ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.110 発行:2008.10.3


10月読書会のお知らせ

月 日 : 2008年10月 11日(土)
場 所 : 東京芸術劇場小7会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
開 場 : 午後1時30分
開 始 : 午後2時00分 〜 4時50分
作 品 : 『未成年』
報告者 : 平 哲夫 氏
会 費 : 1000円(学生500円)

◎ 終了後は、親睦会として二次会を予定しています。
会 場 : 近くの居酒屋 JR池袋駅西口周辺 
時 間 : 夜5時10分 〜 


報告者紹介

南の島から帰って来た男

 報告者の平哲夫さんは、60年、70年代の高度成長時代を企業戦士として支えてきました。最後のお勤めは、沖縄だそうです。8年間、泡盛で鍛えた酒豪の片鱗が二次会の宴席で垣間見られます。退職されてから青春時代に読んだドストエフスキーが忘れられず手にとったところ、ふたたびその魅力(魔力)に憑かれてしまったそうです。いつももの静かで、にこやかな紳士の平さんですが、ドストエフスキー談議は、熱く燃えます。そこからは、読みの深さと新しさを感じます。『未成年』という難解作品。もしかしてドストエフスキーの作品群のなかで、最も重要かも知れないこの作品を、どう読んだのか、大いに楽しみです。




『未成年』をよむ 


平 哲夫

 『悪霊』の後、1874年年末に起稿(ドストエーフスキイ53才)、翌75年年初より『祖国手帳』に連載された『未成年』は、『私の理想』の私を副主人公として数多い逸話が「枝葉に別れて」散りばめられているが、一貫しているのはヱルシーロフとアフマーコワ将軍夫人との愛憎の顛末である。
 そこには人間性の機微に対するる深い洞察のまなざしのもと、心に沁みる個人的な家庭劇が描かれている反面、嫉妬、讒訴、奸計が渦をまく。ヱルシーロフの激しい嫉妬―それはシェイクスピアの悲劇『オセロウ』に重なり合う。

『オセロウ』との相似                                       
 
アフマーコワ夫人とピョーリング男爵の婚約を知ったヱルシーロフは、嫉妬に狂って次の手紙をアフマーコワ夫人宛てに送る。
(原文引用・第二篇第八章三)

 「・・・次にこの恐ろしい、醜い、馬鹿げた、悪党じみた手紙の内容を、一語一語そのまま掲げることにする。     
『カチェリーナ・ニコラエヴナ殿
 貴女が本来の性質と熟練の結果、いかに淫蕩をほしいまゝにせらるゝとはいへ、すくなくともある程度までは、貴女がその情欲を抑制して、年少子女にに毒牙を伸ばす如きことは、萬これなかるべしと思考つかまつり候。しかるに、貴女は厚顔無恥にも、これさえ敢えてせられたり。ご参考までに申上候が、御承知の書類は蝋燭の火に焼かれたることもなく、またクラフトの手もとにに保蔵せられたることも御座なく、したがって、貴女としてはなんら得ることもなき次第につき、無垢のの青年を誘惑堕落せしむることは、ご無用になされたく存じ候。何卒いまだ丁年に満たざる彼を御容赦くだされたく、かのものは精神的にも、生理的にも、十分の発育を遂げざる少年同様にて、貴女のためなんら益するところこれなくと存じ候。小生は彼の一身に關心を有するものに候へば、敢えて貴女に一書を呈するゆゑんに御座候。もっとも、その効果には多くを期待いたしかね候。なほ念のため御斷わり申上候が、本書と同時に、この寫しをピョーリング男爵に郵送いたすべく候。A ヱルシーロフ 』  」

 尚、本書には『オセロウ』に関る文章が3ヶ処ほど出てくるが、その一つ

第二篇第四章二
 カチェリーナ夫人と「私」との会話。私が語る。
 「・・・いつかヱルシーロフのいったことですが、オセロウがデスデモウナを殺して、それからついに自殺したのは、決して嫉妬のためじゃなく、ただ自分の理想を奪われたからだといいましたが・・・ぼくもそれが合点ゆきました。なぜって、ぼくもきょう自分の理想を返してもらったからです !」

『オセロウ』第三幕第三場90
 オセロウ・「お前を愛さぬことでもあったら、この魂は破滅だ!お前を愛さなくなるような時が来てでもしたら、この世界は再び混沌に帰すのだ」

相似の場面

第三編第十二章五(ラストシーン)
 ラムベルトのピストルとヱルシーロフの出現に、カチェリーナ夫人は気絶して倒れる。ランベルトから奪ったピストルを片手に、ヱルシーロフは寝台に横たわる彼女の青ざめた唇を二度ばかり接吻した。筒口を彼女に向けられたピストルを、私がトシャートフととりはらうと、彼は取られた手を振りほどいて、わが身へ発射した。
『オセロウ』第五幕第二場
 オセロウ・「・・・お前を殺して接吻したな。こうするよりほかはない。自らを殺して接吻しながら死ぬのだ」寝台の上に倒れて、死ぬ。

その他の相似点


第一編第四章二  ―エムスでの事件―                                                                   
 1年半ばかり前エムス(ドイツの温泉場)で起きたヱルシーロフとアフマーコフ家の間に次のような事件が起こる。概略下記の通り。(初めはクラフトからの話)
@ 最初の頃はヱルシーロフはアフマーコフ家で大変尊敬されていた。
A アフマーコフ将軍の先妻の美人の娘にとってカチェリーナ夫人は良き義母だったが、彼女はどういうわけか、一番よくヱルシーロフになついた。
B ヱルシーロフとカチェリーナ夫人との仲は次第に険悪になる。
C ヱルシーロフが病身の将軍の耳に「カチェリーナ夫人はソコリースキイ若公爵(エムスを去ってパリに滞在中)に気がある」と遠まわしに、きわめて婉曲にほのめかす。
D もう一つの奇怪なこと。カチェリーナ夫人の病身の義娘がヱルシーロフに恋をする。理由はよく分からないが、ヱルシーロフは一時殆んど毎日のように、この娘に付ききっていた。
E とどのつまり、娘は父に向ってヱルシーロフと結婚したいと言い出す。
(クラフト、アンドロニコフ氏、マリア夫人それにタチャー叔母まで、この話を肯定する)
F ヱルシーロフもこの娘との結婚を熱心に望みー結局、双方合意の上で結婚を申し出る。
G カチェリーナ夫人はこれに激烈に反対をする。→家中に起きる衝突、争論、涙―ありとあらゆる醜悪な場面が家庭内で起こる。その内父親はヱルシーロフの『魔法にかかって』(クラフトの言葉)娘の執念に根負けして来たが、カチェリーナ夫人は憎悪の念を持ってこの結婚に反対しつづける。                  
―以下は断片的な事実を基にしたクラフトの想像―
H ヱルシーロフはその娘に向って「カチェリーナ夫人が同意しないのは、彼女自身が彼に恋慕していて、つまり彼の後をつけまわし、早くも彼に自分の恋を打ち明けてしまったので、今ではほかの女に見換えられた恨みで、彼を焼き殺しかねないほどである」と吹き込む。
I なによりも陋劣なのは、彼は『不貞な妻』の夫たる将軍にまで、このことを匂わしたらしい。
J その時彼は「ソコリースキイ若公爵などは彼女にとって単なる慰みに過ぎない」とまで言ったとか。家庭内はさながら地獄同然の有様となる。一説によると夫人は非常に義娘を可愛がっていたので、濡衣を着せられ、娘に面目ないと狂気の様になる。
―ところが、それとは全く別な話がある。クラフトも「私」もそれを信じている別な話とはー
K 逆にヱルシーロフと夫人が親しかった頃、娘がそうした心を持たない前に、ヱルシーロフが夫人に言いよって信用を失う。更に将軍が二度目の発作で近く死ぬに相違ないから、ぜひ自分の妻になってほしいと申し込んだのを理由に、夫人は彼を傍から遠ざけてしまった。
その後公然とヱルシーロフが令嬢に求婚したのを見て、夫人の憎しみは一層強くなる。
L 恋に燃え立った哀れな娘は黄燐マッチの毒を使って、2週間患って死ぬ。
それから程なく、父将軍も悲嘆のあまり2度目の発作を起こしてこの世を去った。3ヶ月経った後の出来事。将軍の葬送後まもなく、ソコリースキイ若公爵がパリからエムスへ帰って、公衆の面前でヱルシーロフを撲る。それに対して決闘を申し込まなかったヱルシーロフに対し、社交界はみな背をむける。
(注:原文を整理して引用) 

ヱルシーロフの二重性

『私の理想』についてー第一篇第五章
マカール老人の物語―第三篇第三章四
エピローグー第三編第十三章

『未成年』人名録

第一篇
マカール・イワノーヰッチ・ドルゴルーキイ  (私の戸籍上の父、のち巡礼)
フォナリオートワ                 (ヱルシーロフの前妻、一男アンドレイ一女アンナを残して逝く)
フォナリオートフ家                (彼女の実家)
タチャ−ナ・パーヴロヴナ・プルトコーワ   (タチャ−ナ叔母さんと呼ばれる。ヱルシーロフ家の親戚なみ)
ソフィヤ・アンドレエヴナ            (私の母・18才でドルゴルーキイと結婚するが、2週間ほど後にヱルシーロフと結ばれる)
アンドレイ・ペトローヰッチ・ヱルシーロフ  (私の実の父。母ソフィヤとの間に私が誕生するが、その後1年経って実の妹が生まれ、                            更にその10〜 11年経って弟が生まれたが夭折する)
ソコリースキイ老公爵              (富豪で高等官―ニコライ老公)
ソコリースキイ若公爵         (セルゲイ・ペトローヰッチ→セリョージャ公爵ヱルシーロフと遺産で係争。上記の公爵とは別人)
アンドロニコフ              (生前、役所の課長、法律家・ヱルシーロフの財産を管理していた。私が子供の頃世話になる)
アンナ・アンドレーヴナ・ヱルシーロワ    (私の義姉、上述2行目)
オリンピアーダ                  (ソ老公爵の亡き夫人の家系の婦人)
ニコライ・セミョーヌイチ             (私の中学時代の寄宿先の主人)
マリア・イワーノヴナ              (その夫人、故アンドロニコフの姪)
カチェリーナ・ニコラエヴナ・アフマーコワ将軍夫人       (ソ老公爵の令嬢)
エフィーム・ズヱーレフ             (中学時代の同級生、のち高校へゆく)
トゥシャール                   (私の中学前の熟長)
ラムベルト                    (トゥシャール熟時代の友人)
アルカーチイ・マカーロヰッチ・ドルゴルーキイ  (つまり私)
デルガチョフ                   (去年9月19日彼の家に女性含め10人集まる)
クラフト                      (その中の重要な1人、アンドロニコフの手伝いも)
ワーシン                     (後に関係深まる、無口、上記の10人の1人)
リザヱータ・マカローヴナ           (私の妹、上述8行目)
スタルべエフ氏の手紙(遺言)        (ヱルシーロフの訴訟の鍵を握る。マリア・イワーノヴナの依頼で、クラフトより私がもらう)
アフマーコワ夫人の手紙           (同じくアンドロニコフ氏に宛てたもの。同じくマリア夫人の意思により私があずかる)



プレイバック読書会


『未成年』一回目 (1976年4月30日(金)開催)

田中幸治

 4月30日に、『未成年』の第一回読書会が行われた。当日は雨が降り寒い日でもあったせいもあり、参加したのは4人であった。発言は、誰の、というように明確にせず、A、B、C、Dとして記すことにする。

 A…『未成年』の主人公は、一体誰なのだろうか?未成年アルカーディなのだろうか、それともヴェルシーロフなのだろうか?
 B…それは、ヴェルシーロフでしょう。
 A…しかし、エピローグがついていて、その三、に「親愛なるアルカーディ君、今回貴君がこの『記録』を脱稿されたのは、/略/謂わば、自分自身に意識的報告を与えたことになります。」とあるところからすると、やはり主人公は、アルカーディではないのだろうか。
 C…アルカーディは何歳だったかしら?
 A…現在21歳で、去年の9月から始めると、と云っているから、20歳のときの記録になる。
 C…そうすると、未成年ではないですね。
 A…この『未成年』という題は、ロシア語ではどんなニュアンスをもっているのでしょう?
 B…親がかり、といった意味ですね。だから、この言葉で、「親がかり」(訂正・削除)として訳されているものもあります。
 A…『未成年』というのは、面白いには面白いのだけれども、さて、全体として、何を云っているのかとなると難しいですね。
 B…なかなか糸口がつかめない。
 D…モダンダンスみたいね。
 C…まったく笑っちゃうわね。何時にどこへ行きますといわれると、あいびきの約束をされたように思いこむ、そこへ行ってみて、やはり他に誰もいなかったので、てっきりそうだと思いこむ、ところがそれは、かくれていたタチャーナ叔母にすっかり聞かれてしまっている。そうかと思うと、妹をみごもらせた公爵からお金を何度も借りている、お金をせびっている。そのことを誰もが知っているのに、本人だけが知らない。
 D…アルカーディは女が嫌いだといっているけど、結局どうなの?
 A…とんでもない、公爵夫人に夢中なんだ。私が分からないのは、ヴェルシーロフの公爵夫人カチェリーナにあてた手紙だ。「貴女が本来の性質と熟練の結果、いかに放蕩をほしいままにせらるるとはいへ、すくなくともある程度までは、貴女が情熱を抑制して、年少子女に毒牙を伸ばす如きは、萬これなかるべしと愚考つかまつり候。しかるに、―略―」。こういう手紙を出している。
 C…それを、彼女が結婚するかもしれない相手、ピューリング男爵にも、写しをとって送っている。
 A…こういうことをするのは、一体、どういうことだろうか?
 C…ヴェルシーロフのカチェリーナに対する愛情の形をかえたものではないかしら。
 A…それはそうだろうけれども、それにしても、こういうことをするのは分からない。
 C…ドストエーフスキイ(書く上で)は破廉恥だったのではないかしら。ヴェルシーロフとカチェリーナの関係は、ドストエーフスキイ自身の、かっての恋人ポーリナに対する関係が、ここにもでてきているということではないかしら。
 A…『未成年』という作品は、『永遠の良人』と共に、彼の主要作品からみると、傍系に属する作品というように考えられるのだけれども。
 C…でも、『未成年』には、例えば、大審問官というような難しい主題がない。日常生活の中のとりとめもない想念を書いている。それがかえって徐々に身近いものになっているのではないかしら。
 A…たわいもない、こっけいな、馬鹿ばかしい、そういう想念を、生活の中での意識の流れを克明に記していったら、かなりの量のものになると思うけれど、つまりそれがどういうことになるか、となると、自分では、それが、何かの意味になるような仕事はできそうにない。だが、『未成年』の場合は、それがなんらかの意味になっている。エピローグでは、
「この無秩序に対する翹望は、―ほとんど常に、―秩序と「端麗」(貴兄自身の言葉を借用します)に対する、秘められた渇望から生じるものらしい。」というようにしめくくられている。それが、云うまでもなくドストエーフスキイの偉大なところだが、『未成年』では、随所に問題にしたいような個所がある。それらは次回にとりあげることにします。


『未成年』二回目 (1976年6月22日開催)

伊東佐紀子

 雨の降り続く6月22日夕方、屋根裏部屋のような池袋の喫茶店「コンサートホール」の三階、一人二人と傘を片手に集まってくる。『未成年』読書会も二回目、雑談に花が咲き、本題に入ったのは7時すぎ。
『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』と続く大作中にあって、他の作品が次々とセンセーショナルな事件がおき、人物を浮きぼりにいったのに反し、この『未成年』では細かな訳のわからぬような心理描写により話が進み、手のつけようがないといった感じがする。これは第一回の読書会で言われたことでしたが、一方、他の作品にも共通するドストエーフスキイの特異性が端的に現れていて、非常に読みごたえのある作品である。
 この中で、ヴェルシーロフとアルカージィの父と子の関係、ヴェルシーロフとアフマーコヴァの関係は非常に興味深い。まず父と子の二人は、同一人物の表と裏ではないか、という意見が出ました。作品中、「ヴェルシーロフは底の知れない自尊心よりほかいかなる感情をもいだきえない人間なんだから」という個所がありますが、確かに生まれてこの方、「ドルゴルーキイ公爵かい」と聞かれて「いやただドルゴールーキイなの」といい続けてきたアルカージィもまた自意識と自尊心から解放されない共通の人物のようです。けれどヴェルシーロフは誇りを持つ貴族であり、アルカージィは私生児であり、明らかに違う。父とは相反し、父に翻弄される清純な理想像である。といった反対意見も出ました。
 子供の頃からアルカージィにとりヴェルシーロフは神秘につつまれた超人であった。彼は山のように立ちはだかる父に向ってペテルブルグにやってくる。お互いにはにかみを含んだ、それでいて熱烈な父と子の対話。最後に自殺しようとした父のピストルの筒口をはねのける子、はたしてアルカージィは父を越え得たのであろうか。
 ヴェルシーロフとアフマーコヴァの関係、それは宿命という言葉で現されているが、何度もソーニャを愛していると言いながら、アフマーコヴァへの、のがれられない愛、憎しみと愛の両極端、ヴェルシーロフは次第に追いつめられ、彼の分身といわれるものが現れてきます。この分身が聖像を割り、ソーニャへの花束を足で踏みにじろうとするのです。現代人においても、この精神的分裂に苦しまない人間はいないのではないでしょうか。作中、「弱者に対する強者の愛は、ときとすると、互いに均衡した性格同士の愛よりも、比較にならぬほど烈しく悩ましいことがある」と書かれています。憎しみと愛の両極端、弱者に対する強者の愛、この二つはドストエーフスキイの他の作品にも共通する愛のパターンのようです。
 アルカージィは冒頭、自分には理想があると言っています。エピローグの中では「新しく眼前に開けた新しい道程というのは、とりもなおさずわたしの『理想』なのだ。以前と同じ理想なのだが、もうすっかり形を変えてしまったので、一見ほとんど見分けがつかないほどだ」と言っています。この形を変えていく過程が、この『未成年』ではないでしょうか。最後に『未成年』では「時代は常に未成年によって築き上げられているのですから・・・。」と結ばれています。これはドストエーフスキイ自身の言葉であり、当時の青年達に送る彼のやさしい呼びかけではないでしょうか。
 さまざまな人々がからみ合って、うずを巻いて、あたかも吸水口から非常ないきおいで水が吸い込まれていくようなドストエーフスキイの世界、『悪霊』の中でも「大団円」という言葉が使われていますが、『未成年』の中でも「大団円」という言葉が随所にみられ、それに向って読者をもまきこむ彼の魔力のようなものが、私達をひきずりこむようです。マカール老人、ヴェルシーロフの黄金時代、まだまだ話したいことがいっぱいあります。もう一度読書会で『未成年』をやろうということになりました。読書会が終わった時には9人が集まっていました。
 なお、前回の読書会で「親がかり」と訳されているものもあります。という個所は取り消して下さいという発言者の訂正がありました。



地下生活者とヴェルシーロフ@

河上徹太郎

「わたしは病的な人間だ…わたしは意地悪な人間だ。わたしは人好きのしない人間だ。これはどうも肝臓が悪いせいらしい。(米川正夫訳)」
 これが第一部「地下の世界」の書出しである。この篇は主人公40歳の時の独白として重要なセリフに満ちているのだが、要するにこの書出しの注釈に外ならない。しかし作者はこの人物の生地をもつと浮き出させるために、彼の二十歳の時の像を続篇の『べた雪の連想から』で、ニヒリズム小説の典型ともいうべき形で描いている。二人の生き方は理論的には殆ど変わりない。然し40歳より20歳の造反の方が活きがいいといったものであろう。
 ここで私の連想は、自らと、「地下室」から『未成年』の主人公アルカージイに移った。彼の年齢は事件当時19歳である。19歳とは当時から恐ろしい年頃だったのだ。そしてこの二人の青年は、その年配も、またその宿命的性格も、必然的に酷似している。普通、作家論としては『地下生活者の手記』はそれから二年後に歓声された『罪と罰』の観念的予告編として見做
される。全篇に漲るシニックなムードは共通しているし、殊に前者の終わりに出て来る娼婦との対話は、ラスコーリニコフとソーニャのそれから刑事犯的条件を引けばそつくりなのである。しかも尚私が今『未成年』を引合いに出すのは、ともに19歳の抵抗というものがまともに無償性のうちに描かれているので、そのまま当面の問題として扱えるからである。さしあたり一つだけ例をあげれば、『地下生活者の手記』の中でシェストフも正宗白鳥も引用している有名な台詞。「私は一杯のお茶にこと欠かねば、全世界がひっくり返ってもいい」と同じことを、アルカージィは初めの方でいっている。   (次号へ続く)



年譜でみる『悪霊』から『未成年』まで 
(編集室)

■1869年(48歳)
 7月下旬、フローレンス出立、ボローニャ1日、ベニス4日滞在。サン・マルコ寺院見物。
 8月初頭、ウィーンを経てプラハ( 3日逗留)からドレスデンに帰る。
 9月14日(26日)、次女リュボーフィ(エーメ)誕生。前年5月に長女ソフィヤを肺炎で亡くしている。
 11月21日、ネチャーエフ事件起きる。「ロシア通報」11月27日付けに掲載。
 12月、旧友ドゥロフ、ポルトヴァのパリム宅で死去。『偉大なる罪人の生涯』を構想(『無神論者』の発展)、別に『悪霊』のノートをとりはじめる。
■1870年(49歳)
 1月〜2月、『永遠の夫』を『黎明』に発表。『悪霊』起稿。
 7月、仏独戦争。ナポレオン三世プロイセンに降伏。アルザス、ロレーヌを割譲。パリ市民敗戦に怒って暴動、フランス再び共和制に
 10月『ロシア報知』編集部に『悪霊』の冒頭部分を送付。
■1871年(50歳) いよいよ『悪霊』をロシア報知に連載開始
 1月『悪霊』をロシア報知に連載開始
 3月〜5月パリ・コミューン
 4月ルーレット熱、突然さめる。
 7月1日ネチャーエフ事件の審理開始。審理経過は『政府通報』にて公表。
 7月8日アンナ、リュボーフィと4年3ヶ月ぶりにペテルブルグに帰る。
 8月16日 長男フョードル誕生
 11月 『悪霊』第二編完結 以後約1年間にわたり発表中止。
 12月末〜 モスクワ滞在、ペトロフスコ・ラズームフスコエへおもむき、イヴァーノフ(シャートフ)殺害現場を実地検証。
■1872年(51歳)スターラヤ・ルッサに旅行。以後、夏をこの地で送る。
 9月初旬 イズマイロフスキイ連隊第二中隊の兵営敷地内の二階建の傍屋に移り住む。以後の作品はすべてここで執筆。
 11月 『悪霊』第三篇前半を『ロシア報知』11月号に発表。
 12月 週刊新聞『市民』の編集長を受諾。同新聞に『作家の日記』を執筆。『悪霊』第三編を『ロシア報知12月号』に発表。物語は完結。
■1873年(52歳)ミハイローフスキイ『祖国の記録』誌で『作家の日記』、『悪霊』を批判。『悪霊』をかなりの部分にわたって改訂、単行本とする。
 ペテルブルグ刑務所の青少年犯罪者収容所を訪れ、浮浪児の精神状態についての資料を蒐集。
■1873年2月22日書簡 M・P・ボゴージン(1800-75歴史家、古文書)宛て (中村訳)
  …幾編もの中編や小説の人物像が頭の中に群がり湧いてきて、心の中で熟成してゆきます。そうした人物たちのことを考え、ノー トをとり、書きつけておいたプランに毎日新しい要素を付け加えてゆくのですが、気付くと、自分の時間が残らず雑誌に取られてしま っていて、自分はその先を書くことができないのです。そして、後悔と絶望に落ち込むのです。
 ネクラーソフとの和解
■1874年4月 ネクラーソフ、ドストエフスキーに今度書く作品長編(『未成年』)を1875年の『祖国雑誌』に連載してほしいと頼む。
「夫は、ネクラーソフとの親交が甦ったことを大変喜んだ。ネクラーソフの才能を夫は高く評価していた。」アンナ『回想』



『未成年』etc・・・・
 (編集室)

■ 一口に「現代ロシアの家庭と青年」を描いた小説といっても、そこは複雑だ。訳者米川正夫は、この作品について解説で、このように述べている。(一部抜粋)

 ドストエーフスキイが『未成年』をネクラーソフの依嘱によって雑誌『祖国雑誌』に発表したのは、1875年で、『カラマーゾフの兄弟』に先だつこと約5年、ドストエーフスキイの生活が安定期にはいって、その芸術も完全に円熟の境に到達したころの作品であるから、彼の作家として思想家としての偉大さは、遺憾なくこの中に凝集せられ、渾然とした味わいの深い、インチメートな滲透性に充ちている点、この文豪の長編中ほとんどくらべるもののないユニークな作品である。(全集)

■ 中村健之介さんは『ドストエフスキー人物辞典』の終わりで、この作品感想をこのように締め括っている。

 『未成年』という小説を距離をおいて眺めると、貴族である実父ヴェルシーロフは「落ちた偶像」と化し、農民のマカールがアルカーヂーにとっては「善い人」として記憶に残るという結果になっている。ヴェルシーロフという知識人はマカールという民衆に敗北し、ロシアの未来を担う新しい世代の「未成年」は、そのマカールに近づき、かれから「真実」を学んでゆくというところにドストエフスキーのロシアの未来への期待と希望を読み取ることができる。
 
■ 『未成年』の素材の一つ、ドルグーシン事件について。

 彼(ドルグーシン)は、有能で、知的に発達し、教養もあり、民主社会的傾向の新しい思想の感化を受けた男であります。現在の社会秩序は彼を満足させませんでした。彼は自分なりの理想をこしらえたのでした。それは、大体のところ、チェルヌィシェフスキーあるいはフレロフスキーの理想に近いものでした。
           (ドルグーシン・グループの一人、レフ・トボルコフの供述)

■ ドルグーシン・グループとは何か
 
 1876年7月ドルグーシン一派の裁判があった。ドストエフスキーは新聞を読んで興味をもった。そして、『未成年』のデルガチョーフとその仲間のモデルとした。彼らの理念は、協会や皇室を否定して、福音書のイエスの教えに従わんとする革命家たち。

■ 太宰治とアルカージィ

 太宰とドストエフスキーは、似て非なるものと思っている。が、パクリの名手太宰が、どこまでドストエフスキーを理解していたかはわからないところだ。名作『津軽』でクライマックスは運動場でタケさんに会うところ。太宰の心中疑惑をなめるように検証する長篠康一郎によると、津島修治は、その夜、タケさんの家に泊まって徹夜で四方山話をした。話の中心は「自分は兄さんたちとほんとうの兄弟なのか」という疑惑についてだった。太宰には「生まれてすみません」とか「罪・誕生の時刻に在り」『人間失格』には「日陰の子」なんて書いてある。これについて長篠たちは「われわれ第三者には窺い知れないそれなりの理由と、深い苦悩があったのだろうな」と同情を寄せている。が、心中オタク・文学オタクの言動の生涯から、その疑念の隅にアルカージィを演じる姿を想像してしまう。来年は、太宰生誕100年。祝うべき節目に水差すようで申し訳ないが、本通信作成中にふと浮かんだ空想である。



8・9 読書会報告 

『悪霊』祭で納涼盛会

 第228回・読書会は、記録的な酷暑がつづく最中8月9日に開催されました。今年も恒例となった暑気払い読書会として『悪霊』祭を行いました。21名の参加者があり盛大でした。二次会、カラオケ大会にも多数の参加者があり、にぎやかな納涼大会となりました。

悪霊とは何か、人間とは何かで議論沸騰

 暑気払い読書会は、2月、4月、6月読書会で連続とりあげた『悪霊』報告を踏まえて、御輿のテーマとなった「『悪霊』作品の評価」「悪霊とは何か」「私の悪霊体験」について熱い議論がありました。二次会の宴席もひきつづきの議論沸騰で祭の後もにぎやかでした。カラオケ大会では、皆さん持ち歌を披露。楽しい真夏の夜となりました。『悪霊』祭にふさわし読書会でした。もし読書会がつづけばの話ですが、10年後、5サイクルに入った悪霊は、どのように読まれているのか。そして、実際の悪霊は、日本や世界のなかにどのように存在しているのでしょう。悪霊に覆われた暗黒世界か、人間は、いつかは悪霊に勝つ。不安と期待と抱いて、4サイクル目の『悪霊』読書会は幕を閉じました。
 ちなみに、2月読書会では菅原純子さんが「スターヴローギンはなぜこのような人間になってしまったか」、4月は山田芳夫さんが「トリビアリズムで読む『悪霊』」、6月は金村繁さんが「スターヴローギン思考」を報告されました。

「ドストエーフスキイの会」情報 第188回例会報
 
 「ドストエーフスキイの会」は、2008年9月27日(土)に原宿・千駄ヶ谷区民会館で第188回例会を開催した。22名の参加者があった。今回の報告者は、ドストエーフスキイの会会員、「読書会通信」読者でもある大阪府立大教授の萩原俊治氏でした(61)。
 氏は、綿密なレジメを配布。それに添って「ドストエフスキーとヴェイユ(「真空」について)」を報告した。はじめに氏は、ご自分のドストエフスキー体験を話された。17歳のとき教室で隣りの席の友人が本を熱心に読んでいた。覗いて見ると『カラマーゾフの兄弟』という小説。それがドストエフスキーを読むきっかけだった。が、自意識を育てただけで読みつづけようとは思わなかった。かわりに小説を書くことにはまった。あるとき『地下室の手記』を読んで、愕然とした。その作品には、何十倍も深いものがあるとわかったから。そのときドストエフスキーをやっていくと決心した。しかし、まだ入っていけなかった。小林秀雄は、キリスト教がわからないからとドストエフスキーを放り投げた。自分もそのへんがまだ解決ついていなかった。が、森有正を読んではっきりした。記憶違い、解釈違いはあるかも知れないが、およその氏のドストエフスキーへの旅のはじまりはこのようであったように思う。
 そのあと『カラマーゾフの兄弟』第二部第五編の「反逆」の章で語る「永遠の調和」について穏やかに熱く話された。


ドストエーフスキイ情報

【ド翁文庫・佐藤徹夫】さん提供

<図書>

・『キャラバン・サライのロシア 歴史・民族・地政学 下』 植田樹著 東洋書房351p 18.8cm 2008.5.25 ¥1800 <ユーラシア選書・9>*第三十章 ベルヂャーエフと三人の作家 のうち ドストエフスキー p118-122
・『清水正・ドストエフスキー論全集 2 停止した分裂者の覚書』 清水正著D文学研究会(発売:星雲社) 375p 21.6cm 2008.5.30 ¥3500
・『ドストエフスキーの人間力』 齋藤孝著 新潮社 293p 15.1cm 2008.6.1 <新潮文庫・8447=さ-54-3>
   *初出:「小説新潮」2003.5〜2004.5 「ドストエフスキーな人びと」
   *単行本:2004.11.20 『過剰な人』(新潮社)
・『文学 海を渡る』 佐藤泰正編 笠間書院 189p 18.8cm 2008.7.10 ¥1000 <笠間ライブラリー・56>
   *「近代日本文学とドストエフスキイ 透谷・漱石・小林秀雄を中心に/佐藤泰正」 p157−179
・『世界文学必勝法』 清水義範著 筑摩書房 229p 18.8cm 2008.7.25¥1500
   *第三章 十九世紀の文学 のうち 24 ドストエフスキー『罪と罰』(ロシア、一八六六年) p108−109
・『ドストエフスキーとは何か』 長瀬隆著 成文社 446p 19.5cm 2008.7.26 ¥4200
・『私が出会った一冊の本』 太田良子、原島正編 新曜社 2008年7月10日¥2800 264p 21cm
   *ドストエフスキー『罪と罰』 私を変え、今も同行する一冊/荒井献 p141-152
・『「ネタになる」名作文学33 学校では教えたい大人の読み方』 山下敦史著 プレジデント社 2008年9月10日 ¥952 118p 19.5cm <PRESIDENT ピンポイント選書>
   *初出:「Salus」(東急電鉄) 未確認
   *『罪と罰』ドストエフスキー 19世紀のペテルブルグは「絶望都市」東京だ! p67-69
・『清水正・ドストエフスキー論全集 第3巻 ドストエフスキー『罪と罰』の世界』清水正著 D文学研究会(発売:星雲社) 2008年9月20日 ¥3500 535p 21.6cm 付録:栞


<逐次刊行物>

・漂流する想いのなかで レオニード・ツイプキン『バーデン・バーデンの夏』(新潮クレスト・ブックス)/青山南「波」 42(6)=462(2008.6.1) p30−31
・タイトルは難しい/沼野充義  *ドスト作品の訳題について「文藝春秋」 86(8)(2008.7.1) p88−90
・<南の話・125> ドストエフスキーかトルストイか/青山南  *英訳について「本の雑誌」 33(7)=301(2008.7.1) p32−33 ・<文芸漫談 シーズン2 10> ドストエフスキー『地下室の手記』を読む<自己否定の無間地獄で生きた男>の巻/奥泉光×いとうせいこう 「すばる」 30(8)(2008.8.1) p241−257
・ドストエフスキー『白痴』について/山城むつみ「群像」 63(8)(2008.8.1) p92−146
・ついに『カラキョー』を読んだぞ あとがきのあとがき/清水義範「ちくま」 449(2008.8.1) p12−13
・『ドストエフスキイと日本人(上) 二葉亭四迷から芥川龍之介まで』松本健一著 第三文明社 <レグルス文庫・265>2008.8.19 212p 17.3cm ¥800+
・『ドストエフスキイと日本人(下) 小林多喜二から村上春樹まで』松本健一著 第三文明社 <レグルス文庫・266>2008.8.19 205p 17.3cm ¥800+
・ドストエフスキーと漱石 瞬間と他者の詩学/井桁貞義 「國文學 解釈と教材の研究」 53(9)=769(2008.6.20=6月臨時増刊号) p113−120
・<私の読書術・5> ヴァイオリニスト庄司紗矢香さんと『不滅』/庄司紗矢香「asta アスタ」 3(9)=23(2008.9.6) p120−123
・カラマーゾフ101万部  *亀山訳、ミリオンセラーとなる「朝日新聞」 2008.9.12 p37
・<ロシア芸術家紀行・第7回> フョードル・ドストエフスキー(1821年-1881年)/池田正弘(撮影・文)「NHKラジオ まいにちロシア語」 46(7)(2008.10.1=10月号)巻頭口絵 2p
・甦るドストエフスキーの世紀/勝田吉太郎、(聞き手)三浦小太郎「諸君」 40(10)(2008.10.1) p134−148

*漫画版『罪と罰』について
  落合尚之著 『罪と罰』 1(2007.8.3);2(2007.12.28);3(2008.5.28) 双葉社 <ACTION COMICS> として出ている。
  帯文に「ドストエフスキーの傑作が現代を舞台に蘇る」などと書かれている。



訃 報

工藤精一郎さん(くどうせいいちろう=ロシア文学研究家、本名精一)
2008年7月9日死去 86歳

 団塊世代の読者は、工藤さんの訳の作品を多く読んだ。『罪と罰』『未成年』などがある。トルストイは『戦争と平和』など。
 ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。



連 載

日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(続編) −
「ドストエフスキー体験」をめぐる群像− 

(第18回)その受容史における“保守主義”の系譜と今日的帰結

 福井勝也

はじめに

 雑誌『諸君』(2008.10月号、文藝春秋社)の「甦るドストエフスキーの世紀」と題する対談記事を一読した。対談は、某評論家が昨今の社会事件を問題にしながら、京都大学名誉教授の勝田吉太郎氏と「ドストエフスキー」談義に及ぶものであった。ここでは、その対談の副題<「自由」の暴走とニヒリズムの蔓延――。不朽の作品群は、現代への警鐘でもある。>、と紙面の見出し<「神なき時代」の日本の悲劇>・<「ラスコーリニコフの論理」の蔓延><人間中心主義の逆説><大審問官の「自由」><権利について多くを語るな><「救済知」が欠落した戦後教育><ニヒリズムを乗り越えるために>を列挙するに止める。その中身はその項目からほぼ推測可能な範囲内のもので、保守系オピニオン誌がいよいよドストエフスキー・ブームに呼応した記事を掲載したということだろう。端的に言えば、ロシア近代化に抗したスラブ派イデオローグ・ドストエフスキーを現代日本へ召還し、問題解決の処方としてその文学を紹介しようという意図か。しかし、残念ながら昨今起きている事件の有効な処方箋がここに十分示されているとは思えなかった。
『諸君』という雑誌のコンセプトはともかく、勝田吉太郎氏は『ドストエフスキー』(1968、潮出版社)という著書もある、近代ロシア政治思想史・アナーキズム研究者で京都学派の系譜を引く往年の保守派論客である。まずもって、そのご健在であることを知らされた思いがした。早速、御年80歳になられる勝田氏の著作をわが書棚に探してみた。新書版の『ドストエフスキー』(1968・潮新書)の他に、『神なき時代の預言者―ドストエフスキーと現代』(1984・日本教文社)という本がすぐに見つかった。パラパラと頁を捲っているうちに、後著が実は、前著の改訂版であって、本論はほぼ同内容であることがすぐに分かった。二著の「後書き」もほぼ重複していた。何が違うかというと、全体の頁数の五分の一ほどの序章「近代ヒューマニズムの終焉」が新たに付加されていた。結局、勝田氏は16年を隔ててほぼ同内容の後著を再刊し、そしてさらに24年を経て今回の「ドストエフスキー談義」に登壇されたことになる。なんと40年に及ぶ長丁場と言える。振り返れば、初めに新書として刊行された1968年は大学紛争の最盛期であった。また、前著から再刊までの16年の間には、連合赤軍事件(1972)の発生があり、その影響が「序章」に語られている。この「序章」追加の意図こそ、「事件」の事実認識によるものであった。そして今回、その後24年を経過した「対談」も、基本的に40年以前に発表されたドストエフスキー論を繰り返すものであった。ここで筆者は、勝田吉太郎という研究者のこれまでの来歴を殊更に問題にするつもりはない。しかし、明治25年(1892)の内田魯庵の『罪と罰』翻訳に始まるドストエフスキー受容史の余りにも単線的な今日的帰結とそのステレオタイブな内容に正直不満が残った。その感覚から発した突然の衝動の向かった先が、その紆余曲折の「受容史」を充填したいという欲望であって、それが別の<本>を手に取らせることになった。実は今回のこの偶然の展開が「本論」のきっかけとなった。ここではまず、その書名その他をとりあえず記しておこう。それは『共同討議 ドストエフスキーの哲学』という著作で、発行年月日は昭和42年(1967)12月25日となっている。発行者は「国際日本研究所」という団体で、住所は兵庫県西宮市と記してある。発売元には「創文書」という東京の出版社名が奥付にある。実は、この著書はどこかで開かれた「シンポジウム」をまとめたもので、五人の哲学者・思想家が順に導入的な報告をした後に活発な議論が展開される構成をとっている。ちなみに、目次内容をここに列挙しておく。第一章 ドストエフスキーとその時代 ― 唐木順三、第二章 ドストエフスキーにおける「人間」の問題 ― 西谷啓治、第三章 ドストエフスキーにおける「革命」の問題 ― 高坂正顕、第四章 ドストエフスキーにおける「神」の問題 ― 森有正、第五章 ドストエフスキーと現代 ― 和辻哲郎とある。大変な大物ぞろいの本格的な討議報告である。実は、発行年月日が気になって、参加者の没年を調べてみた。そのなかで実は、和辻哲郎氏が昭和35年の年末には最初に亡くなっていることが分かった。そこから推測されるところ、どうもこの「シンポジウム」が、戦後の30年代の前半あたりに行われたらしいことが推測できる。しかしどのような経緯で、どこで開催されたものか明らかにされていない。しかし読み込んでみて、その内容の深さと広がりに正直言って驚嘆した。21世紀の今日から見ても遜色のない議論が展開されていると思ったからである。そしてこの発表者の顔ぶれの特徴は、実は戦前の京都学派系の歴史哲学系の学者が中心であって(例外は、森有正だけか)、例えば、戦前の「近代の超克」等の議論に参加した保守派の論客が中心メンバーになっていることだろう。それらの人々が戦後、高度成長期が開始される直前頃に一同に会して、改めてドストエフスキーについての徹底的な論議を試みていたことになる。これはすごいことだと感じた。実は、昔からこの「本」の存在は気になっていて、かつて一読した記憶があるのだが、今回何故か避けて通れぬものを感じてしまった。恐縮だが、当方の都合でこの著作への考察は別途改めて言及させていただくことになる。とりあえず、今回はそんな経緯を踏まえて、ドストエフスキー受容史における言うならば“保守主義”的な系譜の今日的状況の一端に触れてみたいと考えた。今回はそのような今後の見通しにおける「前段階的報告」ということになる。

(1)勝田吉太郎氏の「ドストエフスキー体験」

まずは再度勝田氏に戻って、その二著に重複する「後書き」の一部を引用してみる。

「ここでは、そのお名前を列挙するのをさし控えるが、私は、自分のドストエフスキー論を構成する際、内外の多数の先覚に多くのものを負うている。ことにわが国の学者のなかでは、西谷啓治博士の所説はきわめて多くの啓発を著者に与えた。厚くお礼申し上げたい。―中略―私事にわたって恐縮であるが、ドストエフスキーは私にとってことのほか忘れることのできない小説家であり、思想家である。私に文学開眼をさせたのは、ほかならぬドストエフスキーであった。ロシヤ語を学び、その煩瑣な文法をまがりなりにもマスターしたのち、はじめて念願の『罪と罰』に原文で接した折りの感激を、私は今もって、まるで昨日のことのように覚えている。その後大学の法学部に入学し、法律学を勉強するようになってからも、私の情熱は、あの無味乾燥な六法全書よりははるかに多くドストエフスキーの文学理解に注がれていた。こうしてドストエフスキーは、私の人格形成にあたって消し去ることのできない極印を刻みつけたと思う。」
(『ドストエフスキー』−1968.10・潮新書「後書き」より抜粋)

 勝田氏は1928年(昭和3)生まれで、戦後(1951)京都大学法学部を卒業され、近代政治思想史とりわけロシア革命期のインテリゲンツィア・アナーキスト研究の専門家として知られる。そしてその専門研究への導きの前提になったのが、太平洋戦争期おそらく旧制高校時代に触れたドストエフスキーの文学と思想であったのだろう。この件に前述した「著書」(『共同討議 ドストエフスキーの哲学』)のメンバー西谷啓治氏の名前があがっていて、その深い影響が語られている。ここでは、その世代的な「ドストエフスキー体験」が正直に告白されている。さらに、ここには戦前から戦後に至り、現代まで続くドストエフスキー理解における“保守主義”の系譜の影響が存在しているはずだ。その系譜に連なる勝田氏の見解の柱となるものは、20世紀の全体主義権力(主にソビエト社会主義権力)の成立を近代的人間観の破産の結果としてとらえ、同時にその根っこのニヒリズムの問題が現代文明の危機を招来させているとの現状認識の継続が前提とされている。そして、ドストエフスキーの文学こそ、その内容を予言したものとして読み解くことができるというものである。さらにそこでは、ロシアに固有の相互主体性にもとづく共同体理念やナショナリズム(スラブ派的理念)が肯定的に語られることがその特徴になっている。
筆者は、勝田氏のドストエフスキー理解を肯定するためにここに引きあいに出しているのではない。さらに、ソビエト社会主義が崩壊してからすでに20年近くが経過した21世紀の現代に、主に冷戦期の反社会主義的イデオロギーとして機能したであろうドストエフスキー論をここで批判的にせよ蒸し返すつもりもない。ただしそのような経過のなかで、すでにステレオタイプ化したドストエフスキー論が“保守主義”の論調を支えるものとして再生し、それが現代の日本の問題状況を矯正する原理として堂々と主張されている事実に奇異なものを感じさせられるのだ。何より、長年ドストエフスキーと付き合って来た者から言えば、そんな簡単な処方箋として語られるほどドストエフスキー文学は無毒・無害な文学とは思えないからである。とにかく、この数十年に社会主義が辿った20世紀的現実とその本質をこの日本で一挙に露呈させた連合赤軍事件がその“保守主義”を生き延びさせてきた事実がある。このことは、勝田氏の著作の再刊の経緯とも軌を一にしていたということを指摘するに止めておこう。
 しかしここに来て、時代はめまぐるしく急旋回している。時代とともに成長する作家と言われるドストエフスキーが、その本国の変化に合わせてさらに変貌し始めたと言えるのかもしれない。いや、いよいよその本然の姿が浮かび上がってきたともいえないか。21世紀現代世界に、ロシア的ナショナリズムの問題が、新たなドストエフスキー理解とリンクしたかたちをとって語られ始めている。このことを端的に明らかにした刺激的な「書物」を次ぎに紹介してゆきたい。筆者によれば、こちらも深く“保守主義”の系譜に連なるドストエフスキー論だと考えている。ただしその“保守主義”は、今までの系譜の連続性よりもその根底を洗い直すような根源性を伴っている。それは、ドストエフスキー文学の毒をもたっぷりと吸収した過激さを孕んでいるとも言えよう。それだけに誤解を生む危険性も感じる。いずれにしても、ここには紛れもない21世紀的ドストエフスキー像が新たなかたちで立ちあがって来ている。その「書物」とは、今年の4月に異例の初版部数で発刊された「文春新書」の一冊『ロシア 闇と魂の国家』である。     
(次号に、この稿続く2008.9.28)
 


ドストエフスキーいろいろ

 9月25日(木)読売新聞夕刊に瞠若した人も多かったと思います。なんと縦9段ぶっちぎりでこんな広告が掲載されていたのです。
新訳で常識破りの累計100万部突破!!亀山郁夫訳 カラマーゾフの兄弟 全5巻
 この広告に象徴されるように、8月、9月のマスメディアにみるドストエフスキー人気は凄かった。ドストエフスキーの名があった新聞掲載記事を拾ってみた。あわせてソルジェニーツインの記事も紹介する。内容のあるものは一部ですが、コピーして当日配布します。

■8月1日(金)読売新聞 朝刊「日本の知力」
 …通訳者が10人いれば、10人違った表現をする。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のような古典に新訳が出るのと同じだ。 鳥飼久玖美子 立教大教授

■8月4日(月)朝日・読売新聞 ソルジェニーツイン氏死去のニュース
 ・「ソ連崩壊予見し評論 民衆への信頼は一貫」「自由の擁護者を悼む」「20世紀のドストエフスキーといっていい」朝日
 ・「『収容所群島』ソ連を告発」「ロシア再生訴え」「トルストイに匹敵」読売

■8月5日(月)読売新聞 文芸「ソルジェニーツイン氏を悼む」
 ・「19世紀露文学の正統的後継 ドストエフスキーにも匹敵する」

■9月2日(火)読売新聞 文化
 ・カラマーゾフの兄弟「壮大な大衆オペラ誕生」亀山郁夫

■9月13日(土)読売新聞夕刊 三面 『カラマーゾフ』新訳100万部突破
 ・光文社は13日、古典新訳文庫として刊行している亀山郁夫氏訳のドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』が、全5巻合わせて100万部突破したと発表した。古典文学としては異例の売れ行きという。同書は2006年9月発売開始。好色で金に汚い父親の殺害事件をめぐる3兄弟の言動を通し、神、死、人間の罪などの問題を描いた19世紀ロシア文学を代表する長編。亀山氏は東京外語大学長で、新訳は、対話形式で進む言語のいきおいを生かした軽快さが特徴で、先行訳と比べ、読みやすく理解しやすいと評価されている。昨今の古典作品の新訳ブームのきっかけともなった。(全文)

■9月20日(土)朝日新聞
 ・「一つの季節、終わる予感 ソルジェニーツイン氏を思う」五木寛之 

【編集室雑感】1974年ソルジェニーツイン氏が国外追放されたときのことはよく憶えている。ニュース映像で見た、歯ブラシ1本を手に空港の関税所を出ていく姿が印象的だった。日本の知識人の反応は鈍かったように思う。(なぜかは8月5日の読売「社説」)ノーベル賞受賞で本がベストセラーになり8億円の印税が入った。そんなやっかみ風評があった。私は、その頃はじめてこの作家の本を読んだ。『マトリョーナの家』。こんな作品を書ける作家が、まだ世界にはいる、そんな驚きがあった。

■ 2008年2月18日(月)毎日新聞 夕刊  
 ・「シーボルトとチェーホフに依拠せよ 日露領土問題解決のために」長瀬 隆



新 刊 

ドストエフスキー全集3: 『罪と罰』の世界
清水 正著 D文学研究会 定価3500+税 2008・9・20
謎解きを超えた『罪と罰』の決定版。今ここに、清水正のドストエフスキー論の真実が明らかになる

宮沢賢治のちから 愛すべきデクノボーの謎多き作品と生涯
山下聖美著 新潮新書 定価680 2008・9・20


掲示板


2009年は『カラマーゾフ』の年に。
現在、新訳『カラマーゾフの兄弟』が100万部突破とのこと。この快挙に乗じて2009年は『カラマーゾフ』の年にします。が、『未成年』は『カラマーゾフ』を論ずるうえでかなり重要と思います。(10月1回だけでは足らないとの声もあります)。そこで、2009年は、4サイクル全作品読み終盤でもあることから『未成年』など晩年作品も取り混ぜて行います。

広場』販売
○ドストエーフスキイの会の会誌「ドストエーフスキイ広場No.17」が発売中です。ご希望の方は「読書会通信」編集室まで 定価1000円 バックナンバーもあります。

編集室

○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
  郵便口座名・「読書会通信」    口座番号・00160-0-48024 
  
 2008年7月30日〜9月30日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりまして厚くお礼申し上げます。

○ 付録「2006〜2007年ドストエフスキー書誌一覧」ご希望の方は、お申し出ください。
○ ドストエーフスキイ作品の感想、評論、自著の宣伝、映画、演劇評、自身のドストエフスキー体験など、かまいません。原稿をメールか郵送でお送りください。
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方