第239回6月読書会のお知らせ
月 日 : 2010年6月 12日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小5会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 〜 4時50分
作 品 :カラマーゾフの兄弟』&『作家の日記』「おかしな人間の夢」
報告者 : 参加者(フリートーク)・作品感想報告
会 費 : 1000円(学生500円)
終了後は、二次会(懇親会)を予定しています。
会 場 : 予定「養老の瀧」JR池袋駅西口徒歩3分。
時 間 : 夜5時10分 〜 8時00分頃まで。お待ちしています。
6・12読書会について
『カラマーゾフの兄弟』&『作家の日記』「おかしな人間の夢」
フリートーク形式で
全作品読み最終章ということで、前回4月10日の読書会では『作家の日記』にある「おとなしい女」をとりあげました。6月読書会では、この作品と「好一体をなすものであろう」といわれる作品「おかしな人間の夢」―空想的な物語―をとりあげます。
短編なので、容易に読めるかと思います。4月同様報告者をたてていませんので、(フリートーク形式で行います)多くの参加者からの感想・批評を期待しています。なお、書いたものがあれば、前日までにお送りください。当日、コピーして配布します。
この作品は、1877年4月号『作家の日記』第2章で発表された。
「おかしな人間の夢」とは何か
訳者・米川正夫は、この作品ついて『全集』解説でこのように述べている。
ドスト文学の芸術における一道標
1877年の『日記』を例によって分類してみると、創作の部では、前にちょっと一言しておいた『おかしな人間の夢』(1877年4月第2章)が最も重要なページを形づくっていくる。主人公のおかしな男は、かのレールモントフのごとく、生活の彼岸における美しい記憶を、生まれながらにして賦与されているがため、この世のあらゆるものが、あまりに卑賤に、醜悪に感じられて、ついには自殺を決心するが、たまたま見た夢の啓示によって、更生の道に入る。この地下生活者と一脈の共通点を有する主人公の心理も、ドストエーフスキイ的な深みを蔵していることはいうまでもないが、一編の重点は、しかし、彼の見た夢そのものの中に含まれている。それは、いわば、人類の歴史を実験台にのばして、再現してみせたものであって、ドストエーフスキイの探求精神がますます高邁になり、不敵な逞しさをおびてきたことを如実に示すものである。ひとたび死を宣せられたドストエーフスキイなればこそ、この物語を書きこの思想を主張する権利を有するのだ。形こそ小さいけれども、他の長編と相並んで、ドストエーフスキイの芸術における一道標をなすものと思う。
『ドストエフスキー伝』のアンリ・トロワイヤ(訳・村上香佳子)は、「おかしな男」について、〈(『作家の日記』の中には)「豆粒」のような、墓場での死人の対話という背筋の寒くなるような暗い幻想ものや「おかしな男の夢」「やさしい女」といった魅力あふれる寓話も入っている。〉として、こう説明している。
「おかしな男」は、自分が謎めいた惑星に連れ去られた夢をみる。そこは楽園のように住み心地のいい場所だった。そこの住人たちは善良で、陽気で、飾り気がなく、賢明な人間ばかりだった。地球からやってきた(おかしな男)は、彼らを堕落させようと試みる。彼らに哀しみ、恥辱、悪事、科学を教え込む、楽園はたちまちにして地獄と化してしまう。そこでふたたび彼らを以前の愉びに満ちあふれた世界に引き戻そうとすると、(太陽の子供たちは)せせら笑って、彼のことを「狂人扱いする」
トロワイヤは、「おとなしい女」と「おかしな男の夢」についてこうも述べている。
この二つの小品はどちらも、彼(ドストエフスキー)の気がかりテーマを暗示しているといえるだろう。いずれの場合も、荒んだ苦悩にさいなまれた、陰気で気むずかし屋の自己中心的な「ペテルブルグの男」が、他人の幸福、ひいては自分の幸福までずたずたに引き裂いてしまう、といった筋立てだが、それというのもその男がありのままの現実生活――つまり単調きわまりなく、無邪気な世界――をがんとして受け入れようとしないからだ。愛するということ――これこそがドストエフスキー文学の中枢を貫く主流となって、どの作品のなかでもその展開が試みられ、永遠の人類の教えとして描かれている。
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『おかしな人間の夢』―空想的な物語― について
「おれはおかしな人間だ。やつらはおれをいま気ちがいだといっている」にはじまるこの作品について、上記のトロワイヤはじめ、さまざまな見方、解釈があります。
たとえば、中村健之介氏は、その著書『ドストエフスキー人物事典』では、このように解説しています。独善的ですが、納得できるところが多々あります。冒頭を紹介します。
(この作品には、よくある文学作品にある表層の人生の応援歌ではなく、縁の下の力持ち的な目立たないが確かの人生の応援歌がある、と)
中村健之介氏の『おかしな男の夢』
癲癇の持病をかかえ、たえず死の恐怖や生存の不快感に悩まされていたドストエフスキーにとって、生きることを励まし力づけてくれるヴィジョンとは、どのようなものであったのだろうか。
それを知るに最も適切な作品が、短編『おかしな男の夢』である。
『おかしな男の夢』の主人公「わたし」は、子どもの頃から自分が周りの連中とは違う、自分だけがみんなと違う「おかしな人間」だという異分子意識に悩まされてきた。
(以下、当日、コピー配布)
余談だが、氏は、ここで「この『おかしな男の夢』の、墓の中で目覚める死者の意識と感覚の記述には、エドガー・ポーの『早すぎた埋葬』や『催眠術師の啓示』が下敷きになっていると思われる。」とし、氏の著書『ドストエフスキー・生と死の感覚』においても論及している。十分に納得いくところである。その意味において内容的には、まったく違うものかもしれないが、チェーホフの『黒衣の僧』のこの箇所が思い浮かぶ。
『黒衣の僧』1894年作
「そう、もちろん、お前たち人間を待っているのは偉大な輝かしい未来だ。お前のような人間が地上にふえればふえるほど、その未来の実現は早くなるのだ。最高の目的に仕え、意識的に自由に生きているお前たちがいなかったら、人類は絶滅していただろう。自然の秩序のままに発展していれば、人類は今後も永いこと、地上の歴史の週末を覚悟せねばならぬ筈だ。お前たちは人類を永遠の真理の王国へ導き入れるのを数千年早めているのだ。」
( 小笠原豊樹訳『決闘・黒衣の僧』新潮文庫昭和47年から)
『おかしな人間の夢』を読みすすめていくと、あるSF古典を彷彿する。エドモンド・ハミルトンの『フェッセンデンの宇宙』である。似て非なるものかもしれないが、二つの作品の、美しい惑星の箇所を抜粋して比較してみてみると、いっそう両作品の酷似性を、いっそう強く感じられてくる。そうして結末も、両極ではあるが、また同様である。
『おかしな人間の夢』と『フェッセンデンの宇宙』
「おかしな男』が着いた惑星
たとえば、『おかしな男』で「墓から出た男は、だれともしれぬ模糊とした存在に抱きかかえられて…空間も、時間も、存在と理性の法則も飛び越えて…おれたちは、暗い未知の空間を翔ってゆく。もうだいぶ前から、見覚えのある星座の星々が、目にはいらなくなっていた。この宇宙の大空には、光が地球へ達するのに幾千年、幾万年もかかるような星があることを、おれは知っていた。もしかしたら、おれたちはもう、そうした空間を飛び過ぎたのかもしれない」二人は、(あるいは一人とXは)無限の宇宙を飛びつづけ、やがて「ふいに、なにかしら馴染みのあるはげしく呼び招くような感じがした。/思いがけなく、わが太陽が目に入るではないか ! おれは、これがわれわれの地球を生んだわれわれの太陽であり得ないことを知っていた」そこには惑星もあった。はるか彼方、何百光年の先ではあるが、われわれの地球に似た星。「おかしな男」は、のどかな太陽の光を浴びてエメラルド色に輝く海辺に立つた。そこは・・・・高い見事な樹々は鮮やかな緑の色を誇りかに聳え、無数の葉は静かな、愛そうのよいささやきでおれを歓迎し、・・・小鳥どもは群れをなして空を飛び・・・やがてそのうちに、おれはこの幸福な地球の人々を見つけ、それと気づいた。彼らはみずからおれのほうへやって来て、おれを取り囲み、おれに接吻するのであった。・・・おお、なんと彼らの美しいことよ ! おれはわれわれの地球上で、人間のこのような美しさを、かつて見たことがない・・・・。
「フェッセンデン」が創った惑星
やがてわたしの視界にひとつの世界が飛びこんできた。その胸をえぐるほどの美しさは、目に涙がにじむほどだった。緑がしたたり、花が咲き誇る世界。その住民は人類だったが、気品と美しさにおいて、われわれ地球人類をはるかに凌駕していた。
彼らの世界には屹立する都市も、巨大な機械も、ひしめきあう乗り物もなかった。彼らの文明は、粗雑な物質的進歩を超えた次元に達しており、彼らの惑星は緑したたる美麗な公園を思わせた。あちらこちらで、花をつけた木々のあいだに優雅な建物が燦然と輝いており、花壇と森を抜けて、白いロープに身をつつんだ高貴な男たちと美しい女たちが行きかっていた。そして彼らの知識は死を克服しているようだった。なぜなら、極小宇宙の世代をいくら重ねても彼らの姿はかわらぬままだったからである。
終末
天国のような星。花が咲き小鳥が歌う。疑うことも罪も知らない住人。しかし、こともあろうに「おかしな男」も「フェッセンデン」も、楽園の破壊者となるのだ。
「・・・そう、そうなのだ、とどのつまり、おれは彼ら一同を堕落させてしまったのだ。」と、おかしな男が悔いれば、フェッセンデンは、薄笑いを浮かべて
「・・・あの連中が平和と豊穣の果てに腑抜けになっていないかどうかたしかめたい」といった。
宇宙といえば、埴谷雄高氏は、たしかアンドロメダから来たといっていたが・・。
『作家の日記』について
『作家の日記』の評判と売れ行き
当時、『作家の日記』の評判や売れ行きについて、トロワイヤは、具体的に数字をあげて書いている。興味深いので、抜粋で少し紹介する。
(『作家の日記』は)読む側にも作家のその論評の意図が次第に理解されてきたのか、『作家の日記』は思いがけない成功をおさめ、売れ行きも上々だった。
1年目は予約購読者2000、店頭でもそれと同じ数さばけたし、2年目になると予約客は3000になり書店では4000部も売れる。なかには再版をつづけた号もあった。号を重ねるに従って、ドストエフスキーも自信が出てきて、熱烈な意欲がこみあげてくる。いまやフョードル・ミハイロヴィチは、若いインテリ層に熱賛される預言者、精神の接骨医のような人物と目されるようになった。彼のもとにおくられてくる手紙には、感傷的なジレンマに悩む者、宗教上の疑念を問い質してくる者、みだらな愛に溺れている者、そういった読者の内的告白を吐露した、暗い波のような手紙が送られてきた。
「わたしはロシアの各地から、何百通もの手紙を受け取りました。これまでわたしの知らなかったことを教えられたものもあります。何よりもわたしを驚かしたのは、それほどの数の人びとがわたしの意見を支えてくれているということです」(1877年12月17日付け ドストエフスキーの崇拝者オジーギナ宛の書簡)
休む間もなく山積みの仕事に追われているというのに、ドストエフスキーはその合間をぬって、読者からの手紙に一通一通丁寧な返事を出している。専門の職を身につけたいので、学業をつづけたい女子学生が、愛してもいない男との結婚を強いられて悩んでいる、と彼は頼られた人間として、親身になって彼女をかばってやっている。・・・・・・・・・・・・
(ユダヤ人問題にもこのように)・・・ユダヤ人の差出人には、こう応えている。「わたしはけっしてユダヤ人の敵でもなければ、この民族が並々ならない強い生活力をもっていて、その長い歴史のあいだに Status Statu…(国家内の国家)を、作らざるをえなかったことを証明しています」(1877年2月14日、コヴァネル宛の書簡)
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『ドストエフスキー写真と記録』(1972)V・ネチャーエワ
・・・私たちは『作家の日記』の社会評論の全体を公平に見る必要がある。そうすれば、小説家ドストエフスキーが社会評論家ドストエフスキーと一体であることに気づくだろう。〈現代ロシアの家族〉〈過激派青年の心理〉〈無辜の幼児の苦しみ〉〈裁判への不信〉など、『作家の日記』で論じられている問題は、そのまま後期長編小説のテーマでもある。・・・
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◆前号でも書いたが、1881年1月31日午前11時、作家の遺体が入った棺がグズネッツキイ横町5番の自宅からアレクサンドル・ネーフスキイ修道院に向かった。棺のあとには約3万人もの人々が従ったという。2月1日の葬儀にも無名の市民が多数参列し哀悼の意を示した。なぜ、そんなにも大勢の市民集まったのか。有名な作家だったから、『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』などの名作を残したから。はじめのうちそう思っていた。が、『作家の日記』を読むにつけ、この謎は、もしかしたら『作家の日記』があったからでは。そのように思うようになった。新聞の片すみに載った小さな出来事や事件に関心を寄せた作家。人々は、そこに非凡人ではない愛すべき、信頼できる人間の姿をみたのかもしれない。
4・10 読書会報告
4月読書会は、10日午後2時00分 第7会議室で開催。16名参加でした。(編集室)
出席の皆さん16名
「おとなしい女」は、真に「おとなしい女」か、で議論熱く
花より団子、読書会より春爛漫。気温変化で桜の開花が遅れて花見時期と重なったせいか、この日の出席者は16名だった。が、初めての若い人の参加(1名)、司会者・福井勝也さんの「ドストエフスキーをめぐる言葉」が掲載された『現代思想』4月号臨時増刊の紹介(福井さんより読書会に複数冊寄贈いただきました。ありがとうございました)などがあり、にぎわいだ雰囲気がありました。また、読書会は、今回は報告者なしでしたが、テキスト『おとなしい女』について議論沸騰、熱い読書会となりました。名前のない「おとなしい女」は、真に「おとなしい女」か、本当は「怖い女」ではないか。「やさしい女」との訳もあるが、「恐ろしい女」の印象が強い。同情論より否定的に捉える人が多かった。
当日の読書会では出なかったが、同時代というより、ドストエフスキーより10歳ほど若いロシアの作家N・S・レスコーフの描く女性像。彼女たちは、「やさしい女」と対極にある。が、逆もまた真なりで「おとなしい女」を彷彿させる。(彼は、ドの葬儀に参列している)
※「この作家は、もっと読まれてしかるべきだ」下原康子。
『おとなしい女』と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』神西清訳
先般、中村健之介氏から「大妻比較文化 10」を送っていただいた。本冊子は「ドストエフスキー・ノート」として1873年の『作家の日記』にある「お困りのご様子」について論じている。冒頭で氏は、「―ドストエフスキーはここで『ロシア報知』誌1873年1月号の、N・S・レスコーフの小説『封印された天使』をとりあげている。―」と、述べている。この作品は、元分離派の男が語る、分離派のイコンをめぐる話。ということだが、レスコーフと聞いて頭に浮かぶのは、1866年に書かれた『ムツェンスク郡のマクベス夫人』である。
主人公のカテリーナ・リヴォーヴナは、裕福な商人と結婚するが、べつに商人に惚れていたわけでも、何かほかにみどころがあったわけでもなかった。・・・良人は朝早く床をはなれて、6時にはお茶をたらふく飲んで、すぐさま仕事へでかけてしまう。のこる彼女は日がな一日ぽつねんとして、部屋から部屋へうろつき廻って一人ですごす。/どこもかしこもシンとして人っ子ひとりいはしない。みあかしは聖像の前でちらちらと燃え、家じゅうどこにも、生きものの気配ひとつ、人間の声ひとつしない。・・・彼女が、不愛想な良人につれそって、5年という年つきを送った明け暮れは、ざっと以上のようなわびしいものだった。」
「おとなしい女」は、孤独に耐えかねて死を選ぶが、カテリーナ・リヴォーヴナは、聖像を抱えて飛び降りるようなことはしなかった。火がついた情欲をいっそう燃え上がらせ、恐ろしいマクベス夫人へと変化していく。「おとなしい女」が、踏み越え前の内なる恐怖なら、マクベス夫人は、踏み越えた恐怖、戦慄がある。その意味ではどちらも、「恐ろしい女」と呼ぶに不足はない。
ドストエフスキー文献情報
最新ドスト情報(3・23) 提供・【ド翁文庫】佐藤徹夫さん
<作品翻訳>
・『貧しき人々』 ドストエフスキー著 安岡治子訳 光文社 2010.4.20 \686+
334p 15.3cm <光文社古典新訳文庫 K Aト 1-10>
・「悪霊 三部からなる長編小説 第三章 他人の不始末」
ドストエフスイー 亀山郁夫訳
「小説宝石」 43(5)(2010.4.22=May 2010) p196-213
・「悪霊 三部からなる長編小説 第三章 他人の不始末(承前)」
ドストエフスキー 亀山郁夫訳
「小説宝石」 43(6)(2010.5.22=June 2010) p404-416
<シナリオ>
・「罪と罰」(四幕) 福田恒存脚色
『福田恒存戲曲全集 第三巻』 福田恒存著 文藝春秋 2010.5.15
\2381 405p 21.6cm
*初出:「自由」 7(11)=72(1965.11.1) p156-232
*初演:劇団「雲」 1965.1.6-18 於:讀賣ホール
<図書>
・<講演> ドストエフスキー『罪と罰』の謎 黙過のリアリティ/亀山郁夫 p16-45
・<基調講演+対談> 『カラマーゾフの兄弟』に潜む謎を解く p122-153
・基調講演 心のメカニズムを解明したドストエフスキー作品の神髄/
亀山郁夫 p124-135
・対談 “未完の大作・カラマーゾフ”のその後を空想する/島田雅彦×
亀山郁夫 p136-153
『カフェ古典新訳文庫 Vol.1』 光文社翻訳編集部編 光文社 2009.11.20
\648 222p 15.3cm <光文社古典新訳文庫・別冊>
・精密な読みが紡ぎ出す楽しい推理 『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』
亀山郁夫 (光文社新書)/池澤夏樹 p285-288
『嵐の夜の読書』 池澤夏樹 みすず書房 2010.4.20 \3000 340p 19.4cm
*初出:「毎日新聞」<今週の本棚> 1999.1.24〜2008.12.14
・『清水正・ドストエフスキー論全集 5 『罪と罰』論余話』 清水正著 D文学研究会
(発売:星雲社) 2010.4.30 \3500 395p 21.6cm 付:栞
*内容詳細は省略
・第五章 ドストエフスキー 自由と聖性への「ふみ越え」/鎌田東二 p95-109
『霊性の文学 言霊の力』 鎌田東二著 角川文芸出版(発売:角川グループ
パブリッシング) 2010.5.25 \819 284p 15cm
<角川ソフィア文庫・G108-1>
*初版:『霊性の文学誌』 作品社 2005.3刊
<逐次刊行物>
・<星の時間の読書・7> 「影」を負わされた者の悲劇 『MONSTER]』/神谷信行
「春秋」 516(2020.2.25=2010.2/3) p17-20
・「ドストエーフスキイ広場」 19(2010.4.17) 118p
*内容詳細は省略
・<星の時間の読書・8> 「影」と「道徳的マゾヒズム 『悪霊』/神谷信行
「春秋」 518(2010.4.25=2010.5) p15-18
・ドストエフスキーの預言 第十三回 実念論/佐藤優
「文學界」 64(5)(2010.5.1) p220-231
・ドストエフスキーの預言 第十四回 インマヌエル/佐藤優
「文學界」 64(6)(2010.6.1) p266-277
連載
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像
第29回 『武蔵野夫人』と『おとなしい女』
福井勝也
もう少し、大岡の『武蔵野夫人』を論じてみたい。考えてみれば、作家大岡昇平の文学的主題は戦後この時期にすでに出そろっていたように考えられる。それらは、<戦場体験><恋愛あるいは姦通><キリスト教(体験)の考察>という問題であった。最後の<キリスト教(体験)の考察>の問題は、一方でその後自身の幼年期・少年期の自伝的作品へも投影され結実してゆく。他方では詩人中原中也や小林秀雄との文学的青春を語る評伝文学にも意外に重要な意味を持ったのではなかったか。この点においてこの時期の『武蔵野夫人』という作品は、<恋愛あるいは姦通>という主題が前面に出てきた小説であったが、実はその背後に<キリスト教>の問題が関係する作品のように思える。そのことは『野火』という作品と一体として考えるべき視点を提供しながら、そこに大岡文学がドストエフスキー文学とクロスしてくる重要な契機もあるはずだというのが僕の推論である。
とりあえず『武蔵野夫人』という作品は二組の男女関係、すなわち主人公道子と復員者である従弟の勉との「恋愛」、それと道子の夫でフランス文学者である秋山と道子の親戚大野の妻富子との「姦通」が物語の中心に描かれている。前回の終わりでは、埴谷雄高氏がこの二組の男女関係を「恋愛の平行四辺形」と呼んだことを紹介した。そしてそれがドストエフスキ−の小説(『白痴』)を念頭に置いていたことにも触れた。「恋愛の平行四辺形」という表現には男女の心理的力学が孕まれている。そしてこの二組のカップルは、「(純粋)恋愛」と「(通俗的)姦通」という一見対照的な<愛のかたち>によってその欲望を互いに刺激されながら、四人の当事者の心理が物語のなかで変容し、主人公道子の自殺という悲劇的結末のカタストロフィとなって小説が閉じられる。この恋愛劇は基本的にフランス心理小説的スタイルをとっていると言われるが、一方エピグラフのラディゲの言葉(=「ドルジェル伯爵夫人のような心の動きは時代遅れだろうか」)が示しているように、大岡はこの小説で近代的小説の成果を踏まえながらそれを否定し、その踏み破り(=パロディ化)をも試みている。当時大岡は批評家福田恒存とのやりとりのなかで、「武蔵野夫人の意図」について「現代ロマネスクの恢復を図り、同時にそれに苦杯を飲ませる目的」であったと語っていたことは見逃せない。そして以前にも触れたが、大岡がこのほぼ同時期に『野火』と平行して『武蔵野夫人』を書いた経緯が、ルージュモンの著書(『恋愛と西欧』)から西欧近代文学が「異端宗教」を隠蔽的に語る「恋愛物語」として始まった文学史的経緯を教えられたためであったと言う。この回想は「キリスト教」と「恋愛」という大岡の文学的主題を考えるうえで重要な事実である。結局『武蔵野夫人』の「恋愛」と「姦通」がそのような恋愛物語として発想されたこと、さらに『野火』の主人公の「倨傲」の果ての「人肉喰」を「聖体拝領」として夢想した「キリスト幻想」も、同じキリスト教異端主義という主題への拘りとその変奏であったということになる。さらに大岡は「僕の文学趣味はスタンダールからシェイクスピア、ダンテと遡って行ったので、つまりは異端の系列を辿っていたのだとわかったのです」とも語っていた。ここから例えばスタンダールの作品における「ナポレオン」という問題がドストエフスキーの文学的主題に異端系列的な発展を遂げて行ったことがわかる。換言すれば「ラスコーリニコフ」の「ナポレオン主義」も「ジュリアン・ソレル」の<パロディ>として成立してきたということではないか。ついでにこのことを裏付けるジラールの文学史的系譜を説明した表現を作田啓一氏の文章から引用しておきたい。大岡氏が『武蔵野夫人』を書いた時点でジラールを読んでいたかどうかは別にして、スタンダリアン大岡の意味を考える時、ドストエフスキーをその射程の中心に据えたジラールの表現は大岡文学の内実を考えるうえで参考になる。
「人間は本性上自律的であるという見方は、ジラールによれば<ロマンチックな虚偽>に陥っているのです。彼は西欧近代文学史の中から四人の巨匠、すなわちセルヴァンテス、スタンダール、ドストエフスキー、プルーストを選び出し、これらの巨匠たちはすべて、人間がそのような自律的存在ではないことを明らかにした作家であることを論証します。これらの作家たちが描いた登場人物の中には、媒介者のどんな影響をも排除し、あたかも単独者であるかのごとく外界に対峙する人物もいます。しかし、これらの作家が最後に到達した視点は、媒介者の不可避の影響をはっきりと自覚することによってのみ、人間は自由になりうるという視点です。この自覚を困難にしているのは、個人主義に伴う自尊心の抵抗なのです。媒介者によって動かされているという<真実>を認めることは、自立を至上の価値とするロマンチックな個人主義者の誇りを傷つけます。しかし、媒介者の拘束を深く洞察し、打ち砕かれた自尊心のかなたに予感される救済への道を示すことこそ、<真実>のロマンの使命なのです。」(『個人主義の運命』−近代小説と社会学−、岩波新書p18~19)
ここで、『武蔵野夫人』という小説のひとつのクライマックスについて触れてみたい。引用のジラールの<ロマンチックな虚偽>あるいは<媒介者の拘束を深く洞察し、打ち砕かれた自尊心のかなたに予感される救済>の問題とも触れあっていると思われる。主人公の道子が、従弟の勉との肉体的交わりを拒否して「純粋恋愛」を貫くためにあるべき愛の理想を勉に語る場面である。下手をすると、少女趣味にも堕しかねない切羽詰まった言葉として、道子は次のようにその<ロマネスク>を語る。(『武蔵野夫人』第11章 カメラの真実、「新潮文庫」)
「道徳だけが力なのよ。それをわかってくれなくっちゃいや」
「あたしあなたを愛しています。それは信じて頂戴。でもあたし自分の気のすむことのほかしたくないの」それに対して勉は反駁する。
「自分しか愛していないのです」この後、語り手は次のように道子の内心を語る。
<道子はためらった。これはちょうど彼女自身時々頭をかすめた疑いだったからである。しかし彼女は愛について理想を持っていた。彼女の考えでは自分を愛することと他人を愛することは一つであった。そしてそういう自分をそのまま愛してもらうのでなければ、愛の名には値しないのであった。> この後にやりとりがあって道子が語る。
「ほんとはあたし道徳より上のものがあると思っているの」さらに勉の問いに答えて、
「誓いよ」「あたしたち、ほんとに愛し合って、変わらないことが誓えれば、そして誓いをいつまでも守ることができれば、世間の掟の方で改まって、あたしたち自分を責めないで一緒になる時が来ると思うの」(下線、筆者)
この後、勉は道子に促されるかたちでその愛を誓うことになる。直後、語り手が言葉を挟んで次のように「誓い」の中身にコメントを付けている。
<何に向かっての誓いであろう。道子は間違っていた。誓いは神の前でしかするべきではない。> (以上の下線はすべて筆者による)
僕は、道子のこの個所の言葉には大岡が『武蔵野夫人』に仕掛けた大切な問題が孕まれていると思う。そもそも主人公の「武蔵野夫人」である道子は、武蔵野という大地の精霊が憑いたような文字通りの土地付き娘として、和服が似合う古風な「おとなしい女」として描かれている(溝口健二監督の映画『武蔵野夫人』の評価はともかく、主演した田中絹代はその表面的イメージであり、武蔵野の地母神という意味では『罪と罰』のソーニャのイメージか)。そして所詮土地のよそ者でしかない俗物のスタンダリアンで大学教授である夫の秋山(この人物像には大岡の自嘲も含めた、戦前からの教養主義的な外国文学者への揶揄と皮肉が込められていて、それ自体近代日本文学の外国文学受容の問題をパロディ化している)とその秋山の姦通相手となる富子という軽薄な女、その二人を道子と比較すればそのイメージの差は明らかだ。そしてその道子の表面的なイメージがこの引用の場面でさらに豹変する。すなわち自身の愛の理想を語るこの場面で道子は静かな「柔和な女」ではなくなるのだ。むしろ自己の信念の厳格さが、その芯の強さとなって「狂信者」のようになって彼女に憑依してくる。それは、道子が自らの行為の規範を「道徳」ならぬ「誓い」という言葉で表現した時、語り手が「神」という言葉を持ち出してその勘違いを指摘するほどの強さとなって顕現するのだが、ここで語り手がキリスト教的な唯一神を問題とするところに大岡の企みが見て取れる。なぜなら、道子が語る「自分を愛することと他人を愛することは一つであって、そういう自分をそのまま愛してもらうのでなければ、愛の名には値しない」という考えこそキリストの隣人愛の教えとその実践とも読めるからである。ただし、その「誓い」を勉に強いる道子の姿勢には権力的な支配欲すら孕まれているように感じる。そしてそれは勉にも指摘され、自身も薄々気付いている道子の根本のエゴイズムから発している大きな矛盾が孕まれている。
「恋愛」という観念の不思議なところは、恋愛の相手をかけがえのない唯一の男あるいは女と錯覚する神秘に根ざしているものだが、そこには相手を滅ぼすまでに愛して止まない支配欲と紙一重のもので、だからこそそこに人の生死すらかかってくることになる。考えてみれば、この西欧の恋愛観念の淵源を辿ると旧約のエホバ神がユダヤ人を選民とした歴史的偶然(神秘)に行き着くのではないか。同時にエホバ神は、選民(=ユダヤ人)との間に契約を結ぶことで世俗的苦難を選民に受け入れさせ、その代わりに来世を約束する。この成り行きは、道子が道徳よりも上位に位置付けた「誓い」(=「誓約」・「契約」)を勉に説き、世間の掟が改まるまでの忍従を強い、やがて訪れる(来世での?)霊的結合を説くアナロジーとなって表現されている。大岡はここで前述した西欧における恋愛ないし姦通の起源を忠実になぞりつつそのパロディ化を試みたのではなかったか。
ここで唐突を承知で語れば、前回の読書会でとりあげたドストエフスキ−の『おとなしい女』(あるいは『クロトカヤ』)に描かれた女主人公を連想したことであった。聖像(マリア像)を抱いたまま窓から飛び降りた質屋の若妻、今はテ−ブルの上に静かに横たえられ遺骸となった「おとなしい女」の内心の苛烈。それは足を縛ったまま薬を飲んで自殺を図り断末魔の譫言を吐いた後、遺骸を蒲団に横たえる「武蔵野夫人」の内心の苛烈と根本において通じていないか。確かに『武蔵野夫人』の道子には希薄で、『おとなしい女』の質屋の若妻に濃厚なのは「罪の意識」の問題かもしれない。「罪の意識」なき「地母神」はソーニャたりえないか?しかしここには、夫婦間の愛のあり方が主題とされた挙げ句、支配・被支配を含む権力的な男女関係の問題すら垣間見られるなかで、結局そこから根本的に逃れようと死を果敢に?受け入れた二人の「おとなしい女」がいる。その二人が「愛」のあり方を追究して、隣人愛的なキリストの愛を実行しようとした結末が人間のエゴイズムの根深さ(=「罪」)を思い知る絶望(=来世への希望)ではなかったか。少なくとも、道子が勉に語る愛の理想にはその意味における罪の問題が作者によって想定されていたのだと思う。ここに大岡の<キリスト教>の問題がドストエフスキー文学とクロスしている。
最晩年、ドストエフスキ−は自分の最初の結婚生活の破綻(=人妻であったマリヤ・イサーエワとの結婚から死別に至るまでの愛憎劇の顛末)を想起する作品として『おとなしい女』を書いたのではなかったか。それを書かせたものこそ妻マリヤとの結婚生活で感じたエゴイズムの問題であった。少なくともテーブルに横たわる質屋の若妻の遺骸を描写しながらドストエフスキーは、マリヤ・イサーエワの遺骸を前にした葬送の日を思い出していたのだろう。すなわちキリストの愛を実践できなかった自分の罪を徹底的に悔いたこと、それが自分の(文学という)人生を決定づけたことを噛みしめていたに違いない。今回の最後に、ドストエフスキーがその際書き記したメモ書きを改めて引用しておく。何種類かの訳文があるが、ここでは中村健之介氏のものを使わせていただくことにする。
マーシャはテーブルの上の棺に横たわっている。またマーシャに会えるだろうか?キリストの訓えの通り、自分自身を愛するように人を愛すことは、不可能だ。地上の個なる人間であることの法則が縛る。『我』が邪魔する。<・・・>自分の『我』を人々のために、他の存在のために愛として犠牲にできなかったとき、―わたしとマーシャ―、そのとき、その人は苦しみと感じ、その状態を罪と呼ぶ。かくして、人間はたえず苦しみを感じざるをえないが、その苦しみは『掟』([自分自身を愛すように人を愛せというキリストの掟]―中村注)を守りぬくときの無上のよろこびによって、即ち犠牲によって償われる。
(マリヤの死の翌日に手帖に記したメモ書き−1864年4月16日の断章)(2010.5.30)
近刊紹介 福井勝也著(2008・2 のべる出版企画)定価1400
『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』
※ ご希望の方は、書店か著者、または「本通信」編集室まで連絡ください。
旧刊紹介 福井勝也著(2001・1・25 のべる出版企画)定価1400円
『ドストエフスキーとポストモダン』
―現代における文学の可能性をめぐって―
青土社 2010 vol.384
雑誌 『現代思想』4月臨時増刊号
総特集=ドストエフスキー
亀山郁夫+望月哲男 責任編集
エッセイ、評論などさまざまな角度から、日本・ロシアや世界のドストエフスキー研究者・作家・批評家たちの分析と読み解きがここに結集されている。(編集室)
読書会からは、「ドストエフスキーをめぐる言葉2」に福井勝也さんが執筆!
・福井勝也編「古今東西のドストエフスキー 日本編」
・福井勝也「日本のドストエフスキー」
評論には、清水正と清水孝純氏の、両清水氏が執筆。
・清水正「『罪と罰』の深層構造 批評の醍醐味はテキストの解体と再構築にこそある」
・清水孝純「ドストエフスキーと自殺 『悪霊』に見るその様相」
追悼・井上ひさしさん(75)
この春、4月9日に劇作家・小説家の井上ひさしさんが亡くなった。3月に逝去した作家の立松和平さんは、読書会発起人の一人でもある横尾博和さんと親交があり、例会でも報告いただいたことでドスト会とも浅からぬ因縁があった。井上ひさしさんは、直接には会や読書会とは関係はないがドストエフスキーを愛する一読者としての共感がある。その意味で、井上ひさしさんの死は、また一人、同志を失くしたようで寂しく思うところである。
井上ひさしさんとドストエフスキーを振り返ってみた。
ひょつこりようたん島の謎
波をチャプチャプ チャプチャプチャプかきわけて(チャプチャプチャプ)
雲をスイスイ スイスイおいぬいて(スイスイスイ)
ひょうたん島はどこへ行く
ぼくらをのせてどこへゆく ぼくらをのせてどこへゆく
1964年4月のことでした。いきなりテレビから流れてきたこの音楽に私は思わず聞き入ってしまいました。この日から15分間番組「ひょつこりひょうたん島」がはじまったのです。自分勝手でわがままで無責任で、それでいて憎めない大人たちとしっかり者の子供たちの物語。私は、高校生でしたが、すっかり夢中になりました。そして、ときどき考えました。いったいどうやったら、あんな変てこな人たちをひねりだせたものかと。ずっと謎でした。
サンデー先生 さんかくおむすびのチャッピ 博士 海賊トラヒゲ
プリン マシンガン・ダンディ などなどみんな奇妙な連中です!
大統領ドン・ガバチョの演説
「このひょうたん島は、花さく地上の楽園。そう天国もこの島にひっこしてくるでしょう」
おかしな連中がけんかしながら仲良く暮らす奇妙な島、ひょっこりようたん島。
自分勝手な連中がけんかしながら仲良く暮らす変な村、『スチェパンチコヴォ村』。
エジェヴィーキン・・・いつも自分から道化を演じている。
ミジンチコフ・・・理性的エゴイスト
タチヤーナ・イワーノヴナ・・・恋愛マニアのオールド・ミス
ファラレイ・・・うす馬鹿の美少年
(中村健之介著『ドストエフスキー人物事典』から)
「スチェパンチコヴォ村」の住人と「ひょっこりひょうたん島」の島民。どこか似ていませんか。そういえば作者の井上ひさしさんは、かつて『罪と罰』を下地にして『合牢者』を書いた。と、すれば、もしかしてひょっとして「スチェパンチコヴォ村」の彼らをモデルにしたとしても不思議はないのです。ひょうたん島はどこへ行く〜。井上さんは、どこへゆく〜。さらばドストを愛した人。ご冥福をお祈り申し上げます。
『21世紀ドストエフスキーがやってくる』井上ひさし「ドストエフスキーからチェーホフへ」が遺作のようです。
広 場
『読書会通信』編集室には、皆さまからいつも貴重なご本、冊子等が届いています。この場を借りてお礼申し上げます。それぞれの場で活動されている皆さまの益々のご発展をお祈りし、紹介させていただきます。
新刊 双葉社 定価819円
武富健治『鈴木先生』9巻
第11回文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞した、武富健治さんの作品『鈴木先生』は1巻〜9巻を数えます。
冊子『小説藝術 51 』2010
羽鳥善行(長野 正)作「掲示板」
作者の小説作法は、いつも自分の体験を生かしているのが特徴である。今回の「掲示板」も、大学を舞台にした青春ものだが、しっかり体験を取り入れている。
短歌雑誌 まえだたみこさん 『桜 狩』第135号、第136号
『桜 狩』1・2・3・4号桜狩短歌会
短歌雑誌 「花林集抄19句」平 哲夫さん
『花 林』2009 2010
記念文集 東京プライズエイジェンシー 2010・3・30
『還暦になった一年生』
復刻版・岩波写真文庫『一年生』。あの一年生が還暦になった。
好評「読書会通信」号外特集・春
『山脈はるかに』を読んで 今井 直子
例えばアレクセイ・カラマーゾフのように、真に価値ある人は自己主張するのではなく、他を生かす糧となる道を選ぶことで、逆にその個性を際立たせるものだ。なぜなら真理とは個人に宿るのではなく、あくまで関係性の中で生まれるのだから。そしていつの時代にも、アリョーシャのように舞台の片隅で小さな希望を紡ぎ出す努力を続けている人間は必ずいると信じたい。その存在こそが、私にとって、世の中はまだ生きる価値があり、善や正義など美しい瞬間が訪れうるのだと信じる“よすが”になっている。
『山脈はるかに』は私のそんな想いを確実に支えてくれる作品だ。わんぱくな子供たちを相手に新米教師の奮闘ぶりが描かれている、と言ってしまえば、平凡に聞こえるかもしれない。だが、このほのぼのとした物語の中には、誰もが身に覚えのある感情――不安、悲しみ、安堵、幸福感といった感覚が繊細に描かれており、読み手の共感を誘ってやまない。単に心温まるストーリーというだけでなく、たとえば、世を生き抜くための逞しさを修得するには幾つもの試練を克服せねばならないことや、人は周囲の支えに救われながら生きていることなど、日ごろ見過ごしがちな、人生の大事なエッセンスが凝縮されているのだ。
偶然にも、私も蕗子先生と同じく新たな職場に飛び込んだばかりで、壁にぶつかっては悩み、些細なことで落ち込むといった日々を送っているため、すっかり彼女に感情移入してしまった。が、同時に生徒たちの姿に自分の子供時代を重ね、その年ごろ特有の残酷さで恩師を苦しめていたことに思い当り、胸が痛んだ。小学校の教師というのは、手っ取り早く感謝を得られない、損な職業である。だが同時に、この物語のラストにあるような僥倖に恵まれる機会も多いだろう。良き教育者との出会いは人の人生に大きな意味を与えるもので、そのとき気づかなくても記憶には残り、その有難味を認識できるときが必ず来る。幼少時の記憶の中に、自分に注がれていた愛情深い視線まで含まれていれば、それはありふれた思い出ではなく、豊かなドラマ性を秘めた宝物になるものだ。
自分の話で恐縮だが、私は小学生の頃、学校でイタズラをして、誰かが告げ口したのであろう、担任の先生に呼び出されたことがある。私はそのとき、自分は関係ない、と白を切った。だが先生は、恐らく真相を知っていたにもかかわらず、「分かった。信じる」と応じただけで、私を無罪放免にした。私にとってそれは「人に信じてもらうこと」の重みを初めて知った経験だった。私がその先生の偉大さに胸打たれて改心し、すっかり良い子になった、と言えれば話は簡単だが、そうはゆかないのが現実である。だがそのとき覚えた衝撃は、年を経るにつれて自分の心の中で重みを増している。その先生に、「あなたの教え方は正しかった、叱られるよりずっと厳しい罰を与えてくれた」と伝えたいものだが、それは叶いそうもない。彼に感謝を伝えられなかった悔いはいつまでも残る、そう思っていた。
『山脈はるかに』のラストシーンは、そんな私の悔いを少し軽くしてくれた気がする。誠実で信念をもって生きる人の思いは、いつか必ず報われる。私が伝えられなかった思いは、他の誰かがきっと伝えたはずだ――そう思えた。とかくすれ違いがちな人の気持ちがふと通じ合う瞬間、そんな奇蹟的な瞬間と出会いたいなら、何を大事にして生きてゆけば良いのか。その答えの一つが本書の中にある。
下原敏彦著 D文学研究会 2010・3・20 定価1700
新刊読書感想・日本図書館協会選定図書
掲示板
対談「坂本竜馬」を語る 高橋誠一郎VS武田鉄矢
脚本の出来は、ともかく、NHK大河ドラマ『龍馬伝』は視聴率がいいらしい。主役の人気でもっているようだ。が、全体にイマイチ。毎回、怒鳴って走ってばかりで意味がわからない。そんななかにあって光っているのが、武田鉄矢の勝海舟である。一人だけぴったりなので、浮いてはいるが、安心して見られる場面だ。さすが坂本竜馬に入れ込んできただけはある。この武田鉄矢と、日本でただ一人の竜馬・司馬遼太郎研究者、高橋誠一郎さんが対談することになった。横尾博和さんがコメンティターの「朝日二ュスター」番組「週刊鉄学」。
放映月日は未定。詳細は「朝日ニュスター」を検索ください。
読書会レクレーション企画流れのお詫び、
都合で、企画流れがつづいています。楽しみにしていた皆さまにはお詫び申し上げます。実施できるようになりましたら、お知らせします。いましばらくお待ちください。
編集室
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