ドストエフスキーとてんかん/病い
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会報告 1994 (追記:2015.2)

                
ドストエフスキーとてんかん

下原 康子


はじめに

てんかんはドストエフスキーが一生かかえていた病気です。ドストエフスキーはともかくとして、てんかんについてお話するとなると、専門外のわたくしにはどうしてもためらいがありました。しかしながら、このテーマについては興味をもっていましたし、また、わたくしは医学図書館の司書をしていますので、医学書とか医学論文とかが身近にあり、いろいろと調べることはできます。そこで、思い切ってお引き受けしました。 はじめにてんかんの簡単な説明をし、それから、ドストエフスキーのてんかんについてお話させていただます。

てんかんという病気

てんかんという病気は紀元前からその奇妙な発作によって知られていた病気でした。発作が突然におこること、そして反復することを特徴としています。この「突然に」という言葉はドストエフスキーを連想させます。ドストエフスキーが作品の中でよく使う言葉です。古くは神聖病とよばれ、発作は神か悪魔の仕業と考えれていました。したがって、治療も祈祷師や聖職者の手にゆだねられていました。これが迷信で本当は脳の病気であると最初にいったのがヒポクラテスであるといわれています。

てんかんは人口の1パーセントがかかる病気です。そしてその80パーセントが大人になる前に発症します。したがって、診療の場では子供が対象になることが多い病気です。WHOの定義では「その発作が脳ニューロン(神経単位)の過度な放電によるもの」とされています。現在では脳波異常で確かめることができます。てんかんは迷信以後も長い間、精神病であると考えられていました。けれど、発作のタイプと脳波の異常で診断がつくようになったので、現在では精神病の仲間からははずされて、神経疾患の一つとして位置づけられています。

てんかんの分類

てんかんは大きく分けて、全般てんかんと部分てんかんに分けられます。全般てんかんは脳全体に脳波異常を示すてんかんです。いわゆる大発作をおこすタイプです。一方、部分てんかんは脳の一部に脳波異常を示すもので、その異常部位に応じて様々な症状をおこします。部分てんかんの一つに、脳の側頭葉という場所に異常をおこす側頭葉てんかんというのがあります。ドストエフスキーはこのてんかんであったと従来言われてきました。このてんかんの発作は精神発作と感情発作が主で身体的な発作はおこしません。このタイプのてんかんはあまり知れれていませんが、少なくないそうです。

副次的な分類として原発性、続発性というのがあります。原発性というのは器質的障害がなく原因不明のてんかんで、一部には遺伝的素因が関与しているとも言われています。ドストエフスキーの次男のアレクセイはてんかん発作で死亡しています。発作のおきる状況から、睡眠型、覚醒型、びまん型という分類もあります。睡眠型は原発性全般てんかんに多く、覚醒型は側頭葉てんかんに多いとされています。ドストエフスキーは本人のメモやアンナの日記によれば、睡眠型が多かったようですが、覚醒時の発作の記録も残されています。

脳ニューロンの過度な放電がなぜおこるのか、その原因は多様で、そのすべてはまだわかっていません。しかしながら、治療についてはかなり進んできました。多くは薬物療法でコントロールできるようになっています。ドストエフスキーは当時の医者に対してはかなり不満を抱いていたようですが、現在なら治療が可能だったと思います。発作を繰り返すと、知能の低下をきたすというふうにも考えられていましたが、現在では発作の反復によっては知能の低下はきたさないし、また、てんかん者すべてに共通する特徴的な知能障害はみあたらないという主張が有力です。ドストエフスキーがそのよい実例です。こういうことから、てんかんは、現在では充分コントロールできる疾患というふうに考えられます。

それでは、てんかんは神経科の治療だけで対応できるかといえば、そうとは言い切れないのです。というのは、発作の前後やその経過中に精神障害を併発することがあるからです。したがって、依然として精神医学や精神科診療の重要な対象の一つとなっています。精神医学の分野でよく言われるのがてんかん気質です。つまりてんかん者の性格です。粘着性、爆発性の二つに要約されると言われています。具体的にはきちょうめん、融通がきかない、潔癖、カッとなりやすいなどです。また宗教に親和性が強いとも言われています。しかしながら、てんかん者にはこうした性格が最初から備わっていると考えるのは単純すぎます。

ドストエフスキーのてんかん 唖と聾の霊

では次にドストエフスキーのてんかんについてお話します。ラファエロの描いた「キリストの変容とてんかん」と題する絵がローマのヴァチカン美術館にあります。右下の子供がてんかん発作をおこしています。これは聖書を題材にしています。マルコによる福音書第9章にてんかん発作をおこした子供をイエスが奇跡によっていやしたことが書かれています。その部分を引用してみます。

イエスは汚れた霊を叱って言われた、「唖と聾の霊、わたくしがおまえに命じるのだ、この子からでて行け、二度と入るな」霊はどなって、激しくひきつけさせて、出ていった。子供は死んだようになったので、多くの人が「死んだ」と言った。イエスはその子の手をとっておこされた。すると子供は立ちあがった。

山内俊雄:ラファエロの「キリストの変容」とてんかん (追記:2015.2)

これでおわかりのように、この「唖と聾の霊」というのはてんかんのことです。わたくしは、今回はじめてこのことを知り、とても驚きかつ感銘をうけました。ドストエフスキーの愛読者の方はお気づきだと思いますが、この唖と聾の霊という表現はドストエフスキーが作品の中でよく使っている言葉です。たとえば、『罪と罰』の中では、ラスコーリニコフがネヴァ川のパノラマをながめて、「そのパノラマから言いようもない冷気が吹いてきて、彼にとってはこのはなやかな画面が唖と聾の霊に満たされている」とありますし、また『白痴』の中のイッポリートの告白では、「自然というものが、なにかしら巨大などんらんなあくなき唖の獣のように感じられる」とあります。このとりわけ印象的でドストエフスキーの世界を象徴する言葉の一つとも言えるこの「唖と聾の霊」が、福音書に由来しているということはとても意味深いことだと思います。

ところで、ドストエフスキーのほかにもてんかんだったと言われている大天才は大勢います。ほぼ間違いないと言われているのは、シーザー、ジャンヌ・ダルク、フローベール、ヴァン・ゴッホなどです。この他にも疑われる偉人として、聖パウロ、アレキサンダー大王、マホメット、ブッダ、ソクラテス、カリギュラ、パスカル、ピョートル大帝 などがいます。(金澤治『知られざる万人の病 てんかん』南山堂 1998)宗教性や予言性を備えた人がめだちます。もっとも、これら天才人たちのてんかんは多分に伝説的で、医学的な診断の裏づけに欠けるものがほとんどです。その中でドストエフスキーのてんかん説だけは確実とされています。主治医や友人、家族、そして本人の詳細な記録が残されているためです。

ドストエフスキーは作品の中にもてんかん者を描きました。『白痴』のムイシュキン、『悪霊』のキリーロフ、『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフがそうです。この中でのてんかん発作の詳細な記述は医学的にみても正確かつみごとであると加賀乙彦氏が述べています。また、加賀さんによれば、この三人のほかにイワン・カラマーゾフ、『白痴』のイッポリート、『罪と罰』のスヴィドリガイロフが見る幻覚はてんかんの症状と関係があるとのことです。

ドストエフスキーの病跡学では精神科医で作家の加賀乙彦氏、精神病理学者の荻野恒一氏が知られています。現時点でわたくしが医学データベースMEDLINE検索したドストエフスキー関連の論文は20件(1994現在。すべて欧米のもので、ロシアのものは含まれていません)ありました。その多くはてんかんの専門医によるもので、ドストエフスキーの病歴をあきらかにすることを目的としています。その中で主に論じられるテーマは鑑別診断とエクスタシー前兆です。これらの論文の中から、てんかん学者である、フランスのガストーとオランダのVoskuilの論文にそって、ドストエフスキーの病歴をお話してみます。

ドストエフスキーの病歴

発作の最初の記録は友人のグリゴローヴィッチが残しています。1846年、ドストエフスキーは25才で最初に世に出た作品、『貧しき人々』で一躍有名になってまもなくのころです。二人で散歩している最中、葬式の列をさけようとしたドストエフスキーは突然発作をおこしました。同じ年、ある小さなパーティーでも目撃されています。この時は発作が治まらないうちに突然その場から走り去り、病院に向かっています。追ってきた知人に対して、とにかく不安で助けが欲しかったと話しています。

同じく1846年、はじめて友人の医師ヤノーフスキイの診察を受けました。1947〜49年にかけてヤノーフスキイは3回の発作を目撃しています。一度はベリンスキイの死の知らせを聞いたあと、一度はペトラシェーフスキイの会で、なにか不愉快な出来事があったその夜のことでした。

1849年に逮捕されます。死刑宣告の直後の恩赦という有名な体験をへて、1949年オムスク要塞監獄に収監されます。ここで4年、その後セミパラチンスクに5年、合計9年をシベリアですごします。この間、記録に残された最初の発作はオムスクにいた29才の時です。医師や友人や本人の証言や手紙から、シベリアで発作が悪化したのは確かなようです。 

1857年、シベリアの部隊の医師エルマコフがてんかんであるという最初の正式な診断を下しました。その後死ぬまでドストエフスキーの手紙やノートにてんかんの記述が絶えることはありません。

二度目の結婚後は夫人も日記や回想に記録を残しました。木下豊房氏訳の『アンナの日記』は結婚後まもなく外国生活をおくった、その最初の一年間の日記です。この中に、数えてみたのですが、少なくとも25回のてんかんについての記載がありました。その中の12回は実際に発作を起こしたという記録です。ついでにいえばこの間はルーレットに熱中した時期でもありました。てんかん者特有の粘着性と賭博者の耽溺傾向には共通するものがある、と荻野博士が指摘しています。

発作の前は時には死の恐怖をともなうほどの不安があり、発作後は健忘症に陥りました。ドストエフスキーは膨大な創作ノートを残していますが、これは健忘症対策のためであったとも言われています。また発作後の4〜5日は誰か親しい人を亡くしたような陰うつな気分になると語っています。

結論としてドストエフスキーの最初の発作は25才ころ、最初の診断は1857年、シベリアでの医師エルマコフの診断。発作の頻度は一日に2回から4か月に1回までの変動はありますが、平均すると一月に1回の発作が亡くなるまでの35年間続いたとされています。

鑑別診断

医学論文での主要なテーマに鑑別診断があります。ドストエフスキーの鑑別診断は5つほど考えられます。

@ヒステリー:フロイト説
A側頭葉てんかん:従来の説
B原発性全般てんかん:ガストー説
C側頭葉てんかんと原発性てんかんの折衷説:後のガストー説
D部分複合てんかんから二次的な全般発作に至る:Voskuil説

この中のヒステリー説はフロイトが『ドストエフスキーと父親殺し』という論文のなかで述べてよく知られています。フロイトはてんかんという病気について、知能の低下を伴う器質的疾患であると考えていました。てんかんと言われている天才人のほとんどはヒステリーのケースであると述べています。ドストエフスキーが神経症的な性格を持っていたことは確かだと思われますが、発作まで神経症に由来するヒステリーだとするこのフロイトの説は現在ではほとんど受入られていません。その他のてんかんの鑑別診断については、専門的になりますので、立ち入らないということで許していただきたいと思います。ドストエフスキーの発作の記録からみると、原発性全般てんかんと思われるものがほとんどですが、エクスタシー前兆やその他の前兆から、側頭葉てんかん説も依然として有力です。

エクスタシー前兆

医学論文のなかでとりわけ論争の的になっているのが、エクスタシー前兆です。これはご存知のように、ドストエフスキーがムイシュキンとキリーロフの口から語らせています。それはてんかんの発作前のほんの一瞬間ですが、「そのためには全生涯を投げ打ってもいいと思うほどの美と調和に満ちた瞬間」と表現されています。この体験が本当にドストエフスキー自身の体験であったのかどうかというのが医学上の論争点なのです。

このエクスタシー前兆は側頭葉てんかんの感情発作と考えられます。こういう発作のあるてんかんは、ドストエフスキーの症例として有名になり、ドストエフスキーてんかんとも呼ばれています。ところが、フランスのてんかんの権威であるガストー博士は、エクスタシー前兆をドストエフスキーの文学上の創造であるとして物議をかもしました。しかしながら、それも無理のないことで、それまで、ドストエフスキー以外にはこうした患者の報告はなかったからです。しかしその後、わずかながらエクスタシー前兆と考えられる報告が出てきました。それで、現在ではムイシュキンとキリーロフの体験はドストエフスキー自身のものであるというのが、文学者もふくめ大方の意見になっています。

おわりに

最後にわたくしの感想をのべて終えたいと思います。わたくしがてんかんに興味をもったきっかけは、もちろんドストエフスキーでしたが、てんかんという病気にも関心を持つようになりました。というのは、脳からメッセージを発するという非常に興味のある病気だからです。原因はまだ解明されてはいませんが、てんかんの治療や研究を通じて脳のどの部分がどのような働きを担っているかについての重要な発見がなされてきたのです。立花隆『臨死体験』の中に、側頭葉に臨死体験をおこす場所があった、物理的にそういう場所が存在したことがわかっていたと書かれています。そこをさわると体外離脱体験や神様体験がおこったそうです。臨死体験とエクスタシー前兆に関係があるのかどうか知りたいと思います。

Reference
1.Gastaut H: FM. Dostoevskys involuntary contribution to the symptomatology and prognosis of epilepsy. Epilepsia 1978;19:186-201.
2.Voskuil PHA: The epilepsy of FM. Dostoevsky. Epilepsia 1983;24:658-667.

追記(2015.2.22)

ラファエロの「キリストの変容」とてんかんの紹介
山内俊雄:ラファエロの「キリストの変容」とてんかん
埼玉医科大学雑誌 15(3):321-324、1988


この報告から20年の歳月が過ぎた。変更を要する箇所が少なからずあるに違いないが、もとより一般読者の精一杯の報告であり、お許しいただく他はない。ところで、最近、当時集めた資料をひっくり返していて、興味深い著述を再発見したので紹介する。
著者の山内俊雄先生(1937年生)は2015年現在、埼玉医科大学名誉学長。日本てんかん学会専門医。日本精神神経学会専門医。「てんかん」及び「性同一性障害」などに関する多くの著述がある。

山内先生はてんかんの講義のとき、てんかんの泰斗Lennoxの教科書の口絵になっているというラファエロの絵を学生に見せて、てんかん発作の描写が実に症状をよく捉えているという学術的解釈をした後に、この絵は聖書の挿話を描いたものであり、てんかんは汚れた霊と呼ばれ忌み嫌われてきたことなどを説明されていた。その時、絵の中の人物のどれがキリストなのかずっと疑問に思われていたという。その後、ヴァチカン美術館で本物をごらんになったとき、たいへんお驚かれた。というのは、Lennoxの口絵は、福音書の「キリスト変容」の物語を描いた絵の一部(右下半分)だったのである。絵全体は一見すると上下二つの絵をくっつけたように見える。実際のところ、上半分は「キリストの変容」、下半分は「癲癇をなおす」という福音書の別々の挿話を描いている。この奇妙な構成に関しては諸説があるらしい。たとえば、両方とも同じ章(マタイ17章、マルコ、ルカは9章)で連続して記述されているからとか、また、ゲーテの「上部と下部はひとつのものである。下部は悩みと乏しさをしめし、上部は効験と慈悲を現し、両者は相互に関連し影響しあっている」(「イタリア紀行」)という説など。その中で、ドイツのD.Yanzが1986年のEpilepsia誌にてんかん学の立場からの解釈を発表した。(以下、引用)

雲間を通して語られる神の声、少年の父親が助けを求める叫び、少年の発作に際して発せられる叫声、そして『悪霊よ、この子から出て行け』と叫ぶキリストの声がそれぞれ重要な意味を持っており、特に少年の叫びは、意識の喪失からけいれんへと導くひとつの変容の象徴として受け取ることができる。キリストの変容と同時に、てんかんの子も、意識を失い、けいれんをおこし、倒れ、やがて悪霊を追い出し、甦るという『受難・死・復活』の象徴として描かれ、こうして下半分の絵も上半分のキリストの変容と同じ意味をもつ。この絵の中で、キリストと少年のみが《まなざし》と《声》と《姿勢》で結ばれている。上半分と下半分の絵の中でお互いが視線を交わしているのはこの二人だけである。赤チョークで画かれた習作では、少年の目はそれぞれ両側に偏位し、一眼はキリストを他眼は父親を見ている。

古川先生は、「ラファエロの絵について医学的立場からきわめて独創的な解釈が提供できたということは、芸術に限らず我々をとりまくさまざまな事象について、それぞれの立場から新しい目で見ることの大切さをも示唆しているように思われる」と結ばれている。
 


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