ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No130  発行:2012.2.7


第249回2月読書会のお知らせ


月 日 : 2012年2月18日(土)
場 所 : 豊島区立勤労福祉会館第7会議室
開 場 : 午後1時30分 
開 催 : 午後2時00分 〜 4時45分
作 品  : 『弱い心』
報告者 : 鈴木寛子 氏        
会 費 : 1000円(学生500円)

二次会(近くの居酒屋)  5時10分 〜


お知らせ
東京芸術劇場は、施設の改修工事のため2012年(平成24年)8月31日まで全面休館中です。このため会場と開催日が変則的になります。ご了承ください。




2・18読書会について


本年(2012年)最初の作品は、『弱い心』です

 この作品は、1848年2月に『祖国の記録』1月号で発表された。ドストエフスキー27歳のときの作品。このころのドストエフスキー周辺はあまりよくない。前年の1847年、友人の詩人マイコフが24歳の若さで急逝。医師ヤノーフスキイが、街頭でのドストエフスキーの発作をてんかんと診断。1848年の5月にはベリンスキイ死去。

報告者は、鈴木寛子さん

 世界も日本も、いま新しい時代の道を模索している。実験的社会主義大国は、脆くも崩壊し、かわりに希望の星となって実現した欧州共同体。しかし、それもいま瀕死の状態にある。日本は、リーダー探しという情けない状態に陥っている。ねばねばした若葉は、どこにあるのか。読書会も、その難を逃れることはできなかった。が、近年、春近い凍土の下を感じる。そのひとりが報告者の鈴木寛子さんです。これからは、若い力でどんどんひっぱって欲しいと思います。なぜならドストエフスキー作品の中に、彷徨える人類を再生させる何かがあると思うからです。


「傲慢で卑屈な心」

鈴木 寛子


「ああ、それは可哀そうなことをした!」とやがてユリアン・マスターコヴィッチは言った。「それにこの男に頼んだ仕事というのは、あまり重要なものではないし、急を要するものではまったくなかったのだ。そんなわけだからつまり、なんでもないことから人間一人身を亡ぼしてしまったことになる!しかしまあしかたあるまい、その男を連れて行きたまえ!……」

 「弱い心」というのは一見あわれな小説である。優しくて美しい心の持ち主が、感謝のあまり発狂してしまったように読めるからである。だが、そうであろうか。
 ところで、以前に「貧しい人々」の朗読会に出たときに、なんとなくイヤな感じの発見があった。主人公であるマカール氏は一見ただただ善良な良き人である。ドストエフスキーの仕組んだ文脈の中ではそうなのである。しかし、朗読会の中で私はマカールさんと一緒にテーブルを囲んでいるつもりになって、彼の声に耳を傾けてみると、なんだか、怪しい。現実を一緒に暮らしているつもりになって彼の語りを聞いてみると、なんだか傲慢に思えた。彼にとって靴とは生活の象徴なのだが、たとえば靴職人といった人々とマカール氏自身はあくまで彼我の関係であり、同情のうらには自分と彼らは違うという、見下した心があると思えた。対をなすように、彼にとっての立派な人々のことは、卑屈なまでに過大評価している。朗読会では、マカール氏のプライドの高さへと話は展開していったように記憶している。

「弱い心」もあくまでドストエフスキーの文脈の中で語られる。そのとき、私は彼の用意した文脈にのって話を読む。そこで私は少し視点を変えてみる。ワーシャやアルカージイの女友達になって、彼らの部屋で、一緒に暮らしているようなつもりで、二人のこどもっぽくて熱っぽいばか騒ぎをながめてみる。そうしたら、一つ不思議なことがあった。
 どうしてワーシャは自分が写している書類がさして重要でも急ぎのものでもないと気付かないのだろうか?

 ワーシャもアルカージイも一つの妄想を共有している。それは、ワーシャの仕事ぶりなり人格がとても素晴らしく美しいものであるから、特別大事な仕事をまかされている、という妄想だ。二人の人間が妄想を共有していれば、その妄想は強化される。特にアルカージイはおかしな方向に油をがぼがぼと注ぐ役目を果たすのだから始末におえない。しかし、マスターコヴィチにとっては、無害であわれな者へのお情けでしかなかったのに、だ。
 どうこの怪しさに、マカール氏とワーシャを地下室の男へとつなげるものを、感じる。
 ところで、とあるカウンセラーさんのHPに、中村健之介氏の文章を引用しつつ、地下室の男について述べられているのを見つけた。

 小林秀雄は「地下室」の男は「自意識の魔」に、とりつかれているのだと言った。ロシアの文芸学者バフチンも「地下室」の男が強烈な「内省」に衝き動かされていることを指摘している。その「内省」は、激しく動く破壊的自意識のことである。「地下室」の男は何をするにも、行動しようとする自分を批評的に意識し、意識するその自分を更に意識し、意識するその自分を、更に意識し批判するという自意識の悪循環に陥ってしまっている。

―中村健之介「死の恐怖、そして意識の苦痛」より抜粋

 また、カウンセラー氏は自分から希望を壊すような破壊的な方向へと自意識が働くことの矛盾を、「マゾヒズムは、大抵の場合、自己発揮的欲求の裏返しなのだ」と説明し、「時に・・・人間は自己の苦悩さえも、愛してしまいます。このパターンは、カウンセラー的自己満足とともに、よく見られるのかも知れません。『浸る』という私の大嫌いな言葉とともに・・・。」としてエッセイを締めくくられていた。

 自意識の過剰さ、というのはドストエフスキーの描く人物のとくにユニークであるところだと思う。それに浸るのもマゾヒズムに陥っていくのも、(本人はそれでいいが、周りは大迷惑であることに気付かないのも)おきまりである。自意識は過剰なのだが、わが身をみれば何者でもないのだ。大勢の中の一人であることが、あるがままに受け入れられない。ゆえに尊大さと卑屈さの両方を必然的に抱えている。初期作品の読み合いを通して、ドストエフスキー自身の若き日の姿も、そのようなものと思えてきた。

 今にして思うと、マカール氏に感じた違和感も、彼の過剰な自意識からくる傲慢さと卑屈さへの違和感であったと思う。地下室の男の場合は尊大甚だしいが、マカール氏とワーシャの場合は似たような自意識の構造が、卑屈に傾いている人物なのではないだろうか。また、「貧しき人々」でも「弱い心」でも、ドストエフスキーの文脈は、彼らの過大な自意識にあまりにも好意的であると思う。ゆえに彼に素直に従っては、見落としてしまうようなのだ。特に、共に暮らす人々はどんな風に心を痛めてしまうだろうか、ということにはドストエフスキー自身も無頓着であったのだろう。

 話をワーシャに戻すと、彼は発狂してしまうのだが、一方で彼は発狂することを必要としたような気もするのだ。以前に、アルコール中毒者は、たとえその状況を望んでいなかったり、心底苦しんでいたとしても、その状況から何らかの利益を得ているはずだ、(ゆえにその利益をつきとめて解体することが重要だ)という話を聞いたことがある。それ以来、あらゆる精神的な病理は、罹患者にとっての必要性があり、罹患者をある種の状況から守るために防衛本能として発生するのではないだろうか、と、素人の私は偏見を抱いている。ワーシャは発狂することから、どんな利益を得ているのだろう。それはなんとなく、自意識であるとおもう。また、卑屈な心とマゾヒズムの中で、彼は自分にふさわしいものを望んだのではないか……。

 「いいやアルカーシャ、そうじゃない。僕に対する君の愛は無限だ、それは僕にもわかっているよ。しかしそれでも、僕がいま感じていることの百分の一だって、君にはとてもわかりっこはないよ。僕の胸はいっぱいだ、いっぱいなんだ!アルカーシャ!僕にはこんな幸福を受ける資格なんかありゃしない!ぼくにはそれがわかるんだ、ちゃんと感じているんだ。それなのになんだってこんな幸福が授かったんだろう」と彼はいまにも泣き出しそうになるのをやっと押し殺しているような声で言った。「いったい僕がどんないいことをしたっていうんだ、そうだろう!考えてもみたまえ、この世の中にはどれだけの人間が、どれだけ涙を流し、どれだけ悲しみに堪え、どれだけ陽の目も仰げないような灰色の生活を送っていることだろう!それなのにこの僕はどうだ!あんな立派な娘が僕を愛していてくれるんだ、こんな僕のような男をね……。

 もちろんアルカーシャの愛も友情も無限ではない。「あんな立派な娘が僕を愛してくれるんだ、こんな僕のような男をね……。」という卑屈なくだりも怪しい。それよりも、灰色の生活を送っているかわいそうな人たちのくだりが、どうも気になる。

 私は以前インドに行ったことがあるが、そこには貧しい人は恐ろしくたくさんいたが、灰色の生活を送っている人ではなかった。私も彼らも生活者という点では同様なのだ。先進国では途上国のかわいそうな人たちのイメージが誰かにつくりあげられ、再生産されている。実際に彼らの生活が苛酷であることは事実だが、暮らしというものにかわいそうなんて言葉の入り込む余地があるのだろうか。たぶん、どこか遠くにかわいそうな人がいるという考え自体に心地よさがあるゆえに、こうしたイメージが蔓延するのだろう。尊敬を忘れた視点であると思う。

 ワーシャの発言に戻ると、自分自身のかっこ悪さがわかっていない人間の語りのようで、怪しいと思う。若きドストエフスキーにせよワーシャにせよ、大多数の民衆とはちがう暮らしをしていたのだろうけれど、生身の彼らと自分をつなげて考えるのではなく、観念でとらえていたのだと思う。何か観念に捉えられると、その観念を弄んでると、自身にとって偉大なその観念同様に、偉大なものに奉仕している自身に夢中になってしまい、世の中の人々の立派さを忘れてしまうのではないか。私がそうであった気がする。今もそうかもしれない。
 ところで、ここで最後の場面でアルカージイを訪れた、奇妙な想念の部分を引用したい。

 この全世界が、強弱とりどりのその住人もろとも、またあらゆる住居―この世の強者の慰めである金殿玉楼、あるいは乞食の掘建て小屋にいたるありとあらゆる住まいもろとも、この黄昏時にはすべてなにか空想的な、魅惑に富んだ幻か夢のようなものに思われ、その夢は夢でいまにも消え去り、青黒い空に煙となって、雲散霧消してしまうようにも思われた。

 ワーシャやドストエフスキーの分身たちのなかには完全なる美しき世界への欲求があるのだろう。これは当時の西洋人やドストエフスキーが神を失ったがゆえの苦悩と言ってもいいのかもしれない。彼らは世界に対して完全なる美しさを、それも神を失った故に人工的な形で望まざるをえなかったのではないか。その気分は社会主義という気分に昇華されて行ったのだろうか。そうした欲望を持てば、自己にもどこか完全なる美しさを求める心をもつのではないか。しかし、そんなものを観念で持つことは不遜なことなのだろう。

 少し話はそれるが、世界の神秘を否定し、合理主義による完全を求めることにドストエフスキーの不幸と苦悩があったのだと思う。しかし、ドストエフスキーは神秘による救済や平和を予感しつつも、神との出会いは彼には訪れなかった。(ところで、私の「愛」とか「神」とかは英語のLoveとかGodの感覚で使っているので、よく誤解される。私は神と呼ぶが、日本語では大地の神秘、とかグレート・マザーぐらいの言葉のようです。)また、ラスコーリニコフは人間の理性よりも高いものがあるということは考えないからこそ、殺人へと踏み切れるのだろうが、彼自身は合理的である以上のものの支配下にあったゆえに苦悩したのではないか。そのラスコーリニコフには、世界の神秘に頭を垂れたときに、大地にくちづけをしたときに、救済が訪れる。しかし、ドストエフスキー自身は、世界の理性的、合理的な完全と、その理性による観念的な理解を最後まで諦めなかっただろう。

 ワーシャはなぜ発狂したのか。彼は空想家であった。本当に美しいものを望んだり、憧れたりするタイプの空想家であったと思う。そこに自意識の問題が加わって、現実を受け入れられなくなってしまって、発狂したのではないか。そうすることで、彼の美しさは傷つかないし、自意識は守られる。だが、もちろんそれだけではない。

 清水正氏のHPで氏の「小林秀雄の三角関係」(初出「D文学通信」1189号・2009年05月25日)上に興味深い引用があった。事態は小林秀雄が友人である中原中也の妻を盗ったにも関わらず、さっさと女を残して姿を消してしまった直後である。その当時の中也に関する、大岡昇平の証言を転載させていただく。

 私は十九歳になったばかりで、本当に心配をした。中原に釣り込まれて、小林に憤慨さえしたくらいである。中原は河上徹太郎も今日出海も佐藤正彰も、小林の仏文の仲間を全部疑っていた。私もそんな気がして来た。 

 二日ばかり経って、渋谷駅前を歩いていたらタクシーへ乗って中原が来かかった。男の相客と何やら笑いながら話している。私はその後の様子を聞こうと思って駈け寄った。中原は私を認めて、笑いながら手を振り、タクシーは走り続けた。 停るだろうと思われた地点を越しても走り続けるので、諦めて立ち止った頃、タクシーは大分先でやっと停った。中原は窓を開けて「駄目だ。まだわからん」とか何とか言った。これから駒場の辰野先生の家へ相談に行くところだという。相客は澄まして、向こうを向いていた。これが佐藤正彰だった。中原の浮き浮きした様子は小林の行方と泰子の将来を心配している人間のそれではなかった。もめごとで走り廻るのを喜んでいるおたんこなすの顔であった。中原はそれまで随分私をうれしがらせるようなことをいってくれたのである。うっかり出来ないぞと思ったのは、この時が初めである。(100〜101)

 清水氏はこのおたんこなすにワーシャを見たようだ。この後に、清水氏はアルカージイのおせっかいへのワーシャの憎悪の爆発として、アルカージイを殺すのではなくワーシャは自身を発狂させたのだと読み解く。

 もちろんそれも正しいと思う。私は自分の中の怪しさと結託してしか読めない。そうするとこのときの中也の快楽がよくわかる気がするのだ。それからおたんこなすのワーシャは、どんなに自分の幸福をぶちこわしてみたかっただろうと思うのだ。そうして彼は全てをほっぽり出して、どこかへ行ってしまった。
 ドストエフスキーはワーシャに関しておおむね好意的なようだ。ワーシャは優しい哀れな男、なのだろう。ただ女友達として彼らの部屋に出入りしてみた私は、やはりこの話の美しさに付き合いきれない。ワーシャはどうしてそんなに自分の格好ばかり気にしたのだろう。彼にリーザニカを幸せにするのだという気持ちがあれば、引き返して来れたのではないか……。少なくとも、もしもワーシャが男ではなくて、赤ん坊を抱えた母親であったら、とても発狂なんてできなかったとは思う。こんどはリーザニカの女友達になってみる。「彼はあなたのことを幸せにする真実からの気持ちはなかったのよ。相手のことを本当に愛するような人じゃなかったのよ。どうしてそんな人があなたを悲しませて、遠くにいってしまうことができるの。彼は自分のかっこうのことから自由になれなかったけど、女を愛している男の人に、そんなことができるなんて思えないわ……。」

 人と暮らすということを忘れ、自意識や観念のとりことなってしまうことは、どうしても感心できない。





ドストエフスキー文献情報
 【ド翁文庫・佐藤徹夫】


<作品翻訳>

『悪霊 2』 ドストエフスキー、亀山郁夫訳 光文社 2011.4.20 \1143
      747p 15.3cm 巻末:読書ガイド <光文社古典新訳文庫 
      ? Aト 1-12>
     *ドストエフスキー『悪霊』 三部からなる長編小説 第2部

<漫画化>

『カラマーゾフの兄弟 A』 ドストエフスキー、及川由美著 幻冬舎コミックス
      (発売:幻冬社) 2011.7.24 \667 239p 18.4cm
      <バーズコミックス スペシャル>

<研究書>

『小島信夫批評集成 第5巻 私の作家遍歴 II 最後の講義』 小島信夫著
      水声社 2011.1.10 \6000 464p 21.7cm
      *最後の講義 (主に、39 八雲、最後の講義;40 平凡な少女
        の傑作;41 甘美な奉仕) p383-434
『小島信夫批評集成 第6巻 私の作家遍歴 III 奴隷の寓話』 小島信夫著
      水声社 2011.1.30 \6000 476p 21.7cm
      *奴隷の寓話 (主に、53 めざましい創意;54 自分はどこにいるか;
        55 仮面舞踏会;56 見過ごされる出来事) p214-288
『世界の名作を読む』 改定版 工藤庸子編著 放送大学教育振興会
       2011.3.20 \2500 195p 21cm 付:CD
      *6 ドストエフスキー『罪と罰』/沼野充義 p66-79
       (CDは、柴田秀勝朗読)
『イエス・キリストの復活 現代のアンソロジー』 大貫隆編著 日本キリスト教団出版局
       2011.3.25 \5400 390p 21.6cm
      *第三部 文学における復活論 31 ドストエフスキー『白痴』 p341-347
・『小島信夫批評集成 第1巻 現代文学の進退』 小島信夫著 水声社 2011.4.1
       \8000 642p 21.6cm
      *小島信夫文学論集 I ・思想と表現 ゴーゴリ・ドストエフスキー・カフカ
        p60-77
『宣教師ニコライとその時代』 中村健之介著 講談社 2011.4.20 \950 350p 17.5cm
       <講談社現代新書・2102>
      *第二部 観察者ニコライ 第四章 文学者へのまなざし 1 ドストエフスキー
        とのすれちがい;2 プーシキンの偶像化をめぐって p138-161
      *第三部 日露戦争とその後 第九章 ニコライの信仰 1 死後の生、たましいの
        ゆくえ p305-316
『林芙美子と屋久島』 清水正著 D文学研究会(発売:星雲社) 2011.4.30 \1500
       156p 21.1cm
      *『浮雲』と『罪と罰』について p12-36
『小島信夫批評集成 第2巻 変幻自在の人間』 小島信夫著 水声社 2011.5.10
       \10000 807p 21.6cm
      *文学断章 I 私と外国文学 ・ドストエフスキーと人間の不思議さ p524-527
       II ・ドストエフスキーとチェーホフ p624-628
『井筒俊彦 叡智の哲学』 若松英輔著 慶應義塾大学出版会 2011.5.30 \3400
       453+15p 19.4cm
      *第三章 ロシア、夜の霊性 (文学者の使命;見霊者と神秘詩人―ドストエフ
        スキーとチュッチェフ;前生を歌う詩人;永遠のイデア) p99-139・『小島信夫批評集成 第7巻 そんなに沢山のトランクを』 小島信夫著 水声社 2011.
       5.30 \9000 739p 21.6cm
      *そんなに沢山のトランクを V ・ドストエフスキーの蔵書;わが『罪と罰』講演
       p196-198;198-201
『ドストエフスキー人物事典』 中村健之介著 講談社 2011.6.9 \1600 573p 14.9cm
       <講談社学術文庫・2055>
      *初版:1990.4.20 朝日新聞社刊 <朝日選書・399> \1550;
        同 オンデマンド版:2003.6.1 \3850
『本の魔法』 司修著 白水社 2011.6.15 \2000 264p 19.5cm
      *I ・闇―『埴谷雄高全集』『埴谷雄高ドストイエフスキイ」全論集』 埴谷雄高
       p37-53
『ジャポニズムのロシア 知られざる日露文化関係史』 ワシーリー・モロジャコフ 村野克明訳
       藤原書店 2011.6.30 \2800 248p 19.5cm
      *ジャポニズムのロシア―知られざる日露文化関係史 第II部 知られざるロシア
       1 なぜ日本人はロシア文学を好むのか?―ヨーロッパとアジアのはざまで p151-170
       2 ニコライ・ベルジャーエフと日本人―ドストエフスキーと革命、転向について p171-186
『もし20代のときにこの本に出会っていたら 後悔しないための読書』 鷲田小弥太著 文芸社
       2011.6.30 \1200 255p 19cm
      *II部 学生時代を生きる読書案内 5 青春時代の読書 5-1 青い時代にしか
       読めない本 p133-145
『露西亜文学』 井筒俊彦著 慶應義塾大学出版会 2011.7.15 \3800 261p 19.4cm
      *露西亜文学 (第一章 露西亜文学の性格;第二章 露西亜の十字架;第三章
        ピョートル大帝の精神) p1-56
『黒澤明で「白痴」を読み解く』 高橋誠一郎著 成文社 2011.8.16 \2800 350p 19.5cm
      *黒澤明で「白痴」を読み解く p19-301
『小説の誕生』 保坂和志著 中央公論新社 2011.8.25 \1048 534p 15.2cm
       <中公文庫 ほ-12-13>
      *小説の誕生 9 私の延長 (ドストエフスキーの歪み;世界を肯定する小説)
       p306-321

<逐次刊行物>

・「ドストエーフスキイ広場」 20 (2011.4.16) 全107p *詳細は省略
・<よみたい古典> 佐藤優さんと読む「カラマーゾフの兄弟」(上)/近藤康太郎
       「朝日新聞」 2011.5.1 p14 <読書>
・<よみたい古典> 佐藤優さんと読む「カラマーゾフの兄弟」(下)/近藤康太郎
       「朝日新聞」 2011.5.8 p12 <読書>
・<書評> すこぶる広い目配り 文豪が与えた影響についての教科書のよう 井桁貞義著
       ドストエフスキイと日本文化 漱石・春樹、そして伊坂幸太郎まで/山城むつみ
       「週刊読書人」 2890(2011.5.27) p5
・ドストエフスキーの預言 第二十五回 亡命してはならない/佐藤優
       「文學界」 65(6)(2011.6.1) p230-240
・<今月の2冊> 『ドストエフスキイと日本文化 漱石・春樹、そして伊坂幸太郎まで』
       井桁貞義著 教育評論社;『福田恒存対談・座談集』(第一巻) 玉川大学
       出版部/富岡幸一郎
       「サライ」 23(7)(2011.6.10=7月号) p120
・深い衝撃 いくつか、断片をつなぎながら…… ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』/
       亀山郁夫
       「現代思想」 39(9)(2011.6.15=7月臨時増刊号 総特集:震災以後を
        生きるための50冊 <3・11>の思想のパラダイム) p24-27
・ドストエフスキーの預言 第二十六回 行為の神学/佐藤優
       「文學界」 65(7)(2011.7.1) p232-242
・ドストエフスキーの預言 最終回 「カラマーゾフ万歳!」/佐藤優
       「文學界」 65(8)(2011.8.1) p200-209

<DVD>

・「ナスターシャ Nastazja」 ドストエフスキー「白痴」より 坂東玉三郎主演 アンジェイ・ワイダ
       監督 SHV(松竹・映像商品部) DB-0491 \3990
       本編約99分・予告編約2分
       *1994年作品






連載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                       (第38回)三島由紀夫の生と死、その運命の謎(4)
                            
 福井勝也


1.今年を振り返りつつ

 前回は、前田英樹氏の語る保田與重郎を取りあげさせていただいた。その最後で、保田の三島由紀夫追悼文「天の時雨」(『作家論集』保田與重郎文庫第22巻所収)の言葉に触れたいと書いた。今回は年末の締めくくりにあたって、思い付くままに先日の例会での発表内容を含めて報告させていただく。

 この「連載」では昨年までの数年間、主に大岡昇平について論じて来た。元々大岡を問題にしながら、戦後派作家大岡の「同伴者」と自身考えてきた三島由紀夫にいずれ言及したいとの思いからだ。しかし、その大岡から三島へ転轍をはかる時機がなかなか廻ってこなかった。この点で自分の背中を押したのが、今年3.11に発生した福島原発事故という未曾有の人災を誘発した東日本大震災であった。三島由紀夫は、最後にドナルド・キーンに(「鬼院先生」と書いて)宛てた遺書で自らを「魅死魔幽鬼夫」と訓読をして、死ぬ直前の自分を「茶化」してみせた。昨年は三島没後40年であったが、今年41年目の春にして変な言い方を承知で言えば、僕のなかで三島の「幽霊」が立ち上がって来た。同時に、三島が仕掛けていたものに気付かされる思いがした。それは「大津波」で流された何万という「死者」が「彼」を「僕」に呼び寄せたのかもしれない。ここで、三島事件の報に接した際の保田の言葉に触れておきたい。

 「三島氏のこの度の挙についての簡単な放送をきいて、私は何か一心に祈っている自分にきづいた。神仏の何さまに何ごとを祈るというのでなく、漠然と、三島由紀夫というものを、わが目の前に空気のように透明に描いて、その上で何となく祈っているのだ、しかも心いそぎ切ない。わが心緒は全く紊れている。たまたまその時早手廻しの新聞社の電話だったので、私は却って少し心の安定を得た。今日最も立派な人が、思いつめてしたにちがいないことを、ありあわせのことばでかりそめにとやかく云うことは、私にはとても出来ない、私はそう答えた」 (「天の時雨」一、文庫p272)

 「日本の歌のはたらきとして、空間に充満する魂を自分にとり入れ、自分の魂が身体から離れてあこがれ出るのを、しづめるという考え方は、神代以来のものだった。むかしの言葉で鎮魂歌というから、古風の思想のような気がするかもしれぬが、もし今日のことばでいえば、感動や衝動を受けた事件について、一心に考え、それを理解しようとする時の精神活動の状態をいうに他ならない。ただ理解という近代の言葉で考えると、前後一切が皮相のものとなり、思いが浅薄となる。感動や衝動が、近代生活の中では皮相的だから、浅薄の理解で終るのだ。ここから歌はうまれない。事あれば新聞雑誌に一せいにしるされる有名人の見解や意見の類も、こういう浅薄の標本だから、大体形もきまっていて、二三類型に分類できる。しかもそれらは自分のたてまえや立場の利害判断から、見解を云うから、反応が非常に早いうえ、そういう分類的判断は一応もっともらしく聞える。人が自身で考えるという啓蒙のはたらきがなくなったようである。今日の流行語でいえば、これを体制的言語というのだ。<中略>これらは誰かが考えるとわかるように、感情をもった人間のものでない、いつわりの機械のことばである。」(「天の時雨」二、文庫p278−279/一、二本文旧カナ、新カナは筆者)

  日本人が何事かとてつもない出来事に遭遇した時、誠に素直な気持ちでそれを受け止める、その心のあり方を教えてくれる保田の言葉だと思った。単に「理解する」のではなく「(魂を)鎮める」ということ、「一心に」「祈る」ということによって相手に寄り添う精神活動こそ、日本人が元々保持してきた心映えであったのだろう。保田は三島の死に接して、他の誰もしなかったことを、容易に実践してみせた。だから彼の「天の時雨」は心を打つ三島論になった。今回の大災害にあっても、日本人はそのような心の動きをどこまで発動しえただろうか。その思いが、自分に三島由紀夫の<幽霊>を呼び寄せたのかもしれない。

2.<幽霊・オバケ>の作家の系譜としてのドストエフスキー&三島由紀夫

 つい先日(11/26)の「例会」(第206回)で「ドストエフスキーにおける無意識的なるもの、その後の感想」と題して発表させていただいた。その話の一部として、前回読書会で対象になった初期作品『主婦』(1847)を僕なりに再論させてもらった。要は、『主婦』は単なる「失敗作」などではなく、ドストエフスキーが作家として生涯拘った心理的傾向を、その独自のスタイルによって作品化した問題作ではなかったかと言う中味だった。そのことは、この表向きの「小説」とともに、その中に埋め込まれた深層の「物語」(ゴーゴリの『ヂカニカ近郷夜話』の一話「恐ろしき復讐」をベースにした)に跨る「女あるじ(カチェリーナ)」の女性像に収斂しうるものとして指摘した。詳細は機関誌「広場」に書くことになるので、ここでは前半に話題にした「三島由紀夫とドストエフスキー」の「脈絡」についてまず報告しておく。

 指摘させていただいたのは、三島が『遠野物語』の「炭継ぎの話」を対象にして語った文章で、小説の「まことらしさ」(リアリズム)が問われるとき出現した「幽霊」(言葉)の話であった。これは、三島の遺作『豊饒の海』(71)の最終部「天人五衰」とほぼ同時期に執筆された『小説とは何か』(72)という文章のなかで語られている。僕には、小説『豊饒の海』特にその第3部「暁の寺」と第4部「天人五衰」は、この批評『小説とは何か』と一体的に読まれるべき内容のものだと思っている。

 三島の注目は、柳田国男が「炭継ぎの話」のなかで表現した「裾にて炭取りにさはりしに、丸き炭取りなればくるくるとまはりたり」という一節にあった。三島は、そのなかに「現実を震撼させることによって幽霊(言葉)を現実化するところの根源的な力」を見てとって、それこそが小説に不可欠の核心であると説いた。この地点は、三島という小説家が最後に辿り着いた境地を示していて重要だと思う。と同時にこの時、僕の中にドストエフスキーという作家の本質が三島の背後に急に浮かび上がって来た。実は発表では、この三島の前にいた泉鏡花という作家にも触れて、さらに村上春樹にも言及し、小説家の或る「類型」と「系譜」について語った。この「系譜」で言えば、ドストエフスキーの前にゴーゴリがいることは指摘するまでもない。そんななかで、ドストエフスキーという作家の「オバケ」に言及しながら要約的に述べたのが、今回発表の次の「第一仮説」であった。

 「ドストエフスキーは、<異界>との親和性の強い、<幽霊・オバケ>を呼び出さざる得ない系譜にある作家である。」この「系譜」に先述の小説家たちの名を連ねて語ったのであるが、単純に言えば、ドストエフスキーも三島も鏡花もハルキも<幽霊・オバケ>系列の小説家だと仮定したことになる。

 ここで一つだけドストエフスキーについて例証しておけば、『悪霊』の「スタヴローギンの告白」のマトリョーシャという自殺した少女が、「幽霊」となって後にスタヴローギンを苦しめるが、結局彼も首を括る。マトリョーシャとは最後までスタヴローギンの閉じられた「鏡像」であって、だからこそスタヴローギンはマトリョーシャの<オバケ>を呼び出さずには済まされない。<道徳的なマゾヒズム>に貫かれていた彼は、エディプス以前のエレクトラコンプレックスに支配されていたと指摘した。そして小説『主婦』と小説内「物語」を繋ぐ深層心理、彼女とムーリンとの逃れられぬ男女(夫婦)関係にも同じ心理的傾向の問題があることをお話した。そしてこの問題は、初期小説『主婦』で顕在化しつつ、後期小説まで貫かれるドストエフスキー固有の問題だと考えられないかと指摘した。それを要約したのが次の「第二仮説」と「第三仮説」であった。

 「ドストエフスキーを<父親殺し/エディプスコンプレックス>の作家と捉えるのは非本質的であって、むしろ<父親的な愛情への欲望/エレクトラコンプレックス>の作家と考えるべきである。」

 「ドストエフスキーの本質は、サディズム的近代世界に対立するマゾヒズム的作家であって、その深層のロシア的草原(ステップ)を象徴する母性的女神(「グレートマザー」・「女あるじ」)を媒介として、さらに<アジア的古代性>に通じている。」

 いきなり「仮説」を並べられても迷惑かもしれない。今回発表テーマである「ドストエフスキーにおける無意識的なるもの」という年来のテーマから、幾つかの作品・論考(創刊号『ドストエフスキー研究』84’の島田透論文、フロイトの論文「ドストエフスキーと父親殺し」<超自我の審級>の部分、さらに『主婦』『ネートチカ・ネズヴァーノヴァ』等の初期作品)を参考に、「感想」として提起させてもらった「仮説」ということになる。この辺も、詳細は「広場」に譲る。

3.『女あるじ』は、<アジア的古代性>に通じたロシア的女神(「グレートマザー」)
 
 読書会でも議論した『主婦』のカチェリーナ像の問題について、もう少しここに記しておく。それは上記の「第三仮説」の末尾の<アジア的古代性>の問題でもある。言わば、「第二仮説」がフロイトのドストエフスキーの精神分析の延長(逆転?)に位置づけられるとすれば、「第三仮説」はさらにそれを延長した先で、ユングの深層心理学の領域になってくる。その前提には、小説『主婦』の最後の方で感じさせられた、その奇妙な夫婦関係に見られる権力の逆転現象がある。大審問官の萌芽とも受け取れる夫ムーリンの妻カチェリーナへの専制的な性的抑圧(「サディズム」)は、そのカチェリーナのエレクトラ・コンプレックスにおけるマゾヒズム的受容の果てに、その抑圧関係の奇妙な反転が起きてくる。そのことは「物語」の中での「あの男」(ムーリン)の科白、実は自分の魂は娘のカチェリーナに滅ぼされたものだという言い方とも呼応していないか。そして今回、『主婦』の内部「物語」、ゴーゴリの「恐ろしき復讐」を丁寧に読んでみて、カチェリーナの背後には、まさに「女あるじ」と称される「ロシア的女神」「グレートマザー」が見え隠れしていることに気が付かされた。

 種村季弘という批評家の著書に『ザッヘル=マゾッホの生涯』という名著がある。これは、ウクライナに近いガリチアという土地で生まれ、「マゾヒズム」の語源となったザッヘル=マゾッホ(「サディズム」の語源となったサド侯爵と対照される人物)という作家の伝記的書物であるが、今回の報告にあたって教えられるところが多かった。フランスの哲学者ドゥルーズにも『サドとマゾッホ』と言う書物があって、種村氏は同著でドゥルーズの表現を引用している。要は、俗流に解釈され続けた「サディズム」と「マゾヒズム」という問題の根底に、実は、ヨーロッパ近代と地勢学的に異なる東欧以東の異教的世界との葛藤、近代をめぐっての精神的対立が存在してきたのだ。ドストエフスキーの小説、いやドストエフスキー自身がこの精神的葛藤を典型的に孕んでいる。「女あるじ」という主題を、カチェリーナに焦点を当てて「小説」からその「物語」に掘ってゆくと、その「マゾヒズム」的心性の奥に「ロシア的女神」が顕れ、それが異教的な<アジア的古代性>に繋がっていることが想定できる。それが上記の「第三仮説」であった。フロイトという精神分析学を切り開いた彼自身もマゾッホと同様の出身であれば、問題の根は深い。最後にここで、三島由紀夫で締め括るが、実は三島のドストエフスキーへの言及のなかにこの<アジア的古代性>に触れた件があったのだ。

 「ドストエフスキーの美の観念は、少なくともギリシャ的ではない。私は、(直感的にだが)アジア的な生の指示を感ずる。そこには、ヨーロッパ人にとって不断の脅威であるところのアジア的混沌の風土がありはしないか?現にニイチェがギリシャの始源として指摘するデュオニゾーズの祭祀は、アジア的起源をもつことが知られているではないか」

 (「美について」1949「近代文学」/『三島由紀夫の美学講座』所収)/2011.12.5





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