ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No128  発行:2011.10.13



第247回10月読書会のお知らせ


月 日 : 2011年10月22日(土)

場 所 : 豊島区立勤労福祉会館第7会議室
(池袋西口徒歩5分).03-3980-3131                 

開 場 : 午後1時30分 

開 催 : 午後2時00分 〜 4時45分

作 品 : 『主婦』米川正夫訳 他

報告者 : 菅原 純子 氏 『主婦』(ハジャイカ)の世界        

会  費 → 1000円(学生500円)

二次会(近くの居酒屋) → 5時10分 〜



お知らせ
 
読書会では本通信発送の際、東日本大震災並びに原発避難で被災された皆様に義援金切手で応援しています。一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。     

東京芸術劇場が、施設の改修工事のため平成23年4月1日 〜 平成24年8月31日まで全面休館となります。このため会場と開催日が変則的になります。ご了承ください。
          
12月読書会の会場は「豊島区立勤労福祉会館」第1会議室です。(20名部屋)
(東京芸術劇場の近くです。池袋警察署隣り) 抽選で第4土曜日になりました。

開催日 : 12月24日(土) 午後2時〜5時迄です 第一会議室 16頁に案内図




10・22読書会について


読書の秋にぴったりの作品

今年は、秋が駆け足でやってきています。本通信作成中10月初旬にして、はや晩秋の気温です。北からは初氷のニュースも聞きます。が、まだまだ読書には適した夜です。虫の音を聞きながらゆったりとした気持ちで本が読める季節です。
この時期、読書会作品になった作品は、幸運です。その意味で、ベリンスキイに「われわれはお互いに、ドストエーフスキイが天才などと自己欺瞞におちいっていたのです」とまで酷評された作品『主婦』が10月読書会に当たったことはラッキーなことです。何回読んでも、難解なこの作品です。秋の夜長にはぴったりの作品かも知れません。

報告者は菅原純子さん

報告者の菅原純子さんは、これまでに多くの作品感想・批評を述べられています。ちなみに『カラマーゾフの兄弟』2回目では「アリョーシャ像の人物像とは何か」を発表し、従来のアリョーシャ像とは違った角度のアリョーシャを浮かび上がらせた。難解というか面白味がないというか、当時もいまもあまり評判はよくない、この作品ですが、日本文学を読みこまれてきた菅原さんが、どのように読まれたのか、楽しみです。

報告要旨  以下の項目に添って報告される予定です。

『主婦』(ハジャイカ)の世界
                        

1.『ハジャイカ』は、ドストエフスキーの全作品のなかで、最大の駄作か?
2.霊感の泉に導かれ。
3.「メスメリズム」とは何か。ドストエフスキーとはどのように結びつくのか。
4.「メスメリズム」から催眠術へ。登場人物による視線のはたす役割。
5.ヤノフスキー医師の回想と、『分身』以後の病気発症。
6.『ハジャイカ』という作品に表出されている「催眠術」の具体例。
7.夢想家オルディノフ、フーリエに代表されるユートピア社会主義、友愛社会、兄と妹との関係だけでこの作品世界を読みとくことができるのか?
8.ムーリンとカチェリーナの関係。
9.「大審問官」の原型。
10.ニーチェとの関連と、日本の歌舞伎役者、成田屋のにらみの所作とは。

以上、当日報告する主なものであり、くわしいものは当日配布いたします。

参考文献:
「ドストエフスキーと催眠術」安藤厚・越野剛 北大文学研究科紀要102(2000)



プレイバック読書会


32年前に読まれた『主婦』
1979年1月20日に開かれた読書会報告から

水木雅子

正月気分の残る1月20日、5作目に当たる『主婦』読書会ではじめてレポートを努める。内容を知らず(!)に引き受け、読んでみれば20歳ばかりの絶世の美人の恋物語。登場人物との同化の要素はどこにも見当たらず、レポーター不適任の認識を深めるばかり、仕方なく独断と偏見に満ちた報告をすれば嘆息に迎えられ、早々に役目を終えた次第。よって以下は私の頭上を飛び交った参加諸氏の言である。
この日、『主婦』はエディプス・コンプレックスの小説と限定された。もっともフロイトの創り出したこの言葉は男性の場合に対して用いられるもので、この場合は女性用のエレクトラ・コンプレックスと言うのが正しいらしいらしいが。主婦カチェリーナの「黙認」という形での母親殺しと、母親の情夫(言わば義理の父)との駆落ちという筋書きは、確かにオイディプス王の父王殺しと母親との結婚に等しい。発言者によると、エディプス・コンプレックスをほんの少しばかり複雑にした小説であってそれ以上何の意味も持たぬ作品らしい。ドストエーフスキイの作品中で「最大の失敗作」と言われる所以か。一方では、その後の大作の萌芽がふんだんに見られるという点においてこの作品の見直しもする。
まず「夢想家」の登場。オルディノフはやがて『白夜』を通りラスコーリニコフに至る。
読書会Part1で佐々木美代子氏が指摘する「強烈な女性像」の萌芽カチュリーナ。『白痴』のナスターシャに連なる個性と見る。ムーリンは種々の要素を持つ。米川氏は「初めてドストエーフスキイの作品に登場した我意の人」ととらえ、彼に血を通わせたものが『死の家の記録』の囚人オルロフとペトロフだとする。「弱い人間に自由をやると、自分でその自由を縛り上げて返しにくる」というムーリンの「自由」は、規模こそ違え、大審問官の論理に通じるものではないだろうか。
又彼は、癲癇の痙攣発作を持った人物としてもはじめて描かれた。ムイシュキン、キリーロフ、スメルジャコフ等に先駆けている訳だ。
発作の場面は描かれていないが、この作品の主要人物の3人(オルディノフ、カチュリーナ、ムーリン)ともが癲癇質とみて良く、殊にオルディノフが倒れるまでの描写中『目の前が緑色に見え』の部分は癲癇の特徴に他ならないそうで、少し強引な言い方をすれば、ムイシュキンやキリーロフの発作直前のアウラの状態に発展すると言えないこともない。
カチュリーナの母親殺しにおいて「黙認」という形が出て来る。この当時ドストエフスキーは26才、すでに父親は殺されており、彼は父親殺しを願望していた自分自身に気付いていたものと思われる。この「黙認」はイヴァンの父親殺しでご存知の活躍をする。
こうして列挙すると、後期大作の重要なモチーフが随所に提示されていることに気付き、素材の提供という意味では、ドストエフスキイの作品の流れの中で『主婦』の役割は存外大きいのではないかということになる。新谷先生に、評価は時代によって変わるものであり、秀れた作品とはいろいろな思想を照射できるものをいうのだと励まされ(?)結局最大の失敗作との評価を覆す企てをして会を閉じたとでもいおうか。
今回もまたドストエフスキイの作品の中にフロイトを、ホフマンを、ゴーゴリを見出した。「ドストエフスキイといえども時代の子」である。当時の風潮や愛読書であった彼らの影響を受け、作品に取り入れもしたろう。だがそこで議論を終わらせないで欲しい。「ドスエフスキトの文学に対する基本的な姿勢から必然的に生み出された方法がありはしないか」と思い悩むのである。(「」内は加賀乙彦)

(『場 V 「会報 No.56」』から)




8・13読書会報告
                

 
節電の夏  酷暑の盆前、11名の参加者

8月初旬は涼しかったが、8日辺りから猛暑がぶり返してきた。暑気払い「読書会」は、お盆前の13日に開かれた。節電と猛暑、多忙な時期と重なったが11名の皆さんが出席。欺かれたいかさまカルタ師を描いた『九通の手紙に盛られた小説』の世界についてしばし暑さを忘れて語り合った。ドストエフスキーにもこんな作品があることを改めて知った。

報告者・山地清乃さんの真摯な読みが涼風

 「大変、とんだミスをしてしまいました」そう言って会場に飛び込んできたのは報告者の山地さんだった。作品を勘違いかな。一瞬、そう思ったが、『九通の手紙』のことです、とおっしゃる。では、発行の「読書会通信」に間違いが・・・(こちらは度々なので)「すみません」と詫びかけた。しかし、そうではないという。では、なにが、どこに?!と編集室はうろたえた。「ここがです」と山地さんは指で示された。翻訳者、米川正夫氏の解説だった。来る途中、電車の中で読み返していたら、自分の感想と、少しばかり違っているというのだ。編集室は、ほっとしながらも、山地さんの真摯な読みに爽やかな涼風を感じた。
ドストエフスキー読者はたとえ訳者・研究者といえども読者の一人。百人が読めば百通りの感想を持つ作品といえます。山地さんのまじめで律義な性格が、無意識に訳者に添いたいと思ったようです。

暑気払い参加は9名、カラオケ大会は8名の皆さんが暑気払いは、池袋西口「養老の瀧」で開かれた。9名の参加者が出席。親交をはかった。暑気払いカラオケ大会には、8名の皆さんが参加。楽しい夏の夜でした。


『九通の手紙に盛られた小説』アンケート&感想(提出3)

□作品を読んで「面白かった」 → どちらでもない2  面白かった1
□どんなところが「面白かったか」→ (ピョートル・イヴァーノヴィチとイヴァン・ペト
ローヴィチの行き違いが故意によるものなのかわからないが面白く感じた)
□ベリンスキイは「駄作」でしたがあなたは → どちらでもない2  駄作1
□作者の才能の片鱗は → みられる2  どちらとも思えない1
□オチは決まっているか → 分かりずらい2   印無し1

【感想・評】
・「ピョートル・イヴァーノヴィチが三百五十ルーブルをイヴァン・ペトローヴィチに支払わない件とエヴゲーニイ・ニコラーイチの非礼についてイヴァン・ペトローヴィチが遠まわしに非難したのとのピョートル・イヴァーノヴィチも直接的に感情に訴えるのではなく言い方を考えながら手紙をつづっているところが時代性を感じられた。物語の筋があまりよくつかめなかった。」
・「反省ですが、こうした短編は特に読み落としをしてはならないということ。」

アンケートの回答、ありがとうございました。「読書会通信」編集室



『九通の手紙に盛られた小説』報告概要


山地 清乃

「九通の手紙からなる小説」は今回初めて読みました。
ドストエーフスキイがこんな馬鹿馬鹿しいものを書いたのかというのが初読の感想でした。
しかし、ドストエフスキーともあろう人がそれだけではないでしょう、と言う思いと、前3作共、ある人物に照点を合わせ、彼は何に従事し、どんな生活をし、何を考えて、何に一番注意を惹かれているのか、と想像し、創造し、あたかも実在の人物であるかの如く私たちを引き込んで、人間の中の普遍性を見せてくれたことを考えて、一読して馬鹿にするのはおこがましい。この小説も小品とはいえどもそのことを目指したものであることを信じて読み直してみました。
けれども言うは易く行うは難しで、次元の高い文学的な解釈に至るのは私の能力を越えているので、私はこう読みましたと言う話を次に述べます。

読み直すについては、先ず、手紙−1以前のことを時間順に並べました。

8月4日(手紙―9に同封)イワンの結婚前日、イワンの婚約者が、これまで交際のあったイエヴゲーニイ・ニコラーヴィッチ(以後「青年」)に別れの手紙を書きます。

10月中旬(手紙‐1)イワンがピョートルに青年を紹介します。

11月2日(手紙‐8に同封)ピョートル夫人が青年に手紙を書いています。内容は、青年が誰かから受け取った手紙の束をピョートル夫人に渡したことと何か報告を受けたことへのピョートル夫人から青年への礼とピョートルが留守だから来てほしいこと。(二人はどうも親密らしい)

11月5日以前(11月11日の手紙−4の中に“つい先週”とある)に次のことが起きています。
イワンの言によると、利益折半者という資格を餌にピョートルに大金をまきあげられた。(手紙‐6)
ピョートルの言によると、銀貨350ルーブルは、先週ある条件のもと自分がイワンから受け取り、借用ではない。(手紙‐5)

11月5日以後(手紙‐4)イワンの言によると、二人の間の協約を内容をぼかし乍らもピョートルが確認したピョートルの手紙をピョートルがイワンから取り戻しています。

11月6日、7日(手紙―4)イワンの言によると、ピョートルはイワンに手紙を出しています。しかしイワンは手紙の真意が理解できなかったので話合いを求めたところ、ピョートルは偽りの面会場所を指定し、姿を見せなかった。

以上がピョートルの書いた手紙‐1以前の概略です。

手紙‐1を初めて読んだときは、次のように感じました。
きわめて緊要な件について相談したくて、斯々の場所をたずね歩いたという下りからは少しの真剣みも真実味も伝わってきません。ひどい目に合わされましたとか、疲労困憊
とか東奔西走したとか、言えば言う程逆にうさんくささを感じました。
何かたくらみを持ってイワンかピョートルに青年を紹介した、恨んでいる、意地悪だと言っているのは、意味がはっきりわからない。もしかしてピョートル夫人が青年とねんごろになっているので青年をピョートル宅に来させないようにしてほしいとイワンに頼もうとしているのがイワンを探している理由なのかと思いました。
イワンと差し向かいで早く相談したいと言いながら、イワン夫人と一緒に来てください、お茶でも飲みながら歓談しましょうとも言っている。ちぐはぐな感じを憶えていました。
イワンが手紙‐2で、手紙‐1を一読して不審の念にかられ、不安で眠れなかったと書いているように、初めて手紙‐1を読んだ私の頭に浮かんだのは、こんな手紙を貰った人は不審に思い不安を感じるだろうと言うことでした。もっと言えば手紙全体の訳のわからなさに引きずられて手紙‐2になかなか進めませんでした。

全体を読んでから、手紙‐1以前を頭に入れて手紙‐1を読み直して始めて、手紙‐1とピョートルがわかりました。

ピョートルは計画的にイワンから350ルーブルをまきあげました。

青年はピョートルに利用され、ピョートル夫人は自身の意志かどうか不明ながらピョートルの共犯者です。
理由は、10月中旬にイワンから紹介されて青年と知り合い、約半月でピョートル夫人が青年から手紙の束(イワン夫人が青年に書いた)を受け取る程親しくなっています。青年は11月2日付のピョートル夫人から青年に書いた手紙をイワンに渡しています。ピョートルに言われてしたことだと想像します。

イワンは妻が結婚前青年と交際していたことを知らないが、ピョートルはそのことを知っている。理由は、ピョートル夫人から青年への手紙(11月2日)の中で、ご報告と例の手紙を送って下すってありがとうと書いてある。ご報告の意味は、イワンが知らないことを言っているのと想像しました。

ピョートルはイワンが妻と青年の過去を知らないことをわかっているのに、手紙‐1の中で、意地悪く、良心のないやり方でイワンがピョートル夫妻に声援を紹介した風な話を作り、いささか貴兄を責めなければ、意地悪き友、恨んでいる等と書き、イワンの不安をかきたてていますが、相手のせいのように見せかけて自身が意地悪をする念の入れようだと想像しました。

ピョートルがイワンを探し歩いたと言っている(手紙‐1)日は家に居たと言っているイワンに対して、イワン夫妻は新婚なのに家にいるより外出が好きらしいと根も葉もないことを書いてイワンの神経を逆なでしている。

ピョートルは350ルーブルをまきあげ、イワンの妻の手紙をイワンに送り、止めを刺すまでの道筋の中で、手紙‐1を人を騙す手慣れた手立てで書きました。手紙3,5は約束を反故にした詫びや嘘の言い訳、イワンの追及への少しの反論、7,9は計画を終
らせるもの。手紙‐1だけがピョートルが自主的に書いた唯一の手紙。

訳の分からない内容。これが彼の目的でした。悪意に満ちた詐欺師の手紙です。

イワンについては
自分の気持ちについては筋道を立てて手紙を書く普通の感覚の人。但し、辻馬車を雇った位で、出費だ、散財だという。青年を遠ざけたいと言うピョートルに応えた積りで青年の資産状況を調べて知らせたり、友達が信用できない理由に友達が祖母から大金を巻き上げたからと言ったり、とかく考えが金に向いてしまう特徴があるが、それでいて持参金のない女性と結婚していたりして、強欲な人間でもない。妻と青年の交際にも気づかない人。

最初は馬鹿にしたこの小説も、深みを感じないものの、言葉の意味を考えているうちに、ピョートルとイワンの人物像は自分なりにくっきりしてきたものの、まだ謎解きが終わっていない感じもしますし、テーマも探り当てていません。やはり企みの多い・・・ドストエーフスキイなのかなと思っています。

「追記」大真面目に読んだこの小説が、実は「喜劇」だと報告会で知りました。




連 載

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像  
第37回 三島由紀夫の生と死、その運命の謎 3
                              
福井勝也

前田英樹氏の語る保田與重郎について

 前回は、小林秀雄が江藤淳を叱正するようにして語った、三島由紀夫の死が日本の伝統文化の連続性のなかで歴史的に位置づけられるものであるとの発言を引用した。今回は、もう一人、三島の死にあたってこれほどまでにその哀悼の誠を捧げた日本人はいなかっただろう思われる文学者を紹介しようと思う。同じ戦前からの「文芸評論家」でありながら、小林秀雄(1902-1983)とは対照的なほど戦後文壇の表舞台からに遠ざけられつつも、郷里の奈良桜井とその後転居した京都鳴滝の山荘(「身余堂」)から日本という国の根幹に触れる言葉を戦後も一貫して紡ぎ続けた保田與重郎(1910-1981)その人である。
 この連載では東日本大震災に触れた特別稿(第34回/4.11)の末尾で、前田英樹氏の新著『日本人の信仰心』(筑摩新書)に触れたが、実はこの本で中心的に紹介されていたのが保田與重郎であった。前田氏は、元々、ソシュールやベルクソンそしてドゥルーズ等の西欧言語学・哲学の専門家であるが、内村鑑三、小林秀雄、柳田国男さらに本居宣長等への一貫した深い理解を示し、絵画論(セザンヌ)・映像論(ソクーロフ・小津)でもその独自の批評を展開されてきている。他方、古武術の新陰流指導者としても一流で、言うならば文武両道を現代に貫かれている貴重な人士と言える。そして氏は、保田與重郎生誕100年を迎えた昨年(2010)、保田ゆかりの京都の出版社新学社から『保田與重郎を知る』(11/26)を、そして先述の『日本人の信仰心』(筑摩新書、12/15)を年末にダブル出版された。偶然の成り行きと言えばそれまでだが、そうとも言い切れぬものを改めて感じさせられたのが、今年の東日本大震災発生(3.11)以降であった。前述特別稿の末尾で触れようとしたのもそのことであったが、今回の「原発震災」とも形容される「国難」をもたらした淵源の問題に届く言葉を保田與重郎はすでに語っていたことを教えられた。そして保田の言葉を引用し祖述する前田氏の表現も、震災から210日以上が過ぎてなおその事態の本質に覚醒しえぬまま漂流している日本の現状に根源的な問いを投げかけている。三島由紀夫の死にあたって書き記した保田の文章に触れる前に、今まで手垢にまみれた言説によって誤解のヴェールに包まれた保田與重郎の新たな導きの言葉を前田氏の著書から引用してみたい。以下の保田の表現は、勿論その三島理解とも繋がっているはずであるが、とにかくこの機にこのような保田への思いが前田氏によって語られたことは、単なる偶然以上の甚だ有り難いことに思えるのだ。
 我国は百年以前に、西洋の兵力の脅迫の中で西洋制度をとり入れ、これを国内に完了し、国民の勤勉努力の結果は、一大近代的強国を出現し、その自然の勢いとして、ついに大東亜戦争の悲劇を経験したのである。西洋の制度を学ぶことに対し、その端緒より批判的であり、その終末を予見しつつ、しかも再建の原動力となるという一種の矛盾的現象をひき起こしたのである。この日本の近代史上の悲劇的矛盾の史実と、その根底の伝統の立場が我国が西洋に対して最も批判的であるべき理由の一つである。我々は百年前、黒艦と大砲の脅迫下で、鎖国を守るべきだと主張した国論の真意を、今日、高く大きい声として、再び世界の人道に呼びかけるべきである。鎖国を主張した日本のその日の立場には一種の惰性的な安逸感を保持しようという消極退嬰のものをふくんでいたかもしれない。今日は然らずして、人道の根拠として世界に叫ばねばならない。この思想を我々は国民の内的生命に於いて確認するからである。

 上記文章(新カナ表現に改めた)は、保田が昭和35年から翌年にかけて書いた『述史新論』(没後昭和59年に『日本史新論』として刊行)によるものだが、敗戦からの復興を経て、安保条約改訂騒動から高度経済成長に向かう戦後の分岐点における表現であった。ここでの保田の言葉は不思議に、「原発震災」で揺らいでいる現代日本の問題をも照射し、今後の進むべき道すら見定めているように読めないか。日本人が今後原発というものに対処すべき道筋も、ここに明らかであって、それは世界に向けての叫びとならなければならないと保田は語っているはずだ。前田氏はこの後、この部分を次のように祖述して、その表現の射程を現在まで伸ばしてその内容を明らかにしている。
 第二次大戦後、欧米諸国の資本主義は、植民地主義によって国を膨張させる時期をすでにすぎ、外に向かっての侵略を特に必要としない近代生活の安定期に入りました。アジア諸国のなかで、この安定期に最初に入ることができたのは日本だと、保田は考えています。しかも、このことの悲劇を、日本は百年にわたって充分に経験してきている。戦後独立したアジア諸国は、まだ文明開化の第一段階さえ終えていない地域が多く、これらの国々では、今後の膨張政策を不可欠のものと考えるでしょう。特にこれからの中国はそうであると、保田は言っています。
 だから今こそ、日本は「西洋文明に対して批判的でありうる条件」を備えた唯一の国として、出直さなくてはならない。西洋に向かって「鎖国」を主張せよ、とは「西洋文明に対して批判的でありうる条件」の徹底した活用を意味しています。この「鎖国」は、政治、経済の上での単なる遮断ではなく、西洋の物質文明に対するアジアの精神文明(これ以外に「文明」はないというのが、保田やガンジーの考えですが)の側の拒絶なのです。
 これは1960年の時点のはなしです。その後半世紀が過ぎ、アジアに対する保田の憂いは、すでに明確な現実になっているのではないでしょうか。中国とインドとは、その膨張期を過ぎて、なお新たな膨張を続けようとしています。農業は荒廃し、そこに根差した文明の道徳は工場廃棄物のように捨てられてきました。この間、日本は「西洋文明に対して批判的でありうる条件」を、もちろん一度も行使したことがありません。アジア資本主義の膨張に、ただ苦慮したり、圧倒されたりして応じてきただけではないでしょうか。
 保田の言うことは、彼の言葉を、ひとつの立場から為される政治的主張としか考えない人たちにとっては、とうてい理解不能な言い分、ほとんど狂言綺語に過ぎないのでしょう。が、彼が立っている場所は、いつも一貫して明確なのです。そして、その場所以外に、恒久平和の文明がほんとうに実現される場所はないことを、正直な読者はやがて得心させられるでしょう。その場所の在り方について、保田は、たとえば次のように言っています。(『保田與重郎を知る』p148-149)

 引用がベタになってきているが、構わずに前田氏が重要だと指摘する保田の言葉を更に書き写してみよう。それにしても、一度も行使したことのない日本の「西洋文明に対して批判的でありうる条件」は、「原発震災」を発生させた今こそ、日本がそれを行使すべき最大の機会であり、そのことは人類としての責務ではないだろうか。ここで、読者諸氏の感想を聞きたいと思うが、この後の前田氏の文章も併せて読んで後ということで、ともかくその部分まで引き写してみる。

 わが建国の精神に於いては、国は支配でなく生活であった。国土は領土でなく生産生活の様式であった。国家は権力でなく、道徳であった。その生活は又道徳の実體だったのである。そういう「生活」を以て、国の根基とした。その生活の源流に於いて、我々は神話を伝承し、これを歌う代々の詩人を持った。又神話の源流は現実の国の中心として、血脈の本流として、われわれの歴史の記憶を超える以前より今日に及んでつづいている。わが天皇(スメラミコト)の御存在である。(『述史新論』、表記は新カナへ)
 このような文章をいかに読むか。これは、保田與重郎を読む人とって、本質的な岐路ともなる文章です。「わが天皇の御存在である」に呆れるばかりの右翼イデオロギーを読み、本を棄てる人がいるでしょう。けれども、もう少し注意深く文を読む人なら「国」というものについて、保田が抱いていた思想の崇高に心底からの驚きを覚えるでしょう。このような「国」は、現実に機能している「国家」「領土」「権力」といったものすべての彼岸にあります。彼岸の神話と共にある。が、ここにある「国」は、空想されたユートピアでは決してありません。歴史のはるかな深みに潜在して、私たちの暮らしが最後に依るべき道を、これ以上ない純粋さで教える場所です。
 <潜在的>なものは、<空想的>なものでも、また単に<可能的>なものでもありません。ほんとうに在るもの、つねに実在するものです。私たちの現実の暮らしの底の底に実在し、いつも細い不朽の緒のようなもので、現実の暮らしと繋がっている。その繋がりの実在を、保田は「天皇(スメラミコト)の御存在」と言うのです。「天皇」は、永遠にただひとり「皇孫(スメミマ)」として生き続けている。天神(アマツカミ)から米作りの「事依さし(コトヨサシ)」(「依さす」とは、その年の神さまが人に農作を依頼すること、その「神業」であると前田氏は別の個所で説明しているー筆者注)を受け、地上に「祭りの生活」を実現することが、「歴史の記憶を超える以前」からのこのただひとりの「人」の仕事です。この仕事を負うことによって、「皇孫」はこの国の人々のなかで、ただひとり「無所有」の存在であり続けなくてはならなかった。これが保田の信じているところなのです。(『保田與重郎を知る』p149-150)
 ここまで書いてきて、今回のスペースも残り少なくなってきたが、自分にとって東日本大震災の被災地を伝える映像で記憶に残ったのは<特別稿>でも触れた天皇陛下が被災者に直接に語りかけたビデオ・メッセージ(3/16)とさらにそれを実践されての膝を屈しながら被災者を見舞った被災地巡幸(4.5月)でのお姿であった。加えては、その両陛下を迎える人々のひとときの安らいだ顔の印象であった。
 これから収穫の秋を迎え、懸念されるのは、収穫米の放射能汚染の問題だ。今回の「原
発震災」の最大の汚点は、日本人が営々と培ってきた文明・文化の基礎である米作りの土壌を、いくら除洗をしても消え去らないものとしてけがしたことではなかったか。そのことを被災者とともに一番悲しまれているのは、被災地を見舞って励まされた天皇皇后両陛下であるのかもしれない。
 今回は、保田與重郎の三島由紀夫追悼の文章、「天の時雨」(昭46.47)をとりあげるつもりが、その新たな導入に最適な保田論である前田英樹氏の著作に触れるだけに終わってしまったが、興味のある方は是非二著に直接当たってもらいたい。そして、新学社出版の保田與重郎文庫全32冊にも手を伸ばしていただきたい。ちなみに次回触れる「天の時雨」は、文庫22の『作家論集』の最後に載っている。その頁の末尾を開いたら、保田の三島への追悼の歌が眼に入ったので、一足先にこの歌だけここで掲載させていただく。

景 仰 歌
國のため、いのち幸くと願ひたる、畏きひとや。國のために、死にたまひたり。
わがこころなほもすべなしをさな貌まなかひに顕つをいかにかもせぬ
夜半すぎて雨はひさめにふりしきりみ祖の神のすさび泣くがに   
(2011.10.7) 




編集室

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