ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.114 発行:2009.7.2


第233回7月読書会のお知らせ

6月読書会は、会場改修工事のため7月になりました。

7月読書会は、下記の要領で開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。


月  日 : 2009年7月 11日(土)
             
場  所 : 東京芸術劇場小7会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
開  場 : 午後1時30分
 
開  始 : 午後2時00分 〜 4時50分
 
作  品 : 『カラマーゾフの兄弟』2回目
 
報 告 者 : 菅原 純子 氏
            
会  費 : 1000円(学生500円)

◎ 終了後は、二次会(懇親会)を予定しています。
会 場 : 予定「養老の瀧」 JR池袋駅西口徒歩3分。お待ちしています
時 間 : 夜5時10分 〜 7時10分頃まで




7・11読書会について

 はじめに、通常ならこの時期の読書会は、偶数月の6月開催でした。が、7月にずれ込んでしまいました。会場改修工事に余儀なくという事情はありますが、事前に察知し他所で予定月通り開催することができなかったこと、お詫び申し上げます。

4サイクル目を振り返って

 10年1昔といいますが、読書会は1971年4月14日に開催されました。2009年の今日まで実質的には38年間ですが、回数的には4昔超といえます。この歳月のなかで全作品読みは4巡目の最後となります。このことから全作品の読みきりは10年(1サイクル)となります。が、途中から年6回のペースになったため、正確には読みきれなかった短編もあります。今回の4サイクルも読み落としが多々ありました。そのへんのところを反省点として次サイクルは、更なる全作品読みを目指して進めていけたらと思います。

初心、忘るべからず
 
 今年は、4サイクル最後の年ということで、何か、いつもと違った感も受けます。加えて新訳『カラマーゾフの兄弟』のベストセラー。フィバーの根拠はよくわかりませんが世はまさにドストエフスキーブームの真っ只中ということもあり、今報告も注目されます。
 4サイクル有終の美を飾るために、第一回読書会に主催者の佐々木美代子さんが述べた言葉を思い出しながらすすめたいと思います。

 何年後に読み終えることになるのか、それはわからぬがという気の長い意気込みで発足した「全作品を読む会」の第一回読書会を4月14日もった。…参加者12名。まず各人の参加意図を述べあう。例会の方が主として研究発表の形をとるものが多いためもあり、アカデミックな受け取り方への抵抗或いは不満が2,3の人から出された。しかしもともと文学を専門家的または素人的に読むという方式や区別のあるはずがない。・・・・

報告者・菅原純子さん
 
 報告者の菅原純子さんは、毎回、参加される熱心なドストエフスキー読者です。2000年、4サイクル目がスタートしたときは、先陣をきって『貧しき人々』を報告してくださいました。「ドストエーフスキイの会」でも、例会の常連参加者でもあり、会誌『広場 No17』にも加賀乙彦著『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書)の書評を発表。忌憚ない感想を述べられています。読書会主催のレークレーション(合宿、ハイキング、講演、映画鑑賞、宴会)にも必ずご主人と参加。番外読書会でも、支柱的存在として活動されています。
 紹介したように菅原さんは、処女作『貧しき人々』から約10年、その間にも、様々な作品の報告をしてくださいましたが、図らずも最後の作品『カラマーゾフの兄弟』で閉めることになりました。不思議な因縁です。では、よろしくお願いします。レジメは次頁です。
※今年最初の2月読書会は、第1回目として、長野正さんに「『カラマーゾフ兄弟』の魅力」を報告していただきました。が、前回は『未成年』からの絡みもあり、二重人に土壌を持つ長瀬隆さんに『カラマーゾフ』に至る経緯を報告していただきました。このような経緯から純粋な意味で、『カラマーゾフ兄弟』は、実際には、今回第2回目報告となります。


『カラマーゾフの兄弟』を読んで
―はたして『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャの人物像とはいったい何か―
     
菅原 純子


 今年5月2日58才の若さで、忌野清志郎が亡くなった。個人的には彼の熱狂的なファンではないが、清志郎がRCサクセション時代、1972年の作品である「ぼくの好きな先生」には、私にとって特別な思い入れがある。

          「ぼくの好きな先生」


たばこを吸いながら     いつでもつまらなそうに
たばこを吸いながら     いつでも部屋に一人
ぼくの好きな先生      ぼくの好きなおじさん

たばこと絵の具のにおいの  あの部屋にいつも一人
たばこを吸いながら     キャンパスに向かっていた
ぼくの好きな先生      ぼくの好きなおじさん

たばこを吸いながら     困ったような顔して
遅刻の多いぼくを      口数の少なくしかるのさ
ぼくの好きな先生      ぼくの好きなおじさん
たばこと絵の具のにおいの  ぼくの好きなおじさん

たばこを吸いながら     あの部屋にいつも一人
ぼくと同じなんだ      職員室が嫌いなのさ
ぼくの好きな先生      ぼくの好きなおじさん

たばこを吸いながら     劣等性のこのぼくに
すてきな話をしてくれた   ちっとも先生らしくない
ぼくの好きな先生      ぼくの好きなおじさん
たばこと絵の具のにおいの  ぼくの好きなおじさん


 「ぼくの好きな先生」にはモデルがいた。忌野清志郎が都立日野高校三年生の時の担任の先生である。まだご健在で、清志郎は先生より先に逝ってしまった。悲しいことである。
 清志郎にとって師が存在したことは、幸せなことであるが「ぼくの好きな先生」という歌はまた、師と呼ばれるような先生に出会わなかった人の心の内にこそ訴えかける何かがある。そんな曲である。幸いにも私自身、清志郎と同じように尊敬で
きる先生がいた。『カラマーゾフの兄弟』を読み返すごとに、その先生がよみがえってくる。私が中学二年の時の担任の先生であり、国語を担当していた岸和一郎先生である。国語の先生をしていたせいか、クラスの中をいくつかのグループにわけ、一つのグループにノート一冊ずつを渡し、そのノートには詩であれ、小説であれ、

 マンガであれ、何を書いてもいいノートであった。そのノートを先生は時間のゆるすかぎり目を通し、赤えんぴつでコメントを書いてくれた。回し読みをするので、他のクラスメートが何を考え、何を思っているのかがわかり、楽しい一年間であった。が突然、岸先生は二年の学年末に、これを最後に養護学校に転じるといわれた。先生には子供さんが二人おられ、二人とも男のお子さんであったが、下の弟さんには身体に障害があり、その息子さんのために、養護学校の先生という身におきかえたのである。
 『カラマーゾフの兄弟』第二部 第四編 アリョーシャが二等大尉スネギリョフの家にカテリーナにたのまれた二百ルーブルを持ってたずねていく場面があり、次のように書かれている。
 右側のベッドの傍にももう一人、女が腰をおろしていた。見るもあわれなその娘は、年はやはり二十歳ぐらいの若さながら、背は曲がり、アリョーシャが後日聞いた話では、両足の麻痺をわずらっているらしかった。(中略)このあわれな娘の、まばゆいばかりに美しい善良そうな目が、言いしれぬ穏やかなやさしさを湛えて、アリョーシャを見つめていた。そうニーノチカである。スネギリョフ自身もニーノチカのことを、「肉をまとった天使でして・・・・人間界に舞い降りた・・・・といっても、おわかりいただけるかどうか・・・・」「あの子はもって生まれた天使みたいなやさしさで、わたくしどもみんなのことを神さまに祈ってくれているんですからね。あの子がいなかったら、あの子のしずかな言葉がなかったら、わが家はもう地獄でございます。」と言っている。
 先に、岸先生には身体に障害をもっている男の子がいると書いたが、『カラマーゾフの兄弟』を読んでいるとこの場面私自身、既視感にさそわれる。先生の家を何人かのクラスメートで訪ねていったことがある。その時先生は自分の妻と自分自身、あらゆる所を調べてもらったがどこに原因があるかわからない、何もみつからなかったとおっしゃった。その先生の顔には一抹の黒い影がおとされていた。男の子は、先天的に膝から下の足が立たない身体障害者であった。それゆえ私には、アリョーシャがスネギリョフの家に入っていた時のニーノチカの姿と、先生の男の子の姿が重ね合わせてだぶって思い出されてしまう。先生の家の玄関を開けた時、微笑みをうかべた男の子の中に、純粋無垢な天使の姿を見たのである。
 私の実家は父の代から鮨屋を営んでいる。先生もお酒が好きなので、養護学校に転じてからも、度々実家に顔を見せてくれた。だが何年立った頃だろう。男の子が少年になり、少年が青年になり、青年が独立しなければいけない頃にさしかかっていたころであろう。先生は自分が先に死んでからも、障害をもつ息子さんが何ひとつ困らないように、家をリホームし、すべてバリアフリーにした。そのつかのまの時である。その息子さんは突然に亡くなってしまった。『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の兄、小鳥たちにまで赦しを乞うようにして息を引き取ったマルケルの中に私はまた、重ね入れることとなる。先生は息子さんが亡くなってからというものは、お酒の量が増えた。私は急遽、中学校の同窓会を開くこととした。なぜかというと息子さんが逝ってしまわれた後、先生の口から、「神も仏もない」と言う言葉が出たからである。その先生も、同窓会を開いて元気な姿をみせてくれたが、息子さんの後を追うようにして、突然亡くなってしまった。
 『カラマーゾフの兄弟』第一部 第三編で父フョードルがコニャックを飲みながら、神はありやなしや、不死はありやなしや、悪魔はありやなしやという問題をイワンとアリョーシャに問いただしている場面があるが、生涯「不信と懐疑の子」であったドストエフスキーにとって、この問題は大きなものであったのであろう。また、よく言われるように、聖書の理解なくして、真のドストエフスキーに近づくことができないといわれる。果たしてそうだろうか。神の問題、不死の問題、イワンとアリョーシャとの相対するものを、私は真に理解することができないかもしれない。しかし、私は「神も仏もない」と言って死んでいった岸先生の言葉は身にしみるものがあり、それゆえそれこそ今、岸先生と邂逅している。
 今まで、個人的な事を語り、どこにもアリョーシャ像とは何かが書かれていないと思っていらっしゃるであろうが、アリョーシャにとってゾシマ長老は師であった。ゾシマ長老が腐臭を発して亡くなった後、第三部 第七編のガリラヤのカナにおける感動は、聖書がわからない私にも感動をもたらせるものである。また先に述べたように、私が『カラマーゾフの兄弟』を読むことというのは、岸先生とその息子さんをぬきにしては、考えられない事である。
 『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャの人物像とは謎だらけである。報告当日、謎が謎で終わってしまうかも知れないが、自分なりテキストを読んでアリョーシャの人物像が浮き彫りになった事、アリョーシャの限界性を中心に報告したいと思う。
       


報告者・書評紹介(『ドストーエフスキイ広場 No.16』提出原稿から)

 報告者・菅原純子さんが、ドストエーフスキイの会・会誌掲載用に書かれた書評です。力作です。読書会では、まだ読まれていない方もいるかと思いますので原文を紹介します。

加賀乙彦著『小説家が読むドストエフスキー』 集英社新書 2006年

 今や、出版界は空前の新書の乱立である。手を替え品を替え、読者の興味をそそるタイトル名を付け宣伝をし、手軽に手を取って読めるようなものが多く、またもっともらしいことがもっともらしく書かれているものも多い。本書もこの部類にはいるのではないだろうか。   
 本書は、朝日カルチャーセンターで加賀乙彦が行った講義のテープを起こし、まとめ、加筆、修正しものであある。筆者はその講義を受けたが、その中ではあとがきにあるような宗教的小説として読んだという点に関しては、その講義内容には含まれていなかった。著者の前著『ドストエフスキー』(中公新書)を書いた時点ではカトリック信者ではなく、五十六歳の時に洗礼を受け、入信した。万人うけしない、宗教的観点においては、加筆したものであろう。ここで言えるのは、同じ新書の形態をとる前著、中公新書『ドストエフスキー』はその底をなしていたが、本書は講義録のため、T『死の家の記録』U『罪と罰』V『白痴』W『悪霊』X『カラマーゾフの兄弟』という章に分かれているが、内容があちらこちらにとび、さらに読むということより、読まされてしまうものである。
 さて、著者加賀乙彦は、小説家である前に精神科医であり、刑務所に勤めていた経歴もあり、またカトリック信者である。この著作も、これを反映し、精神科医としての見解と小説家としての見解、またカトリック信者としての見解、この三つを読み取ることができる。
 まず精神科医としての観点からみていくことにする。著者は、精神医学者のクルト・シュナイデルが書いた『精神病質人格』を引き合いに出し、『死の家の記録』の中の登場人物を分類している。「情性欠如人」というタイプの人間として、『死の家』のAを、素晴らしく知能が高いが、道徳的な感情が欠如している。Aはスタヴローギンに通じるという。次に「意志欠如人」では自分では意思を持たなく、何でも人の言うとおりに動き、この人間のタイプは、周りの人間が悪いと、悪人になり、周りの人間が善人なら無類の善人になるという。ガージンの周りの手下の人間たちがこの部類に入るという。三番目として「発揚性人」には、イサイ・フォーミチが当てはまり、いつも興奮していて活動的で朗らかであるが、決して人に親切ではないという。爆発する人間「爆発人」にはペトロフが当てられ、普段はおとなしくて何にもしない人間が急に爆発する。ドストエフスキーは、この爆発型の人間であるという。ここまでは、著者が『死の家』から登場人物をぬき出し分類したものである。
 また、性格の類型として、クレッチマーの『体格と性格』からにおいては、人間を、分裂気質、循環気質、粘着気質の三つに分けられるという。分裂気質は、非社交的タイプであり、物事をすべて被害的に考え、このように考えるということは逆に自尊心が強いからだという。循環気質は、社交的で相手と調子を合わせる、同調的なタイプであり、ゲーテがこれに当てはまるという。粘着気質は、親しい人とあまりに親しくなりすぎ、相手から嫌われ、同調と同時にその逆の爆発も表す。ドストエフスキーは、粘着気質の闘士型で、ドストエフスキーの小説の特徴は、この粘着性にあるという。これらの三つの気質は、三つの病気と呼応するという。分裂気質は統合失調症。循環気質は躁鬱病。粘着気質は癲癇。このようにドストエフスキーの作品においてはムイシュキンの性格が「爆発と粘着」として反映されているという。
 第二に、小説家としての見解であるが、小説家は物語を考え出すのではなく、まず人物を考え出すものであり、ストーリーから考えてはいけないという。それではドストエフスキーにおいてはどうかというと、登場人物の外見の描写から人物の内面を描くという手法をとり、こういう性格の人だとは書かずに、外見の描写だけで内面がわかるようにしていると加賀乙彦はいう。例えばフョードルの外面描写「長いだぶだぶした肉の袋が垂れて、小さいけれど脂ぎった顔に沢山な皺が深く刻まれているばかりか、尖った頤の下からまるで金入れのようにだぶだぶした、細長い大きな瘤がぶら下がっている。」この外面描写をするだけで、全体的に「だぶだぶ」していて、それが「いやらしい淫乱な相を与える」という、フョードルの性格がわかるという。また、ドストエフスキーは人物の顔の描写に特に優れているが、イワンの顔の描写だけはいくらさがしてもみつからないという。
 人物の造型法としては、矛盾したものが一人の人間のなかに共存しており、例えにだして、スタヴローギンは少女を犯してその少女は自殺するのが、このことをチーホン僧正に告白するという敬虔なところもあり、キリーロフも、自分は死ねば神になると言うが、一方でキリストを賛美している。シャートフも善良な男であるが、ひどく残忍で、怒り狂う人物であるという。このような人物の描き方がドストエフスキーの造型法だという。
 小説家が書きやすいのは悪人であり、善人は非常に書きにくく、幸福な家庭も、恋愛小説ももはや、もてはやされることがなくなり、要するに何らかの危機が訪れないと小説にならないという。恋愛に関しては、いいふるさていることだが、ドストエフスキーの小説は三角関係が成立することによって小説になるという。
 筆者が、加賀乙彦の小説家の観点において賛同できるものは、スヴィドリガイロフの描き方の見解においてである。ドストエフスキーはスヴィドリガイロフをどうしようもない人間として書いているのではなく、このタイプの人物を極めてリアリティのある、読んで同情心が起こるように書いているという。これがドストエフスキーの創作術であり、この点には賛同できる。
 第三に、宗教的観点の見解からとして、ドストエフスキーの宗教観を論じた本は非常に少なく、小林秀雄の『罪と罰』には、キリスト教との関係を一言も述べていないし、江川卓『謎とき「罪と罰」』にもラザロの復活の意味を重視してなく、江川卓自身がキリスト教信仰というものに全く関心がないという。こういう加賀は、『罪と罰』を宗教小説の傑作だという。筆者はドストエフスキーの信仰に関しては興味があるが、キリスト教の観点から論じることにはあたいしない者である。『死の家』後の四大小説の底流にあらわれているものは、「神と悪」の問題であり、ナスターシャ・フィリポヴナを殺害するロゴージンは悪にいくまで、悪とは反対のものとして神の存在がちらつくという。神も悪魔も上から垂直に物語に降りて来る、それが書き手においては重要なものであるという点と、ラスコーリニコフの次の場面、「彼は外套のボタンをはずし、斧を輪っかから抜きだしたが、まだすっかり外へは出さず、服の上から右手で押さえていた。手の力はまったく抜けてしまっていた。一刻ごとに、両手がなまり、こわばっていくのが、自分でもはっきりと感じとれた。(略)・・・突然、くらくらと目まいがしてきたようだった。」全身の力が抜けて、くらくらする。ドストエフスキーは、自分の意志を越える何かの力によって、自分が動かされている感じを出そうとする。加賀はこの点をドストエフスキーの信仰の形からみると、神が上から見ている感じがし、神が上から見ていて、犯行する時に全身の力を奪ってしまうと述べている。神の視点というものをここで出してよいものであろうか。
 ポリフィリィにもキリスト教的なものの考え方をしているということである。愛する者を叱ったり罰したりすることを人間はしてはいけない、これは「ヨハネ黙示録」に出る言葉で、愛する者を罰しない。改心させれば充分というものの考え方が、キリスト教には非常に強くあるという。
 また、マルメラードフの言っていることは、すべての聖書の言葉で、最後に「主よ、御国をきたらせたまえ」この言葉も聖書の言葉で、マルメラードフの考え方がソーニャに伝わり、ソーニャが聖書を読むシーンが大事になってくるという。ポリフィリィの点と、マルメラードフの観点は、筆者がキリスト教に関して無知なのか、本書を読んでいて、辻褄合わせにすぎないのではないかと思った。
 ここまで、加賀乙彦の三つの立場の見解を述べてきたが、いくつかの疑問点が残った。この事について述べるとする。
 ドストエフスキーはニーチェの熱烈な愛読者であったと述べられている。ニーチェはドストエフスキーを読んだがニーチェの主要なものは80年代に出たのであり、ドストエフスキーはニーチェを知ることができなかったはずであり、ドストエフスキーはニーチェを愛読していない。ちなみに、ニーチェが読んでいたドストエフスキーの小説は『地下的精神』(「主婦」の全訳と「地下生活者の手記」の第二部の要約)『死の家』『虐げられた人びと』重要なのは『悪霊』を読んでいたということである。ニーチェ全集の遺された断想という中に、悪霊の覚え書きがある。ニーチェとドストエフスキーとの関連に関しては、興味をそそられるが、このことは奥が深くここで述べきることはできない。次の疑問点は、キリーロフが自殺するのは「超人」になるためだと加賀は書いているが、これもまた、ニーチェにかかわってくることである。『文学的ニーチェ像』(秋山英夫著)の中の「ドストエフスキーとニーチェ像」の章の中に、「「超人」という考えが『悪霊』のキリーロフの言葉にすでに出てくることはメレジュコフスキーのすでに指摘しているところ」とあり、著者はメレジュコフスキーの受け入れをしたのではないだろうか。この二点はニーチェがらみであるが、次に『白痴』の中の問題点である。ドストエフスキーが書こうとしたのは、世のなかで最も悪い人間、ロゴージンのような悪の権化を書きたかったと本書には書いてある。これもまた、納得しがたい。一八六八年一月十三日付けの姪のソーニャ・イワノワあての手紙でドストエフスキーは「この長篇小説の主な思想は、完全に美しい人間を描くことです。」この長い手紙で、キリストと、ドン・キホーテを引き合いに出している。ドストエフスキーは『白痴』の中で、ムイシュキンを描こうとしたのであり、ロゴージンではない。
 次に『悪霊』である。スタヴローギンの指令によってピョートルはシャートフを殺害したと書いてある。「二つの「ドストエフスキー」の間に」(すばる 二〇〇六年8月号)で亀山郁夫は、『悪霊』のシャートフ殺しは、スタヴローギンのそそのかし、教唆によるものだとする加賀乙彦に対して、質問を出し、加賀の回答はスタヴローギンが教唆したのはピョートルで、実行犯はピョートル、その背後にスタヴローギンがおり、スタヴローギンが元凶であるからして、スタヴローギンを自殺させることにより、物語は完結しているという。ピョートルは逃げてしまったけれど、スタヴローギンは逃げずに責任をとった。亀山は、この加賀のような解釈は初めて聞いたという。ここにも疑問点が残る。マトリョシャとスタヴローギンの問題がここでは抜け落ちているのではないか。
 昨今、文学が終わりをつげているという論調がいわれているが、文学においての批評精神がなくならないかぎり、文学の終わりはなく、とっかかりのよいこの種の本に興味をそそられて読むのではなく、ドストエフスキーの作品をただひたすら一人一人が読むことにおいてしか(自戒も含めて)人間の謎、人間の内なる人間を問うた、ドストエフスキーに近づく唯一の道なのではないだろう



『カラマーゾフの兄弟』とは何か 


 『カラマーゾフの兄弟』とは何か。たくさんの評論や研究書はあります。が、やはり本家本元の米川正夫氏が最高峰です。忘れてしまった人、見逃している人の為にテキスト『ドストエーフスキイ全集 別巻』から氏の解説を何回かに分けて転載します。(編集室)

第十五章 

B 三兄弟の道、行動・思索・信仰

 カラマーゾフ一家の統一体としての意義は、女性との関係を通していっそう明瞭になる。フョードルは息子ドミートリイと一人のグルーシェンカを争い、イヴァンはドミートリイの許婚カチェリーナに恋し、カチェリーナはイヴァンを愛しながら、ドミートリイに復讐感のまじった牽引を感じている。なおその上に、グルーシェンカは、自分を淪落の女と感じるコンプレックスから、聴法者のアリョーシャを誘惑しようとする。ただし、解説の中でも一言したとおり、ドストエーフスキイの作品において、女性はただ補助的な役割をつとめるに過ぎない。たとえば、トルストイの『戦争と平和』など、もしナターシャがいなかったら、あの長編の魅力は半減するだろうし、『アンナ・カレーニナ』はまさしく題名の示すとおり、悲劇の唯一の女主人公であり、『復活』ではカチューシャこそトルストイの名に価するけれども、ネフリュードフにいたっては、芸術品と認めることができない。それに比して、ドストエーフスキイにおいては、『罪と罰』のソーニャにしても、人間像としては陰の薄い、なかば抽象的存在の感があるし、『悪霊』にあらわれる四人の主要な女性も、どれが真の女主人公であるかを決定しがたい。(ここまで前号と重複) 『未成年』のアフマーコヴァも、普通の小説作法の観念からいえば、木偶にひとしい。ただ『白痴』のナスターシャだけは、悲劇の女主人
公の重みを備えているが、もしムイシュキン公爵という「しんじつ美しい人」がいなかったら、彼女はメロドラマの主人公に近いものになってしまったであろう。グルーシェンカやカチェリーナについても、同様なことがいえる。
 三人の兄弟とその父親、および私生児のスメルジャコフを入れて、これらの五人を物語の骨格とするなら、その中核をなすものは、神はありやなしやという、一見きわめてプリミティブな、しかも神学・哲学を通じて、最高至難な問題である。しかも、こういう宗教的・哲学的なテーマが、父親殺しという探偵小説的なストーリーと結び合わされている。
 『罪と罰』も探偵小説的要素が、作品の主要な魅力になっているが、しかしラスコーリニコフにおいては、彼が犯人であることは、最初から読者に明らかにされていて、ただいかにして彼が司直の追及をのがれるかということに、探偵小説的興味の大部分がかけられていた。
 ところが『カラマーゾフ兄弟』では、、純朴なドミートリィの無罪を漠然と感じている読者も漠然と感じている読者も、ほとんど最後にいたるまで、スメルジャコフが真犯人だという、決定的な確証を与えられない。その意味において、この長編こそ、最高の芸術作品・思想小説の中に、推理小説をあざやかに生かした、たった一つの例外ということができる。ドストエーフスキイは『カラマーゾフの兄弟』において、驚くべき構築の均斉の上に、巧妙をきわめた演出法さえも完成したのである。彼が自家の小説作法において、必要かくべからず一つの要素とした大衆的興味は、ここにおいて興奮の域にまで高められている。しかし作者は、こうした大衆的興味を、深遠な哲学思想にていする糠衣的なうごきをさせようとしたのではない。ドストエーフスキイの芸術の根底をなすものは、比類なきダイナミックな力であって、彼の作品にあらわれた思想は、爆発的なダイナミズムに充ちているが、事件にもそれと同様な力を与えるためには、「興味」「面白さ」をもって、読者を遮二無二ひきづっていかなければならないのである。ドストエフスキー芸術の根底は「比類なきダイナミックな力」
以下、次号「通信115」に続く



『カラマーゾフの兄弟』まで
 (年譜・書簡から)

ドストエフスキー晩年の10年をみる

■1871年 四年ぶりの帰国。長男も誕生して充実の10年間がはじまった。『悪霊』発表。
■1872年(51歳)ペテルブルグの南方約200`の鉱泉地スターラヤ・ルッサに避暑。生活のために右派雑誌『市民』の編集長を引き受ける。「作家の日記」欄もつ。12月『ロシア報知』に『悪霊』第三編後半発表。完結。
■1873年(52歳)2月『祖国の記録』で『作家の日記』、『悪霊』批判される。6月『聖ペテルブルグにおけるキルギスの代表者たち』を『市民』に無許可掲載のかどで検閲規定違反に問われる。罰金25ルーブリ、拘置2日間の判決。夏、スターヤラ・ルッサ、グリッペ中佐の別荘に住む。『悪霊』をかなりの部分によって改訂、単行本とする。
 ペテルブルグ刑務所の青少年犯罪者収容所を訪れ、浮浪児の精神状態についての資料を蒐集。哲学者ヴラジミール・ソロヴィヨフと交遊はじめる。
■1874年(53歳)3月サマーラ県の飢餓救済運動に参加。『市民』編集長辞職。
■1875年(54歳)『未成年』(青年の手記)連載開始。子供の乞食に興味。質問。
■1876年(55歳)『作家の日記』刊行開始。『百姓マレイ』、コルニーロワ事件。
■1877年(56歳)「アンナ・カレーニナ論」、重患のネクラーソフを再三見舞う。ネ死去。
■1878年(57歳)次男アレクセイ癲癇発作で死亡。『カラマーゾフの兄弟』構想。
■1879年(58歳)『カラマーゾフの兄弟』「ロシア報知」に連載開始。
■1880年(59歳)『カラマーゾフの兄弟』を「ロシア報知」に続載。プーシキン記念。
■1881年(60歳)1月28日午前7時、アンナに死を予告。午後8時30分永眠。
 



プレイバック読書会

 
 全作品の読みは、今年4サイクル目を終了する。過去の読書会の皆さんは、どんな読みをしていたのか。本欄では、主に初期の読書会での様子を紹介してきました。今回は、最後の作品『カラマーゾフの兄弟』です。20年前1989年11月に開かれた報告要旨です。

平成元年・『カラマーゾフの兄弟』第二回報告
カラマーゾフと子供たち(「ド会報No.112」1990・3・16発行より )

岡田多恵子

 何年かぶりで『カラマーゾフの兄弟』を読んでみてあらためて、その内容の深さ難解さにどこから手をつけてよいのかわからなくなってしまう。それはまさに山登りに似ていてコツコツと登りながら途中には石ころだらけの道や谷に出合ったり、また美しいお花畑に出合うなどいろいろ経験しながらやっとの思いで頂上にたどりつき、、頂上に着いたときの気持は爽快感と満足感で満たされていた。そんな思いであった。いずれにしても私自身幼児相手の仕事をしている関係上、子供の姿に目を向けて考えてみたいと思った。
 『カラマーゾフの兄弟』の中での子供の存在とはどんな位置をしめていたのであろうか。ドミトリーが飲んだくれの二等大尉のひげを引きずりまわし屈辱を与えた時、その周りを息子がぐるぐる駆け回りながら赦しを乞うていた姿、どうしょうもない父親でも自分にとって大切な存在であり、それを屈辱することは赦せないことである。それは後になって弟アリョーシャをかみつく結果となり、より強く子供に目を向ける結果ともなる。子供にとって親というのは選ぶことができない。そのため一つの運命としてどこまでも引き受けて行かなければならない。子供はまだ白紙の状態であり、あらゆる可能性を含んでいるにもかかわらず親によってある種の運命を決定されているともいえる。
 イワンが「神の作ったこの世界だけは認めたくない。それはこの世に罪なき者の苦しみがあるからだ」と言い幼児虐待の例をいくつかあげている。そして「あの罪なき子供の苦しみは、どんなふうにあがなわれるのか」とある。大人は生きている間に多くの罪を犯して来る。だから苦しみを与えられても当然の帰結といえようが、生まれて何年もたっていない子供が、なぜそんな苦しみを受けるのか、こんな不合理な事は許されるのか、これらイワンの言葉は多くの人達の中にも起り得る疑問であると思う。子供は確かに素質的な個性(もの覚えが良く忘れない、少しもじっとしていず活発である。我が強くいやだといったら梃子でも動かない等)がある。しかし日常の生活や言葉、習慣等白紙の中から一つ一つ覚えていき、物の見方、行動の仕方など大人の姿のなかから身につけていることがわかる。身近な大人の行動一つ一つが責任を伴っているのだ。それらを考えるとき、もし回りの大人に優れた人達が多ければ、優れた子供集団が存在することも可能となる。しかし私たち大人もその前の世代の大人の生き方を見て、自分の生き方を選び取ってきたといえる。そのため多くの間違いをみてきたし、また自分もしてきたと思う。それは他人の行動は同じように感じ取れないという問題点があるからだ。見ているだけでは間違いも犯しやすい。しかし、こららの間違いや不幸を多くの人達に伝えることによって間違いをなくし、幸福な世の中が存在しこの世の天国が実現するかも知れないのだ。そのことを深く考え、この世の天国を実現すべく広く教えを伝えたのがキリストではないのか、ドストエフスキーも「キリストよりも美しく深く同情ある理性的な完全なものは、ないばかりかありえないと信じる」と言っている。この世の天国を実現するには、大人達が子供の純粋な心に戻ること、また少なくとも子供の心を裏切らない世の中を作ることだ。そのことをゾシマ長老が「子供を愛することは、彼らは天使のように罪を知らず、我々の感動のために、我々の心の浄化のために生き、いわば我々の指標だからじゃ」といったのだと思う。
 アリョーシャも最後の所で「少年時代から大事に保存した美しい神聖な思い出、それこそもっとも美しい教育かも知れません。そういう思い出を沢山持っている人は、一生涯、救われます」といわせることにより、子供に未来の希望をたくして終わっていることにも、その思いを知ることが出来る。
 そしてもちろん、これらの考えは、神が存在するか否かにかかわらず、この世を豊に気持ちよく生きていくための、人間の知恵といえるのではないだろうか。



4・18 読書会報告                 

『未成年』から『カラマーゾフの兄弟』報告者・長瀬 隆さん
 
 4月読書会は、第1会議室に27名参加の大盛会でした。女性13、男性14。初めての参加者が4名。(編集室)
4月18日読書会出席の皆さん27名(順不同・敬称略)
 
  報告者・長瀬隆さんは、『未成年』から『カラマーゾフの兄弟』に至る経緯において、長年の研究成果でもある「ドヴォイニーク(二重人、分身)」をあげられ、その関わりと重要性について熱く語られた。その関係性は、先の『江古田文学 66』に発表された「ドヴォイニークと作中作家」で多くを述べられている。
「『カラマーゾフの兄弟』には「私」を名乗る人物の序文が付せられている。・・・・」



<連 載>

「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                        第23回:大岡昇平と三島由紀夫のことなど

 福井勝也

 迷走的連載を続行してゆくが、前回の山城むつみ氏のドストエフスキー論については、氏自身の文藝誌での不定期連載に注目しながら随時とりあげてゆきたいと思っている。実は直近の「例会」(192回)傍聴記(「広場」18号合評会-感想)でも書いたことだが、ここでも少し触れておこうと思う。それは近時の「ドストエフスキー・ブーム」ともどこかで通底しているはずだが、ここ40年位堆積してきた議論はすでに停滞状況があって、それを打破する21世紀的な新たなドストエフスキー論が待望されているとの認識だ。そしてその有力な批評の一つが、山城むつみ氏のものだということだ。その方向性として、やや席巻し過ぎた感のある「バフチン的」ドストエフスキー論を原義的に捉え直すことから始まって、テキスト論的な形式的議論からより原理的なかたちでドストエフスキー論が再構築されてきている。一方今日、「時代」はいよいよドストエフスキー的状況を呈してきていて、専門的蛸壺的議論より実質的な処方箋的な読み直しが求められている。しかしだからと言って、ジャーナリスティックな議論だけが蔓延しても仕方ないわけで、これまでの議論をより深めるような原理的な探求が今こそ必要なのだと思う。その意味では、戦後何度かそのブームを越えて、ここで振り返るべき何人かの先達の議論が召喚されてくる必要性も感じている。すでに山城氏も取りあげている森有正氏などその代表だろう。まだ名前は出てきていないが唐木順三氏などもその候補かもしれない。あるいは、意外なところでは世界的なイスラム学者として著名な井筒俊彦氏(氏の学問的出発点には、ドストエフスキーを含む19世紀ロシア文学を論じた『ロシア的人間』(1953)という名著がある)などが議論にクロスしてこないか、期待したい。そしてそのベースには山城氏のドストエフスキー論とも深く関係している小林秀雄が控えているというのが僕の実感だ。議論の逆戻りということではなく、バフチンも含めての厳密な再読が意外な活路を示してくれる予感がする。この場でも僕自身、少しづつ紹介してゆきたい。

 ここで私事にわたる言及をさせていただくことをご容赦願いたい。実は、今年2月に85歳の父親を亡くした。大正12年生まれで、郷里埼玉の旧制中学を18歳で終えるとすぐに(昭和16年)大陸に渡り、当時の朝鮮総督府の京城(現ソウル)朝鮮ホテルに就職した。その後、北朝鮮北端の新義州ステーションホテルに異動、同18年12月に現地召集され以後38度線付近での軍務に着いた後、敗戦を当時の平壌(現ピョンャン)郊外の三合里収容所という場所で迎えた(22歳)。同時にソ連軍の武装解除を受け、以後24年7月舞鶴に復員するまでシベリヤで計8カ所のラーゲリで捕虜としての抑留生活(約4年)を余儀なくされた。
時代はスターリン体制下の収容所群島の時代であった。子供の頃の記憶で、酒に酔うと現地で覚えたロシア語の単語が数珠繋ぎになって父親の口から出てきたことが思い出される。それは収容所で生き抜くために身につけたロシア語であったが、それが抑留期間を延ばす原因にもなったと推測され、帰国の最終段階の調査尋問でもスパイの嫌疑をかけられたらしい。そんななかで帰国名簿に自分の名前を見つけた時の感激は大変なものだったと聞かされた。実は、生前から「自分史」的なものを書いているのは知っていたが、今回ややまとまったかたちで文章を読むことができた。敗戦直後の混乱のなかで悲惨だったのは、捕虜になった兵士達はともかく、引き揚げ者として一緒になった女子供の状況だったらしい。際どい話のいくつかを聞かされた覚えがある。しかし、不思議に(日本人よりも)ロシア人に親愛の情を抱いたことを感じさせられた。作家の五木寛之氏や古山高麗雄氏の名前を父から聞いたことがあったが、どうも朝鮮で近しい?ところに居たことが後でわかって数年前に連絡を取ったらしい。父と同様の独居老人の古山氏からは何か連絡が来ていたらしいが、氏もすでに数年前に他界された。氏の戦争体験を書いたシリーズは有名で、その代表作(「プレオー8の夜明け」)は芥川賞も受賞されている。8ケ月に及ぶ入院で人工呼吸器を装着したり外したりで、気管切開の状況は最後まで続き十分な会話ができなかった。そんな入院初期には、妄想が出て「ロスケ、ソ連兵が隠れている」と繰り返し怯えたように天井を指さし、震える手でどうにか判読可能なメモ書きを見せられた時にはショックだった。実は、ロシア・ソ連との因縁は父親の実父(私の祖父)以来二代続いている。入院途中、埼玉の実家から祖父(明治15年生)が日露戦争に従軍して傷痍軍人となり(203高地でと聞いている)、義足とともに恩賜された立派な杖があって、それがお守り代わりに病院に届けられた時にはさすがに驚いた。

 父親の話はとりあえずこれ位にして、今回は作家の大岡昇平(1909-1988)と三島由紀夫(1925-1970)の二人についてとりあげようと考えた。勿論、ドストエフスキーと絡んだ話のつもりだが、結論的に言ってしまうと、その戦争体験の全く違っている両者が、実はこれもまた大きく違う作家人生(最期、その死に方まで)を歩みながら、その文学の本質を理解する時、深く共通する根っこが在ることに気付かされたことによる。そしてその根っこの部分にドストエフスキー文学との関係を発見させられた。もう少し先回りして話すと、確かに違い過ぎる両者の戦争体験(大岡にはライフワーク「レイテ戦記」があるとおり、一兵士としてフィリピンでの苛酷な従軍とそこからの復員体験があった。一方、三島は遺書まで認めながら入隊検査で即日帰京になってしまい、学生としての勤労動員体験があった程度。)がその出発点にありながら、この二人ほど<昭和>という時代を刻印する<戦争>に徹底的に拘ることで、その生きる姿勢を共有した文学者は他にいないと気付かされたということだ。
 文学史的には、二人の戦後における文学デビューは相前後していて(大岡、昭23年『俘虜記』・『野火』、三島、昭24年『仮面の告白』)、二人は鎌倉ゆかりの文人同士の「鉢の木会」で仲間と同席したりしている。しかし一方で、三島は「戦後派」の「近代文学」の同人にもなっていて、概して昭和30年代半ば以降にはっきりしてくる文壇内のイデオロギー的色分けは、この時期にはまだ希薄だったと言える。そしておそらく、この二人を固定観念的な政治的フィルターから見る限り、その作家(=人間)的同質性はいつまでも見えてこないのだと思う。そこに世代としての<戦争体験>の刻印の深さを目印として、ドストエフスキー文学をメジャーとする時、その深奥な人間探求の共通性を測定・理解できるのではないか。結論をやや急ぎすぎた。とにかく二人の作品に即して考えてゆきたい。

 まず、大岡昇平の『野火』について考えてみる。この作品は同時期に先行発表された『俘虜記』が捕虜体験を語る記録文学として発表された後、それを文字通り小説(虚構)化した作品と言える。実は、『俘虜記』ではその「捉まるまで」の描写で、目前の米兵を射たずに結果的に見逃す「偶然」が問題になったが、『野火』では、飢餓状態で敗残兵として彷徨する兵士の人肉食(焦点は「殺して喰う」、殺人後の人肉食)の「罪と罰」が焦点となった。今回偶々、父の死の直後にこの作品を読み直す機会に恵まれたが、全体39章の緊密な構成と何よりもその明晰で簡潔な文体に魅了された。評論家の秋山駿氏だったか、この形而上学的主題を孕んだ文章を「思考する文体」と的確に表現したが、このような文体が戦後文学で結実した事実に文学史的驚きをまず感じた。そしてこれは単に大岡氏の文学的教養形成(この中には、大岡自身のスタンダールへの傾倒、小林秀雄等の文学仲間からの影響、例えばベルクソンの哲学、そしてドストエフスキーの形而上学的文体の影響等)の寄与もさることながら、何よりも『俘虜記』と『野火』の文体を大岡氏に可能にさせた<戦場の戦果>なのだろう。さらにこの点では、大岡氏がドストエフスキーを端的に問題にしている箇所があって気になった。島の中を食料等求めて探索している主人公の兵士が十字架に導かれるように辿り着いた教会で、比島人の男女を射つ場面の描写である。

 「私は射った。弾は女の胸にあたったらしい。空色の薄紗の着物に血斑が急に拡がり、女は胸に右手をあて、奇妙な回転をして、前に倒れた。男が喚いた。片手を前に挙げて、のろのろと後ずさりするその姿勢の、ドストエフスキイの描いたリーザの著しい類似が、さらに私を駆った。また射った。弾は出なかった。」(19章の塩、下線、斜体字は筆者)
実は、この箇所の的確な解説を見つけた。講談社文庫版の『野火』の解説で柄谷行人の文章である。こちらも以下合わせて引用しておこうと思う。
    「これは(筆者引用下線部分)奇妙な表現である。<私>は後ずさりをする姿勢に<文学>を見出して腹を立てているのである。大岡氏の自負心が、むしろ<文学>を軽蔑するところにあったことに注目すべきだろう。《戦場には行為と事実があるだけである。あとは作戦とか物語である》《行動に到らない不確定な人間心理については心理小説家に任せる》。(「俘虜記」)要するに大岡氏は醒めきっている。この醒めきった精神は、自己の中の<文学的なもの>を科学者のメスで切りさばくことにむしろ冷たく暗い喜びを感じているかにみえる。氏の硬質で明確そのものを期した文体は、ある意味では<文学>に対する報復行為にほかならかいのである。」
「俘虜記」の文章も引用されていて、柄谷氏のこの点での着眼は流石だとしか言いようがない。ついでにやはり『俘虜記』の「捉まるまで」の表現で大岡がドストエフスキーに言及している部分を引用しておこう。章の終わり近くで彷徨する<私>が水を求めて川まで歩こうとしながらも、極度の疲労からとにかく眠りに入ろうとして眠れずに幻聴に襲われて思わず反応して、「よせやい、お前なんかいやしねえの知ってるぞ、みんな熱のせいなんだ」と幻影を相手に言葉を投げかける場面である。

 「同時に私はこれが<カラマーゾフの兄弟>のイワンの二重人格の場合と同じであることに気が付いた。この発見は不愉快だった。私はこの生涯の最後の瞬間に、私の個人たるべき幻覚においてさえ、なお先人に教えられたところに浸透されているのを苦々しく思った。さらに私は私の幻覚が妙にインテリくさい内蔵のストライキだったのが気に食わなかった。いっそ鬼か般若が出て来ればいい。私は幻覚等の基礎をなす私の意識の或る層が、こうした下らぬ知識によって充たされていることを今更知りたくなかったのである。」
 
 これまでの引用から大岡氏が『俘虜記』・『野火』という作品にかけた作家としての覚悟が明かだと思う。ドストエフスキー文学を知識人的な教養の一部として受容してきた自己を拒否しているわけで、それは戦争に赴くまでの自分自身を殺す、自死でもあったのだ。そしてそれは、『俘虜記』を書くことを大岡に薦めた文学・人生の師でも親でもある小林秀雄に対する「父殺し」とも読める酷薄なものである。そしてそれがどこからもたらされたのかも明かである。『野火』の主人公は、実は復員兵であって、戦場での記憶から精神に異常を来して拒食に陥り6年間もの入院生活を余儀なくされている。いや正確には、自分から進んで「狂人」を志願しているとも読める。結局、読者が読まされている「小説」は「狂人の手記」であることが最後の方、第37章 狂人日記でわかる仕掛けとなっている。ここでさらに柄谷行人の解説の一部を引用しておこうと思う。
「戦争の実際、これは私には想像するほかないが、大岡氏がもった体験は大なり小なり戦死を覚悟して生き残った他の人々もまた所有している。違うところは、死を覚悟することと生きのびてしまうこととの間にひらいた深淵を凝視しつづけるか否かにある。そして、この過程全体がどこまで明晰に自覚されているか否かにある。この深淵をたやすく踏み越えたとき、彼は『野火』の主人公が嫌悪した戦後社会の人間としてやすやすと生きていくことができるだろう。いうまでもなく、戦後文学者の大半はこれを踏み越えた。踏み越えられなかったのは『野火』の狂人であり、大岡氏のなかの本質的部分である。」
とりあえず、今回はここまでにして次回に繋げたいと思うが、大岡氏の『野火』はその復員後開始された戦後人生への宣言文でもあったわけだ。では、三島はどうであったか?  (2009.6.28)     

近刊紹介   福井勝也著(2008・2 のべる出版)定価1400
『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』
※ ご希望の方は、書店か著者、または「本通信」編集室まで連絡ください。



ドストエーフスキイ情報


最近ドスト情報(6・2) 提供・【ド翁文庫】佐藤徹夫さん

<作品・漫画>

・『悪霊』 <まんがで読破> ドストエフスキー原作、パラエティ・アートワークス
    企画・漫画 イースト・プレス 2008年12月15日 \552 191p
    14.5cm
・『罪と罰 5』 落合尚之著 双葉社 2009年3月28日 \600 184p
    18.2cm <ACTION COMICS>

<図書>

・『白夜に紡ぐ』 志村ふくみ著 人文書院 2009年2月10日 \2800 228p
    21.6cm
    ・白夜に紡ぐ ドストイエフスキイ・ノート p67−157
     (サンクト・ペテルブルグの街角で; 虫喰い頁; 虐げられし人々;
      死の家の記録; 罪と罰; 白夜; ドストイエフスキイ・ノート)
・『演劇の一場面 私の想像遍』 小島信夫著 水声社 2009年2月15日
    \2000 195+3p 19.4cm <水声文庫>
    ・カフカ、ドストエフスキー、『リア王』 p27−34
・『日曜日の随筆 2008』 日本経済新聞社編 日本経済新聞出版社
    2009年4月8日 \1700 266+2p 19.3cm
    ・十月 ・ペテルブルグの48時間/亀山郁夫 p206−210
・『文豪おもしろ豆事典』 塩澤実信著 北辰堂出版 2009年4月10日
    \1400 217p 18.8cm
    ・大文豪編 ・ドストエフスキーの賭博狂時代 p78−79
・『ロシア精神史への旅 野口和重ロシア史論集』 野口和重著 彩流社
    2009年4月17日 \3200 297p 21.7cm
    ・[主に、第二篇「西欧近代」を問う、第三篇「ロシア霊性」への旅、
     第四編ロシア人の信仰 に於いて、ドストエフスキーと作品に言及]
・『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内』 小谷野敦著 新潮社
    2009年4月20日 \720 222p 17.3cm <新潮新書・308>
    ・第三章 私には疑わしい「名作」 ・ドストエフスキー p166−181
・『ドストエフスキー 共苦する力』 亀山郁夫著 東京外国語大学出版会
    2009年4月20日 \1400 268p 19.3cm <Pieria Books>
    ・I 運命と意志に引き裂かれて―『罪と罰』; II 聖性と性の真実―
     『白痴』; III 神のしかばね―『悪霊』; IV 父殺しの深層―『カラ
     マーゾフの兄弟』
・『打ちのめされるようなすごい本』 米原万里著 文藝春秋 2009年5月
    10日 \781 583p 15.3cm <文春文庫・よ-21-4>
    *初版:2006年10月15日刊
    ・第一部 私の読書日記 ・情報分析官・ドストエフスキー・孤高の
      日本 p289-293
    ・第二部 書評 1995〜2005 ・1999 ・二〇世紀の名著 ミハイル・
      バフチン 『ドストエフスキーの詩学』(ちくま学芸文庫) p425−
      427; ・2004 ・空前の「謎解き」作家論 亀山郁夫 『ドストエフ
      スキー 父殺しの文学』(NHKブックス 上下巻) p535−537
・『『罪と罰』ノート』 亀山郁夫著 平凡社 2009年5月15日 \780 293p
    17.3cm <平凡社新書・458>  *内容項目は省略
・『独断流「読書」必勝法』 清水義範著、西原理恵子え 講談社 2009年
    5月15日 \629 380p 14.9cm <講談社文庫・し-31-40>
    *初版:2007年4月27日刊
    ・第10巻 『罪と罰』 p169-183
・『ドストエフスキーの世界観』 ベルジャーエフ 斎藤栄治訳 新装復刊
    白水社 2009年5月30日 \3500 293p 19.4cm 
    *「書物復権」共同復刊 初版:1978年刊
・『魅せるひとの極意 愛読書に一流の哲学をみる!』 asta*編集部編
    ポプラ社 2009年6月2日 \1200 181p 19.4cm
    ・ヴァイオリニスト 庄司紗矢香 p173−181 *中程、「ドストエフス
     キーで世界観が変わった p178-179」を含む
・『世界文学は面白い 文芸漫談で地球一周』 奥泉光×いとうせいこう著
    集英社 2009年6月10日 \1600 315p 18.9cm
    *初出:「すばる」 2006.1〜2008.10(9回)
    ・8 ドストエフスキーの『地下室の手記』の主人公は空気読みすぎ
     p247-280
・『新釈 罪と罰 スヴィドリガイロフの死』 三田誠広著 作品社 2009年6月
    15日 \2400 437p 19.5cm
    *帯文:小説によるドストエフスキー論 第一弾
         「謎多き名作を脱構築し再小説化する新しい試み」
・『すらすら読めるドストエフスキー』 桃井富範著 彩図社 2009年7月7日
    \1300 255p 18.9cm
    ・(1章 ドストエフスキー作品を読むための基礎知識; 2章 ドストエ
     フスキー作品の長編解説; 3章 ドストエフスキー作品をより有意義
     に読むために; 4章 ドストエフスキー全作品紹介)
・『ゼロの王国』 鹿島田真希著 講談社 2009年4月20日 \2800
     611p 20.7cm
     *初出:「群像」 2008.1〜2009.1

<逐次刊行物>

・<書評>「罪と罰」における復活 ドストエフスキイと聖書 芦川進一著/
     2007 河合文化教育研究所/斎藤英介  *英文
     「教育研究(国際基督教大学)」 51(2009.3) p173−174
・「黙過」とは何か ドストエフスキーと現代/亀山郁夫
     「をちこち(国際交流基金)」 28(2009.4.1) p58−61
・新 家の履歴書/亀山郁夫、取材・構成:三宅玲子
 [宇都宮の実家での人間模様は、まるで「カラマーゾフの兄弟」のようでし
  た。]
     「週刊文春」 51(17)(2009.4.30) p90−93

・ドストエフスキーの預言 第一回 ホドスラビッツェ村/佐藤優
     「文學界」 63(5)(2009.5.1) p10−22
・ミーメーシスと「ゼロの王国」/鹿島田真希
     「本」 34(5)=394(2009.5.1) p58-60
・「罪」と「復活」 ドストエフスキイと福音書/佐藤研、芦川進一、小田原紀雄
     「リプレーサ Ripresa」 08(2009.5.8) p10−22
・<文芸季評2009> 労働 作品世界の要素/池田雄一
     「讀賣新聞」 2009.5.9 夕刊 p11 *『ゼロの王国』を論ず
・<この一冊> 「貧しき人びと」 フョードル・ドストエフスキー、井上満訳
     角川書店  日本の世相と重なる/小林領子
     「日本とユーラシア」 1384(2009.5.15) p6
・鹿島田真希さんが新刊『ゼロの王国』  『白痴』の主人公を現代日本に/
     都築和人
     「朝日新聞」 2009.5.28 夕刊 p7
・<書評> ゼロの王国 鹿島田真希著  人間の根源巡る果てしなき問答
     /佐々木敦
     「讀賣新聞」 2009.5.31 p20
・絶望の淵から生まれた「希望の書」  『『罪と罰』ノー』の著者から/亀山
     郁夫  *<特集:平凡社新書創刊10周年>
     「月刊百科」 560(2009.6.1) p3−4
・<マンガだけでも、いいかもしれない。・36> 落合尚之版『罪と罰』の現代
     的リアリティ/中条省平
     「星星峡(幻冬舎)」 12(6)=137(2009.6.1) p78-85
・<ドストエフスキーと十人の日本人 1 響き合う魂> ドストエフスキイと
     福沢諭吉  「一身独立」の行方/芦川進一
     「福音と世界」 64(6)(2009.6.1) p8−11 *10回連載予定
・ドストエフスキーの預言 第二回 『ロシアとヨーロッパ』/佐藤優
     「文學界」 63(6)(2009.6.1) p240−250
・<本> 目で聴くことば 『ゼロの王国』―鹿島田真希/長野まゆみ
     「新潮」 106(7)=1254(2009.7.1) p118-127
・<対談> ドストエフスキーと現代の殺人/亀山郁夫×平野啓一郎
      「中央公論」 124(7)=1503(2009.7.1) p118-127
          *<特集:ネット時代の「罪と罰」>
・ドストエフスキーの預言 第三回 『ミラン・オポチェンスキー』/佐藤優
     p204−215; <文學界図書室> 「ゼロの王国」鹿島田真希
     「本当に美しい人」の躓き/水牛憲太郎 p250−251
     「文學界」 63(7)(2009.7.1)
*連載 ドストエフスキーとの旅/亀山郁夫  (土屋正敏さんからも提供)
     「日本経済新聞」 日曜版
     11 「地下室の手記」の思い出  2009.3.15 p25
     12 「白痴」あまりに刺激的な  2009.3.22 p23
     13 ジッドを読んだ夏      2009.3.29 p27
     14 学園紛争の記憶      2009.4.5  p25
     15 サルトルへの違和感    2009.4.12 p23
     16 運命感じた「罪と罰」    2009.4.19 p25
     17 「運命の書」と「意志の書」 2009.4.26 p23
     18 犯罪と量刑の不条理    2009.5.3  p23
     19 救いは大地の底から    2009.5.10 p23
     20 ネヴァ川の橋の上で    2009.5.17 p25
     21 「一億倍の醜悪」とは    2009.5.24 p25
     22 パリの白い棺        2009.5.31 p23
     23 三島が見通した美学    2009.6.7 p25
     24 「悪霊」と唯我論       2009.6.14 p25
  



ドストエフスキーと現代 

  オタマジャクシと『1Q84』
 
 先ごろ、日本各地でカエルやオタマジャクシの死骸が路上で、玄関先で、駐車場で見つかったというニュースがあった。取材は、どれも空から降ってきた、という見方だった。が、実際に空から降るところを目撃した人はいなかったようだ。この出来事について賢明なドストエフスキー読者は、ぴんと来たに違いない。「これは何かある」と。案の定、ほどなくして村上春樹氏の『1Q84』の宣伝が新聞、テレビなどで一斉に報じられた。偶然かも知れない。が、疑惑は残る。どこかの田か沼で、カエルになるのを楽しみにして泳いでいたオタマジャクシを、無残にも撒き散らしたのは何者か。犯人像はわからぬが、もし関係するとしたら、見え透いた戦略である。しかし「やらせ」でも経済効果大。自然現象なら神のお告げで、ノーベル賞も夢でない。どちらに転んでもいいのだ。人間は何でもできる。何にでもなれる。

 2009年6月23日 朝日新聞「話題の村上春樹さん新作」
赤坂真理(作家)「日本の戦後がわかった」 森達也(映画監督・作家)「善と悪の彼岸はどこか」 亀山郁夫(ロシア文学者)「諷刺ではない恐ろしさ」


広 場

読書会バードウオッチング10名参加

 連休の5月4日(土)、読書会有志は、ラムサール指定地・谷津干潟散策とバードウオッチングを実施しました。10名の皆さんが参加しました。午前10時、集合でしたが、早くにきて待っておられた人もいました。駅前でお弁当を購入。ぶらり干潟に向かいました。途中のバラ園は、まだつぼみでしたが、潮風のなかに微かに薔薇の香を感じました。うす曇で、暑くもなく、寒くもなくお天気にもめぐまれました。3`余りのコースを2時間余りかけての散策。楽しい愉快なウオーキングとなりました。くすのきの木陰で、皆で食べたお弁当、おいしかったです。帰り道のコーヒー専門店では、にわか読書会開催となりました。               


谷津散策           新美しづ子

肩寄せて海風青葉風のなかをゆくドストエフスキーはしばらく忘れ

いるはずのないムツゴローの顔など仮想する谷津の干潟の陽にひかる泥

次の日も次の日も消えぬ花のいろ私のなかの栃の木の花

ふとみれば鈍(にび)いろの海がそこにあるあとになり先になり歩く道の辺

指さされし干潟の彼方陽を浴びて津田沼高校マッチ箱ほど

この今がふっと不可思議樹の下に友だち十人小雀一羽

習志野といえば即ち練兵場語り合いたきあの頃のひと

(茶房 蛍明舎 二首)

コーヒーカップは薔薇の花柄十人が四角く坐る優しい静謐

文学に寄せる思いを聴いている卓上の菖蒲白花ふたつ

青い朝苺ミルクとトーストパン昨日の余韻のなかにまだいる



東京外国語大学2009年度市民講座6・13 亀山郁夫学長講演「甦るドストエフスキー」
傍聴記:『カラマーゾフの兄弟』の魅力熱く         
土屋正敏

『カラマーゾフの兄弟』の魅力熱く、亀山郁夫さん公開講座に300人、「父殺し」めぐるイワンの悲劇、重大な自伝的要素、村上作品の類似性も
 
 去る6月13日、東京外大府中キャンパスにおいて、ロシア文学者で同大学長、亀山郁夫さんの公開講座「黙過のリアリティーーイワン・カラマーゾフの悲劇」が催された。亀山さんの新訳(光文社文庫)は100万部を突破、文学界の事件ともいわれたが、ドストエフスキーの傑作『カラマーゾフの兄弟』の魅力について語るその熱い思いが、詰めかけた約300人(同大調べ)の聴衆にリアルに伝わった。この作品のテーマが「父殺し」であり、極めて自伝的色彩が強いことなどが語られたが、「(世界的な文学作品は)自伝的側面が、想像の深みによってどう作品化されるかに尽きる」などとし、ロシアの生んだ作家ドストエフスキーの偉大さを、あらためて強調した。
 舞台右手から、ラフなブレザー姿で登場した亀山さん。その手には、既に145万部以上が刷られ、話題をさらった村上春樹さんの長編『1Q84』(新潮社)。朝日新聞社がコメントを求めるため、記者が本を自宅に差し入れたなどと語った上で、同じく父殺しがテーマの『海辺のカフカ』を含めた村上作品を絶賛。「文体に対する態度がドストエフスキーと似ている。リズムとリアリティーがあればいい」などとも語り、すべて口述筆記とされる『カラマーゾフの兄弟』との文体の類似性にも言及した。
 本題の「黙過のリアリティーーイワン・カラマゾフの悲劇」について―。「黙過」とは、「知っていながら黙って見過ごすこと」(大辞林)だが、無神論者でもある自分に傾倒しているスメルジャコフが、父フョードルを殺すかもしれないと予見しながら、実家を離れ、モスクワに去ったイワンの”未必の故意”。亀山さんは「イワンが犯人、(そそのかされた)実行犯がスメルジャコフ」と断定、最後には発狂するイワンについて、作家の真情を重ねるように語った。
 また、作家の父ミハイルが1839年6月、自分の領地チェレマシニャー村(作品に実名で記されている)で農奴たちに惨殺された”重大な自伝的秘密”を紹介した。この知らせを受けた彼は当時、17歳。ペテルブルグの工兵学校に在学中だったが、その心理的な衝撃は大きく、すざまじいヒステリーに見舞われた。作家がこれを、生涯苦しめられた「癲癇(てんかん)」の最初の発作とみなした事実も語られた。
 これに関連し、スメルジャコフという名前の語源「スメルド」には、「農奴(差別用語)」あるいは「いやな臭いを発する」という意味があること、またスメルジャコフは作中フョードルの非嫡出子とされており、カラマーゾフの兄弟というと普通、長男ドミートリー、次男イワン、三男アレクセイの3人を指すが、スメルジャコフを加えることで物語性が広がり、新たな光が射す可能性も示唆した。
 さらに、作家が10代までの終わりまでに父殺しを主題にしたソフォクレスの悲劇『オイディプス』を読んでいたと、ロシアを代表する女性研究家L・サラスキナさんが語ったと紹介。「(農奴による)地主殺しは末代の恥」一族の女性たちは嫁に行けなくなる」いった理由からか、作家が自分の父親が殺された事実を57歳まで約40年間、ひた隠しにしていたことも明かした。
 亀山さんは13歳の夏、『罪と罰』(池田健太郎訳)を夢中になって読み通したとどこかで書いていたが、講座では、『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』をロシア語の原文で読破し、訳書を出版できた達成感、喜びについても触れた。それが、私たち聴衆の胸に響き、印象に残った。
 講演は、約1時間半にわたって行われた。聴衆は老若男女幅広く、留学生と思われるロシア人女性の姿もあった。公開講座は「罪と罰の不条理―ラスコーリニコフはどう裁かれたのか?」というテーマで5月16日にも行われ、聴衆250人(同)が訪れた。
 (なお13日の講座には、「読書会」から、7名が参加)



掲示板

8月の暑気払い読書会は「『カラマーゾフの兄弟』と私」
 
 8月読書会は、暑気払い読書会として「『カラマーゾフ兄弟』と私」を行います。「私とドストエフスキー」でもかまいません。報告希望者はお申し出ください。一人15分見当です。報告者は、簡単なレジメをお知らせください。2時〜4時50分170分内として8名ぐらいで閉め切らせていただきます。7月25日までにお知らせください。
 報告(10分) → 質疑応答(5分) 7〜8名を予定。


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