ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.122  発行:2010.10.5



   
第241回10月読書会のお知らせ

第3土曜日・東京芸術劇場小5会議室です

10月読書会は、いよいよ5サイクルスタートです。全作品読了というはるかな目標に向かっての旅立ちです。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。


5サイクルスタート

2020年への旅立ち
 
月 日 : 2010年10月16日(土)

場 所 : 東京芸術劇場小5会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111                 

開 場 : 午後1時30分 

開 催 : 午後2時00分 〜 4時45分

作 品 : 『貧しき人々』第一回

報告者 : フリートーク「ワルワ―ラ、ジェーヴシキンとは何か」        

会  費 → 1000円(学生500円)


終了後は、二次会(懇親会)を予定しています。
会 場 : 予定「養老の瀧」JR池袋駅西口徒歩3分。
時 間 : 夜5時10分 〜 8時00分頃まです。お待ちしています。




2020年に向かって

 本日から5サイクルがスタートです。全作品読了までどれだけの歳月を費やすか。過去4サイクルをみると、どのサイクルも、およそ10年間かかっています。(『論文・記録』、全『作家の日記』、全『書簡』は除きます)
 このことから5サイクルも同等の歳月がかかる予測されます。ということは2020年頃が5サイクルの終着点ということになります。若い人たちにはたかが10年、高齢者にはされど10年です。到達時は、果たしてどんな人たちが。否、それまで続いているのか。様々な不安と希望が交差します。が、ドストエフスキー作品は、永久に不滅です。迷い求める者たちの前には、常にあります。思索の糧としてでは、2020年に向かってよい旅を!


10・16読書会について

『貧しき人々』は3回を予定

5サイクル最初の作品は、もちろん『貧しき人々』です。ドストエフスキーといえば、後期の大作に目が行きがちですが、この『貧しき人々』なくして、文豪ドストエフスキーはありません。また、世界文学に燦然と輝く後年の長編群なくても、この作品一作でもドストエフスキーの名は、堂々、世界文学線上に名を連ねることでしょう。それほどに、この作品『貧しき人々』の評価は高く不動のものがあります。
しかし、なぜか、この作品は『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』ほどに語られることはない。衝撃的なデビューを果たしたのに、である。今回読みは、そのへんの謎にも光をあてながら12月、2月と連続して3回読みを予定しています。




ドキュメント『貧しき人々』着手まで


 工兵学校卒業から『貧しき人々』着手までを概略で追ってみた。
■1843年 22歳
8月12日、工兵学校を卒業 工兵局製図室に配属
9月 若い退役軍医と同居、この医師の患者(小役人や都会の貧民)を観察。
12月 バルザック『純愛』を翻訳、文学への意志を固める。
■1844年 23歳
 9月 退役許可願を提出
10月19日「一身上の都合による」退役許可が下りる。(このときの位は中尉)
【1844年9月30日 兄ミハイルへ】
 「・・・つまり、正真正銘、もう勤務することができなかったからです。青春の最もよき時代を空しく奪い去られるために、生きているのがつまらなくなったのです。・・・」こう宣言して勤めをやめ小説を書きはじめた。「・・・ぼくは自分の小説に心から満足しています。うれしくてうれしくてたまりません。あれならきっと金がとれます。・・・・」と自信を深めている。が、早くも借金苦に追われている。
【1884年秋弟アンドレイへ】「アンドレイ、お前はなんだって帰ってしまったんだ!ぼくはあのとき1文なしだったので、それで機嫌がわるかったんだ。・・・」
秋 D・V・グリゴローヴィチと同居
  
『貧しき人々』の執筆に打ち込む。衝撃のデビュー近し !




『貧しき人々』誕生までetc


ドストエフスキー『ペテルブルグの夢 ― 詩と散文による ―』

 私自身独立した住まいを持ち、慎ましやかなそれこそこの世で最も慎ましやかな、ちっぽけな職につくや否や、私は何かそれまでとは違う夢を見るようになった・・・以前、私は間借りをして、半年近くの間、役所勤めしている男と暮らしていた・・・その男は猫の毛皮の襟の外套を着ていたが、その猫皮が人からはいつも貂だと思われるのだった。私はその貂のことさえ考えようと思ったことさえなかったのだ。ところが急に、そのことで考え込んでしまった。そして、目をこらしてあたりを見始めた。すると思いがけず、何か変わった顔の人たちが目に入った。それはみんな、奇妙な、変わった格好の連中で、まったく散文的で、ドン・カルロスやポーザーのような人たちでは全然なく、まぎれもない九等官でありながら、同時に何となく幻想的な感じの九等官たちであった・・・そのとき、私の頭に別の物語が浮かんできた。どこかの薄暗い貸間に一人の九等官がいる。それは正直で清らかな心の持ち主で、よこしまなこともせず、上司に忠実である。そして、彼と一緒に一人の娘がいる。世間に踏みつけにされ、暗い気持ちの晴れない娘である。この二人の身の上話が私の胸を深くえぐった。(訳・中村健之介)

グリゴローヴィチ『文学的回想』

その頃、私は偶然、通りでドストエフスキーに会ったことがある。彼は工兵学校は出てしまっていて、制服でなく私服を着ていた。私は嬉しくなって声をあげ、勢いよく彼を抱き抱えて、挨拶した。ドストエフスキーも私に会って喜んでいたが、彼の態度はどことなく控えめなところがあった。・・・私はそれから益々ひんぱんに彼に会うようになった。そしてやがて、二人は、それぞれ自分の費用は自分持ちということで、一緒に住むということで話がまとまった・・・

ドストエフスキー『作家の日記』

文学関係の知人というものは、
グリゴローヴィチを除いては一人もいな
かった。

K・A・トルトーフスキー
『ドストエフスキーの思い出』

彼の住まいは二階にあり、広い玄関
の間と客間、それにあと二つ部屋があり
そのうちの一つだけを彼は使っていた。
彼が寝起きし、仕事をし、居間にもし
ていた狭い部屋には、机と寝台代わりの
長椅子と数脚の椅子があった。机の上に
も椅子の上にも床にも、本と文字をいっ
ぱい書きこんだ紙があった。

※トルトーフスキー・工兵学校の後輩、画家



『貧しき人々』前史
  <手紙:4月8日〜9月30日>

下原 康子


ジェーヴシキン(早乙女幸作 48歳)

 生い立ちは不明。17歳で役所に入り同じ場所、同じ仕事(筆耕)で勤続30年。その間の20年ほどは下宿の老主婦(故人)とその孫娘マーシャ(当初は赤ん坊で今は13歳になるという)と3人でひっそりと楽しく暮らしていた。
 ワルワーラとは遠い親戚ということで、いきさつは不明だが、貸間を借りて彼女をかくまい、自らも近所に引っ越して経済的にも面倒をみている。使用人のテレーザが二人の間を行き来して手紙を届けている。

ワルワーラ(17歳) 

 父はペテルブルグから遠く離れた村で公爵家の大きな領地の管理人をしていた。野原や森を飛び回り幸せな黄金時代をすごした。しかし、12歳になったとき公爵が亡くなり、父はクビになった。やむなく一家3人はペテルヴルグに引っ越す。寄宿学校に入ったがなじむことができなかった。14歳のとき、事業に失敗した父があっけなく死ぬ。直後にアンナ・フョードロヴナが親戚顔で現れ路頭に迷う母娘を自宅に引き取る。そこにはワルワーラの従妹にあたる孤児サーシャと下宿人の青年ポクロフスキーが暮らしていた。得体の知れない来客がしじゅう出入りする家であった。
 ポクロフスキーの指導で本を読み始めたのをきっかけに二人の間に恋が芽生える。つかの間の満ち足りた幸福な日々が訪れたが、結核を患っていたポクロフスキーはまもなく死んでしまう。追い討ちをかけるように病身だった母も亡くなる。(以上、ワルワーラのノートより)
 母の死後、ワルワーラはアンナ・フョードロヴナの魔の手にかかりブイコフに陵辱されてしまう。傷つき病気になった彼女をジェーヴシキンが救い出し貸間に住まわせる。

ポクロフスキー父子

 父ポクロフスキーはうだつのあがらない官吏だった。最初の妻(青年の母)はたいそうな美人だったが、結婚して4年ほどで亡くなり、その後再婚する。当時10歳で継母にいじめられているポクロフスキーを保護者になって引き取ってくれたのはブイコフだった。ブイコフが彼に興味を持ったのは、彼の亡くなった母親を知っていたからで、この母親は娘時代にアンナ・フョードロヴナの世話になっていて、その口ききで官吏ポクロフスキーの元に嫁いだのだった。アンナ・フョードロヴナと親しかったブイコフは気の大きいところを見せて、花嫁に五千ルーブリの持参金をつけてやった。この金がどこへ行ってしまったものかはわからない。(ワルワーラがアンナ・フョードロヴナに聞いた話)
 ブイコフの世話でポクロフスキーは大学まで進んだが、健康をそこねて勉強を続けることができなくなった。ブイコフの紹介でアンナ・フョードロヴナの家でサーシャに勉強を教えるという条件で寄宿することになった。青年は自分の家庭の事情はいっさい口にしなかった。彼は父親を軽蔑している。おそらく、老人が実の父ではないことを知っているのだろう。一方で、老人は息子を心底愛し崇拝している。
                    



8・14 読書会報告
                 

カラマーゾフ祭り、賑やかに!

8月の暑気払い「読書会」は、4サイクルの最後を記念して「カラマーゾフ祭り」を開催しました。酷暑のさ中で、時間も午前10時から午後5時までの長丁場でしたが、午前から大勢の参加者があり有終の美を飾ることができました出席は24名

午前の部「なんでもトーク」多様な感想

有志による午前の部は、旧盆、炎暑にもかかわらず十余名が参加。『カラマーゾフ』を読んで感じた個々の感想が活発に意見交換された。まさにポリフォニイ的談義。そんな風景でした。口火の報告者は、以下の皆さんでした。

□江原あき子さん「サブカルチャーで読む『カラマーゾフ』」
「言葉がいっぱい」に魅かれた。イワンとアリョーシャについて。神は、息苦しさを感じる。言葉の洪水。西欧人はなぜドを理解できたのか
□菅原純子さん「金石範『鴉の死』」
 1948年4月3日に韓国済州島で起きた、ある虐殺事件を扱った小説について言及されたが、この映画化にもなった事件を知る人が少なかった。『異邦人』のムルソーをあげた。
□下原康子さん「アリョーシャの謎」
 アリョーシャとは誰。

【交わされた感想】

・今井「他者の中のアリョーシャ」『カラマーゾフ』を読む意味。
・近藤「ヘリコプターで見下ろす。(イノセンス)の感覚」当時は作家は、人生の教師。
・落合「会話の中に風景描写を感じる」
・「日本のコミック、自然描写が独立していない」
・「情景と心が重なる作品」
・「日本の小説では風景と心理を重ねることができない」
・「心象風景」トルストイ

午後の部「山城むつみ批評紹介」「フリートーク」で楽しく

 午後は、通常より30分早い1時30分から開催された。はじめに福井勝也さんの「山城むつみ評論『カラマーゾフのこどもたち』評論」をめぐっての考察発表があった。休憩のあと、予定では土屋正敏さんの報告「詩人田村隆一について」でしたが、急な都合で「カラマーゾフフリートーク」に変更されました。どちらも、4サイクル最後の祭にふさわしい賑やかで楽しい議論となった。酷暑を忘れた一時でした。


福井勝也さん「山城むつみの『ドストエフスキー論』について」

今、何故に山城むつみ氏のドストエフスキー批評紹介か

1.小林流〈ただ読む読み方で読み通すという原則〉へのこだわり。
2.〈素人の読み方〉へのこだわり、テクスト内部と外部(資料)の往還方法。
3.どんな上等な〈謎解き〉であっても、〈読むこと〉は〈謎解き〉ではない。
4.小林秀雄、バフチン、森有正等のドスト論の厳密な「読み」の正当な継承。
5.従来のプロ・エト・コントラ流、二項対立的ドスト論からの脱却の試み。
6.新たな視点(ex 映画映像論)からの期待される斬新な21世紀ドスト論
7.以上1~7を踏まえたうえでの高度でなお面白い「批評文学」の追求。
8.読書会での近時の「読み」との共時的偶然。ex「スメルジャコフ」「クロートカヤ」論

「カラマーゾフの兄弟」フリートーク

・誰も見ていないのに咲いている花と花
・誰も聴いていないのに鳴いている鳥と鳥  (中原中也)
・イワンの描写
・アリョーシャのひきつけ



午前の部 「なんでもトーク」に寄せて

マルクス主義は偉大な思想だ。でも「早起きは三文の得」は、私にとって、もっと偉大な思想だ

鈴木 寛子

 ここ最近、虐待関係の報道が多い。そして、いつのまにか、私たちもそうしたニュースを、生活の一部のように暮らしている。そのためだろうか、ここしばらく、イワンの苦悩は、私の体のどこかに、喉にひっかかった小骨のように、いつもつっかえていた。
 そうして、私の中にも、もちろんそういうものを憎んだり、嫌悪する気持ちはあるけれど、でもねぇイワン、と最近思うようになってきた。
 イワンの苦悩は、所詮思想によるものでしかないのではないか。果たして彼は、現実に苦しんでいる子供のために苦しんでいるだろうか。彼は、実際に虐待された子供たちのことを何も知らないし、自分ができる事を何かするであろう、とも思えない。思想の楼閣に暮らす、夢遊病患者かもしれない。
 理性にも、論理にも、思想にも、言葉にも、限界がある。
神とか真理とかは、はるかに人間を凌駕する何かではないのか?所詮人間が理性において捉えられるもの、ではないと思う。
 私の周りには、マトモではない家庭で育った人間がたくさんいるし、私自身の育った環境も、マトモなものではなかったと思う。そうするとイロイロな辛さや苦悩はある。だが、それが、何だというのだ?
 宮沢賢治の作品に、貝の火という作品があったように思う。子兎が、ある英雄的な行為によって、お礼に「貝の火」という宝物を贈られる。けれど、「貝の火」を贈られたことにより、子兎は傲慢になり、その弱さを罰するかのように、貝の火は弾け飛び、子兎は目をつぶしてしまう。そんな息子に対して父は言う。
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。」
 その通りだ。こんなことは、どこにもある。
 虐待というそれ自身は、醜く、戦慄するような行為だと思う。そして、そんな報道がある度に、人々は眉をひそめる。一般ピープルはそれでいい。でも私には、どうしても、虐待ははじまりにしか思えない。そうだ、それは、はじまりでしかない。その過去を、どう生きるかが、問題だ。
 そうして、過去を抱えながら、苦闘し続ける人たちを見た。落ちる人と、落ちない人、つまり自分の苦悩から学び、糧とできる人と、そうでない人がいるのを見た。
 その差は何か?
自分の問題としてひきうけるか、人のせいにするか、だろう。
 ところで、個人的に、人のせいにした大バカ野郎の日本代表は、秋葉原の連続殺傷事件でおなじみ、加藤容疑者であると思っている。
 とはいえ、そもそもそうした問題を身に引き受け、闘えるか・・・それ自体が、運というか・・・よい出会いがあるか、ないか、環境の劣悪さがどの程度か、そんなもので、ほぼ決まるような、気もする。
 つくづくそう思うからこそ、嫌いな言葉がある。「落ちたら上がるだけ。」この言葉を口にする人間はバカだと思う。落ちた人間は大概上がってこない。そのまま地獄めぐりが相場ではないか?運のいい人間は上がってくる。けれど、運の悪い人間は、闇に吸いこまれたり、死んじゃったりする。そんなもんだ。
 だが、それでも、私は・・・私なりに、いろんな人間を見たけれど、それこそ両親に性的虐待を受けているとか、レイプされて、苦しくて、どう見ても日常生活がおくれていない人なんかも、自分の目で見たけれど、被害者はかわいそうとか、弱者だとか、現実はそんなもんじゃないのだ。理屈じゃない。
 みんな生活している。喜びの日があり、苦悩の日がある。たぶん、苦悩の日の方が、喜びの日より、少し多い。過去があるけれど、表面上、取り繕っているだけかもしれないけれど、一見平和な日常がある。
 みんなそうじゃないか。誰の人生だって、そんなもんじゃないのか?
 イワンには、生活が欠けている。ひょっとしたら、意外とチンプな表現が、ぴったりかもしれない。
「苦労が足りない。」
 もちろんイワンの苦悩は深い。だがそれは・・・生活とは、現実とは乖離した苦悩だと思う。現実の世界には神が宿り、生きる手助けしてくれる不思議なしかけが、たくさんある。だから、私たちは、生きていける。
 人間が生きている事には、意味も目的もない。たった2歳だか3歳だがで餓死しても、それが天命なのだ。だが・・・それは神の望みではない。私たちはそれを許せないし、99.9パーセントの人類は、それを悪とみなし、憎むだろう。それで充分だ。
 私たちは、大きな、偉大な流れの中を、流されていって、ある日突然ふっと消えてしまう、そんな儚い何かだ。その流れに、おそらく意思はない。でもいい。その何かは、強くて、優しくて、美しい。憎しみも争いも引き起こすけれど、それが望みではない。本当は、その流れは、愛と調和を、望んでいると思う。
 私には、それで充分だ。
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。」




カラマーゾフ祭りに寄せて

フョードル = 淫蕩で道化を演ずる男

船山 博之

 アリョーシャ、イワン、ドミトリィの父フョードルは、この小説の中において、次のように描写されている。
『わたしは、もう彼がひどく皮膚がたるんできたことは述べておいた。彼の容貌は、そのころまでには、何かこれまで送ってきた全生活の特徴と本質とをはっきり証明するような感じを示してきた。いつも厚かましく、疑い深く、せせら笑っているような小さな目の下のだぶついた長いたるみや、小さいけれど脂ぎっている顔に刻まれた無数の深い小皺のほか、尖った顎にさらに財布のように細長く肉の厚い咽喉仏が、ぶらさがっているので、これが彼になにやら、いやしいほど好色な様子を与えていた。ここへさらに、唇のぽってりした淫らがましい横長の口を付け加えてみるといい。しかも、その唇のかげから、ほとんど腐りはてた真っ黒けな歯の小さな欠け残りがのぞいているのだ。』
 これを読めば、どんな読者も嫌悪感を持つ人物とに登場している。フョードルの印象として、この描写が決定的なものとして、読者に刻まれる。読者はフョードルを貪婪な淫蕩な老人としてしか見ないことになる。しかし、作者はステレオタイプの人物としては描いていない。フョードルを肯定的に見ようとする描写を適当に散らばして、アリョーシャ、イワン、ドミトリィの父親にふさわしい重厚的な男としてリアリティーを持つように描写している。作中から、そんな個所を拾ってみよう。
 まず最初は、フョードルが無一物から出発し、10万ルーブルの金を貯めていると書かれているところで、―― 『それでいながら、やはり彼は終生、この郡じゅうに常識はずれな半気違いの一人で通っていたのである。もう一度言っておくが、これは馬鹿ではできることではない。こうした半気違いというのは大部分かなり利口で抜け目のないものであり、つまり常識はずれ、それも何か一種特別な民族的な常識とはずれるのである。』
 ここでは、フョードルを利口で抜け目のない男としている。次にはドミトリィーの母親が死んで涙して見るのもいじらしい書かれているところで、―― 『つまり、自分の解放を喜ぶのと解放してくれた妻をしのんで泣くのがいっしょになったのであろう。たいていの場合、人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが、一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである。』
 ここでは、フョードルはナイーブで純真な要素のある男としている。次は、ミウーソフが、ドミトリイを引き取りにくる話を書いてあるところで―『だが、事実フョードルは一生を通じて演技するのが、それも突然、何か意外な役割を、しかも肝心なことは、たとえば今の場合のようにみすみす自分の損になるとわかっている時でさえ、何の必要もないのに演技してみせるのが好きな男であった。もっともこうした性質は、べつにフョードルに限らず、きわめて多くの人につきもので、非常に聡明な人にさえまま見られるものである。』
 ここではフョードルは聡明な人でもあるとしている。
 フョードルの部屋を描写をしているところで ―― 『フョードルには、100冊あまりに及ぶ、かなりの蔵書があったが、彼自身の読書している姿など、ついぞだれも見たことがなかった。』とある。しかし、誰も見ていないところで、読んでいたことを思わせる個所がある。スメルジャコフに本をすすめるところで、読めと言って、「ディカニカ近郊夜話」(ゴーゴリの最初の短編集)を書棚より抜き出してやる。スメルジャコフが、嘘ばかり書いてありましたと薄笑いをうかべながら言った時、すかさず、それじゃあスマラグドラの『世界史』を読め、本当のことばかりだぞと言ってすすめる。この個所は、フョードルが、この100冊の蔵書を全て読んでいるかは、はっきりしないが、かなり読んでいることを示すエピソードといえる。
 また、ゾシマ長老わ尋ねる修道院にて、フョードルは修道院長に向かって「これだ、これだからな!偽善だ!古くさい台詞だ!台詞も古けりゃしぐさも古くさいや!古めかしい嘘に、紋切り型の最敬礼ときた!そんなおじぎは、こちとら承知してまさあね!シラーの『群盗』にある「唇にキスを、胸には短剣を」ってやつだ。神父さん、わたしゃ嘘がきらいでね、真実がほしいんですよ」と喋りまくる。フョードルがシラー『群盗』を読んでいることを読者に伝えている。フョードルは道化の心を持つ男、自分の読書姿など誰にも見せるつもりはないのだ。そして、ひとり静かに熱心に本を読んでいるフョードルが、ここには存在する。
 フョードルは、かなりの読書家であることを読者に伝えている。作者は、フョードルが、なかなかの博識で、レトリックを駆使した変幻自在の話し方や、、ブラックユーモアを好む奔放な男として描写する。アリョーシャ、イワン、グリゴーリィ、スメルジャコフが集まる食後の時間に、スメルジャコフをけしかけながら、信仰に死ぬ話を喜んで聞いている余裕ある男として描く。ここでは、フョードルは懐疑的な知識人風でもある。

 以上の引用からフョードルは単に貪婪で淫蕩な男ではない。確信犯的に自分を淫蕩な男と自己規定し、道化を演じている。作者は読者にフョードルを淫蕩なだけの老人と印象づけるように描写しながら、その一方で、丁寧にフョードルをさまざまな要素をもつ重厚的男として描写する。不ょー度゛るは、アリョーシャ、イワン、ドミトリィの父親としてふさわしい複雑な存在として描かれている。
 ここでフョードルと3人の息子との関係を見てみよう。
 成長した28才のドミトリィは、フョードルを父親として始めから認めていない。ドミトリィは、当然受けるべき金を既に使い果たしている。にもかかわらず、道義的にフョードルは、自分に金をくれるのが当たり前という立場でフョードルに会いに来て、金を出すよう迫り、難詰する。そこには、相方に親子の感情がない。ドミトリィは、他人として現れている。
 24才のイワンは、フョードルのところに来なくとも、それなりの生活が出来るにもかかわらず、父親の人物像の確認のために、または正当な遺産の金を期待して、フョードルに会いに来る。(ドミトリィが、相続のために呼んだとも書かれてはいるが――。)確認した人物像は、父親として認められる要素は全くなく、単に嫌悪感をもたらせただけに終わる。イワンは、この軽蔑すべき老人を父親として認めたくないのと、その存在を強く否定する感情を、どうしても消すことができない。一方、フョードルは、イワンについてどう思っているのか。イワンが心から自分に嫌悪感の心をいだいているのを充分感じている。
 「イワンは、何って言ってる?アリョーシャ、お前だけだよ。俺の息子は、俺はイワンがこわい。あっちより、イワンの方がこわいんだ。こわくないのはお前一人だけだよ・・・」とアリョーシャにフョードルは言う。更に「俺はイワンなんぞ、全然認めておらんよ。どこからあんなのが現れたかな?魂がまるきり俺たちとは違うんだ。俺が何か遺産で残してやると思ってるのかな?―中略―イワンはだれのことも愛してやせん、イワンは俺たちとは人間が違うからな。イワンのような連中はな、お前、あれは俺たちとちがう人間なんだよ。あれは宙に舞い上がった埃みたいなもんさ。風が吹きゃ、埃も消えるんだ・・・」フョードルは、イワンがどれほど自分を嫌っているかを身にしみて感じている。表面的にやさしく言葉をかけるイワンをフョードルは、全く信用していない。
 次にアリョーシャは、どうであろうか。
 アリョーシャに会ったフョードルについて、こう描写されている。
「やがて、ものの二週間とたたぬうちに、やたら息子を抱きしめて接吻するような結果に終わった。もっとも、いっぱい機嫌の感傷で、酔いの涙を流しながらではあったけれど、しかし、心底からか、深い愛情を息子にいだくらしく、彼のような人間が、これほど人を愛した

ことは、むもちろん、これまでに一度もないことだった・・・」フョードルは、3人目の息子アリョーシャを心より受け入れている。16年間の空白をものともせず、親子の情愛に結ばれている。アリョーシャに地獄の鉤の話をするところで、―「とにかく俺は、お前だけがこの俺を非難しなかった。この世でたった一人の人間だと感じているんだよ。なあ、お前、俺は本当に感じてるよ。感ぜずにはいられんものな!」そして、彼はすすり泣きさえした。彼は涙もろい人間だった。心が、ねじけていたが、、涙もろかったのである。と、描写する。
 フョードルが、コニャックを飲みすぎたところで ―― 「待て待ってくれよ、もう一杯だけ、俺はアリョーシャを侮辱しちまったな。怒らんだろうな。アレクセイでなあ、かわいいアリョーシャ、アリョーシャ坊や!」「いいえ、怒っていませんよ。お父さんの考えはわかっていますもの。お父さんは、頭より心のほうが立派なんです」「頭より心の法が立派だと?ほう、おまけにそう言ってくれたのがお前だとはな?イワン、お前、アリョーシャを好きか?」「好きですよ」「かわいがってやれ」
 フョードルは、アリョーシャに心から感謝している。フョードルは、3人の息子を的確に把握している。しかし、「お父さんは頭より心が立派なんです」というアリョーシャの言葉を信じればスメルジャコフの一撃をもって、フョードルは、この世から退場する。読者も町の人も報いとして同情もない。フョードルは、ドミトリィも、イワンも、スメルジャコフもアリョーシャを通して、全てを許すのではないか。
 ドミトリィは、自分と同じ情熱を認め、イワンには、その心の哀しき葛藤を、そしてイワンへの愛情だけで自分を一撃したスメルジャコフを許す。自分を理解し、愛してくれたアリョーシャの存在を通して、アリョーシャへの感謝と共に全てを許す。アリョーシャの祈りは、フョードルに、しっかりと届いている――。
 フョードルは、淫蕩を生きがいとして、道化を演じつづけて、55才の生涯を閉じる。
一― アリョーシャの愛につつまれて ――  (引用は、原卓也訳、新潮文庫より)




第一回「アサドク」爽やかに開催

〜 一足早く『貧しき人々』を 〜

 「作品を声にだして読みたい」5サイクルを記念に発足した全作品朗読会、通称「アサドク」の第1回が9月18日(土)に、東京無芸術劇場小5会議室で、午前10時から開催された。「いったい何人集まるだろうか・・・」主催した菅原純子、下原康子らは不安だった。
 
8名参加、上々の滑り出し、昼食はバイキングで

 フタをあけてみなければわからなかった参加者だったが、最終的には、8名が参加。幸先よい出発となった。午前の爽やかな時間、声をだしてドストエフスキーの作品世界に入った。
 二次会は、近くのレストランでバイキングでした。



第一回アサドク『貧しき人々』
  2010年9月18日(土)

菅原純子

 NHKの「スタジオパークでこんにちは」という番組に、作家の高橋源一郎がゲストとして出演していた。高橋源一郎が、明治学院大学の国際学部で教壇に立っているという事は、新聞紙上で知ってはいたが、驚いたことに番組の中で、大学においてラヴレターの書き方という講座を持って教えており、合宿までしているという話題が出た。合宿時の写真の映像を見ると、大変大勢な人数である。メールの時代、メール依存症にまでなっている人々が多く、常にメル友と連絡を取らないと落ち着いていられない人々がいるというのに、何故、大学でラヴレターの書き方を教えなければならないのか、否ラヴレターの書き方を大学で教わらなければ、一通のラヴレターも書けなくなってしまったのだろうか。ラヴレターを書くことは恋する相手に対する苦しい、自分自身の押さえられない気持ちを、せつせつに書くという行為である。ラヴレターは教えてもらって書くものではない。
『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキンの冒頭4月8日の手紙にジェーヴシキンはワルワーラに対しての思いのたけをめんめんとして書いた。まさに幸福の絶頂である。また、ドストエフスキーが処女作『貧しき人々』という中編小説を書簡体形式にしたのは、ジェーヴシキンとワルワーラの往復書簡の中に愛や恋心だけでなく、様々な人間模様を描きたかったからではないか。
 ドストエフスキーは1839年8月16日づけの兄ミハイルへの手紙で次のように書いている。「わたしの魂は以前のように荒々しい衝動を感じなくなりました。まるで深い秘密をかくした人間のように、ひっそりと静まりかえっています。『人間および人間生活とは何か』を学ぶ点では、わたしは大いに進歩しました。わたしには自信があります。人間は謎です。それは解きあかさねばなりません。もしも生涯それを解きつづけたとしても、時間を無駄にしたとは言えないでしょう。わたしはこの謎と取り組んでいます。なぜなら人間でありたいからです」ドストエフスキー18歳の時の手紙である。この時点、すでにドストエフスキーの文学への情熱が秘められており、5年後、処女作『貧しき人々』が誕生する。
 5サイクル記念としてこの処女作『貧しき人々』を3回に分けて朗読するにあたり、ドストエフスキーの会の創設者のお一人である、新谷敬三郎先生の著作の中にある次のような文章が目にとまった。
「ところで、小説というものがこうした人格を包括的に把握し、それを完璧に表現するものだと期待されているとしたら、大変なことになってしまう。ある人物の生活の言葉のすべてをそっくりそのまま文学作品のなかに持ちこむことはまずなによりも量的に不可能である。

 『戦争と平和』や『ユリシーズ』あるいは『失われし時を求めて』の如き大作といえども、決して主人公たちの全生活、そのなかでの彼らの言葉が余すところなく描かれているわけでない。おそらく描かれていない部分の方が遥かに多いであろう。そしてその描かれていない部分は読者の想像力によって補われることが暗黙のうちに期待されている。この想像力をより多くかき立ててくれるのが傑作というものだろう。」
 この事は、大変、的をえており、再度確認しなければならないであろう。現代の作家においては、読者の想像力を発起する作品を書くのではなく、全て想像力など無しに読めてしまい、また全てが書かれているために想像力などいらなくなってしまったが、ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』こそ、読者の想像力をこれほどまでに発起する作品であると言っても過言ではないだろう。
 『貧しき人々』第一回朝ドクは、朗読にあるからしてテキストが第一である。皆さんが集まったなか、皆さんの大いなる声をおきかせ下さい。『貧しき人々』という作品の便宜上、三回に分けて朗読して頂きたいと思います。
 第一回 冒頭4月8日のジェーヴシキンの手紙から6月20日のワルワーラの手紙まで、ちなみに第一回目の朗読においては、冒頭のジェーヴシキンの幸福感とワーレンカに対する思いのたけ、それに対してのワルワーラのジェーヴシキンに対する温度差、ゴルシコフ一家の貧しさ、アンナ・フョードロヴナとワルワーラの関係、ワルワーラの手記の中ではワルワーラの寄宿学校時代、ポクロフスキーへの恋、ブイコフとポクロフスキー青年の関係、ポクロフスキー青年の葬儀の場面、ジェーヴシキンの自分のパン、役に立つねずみ、ワルワーラとブイコフの関係、ジェーヴシキンとワルワーラとの前史、それ以外にも、もりだくさんであるため、区切りのよい所まで朗読していただきたいと思います。
 第二回 6月21日のジェーヴシキンの手紙から8月5日のジェーヴシキンの手紙まで
 第三回 8月21日のジェーヴシキンの手紙から、最後のただ書きたいから、少しでもたくさんきみに書きたいからかいているのです。この最終までにしたいと思います。
慣れないなか、手まどう事もあるかと思いますが、みなさん集まりの方々が、『貧しき
人々』を朗読して頂き、どこがおもしろかった、何にひかれたなど、思い思いの感想な
どおっしゃって下されば、一人では見えてこないものが、見えてくるかもしれません。
楽しくドストエフスキーの作品にひたりましょう。よろしくお願いいたします。



第二回「アサドク」のお知らせ

 次の「アサドク」は以下の通りです。

月 日 : 11月13日(土)

時 間 : 午前10時00分 〜 12時00分

会 場 : 東京芸術劇場小5会議室

作 品 : 『貧しき人々』2回目

朗 読 : 6月21日〜8月5日までの手紙部分

散会後は、近くのレストランで昼食にて朗読談義を行います。




ドストエフスキー文献情報


最新ドスト情報(10・3) 提供・【ド翁文庫】佐藤徹夫さん

≪ドスト情報≫

<翻訳>

・『やさしい女・白夜』 ドストエフスキー 井桁貞義訳 講談社 2010年8月10日 \1200
 247+1p 15.1cm <講談社文芸文庫・ト A-2>
・『白痴 2』 ドストエフスキー著 望月哲男訳 河出書房新社 2010年8月20日 \950
 522+1p 15cm <河出文庫・ト 8-2>
・『白痴 3』 ドストエフスキー著 望月哲男訳 河出書房新社 2010年9月20日 \940
 435+1p 15cm <河出文庫・ト 8-3>
・『悪霊 1』 ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社 2010年9月20日 \895
 546+1p 15.3cm <光文社古典新訳文庫・K Aト 1-11>

<図書>

・『ドラマチック・ロシア in Japan 文化と史跡の探訪』 長塚英雄責任編集
 生活ジャーナル 2010年3月30日 \2800 339p 21.6cm
・第三章 文学・芸術の中のロシア ・五、福永武彦とドストエフスキイ/近藤圭一
     p200-219
・『現代映画思想論の行方 ベンヤミン、ジョイスから黒澤明、宮崎駿まで』 山田幸平編著
 晃洋書房 2010年7月30日 \3400 ix+384+2p 21.6cm
・終章 身振りと文明  ドストエフスキイの運動イメージについて/山田幸平 p371-381
・『ヘルマン・ヘッセ  エッセイ全集・7 文芸批評』 ヘルマン・ヘッセ 日本ヘルマン・ヘッセ友の会 研究会編・訳臨川書店 2010年7月30日 \3500 1+2+347p 19.4cm
・文芸批評 (ドストエフスキーの『白痴』論考 p113-120; カラマーゾフの兄弟、あるいはヨーロッパの没落 p121-137; ドストエフスキーについて p196-199)
・『フロイトとドストエフスキイ  精神分析とロシア文化』 岩本和久著 東洋書店
 2010年8月10日 \1800 ix+232p 19.9cm <ユーラシア選書・16>
・『本に遭う I 酒と本があれば、人生何とかやっていける』 河谷史夫著 彩流社 2010年8月25日 \2200 323+iiip 19.5cm
・2000年 ・罪と罰の世界で p038-041; 2004年 
・『白痴』の書き出し p261-264;『白痴』の結末 p265-268

<逐次刊行物>

・ドストエフスキーの預言 第十六回 カント/佐藤優
    「文學界」 64(9)(2010.9.1) p233-241
・ドストエフスキーの預言 第十七回 ニヒリズム/佐藤優
    「文學界」 64(10)(2010.10.1) p226-237
・<再会の読書> 『罪と罰』 主人公は誰なのか/富岡幸一郎
    「本の時間」 5(10)=54(2010.9.15=2010.10) p022-023
・<対談> 「悪」とドストエフスキー/亀山郁夫+中村文則
    「群像」 65(10)(2010.10.1) p152-165




連載  

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像 
第31回:大岡昇平の『事件』と『罪と罰』について                                           
福井勝也
                            
 
 前回は「夏企画読書会」特番に合わせて、標記山城むつみ氏の最新評論をとりあげた。
氏の評論については今後も随時フォローしてゆきたい。今回は、また大岡昇平に戻って小説『事件』について論じてみる。大岡の文学的主題についてはすでに今までも触れてきたが、おおまかにそれらは<戦場小説><恋愛小説><評伝・自伝もの><歴史もの>に分類されてきた。しかしもう一つ付け加えるべき内容があるとことに気が付いた。それは小説『事件』がまさにそうであるように<裁判もの>というジャンルである。例えば、晩年作品『ながい旅』(1982)もB級戦犯として処刑された元陸軍中将岡田資についての裁判記録をもとにした作品であって、<戦争もの>に<裁判もの>が付加された内容となっている。そして今回問題とする『事件』(1977)は全編が法廷を舞台にした文字通りの「裁判小説」と言える。推理小説的スタイルをとりながら、前例のない本格的「裁判小説」として刊行当初から法律専門家を含めて高い評価を受けてきた。いや元々、この小説は当時の先進的法律家の示唆を得て成立した経緯がある。今回読む機会に恵まれて、現時点においてもなお意義ある内容を孕んでいると思った。それは裁判員制度がいつの間にか実施され、「司法」の問題が否応なく身近に感じられるようになってきた昨今の背景がある。さらに「えん罪事件の再審決着」「死刑(執行)制度の問題」、厚生労働省女性局長の無罪判決から派生した「検察疑惑」など裁判・司法を巡る議論がメディアを騒がしている今日、『事件』は改めて読まれるべき作品だと直感した。そして何よりも、この小説が単に娯楽的な「推理小説」「犯罪小説」に止まらない作品として、ドストエフスキーの『罪と罰』とも比すべき重要な「本格小説」だと評価したいためでもある。この点でドストエフスキーは「法と裁判」を最大テーマとした作家であると極言できないか。

 とにかく刑事裁判の具体的進行について、これほど実例的かつ理想的に描いた「裁判小説」は『事件』以外に今日なお書かれていない。大岡昇平は、戦後の法制度に関心を抱き続けた文学者であって(例えば『武蔵野夫人』という作品も戦後の姦通罪の廃止、相続制度の法改正という法的事件を契機にして書かれている。さらに氏は「サド裁判」・「小松川事件」にもコミットした作家のひとりとして知られている)存命ならおそらく近時の司法状況にも何らかの意味あるコメントをしただろう。このような大岡の社会派作家としての特徴を思う時、実はドストエフスキーという小説家も『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『作家の日記』等を持ち出すまでもなく、19世紀帝政ロシアの裁判、司法制度について強い関心を持ち続け、終始社会的発言を行った時事的な作家であったことが思い合わせられる。そこから導き出されたホットな文学的主題が「法と裁判」であった。今回はこの辺りの共通テーマについて、二人の作家を比較しながら作品を考えてみたい。
 
 まずは、大岡の小説『事件』に戻ってやや解説的に語るところからはじめよう。この作品は当初、「朝日新聞」の夕刊に「若草物語」と題された新聞小説(1961)として掲載された。60年安保騒動が一息して、高度経済成長が開始され工業化が急速に進行し始めた神奈川県厚木市周辺の農村部を舞台にしている。吉田?生編の『年譜』(『常識的文学論』講談社文芸文庫版、2010)によれば、<孤独な少年の衝動と犯罪を題材とした>作品として要約されている。さらに、この小説の主題について語った「推理小説」作家で評論家の笠井潔氏は次のよ
うに語っている。
 「武蔵野の大地が「地均し」されたのは、軍用飛行場の建設のためである。しかし、15年ほど後に相模野の林は、工場の敷地として「地均し」される。日本列島の大地は明治以降、第二次大戦および高度経済成長と二度、大規模な変容に見舞われている。以上のような背景からは、『事件』の宏とハツ子は『武蔵野夫人』の勉と道子の10数年後であるともいえるだろう。 ―中略― 変容する自然を背景とした恋愛事件という点で、二つの作品は主題を共有している。さらに恋愛事件が、『武蔵野夫人』では自殺、『事件』では殺人という、それぞれ人間の死をめぐる「事件」に帰結する点でも、両者に共通するところがある。」 (『事件』の二つの主題、「ユリイカ」特集大岡昇平の世界所収、1994)

 大岡の初期作品、恋愛小説『武蔵野夫人』(1950)との比較が興味深い。そして、小説『事件』が孕む恋愛の真相が宏の<殺めた?>ハツ子とその妹ヨシ子との三角関係が核心的に浮上してくる結末を考えた時、『武蔵野夫人』も道子の「姦通」という主題が三角関係を本質的に介在させていたことに気付かされる。この『武蔵野夫人』から、埴谷雄高はさらにドストエフスキーの『白痴』の「恋愛の平行四辺形」まで連想したことについてはすでに触れた。大岡はこの点で漱石の文学に深く影響を受けているが、複数の男女をめぐる三角関係に殊の外こだわったドストエフスキーとも大岡はどこかで深く結びついているはずだ。
この恋愛関係における主題はともかく、さらにこの『事件』という小説がドストエフスキーの『罪と罰』に共通して<地均しされた大地>を背景に<孤独な少年の衝動と犯罪を題材とした>小説としてあったことも大切なポイントだろう。それは『事件』が犯罪小説であり推理小説でもあるという社会小説のスタイルとも不可分に結びついている。そしてこのスタイルの点においても『罪と罰』と比較すべき作品ということになる。いきなりその主題・形式の共通性だけを指摘するのはやや乱暴なことかもしれない。そこで、次ぎに『事件』と『罪と罰』両作品の冒頭部分を具体的に対照しながら引用してみよう。

「昭和三十六年六月二十八日のことだった。むし暑い梅雨ばれの一日もようやく終りに近づいたが、暑気がまだ空中に残っている五時頃、その山裾の細い道を、上田宏が自転車を押して下りて来たところから、この物語は始まる。」  (「新潮文庫」昭和55年8月25日発行、平成21年8月5日 31刷)
 「七月の初め、異常に暑いさかりの夕方近く、ひとりの青年が、S横町にまた借りしている小さな部屋から通りに出ると、なにか心に決めかねているという様子で、ゆっくりとK橋のほうに歩きだした。」(亀山郁夫訳、「光文社文庫」2008年10月20日初版第一刷発行、)
 読者がこの両小説の冒頭部分に特別な<相似>を感じる必要性はどこにもない。まして実は、『事件』の主人公宏はすでにこの時点で自分が惹起した「殺人事件」の現場から遠ざかろうとしていた時点であって、他方『罪と罰』のラスコーリニコフは勿論「老婆殺し」以前の段階であってみれば、その置かれた二人の状況は微妙に違っている。しかしこの物語の始まりはどこか本質的に似ているように見えないか。別に大岡がどこかでそんなことを告白しているわけではないが、むしろそんな大岡の作家的無意識が自分には気になるのだ。この<相似>は、どこからもたらされるのか。
 とりあえず、この冒頭の描写から開始された両物語を「推理小説」と考えた場合に言える共通性について考えたい。実は、最初に紹介した通り『事件』という小説は、「朝日新聞」の新聞小説「若草物語」(1961)として書きはじめられた。その後事情が重なって、16年後の1977年に『事件』と改題して刊行された。そのいきさつについては、大岡自身が上記文庫版「あとがき」で語っている。結局は新聞小説の途中から、工業(都市)化した農村の「単純な未成年犯罪とその断罪」という主題の他にもう一つのテーマが顕在化してきたということだ。すなわち、当時の日本の裁判の実情があまりにも裁判小説や裁判批判とかけ離れていることを問題だと考えた大岡が「裁判」そのものを小説の二つ目の主題にしたという事情がある。そして単行本化の際にはむしろそちらに焦点が移行して『事件』と改題されるに至った。そして、「推理小説」としてこの『事件』を読む時、その謎解きの場として「裁判」という過程を設定しながら、結果的にその限界が描き出されることになる成り行きが重要な意味を持つ。
 それが、最後に付加された「真実」という章の問題となって表現される。この章は、『罪と罰』のエピローグのようにも読める。そしてここでは、「判決」自体も偶然的な「事件」として被告人の運命に作用することが語られるのだ。ここにこそ「推理小説」が「本格小説」へと深まってゆく契機が孕まれている。所詮、法廷で明らかにされる「真実」とは「裁判的真実」でしかないのであって、人間そのものが裁判では裁き得ないという真理がここに露呈される。邦訳『罪と罰』とのタイトルが<誤訳>でありながら結果的に<適訳>であったという話題がある。それは、結局「犯罪と刑罰」と「罪と罰」との乖離と言う問題であって、ラスコーリニコフは自己の犯した「犯罪と刑罰」は認識しながら、流刑地においても自身の「罪と罰」を自覚できないという事実として現れることになる。この『罪と罰』の本質的テーマが、『事件』の主人公上田宏にも「真実」という章で繰り返される。ここで変更された『事件』というタイトルの拡がりと深さが一挙に意味を持ってくることに気付かされる。ここまで来ると、大岡の『事件』はドストエフスキーの『罪と罰』という小説とかなりの本質的な接点を持つことが感じられてこないか。ここで文庫版解説を書いている佐木隆三氏の言葉を引用してみよう。
 「まず出だしからして、ふしぎな魅力をもっている。十九歳の上田宏が、梅雨時のむし暑い日の夕方、山裾の細い道を自転車を押して下りて来る。そして翌日になって、同い年のヨシ子と駆落ちし、やがて飲み屋をやっているハツ子の死体が発見される・・・。その舞台となる、急速に工業開発される小さな町の風俗が、わずかなあいだに、たちまちわたしたちの頭に入る。
 これがもし、ふつうの推理小説ならば、犯人さがしにたっぷり時間をかける。犯人さがしそのものが、一篇の小説であってもいい。しかし『事件』においては、最初から犯人が、上田宏と分かっているのだ。それでいながら推理的に展開するのは、なぜ殺したのかの興味が続くからだが、本人が殺人の動機まで自供してしまえば、だいたい終わりであるにもかかわらず、小説はほんの入り口にすぎない。先ほどもふれたように、裁判そのものが軸になって動きだし、わたしたちの知的好奇心を誘いはじめるのだ」 (前出「新潮文庫」解説、598頁)
 
 今回の紙面の余裕がすでに切れたので今回はここまでにする。佐木隆三氏はもちろん解説では『罪と罰』には一言も触れていないが、この文章は最終行にかかる部分を除いて、ほとんど『罪と罰』という「推理小説」にも通用する解説になっていないか。冒頭の出だしの<相似>まで射程に入れながら。勿論、宏とラスコーリニコフとの人物像の違いもあるのだが・・・。                          (2010.9.30)                 




映画批評

映画『ずっとあなたを愛してる』―苦悩へのレッスン―

江原あき子

 若い頃、私たちの世代はシラケ世代と呼ばれた。何に対しても感動することのない世代。豊かで満ち足りていて、“個”に閉じこもり、共感することがない世代。食べることに困ったこともないし、戦争や紛争も経験していない。私たちは大人たちにそんなレッテルを貼られて、しかし、それに声高に反発することもしなかった。今、年をとってとても不安を感じている。私たちは大人に必要な経験も、知恵もない。シラケ世代という言葉が今頃トラウマとなって重くのしかかる。この映画の監督フィリップ・クローデルは、私と同年齢。やはり戦争も紛争も経験せず、食べることに困ったこともない。そして共に、ドストエフスキーのファンである。ヒロイン、ジュリエットはわが子を殺した罪で服役し、出所後は妹レアのもとに身を寄せる。子供を殺した事情をまったく打ち明けようとしない姉に、レアは傷つき、焦る。幼い頃、両親の離婚で離ればなれになった姉妹は実は、共有する記憶をほとんど持たないこともだんだんと、わかってくる。ジュリエットと定期的に面会するフォレ警部。彼は南米のオリノコ川(エンヤの曲で有名)に憧れ、その憧れをジュリエットに語って聞かせる。そのあとで、彼は「近いうちにオリノコ川へいくよ」と明るく笑って言う。次にジュリエットがフォレ警部に会いに行くと彼の姿はなかった。彼は自殺していたのだった。映画はなにも語らないが、「娘が遠くにいて、なかなか会えないんだ」と言ったフォレ警部の姿がまるで、映画を観ている私の現実の記憶のように、眼前によみがえったのだ。「航海に行く」と言って自殺したスヴィドゥリガイロフ。死に魅入られた人の想像する死出の旅があまりにも具体的だったことが、その人の絶望の深さを物語って、あまりにも、つらい。心を開かない姉の態度に傷つき、「「『罪と罰』はデタラメよ!ドストエフスキーに何がわかるの?小説は現実と違う。小説を神聖化しないで!」と自分の生徒たちに叫ぶレアの言葉は、私の心に突き刺さった。私は本当の苦悩を知らない。ただ本を読み、映画を観て想像するだけだ。ドストエフスキーは人間の苦悩を描いた。しかしその苦悩の形は様々であり、物質的に豊かであっても人間の苦しみは消えることはない。今、ラスコーリニコフよりスヴィドゥリガイロフに心惹かれるのも経験の足りない青二才の私が、心を託せるのが彼の方だからである。スヴィドゥリガイロフ、スタブローギン、彼らが饒舌に語る自らの人生のなんと、希薄で喜びの少ないことか!その痛々しさに私は同情し、心の中でこう叫ぶ。“これも苦悩なんだ!これも苦悩なんだよ!」と。ジュリエットはレアの同僚ミシェルや、レアの子供たちと触れ合い、話し合い、少しずつ自分を取り戻して行く。重いコートをシフォンのワンピースに着替え、台所に立ち、化粧をして、イヤリングをつける。なにも起こらない。でもジュリエットの姿は変わっていく。ラスト近く、穏やかにほほえむジュリエットが階段を降りていくと、その上から天使の彫像が見下ろしている。私は『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の言葉を思い出していた。「慰めを求める必要はない。慰めを求めずに、泣くことだ。ただ泣くときにはそのたびに、息子が今では天使の一人で、あの世からお前さんを見つめ、眺めておって、お前さんの涙を見て喜び、神さまにそれを指さして教えておることを、必ず思い出すのですよ。母親のそうした深い嘆きは、この先も永いこと消えないだろうが、しまいにはそれが静かな喜びに変わってゆき、お前さんの苦い涙が、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙となってくれることだろう」そして私はまたひとつ、苦悩について想像するのだ。これが私の人生の大切なレッスンだから。




第242回12月読書会
 
 月 日 : 2010年・平成22年12月25日(土)
 時 間 : 午後2時00分〜4時45分
 会 場 : 東京芸術劇場小会議室7 JR池袋駅西口徒歩3分 03-5391-2111
 作 品 : 『貧しき人々』3回目

ドストエーフスキイの会第201回例会

 月 日 : 2010年・平成22年11月27日(土)
 時 間 : 午後6時〜9時00分
 会 場 : 千駄ヶ谷区民会館 JR原宿駅徒歩6分 
 報告者 : 木下豊房氏




掲示板

演劇 劇団昴公演「機械じかけの ピアノのための未完成の戯曲」
2010年10月9日(土) 〜 17日(日) チケット5500円 03-6907-8415
会場=あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)03-5391-0751
豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル2F 都電荒川線「東池袋4丁目駅」徒歩2分
チケットが割引に!!
予約の際、「ドストエフスキーの会の何々ですが、水野 扱いでお願いします」と伝えると5500円を4500円に割り引いてもらえます。

新刊 高橋誠一郎著『司馬遼太郎とロシア』(東洋書店)10月20日刊行
    定着していた司馬遼太郎のロシア観や明治観の問題点を指摘
はじめに 歴史認識の問題と『坂の上の雲』
若き司馬遼太郎と方法の生成
幕末の日本とロシア
ロシアと日本の近代化の比較
日露戦争と「国民国家」日本の変貌
終 章 司馬遼太郎の文明観
            



編集室

○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。発行にご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」    口座番号・00160-0-48024 
 2010年8月14日〜2010年10月4日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりて厚くお礼申し上げます。
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方