ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.101  発行:2007.4.1



第220回4月読書会のお知らせ

4月読書会は、下記の要領で開きます。大勢の皆様のご参加をお待ちしています。


月  日 : 2007年4月14日(土)
場  所 : 東京芸術劇場小7会議室(池袋西口徒歩3分).03-5391-211
開  場 : 午後1時30分
開  始 : 午後2時00分 〜 4時50分
作  品 : 『白痴』1回目
報 告 者  :  長谷川 研 氏
会  費 : 1000円(学生500円)

◎ 終了後は、二次会を開きます。いつも楽しいドストエフスキー談議になります。
会  場 : 近くの居酒屋 JR池袋駅西口周辺
時  間 : 夕5時10分〜7時10分頃迄
会  費 : 3〜4千円




4・14読書会『白痴』

ドストエフスキー「白痴」についての私的かつ分裂症的覚書(ランダム・メモ)

長谷川 研
T.「白痴」について

・ 「白痴」は、ドストエフスキーの後期の長編小説のなかでは、いわゆる思想的なテーマ(例えば「社会主義かキリスト教かニヒリズムか」といった問題)が前面に出ていないという点で(ただし、第3編のイポリートの手記及び第4篇の夜会におけるムイシュキンのスラブ主義的主張を除く)、どのような読者にとっても入りやすい作品であると言える。
・ しかし、そこでは、他のドストエフスキーの長編小説と同様に、人間性についての圧倒的な高さと深さと広さを持った思索が展開されている。
・ 基本的なテーマは〈性愛〉である。性愛をめぐる人間の悲喜劇。性愛を基点とする多様な実存のポリフォニー的交響。
・ 「白痴」は、読者Aが「あの登場人物の心理がよくわからない」と言うのに対し読者Bは「いや、手にとるようによくわかる」といったことが、読み巧者であるか否かにかかわらず、文学の専門家であるか否かにかかわらず、もっとも起こりやすい小説ではなかろうか。

1 主要登場人物について

(1)ムイシュキン公爵
1)ムイシュキン的人間を他の文学作品に強いて探すと・・・
・ 太宰治「右大臣実朝」
・ サン・テグジュペリ「星の王子さま」

・ 次は、吉本隆明「源実朝」からの引用である。
「太宰の『右大臣実朝』は、ひとくちにいえば太宰の中期における理想の人物像を実朝に托したものといっていい。『駆け込み訴え』にはっきりと描かれているように、太宰の中期の理想像はキリスト・イエスであった。そして実朝にはキリスト・イエスにあたえた人物像をほとんどそのまま再現したといってよかった。聡明で、なにもかも心得ていながら口に出さず、おっとりとかまえているといった人物像は安定期の太宰のあこがれた理想像であった。こういう人物はかならず現実では敗北するのだが、その敗北はよく心得た敗北であり、もし人間性に底しれない深い淵のようなものがあるとすれば、真にそれを洞察できる人物は、こういう敗北を、あるいは敗北と感じないかもしれない。そこにいわば太宰治の人間にたいする祈願のようなものがあるといってよかった。実朝がじっさいにそういう人物であったかどうかはべつとして、…… (中略) …… 陰険な策謀のできる北条氏にたいして、いささかでも冷たい暗黙の反感をしめす実朝を描くとすれば、おそらく実朝の実像にはちかくなったかもしれないが、太宰治の理想の人間像にはかなわなかったのである。心得てだまされながら悠然としていられる人物、裏切られても悄げかえらないで、平気で滅亡できる人物が、太宰のひそかに願いつづけた自画像であったといってよい。」
(吉本隆明「源実朝」、筑摩書房「日本詩人選12」)

・ 太宰はクリスチャンではなかった − つまり、キリスト教信仰を持っていなかった − が、芥川とともに、日本の文学者の中ではキリスト教に大きな影響を受けた作家である。
・ 太宰や芥川へのキリスト教の影響は、彼らが、キリスト教の教義よりも、「人間イエス」のパーソナリティと生き方に強く関心を持っていたところに特色があると思われる。
・ 太宰がいだいていた「理想の人間像としてのイエス」の特性である〈およそ打算というもののない無垢と純真〉、そして〈表には出ない隠された聡明さ〉は、確かにムイシュキンにも共有されており、「白痴」の読者はムイシュキンの人間的魅力をそこに見る。
・ しかし、ムイシュキンの根源的な不可解さはこのような人間的魅力を超えたところから発しているように思われる。
・ 以下、この点について書き留める。

2)恋愛とエロス
・ ムイシュキンのナスターシャに対する感情は〈恋愛〉と言えるか?
・ おそらく言えない。
・ 何故なら、恋愛には、その定義から言って〈エロス〉が含まれていなくてはならないから。エロスを内に含まない愛は恋愛とは言えない。
・ ムイシュキンのナスターシャに対する感情にはエロスは含まれていない(少なくとも極めて希薄である)。

3)キリスト教的禁欲と恋愛
・ ムイシュキンのナスターシャやアグラーヤに対する感情は、キリスト教に特有な禁欲的な恋愛ではないことに注意を要する。
・ キリスト教の恋愛倫理は、エロスに対して禁欲的ではあるが、当然のことながら、人間に内在するエロスを前提にしている。
・ ここに、倫理とエロスの葛藤が生じる。
・ 典型例としてのジイドの「狭き門」。アリサとジェロームの間の愛は極めて禁欲的であるが、ジェロームのアリサに対する感情にはもちろんのこと、アリサのジェロームに対する感情にもエロスが含まれている。
・ しかし、ムイシュキンのナスターシャやアグラーヤに対する感情は、そもそもエロスが含まれているとは思えない。

4)愛と慈悲
・ それでは、ムイシュキンのナスターシャに対する感情は愛ではなく〈慈悲〉であるのか?
・ それも違う。
・ ここでは、慈悲を「不幸な人ならば誰に対しても無差別的にそそがれる憐れみ」と定義する。
・ 一方、愛(ただし神の愛ではなく人間の愛。神の愛については後述。)の特色は、恋愛も含めて、「他の誰でもない貴女(貴男)に対してのみ感じる好意」という絶対的個別性に特色がある。
(だから、「『三高』ならば誰でもよい」というのは愛ではない。)
・ ムイシュキンは上記の意味で類まれに慈悲深い人間である。
・ しかし、ムイシュキンのナスターシャに対する感情には、愛としての絶対的な個別性があり、慈悲ではない。


個別的差別的
(アナタじゃなきゃダメ)
普遍的無差別的
(誰でもいい)
エロス有り
恋愛
好色・むきだしの肉欲
エロス無し
親の子に対する愛
慈悲

5)神の愛とキリスト
・ 〈神の愛〉は〈無差別的〉かつ〈個別的〉という点で、上記の4類型にあてはまらない。
・ 私たちは、普通、この神の愛を観念的にしか理解できない。いや、信仰を持つ者のみが、無差別的かつ個別的という神の愛について、観念性を超えて実感できるのかもしれない。
・ さらに言うと、キリスト教の信仰は、この神の愛を無媒介に受感するのではなく、イエス・キリストという歴史的に実在した個人(救い主)を通して受感するところに特色がある。
・ ムイシュキンは、神の愛を地上で体現する人間(イエスの似姿)として造形されている。そこがムイシュキンという実存に崇高さと畏怖を感じさせるとともに、そのパーソナリティを非現実的でわかりにくいものとしている理由の一つであると思われる。

・ ムイシュキンにとっての最大の悲劇は、ナスターシャもアグラーヤも、男女関係においてエロスを含まない愛というものがありうることを実感として想像できないことである。(あるいは、想像できても実感できない。)

(2)ナスターシャ
・ ナスターシャとアグラーヤは、純粋・高貴、情熱的で誇り高いという点で共通性がある(おそらくこの性格はかなりの程度ロゴージンにもあてはまる)。
・ ここで言う〈純粋・高貴〉とは、「地位・富・権力など世俗的な価値を超えた精神的な価値を認め、これを自己の生の原理としようとする態度」としておく。
・ ナスターシャは、少女期にトツーキイに囲われ性的虐待(おそらく変態的性行為の強要)を受けており、これがトラウマとなっている。
・ ナスターシャは、ムイシュキンを人格的に尊敬しているとともに、ムイシュキンに対しエロスを含む愛情、すなわち恋愛感情を抱いている。
・ しかし、ムイシュキンは、ナスターシャのエロスに対しエロスをもって応えることができない。ここにナスターシャの苦悩がある。
・ さらに、ナスターシャは、ムイシュキンを人格的に尊敬し恋愛感情を持つ一方で、ロゴージンの獣性にも性的に魅きつけられており、かつ、自分のこうした性的嗜好を卑しいものとして恥じ入っている。ここにもナスターシャの苦悩がある。
・ また、アグラーヤに対する感情には嫉妬が含まれている。

(3)アグラーヤ
・ 純粋・高貴、情熱的で誇り高いという点ではナスターシャと同様。
・ 裕福で何不自由ない環境で育った、トラウマのないナスターシャ。
・ ナスターシャと同様に、ムイシュキンを人格的に尊敬しているとともに、ムイシュキンに対しエロスを含む愛情、すなわち恋愛感情を抱いている。
・ そうであるがゆえに、ナスターシャを嫉妬している。

(4)ロゴージン
・ 獣性と純粋性を併せ持った男性。
・ 一人の女性を挟む二人の男性という三角関係において、一方の男性が自殺か殺人かという限界的な状況に追い詰められるということはしばしばあることである。
 (自殺のケースとして、漱石「こころ」、ゲーテ「ウェルテル」。)
・ ロゴージンが自殺することは考えられない。そうすると、ムイシュキンかナスターシャを殺さざるをえないことになるが、男性の心理として、女性の側を殺すというのは自然であると思う。
(女性を殺すケースとして、映画であるが、ルキノ・ヴィスコンティ「若者のすべて」。)
・ 男性読者にとっては、ロゴージンは比較的わかりやすい人間ではなかろうか。
(ここでは、「ロゴージン性的不能説」の当否は問わない。)

(5)女性の読者に訊きたい一つの素朴な疑問
 そもそも、女性として、ムイシュキンのような男性に魅かれることがあるのだろうか?

2 ドストエフスキー思想のインプリケーション

(1)受苦を聖化する思想
・ ここでは、ドストエフスキー思想の一つのインプリケーションを〈受苦を聖化する思想〉と呼ぶ。
・ これは、人生の意味を考えるにあたって、「人間は苦悩すること自体に意味があるんだ…」、「人間にとっては、苦悩を生きること事体が、〈受苦する神の子〉としてのイエスを通して、神とともにある栄光なのだ…」、「奇蹟や権威が神の存在の証なのではなく、人間の苦悩と、十字架にかかったイエスという歴史的実存こそが神の存在の証なのだ…」という思想である。

・ これは、精神的マゾヒズムなのではない(と思う)。
・ 何故なら、ここで言う受苦とは、個人に不可避的に訪れる宿命としての苦悩であり、個人の嗜好により選ばれるものではないから。

(2)〈受苦を聖化する思想〉の20世紀における発展形態
       → ex. シモーヌ=ヴェイユ

(2)〈受苦を聖化する思想〉の現代的意義
・ 〈受苦を聖化する思想〉は、確かに、キリスト教的思索の最良のエッセンスを示すものの一つとして心を打つ。
・ しかし、現代において、誰もが、〈受苦を聖化する思想〉を生きられるわけではないし、その必要もない。
・ 例えば、シモーヌ=ヴェイユは、〈受苦を聖化する思想〉を生み出さざるをえなかった必然的な契機が自己の生の体験にあったからこそ、その思想に他者を粛然とさせないではおかない迫真性があるのである。
・ そうした必然的な契機を持たない人間は、別の思想を生きるべきであると思う。
・ どのような思想(言葉)も、それを受け容れる姿勢がロマンティックであると、他者には大仰、つまり、どこか滑稽に見えるものである。
・ ここで言う「ロマンティック」とは、思想(言葉)が、自己の生の体験に根ざした必然的な契機から遊離していることを指す。・ ともあれ、いつの時代、どんな社会にあっても、人間にとって(少なくともある資質を持った人間にとって)生きてゆくのが困難であることは変わりはない。
現代では、この困難を受け止め、これに真摯に答えようとする思想(言葉)がない、ということは言えるかもしれない。

U.現代文学は新しい古典を生み出せるか?

(以下は、私的なつぶやきのようなものです。)

・ 現代文学は新しい古典を生み出せるか?
・ ここで言う古典とは、世代を超えて普通の読者(文学研究者ではない市井の読書人)に読み継がれる作品という意味である。
・ ちなみに、文学研究者にしか読まれない文学作品などはどうでもよい。
・ 文学は終わったのかもしれない。終わったという意味は、もはや新しい古典が生み出されることはない、ということである。
・ もちろん、同時代の大衆に読み捨てられ、またたくまに忘れ去られる商品としての文芸書籍は、今後も大量に生み出され続けるだろう。消耗品としての文芸書籍は。

・ 文学は、今後、音楽におけるクラシックのようになるだろう。一つの完成した芸術領域。人間が達成した偉大な文化作品の陳列棚。読書人は、古典作品を本棚から取り出し、自由に楽しむ。時に、深い感動を受ける。クラシックの愛好者がCDを聴くように。

・ 日本の近代文学で言うと、三島由紀夫を最後に、古典として読み継がれる作家はいなくなったように思われる。
・ 三島由紀夫以降の諸作家、例えば、大江健三郎や古井由吉や村上春樹といった現代の大才の作品を含めて、もはや、世代を超えて読み継がれる作品はないのではなかろうか。
・ もしそれが真実であるならば、それは作家の才能に問題があるのではなく作家が生きている現代という時代に問題があるのである。(つまり、どのような才能ある作家も現代では、もはや古典を生み出すことはできない。また、この問題は、単に、現代の出版状況が過剰な商業主義に毒されている − それは事実であるにせよ − から生じているということでもない。「商業主義」の害悪を強調するのは問題の本質を見失うことになると思われる。)

・ しかし、文学におけるこうした事態を嘆く理由はない、とも言える。
・ 文学は終わっても、人間の歴史は終わらない。今後とも、人間は生まれ、生きる。人間は、生まれた以上、死ぬまで生きなくてはならない。人間が生きるという事実に比べれば、文学が終わるということなど何ほどのことでもないのかもしれない。




『白痴』が書かれた頃のドストエフスキー@ (編集室)
 
1866年『賭博者」口述筆記でアンナと知り合い結婚を申し込む

1867年(46歳)
 2月15日午後7時、トロイツキイ・イズマイロフスキイ大寺院でアンナと挙式。
 4月14日、ド夫妻外国旅行に出発。以後4年間外国放浪。(債権者逃れも一因)
   17日、ベルリン着。
   19日、ドレスデンへ向け出発。
 5月 1日、ドレスデン美術館でホルバイン、ラファエル、レンブラント等鑑賞。
 6月22日、フランクフルト着、即日バーデンに向けて出発。ゴンチャロフと会う。
 7月10日、ツルゲーネフを訪問。論争、絶交を決意。
       夏〜秋、ルーレットに熱中、
 8月12日、バーゼル博物館でホルバインの「イエス・キリストの屍」鑑賞。
 8月13日、ジュネーブ着、オガリョーフと度々会う。
 9月中旬、「ベリンスキイとの交遊」完成。『白痴』起稿。
 11月下旬、『白痴』第1稿破棄。構想をたてなおす。
 12月、『白痴』の最終プラン決定。             (米川正夫訳全集から)

『白痴』etc・・・ (編集室)

映画『白痴』紹介 идиот

 読書会会員の方(長野正さん)からビデオ、イワン・プイリエフ監督の『白痴』をお借りしたので紹介します。1958年度作品のソビエト映画です。俳優はユリア・ボリソア、ユーリー・ヤコブレフ、イー・リュベスノフ
 ビデオ箱に掲載されている宣伝文句は純粋な魂の青年と奔放に真実を求める女。ドストエフスキー白眉の傑作と、ある。あらすじは、このように紹介されている。
 「冬の帝政ロシアの首都ペテルブルグにワルシャワから列車が到着した。三等列車にはラゴージンとムイシキン公爵の二人が乗り合わせていた。ラゴージンは荒々しい性格の男だが、美しい娘アナスタシヤに夢中で、また、ムイシキン公爵は脳をわずらい、その治療から帰国したところだった。醜い打算と欲望が渦巻くロシアで、子供のように純粋な心を持った若いムイシキン公爵の運命が語られていく。」
 映像のストーリーは、まさにこの通りに展開してゆく。忠実というべきか、ただただ表層を流したというべきか。ドストエフスキー作品の映画化の難しさを知る作品でもある。最後は、思わぬ遺産を手にしたムイシキン公爵が、吹雪の中をナスターシャのもとに馬車を走らせるシーンで終わっている。尻切れトンボのようでなにか物足らないが、当時の国家体制、大審問官が支配した中で作られた映画と見ると妙に納得するところもある。(編集室)

本・紹介 ウオルィンスキイ『美の悲劇』  大島かおり訳1974・7・15発行みすず書房

【裏表紙掲載の宣伝文】
 本書は、『偉大なる憤怒の書』につづいて、ウオルィンスキイによるドストエフスキイ論三部作の一冊をなすものであり、また数多くののドストエフスキイ評論中、メレジコフスキイのそれと並んですでに先駆的かつ古典的位置を占めているものである。ウオルィンスキイの批評意識はドストエフスキイの広大な文学宇宙へ決然と貫入し、人間性の神秘領域を、心理の深淵を解明せんとする。ロシア人としての魂の親近性による深い内在的了解、小説の細部へ切り込んでゆく明晰な感受性等によって、『白痴』はその構造を開示する。著者は、美のデモーニッツュな力と、遥か彼方からひそやかに輝き出て救いをもたらす真実との間の悲劇的な闘いを、ムイシュキン、ナスターシャ・フィリポヴナ、ラゴージンらのめくるめく言動を通して見事に分析する。
 本論は、たんに作品評論ではなく、創作批評になっているところが、他の作品論と一線を画する。また、トルストイとの違いをこのように論じているのも興味深い。
「トルストイは言葉の全き意味で芸術家であって、現存する世界をその不変の、旧約聖書的とも言える基盤において描いた人、人間の徳という普遍的に認められ普遍的に理解され得る法則の澄みきったまっすぐな光を当てて描いた人である。」としたのに対してドストエフスキイの作品は「人間の魂の最大の深淵へ、その混沌とした深淵へと、われわれをまっすぐに連れてゆく。われわれはそこで人間の魂の有機的な発酵の過程を、その暗い衝動を、相対立する諸力の闘いを目のあたりにする。」と評している。

ウオルィンスキイ(1863−1926)ロシアの批評家・思想家。『カント哲学の批判的・独断的要素』(1889)『レオナルド・ダ・ヴィンチ』(1900)など。新カント派の代表者として活躍した。また『観念論のための闘争』その他の著作でシンボリズムの理論を築き、実証主義を批判した。ドストエフスキイ研究は他に『悪霊』を論じた『偉大なる憤怒の書』(みすず書房、1959)『カラマーゾフの兄弟』(みすず書房、1974)がある。



プレイバック


 あの頃、『白痴』は、どう読まれたか。32年前の1975年の読書会を振り返ってみました。No.37「ドストエーフスキイの会」会報(1975.7.5)から。
          
『白痴』 新谷敬三郎

 『白痴』は、4月15日と5月30日と、2回にわたって読書会をした。それぞれこの会の常連と、たまに顔を出す方、新しく出てくる方など、11〜12名が集って、結局とりとめもないお喋り。何かそういう習慣がついていてとくに報告者がいるわけでもなく、といって話をまとめて、いくつかの問題にしぼるわけでもない。無駄な時間といえば無駄な時間なので、無駄に時間をつぶしたくないと考える人は、自然足が遠のいてゆくのだろう。
 でも考えてみれば、文学というものがそもそも無駄な遊びなので、天下国家を論ずるにも倦き、といって悠久の哲理を憂い顔に、あるいはしたり顔に説くのも、シラケちゃうといった連中の言葉のうえの遊びをたのしめる人々が集ってくるのだろう。それには『白痴』という小説、まことにうってつけの作品で、話は実に遊園地のさまざまな乗物に一ぺんに乗ったみたいに、めまぐるしく飛躍しながら、日頃かくし持っているさまざまな思いが顔を出し、ひらめく。
 まことにムイシキン公爵に魅せられた私たちは、知らずしらずこの19世紀ロシアのユロジヴイもかくやといった顔付きになって、池袋の映画街の一角、その喫茶店の天井の低い3階でしんじつ美しい人間になることを、あきらめながら追いかけている。
 自意識も自意志も、きれいさっぱり失ってしまった無邪気な人間。ひとはひそかにそうなりたいと願っているけれども、実さいにそうなったとすれば、それは神ではなくて、けだものだろう。むろん、けだものでいいわけだけれど、豚や犬や家畜では困るので、困ると思うのが人間の証拠だが、自然に守られたその恵みをうけている。人間と関係ないけだものなんて、今どきかなり贅沢なのぞみだろう。
 この自然、あるいはじねんという観念こそは、おそらく人類に共通の、そして永遠の幻影であって、例の黄金時代の夢なのかも知れないが、神、少なくともキリスト教の神とは、その自然といわば絶対的に対立する観念あるいはモノなのだろう。おそらく19世紀のもっとも人工的な都会に棲息していた観念の怪物は、そう考えていたらしい。もっとも、そう考えていたのは彼だけではない。トルストイも同じように考えていただろう。
 自然と神との板ばさみに合って、あるいはこの無限の対比に引き裂かれて、自然と人工の混沌のなかで永久に、自分自身という不可解にして醜悪なるものとむかい合っていなければならないこの不運を、神よ、まぬがれさせたまえ。と呼びかけて、豚よ、狼よ、はむろんのこと、自然よ、とはいわないところが神の神たる所以だが、もっとも、日本人やシナ人なら、天よ、などというのかもしれない。
 この祈りから、しんじつ美しい人間が見えてくるのであって、祈っているのは、いじけた、内に毒念を抱いている人間である。この二人の人間のイメージ、いや、それはイメージどころではなく、この作家の心の臓をぎゅつとつかんで放さない力であった。その力を初めてドラマにしたのが、ロスターネフとフォーマー・フォミッチの物語である。それはさまざまに屈折して、白痴とナスターシャの物語となった。・・・・
 といった風に、ドストエーフスキイは、私たちを冥想せしめる。
 てんでばらばらに冥想しながら、そこで何となく離れがたくなって、ちょっとだけと断って一杯飲む。これも、いゃ、これが読書会のたのしみであって、財布と電車を気にしながら、心にもない、というのは心おきなく、ということだが、残りのおしゃべりをして無駄な時間をむさぼる。
 次回は、イッポリートを取りあげる予定。・・・・・・・。


プレイバック読書会・黒澤明監督の『白痴』

 数ある『白痴』の映画化のなかで黒澤明監督の『白痴』は、特に評価が高い。1951年に作られたが、当初は失敗作と悪評だった。全頁でも触れたが一般論でいえばドストエフスキーの作品は映画化には向かない。優れた役者は、心の葛藤を顔の表情や体で表現する。が、心の裏の裏の世界が展開するドストエフスキー作品においては、どんな名優も登場人物を演技で表すことは不可能である。その視点で観れば森雅之のムイシュキンも三船ロゴージンも、物足らなさはある。が、作品を二度三度観ると、映像化された中では、むろん原作には遥かに及ばないが、成功作かと思われる。
 私的には、ドストエフスキーの作品は、原作に挑戦するより、すべて設定を変えて映像化した方が、作品の持つ意味を真に伝えるのではないか、そのように思うのである。例えば『どですかでん』の方が、よりドストエフスキー的な気もする。

黒沢とドストエフスキー  国松春紀

 ドストエフスキーと黒沢明とはいわば私の精神の故郷である。他の多くの人にとってそうであるように、様々な彷徨を経た後、安らぎを見出すことのできる場所である。それだけに現在の私は何とかしてそこから脱出すべく悪戦苦闘(?)しているわけだが。
 今回黒沢の映画『白痴』を見て、その、あまりにもドストエフスキーの原作のもつ雰囲気をよく伝えている点に、驚いた。北海道の雪と森雅之の原節子と三船敏郎と、そしてこの映画の作られた昭和26年(たまたま私の生まれた年である)という時代のもつ雰囲気と―特によかったのは、例の、ムソルグスキー「禿山の一夜」のエクセントリックな音楽の流れる中での、氷上のカーニバル・シーンである。できれば3時間全部このカーニバル・シーンであったてもよかった、いや、事実、この画面全体は(そして原作も―バフチンではないが)一つのカーニバルであるとも言えよう。最後にはラゴージン=三船まで白痴となってしまう。
 原節子―『我が青春に悔なし』でも厳しい演技をしていたが、ここでも内に苦悩を秘めた厳しい演技をしている。彼女=ナスターシャの写真の両脇にラゴージンとムイシュキンの姿が映るシーンがあったが、あそこはなかなか象徴的でよかった。
 森雅之―1種奇跡的演技。この『白痴』における森雅之―三船敏郎の演と、前年の『羅生門』におけるそれ(ここでは森=妻を強姦される夫、三船=盗賊多襄丸、そしてヒロインは京マチ子=真砂、となっている)とを比較してみると面白いだろう。
 三船敏郎―特に私は昭和20年代から30年代にかけての三船が好きである。「酔いどれ天使」「静かなる決闘」から「七人の侍」「蜘蛛巣城」にかけての三船が。あるいは彼によって現された時代そのもののもつエネルギーが。ゆくゆくは三船の出演した映画を全部見たいと思っている。
 久我美子―アグラーヤ役。ラストでの彼女の台詞。
「そう!・・・・あの人の様に・・・人を憎まず、ただ愛してだけ行けたら・・・私・・・私、なんて馬鹿だったんだろう・・・白痴だったの、私だわ!」

 ドストエフスキーについて一言。実をいうと『白痴』という小説の読後感、あまりいいものではなかった。どちらかというと私は『白痴』よりもむしろ『未成年』を、ムイシュキンの純粋さよりもアルカージイの混沌のほうを、愛する。が、映画化されたもののもつ迫力は私にもう一度原作を読むことを要求しているようである。ドストエフスキー帯剣と黒沢帯剣とは密接不可分のもののようである。

(次号では、新谷敬三郎先生の「『白痴』を観る」を紹介します)



2月読書会報告

『鰐』報告者・新美しづ子さん

 2月10日(土)に開かれた読書会は、16名の参加者がありました。報告者は新美しづ子さん。東京大震災、2・26事件、太平洋戦争、空襲、疎開などなど激動の昭和史の中で育ち青春を送ってこられた人生体験がある。『鰐』という一見滑稽話のような短篇奇譚にも長編に劣らぬものが秘められている。そのことを改めて知らされた。ありがとうございました。
 
<豆情報> 質疑応答で、森鴎外訳の『鰐』が話題になった。ドイツ留学していた森鴎外は、『鰐』を訳していた。径路探索が会報に掲載されていたので紹介します。

「ドストエーフスキイの会」会報94号 【径路探索】欄掲載
国松夏紀氏による?外訳「鰐」(『諸国物語』大正4年1月刊所収)紹介

 ドストエフスキイの「鰐」は1865年雑誌「世紀」の2月号に掲載された。
 鴎外訳「鰐」の初出は、明治45年(1912年)総合雑誌「新日本」5月号および6月号であり、後に他の翻訳作品33篇とともに『諸国物語』に収められた。
 翻訳底本は、1906年から19年にかけてミュンヒュンおよびライプニッチで刊行された。ドイツ語訳22巻本ドストエフスキイ全集の第17巻(1909年刊)である。「鰐」の他に、「伯父様の夢」と「他人の妻とベットの下の夫」が収録されている、46判大・385頁・ブルーのハードカバーに同色の栞リボン付の本である。
 この全集は、最初期の完備した翻訳全集として、また、ドミトリイ・メレシェコフスキイが編集に協力したことが名高い。訳者は全巻E・K・ラージンである。鴎外旧蔵書(東京大学総合図書館)には、第3・4巻『白痴』、第5・6巻『悪霊』、第9・10巻『カラマゾフの兄弟』、第14巻『貧しき人々・分身』、第16巻『ステパンチコヴォ村とその住人』、前記代7巻、第18巻『死の家の記録』、第19巻『虐げられし人々』、第20巻『地下室の手記その他』、第21巻『賭博者・永遠の夫』、以上13冊が見出される。
 ?外は、此の全集以外にも、レクラム文庫のW・ゴールドシュミット訳『短編集』、H・モーゼル訳『死の家の記録』、同訳『罪と罰』を所蔵していた。
 『諸国物語』は、国民文庫刊行会《泰西名著文庫》の一冊として刊行された菊判・天金942頁の大冊である。装填は津田青楓。鴎外の分類に従えば、スカンジナヴィア2篇、フランス8篇、ドイツ3篇、オーストリア9篇、ロシア9篇、アメリカ3篇、計34篇である。ただし、スカンジナヴィアの2篇は、共にグズタフ・ウィドのものであり、フランスでは、アンリ・ド・レニエが2篇、オーストリアでは、リルケ3篇、フランツ・モルナル2篇、ロシアのアルツィバーショフも2篇、アメリカの3篇はすべて、ポーのものである。ロシアからは『鰐』の他に、トルストイ、コロレンコ、ゴーリキイ、チリコフ、クズィミン、アレクセイ・トルストイ各1篇が採られているのだが、頁数からすればこれらでほぼ半分近くを占めている。
 ドストエフスキイの読者としては、選りにも選って、?外は何故『鰐』などを訳したのか、いささか気になるところである。蔵書や言及に徴しても、鴎外がドストエフスキイのほぼ全作品に通じていたことは疑い得ない。とりわけ、『かげ草』改訂再版の序文では、ベチョーリンとスタヴローギンの継承関係を指摘しているほどである。分量の制約も、決定的要因にはなるまい。ただ言えることは、『諸国物語』において「鰐」が不自然ではなく、むしろ絶妙の配置で収まっている点である。物語全篇にほぼ共通するトーンである「奇譚」に適合し、さらに、「鰐の腹中に入りし男」という趣向だけ取れば、前後の重苦しい話の息抜きにもなっている。前には、トルストイ『バアテル・セルギウス』、コロレンコ『樺太脱獄記』、後には、アルツィバーシェフ『笑』『死』等が配置されている。そこで、想起されるのが鴎外の翻訳定本である。その標題は、”Onklchens Traum und andere Humoresken”である。このHumoreske が目にとまったのではなかろうか。つまり、深刻振りが流布しているドストエフスキイには、こういう作もあるのだ、と。或いは、穿ち過ぎかもしれないが、鰐の所有者たる興行師が、ドイツ人であることが興味を引いたのでもあろうか。
 いずれにしろ、「鰐」を含む『諸国物語』は広く読まれた。大正4年1月に初版発行同年7月には再版、翌年6月に3版が出ている。当時中学生で、これに熱中した石川淳は、『森鴎外』(昭和16年初版)において、この訳業を高く評価する。
 《明治大正の交に当たる15年間、日本文学を刺激しつづけたこの翻訳…影響は水の底へのごとく文学の場から作者の心にまで沈んでいって…「諸国物語」以後、小説とはなにかという考に革命がおこった。》




「ドストエーフスキイの会」情報

第179回例会報告・木下豊房氏
 2007年3月24日(土)午後6時〜9時00分 原宿・千駄ヶ谷区民会館で第179回例会が開かれ、会代表の木下豊房氏が「思い出は人間を救う」を報告された。司会は小林銀河氏。参加者は27名と盛況でした。二次会も、21名参加で賑やかでした。

レジュメと報告内容及び質疑・感想は以下の通り。

「思い出は人間を救う」―ドストエフスキー文学における子供時代の思い出の意味について―     木下豊房

<レジュメ>
 
 ドストエフスキー文学には、自然描写がきわめて少ないが、まったくないわけではない。それは例えば、『貧しき人々』の女主人公ワルワーラの少女時代の田舎の思い出であり、また『虐げられし人々』の語り手イワンの、ワシリエフスキイ村の生活についての思い出であり、『作家の日記』の「百姓マレイ」の章における、ダラヴォーエ村での、作家自身の自伝的な思い出にかかわる描写である。これらすべては、少年フョードル・ドストエフスキーが多感な十代の始めを過ごした父親の領地ダラヴォーエ村の思い出と、強く結びついており、それらは作品の主人公や語り手の追憶のプリズムを通して伝えられている。
 これらの思い出はいずれも、現在の灰色の境遇とは対照的に、「黄金時代」として意味づけられ、回想の主体にとっては精神的な支えとして機能している。かならずしも自然とは結びつかなくても、娘時代の幸せな思い出を象徴する『罪と罰』のカテリーナの賞状や、『地下室の手記』のリーザの恋文なども、薄幸な彼女たちの現在を支える重要な役割を付与されている。また反対に、少女時代に凌辱された思い出に苦しむ『白痴』のナスターシャや連隊での不名誉な屈辱の思い出に苦しむ『おとなしい女』の主人公が、いかに地下室的な心理に翻弄されて悲劇を招来するかも描かれている。とりわけドストエフスキーは晩年1876〜77年の『作家の日記』で、子供の人間形成にとって、思い出、追憶がいかに重要な、決定的な意味を持つかを、くり返し語った。クロネベルグ事件、ジュンコーフスキイ事件など、幼児虐待事件に関心を寄せながら、「偶然の家庭」の問題を論じているが、その際、一貫して作家の論調の基調をなすのは、事件から受けた子供たちの印象や記憶が、彼らの将来に及ぼす影響の甚大さについてである。「偶然の家庭」のもたらす否定的な結果についてこうのべる。「家族に対する父親たちの怠惰のもとで、子供たちはもう極端な偶然にまかされるのだ!貧困、父親の心配ごとは幼年時代から、子供たちの心に、暗い情景、時として有毒きわまりない思い出として浮かび上がる」「人間は肯定的なもの、美しいものの胚子を持たないで、子供時代を出て人生へと出発してはいけない。肯定的なもの、美しいものの胚子を持たせないで、子の世代を旅立たせてはいけない」(77年7〜8月)世相に対する作家のこの憂慮と結びついて描かれたのが『カラマーゾフの兄弟』におけるアリョーシャとゾシマ長老にとっての思い出の意義であろう。アリョーシャは母親の思い出に導かれて修道院へはいり、ゾシマは両親の家庭での大切な思い出、聖書物語との出会いについて語った。小説の最終場面、少年たちを前にしてのアリョーシャの演説では、亡くなったイリューシャ少年を永久に記憶にとどめようとの呼びかけによって、追憶の力による死者のよみがえり、という宗教感情の基底にふれる領域にまで、その意味は深められていくのである。

<報告>

 当日の報告は、主にドストエフスキー作品にある自然との触れ合いの思い出箇所の紹介。例えば、『貧しき人々』ではワルワーラ、『虐げられし人々』では語り手的主人公イワンの幼年期の楽しく懐かしい思い出。他、「百姓マレイ」や『作家の日記』からなど28項目。

<質疑・応答>

 「思い出は人間を救う」という表題への疑問。思い出には悪い思い出もあるが矛盾はないのか。作家自身と作中人物とは違うのでは、などなど多くの意見・質問がでた。

<編集室・雑感>

「思い出は人間を救う」に期待
 毎年、夏になるとどこかのテレビ局で「愛は地球を救う」という特番をやって大騒ぎする。そのせいかこのキャッチフレーズは、なにか陳腐な印象を受ける。「思い出は人間を救う」は、報告者が宴席で得たタイトルだと明かした。あまりに率直過ぎてダサイ、クサイという感想もでた。が、温暖化や止まぬテロ報道をみると、地球も人間も、救いを必要としている。このことは確かなようだ。どうしたら地球や人間を救うことができるのか。
 深刻だが誇大妄想的テーマである。が、近年、この研究はすすんでいる。報告や質問では、その人個人の記憶のことが対象になったが、ある大学の人間科学部では人類全般の記憶に注目しているという。例えば、人はあるとき突然に自然や風景になつかしさを感じることがある。また、はじめて目にする光景でも以前体験したような不思議な感覚に陥る瞬間もある。そうしたとき人は心は癒され、調和に満たされる。間違っても他者に害を加えようなどという魂胆はおきない。この懐かしむ気持、癒される風景とは何か。
 キューブリック監督の映画に『時計じかけのオレンジ』という近未来映画がある。話のなかに犯罪者の更生に人間の残虐シーンばかりを見つづけさせる治療方法がでてくる。こちらは破綻をきたすのだが、残虐シーンではなく、だれにでも共通する懐かしい風景や光景だったらどうだろうか。凶悪犯は改心しないだろうか。人の心を癒す懐かしさとは何か。それが解明されれば、人間は、人類は救われる。報告を聴きながらそんなふうに思った。
 既にこのテーマを回想法という学問として研究し実践している研究者もいる。名城大学の講師志村ゆず氏もその一人である。彼女の場合、昔、写真や8ミリで撮った村の生活や田園風景をDVDで編集し、老人ホームで観賞してもらっている。昔のなつかしい風景や生活等を見ることによって記憶があいまいになっていたお年よりがふたたび元気になるよう試みている。まさに思い出は老人を救う、である。ドストエフスキーが作品や論文で訴えた人類救済の手法。没後126年、ようやくにして実現化されようとしている。いまの混沌とした世界を救うには、もはや思い出しかないのか残っていない。そんな気がした。

誤謬・訂正「ニュースレター80」の下原の傍聴記「田中元彦氏〈ドストエフスキーと自殺〉を聴いて」で2点間違えがありました。
○最初の一行目に「粋な着流し」とありますが、着流しではなく、羽織姿の正装でした。
○中盤で藤村操の紹介で東大生とありますが「旧制一高」の間違いでした。

以上です。謹んでお詫び申し上げます。




ドストエーフスキイ情報

連載        
            
日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー 「ドストエフスキー体験」をめぐる群像                         第9回 三浦雅士の『青春の終焉』について(2)
                                       福井勝也

  文芸誌の『すばる』(4月号)がドストエフスキー特集を掲載している。「21世紀ドストエフスキーがやってくる」と銘打っての特別企画である。大江健三郎と沼野充義両氏の対談が冒頭を飾り、ロシアの作家アクーニン氏のインタビューを含め多数の執筆者を揃えての多彩な内容となっている。対談のテーマは「新しい読み」の可能性となっているが、どちらかと言えば、作家と研究者の立場からこれまでのドストエフスキーとのかかわりを振り返る内容でそれほど前向きな中身には思えなかった。亀山郁夫氏の近時の著作や『カラマーゾフの兄弟』(光文社文庫)のほぼ30年振りの新訳出版(進行中)もあり、また別の文芸誌『文學界』では山城むつみ氏が緻密なドストエフスキー論を連載(「通信」でも一部紹介済み)しているなど、確かに新たな徴候も顕れて来ている。しかし今回の「特集」を読む限りは、ミハイル・バフチンが切り開いた20世紀のドストエフスキー読みの圏内に概ね止まっていて、「バフチン以降」というかけ声もあるが未だの感が強い。それよりもやや気になったのは、大江氏がバフチンの「ラブレー論」(川端香男里訳)を読んだことは小説家として大事件であったが、同じ頃に出た「ドストエフスキー論」(新谷敬三郎訳)にはあまり熱中せずクリエイティヴに啓発されることがなかったと語っている点であった。大体、川端香男里訳の「ラブレー論」は1973年で、新谷敬三郎訳の「ドストエフスキー論」はそれに先立つこと5年前の1968年刊行で「同じ頃」というにはやや話が乱暴ではないかと思った。それに新谷敬三郎氏の翻訳こそ今日ある「ドストエフスキー論」の出発点であることは明らかな文学史的事実で、「ラブレー論」についての対談ならまだしも、大江氏の言には作家の率直な回想と言うにはややひっかかるものを感じた。なお、執筆者の一人として井桁貞義氏が「2006年の『罪と罰』」と題して、早稲田大学でバフチンの文学理論・精神(「ダイアローグ」理念)を実践する「対話的」授業の中身を報告しているのが印象的であった。さらに今回の記事では、斉藤美奈子氏の「『カラキョウ』超局所的読み比べ」は、明治以降のドストエフスキー文学受容を「翻訳」を通して具体的に考える材料を提供するもので、個々の翻訳語の読み比べが興味深かった。そして美奈子調?の『カラキョウ』という言葉使いも、それ自体ドストエフスキー文学受容の今日的感覚を表現していておもしろいと思った。論述の内容として優れていると思ったのは、番場俊氏の「『罪と罰』―メディア・リテラシーの練習問題」であった。ドストエフスキーの小説における語り手を「速記者」「記録作者」「報道記者」の立場・機能から考察し、そこからバフチンの「ポリフォニー小説」の内実に迫っている。例えば、「ポリフォニー小説の作者は、偽りの<全知>を拒絶し、すすんで盲目性を引き受けることによって、自らを複数性のメディアとして差し出すのである。」の一節は魅力的な要約だ。21世紀になっていよいよ迷宮的に権力化しつつあるメディアの問題を考える時、小説の創作方法が語り手の問題に集約され、その足場に立って<メディア・リテラシー>を積極的に取り入れた作家としてドストエフスキーを評価してゆく今日的視点の存在に鋭さを感じた。今後の論の展開を期待したい。そして何より今回の「特集」で印象的だったのは、ロシアの作家のアクーニン氏の次の言葉であった。

「ドストエフスキーの評論を読むとしますね、『作家の日記』でもいい。すると、いつも驚かされるのは、自分の生の声で話す評論家としてのドストエフスキーやエッセイストとしてのドストエフスキーが、作家としてのドストエフスキーよりも精彩がなく、あえてこういう言葉を使いますが、くだらないということです。ドストエフスキーが小説を書くときは率直です。率直とはどういうことかというと、最初にアイディアなり考えなりがあっても、それより何かもっと力の強いものが出てくる。するとドストエフスキーは、どこから聞こえてくるその声を書きとる、書きうつす、そういうことです。彼が言わんとしたことと、実際に紙に書かれたものとでは違っていることがよくあります。書かれたもののほうが、意図して書こうとしたものよりはるかに面白く、奥が深くて、意味がある。これはドストエフスキーが作家であることを示す何よりのたしかな証拠です。」
作家らしい率直で実感的な表現だが、確かな手応えを感じさせる説得的な言葉が続く。 

 「ドストエフスキーは私にとって、人間ではなく、<メタテクスト>です。ロシアとは何かについて、ロシア人やロシア以外の世界に住む人々に説明してくれるメタテクスト。しかも、論理的にではなく、感情的、印象主義風に説明し、この国がどういうものかという見取り図を示してくれている。」

 ドストエフスキーという作家存在を、伝記的な人間として読み解くのではなく、作品(=<テクスト>)を生み出した<メタテクスト>として評価する仕方こそ、今までこの連載で触れてきた<作家と作品>の関係の<集約的な表現>として受け取ることができる。例えばそれは、小林秀雄が『ドストエフスキーの生活』で<作家>に注いだ視点に通ずるものとしてあるのではないか。アクーニン氏風に言えば、小林の『ドストエフスキーの生活』は<メタテクスト>として<ドストエフスキー>を読み解く試みとして理解可能なのだろう。ここでは、アクーニン氏はもちろん<バフチン>を通過してきていることが明らかだ。それでは、小林秀雄はどうだったのか?

 ここで前回から取り上げている三浦雅士の『青春の終焉』にもどってみたい。改めてこの著書に言及すれば、三浦氏のこの著書には「1960年代試論」という副題が付いていて、直接的には60年代まであり得た『青春』がこの時期を掉尾として『終焉』していった意味を探ろうとするものであった。ここで『青春』と言う語彙は、『歴史』とも『大きな物語』とも言い替えられるものであって、結局は『近代』という時代の問題だ。そしてこの『近代』が生み出した「個人」(=近代市民社会が想定する政治的・経済的活動の単位としての抽象的な人格的主体)の「成長神話」の中心的な「画期」として語られる物語的語彙が『青春』と言う言葉なのである。三浦氏は1960年代を大衆化状況がより煮詰まったかたちでの30年代の再来と見ていて、その「60年代的青春」の祖形としての「30年代的青春」を準備した「小林秀雄」がこの時期に何故「ドストエフスキー」に向かったのかを検証してみせる。三浦氏は、この過程の説明者としてミハイル・バフチンを召還してくるのだ。以下の引用は、『青春の終焉』の3章「ドストエフスキーの波紋」、4章「歴史とカーニヴァル」、5章「道化の逆説」、6章「笑う近代」などからの文章である。

 「バフチンはつけくわえている。たとえば、ゴーゴリの官吏を素材に自己意識の散乱反射を描ききれないだろう、ドストエフスキーはそこで<その生活全体が自分と世界を意識化する純粋な機能のなかに凝集されているような主人公を求めた>のだ。いうまでもなく、空想家や地下室の住人である。あるいは学生であり、未成年である。すなわち青年にほかならない。小林秀雄にとってだけではない。ドストエフスキーは誰にとっても間違いなく青春の作家なのだと述べたが、その理由がここにあるというべきだろう。―中略―人は過剰な自己意識を持ったまま生活することなどできない。生活とは過剰な自己意識を封印することだからである。封印を解くためには、時間的な、ということはまた何らかの意味で経済的なということだが、余裕が、いやはっきりいってしまえば、過剰さが必要とされるのである。―中略―重要なことは、18世紀から19世紀にかけて、それができる集団が目に見えるかたちで発生したということだ。ヨーロッパの中心部に発生したその集団は、そこで質量ともに巨大化しただけではない。あたかも伝染病のようにヨーロッパの周辺部へ、ロシアへ、日本へ、そして中国へと広がっていったのである。いうまでもなく青年という集団、青春という現象である。ドストエフスキーの照準は誤りなくそこに向けられていた。」
 ここでは、ポリフォニー文学の要としての<過剰な自己意識>がもうひとりの自己、読者との対話へも変化増殖してゆく基盤として<青春>を必要としたことが語られている。

「知られているように、バフチンはドストエフスキーの小説をポリフォニーの世界として捉えた。夥しい声が反響する世界であると考えたのである。その根底にあるのは、しかし、より端的にいってカーニヴァル論である。小林秀雄が「『白痴』についてU」の最後において一瞬垣間見たのは、このカーニヴァルの世界にほかならなかったといってよい。ドストエフスキーは青春の作家である。だが同時に、カーニヴァルの作家でもある。考えてみればすぐに分かるが、青春の本質はカーニヴァル的なものだ。」

 もちろん、この結論的な表現にはこの文章を導き出す前段がある。ていねいな分析の後、「いずれにせよ、にもかかわらず小林秀雄が「『白痴』についてU」において、その限界点近くまで達したことはまぎれもない事実である。たとえば末尾近く、小林秀雄は、ドストエフスキーの<グロテスクな笑ひ>の仕組みについて鋭い洞察を展開している。表現組織そのものがみずから笑っているというのである。この観点立てば、批評の後輩達が問題にし続けた<私小説論>など、それこそ<屁みた様なもの>である。<私>もまたひとつの表現組織、ひとつの奇怪な現象にほかならないということになるからだ。理念としての私小説は文学の別名にほかならない。これこそ、<私小説論>の、ほんらいの要である。」

 ここで三浦氏の処女評論集『私という現象』(1981)という著書名とその時代背景に関する本連載の今までの指摘を思い出して欲しい。ついでに、三浦氏の言う「<私小説論>のほんらいの要」について語った新谷敬三郎氏の言葉も引用しておきたい。「小林秀雄の現代文学への最大の貢献は、文学を《私》の理念あるいは理念化した《私》の表現としてではなく、いわば構造化した《私》、それを批評家は<社会化した私>といったが、その表現の体系(言葉)として捉え、批評を思想と心理の独白から解放し、それを文学的《私》の自己意識の表現とした点にある(『ドストエフスキイと日本文学』1976)。この指摘はおそらく構造主義的な言語論に基づく小林理解として初期のものだろう。この点に関連させるならば、三浦氏は本著でさらに吉本隆明の言語論=自己表出論に拘泥して「吉本隆明において構造主義的なものが明確に登場するのは、ここにおいてである。この観点に立てば、自己意識とは個人にではなく、むしろ時代に、社会に属するものであるということになる。とすれば、作者とは実体ではなく関係であるということになるだろう。その思想が、人間の終焉、作者の死を標榜したフランスの構造主義者たちに近似してくるのは当然というほかない」と新谷氏の言とほぼ同内容のことを語っている。もちろん、これはアクーニン氏の<メタテクスト=ドストエフスキー>説とも響きあっている。さらに、この吉本の言語論は、言語が何よりもまず自己の自己自身への関係を表象するものだという考え方、言語はコミュニケーションだが、自己自身へのコミュニケーションだという考え方に基づいていて、それが小林秀雄の自己意識へのこだわりをそのまままっすぐに言語の理論、表現の理論へ敷衍したものだと三浦氏は説明していることもポイントに違いない。

 小林秀雄(1902-1983)とバフチン(1895-1975)はほぼ同時代を生きた者であった。そして、新谷敬三郎氏の「ドストエフスキー論」の翻訳(初訳)が先述のとおり1968年刊行であってみると小林はバフチンの存在を知っていた可能性は十分にある。しかし、小林のドストエフスキーへの言及は、1964年刊行の『「白痴』についてU』の単行本刊行で終止符を打たれてしまっていて、以後一切ドストエフスキーに触れられることがなかった。山城むつみ氏は、この点の謎を出発点にして処女批評「小林秀雄のクリティカルポイント」(1992)/(『文学のプログラム』(1995)所収)を書いた。氏のその後現在まで続く「ドストエフスキー論」の出発点でもある力作で別途論及したい。いずれにしても、小林とバフチンはかなり近い位置から、ドストエフスキーについて考えて続けていたことは確かなようだ。結局、小林はある時期にバフチンの「ドストエフスキー論」の内容を知ったはずだが、その時彼の関心はすでに晩年の大作である『本居宣長』に向かってしまっていて、あえてバフチンに言及する意味が失われていたということではないか。(事実、小林の「本居宣長」論は『「白痴』についてU』の刊行の翌年1965年から開始されていることが山城氏に指摘されている。)ここでは、別に小林秀雄とバフチンを無理矢理並列化することで妙な納得をしようとする意図はない。むしろその意味では、その彼我の差異についても触れておいた方が良いのかもしれない。今回のスペースも大分のものになったので、そろそろ収束させようと思うが三浦氏がこの点で二人の差異に触れた部分をさらに引用しておく。今までの文章の少し前にある記述であるが、これ以降の私論に関連するはずの気になる表現を孕むものである。

 「 マルクス主義に鍛えられたこの自己意識の論理の延長で、小林秀雄は第二次世界大戦後、再びドストエフスキーに向き合うのである。「『罪と罰』についてU」と「『白痴』についてU」である。そして、あの沸騰する自我というほかない現象にあらためて驚くことになる。バフチンの「ドストエフスキー論」でポリフォニーという形容のもとに描いた事態だが、その自我はしかし、いわゆる近代の個人主義的な自我とはおよそ違っていたのである。それは、小林秀雄のそれまでの歩みそのものをも破壊しかねないものだった。とはいえ、人は自身の提示した論理をまったく別に再解釈することができる。いや、忘れることさえできる。ある意味では、それこそバフチンが提起した人間というものの姿にほかならないが、小林秀雄はやがて、「歴史について」で披瀝した論理を置き去りにしたまま、微笑み交わす死者たちの世界、古典の世界へと向かうことになるのである。それこそが「歴史について」の当然の帰結であるかのように。」

 大変微妙な言い方である。先に触れた、山城むつみ氏の「小林秀雄のクリティカルポイント」(1992)も、この「『白痴』についてU」が単行本化される前後の時期に焦点をあてたもので、ここに小林の批評家としての最後の転回点としてのアポリアを見ている。次回以降この辺にも触れながら、三浦雅士氏の『青春の終焉』という言い方と本論稿の論旨「日本近代文学の<終焉>とドストエフスキー(「体験」)」との接点について改めて考えてみたい。

 なお、この稿を書いている途中、前に触れさせていただいた清水正氏がその著作をまとめた『ドストエフスキー論全集』を刊行されるとの知らせを受けた。今回は、文芸誌の『すばる』のドストエフスキー特集の話題から始めたが、「21世紀ドストエフスキーがやってくる」としたら、「ドストエフスキー体験」を徹底的に生き続けている清水氏の著作はそれ自体検証されるべき貴重な対象の塊だと思う。とにかく、刊行開始を慶びたい。(2007.3.27)



広場


出版

★清水 正 ドストエフスキー論全集1: 萩原朔太郎とドストエフスキー体験
 D文学研究会刊 発売星雲社 定価・本体3500円+税 全10巻予定

武富健治さんの漫画作品が本になりました!!
★初期作品集『掃除当番』2007年4月3日 定価850円+税
 「ポケットにナイフ」「シャイ子と本の虫」「まんぼう」「勇」「康子」「8月31日」「カフェで」「掃除当番」
 2006年文化メディア芸術祭・審査委員会推薦作品
★『鈴木先生2』2007年3月28日 定価8119+税



追悼 さようなら高橋由紀子さん

 ことしの2月28日(水)未明、読書会会員の高橋由紀子さんが逝去されました。高橋さんは、1990年代の例会・読書会では積極的に活動されていた会員です。『広場』合評会・読書会合宿の常連出席者でした。さきの神舘玲子さんにつづいての予期せぬ別れ。言葉もありません。さようなら高橋由紀子さん。ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

遺 稿

高橋由紀子さんは、本通信に多くの寄稿をくださっていました。読書家であり、難関の点字翻訳の資格を持つ努力の人でもありました。それだけに書くものは歌から論文、エッセイまで幅広く様々でした。12年前になりますが本紙に発表されたエッセイと最近のお便りを紹介します。

エッセイ   
ハモニカからの回想   高橋由紀子
 
 二十年以上も前のこと、どぶ川沿いに建つ古びたアパートの一室で私はよくハモニカを聴いた。吹き手は職場を共にした男で、放射線科の助手を務める傍ら教会の仕事を手伝っていたのだった。彼はその身に刺青まで施そうかと考えたほどの堅気の生活とはおよそ縁遠い世界に足を踏み入れていたのだが、病を得て入院、そこで神の恩籠にあずかったのだという。
 しかし聴衆前に自らの救いの体験を語る表情とは裏腹に、ハモニカを手にする時の彼は常に言いようのない悲しみに包まれていたのだった。とある夕べ、ハモニカを振りながら彼は言った。「神の存在を疑うわけではないけれど、その沈黙の重さには限りない焦立ちを覚えることがあるよ」いましがたまで吹いていた讃美の歌とはなんという隔たりのある言葉だったことか。「せめて一言なにか応えてくれたらと思うことがある。血の汗流して祈っても、かえってくるのは深い深い沈黙ばかりなんだ」
 「そうねえ、偉い人ばかりじゃないものね。奇蹟を望むか望まないかそこに邪教と本当の宗教との分かれ道があるなんて語った人がいるけれど、しるしが欲しいと思うのも事実なのよね。それすらも修養が足らないなんていうのはあまりにも愚弄しているような気のすることがあるわ。全体、神はなんのために人間を創ったの?」ただただ自分の慰みのためだけじゃないのかしら。それにしても神が本当にはいなかったのだとしたならば、それを信じて生きそして死んでいった人達はどうなるんでしょうねえ」
 「ああ」彼は苦痛の声をあげると同時にそくさくと帰り支度をはじめた。「また来るよ」「お願いだからもう来ないで」私は喉元まででかかった言葉をおさえて微笑した。世に容れられぬ愛の形に疲れたにしても、人生に絶望しきった男の束の間の安らいを奪ってなんになるというのだろう。だが同情や機関から生じた愛には自ずと限界がありはしないか。
 いつしかハモニカの音は間遠くなり、やがて絶えてしまったのだ。

 「罪は緋のごとあかくあるとも、罪は緋のごとあかくあるとも、神は雪より白くしたまわん、白くしたまわん」――― 彼の好きだったハモニカの調べ、リバイバル聖歌69番の一部分。神の世界に目覚めつつなお十全に受け入れることのできなかった彼は、それから数年後に還らぬ人となった。病床の枕辺を訪れる者もなく、教会はその弔いを拒否したときく。


未来永劫、在り続ける姿   高橋由紀子

 ことしはじめ(1月20日)、試験終了。ちょつと寂しく”とげぬき地蔵”に行ってみた。3時半頃のことだった。出店は片付けにとりかかりはじめ、高島易の看板をつけたところだけがそうした気配もない。多分、夜遅くまでもやっているのであろう。
 さすがに年末に近い頃(といっても、12月半ばのことだったが)娘とともにはじめてきてみた寒風吹き荒ぶ頃とは違い、ひとの気配を感じはしたが、それでもいわゆるなにか巷間うわさされる”お年寄りの原宿”というようなにぎわいはなかった。
 私は境内をブラブラし、いま来た道をとってかえしては、あたたかい飲み物を求めてまた境内に戻った。アンパンをかじりたかったからである。塩大福を買ってきたひとの話を何気なく耳に入れているうちに、まるで置物のように立ち尽くしていたひとりの僧の姿がうかびあがってきた。
 そうだ、彼はここにくる大分手前の寺の門前で物乞いをしていたのだった。足元に紙袋の包みがなかったならば、ほんとうに未来永劫そこに在り続ける飾りとなんら変わらぬ姿であっ。黒塗りのお椀を持つその手のなにやらふあふあした感触が伝わるほど近く寄った私は、わずかなためらいを覚えつつその前を通り過ぎたのだった。
 帰りの道にもまたその僧はいた。

 僧の瞳(め)の 窪みにたまる つゆ幾つ
         笑うが如き 怒るが如き 怒るが如

(「2000年ミレニアム記念寄稿」から)


掲示板


○『広場』販売
 ドストエーフスキイの会の最新会誌「ドストエーフスキイ広場No.16」が刊行されました。4月7日に会員に発送。ご希望の方は「読書会通信」編集室まで 定価1200円バックナンバーもあります。
            
○ 年6回発行の「読書会通信」は、皆様のご支援でつづいております。ご協力くださる方は下記の振込み先によろしくお願いします。(一口千円です)
  郵便口座名・「読書会通信」    口座番号・00160-0-48024 
  2007年4月1日までにカンパくださいました皆様には、この場をかりまして厚くお礼申し上げます。

○ 原稿をお送りください。
 ドストエーフスキイ作品の感想、評論、自著の宣伝、映画、演劇評、自身のドストエフスキー体験など。
下のメールアドレスか〒住所へ。
「読書会通信」編集室:〒274-0825 船橋市前原西6-1-12-816 下原方