、杙の列をながめながら彼は、たしかに一つの℃が自分の手の中に捉えられたのをみた。」  (新潮文庫、平成23年41刷、p165-166)

 このラストの「海辺の光景」に何を洞察するかが、この小説を読み解く鍵になることは確かなようだ。しかし実は、この小説表現が戦後文学としての評価を獲得するのは、単に安岡の文才のためだけではなかった。その点で、批評家江藤淳が『成熟と喪失−母の崩壊』(1967)という批評を8年後に書き上げた意義は大きかった。江藤は最後の場面に「喪失」(=「罪悪感」)を認識せずに「成熟」を回避し、「自然」へ埋没した主人公を批判した。江藤個人にとっては、執筆直前のアメリカ留学体験が大きな意味を持った。戦後体制における「アメリカの影」の意識化という問題がここに深く介在してくる。そしてこの点では、母親の神経が狂ってゆく最初の徴候が、終戦直後のどん底の時期ではなく、朝鮮戦争によって父親が米軍施設(基地)の仕事を得る相対的安定期にさしかかった時期である小説の記述は注目すべきものだろう。「母親の崩壊」(=「家族の崩壊」)は戦後体制が確立するその辺り(朝鮮戦争から講和条約)を起点として進行する。さらには『海辺の光景』のあと『成熟と喪失』が書かれるに至る、この10年に満たぬ時代の変化も重要だろう。すなわち江藤の『成熟と喪失』は、高度経済成長も始まり、東京オリンピック開催後に執筆されるが、同時にこの時期、反時代的相貌を露わにしてくる三島由紀夫は『英霊の声』(1966)を刊行し、すでに遺作『豊饒の海』の第一部「春の雪」(1965)の執筆も開始していた。要注意だろう。言うならば、『成熟と喪失』は戦後日本のそれまでとそれ以降を見通す最適な位置を得て書かれたもので、その対象も「第三の新人」という最適な標本を選択していたことがわかる。それが「第三の新人」の四作品(『海辺の光景』『抱擁家族』『沈黙』『星と月は天の穴』)であって、その巻頭に安岡の小説が対象とされたのであった。フェミニズム批評の上野千鶴子に「批評家の「読み」によって時代の金字塔になる作品がある」(講談社文芸文庫解説、1993)と言わしめ、さらに批評家磯田光一をして「江藤淳氏の『成熟と喪失−母の崩壊』は、その思想的先駆性が時の流れとともに次第に露わな姿を示すようになった稀有の事例に属するといってよい」(旧版講談社文庫解説、1978)と評されるほどであった。しかし、江藤がこの批評の末尾で説いた、「被治者」ではなく、<責任>を引き受ける「治者」すなわち最小限の秩序と安息とを自分の周囲に回復しようと試みる「不寝番」の文学の必要性は、この後日本で簡単に理解受容されなかった。その証左に、現在流布されている講談社文芸文庫版では、江藤の「説明しにくい一つの感覚」(平成5年)という後年の「感想」はさすがに掲載されたが、磯田光一の旧版解説文は削除され、フェミニスト批評の上野千鶴子のものに塗り替えられている。上野はかなりの分量の解説最終頁でこう結んでいる。
「「母の崩壊」は、非可逆的な文明史の過程である。「父の回復」をおこなっても、「母の崩壊」が食い止められるわけではない。だれからもお呼びでない「父の回復」など、曳かれ者の小唄か、ひとりよがりの猿芝居にしかならない。それどころか、90年代の息子たちは、もう「父」になろうなどと思いもせず、娘たちは「受苦する母」などとっくのむかしに選択肢の中にない<中略>こんな社会のなかでは、漱石以来の「成熟」の課題など、誰も意に介さないようにみえる。それが男も女ものぞんだ「近代」の帰結だったと、日本人はみずからのぞんだものを手にいれたのだと、江藤は苦い覚醒の意識で言うだろうか。『成熟と喪失』から30年近く経った今日、江藤に聞いてみたい気がする」
(講談社文芸文庫、上野解説p232-3)

 現時点でこの上野の品格を疑う、開き直った啖呵のような江藤批判の言葉をどう受け止めるべきなのだろう。僕は今回前段で、遠いアルジェリアで殺された男達のことに触れた。そして彼らの帰還を<戦死者の帰還>のように感じたと書いた。彼らは、原発事故後日本人の安穏な生活に一層必要な天然ガスエネルギー確保のために働き、結果命を無惨に奪われた。
 僕には、彼らは単に一企業の社員である以上に、国境を幾つも越えた辺境の地で「不寝番」(=「治者」)として「責任倫理」(講談社文庫、磯田解説、p282-3)を精一杯果たした日本人であったと思える。実は非業の死を遂げたかどうかが問題なのではなく、そのような「不寝番」として生きる「父性」をこそ今見直すべきなのだろう。その意味では、何も特別なことではないのかもしれない。それでは、何故上野のような言説がまかり通って来たのか。それもすでに磯田が解説で書いてくれている。「戦後という時代が次の二つの側面をもっていたためと思われる。その一つは、アメリカの軍事的保護にあったために、人々が保護されることに慣れてしまったことである。そしてもう一つは、経済成長期の倫理的な許容度が概して大きかったために、現実上の「責任の体系」が意識されにくかったためである」(同著、p232)。僕が思うのは、ここ数年で状況は大きく変化してきていて、江藤が日本(文学)に導入しようとした「喪失」に耐える「成熟」が身に滲みる時代が露わになって来ていることだ。江藤は、三島とは違うやり方で反時代的に生き、そしてふたりとも非業の死を別々に死んだ。今、その言葉を噛みしめる時かもしれない。さらに思うに、ドストエフスキー文学こそ、「治者」(「大審問官」・「父性」)を真に問題化していたのだ。 不思議な偶然か、この稿をほぼ書き終えた日、安岡章太郎氏逝去の報に接した。合掌。(2013.1.30)







広  場

連載5  
「罪と罰」読書ノート [3]ソーニャとラスコーリニコフ(1)

坂根 武

 小説の筋に反する仮定は意味がないにしても、もしラスコーリニコフがソーニャに出会っていなかったら、彼は自殺でもって自分の運命に終止符を打つしかなかったであろう。彼は秘密を打ち明ける相手もなく、その巨大な虚無は彼を飲み込んでしまったに違いない。
 ラスコーリニコフは決して革命家ではなかった。革命家を自負する人は、たとえ無数の人の血を流そうとも、その血は自分の目指す理想の社会に還流すると信じて疑わない。彼は社会の現状を否定しても、社会の存在は信じている。しかしラスコーリニコフが目指したのは社会の改革ではなかった。あくまで個人としての人間の価値と倫理の問題であった。彼が正義か、老婆の命かと自らに問うとき、それは、自分に何ができるのか、自分とは何者かという激しい問いかけだった。そして己が思想の純化を期するために、いわば正義と命を正しく秤にかけるために、彼は殺害の対象として、命以外何もない、ただ生きているだけの価値しかない老婆を選んだのだが、皮肉にもこのことが実験室で人の命を操作するような非人間性と反社会性を生み出す結果となったのだ。こうして彼は、社会に背を向け、人の心に生きている社会的魂を自らの手で枯らしてしまった。どうして彼は母親には息子の言葉で、妹には兄の言葉で、友人には同胞の言葉で語りかけることが出来ようか。ラスコーリニコフはもはや人間的な言葉で話しかけることはできないのである。人は皆、それぞれの立場に従って社会から与へられた衣装に身を包んで生きているのに彼は自分だけ裸でいるような屈辱を感じるのだ。かくてラスコーリニコフは本能的に、自分と同じように社会的価値がゼロの人、社会的衣装をはぎ取られた裸の人を求めたのである。彼は貧しい売春婦にその人を見た。彼はソーニャに言う。「はじめてお父さんがお前の話をした時から、僕はこのことを聞かせる人にお前を選んでいたのだ」彼が初めて居酒屋でソーニャの父親と出会って娘の話を聞いたのは犯行前のことだ。彼はまだ老婆を殺してはいないのである。しかし彼としてはこれは少しも不思議なことではない。ラスコーリニコフは屋根裏の孤独の中で、自らの思想を育ててきた。不安と孤独の中で鋭敏になった彼の心に、半ば心の狂った父親が語る、社会の底辺でギリギリの不幸な青春を生きている少女の姿が、ある予言的な意味を語りかけてきたとしても不思議ではなかったのである。
 けれども彼の秘密を受け止められる心は、どれほど強く無私でなければならないことであろうか。そこに米粒ほどの私心でも見つけたならば、ラスコーリニコフは許せないだろう。相手の心が神のように完璧でなければならないというわけではない。彼が求めているのは真剣勝負なのである。許せないのは相手の心の油断である。というのも彼は勝利を望んではいないからである。この世に俺の地獄を打ち砕くような強い心を持った人がいるだろうか、これはラスコーリニコフの本能的な無意識の生命の叫びであり希求であった。彼はソーニャの心を知らねばならない。この小説の中で重要な二人のやり取りの場面を読むとき、ラスコーリニコフの心には以上のような利己的な関心が働いていることを見逃してはならない。そうでないとこの場面は正しく読めない。初めてラスコーリニコフがソーニャの部屋を訪れた時の様子を、作者はこんな風に始める。
 「―――ソーニャは無言のまま、注意深く無遠慮に部屋をじろじろ眺める客を、じっと眺めていたが、しまいには、まるで裁判官か、自分の運命を決定する人の前にでも立っているかのように、恐ろしさのあまり、わなわな震え始めた」
 ソーニャはのっけから、自分には意味不明な、未知の人の気味悪い探るような視線を感じる。実際この青年は、はっきりと意識していないにしても、彼女の裁判官としてやってきたのだ、彼女が自分にとって全てかゼロかを見極めるために。中間はないのである。
 「彼は彼女の方へ物思わしげな視線を投げた。と、急にはじめて、自分は腰かけているのに、相手はまだ座りもせずに立ち通しでいるのにふと気がついた。
 『なんだって立っていらっしゃるんです?おかけなさいよ』彼は急に調子を変えて、穏やかな優しい声でそう言った。彼女は腰を下ろした。彼は愛想のいい、同情のこもったまなざしで、一分ばかり彼女を見つめていた」
 この辺りは、二人の最初の出会いの関係を象徴している情景である。助けを求めている若者ほど利己的な人間はいない。本来の自分に返れば優しい青年なのに、今の彼には他人の立場を考える余裕などない。貧しい部屋に落ち合った、社会から見放された二人のやり取りには、ぜい肉をそぎ落とした緊張がある。
 ラスコーリニコフは部屋の中を歩き始める。
 「『貯金はできないのですか?万一に備えてのけておくのは?』
 『いいえ』とソーニャはささやいた。
 『もちろん、駄目でしょう!しかし、ためしてみたことがありますか?』と彼は心持あざけるような調子で言い足した。
 『やってみましたわ』
 『そして持ちきれなかったんですね!いや、そりゃ知れ切った話だ!聞いてみることもありゃしない!』
 彼はまた部屋の中を歩きだした。また一分ばかり過ぎた。
 『毎日もらうわけではないんでしょう?』
 ソーニャは前より一層どぎまぎした。紅がふたたびさっと顔を染めた。
 『ええ』彼女は切ない努力をしながら、囁くように答えた。
 『ポーレチカもきっと同じ運命になるんだろうな』と彼はだしぬけにこういった。
 『いいえ!いいえ、そんなことあるはずがありません、違います!』とソーニャは死に物狂いの様子で、まるでだれかふいに、刀で切り付けでもしたかのように叫んだ。『神様がそんな恐ろしい目にはおあわせになりません!』
 『だって、ほかの人にはあわせてるじゃありませんか』
 『いいえ、いいえ!あの子は、神様が守ってくださいます、神様が!・・・・』と彼女は我を忘れて繰り返した。
 『だが、もしかすると、その神様さえまるでないのかもしれませんよ』一種の意地悪い快感を覚えたラスコーリニコフは、そう言って笑いながら、相手の顔を見やった。
 不意にソーニャの顔には恐ろしい変化が生じ、その上をぴりぴりと痙攣が走った。言葉に表せない非難の表情で、彼女はじっと彼を見つめた。何か言いたげだったが、一言も口をきけずに、ただ両手で顔を隠しながら、何とも言えぬ悲痛な啜り泣きを始めた」
 ラスコーリニコフの、相手に這い寄るような言葉使いに見られる無作法の裏には、嘲りの気持ちはまるきりないのである。ソーニャはそれを察知している。青年の無遠慮な態度の陰に、それとは破調したある真剣さを感じる。言葉に表せない非難の表情とあるが、ソーニャは怒っているのではない。自分がそっと大切にしている神様を世間の人は歯牙にもかけない。そんなことはどうでもよい。しかし、彼が自分に向かってそんなことを言ったのが、ソーニャには限りなくつらいのだ。この人はどこか暗い影があるが、本当は優しい人だ。今まで自分を人間として扱ってくれた人は誰もいなかった、この青年が初めてだ。それなのになぜそんなことを私に言うのだろう。彼女には、ラスコーリニコフの真意が理解できない。一方ラスコーリニコフは、自分の中の小悪魔がふと漏らした何気ない冒涜の言葉が、思いもよらない衝撃を相手に与えたの見て驚く。彼は言葉一つ返さず泣いている女を奇跡でも見る思いで眺める。今時こんな女がいるのか。彼はソーニャの忍従の中に、心の弱さとは全く違った強い芯を認める。それはギリギリの底辺に生きる者同士が、直感的に感じることが出来る或る物であった。彼はこの時、この女こそ自分の秘密を打ち明けるのにふさわしい相手だと直感しただろう。
 「・・・・・突然、彼は素早く全身をかがめて、床の上へ体をつけると、彼女の足に接吻した。ソーニャは愕然として、まるで相手が気狂いかなんぞのように、彼から一歩身を引いた。実際、彼はまるで気狂いのような目つきをしていた。『あなたは何をなさるんです、何をなさるんです?私なんかの前に!』彼女は真っ青になってつぶやいた。と、急に彼女の心臓は痛いほど締め付けられた。 彼はすぐ立ち上がった。『僕はお前に頭を下げたのではない。僕は人類全体の苦痛の前に頭を下げたのだ』」
 これは懺悔ではないであろう。彼がこの不幸な女から得たのは、お前も俺も堂々と正義の前に立っていいのだ、と言う確信である。『僕はお前に頭を下げたのではない云々』と言う彼の言葉は、逆説めくが、そういうことだと私は思う。ここに見られるラスコーリニコフの一連の奇妙な行動には、注意してみると自分の存在への自信のようなものが見られる。彼はそれをソーニャから得た。ギリギリの境遇で生きる貧しい女の心から得た。しかしソーニャにはそんなことは分からないし、どうでもよい。彼女は彼の突飛な行動に不気味な狂気を感じて思わず身を引くのだが、すぐに狂気の本当の正体を見抜いてしまう。それは、この青年はとんでもなく不幸であるという動かしがたい直観である。其れだけが彼女の心を引く。「彼女の心臓は痛いほど締め付けられた」これがラスコーリニコフの狂的な行動に対する彼女の答えの全部なのだ。ソーニャの心には一本の弦しかないのである。その弦が鳴るのを聞けるのは、余計なものは何一つ持たない心貧しい人だけである。

[3]ソーニャとラスコーリニコフ(2)

わが胸の底の心には
言い難き秘め事あり     島崎藤村

 東方の国、日本の詩人と同じように、ソーニャの胸にも言い難き秘密(ひめごと)が住んでいた。その秘密を見抜いたのは、ラスコーリニコフの胸に住む、言い難き孤独と悲しみであり、その秘密を打ち明けるようにソーニャに強制したのは、彼の心に巣食う死の秘密がソーニャの生の秘密を欲したということであった。確かにその通りなのだが、彼がソーニャに聖書の朗読を迫る子供のような我儘な態度には、切迫した利己的な目算が見え隠れしている。彼はソーニャに犯行を打ち明ける決心でいる、そうする前に、相手を二人だけの対等の立場に置きたいのである。というのもこの殺人者は、自分が老婆と同じ無価値な虫けらになったと感じている。彼は母親や妹を前にしても、彼らがちゃんと社会的な衣装身にまとっているのに、自分だけは衣装をはぎ取られて裸でいる屈辱を味わねばならなかった。彼は社会の底辺に生きる貧しい売春婦に出会って、やっと安心して心を開ける同胞を見つけたのである。しかしそれだけでは十分ではない。彼はソーニャに、自分だけに彼女の全部をさらけ出してほしいのである。
 ラスコーリニコフは、ソーニャの殺風景な部屋の片隅においてあるタンスの上に、一冊の露訳の新約聖書が置いてあるのに気付いていた。彼はそれを手に取る。そして、ラザロの復活の一節を読んでくれとソーニャに迫る。こちらは躊躇する。それは、ソーニャの大切なだったからである。
 「ラスコーリニコフは、なぜソーニャが自分に読むのを躊躇するのか、その訳が多少わかっていた。しかし、それが分かればわかるほど、彼はますます苛立って、ますます無作法に朗読を迫った。彼女は今自分の持っているものを、何もかも曝け出してしまうのが、どんなにつらかったろう。それは彼にわかりすぎるほどわかっていた」
 聖書の言葉はこの不幸な娘の心の支えであり、耐えられない時にはそっと語りかけてくれる秘密の声だっただろう。長い年月に亙って大切に育ててきた感情は、他人には分からない独自の色調に染められているだろう。心ない人の前で白日の下に曝せば、それはどうなるだろうか。たちまち色褪せはしないだろうか。青年の無信仰な毒の一滴は、私の大切な花を枯らすのに十分ではないだろうか。これが、ソーニャの恐怖であった、
 けれどもソーニャの心にあるのは負の秘密ではない。詩人の胸に住んでいるのと同じ美と真理の秘密である。当人の心配がどのようなものであろうと、美と真理は隠れたままでいられようか。生きている真理は自らを顕わす機会を決して逃しはしない。それにソーニャは、男の無信仰な表情の陰に、何かを求める真摯なまなざしをとらえている。
 「いま彼女は朗読を始めようとして、心を悩ませたり、何やらひどく恐れたりしているくせに、一面では、そうした悩みや危懼を裏切って、ほかならぬ彼という人間に是非とも今、後で何が起ころうとも!・・・読んで聞かせたい、聞いてもらいたいという願望が、苦しいまでに彼女の心を圧していたのである。彼はそれを彼女の瞳に読み、感激に満ちた興奮によって会得した・・・」
 盲目で不信心なこの人にも、きっと奇跡が起こるに違いない、ソーニャはそう信じたであろう。そして彼女の朗読は、ラスコーリニコフが予期したように、まさに熱烈な伝道者の魂の奔流そのものであったが・・・奇跡は起こらなかった。作者はただ次のように書くだけである。
 「ゆがんだ燭台の上に立っているロウソクの燃えさしは、くしくもこの貧しい部屋に落ち合って、永遠の書物を共に読んだ殺人者と淫売婦を、ぼんやりと照らし出しながら、もうだいぶ以前から消えそうになっていた。5分かそれ以上たった」
 思うに、この5分かそれ以上の沈黙に、この場面の意味が凝縮されている。それは、言ってみれば男女が肉体的に契った後に訪れるような不思議な沈黙とでもいうべきか。ソーニャとラスコーリニコフは、他人が入り込めない二人だけの世界を築いてしまったのだ。しかし同時に、契りあったばかりの男女がつと離れるように、二人の間には隙間風の破調が揺曳している。二人の心の合体がまだ十分ではないのだ。女が惜しみなく与える心を、ラスコーリニコフの硬い心は素直に吸収することが出来ない。ソーニャは自分の全部を男に開いて見せた。次はラスコーリニコフが自分を開いて見せる番である。そのために彼はソーニャに朗読を強要したのではなかったか。しかし彼はすぐにはできないと感じる。相手の光に目がくらんだままである。自分の心の暗夜がよく見えない。しばらく時間を置かなければならない。ソーニャの口から、自分が手にかけたリザヴェータが彼女の親友だと知ったラスコーリニコフは、誰がリザヴェータを殺したか明日話してきかそうと言う。
 「・・・知っているんだ、だから言って聞かせるんだ・・・お前に、お前一人だけに!僕はお前を選んだのだ。僕はお前のところへ許しを請いに来るんじゃない、ただ言いに来るだけなんだよ」そして続けてこんなことを言う。「僕はずっと以前から、初めてお父さんがお前の話をした時から、僕はこのことを聞かせる人にお前を選んでいたのだ。さよなら。手を出さないでくれ。では明日!」
 不思議な言葉だ。ラスコーリニコフが老婆殺害の哲学を追っていた時、ソーニャは身を犠牲にして家族のために必死に生きていた。父親が描いたソーニャの忍従の生き方は、善のためには、良心に照らして無用の命を踏みにじって進むのを是とする彼の思想が、最も容認しがたいものであろう。それを、いまだはたさぬ凶行の前に、彼女を告白の相手と決めていたとはどうした事か。
 頭脳の夢が織り成すラスコーリニコフの暗黒の意識の帳には、時々生命の星が稲妻のように明滅するのが見られる。犯行直前に見たやせ馬の夢がそうであった。ここでも同じことが起きている。命の本能がラスコーリニコフの運命を予知しているのが見られる。「はじめてお父さんがお前の話をした時から、僕はこのことを聞かせる人にお前を選んでいた」とは、彼が既にソーニャの生き方に対して、自らの敗北を予感していたのではなかったか。許しを請いに来るのではないと強がりを言っても無駄ではないか。   つづく





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