ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.106  発行:2008.2.12



第225回2月読書会のお知らせ

月  日 : 2008年2月23日(土)
             
場  所 : 東京芸術劇場小7会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-2111
                       
開  場 : 午後1時30分
 
開  始 : 午後2時00分 〜 4時45分
 
作  品 : 『悪霊』第1回目テキスト『ドストエーフスキイ全集』
 
報 告 者 : 菅原 純子氏
            
会  費 : 1000円(学生500円)

◎ 終了後は、親睦会(二次会)を開きます。
会 場 : 近くの居酒屋 JR池袋駅西口周辺 
時 間 : 夜5時10分 〜 

※ 今二次会は、2008年の新年会と福井さんの出版祝いを兼ねます。



『悪霊』報告は3、4回を予定
 
 2月23日(土)午後2時からの読書会は、大作『悪霊』の第一回報告となります。この作品については、4月、6月読書会(その先まででもかましませんが)までを予定しています。報告を希望される方は、(まだ決まっておりませんので)お申し出ください。

読書会二件の祝報

 なお、作品報告に入る前に、二件の祝事の報告があります。一つは、いつも読書会開催と進行に尽力されている福井勝也さんが、このたび『日本近代文学の〈終焉〉とドストエフスキー』(のべる出版)を出版されました。お祝い申し上げます。二つ目は、現在、漫画家として売り出し中の(読書会会員)武富健治さんの作品『鈴木先生4』が、第11回文化メディア芸術祭で優秀賞を受賞されました。おめでとうございます。報告の前に、福井さん、武富さん(お忙しい中ですが、もし、いらっしゃっていましたら)お二人からお話をいただければ幸いです。ちなみにお二人の奥様、福井雅子様、武富智美様も読書会会員です。




『悪霊』1回 

【報告者:菅原純子さん】 読書会に積極的に参加。ドストエーフスキイの会では『広場』編集委員として活動。国文学からロシア文学に。長年、日本文学を愛読してきただけに評眼は鋭い。『ドストエーフスキイ広場 No.16』書評欄に加賀乙彦著『小説家が読むドストエフスキー』(集英社新書2006)評を掲載。本書における加賀の安易なドスト論に疑問を投げかけている。

『悪霊』を読んで


スタヴローギンはなぜこのような人間になったのか

菅原純子

 長年ドストエフスキーを読んだ読者においては、「私のドストエフスキー体験」は公然と一人一人の思いを話すことができるであろう。
 しかし、『悪霊』の主人公であるスタヴローギンに対する、すなわち「私のスタヴローギン体験」を人の前で話せといったら、ある人は口ごもり、ある人はそんな体験はないなど、公然にははばかれるものである。「私のスタヴローギン体験」とは、内なるチーホンに告白するか、墓場までもっていかない所までいきついてしまうものではないだろうか。
 『悪霊』をていねいに読んでいくと、謎であるスタヴローギンは、その姿を表わす。その姿はいわずもがな、読者においての様々な姿であろう。今回、第一回目である私の『悪霊』の報告では、スタヴローギンを中心とし、テキストを重視したものである。先に述べたように「私のスタヴローギン体験」は内なるものであるので、今回司会をかってでていただいた江原さんが提案した。
 「スタヴローギンはなぜこのような人間になったのか」をテーマとし、みなさんに考えていただき、話し合っていただきたいと思う。このようなとは少し抽象的なことであるが、スタヴローギンという人物を読者一人一人がとらえ所としたものでいいのではないだろうか




年譜にみる『悪霊』発想・着手の頃


 ドストエフスキーが『悪霊』を発想、着手した頃は、どこでどんな生活をしていたのか。ヨーロッパ放浪中だが、当時の年譜を追ってみた。

1869年(48歳)
7月下旬、フローレンス出立、ボローニャ1日、ベニス4日滞在。サン・マルコ寺院見物。
8月初頭、ウィーンを経てプラハ(3日逗留)からドレスデンに帰る。
9月14日(26日)、次女リュボーフィ(エーメ)誕生。前年5月に長女ソフィヤを肺炎で亡くしている。
11月21日、ネチャーエフ事件起きる。「ロシア通報」11月27日付けに掲載。
12月、旧友ドゥロフ、ポルトヴァのパリム宅で死去。『偉大なる罪人の生涯』を構想(『無神論者』の発展)、別に『悪霊』のノートをとりはじめる。
1870年(49歳)
1月〜2月、『永遠の夫』を『黎明』に発表。『悪霊』起稿。
7月、仏独戦争。ナポレオン三世プロイセンに降伏。アルザス、ロレーヌを割譲。パリ市民敗戦に怒って暴動、フランス再び共和制に。
10月『ロシア報知』編集部に『悪霊』の冒頭部分を送付。

書簡 ドレスデン、1870年10月7日(19日)

 拝啓、本状と同時に小生の長編『悪霊』の発端を、貴社へお送り申し上げます。お約束した期限より、はなはだしく遅れたことを、心からお詫び申しますが、それは小生の罪というよりも、まったく予知することのできない外部的事情によるものであります。ただ一つ、今後は中途の停滞がないということを保証いたします。ここにお送りした原稿は、第一編の半ばです。ぜんたいで三編に分かれています。各編は四章に分かれ(各章はローマ数字で表され、小見出しがついています)各章はさらに小節に分かれています。(今ぜんぶで小型便箋62枚お送りします)
 第一編の第三、第四章は、本1870年の11月に、貴社へご送付いたします。
 もし貴社が小生の長編を、来る1871年の1月号から掲載とご決定になるのでしたら、くり返して申しますが、小生の方からは今後停滞ありません。そのことは責任を持ちます。
 この長編に出てくるフランス語を、貴社の編集部で検討してくださるよう、折り入ってお願いします。小生は誤りはないように思いますが、誤る可能性はあります。
 また同様に、題銘に使われているプーシキンの詩も、原本と照合していただきたいのです。小生は記憶をたどって書きまた。
 この長編の個所に、「われわれは虱だけの頭に月桂冠をかぶせたのだ」という表現がありますが、、折り入ってのお願いです、この「虱だらけ」という言葉を消さないでください。概して、小生の長編になるべく寛大な取り扱いをお願いします。
 ひとつきばかり前に、小生はミハイル・ニキーフォヴィチの名あてで、この長編のことを報告した手紙を、貴社へ差し出しましたが、届いたでしょうか?いま当地の郵便局は、戦争騒ぎのために、手紙が二、三日おくれるかもしれないのです。
 なお一か月ばかり前に、親戚のソフィヤ・アレクサンドロヴナ・イヴァーノヴァあての手紙を『ロシア報知』社の気付でだしましたが、その返事がないので、手紙が届かなかったのではないか、と思います。・・・・・・・・。

N・K・ミハイロフスキー『文学・雑誌の覚え書き』
・・・・この小説の主要な部分は、現代の、センセーションを引き起こした事件から採られたものである・・・・・。(『ドストエフスキー写真と記録』代表編集者V・ネチャーエワ)




プレイバック読書会


1975年10月24日(金)第1回目、11月17日(月)第2回目、12月15日(月)第3回目、
1976年2月2日(月)第4回目、3月8日(月)第5回目。

『悪霊』  国松夏紀
 
 昨秋、10月24日(金)が『悪霊』の第一回、冬を越して桜前線北上中の去る3月8日(金)が5回目であった。
 第一回は、この作品に発想を与え、その登場人物の一人のモデルとなったと言われる、ネチャーエフとその事件その他をめぐってのレポート。―― おそらく、これが、作品を多層体とするなら、『悪霊』の基層をなしている。当時の読者は半ば、この事件のセミ・ドキュメンタリーを読む思いがしたろう。いわんや、この基層に移層されるべき諸事件に事欠かぬ現代においてや。或いは、『悪霊』をひとつの作品世界とするなら、そこにジャーナリステックな視界が開かれる。
 第二回は、晩秋、11月17日(月)、『悪霊』と『死霊』・ドストエーフスキイと埴谷雄高が比較検討された。―― 多層体としての『悪霊』の分層のひとつ、意識の問題・形而上学・観念論等々が明らかになって来る。ここで或いは、作者の思想が解読される。或いは、世界としての『悪霊』の思想的視界が開かれる。
 第三回は、クリスマスを前にして、12月15日(月)、「キリーロフとイエス・キリスト」と題するレポートで、『悪霊』及びその作者の信仰の問題がとりあげられた。―― 多層体としての『悪霊』の分層のひとつ、宗教の問題が明らかになって来る。ここで或いは、作者の信仰が解読される。或いは、世界としての『悪霊』の宗教的視界が開かれる。
 第四回は、歳改まった後の2月2日(月)、『悪霊』と現代の状況との類推から説き起こされ、五人組から政治のメカニズムへと話が進められ、さらに、神なきあとの人間の自由の問題、ニヒリズムの問題がクローズアップされ、シャートフ、キリーロフ、スタヴローギン、ピョートル、それぞれのタイプ(とそれぞれの自由・ニヒリズム)が分析された。この自由の問題をめぐって活発に意見が出され、話は、政治と文学というような問題にまで及んだ。新メンバーが3人参加した。―― 多層体としての『悪霊』の分層のひとつ、政治力学・集団や組織と個人の自由の問題・ニヒリズムの問題等々が明らかになって来る。或いは、世界としての『悪霊』の社会的視界が開かれる。
 以上の諸分層は、規則的正層を成しているわけでは勿論なく、互いに不可分に有機的にからみ合わされている。率直な読者は、これらすべての層を同時に透視しているはずである。ただ、『悪霊』について何かを語ろうとする時、任意の層が選択されるにすぎない。
 以上の諸視界は、読者の視点によるものである。率直な読者の視点からは、同時にすべての視界=世界が、読み取られているはずである。
 第五回は、『悪霊」及び『スタヴローギンの告白』が、如何なる個人的日常的文脈もしくは状況のなかで読まれたのか。それが極めて個人的資料を整理して読みあげる、というスタイルで回想された。要するに、『スタヴローギンの告白』のパロディが試みられた。
 それぞれ不充分な素描ではあるが、第一回〜第四回のレポートと第五回のそれとは、いささか趣きが異なることが、或いは感じ取られるかもしれない。とするなら、第一回〜四回に対する第五回の関係から、『悪霊』に対する『スタヴローギンの告白』の関係も、或いは類推されるだろう。これが、『スタヴローギンの告白』のパロディ、の意味である。
 『スタヴローギンの告白』は、それ自身がひとつの多層体である。それが、『悪霊』という多層体に挿入され(実際のところは、作者自身によってそうすることが断念されたが)、浸入断層体となる。
 『スタヴローギンの告白』は、それ自身で首尾一貫した文脈を持ち、様々な視界を潜勢させるひとつの世界である。それが、『悪霊』という世界に挿入され(同じく、実際のところは、作者自身に断念されたが)、孤立する。―― しかし、これで、『悪霊』が閉じられるわけではない。次回も『悪霊』の予定。(「ドストエーフスキイの会会報No.40」1976.3.30)
 
33年前は、熱かった。『悪霊』は半年の間に何と6回もレポートされた!!


『悪霊』と『死霊』   野田吉之助
 
 ドストエーフスキイは『悪霊』のなかで、キリーロフに〈地球と人類の物理的変化〉ということを語らせている。キリーロフの理論によれば、もしこの世界に神が存在しないとすれば、人間が神になる必要があり、その時人間は肉体的にも精神的にも変化し、また世界も事物もすべて変化してしまう、というのである。
 埴谷雄高の『死霊』は、作者の哲学的観念を盛った小説といえるが、そのなかで、黒川健吉(作者の分身のようだ)が右のキリーロフの思想をうけついでいるように思われる。もちろん黒川にはキリーロフを悩ましたような神の有無の問題はない。神にかわって存在の問題が前面にでてくる。黒川の思想を要約すればこうである。われわれの世界は自同律から成り立っており、すべての存在は〈自同律の不快〉に呻吟している。この不快感を解消するには、いまある存在形式を変革しなければならない。その変革は何によって可能か。人間の意識から創出された〈虚体〉をこの存在につけ加えることによって―― 。
 〈地球と人類の物理的変化〉を目指す点において、黒川健吉はまさにキリーロフの嫡子といえよう。そのキリーロフはドストエーフスキイによって悪霊に憑かれた者のひとりとして自殺する運命を背負わされる。キリーロフの嫡子である黒川健吉もドストエーフスキイの眼から見れば、同じ悪霊に憑かれた者と映るだろう。一方、埴谷雄高は、ドストエーフスキイの信仰を〈存在論〉以前の精神構造と称し、彼の最大の弱点と見放している。ドストエーフスキイも埴谷雄高も〈窮極の問い〉を問うことから出発しながら、前者は信仰に、後者は、ニヒリズムに到達するが、これを逆に、答えられない〈窮極の問〉が存在することこそ紙の恩恵といえないか。            
                         (「ドストエーフスキイの会会報No.39」1976.1.30)

例会・『悪霊』報告プレイバック

1969年6月第三回例会、報告者・深谷憲一氏「スタヴローギンの死、および五人組について」
1971年1月10日(土)、第12回例会、報告者・江川卓氏「『悪霊』におけるフォークロア的、神話的要素」
1974年3月25日(月)、第30回例会、報告者・安藤厚氏「『悪霊』について」
1975年4月24日(木)第35回例会、報告者・荘田智彦氏「スタヴローギンの悪霊の現代性」
1975年9月23日(月)第37回例会、報告者・国松夏紀氏「スタヴローギンの告白について」
1982年12月24日(金)第70回例会、報告者・島田透氏「スタヴローギンの告白について」
1983年2月25日(金)第71回例会〈パネルデスカッション〉、報告者・渡辺好明氏「スヴローギンとアイデンティティ」、
                     福井勝也氏「スタヴローギンとキリーロフ」、島田透氏「スタヴローギンの無意識について」
1983年7月12日(火)第73回例会、報告者・佐々木照央氏「『悪霊』と人神教」
1984年11月30日(金)第80回例会、報告者・冷牟田幸子氏「『悪霊』スタヴローギンの宗教性―『告白』を中心に―」
1987年8月28日(金)第92回例会、報告者・新谷敬三郎氏「ステパン氏が行く」
1988年3月4日(金)第95回例会、報告者・新谷敬三郎氏「さらにステパン氏が行く」


号外!農業大学生殺人事件


ぺ農業大学構内の池に死体

 1869年11月25日、モスクワ・ペトローフスキイ農業大学内の池で死体が発見された。発見者は、近くに住む二人の農民。この日、二人は大学内の庭園のはずれを通りかかつたところ、築山横の入り口近くに、帽子や防寒頭巾、棍棒などが散乱しているのを発見した。不審に思って近づくと、何かを引きずったような血痕が休憩所から池の端までまっすぐに続いていた。氷結した池のなかに黒いベルトを締め、防寒頭巾をかぶった人間の姿が見えたので警察に通報した。引き上げたところ人間は、すでに死んでいた。死後数日経っているとみられる。同じ場所には紐で結ばれた二つの煉瓦と、紐のきれはしもあった。

犯行は11月21日か 被害者の身元判明

 25日に大学の池で発見された若者の他殺体の身元が判明した。検死の結果、死亡時刻は四日前の11月21日頃と推定。犯行も当日と思われる。額に鋭利な刃物による損傷。被害者は、同農業大学の学生イワン・イワーノヴィチ・イワーノフ。

警察・怨恨と通り魔の両面捜査

 殺人の動機は何か。警察は、怨恨と通り魔の両面捜査ですすめているが、被害者の金や時計などには手がつけられていないことから、金品目的ではないとみられる。現場に散乱していた帽子、頭巾は被害者の持ち物ではないことが判明している。遺体のクビはマフラーでぐるぐる巻きにされていた。両足は、頭巾で縛られていた。この頭巾は被害者が大学の友人から借りたものとわかっている。被害者は、同大学サークル、五人組「人民による制裁」のメンバー。

被害者に身近な者の複数犯か

 11月25日に農業大学内での殺人事件について、目下警察は被害者の周辺捜査をすすめているが、犯行に関わったものは複数人とみている。(「モスクワ通報」1869・11・27参考)

号外! 農業大学生殺人事件の主犯、国外に逃亡!

「人民による制裁」過激派革命グループによる粛清さる11月21日、農業大学内で起きた大学生イワーノフ殺人事件は、過激革命グループによる謀殺と判明した。主犯は、同グループのリーダーのS・G・ネチャーエフ(1847-82)。元学生運動の活動家でスイスに逃げていたが、舞い戻って同大学に潜入、組織づくりしていた。12月暮れに逮捕の誤報が流れたが、すでに国外に逃亡。ドイツを経て、1870年1月現在は、古巣のジュネーブに潜伏しているとみられる。
 
号外!ネチャーエフ逮捕!!大学内殺人事件、主犯

 1872年、ロシア秘密警察第三課は、スイス、ジュネーブで1869年暮れから逃亡中の殺人犯S・G・ネチャーエフを逮捕した。ロシアに引き渡された同容疑者は、イワーノフ殺害動機について組織内での不和が要因で口封じのために殺害したと自供した。

【解説】ネチャーエフの目指した革命組織は、厳格な身分制に基づいた不平等なものだった。真の革命家を目指したイワーノフは彼の欺瞞を見抜き、反発、衝突した。危機感を抱いた容疑者は、仲間を騙して粛清した。今後、同類の事件が起きると危惧される。

号外!ネチャーエフ死す 過激派リーダー

12年前の農業大学内殺人事件の主犯 過激革命リーダー

 過激派革命グループのリーダーで、イワーノフ殺害事件の主犯格S・G・ネチャーエフが、1882年11月21日、収監されていたペトロパヴロフスク要塞監獄のアレクセイ半月堡で死亡した。35歳だった。死因は、長い投獄生活からきた病死、全身水腫と壊血病が原因。

内ゲバ殺人で20年の刑期中

  1869年11月21日モスクワのペトローフスキイ農業大学内で過激革命グループの仲間イワーノフを殺害してスイスに逃亡。1872年逮捕されたS・G・ネチャーエフは、モスクワ地方裁判所において、すべての権利の剥奪、20年間の懲役(鉱山での労働)、シベリアへの永久追放が言い渡され、ペトロパヴロフスク要塞監獄のアレクセイ半月堡に服役中だった。

服役中に宣伝活動、看守らを感化、脱獄計画で698人の逮捕者

 同監獄でネチャーエフは、積極的に革命の宣伝活動を続け、感化された看守らに逃亡の手筈まで整えさせた。この脱獄計画は未遂に終わったが、連座した関係者は698人余りに及んだ。この結果、監視は厳しくなった。そのため囚人の健康は急速に衰えたとみられる。


ネチャーエフとは何か


  19世紀後半ロシアの日陰に怪しく咲いたあだ花、S・G・ネチャーエフとは何か。人間の夢と希望の革命社会。その実現に向かって駆け上ろうとした男。暴力と粛清の手段で。その過激なエネルギーの源は、いかなる理念、いかなる人生から生まれたのか。ネチャーエフの革命思想の理念「革命家の教義問答」(バクーニンの影響)
「我々の事業は恐怖に満ちた、完全な、全地球規模の、容赦ない破戒である」
「メンバーはおのおの下に存在する第二等級、第三等級の革命家たちを指導する。これらの等級にはすべての情報が与えられるわけではない。革命家は彼らを管理化に置き、共有の革命的資本とみなし、この資本をつねに最大利益を上げるべく努めながら経済的に運用しなければならない。」
「個人的感情ではなく、革命事業上の利益こそが、革命家が同志に対してもつ関係の唯一の尺度である。」
「革命家はありとあらゆる場所へ侵入しなければならない。下層、中流の人々、店のベンチ、教会、旦那衆の家庭、官僚の世界、軍隊、文学者、秘密警察の第三課、そして皇帝のいる冬宮にまで。」

ネチャーエフ35年の人生

1847年に生まれる。父親はペンキ屋をやったりカフェのボーイをして生計を立てていた。
1861年、14歳の頃から工場のメッセンジャーボーイとして働き始める。
1866年、19歳、ペテルブルグへ出て教員試験をパス。アンドレーェフ学校の教師になる。
1868年、21歳、ペテルブルグ大学の聴講生となり、急進的学生サークルに接近。
1869年、22歳、学生運動で活動家として活躍する。が、学生運動が終息すると、受難者とし
        てスイスに脱出。この地で亡命中のバクーニンやオガリョーフと会う。
1869年5月15日、ミハイル・バクーニンは、ネチャーエフに信任状を与える。
「本状を携行せし者は、全世界革命連合ロシア支部の代表者の一人である。」ネチャーエフは、この書状を懐にモスクワに戻るとペトローフスキイ農業大学にもぐりこんだ。

マルクスとエンゲルスの所感

学生たちの運動を根こそぎ破戒する口実を、警察に与えた・・・

K・マルクスとF・エンゲルス『社会民主同盟と国際労働者協会』
 大半が、農民やその他の無産の人々の子弟であるロシアの学生たちの間に、社会主義思想が深く浸透して、彼らはすでに、それを直ちに実現すべきことを夢見るほどになっていた。多くの教育機関においてこの運動は日を追って広がってゆき、社会主義思想に染まった。教育のある、平民出身の無産の数多の青年が、ロシア社会の中へ流れ込んでいった。この運動の理論的支柱が、今シベリアにいるチェルヌィシェフスキーであった。まさにそのようなときに、ネチャーエフは”インタナショナル”の威信とこれらの青年たちの熱情を利用して、学生たちに「もはやこんなくだらぬことをしている時期ではない。インタナショナルに加盟している巨大な秘密結社が実在して、それが世界革命の火をつけようとしており、ロシアでは直接行動に出る準備をしようとしているのに」と思い込ませようとしたのだった。彼はうまく数人の青年を騙して、彼らを引き込んで刑法上の犯罪を犯させた。この犯罪が、おおやけのロシアにとって極めて危険な学生達の運動を根こそぎ破戒する口実を、警察に与えた・・・・
 世辞裁判の審理が陪審員の前で公開の場で行われたのは、ロシアではこれが初めてだった。80人を越える被告には、男性も女性もいたが、少数の例外を除いて、すべて若い学生だった。彼らは1869年11月から1871年7月まで、ペテロ・パウロ要塞監獄の独房に未決拘留として入れられた。そのために、彼らのうち2人は死に、他の数人は発狂した。駆られは監獄を出たが、しかし、それはただ、シベリアの鉱山労働、徒刑、拘禁15年、12年、10年、7年、2年という判決を受けるためであった。公開裁判で無罪とされた者たちも、その後で、行政処分によって流刑にされた。

ドストエフスキーの所感(ピョートル・ヴェルホヴェンスキー想起にあたり)

 ネチャーエフは、自分を主張するための思想というのはほんの少ししか持っていない。時、所、国籍、相違といったものは、彼は考慮に入れない。それは、彼によれば、買収された者なのである。ウスペンスキーやミリュコーフでさえ、「彼はつまらぬ、馬鹿な奴だ、と思うことがある。彼は好んで人と論争する男ではない。論争には滅多に関心を示さない。むしろ無関心である。彼の主張はただ一つ、「撲滅を実行せよ・・・」他の者たちは次第次第に、これはこれは自分たちとは違って、議論など無駄だと考えており、そんな暇もない実行家なのだ、と信じるようになってゆく。彼はいったい何をしているのか?それは他の者たちには常に秘密である・・・自分たちはいつも動きもしないで議論ばかりして何一つしなかったのに、彼は何一つ議論はしないで何もかも実行しているという考えが、彼らにショックを与える。徐々に彼らは、自分たちも、まるで機械に引き込まれたように、引き込まれたのを感じる。彼は巧みに連中をシャートフ殺しに引き込んだ。それで連中はもう拒否出来なくなってしまった。むしろペトラシェフスキーのタイプを手本とすること。(『創作ノート』)




12・15読書会報告 


師走の多忙のなか多数参加
 12月読書会は、師走の多忙のなか19名と多数の参加者がありました。インターネットで知った学生さんも参加され年齢的にも幅広い層の読書会になりました。二次会は忘年会を兼ねて「養老の瀧」で。途中から出席の人もいて全員で15名の皆さんが出席されました。3次会は、喫茶店「コジマ」に。

 この日は、北岡淳也さんによる「ドストエーフスキイ、その咬交円錐的世界」の報告がありました。詩人イェイツの詩の一節にムイシュキンとドストエーフスキイの名を見つけてから広がった占星術や秘密主義。「ドストエーフスキイ、イェイツ、バフチンの世界は咬交円錐という私のイメージ幾何学的図式によってその奥まで照射可能となるだろう」と結んだ。
 質疑応答では、「論の繋がりがわからなかった」「すごく難しい」「バフチンが基礎」などが出された。以下は、配布された「ヴィジョン」における咬交円錐。




日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー 
−「ドストエフスキー体験」をめぐる群像−
                     
第14回:「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」(07/9光文社新書)/「ドストエフスキー 謎とちから」(07/11文春新書)― 亀山郁夫著について
                                  
福井勝也
 
年が改まったが、ドストエフスキーの愛読者にとって昨年(2007年)は、「亀山・ドストエフスキー」が旋風を巻き起こした年として記憶されるだろう。一昨年の春(2006.4)「読書会」で同氏に講演をお願いした時点では、正直予想しえない事態が「ドストエフスキー・ブーム」となって現出した。ほぼ30年ドストエフスキー文学に親しんできた者として、時代と新たな共振現象が惹起された事態を新鮮に受け止め、その隠された意味を改めて探ってみたいと思い始めている。その辺りの思いから、今回は、昨年7月に完訳した古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』(光文社)刊行の余勢を駆って秋以降に出版された「新訳」の「副産物」とも言える同氏の二著書をとりあげてみたい。
それにしても、昨年末で56万部を越えたとされる「新訳」の総販売部数はこの種の出版物としては「異常」なベストセラーであって、その「社会現象」の原因についてはすでに若干のコメント(「読書会通信No.105」)を試みた。ただし、越年してさらに新たな事態も生じ、改めてこの場を借りて私見をもう一度練り直しながら論を進めてみたい。

 まずは亀山新訳の『カラマーゾフの兄弟』の登場によって、インターネットなど新たなメディア環境で育った若い読者層にもドストエフスキーの言葉が浸透する条件が与えられことが前提として指摘できよう。亀山新訳の日本語が、30年の年月を経て「作品」を現代に甦らせたことはともかく評価されなければならない。それでは、何故、亀山新訳の『カラマーゾフの兄弟』が突出する事態が現出したのか?それは、インターネットの現状に象徴される今日の日本が行き着いたメディア情況と、急激なグローバル化社会の進行(=「新貧困化」等)を背景にして、そこに生きる個々人が不可避的に引き受けねばならない(主に心理的な)条件が変質(=「悪意化」)を遂げ、その中身が「新訳」の「ドストエフスキー・ワールド」とクロスする事態が発生(「発症」)してきているからだと判断したい。この点で前提となるキーワードは、「グローバル化」と「メディア情況」ということになるが、すでに流布されたこれらの言葉の内実が、改めて我々の内部で急激に<邪悪なもの>として自らに襲いかかってくる「病巣」化を遂げているのではないか。例えばそれは、ラスコーリニコフがシベリアで夢に見た<旋毛虫>の伝染にも擬せられるもので、無意識的な他人の<悪意>が次々に感染する現象がいたるところで進行している。そのようなグローバル化した現代に生きる人間のむき出しの欲望(=「神話的本能」)とそれを反対に鎮めようとする切実な希求(=「宗教的本能」)が「21世紀的ドストエフスキー」を召還しようとする事態となって顕在化してきているのではないか。あるいは消費社会の偶然的なベストセラー現象発生の裏に、現代メディアの中核にある一部の人達の側から、新たなドストエフスキーの言葉とかなり意識的に交錯しようとする強い意志が亀山訳をきっかけに発動され、それがある部分の読者層に飛び火しながらメディア全体にハレーションを増幅・波及させて来てはいないか。そこには、おそらくメディア的な危機意識が露出して来ている。そんななかで、自分もある種の予感のようなものを感じ始めている。
もしかしたら、今までの読書層とは異質な「新訳」を読む新しい世代が21世紀的な<ドストエフスキー体験>をもうすぐ語り始めるのかもしれない。今年以降、その影響と反応がどんなかたちで現れてくるかをとにかく冷静に見守りたい。やや先回り的な予言?をあえてすれば、「21世紀的ドストエフスキー」が渇望される時代の到来は、選ばれた人間(=大審問官的権力者)のみが、恍惚として苦しみを舐める世界の終焉であり、普通に生きる人間同志がお互いの心理的深淵を覗きあう地獄を経験する時代の開始なのかもしれない。そこでは、だれもが人間的な再生と復活を希求せざるを得なくなるという結末も含めて、ドストエフスキー文学が日常的文学に成り下がる時代なのだろう。果たして、そこで生きる人間にとってそのことが幸福なのか否かは体験的にしか分からないものなのでこれ以上はここでは語れない。
 いずれにしても、それらの「現象」のきっかけが「亀山・ドストエフスキー」にあったことは明らかであってみれば、その中身を検討するうえで昨年秋に発刊された上記二著書は見逃せないものだろう。ただし最初に、この<二連発>を「新訳」の「副産物」と称したが、その表現は必ずしも正確ではない。というのは、亀山郁夫という今回の「翻訳者」が明治以降のそれまでの先達的なドストエフスキー文学の「翻訳者群」(例えば、その代表としての米川正夫)とは本質的に異なる内実を孕んでいることが指摘できると思うからだ。それは亀山氏が、職業的な「翻訳者」以前に「研究者」であって、それも多分に「作家的資質を備えたイマジネールな研究者」である事実に気づかされたからである。(この点では、氏は資質的には江川卓氏の流れの直系であって、現代のドストエフスキー研究者ではほぼ同世代の清水正氏とタイプが似ていると思える。)おそらくその点から、亀山氏の「新訳」には、「翻訳者以前」のそれまでの氏の「研究者独自」のドストエフスキーへのまなざしが色濃く反映されていると評価できるだろう。それが、時に「翻訳」の壁を突破した表現として現代日本語に底着される事態が発生しているのかもしれない(このことは、<創造的翻訳>の限界という問題にもなろうが、いずれにしてもこの点の<素人>である自分の手に余る問題なのでこれ以上の言及を控えたい)。そしてその研究的成果が注入される「翻訳」の過程で、亀山氏のイマジネールがさらに発展する契機が反復されることになる。そうした翻訳を通じての研究者的思考回路の連続の集積が、<二連発>の著書となってこの時期に結実したということだろう。以上から二著は「新訳」の単純な「副産物」ではなく、亀山郁夫という個性の、「研究」と「翻訳」を往還しながらの成果と呼ぶべきものなのだろう。
 今回の私のテ−マは、そのやや「枠」を広げたかたちの書評ということになる。そしてこの二著(特に、前著「続編を空想する」)については、昨年来の「亀山・ドストエフスキー」の話題性から、すでに専門家を含む多くの読者がインターネット等多様なメディアで本書に言及している。今回、それらも参照させていただいた。そのなかでも、注目させられる書評として沼野充義「完全な真空か、偉大な虚か?」(『新潮』07.12月号)と池澤夏樹「精密な読みが紡ぎ出す楽しい推理」(『毎日新聞』11.18)両氏のものがあげられねばならない。まずは沼野氏の書評によれば、本書のエッセンスは次のように対象化されている。
  「亀山氏は<続編>をめぐる先行研究や歴史的背景を博捜し、複数の説を検討したうえで、<著者より>の言葉にも、すでに書かれた『カラマーゾフの兄弟』という作品の内容にも矛盾しない形で、解決策をさぐる。同氏の基本的な考え方によれば、<続編>は第一の小説を構造的に拡大したものになるはずで、それは主題に関して言えば、<父殺し>から<皇帝殺し>への展開だということになる。―中略―しかし皇帝暗殺を企てるのは、第一の小説ですでに将来の革命家の片鱗を見せていたコーリャ・クラーソトキンであって、アレクセイは暗殺の企てそのものに関しては補助的な役割にとどまる。また皇帝暗殺の実現を描いた小説が当時のロシアの検閲を通るはずがないので、たぶん暗殺は未遂に終わるだろう――ざっとこういったところが亀山氏の推論の基本線である。」
 簡潔な要約文である。しかし、沼野氏の書評の眼目が、氏も意外に<おとなしい>と判断するこの「空想」の結論の当否にあるわけでなく、「そこにいたるまでに駆使される著者ならではの魅力的で奔放かつデモーニッシュなヴィジョンにある」と評価するところにあることは明らかだ。そして、その「亀山・ドストエフスキー」のヴィジョンの中身として、「ドストエフスキーのとり憑かれていた<父殺し>の観念、テロリズムが横行した当時のロシア社会のきなくささへの透徹したまなざし、保守派に<転向>しながら本質的に過激な心性を保ち続けたドストエフスキーという人間の<二枚舌>的な存在様式、そして<鞭身派><去勢派>といった異端宗教や特異な宇宙論をもった宗教哲学者フョードロフの思想への関心」と言った<独自な視点>からの状況証拠的論述の重要性が指摘される。しかしこれら沼野氏が列挙する亀山ワールドは、何も今回の二著で突然に開始されたものではない。それは、先行著書の「ドストエフスキー 父殺しの文学」(04.NHK出版)や「『悪霊』神になりたかった男」(05.みすず書房)等によってすでに(例えばそれは<使嗾>の問題等を含めたものとして)亀山氏に論じられてきた中身のものであった。しかしそうは言っても、今回の二著には、本著刊行直前まで足かけ2年を費やした献身的な「新訳」<体験>が介在し、その影響が大きく作用した事実があったことが大切なポイントなのだろう。そこでは、翻訳過程を通じて(氏自身の表現を使えば?)ドストエフスキーが新に憑依する心的現象が亀山氏を捉えたのかもしれない。その結果の二著が『続編を空想する』と『謎とちから』であることを改めて強調しておきたい。そして、さらに後著では<癲癇と性をめぐるドストエフスキー><カラマーゾフ姓の語源><スメルジャコフの父親>等主題がさらに広がりと深まりを見せて(主要作品を射程に入れながら)噴出してきている結果が報告されている。この間に氏の見解は大変速い速度で変質・展開していて、例えば『カラマーゾフの兄弟』の新訳文庫の解説に収められた作品読み解きの重要なファクターである「象徴層」「物語層」「自伝層」という内容に、「歴史層」という別のファクターが追加されている事態が生じていることも指摘しておく。これ自体、「亀山・ドストエフスキー」のヴィジョンの広がりの重要な契機になる新たな可能性を孕んだものとして注目される。
 しかしとりあえず、ここでは「続編を空想する」の問題に戻って(絞って)みようと思うが、結局は「新訳」の成果としての「亀山ワールド」が延長され「いままで<普通の>ロシア文学者があまりとりあげなかったこういう側面に亀山氏は大胆に踏み込み、自分なりの<続編>を組み立ててしまった」今回の顛末が沼野氏から論評されることになる。しかしここではまずもって、沼野氏の表現が専門研究者らしい慎重な言葉づかいによる見事な要約になっていることを指摘しておく。しかしながら、沼野氏の本書評の結論?は、(全般的に亀山氏の執筆姿勢に対して好意的なものでありながらも)そのやや不可解なタイトル(「完全な真空か、偉大な虚か?」)とともにその最後の数行でかなり問題提起を孕んだ表現で締め括られていることが注目される。
 「それは(<続編>の独自な組み立てによる「空想」−筆者注)危ういことでもある。『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する、という魅力的な作業にこれまで真面目に取り組んだ者が本国ロシアでもほとんどないということはとうてい許されない<冒涜>だからである。そうだとすれば、亀山氏はこの本によって踏み越えてはいけないなにものかを踏み越えてしまったのかもしれない。」
 <冒涜>という強い表現に<かっこ>が付されているのは、実は亀山氏自身が著書のなかでそのことに触れているからなのだろう。実は、本著の「続編を空想する」に対しての一般読者の反応(web等)には、作者の死という事実によって書かれてもいない「第二の小説」を<空想>するなどは、ありえない<妄想>であって論外とする厳しい内容のものもある。さらには、「続編を空想」しなくても、答えはすでに本編のなかに書かれている。そして、そのことは亀山氏の師匠筋にあたる江川卓氏の「謎解き『カラマーゾフの兄弟』」で詳細に説明されているので、今回の著書は完全な徒労作との批判もある(これらの批判は、年明け1/5の朝日カルチヤーセンターでの亀山郁夫氏の講義の際に配布された資料によることを付記しておく)。それらのものを含めて考える時に、本著の書評として特に貴重なものだと思えるのが先に触れた池澤夏樹氏の「精密な読みが紡ぎ出す楽しい推理」(『毎日新聞』11.18)のそれだ。池澤氏は、ドストエフスキーに続編の構想があったとする亀山氏の根拠(途中で書き加えられた本編序文の作者の言葉の存在、それと思わせぶりな感じで、続編への布石と読めるエピローグの存在等)にも触れながら、次のように本書の意義を語っている。

 「では、続編を書く意図が作者にあったと仮定しよう。それはどのようなプランだったか?新訳によって多くの新しい読者をこの名作に導いた亀山郁夫がその内容を推理する。これはその知的過程を辿る本だ。さまざまな手がかりを探し、読み解き、上手につないでゆくと、やがて続編の姿が見えてくる。本編をある程度まで知っている読者ならばこの推理に興奮するはずだ」(下線、引用者注)。ここでの池澤氏の言葉使いは、専門研究者のそれとは明らかに違う、小説家という立場にたちながらも一読者が本を読み進める知的営為が孕む悦楽が素直に表現されているのだと思う。何よりも読書する楽しみに資するものとして亀山氏の著作を評価しようとする姿勢に貫かれている。このことが、はっきりと表現されるのが本書評の末尾の部分で、先述の本著への批判ともディーセントに触れあっての結語になっている。

「一方で著者は、書かれなかった続編の内容を<空想>することは<作者に対するはなはだしい冒涜>ではないかと危惧する。しかしぼくは次回また本編を読む時はこの本に書かれた推理を意識しながら読むであろうし、それはずいぶん楽しいことだろう。著者がしたのは本編の異常なほどの深読みであり、これはその報告だと考えることもできる。いずれにしても続編は存在しない。この世のどこにもない。その空しさが本書読後に迫ってくる」(下線、引用者注)。
 ここまで読んでみて、なるほど沼野氏の書評の意味深なタイトル(「完全な真空か、偉大な虚か?」)の意味が腑に落ちた気がした。同時に、池澤氏の書評の最後の言葉使いの余韻が素晴らしいものとしてより輝いて見えた。そして何よりも、今回「新訳」を生むことの苦しみを通過した亀山郁夫という研究者が辿った本著執筆の過程が、池澤夏樹氏の微妙な表現によって確かに掬い取られていると感心させられた。それは昨年の「ドストエフスキー・ブーム」を起こした「亀山・ドストエフスキー」を考える重要なヒントとしてある。と同時に「21世紀的ドストエフスキー」への予感をも感じさせていないか。
(2008.1.22)




現代の悪霊 悪霊からの脱出 
  (編集室)


 悪霊とは何か。自己の意思では支配できぬもの。依存もその仲間といえる。その意味から覚せい剤中毒患者も悪霊に憑かれた人間とみることができる。一度とり憑かれた人間は、追い払うのも脱出するのも難しい。家族もかなりの覚悟と困難を必要とする。女優三田佳子さん(66)の二男が、この悪霊にとり憑かれているとニュースで知ってから何年も経つ。昨秋、コンビニのトイレに30分以上も閉じこもって怪しまれ110番され逮捕されたのが新しい。逮捕は3度目ということで先月28日の東京地裁は1年6月の実刑判決を言い渡した。三田佳子さんは、日本映画界では長年トップスター女優をつづけている。テレビドラマは、常に主役。むろん今現在もである。CMでも息子の事件さえなければ、恐らくいまでもCM女王として君臨していたに違いない。ご主人(66)は影は薄いが(現在は?)NHKのプロデューサーであった。と、いうことで常に高額納税者のランクに入る大物女優さん、マスメディアから注目されるのも仕方がない。次男の薬物犯罪経過は、10年前の高校生のときからはじまる。このときは未成年ということで、少年鑑別所収容後、保護観察処分になった。母親の三田さんは約8ヶ月芸能活動を自粛した。が、2年後、同じ覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される。20歳ということで、留置場に拘置される。母親は約10ヶ月の芸能活動自粛。保釈保証金500万円を支払う。法的には、懲役2年執行猶予5年の有罪判決。両親、更生を祈って唐十郎さんの劇団に託す。2年間劇団員として過ごした。退団後は、歌手、役者などの芸能活動をしていたという。この間、生活費として小遣いをあげていたが、その多額さに世間は驚いた。(30〜40万円、それ以上という芸能記者もいた)そして、今回の判決では、600万円の保釈金。監獄より病院で治療を選んだ。そのことで批判されることにもなった。が、二男が28歳ということで世間の目は、同情的でもある。息子でも大人だから、というわけである。
 二男が逮捕されたとき三田さんは、会見で涙ながらに謝罪して、このようなことを言った。「すべては私たち夫婦の養育、教育の失敗」「親としてかかわれる限界はあります」。そして、テレビワイドショーのコメンティターたちだが次男は「もう大人だから関係はないのでは」との慰めに終始していた。言葉というのは、その都度、変化するのであてにはできないが、もし、会見で述べた言葉が真意だとすると、三田さんは、二男の犯罪に対する考え方が間違っている。この犯罪の本質を、まったく捉えていない。二男の犯罪は、覚せい剤の薬物依存である。たんなる教育の失敗や、心の弱さからくるのではない。甘やかしたという土壌はあったかも知れないが、薬物依存となると、まったく別な次元の話である。「人様に傷つけるようなことになったら大変ですから」といいながらも「いい芝居をして」などと暢気なことを言っている。覚せい剤という悪霊の恐ろしさを知らないようだ。「深川・通り魔殺人事件」の川俣軍司(29)一瞬にして犠牲になった母子。覚せい剤犯罪の恐ろしさ、薬物依存犯罪の怖さを見せ付けられた事件である。成人だから、ではたまらない。会見でほかに三田さんは、どうしてよいかわからない、と嘆いた。それが本心だろう。もし、本当に更生させたいなら、他人任せではだめだ。そして、もっと依存、つまり嗜癖について知る必要がある。そうして二男の心に棲みついた悪霊と対峙する覚悟をもつのだ。それができなければ二男の自滅を待つ他ない。『積み木崩し』の父娘の悲惨さを辿るしかない。とにかく自分だけが安全なところにいて他者にすがっても解決はない。悪霊は、金持ちにも貧乏人にも凡人非凡人にも関係なくとりつく。
 ではどうしたらよいのか。大女優に失礼だが映画『エクソシスト』(監督ウイリアム・フリードキン1974)をすすめたい。悪霊にとりつかれた女の子を神父が命をかけて戦う話。当時、外国では衝撃作として話題を呼んだが、日本では宗教感覚の相違から、それほどヒットしなかった。はじめて観たとき、つまらない映画に思えた。しかし、以前30年近くたって観たとき、宗教色をなくせば、依存症との闘いの映画であったことがわかった。神父は、悪霊に勝って、自らも死ぬ。心に巣食う悪霊はそれほどに恐ろしい怪物なのだ。『酒とバラの日々』でもいい。依存、この怪物を退治するには、観察しかない。しっかり観察することで、悪霊を居ずらくするのだ。たとえそれが10年、20年かかろうと、である。




広 場

新刊

★『日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー』
福井勝也著   のべる出版企画 2008.1.10  定価1400

★『「罪と罰」における復活』―ドストエフスキイと聖書―
芦川進一著  河合文化教育研究所・河合出版  2007.12.5 定価4500+税

※ 芦川進一氏は、3月15日(土)ドストエーフスキイの会例会で報告予定
  


掲示板

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 2008年もひきつづき大作をとりあげます。レポーターを希望される方は、お申し出ください。3月の読書会で報告希望の方は編集室までご連絡ください。作品は『悪霊』です。これまでに申し込まれている方は以下の通りです。
○菅原純子さんが第一回目報告『悪霊』2月読書会です。2〜3回目はまだ
○長野 正さんが『カラマーゾフの兄弟』
これら作品は2〜4回の報告を計画しています。奮ってお申し込みください。

『広場』販売
○ドストエーフスキイの会の最新会誌「ドストエーフスキイ広場No.16」が発売中です。ご希望の方は「読書会通信」編集室まで 定価1000円 バックナンバーもあります。



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○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)郵便口座名・「読書会通信」 口座番号・00160-0-48024 
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○ 付録「2006〜2007年ドストエフスキー書誌一覧」ご希望の方は、お申し出ください。
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