ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.111 発行:2008.12.10
12月読書会は、下記の要領で開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。
月 日 : 2008年12月 20日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小1会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 〜 4時50分
作 品 : 『白痴』における虐げられた女性たちの考察
報告者 : 高橋誠一郎 氏
会 費 : 1000円(学生500円)
◎ 終了後は、2008年の忘年会を予定しています。会費5000円(年末・飲み放題)
会 場 : 「養老の瀧」 JR池袋駅西口徒歩3分 お待ちしています
時 間 : 午後5時10分 〜 7時10分頃
12・20読書会について
12月読書会は、高橋誠一郎氏に報告していただきます。当初は8月の暑気払い読書会で予定していましたが、都合により本年の大トリをお願いしました。ご了承ください。
また、報告内容についても本年読書会の支柱であった『悪霊』に絡めたものとお伝えしてきましたが、『悪霊』を論ずるなら、土台となる『白痴』をということで、『白痴』ふたたびとなりました。読書会は、目下、『未成年』から大団円の『カラマーゾフ』へと進んでいます。が、『白痴』→『悪霊』→『未成年』→ そして『カラマーゾフの兄弟』への道のりを知るためには、重要な報告ではないかと思います。ご期待ください。
なお、報告者の高橋氏は、現在、ドストエフスキー研究のほかに司馬遼太郎など八面六臂の活躍をされています。ご多忙の中の報告、感謝します。(編集室)
氏のドストエフスキー関連書物は、『「罪と罰」を読む』(刀水社1996)『この国のあした』(のべる出版2002)『欧化と国粋―日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水社2002)などがあります。昨年、出版された『ロシアの近代化と若きドストエフスキー』(成文社2007)は、昨秋、日本図書館協会の選定図書に指定されました。おめでとうございます。
最近は冊子『異文化交流 第9号』に「司馬遼太郎の韓国観・研究ノート」を発表。
発表内容の変更について―お詫びに代えて 高橋誠一郎
かつて亀山郁夫氏の『『悪霊』神になりたかった男』についての見解を求められた際に、私は自分の見解を明らかにしていませんでした。それゆえ、はじめは読書会の本年度の主なテーマとして取り上げられていた『悪霊』を中心に、『未成年』とのかかわりについて論じようと思っていました。しかし、『悪霊』論は次の機会に譲ることにして、やはり今回は書かれた順番にまず『白痴』を論じることにします。
なぜならば、『白痴』には『悪霊』で描かれる重要な思想や、『悪霊』の登場人物につながる重要な人物が描かれており、この長編小説のきちんとした分析が『悪霊』の正確な理解には欠かせないと思えるからです。(前号と重複します)
報告レジュメ
『白痴』における虐げられた女性たちの考察
―ナスターシャ・フィリポヴナの形象をめぐって
高橋誠一郎
はじめに――『悪霊』と『白痴』の主人公について
かつて若い世代向けに書かれた亀山郁夫氏の『「悪霊」神になりたかった男』(みすず書房、2005年)にいついての見解を記すように求められた際には、まだその本を読んでいなかったために私は自分の見解を明らかにしなかった。
しかしこの著作を読んだ後で私は、理想を目指して行動しながら結局は陰謀家スペシネフに操られたというペトラシェフスキー事件でのドストエフスキー自身やその友人たちの辛い体験や苦悩をもとに描かれたシャートフやキリーロフなどの形象についての分析がほとんどなされていないことに驚かされた。
たしかに、亀山氏は多くの重要な登場人物を省いて説明することにより、難解な作品『悪霊』を「分かりやすい」作品とし、さらにスタヴローギンの「告白」のみに焦点を当てることで強烈な印象を生み出すことにも成功している。しかし、『地下室の手記』の分析をとおして後に考察するように、ドストエフスキー作品の場合は論理が「蜘蛛の網」のように緻密にはり巡らされているのである。相互にきわめて深い関係を有している登場人物の複雑な体系から、重要な人物を除いた形で作品を解釈するとき、作者の意図とは異なった理解を生み出す危険性がある*1。
そして「テクストというのは、いったん作家の手を離れたが最後、必ずしも書き手のいいなりにならなくてはならない道理はないのです」と書いて、少女マトリョーシャの新しい解釈を示した亀山氏の『悪霊』論はそのような危険性を端的に示していると私には思えたのである*2。
ただ、亀山氏の『悪霊』論についてはいずれ詳しく論じることにして、ここでは『ドストエフスキー 父殺しの文学』(NHK出版、2004年)における『白痴』論に焦点を絞って論じることにしたい。
なぜならば、ここでムイシュキンを「残酷なゲームに見入る子どものように無邪気に、死にまつわるエピソードを撒き散らし」、「人々の心をしだいに麻痺」させていく存在と規定した亀山氏は、「かくして偽キリスト、僭称者としてのムイシキンが招換するのは、他でもない次作『悪霊』の主人公スタヴローギンなのです」と続けているからである*3。
たしかに『白痴』という作品には第一作『貧しき人々』のテーマの形象が色濃く見られるだけでなく、『悪霊』から『カラマーゾフの兄弟』へとつながる後期作品との関連も強く見られる。しかし、『白痴』においてドストエフスキーは、ムイシュキンにフランスの処刑制度を批判させながら「聖書にも『殺すなかれ!』といわれています。それなのに人が人を殺したからといって、その人を殺していいものでしょうか? いいえ、絶対にいけません」と明確に語らせていた*4。
つまり、決定稿におけるムイシュキンは、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老や、若きアリョーシャにつながる風貌を持っており、ペトラシェフスキー事件をふまえつつ、ネチャーエフ事件に関わったバクーニンなどをモデルとして描いた『悪霊』のスタヴローギンとは決定的に異なると思われるのである。
そしてこのような「哲学者」的な風貌を持つムイシュキン像は、5000万人以上の死者を出した第二次世界大戦の反省を踏まえて製作された黒澤明監督の名作「白痴」でも、登場人物を日本人に移し替えながらも、「滑稽」に見えるが、「一番大切な知恵にかけては、世間の人たちの誰よりも、ずっと優れて」いる人物として、きわめて説得的に描き出されていた。そして井桁貞義氏が書いているように、そのようなムイシュキン像は本場ロシアや海外の研究者たちによってきわめて高く評価された*5。
さらに、新谷敬三郎氏が「初めてみたときの驚き、ドストエフスキイの小説の世界が見事に映像化されている」と書いているように、「ドストエーフスキイの会」に集った日本の研究者たちも、同じような感想を抱いていた。 たとえば、「ドストエフスキーと黒澤明とはいわば私の精神の故郷である。他の多くの人にとってそうであるように」と記した国松氏も、ラストのシーンでアグラーヤ役の綾子が、「そう! ……あの人の様に……人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら……私……私、なんて馬鹿だったんだろう……白痴だったの、わたしだわ!」と語っていることに注意を促している*6。
一方、亀山氏の解釈によれば、「現代の救世主たるムイシキンは、じつは人々を破滅へといざなう悪魔だった。使嗾する神ムイシキン! けっして皮肉な読みではありません。ムイシキンは完全に無力どころか、世界の破滅をみちびく役どころを演じなくてはならない」のである(上、285)。
黒澤明による『白痴』の映画化が行われてからまだ50年ほどしか経ていない日本で、なぜ『白痴』の主人公の解釈にかくも激しい変化が起きたのだろうか。
この意味で注目したいのは、『悪霊』の亀山訳を鋭く批判した木下豊房氏が、当時問題となっていた建築家による「耐震構造」の疑惑の問題に言及しながら、少女マトリョーシャ像に関わる日本語訳が、亀山氏のドストエフスキー論の構造と深く関わっていることを鋭く指摘していることである*7。
実際、ポリフォニー的な構造を持つ『白痴』の解釈においても、作品の構造を支えているいわば「鉄筋コンクリート」にも相当するようなアグラーヤやガーニャだけでなく、ムイシュキンの厳しい批判者でもあったイポリートなどの重要な登場人物の解釈がほとんど省かれることで、ムイシュキン像がドストエフスキーが意図したものとは正反対となった可能性が強いのである*8。
一方、私自身はキリスト者ではないが、初めて『白痴』を読んだときからムイシュキンという主人公に軽薄な「ゲーム・マニア」のような若者ではなく、ドストエフスキーが与えようとした「キリスト公爵」としての風貌の一端を感じ、彼が語る「哲学」からは強い知的刺激や励ましをも受けてきた*9。
『カラマーゾフの兄弟』の新訳が100万部を越えるようなベストセラーとなるなど亀山氏のドストエフスキー論は、すでに社会現象化して若い読者だけでなく研究者にも影響力を持ち始めているが、大胆な見解をきわめて率直に示した氏は「愛読者からの厳しい批判」を謙虚に求めている(下、314)。
それゆえ私も、重要な登場人物たちとの関係をとおしてドストエフスキーが描こうとしたムイシュキン像を再考察することにより、私が考える『白痴』の意義をドストエフスキーの愛読者に率直に提示して批判を求めたい。ただ、時間や紙数などの関係から、本発表ではナスターシャ・フィリポヴナの形象を中心に考察する。
1.『白痴』の時代とナスターシャの形象
多くの研究者が指摘しているように『白痴』には、死にまつわるエピソードが多い。たとえば江川卓氏は、「とくに目立つのはムイシュキン公爵が死について語り、あるいは死に遭遇する機会が異常に多いことである」とし、「とにかくこの『白痴』では、いたるところに殺人、自殺、死がちりばめてある」と記している*10。
亀山氏もドストエフスキーが「ロシアから送られてくる新聞を貪るように読み、徐々に剣呑な状況へはまりこんでいく祖国の姿を遠方から固唾をのんで見守っていた」とし、「紙面にあふれかえる凶悪事件に、彼は文字通り圧倒された。ウメツキー一家事件、マズーリン事件、ジェマーリン一家惨殺事件、商人スースロフ殺人事件。『罪と罰』執筆時とは比べものにならぬほどの強い危機感が彼をとらえようとしていた」と書いている(下、30)。
たしかにこの指摘はドストエフスキーの当時の気持ちの一端をうがっているだろう。しかし、ドストエフスキーは『罪と罰』(1866年)で「悪人」と見なした「高利貸しの老婆」の殺害を行ったラスコーリニコフに、自分が犯した殺人と比較しながら、「なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうがより高級な形式なんだい」と反駁させていたが、同じ年に起きたプロシア・オーストリア戦争は、近代的な兵器による殺戮の大規模化と普仏戦争など新たな戦争の勃発をも予想させた。このような戦争の拡大や軍国主義に危機感を抱いた平和主義団体は「民族の平和と自由の思想」を広めるためとして、翌年の9月にジュネーブで国際会議を開いた*11。
そこでロシアの代表として演壇に立ったのが、プラハやドレスデンの蜂起に参加し、「サクソニヤとオーストリヤとロシヤでは囚人」となり、二度も死刑宣告を受けながらも、脱出に成功したことで英雄視されるようになっていたミハイル・バクーニンであった。
そのバクーニンは、ロシヤ帝国を「人間の権利と自由の否定の上に成立している」と糾弾し、「未来のヨーロッパ連邦」を築くために滅亡させることを要求した。グロスマンは「国際会議」でバクーニンが行った演説の内容を知ったドストエフスキーが「バクーニンを主人公にしてロシヤ革命を扱った小説を書こうという自分の意図」を固めたと書いている*12。「平和のため」としながらも「火と剣」を要求し、「あらゆるものが絶滅したあとに初めて平和が訪れる」としたバクーニンの主張が、ドストエフスキーにきわめて深刻な印象を残したことは確かだろう。
1862年の夏に「長いことあこがれ」ていた西欧への初めての旅行を行い、『冬に記す夏の印象』において「数百万の富を有し、全世界の富を支配する」ロンドンの繁栄だけでなく、労働者たちの住む貧民窟や「毒に汚されたテムズ河、煤煙にみちみちた空気」など近代科学が生み出した環境の悪化をも記したドストエフスキーは、そこでゲルツェンやバクーニンとも会っていたのである*13。
それゆえ、1869年11月にロシアでバクーニンとも深いつきあいのあったネチャーエフによる陰湿な殺人事件が起き、その翌月にはペトラシェフスキー・サークルの旧友でもあったドゥーロフの死を知ると、ドストエフスキーは『悪霊』のノートをとりはじめ、「スタヴローギン像の創造」に着手することになる。
なぜならば、非凡人は「自分の内部で、良心に照らして、血を踏み越える許可を自分に与える」のだとラスコーリニコフに説明させて、「良心」理解が誤った思いこみに陥った際の危険性を具体的に示していたドストエフスキーは、予審判事のポルフィーリイに「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」と批判させていた。そして、そのエピローグでは旋毛虫に犯されて自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに殺しあって、ついに人類が滅亡するというラスコーリニコフの悪夢が描かれていたのである*14。
ドストエフスキーがロシアのキリスト公爵として描こうとしたムイシュキンに、フランスの「死刑」を批判させることによって、「文明」の名のもとに自らの「正義」によって人を裁き、「他者」を殺すことへの鋭い疑問を投げかけていたことを思い起こすならば、『白痴』において死が多く描かれているのは、ある意味で当然だと思える。
実際、ドストエフスキーはムイシュキンにも「骨の髄まで悪のしみこんだ者でも、…中略…自分の良心に照らして悪いことをしたと考えている」が、自分の思想に基づいて殺人を行った者は、「自分のしたことは善いことだ」と考えていると指摘させているのである(3・1)。
しかも、『罪と罰』でラスコーリニコフの「自己中心的な理論」の問題点を指摘しただけでなく、暴利を貪る「高利貸し」の非道性も鋭く批判していたドストエフスキーは、『白痴』においても「こんな男なら、お金のために人殺しでもするでしょうよ。ねえ、いまじゃ人は誰でもお金に眼がくらんで、まるでばかみたいになっているんですからね」とナスターシャ・フィリポヴナに語らせ、「まだまったくの子供みたいな人までが、高利貸しのまねをしているんですからね」と続けさせているのである(1・15)。
ナスターシャのこの言葉は、近代西欧社会の現実を踏まえた上でのドストエフスキーの鋭い問題意識を反映しているといえよう。つまり、ドストエフスキーは『白痴』において金銭ばかりが重視され、金儲けのためには殺人をも厭わないような傾向をも示し始めたロシア社会を厳しく分析しているのである。
2.ナスターシャ・フィリーポヴナとトーツキイの関係をめぐって
『白痴』における主人公がムイシュキンであることには誰も異議はないだろうが、この作
品を書いていたときにドストエフスキーはマイコフに宛てた手紙で、この長編小説には「二人の主人公」がいると書いて、ナスターシャの重要性を強調していた。
このことに注目したロシアの研究者フリードレンデルは、ドストエフスキーがその作品において女性が虐げられていることの「社会的原因」や「女性のたどる運命の問題」を描き続けて来たとして、『椿姫』との関連も指摘している*15。
実際、両親が所有していた村が火事で焼け、そのために苦労した母親が病死したあとでは妹たちが親戚に引き取られたという苦い体験をしていたドストエフスキーは、第一作『貧しき人々』において、村の管理人を務めていた父親がリストラされたあとでの少女の苦難に満ちた人生を描き、『白痴』においても両親が亡くなった後のナスターシャの苦難に満ちた人生に読者の注意を向けているのである*16。
すなわち、ナスターシャの父は軍隊を退役した後で「所有地の少ないきわめて貧しい地主」となり、借金を重ねるような貧乏暮しをしながらも、「幾年か百姓同様の怖ろしく辛い労働を
つづけ」、「財政をどうにか建てなおすことができた」矢先に、債権者たちと話しあうために出かけた先で、自分の屋敷が火事で焼け、妻も焼け死んだという報せを受けて、絶望のあまり「気が狂って、一カ月後には熱病で死んでしまった」(1・4)。
その後、「焼けた領地は、路頭に迷った百姓たちもろとも、借財の返済にあてられ」たが、生き残った二人の女の子は、隣りに豊かな領地を所有していたトーツキイが「持ち前の義侠心から」手もとに引き取り、「支配人である大家族持ちの退職官吏のドイツ人の子供たちといっしょに」育てたのである。
ナスターシャの妹は病気で亡くなったが、5年後に自分の領地を訪れた際に12歳になったナスターシャが美しく成長していたのをみたトーツキイは、「この道にかけては」、「決して眼に狂いのない玄人であった」ので、ナスターシャに貴婦人としてふさわしいような特別な教育を施し始める。
こうして、「年頃の娘の高等教育に経験のある、フランス語のほかに一般学科を教えるりっぱな教養あるスイス婦人が家庭教師として招かれ」、「ちょうど四年後にこの教育は終り、家庭教師の婦人は立ち去った」。
その後で訪れた女地主は、16歳になったナスターシャを「慰めの村」と呼ばれていたトーツキイの領地の一つである小さな村に「トーツキイの指図と委任とによって」、連れていき、「しゃれた飾りつけ」の「建ったばかりの木造の家」に住まわせた。
「慰めの村」と呼ばれていた小さな村でのトーツキイとの生活について、ナスターシャは
に「そこへあの人がやってきて、一年に二月ぐらいずつ泊まっていって、けがらわしい、恥ずかしい、腹の立つようなみだらなことをして、帰っていくんです。(……)あたしは何べんも池に身投げしようと思ったけれど、卑怯にもその勇気がなかった」と告白している(下線引用者)。
この言葉に注目した亀山氏は、「わしらのなにより楽しみっていえば、娘っこに鞭打ちの仕置きを食わせることでしてね。鞭打ちの役はぜんぶ若い衆にまかせるんですがな。そのあとで、今日ひっぱたいたその娘っこを、明日はその若い衆が嫁にとる。だから、娘っこたちにしてもそいつが楽しみなんですな」という『カラマーゾフの兄弟』のフョードルが聞き及んだ田舎の老人の話を紹介しながら、「トーツキイの快楽とは、田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式だったと私は思います」と結論している(下、41)。
このような解釈は『悪霊』の「告白」におけるスタヴローギンと少女の関係の解釈にもつながるともの思われる。しかし、「慰みの村」におけるトーツキイとナスターシャの関係から、「鞭の快楽」を連想することは妥当なのだろうか。
なぜならば、亀山氏はトーツキイとナスターシャの関係を「領主と農奴の娘」の関係に擬しているが、「慰みの村」でナスターシャが与えられた家には、「年寄りの女中頭とよく気のつく若い小間使い」がいたばかりでなく、「さまざまな楽器、少女むきのすばらしい図書室、絵画、銅版画、鉛筆、絵具が揃っており、素敵な猟犬までがいた」。
つまり、ナスターシャはそこで「農奴の娘」どころか、「領主夫人」なみの扱いを受けていたのであり、それゆえ、「四年あまりの歳月が、何事もなく幸福に、優雅な趣のうちに、流れていった」と記されているのである(下線引用者)。
これらの文章はナスターシャと正式には結婚していなかったものの、おそらくトーツキイが将来的な結婚の約束を「慰みの村」で与えていた可能性が強いことを物語っていると思われる。
そして下線の文章に注目するならば、「トーツキイがペテルブルグでも富も家柄もある美貌の女(ひと)と結婚しようとしている」という「噂(うわさ)」を伝え聞いたときになぜナスターシャが、それまでとは「全く別の女性」として現れ、トーツキイには「結婚を許さない」と宣告したかが分かるだろう(1・4)。
しかも、「小ねずみ」を語源とする「ムイシュカ」という単語から派生した「ムイシュキン」という滑稽な感じの名字をもつ主人公が、かつての名門貴族の出身であったと記したドストエフスキーは、「子羊」を語源とするバラシコーワという名字を持つナスターシャの家柄についても「かつては由緒ある貴族の出身」であり、「かえってトーツキイなどよりも家柄」がよかったとも記している。
つまり、自分の所有する領地の一つの隣に住んでいた名門だが没落した貧しい貴族の夫婦が焼け死んだことで、トーツキイは慈善家のような形で名家の娘を育て、さらに愛人として所有していたのである。それゆえ、トーツキイの結婚の噂を聞いたときに、初めて自分がパリの「高級娼婦」のような存在に過ぎなかったことを思い知らされたナスターシャは、「からからと大声で笑いながら、毒々しい皮肉を浴びせ」たのだと思える。
このように見てくるとき、彼女が語る「腹の立つようなみだらなこと」とは、鞭打ちに快楽を感じるような性愛を指すのではなく、それまで自分が愛の営みとして受け取っていた行為が、トーツキイの快楽の手段であったことへの怒りの言葉と見なすべきであろう。
ただ、「鞭の快楽」が「田舎地主のサディズムないしはマゾヒズムの儀式」とされているが、それは『地下室の手記』や『死の家の記録』など重要な作品の解釈とも密接に結びついているので、もう少しその点に触れておきたい。
すなわち、亀山氏は、『地下室の手記』にはクレオパトラが「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し、彼女たちが叫び、身もだえるのを見てよろこんだという」というエピソードが書かれていることを紹介して、ここでは「ドストエフスキーの変貌は決定的なものになった」と断言しているのである(上、158)。そして、「おあいにくさま、歯痛にだって快楽はある」と語る「地下室の男」の言葉を引用して亀山氏は、ここでは「受け身の快楽をことさら強調してみせることで、暗に虐待する人間の快楽を正当化するという戦法」がとられていると続けている(上、161)。
しかし、『イギリス文明史』で「楽観的な進歩史観」を主張した歴史家バックルにたいして、ドストエフスキーは「地下室の男」を敢然と立ち向かわせているとイギリスの研究者ピース氏が指摘しているように、「歯痛にだって快楽はある」と語る主人公の論理は、屈折しながらも、きわめて鋭い西欧文明批判を秘めている*17。
つまり、「地下室の男」はここで、「自分の女奴隷の胸に金の針を突き刺し」て喜んだクレオパトラの「野蛮さ」と、「血はシャンパンのように」多量に流されている近代の戦争とを比較することで、「自己の正義」を主張して「他国」への戦争を正当化している近代西欧文明の方が、古代エジプトよりもいっそう「野蛮」であることを指摘して、バックルの主張に厳し
い反駁を加えていたのである。
さらに、貧しい人々を治療する医師だった父が、農奴の所有者になると一変して、農奴を鞭打つことも当然としたことを厳しく批判していたドストエフスキーは、亀山氏も指摘しているように、『死の家の記録』で笞刑を行うことに慣れた刑吏の心理を分析して、「もっとも残酷な方法で」、「他者」を「侮辱する権力と完全な可能性を一度経験した者は、もはや自分の意志とはかかわりなく感情を自制する力を失ってしまうのである」と指摘していた*18。
つまり、「他者」にたいする鞭打ちという体刑を認めないドストエフスキーの姿勢は、『カラマーゾフの兄弟』まで変わることなく一貫していたのであり、そのように理解しないと子どもの虐待をめぐるイワンとアリョーシャの白熱したやり取りもその意義を失うことになると思われるのである*19。
3.ナスターシャとロゴージンの形象をめぐって
ナスターシャ・フィリポヴナのバラシコーワという名字が、「子羊」を語源とする「バラーシェク」という単語から採られていると記した亀山氏は、ムイシュキンの名前がライオンという意味のレフであることにも注意を促している。そして、バラシコーワという名字は「アベルによって神に捧げられた犠牲の子羊のイメージ」と重なり合っているとし、「旧訳聖書の文脈に従うなら、ナスターシャはアベル=ムイシュキンによって屠られるべき存在です」と主張している(上、279)。
ただ、このような亀山氏のナスターシャ像は突然生まれたのではなく、ナスターシャの名前や父親の名前から造られるロシア独特の父称などに注目して、ドストエフスキーには「明らかにナスターシャ・フィリッポヴナを鞭身派の一信徒に擬そうとする意図」があったと解釈した江川卓氏の『謎とき「白痴」』から強い影響を受けていると思われる(107)。
すぐれた語学力と読解力を活かして、登場人物の名前や動詞の意味だけでなく、フォークロアや法律書にまで踏み込んだ鋭い分析がなされている江川卓氏の『謎とき「罪と罰」』(1986年)から私は、多くの知的示唆を受けた。
しかし、『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』(1991年)の後に書かれた『謎とき「白痴」』(1994年)を読んだ時には強い違和感が残った。おそらくそれは、ロゴージンやナスターシャの名前について言語的なレベルからの考察をとおして、旧教徒のセクトとのかかわりが指摘される一方で、『罪と罰』のテーマとの深いつながりや、ナスターシャとムイシュキンの関係を分析する上ではきわめて重要な役割を担っている『椿姫』などへの言及などがほとんどなかったためだろう。
たとえば江川氏は、「情熱の権化のように言われていた」ロゴージンの名前が、ギリシャ語で「童貞」を意味する「パルテノス」を語源とするパルフョンであることや、「死人のような蒼白さ」という表現から去勢派の教義に従った人物と読み取っている(185)。
たしかに、ロゴージンの父親が去勢派や鞭身派などの旧教のセクトに強い関心を持っており、伯母も「職業的な修道女で、旧教派の中心地であるプスコフに住んでいる」と描かれており、ムイシュキンもロゴージンが将来「二本の指で十字を切ったり」、「ニコンの改革前の聖書を読んだりするようになる」可能性を示唆している。
しかし、「熱病にかかってまる一月も」寝込んでいたロゴージンが、病みあがりにもかかわらずナスターシャと会うために夜汽車で駆けつけようとしていたと書かれていることに留意するならば、ここでは彼の情熱が強調されていると考える方が自然だろう(1・1)。しかもグロスマンが書いているように、ドストエフスキーはここで「プーシキンの名前すら知らない」、文盲に近いロゴージンが「民族の伝統や、昔の民間信仰と固く結びついて」いる一方で、「西欧化した新しい風俗のハイカラさ、つまりひげを短く剃りこんだり、色つきのチョッキを着て、めかしこんだりする『大商人』のタイプとはおよそ掛け離れて」いたことを強調しているのである*20。
そして、ムイシュキンはロゴージンのことを「情欲だけの人間ではない」、「人生の闘士」だと感じ、「彼は苦悩することも同情をよせることもできる大きな心を持っている」とも考えている(2・5)。ことに、「二人でプーシキン」を「すっかり読んだ」と語っていることに注目するならば、吝嗇な父親と息子の対立と父親の殺害にいたる経過を描いたプーシキンの『吝嗇の騎士』をも彼らが読んでいたことは確実だろう*21。
すなわち、『白痴』を書いていたころのドストエフスキーは、旧教徒にも一定の意味を認めていたのである。ムイシュキンは情熱に駆られて極端にまで走りかねないロゴージンの民衆的なエネルギーとその可能性を信じて、彼とともにプーシキンの作品を読むことで、彼に正しい方向性を示そうとしていたのだと考えられるのである。
さらに、「権力を重視し」、他者の「処刑」を認めていた当時のカトリックを、「ゆがめられたキリストを説いている」と厳しく批判したムイシュキンは、「自分の生れた国を見捨てた者は、自分の神をも見捨てたことになる」といった旧教徒の商人の言った言葉を紹介しながら、ロシアの「鞭身派」でさえ、「ジェスイット派や無神論」などよりも、「ずっと深遠でさえあるかもしれません」と語っている(4・7)。
この言葉に注目するならば、ここに見られるのは「クレオパトラ」と比較しつつ、「近代西欧文明」の「野蛮さ」を指摘した「地下室の男」と同じような論法であるといえよう。すなわち、自らを傷つけたロシアの「鞭身派」と比較することで、「異教徒」や「皇帝」の「殺害」をも正当化する「ジェスイット派や無神論」の「野蛮性」をムイシュキンは強調しているのである。
しかし、ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を『ロシア報知』に掲載した1880年には、以前から交際していた保守的な政治家で、ロシア正教以外の宗教的な価値を認めなかったポベドノースツェフが、ロシアの教育と宗教を総括する総務院の総裁となっていた*22。それゆえ、このころには再び厳しさを増していた検閲のために、ロシア正教の異端とされた旧教徒をも否定的に描かざるをえなくなっていたと思える。去勢派などとの関わりが暗示されている『カラマーゾフの兄弟』におけるスメルジャコフの否定的な形象はこのような時代状況のなかで生み出されたのである。
こうして、スメルジャコフに「去勢派(スコペッツ)」の影を色濃く見て、『白痴』論でもその連想から「新しい」ロゴージン像を描き出した江川氏は、そのような視点からナスターシャ・フィリポヴナにも「鞭身派」の影を強く見出している。
たとえば、第三編では「もうこうなりゃ、ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。それよりほかにあんな売女(ばいた)をやっつける法はないさ!」と一人の青年将校から大声で批判されたのを聞いたナスターシャが、「相手のステッキを引ったくって、その無礼者の顔をはすかいに力いっぱい打ちすえた」という場面が描かれている(3・2)。
ここで「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ」という表現に用いられている「鞭(フルイスト)」という単語が、「鞭身派(フルイストフシチナ)の名称の起りとなったことばである」ことを指摘した江川氏は、734年に処刑された「鞭身派の聖母」がナスターシャ・カルポヴナという名前を持っているばかりでなく、ナスターシャの父称が「鞭身派の教祖ダニイラ・フィリッポヴィチ」の父称とも同じであることに注意を促して、「ナスターシャ・フィリッポヴナという名が、鞭身派の神話を背負った名であることは自明である」と断言していた(106〜8)。
しかし、当時のロシアでは妻や子供に対する「躾(しつけ)」のために鞭をふるったりすることは伝統的に認められていたのであり、軍隊では兵士に対する殴るなどの体罰が日露戦争の最中にも行われていた。このことを考えるならば、とりわけ青年将校が「鞭でこらしめねばならない」と語るのは特別なことではないと思える。
しかも、『白痴』ではしばしば高級娼婦と貴族の若者の悲恋を描いた『椿姫』が話題となっていることを思い起こすならば、「ぴしゃりとやらなくちゃだめだ。それよりほかにあんな売女(ばいた)をやっつける法はないさ!」(下線引用者)という言葉に激しく反発したナスターシャの反応には、娼婦と呼ばれたことへの彼女自身のプライドの問題や、女・子供や農民出身の兵士の教育には「鞭」が必要だと考える伝統的な道徳の問題が提起されていると考えるほうがむしろ自然であろう。
つまり、『謎とき「白痴」』が『謎とき「カラマーゾフの兄弟」』の後で書かれたという事情もあり、江川氏がロゴージンやナスターシャの形象を1860年代の大地主義的な世界観によってではなく、厳しい検閲によって制約を受けていた晩年の記述によって、ロゴージンやナスターシャを旧教徒のセクトと結びつけて解釈している可能性が強いと思えるのである。そして、亀山氏の『白痴』論では重要な登場人物とムイシュキンとの関係の考察が省かれことにより、ナスターシャにおけるマゾヒズムへの傾向がいっそう強調されることになったのだと思える。
4.『白痴』の現代性
ところで、長編小説『椿姫』は、『三銃士』などの作品で知られるアレクサンドル・デュマの私生児として生まれたデュマ・フィスによって、2月革命が起きた1848年に書かれた。そして、主人公がアルマンの腕に抱かれて亡くなるというメロドラマ的な筋書きのオペラ『椿姫』とは異なり、到着が遅れたために主人公がマルグリットの死に目に会えないという発端を持つこの『椿姫』は、フリードレンデル氏などが指摘しているように、ドストエフスキーの『白痴』にもきわめて強い影響を与えている。
つまり、訳者の新庄嘉章氏が書いているように、この作品でデュマ・フィスは高級娼婦であったマルグリットの純愛と犠牲的な死をとおして、「男性の利己主義的な行為」や、「それを助長させる金銭の力」や「それを黙認している世間の慣習」を厳しく批判していたのである(新潮文庫、1950年)。
そしてドストエフスキーも『冬に記す夏の印象』(1863年)において、ナポレオン三世治下のフランス社会には「すべての者が法の範囲内で何でも行える同一の自由」があることを認めたあとで、次のように「フランス的自由」を厳しく批判していた。
「いつ欲することをすべて成すことができるのだろうか? 百万をもっている時である。自由は各人に百万を与えるだろうか? 与えはしない。百万を持っていない者は何者だろうか? 百万がない者は、何でも好きなことができる者ではなく、何でも好きなことをされる者である」。
実は、敗戦後まもない1951年に上映された黒澤明監督の映画『白痴』では、キリスト教的な背景ばかりでなく、このような社会的背景をもきちんと描かれていた。さらに私見によれば、この作品で黒澤明はムイシュキンの存在をロゴージン・ナスターシャ・ムイシュキンという「欲望の三角形」的な関係に縛られる者としてではなく、むしろ精神科医的な視点から、「何でも好きなことをされる者」としてのナスターシャの苦悩を、治癒しようとして果たし得なかった者として描いているのである。
この意味で注目したいのは、ロンドンで開かれていた万国博の会場である水晶宮を訪れて、「全世界から集ったこれら無数の人間の全てをここで一つの群に集めた恐るべき力」を感じたドストエフスキーが、イギリスの社会はキリスト教を名乗りながらも、実際には儲けの神である異教の神、「バール神」に屈服したと厳しく批判するとともに、「バールの神を偶像視したりしないようにするには」、「幾世紀にもわたるおびただしい精神的抵抗」が必要とされ
るだろうと記していたことである*23。
つまり『白痴』における考察は、市場原理主義に基づいた極端な「規制緩和」により格差社会が生まれる一方で、それまでアメリカ企業の模範とされてきたリーマン・ブラザーズが、カジノ資本主義的な手法のサブプライム・ローンによって破綻し、世界が金融危機に陥った現代の状況をも予測するような深いものだったといえよう。
なお、本稿との重複を避けるために、発表の際には「はじめに」から第4節までを省略し、次のような流れで『白痴』を分析する予定である(資料は会場で配付する)。
5.黒澤明監督の映画『白痴』における省略の手法について
6.ナスターシャと『椿姫』のマルグリット・ゴーチェ
7.マリイのエピソードの欠如とナスターシャ像の歪み
8.悲劇としての『白痴』とムイシュキンの意義
注
*1 高橋「テーマの強調と登場人物の省略の手法をめぐって――『白痴』におけるムイシュキンとガーニャとの関係を中心に」『ドストエフスキー曼荼羅』第2号、2008年11月参照。
*2 少女マトリョーシャをマゾヒストとする亀山氏の解釈やその年齢の扱い、さらにはキリーロフではなくスタヴローギンが『「悪霊」神になりたかった男』と題した著作の主人公となっていることなどの問題については、後述の木下論文の他、萩原俊治「ドストエフスキーの壺の壺」『江古田文学』第66号、冷牟田幸子「疑問に思うこと」『ドストエーフスキイ広場』第15号、長瀬隆「亀山郁夫氏を批判する」(ホームページ)などに詳しい。
*3 亀山郁夫『ドストエフスキー 父殺しの文学』上巻、NHK出版、2004年、285頁。(以下、同書からの引用は、本文中に巻数と頁数のみを記す)。
*4 訳は木村浩訳の『白痴』(新潮文庫)による。(以下、同書からの引用は、本文中に編と章をアラビア数字で記す)。
*5井桁貞義「ドストエーフスキイの世界感覚」、『全集黒澤明月報3』、1988年、および「ドストエフスキイと黒澤明 ――『白痴』をめぐる語らい」『ロシア文化の森へ――比較文化の総合研究』第2集、ナダ出版センター、2006年、664〜681頁。
*6 「ドストエーフスキイの会会報」39号、1975年。『場』第2号、110頁参照。
*7 木下豊房「少女マトリョーシャ解釈に疑義を呈す」『ドストエーフスキイ広場』第15号、2006年、103頁。
*8 高橋「『白痴』における〈自己〉と〈他者〉(1)――哲学者ムイシュキンと肺病患者イポリートの形象をめぐって」『人間の場から』第46号、1998年参照。
*9 高橋「私のドストエフスキー体験――世代論の視点から」『江古田文学』第66号、2007年、30〜39頁。
*10 江川卓『謎とき「白痴」』、新潮選書、1994年、158頁。(以下、同書からの引用は、本文中に頁数をアラビア数字で記す)。
*11 この「平和会議」の雰囲気については、『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』木下豊房訳、河出書房新社、1979年、347〜367頁参照。
*12 グロスマン『ドストエフスキイ』北垣信行訳、筑摩書房、1966年、299〜303頁。
*13 高橋『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』刀水書房、2002年、143〜153頁。
*14 高橋『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』、刀水書房、2000年、第5章「非凡人の理論」および、第9章「『鬼』としての他者――人類滅亡の悪夢」参照。(引用は江川卓訳『罪と罰』岩波文庫による)。
*15 フリードレンデル、「白痴」、『ドストイェーフスキー 人・時代・作品・思想』植野修
司訳、雄渾社、1970年、195頁。200〜213頁。
*16 高橋『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』成文社、2007年、第2章「自己と他者の認識と自立の模索」。および、木下豊房「ドストエフスキーにおけるサストラダーニエの問題をめぐって」『ドストエーフスキイ広場』第8号、1999年、4〜13頁参照。
*17 リチャード・ピース『ドストエフスキイ「地下室の手記」を読む』、池田和彦訳、高橋誠一郎編、のべる出版企画、2006年参照。
*18 高橋、前掲書『欧化と国粋』、第3章「権力と強制の批判――『死の家の記録』と非凡人の思想」参照。
*19 「大審問官」についてのイワンとアリョーシャの対話の問題については、木下和郎「連絡船(ホームページ)」の「航行記(第二期)」で詳しく言及されている。
*20 高橋「『白痴』におけるムイシュキンとロゴージンの形象――オストローフスキイの作品とのかかわりをめぐって」、『論集・ドストエフスキーと現代――研究のプリズム』木下豊房・安藤厚編著、多賀出版、2001年参照。
*21 「父殺しのテーマ」と『吝嗇の騎士』との関わりについては、高橋『欧化と国粋』、129〜132頁参照。
*22 高橋「『文明の衝突』とドストエフスキー ――ポベドノースツェフとの関わりを中心に」『ドストエーフスキイ広場』第17号、2008年、78〜9頁。
*23 高橋、前掲書『欧化と国粋』、152〜3頁。
追記:「虐げられた女性」としてのアグラーヤについては、「『白痴』におけるプーシキンのテーマ」という題名で、機会を改めて発表したいと考えている。
資 料(編集室)
ドストエフスキーの手紙 (1867年12月31日 A・N・マイコフ宛)
もう随分前から、私は一つの構想にとり憑かれて苦しんでいたのですが、それを小説にする勇気がありませんでした。というのは、その構想は、実に誘惑に満ちていて私は大好きなのですが、あまりにも手強くて、それに取りかかる備えが出来ていからなのです。その中心のイデーは、「完全に美しい人間を描く」ということです。私に言わせれば、これ以上難しいことは、とりわけ現代では、他にありえません・・・・。
このイデーは、確かにこれまでにもある程度は芸術的イメージとして時々ちらりと現れはしたのですが、しかし、あくまである程度に過ぎなくて、完全な姿で現される必要があるのです・・・大体のプランは出来上がりました。まだまだ先の部分の細部がちらりと見えたりして、それが私を惹きつけて私の中の熱を保ってくれます。だが全体の統一は?主人公は?というのは、私の場合全体の統一は主人公の形で決まってくるのです。そういう風になってしまっているのです。私はどうしてもその人物像を作らねばならぬわけです。ペンを動かすうちにその像が育っていってくれるかどうか?しかもなんたることでしょうとんでもないことがひとりでに起きてしまいました。主人公の他に女主人公まで存在する、ということが判明しました。つまり主人公が二人いるのです!!しかもその他にさらに二人の人物がいて、これがどう見ても主要な人物で、つまりほとんど主人公に近いのです(脇役的人物たちはといえば、かなり書き込まねばならない人物が数えきれないほどたくさんいるのです。小説自体も八篇からなる長編です)四人の中心人物のうち二人は私の心の中でしっかりと形をとったのですが、一人はまだ全然形をなしていないし、四人目の、つまり最も重要な第一の主人公は、はなはだ弱々しいのです。私の心の中のイメージとしては弱々しくはないかもしれないのですが、実に難しいのです。(中村健之介訳)
連 載
日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像−
第19回:その受容史における“保守主義”の系譜と今日的帰結(2)
福井勝也
(2)『ロシア 闇と魂の国家』(亀山郁夫+佐藤優)/「文春新書」(2008.4.20)
前回からの続きを掲載するが、本稿は今秋発行(11.20)された「ドストエフスキー曼陀羅2号」(清水正編著)に既発表の内容と重複していることをあらかじめお断りしておく。
今回とりあげた著書は、昨今のドストエフスキー・ブームの立役者であるロシア文学者の亀山郁夫氏と話題の起訴休職外務事務官として旺盛な執筆活動を続けるロシア通の佐藤優氏との「対談」本である。今春の出版後今日まで、この本についてどの程度の評価・議論がなされたのか筆者は寡聞にして知り得ないが、この直後、この「対談」が問題対象とした「ロシア」が大きく動きだした歴史事実は誰の目にも明らかになった。メドヴェージェフ新大統領による、北京オリンピックの開会式にプーチン大統領が列席している最中の、その突然のグルジア侵攻は今までの国際的な政治の枠組みからは理解不能な「ロシア」が迫り出した感を強く内外に印象づけた。グルジアがご存知のとおりスターリンの生まれ故郷であるという歴史的皮肉も感じるが、その「ロシア突出」の事態が、侵攻後の国際的なロシア非難が高まる中での「新冷戦も厭わない」という新大統領の強気の発言に増幅されたことは確かであった。この点で、本書はまさしく共時的な書物で、両氏はこのことをすでに予言的に語っていることが注目される。まず亀山氏は、「メドヴェージェフの顔はまだ、どこか幼さを残していますが、目つきは怖いです。プーチンの威信はおのずから低下し、メドヴェージェフ大統領が必ず力を持っていくと思いますよ。プーチンも自分の運命の選択肢についてそれぐらいの判断力をもって臨んできたと思いますが」(p74-75)。他方、佐藤氏はその二人の関係の問題も含めてややショッキングな表現で、かなり突っ込んだかたちの予言をしている。「プーチン=メドヴェージェフ二重王朝のロシアは、今回の大統領選挙の結果を受けて、ファッショ国家に変貌をとげようとしているのです。」ここで佐藤氏は、読者の誤解をさけるために「私は、ナチズムとファシズムは別の概念ととらえています。」と断りながら、1920年代にイタリアでベニム・ムッソリーニが展開した初期ファシズムとプーチンが新しい装いで構築しようとしているファシズムとの類比性を語っている。しかし、それでも引いてしまいそうな読者には、氏はこの部分の前段で次のように解説している。「私には、プーチンの戦略がだいたい見えます。2020年までという、今後、12年間という時限を設けて、その間にロシアを帝国主義大国に再編することが目標なのです。その前提として、帝国を支えるイデオロギーが必要になります。このイデオロギーは地政学に基づく、<ヨーロッパとアジアの双方に跨るロシアは独自の空間で、そこには独自の発展法則がある>という1920~30年代に亡命ロシア知識人の間で展開されたユーラシア主義に近いものになります。ロシアとかロシア人というのが自明の存在概念(英語のbeing、以下略)ではなく、これから<われわれ>、つまりロシアの指導部と一般国民が協同してつくっていく生成概念(英語のbecoming、以下略)であるという考え方です」(p77)。(実は、最近佐藤氏がこの点で、新しく選出された米オバマ大統領が描く新生アメリカの理念もこの<生成概念>によるものだとの同様の指摘していることを付記しておく)。
果たして今回のグルジア侵攻が、両氏の予言を早くも的中させているものとしたら、その根拠がどこにあるのかが当然気になる。そして実はその予測を支える前提として、今回両氏がかなり突っ込んで語り合ったドストエフスキーとその文学の新たな読みが注目されるわけだ。ここで改めて本書の構成を簡単に眺めると、最初にお二人の対談に臨む導入的な語りが披瀝される。佐藤氏の語る「ロシアの闇」が、氏のロシアでの諜報活動を通して触れられた
<ロシアの闇>の実感だとすれば、亀山氏の「ロシアの魂」はスターリン学の熱中からドストエフスキー、とりわけ『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章へ収斂されるドストエフスキーの想像力への思索の徹底として語られる。特に筆者が惹き付けられたのは、その<ロシアの魂>について触れた件であった。
「ロシア人の全体的なものへの傾斜を支えるのは、<霊性>である。<霊性>をロシア語では<ドゥホーヴノスチ>と呼んでいる。本来ならば<精神性>とも訳すことのできる言葉だが、語源の<ドゥーフ>は、もともと、意識や心理、思考などの総体としての精神を意味する単語で、たとえば、日本語の<精神>という言葉が一個の人格と不可分の魂の領域を暗示するのと少しニュアンスが異なる。霊性には、大地をゆったりと這う朝靄のような、個々の存在を超えて支配する有機的な一体性が暗示されている。ここは議論がかなりややこしくなるので深入りを避けたいところだが、ロシアの民は、魂よりも、むしろ霊性の民といったほうが、通じやすいかもしれない。なぜなら、魂は、結局のところ、差異化された自己の証となりうるのに対して、霊性は、人間の個体性の枠をこえでようとする力だからである。さらにいうなら、個体性を超えようとする非人間的な努力もまた、ロシアの個々の魂に息づいている大きな力のひとつではないだろうか」(p19)。
本書の構成の話に戻れば、この両者の<導入>の後、先にも少し引用したプーチン、メドヴェージェフの二人の関係にも触れた第1章の<スターリンの復活>がまず語られる。そして第2章では、本書“帯”の大胆な刷り込み「独裁者なきロシアなどあろうか?」に呼応するかのように<ロシアは大審問官を欲する>という主題がとりあげられる。ここでは、佐藤氏の神学研究者としての側面(氏は元々、同志社社大学大学院神学研究科終了後外務省入省)がその発言に説得力を与えている。例えば、氏が大学時代から研究対象としてきたチェコの神学者ヨセフ・ルクル・フロマートカに触れての次のような発言がある。
「フロマートカは、<大審問官=スターリン>を神の力よりも人間の力を世界の中心に置く人間中心主義者<ヒューマニスト>であるとして、<アンチ・ヒューマニズム>であるキリスト教に対置しています。」あるいは、「スターリニズムという<ヒューマニズム>は、人間のためにやるべきことをしてこなかったキリスト教を補完するものとして、あるいはキリスト教への挑戦として生まれてきた。かなり図式的ですが、フロマートカの影響を受けた私はそのように考えています」(p87.p 89)。「第一次大戦の危機を背景に、弁証法神学者といわれるスイスのカール・バルト、エミール・ブルンナー、フリードリッヒ・ゴールガルデンなどが、近代理性の解釈の中にあるのではなく、人間とは断絶した<神>を再発見する作業を行っていました。彼らはドストエフスキーの小説を読むことによって、<神の再発見>を求めて自分たちがグルグルと回っていた問題はすでにドストエフスキーによって先を越されていた、われわれはドストエフスキーの後追いをしていたにすぎないと知って、驚くのです」(p107)。
以上、第一次大戦を機に自由主義神学から弁証法神学(=危機神学)へと転換したフロマートカが「ドストエフスキーは大審問官を肯定的に解釈している」ことを佐藤氏は強調している。それに対して、この第2章で亀山氏が問題とするのは、ドストエフスキーに端的に表れたキリスト崇拝のあり方を示す<ケノーシス>という神学的観念である。<おのれを無にして奴隷の姿をとった>キリストに対する崇拝の観念である<ケノーシス>について亀山氏は次のように語っている。
「ロシア人には、キリストを遠くにある抽象的な神としてではなく、人間の形をした身近な存在に感じるという宗教観がありますよね。ロシア人たちが皇帝、あるいはスターリンといった絶対的指導者を前に見せる隷従精神と、それによって正当化される自己犠牲という精神と、人間キリストを身近に感じる宗教観との間に<ケノーシス>があるのではないか、これがぼくのロシア観の基本ですよ。これこそが、ドストエフスキーのみならず、ロシアの魂を理解するために欠かせない概念なんじゃないかなって思っています」(p123)。
第1章<スターリンの復活>、第2章<ロシアは大審問官を欲する>という主題の表現については、その当否に当惑する読者もおそらくいるだろう。ここで、この表現が読者の意識に一般的にどのように響くのかについて触れておきたい。一般読者とドストエフスキー文学に親しんでいる読者を区別する必要もないが、どうも本著が語る主題への一種の拒否反応といったものを今までに感じさせられた覚えがある。それは、簡単に言えば、本著を“保守主義”それも過度な“保守主義”的著作と判断することからくるものらしい。確かに、本著の二人の議論の特徴は、崩壊したソビエト社会主義の後に訪れたペレストロイカ等で称揚された西欧型の民主主義とヒューマニズムをその後のロシアが本質的に回避してきている現状に対して、それを追認し肯定する立場からの議論と感じさせられるからに違いない。もし単純にそう言って良ければ、やはり西欧派ならぬスラブ派からの議論ということか。筆者が、本書をドストエフスキー論における“保守主義”の系譜に位置づけている由縁である。ともかく、我々はついこの前まで<ペレストロイカ>に拍手を送ってきた自分達を覚えている。そこに違和感が生じるのも当然かもしれない。勿論、対談者の両者(考えてみれば、両者はいずれも公的要職を経験している方なわけだが)は、日本が現在採用している西欧型の議会制民主主義の体制を是とされているに違いない。さらに間違ってはいけないのは、第1章と第2章の主題は、各々ロシアの専門家としての立場からのあくまでロシアという国についての現代的考察と議論であるということであろう。ただしそれでも問題なのは、<ロシア>が再びかつての<ソ連邦>のような専制的ファシズム体制に復帰していった場合、隣国である日本への悪影響(例えば、「北方領土」等)をどう考えるのかという問題だ。どこまでそれを是認するのか。結局、ロシアという国を見極めることが日本の国益にもなるという議論になってくるのかもしれない。そのような意味でも、筆者は本著の類いまれな議論の深まりにむしろ率直に耳を傾けるべきだと思う。そのことの更なる根拠として、我々もここ数十年の間に、今まで経験したことのない構造的な社会変化の影響と資本主義的なグローバリゼーションの猛威に曝されている現実があるということだ。実は、本著に読み応えを感じさせられるのは、
我々日本人が、ロシアという国、ロシア人というものを主題とした二人の議論からそれをどのように自分達の問題として考えたら良いかという、そのヒントの核心がここに語られていると感じられたからだ。勿論、その根底にドストエフスキーとその文学の新たな読み直しが披瀝されていることが前提になっている。実は本著においてそのようなメッセージをはっきりと感じさせられたのが、終章の第3章<霊と魂の復活>の部分だと思う。この本を読み返すうちに、いつからかこの<霊と魂の復活>という主題は、実はロシアだけの問題ではなく、いやむしろ我々の日本という国の我々日本人の問題なのではないかと思えて来た。と同時に、この第3章では、お二人の議論が白熱して今や死語となってしまった感のある「国士」と言う言葉さえ浮かんで来たと言ったら、さらに誤解を受ける結果になるのだろうか。明治期、日本にロシア文学を紹介するパイオニアであった、翻訳家にして小説家の二葉亭四迷は、生涯<文士>であることに満足せず<国士>をめざしてペテルブルグまで赴き、日本に戻れずに客死して果てた。思えば、日本におけるドストエフスキー受容史は、彼の<文士>ならざる<国士>の志から開始されたとことを、今日こそ、思い起こすべきなのかもしれない。
今年もすでに師走を迎え、米大統領選終了後に噴いたニュ−ヨ−ク発の世界金融恐慌に続く事態がアメリカという「帝国」の崩壊をはっきりと印象づける年となった感がある。80年前との違いは、グロ−バリゼ−ションの深刻化としての世界資本主義の破綻が一挙に世界の各地域にその<バ−ル神的影響>を明らかにしつつ、そのことが再度それぞれのナショナルな世界の問い直しとなって、新たな地域連合の時代を生み出そうとしている事態にある。メドヴェ−ジェフのロシア然り、オバマ新大統領の唱えるアメリカも然りではないか。世界は、再多極化に向けて流動を始めた。そんななかで、日本はアメリカへの隷従から脱して東アジアを担いうる<独立国>に再生できるのか。明治期、ドストエフスキーに真正面から取り組んだ二葉亭四迷が妙に想起される年の瀬を迎えている。
(2008.12.4) 次号に続く
ドストエフスキー書誌 (〜12・8) 【ド翁文庫・佐藤徹夫】さん提供
<翻訳>
・『罪と罰 1』 ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社 <古典新訳文庫>
2008年10月20日 ¥819+ 488p 15.3cm
内容:第1部 第2部 「読書ガイド/亀山郁夫」
<図書>
・『新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む 「父殺し」の深層』 亀山郁夫著
日本放送出版協会 <NHKカルチャーアワー 文学の世界>
2008年10月1日 ¥893 222p 21cm
*アジオ第2放送10月〜12月のテキスト
・『白樺派とトルストイ 武者小路実篤・有島武郎・志賀直哉を中心に』
阿部軍治著 彩流社 2008年10月10日 ¥3500+
301p 19.4cm
*第四章 武者小路実篤とロシア文学、およびその周辺 :武者小路とドストエフスキー p106-113
<作品翻訳>
・『罪と罰 1』 ドストエフスキー 亀山郁夫訳 光文社 2008年10月20日
¥819+ 488p 15.3cm <光文社古典新訳文庫・K Aト 1-7>
*11月25日刊 角川文庫版 罪と罰(上下) 米川文夫訳
「改版初版」となっているが、底本は昭和43年刊行の版を使用と
注記されているて、装丁とカバーを変えたものらしい。
<研究書>
・『欧米探偵小説のナラトロジー ジャンルの成立と「語り」の構造』 前田彰一著
彩流社 2008年7月15日 ¥2200 226p 19.5cm
・第III章 本格探偵小説の展開 ii 手がかりによる認識論的方法:オーデン、ドストエフスキー、カフカ p94-98
・『宗教学の名著 30』 島薗進著 筑摩書房 2008年9月10日 ¥820+
286p 17.3cm <ちくま新書・744>
・VII ニヒリズムを超えて :バフチン『ドストエフスキーの詩学の諸問題』 多元性を祝福する p271-278
・『アッバのふところ 「牧会・学」覚書』 広谷和文著 聖公会出版 2008年
9月29日 ¥1200 124p 18.8cm
牧会者ゾシマ ドストエフスキーに学ぶ p1-44
・『新訳『カラマーゾフの兄弟』を読む 「父殺し」の深層』 亀山郁夫著
日本放送出版協会 2008年10月1日 ¥893 222p 21cm
<NHKカルチャーアワー 文学の世界> *ラジオ第2放送テキスト
・『白樺派とトルストイ 武者小路実篤・有島武郎・志賀直哉を中心に』
阿部軍治著 彩流社 2008年10月10日 ¥3500+ 301p 19.4cm
・第四章 武者小路実篤とロシア文学、およびその周辺:武者小路とドストエフスキー p106-113
・『引き裂かれた祝祭 バフチン・ナボコフ・ロシア文化』 貝澤哉著 論創社
2008年10月10日 ¥2500+ 307p 19.5cm
・第一部 身体・声・笑い ロシア文化のなかのバフチン 対話化されるイデア バフチンのドストエフスキー論とロシア・プラト ニズムのコンテキスト p108-125
*初出:「ユリイカ」 39(13)=542(2007.11.1) p174-183
・『名作に学ぶロシア語 初歩から購読へ』 井桁貞義著 ナウカ出版 2008年
10月15日 ¥2300+ 111p 21cm
・ステップ5 作品を読んでみましょう
第47課 ドストエフスキイの『罪と罰』を読む p100−101
*他のステップでもドストエフスキーの作品を例に上げている。
・『なにもかも小林秀雄の教わった』 木田元著 文藝春秋 2008年10月20日
¥750+ 241p 17.3cm <文春新書・658>
・第六章 ドストエフスキー耽溺 p79-86
・第七章 さまざまなドストエフスキー論 p87-102
・第八章 ドストエフスキーとキルケゴール p103-115
・『面白いほどよくわかる あらすじで読む世界の名作』 同編集委員会編
日本文芸社 平成20年10月30日 ¥1400+ 254p 18.9cm
<学校で教えない教科書>
・第5章 ロシア文学 ・罪と罰 ドストエフスキー/湊屋一子 p212−221
・白痴 ドストエフスキー/坂東亞里 p222−229
*以前同社から『面白いほどよくわかる世界の文学』(罪と罰、カラマーゾフの兄弟 収載)(平成16年3月25日刊)がある。
・『原典によるロシア文学への招待 古代からゴーゴリまで』 川崎隆司著
成文社 2008年10月30日 ¥3200+ 334p 19.5cm
・付録 ドストエフスキー文学への序章 p287−321
・『賭博/偶然の哲学』 檜垣立哉著 河出書房新社 2008年10月30日
¥1500+ 178p 18.9cm <シリーズ 道徳の系譜>
・終章 賭博者たち ドストエフスキー p160−165
・『ドストエフスキーを読む 五大小説の人物像における宗教性について』
ロマーノ・グアルディーニ著 小松原千里訳 未知谷 2008年11月25日
¥5000+ 390p 19.6cm *原書1977年版の翻訳
*1958年11月15日刊『ドストエーフスキイ 五大ロマンをめぐって 永野藤夫訳 創文社 あり。
<逐次刊行物>
・<海外情報 Russia> 2つの充実のオペラ・プレミエ/東佐智子
「音楽の友」 66(10)(2008.10.1) p199
*スメルコフの『カラマーゾフの兄弟』を含む
・ドストエフスキーと日本人/柳富子
「日本とユーラシア」 1377(2008.10.15) p3
・<魚眼図> カラマーゾフの兄弟/傳田健三
「北海道新聞」 2008.11.13 夕刊 p12
・ミュージカル『カラマーゾフの兄弟』ミニ座談会/齋藤吉正ほか p56−60
<ワールドワイド・オブ・タカラヅカ 特別企画第37回> 雪組公演『カラマーゾフの兄弟』/駒井稔 p80−83
<公演ガイド> ミュージカル『カラマーゾフの兄弟』 p135−137 「歌劇」 999(2008.12.1)
・<書評> 松本健一著 ドストエフスキイと日本人(上・下) 新書判・第三文明社 ドストエフスキー受容史の中にこそ存在した日 本の近代文学史/佐藤泉 「週刊読書人」 2760(2008.10.24) p5
・死ぬまでに絶対読みたい本 大アンケート:読書家52人渉外の一冊
・『罪と罰』 ドストエフスキー/山崎努 p185−186
・『悪霊』 ドストエフスキー/大西巨人 p198
「文藝春秋」 86(15)(2008.12.1)
・<書評> 松本健一著『ドストエフスキイと日本人』(上下)/梶山達史
「日本とロシア」 1379(2008.12.15) p6
・ドストエフスキーが現代社会に問いかけるもの。/亀山郁夫
「潮」 599(2009.1.1) p58−65
10・11 読書会報告 (編集室)
『未成年』議論、熱く静かに
第229回・読書会は、中秋10月11日に開催されました。「読書の秋」だから、ドストブームも最高潮だから。もしかして満席。そんな予想もありましたが、参加者は、多からず少なからずいつも通りの平均数。17名の皆さんでした。時流に流されないドスト読者の固さ、重さ、健全さが表れ、証明された読書会でした。報告者の平哲夫さんの丁寧な読みとシェクスピア『オセロ』との対比に熱くも静かな議論がありました。
なお、前号に資料として掲載した『未成年』人名録に抜け落ちがありました。前号には第一篇のアフマーコワ夫人の手紙までですが、第二篇、第三篇まであります。追って掲載いたします。不備な点がありましたこと、お詫び申し上げます。
議論の内容から (編集室)
未成年とは何か「青年、童貞、etc…」
ゆく秋の忙しさに、気をとられ10月読書会の様子が思い出せない。仕方なく当日のメモ書きを書き上げてみた。このような走り書き、落書きが記されていた。平さん、昭和21年の手紙朗読。『オセロー』との酷似、松本健一氏、喜劇、自分の理想を失った。アルカージイの理想、ロスチャイルド、ドルゴルーキイ、貴族の巣、若者の理想としては古臭い。晩年の処女作。2度目の処女作。二重がずさん。矛盾、自分のために書いた作品などなどです。
アルカージィと亀山郁夫
今回の読書会で注目されたのは、未成年の実質的な意味についてでした。「親がかり」「童貞」などありました。比較議論の結果、やはり「未成年」に落ち着きました。しかし、アルカージイと女性の問題は、なんとなくうやむやに過ぎたような気がします。今回、気がついたのは、本文のこの個所です。これまで米川訳だけだったので、留意しませんでしたが…。
米川訳〈「…ぼくは13の年に、それこそ真っ裸の女を見て、それ以来ぞっとしちゃったのです」…そのときぼくは…さっきあなたにお話をしたことを見たのです・・・」〉
工藤訳〈「…ぼくだってまだ13のとき女の裸を見たんです。一糸もまとわぬ素っ裸を。…そこでぼくはあれを見たのです。…あなたに話したあれをです…それがおわると」〉
この個所を再び読んでいて、ふと頭に浮かんだことがあった。一昨年の春、読書会は、今日ドストエフスキーブームの火付け役でもある亀山郁夫氏に講演していただいた。お話は、ご自身のドストエフスキー体験や現代ロシア事情など多岐にわたられた。そのなかで、鮮明に記憶しているのは…(亀山氏は「ここだけの話ですが」と断られたが、その後、教文館での講演でもお聴きしたので、秘密性はないと判断しました)。そのお話が氏のドストエフスキー体験であったのか、マゾヒズム体験であったのか、ちょっと忘れたが、氏は、このような体験談を語られた。「学生時代のことです。年上で好きな女性がいました。あるとき話し込んで
しまい終電車に乗り遅れてしまった。酔ってもいましたし、自然その女性の部屋に泊まることになってしまった。明け方、目が覚めて、ふとカーテンの隙間から覗くと、その女性が着替えのためかどうかは知らないが一糸まとわぬ素っ裸で立っていた。そのときの」衝撃、こっそり見てしまった後ろめたさ、そんなものが、いまも忘れずにある。こんな氏の秘儀的な体験談が、突然、思い出されアルカージィと重なったのです。
11・22「ドストエーフスキイの会」情報
第189回例会報告・清水正氏報告で盛会
漫画家、『罪と罰』落合尚之さん、『鈴木先生』武富健司さんも参加
「ドストエーフスキイの会」は、2008年11月22日(土)に原宿・千駄ヶ谷区民会館で第189回例会を開催した。26名の参加者があった。参加者の内訳は、会員が15名、会員外が11名と、半数近くが会員外の人たちでした。報告者は、40年近くにわたりドストエフスキー論を著書や「D文学通信」等で発信しつづけている清水正氏。今、話題のマンガ『罪と罰』を漫談風に論じて会場を沸かせた。例会の研究報告は、重い難解なものになりがちだが、この日は、氏の語り口に引き寄せられ魅了され、ときには爆笑もでた。長年、ドストエフスキーを読みつづけている、考察しつづけている氏ならではの報告であった。
漫画論ということで、若い人が目立った。二人の新進の若手漫画家も参加された。読書会の会員でもある武富健司さん、清水氏が報告で取り上げたマンガ『罪と罰』の作者落合尚之さんである。マンガ『罪と罰』(双葉社)は、週刊『漫画アクション』に連載されていて、単行本は現在、4巻まで刊行されている。内容は、現代の東京に置き換え、援助交際という女子高生の暗部を描いている。清水氏は、作者と作品について報告レジュメの最後でこのように締めくくっている。「落合版『罪と罰』は未だ未完であり、今後どのような展開を見せるか興味津々である。わたしは批評の醍醐味はテキストの解体と再構築にあると思っているが、落合尚之版『罪と罰』も基本的には同じ方法論によって作られている。・・・おそらく落合は江川卓の『謎とき「罪と罰」』も熟読しているはずである。原作『罪と罰』の内容を深めている人物としてポルフィーリイ予審判事とスヴィドリガイロフがいる。この人物をどのように解体し再構築化するかによって作品の真価がとわれることになろう。今、わたしは落合版『罪と罰』に大いなる期待を寄せている。」
清水氏は、11月28日双葉社より発行の武富健司『鈴木先生 6』に解説を書いている。
第11回文化庁メディア芸術祭 優秀賞受賞
『鈴木先生6』ドストエフスキーの読者なら、鈴木先生を日本版アリョーシャ・カラマゾーフと見るかもしれない。いずれにしても、この「鈴木先生」は、今後とりあげる問題いかんによっては壮大なる長編マンガへと成長していくことになるであろう。(清水正)
編集室・雑感
読売・航空幕僚長を更迭「侵略は濡れ衣」論文発表
朝日・空自トップ更迭へ 過去の侵略正当化
毎年、教科書検定や政治家の靖国神社参拝で問題にされる太平洋戦争。これまでは、だいたいにおいてあの戦争は日本に責任がある。侵略か侵攻かの違いはあるが、そのように歴史判断されていた。政府も常にその見解だった。ところが、とんでもない考えをもった人間が、航空自衛隊トップに君臨していたのだ。発覚は、雑誌の懸賞論文に応募して採用されたから。
が、専門家によると「通常の懸賞論文コンテストなら、選外佳作にもならない内容だ」と厳しい。事実誤認だらけであまりにも稚拙という。が、この元航空幕僚長、他の隊員にもこの濡れ衣戦争論の応募をすすめていた。応募者数235人、うち94人は航空自衛官となると「よほど暇なのか」と失笑ではすまされないところだ。いったい、どんなことを論じていたのか。朝日新聞11月1日付け記事にあった論文要旨を見てみた。抜粋。題・「日本は侵略国家であったのか」
日本は朝鮮半島や中国大陸に一方的に軍を進めたことはない・・・多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識する必要がある。我が国が侵略国家だったなどというのは濡れ衣である。(濡れ衣とは、無実の罪と辞書にある)。他家に土足であがる。あの時代はみんなそうしていたにしろ正当化はない。なぜかアメリカで起きたこんな事件を思い出した。学校に忍びこもうとした泥棒が、明り取り天窓から入ろうとした。が、天窓が壊れて泥棒は落ちた。ケガをした泥棒は、学校が悪いと訴えた。驚いたことに裁判で泥棒が勝訴したという。珍事だからニュースになった。泥棒の言い訳なら、まだいい。日本軍は押し込み強盗であった。が、この元幕僚長は、悪いのは他国であって強盗は悪くない。抵抗した相手が悪い。強盗しながらアジアを救ったのだ。記者会見でも、堂々とこんな荒唐無稽な持論を述べていた。作戦としたらなんの勝算があるのか。恥じを上塗りすることで贖罪としたのなら、惻隠の情もなくはないが、当人は至って本気のようで、呆れるしかない。軍人が評論家のマネをしてどうする。人心荒廃し百鬼夜行する、いまの格差社会を見かねるなら武人らしく、世襲の安泰と選挙の心配だけする政治家に向かって意見すればよい。
この元幕僚長、歳は60歳、筆者より1歳若いが同じ団塊世代である。戦後生まれだから、もちろんあの戦争について実体験はない。が、話は聞いてきたに違いない。あの戦争の実態を知らせた書物は山ほどあるから目にするだろうが、いったい、どんな話を聞き、どんな本を読んできたのか。まさか『アジアの曙』のようなものばかりか(笑)。筆者の場合、父は、2度徴兵の赤紙がきて2回、中国大陸に出征した。叔父は、満州で徴集され、そのままシベリア抑留となった。もう一人の叔父は、南方トラック島付近で撃沈され戦死した。作家山本茂実の戦記ノンフィクションの傑作『松本連隊の最後』(角川文庫)にそのときの様子が詳しく描かれている。筆者はその場面を繰り返し読んだ。余談だが、その個所を抜粋で紹介する。
… 昭和19年(1944)2月17日午前4時20分、トラック島に向かう日本の輸送船団は突如、グラマン戦闘機の大群に奇襲された。次々、火柱をあげて撃沈されていく船団。敵機が去ったあと救助に駆逐艦「藤波」が到着。薄暗い海面で生存者を探しはじめた。一人、また一人と救い出される兵士。だが、時間が過ぎるうちに生存者は少なくなっていった…。
あ、まだあそこに一人いる !! 波間に兵士らしき一体が浮き沈みして漂っていた。救助ボートからロープが投げられた。 ロープは手ごたえなく、はずれてかえってきた。
「バカヤローしっかりつかまるんだ。しっかりしろ !! ソーラ、もう一回投げるぞ !! 」水兵は大きな声で言ったがあい変わらず何の反応もなく通り過ぎてしまった。
「これは、おかしい ? ボートをもどせ ?! 」と言って、若い水兵が兵隊の顔を引き上げ懐中電灯でみたら、すでにこときれていた。今井一等兵はその顔をみた瞬間「あ !! 」と声を上げた。まぎれもなく、下原忠男一等兵だった。
「おい !! 下原じゃないか。しっかりしろおい !! おい !! 下原」今井一等兵は彼のほおを軽く打ちながら呼びつづけた。
まだ体温がかすかに感じられた。しかしすでに手遅れだった。
「バカだな下原、きさまここまでよく頑張ってきて、死ぬとは何ということだ !! 」
今まで本当に苦楽を共にしてきた身近な戦友の死を今井一等兵はたえられない気持で、水兵のやる人工呼吸をながめていたが、再び生き返ってはこなかった。
彼は宇品を出る前、下原一等兵といっしょに資材積み込みの仕役にいった時のことを思い出していた。米、かんづめ、酒、菓子などを船倉に積み込んでいる時、あやまって酒ビンを
こわした者があった。その時よせばいいのに、そのこわれたビンに残っていた酒をこっそりカゲで飲んだ。その中に特に酒に弱いヤツがいた。船倉の仕役が終わって甲板で点呼という時に酔っていて上がってこられない。戦友思いの下原一等兵が気付いてあわてて、船倉へ救出にもどったがうまくいかなかった。
かわいそうに下原一等兵も同類とみなされて、あの時は曹長からひどいピンタをくらった。しかしピンタはくったけれども、ついに下原は言いわけをしなかった。前職は警察官だったというがえらいものだとこのことがあってから、中隊内では文句なしに下原株はあがった。今井一等兵は冷たい下原一等兵のなきがらの前にそのことを思い出していた。
「下原、きさま何で死んだバカだな ――」泣きながら何回も下原の名を呼び続けていた。
本船から救助作業中止命令が出たのはその時だった。 (昭和53年発行『松本連隊の最後』から)
戦争について書かれた本は多々ある。悲惨なもの、勇敢なもの、感動的なもの、惨酷なもの。引き上げ者の悲劇を書いた『満州慟哭』もその一冊だ。が、戦争ルポタージュ文学の最高傑作といえば、石川達三の『生きている兵隊』(中公文庫)である。
日本は、1889年、明治22年に大日本帝国憲法を発布した。陸軍は、徴兵令を改正し、免除規定のほとんどをやめ、兵役の義務を強化した。赤紙一枚で、平凡な一市民を、望むと望まないに関わらず遠く外国の戦地に送る。理由は西欧諸国もやっているから。そして、そこで狂暴な殺人者に変える。それは日本が戦争に負けた1945年8月15日までつづいた。
石川達三の『生きている兵隊』は、普通の市民、医学生や僧侶が戦地で、どのように兵士になっていくのか、しっかりと観察している。人間は、なんにでも慣れる、どんなことでもできる。恐ろしいことだが、この本は、まさにドストエフスキーの実証記録書でもあるのだ。
なお本書は、創作ルポとなっているが、当時、軍規制の厳しいなかノンフィクションとするには、不可能だった。もっとも、創作ルポと銘打っても、書店に並んだその日に発売禁止となり、回収された。『生きている兵隊』脱稿までのドキュメントは以下の通り。
・1937年(昭和12)7月7日 盧溝橋事件。元幕僚長論は、最初の一発は中国兵が撃ったとあるが事実誤認らしい。一般的な見方は、日本軍が、戦争を仕掛けるための罠。口実に日本は、日中戦争に突入。兵隊を続々中国に送り出した。多くの作家が中国に渡って従軍記を書いた。32歳の新進気鋭の作家石川達三にも、依頼がきた。石川は「毎日読む記事が画一的なので腹が立ちました。戦争というものは、こんなもではない」
・同年12月25日、東京を出発、翌年1938年1月5日に南京に着く。ちなみに南京虐殺疑惑があるのは12月13日。20日遅れではあるが、石川は日本軍南京攻略のなまなましい現場を目撃したはずである。
・1938年2月1日から書きはじめ11日に脱稿。330枚。『中央公論』3月号掲載、2月17日配本されるが、時局柄不穏当な作品と発売中止に。石川は警視庁に連行された。
・1945年12月末、ようやく発刊される。
広 場
新 刊 2008・11・20。
『ドストエフスキー曼荼羅 2』D文学研究会主宰・日本大学芸術学部教授清水正氏編著
『ロシアの近代化と若きドストエフスキー ――「祖国戦争」からクリミア戦争へ』 高橋誠一郎著 成文社 2007
2007年9月に日本図書館協会の選定図書に選ばれました。
同人誌紹介
『小説芸術 48』2008
「トルストイアンとの有縁」羽鳥善行(長野正さん)
読者には、なかなか理解できないところだが、研究者や専門家には、誤訳問題というのがつきものらしい。偶然か、意図的が作者は、ドストエフスキー作品の翻訳論争がある今日、この作品を発表した。トルストイ信者ともいえる北御門二郎(1913-2004)は1960年に米川正夫、中村白葉、原久一郎を相手取って「トルストイ誤訳論争」を起こした。この作品は、誤訳問題を取り上げたが印象的には、北御門と作者の交流の記録といえる。九州熊本の山村に北御門を訪ねた作者は、淡々とした語りで私情をいれずに追いつづけている。
美術展 第41回 新美展 上野東京都美術館 11月22日〜29日
読書会・会員の山田芳夫さんの作品が2点展示されました。
「ショスタコービッチ」F50 油彩画 「ドストエフスキー」F50 油彩画
掲示板
○報告者の予定
現在、新訳『カラマーゾフの兄弟』が100万部突破とのこと。この快挙に乗じて2009年は『カラマーゾフ』の年にします。が、『未成年』は『カラマーゾフ』を論ずるうえでかなり重要と思います。(10月1回だけでは足らないとの声もあります)。そこで、2009年は、4サイクル全作品読み終盤でもあることから『未成年』など晩年作品も取り混ぜて行います。
2009年2月読書会 → 長野 正さん『カラマーゾフの兄弟』一回目
2009年4月読書会 → 長瀬 隆さん『未成年』から『カラマーゾフ』
以降、『カラマーゾフ』2回目を菅原純子さんが、3回目を江原あき子さんが希望しています。※ なお報告者や諸事情の都合で変更があるかも知れません。ご理解ください。
○『広場』・『ドストエフスキー曼荼羅』希望の方は「読書会通信」編集室まで。
○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024
2008年10月3日〜12月8日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりまして厚くお礼申し上げます。
○ ドストエーフスキイ作品の感想、評論、自著の宣伝、映画、演劇評、自身のドストエフスキー体験など、かまいません原稿をお送りください。
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方