ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No131   発行:2012.4.20


第250回4月読書会のお知らせ

第4土曜日・「豊島区立勤労福祉会館」第7会議室です。

4月読書会は、下記の要領で行います。

月 日 : 2012年4月28日(土)
場 所 : 豊島区立勤労福祉会館第7会議室(池袋西口徒歩5分)           
開 場 : 午後1時30分 
開 催 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品 : 『正直な泥棒』
報告者 : フリートーク 山岸都さんを偲んで        
会 費 : 1000円(学生500円)

二次会(近くの居酒屋) 5時10分 〜


東京芸術劇場小会議室での開催は10月読書会からです

6月読書会の会場は「豊島区立勤労福祉会館」第7会議室です。
(東京芸術劇場の近くです。池袋警察署隣り) 

開催日 :  6月16日(土) 午後2時〜5時迄です

お知らせ
東京芸術劇場は、施設の改修工事のため2012年(平成24年)8月31日まで全面休館中です。このため会場と開催日が変則的になります。ご了承ください。




4・28読書会


 2010年10月にスタートした5サイクル目も『貧しき人々』『分身』と一気に中編を読み終えたあと、昨年6月から暑気短編作品に突入、これまで『プロハルチン氏』『九通の手紙に盛られた小説』『主婦』『ポルズンコフ』『弱い心』と順調に読み継いできました。今回は、短編のなかでも短編『正直な泥棒』ですが、この先は徐々に険しい山々が待ち受けています。その意味で、この作品は峠の休憩場所ともいえます。富士さんなら五合目手前です。

『正直な泥棒』について

 初期短編の印象は、漫才のコント風なものが多く、「愉快なドストエフスキー」ならぬお笑いドストエフスキーを感じます。『正直な泥棒』この作品、はじめは『世馴れた男の話』を改題したものだが、なんともふざけた題です。このころの文豪は、どうだったでしょう。
 『正直な泥棒』を発表した1848年、27歳。この年、鎖国日本は、外国船来航相次いで困惑していた。ヨーロッパは革命の嵐が吹き荒れ、まさにマルクスが『共産党宣言』で記した「ヨーロッパに妖怪が出現」した状態。2月マルクス(30)ロンドンで『共産党宣言』。
1847年 ペトラシェフスキーに接近 金曜会に出席しはじめる。
1848年 1月 『ポルズンコフ』を発表。『人妻』を雑誌『祖国の記録』に
     2月 『弱い心』を『祖国の記録』に
     3月 ベリンスキイ『主婦』に否定的評価。『現代人』で
     4月 『世馴れた男の話』(後『正直な泥棒』と改題)を『祖国の記録』4月号に   
     5月 ベリンスキイ1811-1848)亨年37歳



『正直な泥棒』雑記 
   
『読書会通信』編集室


<全集をお持ちでない方のために>

この作品について訳者の米川正夫は、多くを論じていない。むしろ素っ気無い。実際、テキストにしている『ドストエーフスキイ全集A』の解説でも「とくに取り立てていうほどの作品ではないけれども、気が弱く、あまりにも善良すぎ意志の力に欠けているため、おのれを亡ぼした一種の無用人の型が浮き彫りされている。この典型は前作『弱い心』のヴァーシャ・シュムコフと同一系列に立つものであろう。」 などと、あっさりしている。別巻『ドストエーフスキイ研究』では、取り上げていない。
全集では、浮浪者のエメーリャが死ぬところで終っている。
「見ると、エメーリャはまだ何かいいたそうにして、自分で体を持ち上げながら、一生懸命に唇をもぐもぐさせていましたが、急に顔を真っ赤にして、わっしを見つめるのです・・・と、不意にまたさっと血の気がひいて、あっという間にぐったりとなりましてね、首をうしろへがっくりさせて、一つ息をついたと思うと、そのまま魂を神様にお返ししましたよ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、作品の最後については、削除された文もあるようだ。その所について、中村健之介氏は著書『ドストエフスキー人物事典』のなかでこう述べている。
現在私たちの読んでいる短編『正直な泥棒』は1860年の改作後のもので、1848年の『祖国雑報』誌初出のテキストとはかなり違っている。初出テキストでは小説の最後に、語り手によるかなり長いしめくくりの一節がついていた。そこには、作者がこの作品で訴えたかった考えが、文学的衣装をまとわず、むき出しのまま現れている。語り手はこう説いている。
「あの不運なエメーリヤのやつを赦してやってくださいますように。あいつは酒がのみたかったんでございますよ。そりゃあもう、のみたくてたまらなかったのでして。堕落した人間を毛嫌いなさっちゃあいけませんや。それはキリストさまのお命じにならなかったことでございますからね。キリストさまはご自身よりもわたしどもを愛してくださったのですからね。あのエメーリヤの野郎は、生きていたとしたら、人間と言えるような代物じゃございません。まあ、ごみくずみたいなものです。ところがですよ、やつは、つらくてたまらなくて、良心の苦しみが因で死んだんです。ということは、何であったにせよとにかく、自分は人間だったという証を立てたってことですよ。罪科なんてものは人間だれにだってあるもので、なにも、生まれついての、一生消えないものじゃあないんです。そんな生まれついてのものなんぞは、もうすっかり消えてしまったんですよ。それでなきゃ、つまり、わたしどもが原罪のためにいつまでたっても罪ある者のままでいる定めになっているなんてことでしたら、キリストさまがわたしどものところへおいでになったということにはなりませんや。」
削除された一節。この、しめくくり踏んで中村健之介氏は、この作品に対し、次のような結論をひきだしている。
「新しいキリスト教としての社会主義」を信奉する作者ドストエフスキーは、「ごみくずみたいな人間」の中にも清純な良心は宿る。「堕落した人間」を嫌ってはいけない、とお説教をたれているのである。
 ドストエフスキーはその全作品を通して、みじめな者、あなどられ嘲られても仕方のない者の中に、羽振りのいい成功者たちの持ち合わせない純真で繊細な心が保たれているという人間観を語り続けた。と、しながら、しかし、それにしても、なぜドストエフスキーは卑しい道化やアル中の浮浪者に、こうも熱心に身を寄せるのだろうか。「押しつぶされた人間の復興」を説く時代思想になぜそれほどまでに心酔するのだろうかと、疑問を寄せている。そして、その謎を「ドストエフスキーの不安な生存感覚」からくるものと解いている。

以上は、目にした二つの関係書物のなかで述べられていた作品評である。



追悼・山岸 都さん命日に想う

せっかくの桜も、咲いた先から散ってゆきます。行く春の中で思うことは、今年の桜を見ずに逝った人たちのことです。ああ、あの人も、この人も亡くなってしまった。還暦を過ぎたころから、人生の車窓は、そうした惜別の思いが多くなるばかりです。
その風景のなかに昨年亡くなった山岸都さんの姿もあります。お元気なころは、読書会はむろん、読書会ハイキングにも毎回、リックを背負って参加されていました。ロックガーデンで酒盛りした晩秋の御岳山、若葉繁れる小仏峠。医師のご主人と例会に来られたこともありました。それらの日々を懐かしく思い出します。
昨年の今頃、4月26日のことです。八王子のバス停付近で倒れた山岸さんは、そのまま亡くなったそうです。急逝でした。突然は、ドストエフスキーの専売特許ですが、以前、亡くなった神舘さんも歩道橋を渡っている最中でした。
10年前、4サイクルがはじまったばかりでした。『正直な泥棒』のレポーターは、山岸さんでした。元気に報告された姿が甦ります。作品が山岸さんに重なり不思議な因縁を感じます。あらためてたご冥福をお祈りいたします。さようなら・・・。
ということで、今回は、追悼として10年前の山岸さんの報告と当時の感想をふりかえってみたいと思います。



『正直な泥棒』レポート

山岸 都                            

【『正直な泥棒』の意味について】
 
人間に内在する善と悪     個の中の両者の葛藤

【作品の感想】

 人間の弱さ(貧しさ、ひもじさからの盗み)
 人間のやさしさ(それを許そうとするこころ)
 人間の正直さ(盗んだことを告白しようとするこころ)
 人間のあわれさ(それらもろもろのものを包括した人間の全体像)

書き終えたところで2月1日のスペースシャトルの事故がありました。宇宙開発には、人類進歩といいながらも、神への挑戦ともいえる側面があるように思います。ドストエーフスキイが生きていたら何というでしょう。地上には飢えやさまざまな悲劇がくり返され不条理な苦しみ悲しみがあふれています。
 21世紀は始まったばかりですが、果たして私たちは永遠の光の中に天上の星くずとなっていのちの種を残していけるでしょうか?ドストエーフスキイの作品にはさまざまな意味で大切な示唆を与えてくれる文学のバイブルともいえる要素があるように思います。



清水正著『ドストエフスキー初期作品の世界』1988・6・28

想像・創造批評でドストエフスキー研究をつづける清水正氏の『正直な泥棒』を紹介します。

関係の破綻と現実帰還の試み
――『正直な泥棒』『白夜』『他人の妻とベッドの下の夫』をめぐって
読んで涙が出てきた最初の作品

・・・ドストエフスキーの人物達、彼らは彼らなりの不可避性を生き、そして死んでいく他はないのだ。今まで私が検討してこなかった作品のうちで『正直な泥棒』のイェメーリャも又その例外ではない。彼はマルメラードフの前身的な存在であるが、彼は理屈をこねまわさないだけ。その死の与える悲しさも深いのである。ちっぽけでごみくずみたいな酔っ払いの形象は、読者に笑いと涙をさそわずにはおかないのである。ドストエフスキーは卒中を恐れて酒を飲まなかったと伝えられているのであるが、どうしてあんなにも酔漢の心情を見透かすことができたのであろう。どうしてあんなにも、人間の悲しみの奥深くまで描きつくすことができたのであろうか。しかも驚くべきことは、その余りにも人間的な弱さをしょいこんで生きているイェメーリャを、第三者の視点から描いていることである。この作品の構成はきわめて簡単なので、あえてここでは記さないが、誰でも一度読んだら、その構成の巧みさに感心するに違いない。要するにドストエフスキーは、人物を描くにあたって相対化の方法を知っていたということである。作品を相対化の方法によって構成し得たということは、すでにドストエフスキーが世界に対して、人間に対して、複眼的な眼差しを注いでいたという証左である。もちろんドストエフスキーは処女作から、その方法を採用していたことは周知の事実である。問題は、青年作家ドストエフスキーが複眼的眼差しによって造形した人物達の運命なのである。少なくとも私にとって問題となるのは、「人物」であるといっても過言ではない。
 作家が、自らの手法を駆使して造形した人物達が、どのように生き、どのように死んでいったのか、という点にこそ私の関心はある。人間を複眼的眼差しでとらえたとき、その人間に対して一義的判断を下すことはもはや不可能である。そのとき、一人の作家は自らの裡に多くの「他者」の眼差しをも、ぬぐいがたく身につけてしまうのである。そして、そういった作家が描き出す人物は、否応もなく道化的な存在として、我々読者の前に立ち現われてくるのである。その意味では『正直な泥棒』の主人公イェメーリャは、ポルズンコフとは違ったタイプの道化的存在と見ることも可能なのである。ひとりの人間を、ひとつの言葉で的確に把握することはむずかしい。否、把握すること自体不可能なのが人間存在なのである。生けるもの、死せるもの、そのすべてが無限の奥行きをもっている。それだからこそ、探究心にかられた人間達(哲学者・文学者達)を最後に襲うのは神秘思想に他ならないのである。イェメーリャひとりとりあげてみても、結局そこでドストエフスキーがいっているいることは、人間存在の不可思議さ、その生のわからなさだけなのである。結局、わからないからこそ、作家は書き続けるのだ。
 イェメーリャ、彼は話者アスターフィにどのように把握されていたか。「身を持ち崩してしまった男」「飲んだくれで、宿無しのルンペン」「「虫けらみたいな男」「おとなしい性質で、実に愛想のいい、好人物」「ろくでなし」「腰巾着」「ずるい男」。そう、確かにこれはイェメーリャを語っている。こういったイェメーリャが恩人であるアスーフィの外套を盗み、何日ものあいだしらばくれたあげく、ついに良心の呵責に耐えきれず、自分の罪を告白して死んでいくのである。
>
ドストエフスキーはここで何を書いたのであろうか。まずいえることは、アスターフィとイェメーリャの、つまり、人間と人間の根源的な結びつきの、つかの間の成就ということである。イェメーリャが自分の罪を告白したとたん、彼は殺されてしまうのだ。謎に、創造者ドストエフスキーによってである。もちろん、イェメーリャが罪を告白した後、何年生きていようがいっこうにさしつかえはないであろう。ただ短編のしめくくりとしてイェメーリャを殺してしまった方が、小説的効果があると作家が考えただけの話である。アスターフィィによって語られたイェメーリャの運命、それはすでに充分、読者の脳裏に刻印され、変更される余地がないのである。つまり、イェメーリャが罪を告白した後、譬え長生きしたにしても、彼は酒飲みをやめはしなかったろうし、再び盗みをしでかすような「ろくでなし」であったということである。問題は、イェメーリャが「魂を神様にお返し」する寸前に、両者の間に交わされた純粋でまじり気のない対話、人間と人間とが根源的なところで結びついたという、そのつかの間の事実にあろう。もしこのような結びつきが、瞬間ではなく、何年にもわたって続けられたとしたらーー、いやいや、人間とはこのような結びつきの瞬間をこそ望んでいるのである。
 私はここで、もはやイェメーリャという一作中人物を現存在にみたてて、その諸様態を分析するつもりはない。何故なら、ドストエフスキーの人物達、今まで私が検討してきたマカール、ゴリャートキン、プロハルチン、ポルズンコフ等とたいして変わりはないからである。短い作品であるので、まだお読みでない方は、さっそく読んだらよいと思う。私の読書体験のうちでは、読んで涙が出てきた最初の作品が、この『正直な泥棒』であった。




プレイバック読書会 2003年4サイクルの読書会でのものです。


『正直な泥棒』の謎   編集室
         
さて、この作品は、『全集』や『ドストエフスキー人物事典』で解説するように意志のなさから身を亡ぼした無用人の小話。「堕落した人間」を嫌ってはいけない。とお説教をたれている道徳短編。「押しつぶされた人間の復興」。たしかにそんな感想もしないではない。

だがしかし、読後なぜかこうした評だけでは納得できないものを感じる。その一番の理由としては、訳者や研究者が述べていることは、すべて作品に書かれているからである。「ごみくずみたいな奴」「人間といえる代物でない」などなど、主人公がどんなにくだらない人間であるか、という人物評価は、物語がはじまってから延々と述べられてきている。

このことは読者にしてみれば、案内人から裏通りに酔いつぶれて寝ている無宿人を「これは、浮浪者です。社会の落伍者です。しかし人間です」と説明されているようなものである。

多分にこうした表層的見解は一般的であり無難といえる。が、ドストエーフスキイ読者としては、大いに天邪鬼精紳を発揮したいところである。本当ににそうなのか。見たままでよいのか。そんな疑念を投げかけたいところである。そういった視点からみると、大雑把だが、この作品には二つほどの謎がある。もっとも単純な極めて初歩的な謎ではあるが・・・。

一つには、なぜドストエーフスキイは、(この作品に限らないが)エメーリャ、本式にいえばエメリヤン・イリノッチのことを、こうも糞ミソにこきおろしているのか。いかにダメ人間かをことこまかに描いているのか。

二つには、そのダメ人間エメーリャを妙に持ち上げてもいるのはなぜか。「神様のような」とまで言わせているのだ。普通の生活では到底つきあいたくない手合いの人間である。こんな人間に、間借り人アスターフィ・イヴァーヌイチは、異常なまでの親切心で接している。

純真な人間と称えている。どこか映画『真夜中のカーボーイ』を彷彿するものがあるが、映画はストーリ展開、俳優の演技力・知名度で伝わってこなくもない。が、この作品でのアスターフィ・イヴァーヌイチの憐憫は謎である。このダメ人間に対する限りない友愛はいったい何か。どこからくるものか。「押しつぶされた人間の復興」だけでは腑に落ちない納得しがたいものがある。

そこで思うのは、ドストエフスキーの作品全体に流れているのは、何かということだ。「人間の謎」といったものが基本なら、その上に「人間とは何か」「神とは何か」といった問題がある。独善的ではあるが、こうした根本テーマを踏まえて想像すると、なにかしら見えてくるものがある。表層からは見えなかったもの。それこそがドストエフスキーが真に書きたかったものといえる。

では、その内在するものとは何か。浮浪者で飲んだくれのエメーリャの内に一体何があるというのか。作者は、ドストエフスキーは神の姿を描きたかった。突飛だがそんな思いがするのである。地上におりてきて、同じ時間、同じ社会の中に生きる神は、一体どこにいるのか。壮大な王宮でも、神聖な教会でもない、神は裏通りゴミ箱の横に酔客の嘔吐物にまみれて眠っているのだ。社会の底の底から、人間たちをじっと見ている。ドの作品は「さげすまれている者の名誉回復」ではなく「さげすむ者を見守る物語」ではないだろうか。

だからこそ、どんなくだらん奴でも、「わっしは水をやりました。」という気持ちをおこさせるのだ。「目からは涙がぽろぽろ」でてくるのだ。そしてなによりも、彼が神であるという証しは、作中のなかで如実にあらわれている。それは、どの登場人物よりも「堕落した人間」エメーリャの方が、何倍も鈍い光を放って、その存在を示していることだ。人間は、何のために考え、進歩しているのか。人類の数百万年の旅は何であったのか。それはただ一つの目標、神を探すため、神の正体を突き止めることにあった。21世紀、いまだ

人間は神を追い求めている。探しつづけている。だがしかし19世紀ドストエフスキーは、すでに神を追い詰め、描こうとしていた。『正直な泥棒』のごみくずのような人間エメーリャに出会ったときも、そんな思いがしてならなかった。           (2003年2月読書会から)


プレイバック読書会 2003年2月読 書会に寄せられたレポート紹介


『正直な泥棒』の意味について
熊谷暢芳

ドストエフスキーにとって、「泥棒」とは恐ろしく重要な意味を持ちます。単なる所有権の侵害ではありません。むしろ、単なる所有権の侵害と言う捉え方と、ドストエフスキーの泥棒に込める意味とには、大きな裂け目があって、その裂け目の見分けにくさが、3000ルーブルを使い切ってしまえば泥棒になってしまう、と苦悩するミーチャ独特の絶望の深さを、回りの者からも、また、読者からもわかりにくくしています。ミーチャにとって泥棒であるとは、高潔であることの対局に位置することなのですが、この卑劣さは、独特な存在論的な意味を持ち、イワンの悪魔へとつながっていきます。

マトリョーシャを死に至らしめたスタブローギンは、手始めに、泥棒の罪を彼女になすり付けています。白痴における罪深いおこないの告白にも泥棒についての告白があり、ナスターシャに心底軽蔑されています。罪と罰でも、ルージンがソーニャを泥棒の罪に落とそうとして逆にラスコーリニコフにばらされてしまいます。ドストにおいては、泥棒は、利得を目的としない、むしろ奇妙な快楽を目的としたものとして描かれがちです。

泥棒は、被害に遭う者にとっては、単に損害を被ると言うだけでなく、彼の世界の中に、気味の悪い裂け目が一つできると言うことです。その時、泥棒自身は誰にも気づかれない世界の外側から世界に手を伸ばす者として、ある自由を手に入れます。高潔さが、「自分はあなた達がみての通りの自分である」、ということであれば、この卑劣さは、その対局に位置します。同時にそこには、異界の住人として、外側から世界の進む方向に致命的な力をふるう快楽があります。

猜疑の人ドストエフスキーは、この泥棒する方・される方の二つの面を、ほとんど生理的に共々に感受できたのだとおもいます。特に冒頭早々の、鮮やかな外套盗難のシーンは、幻覚を連想させる(たぶんほんとにこうした幻覚がドストにあったのだと思います)もので、異界が現実の世界に割り込んできたかのような鮮やかな印象を受けました。小説のテーマはこの印象からは離れていきますが、ドストエフスキーの独特な感受性が見える作品として、興味深かったです。

【作品の感想】エメリヤン・イリッチがキュートでよかったです。




『正直な泥棒』の意味と感想
    秋山伸介
                                
 
「わたし」の新しい間借り人アスターフィ・イヴァーヌイチは、なかなかの世間慣れたという触れ込みでやって来た。といったところで、家政婦のアグラフェ−ナの言葉を鵜呑みにすればの話だが、なるほど、目の前で外套を盗まれて為す術なくポカンとしている二人(私とアグラフェ−ナ)に比べれば、敏速果敢に飛び出して盗っ人の後を追い、門番に嫌味のひとこと言うのも忘れていない。なかなかの世慣れた手さばきである。そうでなければ、世渡り上手な仕立て屋稼業は務まるまい。そう思わせるに十分なパフォーマンスである。それにつけても、盗っ人を取り逃がしたことを悔やむこと、悔やむこと。これも彼の世渡り術のひとつか、それとも、心からの世話好きなのか。かつて自分も泥棒には痛い目にあったといいながら、正直な泥棒の話をし始める。ところが、話を聞けば、世慣れたどころか、なんとも人のいい男が、そこにいるではないか。これがアスターフィ・イヴァーヌイチの真の姿なのだろうか。

その話とはこうである。居酒屋で知り合った呑んだくれの、失職宿無し男に慕われ、転がり込まれ、自分の生活が精一杯の貧困の中、やっとなんとか二人で暮らしていけるように遣り繰りをつけていた矢先、盗みまで仕出かされる始末。恩を仇で返されるとはこういうことを言うのだ。気の毒で目も当てられないと思いきや、本人はあくまで健康的に、エメリヤ−ヌシカとかいう、無為徒食の飲兵衛男の手管に掛かって、彼を信じてしまうのだ。どこが世慣れているというのだろう。挙句の果ては、盗んだことを打ち明けて死んでいったこの男に感涙して、アスターフィは喉を詰まらせている。まさに少年のような無垢な心とでもいえば、いいのだろうか。正直な泥棒なんているのかと聞かれれば、さすがにアスターフィも、そんなやついるはずないと言い張る。しかしながら、正直そうなやつが泥棒を働いたとなると、どうやら話は別らしい、打って変わって寛容、いや、たちまち慈悲深い態度をみせる。どこが違うというのだろう。エメリヤーヌシカは全くかわいそうなやつでしてと、アスターフィは、いたく同情するのであった。なにがそこまで、彼を惹きつけるのか、エメリヤーヌシカのどこにそんな魅力が潜んでいるというのか。

「無口でおとなしい質で、自分から物をねだるなんてことはけっしてありません、じっと坐ったまま、犬っころみたいに私の目を見ているばかり。」アスターフィの眼にアスターフィはこんな風に映っている。根っからの怠け者の、飲兵衛野郎には違いないのだが、いくら飲んだところで暴れるわけではなし、おとなしく、遠慮深く、愛想がよくて、親切で、とアスターフィの賛美は続く。ところで、現実に目を向けるならば、このまま、エメリヤーヌシカを養うわけにはいかない。共倒れだ。しかし、アスターフィは、思案しつつ、はしなくも想像の世界へトリップしてしまう。もしここに置いておくわけにはいかないと言ったならば、どうだろうと。「何一つ合点がいかなかったような顔つきをして、長いこと、じっとわっしを眺めているが、やがてようやくわっしのいったことが呑み込めると、自分の風呂敷包みを取り上げて、着ている外套をちょいと直す。それはあまりぶざまでないように、暖かくって、穴が見えないようにという心づかい、」ここまで想像すると、アスターフィは「そういう気の優しい男なんで!」と感嘆の心声を挙げる。エメリヤーヌシカの出て行く後ろ姿を思い浮かべると、自分の窮状そっちのけで、同情してしまう。

エメリヤーヌシカの魅力の秘密はどうやらこのあたりにあるらしい。そう踏んだ。とはいえ、その具体的な性質について、言っているのではない。そうではなく、彼の魅力の在り処は、むしろ、そのような幻想を生み出す性質にあると考える。その証拠を並べろと言われれば、小説の中からそのいくつかを拾い出すことは容易だ。たとえば、「もしエメーリャが行ってしまったら、おれの世の中が味気なくなるだろう・・・そこで親とも恩人ともなってやろう、とはらを決めました。」「『ひょっとお前さん、あの立派な首をどこかにつるしたんじゃないのかね』と私は考えました。『どこかの垣根の下で、酔っぱらったままくたばって、今頃くさった丸太ん棒みたいに転がっているのじゃないのかね?』・・・なんだっておれは、あの子供みたいな知恵しかない男を手放して、自分勝手に暮らさせるようなことをしたんだろうと、自分で自分を呪った次第です。」

エメリヤーヌシカが魅力的であるのは、極めて逆説的である。なぜなら、その魅力とは、エメリヤーヌシカの、何か魅力的な内容に惹かれてではなく、その中身が何もないことによってであるからだ。彼は何もせず、与えられたままを、犬のように生きる。働く気もなければ、感謝の言葉ひとつ言わないで、飲んでばかりいる。にもかかわらず、優しく、正直そうに、親切に見える。とどのつまり、無垢とはそういうことかもしれない。ひたすら与えられたままに生き、死んでいく。奮闘努力して、自力で生きることから、遠く離れて、乃至は、理性的な生き方から、はるかに離れて、為す術なく生きる姿が、幻想を生み出す。傲慢さのかけらもない、無垢という幻想、正直な泥棒という在り得ない幻想を生み出してしまうのではないだろうか。

「わたしのようにいつも退屈な生活をしているものにとっては、こういう話し手はまさに宝といわなければならない。」と語り手がいみじくも述べているように、物語とは、聞く人を魅了させる装置である。この「正直な泥棒」の話は、何が聴く人の幻想を呼び起こすか、どうすれば崇高といった感情に訴えるか、をよく示している。「わっしはこの神様のように正直な人間の性分を知っているものですから、」という言葉をあらためて聞き直すと、ろくでなしの飲兵衛盗っ人が、神様に祭り上げられていることに驚かざるを得ない。この話を聞きながら、いつのまにか幻想のなかで、この飲兵衛野郎に襤褸を纏ったイエスの姿をダブらせてしまっているからである。

一切ポジティブなものを見出せない、その場所にこそ不可能=幻想=可能の産褥がある。正直な泥棒という表現こそ不可能なものが幻想によって可能になったことの証である。エメリヤーヌシカの、価値の空しい中身が、物語の装置に絡め取られると、幻想によって神の域にまで昇華する。フェテェシズムの原初の形をそこ見るばかりでなく、いかに私たちがそのようなフィクションなしでは生きていけないかを如実に物語っている。アスターフィは何が人の心を魅了するかをよく心得ている。物語のなかで人のいい人物を演じながら、巧みな話術で、ただの飲んだくれに崇高さの属性を纏わせる。まさしく世間慣れした男であるといえるだろう。ちなみに、「いったんアグラフェーナの頭に浮かんだ考えは、必ず実現されねばならなかった。・・・この覚束ない頭にどうした偶然で、何か観念というか、計画というか、それに類したものができあがったが最後、その実現を拒否するということは、この女をいっとき精神的に殺すことであった。」ここにも、生きていくうえで、フィクションに頼らざるを得ない人間のあり方が象徴的に呈示されている。




2・18読書会報告                

2月読書会の出席者は14名でした。

報告者不在だったが、盛り上がった読書会

江原あき子さんが朗読

 2月18日のレポーターは、若手の鈴木寛子さんでしたが、仕事の都合で間に合わなかった為、レジメのみの不在報告となりました。提出されていたレジメ「傲慢で卑屈な心」は、江原あき子さんが朗読しました。レジメは、中村健之介氏の「死の恐怖、そして意識の苦痛」や清水正氏HPから小林秀雄と中原中也における女性関係をみる大岡昇平の証言など織り交ぜた忌憚のない若さ溢れる感想でした。彼女の若々しい見方に触発されて、13名といつもより少ない出席者でしたが、大いに盛り上がった読書会となりました。なお、鈴木さんは二次会に間に合ったので、宴席は楽しい賑やかなものになりました。三次会のお茶席にも10名が参加、ドストエフスキー談議の尽きぬ2月の夜でした。
 鈴木さん、江原さん、ご苦労様でした。


『弱い心』アンケート報告(提出2件)

1.この作品の感想 「面白く読んだ」「わからなかった」(表現上、わかりにくいなと思う)
2.二人の関係 「固い絆の友情」(二人は一心同体である。ヴァーシャはアルの影。分身)
       「異常だ」(同性愛かと思ってしまう)
3.ヴァーシャの性格 「心配性」(考えすぎではないか)「心配性」
4.作品の本質 「自分への不安」「文壇への当てつけ」
5.最後のアルの気持ち 「共感する」(アルは、そもそもフーリェ主義者ではない。ペテルブルグが人々を不幸に導く虚構であることをアルに自覚させた。それを知った後、絶望に陥っているのは当然である。)「よくわからない」


【感想】『弱い心』には不思議な言葉が多い。@語り手(筆者)が彼であったり、私であったりする。Aヴァーシャのユートピア思想を語るのはアルだけで語り手は語らない。Bヴァーシャの発狂の原因をアルは「感謝」のためと言うがヴァーシャは兵役に行かされる恐怖を語る語り手の本文には一切言及がない。木下先生はアルがヴァーシャを脅しているというが私はそうは思わない。締切直前、、四分の一しか出来ていない状況からみて遅かれ早かれ破局が目に迫っているのである。発狂まで到る恐怖心はワーシャ自身の心である。いずれにせよ語り手は語らない。C散見される(私)のコメントは意味不明で登場の仕方も奇妙である。Dネヴァ河の幻想は作品の本文とは全く関係ない。アルが空想した何か新しいものについて、何のヒントも提示されていない。ネヴァ河の幻想は「ペテルブルグの夢」E「罪と罰」「未成年」に繰り返しでてくる。その度にニュアンスが変わっている。Fヴァーシャの発狂の因果関係は、はっきりしない。兵役の恐怖が突然「なんのためにあの人を殺すんだ」「ぼく罪だ」あの人は誰なのだろう。2012・2・18 M・S




ドストエフスキー文献情報 
提供・佐藤徹夫氏
                               
≪古いニュース≫

・亀山郁夫×沼野充義 対談
 「悪霊 別巻」(集英社)・「世界は文学でできている」刊行記念
 3月22日 紀伊國屋ホール

≪新刊予告≫

・森有正著『ドストエーフスキー覚書』(ちくま学芸文庫) \1470 *4月12日
 森有正の名著 山城むつみの解説を得て文庫華


<作品翻訳>

・『悪霊 別巻 「スタヴローギンの告白」異稿』 ドストエフスキー、亀山郁夫訳 光文社
     2012.2.20 \895+ 363p 15.2cm <光文社古典新訳文庫 K A-ト 1-14>
・新訳 地下室の記録 [第二部 ぼたん雪にちなんで] フョードル・ドストエフスキー、
     亀山郁夫訳・解説
     「すばる」 34(5)(2012.4.6=2012.5月号) p166-210

<漫画>

・『まんがで読破 地下室の手記』 ドストエフスキー作 バラエティ・アートワークス企画・漫画
     イースト・プレス 2011.10.10 \552+ 90p 14.9cm

<図書>

・『出会い』 ミラン・クンデラ著 西永良成訳 河出書房新社 2012.1.30 \2400+ 226p 19.4cm
     ・第二部 実存の探査器としての小説 ・喜劇の喜劇的な不在(ドストエフスキー『白痴』)
      p31-33
・『私の世界文学案内 物語の隠れた小径へ』 渡辺京二著 筑摩書房 2012.2.10 \1200+
     277p 14.9cm <ちくま学芸文庫・ワ-11-4>
     ・ドストエフスキー『罪と罰』 神を見失った現代人の運命 p062-070
・『ロシア文学翻訳者列伝』 `島亘著 東洋書店 2012.3.8 \4600+ H+396p 19.5cm
     *巻末:ロシア文学翻訳年表(抄) p388-320
     ・第一部 ロシア文学の播種期 ・第三章 内田魯庵とロシア文学 ・第一節 内田魯庵と
      『罪と罰』 p95-106
・『黒澤という時代』 小林信彦著 文藝春秋 2012.3.10 \600+ 303p 15.3cm 
      <文春文庫・こ-6-29> *初版は2009.9.15刊
     ・第八章 幻の秀作「白痴」 p99-110
・『人生を決めた“あの時”』 吉永みち子著 光文社 2012.3.20 \724+ 332p 15.3cm
      <光文社知恵の森文庫 bよ-3-2>
     ・ドストエフスキーの真実に挑む 亀山郁夫 p45-56
・『渡辺京二傑作選 4 ドストエフスキイの政治思想』 渡辺京二著 洋泉社 2012.3.21 \980+
      184p 17.4cm <新書 y> 
      *初出:「暗河」1973〜1974;収録:『小さきものの死』(葦書房 1975.7)、『渡辺京二
       評論集成 U新編小さきものの死』(葦書房 2000.1)
     ・ドストエフスキーの政治思想 p7-157
・『バッカナリア 酒と文学の饗宴』 沓掛良彦・阿部賢一編 成文社 2012.3.30 \3000+
      382p 19.4cm
     ・第4章 <ロシア> ドストエフスキー『罪と罰』のaqua vitae/近藤昌夫 p89-119
・『功利主義者の読書術』 佐藤優著 新潮社 2012.4.1 \630+ 445p 15.1cm
      <新潮文庫・9445=さ-62-4> *初版:2009.7 新潮社刊 (未確認)
     ・「交渉の達人」になるための参考書 ・『カラマーゾフの兄弟』 1〜5 p158-171
・『死ぬまでに読んでおきたい 世界の名著』 井上裕務編 洋泉社 2012.4.22 \1575 199p
      21cm <洋泉社MOOK>
     ・罪と罰/中江文一 p069-076;カラマーゾフの兄弟/中江文一 p077-086

<逐次刊行物>

・<文化の話題・演劇> 「カラマーゾフの兄弟」(俳優座) 小説を良くまとめる/北野雅弘
     「しんぶん赤旗」 2012.1.20 p9
・<書評> ドストエフスキイと日本の作家たちの対話 優れた日本文学論、日本文化論でもある
      井桁貞義著?ドストエフスキイと日本文化 漱石・春樹、そして伊坂幸太郎まで
      11・3・26刊 四六判1254頁 本体2800円 教育評論社/富岡幸一郎
     「図書新聞」 3051(2012.2.25) 連載




「ドストエフスキー体験」をめぐる群像

三島由紀夫の生と死、その運命の謎 (第40回)吉本隆明と三島由紀夫

福井勝也                                        
                              
吉本隆明氏の死去にあたって

 前回の福田恆存への言及が途中で恐縮だが、今回は先日(3/16、87歳)亡くなった思想家の吉本隆明について触れたいと思う。そうは言っても、当方「吉本信者」の世代にはやや遅参した者の一人であって、到底その「愛読者」を名乗れる程ではない。それでも今回気になって書棚から押し入れまでざっと捜してみると、すぐにその著書の一塊位は出てきて驚いた。現在、新聞等では吉本回顧が一通り済んだ感があるが、これから文芸誌等でややコアな追悼特集が組まれることだろう。小林秀雄の言葉だったか、人は死ぬことによってその姿が定まり、その人間像の対象化が可能になるというようなことを読んだ覚えがある。全共闘世代の思想的支柱であった「吉本隆明」よりも、「ばななの父親」と言ったほうが通りの良い昨今であったわけだが、その死をきっかけに総体としての吉本評価が改めてなされることを期待したい。むしろ現在こそ、それを実現すべきチャンスであると思う。今回、改めてその著書に触れながら思い出したり、考えたりしたことを自分なりにとりあえず記しておきたい。
吉本隆明と言うと思い出すことがある。実は、今から16年程前、確か作家中上健次死後4年目の夏であった。彼の故郷和歌山新宮から半時間程山中に入った温泉施設で「熊野大学」と称する文学セミナーが開催された。当時中上健次全集を刊行していた集英社が協賛して、その編集にあたった批評家柄谷行人を中心に、浅田彰、?秀実、渡部直己等が常連講師で、毎夏ゲスト参加者(その年は島田雅彦?)が入っての合宿セミナーであった。全国から中上ファン(あるいは、柄谷ファン)が集まり、毎日夜まで熱気ある中上関連のプログラムが催され(何故か最終日は、自由参加の野球大会)、当方も当時数年間連続して参加した。中上夫人や中上と親交のあった地元の方々、そして参加者同士が交流できる貴重な一時も含まれていた。事件は、そんなセミナー数日目1996年8月3日午後、突然ニュースとして合宿所に飛び込んできた。講師席中央の柄谷氏が発言を中断して、吉本隆明(確か呼び捨てであった)が西伊豆の海で溺れて意識不明の状態で病院に救急搬送された(が危ない?)という情報を伝えたのだった。実は、その発表の際の「嬉々とした」表情が、他の講師陣へも直ぐに伝染し、まもなく板敷きの会場に腰を下ろした参加者の間から「歓声」が上がったのだった。当時批評家同志、吉本と柄谷(並びに浅田)両氏に言論上の「確執」がどれ程あったか無知な当方は、その場の雰囲気が飲み込めぬままボーとしながら、咄嗟に「いやな感じ」を抱いたのを覚えている。今回、新聞でこのニュースが駆けめぐった当時、「教祖」吉本の容体を祈る思いで見守った全共闘世代がいたという話を読んで(「天声人語」3/17)、反射的にその夏の午後の出来事が思い出された。さらに瞬時に記憶は展開して、情報が伝えられたその板敷きの教室が急に暗くなって雷まで鳴り出した不思議なその後まで甦ってきた。それからしばらくして、そして今回も当時の吉本氏の批評文章など改めて読み直してみて、批評家(「物書き」)という存在の業の深さについて考えさせられた。同時に、「党派性なるもの」を根本批判したはずの戦後文学者の系譜にあって、「文学的セクショナリズム」をその場で見せつけられたようで「いやな感じ」がそのまま自分のどこかに残った。
妙な思い出話から始めてしまったが、考えてみれば、吉本隆明という批評家の人生は一貫した言論的闘争のそれであった。皇国少年として刻印された戦前から価値観が一変した戦後的思想状況にあって、左右を問わずその知識人的変節を告発することから彼の文学的思想は出発し発展を遂げた。戦後すぐの名高い「転向論」から、花田清輝や埴谷雄高など批評家相手の論争、反核署名「異論」、そして日本の高度消費資本主義に遭遇して、それまでの自らのマルクス主義的言説にさえ論争を仕掛けリセットしたと言える。その間、吉本は大学という組織に身を置かずに終生在野に徹し、市井に生きる生活者として「大衆の原像」を見据え続けた。その「知識人批判」の姿勢において「転向」はなかったとも考えられる。しかしこの点で、今回朝日新聞での文芸批評(3/27)では、姜尚中氏が「大衆に寄り添うがゆえの変貌」「丸山(真男)より<近代主義者>」という見出しの文章で、その変節を「俗情との結託」(大西巨人)として切り捨てている。ここでは、吉本の「転向」が厳しく批判され、反対に丸山真男が擁護されているのだ。さらに、オウム事件での麻原を宗教者として擁護したことや、今回の福島原発事故も人類の科学的進歩によって乗り越えるべき事態としたことなど、その吉本の言説で今日なお問われているものがある。さらに、バブル崩壊以後失われた20年という日本の現在が、吉本の90年代の消費資本主義的な大衆礼賛を告発しているとも言える。いずれにしても、昭和と平成という時代を跨って、これ程長くそして深く情況にコミットした思想家は他に存在しなかった事実も確かだ。その晩年の思想の劣化を指摘する向きもあるが、むしろこの際大事なことは、永年月影響力を及ぼした吉本の言説を基礎付けた思考の原理的根幹を見極めることだと思う。この点で、当方としてはドストエフスキーと三島由紀夫という本稿に係わる視点から吉本像に焦点をあててみたいと思った次第だ。

吉本隆明とドストエフスキー

  この主題から思い出すのは、1981年2月7日の「ドストエフスキー死後百年祭」として催された講演会であった。講演の内容は、同年末に『現代のドストエフスキー』(新潮社)として刊行された。当時自身も渋谷の山手教会に足を運んだ記憶があるが、本著によればロシア手帖の会主催、新潮社協賛で、講演者は大江健三郎・後藤明生・吉本隆明・埴谷雄高(確か発表順)の4人であった。その本が出てすぐ各々の文章を読み直して一番印象に残ったのが、「ドストエフスキー断片」という何げないタイトルの吉本の発表文章であった。語り始めから、自分はドストエフスキーのいい読み手ではないと断っているのだが、その切り口が当時自分の問題意識にも通じていて一気に読まされた覚えがある。それは、作品の深層にある無意識的なものの有り様に焦点が当てられていた。ここでは、おそらくフロイト以降の精神分析学的知見が前提になっているのだが、その着地点はむしろユング的なものだと理解した。そしてその主題は紛れもなく吉本の思想的課題とドストエフスキーが交錯するところにあって、例えばそれは「大衆の原像」他、幾つかの吉本のキイワードとリンクしていると思った。さらに後から考えたのだが、ここには三島由紀夫の存在が影を落としていないか。これは次号で触れたい。
吉本はこの講演で、読者がドストエフスキーの作品に感じる作品体験の特徴的な有り様を作品に即して語ってゆく。例えば、『貧しき人々』『白夜』には過剰な内面性を、『白痴』のムイシュキン公爵にその内面の幼児性(未成年性、未成熟性)を、『罪と罰』では、一種の精神の追跡妄想性や被害妄想が強いる過剰な内面性(パラノイアの精神性の問題)の主題について等々。そしてこれらの問題を白熱化させるもう一つの仕掛けが、作品(の言葉)に流れている独自の時間性であることを指摘している。この点では『罪
と罰』の何通りかの文体から特徴的な時間性のあり方を抽出してみせる。この辺まで読んだだけで、吉本が鋭い洞察力で作品の本質を読み解く傑出した批評家であるのが分かる。しかし感嘆させられるのはむしろこの先で、そのような問題からもう一歩踏み込んでドストエフスキーの表現の思想性に迫る強靱な思考力が行使されてゆく。ここまで辿ると、思想家吉本が何故ドストエフスキーの表現を問題にするのかがおぼろげに分かってくる。まずは、次の一文を起点にしてその先に進もう。
「ドストエフスキーの作品が、ぼくたちに与える感銘や深刻な衝撃みたいなものを想定しますと、その根底にはいまいいましたように、人間の内面の動かし方の領域をきわめて拡大して、了解の時間性の因果の逆行をも包括した概念を提出しているという問題が存在することがわかります。つまりドストエフスキーの作品によって人間の内面性、その了解という概念はいちじるしく拡張されているといい得るでしょう。」(『現代のドストエフスキー』p103)
 「主人公(『白痴』のムイシュキン公爵、『虐げられた人びと』のアリョーシャ等、筆者注)のこういう受動的なエロス的性格は、ドストエフスキーの作品世界で、もっとも魅力ある登場人物たちを出現させ、それが作品の展開と思想性を決定してゆきました。この精神の幼児性、あるいは内面の幼児性にたいするドストエフスキーの執着の仕方のなかに、また作品を解く鍵がかくされているともいえましょう。」(同著p107)
  この後、吉本がロシアの作家ドストエフスキーの作品に見出すのが、現代の病的な性格類型の先取りでも、ロシア正教というロシア固有のキリスト教伝統の精神性でもなく、何とロシアのアジア的古代性というドストエフスキーの作品を規制する枠組みの問題であった。まずは、この論点に先立つ結節点にある文章を先に引用しておく。
   「ここで、ドストエフスキーの作品の地下工房で作られた主人公たちのこの魅力ある性格は、もしかすると性格という概念にあたらないかも知れないとかんがえたらどうでしょうか。むしろドストエフスキーがいかにして、ロシア的な古代の枠組みを蘇生させようとした結果が、主人公たちの特異な資質になってあらわれたと解釈するのです。ドストエフスキーは作品の世界の枠組みをロシア的古代として想定し、この枠組みの中で現在的な登場人物たちの振舞い、あるいは性格規制を考えていったとします。それがドストエフスキーの根底的な思想性なんじゃないでしょうか。
 一般的に近代以降の小説の概念から、たとえばジイドのドストエフスキー観はそうですが、ドストエフスキーの作品を理解していきますと、極端にいえば、ぼくが今日申上げましたような内面の動きの精密な、現代性を含んだ描写(本文はルビ付)がドストエフスキーの作品の本質という理解になっていきます。
 しかしドストエフスキーがやりたかったことは、そうじゃないんじゃないかというようにおもえるようになりました。ドストエフスキーはしばしば、ロシア的な宗教性の特質としてドストエフスキーがかんがえているものが、ここではロシア的な古代の枠組みにあたります。この枠組みにたいして作品の登場人物たちはどうもがき、そしてどうそれに服従し、そしてまたそれからどう抜け出ようと試みるのかということの無限反復の世界を描くことが、ドストエフスキーのいちばん固執した思想性なんじゃないかとおもわれるのです。」        (吉本、同著p108)
ここまで来れば、「ロシア的な古代の枠組み」という言葉が、「ロシアのアジア的古代性」というキーワードに変換するのはそれほど困難ではない。そして実は、前々回本欄で小説『主婦』の問題を論じながら、例会でも言及した三島由紀夫の言葉が同時に甦ってくることを指摘したい。今回は、二人の文章を最後に並列して次号に繋げたい。
 「ぼくたちはどうしても、ドストエフスキーが自分の作品の世界に、眼にみえないロシアのアジア的古代的な感性や思想性の枠組みを施しているという仮定に導かれます。これをドストエフスキーが「祖国主義」と呼んだとしても、「土着主義」と呼んだとしても、そのことには意味がありません。ただ世界をロシアのアジア的古代性という枠組みで、構成していたかどうかが問題となるだけです。」(吉本p110)
「ドストエフスキーの美の観念は、少なくともギリシャ的ではない。私は、(直感的にだが)アジア的な生の指示を感ずる。そこには、ヨーロッパ人にとって不断の脅威であるところのアジア的混沌の風土がありはしないか?」
(「美について」三島由紀夫/1949「近代文学」)   (2012.4.5)
   




千駄ヶ谷さまよい記 ―桜井報告を聴きに行くー


新美しづ子

 傍聴記といっても、あの日私は国立競技場からの道に迷って大遅刻。半分は「千駄ヶ谷さまよい記」になりそうです。おかしな傍聴記、はじめにお詫びしておきます。
 前回、少し遠回りしたので、今日は、と思って歩き出したものの、それにしてはのん気に右へ左へといくうちに迷子になった。交番は見当たらない。郵便屋さんも宅配の若者も首を傾げる。目印のセブンイレブンはいつもの店と違う。空車がきたので思い切って手をあげた。さっとドアを開けてくれたけれど、「番地が解らないと、ちょっとねえ」と行ってしまった。その他なにやかや、最後に千駄ヶ谷小学校角の案内図に助けられた。区民会館の物静かな入口が見えてきた時は、ほっとした。
 会場の空席は、それほど多くなかった。この頃、耳が遠くなったので前の方に坐る。ガラス戸の外の冬空にぼーと目をやっていると「ドストエフスキーは三面記事と相性がいいんです」今日の報告者桜井さんの明快な声。いっぺんに目が覚めた。そうそう、ドスト氏と三面記事はお似合い。そこは素材の宝庫。時には殺人犯にも寄り添う。かと思えばその逆のようなことも。難解なドストエフスキーの世界が新聞紙面の奥に黒く深く沈んでいる。
 質疑応答に入ると、再び桜井さんの明るい声。「新聞の論調というものは、それを書く記者が、例えばドストエフスキーファンならそのようになりますから・・・」にそれは当然、と、笑って頷きながら、すぐ怖くなった。私たちの「今」は大丈夫 ? 急にわが身のこととなった。
 そろそろ終わりの時刻。「ニューレター」頁2の12の項目をくり返し読む。大部分を聴き逃したようで残念な気がした。わずかな私のメモ書きは、次の通り。
 ロシアの受け取り方。イメージ的に劇薬。作者と作品が合到。社会主義、ウワサ、デモが伝達されていく時に‘90年代と2000年代では新聞のトーンが違う。等。
 閉会となり、数人の方たちが手早く机、椅子を片付けて下さる。出席者のほとんどがそのまま連れだって原宿駅前いつもの地下の居酒屋へ。4、5人ずつのテーブルにくつろいで喉を潤す。次から次のサケ、サカナを前に同好の方たちとの語らいは最高。大きい孫娘のような純子さんと並んで坐り私たちのテーブルも楽しかった。松浦さんが、半世紀経った今も「美味しかった」とのたまう一杯のミルクテイ、それにまつわる奇縁を皮切りにいくらでも話は弾んだ。しまいには、このところの福井論文の熱に誘われて、和泉式部の沢の蛍が今にも、その辺に出てきそうな気分になりました。





第207回例会傍聴記 桜井氏「現代ロシア新聞で言及された『ドストエフスキー』」


下原敏彦

 今日、パソコン機能の発達やデータベースの整備でドストエフスキー情報は、迅速により多く知ることができるようになった。第207回例会の報告者・桜井厚二氏は、早くからIT分野に着目し「現代のドストエフスキー情報」の集約を試みてきた研究者である。
氏は、これまで1990年代の新聞から集めた『現代用語としての「ドストエフスキー」』(2000)や共著『21世紀 ドストエフスキーがやってくる』(集英社、2007)の「現代用語としてのドストエフスキー」などを手掛けている。が、それらは、専ら現代日本の新聞とインターネット上からの情報であった。現代ロシアの新聞情報の紹介は、知る限りなかった。それ故に報告は、初の日本以外のドストエフスキー事情紹介という点で、画期的な発表だったといえる。ロシアの現代の新聞は、ドストエフスキーをどう報じているのか。知っているようで知らなかっただけに、大いに興味湧くものであった。
 もっとも、ロシアについて知らないのは一人ドストエフスキーに限らない。例えば、先日の新聞にモスクワ支局員のこんな囲み記事があった。「どれだけ自分は、普通のロシア人の声に耳を傾け、彼らが抱える問題や思いを伝えてきたか」。ロシアで「日本製品は大人気だ。そうしたことを日本の知人に話すと驚かれる」(朝日新聞2012・2・8「記者有論」)近くて遠い国といえば北朝鮮の専売特許だが、上記の記事を読むとロシアもまたしかりである。ドストエフスキーについても実際のところ未知であった。それ故、一般市民が読む新聞からの集約は、現代ロシア人のドストエフスキー観を知る上で極めて重要なものがある。
 氏は、集約対象として「イズヴェスチヤ」紙を選んだ。現代ロシアで最も平均的水準にある新聞ということが理由。対象年月を2010年としたのは、記事データベースの「一ヶ月限定試用版」(早稲田大学図書館が8−9月にかけて導 入していた)を2011年9月に利用した都合上、1月1日から12月31日まで、丸一年間分 の完全なデータを確保できるのは2010年までに限られたためとのこと。データベース上によると同年1月1日から12月31日までの1年間、文中に「ドストエフスキー」が記載された記事数は108件という。3日に1件のペースである。ちなみに日本では、2001年元旦〜2006年11月末まで朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞の大手4紙で633件(日経テレコン21のデーター「現代用語としてのドストエフスキー」)という。これをみると1年間1紙で108件はかなり頻繁といえる。この現象、日本と同じようにブームか、と思いきや、タネあかしはトルストイ没後100年の影響では、と推察された。
氏は記事を12項目に分類して、内容を分析しながら紹介した。項目順位は、恣意的とのこと。沢山の幅広い記事からだけに記憶に残った印象はこのようであった。ドの名前はフランスに関する記事のなかに多くみられた。大半は作家のサガンが読んでいた。政治家か俳優が『罪と罰』を口にした。「メグレ警視」の作者シムノンが幼少時代にドストエフスキーを愛読していた、といった類のものだった。豊富に例をあげられたのは、トルストイとの比較である。トルストイは常に「偉大な」という代名詞がつくが、ドストエフスキーは天才的・古典的といった総称。しかも単独で記事になることはあまりなく、チェーホフ、ゴーゴリたちロシア作家の一人として名を連ねることが多い。新聞が「平均的な水準」つまり大衆紙という性格からか、かなり砕けた登用もあった。作品名やシベリヤ流刑の影響からか、塀の中を体験した作家と呼ばれている。日本でいえば『塀の中の懲りない面々』を書いた安部譲二か。『死の家の記録』からは、『網走番外地』的雰囲気が伝わってくる。(健さんのように恰好いいと思われているのか?!)それに賭博といえばドストエフスキー、ドストエフスキーといえば賭博。そんな連想が浸透しているという。現にペテルブルグには何と賭博クラブ「ドストエフスキー」という店があったという。観光ルートでは知り得ぬところか。いずれにせよ、時評文脈が多い日本のドストエフスキー観とは大分異なるようだ。項目のなかに「武道家とドストエフスキー」というのがあった。記事は、目下ドストエフスキー作品を読書中だというレスラーへのインタビュー。もう一つは、空手の心得のある彫刻家が、地下鉄でガラの悪そうな男たちに絡まれた時に読んでいたのが「作家の日記」だった、というもの。このような場合、日本だったら新聞は、レスラーと彫刻家を人間心理を探究する有識者として持ち上げるだろう。が、ロシア新聞の印象からは、伝わってこない。
 いずれにせよ報告は、日本国内でのドストエフスキー評価しか知らないドストエフスキー読者にとっては、少なからずカルチャーショックを受けるものだった。そのせいか質疑応答も戸惑いがみられた。こんな体験者もいた。二人のロシア人と話をしたとき、トルストイやチェーホフの話まではよかったが、ドストエフスキーをもちだしたら、二人とも急に怒りだした。この話を聞いて、数年前だが私の知人がロシア大使館職員から聞いたドの話を思い出した。なぜか文豪を(女好き、賭博狂と)おとしめるものだったらしい。
 今報告の現代ロシアの新聞紹介は、報道において日本とロシアのドストエフスキー観の違いであった。1991年のソ連邦崩壊から20余年だが、いまだロシアでは、ドストエフスキーは反革命作家のまま、そんな印象を得た。最後に、そうした新聞の記事事情について報告者の桜井氏は「『悪霊』を書いた作家ということが起因しているのでは」と結んだ。いろいろなことを考えさせられた報告だった。



第251回6月読書会
 
 月 日 : 2012年・平成24年6月 16 日(土)
 時 間 : 午後1時30分開場〜5時00分
 会 場 : 豊島区勤労福祉会館第7会議室
 作 品 : 初期短編(ペトラシェフスキー事件前作品)
 報告者 : 未定



掲示板

冊子『異文化交流 第12号』東海大学外国語教育センター
高橋誠一郎「『坂の上の雲』とトルストイの理念 『戦争と平和』と『武士道』をめぐって」

『ドストエーフスキイ広場 No.21』発行

第43回新美展「上野・東京都美術館」4月24日(火)〜30日(月)
 読書会の山田芳夫さんが作品を出品しています。



編集室          

年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)

郵便口座名・「読書会通信」    口座番号・00160-0-48024 
 
2012年2月10日〜年4月10日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。

「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方