ドストエフスキーてんかん発作の記録   
エムスでの療養日誌



典拠:『ドストエフスキー未公刊ノート』 小沼文彦訳 筑摩書房 1997
ドストエフスキーが、おりおりの感想やそのときどきの意見、またエッセイから持病のてんかんの発作記録にいたるまで種々雑多のメモを書き入れた雑記帳です。この中で一括して末尾にまとめてある「てんかん発作の記録」および「エムスでの療養日記」を以下に転載しました。


てんかん発作の記録(1861〜1880年)(P.173-176)

1861年(40歳)
四月一日 強
八月一日 弱
十一月七日 中

1862年(41歳)
一月七日 強
三月二日 中

1864年(43歳)
七月五日   中
八月二十一日 強烈なほう
八月二十五日 夜中に印刷所で
九月十八日  中
九月二十九日 中
十一月十五日 中
十二月十二日 大発作

1865年(45歳)
二月二十二日 大発作
五月二日   大発作
五月九日   中

1873年(52歳)
五ヶ月半の発作中断後
四月ニ十日  
六月四日
八月一日
十一月三日、一九日
十二月二十七日

1874年(53歳)
一月二十八日 かなり強
四月十六日  強、頭痛、足が麻痺
(N・B この一年に発作 計八回)
四月ニ十日 土曜日
頭と気分がようやくすっきりしはじめた。ずっとひどく暗い気分だった。すっかりぶちのまされたようだ。いちばん苦しかったのは三回目の四月十九日。今日は四月二十日。いま午前十時、苦しいことは苦しいが、どうやら峠は越えたようだ。
五月十三日 かなり強いほう
六月二十七日 かなり強
七月九日 (土曜日、六月ニ十九日 頭がひどく重く、胸が苦しい。そしていまのところはまだ足の麻痺がひどい)
七月十五〜二十七日 かなり弱。満月。天気がたいへんかわりやすい。この五日ほど、陽光、風、無風、しょっちゅう天気が変わるのだ。
十月八日 夜中に強い発作 早朝五時
乾燥したさわやかな天気がつづく
十月十八日 早朝五時に発作。かなり強い。だが前回よりは弱い。
十二月二十八日  朝、八時、ベッドの中で発作、きわめて強いほう。なによりもひどく頭をやられた。血が額を圧しつぶす感じで、それにともなって頭頂部がすきんすきん痛む。頭はぼんやり、気分は落ち込み。地獄の責め苦と幻想の世界。ひどく苛立たしかった。晴天。零下1.5度。
合計 1874年は一月二十八日から年に発作八回。十二月二十八日からはさらに発作二回。一回は一月四日(1875年)もう一回は一月十九日。

1875年(54歳)
四月八日 深夜の零時半に発作。夕方から、いや昨日も強い予感があった。煙草を巻き終わって、小説をせめて二行なりと書こうと思って、机に坐ろうとしたとたんに、部屋の中央を歩きながら、からだがふわりと浮き上がったの記憶している。四十分ほど倒れていた。気がついてみると、煙草を巻きかけたまま坐っていた、だが巻いてはいなかった。どうしてそうなったかは覚えていないが、手にはペンを握っていた。そして そのペンで煙草のケースを引き裂いていた。からだに刺していたこともありえたわけだ。この一週間ずっとじめじめとした天気で、今日(今夜)はじめて満月が出た。外気は、どうやら零下のようだ。四月八日満月。
N.B.。発作後一時間ほどして咽喉が渇いた。一気にコップ三杯の水を飲んだ。頭は痛いが、それほど激痛というわけでもない。いまは発作からほぼ一時間後。これを書いてはいるものの、言葉がまだうまくまとまらない。死の恐怖はそろそろ消えはじめたが、それでもまだ強い恐怖が残っていて、思い切って横になる気にはなれない。脇腹と足が痛い。それから四十分もたってからアーニャを起しに行ったが、ルケーリヤから奥様はお出かけですと聞いて、びっくりした。いつ、どんな用で出かけたのか、と詳しくルケーリヤを問いただした、発作の三十分前にopii banzoediを四十滴、水にたらして飲んだ。
完全に記憶を失っていたあいだ、つまりもう床から起き上がって、坐って煙草を巻いていたとき、計算では四本巻いたつもりだったが、正確ではない。特にあとの二本のときは、はげしい頭痛を感じた。しかし、いったいなにが起こったのか、ルケーリヤのところに行くまで理解できなかった。軽い痔、鈍痛、いぼ痔がまたはじまったのだ。

1875年(54歳)
一月四日、一九日
四月八日
七月四日
九月二十二日 強いほう(ただし、最強というほどではない)明け方、六時、三ヶ月の中断のあと。満月。硬直。咽喉に軽い出血。頭に強い充血。苛立ち。
九月二十九日 払暁、強いほう(だが、最強ではない)五時過ぎ、三ヶ月の中断のあと。満月。硬直。軽い咽喉の出血。きわめて強い頭部の充血、神経の苛立ち。
十月十三日 月曜日 朝、七時、睡眠中(それほど強いほうではない)

1876年(55歳)
一月二十六日 月曜日 朝七時、睡眠中にかなり強いほう。上弦の月。
四月三十日 金曜日、朝六時過ぎ、睡眠中、かなり強いほう。頭部の充血、気が沈む、ヒポコンデリー。下弦の月。これより以前に長い仕事やその他いろいろなことでひどく神経の調子を狂わせていた。
五月七日 朝九時、かなり強度だが、前回よりは弱い。非常に長いあいだ意識が戻らなかった。血が少々しみだした。頭よりもむしろ背中と両足にひびいた。
五月十四日 朝、睡眠中、六時過ぎ。かなり強度。血液のしみだしは少量。むしろ両足とある程度、腰の一部が痛い。頭も痛む。はげしい苛立たしさ。
六月六日 中程度のもの、朝、睡眠中、腰痛があった。
六月十三日 朝、八時過ぎ、睡眠中。頭が痛む。(N.B.。いまだかってない発作の頻発)
八月十一日 朝、ズナーメンスカヤ・ホテルで、エムスへの旅行から戻ったあと、中程度のもの。苛立たしさ。よく晴れわたって、厳寒、寒さの一日目。
十一月十五日 朝、九時過ぎ、睡眠中。よく晴れわたった厳寒の日。たいへん疲労した状態。判断力がひどくにぶい。発作かなり強いほう。

1877年(56歳)
二月一日 朝、九時過ぎ、睡眠中。晴れわたった日で、零度以下の厳寒の日がはじまった。たいへん疲労した状態。非現実な気分。頭はぼんやり、印象は不正確、足と手を傷つける。かなり強度の発作。
二月一九日 かなり大きな発作。
三月十七日 発作、大きいほう。天候の急変。月が欠けはじめる。

1878年(57歳)
十月十日

1879年(58歳)
四月二十八日
九月十三日

1880年(59歳)
二月九日
三月十四日
九月七日 かなり強いほう、九時十五分前。思考の中断、過去の歳月への移行、夢想、瞑想、罪の意識。背中の骨をひねったか、筋肉をいためたようだ。
十一月六日 朝、七時、寝入りばな。しかし、病的な状態が消えるのがたいへん困難で、ほとんど一週間もつづいた。日がたつにつれて、からだのオルガニズムが発作の力に負けるようになり、発作の影響がますます強くなった。
二月六日<?>から。雪どけ日和が早くはじまり、たいへん長く、ほとんど二週間もつづ冬の到来が早かったからか。この前の前の、九月六日の発作もやはり、長いおだやかな夏のあとの、寒さと雨への急激な気候の変化に対応していた。

1881年(60歳)
一月二十六日 のどからの大量出血。肺気腫による肺動脈破裂。司祭を呼び懺悔をし聖餐を受け、妻子に別れを告げる。一月二十八日午後八時三十八分、息をひきとる。




エムスでの療養日誌
(1874・53歳)(P.165-168)


六月二十五日、木曜日
朝七時、はげしい雨の中をはじめて鉱泉、ケッセルブルーネンへ行った。コップで二杯。雨はあがったものの、夕方まではかなり強い風が吹き涼しい。どうやら、はやくも風邪をひいたようだ。寝る前に咳が出て、胸がぜいぜい鳴った。夜、いやな夢を見た(ゴーリツィン、兄、アーニャ)。これでもう四日ほどかなりひどい痔(出血)。胃は順調。

六月二十六日、金曜日
雨模様の変わりやすい天気。空咳がますますひどくなった。夕方ごろには胸までも痛み出した(胸骨の上部)。戦々恐々の思いで眠る。いやな夢は見ずに眠った。胃はしめつけられる感じだが、舌はこれまでになくきれいだ。(N.B。この二日間、悪天候にもかかわらず、おおいに歩きまわる)呼吸のたびに胸がぜいぜい鳴る。

六月二十七、二十八、二十九日
連日雨模様で、太陽はときおり顔を見せるだけ。湿気のせいで、どうやらますます悪化する一方らしく、咳はひどくなる一方、主として夜分、湿気のないときでも。胃の調子は変わりやすく、ますます便秘がち。二十九日に医師をたずねて、胃の状態を説明した。ケッセンブルーネンのかわりに、クレンヘンをコップ三杯ずつ飲むように指示された。(N.B。わたしが気がついたところでは、クレンヘンを飲む患者は、ケッセルブルーネンを飲む患者よりも、はるかに少ない)。

六月三十日
はじめてクレンヘンを飲みに行った。晴雨計は昨日から晴天に向かうことを示しているが、雲が多く、おまけに小雨まで降っている。ただし、暖かで、おだやかな天気だ。二十九日の夜から三十日の早朝にかけて胸のぜいぜいがとりわけひどく、昨年の冬のいちばん悪かったときのようだ。もっとも、咳のほうは昨年の冬よりもずっと少ない。それでもやはり、ペテルブルグでの病状がよくなった何日かに比べると、あまりにも多すぎる。だが震えのほうはこの夜はなかった。

七月一日、水曜日
すばらしい天気で暑いくらい。昨日はそれこそやたらに歩きまわり、山に登ったりして疲れた、それに足も痛い。胸のぜいぜいはおさまらない。便秘。舌はたいへんきれいだ。浴場に行った。夕方またしても歩きすぎて疲れた。

七月二日、木曜日
咽喉のぜいぜいがますますひどくなった。特に咳が出たくなるなるわけではないが、ただ痰を吐き出すためだけに咳をする。痰がたまりすぎて、これまでより息をするのが困難になったような気がする。天気はすばらしい。だが朝の七時には町の上はいちめん雨雲におおわれていたけれど、太陽が昇るにつれて消えてしまった。七時には日陰で列氏寒暖計で十四度しかなかった。(N.B.。入浴したためか、それとも山を歩きすぎて疲れたためか、胸のぜいぜいがひどくなった?)便秘は相変わらずつづいている。正午一時間前は日陰で列氏十四度だった。夕方近くやたらに咳が出て止まらず、咽喉のむずむずがどうにもたまらないほどひどく、声はかすれ、翌朝になると明らかに翌朝になると明らかに呼吸さえも困難になってきた。

七月三日、金曜日
クレンヘンを飲んだあと、なんとなくよくなったようで、胸につかえていたものがとれた。それでも相変わらず、ときどき咳が出る。黄疸の気味がある。舌がそれまであんなにきれいだったのに、少しばかり黄色くなってきた。クレンヘン飲用の増量と、特にミルクとの併用について、しつこいくらいに医師にたのんでみたいと思う。今日は申し分のない天気で暑い。晴雨計はbeau temps(天好)を示しているが、天気はちょっぴり逆戻りしそうな、つまり変わりやすくなりそうな気配。(N.B.。この三日間ずっと多少の疲労感と、それに足の痛みさえもあった様子。これは間違いなく、この三−四日間の歩き過ぎ、特に山登りのせいにしてはいるものの、ことによったら、はげしい運動は胸にもよくないのかもしれない)。

七月四日、土曜日
医師に頼みこんで、一日に二度、クレンヘンを飲むことにした。朝、コップに三杯、夕方に二杯。クレンヘン、六オンス、ミルク、二オンス(1オンスは28.35グラム)

七月十一日、土曜日
全体としてどうやら楽になったようだが、水曜日におきた発作が、胸のつかえをひどくした。昨日、つまり金曜日(十日)から天気がくずれ、雷雨があった。そして今日、土曜日の朝は雨。湿気が強く、痰がつまり、咳がひどくなった、これはいつものこと。さて来週はクレンヘンがいったいどんな効果をあらわすか?そしてやっと待ちに待った効き目があらわれるだろうか。

七月十九日、日曜日
週のはじめに熱病にかかり、三日ほど発汗。金曜日から発汗が少なくなり、むしろ発汗はおさまった。医師は、木曜日に、朝、クレンヘンをもう一杯加えることに決めた。これで、朝四杯、夕方二杯になったわけである。たいへん丹念に胸を診察した。どこも悪いところはなくなり、残っているのは前面の下部と背部の二箇所だけになった。確かに、咳をするとその部分に痛みさえ感じる。そのかわりこの一週間はずっと目に見えて呼吸が楽になった。胸のぜいぜいもこれまでとは比較にならなぬほど少なくなったし、それにもうこれで三日ほど咳のほうは文句なしに少なくなった。朝、起きるときも咳は出ない。(N.B.。注目すべきことは、これはクレンヘンの四杯あたりから急にそうなったという点である)。煙草を吸ってもほとんど咽喉がむずむずすることはない。医師は予定されていた期間をさらに一週間延長した。そんなわけで、現在の日程によれば、わたしはここに新暦の七月三十日まで滞在しなければならないことになる。そうすれば治療は成功すると医師は保証している。患者たちの話によれば、わたしのようなこうした長期にわたるカタルは、非常に楽になることはあっても、一コースで根治することは絶対にないそうだ。それで来年も二コース目の治療を受けに来なければならない。そうすればはじめて根治の希望が持てるそうだ。(あらゆる機能が申し分ない。食欲は旺盛だし、よく眠れる。体力もある。いらいらさえも減ってきた。簡単に言えばいまのところなにもかも順調)

七月二十二日、水曜日
クレンヘンを飲むようになってから、昨日でちょうど三週間になった(これで三週間になるが、コシラーコフ(ペテルブルグでドストエフスキーが診察を受けていた高名な内科医)は六週間は続けるように指示した)。咳と咽喉のむずがゆさは見る見るうちに少なくなったし、日ごとにますます少なくなっていく。体調は申し分ない。夜間の寝汗の量はいちじるしく減少したが、まったく汗をかかなくなったわけではない。毎晩一度は下着をきちんと取り替える。そうは言っても、体力のほうは少しも衰えてはいない。昨日は一日じゅう雨だった。今日は太陽は照っているものの、風があって、かなり湿っぽい。だが、それにもかかわらず、咳と声のかすれ方は明らかに少なくなった。まあなんとかしてクレンヘンの飲用を五週間にまで引き延ばすのも悪くはあるまい。いちばん大きな変化は、咽喉のむずがゆさがめっきり減ったことである。煙草を吸っても咽喉がむずむずしなくなった。

七月二十五日、土曜日
昨日と今日は(一昨日の後半もある程度そうだったが)湿っぽい天気で、降ったり照ったり、昨日、また特に今日は、朝のうち霧がかかっていた。湿気が胸にひびいたのだろうか、声のしわがれがひどくなった。これを見ても悪いところが全治には程遠いことが明らかである。もっとも、咽喉のむずがゆさは薄れ、(たとえば昨日のように)まだあることはあるが、それでも呼吸はやはり、前よりも楽になった。全体として恢復状態は実に良好で、ここにきた当事に比べると、はるかに力がついたのを感じるほどだ。

以上