ドストエーフスキイの会会報 No.41 1976


手塚 治虫 作『マンガ版罪と罰』 
虫プロ(1953)


下原 (佐伯)康子


手塚治虫氏のマンガ版『罪と罰』ということで、いったいどんなラスコーリニコフかしら、ソーニャかしら、ポリフィーリイかしら、スヴィドリガイロフはどんなかしらと期待に胸おどらせて読んでみました。読み終わってすっかり感心してしまいました。

まず、じつにすっきりと筋道が立っています。だいたいドストエフスキーの作品はなにかくどくどと、わけがわからない感じで筋を追って話すのは容易ではありません。『罪と罰』は構成のしっかりした完成度の高い作品といわれていますが、それでもダイジェストするのはやっかいな気がします。それがこのマンガ版ではじつに手ぎわよくあざやかに料理されているのです。なるほど、こういうわけだったのかといまさらのように納得した部分もいくつかありました。『罪と罰』をひどくかた苦しくむづかしく読みすぎて頭がモヤモヤしている方には、ぜひこのマンガ版をおすすめします。すっきりすることうけあいですから。

ラスコーリニコフの思想からして次のような調子です。「そもそも…あらゆる人は〈ふつうの人〉と〈天才〉にわけられる。〈まぬけ〉とはふつうの人のことだ。ふつうの人とは世間一般の人のことである。ナポレオンやヒットラーやスターリンやアイゼンハワーなどは天才なのだ。この人たちはふつうの人たちを従えて戦争をしたり、政治をしたりしている。つまり天才は何をしてもいいのである」

ラスコーリニコフは胸に大きなリボンをむすんだ大きな目のかわいらしい男の子です。あんまりかわいらしすぎるような気もちょっとしましたが、よく考えてみるとドストエフスキーの描いたラスコーリニコフも、こんなかわいい男の子の感じがしなくもありません。なにやら煙のような人物の多い中で、このラスコーリニコフは生き生きとした若々しさがかんじられる好もしい人物です。手塚氏のラスコーリニコフにいたっては、よりいっそうひたむきで愛らしくて、これまたかわいい丸顔のソーニャにむかって「きみは不思議なことを言うね。生きるってそんなに大切かい?」なんてたずねたりするんです。

さて注目のスビドリさん(ソーニャはそう呼んでいます)これがなかなかのハンサム。長いもみあげにハンチング風の帽子をかぶり長いマフラーをなびかせて登場します。その目つきといいほっぺたにある大きな艶ボクロといい長いもみあげといい、いかにもいわくありげで、ドーニャの身が案じられましたが、そこの部分は省略されていました。このスビドリさんはじつは革命家で、ラスコーリニコフを同志とみこんでつけねらっていたのです。物語の最後になると「われわれは人民の英雄だ、ワッハッハ」などと血迷ったようになって暴動をひきおこします。このさわぎの最中、ソーニャから形見のリボンをもらったラスコーリニコフが群衆の面前で地面に接吻し罪を告白する、かの有名なシーンを演じるのですが、群衆の方は避難するのに大わらわ。キチガイなどにかまってはいられません。弾薬が炸裂し、人々が逃げまどう中でラスコーリニコフはしゃくりあげながら「殺したのはぼくだ」と叫ぶところで『マンガ版罪と罰』は終わっています。

手塚氏の『罪と罰』のすぐれている点は、人物が明確に手ぎわよく描けていることと、「民衆」が描けているということだと思います。ペンキ職人やカチェリーナの長屋の女家主とその住人。マルメラードフをかこむよっぱらいたちがユーモラスに描かれています。手塚氏の視点はあきらかにこの「民衆」にあったと思われます。この視点の確かさがドストエフスキーの作品の精神をつかみとるのに成功している一方で、手塚氏独特のユニークな作品をつくりだしているとも言えると思います。