ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.135  発行:2012.12.1



12月読書会は、下記の要領で行います。

月 日 : 2012年12月8日(土)
場 所 : 池袋・東京芸術劇場小会議室1 (池袋西口徒歩3分)
開 場 : 午後1時30分 
開 始 : 午後2時00分 〜 (未定4時15分 〜「現在ロシアドスト事情」)
作 品 : 『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』
報告者 :  鈴木寛子さん     
会 費 : 1000円(学生500円)

忘年会(JR池袋駅西口「だんまや水産」)03-3980-0046 → 5時10分 〜


来年2月読書会は、東京芸術劇場の第7会議室です。

開催日 :  2013年2月23日(土) 午後2時〜4時45分迄です


12・15大阪「読書会」案内

ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪の第14回例会は12月15日(土)14時〜16時45分、ホテルグランヴィア大阪19階「ラウンジリバーヘッド」(JR大阪駅直結)で開催。
作品は『正直な泥棒』
お問い合わせ・お申し込みはこちらへ 
〒581-0016 大阪府八尾市八尾木北3-137
「ドストエーフスキイ全作品を読む会・大阪」世話人小野 元裕
URL: http://www.bunkasozo.com 




12・8読書会について
 

 初期作品もいよいよ佳境に入ってきました。孤独な新進作家ドストエフスキーは大変な事件に巻き込まれる。未完作品『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』はその激動の最中に書き発表された。以下は、中断に至るまでの簡単なドキュメントです。()はドの年齢 
・1849年(28)1月、2月作品の最初の部分1部2部を『祖国の記録』に発表する。
・1849年3〜4月、金曜会で「ゴーゴリへの手紙」を朗読。
・1849年4月23日第三課に国家反逆の廉で逮捕される。他に33名のメンバーーも。
・1849年5月、2部の続きが『祖国の記録』に掲載。ドの名前は伏せて。ここで中断。未完。

レポーターは、鈴木寛子さん ネートチカの目線で

 作品報告は、鈴木寛子さんです。読書会のなかで目下、最年少ともいえる彼女ですが、ドスト土壌にしっかり根をはりつつあります。逞しさと繊細さを感じます。主人公たちと同世代の目線で見た作品。どのように読まれたでしょうか。楽しみです。




ネートチカとの対話

鈴木寛子

 うとうとしていて、目が覚めたら、目の前に、小さなテーブルと、コーヒーが二つ、用意されている。ここはどこかわからない。外は雪が降っていて、とても静か。でも、この部屋はとっても暖かい。私の好きなノラ・ジョーンズが流れていて、なんだか落ち着く。このコーヒーの一つは私の分だと思うのだけれど、もう一つは誰の分なんだろう。
 窓越しに外を見ると、雪のなかを、トレンチコートに毛皮のマフラーとピンクの耳当てをした、色白で、髪の長い女性がこの店の方へ歩いてくる。繊細さと、意志と、聡明さが目元にあって、美人というのではないのだけれど、なんだか表情に惹かれる。体つきは華奢なのだけれど、背筋がぴりっと伸びていて、歩く姿が不思議と毅然としている。けれどどこか、儚げで。彼女と目が合う。にっこり笑ってくれた。なんだかうれしい。私もとびきり上等のをお返しする。どうしようもなく、一目見ただけで気に入ってしまう人がいるけれど、彼女はそのタイプ。仲良くなりたいな。
 ドアから彼女が入ってきた。
「あなたがヒロコ?」
「うん。あなたはネートチカね。」
「ええ。それでそのコーヒーは、私の分ね。」
「きっとね。不思議。どうしてこんなことがあるのか。」
「ヒロコはここに来たのははじめて?」
「うん、はじめて。」                  画・武富健治「ネートチカとカーチャ」
「私はね、二回目なの。前に来たときは、神経質な青年と会ったわ。私の父のね、だめになってしまう前は、あんな風だったんじゃないかなって、感じられるようなところがあったわ。でも、父と違って、こっちが怖くなるようなプライドとそれを支えて行ける気骨があったわ。だからかな、いつのまにか、何もかも話してしまったの。あなた、彼にお会いした事があって?」
「ううん。でも、その人のある側面はよく知っていると思う。ずい分ね、その人が書いた小説を読んだから。変な小説ばっかりだけど、すごく切実でね。そのときに、あなたから聞いた話も、その人は書いちゃったみたい。知ってる?」
「ここに来る前は知らなかったのだけど、あの道を歩いている頃には、もう知っていたわ。ここって、本当に不思議な部屋ね。でも、私自身の話とは少し違うの。私はあの本とは違う時代、違う場所で育ったし、暮らしているんだけど。あの青年は、そういうのを自分の時代と国に合わせたり、小説だもの、話も少し盛り上げたりね。」
「今はどうしているの。」
「働いているわ。今は一人で暮らしているけれど。その前はカーチャと暮らしていたのよ。喧嘩したり、愛し合ったり。カーチャは私一人では満足できなかったけど、いつも私が許したわ。だって、愛しているんだもの。カーチャは親の決めた相手と結婚したわ。嫌々結婚した訳じゃなくて、好きで結婚したのよ。でも、カーチャが一番愛しているのは私。私はカーチャの愛人。仕事もしているし、恋人もいるけれど、時々全部、どうでもいいような気がするの。ネートチカは、ただのカーチャの愛人。」
「そう、幸せね。」
「あなたの詠んだ歌は全部読んだわ。ここに来る前にね、別の部屋に行かされたの。そこでそっちでは紅茶を飲みながら、ヒロコの歌を読んだわ。」
「そっか。それじゃあ私たち、もうずいぶんお互いの事、知っちゃったね。」
「ふふ、可笑しいけど、そうね。」
「あなたのお父さんの話、してもいい?」
「あなたなら、かまわないわ。」
「やっぱりあなたのお父さんには、なんていうか、ブラックホールみたいな、不思議な引力があったの?」
「私にはよく、わからないのよ。だって、世界の中心のこと、比べたり、測ったりなんて、子どもにできるわけがないじゃない。でも、きっとあったのでしょうね。だから母は、最後まで父に夢中だったのかな。可哀想な人たち。」
「ネートチカも創作をするの?」
「たまに、詩を書くわ。自分の、慰めのためにね。わかるでしょう?」
「うん、わかる。ねぇ、作品て、いつも思うのだけど、その人の作品よりも、絶対にその人自身の方が面白いと思う。だからそのクリエイターが持っていない魅力や美しさが作品に宿るってことは、絶対無いじゃない。」
「ないわ。」
「なんていうか、才能って、クリエイターが纏っている、不思議な魅力の、なんかブラックホールみたいな引力のことを言うのかなーって、気がするんだよね。」
「それ、考えたこと、あるわ。母も、私も、父の才能に惹かれて、混乱させられてしまったのかもしれないわって。女ってそういうものなのかしら。」
「そうかもしれないし、そうでないかも。わかんない。だから、『不思議』なんじゃない?」
「あの青年のね、ブラックホールはすごかったわよ。」
「あはは。間違いない!そうだ、彼の小説のね、第二部。あなたとカーチャの暮らしの部分。もうね、ずっとあなたのこと、応援しちゃった。『大丈夫、大丈夫。ネートチカ、大丈夫だよ。これから全部、どんどん良くなるよ。だから、大丈夫。』って。」
「ありがとう。」
「でもなんだかね、辛かったな。どうしてこの子の周りでは常識と良識をもって、物事を解決する意志のある人物が誰も出てこないの、ってあとで腹がたった。ドストエフスキーの小説って、いつもそうなんだけどね。私ね、学校で先生見習いみたいなことをしたことがあるんだけど、よく観察して、常識でものを判断して、タイミングを待てば、なんとか子供たちのいろんな問題を解決していけるようなんだけど、ドストエフスキーの小説って、反対の方に行っちゃうの。」
「彼、なんだか常識外れだったわ。」
「それでね、あなたのために、セリフを二つ書いちゃった。こんなセリフをね、誰かに言って欲しくて。小間使いのね、おばさんね。常識と良識を備えてるの。
『あんたはこうこうこういう生まれであたしみたいに朝から晩まで仕事と暮らしに追われてくたびれてくだけの身の上のはずが、こうして公爵令嬢みたいな暮らしをしているなんて、とんでもない話だよ!あたしだって、あんたの十分の一だって、幸福をあてがわれたらねぇ!まったく神様ってのはケチな真似をなされるよ!』
だれかこのぐらいのこと、言ってくれればいいのにと思って。」
「素敵ね。見方、一つよね。私を、みなしご扱いするあの人たちに、あなた、怒ってくれてるのね。」
「うん、だって、いい迷惑だもん。」
「・・・父と母が死んだおかげで、私は貧しさから、飢えと寒さから、救い上げられたのよね。いい暮らしをさせていただいて。体を売る必要もなかったわ。あの界隈に住んでいた女の子の中には、やっぱり売られて行ってね。そのなかにはもう、病気で亡くなったりしている娘も、いるの。運命、ね。ねぇ、それ、素敵よ。もう一つも、聞かせて下さる?」
「言わないでって言われたって、まくしたてたいぐらい。もう一つはね、
やっぱり小間使いがね、
『女と子どもはにこにこして可愛げがあるのが一番だよ。ましてあんたは女で子どもなんだからもう少しにこにこしたらどうなんだい。よく見れば器量だってそう悪いってもんじゃない、それがこんなに陰気な顔をしてちゃ見てられないよ!そうして偉い方々に可愛がっていただくんだよ。全くおまえは馬鹿で育ちも悪いんだから、せめてにこにこして可愛がっていただくんだよ。ここにはいろんな人間がいるけれどね、根っからの悪人てのはいないし、世間てのはどうして捨てたものじゃないからね。だからね、お前みたいな陰気なばあさんみたいな顔、それも子どもにね!誰だって見たくないんだから、女と子どもはね、にこにこしておくことだよ。』
って言うの。」
「母性ね。」
「うん。鋭いのね。」
「なんていうか、母性って、あんまり、書かれてない気がするんだ。ロマンばっかりで。うーん、そうすると、母性ってなんか、人間と大地をつなげるもの、なのかな。ドストエフスキーの小説の登場人物はね、観念がね、どんどん大きくなってね、風船みたいにふわーって、飛んでっちゃうんだけど。」
「そうなのね。」
「・・・。ごめん、どうつながるのかわからないんだけど、河野裕子の歌を引いてもいい?

  しんしんとひとすぢ続く蝉のこえ産みたる後の薄明に聴こゆ
  たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
  病むまへの身体が欲しい 雨上がりの土の匂いしていた女のからだ

 私の一番好きな歌人なんだけど、こう、怪しいでしょ。身体感覚の独特さが特徴だって、言及されること、多い人なんだけど。何かこう、女の身体と、大地と、本能と、その先にある、大きな大きな何かが、つながっているような、そんな気がするの。
 ドストエフスキーは、もっと普通な男女の絆とか、女性のある深い側面とかは、あまり書けなかったと思うんだ。予感はあったようなのだけど、大地的な、もの。昏い、力。不思議な魅力があったから、そうか時代的にも、女の人に、最後まで甘えて生きていけたからなのかなぁ。
 でも、何かは捉えていた。そこに、ネヴァ河での幻想とか、大地に口づけしたりとか、そういう所に、私は惹かれてるかな。でも、彼は最後まで、鉱脈にはぶつからなかった?掘っても、温泉は出ない場所に、迷い込んだ気もする。」
「・・・そう。彼、ちょっと嘘つきだったしね。」
「だけど、誠実さから嘘をついていた?ドストエフスキーって、虚勢の文学だという気が、最近するの。登場人物がね、時々すごく怖いときがある。あれはすごく好意的にとれば、虚勢なんじゃないかなって。」
「・・・。なるほどね。確かに父は、虚勢だけの人だったわ。ふふ、それに私も、カーチャも、ほんとに虚勢ばっかりよ。」
「だけど・・・素直になるのも、怖いよね。私ね、人ってね、愛情で満たしてあげれば、自然自然とその人の進むべき道を歩き出すと思うんだ。私の教育論。自分をうまく、愛せなくなるほどの何かがあれば、人は虚勢をはるしかないのかもしれないけれど、でも、愛情を注いで、信じてあげれば、誰しもゆくべき道を、歩いて行くと、思うの。」
「種を撒けば、芽が出るし、陽が射せば、自然しぜんと太陽の方へ伸びてゆく、か。」
「ネートチカ、何それ?」
「私の太陽。」
 ネートチカは誘うように微笑んだ。
「何それ、謎掛け?」
「あるときね、太陽に出会ったのよ。その人の言葉。考えてみれば、一人じゃなかったかな、いろんな人が、太陽のように私を照らしてくれて、私は光の方へ、伸びていきました、なんて。そこがね、あの青年にね、それはなんだか、言ってやりたいわね。
 本物の大人は、どんな環境で育ったとしても、それにちゃんと折り合いをつけていると言うけれど、彼、折り合いなんて、やっぱりつけられなかったの?」
「うーん、どうだろ。あなたと別れてからが勝負のはじまりだったみたいだし、凡人にはわかりかねちゃう。
 ねぇ、それよりなんだか少し、部屋の感じが変わってきている気がする。少し、薄まっていくというか。」
「そろそろお別れみたいね。前も、こんな具合だったわ。」
 少し、沈黙が流れた。私は思い切って、あることを切り出した。
「ねぇ、ネートチカ。カーチャとは、別れなよ。」
 硬い表情と少しの沈黙の後に、ネートチカは薄く微笑んだ。
「できないわ。それだけはできない。」
「・・・ねぇ、子どもは欲しく、ないの?」
 ネートチカは一瞬真っ青になったが、すぐに平静を取り戻した。
「いらないわ。」                         画・武富健治
「・・・うん。」                       「ネートチカとカーチャ」
「そんな顔、しないでよ。大丈夫よ。全ての中に、神の愛が宿っているわ。どの道に進んでも、いいのよ。突き詰めれば、どの道でも、一つの道へ至ると思う。そんな、予感がするの。」
「・・・。」
「私には、私の悲しみもあるけれど、歓びがあるの。」
「そうだったね。ごめん。元気で、ね。」
「あなたも。」
「ねぇ、何があったって、笑い飛ばしてやりましょうね。」
「えぇ、あなたに祝福を。」
 ネートチカはにっこりと笑ってくれたけど、その微笑みは、どこか淋しげだった。
 どちらからともなく、お別れの抱擁をして、私はそのまま目を閉じた。そうしてそのまま、この夢は消えてしまいました。  完




タイムスクープ 1849年4月23日、午後のペテルブルグに号外、市民騒然。

編集室は、タイムスリップで163年前の号外を手に入れた。

号外 政府転覆を企むフーリェ主義者一斉検挙 !!

秘密結社「金曜会」のメンバー34名を逮捕

 1849年4月23日未明 ロシア政府当局はかねてよりペテルブルグ市内において暴動によって国家転覆を共謀する秘密結社「金曜会」の内偵をすすめていたが、このほどその容疑が固まったことから同会のメンバー34名を各人の自宅でそれぞれ逮捕した。この会は9等官ペトラシェフスキー(28)が昨年はじめに「友人を迎える日」として発足したもので、毎週金曜日に開かれていた。この会は、表向きは音楽を聴き文学を語る会を装っていたが、内実は、ユートピア社会主義の思想を土壌に国家転覆を企てていた。会員のなかには、詩人、大学生、役人ら知識人多数の他、近衛部隊の将校も含まれていた。

皇帝直属・第三課が指揮

 内務省第三課(秘密警察)は、昨今の諸外国にみられる不穏な情勢からわが国における秘密結社の活動を危惧し、同会の実態を調査してきたが、この度、ほぼその陰謀計画の全容を把握し充分な証拠を掴んだことから一斉逮捕に踏み切った。
 ニコライ一世は、24年前の弟株リストの反乱の悪夢を思いだされて「事態は重大である。一部にはたわいない部分があるとしても、放ってはおけない」と憂いあるコメントを寄せられた。以下は、これまでに入手した主な逮捕者リスト。()は年齢

ペトラシェフスキー(28) グリゴーリエフ(20) モンベルリ(28) ドゥロフ(33)
リヴォフ(25) スペシネフ(28) ヤストルジェムプスキイ(35) トーリ(26)     
チャムコフスキイ(34) ドストエフスキー(27) 他24名 判明しだい公表。

逮捕者のなかに作家ドストエフスキー氏の名前が !

逮捕者のなかに『貧しき人々』の作者ドストエフスキー氏の名前があり、ペテルブルグ文壇に衝撃が走った。氏は2年前、昨年亡くなった批評家ベリンスキーに処女作『貧しき人々』が絶賛され文学界に華々しくデビューしたばかりで関係者は驚きを隠せない。「あの青年が、そんな大それたことを、信じられない」といった声が多い。しかし、当局の調べによると氏は、秘密結社「金曜会」では、主犯のペトラシェフスキーに継ぐ最重要人物の一人とみなされている。それによると氏は、毎週金曜日にひらかれる秘密会議に参加、国家転覆の企てや暴動を引き起こす文書を朗読し陰謀の早期実現をあおった。農民問題・裁判制度・検閲制度の改革をすすめるために氏は「そのときは、蜂起するしか手がないじゃないか!」と扇動していたという。
各地で暴動が頻発 1848年 民衆蜂起 45件  地主殺害 18件





10・27読書会報告 
               

リニューアルした東京芸術劇場、再出発の会場・参加者13名
読書の秋より行楽の秋か。13名とやや少なめの参加者でした。
 
土屋正敏さん報告で『白夜』白熱

 はじめて報告された土屋さんでしたが、質疑応答は、さまざまな意見、感想がでた。
「リズム、詩的なリズムがある」「忘れていたが書き出しに…」「センチメンタルな小説」「ドストエフスキーは白夜のなかにいた」「センチメンタルなロマン」「『地下室』の前身」
空想家の手記 → 地下室の手記 この感想が多かったように思う。


私はこのように読んだ    提出されたアンケートから

          
「白夜」のロマン主義にはもうだまされない   
金村 繁

 会のために読み直して、あることに気付いた。女は名を聞かれて早速答えたが、「ぼく」は名を言っていない。これでは対話関係は成立しない。たしかこの一編は青春小説みたいだが、ケーキの上のクリームだけをなめるようなもので、実は『地下人』の序説ものである。
 女は天性したたかな女性であって作者自身も「抜け目のない女」と記した。(小沼訳角川文庫版42P)作者自身は「俺はこんな人間だよ」と云っているにすぎない。作者の伝記にも同様のことが再び出てくる。「白夜」のロマン主義には、もうだまされない。
 報告を聴いて 耳が遠くなって失礼を続けています。上記の私の感想をどなたかが指摘されていたらどうぞご勘弁下さい。




「白夜」と「地下生活者の手記」について

 
前島省吾


「白夜」は「地下生活者の手記」を髣髴させるとの意見がでた。私は疑問を感じたが、時間がなくて議論できなかった。この問題について意見を述べさせていただきたい。
 「白夜」の主人公は、自然の美に心打たれ、街の建物とも親しく会話できるほど世界との接触に喜びを感じる人間である。ところが「地下生活者」は一杯の茶を楽しむためには世界が破滅してもかまわないという人間である。孤独者であることは共通するが、一方は散策の詩人、感傷的な空想家、他方は閉じこもりの懐疑家、思索者である。特に「愛」への対応は全く対照的である。
 
「白夜」の主人公は、ナスチェンカの許婚への恋、いわば自分の恋敵への恋の成就のために献身する。ナスチェンカの恋の成就は自分の失恋を意味するにも関わらず彼女への愛のために献身するのである。モスクワから帰ってきて三日も経つのに約束を守らず便りもよこさぬ恋敵から、ナスチェンカの心が自分の方に移ってきたそのとき、自分の恋が実現されそうになったそのとき、愛する者から捨てられた彼女を救うことができない自分の無力を彼女への愛ゆえに感じて、自分の存在が彼女を苦しめるからといって、彼女から立ち去ろうとする。彼は相手の心に全く重荷にならないような愛し方、彼女が存在することに感謝だけを感じる愛だけを求めるのである。それは無私の愛である。自分だけが幸福になることを恐れる「弱い心」のワーシャにはつながるかもしれないが、リーザを通して愛の不毛、愛の不在の意識を追求する地下生活者には全くつながらない。
 彼女は空想家に名前を聞かれて「ナスチェンカ」と、あえて日本語にすれば「私の名は聖子ちゃんよ。(注)」と答えた。「これから聖子ちゃんって呼んでね」といわれたようなものである。会って早々、いきなりこんな風に親しみを込めて言われたら誰でも恋してしまうだろう。案の定、主人公は歓喜で有頂天になって、時折恋人だけが使うты(君、お前言葉)を使ってしまう。 ところがナスチェンカは一貫して他人行儀のвы (あなた様言葉)である。結婚の話をしているときでさえ、近い未来の結婚相手の空想家に向かってтыとは一言もよびかけない。彼女の許婚への愛は空想家との恋の会話の中でもゆるぎない。彼女自身何度もそれを告白する。それにも関わらず空想家の愛も求め続けるのである。彼女は許婚、空想家との三人の愛の共同体を希求する。そこに、кокетство (媚態)плутовство(抜け目なさ)、エゴイズムが潜んでいるのは間違いない。しかし私は後のドストエフスキー作品に見られる愛憎、嫉妬、サドマゾ気質など欲望の三角関係構造といわれるものとは別のものだと思う。ナスチェンカのエゴイズムは、成年女性の我欲ではなく、17歳の処女の可憐で無垢な理想の愛を夢見る自己愛とも言うべきものである。彼女は許婚との喜びの抱擁の直後に、空想家とも熱い、熱い接吻をかわす。彼女はペテルブルグの春の自然のような奇蹟の美女である。彼女にはすべてが許されるのである。失恋した空想家は自分の屈辱を忘れ、ナスチェンカの心の晴れやかさと愛らしい微笑の明るさを追憶しつつ、彼女が孤独な自分に与えてくれた幸福な愛のひとときへの感謝で心を満たすのである。
 地下生活者も二度恋をした。本物の嫉妬にも煩悶した。しかしそれは本人の述懐によれば退屈のなせる業であった。「白夜」の空想家は失恋をさえ人生の記念日として生涯祝福し続けるのである。
 「白夜」のナスチェンカは空想家の心に「満天の星空の明るい夜」の輝きを放ち続けるが、「地下室の手記」のリーザは「じめじめした黄色くにごった雪」のイメージで主人公を苦しめ続けるのである。「白夜」の希望と「地下室」の絶望にはくっきりとしたコントラストがある。
 「白夜」の主人公の将来について。
 「ああ、俺がひとりぼっちで、誰も俺を愛してくれず、俺も決して誰も愛さなかったら、こんなことは一切起こらなかったろう!」とつぶやいたラスコーリニコフ、幸福な愛のひとときの思い出をもっている彼が殺人をおかしたのだから、空想家も罪を犯す可能性が無いとはいえない。ただ、私は「地下生活者」にはならないと思っている。もし彼がソーニャやリーザのような売春婦と知り合ったら、ラスコーリニコフと同様に、その人間性に心の奥底から共感し、信頼し、愛の感動を分かち合うだろう。決して「地下生活者」のように虐げられた憐れな売春婦の人間の尊厳を傷つけ侮辱することによって、悲哀の奇妙な快楽の醍醐味をあじわうことなどありえない。
注: ナスチェンカの本名はナスターシア、これは聖女アナスタシアからきていると思って、「聖子」としました。





新美しづ子さんの歌 8月読書会で俳優座・下哲也氏、斉藤深雪氏のお話を聞いて詠まれた歌。 前号のつづきです。


「かもめ」公演に寄せて

無意味という深奥をみし生涯も  或いは喜劇幾十幕の

無意味の意味つまらなくなり小学生の  野球みにいく夏木立ぬけて

ヴォルガよりエニセー河という君よ  氷の海になだるる激流

“可愛い女”を今読みましたシンプルイズベスト  可愛いけれどでもねえなんだか

鵠沼に転地の父にくっついて  ハゼ釣りにゆきぬ毎日毎日





ドストエフスキー文献情報
  提供・≪ド翁文庫・佐藤徹夫≫


<図書>

・『世界文学から/世界文学へ 文芸時評の魂1993-2011』 沼野充義著 作品社 2012.10.10
     \3800+ 506+xvip 21cm
     ・青野聰『永遠のジブラルタル』(講談社) p197-199
     ・亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』(日本放送出版協会) p286-288
・『「あらすじ」だけで人生の意味が全部わかる世界の古典13』 近藤康太郎著 講談社 2012.11.20
     \895+ 270p 17.4cm <講談社+α新書 212-3 C>
     ・第5章 家族を殴るということの意味を知る『悪霊』 p105-120

<逐次刊行物>

・<文化>「白夜」34年ぶりの出会い 絶望退け、生の意志示す/大久保清朗
     「朝日新聞」 2012.10.23 p35
     *ロベール・ブレッソン監督作品『白夜』(1971.フランス;1978年日本公開)
      ビデオ、DVDなし
     *講談社学芸文庫の広告欄で、井桁訳『やさしい女・白夜』(2010刊)には、「現在全国公開」
      と付記されているが、どの館で公開されているのか分りにくい。

*OLDニュース1件
・NHK Eテレビ(2チャンネル)の「こころの時代〜宗教・人生〜」(土曜 朝5:00-6:00)で、
 11月11日(本放送);11月17日(午後1:00-2:00 再放送)されたのは、「ドストエフスキーとの心の
 交流・亀山郁夫」であった。





「ドストエフスキー体験」をめぐる群像  
                     (第44回)三島由紀夫の生と死、その運命の謎
 ブレッソンの「白夜」、そして吉本隆明                                        
                                    
福井勝也


 前回の読書会(10/27)では『白夜』(1848)が論じられたが、その際にロベール・ブレッソン(1901-99)の「白夜」(1971)の再映情報が伝えられた。1978年(s.53)に日本で公開されて以来34年ぶりという。何と、読書会当日が公開日と偶然に重なった。寡作なブレッソンの作品中でも「幻の映画」と言われ、これまでもそしてこれからも見ることが難しいだろうと聞いて、やっと先日、渋谷のユーロスペースで再会を果たしてきた。
 再会の第一印象は、セーヌ河ポンヌフでの四夜の逢瀬の物語だから当たり前なのだが、全体を通して画面がこんなにも暗かったかというものであった。しかしこれでは「白夜」と呼べないと思っていたら、映画のフランス語原題が直訳で「ある夢想家の四夜」と読めた。『白夜』のロシア語原題も複数形であることも承知していたので、とりあえず納得した。逆に、昼間の光溢れるカラー映像(マルタの白い肌やカラフルな衣裳、ジャックの原色の絵の具など)が美しく目に染みた。制作年の71年と言えば、カルチェラタンが燃えた68年から数年後ということになるが、アパートのエレベーターが動くたびに旧式な音を出すのが気になった。それに背景となったパリの街路を走る自動車がやたらと騒々しく感じた。そして青年夢想家お気に入りのポータブル・テープレコーダー(フイリップ社製とか)が博物館行きの骨董品のように映った。「ウォークマン」というソニー製品が急に思い出されたが、いつ頃の商品か思い出せなかった。途中不意に34年前に映画を見た時分の記憶も甦ってきて、ドストエフスキーを本格的に読み始めた青年期の気分になって、それが主人公の乾いた孤独感に重なった。それは映画のなかで若者たちが路上でかき鳴らすフォークギターの音のためだったかもしれない。全般に映画から聞こえてくる音楽や色んな音声が妙に耳に残こる作品となった。
 改めて映画を再見しての感想を述べれば、原作『白夜』の(井桁貞義新訳)の「センチメンタルな小説」という副題は、どうも何かのパロディと考えた方が良いように感じられた。とにかく原作では、この二人の男女はお互いの夢想(欲望)を一方的に語るだけで対話など成立していない。女が男の話を遮る物語かと思える程、「もうたくさん!」という女の言葉が頻出していることに気が付いて驚いた。四夜目に偶然に実現された二人の「対話」が、現実的な結婚の可能性を語り始めた時、その直後に訪れた運命的暗転が初めから仕掛けられていたようにショートして終わる。その突然の幕切れが不条理な余韻を残すのだが、観客はここで感傷的になる必要もないはずだ。むしろ次の朝、女から届いた手紙のなかで語られる「兄と妹、そしてその夫を含む友愛的三角関係」を被虐的に肯定してゆく夢想家の人間的真実こそ注目すべきでないか(映画では、翌日男が部屋で絵筆を取りながら、テープレコーダーから聞こえる「でも愛する人はあなた」という女の声に応えて感謝の声を吹き込む。そのやりとりを繰り返し聞きながらラストシーンとなる)。
 ブレッソンの「白夜」では、先行したルキノ・ヴィスコンティの作品(1957)に見られるような感傷性が、自然にストイックに抑制されている。感傷の抑制は、さらに性的なものの抑圧のメッセージを伝えてくる。全裸のヒロインの肌をなめるように写し出すカメラの視線は、四夜目の二人の抱擁シーンとさらに店のテーブル下を映し出すシーンとで、女の腰から太股へ移動する同じ男の手の動き(両方とも女に遮られるが)を執拗に追いかけてみせる。そこではセクシュアルな欲望が観客に喚起されながら、それが女によって切断されてしまうのだ。確かにヴィスコンティもドストエフスキーの作品を深く読み込んだ映画を撮っているが、『白夜』に関する限り、原作の小説表現をここまで映像化したブレッソンは驚異だと思う。
 この点で井桁貞義氏が新訳解説(講談社文芸文庫)で指摘していることが参考になった。すなわち、ドストエフスキーはこの時期「それまでのヨーロッパの文学の研究の上に立って、新たな文学表現上の実験を、逆に提示し始めて」いるとして、30年後に書かれた『やさしい女』(同文庫新訳)とともに、この時期の『白夜』にも方法的な小説的模索の試みを見ようとしているのだ。これを自分流に応用すれば、副題の「センチメンタリズム」とは、ドストエフスキーにとってこの時期小説創作上の「目的」でも「手段」でも勿論ありえず、言うならば「パロディ」の対象としてより酷薄なかたちで利用されたものと解釈できる。ブレッソンの「白夜」を見てそんな感想を強くした。
 山城むつみ氏は、今回の映画パンフレット寄稿文の「愛の新世界 1848/1968」で、ペトラシェフスキー事件に絡んで、この時期ドストエフスキーがかなり過激な社会変革を夢見ながらそれを実行しようとしていた事実を指摘し、小説『白夜』の言葉に新たな読みを加えている。このことは、井桁氏の説く、この時期ドストエフスキーの「新たな文学表現上の実験の提示」「小説的模索」がその夢想家の革命的実践と結ばれていたとの理解にも導かれよう。どちらかというとこれまで、ドストエフスキーのペトラシェフスキー事件との関わりが消極的に理解され、作家の創作行為と政治的関心が区別されてきた感が強い。この点で当方は、読書会でも山城氏の見解(「現代思想」特集号、2010)を紹介してきたが、今回のパンフレットでは、ブレッソンの「白夜」を論じながら、自説がより鮮明に語られていると感じた。

「どうやら、主人公には、結婚を超過して愛し合いたいという欲望があるようだ。じっさい、彼は結末で現実においても結婚という問題を厳しく突きつけられ、それを、ありえない仕方で超えようとするのである。澄みきった青い空に数十の星が瞬いているのと同じくらいありえない人文上の奇跡は瞬間に起るだろう。」(パンフレットp03)
「若い極左フーリエ主義者ドストエフスキーは、原作の冒頭から、全くありえない白夜の下に、人文上の奇跡によって貨幣と結婚とが同時に廃棄されている「愛の新世界」が地上に開花しようとしている様を我々の心に呼び醒まそうとしているのだ。
 しかし、すでに見たように、僕らが《若い》ときにしかありえない白夜は、貨幣と結婚の気配が微かに兆しただけでもただちに曇る。だから、『白夜』(1848)を書いてから 二十年以上の歳月が流れ、すでに五十前後になった後期のドストエフスキーはあの《まったき至福の瞬間》のおぞましい断面を『白痴』(1868)と『悪霊』(1871-2)に切り出して見せたのだ。
 1848年革命の若い当事者だったドストエフスキーは《ありえない白夜の下で、この上なく心の清らかな純朴な男女が善良で美しい生活を自由かつ平等に享受し、兄弟姉妹のように愛し合う》というヴィジョンを生涯捨てなかったが、当事者だったからこそ、同時代の若い人たちに次のような、白夜の逆説的断面を強調しておかずにはいられなかったのである。《この上なく心の清らかなその純朴な人たちが、その善良で美しく高潔な動機から行動しても、結果として、その手がこの上なくいやらしくおぞましい悪事に汚れてしまっている、そんな醜悪なことがありうる。その死角にこそ歴史の恐ろしさがあるのだ》と。たぶん悪魔は、貨幣制度と結婚制度とも無縁ではない死角に隠れており、そこから戦争、虐殺、強姦、幼児虐待、等々を引き起こしてきたのだ。」(パンフレットp09)

 さて本年最後の本欄をこの辺で締めくくりたい。今年も読書会でドストエフスキーの作品を読み直しながら連載を続けさせて頂いたが、今年最後にあたり、3月に亡くなった吉本隆明に再度触れたいと思う。吉本には、国家の成立過程を論じた『共同幻想論』(1968)という書物があるが、その一節で男女(夫婦)関係を問題にした「対幻想」を論じている。その吉本の「対幻想論」では、ヘーゲルの『精神現象学』の<家族>関係に言及した部分が引用され、さらにそのなかに夫婦関係と親子関係とは異質な「兄と妹関係」について触れた箇所がある。その前段で吉本は、「ヘーゲルの考察は<性>としての人間が<家族>の内部で分化してゆく関係を、するどく言い当てているとおもえる」と語り、さらに「わたしたちはさしあたって<対なる幻想>という概念を、社会の共同幻想とも個人の持つ幻想ともちがって、いつも異性でしか存在しえない幻想性の領域をさすと考えておこう」と定義している。
 そして、問題の「兄と妹」関係に触れたヘーゲルの言葉をまず引用すれば、「だが、混じり気のない関係は兄と妹の間に在る。両者は同じ血縁であるが、この血縁両者において安定し、均衡をえている。だから両者は、互いに情欲をもち合うこともないし(夫婦関係との差、筆者注)、一方が他方にその自立存在を与えたのでもないし(親子関係との差、筆者注)、一方が他方からそれを受け取ったのでもなく(子親関係との差、筆者注)互いに自由な個人である。それゆえ、女性は、妹(姉)であるとき、人倫的本質を最も高く予感している」とある。そして、吉本はこの部分を説明して「最後にヘーゲルがするどく指摘しているように兄弟と姉妹の関係は、はじめから仮構の異性という基盤にたちながら、かえって(あるいはそのために)永続する<対>幻想の関係にあるということができよう」と語っていた。
 今回偶々、ブレッソンの映画を34年ぶりに再見して辿り着いた小説『白夜』の世界とは、一対の男女関係それも性的な結びつきがオミットされた山城流に言えば「愛の新世界」であった。擬制的な兄(弟)・妹(姉)関係を主軸にその妹(姉)の配偶者をも含む友愛的三角関係をドストエフスキーは本気で夢想しながら、その新人類実現のために政治革命すら企図したようだ。貨幣制度と結婚制度によって形成されている現実社会の変革は、同時に性的人間の欲望を根本から断ち切ることなしに実現不能だとも考えていたのか。ここには山城氏が説く、遅れてペトラシェフスキー会に参加し、ドストエフスキーに深刻な影響を与えた過激派スペシネフの原始キリスト教団の「対幻想」世界(隣人愛)への希求があるのかもしれない。そして今回、吉本隆明が「対幻想論」で引用した、ヘーゲルの『精神現象学』の<家族>関係の「兄弟と姉妹」における「仮構の異性」関係をドストエフスキーは何らかの影響で小説に取り入れたのではなかったか。彼の蔵書目録に当たるまでもなく、おそらくキリスト教起源のヨーロッパの知的系譜を通して辿り着いた世界であったろう。そして、吉本隆明の凄いところは、独自に構築した『共同幻想論』において、ドストエフスキーが夢想した「対幻想」(『白夜』)から「共同幻想」(革命幻想)に至る問題の道筋をその射程距離内に捕捉していると思われることだ。ここには、今まで触れてきたキリスト教起源以前の吉本のアジア的古代性の枠組みの問題として語ることも可能だろう。
 さらにブレッソンの映画「白夜」は1968年という革命の年を経て、現代のパリという街を背景に、二人の男女の対幻想世界をストイックに映すことでドストエフスキーの世界を反復してみせた。その凄さは、先に触れたブレッソンのカメラの視線(例えば、男の手)を追いかけているうちに、それを見る者(観客)が逆に見つめ返される、視線の切り返しにさらされることにあったのではないか。
 前回は没後20年の中上健次について触れたが、中上は吉本の『共同幻想論』(角川文庫版、1982)の解説を書いている。そこでの言葉が、今年を締めくくる言葉としてふさわしいものに感じた。来年もできれば、中上辺りに触れながら連載を続けられれば有り難い。
 「1968年、丁度60年代末、この『共同幻想論』は街頭での一群の人々による暴力の噴出と共に共同幻想として国家を露出させ、来たるべき事態を予告し、何にも増して国家とは性なのだ、国家は白昼に突発する幻想化された性なのだと予言した。性が対幻想として読まれ共同幻想に転移していくという見ようによっては十全にアジア的(農耕的)なこの書物の出現は歴史的に言えばほどなく起る三島由紀夫の割腹自決と共に60年代から70年代初めにかけて最も大きな事件である。この事件を読み解くにはまったく新しい時間が要る事を読者は肝に銘じられたい。」

 尖閣問題が先鋭化した今年は、長らく眠っていた戦後日本人の国家意識が呼び覚まされた年として、今後画期になるかもしれない。『白夜』に「センチメンタルな小説」と副題をつけた「夢想家」ドストエフスキーの<深慮>は、「対幻想」の永遠の問題を端緒に、「共同幻想」を差し迫った「革命」によって根本から暴くことに向かった。それはブレッソン「白夜」の青年が絵筆を取るように、「国家」を別な色に塗り直そうと企図したものかもしれない。
 中上が言う、<二つの事件>を解くための「まったく新しい時間」は現在の日本でどこまで成熟したのだろうか。しかし、それとは別に『白夜』に仕掛けられたドストエフスキーの永遠の問いは、確かな起爆力の端緒として現在の我々にも作用しているはずだ。「近いうちに」また、それらがいつ交叉するとも限らない。        




鼎 談 清水正、亀山郁夫、三田誠広、「『悪霊』の世界を語る」

  
 11月20日(火)、最近『悪霊』に関する著書を刊行したドストエフスキー研究者清水正氏、亀山郁夫氏、三田誠広氏の三名は神楽坂にある日本出版クラブ会館で鼎談した。題は「『悪霊』の世界を語る」。主催は「週刊読書人」。鼎談記事は12月7日発売の「週刊読書人」に掲載。

清水正著『ドストエフスキー論全集』第6巻『悪霊』の世界 9月、星雲社 D文学研究会
三田誠広著『新訳 悪霊 神の姿をした人』 6月 作品社
亀山郁夫著『謎とき「悪霊」』新潮社 2012・8・25 





「罪と罰」読書ノート 
[2]ラスコーリニコフの孤独

 坂根 武

 秀でた知能と優しい心を持ったラスコーリニコフ。こんな若者に人を殺させるには、悪魔は手の込んだ搦め手を用意しなければならなかった。夢からさめて、放心したようにネヴァ川に沈む太陽を眺めたラスコーリニコフは、一瞬の心のスキを衝かれたのである。どちらに傾くかもしれない彼の不安定な心は、ある偶然の出来事の暗示に抵抗できなかった、そういうことであった。心ここに在らずの殺人をやってのけて、やっとの思いで自分の部屋にたどり着いたラスコーリニコフを、作者は次のように描くのである。
 「こうして、彼はずいぶん長い間横になっていた。ときどきふっと目が覚めるらしく、もうとっくに深夜が訪れているのに気付くこともあったが、起きようなどという考えは頭に浮かばなかった。とうとう彼は、もう昼間の明かりになっているのに気がついた。先ほどからの忘却状態で、硬直したようになったまま、長いすの上にあおむけに寝ていた。(中略)『二時過ぎだ』こう思うと彼はいきなり、まるで誰かにもぎはなされでもしたかのように、長いすからがばと跳ね起きた。『やつ!もう二時過ぎだ』彼は長椅子の上にすわった_____と、その時初めて一切を思い出した!突如として一瞬の間に、何もかも思い出したのである!」
 全く収穫のない狩りに心身とも消耗して、傷ついた野獣のように横たわるラスコーリニコフに奇怪な錯誤が襲う。一瞬、彼の頭からつい先刻の凶行の記憶が抜け落ちてしまったのである。あまりにも激しい人殺しの心理的衝撃は、彼の意識が正視するに堪えなかったということであったにちがいない。では、その衝撃の正体はなんだったのか。
 もしこの殺人者が、自分の体に流れているのと同じ温かい返り血を浴びて、犠牲者と恐怖と苦痛を分かち合っていたならば、自分は人を殺めたという実感が生まれていただろう。しかし、魔性の思想に取りつかれているラスコーリニコフにとっては、老婆はこちらの行動を決して吸収しない虚像に過ぎない。彼女は人々の周りに在る物品でさえないのである。それらの物品は人の感情や意図を受け入れ反映することで、人々の行動の対象になっているのだ。しかし老婆はラスコーリニコフの行動の対象になるに足る、いかなる感情移入にも無縁のワラ人形にすぎぬ。彼女は、偶然選ばれたシラミ以下の存在でしかないのである。彼はオノが手ごたえを返してくるとは、思いもかけなかったであろう。ところが意外なことに手ごたえがあり、何者かが悲鳴を上げて倒れた。それは、ついさっきまで人の言葉を話していた。確かに一つの命を手にかけたのだ。してみると、可能な帰結はひとつしかない。老婆に向けたオノは、凶行者自身に跳ね返って彼自身の命を切り裂いたのである。彼の目の前に横たわっているのは、ほかならぬ彼自身の死体だった。本能の直感とはなんと恐ろしいものか。老婆の住居へ足を運びながら、まるで刑場へ引かれていくようだと感じたのは真実だった。俺は自分の命を手にかけるためにここへやってきたのか。ラスコーリニコフは、凶行の後、自分の中に己が命を否定する魔物が宿ったと感じたにちがいない。それは生理的としか言いよう
のない死の感触であった。それは、人間的な言葉では表現しようのない不気味な或るものだった。こうして彼は、人に語ることが不可能な秘密を心に宿してしまったのである。
 人は小さな秘密を隠しているときは、それを愛玩できるというものだ。しかし秘密があまりにも大きければ、それ以外のどんなことを話題にしても、自分は白々しいウソをしゃべっていると感じるだろう。それがラスコーリニコフのような恐ろしい秘密になると、自分という存在そのものが秘密になったと感じるであろう。こうして、彼は他人に対してばかりではなく自分自身に対しても孤独になったのである。犯行の翌日、些細な用件で警察に呼び出されて、彼が経験したのは、まさにそのことだった。
 「彼の内部には何かしら全く覚えのない、新しい、思いがけない、ためしのない或るものが成就したのである。彼はそれを了解したというよりも、感覚の持ちうるありたけの力で感じたのである___さっきのような、感傷的な、長たらしい、愚痴交じりの打ち明け話はもちろんのこと、どんな話であろうと、もはやこれ以上区警察署で、この連中に話しかけてはいけないのだということを、はっきり感じたのである。これがたとい、みんな警察官ではなく兄弟姉妹であるにしても、今後生涯のいかなる場合においても、彼らに話しかける必要はないのだ。彼はこの瞬間までかって一度も、こうした奇怪な恐ろしい感じを経験したことはなかった。そして、彼にとって何より苦しかったのは、これが意識とか観念というよりも、むしろ感触だったことである。それは、今までの生活で経験したあらゆる感触の中で最も端的な、最も悩ましい感触だった」
 今こそ私たちは、ラスコーリニコフが奪った金品をろくに改めもしないで遺棄したのは、ごく当然の帰結だったと了解するのである。この呪われた青年が手にするや否や、全てのものは社会の流通物としての意味と価値を失ってしまうのだ。手に触れるすべてのものが黄金になってしまったあのおとぎ話の王様のように。社会で生きられない死せる廃物は捨てる以外にどうしようがあろうか。読者は、背筋が寒くなるような次のような怪談めいた文を読んでももう驚くまい。
 「・・・そうだ、彼はそれを意識していた。何もかもわかっていた。それは昨日彼が、トランクの上にかがみ込んで、ケースなどを引っ張り出していた瞬間から、ほとんど決めていたとさえいえる・・・全くそのとおりではないか!『これはつまり、俺がひどい病気にかかっているせいだ』とうとう彼は気むずかしげに断定した」
 ここで再度、ラスコーリニコフの犯行の特徴を、ごく簡単に普通の言葉で確認しておこう。物欲、金銭欲のため、憎悪、嫉妬のために人を殺める犯人は、社会の価値観を受け入れ、その社会の一員として生きたいがために人を傷つけるのである。しかしラスコーリニコフのようにある思想的理論のもとに人の命を奪うのは、社会の存続を保証する規範に真っ向から挑戦すること、自分が世界の審判者になること、一言で言えば死神になることを意味するであろう。彼は、自分自身からも恐ろしさのあまり目を背けるであろう。ラスコーリニコフの孤独は、いわば人間に許された一線を越えた神罰であった。
 事件から数日が過ぎて、追い詰められたラスコーリニコフは、はっきりと自首を決断できないままに街をとめどなく彷徨する。作者は語る。
 「『さて、行ったものか、やめたものか』ラスコーニコフは四つじの車道の真ん中に立ち止まって、誰かから最後の言葉でも待つように、あたりを見回しながら考えた。が、どこからも何一つ応じてくるものはなかった。すべては、彼の踏んでいる石と同じように、がらんとして死んでいた。彼にとって、ただ彼だけにとって、死んでいるのであった」
 こうして、彼は人間世界の辺境の極地に来てしまった。まことに皮肉なことだが、もし人間社会に彼の居場所があるとすれば、牢獄しかないであろう。なぜなら、彼にとっていかなる品物も、自由でさえも無意味に成り果ててしまったからである。誰一人彼の孤独の堅固な
壁に穴をあけることはできないのである。友人のラズーミヒンもそしてラスコーリニコフ自身でさえも。作者は、ラズーミヒンというまれにみる誠実な青年をいくぶんコミカルに描いているが、これはラスコーリニコフの孤独が半ば強いたものである。それはあまりにも人間離れした孤独に、近づき過ぎないための本能的な防衛の態度であったに違いない。ただし一度だけ急接近したことがある。その場面を一瞥してみよう。ラズーミヒンが、ラスコーリニコフと母親そして妹に、これからの生活の計画を熱心に説明していると、ラスコーリニコフは唐突にその場を立ち去ってしまう場面である。ラズーミヒンは驚いて後を追う。
 「廊下は暗かった。二人はランプのそばに立っていた。一分ばかり彼らは黙ってお互いに顔を見合っていた。ラスコーリニコフのらんらんと刺し貫くような視線は、あたかも一刻ごとに力を増して、ラズーミヒンの魂を、意識をつらぬくようであった。ふいにラズーミヒンはびくっとした。何か奇怪なものが二人の間をかすめたような感じだった・・・ある想念が、まるで暗示のように滑りぬけたのである。何か恐ろしい醜悪なものが、突如として双方に会得された・・・ラズミーヒンは死人のようにさっと青くなった」
 これ以上のことは起きない、起こりえない。これが本人自身も含めて、人の健全な意識がラスコーニコフの秘密と孤独に近づくことができる限界なのである。
 彼の氷のような秘密と孤独を、果たして誰が溶かすことが出来るのか。ここに、ソーニャとの出会いという運命的な必然性が生じるのであるが、この新しいテーマに入る前に、ラスコーリニコフという孤独な個性を、あたかも一幅の絵のように描いた一節をもう一度引用しておきたい。
 犯行の翌日、思いに沈んで道路の真ん中を歩いていて、馬車の御者にムチで背中をどやされる。それを見て哀れを催した婦人は、彼にそっと二十コペイカを握らせた。
 「彼は二十コペイカ銀貨をてのひらに握りしめて、十歩ばかり歩いてから、宮殿の見えるネヴァ河の流れへ顔を向けた。空には一片の雲もなく、水はほとんどコバルト色をしていた。それはネヴァ河としてはめずらしいことだった。寺院のドーム(丸屋根)はこの橋の上から眺めるほど、すなわち礼拝堂まで二十歩ばかり隔てたあたりから眺めるほど、鮮やかな輪郭を見せるところはない。それがいま燦爛たる輝を放ちながら、澄んだ空気を透かして、その装飾の一つ一つまではっきりと見せていた。むちの痛みは薄らぎ、ラスコーリ二コフは打たれたことなどけろりと忘れてしまった。ただ一つ不安な、まだよくはっきりしない想念が、彼の心を完全に領したのである。彼はじっと立ったまま、長い間瞳を据えて、はるかかなたを見つめていた。ここは彼にとって格別なじみの深い場所だった。彼が大学に通っている時分、たいていいつもーーといって、おもに帰り途だったがーーかれこれ百度くらい、ちょううどこの場所に立ち止って、真に壮麗なこのパノラマにじっと見入った。そして、そのたびにある一つの漠とした、解釈のできない印象に驚愕を感じたものである。いつもこの壮麗なパノラマが、なんともいえぬうそ寒さを吹き付けてくるのだった。彼にとっては、このはなやかな画面が、口もなければ耳もないような、一種の鬼気に満ちているのであった。・・・・・彼はその都度、我ながら、この執拗ななぞめかしい印象に一驚を喫した。そして自分で自分が信頼できないままに、その解釈を将来に残しておいた。ところが、いま彼は急にこうした古い疑問と疑惑の念を、くっきりと鮮やかに思い起こした。そして、今それを思い起こしたのも偶然ではないような気がした。自分が以前と同じこの場所に立ち止ったという、ただその一事だけでも、奇怪なありうべからざることに思われた。まるで、以前と同じように思索したり、ついさきごろまで興味を持っていたのと同じ題目や光景に、興味をもつことができるものと、心から考えたかのように・・・・彼はほとんどおかしいくらいな気もしたが、同時に痛いほど胸が締め付けられるのであった。どこか深いこの下の水底に、彼の足もとに、こうした過去一いっさいがーー以前の思想も、以前の問題も、以前のテーマも、以前の印象
も、目の前にあるパノラマ全体も、彼自身も、何もかもが見え隠れに現れたように感じられた・・・・彼は自分がどこか遠いところへ飛んで行って、凡百のものがみるみるうちに消えていくような気がした・・・彼は思わず無意識に手をちょっと動かしたはずみに、ふとこぶしの中に握りしめていた二十コペイカを手のひらに感じた。彼はこぶしを開いて、じっと銀貨を見つめていたが、大きく手を一振りして、水のへ投げ込んでしまった。それから踵を転じて、帰途についた。彼はこの瞬間、ナイフか何かで、自分というものを一切の人と物から、ぷっつりきりはなしたような気がした」   
つづく



<映 画> 

漫画『鈴木先生』映画化に。原作漫画は、武富健治さん。 武富さんは10年前「ネ
ートチカ」を報告。映画「鈴木先生」は2013年1月12日(土)公開決定 !

<演 劇>
 『コーカサスの白墨の輪』東京・両国シアターX 提供・中村恵子さん
作:ベルトルト・ブレヒト 演出:レオニード・アニシモフ
2012年12月12日(水)〜16日(日) プレヴュー公演12月11日(火)13時開演
申込み:東京ノーヴィ・レパートリーシアター пEfax03-5453-4945(AM10-PM17)
「人間らしく生きることは危険だ ! それでも「生きる事を恐れるな ! 」
戦争の絶えないコーカサスを舞台に、誇り高くも無邪気な人々が大胆に生き抜く寓話劇。
ヒットラーの政権下、亡命をよぎなくされた詩人・作家ブレヒトの痛烈な風刺が、今を映しだす。前売4000 当日5000 学生2000 プレヴュー2000(当日3000)12月11日シャンソン歌手・渡辺歌子 主演『コーカサスの白墨の輪』特別講演(一回限り特別追加公演決定)
後援:ロシア大使館 ロシア連邦交流庁 NPO法人日本・ロシア協会


<テレビ> 2012年12月18日(火)午前9時〜NHK BSプレミアム103 でドキュメンタリー

 「教え子たちの歳月〜50歳になった一年生〜」が再放送される。この番組は、1996年11月24日に放送されたもの。2010年11月、写真家・熊谷元一は101歳で亡くなった。代表作は1955年岩波文庫『一年生』。1953年入学の一年生を担任だった熊谷が一年間撮影したもの。第一回毎日写真賞受賞。この一年生が50歳を迎えたとき熊谷は、『一年生』を撮るため撮影行脚の旅に出た。テレビは、その姿を追った。初老になった教え子たちとの再会。母校で開かれた同級会。多くの人の胸を打った。編集室・下原も被写体の一人。

<募 集>

第16回【熊谷元一写真コンクール】応募 テーマ「家族」締切平成25年8月31日まで。
応募先・〒395-0304 長野県下伊那郡阿智村智里331-1 熊谷元一写真童画館内「写真コンクール事務局」0265-43-4422  詳細は「通信」編集室・下原まで




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